2020年05月18日

生き方は変わっていく コロナのお陰という考え方


連休中に田井ノ浜へ行こうとしたら車を停める場所にロープが張ってあった。
県が管理する高丸山では駐車場が封鎖されていたという。
登山口周辺には車を停められる場所はないので
登山者の車は林道の路肩に停めざるを得ず、
作業用の大型車の往来が激しいなかで危なかったそうだ。

これらの場所は各自が感染症対策を行う限り封鎖する必要はない場所である。
このブログでは新型コロナウイルス感染症について対策を書いてきたが
やるべきことができていない反面、
やらなくてもいいことをやるなどちぐはぐが目立つ。

布マスクはすでに方々に出回り、家庭でも自作されている。
いまさら国が466億円をかけて配布しても意味がない。
不織布のマスクも普通に手頃な価格で近所のスーパーで並んでいたが、
商品を見たところ性能表示がないものであった。
(投げ売りの中国製マスクは買ってはいけない。性能表示とその証拠が提示されているもののみを購入すべき。6月になればマスクの価格はコロナ禍以前に戻るだろう。良質のPFE、BFE99%以上で1枚20円程度。それでも1回で使い捨てずに洗って使いたい)

不織布のマスクは洗って無害化すれば何度でも使えることがわかっている。
だからわが家では前年に備蓄のマスクだけで1年は乗り切れる(真夏でも公共交通を利用する場合や密集した場所に行くときはマスクをしているのでコロナ禍でなくても普段から備蓄をしている)。
また、ウイルスの侵入を阻止する効果に乏しい布マスクでも
不織布を1枚挟むだけで性能が向上することも知られている。
だから布マスクは不織布などをはさんで固定する機能(ポケット)があることが条件となる。

入手が相変わらず困難なアルコールは消毒機能を次亜塩素酸水と併用する(混ぜるという意味ではない)ことで節約できる。
壁面や床面などの広い面積には薬剤散布よりもケルヒャーなどの蒸気クリーナーのほうが適している。
電気と水だけなので機械の購入代金のみで維持費はかからない。
使い分けをすることで中国で死者が出る前に購入したアルコールが未だに使い切らずに残っている。

感染症はCOVID-19だけでない。
新型鳥インフルエンザ(特にH5N1型などの強毒型)が遺伝子の変異でヒトへの感染力を高めたら
その脅威はCOVID-19の比ではない。
だから衛生管理の徹底はコロナ対策ではなく一生の「習慣」とすべきこと。

適切な感染対策と感染の怖れが少ない状況で自己管理を適切に行えば
COVID-19を過度に怖れる必要はない。
逆に何の根拠もなく対策を行わないのは
自分も他人も巻き込む自殺他殺行為に等しい。
うちの近所では居酒屋が再開したが、
窓のない店内で至近距離で歓談することは危険が大きい。
愉しい時間を過ごしてわが家に帰宅することがどのような意味を持つのか考えるべき。

コロナ禍での自助努力として、
食糧を自分で生産、確保(もしくは地区で)する能力や取り組みが必要となった。
社会で多様な役割を細分化したが、
このことでウイルスによって容易に移動や接触を止められたら社会活動が止まってしまう。

できうる範囲(個人、共同体、国として)での自給自足的な考え方が必要となっている。
米や小麦粉が店頭から消えるのはその象徴的なできごと。
コロナ禍でインターネット販売が伸びると考える人もいるだろうが、
流通網だけあっても意味がないのだ。

このことを突き詰めれば国のあり方も人の生き方も変わっていく。
社会のなかで高度に分業化された役割を仕事と認識するのではなく
自分が生きていくのに必要な役割はすべて仕事と理解する。
老若男女を問わず家事、炊事、料理、洗濯、
家財道具の保全、修理、食糧の生産ができたほうがいい。
そうすれば家事が特定の家族の負担にならず、
家事は楽しくなっていく。
(ぼくがコロナ禍で喜んだこととしたらスミレを見に行けたことと、食事の準備が心置きなくできたこと)

