引田のうどん店に立ち寄ったあと、長尾街道を経由して脇町へと抜ける道中のこと。
東讃の内陸部(長尾街道より南)はあまり通る機会がなかった。
香川県はどこを通っても道路が充実している。
大窪寺への分岐点を過ぎれば塩江からの国道193号を合流するようだ。
四国巡礼の結願の寺、大窪寺へはまだ行ったことがない。
いったん分岐を過ぎたが引き返して左折すると、
「
天体望遠鏡博物館」の標識。
中学の頃、天文学者になりたかった。
家には現役の高橋製作所の名機10センチ反射赤道儀がある。
「星夜と夢世界のかけはし 高橋製作所の10センチ反射赤道儀1型」
http://soratoumi.sblo.jp/article/103820382.html旧長尾町(現さぬき市)の多和地区の小学校校舎に
全国の公設私設の天文台や個人が使っていた望遠鏡を収蔵している全国で唯一の施設のようだ。
自治体の方針で観測施設が閉鎖されたり
故人となられた家族が愛用していた望遠鏡などが廃棄されることがある。
そのような望遠鏡を救出して展示、場合によっては再活用しているのがこの施設。
週末のみの開館でそれもボランティアスタッフで運営されているという。
(入場料300円)
天体望遠鏡博物館 http://www.telescope-museum.com/
公設天文台などの望遠鏡が並ぶ1階メイン展示場

法月技研の60センチフォーク式反射赤道儀。口径だけでいえば収蔵品のなかで最大。

ニュートン・カセグレン焦点切り替えの40センチ反射

昭和初期に京都の花山天文台で使われたカルヴァ望遠鏡

日本に3台しかないとされるユニトロン(日本精光研究所製=口径155mm F16)

ミカゲ光機の35センチ反射
アマチュア天文家で校長をされていた方からの寄贈だという

五藤光学の15センチアクロマート屈折赤道儀。
通っていた中学には五藤光学の20センチ屈折があり
M42を見たときのあまりのまぶしさ(20センチの集光力!)に驚いた。
土星のカシニの空隙も忘れられない(土星の輪の隙間)。

口径とはレンズ、反射鏡の有効径。Fは焦点距離に対する口径比のこと。
反射望遠鏡は鏡で反射した光を一点に集めるので反射して集まった光を観るために別の方向へと導く副鏡が必要となる。アマチュア天文家でも安くて口径の大きな望遠鏡として反射望遠鏡を自作、購入が多かった。天文台級は反射望遠鏡が主流。
屈折望遠鏡はレンズによって光を集めるが、光がレンズを通すと分光作用などを生じて像のふちが滲んだりする。そのためガラス素材を工夫して低分散、異常分散、蛍石などを用いてレンズ枚数も2枚、3枚、4枚と組み合わせて収差を補正する。さらに補正レンズと組み合わせて広視界化したり視野を平坦化したりするなどの合わせ技が可能で近年のアマチュア望遠鏡は屈折式が主流。屈折式は鏡筒が閉じているため気流の影響を受けにくく反射鏡と違って数年ごとのメッキが不要のメンテナンスが容易。それでも口径15センチ以上はレンズの開発が難しくあっても高価である。
アマチュアの憧れであったニコンの屈折赤道儀。
小口径でも高価であった。

五藤光学のコーナー
五藤光学と西村製作所は当時の日本の天文台やハイアマチュアの機械であった。

反射望遠鏡といえば西村製作所。曲線を多用した優美なデザイン。
木辺鏡が装着されることが多かった。

別室ではアマチュア望遠鏡のコーナー。
全盛期には望遠鏡メーカーが日本に数十社あったように思う。
これはそのなかでも高い人気の高橋製作所。ベストセラーのEM-200赤道儀。

高橋の機材が少ないのは手元に置いておく人が多いせいかも。
(うちの10センチ反射赤道儀も高橋)
これもなつかしいミザールの反射屈折式15センチCX-150型。
http://www.mizar.co.jp/product/view/295補正レンズを用いて収差を補正しつつ口径比を伸ばしたもの。
鏡筒が軽量なので赤道儀が小さくて済み手頃な価格に設定された。
当時の日本の望遠鏡でも意欲的な設計。

驚くなかれ現在も販売されている。ただし価格は1/3程度。
http://www.mizar.co.jp/product/view/30(おそらく部品は日本製ではないだろう)。
でも、会社が健在なのはうれしいことだ。
スライディングルーフの観測室には観測用の機器が並ぶ。
ほら、あのサンダーバードと同じで屋根が電動で動く(少しだけ開けていただいた)

