2017年01月01日
カノープスが南中した年の明け(ブログもTwitterのように使える)
花火の音で外へ出てみると
港で誰かが上げているようだ。
除夜の鐘が地蔵寺から聞こえる。
南天には全天一の恒星 おおいぬ座のシリウスが南中し、
その下に全天2番目の恒星 りゅうこつ座のカノープスが見える。
(全天2位といっても地平線すれすれなので暗く見える)
この星は南極老人星ともいわれ、見ると長生きするといわれているので
いますぐ見てみたら(四国東南部の南天には雲がかかっていないようなので)。
posted by 平井 吉信 at 00:06| Comment(0)
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2016年11月17日
スーパームーンから2日後(2016.11.16) どこまでも地上を照らす月輪
当日もその翌日も雲で見えなかったけど
11月16日の夜半は少し欠けて天空にらんらんと輝いていた。
タカハシの10センチ反射を持ち出す時間がなく
(日付は変わっているけれど仕事の最中なので)
カメラを三脚に据えて5コマ撮影したもの。
ミラーアップで液晶を拡大してマニュアルで焦点調節。
月面はまぶしくて調整困難なので全天一の恒星シリウス(−1.6等)の光で。
まあるい月輪、降り注ぐ、降り注ぐ。
初冬の張り詰めた空気にどこまでも地上を照らす意思で。
ニコンD7200+AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR
(ISO200、f8、1/200、ジッツオ3型、リモコンレリーズ)
posted by 平井 吉信 at 00:21| Comment(0)
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2016年09月06日
未来という単語は渦巻く空へ消えるのか それともそこから生まれるのか
きょうも良き出会いがあった、その帰り道。
この空は?
(まるで銀河系外星雲を横から見ているかのような帯状の線)
これからは異常気象が勃発する時代に突入する。
身の回りでぽっかりと開いた見えない災害の窓。
それは、ある日、身近にやってきて
ときに終焉の場所となりえる。
(眉山にかかる低い雲。吉野川大橋とともに望む西の空)
もはや経済がどうのという時代でなくなっている。
金利とかマネーサプライとかの対症療法ではなく
経済を活性化するために経済以外の要素を見つめる必要がある。
それを、格差の是正と将来の不安の解消とか、
幸福感、
規制緩和、
生態系、
ベンチャー、起業、
挑戦、利他、
理念、世界観、物語性(未来を語る、語る未来に沿って社会がつくられるという意味)、
地域主権、地域国家、自助、共助、公助の連携
IoTだろう。
死語となるのが
学歴社会、大企業、
集団での無責任な意思決定、
ばらまき、補助金、
中央集権、既得権、
保身、利権、
右とか左とか宗教などのイデオロギー、
政党政治など
凝り固まった既存の価値観だろう。
(これらはリスク要因)
生存をかけて地球と自然と生態系を向き合う時代。
経済活動を決して否定することなく
むしろ経済の活性化につながる新たな行動を起こせるよう
価値観の転換を行えるよう、自らも動きながら発信していく。
それもぼくの仕事のひとつ(仕事がいつも有償とは限らない)。
この空の色は渦巻く未来を暗示しているけれど
紅の1点でも真善美の光があれば
未来を照らす1コマになるはず。
この先、どのような運命が待ち受けていようとも
きょう出会った人たちのご健勝をお祈りします。
世界の隅々に住む人たちの幸福をお祈りします。
posted by 平井 吉信 at 22:50| Comment(0)
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2015年10月19日
いづくも同じ 秋の夕暮れ 那賀川の落ち鮎釣り
日没が近くなると吹く風に寂寥が漂う秋の夕刻。
水音高く流れた季節も過ぎて、しずしずとたたずむ川面。
落ち鮎をねらう釣り人は、数百年前と変わらぬ影絵。
下っていくのは季節や水、鮎だけではないかもしれない。
そんな心に水面は黙って残照を映す。
タグ:那賀川
posted by 平井 吉信 at 17:55| Comment(0)
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2015年07月15日
嵐の前の静けさ 歴史の過ちを照らす真夏の太陽
歴史に残る暴挙が行われた一日、
付和雷同する与党の議員一人ひとりが痛々しかった。
(以前から指摘しているように政党政治は弊害ばかりが目に付く)
権力への問題提起を行おうとしない公共放送。
国民の政治への無関心をいいことに、
越えてはいけない一線を越え
戦争犯罪人と同じ道を歩む。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
雄大な吉野川と吉野川橋。
かつてここに水陸両用機が離発着していたという。
徳島市の象徴、眉山は紀貫之の土佐日記にもうたわれた。
土手に咲き誇るコオニユリ
夏の太陽がすばらしい包容力で照らす。
暑い、などと不満はみじんも感じず
ただ、夏の余韻がじんと迫る
ざわわ、ざわわと繰り返すあの歌のように。
水辺の草原 広い広い空と水の空間 そして吉野川大橋。
振り返ると、
やはり夏の日射し
鉄の雨にうたれて死んだ人たちへ誓った不戦の誓いは?
