2013年06月29日

ハマボウには早かった田井ノ浜 明日は海開き 

田井ノ浜は由岐(美波町)の海水浴場。
季節になれば、浜に乗降できる臨時駅(田井ノ浜駅)が出現する。

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砂浜とホームが一体となっている。ここはJR四国牟岐線。
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ざわわ、ざわわと夏の陽射しに揺れるのは
アオイ科のハマボウ。
マングローブを形成する植物のひとつ。

今年は全体に花の開花が早い。
だから、ハマボウも咲き始めているのではないかと考えた。
そこで、6月下旬の土曜日、
約30kmのドライブがてら出かけてみた。

田井の集落には、
山間部から田井ノ浜へ田井川が流れ、
川に沿って縄文時代の遺構「田井遺跡」がある。
ほとんどが山に囲まれた田んぼであり、
静かに夏の風が吹き抜けていく。

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ところが、2011年7月16日、
高規格道路の日和佐道路が完成し、
国道55号線の小野I.Cから由岐I.Cがつながった。
そして、地区の上を道路が渡っている。

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ハマボウの群生地は田井川の下流にある。
田井ノ浜から歩いても数分である。

ハマボウの花は…まだ、つぼみだった。

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花を訪ねて行ったが、まだ咲いていなかったという。
またも―。
(花がいつ咲くかの情報は地域活性化の切り札のひとつと思う)

それでいい。つぼみから見守っていけるから。
ということで、小さな植物の世界を覗いてみると…。

豆科の植物が道ばたに揺れている。コマツナギという名?

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なんだろう?
小さな桃色の花。

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蟻が昇ってきた。

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虫の生態の一こま。

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マクロで眺めると意外に官能的。
もしかして、ママコノシリヌグイという山野草か。

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光は水面に影を落とすが静かだ。空が映る。

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田井川沿いのハマボウがつくるマングローブ。
つぼみのハマボウたちも
7月の光を浴びて花を咲かせるだろう。

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白い柑橘系の樹木の花。
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昼の時報が聞こえてきた。
ヤシは青空から遮るものなく照りつける太陽を全身で受け止める。

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海へ出てみよう。
明日は海開きなんだ。

青い海、田井ノ浜海水浴場から歩いてすぐ。
黄色いハマボウの花は7月上旬が見頃だろうか。
目に映るその景色は、真夏の対照そのものに違いない。

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posted by 平井 吉信 at 20:26| Comment(0) | 徳島

2013年06月25日

ねむの木 合歓の木 夏至の夕刻、眠りに誘う

川沿いの田舎道を走っていると
おやっ。
ねむの木があちらこちらで花を咲かせている。
(特に、神山から小松島へ連なる鮎喰川、園瀬川、多々羅川沿い)

凛とした声で、
あの花の写真を撮ってください―。
そんな願いが漂っていたかも。

夏至の夕方とはいえ、
もう陽は落ちているけれど、
夕闇が立ちこめる寸前の名残で、
なお浮かれている花。

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夕刻の眠りを誘う、ふわふわと。
あなたは、見上げた空に浮かぶ笑顔。
まるで夢見心地。
明るい未来を信じた昭和のように。


(何か特殊な機材で撮影していると思われる人もいるでしょうが、1万円台の廉価な望遠レンズです)
posted by 平井 吉信 at 23:33| Comment(0) | 徳島

2013年04月28日

月のしずまり、月の狂気 徳島LEDアートフェスティバル2013

色彩の浮かぶ空間を感覚的に捉えるのも良し
自然と人工の調和や対立を見るも良し
光の向こうにある夜の静寂に思いを馳せるのも良し
酔いと覚醒を織り交ぜて流れゆくのが祭りだから。

