(この記事は4月9日の記事に加筆したので改めて投稿したもの)
四国の四県都を振り返ってみると、
徳島市の中心市街地の衰退が四国の県庁所在地で著しい。
高松では三越のある丸亀町の再開発が進行中。
華やかなハード整備に目が向きがちだけれど、原点には食や医療なども含めて、
まちなかでのくらしを見つめる目がある。
さらに、南部の瓦町駅では天満屋の撤退後、
琴電の主導で商業とコミュニティ施設として生まれ変わり、
大型のライブハウスが誕生するなど波及効果が出ており、
駅の乗降客、周辺の商店街の通行量が増加している。
松山では、2つの百貨店と商店街が連携しつつ、
大街道の入口の大型空き地に複合商業ビルが稼働を始め、
街区のなかほどでも再開発の動きが見えている。
道後温泉本館の更新を間近に控えながらも
道後は海外からの観光客も含めて賑わっている。
3月には、民間のまちづくりの関係者が石破地方創生相にプレゼンテーションを行っている。
その内容は、自立した組織によるまちづくりを行う必要性と
市民を巻き込むことの重要性を訴求したもの。
民間のまちづくりのあり方としては、日本でもっとも先進的な事例のひとつだろう。
資料は、以下に公開されている。
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/sousei/meeting/chiiki_shigoto/h28-03-26-siryou2-3.pdf高知は、平成27年夏に関係者の期待を背負って
複合商業施設「帯屋町チェントロ」が開業。
そこには地元資本の書店が出店するなど全国FCに負けていないところが長所。
ローカルと観光客がともに賑わうひろめ市場や日曜市に加えて、
よさこい、おきゃく、まちゼミ、エスコーターズといったソフト事業をからめ、
地元商店街の団結のもと意地を見せている。
さらには、隣接する小学校跡地に数年以内に図書館の開業を控えている。
高知の近年の著しい活性化の動きは地元住民が肌で感じている。
このように3県都の中心市街地は県の顔となっている。
高松の再開発は所有と使用の分離をめざした最先端の事例であり、
松山のまちづくりの組織は、目線の高さがひときわ高く内閣府も注目している。
徳島はというと、まちなかから経済センタービルの機能が郊外に移転し、
さらには郊外に大型SCの誘致をめざすなど中心部をますます衰退に誘導しているようだ。
また、県市の協調ができておらず、ちぐはぐで無策といえる。
高松の都市計画を見ると、どんなまちにしたいかの中長期の道筋が描かれている。
今回の徳島市長選では、
各候補は新町西地区の再開発の是非を争点にしたものの、
まちの中長期のビジョンは示していない。
かつての駅前と東新町の二眼レフ構想の失敗に学び、
それぞれの地区をどのように位置づけて百年後の大計として
今後数年で取り組むべき課題はこれこれ、と抽出する必要がある
だから、新町西地区の再開発に賛成か反対かの二者択一ではない。
街区の更新は不可欠なので、論点とは何かを考えることだろう。
音楽ホールについては文化センターの耐震補強という主張があったが、
ホールは楽器の一部であり、強度やデザインだけで語れない。
良いホール(音響)があるところに感動(文化への求心力)が生じる。
興業ベースで成り立つ適切な規模はどれぐらいか?
県民の足の実情、県外からのアクセスを考えてどこに配置するのが望ましいか?
近隣や他県とのホールの連携や補完も含めて差別化要素は何か?
