2025年02月24日

誰かと話をすることは心の残り火を灯すこと

 
スポーツを見るのは好きじゃない。スポーツが嫌なのは、組織や勝利のために盲目的に個を従わせること(スポ根的な)。だから常識を外れた大谷翔平選手を応援したくなる。夢を追いかける感性がある。それがないと出発点にも立てない。そして成功の要素を考え抜いて行動を定義すること、あとはそれを積み重ねていく。なにより野球が好きだからその過程を愉しんでいるね。

大リーグに行って成功する人/しない人は、渡米前からわかる。しなやかな感性と仮説ー検証のループ(PDCAサイクル)があるかないか。スポ根で頭空っぽ&バット(腕)を振り回すだけのお山の大将が海を渡ってもやる前から結果は見えている。それを「挑戦して敗れたが尊い」などと美談にしたくない。その経験が人生を歪めなければよいが。

NHKのプロフェッショナル仕事の流儀で栗山英樹さんが取り上げられた。監督ではなく球団組織の立て直しを担うようになった苦悩に焦点を当てている。栗山さんがいたからWBCは勝てたと思っているが、今度は球団の運営にまわるのだ。

野球でも経営でもそうだが、特定のメソッドだけ(データ分析とか球筋の測定とか)で勝率が上がるわけではない。まずは野球をするうえでの大切な土壌(組織風土)がある。それを失えば成績は低迷する。組織文化を醸成することが実は遠いようでもっとも早道だ(それ以外の方策はないと思う)。栗山さんがめざしているのはまずは土壌づくり、その次に脱スポ根&合理的科学的な思考と手段のインストールだろう。

同じくNHKの特番で、ウクライナで女性が兵士として志願して前線で闘うドキュメンタリーを見た。兵士や兵士に付随する特定の人たちが命がけで撮影した映像である。すさまじい場面もカットされていない。ウクライナの平和を願わずにはいられないが、この戦争を引き起こしたプーチン大統領は深い業を背負うことになるだろう。それを決めるのはウクライナの人たちではあるが、例え領土を失ったとしても停戦にこぎ着けることは価値があると思う。ただ残された国を立て直すのに途方もない時間と労力と資金と思いを投入しなければならない。日本も一助となれればと。

その一方で戦争は起こりそうもなく平和ぼけしている日本、などと紋切り型の表現はできなくなっていると感じる。普段に接している中小企業の経営者と面談すると事態が深刻である。リーマンにせよコロナ下にせよ、これまでの日本はここまでではなかった。特にインボイスなどと相まって、小規模事業者や中小企業の廃業、経営破たんが相次いでいる。経営努力が足りないのではない。この国の政治がもたらした人災である。

もうこのままこの世を去っても後悔はない…とつぶやく経営者を見て胸がはりさけそうであった。お話を聞いても打つ手がないのだ。消費が低迷しているので需要がなく、その代わり原価(燃料費、材料費、人件費、光熱費など)が上がり続けている。価格転嫁はできないし、安くしても売れない。こんな国にしたのはこの30年のほとんどを仕切った政党、政治家である。


いまは会話を続けること、それに尽きる。方策はなくても未来に希望はなくても、人は人と話し合ってなにかを感じることができれば、それが原動力となる。お金がないことだけではなく、誰もが自分のことに思ってくれないと感じられることがつらいこと。それは栗山英樹さんも伝えていた。一人ひとりの選手に、信頼している、見守っている、きっとできるというメッセージを送り続けていると。

厳しい寒波が続いているが、かすかな春の芽吹きが感じられる。植物もそうだが、試練を経験してくぐり抜ける人は、前よりもっとやさしくなれる。それがまた別の誰かに伝播する。そのような社会でありたい。邪馬壹国について勉強して感じたのは決して他者を貶めない日本(特に縄文人)のすばらしさ。現代の天岩戸の向こうで消えかかった精神世界の残り火が自らを、そしてもっと遠い世界までを照らせるようになれればと。


雪にとざされてしまった
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それでも陽光を浴びて、来たるべき朝に顔を上げる
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見上げると、桃の蕾も膨らんでいる
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いまいちばん必要なこと、大切なことは、誰かと話をすること。そうですよ、話をしてください。
posted by 平井 吉信 at 15:19| Comment(0) | 生きる

2025年02月22日

邪馬台国はどこにあったか それは重要ではないけれど考察してみる


邪馬台国がどこにあったかは種々の仮説があるので、その優劣やどの説を採るかについては深掘りしない。邪馬台国研究はここ数週間の「にわか好奇心」であることをお断りしながらも、この問題を考えるうえでの態度(考え方)は明確にしたい。

その1 文献は正しいと思って読む

前提として、邪馬台国ではなく、邪馬壹国とする。
文献を読む際に、自説に合わなければ、誤解があった、勘違いだろうなどと解釈せず、ただ記述を受け止める。
魏志倭人伝は公文書であり、当時の晋が置かれていた状況から、国内で対峙するうえで外交は重要機密に属する内容と考える。ゆえに能吏が任されて作成する以上、誤りは許されず、可能な限り正確を期して書かれていると解釈。古事記、日本書紀も同様である。ただしそれを見せる側の意図(ナラティブ)には留意する。

その2 科学的論理的な多様な視点で捉える 

多様な視点とは多様な角度からの検証である。当時の気象、天文学、測量技術、交通手段、まつりごと、風俗、地理、地勢学、遺伝子情報からの人の流れの分析、地名、神社名、祭神に至るまで。そして、時間軸を前後に多く取ること(旧石器時代まで遡って考える)。地政学的には日本だけでなく東アジアから中東あたりまでの動きに至る考察が必要。

