2018年09月04日

(藍染め)石井孝明×篠原ともえ → よかったじゃないか


この人、二〇代の頃、インドに半年ほど出かけていたことがある。
徳島に戻って、まっさきにうちに寄ってくれたのだが
インドの半年分の匂いを貯め込んだようで、さすがに苦笑。
自宅に戻ると飼い犬に吠えられたそう(犬もわからんかった)。

その後、藍染めの道に入り、そこで出会った女性と結婚して
藍染めの道を歩み続けている。
石井君がいるのは徳島市応神町の藍染工芸館。
前衛的なデザインではなく
モチーフはどこにでもある素材なのだけど
彼の誠実でやさしい人柄がにじみでる。
(いまの時代だからこういう人が光るよね)
応援したいと思っている友人のひとり。

その石井君からメールが届いた。
記されたURLをクリックしてみると
あらあら、著名な女性のブログに掲載されているではないか。
https://lineblog.me/shinoharatomoe/archives/67146721.html

この際、石井孝明君の藍染めを本人に無断で掲載してしまおう。
多くの人に知ってもらえばいいじゃないか。
(新作ができるたびに画像を送ってくれる。そしてこちらは間髪を入れずにコメントを返す。そのせめぎあいを彼も愉しんでいる)
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以前に「空と海」をモチーフにつくってくれたタペストリの記事
http://soratoumi2.sblo.jp/article/181155438.html

初めて藍染めの世界に入ってどれぐらいの年月が経っただろう。
でも終わりがない挑戦、
これからもそうであるように、これからもきっと。
posted by 平井 吉信 at 01:08| Comment(0) | 徳島

2018年07月15日

高徳線 2600系「うずしお」に乗ってみた

西日本豪雨の翌日は出張。
天候は回復したものの
JR四国は高徳線を除いてほとんどが止まっている。
(本日中にすべて復旧するだろうと思っていたらそうではないことが後日判明)
牟岐線でも特急が止まっているので
徳島駅まで出てうずしおに乗ることができた。
ホームに滑り込んできたのは、2600系ではないか。
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2600系に乗るのは初めて。いつもは2000系しか乗ったことがない。
2600系はJR四国の最新車両(気動車)で空気バネが特徴。
以前から乗りたかったが、2両編成のときに限られており
ぼくがよく乗る時間帯は3両編成なのであきらめていた。
今回は時間帯をずらしたので初めて乗ることができた。
(2602と2652の2両編成)

動き出すと鮎喰川を渡り、吉野川の鉄橋を通過し
(実はこの辺りが高徳線でもっとも振動が多い)
レンコン畑を見ながら走るローカル特急「うずしお」。
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この色は山河の多い四国の風景に映える。
室内は青いシート(2652)に床は木目。
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明るい雰囲気は特急南風(2000系気動車)に似ているが、
シートはいしづち・しおかぜ仕様だ。
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床の材質は木なのかPタイルかは見分けが付かない。
厚めのポリエステル塗装を施した集成材かもしれない。
室内は明るい雰囲気が横溢している。
足元も従来よりは広く感じる。
なお、2602はえび茶色。
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シートはダンピングの効いたやや堅めのもので
ヨーロッパ車のような快適なもの。
シートの角度はやや立っている。
腰痛の人には歓迎されるのではないか。
2000系の車両は(クッションのへたりもあるのだろうが)やわらかい。

走り出して気付いたのは車両が揺れが少なく静かなこと。
空気バネを使っているだけではなく
最新の設計で細部が磨かれているのだろう。
空気バネはやわらかいので限界を超えると
突然傾くようなところがあるかもしれない。
しかし従来の2000系よりは快適である。

窓はカーテンではなくスクリーンとなっている。
そのため窓がサッシのように区切られている。
2000系と比べて視界はやや狭くなっている。
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各座席には充電にも使える100vのコンセントがお目見え。
JR四国では予讃線の特急しおかぜ・特急いしづち(8600系)ですでに装備されているものだが
高徳線では初登場。
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手荷物を置く場所が大きくなってキャリーカートを載せられるようにしている。
空調も静かだ。
足元には暖房装置と思われる吹き出し口がある。
しかし床下の清掃に難点があるのではと推察。