東京一極集中を是正しようと叫ばなくてもそうなっていく。
このことは良いことだ。
徳島では県内で感染した人はいないとされているが、
徳島の潜在的な良さを物語っている。
それは中心市街地と呼べる街区がないこともあるが
良質の川に育まれた山のミネラルが県土に行き渡り(藍染めの藍作はその象徴)、
山の幸、川の幸、海の幸が手に入ること。
(このブログの開設当時=約20年前から指摘していたこと)

県の観光政策や経済政策はそのことを明確に意識して打ち出すべきだし、
「VS東京」というコピーや「県外人の来訪を監視している」というメッセージは引っ込めるべきだろう。
徳島の良さを認めようとしないのは徳島県人そのもの。
もし打ち出すとしたら「敵は徳島(地元)にあり」。
逆に徳島の良さを見出せた人が移住なり暫定居住なりしているのが実態だから。

コロナ禍では政府の初動期の対応に確たる方針がなかった。
国ばかりが情けないのではない。
義務を果たそうとしない人々もいる。
無知、無理解、無神経、無行動の四無の人も少なくない。
(スーパーで買い物をして家に戻る際には人も商品も無害化処理が必要だがどれだけの人がそれを実行しているだろうか)。

コロナ禍は大きな代償だけれど、この国が生まれ変われるとしたら意義はある。
(コロナ禍転じて福と成す)
それをやっていくことが一人ひとりの役割、
というか生きがいにしたい2020年である。
posted by 平井 吉信 at 22:54| Comment(0) | 生きる

2020年05月16日

三原山噴火にみる危機管理


1986年の伊豆大島の三原山で起こったこと、地元の対応

伊豆大島を未曾有の大噴火が襲ったのは1986年11月のこと。
その6日前の11月15日に噴火した三原山を見ようと
伊豆大島には観光客が押し寄せていた。
大島町も観光客を噴火口に近づける方策を検討している最中であった。

三原山の噴火口に異変が起こったのは21日の16時15分のこと(後に五百年ぶりの大噴火と判明)。
伊豆大島では昭和32年にも噴火があったが、避難指示が遅れて1人の犠牲者を出した。
このときの反省を糧に大島町ではただちに対策本部を設置、助役の秋田壽氏が陣頭指揮を執ることとなった。

襲いかかる噴石と溶岩に役場では前例のない対応が求められた。
マニュアルがあったとしても例外的な事案には役に立たない。非常時に会議を開いても問題は解決できない。
リーダーシップを持って、いま取り組むべき課題に集中することである(場当たりの対策を乱発しない。そのために答を見つけるより問を設定すること)。

伊豆大島をJAL定期便の上空から俯瞰したもの。左上の元町港から右下の波浮港。そして三原山噴火口との位置関係がわかる。
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未曾有の災害には役場だけでできることには限界がある。
秋田助役は迅速に住民に避難を指示。そのため夜の移動となった。
電灯が必要だが、発電所でもトラブルが起こり電力の供給が不安定になっていた。夜中の避難で電気が消えれば島民はパニックに陥る。安定した電力を供給するためには職員は施設に残らなければならなかった。東京電力の3人の職員は島に残って電力を供給し続けた。

大島では成人した男性はすべて消防団に入ることになっている。
そのため、どこの家にどんな年寄りが残っているかもわかっている。避難を渋る年寄りやうろたえる高齢者もいただろうが、集落や地域では消防団という共助が機能したことが大きい。

三原山の大規模な噴火に対し島にはどこにも安全な場所がないことから町では全島民の避難を決断。
元町港から40隻の船で住民を次々に運ぶ計画であったが、なんと元町をめがけて火砕流が迫ってきた。
そこで急きょ南の波浮港への移送を行うこととなった。
波浮港までは14kmの道のりがある。
道中で被災する怖れがあったが、地元のバス会社の運転手は誰もひるまなかった。
こうして海沿いの崖っぷちの道路を決死の輸送が行われた。

