2020年02月15日

春の気配(近所と自宅の庭編)


山野草の花は咲いていなくても
冬日のおだやかな散策は何物にも代えがたい(中津峰)
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まだまだ冬の気配が濃厚な2月上旬だったが
これからがしばりが緩んでくるだろう。
もっとも「緩む」の実感のない冬だが(とくしま植物園)
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庭をみれば
咲き終わった野菊がすでに新芽を出し
桃の花びらの隙間から
ムラサキカタバミがあちこちに顔を覗かせ
スミレのような葉が際立ってきた。
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今は冬でも来たるべき春への備えを行っている。
出口が見えず凍てついているのは虚構に墜ちた政治の世界。
名もない草ひとすじこそ手本とすべき生き方では。
posted by 平井 吉信 at 13:05| Comment(0) | 家の庭

2020年02月09日

異国の料理を徳島で味わう


出張先で朝のニュースを点けたところ
ジョージア(グルジア)料理が話題になっているとのこと。
それなら帰りに寄ってみようと決めた。

松屋の徳島店に入店してまわりを見回してみると
誰も食べていない。
やはり定番の牛丼や牛肉料理がメインのようだ。
でも、きょうはあれを食べると決めている。

シュクメルリという料理。
鍋のほかにご飯、みそ汁、サラダがついて790円(シュクメルリ鍋定食)
https://www.matsuyafoods.co.jp/matsuya/news_lp/200112.html

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素材は、ホワイトソース、チーズ、ニンニク、鶏肉、サツマイモとなじみやすい。
(ぼくは乳製品はほとんど食べないのだが、料理で出てくるのは嫌ではない)
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運ばれた時点で火が通っているのだが
チーズをぐつぐつさせるねらいで携帯燃料が添えられている。
いつまで経っても熱いので猫舌の人は少々食べがたいと思う。

ここで数日前の会話を思い出した。
ぼくは熱いモノを舌の上に載せるのは平気なほうである。
(ただし咽頭や食道の損傷を考えると望ましくないのである程度は冷ましている)
ところが同席した人は熱くて食べられないという。
この理由は何かを話し合ってみた。

この人は魚の小骨はうまく識別するというが
ぼくはまったく苦手でどんなに注意深く食べても
咽や歯茎に突き立ててしまうか
違和感を覚えて食欲をなくしてしまう。
だから小骨の多い魚は苦手なのだ。

その人は舌の先で食物に触れるといいという。
舌先は敏感なので骨を識別しやすいとか。
それは生涯の習慣なので何を食べるときもそうしている。
すると熱いモノは苦手(猫舌)となるという仮説。
つまり猫舌とは舌の熱さに対する感度の違いではなくて
使う部位の感度ではないかという仮説。

そういわれるとぼくは舌の真ん中当たりが最初に接しているように思う。
だから熱いモノは平気だが魚の小骨が見分けられず、あいたた、となるのかも。

さてお味はというと、この料理は日本人に向いている。
何か身構える必要はない。
鶏肉も火が通っているので
ぼくが年末にどこかの店で食中毒に当たったようなことにはならない。
日本的なみそ汁をつけてサラダを添えれば万能の食事となった。
ジョージアの家庭的な味を全国FCでしかも本邦初の試みで紹介した心意気。
posted by 平井 吉信 at 11:55| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

マスクの備蓄は控えめに


例年冬場になるとマスクは少なくとも200枚は備蓄している。
ところが今年は年末に食中毒で倒れている間に
市場からマスクが枯渇してしまった。

ぼくは風邪やインフルエンザ予防にマスクは有効と考えているが
そのためには厳密な運用が必要である。
(マスクを付けたら感染症を防げるわけではない)