そこから遡ること10km少々で第十堰
この堰を眺めて目を細めたあの人はいない。
それでも土佐からやってきた水は変わることなく
軽々と石積みを越えて流れる。
子どもが自転車で対岸へ渡っていく
海まであと14kmというのに
堰直下流の水質は飲めるほど。
多様な生物を育む奇跡の生態系を目の当たりにしたことがあるだろうか?
維持費がかからず天然のミネラルウォーターをはぐくむしくみ。
それとて第十の堰のほんの一部でしかない。
ウィキペディア(Wikipedia)の記述は間違っている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E5%B7%9D%E7%AC%AC%E5%8D%81%E5%A0%B0
環境か安全かの二択、賛成か反対かの対立ではないのだ。
(賛成派と反対派のレッテルを貼って対立を煽るのはレベルの低いマスコミと権力者の常套手段)
反対派も反対運動も存在せず
ただ普通の市民が自ら立ち上がっただけ。
江戸時代の治水思想が未来を示す箴言であることに気付いて。
第十堰の本質には対立要素はない。
治水も利水も環境も安全も財政も経済も
文化も土木技術も持続的な農業も人々の暮らしもすべてを包含し
過去から未来へと流れ永らえる生きた資産。
その日の夕方、虹が出た。
ドロシーが夢見た虹ではなく、淡々と社会を直視して歪んだ虹。
空に感情はないはずだが、
自らを朱く染めたのはなぜ?
明日以降に大型台風が日本に向けてしずしずと近づいてくる。
一人ひとりが自分ができることを見つめよと。
posted by 平井 吉信 at 23:01| Comment(0)
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2015年07月10日
深紅の夕暮れ 空の刻印の意味は?
posted by 平井 吉信 at 22:14| Comment(0)
| 気象・天候
2015年07月01日
心がそぞろ歩いた夕暮れの刹那 虹が出ている通知サービス体験版を申し込む?
南太平洋ポリネシアのランギロア環礁だったか、
西も東も北も南も天も地も360度紅に染まって暮れていったことがあった。
島をめぐるあてのない旅も半ばのとある日のほんの一瞬のできごと。
カメラも構えられず放心状態でたたずんでいた。
(あのような地球の「黎明」は二度と見たことがない)
雨の続く日の夕方、手元の電話が鳴った。
「虹が出ています、ご存知かなと思って―」。
(とある通信会社の虹の連絡サービス体験版には申し込んでいないけれど、通報していただける奇特な人がいた)
お礼を言って東の空を見上げると、
確かに。
なぜか手元にカメラがある。
さっそく何枚かシャッターを押した。
地平線から半円を描いている虹だった。
そして西の空へ目を向けた途端、
おっ、これは!と思った。
カメラを持って川にかかる橋にやってきた。
係留された漁船、暮れゆくまちなみを影絵に
淡々と天然色のコマ送り。
富士フイルムX-E2+18-55mmF2.8-4で「萌える」を切り取る。
次に、XF14mmF2.8 で空をほおばる。
再び、18-55mmF2.8-4で
漁船を背景に深紅の名残の余韻を味わう。
虹も夕暮れも良いけれど
それに心が動くことがもっと良いことで。
南太平洋の島めぐりをして思ったこと。
心の心象風景はどこも同じ。
ただ、それを見る人の気持ちを映しているだけ。
鳥の楽園が見えてきた(テティアロア島)
珊瑚礁の外洋は波が荒い。水深もいきなり数百メートルになる。そして雲が沸き立つ。
ラグーン(礁湖)の静けさ、まるで世界の窓から見る光の静寂。
ランギロアのあの夕暮れは二度と再現されていない。ここはボラボラ島。
ちっぽけな人間。だからふくれあがる可能性があるんだ。
タグ:雨
posted by 平井 吉信 at 20:36| Comment(2)
| 気象・天候
2014年09月09日
2014年 中秋の名月 お宮の屋根からこぼれた夏祭りの夜
太陽系の創世記に小惑星が原始地球に何度か衝突した。
そのたびに地球は苦痛に顔を歪めながらも
飛び散った岩石を再び引力で引き寄せては大きく成長した。
(衝突を経ない火星は大きくならず水をとどめておく重力を持てなかった)
地球に戻らず地球を周回するようになった破片が集まって月となった。
月は地球の分身でもある玄武岩の塊。
自らも全海洋蒸発(地殻津波)、全球凍結、スーパープルームを
