2025年04月11日

台湾と大陸の間で発見された19万年前以降の人骨 デニソワ人と判明


2024年2月に海部陽介博士が来徳されたとき、文化の森で講演会が開催されたことは以前にも書いた。その会場で質問すべく手を上げようとしていたら、前の質問者が原理主義的なつまらない質問を延々と繰り返し、時間切れとなって順番が回ってこなかった。そのとき、ぼくが尋ねたかったのは「台湾と大陸の間の澎湖水道で発見された「アジア第4の原人」について、現時点で追跡調査はなされているか? 差し障りのない範囲でお話を」という趣旨を描いていた。

→ 短波受信の代わりにインターネットで聴く海外の日本語放送 まずは台湾からはじめてみては?

そして2025年4月10日付のアメリカの科学雑誌『サイエンス』発表で明らかとなったのは、澎湖水道の原人は「デニソワ人」であった。台湾は、ホモ・サピエンスが太平洋の島嶼部へ進出する拠点となったことが知られているが、デニソワ人も台湾にたどり着いていた。

→ −台湾最古の人類化石はデニソワ人男性の下顎骨だった−(東京大学)

→ A male Denisovan mandible from Pleistocene Taiwan(サイエンスに投稿された元記事)

おそらく海部博士は、骨を見て直感で何かを感じられたはずだが、遺伝子解析の結果が出るまでは口にはされないかもしれないと思っていた。メラネシア人にデニソワ人の遺伝子の痕跡が多いということは、東南アジアで交雑したと考えるのが自然だが、その方面ではネアンデルタール人はもちろんデニソワ人も見つかっていなかった。

それにしても人類進化は不思議だと当の海部さんも思われたに違いない。当初の「第4の原人」と名付けたのは屈強な下顎から判断されたのだろう。人類は進化の過程で調理技術の進歩で強い咀嚼が必要なくなって顎が華奢になっていくからで、原人と名付けたのはアジアのホモ・エレクトゥス(北京原人、ジャワ原人)に近い存在と見ていたのかもしれない。ネアンデルタール人と共通の祖先から分かれて数万年前まで地上に存在した人類ということになれば、骨格の屈強化は先祖帰りともいえる。

インドネシアのフローレス島では、外部からの流入が途絶された環境で、この島の生物は限られた食物で生きていくため大型種は小型化して適応し、小型種は天敵がいなくなることで大型化していく島嶼化が起こっている。百万年ほど前になんらかの方法フローレス島にたどり着いたジャワ原人(ホモ・エレクトゥス)が30万年ぐらいの間に身長1メートル少々の小人(ホモ・フローレシエンシス)に進化したのも驚き。人類揺籃の地はアフリカであっても、アジアは人類進化の実験場のような場所だった。

台湾と大陸との間が陸続きになっていた(寒冷期)のなら、澎湖諸島(台湾)にいたデニソワ人が日本列島に渡ってきた可能性もあるのではと考えたりもする。デニソワ人は、ネアンデルタール人と混血の証拠が発見されているし、ホモ・サピエンス(現代人)にも遺伝子が見られることから祖先とも混血していた。なかでもアボリジニやメラネシアの人たちにデニソワ人の遺伝子が多いとされる。デニソワ人とネアンデルタール人の交雑、デニソワ人とホモ・サピエンスの交雑からさらに地域的に多様化していったデニソワ人亜種の可能性もある。

今回の台湾の澎湖人がデニソワ人と確定したことは南デニソワ人仮説を持ち出す必要がなくなったということかもしれない。その反面、デニソワ人の振れ幅によっては南デニソワ人仮説は依然として検討を続けるべきかもしれない。アジアのホモ属の進化から目が離せない。

中国の南部の海岸もしくは台湾から舟でこぎ出すと、黒潮が行く手を阻んで沖縄/八重山にたどり着くのは容易ではないことがわかっている(自然の状態では海流任せでは漂着しがたい)。それゆえ手こぎの舟で黒潮を横断する必要があったが、海部陽介博士の試みはそれが可能なことを実証した。

デニソワ人には、まだ学名「ホモ・○○」が決まっていないが、ホモ・サピエンスやネアンデルタール人と交雑していたことから、近い関係であることは間違いない(交雑して子孫が続いていくから遺伝子に情報が残っている)。

