2021年05月01日

続編 春の小川


前回の投稿で春の小川について書いてみた。
同じ場所から少し下流に下った場所を訪れてみた。

誰も歩く人がいない土手。別に土手を歩かなくてもあぜ道があるから。
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家の裏の戸をくぐって川に降りていく小径はこのお家だけが通る
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新緑をまとった河畔の木
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広いあぜ道はきっと子どもの遊び場、おとなの憩いの場となるかも。
道ばたに咲くタンポポやムラサキサギゴケをめでながら
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壮大な観光地よりもありきたりの農村風景に心をとめる
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あの小川がここまで広がった
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(ここまでX-T30+XF35mmF1.4。標準レンズっていいね)

野アザミ
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橋の中央から木の欄干をみる
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橋の端から橋の欄干をみる
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春としかいいようがない
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(ここまでX-T2+XF23mmF1.4 R)

子どもが一輪車であぜ道を走る。風を感じながら心地よいのは見ているほうも
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(D7200+AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR)

posted by 平井 吉信 at 15:07| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年04月29日

65円のスミレは庭で存在感を放つようになってきた 


COVID-19は変移による猛威を振るっている。
もはや人類には感染の蔓延を防ぐ術がないように思える。
国にできることとしたら、企業や商店という単位でなく
国民全員に生活費を数ヶ月にわたって配布して
自宅で待機してもらうほかない状況に至っている。

実は相当疲れている。
補助金、給付金などの申請に困った人たちの駆け込み寺となっているが
その対応も限界に来ている。
国や県は一度すべての補助金を中止すべきだろう。成長や挑戦のためのカンフル剤の補助金活用は健全だしそうした事例は愉しくてむしろその場に居合わせたくなる。しかしもらえるものはもらっておけの安易な動機でリスクを負わずして経営ができるだろうか? 自然体でリスクを負わない経営ができるよう考えるのが経営のあるべき姿ともいえる。それを『おだやかな経営』として提案している。ただし申請書も書けない=分析とプロセスがない=ままで補助金をもらおうとしてもうまく行くはずはない。

(入れ替わり立ち替わりの「ちょっとお尋ね」を聞いていると次々と音溝をトレースするカートリッジ=レコード針の心境)

半月ほど前にスーパーで買ってきた65円のスミレ(園芸種だが名前はわからない)が
花が次々と開花して見頃となってきた。
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庭に移植したときにはなかったタカサゴユリが伸びてきて屋根のようになった。
日が当たるところとそうでないところがあるが、スミレにとって悪い状況ではないだろう。
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ヒイラギがルビーのよう
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拡大してみると精緻な構造が見える。
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青海波のような花の咲きっぷり。
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朝日を受けてスミレの姉妹たちが勢揃いしていると
植物図鑑から飛び出してきたよう。
そんな話題を起こしていかないとどうしようもない。
国や県に危機感がないのが心配だ。
杞憂に終わると良いが。

追記
久しぶりにニコンのカメラ(D7200+AF-S Micro 60mm f/2.8G)で撮影。
色の遷移が自然なニコンの画は気持ちが落ち着く。
特定の色が自己主張せずひとつのキャンバスに溶け込んでいるとでもいえる。
フジは濁りを除いて色を鮮やかにするが(記憶色)、
それが居心地の悪さにもつながる。
かといって往年のポジやネガの雰囲気を模してもそれが本質ではないような気もするのだが。
ここでのニコンはやさしい空気感だが臨場感、現実感のあるもの。
優れた性能とはほんとうにさりげないもの。
posted by 平井 吉信 at 21:48| Comment(0) | 家の庭

2021年04月24日

5月の別れ


風の言葉に諭されながら 別れ行く二人が五月を歩く、という歌い出しで始まる。

別離を決めている(暗黙の了解かもしれない)二人がどこかを歩いている。
それはきっと明るい森だろう。
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何があったかわからない。
幾たびのできごとを共有しながら紡いだ時間がそれぞれの思い出から切り放されようとしている。

