2017年10月01日

藍について 徳島と藍 ジャパンブルーと藍色


現在は見る影もないが、かつて全国有数の商都であった徳島市。
それは藍の豪商がいたから。
吉野川の大水が運ぶ土佐水(上流の土佐に降った雨が洪水となるのでこう呼ぶ)が
流域の土地に肥沃な土と、山の栄養分を海にもたらした。
藍の作付はその名残である。

先日の徳島新聞で徳島経済研究所の上席研究員の大谷博さんが書かれていたように
藍染めについての表記がわかりにくい。
それに触れる前に少しだけ藍染めの説明を。

友人の藍染め作家、石井孝明君は藍染めの啓発の資料を作成している。
以下はその引用。

《藍草栽培の年間スケジュール》
3月・・・・・・種まき
4〜5月・・・定植(ていしょく)
6月・・・・・・間(ま)引き、害虫駆除
7月・・・・・・一番刈り
8月・・・・・・二番刈り 
9月から染料づくりがはじまる。
乾燥させた藍草は細かく刻まれ、茎を取り除く
葉を 100日ほどかけて発酵させたものを「すくも」と呼ぶ。

すくもは、藍染めの色素・インジゴを3〜5%(100kg中3〜5kg) ほど含有する。
インジゴは普通の水には溶けないので、藍染めできる液に作りかえる必要がある。
このことを「藍建(あいだて)」、あるいは、単に「建(た)てる」という。
これに熱湯、アルカリ材(灰汁)、ブドウ糖(酒)を加える。
染色可能な状態になれば、
液面が濃い青ムラサキ〜ウルシ色に変わる。
表面には「藍の華(はな)」と呼ばれる泡が現れる。
香りも一気に変わり、目にしみるような発酵臭がしはじめる。

(引用ここまで)

とのことで、染めるまでに数ヶ月を要する。
すくもをつくって染める技法を「灰汁発酵建て」という。
発酵により色が濃く鮮やかになるのが特徴で
本藍染めなどと呼ばれるのはこの技法。

石井君の作品を本人の許可を得て掲載
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これは「空と海」と題してぼくをイメージしてつくってくれたもの
事務所にいつも吊してある。工芸品というよりは空気のような存在。
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県内には藍染め作品を展示販売している場所がいくつかある
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藍染作家の梶本登基子さん
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海陽町の(株)トータスでは、藍の機能性に着目し
手間のかかる無農薬での自家栽培の藍を使った藍染め商品を販売している。
しかも手頃な価格設定である。
(「ガイアの夜明け」でも紹介された)
おだやなか笑みを浮かべた亀田悦子さんのお話しを聞いていると
和んでくる。
https://www.youtube.com/watch?v=WSKk5Z0dy48

このトータスで10年働いて、2017年春から独立してお店を開いたのが
永原レキさん。
海に面したIn Between Bluesと名付けられた店は
仲間とともに改装したもの。
カフェ、藍染め工房(体験もできる)、藍染めサーフボードも販売している。
徳島では藍染めが取り上げられると若い作家ということで
紙面でお目に掛かることが増えている。
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ぼくは空と海だけど永原さんは海と空。ともに共通項はこの人である。
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さて、藍染めの分類については「すくも」(灰汁発酵建て)のみならず
藍の葉の乾燥葉を砕いて発酵させずに藍染めを行う製法(灰汁建て)もある。
色調に違いがあったとしてもそれは好みの範囲。
これらは「藍染め」の表示で良いと思う。
(このやりかたでなければの「原理主義」は業界の衰退を招くと考えている)

それに対し、みやげもの店などで長年にわたって販売されてきた手頃な価格の製品は
化学染料である。
従って、藍染め(天然)、藍染め(化学染料)の二種類の表示がわかりやすいと思う。
藍染めと記しながら化学染料と添えるのは矛盾するようだが
これまでの慣例も認めることで業界からの反発も抑えることができる。
少なくとも天然と化学染料を表示で識別できるようにしておきたい。
(知らない人が外観で見分けるのはむずかしい)
藍染め作家、職人の手仕事に敬意を払いたいから。


追記

徳島県は、7月24日を「藍の日」と定める条例をつくっている。
http://www.pref.tokushima.jp/gikai/honkaigi/jyorei/index10.html
https://style.nikkei.com/article/DGXLZO18785090S7A710C1LA0001?channel=DF220420167266

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なぜ、藍かって?
夕焼けとトマトのあとでは青が恋しくなったでしょう。
posted by 平井 吉信 at 22:36| Comment(0) | 徳島

2017年09月06日

狸の話題でもうひとつ 金長神社(金長大明神)が存続の危機


徳島には狸の伝説がある。
化かされた話があちこちに伝承されている。
眉山で狸火が出る。
ちらほらと炎が山麓で舞う。
狸が遊んでいるんだなと佐古の人たちは思う。
しかし火を手招きしようものなら
遠い山裾の火がたちまち眼前にやってくるという。
(見て見ぬ振りをしなければならないのだ)

もっとも有名なのは小松島の金長狸だ。
(以下は昔話を記憶でたぐり寄せているので正確ではないかもしれないが)
子どもにいじめられていたのを日開野村の商家に助けられて
その家に報いようと護り神になろうと決意。
そのために狸界での高い位を得ようと
四国の総大将、津田の六右衛門のもとに修業に出る。

めきめきと頭角を現す金長に、
六右衛門は娘の鹿子姫の婿にと迎えようとするが
義理を果たしたい金長は固持して小松島に戻る。
このうえもなく良い縁談を断るとは謀反の疑いあり!と
六右衛門は金長を抹殺しようとする。

あらぬ疑いをかけられた金長、
必死に逃げ延びたが、一の子分を殺されてしまった。
互いに憎悪を募らせた両陣営が勝浦川の河原、
右岸と左岸をはさんで陣取った。
いまの徳島市大原町のあたり。
(いまでも狸が出そうな寂しいところである)

合戦が始まり、双方に多数の死傷者が出たらしい。
夜中にけたたましい音が聞こえてきて
翌朝河原に行くとおびただしい狸の死骸が目撃された。

さて、総大将はどうなったか?
六右衛門は金長に討たれたが
金長も六右衛門に噛まれた傷に三日三晩苦しんで落命。
いくさは六右衛門の息子、千住太郎と
金長の一の子分であった藤ノ木寺の鷹の息子が二代目金長を襲名し
弔い合戦に至ったが、屋島の狸の仲裁で平和な狸界に戻った。
https://www.city.komatsushima.tokushima.jp/komatsushima-navi/spots/8102.html
(小松島で金長狸のことを教えてくれと誰かに頼んだら、10人中11人は講談師のように語ってくれますよ。なにせ小学校の必須科目に「国語」「算数」「理科」「社会」「保健・体育」「金長狸」とあるので)

これが映画にもなった阿波狸合戦。
→ 阿波狸合戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%B3%A2%E7%8B%B8%E5%90%88%E6%88%A6

映画が興行的に成功したので
感謝の意を持って関係者が建立したのが金長神社。

スタジオジブリの平成狸合戦ぽんぽこにも金長は主役として出てくる。
徳島を代表する小松島の銘菓「金長まんじゅう」の物語もそこに由来する。
(ハレルヤ本店はうちの近所にあって、エースをねらえのヒロインによく似た同級生の女の子がいた。ハレルヤでアップルパイとタヌキのケーキを買ってもらえるときは大喜びだった)
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さて、ときは千住太郎と二代目金長が義兄弟の契りを結んで
平和が訪れた阿波狸界から物語が始まる。
それが三田華子の「阿波狸列伝」。

このおもしろさはハリウッドの冒険ものや
大味な魔法使い少年の物語などとは比べられない。
人情の機微、術使い、多彩な登場人物がいきいきと描かれながら
それぞれが物語の大切なひとこまとして進んでいく。
郷土の書店「小山助学館」から出された全3巻は徳島の秘宝だが、現在は入手が難しい。
電子書籍で蘇らないものだろうか?


金長神社は公園内にある(もしくは隣接している)。
タヌキである金長大明神を祀っている。
子どもの頃は、ここに無料の動物園があって
日本猿、孔雀、タヌキなどを見ることができた。
動物がいる囲いの上に上がることもでき、
管理されない自由度が良かった。
ただし無料であったので動物の飼育と維持管理が市の負担となったのだろう。
ずっと昔に動物園は閉鎖され、公園だけとなった。
今では訪れる人もまばらな状況である。

それでもこの公園は人の手で管理されている。
現地を訪れた際、手入れをされていた方に話しかけてみると
近所の女性の方(78歳)でシルバー人材センターの報酬として管理されているらしい。
この日も血圧が高かったが、じっとしておられぬとここに来ていたとのこと。

ここがつぶされてヘリコプターの発着場を含む多目的公園が計画されているらしい。
市でもなんとかここを残せないかと模索しているとも聞く。
しかし都市公園法では神社の設置は認められていないとの解釈で
現状では取り壊さざると得ないようだ。
行政は法令に則って手続きを進めざるを得ないというのは理解できるが
法令はすべての状況を想定して記述しているわけではない。
かといって現状は市民にとってなくてもいい場所のようになっているのも事実。

公園整備には、日赤病院、日峰山と日の峰神社、小神子などとの一体的な関係性を明確にしつつ
防災、レクリエーション/スポーツ、憩いの機能を再編集約することが求められる。
金長神社をどのように位置づけるか(もしくは切り放して存続させるか)も
そのなかで考えていくことになるのだろう。

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金長神社がなくなる前に一度見に来てみては?