トイレや洗面室のレイアウトが曲線を描くのも8600系のいしづち・しおかぜと同じ。
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車内のアナウンスは日本語に続いて英語も加わった。
This is the limeted express train bound for Takamatsu.The next station is, Sanbon-matsu,thank you.
(首都圏でも似たようなお声を聴いている。もしかしてアナウンスの声の主はクリステル・チアリさんかもしれない。英語の発音ながら地名は日本語風に発音)
https://www.youtube.com/watch?v=yS3csiZbUMQ
https://www.youtube.com/watch?v=xs24fCftDGw

大雨がどこに行ったのか、おだやかな東讃の里山を縫って粛々と走る。
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いつもなら悠々と瞑想(寝る)するのだが、

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乗り心地を味わいつつ
久しぶりに晴天となった緑の田園を眺めようとして寝られない。
同じ場所を雪景色と比べてみた。
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屋島を過ぎると家屋やビルが立て込んでくる。
高架の栗林駅を過ぎて右カーブを続けてトンネルをくぐると
サンポートが見えてきた。
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初の2600は心が弾む体験だった。
JR四国にもっと乗ろう。
タグ:JR 2018
posted by 平井 吉信 at 11:16| Comment(0) | 徳島

2018年05月28日

吉野川大橋を河口付近から眺めて見送る落日


吉野川にかかる橋と眉山は徳島市の象徴。
普段なら感傷的になる時刻だけれど、このところの国の状況が…。
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何事もなければ良いが…。
posted by 平井 吉信 at 22:45| Comment(0) | 徳島

2018年05月18日

突き抜けようとした魂 ブルースカイブルー


歩いて買い物にいける範囲には八百屋が6〜7軒あった。
主に行く八百屋は決まっているが、
ときには子どものおやつはあそこで
パンはあの店でなどと買い回りをしていた。
(まだ子どもが1円玉を握りしめて買えるものがあった時代である)

自転車専門店、喫茶店、肉屋、すし屋(2軒)、キリスト教教会、ふとん店、餃子店、中華そば店、うどん店、仕出し屋、薬局、陶器店…。これらは全力で走れば1分とかからないところにあった。
歩いて2分の場所には子どもの遊ぶ広場(楠と小さな神社もあった)があり
フェンスの向こうは国鉄小松島線の広々とした線路が横たわっていた。
(JR牟岐線の中田駅と小松島港駅を結ぶ全長1.9kmの日本でもっとも短いローカル線でありながら、準急で四国の四県都と結ばれていた)

線路沿いには保線区(汽車の点検を行う車庫)、
石炭を置いておく小屋、
港に着いた乗客を徳島、高松、松山、高知へ向けて
いつ果てるともなく続く車列を踏みきりで見送っていた少年だった。
列車が通過する度、遮断機を人が上げ下げしていた。
路線バスには車掌が乗っていてお金を払って切符を切ってもらっていた時代である。
(岡崎友紀の18シリーズではバスガイドもあった)
https://www.youtube.com/watch?v=xSmRZzH5XS8
(今から見れば仕事の生産性はありえないが、それでもほとんどの国民が中流でいられた。その時代の歌の力と今が違っているのは当然かもしれない)
小松島線は昭和60年3月14日に廃止となる。その最後の日に汽車を見送った。

当時の小松島線の状況が掲載されている貴重なブログ
バッタやコオロギを追いかけた線路沿いの草むらがなつかしい
https://blog.goo.ne.jp/mazenannpuu260915uptodate/e/8d14e04b3976f3cdc009feaf6e3cfdf4

線路をはさんでまた別の公園があり、
地上から2メートルぐらいの高さの時計台の内部に潜り込んだりして遊んだ。
フェンスを跳び越えたボールをこっそり拾いに線路は入ると怒られたものだ。

映画館は2軒あった。
書店も2軒あった。
ハレの日には二条通の洋食堂コトブキに卵の乗ったカレーを食べに行く。
重厚な雰囲気のインテリアに囲まれて家族で食べるのはときめきだった。

その前にはハレルヤの本店もあった。
(同級生の女の子のご両親が経営していた)
いまでは別会社の経営になっているが
金長まんじゅうとたぬきのケーキは受けつがれている。
でも、あの至宝のアップルパイは復刻されなかった。
円形の土手が5センチぐらい盛り上がって多層になった焼き菓子で
このさくさくとした食感と
リンゴの切片がふんだんに載った中央の窪地に載せられて
その下にはラムレーズンのカステラ生地があったような。
(もはやレシピがないのだと思うが、再現されるときは記憶を総動員してお手伝いします)

