2018年02月10日

子どもを大切にする国 特急のなかのほのぼのとしたできごと。南太平洋の子どもたちを思い出した


それは心なごむ光景だった。
特急うずしおの車内に
志度駅だったか
幼稚園(保育所?)の子どもたちが4人の先生の引率で
集団で乗り込んできた。

相席になる人に先生(保育士?)たちが
ひとこと断って子どもを座らせていった。
(どうぞ、どうぞ♪)
子どもたちもどうにか着席できたようだ。

そのなかのひとりの先生(20代半ばかな?)が
一人ひとりの子どもにほほえみを浮かべながら
やさしい所作と澄んだ声で呼びかけて
デジカメで写真を撮ってあげていた。
特急の車内が教会のような厳かな空気さえ感じた。
(スマートフォンでなくデジカメでしかもシャッター音を消して自然光で撮られていた)

その姿が天使のように見えて
仕事といえでも使命感を持って
(だからこそ)楽しんでやっている姿にほのぼのと。

心のなかで、その調子で♪
良い人生になりますようにと願った。

(川端康成の「バッタと鈴虫」に出てくる少女をもちらりと思い出した)

.。'.*.'☆、。・*:'★    .。.・'☆、。・*:'★
  .。'*・☆、。・*:'★     .。・*:'☆
 ☆、。 ・*'★ .。 ・':....*.:'☆        .。・:'*・':'・★

…ときは南太平洋ポリネシアにいた頃のこと。
滞在したボラボラ島(自炊していた)のオテマヌ集落の教会で
日曜の礼拝があり、10代半ばと思われる白いスカートの少女が
小さな子どもたちにマリアさまのようなおだやかな笑顔で接していた。
子どもを飽きさせないように留意しつつ読み書きを教えていたのだろう。
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この少女が天使のように見えた。
10代で諦念にも似たおだやかなほほえみをたたえて。
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(特急うずしおで出会った女性とも雰囲気が似ているので思い出した)

ヴァイタペ村にバスが着いた
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ターザンごっこ
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自転車買ってもらったんだね
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そんなにレンズに近づいても…。駆けっこ早くなったかな?
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愛くるしいムーシン・ダニエルちゃんももう大人になっているんだろうな
右は妹。よく面倒を見てあげていたね。
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乙女ですから
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鶴の折り方、覚えている?
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風がやんだ夕暮れ。ひとり旅っていいね
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観光地から離れた暮らしの匂いがいい
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無人島でのピクニックの記念に
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南太平洋高気圧 1020ミリバール?
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ラグーンのサメはおとなしい。泳いでいてよく囲まれた
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鳥の楽園への入口
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自転車で島を一周すると半日はかかった
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椰子の実を頭に当てると大変
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ボラボラ島の象徴、オテマヌ山
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環礁の外海はいきなり水深数百メートルに
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地球の休日を愉しんでいますか?
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マーロン・ブランドが所有するテティロア島にセスナをチャータして
そこから鳥の楽園に向かった
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ぼくがカメラを持っていると
洋の東西を問わず、日本の田舎を問わず
子どもが寄ってくる。
(警戒されない雰囲気を持っているのは強み? いや、子どもは瞬時に本質を見抜くのだろう)
そしたら一緒に遊ぶ。
折り紙はよく教えてあげたし
ペタンクに入れてもらったり、飛び込みをしたり。
同世代の人たちとはときに無人島に船でわたってピクニックにも行った。
岩に参加者全員の名前を書いているスナップがそのときのもの。
国は変わってもところは変わってもひとの心は同じなんだということを
身体で感じられたことがポリネシア滞在の収穫だった。
(年を取ってから何かをしよう、ではなくいまできるならいまやること。「若さの特権」は時間やお金で買えないよ)