アートとは何だ?
― 情熱だと思う。
表現したいこと、
身をよじり、悶絶しながら
内から外へとあふれださずにはいられないもの。

感動とは人から人へ伝わるもの。

素材が木綿のキャンパスであっても
LEDであっても変わらないだろう。
それは人が発明したものだから。
その過程になにかがあるから。

それで、情熱がほとばしる作品はあったかな?
それは見る人それぞれが判断すればいい。

ある作品では
月の持つ青白いパッションがさんざめく。
(それは見る人の内面を映し出している)
情緒的に見る必要はない。
単なる玄武岩の塊だから。

冷め冷めとした光は青く硬質の矢を降りそそぐ
やわらかい空気が皮膚のそとがわを一枚二枚とはがしてく
地平線に顔を出せば赤銅色の○となり
頭の真上にとまれば水晶色の○となる
ひと月まえにしまいこんだ想いを浮かび上がらせるその光は
いずれも太陽をうつし出した大きな玄武岩の鏡だったとは
太陽がいて月がいて
宇宙がいて星がいて
「いて」があるから「いなくて」があり
「あいたい」があるから「あいたくない」があり
「相対性」があるから「絶対性」がある
満月のよる 嵐が接近する


(中略)

ああ降りそそいでいる
ふりかざした掌からこぼれた蜜
海の潮が引いていくまた満ちていく
遡ること数十億年
海から川をめざし
川から陸をめざした生物が最初に見たものは
まあるい月輪の環
秘められた神々しさよ
太陽は狂わせる月は告白させる
渚では生命のざわめきが月の営みと同時に起こり
いのちの誕生は月に支配された
血液は海
無数の生物が月に引かれて大潮の渚で交歓した
だから私はいう
私のすべてを見せてあげたい見せずにはいられない
仰いではふりかえるふりかえる
どうか月よ
そのまどかなる縁取りで閉じ込めてください

(「空と海」より)

この作品から流れ出すのは
生命を育んだきらめきと
いのちを吸収しようとする狂気。
水底のLEDの光が流れ落ちる水でざわめき
夢幻にしずまっていく。

月の持つ二面性が自然(水)と人工の光で表現されたのだと感じた。

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散歩中に拾った作品。

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posted by 平井 吉信 at 00:00| Comment(0) | 徳島

2013年04月27日

光の向こうの静寂 徳島LEDアートフェスティバル2013


4月になってせっかく就職したのに
辞める人がいるのではないか。

自分に合っていないから。
自分のやりたい仕事に就きたいから。

そうかな?

仕事は決して自分探しの旅ではないよ。
適正かどうかも問題ではない。
(何が自分に合っているかなど、誰もわからない)

大切なのは、
その仕事を通じて社会に何ができるかということ。

もし、あなたが会社や地域から必要とされているのであれば
それで充分。

与えられた条件のなかで(むしろ制約があるからこそ)、
受け身になることなく、主体的に取り組めればいいじゃないか。

ひとつの真実。
あなたを必要とする人(社会)があるという喜び。
それで充分。

誰かの役に立つからそこに存在する価値がある。
誰かの役に立つから、生きていける。
それで充分。

ひとの一生は長いようで短い。
短いようで長い。
充実して生きることができれば
たった一日でも長い。

不幸とは、不満を抱えて生きること。
そして、そのことに気付かないこと。

運命に逆らわず流れに身を任せてみる。
流されているようで
自らの意思で泳いでみる。

選ぼうとしても得られなかったこと。
それは、選ばれることから実現するかもしれない。

「こだわり」を捨てて
あるがままを受け止めれば楽。
けれど、「意思」の強さを感じさせる。

学生の頃になりたいと思った自分より
もっと理想に近づいた自分がいる。
困難を一つひとつ乗り越え、
こうありたいと思ったことがジツゲンしていく。
(だから、どうした!)

大人になってわかったことがある。
人は夢を見ている限り、年齢を取らないこと。
学生の頃と少しも変わらない体型や髪型もそうだけど、
変わらないのは、夢見ること。

夢は現実に足を付けてこそ叶う。
実現できる夢だから、現実が楽しい。
夢は現実は相反するものではなく互いに補うもの(相補性)。

でも、夢が実現できなくても
嘆くことはない。
実現しない夢であっても
夢を実現すると信じて行動したのだから。
いつか叶うと信じるなら
夢はまだ挫折していない。

LEDも誰かの夢の副産物。
それを使ったアートが徳島市内で開かれている。
(写真はごく一部のアート。新町橋界隈は時間が足りなくて行けなかった)