その3 提唱する人の態度

物理的時間的な制約、経済的な理由などの制約があるため、現場や一次情報にあたるわけにはいかず、特定の説を提唱する人の主張を精査するのが早道となる。鵜呑みにせず咀嚼していくと主張の問題点に気付く。それに悪意があるか過失かなど、程度の問題はあるので完全無欠の解釈は求めないのは当然。

その4 自分なりの史観と前提を持つ

邪馬壹国がどこにあったかについては重要ではないという考え方を前提とする。神代(神話)の神は実在の人物であると考える。少なくとも神武天皇以降は実在と見なさないと歴史を綴ることができない。

・日本列島は少なくとも4万年前ぐらいまでにはホモ・サピエンスが到達している。
・アジアの古人研究の第一人者であり、身体を張って台湾から与那国島へ太古の船を建造して渡ろうとした海部陽介博士のお話を実際に伺っており、アジアには多様な人類(ホモ属)が存在していたことが前提。
・新石器時代の住民を中心に、南方北方からの流入が加わって縄文時代と縄文人に移行している。
・縄文時代は世界的に見て希有の時代で狩猟採集を定住しながら(管理しながら)行なったSDGsの先取り。この恵まれた環境は日本列島のみに見られた生態系の多様性が背景になっている。争いを避けて共存するという縄文人の資質の高さも特筆されるべき。外からの流入を受け容れて同化させる(外部の良いところは受け容れる)など人も自然も、恵みと災いを区別することなく受け容れた「多様性の受容」が縄文文化の根底にあり(平井吉信説?)、それが弥生文化への円滑な流れにつながっていると考える。
・人種としての縄文人も弥生人も存在しない(一様ではないという意味)。弥生時代は、縄文人と渡来人が混血して形成されたという単純な話ではない。いったん外へ出て戻る場合もあるし、渡来人といっても、アルタイ方面、オホーツク海沿岸、沿海州、中国東北部、朝鮮半島、長江流域、中国南部、スンダランド(東南アジア)、チベット、中東などさまざま。日本人の遺伝子のハプログループが多様なのはそのため。
・日本で最初のまとまった勢力であるヤマト王権には渡来人の関わりが大きい。淡路島や剣山のユダヤの遺構やアーク伝説なども実在した可能性が高い。ただし別の渡来人や縄文由来の人たちも関わるかたちでヤマト王権は成立していると考えるのが統治の原則。ゆえに特定の民族や部族のみが政権の始祖というわけではない。
・魏志倭人伝の邪馬壹国の記述からは、女王の死後、倭国大乱となったとあるが、神武天皇以後の数世代が該当する。ここで統合のために祭祀を司る女性を立てたのが魏志倭人伝の卑弥呼(おそらく倭名は異なる)。
・古事記は、邪馬壹国の誕生物語ではなく、ヤマト王権が誕生して政権の基盤を確立するまでの史実をナラティブで語っていると解釈。その際に寓意(神話から象徴的に示唆する)を読み取る必要がある。(例/サメと結婚して子どもが生まれるはずはないので、サメとは海洋民族を象徴するなど)。
・現存する神社(延喜式神名帳に綴られた式内社)と祭神は丹念に由来や移設を追跡する。
・弥生時代から古墳時代にかけては縄文海進が終わった後であっても現在よりも水際が高かった地形で考える。
・縄文時代に西日本を直撃した鬼界カルデラの大噴火の影響を考慮する。また、邪馬壹国の機能の分化や移動について考えられる外部要因(例/南海トラフによる津波など)も要素として意識する。