追記
こちらは巨大な狸の像。
さて、どこにあるのだろう?
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答えはJR南小松島駅にある観光ステーションで。
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※ブログ中、ほぼほぼ一部不正確な記述がありえる系の可能性とかがなきにしもあらずかもしれないなのでと推察されるような的ですなので(流行語を使いこなすのはむずかしい)。

タグ: 2017 日峰山
posted by 平井 吉信 at 23:29| Comment(0) | 徳島

2017年07月02日

イオンモール徳島 初体験で見えてきたこと


思い切って、覚悟を決めて、
そしてもし帰ってこられなかったときのために
家族への遺言を従えてイオンモールへ行ってきた。

実はなかなか愉しかった。
角を曲がる度、階に上がるたび、新たな局面が目に飛び込んできた。
買いたいモノはなかったけれど、良さそうな店はあった。
(おそらく説明を聞いてどこに何があるかがわかれば数千円は買ってきたと思うけれど
半時間程度の時間内で買い物の意思決定をするという気構え
― 独特の緊張感を持って― 他人やショップの視線にさらさらながら
孤独な放浪をするのは疲れる。
それでもイオンモール初体験をしなければ
1日一桁は訪れてくれているこのブログの読者との約束を守れないから。
(1人か2人はこの記事を読んでくれたらそれでいい。Facebookだと一瞬で60億人に読んでもらえるので惜しことをした)

一通り眺めたあと、迷わずに出口へ戻れた。
スマートフォンを持っている人だったら迷うことはないのだが、あいにく持っていない。
まずはイオンモール歩きアプリをインストールする。
店内は歩きスマートフォンはOK(徳島東警察署承認番号 平29第246584号)なので
ナビに従って右へ左へとコースを辿る。
ときどき持っている端末の頭が蛍のように点滅して
所有者に注意を促す。
この店がおすすめ、という場面なんだろう。
もし、40代県警職員のスマートフォンが
ポルノショップの前で誇らしげに光ったらどうなんだろう。
(イオンには入っていないようでよかったね)

ときどき、ディスプレイになにかが表示されるらしく
某ブランドの前を30代前半の女性が通り過ぎると、
宮崎あおいちゃんが出てきて、
あなたに合うおすすめなどを3秒程度の時間枠で伝えているんだろうな、と想像。
でも、お節介なアプリケーションが
「あなたの年齢とご趣味には、もう少しおとなの雰囲気で生地のしっかりしたH&Mがおすすめです」
などと割り込んでくるんだろうな。
さらに購入者の声、趣味の良く似た人からのリアルタイムの助言があって
これだからイオンモールはやめられないよね。

さらに、その場で買わなくも、ここでお気に入りに登録しておけば
後日インターネットで購入することもできる。
イオンモールはオンラインとオフラインの実験店舗となっている。
スマートフォンに登録されたデビットカードの残高が商品を上回るときは
アラートが表示されて、それでも買い物をするときは
自動的に少額ローンが承認されるしくみ。
(想像とか推察、というのはぼくはスマートフォンを持っておらずこのアプリを試したことがない)

とにかくチラシの裏に見取り図を書きながら探検したので
なんとか入口に戻ってこられた。
ぼくは迷子になっても
この館内では赤外線センサーで「生物」と認識されるが
どこの誰かわからない。
そのために、入口で顔認証の記録を取っていて
出るときに登録するかどうかを聞かれるはず。
その際に属性を入力するのが面倒なので「いいえ」を選択。
「はい」を押していれば1か月有効の500円クーポンが発券されるのだろうけれど
クーポンを納めておくアプリケーションは
AndroidかiPhoneなのでぼくのPHSにはクーポンは登録できない。

(電話機としてしか使わないので。電話機として大切に使いたいので=相手の声から感情やそのときの心の動きを掴みたいので。これまで知り合った人たちのために電話番号を変えたくないので → PHS以外の合理的な選択肢はないでしょう。もし、折りたたみ式で通話がしやすく、音がよく、画面がモノクロで、メールやインターネット機能、ゲーム、アプリ、カメラ機能などが着いていなくて、電池が1週間程度持続して、数字のキーボードが着いているスマートフォンがあったら参考のため教えてください。次の機種の候補にするので)


しかし店はそんなぼくのために
個人情報とクーポン情報が記録されたQRコードを発行してくれる。
発行手数料は初回無料と聞いているが、2回目からは100円となっている。
だったら顔認識で登録したほうがいいかもしれない。
入口までたどり着けそうなので、緊張の糸が解けた。
ほっとしたので、和田乃屋でお菓子をいただいた。

イオンモール徳島初体験は以上です。
都市型の岡山にはすでに行っていたんだけれど。
どこかの駅前にシアトル系女神様コーヒーが開店したときには
徳島県人は驚喜して数時間の行列ができたと聞いていたから行くのを躊躇したんだよ。
とよとみさんのような良い店があるのにね)

VS東京のプロモーションをやるよりも、VS徳島だね。
改革すべきは内側なり!
などと言っていると
「言っている意味がよくわからないというのが正直なところだ」
「そのような指摘はまったく当たらない」などと言われそうで。

都議選の結果が出そうだ。
どの政党がいい悪いではない。
政治に関心を持つことから始めよう、と言いたい。
ほかに適当な人がいない、支持する政党だから―。
無関心が今回の政治の暴走を招いたのだから。
政党はすべて要らないと思っているけれど
ただちに実現できそうもないので
すべての政党からなる連立政権(という表現も不要だが)として
政策と実行力と人物の3要素で選べばいい。
(現閣僚はすべて選ばれなくなってしまうので、政治家以外から補充しないと。そのために議員をもっと増やすこと。兼業が普通で報酬は実費弁償のみとする。四国に100人程度の議員は必要)
しかしその前に中央集権を終わらせるという、大仕事がある。


追記 サードウェイブって?

iPadもMacも持っていないし、コーヒーだけで味わいたいから
(でもThinkPadは歴代使っている。S30からX240まで)
シアトル系は行かないけれど。
では、サードウェイブ系はどう?
確かにスペシャルティーコーヒーを手煎れしているけれど、
メガネをかけていないし、ひげははやしていないし、
スムージーも飲んでいない。
ユニクロは年に1〜2回行くけど、それがぼくが服を買うすべて。
たまに(東京ではなく洋服の)青山へも行く。
スニーカー、Tシャツ、ジーンズさえ持っていないよ(1着も1足も)。
仕事で着るか、海山川で着る機能的な2種類だけあれば足りる。
(冠婚葬祭さえ仕事着を着ていくよ)
モノへの志向がライフスタイルを表すとは思っていないから。
脱消費、ミニマム消費のように見えて
実はものを所有することは好きだから
DLではなく、パッケージ(CD)を買う。LPと合わせて数千枚ある。

安全でおいしい食品を探したり
自分でていねいにつくるけれど
スムージーは飲まないし(青汁は飲むけれど)
有機JASやオーガニックにも興味ないよ。
(でも魚をさばいたり、米を研ぐのは名人級。梅酒や梅干しをつくっているよ。市販品より確実においしい)
脱トレンドで画一的なのがサードウェイブ。
(他人から見たおしゃれ感、充実感を見て欲しい人たちはSNSをやっているけど、ぼくはやっていない)
脱トレンドで稀少なのも社会には必要だと思うから。
(結局ぼくは何に分類されるのだろう?「その他」かな?分類されないほうがいいから)

タグ:菓子 2017
posted by 平井 吉信 at 16:35| Comment(0) | 徳島

2017年04月01日

ふと気付くと 熊谷寺の山門 白い木蓮が咲いていた 


高知県西部の出張からの帰り、
用事があって土成I.Cで降りようとした。
すると、その少し手前で寺の山門があり、
白い花を咲かせているではないか。

ちょっとだけ見ていこう。
人生は未定稿。

急いでいたのでご本尊を拝むことはできなかったが、
寺は熊谷寺(URLはkumatanijiとなっているが、
「くまだにじ」のようだ)とわかった。
外国からのお遍路さんもいるので、kumadani-jiで検索されるよう
Webページのタイトルとリンク先を修正しておいたほうがいいかも。
http://www.88shikokuhenro.jp/tokushima/08kumataniji/

山門の向こう、下っていく道の左に花が見える。
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ぼくは木の花は詳しくない。木蓮ではないのかな。
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堂々と山門の脇で、互いに引き立て合っている。
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暮れゆく田園風景のなかにいた。
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ベートーヴェンの田園が聴きたくなってきた。
この雰囲気だと、ブロムシュテット+ドレスデンがいいかも。
(無為の為といいたくなるような良い仕事をしているね。オーケストラの木質の豊かな響きに浸ってしまおう)
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1977年6月6-9日、ドレスデン・ルカ教会
http://amzn.to/2nKklN4 (←アナログ時代の名盤が1,000円以内で買えるとは)

(フジX-E2+XF35mmF1.4 R、XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS)
タグ:2017
posted by 平井 吉信 at 18:34| Comment(0) | 徳島

2017年01月29日

和田乃屋に黄花亜麻の季節がやってきた。焼き餅は江戸時代のファストフード

阿波踊り会館からも歩いていけるところの山裾に
天然の滝を取り込む中庭を持つ甘味処が和田乃屋本店
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徳島市内の観光でここに立ち寄らない手はない。
眉山の山麓、大滝山はお城下の保養の地。
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ここには皇室をはじめ、文化人や著名人が立ち寄った。
実は父母もこちらの二階で、滝を眺めながら見合いの茶席を囲んだという。
(それがきっかけでここに文章を書く人間がいるわけで)

しかし和田乃屋さんは気取らない庶民の店だ。
女子高生や近所のおばさんたちが気軽に立ち寄って
焼き餅と抹茶を召し上がっていく。
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その和田乃屋の冬の風物詩といえば
徳島に縁のポルトガル人、モラエスが愛した黄花亜麻
滝を背景に満開となっている。
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冬の海松茶色の山麓に山吹の光がぽっとたたずむ風情、
もち米を伸ばして手で焼いた焼き餅と
抹茶をいただきながら庭を眺めると
癒されたい女性御用達の空間となる。
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滝のやき餅は江戸時代のファストフード、
そして平成のスローフード。
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posted by 平井 吉信 at 11:13| Comment(0) | 徳島

2016年12月25日

徳島LEDアート2016 速報 演出ではないほんものに触れてみては?