地球に芽生えた生命に容赦なく浴びせ、
生命のほとんどが絶滅する壮絶な歴史を繰り返している。
けれど、その歴史がなければ
今日の地球に高度な生命は存在しない。
(地球の歴史を1年に例えると11月半ばまでが微生物、恐竜の全盛期が12月下旬、人類の登場は大晦日の夜)
試練が生命の進化を促したのは
物言わぬ地球の意思とも言えるのだが。
ティコの光条(右上の光の反射帯)が目立つ。
コペルニクスの光条は、真ん中やや下。
さらにその下のアリスタルコスの光条と嵐の大洋もたどれる。
手元の画像を等倍でみれば、右下の小さな海(グリマルディー)から
コルディラ山脈一帯が太陽をななめに受けて
夜明けを迎えようとしているのがわかる。
物理学の話はさておいて
月がとっても青いからと
遠廻りして帰りたい。
海から真っ赤に上がった月が
土手の松林の上で青く燦々と川面を照らす。
浴衣、うちわ、下駄の音。
おみやの屋根に反射した月影が
狛犬に陰影を与えていた夏祭りの夜を思い出す。
ごめんね素直じゃなくて
夢のなかなら言える…
あなたには見えますか?
月のうさぎが。
2014.9.8 23h42m(JST)
富士フイルムX20+手持ちコリメート法
28o相当F2開放、ISO100、1/2000秒、
タカハシ10p反射赤道儀I型+オルソ25mm(40倍)
posted by 平井 吉信 at 11:19| Comment(0)
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2014年08月12日
ハーロン 嵐のち曇り そしてキキョウ咲く
台風11号はかつてない被害を南四国にもたらした。
わが家も例外ではなかった。
前夜から土嚢を積んで待機。
台風が近づく未明にはサッシのすき間から雨が降り込んだ。
前代未聞。
大雨の常連、上勝町福原旭と那賀町木頭出原の
累積降雨量が報道されている。
那賀川中流域では学校の校舎の1階が泥水に。
海部川流域はまたも被害に。
9時過ぎには目に入ったのではないか。
台風が過ぎ去った午後、
ちぎれて飛んだ屋根の破片を拾い集めていた。
ふと庭を見るとキキョウが。
この風雨に耐えて小さな花を咲かせていた。
灰色の空に向かってしなやかに。
悪いことは続かない、
まずは目の前のことをどうぞ、
とでも言いたげに。
あきらめなければ見えてくる。
次に起こる良いこと。
いや、すでに始まっているかも。
確かにね。
フジX-E2+XF35mmF1.4 R → f5.6

XF35mmF1.4 R → f4

わが家も例外ではなかった。
前夜から土嚢を積んで待機。
台風が近づく未明にはサッシのすき間から雨が降り込んだ。
前代未聞。
大雨の常連、上勝町福原旭と那賀町木頭出原の
累積降雨量が報道されている。
那賀川中流域では学校の校舎の1階が泥水に。
海部川流域はまたも被害に。
9時過ぎには目に入ったのではないか。
台風が過ぎ去った午後、
ちぎれて飛んだ屋根の破片を拾い集めていた。
ふと庭を見るとキキョウが。
この風雨に耐えて小さな花を咲かせていた。
灰色の空に向かってしなやかに。
悪いことは続かない、
まずは目の前のことをどうぞ、
とでも言いたげに。
あきらめなければ見えてくる。
次に起こる良いこと。
いや、すでに始まっているかも。
確かにね。
フジX-E2+XF35mmF1.4 R → f5.6
XF35mmF1.4 R → f4
posted by 平井 吉信 at 01:07| Comment(0)
| 気象・天候
2014年05月05日
5月4日の日暈〜環水平アーク〜
クルマで運転中に気付いた。
場所は徳島県石井町。
国道192号から少し入ったところで撮影。
場所は南天である。
虹よりもやや濃いぐらいか。
12時12分、換算53oにて(X-E2+35/1.4)
12時18分、換算21oにて(14/2.8)
太陽の半周で取り囲む二つの同心円。
21時20分、換算21oにて(14/2.8)
たまたま持ち合わせていたカメラで
標準で、そして超広角で太陽とともに撮ってみた。
前回(2014.3.31)は直後にチリ地震が起こったが、
今回は起こらなかった。
追記
夜になってニュースで
関東方面で5日の朝に地震が起こったことを知った。
科学的な根拠はわからないけれど。
posted by 平井 吉信 at 16:39| Comment(0)
| 気象・天候
2014年04月01日