長くなったけれど、現時点で(おそらく変わらない結論として)、魏志倭人伝に書かれた邪馬壹国は阿波にあったと考えている。以下に根拠(状況証拠)。

・魏志倭人伝での邪馬壹国の所在地の記述と矛盾がない。この点では畿内説も九州説も脱落している。
・古事記の国生みは渡来人の上陸と統治の順番を表す。オノコロジマ(沼島と比定)の次は淡路島(阿波路=あわへ向かうの意)。台湾から与那国島をめざした海部陽介博士によれば、黒潮の流れは新石器時代の当時も現在とそう変わらないとのこと。台湾南部から船を出せば黒潮に乗って日本列島に運ばれ、紀伊水道へ入れば和歌山寄りを主流して淡路島で反時計回りの反転流が蒲生田岬(四国の東端の岬)の間で生じる。淡路島南部の上陸は地理的にあり得る状況。
・その次にイヨノフタナジマ(四国)であることに留意。ただし到着してすぐに国がつくれるはずもなく、そこには同化と支持者を増やす年月が必要。神武以前の神はそのような時代を象徴しているのではないか。
・その際には、朝鮮半島経由で長江流域、中国東北部、沿海州あたりの渡来人もそれぞれの技術を持って渡ってきている。先住の倭人(縄文系だがそればかりでもない渡来系も)とも協力しあって一大勢力を作り上げていったのではないか(特定の渡来人だけで政権を固めたとは思えない。国譲りなど象徴的な場面があるので。渡来人のなかにも縄文人と共通の始祖を共有する部族がいたはず)。
・淡路島のユダヤの遺跡の痕跡、徳島の白人神社の由来やその近隣の磐境神明神社がユダヤの遺跡(駐日イスラエル大使の判断)であったことなどからユダヤが倭王朝の成立に関わっている。剣山の例祭の神輿やそれが行なわれる日などユダヤの痕跡はあまりに多い。
・魏志倭人伝の邪馬壹国はヤマト王権のすべての機能を有しているとは限らない。徳島平野は浅い海のなかにあった時代、女王が祭祀を行なった場所は、剣山から神山町あたりの山中にあったと考える。当時の四国は尾根沿いにみちが走り集落は尾根にあった。天石門別八倉比売神社神社や上一宮大粟神社はそれらの場所に近いところではないか。大乱が起こったのは中国地方と考えると、統治には陸続きの畿内のほうがやりやすい。のちに行政機能のみならずすべての機能を畿内へ動かしたのではないか。
・邪馬壹国が阿波にあったとしても、阿波が日本国の始まりでも日本の歴史の特筆すべきできごとでもなく、時系列で見ればその時代にそのような機能があったということ。
・天皇が即位する際に行なう大嘗祭は最重要の儀式であり、そこに阿波忌部氏(もしくは天太玉命)の直系である三木家が麁服(あらたえ)を調進することの意味は大きい。この特別な儀式は天皇陛下ひとりが部屋に籠もって行なわれる秘儀であるが、そこに麁服を持ち込むために入室するのは三木家。麁服は天皇陛下が召されるのではなく、神を降ろすよりしろとして使われる。このような重要な祭事を司る家系が剣山の近隣で、ユダヤの遺構(磐境神明神社)から10km少々の距離に住まわれている。
・多くの人が指摘するとおり、式内社で重要な神社が阿波にしかない、もしくは阿波から移設されて各地にあるという記述が多い。
・魏志倭人伝では、邪馬壹国周辺の山々で水銀が採れたとある(「其山有丹」=その山には丹(辰砂=水銀)がある)。水銀は古代の宗教儀式や埋葬に使用されており、邪馬壹国の特産物として水銀が重要であったことを示す。弥生時代から古墳時代にかけて水銀が採れた国内の場所としては阿南市の若杉山遺跡がある。水銀朱の生産が行われていたこと、採掘に日本で初めて火が使われた痕跡がある(2025年1月)ことが確認されている。日巫女(祭祀)を語るうえで、水銀が採れない場所は邪馬壹国から除外できる。個人的にはこの項目がもっとも重要と考えている(数字などと違って定性情報として間違えようがないから)。
・1991年に皇太子徳仁親王さまが阿南市の八桙神社に行啓された。この年は立太子の礼を行なわれて皇太子に即位された年で2年後に雅子さまとご成婚されることとなる。八桙神社は大国主命を祭神とする神社で(縁結びとしても知られる出雲大社ではなく)、なぜこの神社に行啓されたのか。皇室では、三種の神器や儀式の意味や由来について口伝での秘匿すべき情報があるのではないか。

邪馬壹国が阿波にあったというのは子どもの頃から多くの人から提唱されているが、徳島人のぼくもこれは眉唾ではないかと思っていた。だからぼく自身も考察するに当たって客観的に見ているつもり。邪馬壹国が阿波にあったといって喜ぶのでも自慢するのでもなく、ただ事実を知りたいと思っただけ。歴史の中で見ると、ヤマト王朝成立には多くの要素が関わっており、祭祀の役割を担う機能としての邪馬壹国(どこにあったかを含めて)はそれほど重要ではないように思える。魏志倭人伝や古事記を多面的に考察していくと、邪馬壹国の比定だけでなく必然として見えてくるヤマト王権の黎明から今日に至るまでの一筋の流れがある。

追記
邪馬台国の多くの研究者が気付いていないことをひとつだけ。
川の氾濫が八岐大蛇の寓話で象徴されるとしたら、日本でもっとも基本高水のピーク流量が大きい川が吉野川(毎秒24000トン)で、次点が利根川の毎秒22,000トン。西日本の多雨地域、それも西日本で1番目と2番目の石鎚山系と剣山山系からの水を集めるので洪水が頻発した。それを制したのが竹林(水害防備林)。池田から岩津までの全長50km、270ヘクタールは全国最大となっている。



タグ:邪馬壹国
posted by 平井 吉信 at 22:25| Comment(0) | 邪馬壹国阿波説

天性のギタリスト 朴葵姫さん、ヴィラ=ロボス(5つの前奏曲)を全曲弾いていただけませんか?


まずは、アルハンブラの想い出から。
朴葵姫(パク・キュヒ)さんは粒ぞろいのトレモロの美しさを持っているが、それがよく発揮されるのがアルハンブラの想い出。クラシックギター入門のような楽曲で、どちらかというと聴いて感銘を受けることは少ない曲だった。

うちには、親父が購入した中出阪蔵や河野賢といった日本の手工ギターの作品があり、ぼく自身も自分でつま弾いてそれらの音色の変化を体感していた。当時のギターには銘木がふんだんに使われていて、表板はドイツ松、裏板はハカランダやローズウッド、指板には黒檀が埋め込まれていたと記憶している。弦を張替えると安定するまで時間がかかり、たびたび合わせる必要があった(1〜3弦はオースチン、4〜6弦はサバレスを張ることが多かった。音叉=440Hzを何度も聴いてこの周波数が頭に入った)。ときどきは近隣の愛好家が集まって合奏などをしていたので、アルハンブラの想い出も生で何度も聴いていた曲だった。

朴葵姫さんの演奏にはギターをそれらしく鳴らそうとしていない(パチンと弾く快感を求めていない)。そんな演奏は弾き手の独りよがりになりがちで、そのように弾くギタリストは少なくない。朴葵姫さんはそうではなく、音が空間に放たれて余韻を残すまで心で見送るとでも。ゆえに、こんなリズム感で組みたてるのか、こんなにうたうのかと感嘆。川の流れのように長いレガートで大きな抑揚が感じられる。正確無比な音程や精緻な技術は後において、ただ楽器に心をのせるためという感じ。

