連休中はどこにも行かないという家庭が少なくないように思う。行楽地は混み合い、特に飲食店の混雑は目も当てられない。
ところが近年は様相が違ってきた。お遍路さん(白装束に菅笠に杖を持って四国八十八ヶ所箇所巡礼を徒歩で回る人)に外国人(特にアングロサクソン系)が目立つようになってきた。数人に1人は外国人ということもある。
観光地へ行っても場所によっては日本人より海外からの人が多いぐらいだ。連休は、日本人は自宅で、海外からの人たちが休暇を楽しみ、その人たちにおもてなしをするのが日本人という構図になってきた。為替相場でいうと、民主党政権の時代から十年少々で円の価値が2/3から1/2になってしまった。地獄の自公政権といったところ。
そのため物価高、燃料高騰、サプライチェーンの途絶などが起こった。人気の車が数年待ち(10数年で20万kmを越えた愛車を乗り換えたときは8か月待ち、カメラを買ったときは6か月待ちだった)。円安は誰にとっても望ましくない。
だからこの連休は遠出をしないで…という人たちが増えたのだろう。それはある意味では悪いことではない。自分の周りの環境に注意を払ったり魅力に気付いたりするきっかけになるかもしれないから。
究極のご近所は、自宅の庭である。庭と呼べるほどの広さはないし、ガーデニングの趣味はないので、草木が生えるのに任せて変化を見守っている。
芽が出た、つぼみがついた、開花した、虫がやってきたなどと観察しながら写真撮影で記録を取っている。つまりは身近な自然の状態を観察するところから気象の変動を感じている。
野山に出かけて思うのは、桜の開花は平年並みだったかもしれないが、スミレは早かったのではないか。いや、3月に開花する種類は遅めで4月に開花する種類は早めであった、しかしそれは種類や場所によって異なる、というのが肌感覚でわかってきた。
自宅に広い庭がある人は、旅行へ行かなくても充実した日々が送れるのではないか。天気の良い日なら日傘を出して本を読みながら紅茶を飲むのもよし。実は自宅こそが最高のリゾートになり得るなのではないかと思える(豪邸か否かは関係なく)。
12月にノギク(園芸種)

2月に桃、アロエの花、南天の実



3月にニオイスミレ

4月になると、ハナニラ、スイセンアヤメ、ヴィオラ、マツバボタンが開花。







ヴィオラは苗のときにもっとも貧弱なものを選んだのだけれど、うちへ来て急成長してたくましくも美しい株となった。毎日見ていると、植物もそれに応えてくれるのではないかとも感じる。5月になると、キキョウ、カサブランカの背丈がぐんぐん伸びてきた。


テントウムシ(紋様が違うがどちらもナミテントウ)がムラサキカタバミの葉でひなたぼっこをしているように見える


ところが近づいたアブラムシ虫を捕まえて食べた。食べられるアブラムシがレンズを見ている

もう一匹のナミテントウにもアブラムシが近づいてきた

ベニシジミがネギの花にとまった




身近な生態系を通じて人や生物の営みを感じながら生きている。また、五月がやってきた。
posted by 平井 吉信 at 01:55|
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家の庭