太陽の日暈
2014年3月31日、
人々が消費税前の混乱に明け暮れるさなか、
日暈(にちうん、ひがさ、ハロ)と呼ばれる現象が観測された。
たまたま持っていたカメラで撮影。
時刻は、17時半を中心に前後10分程度。
撮影場所は、徳島市南部。
気象状況を反映したものだが、
地震の前触れという説もある。
いずれにしても、ここ数日注意が必要かも。
渋滞の運転中に気付いた。縦線は飛行機雲。
17時29分(35mmf13、1/400)
開けた場所に移動すると、環になっていることに気付いた。
しかも、両端に2つめ、3つめの太陽のイメージがある。
(レンズのゴーストではない)
17時38分(27mmf10、1/420)
左の腕は虹のように分光している。
17時39分(64mmf13、1/450)
フジフイルムX-E2と18-55/2.8〜4で撮影。
括弧内は35mm換算の画角、絞り、露出時間。
ゴーストが出やすい状況では
レンズのコーティング(透過率)がモノを言う。
ズームながら
フジノンの逆光で散乱しないクリアな結像が確認できた。
posted by 平井 吉信 at 12:20| Comment(2)
| 気象・天候
2013年01月13日
小さな水たまりにひとかけらの希望をデッサン
長く使っていたコーヒーカップ(磁器)が欠けてしまった。
壊れてしまったものは仕方がない。
感謝して捨てることになる。
(余談)
ぼくが使うと、なかなか壊れないので、小学校のときから使っている持ち物さえある。
テレビは、ソニーのプロフィール(ブラウン管の15インチのアナログテレビ)。
PHSは10年数年使っているが、いまの機種でまだ2代目。
(カラー液晶でメールも使える。電話番号も1000件登録できるので助かっている。そろそろ限界に近づいているけれど。スマートフォンを使わないのは、電話機として使いにくいし、常時ノートパソコンを持ち歩いているので必要ないから)。
最初に買ったクルマは(分不相応な)ワーゲンゴルフだが、十数年乗った。
去年まで乗ったインプレッサは走行距離20万kmを越えていた。
デジカメを使う前は、ミノルタのX700を約20年使っていた。
(酷使しているが、新品みたいである。ライツミノルタなどは店頭に飾れば売れそうな)
長持ちする秘訣は、声をかけてやるから。モノにも心は宿るのだ。
コーヒーは陶器のカップではなく、
白い磁器で味わいたい。
でも、毎日使うモノだから、
高価なブランドでなく
多少厚ぼったい感じがいいかなと思った。
で、近所の雑貨屋(ヴィレッジカキハラ)で見繕ったら
あるマグカップが目に止まった。
生地は白ではなく象牙色というか生成綿の色調が加わっている。
ウェッジウッドのような硬質のきらめき感ではなく
飾らない普段着の親しみやすさ。
それでいて、コーヒーの深みを湛えて受け止め
紅茶の透きとおるなめらかさを揺らして香る。
置かれた空間が明るいのに、落ち着いて目が休まる感じ。
そして、手描きの線で結び目が施されている。
(この描かれた線は1個1個違うので、気に入るものを選んだ)。
そう。このカップは、人の縁(えにし)を結わえるのだ。

キーボードや資料を読みこみながら
手を伸ばしたとき、
カップの持つ手は小さいと持ちにくく
大きいとカップが安定しない。
自由度を確保しながら、自由すぎないこと。
その点、この器は伸ばした指が
まさぐることなく吸い込まれる。
空に向かってひらく花は太陽を受け止めることしか知らない。
空を覆う雲は途切れることはなくても
空に向かって手を拡げたい。
この器は、晴れた日も曇りの午後も嵐のときでも
おいしさが見えるよう受け止めてくれるはず。
大きな虹は描くことはできないけれど、
小さな水たまりにひとかけらの希望をデッサンする。
もう一度言う。
希望をデッサンする。
コーヒーを煎れるのが楽しみになった。
(金額は千円弱、まだ数個残っている。必要とする人がいれば、買っといてあげようかなと思ったりもするけれど、どこにでもありそうなモノだからね)

コーヒー豆は、千葉おゆみ野のさかもとこーひーで、
店主が勧めるようにカフェプレスでいただいている。
パンは、近所で買ってきた。ミルクがほんのり甘いだろうから。
壊れてしまったものは仕方がない。
感謝して捨てることになる。
(余談)
ぼくが使うと、なかなか壊れないので、小学校のときから使っている持ち物さえある。
テレビは、ソニーのプロフィール(ブラウン管の15インチのアナログテレビ)。