時間の都合で一部しか回れなかったが、速報として掲載。

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すべてを見ていないので…とお断りしたうえで書き続けるので
読み飛ばしていただいてもいいことだけれど…。

アップルの端末が出回った頃、
指先で画面がスクロールしたり拡大したりすることが不思議だった。
サンダーバードの新作では、至るところでVRとARの接続する場面が画かれている。
https://www.youtube.com/watch?v=b48iqR63zEM

人々は常に新しい刺激を求め、刺激に飽きたら既成の表現になってしまう。
(LED電飾を見て目を留めることがなくなった)
参加者を見ていると、SNS投稿のためだろうか、
現物を見るより先にシャッターを押していて
心のなかに入っていっていない気がする。
もはやLEDやPJMはアートというよりも電光看板と同じ領域に入ってきたような気がする。
(いっそのこと風船にスポンサー名を入れて予算を抑える発想もあったかも)
でも、その方向はデジタルサイネージがたどる道と同じようで虚しい。
(サイネージを一定のルールのもと誰でも参加できる地域のパブリックメディア=迷子犬を探していますなど、地域コミュニケーションツールとして活用する方策があったはずだが、地図と観光情報がセットになったような箱や見たくもない広告を見せる手段としてITゼネコンや広告代理店の飯の種にされてしまった)
今回も個人が創意工夫して出品されている作品に共感できるものがあったような。

これは勝浦町でこの秋に行われたイベント。
現地に行かないで写真だけをお見せしても仕方ないけど、
お時間があれば見てください。感じるものはないでしょうか?
http://soratoumi2.sblo.jp/article/177277035.html


このブログでも紹介しているような
流れとさざなみが一体となって川底を映すほんものの川のきらめき、
夜の森の静寂のなかにきらめく樹間の星座や獣の気配の饒舌さ。
時間とともに色あせていくものとそうでないもの―。
わくわくやどきどきを大切にしたいから。
徳島にはそれがある。
目には見えない自分だけの宝を探しに行ってみては?
(アートは無目的なもの。感動ってそこから生まれる。宝物はそれを見ようとする心のなかに発現するもの。問題提起として書いてみた)
posted by 平井 吉信 at 14:39| Comment(0) | 徳島

2016年10月09日

吉野川小歩危峡 渓谷に咲く花 プロジェクションマッピングによる風景


身近な草花や植生を追いかけている。
ときに光の花が自然の造形に映し出されるということで
それを見るのもいいだろうと訪れてみた。

場所は小歩危峡。
前回訪れたのは1か月前のこと。ラフティングでは全国有数の場所だろう。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/176663031.html

その秘密は四国山地を横切る横谷(おうこく)にある。
吉野川の大歩危小歩危の白眉は
白川谷との合流点から上流の小歩危峡だが
その付近に岸壁と合流点付近の河原に投影するというもの。

開始半時間前の投影場所
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18時に開始されたが、あたりがまだ薄明で鮮明には見えない。
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カメラでは肉眼よりも明るく捉えてしまうので
目で見た感じに近づけるとこんな感じ。
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太陽は落ちているが、岸壁に光が当たり始めた。
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色が変化するのは
アサガオ、ヒマワリなどと季節が変わっていくからだろう。
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時間が進むにつれて映像が渓谷に浮かび上がる。
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ここが前半のハイライト
(といってもプログラムを再生しているのではなく現場で描いているらしい)
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なお、撮影にはISO3200〜6400が必要。
レンズはXF18-55mmF2.8-4 とXF35mmF1.4 Rを使用。
f2でも速度は1/10〜1/20程度(マイナス1/3〜2/3EV補整)。
映像は絶えず動いているので
映像を止めるのならISO12800、f1.4、1/60秒程度か。
(小型のデジカメやスマートフォンでは難しいだろう)。
しかも会場は混み合うので三脚は不適当。
(邪魔になるし引っかけられるなど事故が想定される)。
だから登山用の1本ストックに載せて手持ち+電子シャッターで撮影した。

樹幹ごしに見るとアートに見えてくる
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場所を変えてみた。
開始当初からずっと標準レンズ。
ISO6400、f2.8で1/10秒。
金の鉱床に彷徨っているよう。
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肉眼ではこれほど明るくは見えない。
渓谷の水の流れが見えるのは
光を蓄積して一定の明るさに仕上げるカメラならでは。

闇夜に浮かぶ光芒はときに金属質な透明感を見せることがある
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本流は右から左へ流れている。
画面下から本流に合流する白川谷の流れに光が当たっている
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ヒマワリがご覧いただけるだろうか。
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ヒマワリとアサガオと椿が揃った
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樹木ごしに見える風景こそが白眉ではなかったか。
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魚はうごめく光にどんな反応を示しただろう。
カニは? ウナギは? アユは? 
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小歩危峡は静かな昼間を迎える。
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posted by 平井 吉信 at 18:04| Comment(0) | 徳島

2016年09月30日

仕事で立ち寄った徳島市内の秋の庭にて


ここはまちなかの学校跡地を民間が文化施設に改装したところ。
朝から行政関係者、民間の有志が集まって、
にぎやかに実験、評価、意見交換を行う。
真剣だけれど本質を見ようとする真摯な試み。
(こんな実践的な場からものごとが動いていく)

その休憩中に庭に出たとき目に止まった草花。
たおやかな秋に楚々とした微笑みを投げかけているようで。
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次に石井町の民間企業を訪問。
田園に風が吹き抜けるカントリーガーデン風のテラス、
なかでも植物に目がとまる。
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(フジX-E2+XF35mmF1.4 R、プロビアそのまま)

自宅の庭のツユクサも追いかけている。
ニコンとフジでそれぞれ。
(撮影日が違うし天候も違うので色の比較という意味ではない)。

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(D7200+AF-S Micro 60mm f/2.8G)

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(X-E2+XF35mmF1.4 R)

身近な植物、自生、栽培、野生、園芸種を問わず
空間に光を集めて人に何かを伝えようとしている。
未来の変化を伝えようとしている。
だから、ささいなところにも目を配りたい。
植物が教えているのは、人が教わるべきことだろうから。




タグ: 徳島市
posted by 平井 吉信 at 10:11| Comment(0) | 徳島

2016年08月18日

鳴門 島田島の古代ハス そして睡蓮のあるカフェへ


ハスは不思議である。
泥のなかから穢れなき花を咲かせる存在は
いにしえから清浄な悟りの象徴とされてきた。
およそこの世の造形でこれほど造花感(変な日本語)のある花はほかにない。
ホンモノなのにつくりものにように見えてしまう。
清らかでありながら滑稽さを秘め、潔らかでありながら媚態を感じさせる。

仕事の合間を見計らって
鳴門の島田島(しまだじま)へ渡ってみた。
この島の北の湿原に
地元の人々が古代ハスを蘇らせたというニュースを思い出したのだ。

国道11号線から、かつて有料道路であった鳴門スカイラインへ。
この道路は西日本でも有数の海岸美を堪能できる。
海沿いを走っていた道路がいつのまにか高度を上げると
小鳴門海峡を渡る(小鳴門新橋)。
クルマを手前に停めて海峡を見下ろすと、
瀬戸町北泊の漁村が海峡沿いに見える。
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しかも、海面が動いている、
つまり海が流れている。
大河のほとりの浮島のような集落。
(こんな風景は実にスタジオジブリ向きだと思う)

紫外線が降り注ぐ空と海に、白い航跡が線を引いていく。
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スカイラインから島田島に降りていく。
島の北端の古代ハスへと導く看板が随所にあってわかりやすい。
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ここから入っていく
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ところが…
もう花は終わっていた。
(8月上旬ぐらいが旬だろうか)

シャワーヘッドとETを掛け合わせたようなデザイン。
爆発する自然は、岡本太郎というべきか。
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これから咲くつぼみが畦に一輪だけ。
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湿地にはガマの穂
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ここの里山は、人が手を離すと
たちまち征服されてしまいそうな濃厚な自然。
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むせかえる熱気がうれしい。ぼくはこの暑さが大好き。
見上げた空の高さ、太陽からの贈り物のあたたかさ。
照りつける日射しの力強い生命賛歌がうれしくて
自宅でエアコンも使わない(取り外してしまったのだから)。
水分も取り過ぎないようにしているので夏バテしないんだよ。
(暑いというのは意識が観測すること。ここ数日は扇風機を32段階の最微弱風で使うことはあった)
その扇風機とはトヨトミ製のDC扇風機。
直流駆動なので電気代を食わないし子どもがいても安全設計だし、
耳の良い人が音楽を聴いても邪魔にならない静かさ。
机に向けても書類が飛ばない、身体に当てても疲れないと良いことづくめ。
しかも1万円前後。
機種を知りたい人はこちら。
http://amzn.to/2bl52Sn

穂が実った田がパッチワークのように。
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紫の花の穂が稲穂と対照をなす
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よく見るとカマキリが潜んでいる
(目の中心はこちらを見ている)
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ハスが見られなかった、と思いつつ引き返していると
まだ花が咲いている湿地があった。
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ハスの台座に仏様が座っている姿が見えるような気がした
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夏の日射しが照りつけると、
そこに花が咲いていることを気付かせてくれる。
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島田島の北端にある大島田地区には
自然度が高い里山(湿原と田畑)が広がっている。
小鳴門海峡側には「四国のみち」があるようだ。
この風光明媚な島は、エーゲ海に浮かぶシテール島のように「印象的」。


話題転換。
鳴門は、京阪神に住む人にとって
週末移住を果たす絶好の場所である。
(平日は京阪神でオン、週末は鳴門でオフ)
オノコロ島を通過する高速道路、高速バスで接続されている。
徳島空港にも近く、遠出も簡単。
四国内は、高松道によって香川、愛媛、岡山と結ばれ、
徳島道によって、高知、愛媛と結ばれる。
会員制高級リゾートホテルがいくつかあるのがその証し。
http://reserve.resort.co.jp/hotels../xiv/naru/index.html

何より食べ物は、京阪神の比ではないだろう。
海の幸(瀬戸内海から太平洋まで)、山の幸、川の幸という点では
徳島は全国有数である。
鳴門だけ例にとっても
鳴門金時、鳴門鯛、鳴門わかめ、レンコン、梨と全国的な特産品が目白押し。
かつては塩田で賑わった浜辺だが、そのナトリウムやミネラルから派生して
世界的な点滴製造メーカーとなった企業もある。
外国人が汗を飲ませるのかと驚いたあのスポーツ飲料、
なぜか沖縄でもっとも人気のあるレトルトなレトロカレー、
というかレトロなレトルトカレーも鳴門の企業がつくっている。
http://boncurry.jp/

赤飯に砂糖をかけて食べるのも独創的だし
お好み焼きに金時豆が入っているのも常識だし
饅頭に砂糖をまぶした人気の菓子や
http://www.tokushima-kashi.com/member/%E9%B3%B4%E9%96%80%E5%A0%82/
これは菓子ではなく芋だろうと言い張る人が続出したという人気の菓子もある。
(この菓子は見かけのホンモノ感もさることながら風味絶佳の逸品)
http://hohgetsubo.jp/
年を取って四国巡礼を始めるのなら一番札所は鳴門から。
日本での第九初演の地であり、ドイツとの文化交流はもはや世紀を超える。
http://doitsukan.com/

鳴門高校は甲子園の常連である。
http://naruto-hs.tokushima-ec.ed.jp/
校歌はこちら http://naruto-hs.tokushima-ec.ed.jp/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E7%B4%B9%E4%BB%8B/%E6%A0%A1%E6%AD%8C/
(旋律が覚えにくいが記憶に残る校歌。和音の解決を先延ばしつつ期待感を高めて「鳴門の健児」で締めくくる)
私立のアピールの場となってしまった高校野球だが
徳島の常連高である徳島商業、池田高校などとともに公立高校である。
(地元出身選手のいない「地元」高校を応援したいですか?)