どこも同じ。人は同じだよ。
そして夏は終わらない。永遠に終わらない。
楽園は、それを見ようとする心のなかにあるから。

(ミノルタX-700+MD28/2.8、35/1.8、50/1.4。いいなあ、この時代のカメラって。価格は安いのに完成された技術が凝縮している。このカメラは18年にわたって販売された。篠山紀信や三好和義も使っていたよね。ぼくが常用しているフジのデジカメではこの色は出ないのでなつかしくなる。こんなカメラ、いまの時代にある? ただしぼくが持っている2台のX-700は骨董ではなく完動の現役。ファインダーの優秀さは一眼レフ市場で最優秀。だからピントが合わせやすい。1/1000秒までに抑えたシャッターも安定感抜群で長年の使用に耐えるもの。ミノルタ最後のMF一眼レフとして産業遺産になってもおかしくないと思う。クラウドファンディングでミノルタブランドのデジカメってできないものかな?) 
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http://soratoumi.sblo.jp/article/61144747.html
http://soratoumi2.sblo.jp/article/182280055.html
http://soratoumi2.sblo.jp/article/181212781.html
posted by 平井 吉信 at 13:10| Comment(0) | 生きる

2018年02月07日

南フランスを思い出すとき フォーレやドビューシー、ビゼーの楽曲 上野由恵さんのフルートが冬の日本をプロヴァンスの風そよぐ季節に変える


パリの散歩道 フランス・フルート名曲集 上野由恵/三浦友理枝

雪に閉ざされる日本から、
常夏の島々を思い浮かべても遠い。
むしろ、地中海沿岸の光にあふれたおだやかな地方、
例えば、南フランスのプロヴァンス地方や
スペインのカタルーニャが思い出される。
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南フランスといえば思い出すのは
フォーレやドビュッシーの音楽。
フォーレの組曲「ペレアスとメリザンド」ならこんな情景。
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 真夏の立体がしたためるけだるく重たい空気に、少しずつ諦念にも似たさわやかさが混じりはじめる頃、沈まないと思えた太陽に翳りが差した。黄昏海岸の目に映る景色のなかで何かがささやいている。ぼくは自転車を置いた。

 手をかざしてみると、ガードレール越しに海が橙色に散乱していた。
 目を閉じると波が見えてくる。沈黙の間をそれとなく波の音が満たしている。波頭がくずれながら横へ平行移動するのと、戻ろうとする波が縦の方向でぶつかりあう。その音のずれが、ほとんど海と陸の境目のない空気の厚みを感じさせているのだと気づいた。
 引きずられてこすれあう石ころ。波の声はやはりここまで届いている。はるばる太平洋から届いた旅の終点は幾重にも重なった砂の拍手。それは、突然ゆっくりと起き上がるような調子で声をあげるのだから。

 夏の午後が落ちる前に最後にぶつけてくるため息のような情熱に包まれていた。ななめの残照が頬のほてりをなぐさめてくれるようだった。
 長く引いた影をたどると、そこにひとりの女の子がいた。白い半袖のブラウスは分水嶺のように正確に光を分けて、直射するところは光を突き放してオレンジ色に染まっていた。

 ぼくは目をそらさなかった。
 女の子も目をそらさなかった。
 そんな状態が一秒間続いたあと、どちらからともなくうつむいた。
 ぼくは手を差し出した。ところが、汚れているのに気づいてあわてて引っ込めざるを得なかった。
 自転車のパンクはもう修理できている。ぼくは目線を上げて彼女を見た。やはり少し淋しそうな表情に思えた。
 けれど、それは間違いだった。小さくてふくよかな唇がわずかに動いて、
「ありがとう」
 そう言うと、きりっと結んでいた口元がゆるんで白い歯が並び、瞳はさらに大きく開かれて微笑の静止画をとってみせた。
 その笑顔に心の裏付けを必要としないのは、彼女が両親から情愛を持って授けられたにちがいない、均整のとれた容姿を持つ女の子だから。そのことを彼女自身、直観で感じていたのだろう。だから、なるべく目立つまいと表情を抑えているのかもしれなかった。

 彼女が手を振った。

 草の根の大地に立って空を見上げた。ため息のような情熱が溶暗していくと、背景は少しずつ照明を落とし、星がひとつ、ふたつ、にぶい光を空間に放ち、しだいに明るさを増していった。
 ぼくは自分がどれだけ無力かを知っている。だからこそ、すばらしいものに会えるだろう。
 トレモロで刻む弦の上をハーモニーがサーっと拡がって始まった夏、輝いていた。

「空と海」から引用


ペレアスとメリザンドでは有名な「シシリエンヌ」も良いが
ぼくは第1曲の「前奏曲」が好きだ。
この音楽を聴いていると自然に湧き出した泉のような文章である。

初夏の朝に窓を開けて
アンセルメ/スイスロマンド管のレコートでよく聞きこんだもの。
光と影が降り注ぐような音楽。
https://www.youtube.com/watch?v=dgRtrTnMr1M
(目を閉じて聴いてみて)