暗闇に目をならそう
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浮游する光は一つひとつの魂
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蛍の乱舞する水辺
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和の素材を通すとLEDが異なる質感になる。光の揺らぎをどうつくりだすか。
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人が歩くと予想もしない走り方をする 何十コマ撮影して満足のゆくカットはわずか。おもしろい。
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ほのかに光る木の根もと。そこから現れるのは小人か妖精か。
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子どもが光で遊ぶ。夕闇はすてき空間。それなら月明かりも楽しめるよ。
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ぽつんと置かれた空間に樹木。消灯が迫った22時前、童話の世界が出現。
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無数の三色のLEDから多彩な色彩をつくりだしているけれど、緑一色に染まった風景はこの瞬間だけ。この色のときだけ空間に引き寄せられる。待っている時間内には二度と現れなかった。
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色彩の浮かぶ空間を感覚的に捉えるのも良し
自然と人工の調和や対立を見るも良し
光の向こうにある夜の静寂に思いを馳せるのも良し
酔いと覚醒を織り交ぜて流れゆくのが祭りだから。

→ 徳島LEDアートフェスティバル2013

写真はほとんどX20で手持ち(蛍の水辺はD7000)。


posted by 平井 吉信 at 14:55| Comment(0) | 徳島

2013年03月28日

夜桜 ぼんぼり 鬼の宴会 


このところ晴れたり曇ったりで天気が安定しない。
三寒四温である。
けれども、少しずつ暖かくなっている。

ここは那賀川下流ののどかな集落である。
土手に近い田んぼでふたりの兄妹がれんげ草を摘んでいる。
あぜみちには、たんぽぽ、オオイヌノフグリ、ぺんぺん草が咲いていた。

春の野草にはそれぞれあそび方がある。
だれでも知っているように、
ぺんぺん草は実を引っぱって回すとジャラジャラ音がする。

れんげ畑でふたり遊んでいると、
いつのまにか招き猫みたいな白い猫が寄ってきた。
妹は両手をせいいっぱい前に差し出して、
「おいでおいで」をしながらよたよたついていくけれど、
猫の方はまるで相手にしない。
というより、されるままにじっとしている。

裏の妙見山を振り返ると、黒くすすけた木の家が見えた。
母屋に続く垣根の坂道をかけのぼる。
家の裏には那賀川の水を引いた深い用水があり、その流れは強い。
お兄ちゃんはこわごわのぞきこむけれど、
妹はゴーという音が聞こえると逃げていってしまう。

笑うことと楽しいことの間に少しの距離もなく、
無邪気な仕草をするたびに、ふたりの兄妹は大きくなっていく。
疑うことを知らず、
好奇心にあふれて問いかけるまなざしがひたむきであればあるほど、
日一日と賢くなっていっただろう
この兄妹に会えたらどんなにかうれしいことだろう。

私は過去に戻ってレンズを向ける。
するとレンズに気づいた子供は、きょとんと顔を上げる。
「なんだろう」
口元をきりっと結んでふしぎそうな瞳は微動だにしない。

妙見山へ遊山に行くのもこの頃だ。
男の子の絵がたどたどしく描かれた空色の重箱がお兄ちゃんのお気に入り。
三段重ねの重箱に寒天やたまご焼きを詰めて持っていく。
昼間登った時、
お兄ちゃんは那賀川の水面がきらきら反射するのを食い入るように見ていた。

夜になって、頂上付近に桃色のぼんぼりが明滅するのが里から見えた。
お兄ちゃんは勇気をもってひとりで登ってみた。
手拍子のカチッとした響きが山中にこだまし、
そこへ唄の節とも思われないような不気味な合唱がけだるそうに聞こえてきた。

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こわかった。
あれは鬼の宴会だと思った。
声のする方をみないように、いちもくさんに里へと駆け降りた。

子どもの頃、不思議な体験に遭遇した。
あの頃は魑魅魍魎が至るところにいた。
狸に化かされたこともあった。

人間が情報として称して簡単にインターネットで手に入る時代、
(感性が飛翔する暇を与えてくれないスマートフォンが暮らしを壊していく気がする)。

写真は、徳島市南部の醍醐寺(3月28日撮影)。
賑わっているように見えて誰もいない不思議さ(ほんとうに誰もいない)。
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posted by 平井 吉信 at 00:00| Comment(0) | 徳島