まずは、この演奏を聴いてみて。粒ぞろいで精密機械のようなトレモロなのに人の手の温もりを吹きかけるよう。一本の川のようなレガートと転調してから高みに昇っていく高揚は何にたとえる?
Recuerdos de la Alhambra(アルハンブラの想い出)
https://www.youtube.com/watch?v=ycYC2pCDkhU


次は、アルバム「Harmonia」の1曲目に置かれている「インヴィテイション ~組曲“夏の庭"より」。ぼくは実演でこの楽曲を聴いたことがある(徳永真一郎&松田弦ギターリサイタル「在りし日の歌」(2023年8月19日)。
弾き方が対照的に異なる二人の愉しいギターデュオだった。徳永さんが小学生の頃(だったかな?)、今切川に小舟を浮かべて一緒に水質検査をしたことがある(覚えていますか?)。さて、2023年のコンサートでは組曲「夏の庭」を全曲弾いてくれた。夏の庭でもっとも好きなのがこの曲。デュオで弾く楽曲だが、朴葵姫さんはひとりの多重録音のよう。少年の頃、庭で遊んだ少年を太陽が照らし風が吹いていたという風情は心で聴く音風景。
https://www.youtube.com/watch?v=eqn3yC4Tg1s&list=OLAK5uy_mBeFLDDw755jekVrJzjZWSdqa6uw-2qHE&index=2

朴葵姫さんのアルバムではこれがもっとも好き
Harmonia -朴葵姫


ヴィラ=ロボスの5つの前奏曲から第2番ホ長調。
朴葵姫さんには以前のスタジオ録音もあるが、それと比べて情感あふれる演奏となっている。中学の頃、もっとも好きな曲は?と聴かれたら、アバとかビートルズとかBCRなどと答えずに、ぽつんとこの楽曲名を告げる。誰も知らない(知るよしもない。当時からマイナー指向だったのです)。

「THE LIVE」というコンサート音源のCDがすばらしい。朴葵姫さん、ぼくの大好きな第1番ホ短調も含めて全5曲、再録していただけませんか? 南米ならではの楽観と野性味が同居している楽曲を。
https://www.youtube.com/watch?v=hSK9xVdB_28&list=OLAK5uy_lKyacGXKwsm1JITWyTyxYlbZwSN1c0bus&index=8

The Live-朴葵姫


最後は、東日本大震災を経験した日本人なら誰もが聴いたことがある「花は咲く」。音楽のカタルシスを感じる瞬間が訪れる
Kyuhee Park / Hana wa Saku (Flowers will bloom) - Y.Kanno
https://www.youtube.com/watch?v=KELE-ogceUg


posted by 平井 吉信 at 19:24| Comment(0) | 音楽

SACDで聴くEACH TIME(大瀧詠一) 豊潤にして自然な音世界


前作「A LONG VACATION」のあと、3年を経て世に問うたもの。大滝さんにとっては前作の評判もあったので難産であったと想像する。どちらかというと外交的な前作と比べると内省的な作品、セブンスコードが多用されている。だからじっくり聴くと心の琴線を打ち鳴らす。どちらを取ることもできない秀作だよね。

EACH TIMEは発売後も難産であったようで、CD再発のたびに曲順、収録曲、音源まで変更されている。ぼくはアナログを発売当時に手にしたこともあって、初出の版がもっとも好き。

「君は天然色」と比べると冒頭の「魔法の瞳」は見劣りがするけれど、続く「夏のペーパーバック」「木の葉のスケッチ」では夏の午後の昼下がりの出会いのように心をかき乱す。「恋のナックルボール」を経て「銀色のジェット」に受け渡されるて解決しない仮終結。

B面は「1969年のドラッグレース」で幕を開ける。この並びもいい。A LONG VACATIONの「恋のスピーチバルーン」の同じ位置には「ガラス壜の中の船」が音符をていねいに組みたててぴたりとはまる。「恋するカレン」(A LONG VACATIONの聴かせどころ)で山場をつくったように「ペパーミント・ブルー」も歌の世界観、旋律美、編曲の広がり感で甲乙付けがたい。そして「レイクサイド・ストーリ」で初出の「大エンディング」で締めくくられる。ここで聴くのをやめてもよいが、ボーナストラックが「フィヨルドの少女」「バチュラー・ガール」で聴き手に委ねられるのもよい。

この初出の曲の並びと音源に、ボーナストラック2曲の追加という体裁を待ち望んでいたのが、2024年に40周年記念で発売されたSACD(シングルレイヤー)のEACH TIME(通常の40周年盤はこの版ではない)。SACDでもハイブリッド仕様ならどのCDプレーヤーでも再生できるが、これはシングルレイヤーなのでSACD対応装置が必要な点にご注意を。

SACDとCD(手元にあるのは20周年版と30周年版)と比べてみた。A LONG VACATIONのSACDで予想されていたとおり、むしろそれ以上にSACD化がはまっていた。

なめらかでうるささが皆無で、良質のヘッドホンのような漂う音場に浸るというところ。それなのに声はヴォーカルアルバムとしての魅力が際立っている。人の声が温もりと存在感がある反面、伴奏が奥ゆかしくはるか外側まで広がるのがSACDの特徴かもしれない。

そのため、音楽が空間を豊潤に満たす。ぼくの再生音は深夜に聴くぐらいだから昼間でも小さい。そのためスピーカーには接近して聴いている。左右のスピーカーの距離は70センチぐらい。その中心に頭を置いて近寄ったり遠ざかったりしてみたら再生音がまるで違って聞こえた。