異なる人類種でさえ、調和することができたというのに、自分たちの国が損した得した、国境がどうだ、同盟がどうしたなどと流血を繰り広げる21世紀のホモ・サピエンスは、終焉に向けての序曲を奏で始めたのではないか。今日の地球に、同胞(ネアンデルタール人、デニソワ人)がいないことを寂しく思うのである。

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posted by 平井 吉信 at 23:12| Comment(0) | 趣味

2025年04月10日

遅い午後、のどけき陽気(とくしま植物園)


この時期は日に日に昼間が長くなっていく。夏至まで2か月を切っているのである。桜が見かけるたびに姿を変えていく時期でもあり、春爛漫といったところ。

寒くもなく暑くもなく、昼間の陽気の名残が後を引く時間帯とでもいうか、日没までまだあるけれど、西に傾いた斜めの陽差しがのどかに支配する時間。
こんなときは、とくしま植物園。一日の身心張り詰めた凝りをほぐすように来てみたくなる。
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特にこれといって見るものがないからこそ、何度でもここに来る、ということがある。この場所はそんなところ。
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そして、スミレ。公園の土手に群落があった。スミレ(Viola mandshurica)、ノジスミレ、アリアケスミレが紫と白の対照。仲良く並んでいるのもある。
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アリアケスミレが群生していた
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ノジスミレとアリアケスミレ。異種が会話しているようだ
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ノジスミレ
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スミレ(Viola mandshurica)
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美形のアリアケスミレ
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これだけの密度で咲いていることはなかった。ユキワリイチゲもそうだったが、今年はスミレの当たり年かもしれない。それにしても、植物も人も、いまいる場所で咲いている。


追記
ここも徳島の良さを実感できる場所。邪馬壹国阿波説を考察していて思うことは徳島は食材の宝庫という点。阿波の国は古事記にも大宜都比売(食材の女神)になぞらえているように、吉野川、勝浦川、那賀川といった大河が紀伊水道に流れ込み、陸ではミネラルを供給して肥沃な土地を、海底には同じく肥沃な砂地を形成する。蒲生田岬から南は黒潮洗う太平洋があることから、瀬戸内海(鳴門)を含めて3つの海域の魚種が手に入る。川がつくりだした沖積平野は肥沃な田畑を形成、急傾斜地の地形ではそれにふさわしい雑穀を産する。香酸柑橘も豊富(質量とも)。つまり食材に困らない国だったことがわかる。

邪馬壹国はどこにあったって構わないけれど、全国にこれだけの多様な生態系からの豊富な種類を食材を提供できる土地は大昔からいまに至るまでそう多くない。生態系の多様性と食材の宝庫は不確実な時代を生きぬく源になるのではと考える。「徳島にはなにもない」と思う人、何もないのに生きていけるとしたら、それが幸福の前提となるのではと提案するけど、響かない?

posted by 平井 吉信 at 00:02| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2025年04月07日

穴吹川に照るサクラとコスミレ 還らぬ人たちの鎮魂歌


四国一の清流(ということは全国一といっても誇大ではなさそう)穴吹川は、剣山の北東斜面に源を発し、木屋平村を抜けて穴吹町を経由して吉野川中流域に合流する

その中流域は隘路が多く、運転には気を付ける必要がある。川へ降りられる場所も下流部を除いては限られているが、目の保養になる。

かつて月刊アウトドアの表紙の撮影のため、カヌーエッセイストの野田知佑さん、カメラマンの渡辺正和さん、編集長の藤田順三さんらとロケハンで穴吹川をめぐったことがあった。あのときの穴吹川は状況が特によく、野田さんの言葉を借りれば「川は少し水深があるところでコバルトブルーに沈んだ」。
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夜にキャンプしたときも川に入ったが、ヘッドランプの光に照らされた「存在感のない水」が印象的だった。穴吹川の口山潜水橋は絵になるので第1候補と考えていた。車が通れるかどうかの細い橋だが、上流を望めば竹林が水衝部にあり、なかなかいい。

カメラマンの渡辺さんは、スキー写真の第一人者である。心配された曇り空も午後から陽射しがこぼれるようになり、それとともに撮影中の渡辺さんの顔からも笑みがこぼれた。本人にしかわからない感興の時が訪れているようだった。一緒にシャッターを切っていたぼくにもその気持ちは伝わってきた。被写体と無心に向かい合い、突然のシャッター音ではっと我に帰る…そんな時の写真はいい。撮影後、渡辺さんの大切な一枚を見せていただいた。それは、野田さんたちと奄美大島を訪れたときのこと。早朝誰もいない渚をガクとふたりで散歩する野田さんが砂浜に残した足跡の写真である。画面からえも言われぬ魂の遊びが伝わってきた。