2013年02月03日

黄花亜麻 和田乃屋ふたたび モラエスの花が咲く

節分に、黄花亜麻が見たくなった。
和田乃屋さんは17時の閉店間際であったが、
入店すると快くお迎えいただいた。

まずは、中庭の黄花亜麻を眺めよう。
お店の方の話では、昨日が暖かかったため、
花がたくさん開いたようだ。

いつもの滝を背景に
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昨年だったか、藤原正彦さんが来られたときは
雪で花が傷んでいたらしい。

そういえば、藤原さんはこちらにお座りになられてこの角度で…。
孤愁〈サウダーデ〉」の描写をめぐって
お客さんと奥様とで話の花が咲く。
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和田乃屋さんの菓子や甘党、お茶(煎茶、緑茶)はおいしい。
でも、この居心地の良さは空間と人がつくっている。
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抹茶ぜんざいというのもある。
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そろそろ夜のとばりが降りる時刻
黄花亜麻は電灯に向かって、なお向き合うとしている。
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posted by 平井 吉信 at 00:00| Comment(0) | 徳島

2012年12月30日

眉山山頂にモラエスがいた


日本を愛し日本に骨を埋めた外国人として、
ラフカディオ・ハーンとモラエスの名前は耳にすることが多い。
新田次郎・藤原正彦の「孤愁〈サウダーデ〉」が
発刊されたこともあって、
モラエスについて知りたくなった。

モラエスといえば、和田乃屋をはずすことはできない。
さらに、眉山山頂にはモラエス館があるという。

紀貫之の土佐日記にもうたわれた「眉山」は徳島市の象徴。
まちの中心部からロープウェイで一気に上がることもできれば、
ふもとにいくつもある登山道を散策するのも良し。
今回はクルマで眉山に上がることとした。
(かつては有料であったが、いまは無料である)。

先日、民間の旅行会社の調査(2012年)で、
函館、長崎、神戸などとともに
日本の夜景スポットトップ20に
徳島市の眉山が選ばれたそうな。
http://www.tripadvisor.jp/pages/NightviewPoints_2012.html

気温が低い午後、
眉山山頂にやってきた(数十年ぶり)。
空は高くパゴダの塔が迎えてくれる。
山頂からは北に鳴門大橋、淡路島、
吉野川をぐっと手元に引き寄せながら、
眼下には徳島市の市街地が見下ろせる。

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今回の目的はモラエス館
職員の方がわざわざ案内(説明)していただけるとのことで
入館料を払ってお願いした。

館内には、モラエス一家の写真、
マカオで知り合った亜珍と子どもたち、
領事館時代の神戸でのスナップ、
オヨネ、コハルをはじめ、徳島の人たちの写真が展示されている。

新田次郎が途中まで書いた「孤愁 サウダーデ」の
肉筆原稿などもあった。
達筆調ではなく記録を取るような筆致。
徳島でモラエスが過ごした書斎を模した部屋もある。
モラエスに関心がある人にとっては聖地のような資料館である。

さらに、ここにはすでに絶版となったモラエス関係の書籍や
ここでしか手に入らない書籍が販売されている。

徳島の盆踊り」(講談社学術文庫)

オヨネの実家のあった徳島を終の棲家と定め、
遠い異国から故郷を偲びつつ、
オヨネの初盆がやってきた。
死者を迎え入れる人々、
暮らしに息づく日本人の死生観。
モラエスにどのような感銘をもたらしたのか。

「徳島の盆踊り」は異邦人の視点ではなく
モラエスが市井に溶け込んで綴ったもの。
上記のリンク先では1998年に発刊されてすでに絶版となっているが、
モラエスの訳者では第一人者といわれる
岡村多希子さんが、旧訳をさらに修正を行うなどして
2010年に出版したいわばオリジナル改訂版が
館内では500円で手に入る。
(書籍市場で流通していない)