一例を挙げれば
・手すりやドアノブ、スイッチ類には手を触れない。
・手を触れたら携帯用のアルコールで減菌する。
(現金でやりとりを行ったあとも減菌)
・外出から帰ると適度な塩分濃度をつくって鼻うがいを行う。
・マスクは一度口から離したら使わない。ひも以外は触れない。
・マスクをしていてもいなくても意識して顔に手を触れないようにする。
・携帯電話やPCキーボード、(自分専用といえども)車のハンドルは毎日アルコールで拭く。
・咽を湿らすスプレーを常に携帯。
・うがいは頻繁に行う。

可能であれば
・睡眠時間を6時間以上設定する(年度末は難しいが)。
・身体を温める食物を適宜使う(根菜や生姜など)。
・ココアやチョコレートを適量摂取する。

台所も同様である。
(他人の調理場で供される料理だけは直感を頼りに信頼するか運を天に任せるしかないが、不幸にも食中毒を経験したばかり)

潔癖症のようであるが、身体ひとつで事業をやっている身なれば大げさとは思えない。
(芸能人などはもっと厳格に自己管理しているでしょう)

昨年秋からの備蓄が100枚を切っているのだが
この冬はマスクは買わないことにした。
(自己管理で補うしかない)
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いま必然性の高い人の手に行き渡って欲しいと思う。
(震災のときも被災された方が必要とされる物品の購入は控えた)
だから必要な場面で必要以上の購買は行わないようにしたい。
一人ひとりの良識が事態を早期に良い方向に向かわせるのだから。

普段から不断の取り組みがあってこそ健康維持ができる。
こんな時代だからこそルーティンの大切さが教訓となっている。

posted by 平井 吉信 at 11:16| Comment(0) | 生きる

2020年01月31日

和田乃屋さんの庭で黄花亜麻が満開 うちの庭では桃が


徳島新聞のトップページに写真入りで紹介されていたのでご存知の方もいらっしゃるだろう。
数日前の雨で花は元気を失いかけているとのことだったが
行ってみると持ち直したようだ。
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上勝町では常緑の葉とバラの花
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うちの庭でも桃が今年初の花を付けた。
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植物は暦も知らないのに毎年同じ時期に成すべきことを成す。
そこに誰のどんな意志が働いているのか。
もしかしたらそれを待っている人のために咲くのかもしれない。
posted by 平井 吉信 at 22:10| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2020年01月26日

吉田城満寺での佳き出会い 全国一自殺率の低いまちの曹洞宗の名刹はこんなにも明るい


海部町(現海陽町)は全国でもっとも自殺率が低いまちとして知られる。
他人に干渉しないで自分の判断で生きていくけれど、
何かおかしいと思ったら地域で関わりを持っていくという。

田舎は何をやるにも見られている気がする、煩わしいというのが
ぼくも感じるところでそれが田舎暮らしへの最大の隘路となっていると思う。
ところが都会の距離感のようなクールさと
必要があればそっと見守る、場合によってはお節介もするという
共同体の姿を兼ね備えているという。

全国に発信した著書


わかりやすく解説したサイト
http://ilovetokushima.com/?p=2670


ぼくも高校の頃から自転車で海部町、海南町を訪れていた。
お目当ては海部川。
高松塩江と海南町を結ぶ国道193号線は
当時未舗装の区間や対向困難な箇所があるという時代であったが
海部川の表情は濃厚で
社会人になってから仲間とキャンプに出かけていた。
(海部川については下のタグから見られます)

この日は海部川支流を遡ったところの神社界隈に珍しい植生があることを知っているので
そちらにやってきた。
お目当ての植生は見つけられなかったが、赤いツチトリモチはまだ残っていた。
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そこから城満寺へと向かった。
年末には竹の灯りのイベントをされていたと新聞記事に掲載されていた。

城満寺は曹洞宗で9番目に古い名刹であった。
当時は吉田城の城主であった海部氏(地方豪族で代々海部郡司を世襲)が
曹洞宗の開祖道元禅師の弟子で若い瑩山禅師を招いて開いたのが城満寺。
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西暦でいうと1300年にならない頃である。
(瑩山禅師は後に曹洞宗太祖となる)
http://jomanji.web.fc2.com/

