2019年06月02日

水滴を宿した新緑の緑 フジフイルムで新緑を撮る 緑の色 碧の色 翠の色 


マニア向けの話だけど、
フジのデジカメは普及機を除いて
光を受けるセンサーの前に置くフィルターの配列が
一般的なカメラのフィルターと異なる。
デジタルカメラの色の再現性ではフジフィルムという声をよく聴く。
緑の深み、緑から青への階調の変化など他のデジカメでは味わえない。
これを裏付けるかのようなニュースがあった。

富士フイルム株式会社は5月23日、令和元年度全国発明表彰(公益社団法人発明協会が主催)において「周期性の低いカラーフィルター配列を用いたデジタル撮影素子の発明」で「文部科学大臣賞」と「発明実施功績賞」を受賞した、と発表した(以下から引用)。

https://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/1186100.html

仕事で上勝町を訪れた雨の日、ほんの一瞬の雨上がりに
X-Trans CMOSを採用したX-T2とX-T30で撮影した新緑。
(リサイズ以外はJpeg出力のまま無加工)

マニアックな話はさておいて
雨の滴を宿す葉のつややかな生命感に打たれる。
雨のすばらしさ、水のいのち、葉緑体の力、それを愛でる人の心が一体となって
写真が誕生している(作品というより「現実」)。

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追記
手渡しできる方に限り
第二世代のX-Trans CMOSを採用したX-E2(シルバーボディ)をお譲りしたいと考えている。
理由は最新型のX-T30を購入したためボディ3台は不要のため。
最新の第4世代のX-Trans CMOSセンサー搭載機と比べるとAFの早さが劣る。
植物などの静止モノはいいとして、動き回る昆虫などは合焦が難しい。
(これも慣れるとおきピン=予めMFでピントを固定してそこに来たときにシャッターを押す=でカバーできる)
後継のX-E3にはなぜかフラッシュが内蔵されていないが、
X-E2には内蔵されているので
カフェで料理を撮影する際にも重宝する。

X-E2 銀色の質感 → http://soratoumi.sblo.jp/article/92851475.html

中古相場を見ると状態の良いボディは4〜5万円程度なので
手渡しできる方に現物をご覧になっていただいて
箱、バッテリー、保証書(保証機関は切れている)をつけてお渡しできる。
(顔が見えないオークションには出品しない)
もちろん完動品。主として電子シャッターで運用していたので
メカシャッターの劣化は少ないと考えている。
センサー面の状態も良い。
レンズ別なので別途、購入が必要。
XC15-45mm F3.5-5.6 OIS PZがいいだろう。
https://amzn.to/2YVtJx0
タグ:上勝
posted by 平井 吉信 at 12:02| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2019年05月24日

猫の額ほどの庭にも生態系のせめぎあい


庭といっても広大な庭とは程遠い。
人間が通ることさえ難しい狭さ。
その庭から写真を撮ってここ数年発信を続けている。
ときにセミ、カマキリ、テントウムシがサナギから羽化したり、
昆虫だけでなくウシガエルが居座ったり。
夜には夜の表情もあるだろう(夜は興味がない)。

〇〇ガーデン、〇〇風庭園のような
秩序とデザインを重視される方はどう思われるか知らないが
ぼくはこの庭が好きだ。

タカサゴユリ(?)とネギと野菊が競い合いつつ共生している。
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こちらでは、キキョウと野菊のせめぎあい。
今年は日当たりの良い一角を大きな野菊が占拠した。
その陰で負けじとキキョウが伸びている。
前年はキキョウが占拠して野菊が間から顔を出していた。
このせめぎ合いは年によって変わるのだが
どのような変数が作用しているのだろう。
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スミレと言ったが、園芸種のヴィオラでは?
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同じ絵も小さなセンサーの富士X20で撮るとやさしい感じ。
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種子ができている。スミレの種を見るのは初めて。
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これも帰化植物のアカバナユウゲショウ。
白人女性が日本の木陰で立たずむ風情にも似て。
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ここは庭ではなくて那賀川の河川敷。
ナヨクサフジが席巻している。
数年前はこれほどの広がりはなかったと思えるのだが、
この植物は他の植物を寄せ付けないアレロパシーを持つ。
そのことが原因かもしれない。
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環境省の生態系に影響を与える外来種のリスト
https://www.env.go.jp/nature/intro/2outline/files/10_rist_a4_m.pdf