出版は徳島県立文学書道館。
ことのは文庫」と銘打って
徳島にゆかりの作家たちの作品を発刊している。

本を開くと、
コントラストのはっきりとした書体と印字が目に飛び込んでくる。
コンパクトな体裁ながら
文字も大きくてとても読みやすい。

 まるでよくできた電子書籍を読んでいるような感じ。
 電子書籍が場所を取らずコンテンツをすぐに取り出せることを
 うらやましいと思いつつも肝心の画面になじめない。
 目が疲れるというか無機質の質感が落ち着かないのだ。

モラエスが生きた明治から昭和にかけてと
いまを比べて
私たちは何を獲得し、何を失ったのだろう。

世間(社会)という枠は窮屈であったかもしれないけれど、
自由に羽ばたいているようにも見えるのはなぜだろう。

失ったもの―。
いや、それは消滅したように見えるだけで、
遺伝子として、
血として受けつがれているのではないだろうか。

ヴェンセスラウ・デ・モラエス(ウィキペディア)

【関連情報】
徳島大学図書館では「文豪モラエスの作品世界」と題して
2013年2月末まで展示会が開催されている。


眉山から、徳島駅、城山に至るみちは徳島の顔
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県庁方面から沖洲マリンピアを臨む
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水の都徳島。今年お亡くなりになった三木睦子さんを迎えて、1996年に「水郷水都全国会議・徳島大会」を開催した際に事務局を務めた。大会は成功裏に終えた。
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モラエス館の館内には多数の関係者が世界中から集めた資料が展示されている。
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伊賀町にあったモラエスの書斎を再現したもの。
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モラエスが生きていたら、いまの日本をどう見つめるだろう。
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黄昏迫る眉山山頂でモラエスは未来の日本を俯瞰している。
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posted by 平井 吉信 at 11:15| Comment(0) | 徳島

2012年12月15日

三浦醸造所のみそが徳島阿波おどり空港でも手に入る


以前に書いた三浦醸造所のみそは、
江戸時代から地元の人に愛され
醸造元でしか手に入らなかったもの。
この度、徳島阿波おどり空港内のまるしん空港店で
購入できるようになったとのこと。
(現時点では入手できる唯一の店舗)

徳島阿波おどり空港は、
2010年に移設開港したもので
飛行機の滑走を眺められるLEDで装飾された展望台が魅力のひとつ。

空港の駐車料金は1時間までなら無料であり
(施設利用の有無を問わない。その後の1時間も150円)
県内の特産品、みやげものが揃う場所でもあるので
一度訪れてみてはいかが?
ハレルヤスイーツキッチンからも遠くない。

→ 三浦醸造所Webサイト
→ 徳島阿波おどり空港

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posted by 平井 吉信 at 12:24| Comment(0) | 徳島

2012年12月09日

万年山の森とカフェ「万年山文庫」


さらに、眉山の山麓伝いに佐古方面へ進む。
職人たちの日常を支える問屋街や専門店が
旧街道沿いに軒を並べる通りをすぎて、
眉山に近づいたところが万年山。

万年山とは、山ではなく、
阿波を統治した蜂須賀家の墓所があるところ。
山をしばらく散策してみよう。
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降りてきたところに「万年山文庫」という茶房がある。
定年退職をされたご夫婦が徳島に戻り
蔵書を自由に見ていただける場所を眉山の山裾に築いたもの。
風を感じられるカフェ。
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黒米入りご飯のカレー
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窓からは手を伸ばせば届きそうな眉山の樹木
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ほら、コーヒーカップにも風が映る。
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1階には文庫
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飲食店は流行ると
便利な立地の広い店舗に引っ越す傾向があるけど
それからしばらくして客足が遠のく。
なぜだろう?
それは、高い固定費と投資の返済を確保する
利益(売上)を必要とするからである。
その結果、材料や質が落ちる、
売上優先のため効率化で味が変わってしまう。
ていねいにつくられた家庭料理は
量産される飲食店の料理に優るというのは
ぼくの持論だけれど。