道元禅師の打ち出した只管打坐(しかんたざ=ひたすら座る)の実践は
戦乱に明け暮れ陰謀に巻かれる戦国武将たちに心の平穏が訪れる機会となったのではないか。

ぼくは仏教の専門家でも歴史に明るいわけでもないので間違っているかもしれないが
自分なりにこう捉えている。

中央集権国家をめざす政治と結びついて奈良仏教の勢力が伸びてきた。
その一方で仏教本来の姿とかけ離れていった側面もあった。

そんなとき空海が中国から持ち帰った真言密教は真言や法具を自在に駆使して
一部の神秘体験や法力を布教の道具として用いていた。
それは仏教の礎ともなり当時の社会に仏教の光を感じさせるために必然であった。
しかしそのためには高度な知識と師の先導による体験が必要で
庶民には手が届かなかった。

そのことを意識されていたかどうかはわからにが
弘法大師は全国を行脚してさまざまな知識(科学や医学、土木の知見)を駆使して
地域に足跡を残している。
直接的に真言密教とは関係がなくても
実践を通して教えを弘めていくうえでは必然であったと思う。

世が乱れる時代になって
民衆は救いを求めていた。
そんなときにただ「○○○○」と唱えればいい、というわかりやすさが必要であった。
来世(らいせ)が救われると信じることでいまを生きる苦労がどれだけ軽減されたか。
未来の光がいまを照らすと信じられたことで救われた人が多かっただろう。
これもこの時代に必要な方便であったと考える。


21世紀になって
Volatility(変動性)Uncertainty(不確実性)Complexity(複雑性)Ambiguity(曖昧性)の時代、
Googleなど世界的なIT企業では
社員の研修にマインドフルネスの概念を採り入れている。

マインドフルネスの概念を漢字で表すなら「念」。
字を分解すると「今」「心」。
それは、今起きていることを注意深く洞察することである。
・自己と他者を理解し受け入れること、感謝を抱いてつながりを感じること、
・集中力、判断力を高めることができ、
・コミュニケーションや対人関係を改善し、健康を育み、生活の質を向上
その結果、なにかに気付くというもの。

これらは生活のなかに修行があるとう臨済宗、曹洞宗に源流を辿ることができる。
マインドフルネスとは念であるとしたが、瞑想も日常的に行う。
(ただし禅宗の座禅は瞑想ではない。少なくとも瞑想を目的にはしていない)

実はすでに人々は仏である。仏であるがゆえに修行をする。
悟りを得るのが目的ではない。すでに悟っていることに気付かないだけだ。
道元さんはそう言っているような気がする。
幸せの青い鳥を探し続けてついに見つけることはできなかったように
青い鳥は自分の内なる存在なのである。

幸福になることが目的ではない。
成功したから幸福になるのではない、
むしろ幸福感が成功への出発点である。
いまの自分の幸せに気付かない限り
人生の充実感は得られないということ。

もちろん必要最小限の生存のための条件は必要で
そのために消費税の撤廃やベーシックインカムの導入は社会の重要な転換点になり得る。
なぜなら0.14%の富裕層が世界の金融資産の81.3%を持っている一方で
(それらは課税逃れの工夫で課税できない)
政府には教育や医療、福祉のための財源が乏しい。
(世界中で不穏な政権が跋扈しているが、それらも民衆の心理の裏返しのように思える。ただしどの政権も民衆のためには動いていないが、そのことに気付かないようカモフラージュされている)

社会のしくみを変えることは必須ということ。
まずは身近なことに関心を持ち、地域の活動や政治への関心を高めること。
それと同時に個人として生きることの意味を見つめ直すこと。
環境問題、教育、貧困、いじめ、格差社会などの原点は個人の欲望にある。
禅宗の教えは釈迦の考えをいまの時代の処方箋としても提示しているように思えるのだ。


