2019年03月21日

太陽が西に傾いても磯遊び 海渡る風ぬるむ大砂海岸(海南町)

することがないことが贅沢といえるといい。
でも、それはすることがないことに「退屈」しているのではなく
することがないことを「楽しめる」こと。

ここは海南町の大砂海岸。
徳島県内でも屈指の透明度を誇る渚。
かつて淡水であれば飲める、
という水質検査結果が出たこともあった。
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何もすることがないヒトにおすすめの場所。
駐車場が海岸とほぼ同じ高さにあって
トイレが完備していて
ここで弁当やパンを持ってきて
好きな飲み物を煎れて
(V60ドリッパーで手入れするのもよし)
野外用のアルミの椅子と机を置いて
本を見ながら眠たくなったらそのまま目を閉じて
潮騒と潮風に浸るだけ。

考えてみれば徳島に大砂海岸がなければ
移住してしまうかもしれない、という
宝物級の場所なのだけど
ここもあまり知られていない。

大潮の引き潮かもしれない。
普段は海中の岩の上を沖まで歩く。そこから砂浜を振り返る
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良質の海藻が岩に付着している 水の透明度が高いことが一目でわかる
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潮だまりには小魚やらウニ(ガンガゼ)やら海藻やら
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ハマダイコンは春の海辺の風物詩
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若いふたりの落書きは青い春の証し
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波打ち際に銀河のようにあらわれる貝のみち
近づいてみると無数の貝殻の集まり
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浜に打ち上げられた海藻やら波打ち際のおだやかな表情やら
そろそろ浜節句の季節、アンロクの酢みそ合えやら桜餅やら
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渚にいると普段考えないことも考えてみる。
県知事選だから県政について考えてみた。

観光の魅力度が全国最下位、
人口あたりの宿泊者数が全国最低、
糖尿病の罹患率が全国一などの注目すべき指標がある。
これらを改善しようと思ったら
課題の本質を見極めて
本質的な課題、つまり解くべき論点を間違えないこと。

非日常的なパフォーマンスの予算ではなく
日常の暮らしの質を高めていけば自ずと県民生活は向上する。
例えばトップの号令で1つか2つに集中している文化イベント予算を削減して
県立図書館の蔵書の充実や司書の待遇改善に回す。
良質の人材を確保できたら(もしくは既存の人材の志気を高められたら)
お金をさほどかけずとも
良質の蔵書が揃い魅力的な企画が上がってくるはず。

食の宝庫徳島であるから糖尿病が高いのは仕方がない、ではなく
健康な人(例えば健康保険の使用が少ない人)にはインセンティブを行う。
(例えば半額を県が補助するなど)
実際に霞ヶ関周辺を見聞している立場からみると
消費者庁の移転など我田引水の地域エゴイズムのように映る。
それよりも国の施策でおかしいときに県が異論を唱えられること、
「うちの県では地域振興券をやりません」
「軽減税率は事業所の負担が大きすぎるのでやりません」
(国税だから県が口出しできないではなく姿勢を打ち出して問題提起を行う)
逆に国が躊躇している良い施策があれば県が率先してやる。
そんなことが可能になれば
良質の移住者が増え、健康に気を配る人の割合が増加し
盛り上がった内需を経済で循環させることができ
地元の日常の魅力が上がれば観光客も地元をまるごと体験したくなる。

そのような施策は決して華々しいものではなく
むしろ現場に権限委譲して裁量を認めてやりがいを引き出すなかで
(KPIやPDCAサイクルは上を納得させる鉛筆のなめかたでしかないので撤廃)
当たり前のことを当たり前のように地道に積みあげていくことではないのだろうか。
同じ施策をやっているのに成果が違う、ということができうるのではないか。
(日本マクドナルドのカサノバ社長を見ているとそれが徳島県庁にも当てはまると思う)

議会との間には緊張関係をつくるために
不偏不党を前提に政策をめぐる議論をすべて公開して太陽の下で検討を進める。
(いまの県議会は機能していない。存在していなくても県民生活には影響がない)
それだと知事が議会の集中砲火を浴びるのでは?
それも含めて県民に判断してもらえればいい。