PHSは10年数年使っているが、いまの機種でまだ2代目。
(カラー液晶でメールも使える。電話番号も1000件登録できるので助かっている。そろそろ限界に近づいているけれど。スマートフォンを使わないのは、電話機として使いにくいし、常時ノートパソコンを持ち歩いているので必要ないから)。
最初に買ったクルマは(分不相応な)ワーゲンゴルフだが、十数年乗った。
去年まで乗ったインプレッサは走行距離20万kmを越えていた。
デジカメを使う前は、ミノルタのX700を約20年使っていた。
(酷使しているが、新品みたいである。ライツミノルタなどは店頭に飾れば売れそうな)
長持ちする秘訣は、声をかけてやるから。モノにも心は宿るのだ。
コーヒーは陶器のカップではなく、
白い磁器で味わいたい。
でも、毎日使うモノだから、
高価なブランドでなく
多少厚ぼったい感じがいいかなと思った。
で、近所の雑貨屋(ヴィレッジカキハラ)で見繕ったら
あるマグカップが目に止まった。
生地は白ではなく象牙色というか生成綿の色調が加わっている。
ウェッジウッドのような硬質のきらめき感ではなく
飾らない普段着の親しみやすさ。
それでいて、コーヒーの深みを湛えて受け止め
紅茶の透きとおるなめらかさを揺らして香る。
置かれた空間が明るいのに、落ち着いて目が休まる感じ。
そして、手描きの線で結び目が施されている。
(この描かれた線は1個1個違うので、気に入るものを選んだ)。
そう。このカップは、人の縁(えにし)を結わえるのだ。
キーボードや資料を読みこみながら
手を伸ばしたとき、
カップの持つ手は小さいと持ちにくく
大きいとカップが安定しない。
自由度を確保しながら、自由すぎないこと。
その点、この器は伸ばした指が
まさぐることなく吸い込まれる。
空に向かってひらく花は太陽を受け止めることしか知らない。
空を覆う雲は途切れることはなくても
空に向かって手を拡げたい。
この器は、晴れた日も曇りの午後も嵐のときでも
おいしさが見えるよう受け止めてくれるはず。
大きな虹は描くことはできないけれど、
小さな水たまりにひとかけらの希望をデッサンする。
もう一度言う。
希望をデッサンする。
コーヒーを煎れるのが楽しみになった。
(金額は千円弱、まだ数個残っている。必要とする人がいれば、買っといてあげようかなと思ったりもするけれど、どこにでもありそうなモノだからね)
コーヒー豆は、千葉おゆみ野のさかもとこーひーで、
店主が勧めるようにカフェプレスでいただいている。
パンは、近所で買ってきた。ミルクがほんのり甘いだろうから。
posted by 平井 吉信 at 00:22| Comment(0)
| 気象・天候
2012年09月30日
台風一過の夕暮れ 海に描かれた虹
2012年9月30日、夕方近くになって、
四国沖を通過した台風の暴風雨域を脱出した。
するりと陽が射して太陽が顔を覗かせた。
今夜は星夜がきらめくだろう。
東の空を見上げたら、
虹が出ていた。
近所の山へ行こう。
日ノ峰山へ到着したのは17時過ぎ。
南に市街地を望む展望台に立ったとき
すでに虹は消えていた。
気を取り直して、夕陽を浴びるまちを撮影した。
帰る前に、北の展望台へ行くと
なんと、虹の片方の端が海の上に浮かんでいた。
水平線に浮かぶ船、
背景が富士山なら銭湯。
でも、この絵は虹。
海は広いな大きいな♪
文部省唱歌とともに
やはり、湯船が浮かんできた。
小学校の頃、縦笛で吹いた指使いを思い出した。
いい曲だな。
海と虹の境界が溶け合って
ゆったりと雄大な―。
そして、その虹が消える前に
最後にぶつけてくるため息のような情熱。
この虹は、幸福をもたらそうとしている。
海に描かれた虹はト長調だった。
posted by 平井 吉信 at 00:00| Comment(0)
| 気象・天候
2010年09月24日
小惑星探査機「はやぶさ」が教えてくれた
西暦2010年6月13日、
オーストラリアの砂漠の上空で盛大な流れ星が見られた。
小惑星探査機「はやぶさ」がついに戻ってきた。
はやぶさは小惑星「イトカワ」のサンプル採取を行い、
それを持ち帰ることを目標に開発され、
2003年に打ち上げられたもの。
このプロジェクトには、
イオンエンジンによる惑星間往復航行や
地球の引力を利用して加速するというスイングバイ、
小惑星への着陸を行って帰還を果たすなど、
世界初の試みがいくつもあり、