城満寺は曹洞宗である。
海部に城満寺ができると周辺に数多くの禅寺が誕生したという。
けれど長宗我部氏の侵攻で海部氏の吉田城は落ち
戦火に焼かれた城満寺も大正時代まで復興されなかったという。

そうであっても曹洞宗の教えがその後も受けつがれていったとすれば
海部町で自殺率が低いのは頷ける。
多かれ少なかれ現代人の生き方を示唆している(影響を受けている)のは
禅宗のように思える。

城満寺は古刹などと書くと陰々滅々とした雰囲気を連想する人もいるだろうが
城満寺の雰囲気はこれまで訪れたどの寺とも異なる。

寺が地域のはれのばでもあり、ケの場でもあるのだけれど
ここには陽気な娯楽性を感じる。
開けた芝生と枯山水。和モダンと呼びたい光景である。
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城満寺にはアートの気が満ちている
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華道家萩原亮⼤さんが作庭した枯山水の庭。山麓と一体となっている
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座禅を行い寝起きを行う僧堂があるのも珍しい。
城満寺の復興に尽くされた前ご住職の大槻哲哉さまは
全国を托鉢するなどして浄財を集められたが
平成30年6月24日に遷化された。
http://jisya-now.com/?p=1428
その後を受けつぐ田村航也住職と一度お会いできたらと思っていた。

本堂で合掌していると
お寺の方が見えられた。
若いお弟子さまだ。
(お名前は聞かなかった)

しばし歓談をしていると
本堂に上げていただいた。
ご本尊は釈迦如来。
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翌日に開かれる座禅会のため
大般若波羅蜜多経の教本がずらりと用意されていた。
これをぱらりと空気を通すごとくめくるのだそうだ。

奥には前のご住職のお姿(写真)もあった。
どこか遠くを見つめる深い眼差しの方であった。
お弟子さんいわく、現ご住職もすばらしい師匠という。
在家の人に囲まれているときはその雰囲気になじむようにされているが
眼光の強さ、自分を見ているようで周囲を観じていらっしゃるような雰囲気を持っておられるという。

続いて僧堂をご案内された(外からである)。
ここは座禅を行う場であり、寝起きをする場でもあり
食事をする場でもある。
一人当たりわずかな空間があってそこが生活のすべて。
空調はないが、さすがに冬場は座禅の最中に被るものがあるという。
ある日、座禅をしていると、とてもすがすがしい境地になって
思わず感謝の言葉が出たとおっしゃっていた。

お弟子さんも20代の方とお見受けしたが
澄んだまなざしと堂々とした良いお声をされており
充実した修行をされている様子が一目で伝わってきた。

「佳き出会いでした」と双方が合掌。
「良いご修行を」と願って城満寺を後にした。

追記
城満寺は檀家を持たない寺であるから
在家との接触、托鉢などを通して暮らしを営まれている。
仏教の純粋なかたちを今に解釈して継承しつつ
マインドフルネスの実践をされている希有の場となっている。
ここでは座禅の指導などもなさっているので
一度訪れてみてはいかが?
http://jomanji.web.fc2.com/

posted by 平井 吉信 at 12:17| Comment(0) | 生きる

2020年01月23日

外で食べる 内でつくる


おにぎりカフェはいまの時代に求められる事業と考えている。
四国での先鞭はゆういんぐ四万十。
売れる日は一日800個も販売することがあるという。
ぼくも店前を通る際に地元の仁井田米を使ったおにぎりを買い求めている。
良い景色のところでゆっくりと噛みしめるのが楽しみ。

今回四万十町(窪川)での仕事の前に立ち寄ったら
セリにぎりというのが販売されていた。
売り切れていたが、セットであったのでそちらを求めた。
5分ほど場所を移して四万十川の畔のひだまりでいただいた。
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悪くないけど、出汁に含まれる化学調味料が惜しい。
(米の旨味を覆い隠しているように思えるのだ)
仁井田米は塩だけで食べるとおいしいと思うが
塩にぎりは販売されていない。
芹の香りを活かすためにも余分な味の足し算はしないほうがいいと思う。
(いつも買っている人間の意見として書いています)