陶板で複製された実物大の「偽物」をずらりと並べた大胆な美術館は入場料も破格。
http://o-museum.or.jp/
それでも、4kmに渡って1,000点のオリジナルサイズの名画が並べられたら
見るのに数時間かかる(大抵の人は1日で見切れない)ので、入場料対楽しみを時間換算すると
最低賃金を下回るので費用対効果は悪くない。
(まだこの美術館へ行ったことがないとは恥ずかしくてここに書けない)

隠れたアピールとしては、人口6万人の小都市なのに
大学があること。高校が3つ(普通・商業・工業がいまでは2つに統合)あること。
教育と文化こそは鳴門の原動力である。
おっと、大切なものをひとつ紹介し忘れていた。
渦潮である。
http://www.uzunomichi.jp/
(鳴門をここまで紹介しておきながら鳴門市からは1グラムの塩ももらっていない)
だから、欠点もアピールしておこう。
それは、ひとことで紹介できないこと。
鳴門でひとつネガがあるとすれば、水道水がおいしくないことぐらいか。
(漢和及第=いつもの誤変換)

ウチノ海へと川のように流れ込む
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ウチノ海に浮かぶ筏
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島田島の東海岸は渚が続く。ここは南端に近い竜宮の磯
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高校野球では、鳴門高校が優勢に試合を進めているようだ。
昼食は鳴門市内でいただいた後、
藍住町の新しいカフェへ。

何とテラスに池があり、モネの愛した青いスイレンが咲いている。
(大塚国際美術館や高知のモネの庭にも咲いている)
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メールの返信を済ませるとさっそく池を観察。
なつかしのクリームソーダ。子どもに帰れる気分。
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アゲハが舞う、メダカがいる、オタマジャクシとカエルが棲んでいる。
カエルがスイレンの葉に上がってちょこんと座る。
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鳴門のハスに始まり、藍住のスイレンでひとやすみ。
この店は、お池カフェ フルール
(お人柄がよく居心地の良いお店。商売のご繁盛をお祈りします)
知り合いの建築設計士(中川俊博さん)が手がけられたと後日わかった。

暑さが醸し出すこの夏は、極楽浄土に近づいて理趣経が見えてきた。
posted by 平井 吉信 at 23:39| Comment(0) | 徳島

2016年07月30日

空と海と四国 そして四国巡礼GO!


「空と海」ってなんですか?
いったい何を目的に、どのように生き方(活動)をしているのかわからない。

こんな変なドメイン、誰が取るの?
なぜか、人気のドメインで関連するドメインは10数年前に売り切れ。

人は「思い」があり、
それを信念にしたり目標にしたり拠り所にして生きている。
ぼくの場合、それを言葉に凝縮したのが「空と海」。
このブログもその世界観を反映している。

空海が好きだ。
(たまたま家が真言宗だった。徳島ではもっとも多い宗派であり、日本でもっとも真言宗の比率が高い地方)
司馬遼太郎の小説もおもしろかった。
それなのに、四国巡礼には出たことがない。

肉親を亡くしてその供養のためであったり
事業が失敗、人生の艱難辛苦を経験し生きることに思い悩んで
死に場所を求める気持ちで廻る巡礼者。
それを「お接待」で迎える四国路。

ぽつんとひとり、夕立に打たれ、嵐に巻き込まれ
みちを失って路傍に崩れ落ちた日もある。
(同行二人のもう1人は自分自身なのだ)
そんなとき、四国の風土が横たわっている。
そこには感傷もなければ、誰かの干渉もない。

みじめな自分は、みじめでありたいとの
自らの「願望」がつくった幻影であること。
お接待を受ける度に、
見返りを求めない行為を受け止めるうち、
これまでとは別の自分、自分を客観的に見つめる醒めた目があることに気付く。
そう、ただいまを生きていること、
そのことを受け止めるだけ。
(受け止めるためには、これまでの自分を「捨てる」、すなわち生まれ変わる)

死に場所を求めて旅だった自分が
生きることの「欲」を感じ始めている。
それが四国巡礼。

山のミネラルが川を通して海と結ばれる。
そこは空と海の境目のない世界。
学問の人でありながら実践の人でもあった空海。
四国をそのような世界観で見切ったところが「空と海」。
(言葉にすると伝わらないと思うけど)
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ただし巡礼に出たことはないし行こうとも思わない。
そのような時間もない。
(父の死後、通夜も告別式の翌日以降も仕事を休まなかった。けれど三回忌までは毎日朝の読経を行った供養を行った。空間に響く自分の声がふとどこか遠くから耳元で聞こえてくる感覚を覚え、燭光のなかにかたちではない輪郭を感じることもあった)

88箇所とは単なるきっかけに過ぎず、
刹那を感じつつ日々を生ききること、
それが巡礼と思う。

かたちにとらわれないことが真言とすれば
かたちをつくってかたちをなぞる四国巡礼のなかに
その危うさがあるとも言える(わかりやすくいうと商業主義)。
とはいえ、法具やアクセサリー、儀式から入って
わかりやすく体験させることで説得力をもたせることを
空海さんもやっていたので否定はしないけれど。
(理想と現実をうまく行き来して橋渡しをすることの天才だね、空海さんは。理想があるから現実的であり、現実的であるから理想を追いかけられるという意味で)
(白装束と傘を被っていれば、説明することなく「お遍路」とわかる記号の役割はある。ただしアウトドアメーカーなどが既得権を気にせず、もっと機能的な素材とデザインで提案すれば新たなビジネス機会と思うよ)

とにかく、かたちにとらわれず、
あなただけの巡礼を成し遂げてみてはどうだろう。


もしかしたら、それは自宅にいながらできるかもしれない。
どこかのゲームメーカーが
ウォーキングマシンのメーカーと提携して
遍路道の写真を元に仮想現実を構成し
歩きながら四国の遍路道を画面で見せる。

そのためには、「バーチャル先達」になるボランティアが必要である。
バーチャル先達とは、ビデオを装着して(歩いてもぶれない工夫が必要)
可能な限り遍路道を歩く。
そこで得られた画像を編集スタッフが3D化する。
(Googleマップでおなじみのあれである)
遍路道とともに歩き遍路に親しまれた街道があれば
別の機会にそこも歩く。
バーチャル先達はボランティアだけれど
自分が案内した道をバーチャル遍路がたどるとき
協力者として一瞬テロップが出る。
それだけでいい。

予めビューポイントも定めておいて、
景色の良いところでは360度の映像を堪能できたり
少し寄り道ルートで新たな発見ができるようにする。
(四国の自治体や観光協会が喜んでタイアップしそうだ。誰かが寄り道へ入って体感するたび、システム運営協賛費としてスポンサーに課金する)

これなら自宅で時間のあるときに巡礼の旅を始められる。
実際に歩き出すと景色が動き、止まると景色も止まる。
実際の歩行距離が到達すると、Web上で御朱印が得られる。
それを励みに続けられる。
自宅の歩行器で歩くので誰の迷惑にもならず、
時間のない人でも四国巡礼ができる。

歩く途中で、実際に地元の人が顔を出してWebから参加して
あなたの画面に現れて声もしくは文字のメッセージが送られる。
(これはリアルタイムで行われる。メッセージを送る人は少額が課金され、文化財の保全や遍路道の維持管理などに役立てられる)

そしていよいよ機が熟したとき、
リアル四国へ旅立つ。
(仮想だけで巡礼を終える人は少ないだろう)
予め仮想現実を体験しているので不安は少ない。
そして今度は拡張現実により
仮想現実での履歴をリアルに重ねて見ることができる。

ただし、スマートフォンを使わない。
巡礼者にとって道中の電源確保が容易ではないので
緊急の際の電話機能を消耗しないことが必要だからだ。
そのため専用ハードを準備する。

ハードを売るのが目的ではなく、巡礼者の視点から必要だと思う。
具体的には歩行器の表示部を小型化したもので、
自宅の歩行器とは同調が取れている。
防水機能は当然であるが、
リュックに取りつける太陽光充電ユニットから充電ができる仕様にもなっている。
(ケータイ電話にも充電できる)
汎用アプリケーションとしては、
GPS機能を持った地図で次の札所、登録された宿泊所までの距離、
進行方向の天気予報が表示される。
音声による翻訳アプリケーションを搭載して
外国人巡礼者と意思疎通や情報の提供ができる。
さらに簡易の健康診断機能も付いている。
最初からこれらのものがセットされていることが不可欠(その代わり拡張性は要らない)。
住民のリアルタイムの励ましのメッセージや
自治体境界を越えるたびに
自治体のミニガイドが必要に応じてポップアップする。
ドロップボックスのように、大容量の接続環境が使える場所では
撮りだめた写真や手記などをWeb上に格納もできる。
アクセスの設定により家族や友人も居場所やそれらのデータを閲覧できる。

ただしこのハード、動きを検知したら画面が更新されない(必ず止まって見せるため)。
ブームになったあの端末を見ていると、
開発者は、想像力を持って開発、調整を行わなければならないことがわかる。
四国巡礼を世界遺産に登録する前に検討してみてはどうだろう。
これらの機能をわかりやすいインターフェイスにまとめるためには
ハードとソフトの一体化が必要なのだ。
(あるいはレンタルサービスもあり得る)
自宅に戻れば、実際に歩いて味わった現実をマシン上で歩くことで再度体験できる。
このように仮想現実と拡張現実を行き来しつつ、
そこに必要最小限の情報ポータルと世界観を共有できるコミュニティを融合させるとしたら
インターフェイスの設計(コミュニケーションのデザイン)がカギとなる。


追記
水をさすようだけれど、
お遍路アプリもビジネスとして過度に期待しないほうがいい。
大切なのは、四国巡礼を通じてどんな価値を提供できるかを見極めること。
そしてあくまでも巡礼者の視点からコンセプトを練り上げること。
あのブームのアプリケーションを見ていると
急激に普及していることでビジネスとしての寿命は極端に短いことが予測される。
(半年持つだろうか?)
アートの名を借りたプロジェクションマッピングなどもイベントとしてはおもしろいけれど
そこから現実へ波及していかない(体験者の物珍しさがリアル世界への行動につながっていない)。
物珍しければそうであるほど、「ああ、あれはもう見た」の一過性で終わる。
(仕掛け人ももうそのことの危うさに気付いているはず)
アートとは、行動につながるものと定義しているので、ポケモンGoはアートだと思う。
現実と調整は必要だけれど。






タグ:巡礼 空と海
posted by 平井 吉信 at 11:00| Comment(0) | 徳島

2016年07月03日

しんしんと山気が迫る夏 日和佐町北河内の里山はさらにさらに


ある日、ふと迷い込んだ田舎で
どこか懐かしいような、
心がざわつくような、それでいて嫌な感じはしない、
そんな場所で繰り広げられる物語―。

夏が来るとどこかでそんな場面が思い出される。
それらは、探偵モノであったり、昔の人の知恵に諭される若者であったり、
ときにはSFであったり、亡き友人の思い出をたどる成長記であったり。
(参考)あの花