それでも朝起きて太陽の光を浴びながら
庭を見ると気持ちがなごむ。
posted by 平井 吉信 at 19:32| Comment(0) | 家の庭

2019年05月22日

ニホンカワトンボ


陽光を透かした葉に
宝石がとまっている、と思えた。
ニホンカワトンボかも。
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(勝浦川支流の立川にて)
タグ:勝浦川
posted by 平井 吉信 at 12:18| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2019年05月19日

足元の山野草に思いを馳せながら空に浮かぶアケボノツツジのあでやかさ 砥石権現

連休中の話題になるけれど
今年の連休はほとんどお金を使っていない。
家でいるよりは出歩くほうが多かったが
お金のかかるところへは行っていないし
外食もしていない。
(家にいれば料理三昧)

連休中は料理人は最善を尽くすのが難しい。
市場が休みになるなど原材料の調達とて難しい。
(料理をされる人への敬意として混む時期には訪問しないと決めている)
そこで生産者が直接出荷する直売所へと足を向けた。
これらは近隣の生産者ばかり。
このトマトは食べる前から甘みと酸味が高度にバランスして「濃い」ことがわかる。
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残念だったのは
いちごを家へ持って帰ると変質していた。
(おいしそうに見えるけど半時間の温度変化で傷んでしまった)。
連休前に収穫して冷蔵していたのだろう。
(連休中は人手が確保できないので出荷できないのだろう)
でも冷蔵して店頭に並べたらどうなるかを考えなければ。
(勝浦町内の著名な生産者だけに残念)

農産物には連休がないが流通が止まってしまうから
こんな事態になってしまう。
来年からは10連休などの一斉の休日は設けられないだろう。
(せいぜい3〜4連休程度でいい)

さてと、本編へ戻るとして
新緑を浴びに出かけた日が一日だった。
自宅からせいぜい1時間少々で登山口へ到着する。
いまは春の山野草の時期でもあり
アケボノツツジの咲く頃でもあり。
ということで、旧木沢村の砥石権現へと出かけた。
(砥石権現は山の名称であって神社ではない)

日射しは期待したほどではなく薄曇りときどき陽が射す感じ。
登山口は沢を遡行していく。
シコクブシ(トリカブト)の群落にシロバナエンレイソウが盛期。
ヤマシャクヤクはまだ蕾だった。
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苔に覆われた場所でミヤマカタバミの楚々とした白
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ネコノメソウは独特の色階調で存在感を訴求
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沢が近いのでサワハコベ
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ヤマウツボ
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今年は例年より花暦が遅れているようだ。
まだ新緑というには程遠い枯木のような森


紅一点のホソバノミツバツツジ
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葉が細いのでエイザンスミレか
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ワチガイソウとともに咲く 白と薄紫の対照
(ときどき走っている方がいるけれど、道ばたのワチガイソウなどは踏まれてしまう)
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このスミレは何だろう ナガバノタチツボスミレか?
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年々森が明るくなっているような気がする。
(特に地面。鹿の食害だろうか)
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オブジェのような岩、樹木
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樹木に寄り添う ハクサンハタザオ、オオバタネツケバナか?
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尾根に出るとカタクリが群生
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砥石権現の山頂を過ぎるとこの山の春の主役、アケボノツツジ
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(例年はミツバツツジと饗宴するが今年はミツバの開花が遅い)
アケボノツツジはあでやかだけど潔い色で日本的な感じ。
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楚々とした日本画のなかに洋画の色が混じっているような
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春霞の乙女といった風情
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艶姿なみだ娘といった風情
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姉妹デュオという感じ
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足元の小さな山野草を愛でながら下山。
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(まだまだ連休は続くと思っていたら10日間は早かったかも)
新緑を愛でる山の散策が一年でもっとも愉しい。
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春の砥石権現は和洋折衷の魔法をかけるのだ。
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posted by 平井 吉信 at 21:49| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2019年05月15日

小松島市役所からたぬき公園へ


所用で市役所を訪れた午後、
快晴の空に数年前に耐震補強された建物が輪郭を浮かび上がらせている。
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敷地内には壁にアート。どうやって誰が描いたのだろう。
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市役所から徒歩2分
駅前には名水があって「のぞみの泉」と名付けられている。
地下30メートルから汲み上げられる水を求めて列が絶えることがない。
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(JR南小松島駅構内には観光案内所がある)