プロジェクトの難易度は極めて高いとされる。
小惑星イトカワの物質が封入されている可能性が高い
カプセルを分離して使命を果たした後、
火の玉となって地上に有終の姿を見せたはやぶさに多くの人が思いをはせ、
生きる勇気をもらった
(当初の計画ではカプセルを放出後、大気圏に突入せず軌道に戻る予定であったが、機体の損傷が大きく推進力が足りないため大気圏突入となった)。
はやぶさの7年間のミッションは試練続きであった。
小惑星イトカワに着陸後、燃料が漏洩し、
各種制御が困難となって地球との音信が2か月近く途絶えたことがあった。
はやぶさは、地球から指令を送信して動かしているが、
イトカワへの着陸においては地上から着陸の指示を出すものの、
はやぶさの判断(自立的制御)で実行される。
電波が往復するのに半時間程度かかるため
状況がわかってから指示を出しても間に合わないからである。
地上のインターネットの百万分の一程度の通信速度のなかで
プログラムの書き換えを行ったり、
搭載カメラが撮影した映像を地球に送信したりしている。
そんな状況なので、
ひとたびトラブルが起これば復旧は容易ではないことが予想される。
イトカワへの二度の着陸で機体は制御機構に重大なダメージを抱え、
そのうえ燃料漏れを起こし、充電池は放電されてしまう。
小惑星のサンプルをカプセルに移すためには電力がどうしても要る
(カプセルは耐熱構造となっている)。
リチウムイオン電池は電子機器での発火事故が多発するなど取扱が難しい。
放電した電池に充電を行えば爆発の怖れがある。
しかし技術者たちは検討を重ねて、
太陽光パネルからの電力をほんとうに少しずつ慎重に充電を行った。
制御を失った機体は
イオンエンジンの中和に使うキセノンガスを
小刻みに放出して制御することを覚えた。
推進力の要であるイオンエンジンの連続稼働時間は
それまでの世界記録を塗り替えてはいたが、
設計寿命が近づくにつれ調子が悪くなり、
だましだまし運用していた。
そして地球帰還を目前に控えた2009年11月、
ついには四機目のイオンエンジンが故障し、
はやぶさの推進力は絶たれてしまう。
そのとき、四機のエンジンの生きている部分を
相互に接続して1機のエンジンとして使うウルトラCが出た。
そんなことが可能だったのか。
これが地球上であれば、
技術者が半田ごてを持ってそれをやればいい。
しかし無人の探査機である。
実はすでに回路切り替えの機能を設計者がもたせていた。
といっても部品組み込みによる重量増は避けなければならない。
なんとその機能はたった1個のダイオードで賄ったという。
このことはプロジェクトの責任者である
川口プロジェクトマネージャーも知らなかったとされる。
こうした一発勝負の冒険やミッションはひとつの命題がある。
それは「絶対に役割を果たす」ということである。
そのために、幾重にも安全性を確保する必要性がある(冗長性という)。
ロケットの打ち上げのみならず、
仕事や人生において大きなプロジェクトを行うことになったとき、
ひとは一生懸命に考えて実行するだろう。
昼や夜も寝ているときでさえ頭から離れたことがない。
成功するための秘訣はまさにそこにある。
極限まで追い込まれた脳は悲鳴を上げる。
しかしその状態で脳の神経回路はあるとき
これまでと違った「神経細胞のつながり」(シナプス)を
形成するようになる。
そのとき、ひらめく―。
まず「理念」がある。
使命感や強い志が出発点である。
それに則って極限まで思考や行動を高める過程で「感性」がひらめく。
その結果、「行動」が効果的に促進される。
デフレ経済を受けて国家予算は縮小傾向にあり、
宇宙開発などの分野はまっさきに削られる可能性がある。
MUSES-C(はやぶさ)の場合、
予算を付ける立場からすれば
「リスクが多すぎる。成功させるのは困難」と評価されてもおかしくはない。
けれど、こうも考える。
潤沢な予算は設計や人員にゆとりを生み、
冗長性の確保の点では有利だろう。
しかし、資金のゆとりは外注や委託が増えることを意味する。
ここで「プロジェクトX」を思い出す。
あのシナリオはいつもこうだ。
ライバルより圧倒的に劣る経営資源や状況のなかで
(むしろそれだから)、
これまでとまったく違う革新的な方法を模索し、
信念と熱意で実現に向けて取り組んだ。
はやぶさを救ったのは
「もしも…だったら」という危機を未然に予測した想像力であった。
はやぶさが潤沢な予算であったとは考えにくい。