つくる人の思いが
雲になってふわりと空を漂うような店はいい。
ぼくらもそんな店主の描く雲に乗りたくなるから。
万年山文庫はそんな場所。

そして、眉山のすそ野に
自然と共生する徳島の暮らしがある。

万年山文庫 
タグ:カフェ 眉山
posted by 平井 吉信 at 18:33| Comment(0) | 徳島

モラエスの愛した黄花亜麻、そして和田乃屋の滝の焼き餅

眉山は、徳島市民の憩いの場。
26万都市のどこからでも見える。
徳島市内を散策するのなら、
阿波おどり会館から寺町の方向へ歩き出してみたい。
寺が散在する界隈の山裾には湧き水「錦竜水」がある。

さらに行くと大滝山と呼ばれる一帯に出る。
大滝山とは眉山の一角にあって
かつては花見や天神祭など
お城下の行楽が行われた場所。
その大滝山の名物が滝の焼き餅である。

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和田乃屋本店は、大滝山へ上がる石段の脇にある。
山から落ちる滝をそのまま中庭に取り込んだ、
甘味処であり、和風のカフェ。
庶民的で気取らないお人柄の主人、奥様、スタッフが迎えてくれる。

その昔、ここの2階では皇室関係者が利用した。
夏は滝を眺めながら涼感満点の甘味処である。
さだまさしをはじめ、訪れる著名人も少なくない。
ここは見合いにも使われた。
実は、うちの父母もここの2階の和室で見合いをしたそうな。
(それがうまくいったせいで、こうしてブログを書いているのだけれど)
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いまぐらいの季節には、
徳島を終の棲家としたポルトガルの文人「モラエス」が愛した
黄花亜麻(きばなあま)が開花する。
こんな寒い冬に嬉嬉と咲く。
※ 北部インドから中国が原産とされる。モラエスがわざわざ徳島に取り寄せて植えたと伝えられる。和田乃屋の庭に咲くが、大滝山の石段からも見ることができる。

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新田次郎はモラエスを著そうとしたが、道半ばでペンを置いた。
その子息は「国家の品格」の著者として知られる藤原正彦さんである。
藤原さんは父の残した資料に加えて徳島の協力者からの提供資料を受け、
さらにご自身の足で十数回徳島の地を訪れた。
そして、2012年の冬、
父の未完の作品は息子の補筆で完成した。
父の思いは数十年ぶりに遂げられることになる。
その著書は、孤愁〈サウダーデ〉新田次郎、藤原正彦。

この時代の日本人(庶民)の持っていた品格、
美意識の高さはいかほどだろう。
ていねいなくらしを
たゆまず積みあげていく日々に
ひそかに喜びを見出していたのではないか。
そして、その感性は
21世紀人がもっとも必要としていることではないのか。

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モラエスは、焼き餅も愛したようだ。
小説の文中から察すると
当時の店名こそ違うが、
描かれた情景からは和田乃屋本店ではないか。
ここで、後にモラエスの伴侶となるオヨネさんも働いていた。
眉山山頂には、モラエス館があり、
モラエスの遺品を収録し、書斎を再現している。

滝の焼き餅は、
米粉を薄く伸ばしてさくっと焼き上げたもの。
素朴でやさしい菓子であり、
奥様がていねいに煎れてくれる茶と
合わせていただくと魂のごちそうとなる。


滝の焼き餅
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手作りでひとつひとつつくられる。
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抹茶や緑茶とのセットでいただく
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手水にたゆたう紅葉
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1階からも眼前に滝のある中庭が見える
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ぜんざいもおいしい
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手入れがあってこその黄花亜麻
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滝と黄花亜麻
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夜のとばりが降りる頃、千と千尋の神隠しが始まる
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さらに散策を続ける

和田乃屋
posted by 平井 吉信 at 17:53| Comment(0) | 徳島

2012年04月07日

勝浦町生比奈の桜と祭りに集う人々


勝浦町は、小松島市と上勝町の間にある
勝浦川中流のまち。
生比奈地区の人たちが中心となって
まつりを盛り上げている。

勝浦川の支流、生名谷川沿いに
植えられた桜とかんどり船

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田園を走る列車と菜の花
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会場を離れて誰もいない近くの山へ。
空間に浮かび上がる花びら。
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青空から降り注ぐ花火。
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桜は誰も見ていないところでこそ。
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何気ないくらしの後ろに何でもない日常がある。
「何もない」ために地道な日々がある。

posted by 平井 吉信 at 00:00| Comment(0) | 徳島