そして午後になれば、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。
こちらは夏の午後の幻のような
それでいてめくるめく情熱と官能の極みを
時間軸の高まりで描いた10分弱の音楽。
ドビュッシーは天才的な音楽の詩人だね。
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これもアンセルメ盤で聴いたもの。
いまならデュトワ/モントリオール響がいいだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=z1GAaSP8Ku4

ところが昨年秋、南フランスを彷彿させる楽曲を
フルートで演奏する日本人女性のアルバムが発売された。
パリの散歩道 -フランス・フルート名曲集
フルート奏者の上野由恵さん。ピアノ伴奏は三浦友理枝さん。
https://www.yoshieueno.com/

上野さんは高松市(志度)のご出身とか。
そしてたびたび行くサンポート界隈でコンサートをされたこともあるという。
今年その機会があればぜひ行ってみたいと思う。

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南フランスといえば、ぼくが大好きで欠かせない曲がもうひとつあった。
ビゼーの組曲「アルルの女」から上野さんの演奏を見てみて。
https://www.youtube.com/watch?v=mRK4nIbUuX0

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フルートはピアノなどと違って人間の肉声に近い音の出し方をする楽器である。
彼女の奏でる音色の音が詰まった密度感とそれと相反する浮遊感、
早いパッセージでの情熱的な粒立ち、
空気の震えは心の震えを伝え、
湿り気を帯びた珠を転がすようなレガートが
フランスの香る楽曲を典雅に奏でる。
人生がこんなふうに流れていけばいいと思える
我を忘れる数分のできごと。
彼女のたたずむ姿も美しい。
ぜひとも実演に接してご本人にもお会いしたいもの。

アルバムの選曲の良さも光る。
ドビュッシー、フォーレ、ラヴェル、ビゼー、サティー
まったく予備知識なしに聴いても耳が歓びそうな曲がずらりと並ぶ。
それでいて彼女の持つテクニカルなメソッドを十分に発揮する楽曲も含まれている。

CDの価格はやや高い。
しかしこの録音には関係者の思いが詰まっているように思われる。
オクタヴィアレコードは、田部京子のモーツァルトピアノ協奏曲K488
すばらしい録音を世に出してくれた。
演奏の良さともあいまって
この古典の楽曲の天使のような美しさを引き出してくれた。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/179215570.html

空間の響きの良さをあますことなく捉えた録音は
おそらく化粧を施すのではなく楽器そのものの響きを
響きの良い空間に放って空間ごと閉じ込めたような録音。
CDが売れないといわれる時代に、
(3,200円という価格設定でも収益が出るかどうかと思われるのだが)
このような企画と成果を残した人たちへのエールを込めて紹介している。
CDを聴いた人の部屋(心の空間)に、どれだけ豊かな時間が流れ出すことか。


上野由恵さん、これからも良い音楽を届けてください。
posted by 平井 吉信 at 22:33| Comment(0) | 音楽

雪が舞う四国のJR 


西日本が寒波の到来に凍り付いている。
それでも出張は頻繁にある。
しんしんと雪のなか、朝が来た。
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そして牟岐線の普通列車が滑り込んできた。
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勝浦川も雪化粧
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里山の小川は空を映して凍える
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阿讃山脈を越える頃には盆地は雪に。
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ところが讃岐白鳥に差し掛かる頃には雪が消えてしまったが。

列島は凍り付いてしまった。
猛暑と極寒は温暖化の副産物かもしれない。

特急いしづちはこの車両が好きだ。
シートが良く電源も完備している。
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別のいしづちとすれ違った(台湾仕様だったかな)。
めずらしく東予もうっすら雪化粧。
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事務所の気温は6度。
でも仕事は仕事で。
冬のひとこまとして受け止めている。



posted by 平井 吉信 at 21:22| Comment(0) | 徳島

2018年02月04日

朝のお好み焼きから「生産性」を考える 料理も仕事も生きることも同じ

徳島といえば、大塚食品(ボンカレー)、徳島製粉(きんちゃんラーメン)がある。
ボンカレーはレトルトカレーの元祖だが、子どものぼくはおいしいとは思わなかった。
ルーのカレーでは、当時の家庭の定番はバーモントカレーという家が多かったと思うが
ぼくは満足しなかったので、あらゆるルーをためしてみた。