しかしそれがかえって幸いしたかもしれないとも考える。
とはいえ、
はやぶさの後継プロジェクト「はやぶさ2」は、
当初17億円を要求した予算が
事業仕訳で3千万円に減額されたことは記憶に新しい。
国会議員一人分の報酬程度で技術者の人件費はおろか、
材料も買えないだろう。
はやぶさのプロジェクトは、
太陽系の起源を知る有力な手がかりとなる。
遠い過去は私たちや地球の成り立ちを教えてくれる。
そこから見えてくる未来がきっとあるはずである。
いまの時代、ほんとうに必要なのは、
未来への投資であると考える。
みんなが少しずつ出し合って(我慢しあって)
未来の夢をつくる事業に配分すべきではないのだろうか。
もし、このプロジェクトが失敗に終わっていたら
次の予算は付けるべきではないのか。
それは違うだろう。
科学技術の進歩は試行錯誤の繰り返しであり、
結果だけで判断できない。
はやぶさの成功には、
目的を達成することなく火星軌道を彷徨うこととなった
火星探査機「のぞみ」の経験が活かされているはずである。
今回のプロジェクトには日本の若手技術者が多数関わった。
「小惑星のサンプルリターン」というミッションを遂行するために
惑星探査機を7年間運用できたことは、
若手技術者に多くの実践経験を積ませることができた。
その意義は計り知れない。
これまで日本の政治は
未来の日本をどうつくるかを真剣に向かいあうことなく、
ただ目先の対応や有権者へのニンジンに終始した。
政権が変わっても、ばらまきの蛇口が変わっただけで本質的に変わっていない。
人気取りのパフォーマンスに眩惑されて
政策の本質を見つめようとしない有権者にも責任はあるだろう。
未来はどうあるべきか、どうしたいのか―。
一人ひとりの生活者が真剣に考え、
それぞれができることを日々積み重ねていくしかないのではないか。
オーストラリアの砂漠の上空で盛大な流れ星が見られた。
小惑星探査機「はやぶさ」がついに戻ってきた。
はやぶさは小惑星「イトカワ」のサンプル採取を行い、
それを持ち帰ることを目標に開発され、
2003年に打ち上げられたもの。
このプロジェクトには、
イオンエンジンによる惑星間往復航行や
地球の引力を利用して加速するというスイングバイ、
小惑星への着陸を行って帰還を果たすなど、
世界初の試みがいくつもあり、
プロジェクトの難易度は極めて高いとされる。
小惑星イトカワの物質が封入されている可能性が高い
カプセルを分離して使命を果たした後、
火の玉となって地上に有終の姿を見せたはやぶさに多くの人が思いをはせ、
生きる勇気をもらった
(当初の計画ではカプセルを放出後、大気圏に突入せず軌道に戻る予定であったが、機体の損傷が大きく推進力が足りないため大気圏突入となった)。
はやぶさの7年間のミッションは試練続きであった。
小惑星イトカワに着陸後、燃料が漏洩し、
各種制御が困難となって地球との音信が2か月近く途絶えたことがあった。
はやぶさは、地球から指令を送信して動かしているが、
イトカワへの着陸においては地上から着陸の指示を出すものの、
はやぶさの判断(自立的制御)で実行される。
電波が往復するのに半時間程度かかるため
状況がわかってから指示を出しても間に合わないからである。
地上のインターネットの百万分の一程度の通信速度のなかで
プログラムの書き換えを行ったり、
搭載カメラが撮影した映像を地球に送信したりしている。
そんな状況なので、
ひとたびトラブルが起これば復旧は容易ではないことが予想される。
イトカワへの二度の着陸で機体は制御機構に重大なダメージを抱え、
そのうえ燃料漏れを起こし、充電池は放電されてしまう。
小惑星のサンプルをカプセルに移すためには電力がどうしても要る
(カプセルは耐熱構造となっている)。
リチウムイオン電池は電子機器での発火事故が多発するなど取扱が難しい。
放電した電池に充電を行えば爆発の怖れがある。
しかし技術者たちは検討を重ねて、
太陽光パネルからの電力をほんとうに少しずつ慎重に充電を行った。
制御を失った機体は
イオンエンジンの中和に使うキセノンガスを
小刻みに放出して制御することを覚えた。
推進力の要であるイオンエンジンの連続稼働時間は
それまでの世界記録を塗り替えてはいたが、
設計寿命が近づくにつれ調子が悪くなり、
だましだまし運用していた。
そして地球帰還を目前に控えた2009年11月、
ついには四機目のイオンエンジンが故障し、