大きな変革はダメ。
資源(ヒト、モノ、カネ、ノウハウ)を動かすとき
そこに必ずロス(間接経費の増大、時間の浪費、ノウハウの欠如による失敗)が増えて
志気の低下が起こる。

前例踏襲のままでよいか?
それも違う。
まずは大きな理念を掲げよう。
その理念の下、経済政策やら少子化対策やら個々の課題を編み込んでいく。
例えば、この県の強み弱みを俯瞰するとき
県民の日常の暮らしの質を高めることがもっとも本質的な課題(すべてにきいてくる論点)
として理念に掲げたら
産業政策も農業政策も福祉政策も観光政策もすべてそのモノサシを行動基準とする。
政策が目に見えない一本の糸で結ばれるようになると
そこに同じ金額で同じ事をしても政策効果が上がるようになるのではないか。
個別の政策のアイデアよりも政策を編み込むモノサシ(価値判断)を据えること。
それが県政をよくする一歩。
(いまの徳島市政がもっとも欠けていること)

良い未来をつくりたいのなら
住民も政治家もエゴを捨ててどんな未来をつくりたいか
(そこに政党もイデオロギーも選挙区対策も要らない)
その1点だけが動機となるようなことはできないものか。
(だから候補者が何をしてくれるのかではなく、県民として何がしたいか、できるかを問い直すことが大切)
posted by 平井 吉信 at 22:12| Comment(0) | 徳島

前松堂前の河津桜と吉野川SAの桜


勝浦町の老舗の和菓子店 前松堂前の河津桜
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吉野川SAで四国三郎を背景に公園の桜
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posted by 平井 吉信 at 20:07| Comment(0) | 山、川、海、山野草

縄文時代の加茂宮ノ前遺跡(阿南市)の発掘

フェリーを乗り継いで屋久島に渡って縄文杉を見に行ったことがある。
東北を見聞しながら三内丸山遺跡を訪れたことがある。
岡本太郎が撮影した縄文土器の鋭い造形に見入ったことがある。
日本列島でもっともいい時代と思えるし
もしかしたら人類史のなかでも最良の時代(住まい)だったのではないかとも。

那賀川中流域の阿南市加茂谷地区に縄文の遺跡があり
発掘作業のあと埋め戻される前に公開されるときいて
忙中閑を見つけてやってきた。

那賀川の河原からそう遠くない場所で水利に恵まれた場所だが
洪水に遭遇しそうな場所でもある。
当時は河床が低かったのか、それとも流路が少し違っていたのかわからないが
なぜこの地に居住を定めたのか、現地を踏んでみないとわからないと思った。

縄文時代、縄文文化といっても幅が広い。
国立歴史民俗博物館の山田康弘さんは次のように定義する。
「土器の出現から灌漑水田稲作が開始されるまでの日本列島において、狩猟・採集・漁労を主な生業とし、さまざまな動植物を利用し、土器や弓矢を使い、本格的な定住生活を始めた人々が残した日本列島各地における文化群の総称である」。
その年代も旧石器時代のあとを受けて1万6500年前から
3000年~2500年前までの時代とされるから1万年以上の長さがある。
しかも地域的な多様性と交易があったという。
縄文時代の研究はここ数年で深化している。
最新の知見ということで
2019年1月に講談社から発刊されたこの本をおすすめしたい。
(ぼくは電子書籍版で購入)



縄文の女神、ヴィーナスとも呼ばれるこの土偶もたまらない
https://www.city.chino.lg.jp/site/togariishi/1755.html
https://www.youtube.com/watch?v=07kak67VMdw

さて、臨時駐車場から発掘現場まで歩いて10分で到着。
すでに多くの人が来訪されている。
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「縄文時代後期の集落跡から、石杵と石臼計300点以上のほか、表面に水銀朱が塗られた耳飾りや土器など計700点以上も見つかった」(朝日新聞デジタル記事から引用)とのこと。
朱とは血の色と見立ててそこから儀式の意味付けもできるような気がする。

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地元に縄文の息吹があったということは古くから人が四国東部に住んでいたということ。
縄文人も春の甲子園を応援してくれている、と考えて
2019年春に21世紀枠で出場が決まった冨岡西高校野球部の活躍を祈ります。
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posted by 平井 吉信 at 11:12| Comment(0) | 徳島