すると、ゴールデンカレー(中辛)がもっとも好みにあった。
ところがこのカレーにすると幼い妹が辛いといって食べない。
ぼくはバーモントカレーの甘口だけは食べたくない。
そこでカレーの日はルーを2種類用意して
ゴールデンカレーの分は自分でつくるようになった。
(いまでも使うけれど、レシピの7割程度のルーに抑えている)

今度は隠し味をためしてみた。
リンゴをすりおろしたり、はちみつをいれたり
コーヒーの粉、ケチャップなど、
理屈はわからないが、気が済むまで自分でやってみる好奇心旺盛な小学生だった。
餃子やホットケーキを焼くのも当時から家族のなかではもっとも上手だった。

見た目の盛り付けはどうでもいいと思ってしまう。
(どうせ胃袋に入ってしまうので)
料理をすることは好きで、むしろ楽しいといっても差し支えないけれど
時間はかけられない(やりたいことが多いので)。
冷蔵庫や野菜室を見てあまっている食材で
20分で3品程度をつくるというのが日課。

その際に出汁の素とか、○○の素は使わない。
旨味の足し算は味が濁ると気付いてからは
むしろ引き算に徹するようになっている。

そのことに気付いたのは
佐那河内で虎屋 壺中庵という料亭をされている岩本さんの手料理に接してから。
吉野川の河原で芋煮をするのだが
そのさい配を岩本さんがふるわれたことがあった。
メニューは地元佐野塚で採れたジイモを塩だけで味付けをした汁。
それが言葉を失うほど衝撃的だった。
素材の切り方、温度、入れる頃合いなど変数はそう多くない。
それなのにこれまで食べたことがない次元のおいしさだったのだ。

炊飯器で米を炊く、肉を焼く、野菜を茹でる、
といった誰がやっても同じ結果になりそうなことが
実は天と地ほどの差となる。
(できる人はこの言葉を決しておおげさとは思われないと思う)

炊飯器で米を炊くことさえ
ぼくが炊いたのとほかの家人が炊いたのでは質が違う(違いすぎる)。

うちは近所で特別栽培米をつくっている人から玄米を買って
毎日自家精米をして食べているけれど
おいしいご飯はやはりぼくが炊かなければ食べられない。
研ぎ方で、その際の水の使い方、浸し方(時間や温度)で変わってくる。

さらにいうと体調によって材料や調理も変えている。
身体が欲している食べ物を腸に届けるという感じ。

食は人の考え方、性格、体調、免疫力、つまり人生まで変えてしまう。
このブログから楽天的な生き方やユニークな洞察力、
自然への感受性を感じる人がいらっしゃるとすれば
その原点はまちがいなく日常の食にある。
(毎日どこかで外食していることを誇らしげにSNSに投稿する人は食の本質を身体が感じていないのだろう)

だから高校のときから体重や体型はほとんど変わっていないし
体力もさほど落ちていない。見かけも年齢よりは若く見える。
結局、アンチエイジングを突き詰めていけば、やはり食になるのだ。

かといって、オーガニック食材や特殊なサプリメントは買わないし買おうとも思わない。
ていねいにつくられた地元の食材や顔が見える食材であれば十分だ。

限られた時間を有効に活用しようとすれば
食をつくる生産性を上げることが人生の大切な要素と気付く。
(仕事の生産性も大切。特に製造業ではなくホワイトカラー。ぼくからみるとムダな作業をやっているホワイトカラーの生産性を上げれば=ここが経済のボトルネックと思いませんか?=日本の経済はもっと飛翔する)

早い話が戦略的な手抜きを行うこと。
成果に結びつかない作業はやらなくていい、
というよりやめるべき。
人生はプラスαしていくのではなく、
減らすことに意識を傾ける。
空いたところに成果につながる資源(時間、資金、意識)をつぎ込んでいくこと。

大きな組織では社長とか理事長とかの鶴の一声で現場が混乱する。
(経営資源を理不尽に動かすことがどれだけ生産性を下げるかわかるよね)
その反面、現場では不毛な合議(忖度)と冒険をしないありきたりの結論ありきで
絞りこんだ戦略を打ち出せていない。
それが今日の日本を招いている。
行政や大企業だけでなく政治もその片棒を担いでいる。
ゼロベースでリセットしてあるべき姿を描かないと未来はないよ。