決して観光地ではないし、地元の人ですらほとんど行かない。
地図には載っているけれど、まるで空気のような場所。
そんな場所に行ってみたい人のための記事です。

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場所は、日和佐町北河内(きたがわち)の大戸(おおど)と久望(くも)の集落である。

国道55号線に自動車道(無料)が併走されるようになり
大戸地区を経由するかつての道は通行車両が激減した。
この地区には円形の棚田や、かつての小学校跡に生える見事なイチョウなど
里山好きにはみどころがいっぱい。
伝説の後世山探検隊を送り出したのはやはり大戸地区だった。
さらに、久望(くも)の集落の奥には「赤滝」と呼ばれる滝がある。
ただし、観光地ではないのでクルマを置けるところは限られている。
道幅は想像以上に狭い。
車幅が1.8メートルを超えると気を使う箇所が数カ所ある。
夏になれば(ここに限らず)スズメバチ、
さらにはマムシ、ヤマカガシなどの毒蛇も少なくない。
(車道を歩く限りはほとんど心配はない。スズメバチを刺激する黒い服を着ていかないことぐらい)

まずは大戸から。
集落の道沿いに日和佐川最大の支流北河内谷川が流れ
そのままたどると星越峠に達する。
集落の入口には神社があり、広い境内にクルマを止める。
新田神社という集落の氏神様である。

フジクロームを詰めたライツミノルタCLに40oを付けて
よくここへ来てはシャッターを押していた。
(チャッ。短く歯切れの良いシャッター音で)
(その前に使っていたミノルタハイマチックFも近似の38oだったので、いまでも40oの画角が好きなのだが、この画角の良いレンズは現代に見当たらない)
光と影、水と河畔林、集落の田畑と氏神様の彩なす光景に引かれたのだ。
(そのときに撮影した写真はいまも自室に飾ってある)

だから、このブログで一度も大戸地区を紹介していないことが意外だった。


ここで、日本の里山や田舎が似合うと思うポップスをご紹介。

センティメンタル・シティ・ロマンス「夏の日の思い出」
…1曲目の「想い出のリフレイン」が鳴り出すと、せみしぐれとともに野山をかけた子ども時代が蘇る。夏の叙情とその切なさを歌い上げたシティポップス。しんしんと夏が迫る音楽はそう多くない。2013年にSHM-CDでリマスター復刻された1986年のアルバムだが、枚数が少なく入手が難しい。
(ぼくはアナログで持っている)
夏の日の想い出


松岡直也「夏の旅」
…日傘の貴婦人、 田園詩、 夏の旅と定番の流れ。ジャケットの写真は信州かどこかの田舎道(舗装していない)の停留所で、日傘を差した和服の女性が降りたばかりのバスを見送る後ろ姿が印象的なジャケット。時代背景からして車掌が乗っている路線バスなのだろう。路線バスは田舎の効果的な記号として使われることが多い。トトロもそうだった。母親に手をひかれて停留所から2キロ少々の土手を歩き、夏祭りのお宮の前を通り抜けて田舎のおじさんの家をめざしたことを昨日のように思い出す。2014年4月にお亡くなりになられたのでCDの入手はそろそろ注意したほうが。いまの日本のCD流通は手に入るときに無理して購入しておかないと後悔する。

夏の旅


ハニー&ビーボーイズ「バック・トゥ・フリスコ」
ドライブ感のある1曲目で「夢の先まで行っても…」の歌い出しでこのアルバムの世界観に入っていく。このバンドは、1987年に、西司、村田和人、山本圭右、平松愛理で結成されたもの。良質のポップスとはこんなものの見本のようなアルバムだった。2曲目は平松絵里が歌う。名曲「雨はてのひらにいっぱい」がラストを締めくくる。なぜこのアルバムが長い間、復刻されないのか不思議だ。
バック・トゥ・フリスコ

シングル曲なのだけど、小椋佳「夏ひとかけら」。しーんと迫る夏の気配と去って行く足音のような世界観を日本の情緒を大切にした詩と曲で綴る佳曲。収録アルバムのひとつ。
コンプリート・シングル・コレクション 1971~1976


ライツミノルタCLの代わりに、現代のデジカメ(フジX-E2+XF35mmF1.4)を持って
久しぶりに大戸集落の入口の新田神社に向かう。

鳥居の注連縄が新丁されているようだ。
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この建物、ていねいにつくられている。
山裾の緑が壁に反映されている。
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壁を引き出すと据わることができる一種のミセづくりなのだろうか。
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苔むした一本の樹木、それに建物の背後の森
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日和佐川支流の北河内谷川は澄んでいる。
2人組の地元の男性が手に持つ網でアユを採っていた。
日和佐川には内水面漁協は存在せず放流はされていない。
アユもアメゴも天然モノだけだ。
日和佐川にはダムがないので海と源流を自由に行き来できる。
だから、ウナギ、モクズガニ、テナガエビも多いはず。
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小さな石積みがあって、そこから上手には河畔林が覆い被さって
光と影と木々の葉を映す水の表情が美しい。
まさに1分ごとに変わっていく水の表情を捉えたのは
俊敏なライツミノルタだったのだ。
ただし露出は難しかった。
スポット測光だったし暗部がすとんと落ちるリバーサルでもあったので。

フジX-E2+XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS
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ニコンD7000+AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR
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河畔にはヤブカンゾウの花が咲いている。
若芽は食べられるというが、
飽食の時代に、少なくなりつつある山野草を食べる必然性は見出せない。
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シオカラトンボと紫陽花。よく見ると複眼の中心がこちらを見ている。
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どこにでもいるカラスアゲハのようだ。
ニコンは迅速なAFを活かして望遠専用にしている。
(もっともD7000に100%満足しているわけではないけれど)
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北河内谷川から久望(くも)方面へと向かう道すがらにはねむの木が点在する。
支流を背景に一瞬風がおさまった瞬間にかけてみた。
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水路を見てメダカを探すが、流れが早く水も澄みすぎているので生息に適していないのだろう。

水路に落ちたミミズ(約1尺)が流されながらも足がかりを辿って這い上がろうとしている。
青いワンポイントの帯が印象的。
大きなものは50センチぐらいになるだろうからまだまだ小型だ。
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北河内の集落はかつてと比べて人が減少して空き家が増えているように感じる。
棚田も耕作放棄されて荒れ地となっている枚数が増えている。
野生の鹿や猪は増えているだろうし、
人口減少時代には生息地が少なくなった野生動物が
人のいなくなった里山を支配する時代がそこまで来ているように感じる。
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人口増加時代と人口減少時代は政策を大転換すべきだが、
現政権は真逆をめざしているようで
格差是正、内需拡大、中小零細の事業所を中心に生産性を高める戦略がとれないでいる。
崩れそうな崖、耕作放棄された荒れ地、朽ちた廃屋、濃厚な野生動物の気配を
たったひとりで歩いて感じてみれば、いまの中山間地域の現状が感じられるはず。

秘境赤滝まで1.8kmと出ている。
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20代の頃、仲間を集めて後世山探検隊を送り出した。
この大戸の集落から悲運の姫が眠る後世山をめざすというもので
(地元の人も年に2回の例祭以外は怖がって山に近づかないといわれていた)
後世山へはたどりつけなかったが、幻の赤滝を発見した。
実は、「こっちへ来い」とばかりに、
赤滝まで誘導してくれた3匹の犬がいる。
地元民家が飼っていたエス、ケープ、ゴマという名の犬たちは
もうとっくにいないだろうけれど、その子孫はいるだろうか?

川は小さくなってきたが、野生はますます濃厚になってくる
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開けた地形で民家があった。桃源郷のような暮らしをされているのではないか。
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あと1.5km
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同色が重なると鮮やかに見えるという色彩効果の風景
(だから温州みかんはオレンジのネットに入って売られている)
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右手に崖、左手に沢の昼でも暗く細い道。渓流沿いにガードレールはない。
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いよいよ里山の終点が見えてきた。
ここから遠くの地形からうかがえる谷筋を登っていく。
幻の赤滝はその先にあるのだ。
(幻の赤滝はどんな滝でしょうか? 興味のある人は続きを完結させてください)
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夏の山気が迫る里山は国道が離れ、集落の人口が減少したことで
さらにしんしんと静けさが深まっていた。
日本の将来に思いをはせて一抹の寂しさがさらさらとそよいだ一日だった。
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posted by 平井 吉信 at 22:26| Comment(0) | 徳島

2016年04月14日

ハモ、アシアカエビ。徳島の川が育む海の幸と文学


鹿子沢ヒコーキさんが徳島に取材旅行に来るということで
事前にご連絡をいただいた。
鹿子沢さんは、歴史ある出版社の編集長らしいのだが
それ以上は明かせない。

しばらく腰を据えて四国を取材されるという。
年度末で忙殺されている当方と
奇跡的に1時間だけ互いの時間と場所が接近することがわかった。
眉山に関連する取材をされるということで、
眉山がもっとも秀麗に撮影できる場所として、
吉野川橋北の情報をお伝えしておいた。
ある日の16時過ぎに和田乃屋さんでお待ちすることにした。
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何か旧知の間柄のようだが、
それまでは仕事関係での電話とメールのみ。
この日が初対面となった。
和田乃屋さんでの情報交換は社長ご夫妻も交えて楽しかった。

鹿子沢さんは、いくつかご紹介した飲食に入って
店の料理に感動したとおっしゃった。
その店では、ぼくはランチにすることが多いのだけれど、
鹿子沢さんが注文したのはハモ定食。
東京では絶対に食べられないとのこと。

それならばぜひ行ってみようと思っていたら、
午前中に川内で仕事の打ち合わせがあり、
午後から香川県東部での面談があったので、
自ずとその店に行けることになった。
(行きたいと思ったらそのような巡り合わせになるのが人生)

もちろん同じ料理を注文。それがこれ。
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徳島の吉野川、勝浦川、那賀川から供給される肥沃な粒子の細かい土が、
紀伊水道の海の豊かさを形成している。

瀬戸内海から太平洋までを備える徳島には多様な水産物がある。
スジアオノリ、鳴門わかめ、通年取れるタチウオなど。
なかでも忘れてはいけないのが、ハモとアシアカエビ。
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前者は京料理の食材に不可欠だし、
後者はクルマエビよりおいしくて手頃。
徳島の水産物は実は全国有数なのだ。