歩いて北へ向かうと神田瀬川に架かる八千代橋。欄干にはヤマモモや花水木のレリーフ
神田瀬川の南岸にはフィッシュカツ、竹竹輪など練り物をつくっている会社が建ち並ぶ。
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たぬき公園(ステーションパーク)の一角に巨大なタヌキ像。
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月を背後に従えて堂々とたたずむ
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野良猫が立ち止まってこちらを眺める。何してんだ。
(野良猫にしては毛並みと体格が良い)
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オマエも暇な奴だな、人間に一瞥をくれて立ち去る
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(我が輩はヒトである。名前はまだない、と猫につぶやいてみる)

かつて国鉄小松島駅から放射状に通りが延び
なかでも川から2本目の二条通は目抜き通りとして
映画館、ハレルヤ本店、コトブキ食堂、大沢書店などで賑わった。
そのなかで古民家を大正館と名付けて有志が整備を行い
現在も拠点として使われている。
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月と鳶と樫の木を見ていると、強者どもが夢の跡という感じ。
でも小松島には港周辺に車が置けて
そこから歩けば用が足せる利便性がある。
かつて小松島港(新港と旧港)と国鉄小松島港駅・小松島駅(本駅)を軸に発展した
求心力がまちの構造に残っている。
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二条通でも大正館のある街区は歩行者専用として
道路の真ん中に自然の蛇行するせせらぎ(近自然河川工法による土砂の水路)を通してみたら
思いがける現れる蛍やメダカ、カジカの声などに魅了されて
人々が集まり、商業環境が劇的に改善されて実験的なことができる街区
(またはそのようなことを求める人たちが集まる街区)
になるのではないかと考えるけれど。
タグ:小松島
posted by 平井 吉信 at 23:23| Comment(0) | まちめぐり

庭の野草も競争を勝ち抜いて出現


おだやかな五月晴れが続いている。
東に面した小さな庭では
ネギが生えたりキキョウの芽が出たり
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野菊に孵化したテントウムシが歩いていたり。
種を蒔いたり苗を買っていないのに
自生してくるのが楽しい。
どこからやって来るのか、どこから飛ばされてくるのか。
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ムラサキカタバミの群落ができている。
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華やかなモモイロはアカバナユウゲショウという帰化植物。
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帰化植物は必ずしも歓迎されないが
それも含めてどのような勢力が定着するのか見ている。

参考までに、室戸岬で咲いていたのはヒルザキツキミソウ。
(別に室戸岬でなくて民家の植栽から流れてきたのだろう)
こちらも北米原産の帰化植物だとか。花言葉は「無言の愛」。
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秋になると見かける小さな桃色はハゼラン。
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(カエルがひなたぼっこしているのを見かけるようになった)
posted by 平井 吉信 at 21:47| Comment(0) | 家の庭

2019年05月13日

ある夫婦の苦しみ誰も救えず 崖に突き進む暗黒の時代


いつの時代でも心中はなくならないのかもしれないが、
個人番号が割り振られて個人が管理される時代にこのような事態が起こるようだと
政策が間違っているのではないか。

借金苦「死ぬなら一緒に」最期の旅3カ月 夫の悔恨と、妻が言い残した「郵便貯金」(毎日新聞)
https://mainichi.jp/articles/20190513/k00/00m/040/074000c?fm=mnm

ミスをしたら容赦しない社会、
なのに声を上げるべきところで第三者の振りをして関わらない。

宮沢賢治の言葉がふつふつと湧いてくる。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
(実はこの言葉は幸福論の本質を突いている。細胞のDNAレベルで検証しうることなのだけど)

物価が上がるのに所得は増えず、ここ十数年可処分所得が減少していること、
将来に対する不安が増大して消費に回らないこと(お金を使いたくない)、
内需が弱くて経済を牽引できないこと、
産まれたときの格差(経済格差)は死ぬまで消せない。
これがこの国の実態とすれば
秋に消費税率を上げる(生活苦の増大)、軽減税率を設定する(混乱)、それに商品券のばらまき(無意味の極めつけ)と悪政が続けばこの国を出たくなる。

怒りと哀しみを覚える事件が日々起こっているが
それらはほんとうに防げなかったのか―。
政治や行政がこんな状況なら
国を排除して地域自治を行うしかないではないか。
posted by 平井 吉信 at 21:21| Comment(0) | 生きる