2019年03月17日

文殊堂の台湾桜(黒潮町) 誰もいない空の下 花びらを揺らす玲瓏艶々

ここは文殊菩薩を祀る黒潮町の文殊堂。
いつもお堂の周辺が掃き清められているのは
近所のおばあさんがお堂の手入れをされていることは知っていた。
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桜も見事だが、おばあさんもつつながくいらっしゃると願いつつ
今年も見上げていた。

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文殊堂は高知県黒潮町小黒の川地区にある。
近くを流れる伊与木川に小さなコンクリートの橋がある。
欄干がないから沈下橋なんだろうと思う。
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文殊堂は智慧(洞察力)を司る文殊菩薩をお祀りしているところから
転じて学業成就、志望校の合格を願うと解釈されたのだろう。
この桜が咲く頃はまさに合格発表の時期。
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本人や家族の願い事が綴られた絵馬が躍動する。
県外からも寄せられた願い、それぞれ叶うといいね。
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この桜はいまが盛りなのか樹勢が盛大で花の色が濃い。
花の気が遠くまで飛んでいるかのよう。
晴れ晴れしい―。
誰もが集まる観光名所ではないけれど
この時期にここへ来られることは
桜守のおばあさんとともに心に妙吉祥の光背をともす。
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この桜、見る方向によって趣が違う。
朝と夕方の光によっても違う。
いつ見ても玲瓏艶々なのだ。

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それなのにこの桜に気付かない人はまったく感知しない。
桜の精のなせる技?D7N_3263-1.jpg

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再びやってきた出会いと別離の春。
人はめぐる季節に時間の流れを悟り
季節は人の一生を数えて流れていく。
それだけに儚くも燦々と照り返す木の花咲くや妙吉祥三月。
桜の精は人の心に投影された光粒子の揺らぎなのかも。
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タグ:幡多
posted by 平井 吉信 at 23:35| Comment(0) | 山、川、海、山野草

水辺のツルニチニチソウ

川の畔の一軒家に咲いていた。
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三寒四温の「寒」の日は水辺に風がふきわたる
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posted by 平井 吉信 at 20:12| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2019年03月10日

朴葵姫さんからタレガ・ギターカルテット(朴葵姫、松田弦、徳永真一郎、岡本拓也)へ

前頁から続く
親父がクラシックギターを何本か持っていて
ヤマハのCA-400プリメインとベルトドライブのプレーヤーにシュアーをつけて
同じくヤマハの20センチ2ウェイスピーカーで
アコースティックギターの楽曲を聴いていたのがきっかけで
当時の流行歌には目もくれず
中学になる頃にはヴィラ=ロボス、ソル、スカルラッティ、スペインの数々の楽曲などを聴いていた。
(あの頃のヤマハのオーディオは質が高かった)
日常会話には手工ギターの銘柄が出てきた。
ヘルマン・ハウザーの表板がどうした、ホセ・ラミレスの高音がどうした、
サントス・エルナンデス、イグナシオ・フレタの伝達性は、ヤマハGCの弦長は…
など固有名詞が飛び交っていた(うちにあったわけではないけれど)。
ドイツスプルースや米杉の単板と組み合わせる裏板、側板などに
いまでは稀少なハカランダやローズウッドなどの南洋材が使われていた。

朴葵姫さんがカルテットを組む(タレガ・ギターカルテット)のメンバーの一人、
徳永真一郎さんは徳島市の出身。
彼のお父さんとのご縁がきっかけで当時小学生の真一郎さんも連れて
今切川に船を浮かべて川底の泥を採取したことがあった。
幼少の頃からギターに触れる機会があったこともあるけど
今日の真一郎さんの活躍はうれしい。


なお、真一郎さんは徳島のギター製作家 井内耕二さんの手工ギターを使用されている。
井内さんのギターの音色がわかる動画がある。
https://www.youtube.com/watch?v=4qNnBnMbhV4