冬から春の装いはことのほか風が感じられる。
草花や木々のためいきのような匂い、
見上げた空の高さがぽんと飛び込んでくる。
そこにぽつんといるあなたとわたし。

風が教えてくれるのは この世は変わって行くということ。
無常とは無情という意味ではない。
「風の言葉に諭されながら」とは自然のたたずまい、
自分たちも含めて「あるがまま」を受け止めなさいと教えてくれている。
これでいいの、これでいいのだ、と。

何もなくても無限の慈しみに包まれている感覚がわかるような気がした。
そんな心象を受け止める森の心を音楽にしたような楽曲。
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他人に提供した楽曲はそれぞれの演奏者がヒット曲をうたう感じになるが
作曲者本人がうたうと「作品」になる。

「Best Ballade」井上陽水

〔収録曲〕
花の首飾り
つめたい部屋の世界地図
いっそ セレナーデ
恋の予感
恋の神楽坂
リバーサイド ホテル
恋こがれて
結詞
自然に飾られて
ワインレッドの心
TRANSIT
背中まで45分
新しいラプソディー
5月の別れ
真珠
少年時代



「真珠」で夢を紡いでほろほろと溶暗していく時間を描き、
「少年時代」で締めくくる。
自然界の綾なす横糸と、人の心の機微を持つ縦糸を
少年の感性で老練な詩人が紡いでいく。それも艶のある糸(声)で。

売れることに注意を向けず楽曲の世界観を再現することに専念できる。
5月の別れを四月の宵に聴いている。
井上陽水は詩人の魂を持つ音楽家だから。


追記
コロナ下で苦しいのは誰も同じだが、それゆえにいっそう自分に注意を払うことが誰かを守ることにつながる。
わずかな光でも感じられたらそれが未来への希望へとつながっている。
破滅は再生へのきっかけ、苦悩は歓びの序章。

posted by 平井 吉信 at 21:09| Comment(0) | 音楽

飲食店のための感染症対策(宿泊施設の飲食部門にも)をPDFにまとめました


時短営業の要請、まん延防止等重点措置、そして緊急事態宣言と
飲食店経営には困難な局面が続いている。

飲食店は限られた席数で一定の客単価であるので
営業時間を絞られると売上は減少するしかない。
弁当やテイクアウト方式を採り入れる場合には厨房の改装や新たな設備が必要となる場面がある。国もそのために事業再構築補助金(予算規模1.1兆円)というこれまでにない規模の支援を用意している。

しかしこの補助金の申請は敷居が高い。
そこで申請書作成業者が跋扈するが良い評判は聞かない。

一方で国や業界のガイドラインを見ても現場での具体的な対策はうたっていない。
(「密を避ける」などとといわれても具体的にどうすれば良いのか…)

そこで科学的な根拠に基づいて現場に落とし込める対策を検討してみた。
座席数15程度、1人厨房オペレーションでもできうることを書いてみた。
もちろん規模の大きな飲食店にも当てはまる。
(大手FCの場合は本部主導ですでに実施済みが多いだろう)。
根拠となる資料も末尾に添えてある。

2020年度ではCOVID-19に対する知見が目まぐるしく変わった。
2021年では変異株が出現したが、対策そのものは抽出された感がある。
ワクチンと変異株の関係、感染力が増した状態では野外での飲食も感染のリスクがあるなど
今後も新たな知見が出てくる可能性がある。
(ワクチン接種率が上昇しても感染は収束しないというのが多くの専門家の見解)
その度に改訂をしていこうと考えている。
関係のみなさまに活用いただければ幸いです。