三原山の台地から元町へと溶岩が流れ落ちた
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ところが輸送先の波浮港の周辺の海で異変が見つかった。熱せられた水が膨張的に爆発する水蒸気爆発の予兆である。
もともと波浮港は大昔のカルデラ(噴火口)である。
携帯電話などはない時代、島のバスには無線もなかった。
バスは続々と波浮港へ向かっていた。
溶岩流に飲み込まれるか、水蒸気爆発に巻き込まれるか。
どこにも行き場がなく万策が尽きた、と助役は天を仰いだ。

ところが元町へ向かっていた溶岩流の速度が落ちてきた、との連絡が届いた。
到達時間から夜明けまでに船を出せば島民を避難できると助役は決断。
波浮港に集めた住民を再び元町港へ呼び戻した。
島民全員を元町港へと運び終えた38台のバスの運転手には達成感が刻まれた。
最後のひとりを乗せた船が岸壁を離れるのを助役は港で見送った。

三原山噴火口は静かにたたずむ
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このときのプロジェクトXの動画がある。
「全島一万人 史上最大の脱出作戦〜三原山噴火・13時間のドラマ〜」

行政、消防、船舶、路線バス、電力…。明確なミッションが誰の心にも共有されていた。
「ひとりの島民も犠牲を出さない」

そして、それぞれの行動指針はひとつ。
「自分がやらなきゃ誰がやる」

国の危機管理も機能

1980年代は戦後日本が復興してプラザ合意はその象徴的な出来事であった。
円は80円まで上がり、陽が沈まない国の経済はとどまるところを知らなかった。
日本は我が世の春を謳歌していた。
戦後の焼け野原から脱却して花開いた絶頂期でバブルに転落する直前、
日本全体がその傲りのなかにあった。

ただし80年代は悪いことばかりではなかった。
音楽産業ではアーティストがやりたいことがやれた時代でもあったし、人々が自信に満ちて生きていた。
公害や東京集中の弊害もあったが経済活動の循環が隈なく行き渡り、1億総中流ともいわれた。
格差が少ないことであらゆる人にチャンスがあり、やりたいと思えたことができた時代でもあった。
バブルには負の側面もあれば時代の高揚感(本質を見れば転落の予兆を秘めていた)もあった。
ぼくはバブルの頃も浮かれなかったが、いまも変わらない。コロナ禍でも変わらない。

その一方で、平和な時代特有の誰も責任を取らない組織対応の弊害、免罪符の会議や形式主義、前例のないことをやらない態度、本質を見て未来に投資しない企業や投資家が跋扈。
そんな風土が(いまも続く)失われた30年につながった。当時では資産価値の大きな企業として世界の10位のなかで日本企業が6つ、7つ入っていたように記憶しているが、いまはAmazonの提供するAWSを活用して新たな価値提案を行う多国籍IT企業が跳躍する傍ら、安くて高品質を求めて海外へ移転した日本企業はいまでは見る影もない。

さて、もう一度三原山噴火に話を戻す。
災害対応の所管は国土庁、内閣では発足したばかりの内政審議室の担当と決め、両者の間で併走する協定があったとされる。
刻々と溶岩流が港に迫る頃、国土庁では会議が開かれていた。
しかしその議題は、対策本部の名称をどうするか?
西暦と元号をどちらを使うか(昭和天皇の容態が芳しくなかった)、
臨時閣議を招集するか、持ち回り閣議を召集するか、だったらしい。

災害に遭遇して生命の危機に陥る島民をよそにこれではどうしようもない。
ときの政権は中曽根首相、後藤田官房長官。
その特命を受けて内閣官房に新設された内閣安全保障室長を任された佐々室長らが災害対策を差配。
佐々淳行(さっさあつゆき)氏はあさま山荘事件などで陣頭指揮を執った危機管理のプロである。