次に仕事でもご縁のある四万十市の公式チャンネルの動画をご紹介。
タレガ・カルテットの一員、松田弦さん(高知県のご出身。お名前に「弦」がある)の演奏で
四万十川を上空から紹介する動画を掲載している。
(外国人に向けての発信はわかるけど日本語の注釈をタイトルに入れておかないと日本人や日本通に検索されませんよ、市役所さん)
https://www.youtube.com/watch?v=CuWk7gFOIMw



アコースティックギターには音量という壁と
弾き手の技巧の披露から
尖った弾き方をしてしまいがちだけど、
聴き手の立場でいうと、ソロ楽器として長く聴いていられない。
超絶技巧をどう使うかをカルテットの演奏家たちはそれぞれに答えを見つけようとされているよう。
若いギタリストの豊かな音世界がギターの可能性を広げていくと信じている。

posted by 平井 吉信 at 11:52| Comment(0) | 音楽

満石神社(美波町木岐)の椿に桜、足元のひらめきと波間のきらめき

美波町という地名に未だなじめず由岐町木岐というほうがしっくり来る。
日和佐道路ができてからは由岐I.Cを降りれば田井ノ浜はすぐ。
田井ノ浜を南へと越えていけば木岐の集落というわかりやすさ。

さて、2019年春、
地元の方々のお世話で椿祭りが開かれると聞いてやってきた。
(来てみて分かったが祭りは翌日とのこと。後の祭りだが、翌日の天気予報は雨とも)

満石神社を訪問したのは初めてだったが
地元のみなさんと話ができてよかった。
さらに人を包み込む風光明媚な風土がすとんと飛び込んできた。
陽が射すのも風がそよぐのも船が波間を横切るのも
陽光に照らされてたゆたう人生のひとこま。
写真を見て地元を訪れてみたら?

トイレがあって駐車できるところから満石(みついし)神社へと向かう小径
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登り口の花壇
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小径といっても海を眺める軽やかな逍遥
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やがて由岐町出身の書家 小坂奇石の石碑が見えてくる
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満石神社前の井戸はイボ取りに効能ありとか
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井戸の前の広場で地元の方々が集まって花時計を制作中
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満石神社に参拝
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春とは思えない透明度の高い空。明日も続いてくれればと願う
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神社の裏手には椿園が整備されている。それよりも足元の野草が気になる
寄り添う姿が愛らしい
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母に抱かれた子どもをさらに夫が包み込むよう(ムサシアブミか?)
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桜がちらほらと(花びらを陽光にきらめかせて)
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見上げれば椿 ただしそれほど開花していない。終わっている花も少なくない
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椿園めぐりも時間がかからない。満石神社まで戻ると
花時計が完成に近づいていた
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桜を見ながら渚へと近づいていく
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海へ続くこみちのなつかしさ。うれしくてしようがない時間
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菜の花にエンドウの仲間
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渚へ降りていくと砂利に自生している
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ブラタモリで取り上げたくなる岩
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港を出たすぐの渚の煌めく波間
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足元の岩の尖った形状に注目
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港の対岸を望む
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海沿いのこみちを戻るのもうれしくてしようがない
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木岐の港は水が澄んでいて魚がよく見える
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釣りをする人の気持ち良さはいかほど?
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帰りに田井ノ浜を俯瞰する
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足元のたんぽぽに日がまわって
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なぜ、春はアルペジオのような短い余韻を残すのだろう。

追記
木岐の渚を歩く感覚は朴葵姫の弾くトレモロかもしれない。







音をパチンとはたかず(ギタリストにとっては弾く快感があるけどそのように弾いていない)
抱え込んで滑らせる感じ。
(これね)「アルハンブラの思い出」
https://www.youtube.com/watch?v=zQnBstCaosE
聞き飽きているこの曲がいま生まれた感じ。
トレモノなのに旋律の流れを感じる。
音がギターから離れたがらない。
これまでのギター奏法と別の視点では。
名残手が音のない余韻を響かせる。


ぼくの好きなヴィラ=ロボスの5つの前奏曲でも
柔らかい余韻とレガートのなかに音楽が粒立つ。
木岐の海辺のように。
続く


posted by 平井 吉信 at 00:13| Comment(0) | 山、川、海、山野草