音楽に限らず、集客イベントの開催に際して会場の確保に苦労することが少なくない。
数十年先まで俯瞰して、ハコもの行政と一括りにすることなくあるべき姿を考えて欲しい。
子どもの頃、丸新百貨店へ連れていってもらうのは、ハレの日だった。
おもちゃ売場、食堂、屋上の遊具など子ども心に気もちが晴れやかになる場。
ダイエーへ行ったついでに商店街の専門店で買い物をしたり飲食をしたり。
先の計画では再開発で音楽ホールを整備する構想であった。
それは、ハレの場である。
しかし、いまの東新町は、日常の生活機能が求められるケのまちである。
音楽ホールを整備したところで、飲食関係以外に周辺に集客効果が波及せず、
まちの活性化にはつながらないと考えられる。
そのなかで、川の駅のような地勢を活かした構想は悪くない。
また、とくしまマルシェはぶれないコンセプトが奏功し
月に1回という絶妙の頻度は出品者に過度の負担とならず、
市民にとって、まちにハレの場を提供できる機会となっている。
徳島市に必要なのは市民や経済界が共感できるグランドビジョンを示し、
地区の特性に応じて、官民のプロジェクト、イベントなどが散りばめられる政策誘導を行うべき。
国土交通省の立地適正化計画はそのひとつであるが、基本はハード整備である。
それを補うのは、まちづくりをマネジメントとプロデュースをする機能である。
新しい公共という考えに基づいて人々に居場所と出番を提供すること
(これがあるのが高松、松山)。
徳島市に必要なのは、ハコをつくる前に、
まちを動かしていく動機をつくることだろう。
新町西地区に地区更新が不可欠であり、地権者も覚悟を持って取り組んでいるはず。
リスクを背負って事業を行う際に、行政としてどのように関われば良いのか、
市民としてできることはないのかを考えてみたい。
(以下は着眼点)
施設のコンセプトは、人々に居場所と出番をつくる実験的な場とする。
駐車場は基本になるので、有料であっても廉価な月極Pを提供できれば、
銀行、駅、官公庁が近い利便性とステイタスがある街区なので
郊外に出た事業所や事務所が戻ってくる。
利用者に向けては無料もしくは低廉(1時間50円〜100円程度)の駐車場を用意する。
実験的な事業所を集めたフロアは出会いの場である。
古い家屋のリノベーションが流行しているが、構造上の限界はある。
ひとつは通信ネットワークと省エネルギー、さらにはセキュリティの確保である。
新たに整備するのならこの点で有利。
商業、サービス業、小さな町工場やコーヒーの焙煎程度も可能なレイアウトとする。
また、会議や趣味に同好会のための恒常的な賃貸、時間的な賃貸なども交えて
居場所と出番を提供する。
このような場ができれば人が集まるので自ずと商業床も埋まる。
また、周辺に連鎖的に地区更新が波及する可能性がある。
かつて新町地区は徳島でも先進的な地区であった。
いまの時代の先進とは何かを定義する。
仮に、居場所と出番を創造する場とすると、
何をどのように提供すれば良いかを
事業のリスクを背負う再開発の地権者、組合が中心となって、
建設的な考えを持つ市民有志が膝突き合わせて、
短時間(数ヶ月以内)に方向性を出すことが求められる。
まちづくりに行政と市民が公式非公式の枠組みを超えて取り組める流れをつくること。
そのなかで身の丈の事業、リーン・スタートアップの手法による創業、
まちに必要なコミュニティ機能の担い手の発掘など
まちなかに埋もれている予備軍に居場所を提供できるはず。
活性化とはそういうことではないのだろうか?
追記
清貧の大統領として人気があり、
権力に屈することがなかったホセ ムヒカさんが来日された。
お顔を拝見すると、すでに悟られているように見える。
不屈の闘志とぶれない軸を支えていたのは、
おだやかな暮らしへの憧憬と祈りにも似た平和への使命感。
いつも民衆とともにあって
切れ味よりは包容力が優る人。
あるがままを受け容れることができるから
どんな境遇でも濁りに染まることもなければ、
地位に奢ることもない。
なぜなら、すうっと魂の高さを引き上げることができる。
その俯瞰があればこそ本質が見える。
論点を高く広く持つとはそういうこと。
いまの日本の政治家で近寄れる人はいるだろうか。
政治家は無償(実費補償)であるべき、と考えている。
利害得失から離れて大所高所から論点を整理し
かつ現場を知るためにはそうでなければならないのだ。