小田原評定をやっていた国土庁の会議が終わる頃、官邸主導の救出作戦はすでに開始されていた。
海上自衛隊、海上保安庁、民間の客船など四十隻がたった3時間で大島に集結。夜通しかけて大島の住民1万人を東京都へ運んだ。大噴火からたった半日の奇跡の行動である。

このことを可能とするためにどのような法解釈や調整が行われたかは門外漢でわからない。
権限を越された国土庁など他省庁は猛然と抗議、国会では公明党から糾弾を受けた。
首相の特命と官房長官の調整権の行使を受けてということになるのだろう。
官僚組織が機能したわけではないのだ。だが官邸の独断を誰が責めるだろうか?
(憲法、法令、指揮系統、規程はそもそも何のためにあるのかと問い直さざるにはいられない)

憲法改正、非常事態法による私権の制限の是非を問うよりも前に
するべきことがあるのではないか。
いかなる憲法、法律もそれを運用する姿勢、理念、志が重要である。
安倍内閣の下ではいかなる法令も意のままに解釈し改変を行おうとしている。
後の時代は正しい審判を下すだろうが、
悪事を重ねて逮捕を避けるために都合の良い人事を通す法案を画策する内閣に
コロナ禍の対応などできるはずがない。

三原島噴火の避難行動と比べれば、コロナ禍の感染を防ぐ対策はできうる。
感染症対策とともに経済と暮らしを維持する対策を行うのだが、
初動期に徹底した対策を十分に取ること、
その裏付け(補償)を行うこと。小出しに行わないこと(経済合理性)。

仕事で面談をしていて感じるのは
補助金は余裕のある事業者が申請すると採択されやすい。
いうまでもなく経営資源に余裕があるからである。
(経営資源…ヒト、モノ、カネ、ノウハウ+時間、ネットワーク)

その反面、切羽詰まった事業所では申請が採択されたとしても
緻密な事務処理に基づく適切な完了報告までたどり着けない。
また、ほんとうに誰かの支えを必要としている人は
かえってこれらの手続きを取らない。

もちろん情報収集や申請書の書き方など自助努力は必要である。
熟読すればほとんどは埋めることができるし、窓口では修正の助言ももらえる。
ただし、控えめな人、謙虚な人、誰かの補助を受けることに遠慮する人は申請しないのだ。
(そういう人を身近にたくさん見てきた)

あえていえば、めざとい事業者は補助金をものにする(もらえるものはもらっておく)。
必要な人に行き渡らずうまく立ち回る人が手にする傾向がある。
自己申告はダメなのだ。

だから複雑なしくみ(給付や申請に係る要件)は不要だ。
まずは全国民に生きていくための生活費を十分に配って
剰余の給付分は確定申告時に返還(課税)すればいい。
いわばコロナ禍対応型ベーシックインカム、
さらに生活費のサポートや消費を落ち込ませないために消費税を停止する。

ぼくは考える。
中曽根〜後藤田ラインのような責任を取る政治家がいたなら、
このコロナ禍の初動対応を間違えなかったのではないかと。

コロナ禍が突きつけているのは、国家のあり方であり社会のあり方。
憲法や法令だけで拾えないことがたくさんある。
つまりは自助、共助、公助が有機的に連携する国のかたちが必要ということ。
未来を始めるには遅いかもしれない。
でも、いま始めなくてどうする。

posted by 平井 吉信 at 13:08| Comment(0) | 新型コロナウイルス対策

2020年05月06日

歩いて行ける山 そこから見える海 でもこの海はここからでしか見られない(日峰山と越ヶ浜)