ところ変わって徳島県南部の大砂海岸。
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行きつけのお店が臨時休業だったので
牟岐のコンビニで買った弁当をここで広げてみる。
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(セブンイレブン 三元豚のねぎ塩豚カルビ弁当 麦飯)

おだやかな波間に浮かぶ筏はなんと有料の釣り場のようだ。
ひねもすのたりのたりかな…のいい天気。
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追記
年末から年始にかけて体調を崩していたが
かかりつけ医で検査してもらった結果を先日いただいた。
鶏肉に由来する食中毒であった。

その二日前に阿波尾鶏を自分で調理している。
どんなに多忙でも家にいるときはなるべく台所に立って
買い出しから後片付けまですべてやる。
いま流行のハイテク家電はなくてガスと電子レンジ中心だけど
大概は半時間以内にやってしまう(洗い物も)。

うちはシンクが一つしかないので
洗い物は机の上から持っていってそのまま洗って食器置き場に置いている。
(残飯トレーのあるシンクに置いておくのは不衛生)

先般の鶏肉も50分はじっくり火を通している。
(実際に家の者は誰も当たっていない)

思い当たるとしたら発症するほぼ一日前に
人口1万人ぐらいのまちの弁当チェーンで買った鶏肉の弁当。
遅い時間だったのでコンビニで弁当を買うつもりで
宿からまちの中心へ向かっていると弁当チェーンがあったので
予定を変更してそこで鶏肉の弁当を買った。
(でも入店したときちょっと躊躇した。暗い照明の厨房で生気なく料理されている雰囲気を感じたから)

鶏肉はそれしか考えられないし時期からしても間違いないと思うけれど
実際に検査を行っていないので風評被害にならないよう地名と店名は書かない。

うちではまな板は3種類。
包丁は4種類で、肉魚専用、野菜専用、果物専用、小物用と使い分けている。
カレーは食べ終わると熱いままタッパーに入れて急速冷凍。
調理中に何かに触れればすぐ手洗いをする。
食中毒には気を付けている。

かかりつけ医がおっしゃった。
運がなかっただけ。年末は厨房が忙しいので多いのですよと。

実際に包丁やまな板、菜箸を分けているか
肉の保管時の温度管理はどうか?
調理時の中心部の温度はどうか?
手洗いの状況はどうか?などわからない。
マニュアルがあったとしてもわからない。

これでほぼ一週間体調を崩したので
(管理の様子が)目には見えない外食や惣菜の怖さを改めて知った。

仕事で食べる時間がなかったら
スーパーで山崎パンを買っている。
生産管理がしっかりしているメーカーで
震災時の活躍など企業の姿勢を評価しているので。
(アップルパイとかランチパックとか)

自宅で短時間で調理をするのは旬の食材を使えること、
手間を掛けず安く仕上げること、
健康への配慮や料理を楽しむことも目的だが
安心して食べられることが大きい。

餃子とウィンナーのポトフ(調理時間20分)
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トマト缶詰でつくった煮物(調理時間20分)
(減塩でほとんど塩は使っていない)
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カレー風味の野菜煮込み(調理時間20分)
(電子レンジとハリオのガラス容器で調理時間を短縮する。煮こみすぎないのがおいしい)
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四万十ポークの豚しゃぶサラダ(自家製たれ、調理時間15分)
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豚肉ともやしの焼きそば
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ナスのみそ炒め
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いずれも減塩で塩はほとんど使っていない。
化学調味料や出汁も使っていない。
それでも素材からにじみ出る旨味を堪能できるようにしてある。
どんどん食べられるのは風味の不要な足し算を行っていないから。
posted by 平井 吉信 at 12:53| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

2020年01月13日

古座川の春


南紀古座川の春はこんなふうにやってくる
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posted by 平井 吉信 at 01:01| Comment(0) | 山、川、海、山野草