二等辺三角形より離れると、おとなしい上品な音の印象が最大化される。二等辺三角形よりスピーカーに近づくと、途端に粒立ちや音場の漂う美音成分が際だって増える。そのうえ口元の輪郭がさらにはっきりして大滝さんのクルーナーボイスのヒーリングシャワーとなる。さらに近づいてスピーカーが真横に来るぐらいになると、ツイーターの指向性のエリアから外れて籠もった感じとなる。もっとも音が良かったのは二等辺三角形からさらに近づいて角度が広がったとき(スピーカーからの距離50センチ程度)。スピーカーからの距離と角度でまったく音楽が違って聞こえる。ぼくが音楽を聴くときにBGMにしないのはつくる人の意図を感じたいから(集中して聴くのでアルバム1枚か2枚で終える)。

これは再生装置と音量によって異なるかもしれない。スピーカーはクリプトンKX-1で、中高域を受け持つリングダイヤフラムツイーターはサービスエリアが広くないかもしれないが、良質の高域を響かせる。マランツSACD 30nはこの価格帯ではもっとも音楽を有機的かつ豊かに響かせる装置なので申し分ない。

この音を聴いていて思い出したのは、1970年代に発売されて世界的な評価を得たヤマハの名機NS-1000M。北欧の放送局で採用されたことを皮切りに世界に愛されるスピーカーとなった。

ところがこのスピーカーを評価しない人も少なくない。音楽が痩せている、音楽が聴きにくい、声に潤いがないなどという。ぼくの小学校や高校の同級生3人がこのスピーカーを持っていて、頻繁に聴かせてもらった(ウイスキーを片手に朝まで音楽談義に花を咲かせた)。聞きこんだ原体験から、ひとことでいえば「豊潤な音」の印象。

あるオーディオ専門店でNS-1000Mを聴かせてもらったとき、つまらない音でしょ?といわれた。え? そのとき比較で聴かせてもらったのが、店主おすすめのヨーロッパの2ウェイスピーカーであったが、切り替えた途端、音楽の生命力が失われた感じがした。ここの店主はいったいどこを聴いているの?と思った。オーディオ雑誌で絶賛されているからとか、有名だから1000Mを評価しているのではなく、音が好きだからで目隠しされても100%言い当てられると思う。

いま思い返せば、音楽のどこを聴いて判断するかは人によって違うということ。ぼくにとっては、音楽が豊かに鳴っているという印象がまっさきに来る。いま考えると、ツイーターとスコーカーが同じベリリウムの同一形状で口径が異なるだけ。位相も管理されていたから、スコーカーが疑似的に大口径ツイーターのごとく作用してサービスエリアを拡げていたのを豊潤と聞き取ったのかもしれない。密閉の30センチ紙ウーファーはこのスピーカーの弱点と指摘されることがあるが、ぼくはこれだから成功したのだと思う。その後にウーファーをカーボン素材などに代替した進化版が出たが、市場で淘汰されている。いまぼくが聴いているクリプトンも「密閉型」「紙コーン」だが、この方式に共通の歪み感の少ない低域と適度な空気漏れが心地よい音場を作り出すのではないかと推察している。

それはともかく、EACH TIMEの40周年記念のSACD盤は、ほんとうに豊かな音楽の世界を見せてくれる。CDは音の粒だちが人工的(それはそれで配信で聴くのならよいのかも)。それだけ聴いていると不満はないが、素材そのものを磨かれて出されたら(良い素材の料理を味付けを控えて出されたら)心の糧となるだろう。それはその人の音楽(食)の体験によるのだけれど。

EACH TIME 40th Anniversary Edition (SACD)

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EACH TIMEのカセットが! 大滝詠一に浸る連休を過ごしています

タグ:大滝詠一
posted by 平井 吉信 at 14:18| Comment(0) | 音楽

2025年02月17日

八桙神社 当時の皇太子さまが行啓された由緒ある神社(阿南市長生町)


ぼくにとって、この国でもっとも尊敬する方が天皇皇后両陛下である。徳仁天皇と雅子皇后がこの国で果たされている役割はあまりに大きい。国民には見えない祈りの力をいただいているように感じる。

いまこの国は国難といえる危機に直面している。それは劣悪な政治による国民の貧困化。この国難をもし逃れることがあるとしたら、両陛下の御心のなせる技ではないだろうか。

抽象的な話はさておき、謙虚で飾らず真摯にものごとに取り組みながら誰にでも変わらない接し方をされている。それが日本人らしさとして海外にも好感されている(大谷翔平もそうだよね)。

その徳仁天皇が皇太子徳仁親王の頃、1991年に阿南市長生町の八桙(やほこ)神社に行啓されたことがあった。それから2年後、皇太子さまは雅子さまとご成婚されることになる。

八桙神社には国指定重要文化財と刻まれた石柱があり、菊の紋が入っている。どのようないわれがあるのか知らないが、この時期の徳仁さまは将来の即位とお妃選びを控えて心に思うことがおありになったのではないかと推察する。そんな大切な時期にご決心を顕すかのように訪問されているように見える。

そのような由緒ある神社でありながらこれまで一度も訪れたこともなく、存在すら知らなかった。四国内を隈なくまわっているつもりだったが、徳島(それも卒業した高校のあった阿南市)でまだまだ未踏の場所があるのだから(徳島には何もないという人、何もないのは徳島ではなく、それを見ようとしない心のありよう)。

阿波国の一宮は大麻比古神社である。そこをご訪問されるのならまだしも、八桙神社とはどんなところなのだろう。全国にこの名称の神社はひとつだけだとか。主祭神は大己貴命(大国主命)。徳島といえば、徳仁天皇のご即位の歳の大嘗祭に調えられた麁服(あらたえ)は木屋平の三木家(忌部氏直系)から調進された。これはとても重要な意味を持っている。