このブログで閲覧数の多いコンテンツとして大神子小神子の話題があることはご存知のとおり。
→ 大神子、小神子の謎の荒れ地、流れ込む沢、背の高い子どもの冒険
大神子(おおみこ)は徳島市大原町から、小神子(こみこ)は小松島市中田町から近づく。
大神子にはテニスコートやら病院やらがあって保養地となっている。
小神子にはかつて一部上場企業の社員専用リゾートが丘の上にあって別荘が建ち並ぶ。

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ところが大神子と小神子の間にもうひとつ知られざる浜がある。
その名前すら知られていない。
その浜は越ヶ浜という。

前述のコンテンツはどうすれば越ヶ浜へたどり着けるかを書いたものだが
越ヶ浜は日峰山の裏に当たりどこからも見えないと思っていた。

ところがたった一箇所、越ヶ浜を見下ろせる場所がある。
ちょっとした小ピークで東南が開けている。

徳島市に隣接しながらほとんど知られていない渚を上から見た写真をどうぞ。
かつて浜に煙りたなびく苫屋があったかもしれない頃の渚を思い浮かべながら。
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ここへ来るまでも目のごちそうがある。
自然がつくりだしたアートはそれを観ようとする人にだけ見える。
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でもぼくは相変わらずスミレに目が行ってしまう。
ナガバノタチツボスミレの清楚な姿、しばらく風が止むのを待った。
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宇宙船地球号の21世紀のとある場所の一日に過ぎないのだけど。

追記
越ヶ浜が見える場所がもう一箇所あった。
大神子と勝浦川河口の間の半島から正面に見える。
→ 十年で循環する生き方 次の1クールを考えようと海が見える丘に(大神子)

posted by 平井 吉信 at 21:04| Comment(0) | 山、川、海、山野草

紺碧色 翡翠色 水縹(みなはだ)色 海部川の水面は人の世を観て映す


いまは2020年だけど、
1990年代の海部川は想像を絶する色を浮かべていた。
色だけではない。
山に囲まれた流れは山のミネラルをそのまま海に届けている。
春は鶯(うぐいす)、夏は河鹿蛙(かじか)、夕暮れには蜩(ひぐらし)。
星がひとつふたつ輝き出す頃、自然界の饒舌に満たされた静かな川の時間が訪れる。

前回からそう日は経っていないけれど
こんな時代だからこそ観たい。
川の流れを見ているようで人の世を観ている。
ものごとの生成消滅には善にも悪も幸も不幸もない。
ただどのように観ようとするかだけ。

五月の薫風、誰もいない海部川。
ただ風が吹いて水が流れる。

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川底は生きている
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水音を聴きながら木陰で本を読んでいるうち
眠りに落ちていた。
そろそろ日が傾いてきた。
ぼちぼち帰ろう。



タグ:海部川
posted by 平井 吉信 at 20:46| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2020年05月04日

コロナ禍がもたらした料理三昧の暮らし


連休中も外へ頻繁に出ていくので食欲は落ちない。
(ただしヒトがいない場所)
いずれも車で1時間以内の場所.
食事の合間に出るか、弁当(握り飯)を持って行くか。

自宅では普段できない料理に挑戦している。
といってもあり合わせの材料を適当につくっているだけ。
(普段と同じ)
炊きたてを卵掛けにするか、梅干しと納豆で食べるかと
米を研ぐときの高揚感、
(うちは毎回精米機にかけてそのときの気分で五分づきから七分づきで食べている。米は生産方法がわかっている知人から直接買っている)

こんなときカップ麺も悪くないけど乾めんは手軽でいい。
家計にやさしいのはこの会社の製品。
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スーパーやドラッグで見かけることがあると思うけど
価格の割に品質は高い。
(量産品では東の信州ほしののそば、西のさぬきシセイのうどんだろう)

Webサイトを見ると製造品目を絞りこんで一日15トンを製造されている。
使っている小麦粉はASWの一等粉とのこと。庶民の味方♪
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ほとんどすべての製品を食べてみたが
ひやむぎ規格のできがもっともいいようだ。