先日は、金目鯛が630円で売っていたので3枚に降ろして、
オリーブオイルとニンニクで炒めて白ワインでフランベ。
お頭は昆布だしで吸い物に。
ともに絶品であった。
(魚介料理は裁きから調理までわが家ではぼくの役割)

鹿子沢さんは翌日、ご紹介した室戸を代表する料亭で
キンメ丼を召し上がられたそうだ。
これも感動モノとおっしゃっていた。

さて、ここで問題です。
これは、どの店で売られているハモ定食(焼き霜つくり、天ぷら付)でしょうか?(1,280円)
(ヒント:徳島市と鳴門市の間で地元魚介料理を得意として野菜ソムリエがいる店です)

タグ:ランチ
posted by 平井 吉信 at 01:03| Comment(0) | 徳島

2016年04月13日

徳島市の活性化を考える


(この記事は4月9日の記事に加筆したので改めて投稿したもの)

四国の四県都を振り返ってみると、
徳島市の中心市街地の衰退が四国の県庁所在地で著しい。
高松では三越のある丸亀町の再開発が進行中。
華やかなハード整備に目が向きがちだけれど、原点には食や医療なども含めて、
まちなかでのくらしを見つめる目がある。
さらに、南部の瓦町駅では天満屋の撤退後、
琴電の主導で商業とコミュニティ施設として生まれ変わり、
大型のライブハウスが誕生するなど波及効果が出ており、
駅の乗降客、周辺の商店街の通行量が増加している。

松山では、2つの百貨店と商店街が連携しつつ、
大街道の入口の大型空き地に複合商業ビルが稼働を始め、
街区のなかほどでも再開発の動きが見えている。
道後温泉本館の更新を間近に控えながらも
道後は海外からの観光客も含めて賑わっている。
3月には、民間のまちづくりの関係者が石破地方創生相にプレゼンテーションを行っている。
その内容は、自立した組織によるまちづくりを行う必要性と
市民を巻き込むことの重要性を訴求したもの。
民間のまちづくりのあり方としては、日本でもっとも先進的な事例のひとつだろう。
資料は、以下に公開されている。
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/sousei/meeting/chiiki_shigoto/h28-03-26-siryou2-3.pdf

高知は、平成27年夏に関係者の期待を背負って
複合商業施設「帯屋町チェントロ」が開業。
そこには地元資本の書店が出店するなど全国FCに負けていないところが長所。
ローカルと観光客がともに賑わうひろめ市場や日曜市に加えて、
よさこい、おきゃく、まちゼミ、エスコーターズといったソフト事業をからめ、
地元商店街の団結のもと意地を見せている。
さらには、隣接する小学校跡地に数年以内に図書館の開業を控えている。
高知の近年の著しい活性化の動きは地元住民が肌で感じている。
このように3県都の中心市街地は県の顔となっている。

高松の再開発は所有と使用の分離をめざした最先端の事例であり、
松山のまちづくりの組織は、目線の高さがひときわ高く内閣府も注目している。
徳島はというと、まちなかから経済センタービルの機能が郊外に移転し、
さらには郊外に大型SCの誘致をめざすなど中心部をますます衰退に誘導しているようだ。
また、県市の協調ができておらず、ちぐはぐで無策といえる。

高松の都市計画を見ると、どんなまちにしたいかの中長期の道筋が描かれている。
今回の徳島市長選では、
各候補は新町西地区の再開発の是非を争点にしたものの、
まちの中長期のビジョンは示していない。

かつての駅前と東新町の二眼レフ構想の失敗に学び、
それぞれの地区をどのように位置づけて百年後の大計として
今後数年で取り組むべき課題はこれこれ、と抽出する必要がある
だから、新町西地区の再開発に賛成か反対かの二者択一ではない。
街区の更新は不可欠なので、論点とは何かを考えることだろう。

音楽ホールについては文化センターの耐震補強という主張があったが、
ホールは楽器の一部であり、強度やデザインだけで語れない。
良いホール(音響)があるところに感動(文化への求心力)が生じる。
興業ベースで成り立つ適切な規模はどれぐらいか? 
県民の足の実情、県外からのアクセスを考えてどこに配置するのが望ましいか?
近隣や他県とのホールの連携や補完も含めて差別化要素は何か?
音楽に限らず、集客イベントの開催に際して会場の確保に苦労することが少なくない。
数十年先まで俯瞰して、ハコもの行政と一括りにすることなくあるべき姿を考えて欲しい。

子どもの頃、丸新百貨店へ連れていってもらうのは、ハレの日だった。
おもちゃ売場、食堂、屋上の遊具など子ども心に気もちが晴れやかになる場。
ダイエーへ行ったついでに商店街の専門店で買い物をしたり飲食をしたり。

先の計画では再開発で音楽ホールを整備する構想であった。
それは、ハレの場である。
しかし、いまの東新町は、日常の生活機能が求められるケのまちである。
音楽ホールを整備したところで、飲食関係以外に周辺に集客効果が波及せず、
まちの活性化にはつながらないと考えられる。
そのなかで、川の駅のような地勢を活かした構想は悪くない。
また、とくしまマルシェはぶれないコンセプトが奏功し
月に1回という絶妙の頻度は出品者に過度の負担とならず、
市民にとって、まちにハレの場を提供できる機会となっている。

徳島市に必要なのは市民や経済界が共感できるグランドビジョンを示し、
地区の特性に応じて、官民のプロジェクト、イベントなどが散りばめられる政策誘導を行うべき。
国土交通省の立地適正化計画はそのひとつであるが、基本はハード整備である。

それを補うのは、まちづくりをマネジメントとプロデュースをする機能である。
新しい公共という考えに基づいて人々に居場所と出番を提供すること
(これがあるのが高松、松山)。

徳島市に必要なのは、ハコをつくる前に、
まちを動かしていく動機をつくることだろう。
新町西地区に地区更新が不可欠であり、地権者も覚悟を持って取り組んでいるはず。
リスクを背負って事業を行う際に、行政としてどのように関われば良いのか、
市民としてできることはないのかを考えてみたい。

(以下は着眼点)
施設のコンセプトは、人々に居場所と出番をつくる実験的な場とする。
駐車場は基本になるので、有料であっても廉価な月極Pを提供できれば、
銀行、駅、官公庁が近い利便性とステイタスがある街区なので
郊外に出た事業所や事務所が戻ってくる。
利用者に向けては無料もしくは低廉(1時間50円〜100円程度)の駐車場を用意する。

実験的な事業所を集めたフロアは出会いの場である。
古い家屋のリノベーションが流行しているが、構造上の限界はある。
ひとつは通信ネットワークと省エネルギー、さらにはセキュリティの確保である。
新たに整備するのならこの点で有利。

商業、サービス業、小さな町工場やコーヒーの焙煎程度も可能なレイアウトとする。
また、会議や趣味に同好会のための恒常的な賃貸、時間的な賃貸なども交えて
居場所と出番を提供する。
このような場ができれば人が集まるので自ずと商業床も埋まる。
また、周辺に連鎖的に地区更新が波及する可能性がある。

かつて新町地区は徳島でも先進的な地区であった。
いまの時代の先進とは何かを定義する。
仮に、居場所と出番を創造する場とすると、
何をどのように提供すれば良いかを
事業のリスクを背負う再開発の地権者、組合が中心となって、
建設的な考えを持つ市民有志が膝突き合わせて、
短時間(数ヶ月以内)に方向性を出すことが求められる。

まちづくりに行政と市民が公式非公式の枠組みを超えて取り組める流れをつくること。
そのなかで身の丈の事業、リーン・スタートアップの手法による創業、
まちに必要なコミュニティ機能の担い手の発掘など
まちなかに埋もれている予備軍に居場所を提供できるはず。
活性化とはそういうことではないのだろうか?

追記

清貧の大統領として人気があり、
権力に屈することがなかったホセ ムヒカさんが来日された。

お顔を拝見すると、すでに悟られているように見える。
不屈の闘志とぶれない軸を支えていたのは、
おだやかな暮らしへの憧憬と祈りにも似た平和への使命感。
いつも民衆とともにあって
切れ味よりは包容力が優る人。
あるがままを受け容れることができるから
どんな境遇でも濁りに染まることもなければ、
地位に奢ることもない。
なぜなら、すうっと魂の高さを引き上げることができる。
その俯瞰があればこそ本質が見える。
論点を高く広く持つとはそういうこと。
いまの日本の政治家で近寄れる人はいるだろうか。

政治家は無償(実費補償)であるべき、と考えている。
利害得失から離れて大所高所から論点を整理し
かつ現場を知るためにはそうでなければならないのだ。

タグ:高知 徳島市
posted by 平井 吉信 at 00:00| Comment(0) | 徳島

2016年04月11日

家から10分シリーズ 文化の森図書館の山上の公園


ときどき本を借りに行くことはある。
すでに絶版となっている図書や
書店ではほとんど見かけないいにしえの郷土図書など。

図書館はそうであっても、その上の公園ともなると…。
小学生の姪っ子を連れて来たのがいつ?

四国中を駆け巡っていても足元は意外に行っていない。

階段を昇りきると、山上の公園が現れた。
もはや夕暮れが近づいているけれど
まだ、残照が最後まで花開きそして散っていく桜を照らす。
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飛行機がたくさん飛んでいる。
飛行機雲を直角に横切って飛ぶ場面も。
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斜めの光は植物にあでやかな空気を与える。
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なあ、キリンてジラフでおうとう?(合っている?)
そんな声が耳元で木霊した。
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幼い女の子は、おとぎの国に住んでいて
ときどき現実世界と混ぜ合わせておとなを驚かせる。
そんな時間が愛おしい。

北西の園瀬川の俯瞰
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北東方面はビルが建て込んで、霞の向こうに淡路島と沼島が見える。
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ストーンサークル? UFOがここに舞い降りる目印。
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どんどん上に上がっていく。ここは初めての場所。
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さらに上がると森のなかの踏み跡。尾根を辿って南へ伸びているようだ。
小学校の頃、日峰山の道なき踏み跡や沢を求めて歩いた。
怖い物見たさ、でも好奇心が優る。
そうして胸ふくらむ冒険のとき。
その経験が「風の回廊」となった。
どこまで行くのだろう。この続き、見てみたい。

残照が宿る官能的な根っこ。
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でも、きょうはここまで。
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太陽が山に落ちたあとのふしぎな明るさがほんの一瞬公園を浮かび上がらせる。
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烏に誘われて子どもが家に帰る刻。
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空には三日月が羽を広げて見守る。
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また、逢う日まで。
そう言いながら、月日は同じ場所に戻ることなくめぐっていく。
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タグ: 日峰山
posted by 平井 吉信 at 23:49| Comment(0) | 徳島