簡易な構造ながら安価で大口径を得られるドブソニアン。
30センチを分解して持ち運べる。ただし微動装置がないため高倍率は難しい。

ずらりと並ぶミザールの屈折望遠鏡
廊下に立たされた生徒のようだ。
かつてこの小学校で授業が行われていた日のように。

アストロ光学の15センチF8.7の反射。
赤道儀がやや華奢(振動に弱い)に見えたが
口径が大きく手頃な価格で人気の望遠鏡だった。

ほら、これを見て。
ビクセン、アストロ光学、カートン光学、エイコー、ケンコーなど。
当時の天文雑誌には部品を組み立てて望遠鏡を販売していたパノップ光学、
ダウエル、スリービーチがあったな。
天文ガイドや天文と気象の広告がよみがえるよう。

ペンタックスはもちろんカメラメーカー。
色消しのアポクロマートなど凝ったレンズを使って星夜写真がねらえる。

西村誠作所のフォーク式経緯台。工業デザインとしての美しさにしびれる。
口径比6ぐらいの鏡を付けて銀河面を広視界アイピースで流してみたくなる。


ちなみに皇太子さまは、
旭精工の13センチ反射経緯台(アスコスカイホーク130型)をいまもご使用されているようだ。
(絶妙の選択! 機動性と観測回数、取り回しやすさと見え味、しかも高価なものではないが品質感が高い)
星空を流すのにも惑星を見るために
庭やベランダに持ち出すにも堅実かつ実用性の高い機種で
高額な機種ではないが皇太子様のご見識の高さと
ものを大切にされるご様子が伝わってくる。
https://ameblo.jp/ic2177/entry-12355212318.html倉敷在住の本田實さんは彗星捜索家として知られていた。
その本田さんが彗星捜索に使った屈折望遠鏡。
生涯に12個の彗星を発見された。
不思議なのは奥様のお名前が慧さんという。

木辺成麿さん。滋賀県の寺の住職だが、反射鏡制作の名人として知られた方。
(成麿とは鏡を磨くために生まれたようなお名前である。先の本田夫人といい不思議だ)
木辺さんの鏡は木辺鏡といわれ、最高の見え味といわれた。

木辺氏亡き後の名人は苗村敬夫さん。苗村鏡の名で知られた。
九州のアマチュア天文家 星野次郎さん研磨の鏡。
29センチF6.7の反射赤道儀による見事な球状星団の写真は憧れ。
眼視用の口径比のようだが、
当時の星野さんいわく感光剤の感度が上がるという記事を信じて設定されたと記憶している。
星野さんの著作はアマチュアが望遠鏡を自作する際のバイブルとなった。


赤道儀はすでに自動化されていた。
赤経の駆動に用いるウォームホイルを
星の追尾を見ながら摺り合わせて精度を上げていく、という手作業だった。
(
ピリオディックモーションを消していく気の遠くなる地道な作業だっただろう)
星野次郎さんの20センチ反射赤道儀。
光学系も赤道儀もアマチュアの作とは思えない。

このような施設が脇町からすぐのさぬき市の山あいにあるとは。
物心両面で有志の志で運営されている。
コンセプトをひとことでいうと、「星で望遠鏡を楽しむ」。
天文台が「望遠鏡で星を楽しむ」施設とすれば、
当博物館は
「星で望遠鏡を楽しむ」施設。

夜が暗かった頃、人々は星空を見て何かを感じた。
季節の移り変わりであったり、
昼間のいざこざが小さなことに思えてきたり。
星空は科学の世界への誘いでもある。
望遠鏡博物館は文化遺産(資産)である望遠鏡を救済するだけではなく
子どもたちに望遠鏡の手作りイベントや観望会イベントを開催している。
望遠鏡の復活整備も行うので収集及び維持保管、修理費用を考えれば
スタッフがボランティアであっても
300円程度の入場料ではとても立ちゆかないだろう。
この日もご説明をいただいたのは
鳴門市から参加されたボランティアの方で
博識かつていねいな説明、収集時のエピソードなどをいただいた。
(ありがとうございます)
クラウドファンディングがつまらない内容の企画に活用されている実態がある反面、
このような意義のある施設が有志によって細々と運営されている。
http://www.telescope-museum.com/sanjyo/ときの政権のばらまきの目玉施策やら
都道府県知事のパフォーマンス的な予算で
文化施設の管理運営予算は大幅に削減されているという。
文化の果てる国が栄えることはない。
一握りの篤志家が科学振興や文化を伝える活動を行っているのが日本の現状。
追記
全国には中古望遠鏡の専門店があるようだ。
http://reflexions.jp/tenref/orig/2018/04/05/4144/