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太めの乾めんは同社の指定する時間より2割程度は長めに茹でたほうがいい。
もっとも太い麺では15分〜20分でもいい。
(10分どん兵衛に通じる世界)

乾めんは半生麺や冷凍麺より落ちると思っている人はいないだろうか?
むしろデンプン質がアルファ化したてを食べられる点でおいしいといえるのだ。
高級な稲庭うどんは乾めんである)

その一方で地元産のレモンが入手できたのでレモン酒をつけ込んでみた。
(例年、梅干しと梅酒をつくっているのはご存知のとおり。どちらも市販の高級品に負ける気がしない出来映え)
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生きる基本は食事と寝るところから。
国は安心して暮らせる環境を躊躇なく保証すべき。
(もちろん自助は不可欠。そして地域の公助は助けになる)。
ベーシックインカムと消費税廃止はただちに実行するよう求めよう。
国破れても国民は存在し続ける。それでいい)

コロナ禍は読書や音楽三昧と食事をつくって食べる歓び、
その合間に山川海へと出かける暮らしをもたらしている。
posted by 平井 吉信 at 11:25| Comment(0) | 生きる

2020年05月03日

巨大で濃い生態系 人の気配もなくひっそりとたたずむ渓流


ここは徳島県南部のとある渓流沿い。山姥伝説がある場所でもある。
その山懐深くに樹齢千年の杉があるというので
地元の人の案内で見に行ったことがある。
(案内役の方は地域の地勢や歴史を研究されている。今回の総勢3名は冨岡西高校の先輩後輩でもある。もしかしたら地権者の方もそうかもしれない。案内役の方が地権者に入山の了解を得ている)

源流近くの谷が拓けた場所から見上げて当たりを付ける。
源流に4つある沢の手前の沢(第四沢=仮称)から尾根に取り付いているところ。
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第四沢からさらに分かれた滝がある沢(第四右沢)を詰めていけばいいが
そのルートは険しいので第四沢の源頭に当たるコルをめざす。
3人とも藪漕ぎや急傾斜地の足運びに慣れているし、
コンパスの使い方、読図も熟知している。
(それができないと迷うだろう)

歩き始めて1時間でコルを通過。
そこから20分程の尾根に近い場所で巨大杉が現れた。人と比べれば大きさがわかる。
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さらに手分けして周辺を探すこと15分、
尾根からやや下った第四右沢の源頭近くに別の巨大杉を発見。
(そのとき風のささやく音色を聴いたような)
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尾根周辺ではほかにも巨大杉が散見された。確かにこの山域は巨大杉が存在する。
その後、尾根に戻ってさらに進んで1000メートル弱のピークに到達。
(山姥の気配を背後に感じつつ下山したほうがいいと感じたので)
ここで引き返すこととした。
(屋久島が全国最多雨の地域であるが、徳島県南部と南紀は屋久島に次いで雨の降る場所である)。
GPSは使用せず事後に1/25000地形図に巨大杉の在処とルートを書き込んだ。

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今回は渓流沿いに散策して山野草を見ようと考えた。
まずはコミヤマスミレ。石の隙間や崖っぷち、渓流沿いの湿った土に生えている。
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キュウリグサ(手前)とキランソウ(奥)
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サンショウ。食欲がないときなどに食べてみたらどうだろう
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渓流沿いの岩に自生するヒメレンゲ
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四国ではいまの時期はどこの野山にも多く見られるマムシグサ
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ユキモチソウ。雪見大福のような花?がある
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渓流には至るところに沢や湧き水が流れ込む
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立派なイチゴの花
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これはなんだ。恐竜の骨のような巨大な蔓が地面を這い
そこから無数の黄色い花が繚乱。
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→ ジャケツイバラ(蛇がつながったような茨という意味か?)と判明。自生種