まちなかに住んでいたように見えるけれど
桜が咲く公園、土だんごをつくれる場所、草むらのコオロギやキリギリス、桜に集まるアブラゼミの合唱、へびやトカゲもテントウムシもカナブンもコガネムシも日常の一コマ。
(近所を5分歩けば虫かごがたちまちあふれるのだ)
蚊にさされてぼりぼり掻きながら草むらに飛び込んだボールを探していると
夏草の草いきれの上に空が見えた。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/102997084.html

高度経済成長期にぼくが好きだった絵本が「大きい一年生と小さな二年生」。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/69583506.html


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 ☆、。 ・*'★ .。 ・':....*.:'☆        .。・:'*・':'・★


あの人の指にからんでいたゴールドの指輪を引き抜き…♪

年上の女性へのほのかな憧れをどうすることもできない少年の夏の日、
どこまでも空を駈けようとする思い、
焦燥とほろ苦さをまっすぐな歌唱で向かい合う。
突き抜けようとする魂が歌わせたのではないか。

確かに生きた足跡を刻まれた。
時代の後押しと、自らを信じて歌に力を込めた。
そんな人がバラードをうたった。
ブルースカイブルー、
いまはあなたのために送ります。
西城秀樹さん、ありがとう。
https://www.youtube.com/watch?v=9L3LJqhyfFY
posted by 平井 吉信 at 10:51| Comment(0) | 徳島

2018年04月02日

知人が今夜テレビに出るよというので見てみたら…


数日前に仕事でお会いしたとき、テレビに出ると言われていた。
「深イイ話」という。
(「頂点を極めた女性は本当に幸せなのか?SP」)

すると、瀬戸内寂聴さんと阿波おどりで飛び出してきたではないか。
95歳の寂聴さんの豪邸、まったく落ちない食欲、
(毎日肉とアルコールのてんこ盛り)
いやはや呆れるやら。

たまたまここ数日、
「多々羅川」で寂聴さんネタが続いていたのは偶然。
番組収録の裏情報も事前に聞いていたけれど
(それはちょっと書けないけど)
主人公に負けていないよ、小林陽子さんの弾け具合も。

タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 21:37| Comment(0) | 徳島

2018年04月01日

とくしま植物園のチューリップやすみれ それから桜も


仕事を一段落して午後の遅い時間に足を運ぶとしたら
とくしま植物園がいいと思う。
丘を上がりながら花壇だけでなく法面の山野草も見ながら
高度を上げていくと動物園の観覧車が見えてくる。

人は生きていくうえで重力に逆らうことは大切なこと。
日焼けが気になる人もいるだろうけど
太陽光線そのものが免疫力を高める治療薬のようなものだから。
(光線療法というのさえ存在する)
実際に日の光を浴びて斜面を上がるのは究極の健康法かもしれないと思う。

さて、花はというとご覧のとおり。
(説明が必要な方、いらっしゃいますか? と言いながら手抜きの口実)
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追記
行政が本気で取り組めばこんなこともできるのに。

ネモフィラで満たされた国営ひたち海浜公園
http://hitachikaihin.jp/hana/nemophila.html

福島の花見山公園(画像集)
https://www.google.co.jp/search?q=%E7%A6%8F%E5%B3%B6+%E8%8A%B1%E8%A6%8B%E5%B1%B1&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwielr3ItpjaAhWMS7wKHZxcB5gQ_AUICygC&biw=1182&bih=783

これは? 福島県の花見山プロモーション動画?
https://www.youtube.com/watch?time_continue=2&v=9BFdY8rALYA

実は徳島にそんな場所をつくろうとしているのが
上勝の「彩山」構想なのだ。





posted by 平井 吉信 at 15:27| Comment(0) | 徳島

2018年03月21日

雨に打たれる金長神社 春を迎える日はいつまでか


かつてここには無料の動物園があった(無料だったと記憶している)。
孔雀、狸、猿がいたように思う。
動物はコンクリートの箱形の建物で飼われていて
その建物に上がることができた。
(猿の檻は金網なので上がれない)

小学校の頃には写生大会があり
学校から歩いてきたことがあった。
遠足のおやつは、カバヤのジューシーとか明治のハイレモンとか。
森永ミルクキャラメルやチョコボールだった。
(それとバナナも忘れてはならないだろう)