近くなのに小学校以来だった 丈六寺の境内を散策


車で10分ぐらいの距離に丈六寺がある。
この寺は、細川氏、さらには阿波藩の蜂須賀氏と縁がある。
小学校のときに遠足で歩いて行った記憶がある。
妹を自転車に乗せて連れていったのもその頃。

眼下には勝浦川が流れる。
子どもの頃、初めてアユのドブ釣りをしたのも丈六寺下の淵。

こんなことを書いているのも
前回に丈六寺に来たのがいつか思い出せないから。
もしかして小学校から来ていないのかもしれない。

日曜の午後のひととき、行く当てもなく自宅を出て
佐那河内方面へ行こうとすると、
道路工事で通行止めという表示があったので
回れ右をして法花方面へ抜けようとして
丈六寺が目に止まった。

久しぶりなので、ときめきを感じつつ、車を停めて散策を始める。
門前の通りはこんなだったか?
石舞台から上流の明日香川にも似ている。
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勝浦川の水を取り込んだ水路に鯉が泳ぐ
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新緑が迎えてくれる。
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広い境内にぽつんと。
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右に、暗殺の際の血が飛び散ったとされる「血天井」がある。
小学校の遠足でも見た記憶があり、誰でも見ることができる。
(写真は割愛)
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境内の周辺は細川家、蜂須賀家ゆかりの墓地となっている
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ここから驚く場所へと。
墓地の裏山に散策路がある。
行き止まりかと思いつつ、登り切ると神社があった。

そしてそこに桜が。
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眼下の勝浦川。ここで初めてのドブ釣りをしてアユを釣った淵。
谷崎鱗海さんの名前とともに蘇る。
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里山を降りて周辺の民家を散策する。立派な石垣が目に付き、
墓守をしていた子孫のご家系ではないかと推察。

桜に触発された。
ここから5分のとくしま植物園へ。
(あとは写真を並べるだけで語る必要はないでしょう)
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posted by 平井 吉信 at 22:48| Comment(0) | 徳島

2016年03月19日

春の絵の具を混ぜ込んで仕上げる 神山 阿川梅の里


一年でときめくのはやはりこの季節。
梅が咲いて桜へ向かう序章の時期、
人の別れと出会いの区切りの春。
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一日あれば、ものごとはどんどん進んでいく。
3日前に何をしたかが忘却の彼方になってしまうような。
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観光という非日常感をもたずに
日常の仮面を外しに行くとしたら神山がいい。
(といっても日常も非日常も変わらない生活を送っているけれど)

この時期は、中央から消費者庁長官とともに関係者が来ているようだ。

鮎喰川はきょうも澄んでいる。
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さらに、ひだまりがたたずんでこちらを見ている。
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そのとき風の神様が現れて
水面に一筆描きの紋様が走った。
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噂には聞いていたけれど
河畔林に沿って疾走するという神様を久しぶりに見た。
(この神様については「風の回廊」という物語がある。Kindle形式で作成して読んでいるのでいずれ公開をと)
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阿川梅の里に着いたのは昼下がり。
梅は盛りを過ぎているように見える。
阿川地区は里山の商店街というおもしろい風情がある。
(里山商店街は、神山の象徴かもしれないけれど)
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坂を上がってみると
この場所は水の神が宿っているよう。
(かつて蜂須賀家の姫が療養に訪れたという石風呂の隣の社)
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咲き残っている梅に午後の光が惜しげもなく降り注いで
梅も人も日だまりの精となる。
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タグ: 神山
posted by 平井 吉信 at 23:24| Comment(0) | 徳島

2016年03月12日

境内に滝があるというふしぎな寺 春はまだ遠い


年度末を迎えて仕事は…。
こんなときに気分転換なら近所の里山へ行こう。
先週行った中津峰ではなく
その南面にある星の岩屋へ。
(思い立って自宅を出たら半時間もかからない)

ここは勝浦町星谷の大宮八幡神社付近からではなく
木尾谷から農免農道から入って農免農道に車を置いていくのがいい。
https://goo.gl/maps/SCGLQZiQRVn
(標識のある道からのアプローチは、まち暮らしの人には酷な細くて曲がった道なので)

春の気配を探しにやってきたけれど寒い。
しかし、このところ花は見ていない。
ユキワリイチゲの季節にはまだ早い。

路傍の花を散策しながら星の岩屋へ上がっていく。
中津峰南面を流れる岩屋谷川の河原。
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これはなんだろう。
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ホトケノザ
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ゲンゲ
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ネコノメソウ
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星谷寺の境内周辺には滝が幾重にも。
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ふと思ったのは外国人観光客に受けそうな要素では。
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まだまだ寒く春は遠い。

追記
撮影した時刻は17時頃であり光量が少ないが、
フジX-E2での手持ち撮影。
レンズは、XF14mmF2.8 R、XF35mmF1.4 R、XF18-55mmF2.8-4 R LM OISの3本。
ゲンゲとホトケノザの拡大にマクロレンズは使わず
35oにエクステンダーを使っている。
これらも手持ちであるが、ビニールシートに寝っ転がっているため
肱が疑似三脚となっている。
手持ちでまったくぶれていないのは電子シャッターによるところが大きい。
シャッターを押すのではなく、落ちるという感覚で切るのもコツ。
(一眼レフでは間違いなく手持ちで手ぶれしていたはず)

なお、ここから中津峰に上がる登山口があるとされるが
時間の関係で見つけることはできなかった。
中津峰のなかでは人が通らない登山道であるため
荒れているかもしれない。

posted by 平井 吉信 at 21:58| Comment(0) | 徳島

2016年03月06日

原田一美さんの児童文学「博士になった丁稚どん」「青い目の人形」と原田家の蜂須賀桜


幼い頃、父にドブ釣りに連れていってもらった。
ドブ釣りとは、アユの解禁後初期に淵で毛針を上下に動かす釣りである。
天候、太陽の位置、水の透明度、川底の珪藻などによって毛針を選ぶ。
当時小学生のぼくも毛針の固有名詞を覚えている。
(岡林1号、青ライオン、八つ橋など)。

毛針は近くで眺めるとなかなか美しい工芸品のようでもある。
ドブ釣りは錘を付けるので、ときたま底にかけてしまう。
鉛は惜しくないが、毛針は惜しいので
鉛が仕掛けからはずれやすくなっていたと記憶している。

谷崎鱗海さんという釣り名人がいた。
どこでその名前を知ったかというと
父が口癖のように「鮎釣りを谷崎名人におそわった」「谷崎鱗海さんが…」。
谷崎名人の自称弟子ということなのだろうが、真偽はわからない。

鱗海さんの本名は義男という。
那賀川中流の相生の生まれで
子どもの頃から那賀川の主といわれる鮎釣りの名人であった。
しかし勉強もせず、親に隠れて釣りばかりしていたので
とうとう勘当され、12歳で徳島市佐古の美馬商店で丁稚奉公を始めた。

熱心な勤務態度が主人に認められて、
(こっそりと勉強していた)勉学を認められて
丁稚をしながら学校に通わせてもらえることになった。
ひとりになって勉強ができるありがたさが身にしみたのだろう。
17歳で店の最年少の番頭となり、その後ご恩を返したあと、故郷で油屋を開業。
誠実な商売で事業を発展させた。

若い頃、肋膜炎にかかった奥様を至れり尽くせりの手当を行って数年で回復させた。
商売で貯えたお金をすべて吐き出してしまった谷崎さんであったが、
ご恩のある美馬商店がのれん分けとして徳島市南部の二軒屋に店をもたしてくれた。
小学校の恩師樫原先生、それに命を救った奥さんの後押しで勉強を再開、
次々と合格を果たしていく。
ついに、小学校中退でありながら高等文官(いまでいう国家公務員のキャリア)の試験に合格
(当時は2万人に1にといわれた)。

しかし…谷崎さんは、商売を続けることにした。
野に咲いてこそと、徳島で商売を続けながら生きていくことにした。
(感動的なくだりなので原書でどうぞ)

昭和11年のある日、谷崎さんは吉野川の河口に釣りにやってきた。
そこで自らの人生を振り返って感慨にふけっていたかもしれない。
その足元に一生を終えて身を横たえたアユの姿が…。
短い一生だったけれど、アユの鱗に刻まれたいのちの証し。
鱗海の誕生する瞬間である(これもぜひ原書で)。

順調な商いを番頭と丁稚に任せて、自身は鱗海と称して
一生をアユの研究に捧げることとしたのだった。
やがて14年をかけて吉野川に棲む魚種を39種類と結論。
同様に那賀川では41種類と特定。
これは川という生態系を知る土台となった。
鱗海さんは自由な研究の真実の愉しさに気付いてしまった。
アユの生態調査は30年にも及ぶ。
(まるでアユを隣の人を観察するかのように、血の通った生き物の生態を解き明かしていく)

アユは夜も遡上するという説に対し、
夜の川に入って何時間もじっとしながら
闇に目を慣らしてアユの寝顔を観察すると
昼間のどう猛な顔つきと違うことに気付いた。

県内のどの川のアユがおいしいかを釣り人に尋ねたところ
鮎喰川という答えが圧倒的に多かった。
その理由は、良質の苔を産すること、
その原因は、伏流水と山から入る沢の影響で水温が低く保たれることにあった。

谷崎さんの研究はダムができる前の時期であった。
吉野川、那賀川、勝浦川は昭和40年代にダムが整備され、
その後は下流に土砂が供給されなくなる問題や
川底の藻が泥をかぶる状況などの弊害が問題となるが
これはそれ以前のこと。

ひとつは川の大きさも関係しているのではと思う。
大きな川の魚は、水流の多さから(=水圧の大きさ)から
骨が太くなる傾向にあるのではないか。

四万十川本流よりもおそらくは黒尊川、
吉野川よりも穴吹川や鮎喰川など
支流が優位になる可能性はある。

流域の山々の微量ミネラルも影響しているように思う。
(ミネラルは骨の形成に影響があるだろう。骨そのものがミネラルの貯蔵庫なのだから)
これらの要素も鮎喰川に有利に働いたのではないかと考えるのだ。
そういえば、きき鮎で上位に選ばれる川、
例えば安田川などもそうだが
必ずしも水質(同じ地域の野根川は日本有数の水質だろう)で最上級とは言えないのに
鮎の風味は佳い。


ここで谷崎さんの話題に戻そう。
終戦を迎えるとGHQの民主化改革により
74人の店員を雇用した谷崎さんの財産は没収された。
さらに奥様が難病にかかり、それまでに貯えた富を吐き出してしまった。