こちらのページからPDFはダウンロードできます。
https://www.odayaka-keiei.com/covid19-for-inshokuten

飲食店の経営はその業界のみならず一次産業やサービスの提供者にも関わってくる裾野が広いもの。
科学的な対策を施し、そのことを訴求してください。
国が推奨する時短営業などではなく本質的に安全な状況で業績の回復につながればと願っています。

posted by 平井 吉信 at 10:10| Comment(0) | 新型コロナウイルス対策

2021年04月17日

少し増水している日和佐川 水色は河畔林を映して流れる


春浅い日のこと。
日和佐方面に出かけたとき、日和佐川へ立ち寄ってみた。
うららかな陽光にほどされて河畔の森をトラバースして川に降りてみた。
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川は山裾を洗いながら河畔林(照葉樹や広葉樹)が影を落とす。

沢から流れ落ちてきた水が滝となる
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昼を食べる場所がなかったので予め買っておいたハンバーガー。
(いったい何年ぶりだろう。阿南市内の店舗は大賑わいだった)
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焚き火を見ていると飽きないという気持ちもわかるが
川の水面、水色(すいしょく)もまた然り。
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ここには沢から流れ込む滝、巨岩と淵、そこからの浅瀬と河畔林が続く。
人家はどこにもなく、道路からも見えない。
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川は流れる。
動画でもどうぞ。
https://youtu.be/6NWiwyRXRFA
posted by 平井 吉信 at 17:15| Comment(0) | 山、川、海、山野草

BREEZEが心の中を通り抜ける 40年目のロング・バケーション

BREEZEが心の中を通り抜ける 40年目のロング・バケーション

それは偶然だった。
インターネットを見ていると、ロングバケーションの40周年企画が出るとある。
A LONG VACATION VOX

初出は1981年3月21日だった(27AH1234=アナログLP初回プレスは手持ちにあるよ)。
「君は天然色」、よかったね。
どこかで聞いたようでなつかしく、けれど新鮮だった。
そうか、40年。

気付いたのは3月19日、発売2日前のこと。
予約を入れておこうとWebサイトを見るとすでに「完売」。
根気強く探すと家電量販店のWebサイトに在庫があった。
それも割引価格で。
時間の猶予はないと発注。

それで手元にやってきた。
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このなかにはA LONG VACATIONのすべてが詰まっている。
たっぷりの溝で切られたLP、
最新リマスタリングのCD、エピソード盤、初公開音源、さらに当時のイラストブックやポスターなどの宣材も復刻。
おお。
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音質についてコメントしておこう。
手元にある20th、30thとの比較から。
A LONG VACATION 20th Anniversary Edition
A LONG VACATION 30th Edition
A LONG VACATION 40th Anniversary Edition (通常盤)
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20thは、音の粒立ちを重視しつつ音像が迫ってくる。
30thは、立体感に乏しいが音場の自然な広がりとカセットテープを聞くような各楽器の一体感が特徴。
そして40thはというと、
これまでのマスタリングのいずれとも異なることが一聴してわかる。
声が伴奏から分離して浮き上がるのは過去の2エディションにはなかったこと。
音圧は明らかに30thより高く、中域の充実度、艶がある。
その反面、高域の音場感は30thがいい。
ほとんどの人は音の違いを聞き分けられると思う。
(ただしそれをコメントにするのは訓練が必要)

音圧の低めの30thはアンプの音量を上げると有機的な音の広がりが押し寄せて心地よい。
音色の色彩感は3種類のなかでは地味(モノクローム調)だが、Fレンジ、Dレンジは広いかもしれない。

40thはきらめきや透明感を持たせつつ音が粒立ち、モノクロームの思い出に色を付けている!
やや人工的な感じも受けるが、これはこれでいいじゃないか。
この夏にはSA-CDも出るようだからそれも愉しみに。

ぼくがもっとも再生したのもこのアルバムかもしれない。
だってまったく飽きることがない。
いまの音楽のつまらなさって、シェア(共感)を強いることだよね。
(言葉でいえば「〜じゃないですか」と同意を得るニュアンス)