邪馬台国阿波説については、これまで熱心に語る人の話を聴いてみたが、納得することはなかった。熱意の裏返しなのか論証が荒っぽく、それで断定できる? 地名や神社名があるからといってそれが有力な証拠になる? そう思って眉唾説とみなしてきた。ぼくは徳島人だけれど、このことに限らず身びいきは一切しない。よいものはだれ(どんな)であってもよい、わるいものはわるいという態度はこれまでも貫いている。

それでも文献の解釈、当時の地形や気象、地勢学、鉱物資源、後漢書(魏志倭人伝)をはじめ、周辺の史書とそこに描かれる倭国や朝鮮半島の国々の風習などの記述、縄文海進と人々の暮らし、縄文から弥生、そして古墳時代への社会の遷移(鬼海カルデラの噴火、南海トラフ地震などの災害と社会のあり方など)、そして近年の遺伝子分析などを総合的かつ系統的に分析して、もっとも説明のできる物語をつくりあげると、邪馬壹国は阿波というのはもっとも有力な仮説に変わった(地域おこしのロマンではなく学究的な態度で。確信といっても言いすぎていないように思う)。これに対し九州説も機内説も矛盾があまりに大きい。

ただ、最後まで納得していないことがあった。それは、重要な史跡や神社が一直線に並ぶ。例えば、○○神社と▲▲神社が夏至の太陽の方向に並ぶとか、中国のある地点から東に邪馬壹国が位置するとの記述があっても、当時の人がどのように方角を把握したのかという点。三国志や古墳時代にそんなことができたのか?

ぼくは天文学が好きだったので、古代ギリシャでエラトステネスが予め距離が判明している二地点の夏至の太陽の南中高度の差から地球の直径を求めた(それは正確な値だった)ことを知っている。しかし稲作をしていた弥生後期から古墳時代の人々がどのようにそんなことを把握できたのか?

ところが見えてきた当時の社会はすでに交易が盛んに行なわれていた。日本各地で同じものが出土する、海外にあるものと同じものがある、言葉の音(発音)が似ている、などはおおいにあり得た。先月(2025年1月)には阿南市で日本最古の火を使った水銀の採掘が行なわれた痕跡が発見されたが、これなどは従来は江戸時代と考えられていたもの。それが一気に千年以上も遡る。

稲作についても大陸からの伝来を待たず、縄文晩期には自然由来の稲が定着して稲作が行なわれていたのではないかとか、縄文時代には国家の概念がない(ある意味では勢力やら階級、争いがない平和な)時代であり、国を作って統治するという発想や行動は縄文人にはなかったのではないか(だから渡来人が王になる)。ゆえに縄文人は混血しないで後の時代まで残ることもあったのではないか。歴史は大いに塗り替えられようとしている。

邪馬壹国が国を統一する際には技術、つまりは渡来人の智恵があったと考える。天孫降臨と称する事案は渡来人の上陸が不可欠であったのではないか(そのなかに大陸系やユダヤ系があったのではないか)。それと在来の平和を愛する縄文人とが混血して日本人が形成されたのではないかと考えると腑に落ちた。

歴代の天皇は秘められた祭事の秘密や口伝もしくは門外不出の文献などを三種の神器とともに継承されているのではないか。世界の平和を願う御心は、日本のなりたちをすべてを知っておられるからではないか、などと想像が膨らむ。

イデオロギーや宗教をめぐる世界の対立、例えば、中東でいまも起こっていることなどを良い方向へ持って行けるとしたら、ユダヤ系にもアラブ系にも敵対しない(特に日本の皇室は尊敬されている)日本の役割なのではないか。核の廃絶を本気で働きかけて説得力を持つのは日本だけではないか。といっても国民すら幸福にできずにいる日本の政治家には無理な相談かもしれないが。

多様な意見や説があっていい(むしろあるべき)。それでも邪馬壹国が阿波であったというのはもっとも有力な説のひとつと確信する。近い将来、教科書にはこう書かれるかもしれない。「女王卑弥呼(日巫女)を中心に、九州北部から畿内までを勢力に置いていた邪馬壹国は(渡来人が上陸した)阿波にあった。後に奈良へ移動して大和王朝へとつながる過程を神話になぞらえて記したのが古事記である」などと記載されるのではないか。史書や古文書は一概につくりもの、誤りと片づけずに、一定の方向から偏光フィルター(歴史がかけた意図を逆バイアスで光を通す)をかけると真実の方向が浮かび上がる。邪馬壹国に関する限り、それは光が当てられるところに来ていると確信している(身びいきでもオカルトでもなく)。

前置きが長くなったが、八桙神社は大国主命を祀った延喜式内社であるが、どこにでも数え切れないほど点在する神社と何も変わったところがないように見える。もし天皇家にとって大切な存在であるなら、その出自が関わらない限り、この神社の重要性は説明できない。このことを持って、邪馬台国阿波説の証明にはならないけれど、さりとてそれ以外の説明ができるとは思えない。
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posted by 平井 吉信 at 23:47| Comment(0) | 邪馬壹国阿波説

2025年02月16日

小暮はな「ホタルの庭で」 しずしずと、ひたひたと歌のさざなみ


小暮はなさんは、ポルトガルのファド(ご当地の歌謡曲)に私淑しておられる。10代の頃からの経歴で発売されたアルバムは決して多くないけれど、良質の音楽を届けられている。

