2024年2月に海部陽介博士が来徳されたとき、文化の森で講演会が開催されたことは以前にも書いた。その会場で質問すべく手を上げようとしていたら、前の質問者が原理主義的なつまらない質問を延々と繰り返し、時間切れとなって順番が回ってこなかった。そのとき、ぼくが尋ねたかったのは「台湾と大陸の間の澎湖水道で発見された「アジア第4の原人」について、現時点で追跡調査はなされているか? 差し障りのない範囲でお話を」という趣旨を描いていた。
→ 短波受信の代わりにインターネットで聴く海外の日本語放送 まずは台湾からはじめてみては?
そして2025年4月10日付のアメリカの科学雑誌『サイエンス』発表で明らかとなったのは、澎湖水道の原人は「デニソワ人」であった。台湾は、ホモ・サピエンスが太平洋の島嶼部へ進出する拠点となったことが知られているが、デニソワ人も台湾にたどり着いていた。
→ −台湾最古の人類化石はデニソワ人男性の下顎骨だった−(東京大学)
→ A male Denisovan mandible from Pleistocene Taiwan(サイエンスに投稿された元記事)
おそらく海部博士は、骨を見て直感で何かを感じられたはずだが、遺伝子解析の結果が出るまでは口にはされないかもしれないと思っていた。メラネシア人にデニソワ人の遺伝子の痕跡が多いということは、東南アジアで交雑したと考えるのが自然だが、その方面ではネアンデルタール人はもちろんデニソワ人も見つかっていなかった。
それにしても人類進化は不思議だと当の海部さんも思われたに違いない。当初の「第4の原人」と名付けたのは屈強な下顎から判断されたのだろう。人類は進化の過程で調理技術の進歩で強い咀嚼が必要なくなって顎が華奢になっていくからで、原人と名付けたのはアジアのホモ・エレクトゥス(北京原人、ジャワ原人)に近い存在と見ていたのかもしれない。ネアンデルタール人と共通の祖先から分かれて数万年前まで地上に存在した人類ということになれば、骨格の屈強化は先祖帰りともいえる。
インドネシアのフローレス島では、外部からの流入が途絶された環境で、この島の生物は限られた食物で生きていくため大型種は小型化して適応し、小型種は天敵がいなくなることで大型化していく島嶼化が起こっている。百万年ほど前になんらかの方法フローレス島にたどり着いたジャワ原人(ホモ・エレクトゥス)が30万年ぐらいの間に身長1メートル少々の小人(ホモ・フローレシエンシス)に進化したのも驚き。人類揺籃の地はアフリカであっても、アジアは人類進化の実験場のような場所だった。
台湾と大陸との間が陸続きになっていた(寒冷期)のなら、澎湖諸島(台湾)にいたデニソワ人が日本列島に渡ってきた可能性もあるのではと考えたりもする。デニソワ人は、ネアンデルタール人と混血の証拠が発見されているし、ホモ・サピエンス(現代人)にも遺伝子が見られることから祖先とも混血していた。なかでもアボリジニやメラネシアの人たちにデニソワ人の遺伝子が多いとされる。デニソワ人とネアンデルタール人の交雑、デニソワ人とホモ・サピエンスの交雑からさらに地域的に多様化していったデニソワ人亜種の可能性もある。
今回の台湾の澎湖人がデニソワ人と確定したことは南デニソワ人仮説を持ち出す必要がなくなったということかもしれない。その反面、デニソワ人の振れ幅によっては南デニソワ人仮説は依然として検討を続けるべきかもしれない。アジアのホモ属の進化から目が離せない。
中国の南部の海岸もしくは台湾から舟でこぎ出すと、黒潮が行く手を阻んで沖縄/八重山にたどり着くのは容易ではないことがわかっている(自然の状態では海流任せでは漂着しがたい)。それゆえ手こぎの舟で黒潮を横断する必要があったが、海部陽介博士の試みはそれが可能なことを実証した。
デニソワ人には、まだ学名「ホモ・○○」が決まっていないが、ホモ・サピエンスやネアンデルタール人と交雑していたことから、近い関係であることは間違いない(交雑して子孫が続いていくから遺伝子に情報が残っている)。
異なる人類種でさえ、調和することができたというのに、自分たちの国が損した得した、国境がどうだ、同盟がどうしたなどと流血を繰り広げる21世紀のホモ・サピエンスは、終焉に向けての序曲を奏で始めたのではないか。今日の地球に、同胞(ネアンデルタール人、デニソワ人)がいないことを寂しく思うのである。