ゼンマイの類だがあまりの大きさに驚く
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シダも大きい。28o広角レンズで手前にある手(大きめに写る)と奥にあるシダ(小さめに写る)と比べているがそれでもこの違い。1メートルは越えている。
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こんな大きなユキモチソウもあるのか
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テニスボールぐらいはありそうな個体
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植生が巨大化する渓谷沿いの生態系に身を置くと恐竜が出てくるハリウッド映画のロケ地にいるよう。

最後はかれんな花を。
どこにでもあるタチツボスミレをと思ったが
花の姿がケイリュウタチツボスミレのよう。
(2メートル下には沢が流れるのでケイリュウタチツボスミレもありえるが、背が高いので違うと判断)
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葉のかたちがコタチツボスミレのようでもあるが葉は小さく厚めで光沢がある。
あるいはツヤスミレ風か。
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背の高さはナガバノタチツボスミレのようでもあるが渓流では不利な感じがする。
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タチツボスミレは日本中どこでも見られるスミレの種類だが
地域や生態環境ごとの変異がある。
どのような必然があってこんなかたちになったのか。
渓谷にたたずむ幽玄のスミレの風情でしばし見とれてしまう。

ここには誰もおらず(この日は誰とも会わず)、この場所に社会の喧噪はない。
四国にはそんな場所がたくさんある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人がいない場所では目に見えない妖精がいる、
人がいる場所でも目に見えない何かがある。
公衆衛生では感染の予防のみならず
心身の健康を積極的に維持、創出していく視点が不可欠。
(意味のない行動を強いている反面、やらなければならないことをやっていない政府。もはやクーデターが起こっても不思議でないほど政治は腐敗と劣化と機能不全に陥っているが、恐ろしいのはクーデターの対象となっている政権が国民不在のクーデターのようなことをやっていること)。

国民が一丸となって国難を乗り越えましょう、などと聞こえてくると
国難に導いているのは誰?
社会を分断しようとしているのは誰?
戦時中の内閣のような振る舞いと言いたくなる。

もっとも政治だけではない。
わざわざ空いているパチンコ店を探してまで行く行為がどれほど危険なことか?
いま防ぐべきは医療崩壊。
せめて感染しないことができること。
さらに病院関係者や感染者(不注意はあっただろうが)を蔑視することがどれだけ人を傷つけているか?
また、不平不満を封印して自己満足の連帯感を強制していないだろうか?
その反面、意味のない自粛をしていないだろうか?
(科学的な根拠に基づいて自らが状況判断して自分を守っていかないと)

このところ荒っぽい車の運転に追い抜かれることが多いと感じる。
室内でYouTube見ててもストレス溜まるだけだよ。
ヒトのいない野外へ出て行くことは自分の身を守ること。
特に四国のような人口密度の低いところは家を出て帰宅するまで人に遭遇しないとこだらけ。
よく考えて行動しよう。家に籠もらないこと!
(変わることなく安全運転をしています。ただしヒトの迷惑を顧みないノロノロ運転はしません。流れよりはやや早めですが、指差し確認しながら運転しています)

ウイルスに勝つことはできない。それはウイルスの成り立ちを考えればわかること。
(60年を経て未だにヒトコロナウイルスのワクチンはない)
だからウイルスを無害化して共存する選択肢があるはず。
望むと望まないに関わらず息の長い付き合いをして収めていければいい。
それはできる(そう信じてこのブログでも発信を続けている)。
posted by 平井 吉信 at 17:46| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2020年04月29日

阿南市加茂谷地区は移住者の隠れた魅力の地 起業の場所


次郎笈、高の瀬峡を経て流れる北川(那賀川本流)と
海部山系から流れる幾つもの谷が集まる南川、
さらには剣山の南斜面から流れる槍戸川(坂州木頭川)が合流して那賀川となる。
全国有数の雨が多い地域から豊富な水量を集めて海に向けて流れ出した急流は
阿南市に入ると中流の様相となる。
かつては阿南市のなかでも陸の孤島とも呼ばれた地域であるが
いまは移住者がこの地で次々と起業されている。