まずは、「ホタルの庭で」。
ホタルが庭に今年もやってきた。葉を揺らして来たことを告げる。はかないいのちが明滅して去って行く。そして(同じホタルでないかもしれないが)また戻ってくる。自然の持つ規則性とこの場にいる蓋然性。そしてホタルに愛しい人を投影しているのかもと思わせる佳曲。歌詞の一部はポルトガル語になっている。
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控えめなピアノとギターの伴奏に、はなさんの歌が闇夜に灯すようにしずしずと入ってくる。間奏ではピアノの永田雅代さんがときおりピアニカ(?)でオブリガートする。音楽が空間に放たれ、喉の空間が中高音の余韻となって空気を震わせる。ビブラートや小節でなく、素のままの声と透明な倍音の響きがひたひたと波のように押し寄せる。こんなひたむきな歌への向き合い方があるのかと。張り詰めた沈黙感の背後に無限の安らぎ―。もう沈黙しかない。

「ホタルの庭で」小暮はな / Jardim dos Pirilampos - Hana Kogure
https://www.youtube.com/watch?v=Xyyv8r2HXLs
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「ホタルの庭で」は2枚目の「アズール」と、3枚目で最新作の「ジャカランダ」に収録されている。しかし(想像だが)音源は異なると思う。3枚目は「本格ファド編成によるアコースティック・アルバムを制作」とあり、はなさん自身がいまもっとも歌いたい曲ということで、これも期待作なのだ。ただし2枚目の収録版とアレンジ(もちろん歌い方も)も違うと思う。3枚目の視聴音源を探してみたけどどこにも見つからないので、2枚目から聴いてみては?と提案。

2枚目は公式YouTubeチャンネルでダイジェストが紹介されている
小暮はな Hana Kogure New Album『AZUL』2017年4月9日リリース!
https://www.youtube.com/watch?v=dGAOmRqEqO4


(追記)
アルバムの内容紹介を転載(やはりアレンジが違うようだ)

■最新作『ジャカランダ』で本格ファドを聴かせたSSW小暮はな
2017年発売の代表作『アズール』がボーナスCD付で再発!

遠いポルトの海風、鳥たちの声、石畳、かすかな青いエロスの香り……
紡がれた言葉と調べ、その歌声は光と陰

 2023年にライス・レコードから『ジャカランダ』(OSR-8100)をリリースしたシンガー・ソングライターの小暮はな。以前より積極的にポルトガルとの関わりを表現してきた彼女が初めて放った本格的なファド作品『ジャカランダ』は、各方面で大きな話題を呼びました。そんな彼女の前作『アズール』(2017年作)の在庫が終了したことを受けて、この度ライス・レコードから同作の再発盤をリリースすることにいたしました。

 小暮はなは15歳より自作曲を創り始め、ライヴハウスなどでギターの弾き語りを行うようなりました。その後関島岳郎(栗コーダーカルテット)プロデュースによる1stアルバム「鳥になる日」(off-note)を2004年に発表した彼女は、2008〜2011年までの間、ポルトガルを中心に欧州各地で活動を行うようになります。そしてそんな経験を元に、ファドの影響を随所に感じさせる哀愁漂うメロディーと、 深く叙情的な詞の世界、やわらかく凛とした歌声にさらなる磨きを掛けた彼女が13年ぶりに発表したのが、今回ライスから再発される『アズール』でした。

 小暮はなの代表作とも言える『アズール』では、英珠や紅龍(上々颱風)との共同作業でも知られるピアニストの永田雅代が小暮と共にプロデュースを担当。そのほか、ロケット・マツ(パスカルズ)、関島岳郎、西村直樹、関根真理、塙一郎といった錚々たるミュージシャンが参加している点にも注目が集まりました。収録曲の多くは小暮はなの自作曲ですが、紅龍の提供楽曲「誰かが誰かを」や、詩人の金子光晴(作詞)/フォーク歌手ひがしのひとし(作曲)による「おかっぱ頭~愛情42~」も取り上げています。また最新作『ジャカランダ』ではファド・アレンジで聴かせていた「アンドリーニャ」「ホタルの庭で」のオリジナル・ヴァージョン、ポルトガルのカーネーション革命の開始の合図ともなった「Grândola, Vila Morena」のカヴァーなども収録しています。

 さらに今回の再発にあたり、ボーナスCDを付録することにいたしました。内容は過去の未発表ライヴ音源を集めたもので、特に彼女が初めてポルトガルに渡って行ったライヴの音源は大変貴重で、ファンなら絶対に聴き逃せないものと言えるでしょう。

 『ジャカランダ』で初めて小暮はなを知った新しいファンにはもちろん、ボーナスCDを求める以前からのファンにもお勧めいたします。

トラックリスト
〈メインディスク〉1. アンドリーニャ
2. 朱いさかな
3. MOJITO
4. ホタルの庭で
5. おかっぱ頭〜愛情42〜
6. 一羽のカモメ
7. 誰かが誰かを
8. AVIA
9. Grandola Vila Morena
10. タンポポのように
11. かもめの住む街

〈ボーナスCD〉
1. 咲き続ける花よ(ライヴ)
2. 一羽のカモメ(ライヴ)
3. チョウチョ(ライヴ)
4. 空の下で (ライヴ)
5. こもりうた(ライヴ)


追記その2

視聴できるサイトが見つかった(OTOTOY)

azul:https://ototoy.jp/_/default/p/2106303

ジャカランダ:https://ototoy.jp/_/default/p/2134429

posted by 平井 吉信 at 11:52| Comment(0) | 音楽

2025年02月11日

伊座利(いざり)の自然美〜海岸性照葉樹へと風が吹く〜


伊座利地区は、陸の孤島といわれてきた。四国の最東端、蒲生田岬(かもだみさき)へ向かう途中で山を越えてさらにジグザグに下っていく。伊座利川に沿って進むと海に面した崖を目印に漁港へと導かれる。集落とまちを結ぶ道路は1本だけなので、崩れたら遮断される。さらに南には阿部(あぶ)の集落がある。ともに漁村集落である。どちらの地区も地区内の結びつきは強い。災害が起きたら助け合わないと生きていけないから。