金長公園にはいつも動物の鳴き声が聞こえていて
見上げると小松島の象徴、日の峰が背後にそびえていた。

金長神社は動物園の片隅にあった。
動物園の敷地には桜が植えられ、花見もできた。
妹を連れて来たことを思い出した。

小松島市では、来たるべき南海地震に備えるべく
この場所を防災機能を持つ都市公園に整備するということで
金長神社は撤去されるかもしれないとのことである。

ぼくはときどき金長神社を訪れているけれど
いまの金長神社が観光資源と呼べるかどうかはわからない。
低未利用地で数少ない種地でもあるこの場所を
市民生活に活かすために都市公園へ整備することは間違っていない。

ただし、金長神社のあり方については
都市公園と切り放して考えることもできると思う。
歴史や文化は未来へと続くまちづくりの資源(拠り所)であり
いまのかたちでなくても方策(リノベーションや再創造)はあるように思う。

公共の場所に宗教施設は御法度というのは理解できる。
しかし金長神社は宗教施設といえるかどうか。
昔からの由緒ある神社というよりは
映画のヒットへの感謝を込めて
昭和31年に映画関係者が建立したもの。
いわば神社というよりは顕彰施設。
(宗教法人ではなく自治会のような組織が運営しているのでは?)
だから市が宗教施設でない由来や経緯を付して
国土交通省に説明すればそれで済むような気もする。
(このようなローカルマターで国が市を指導する時代ではないだろう)
土地と建物を運営組織に管理してもらい、
地代家賃と相殺することもできるのでは?

いまの世の中、
権力を持った中枢に近い面々は
親族や知人の企業などが(まるで優遇されるように)
例外扱いやうまく大義名分を役所が忖度してつくることで
補助金を受けたり大きな事業を受託している。
(世間を騒がせているあの事件だけではないと思うよ)

その一方で
下々では法令を遵守することが目的となって
(法治国家である以上それは大切なこと)
法令を字義どおりに解釈して地元の事情とそぐわなくなってしまう。
(中央集権ではなく四国が判断すれば動かしていける自治が必要。そこがこの問題の本質だよね)

そして行政や議会に任せないで自分たちが考え動かしていくことが大切。
議員報酬など無償で良いから(議員報酬が低いから議員のなり手がいないのではないよ。誰でも議員ができるしくみを取り入れることが本質)。
どんどん市民が議決権を持って参加できる議会でありたいね。

父もぼくも狸に化かされたことがあることは以前にこのブログにも書いたけど
魑魅魍魎はどんどん消えていく。
小山助学館からかつて発刊されていた三田華子の「阿波狸列伝」はほんとうにおもしろいよ。
(スターウォーズやハリーポッターはこれと比べると人情の機微がない大味に見えてしまう)
関係者が電子書籍にしてくれたらもっと広まるのにと思いつつ。

だから雨がしょぼしょぶ降る夕方に金長神社に来てみた。
誰もいない。

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posted by 平井 吉信 at 22:20| Comment(0) | 徳島

2018年03月18日

大松川か多々羅川か? それとも勝浦川か?


タイトルを見て内容がわかる人は地理マニアである。
それも徳島在住。

中学に通うのに川の土手を自転車で走ったのは大松川沿い。
水鳥が羽根を休めている光景によく出会う。

とくしま動物園の西のため池から流れ出して
徳島市南部の渋野、西須賀、三軒屋を通って大松川へと合流、
さらに勝浦川へ合流するのが多々羅川。
多くの人が頭に描く里山の川といったところ。

この小さな小川が文学になっていることをご存知だろうか?
瀬戸内寂聴「多々羅川」(新潮社)。
場所」に収録されている。
http://www.shinchosha.co.jp/book/114436/

寂聴さんの母は、7月4日の徳島大空襲の折、
身体の不自由な祖父を守るように防空壕で折り重なって亡くなられたという。
寂聴さんの不戦への強い使命感もそのような体験があったからこそ。

大松川は、勝浦川下流の分流であった。
小学校の頃、祖父の持っていた地図には
大松川の記述が確かにあったことを覚えている。
(埋められる前の地勢)

川の下流は三角州が発達する。
ここで県内の河川の三角州を繙いてみる。

◆吉野川
もともと旧吉野川が本流であった。
お城下の水利を求めて水路を掘削(もしくは元々あった流れを拡幅)したところ
水が流れやすいほうへ流れるので
どんどん川が成長したのがいまの滔々と流れる吉野川。
その結果、藍住、松茂方面へ水が行かなくなったので
分流のための堰を設けたのが第十堰といったところ。
(諸説があるようである)
新町川ももともとあった田宮川からの流れと
吉野川からの引水でできたのかどうかはわからないけれど
大きく捉えれば吉野川デルタの一部だろう。