人気のカフェ ボスコベルさん、
土手の下にある和み工房しげぱんさん、
(しげぱんさんはホンモノ志向の良質のパンをつくられている。端正で温もりのある前庭があるが、この庭はうちの親戚筋の人が施工したらしいということもわかった)
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開業したばかりのイタリアンのリストランテ岡本さんも那賀川沿いの場所に立地している。
ここから少し下流の岩脇地区で1年後でないと予約が取れないフレンチレストランのLOUPを経営している佐竹さんも加茂谷のご出身と聞いたことがある。
つまりは自然環境の豊かな大河の畔で
食生活の本質を見つめつつ生きている人たちの楽園となっている。

また、以前に紹介した縄文時代の遺構加茂宮ノ前遺跡や太龍寺に続く遍路道「かも道」も近くにある。

きょうはそんななかで知られざる名瀑「午尾の滝」へ行ってみた。
場所はリストランテ岡本さんから少々上流を山手に入ったところにある。

滝は深瀬八幡神社の境内からすぐ奥にある。
神社までは急な細い坂道で慣れない人は気を付けて。
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滝は上部の岩から末広がりに落ちてくる。
近い場所からそれを眺められるし水面に降りていくこともできる。
岩肌を滑り落ちて淵をつくる佇まい。
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ここから階段を上がれば新緑のなかに鎮座する深瀬八幡神社。
鬼瓦など細部をみればおもしろい。
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境内にはナガバノタチツボスミレ
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(徳島でのこのスミレはいずれも背が高く立派で見映えがする)

目と鼻の先には川沿いに芝生広場がある。
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東流しようとする那賀川に右岸の城山が立ちはだかって北へと向きを変える。
そのため水が淀む。
そこに支流の熊谷川が城山の南斜面から合流する。
典型的な内水面の氾濫するパターンである。
(上流の加茂谷川との合流点はこれと様相は異なるがやはり内水被害に遭遇する場所である)
写真は南岸堰の堰体
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山が迫る右岸と左岸を最短距離で結ぶ加茂谷潜水橋。
潜水橋とは大水で川に潜る橋のこと。車も通れるが欄干がないのでご注意。
四万十川でおなじみの沈下橋だが、四国にはこのような橋は無数にある。
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対岸には受験の神様、お松権現がある。

紹介した地点はすべてこのなかにある(Google航空写真)
https://www.google.com/maps/@33.9242294,134.5590331,2960m/data=!3m1!1e3

高校の頃、加茂谷の同級生の近藤君の家に自転車で遊びに行ったことがあるが
陸の孤島だなと当時も思ったが
今日ではこの隔絶感(とはいいながら日亜化学から20分程度)は
異なる価値感に立てば、住みやすさ、豊かさはもちろん、
阿南市、小松島市、徳島市南部からも近いので集客の可能な経済圏として
今後脚光を浴びるに違いない。
それが地元中心に起こっているのが他の地区と違う。だから外からの風も入っていける。
(創業をお考えの人は相談してくださいね→無料)

徳島の飲食店経営の方、早々に休業しないでください。
こちらに紹介したお店はリピートする価値がありますよ。
しげぱんさんは、感染症対策を行いつつ営業を続けています。
どれをとっても素材の良さを活かすパンづくりが出色。
カレーパンの本格的な風味はちょっと県内では見られないもの。

県内の飲食店のみなさん、5月は風がさわやかで最適の季節。
どうぞ、感染症予防対策を万全にして営業してください。
そのことを発信してください。

〔参考情報〕
→ コロナ禍の経営危機を乗り切る

→ 飲食店の再開に向けての対策と弁当販売の留意点

→ 飲食店が営業を続ける選択肢を応援したい

posted by 平井 吉信 at 23:32| Comment(0) | 徳島