最後は小さな釣り道具屋を経営しながら、
一家がささやかな暮らしをしながら
店を息子に譲り、自身は釣りの知識を活かして指導や講演を行うようになっていた。
京都大学の研究者に声をかけられたことがきっかけとなり
47,234文字の論文「海水温、淡水温によるアユの生態、習性について」が認められて
博士号を取得する。

理学博士の学位は、その不屈の意志と、限りない努力に咲いた花でした。
徳島の海と、川と、魚たちが、鱗海さんに捧げた賛歌でした。


(「博士になった丁稚どん」。この著書が絶版でもはや入手できないのは徳島県にとって文化の喪失ではないだろうか。また、谷崎鱗海さんの名前もWeb上ですらなかなか見つけられないのが残念)

しかし、この実話を著作にまとめられた原田一美さん、
書籍に編集された(株)教育出版センターの乾孝さんに心から感謝したい。
(郷土図書にかける乾社長の強い思いを存じ上げている)

原田一美さんは、冨田小学校の元校長で徳島の児童文学作家。
つい先日の2016年3月1日に89歳で亡くなられたとのこと。
ご冥福をお祈りいたします。

原田先生は、美郷でのホタルや神山町の神領小学校のアリス人形についても取材され
それぞれ「ホタルの歌」「青い目の人形―海を渡った親善人形と戦争の物語」にまとめられた。
 → ホタルの歌 (動物の記録 1)

 → 青い目の人形―海を渡った親善人形と戦争の物語

昭和2年に国際親善を担った人形のたどった過酷な運命とそれに抗い守ろうとした人たちの物語、
(阿部ミツエ先生もすでにこの世にいないけれど…)
http://e-school.e-tokushima.or.jp/kamiyama/es/jinryou/html/htdocs/?page_id=24
それから大南さんらのご活躍でアリスは里がえりも果たすことになった。
(アリスとともにあった人々がいまの時代を見たらなんと言うだろうか…)
http://www.in-kamiyama.jp/diary/8533/

美郷や神山が注目を集めているが、
その背景には自然や文化を大切にしてきた人たちの伝統があることを忘れてはならない。


写真は3月6日、一般公開された徳島市の原田家の蜂須賀桜。
曇り空に晴れやかな桜が別れの春をうたっている。
(重文の原田家と原田一美さんの関係は不明)

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タグ:昭和 神山 美郷
posted by 平井 吉信 at 23:02| Comment(0) | 徳島

2016年02月27日

阿川梅の里 神山 梅がほころび桃源郷のきざし

梅を主題に祭りが各地で開かれる。
でも、山里は道幅が狭く車を置く場所も広くないので
混雑を避けるために人出を避けてずらして出かけることにした。
梅の開花には少し早いと思ったけれど、そうでもなかったようだ。

実はここへ来るのは初めて。
里を散策するにもどこを歩いていいかわからない。
山なら地形を読めばいいが、里道はそうはいかない。
いつのまにか、人家の庭に入ってしまったり
犬に吠えられたり、崖に出たり行き止まりになったり。
1/25,000の地図を持っていても、
地形図に掲載されていない道、
人が歩ける里道、
軽トラなら通れるが普通車は通れない路、
廃道、荒れた林道、整備途中の林道、
さらには新たにつくられた農免農道が入り交じり、
山なら地形だけを読めばいいが、
地図から読み取れない人工要素が多いため、
地図を持参してもわからない。
まして、標高や地形、東西南北や縮尺が想像できないイラスト図では
歯が立たない。

地図に慣れた人間にはデフォルメが苦痛。
上が南の地図も苦手だし、カーナビも進行方向ではなく
北が上でないと運転しにくいのは、
脳のミューロンが地図を想定してつながっているためだろう。
カフェで1/25000の国土地理院の地図を見ながら
にやけているという子どもの頃からの地図オタクなので。
同様に電子地図もときめかなくて…。

漢和及第(いつもの誤変換なのでご容赦を)

結局、コンパスと地形から迷うことはなかったけれど
観光看板の地図をトレースできなかったのだ。
その顛末と道中、もちろん阿川梅の里に興味のある人は続きをどうぞ。

神山といえば、日本有数の梅の産地。
主な品種は、鴬宿梅を主力に、青うめ、小梅、信濃小梅、林州梅、南高梅。
かつては400トンを越える収量があったはずだが
いまでは激減しているはず。
長期的には外国産との価格差による市場価格の低迷と
生産者の高齢化で摘果作業ができなくなっている点が影響しているのだろう。

梅干しは子どもの頃から大好きな食べ物。
あの大きな果肉の塩で付けた梅干しを
ぐじゅぐじゅと果肉のほとばしる酸味をごくごくと食べていた。

その梅の里山を歩くのが初めてというのは
場所がわかりにくかったからである。

車は交通の邪魔にならない場所を見つけて置いた。
観光看板を見つけたので
手元の国土地理院とにらめっこしつつ散策を開始。

鮎喰川(中流)は楚々として流れる
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神山へ入るとかかしが河辺で休んでいる
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中流ながら水が澄んでいるのはダムがないため。
それと緑色片岩(青石)が多い川底の影響か。
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鮎喰川の支流 広石谷川を遡ると阿川地区に。
すると、看板を発見。
公民館や小学校跡地を出発点とするとわかりやすいかも。
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集落を流れる川沿いの民家
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集落の商店のたたずまいに目が止まる。
住宅展示場の住宅を見てもまったく心が動かないが
(フローリングの床や島台所の金太郎飴のようなたたずまいに絶句)
古民家や古い商店のたたずまいにひかれる。
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谷川の橋を渡ると急な登り道になっている。わくわくするような傾斜と梅の枝振り
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石風呂という標識が現れた。
江戸時代に使われた蒸し風呂とのこと。
思っていたところと違うところを通ったようだが、現在位置が判明。
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敷地内には社があって岩と苔が神宿る雰囲気を醸し出す。
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散策路は梅園へと続いていく。
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この後、神木地区へ降りようとしたが
径はやがてなくなり、送電塔に出た。
(観光看板が誘導しようとした径とは明らかに違う。どこで間違えたか?)

すると里の谷へ向かって降りる小径があり
橋をわたって車道に出た。
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川とともに暮らす集落のなりわいが見える。
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里山の春が視野いっぱいに匂うよう。
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神木地区へはこの道路から再度登り返すことに。
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田んぼのあぜ道に春が見え隠れする。そこに映った空の色に。
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崩れかけた石積みと梅の木、そして谷川。これが阿川梅の里の絵かも。
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タグ:カフェ 神山
posted by 平井 吉信 at 22:46| Comment(0) | 徳島

2016年02月09日

18年を迎えて ニホンカモシカと過ごすとき


事業を立ち上げて18年目と2日目のある日、
神山へ行くことにした。
(創業記念日とでも?)

いつもの店でランチをいただこうとしたが売り切れ。
ならば評判の良いカレーで。
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牛肉、マッシュルーム、まろやかなバター風味。
豊かなコクの幸福感をスパイスの香りを立ちこめて
セットのコーヒーが計算されている。

食後に足を伸ばして棚田の広がる隠れた里山、大久保地区へ。
道の駅からは標高255メートルの山が衝立となって
集落が広がっていることが想像できない。
峠を越えると、眼前に鮎喰川支流の上角谷川が蛇行し、棚田がパノラマ状に広がる。
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河畔には樹齢年といわれる大イチョウ。
好きな人にはたまらない光景。
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場所を移動して山中を散策していると、
ふと野生動物を目が合った。
イノシシ、シカ、タヌキなどとの遭遇は日常茶飯事だけれど
これは、ニホンカモシカの子ども。
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距離3メートル。
でも、逃げない。
こちらを怖がっていないし
こちらも不安を与えないよう
ときおりしゃがんだり視線をはずしたり。
この間、10分ほど。
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たまたま持っていたニコンD7000+Micro 60mm f/2.8Gと
この日、ファームウェアの改善で操作が一新されたフジX-E2+XF35mmF1.4 Rで。
(この日から電子シャッターが使えるようになり、無音で衝撃のない撮影が可能となった。そのため像の鮮鋭度が上がっているはず)

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目を空に向けた瞬間、空を反射した無垢の瞳が見えた。
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帰りに立ち寄ったら、まだそこにいた。
声をかけてみる。
崖から谷を見下ろせるこの場所は、お気に入り、憩い場なのだろう。
ぼくのように散策路をはずれて山中に入らなければ
人間と遭遇する場所でもなし。
自然保護に携わる公的な組織からの問い合わせには協力するけれど
場所については秘匿したい。


神山といえば…
消費者庁の徳島への移転の話題がある。
消費者行政に限らず行政は他省庁や関係団体との調整が必要である。
面談時の配付資料は紙媒体で行うことが少なくない。
再配布に一定の制限を課したいからである。
テレビ会議で代用できるのは
同じ組織内などの同じ目的を共有する人たちに限られるし
不特定の人の意見交換や調整にはなじまない。
(東京の行政機関とテレビ会議の実体験から書いている)
ITの本質は、人の意思疎通を支えることと信じているが
人の意思疎通をITで検証するのは本末転倒では?
ただし、テレビ電話の可否を論じているのではない。
例えば、地域のコミュニケーションツールとして
可能性を秘めているはずのデジタルサイネージさえ、
ITゼネコンの金儲けのネタとしてしゃぶられ
「デジタルサイネージは使えない」などといわれるのは不本意だろう。

むしろ、省庁機能の移転ではなく
省庁の職員のスキルアップを目的に
総務省の若手職員などが短期滞在で現場(地元の官民)と連携しつつ
仕事を行う際の教育訓練としての位置づけや
出向など人事交流の場として位置づけるのが適切ではないか。

あちらからこちらをみれば
(ものごとは自分中心に考えず相手の立場に置き換えてみる)
神山へ省庁機能の一部を移転することで東京は不便になる。
それは、地域活性化の足を引っ張ることになる。

本質は、地域と中央との関係性をどのように再構築するか。
そのためには、この国がどの方向へ行くかのビジョンを示す必要がある。
(いまのように首相の思惑=あえて独裁と書く=で国が動かされ、政局のたびに方向が迷走するのは国益に叶うとは言えないだろう)。
理念、方針などの国のあり方が納得のいく方法で決定され、
国と地域との関係性と課題が抽出され
具体的な行動計画を描かれたあとで
その実行策として省庁の移転が位置づけられたのなら話は別だが。

地域の発展が国の発展というのは地方創成の要であるが、
枝葉末節を議論しているときではないように思うのだ。
神山町の心ある人はそう考えているのではないかと。
posted by 平井 吉信 at 23:37| Comment(0) | 徳島