A面の1曲目から3曲目まででリゾートに運ばれる。遊び心だね。
しっとりとしたB面の1曲目「雨のウェンズデイ」では天然色をモノクロに換える。
思い出の夏を回想するB-2「スピーチバルーン」の独白の深み。
固唾を呑んでいると3曲目「恋するカレン」に打ちのめされる。
B-4「Fun×4」でいったん終わらせて異なる場面「さらばシベリア鉄道」に導く幕引き。
ほんとうに同じことの繰り返し(こちらの感情)なのだけど
数千回目のロング・バケーションとなってしまったかも。

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ロング・バケーションには松本隆、大滝詠一の才能(魂)のぶつかりからほとばしる音楽がある。
松本隆のつぶやきがコピーとして残されている。
「生きる事が長い休暇なら どこまで遊び通せるか試してみたい気もする」
「音と絵と言葉の三角形で 俺たちのカレイド・スコープなんだね」

この格好良い世界観を大滝さんはリズムをぼかしてうたう。
伴奏との掛け合いを楽しむかのように。
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ぼくもいう。
「生きることが長い休みなら、どこまで愉しめるか試してみたい気がする」
(人生は愉しむためにあるよね)
「空と海と川のつながりで、ぼくたちの四国なんだね」
タグ:大滝詠一
posted by 平井 吉信 at 16:43| Comment(0) | 音楽

2021年04月09日

テネシーワルツと青い瞳のスミレ


眠りに就く前に柳ジョージを聴いていた。
夢のなかで「青い瞳のステラ 1962年夏」が繰り返された。

どんな理由かわからないが、異国の地(日本)に流れてきたブロンドの髪の女性。
赤いキャンディー、白いペンキ、夏の風と原色の色彩がたたみかける。
派手な化粧に濃いオーデコロンと生活はくたびれていたかもしれないが
子どもの俺を可愛がってくれた。
帰る(還る)ことのない故郷のテネシーを思いすすり泣きが聞こえる。
夜明けまでに彼女の哀しみは癒えるだろうか?
いまは港を見下ろす丘で静かに眠るその女性を偲んでいる、という情景に包まれる歌。
柳ジョージの声だからいい。この楽曲を収録した2枚組のLP「Woman and I」は名盤(CDの入手は難しくなっている。10代のぼくにこのアルバムの存在を教えてくれたのは年上の女性だった)。

日本のスミレが好きだが、自宅で眺めるために連れ帰ることはできない、したくない。
野に咲いてこそすみれ、だから。

ある日、近所のスーパーで小さな鉢に閉じ込められた一鉢の薄紫のスミレ(園芸種だが種類はわからない)に出会った。
65円…。
庭に離してやろうと思った。
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日本生まれでないかもしれないが
日本で育っただろう。
「テネシーワルツでも歌いましょうか」
そう言っているように見えた。

スミレに近づくのはハナアブ、おそらくホソヒラタアブ。
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近づいてみると多少メタリックな質感が印象的。
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羽を閉じると違った印象
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自生であれ植栽であれ、青紫の花弁に見つめられるとしゃがんでしまう。
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追記
柳ジョージの隣にaikoのカブトムシのシングルCDがあった(アルバムではなくシングル。だってこの曲だけで一つの小宇宙だから)。
久しぶりに廻してみると
感情のほとばしるうねりに息つく間もない数分。
意外なコード進行に導かれる旋律は歌詞に寄り添い一体化して
生き物(等身大のaiko)の息づかい。
そのまっすぐな強さ、その裏の切なさ。
ノンビブラートの歌唱、裏返る声、リバーブを排して聞かせる録音。
この人だけが書ける曲、歌えるうた。

でもぼくは「シアワセ」がさらに好きだ。
地球でふたりの刹那、一瞬が無限になり瞬間が無限に続くような幸福感を歌の世界で凝縮できるなんて。
(これもシングルCDで持っている)

タグ:aiko スミレ
posted by 平井 吉信 at 23:14| Comment(0) | 家の庭