おいしい料理をつくるために今度は○○を導入しよう、
こだわりの素材を使おう、
○○式の調理をしよう、
など手段だけに焦点を当てると
ここ十数年の日本と同じになるよ。

食べるとは何か(何が究極の目的=成果か)
その成果に至るには何が必要か(やらなくていいことは何か)
その成果に至る過程でどのような変数が存在するか
その変数における最適解はなにか

こう考えるべきなのに(以下はたとえですよ)
目標:「○○方式による○○の素材を3割以上採用した朝食を6割以上提供すること」

一見定量的に把握できるけれど、
成果に至る必要なこと、そうでないことの見極めが抜けているよね。
(料理もホワイトカラーの生産性を上げることも同義語とわかりましたか?)
仕事を依頼するなら言葉の定義ができる人、実行している人に依頼しなくてはダメですよ。
(適切な設問をつくることができる能力と言い換えてもいい)

日曜朝の料理の前振りでこれだけ語る人も希有、奇特な人でしょうけど
きょうはお好み焼き。
徳島市内の標高の高い場所で雪に耐えてつくられたキャベツをたっぷり食べたいから。

材料:キャベツ、小麦粉、レンコンパウダー(現在あるところで試作中のもの)、卵

広島焼きのように薄く広げた生地に
富士山のごとくキャベツを盛り上げる。
ひっくり返す前に生地をかけて
キャベツを蒸し焼きにする。
これで十分な栄養が採れるものが調理し始めて15分後には食べられる。

フライパンはリバーライトの26センチの鉄。

これだけで十分。
弱火から強火までリニアに温度が調整できる。
焦げ付くことはないがメイラード反応(焦げ目)を付けやすい。
テフロンでは時間かかって短時間調理ができない。
とはいえ、このお好み焼きも工程の9割は最弱火(生地が薄い点にご留意)。
最後はパリッとさせるために火力を上げる。
これが鉄でないとおいしくできない理由。
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見た目は悪いけれどキャベツたっぷりの後味良しのお好み焼きのできあがり。
(青海苔は日和佐産の青のりを使っている。品質管理がしっかりしていて安心して使える。道の駅日和佐やキョーエイで入手できると思う)
http://www.pref.tokushima.jp/takarajima/docs/2014012200349/
http://www.pref.tokushima.jp/takarajima/docs/2014012200394/

365日のほんのひとこまだけど食べることが大切なら
手間と時間をかけずにあるものを使って自分で作ること。
(食べ終わる頃にはほとんど洗い物も終わっている時短調理)

ゆうべは、窪川の生姜と鳴門わかめのスープをつくった。
(身体を温めるのがねらい)
具材はほかに余り物のシイタケが少々。
出汁と食感を楽しむために
トマトを半分に切って入れてある。
基本は薄めの塩味だけだが、
味付けは自分の器のなかで醤油を好みに応じて垂らす。
これも5分の時短料理。
(写真は撮っていない)

成果に結びつく生産性を上げること。やらないことはやらない。
(しかも「脱こだわり」&かっこつけない、あるもので自然体でやっていく)
そのほうが楽で愉しい。
posted by 平井 吉信 at 11:31| Comment(0) | 生きる

2018年01月31日

速報 皆既月食


現在進行中の皆既月食。
明日は出張なので皆既になったところで早めに切り上げた。

7×50の双眼鏡の視野で
月食が進むと星が浮かび上がってくるのが印象的だった。
皆既月食は双眼鏡が最適だ。

これは薄もやだが、月面のコントラストが弱められてクレーターのディティールがわかる
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もやが晴れた
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月食は進行していく
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肉眼でも赤道色の雰囲気が漂うがカメラはいち早く捉える
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あと少しで皆既
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皆既に突入。地球の影を月に投影する機会は心のごちそう。
月とともに星が写っているのがわかる?
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…危ないところだった。
わざわざ電話で報せてくれる人がいなかったら
仕事をしていてうっかり忘れるところだった。
(会議欠席で皆既月食で回避血色=意味不明)

(ニコンD7200+AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR)
posted by 平井 吉信 at 22:31| Comment(0) | 山、川、海、山野草