はやぶさの推進力は絶たれてしまう。
そのとき、四機のエンジンの生きている部分を
相互に接続して1機のエンジンとして使うウルトラCが出た。
そんなことが可能だったのか。
これが地球上であれば、
技術者が半田ごてを持ってそれをやればいい。
しかし無人の探査機である。
実はすでに回路切り替えの機能を設計者がもたせていた。
といっても部品組み込みによる重量増は避けなければならない。
なんとその機能はたった1個のダイオードで賄ったという。
このことはプロジェクトの責任者である
川口プロジェクトマネージャーも知らなかったとされる。
こうした一発勝負の冒険やミッションはひとつの命題がある。
それは「絶対に役割を果たす」ということである。
そのために、幾重にも安全性を確保する必要性がある(冗長性という)。
ロケットの打ち上げのみならず、
仕事や人生において大きなプロジェクトを行うことになったとき、
ひとは一生懸命に考えて実行するだろう。
昼や夜も寝ているときでさえ頭から離れたことがない。
成功するための秘訣はまさにそこにある。
極限まで追い込まれた脳は悲鳴を上げる。
しかしその状態で脳の神経回路はあるとき
これまでと違った「神経細胞のつながり」(シナプス)を
形成するようになる。
そのとき、ひらめく―。
まず「理念」がある。
使命感や強い志が出発点である。
それに則って極限まで思考や行動を高める過程で「感性」がひらめく。
その結果、「行動」が効果的に促進される。
デフレ経済を受けて国家予算は縮小傾向にあり、
宇宙開発などの分野はまっさきに削られる可能性がある。
MUSES-C(はやぶさ)の場合、
予算を付ける立場からすれば
「リスクが多すぎる。成功させるのは困難」と評価されてもおかしくはない。
けれど、こうも考える。
潤沢な予算は設計や人員にゆとりを生み、
冗長性の確保の点では有利だろう。
しかし、資金のゆとりは外注や委託が増えることを意味する。
ここで「プロジェクトX」を思い出す。
あのシナリオはいつもこうだ。
ライバルより圧倒的に劣る経営資源や状況のなかで
(むしろそれだから)、
これまでとまったく違う革新的な方法を模索し、
信念と熱意で実現に向けて取り組んだ。
はやぶさを救ったのは
「もしも…だったら」という危機を未然に予測した想像力であった。
はやぶさが潤沢な予算であったとは考えにくい。
しかしそれがかえって幸いしたかもしれないとも考える。
とはいえ、
はやぶさの後継プロジェクト「はやぶさ2」は、
当初17億円を要求した予算が
事業仕訳で3千万円に減額されたことは記憶に新しい。
国会議員一人分の報酬程度で技術者の人件費はおろか、
材料も買えないだろう。
はやぶさのプロジェクトは、
太陽系の起源を知る有力な手がかりとなる。
遠い過去は私たちや地球の成り立ちを教えてくれる。
そこから見えてくる未来がきっとあるはずである。
いまの時代、ほんとうに必要なのは、
未来への投資であると考える。
みんなが少しずつ出し合って(我慢しあって)
未来の夢をつくる事業に配分すべきではないのだろうか。
もし、このプロジェクトが失敗に終わっていたら
次の予算は付けるべきではないのか。
それは違うだろう。
科学技術の進歩は試行錯誤の繰り返しであり、
結果だけで判断できない。
はやぶさの成功には、
目的を達成することなく火星軌道を彷徨うこととなった
火星探査機「のぞみ」の経験が活かされているはずである。
今回のプロジェクトには日本の若手技術者が多数関わった。
「小惑星のサンプルリターン」というミッションを遂行するために
惑星探査機を7年間運用できたことは、
若手技術者に多くの実践経験を積ませることができた。
その意義は計り知れない。
これまで日本の政治は
未来の日本をどうつくるかを真剣に向かいあうことなく、
ただ目先の対応や有権者へのニンジンに終始した。
政権が変わっても、ばらまきの蛇口が変わっただけで本質的に変わっていない。
人気取りのパフォーマンスに眩惑されて
政策の本質を見つめようとしない有権者にも責任はあるだろう。
未来はどうあるべきか、どうしたいのか―。
一人ひとりの生活者が真剣に考え、
それぞれができることを日々積み重ねていくしかないのではないか。
posted by 平井 吉信 at 00:00| Comment(0)
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