渡辺さんは2011年に長良川で取材中に川へ入って撮影中に流されて亡くなられたとその後に聞いた。ぼくの手元には長野五輪の公式写真班を務めた渡辺さんの「シュプール」という山スキーの秀麗な写真集がある。前年の姫野雅義さんといい、なんともやりきれない事故が続いた。

2025年の春、穴吹川の中流域と河畔の桜を目的地への道中で見た。ここは口山潜水橋
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渓谷となった穴吹川中流部
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タチツボスミレって思う人もいるかもしれないが、コスミレ。最初はどのスミレも同じように見える。そのうち図鑑を片手に比べながら見るけど、微妙な違いがまだ判別できない。ところが数百数千と見てくると、ぱっと見て感覚的に違うとわかるようになる(機会学習/Pattern recognitionを重ねる画像認識AIに似ている)。この出で立ちは大陸系でしょう(そう見えませんか?)
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幾年月の思いがめぐる。春の花と水辺を、還らぬ人たちに捧げたい。
posted by 平井 吉信 at 23:42| Comment(0) | 山、川、海、山野草

神山森林公園から西龍王山経由の周回コース サクラとスミレが愉しめる


いまは命名権で「イルローザの森」と呼ばれる神山森林公園は、桜の季節には大勢の人で賑わう。桜の密度は低めなのだけれど、開放的な雰囲気で身体を動かせる愉しさがあって、サクラ以外でもというのがほかの花見にはないところ。

桜だけなら道中の公園周辺がよいと思うけれど、開放感があるのはやはり上のほう。神山森林公園は徳島市近郊にあって、標高300メートル半ばの丘陵地帯を整備してつくられている。それゆえ山上とは思えない運動公園となっている。駐車場から北をめざして上がっていけば丘の上に出る。ここから眼下に徳島市一宮町周辺の鮎喰川やゴルフ場、さらに気延山から西へ延びる尾根を超えて吉野川平野が見渡せる。ルートを尾根沿いに東へ採ると西龍王山(495m)、さらに尾根を東南へ歩みを進めるといったんは車道に出て東龍王山(408m)へと到着する。西龍王山を経由して時計回りに駐車場へと戻る周回コースは風光明媚で春の散策にひたれる。あとは写真で。

中腹のソメイヨシノ、タチツボスミレ
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公園の広場はボールを投げたり蹴ったり地面に座ったり思い思いに過ごす人たち。マダニ予防のため、シートを使うことと虫除けスプレーを衣服にしておく。公園にはしだれ桜や樹木の迷路もある

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北の丘の上から見下ろす鮎喰川の屈曲点が印象的
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よく整備された尾根の散策路を東南へと歩けば展望台
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ツツジも目の保養
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足下にはシロバナシハイスミレが群生
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さらに進むと西龍王山へと直登する分岐がある
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山頂には八大龍王の鳥居
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散策路は分岐が至るところにあるが、どこを降りても公園にたどり着く設計になっていると思われる。やがて公園へと降りてくる
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再びサクラを見る
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スミレは色の濃い鮮やかさ。図鑑で見るような典型的な(絵で描いたような)ニオイタチツボスミレ
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徳島市南部の文化の森からも近い。徳島市南部は、丈六寺や古墳のある渋野地区、植物園や動物園、さらには五滝や中津峰などがあって、半日の休みを過ごすには良いところ。
タグ: スミレ
posted by 平井 吉信 at 23:13| Comment(0) | 山、川、海、山野草

オキナグサとスミレ(Viola mandshurica)


河川環境にこんな植物が自生しているとは…。
最初見つけたときは驚きだった。写真では鮮明に写っているが、ぼんやりと見ている人には見つけられないおぼろげな存在であることも確か。オキナグサはそんな二面性を持っている。園芸種のクリスマスローズに似ている。
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同じ場所で岩の隙間とか砂地に咲いているのがスミレ(Viola mandshurica)。日本固有の種のように見えて、実は渡来系。なんだか弥生人のようだ(縄文人と弥生人が別の種とも思えないが)。
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タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 22:25| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2025年04月05日