伊座利地区も人が住める場所は限られている。伊座利川の左岸にわずかばかりの区間に住居が建ち並ぶ。車が入るのは難しいし、廃屋も点在する。そんな集落だが、外からの移住者のほうが多いという。社会から弾かれた人を受け容れて成長を促す。そしてともに生きていく。

内容を知りたい人は「いざり人」のWebサイトへ
https://izarijin.jp/

近年の伊座利は地域の活動が全国的に知られるようになっているが、今回は観光客の視線で風光明媚な場所を回りながら自然美を見ていきたい。
伊座利漁港は地中海の漁村のようなラテンの雰囲気を感じる。冬でも強い日射しは温帯モンスーンならでは
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漁港を見下ろす小高い丘にいざりカフェはある。カフェといっても魚介料理を出す店である
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さしみ定食1,000円 ジャンボエビフライ定食2,500円(といってもイセエビが出るわけではないだろう)
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さしみ定食には4種の魚。イカはアオリイカ
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食後は伊座利漁港を散策
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漁港といってもリアス海岸に波止を拡げたもので、外洋に面している感じ
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港の外(南)は砂浜と崖。遠くにある消波ブロックが漁港の砦となっているが、すでに自然の海浜地形
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陸続きの波止を見れば漁船が帰ってきたところ
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漁港のはしけ機能を持つ突堤に停めた車が光を反射する。それは一瞬現れて消える光の明滅
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漁港の北に海崖、その下は伊座利川が海に注ぐところ。地中海というかエーゲ海のような深い碧
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港内の浅瀬であるとは思えない
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この海崖を伊座利キャニオンと呼んでいる。伊座利漁港がその風格を借りてくるというか、添えるというか
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足下の海は底まで見えている。体長1.5メートル程度のウツボがいる。波止で釣りをしていた人がそれを見て餌の付いた浮きを投げるが、見える魚は釣れない。水深は2ヒロ(4メートル弱)はありそう
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アジの生き餌を港内で泳がせていた釣り人が小型のアオリイカを釣り上げた。右がアジの生き餌(かじられるアジもたまらない)
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アオリイカは美味なので多くの釣り人がねらう。釣り上げてみるみる色が変わる。イカが背後のコンクリートの色に似せているのだろう
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伊座利キャニオンを背景に白い舟が冴える。漁船の名前は弘伸丸。那賀川町にはこの船で漁獲した魚を食べさせてもらえる同名の飲食店がある https://izarijin.jp/koushinmaru/
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テナガエビがいるだろうと以前から思っていた伊座利川。この川には内水面の漁業権はないので地元の子どもがよく獲っているそうだ。水は申し分なく清澄で淀みが少ない。モクズガニやウナギもいるのではないか。この少し先で海に出会うが、川が自然のまま海に注ぐ
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伊座利川左岸はそのまま伊座利キャニオンとなっている。冬場なので渇水しているが、夏場は水が多いはず。川が海の近くで原始の姿で存在する希有な場所。この風景がもっとも好きかもしれない
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伊座利川の河口はこの先で海に注ぐ。滝でもないのに磯と河口という組み合わせが希有。伊座利キャニオンは火山活動(プレートテクトニクス)による多様な地形と温帯モンスーンを中心に多様な気候を反映した日本列島の魅力と特徴が凝縮された地形ともいえる
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画面のほとんどが水中だが、水の存在を感じさせない。海苔が繁茂し貝を宿す
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海崖を見上げる。このような地形では長居せず、すぐに立ち去ろう(落石に注意)
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伊座利川左岸の山腹にある新田八幡神社。伊座利の氏神さまとして集落を見守っている
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この石段にも青石(緑色片岩)が使われている。このあたりでは産しないので吉野川下流域から運ばれてきたのだろう
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伊座利小学校は集落の中心的存在。この学校が拠点となって集落の喜怒哀楽が編み込まれていく
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伊座利地区の西方の標高74メートルに展望台がある。そこから日和佐、海南方面を見ている
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展望台の眼下に紺碧が横たわる
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上から見る伊座利キャニオン さらに蒲生田岬へと連なるリアスの海岸線
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伊座利地区の合言葉は「なにもないけど、なにかある」。実はこの言葉は徳島県全体に言えること。

未だに県内未踏の地や集落が数え切れないほどある。それを宝と思って紹介しているのが本ブログで投稿も2000近くなっている。

特に強調したいのが、ハレとケでいう「ケ」(日常)のくらし。多い雨が森を育て、ミネラルを多く含む川が随所に流れて田畑を潤し農産物と海の生態系を育む。海はというと瀬戸内海、紀伊水道、太平洋の3海域で採れる魚介の種類の多さ。それでいて京阪神へすぐに行ける戦略性のある立地が四国東南部。

そんなことを考えていると、邪馬台国=阿波説も真実味を帯びてくる。南海トラフの脅威は多様な鉱物資源という副産物も生み出した(先日も火入れによる最古の辰砂の採取記事を紹介したところ)。「なにもないけど、なにかある」は、住む人の気付きを促すメッセージである。

海岸性照葉樹へと風が吹いた。潮騒、波状の海面、明日への光条―。ここは海部郡伊座利。
タグ:伊座利
posted by 平井 吉信 at 23:01| Comment(0) | 里海