近所のサクラとスミレ2025年4月


立江の夫婦桜(小松島市)

市山煙火商会さんのご好意で見せていただいている。楽しい動物たちも置かれている
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岩脇さくらづつみ公園と桜の馬場(羽ノ浦町)

昔からの桜の名所である桜の馬場とその近くに整備された親水公園の桜。桜も良いがスミレも気になる
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墓地の近くの路傍に咲くスミレ(Viola mandshurica)
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側弁や葉には毛がなく葉が厚い。海からかなり離れた内陸部の民家の脇だけど、アツバスミレだね
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上大野の土手のサクラ(阿南市)

那賀川の午後はのどかだ
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熊谷のしだれ桜(阿南市)
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(フジX-T5+XF16-50mmF2.8-4.8 R LM WR)
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posted by 平井 吉信 at 13:22| Comment(0) | 山、川、海、山野草

神保町のあの名店のカレーに近づけるかも


ぼくのカレーづくりは子どもの頃に遡る。好奇心が高じて小学生の頃には一通りの料理はできるようになっていた。どういうわけか、うちの台所は広くて冷蔵庫から電子レンジまで6メートルある。調理器具の主力はガスだが(オール電化にしないのは災害対応のため。アウトドア用の持ち運べるガスバーナーが2機、イワタニのガスカートリッジの高出力機が1台と災害対策も万全)、炊飯器は6台(炊飯専用と保温専用の真空炊飯器、米以外の調理用、マスク乾燥用など)、両面グリルプレート(肉専用)、サンヨーのスチームコンベクション、温度調理電子レンジ2台、オーブントースター1台、スロークッカー1台、ホットデリ2台、精米機1台などが揃っているが、いずれも廉価で全部合せて10万円ぐらいかな。それに測定器(非接触赤外線温度計、芯温計、スケール2台)やタイマー4台が稼働中。

仕事は夜中までやっているが、その合間で調理するのは心がなごむ。といっても、のんびりやっているのではなく、調理中は厨房を走り回る(飲食店のよう。仕込みが終わるとまた仕事に戻る)。調理をすると運動ができる一石二鳥である。

ぼくはグルメでないので外食はほとんどしない。家でつくるので満足していることもある。家人からカレーのリクエストがあったので、きょうは新しいルーを使ってみることにした。それがグリコのZEPPINという商品。

近年の製品改良で減塩仕様となったという
https://with.glico.com/infocenter/column/report.html?number=54748
https://cp.glico.com/foods-tasty/
減塩リニューアル後の商品を、Amazonのレビューを見ると評価が二分されているが、この商品をどう捉えるかで食生活のタイプ、ひいては人生の健康をある程度予測することができると思う。

時間短縮のため、タマネギは炒めず電子レンジとホットデリで仕上げていく。始めて使うルーの味見をしてみると、「これはいける」。ルーはもちろん煮込まない。火を止めて入れて5分放置してかきまぜると、やや冷めるので少し温めて仕上げの香辛料を入れて混ぜたら火を止める。この味だったら、神保町のカツカレーの名店「南海」に近づけるのではとひらめいた。

これはキッチン南海のカツカレー。列はかなり長かったが時間は10数分で順番が回ってきた。黒いカレーが食欲をそそる。大盛りのキャベツも特徴。同店は閉店されたが、後継の店もあるようだ
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旨味の冗長さで味が濁るので、頭のなかで味を描く。酸味を付加したいので(南海風ではないが)トマトを入れる(南海のカレーは野菜の旨味が濃厚だが酸味は尖っていない)。素性が良いので足し算が違和感なくできていく。隠し味に高橋ソース(カントリーハーベストのウスター)を加えると少し南海に近づく。仕上げはガラムマサラで香辛料感を出してできあがり(色彩を黒くするのはできなかった)。写真ではおいしそうに見えないがそれが普段の家庭料理の良さでもあり「絶品」というよりは毎日食べられる吸い込まれ感を究めたという感じ。気に入ったので今度は別のアレンジを施してみよう。
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あり合わせの豚のこま切れ肉や野菜でつくったので見栄えは良くないが、何杯でも食べられるカレーに仕上がった。ハウス印度カレーなどとともに、専門店の風味に近づけるベースとしてはとても良いと思う。


posted by 平井 吉信 at 00:22| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