◆那賀川
河口付近で岡川(桑野川)と合流している(していない?)ようだ。
三角州というよりも
日本有数の雨の多い木頭地区からの水を集めた急流が
土砂を押し流してくちばしのように平野を海に突き出しているようにも見える。
急流河川ゆえ、三角州の形成よりも堆積の力学が働いているように見える。

◆勝浦川
自由蛇行という点では県内では勝浦川がもっとも三角州地域が広いように見える。
大松川から神田瀬川までもがかつての勝浦川の流路と考えられる。
特に園瀬川、多々羅川、大松川、勝浦川本流が競うように流れる下流は
人が住みにくい湿地帯となっていたはずである(いまも残る)。

前述の世に勝浦川の分流であった大松川は、
JR牟岐線鉄橋の下流付近から分派して北流する。
大松川下流は水を湛えているが
上流はというと川の痕跡があるだけ。
ということは、上流は伏流していたのではないだろうか。
だから人為的に土手を閉めて埋め立てられたのではないか。
(勝浦川の分流であった大松川を吉野川水系と記述しているウィキペディアは間違っているのではないか?)

堤が締め切られて表面を流れる水はなくなったが、
それでも不思議なもので小さな流れは残っている。
そして多々羅川から水をもらうと大河のような雰囲気に変わる。
つまり大松川は勝浦川分流の三日月湖の上流が締め切られた川となっている。

締め切られる前は勝浦川に挟まれた地域があったことになる。
南部中学校はおそらくは大松川の河床につくられたもので
バイパスから二軒屋方面へ左折すると橋がある。
明らかな土手の流れや河床のような地形があることから
かつて川であったことが容易にわかる。
ゆえにこの辺りの建物は沖積平野の地盤に建てられている。

勝浦川に限らず、川の下流は三角州が発達する。
小松島市田浦地区から清浄が池、菖蒲田池を経て
小松島旧港へと注ぐ神田瀬川も勝浦川のかつての流路だろう。
徳島市南部は居住に適した地域だが
そのほとんどが沖積平野のため
洪積台地など岩盤らしき地盤を選んで家を建てるのが良い。
(山の裾野などに見ることができる)

多々羅川と大松川は何度か合流と分流をしているため
どの部分が多々羅川でどの部分が大松川なのかわかりにくい。
さらにその多々羅川も
徳島市方上町付近からの流れを集めて並行して流れ
(間に植物が繁茂する中州が続く)
合流することなく片方は大松川と合流して勝浦川へ
片方は園瀬川へと注ぐ。
自然地形なのか、水利権などの人為的な要素なのか?
この地形を読み解ける人はいますか?

(グーグル航空写真から引用)
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(合流することなく並行して流れる多々羅川)
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さらに勝浦川はどこまでが勝浦川なのか?
多々羅川の下流はかつての勝浦川の三角州の一部と見える。
その中州の地形を利用して人為的に土手(道路)となっているようにも見える。
もともとの水面を閉じたのであれば多々羅川の下流の広がった溜まりは
勝浦川と見なすのが自然である。
一方閉めた部分を多々羅川と見なすと
多々羅川は園瀬川へと注ぐことになる。
真実を求めて勝浦川下流域のこれらの川は自転車でめぐるのがいい。

多々羅川はJR牟岐線で中田駅から勝浦川を渡ってすぐに見える小川がそう。
里山の風情を宿した流れはぼくが子どもの頃から変わっていない。
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そんなことを書いていると
きょうはこんな夕焼けが大松川にやってきた。
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ところで、電子辞書の購入が文章を書く時間を短縮できている。
→ ホワイトカラーの生産性を上げる〜電子辞書の活用〜シャープPW-SH5を選んだ〜

(X-E2+XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS)
タグ:徳島市 2018
posted by 平井 吉信 at 01:34| Comment(0) | 徳島

2018年03月12日

「幸せ!ボンビーガール」どんな番組になるのかな(お楽しみに)


日本テレビ系列で放映されている番組「幸せ!ボンビーガール」に
本ブログの写真が活用されると
番組ご担当の方から連絡をいただきました。

(以下、番組のWebサイトから引用)
放送は3月13日(火)夜9時から2時間スペシャル!

次回は新生活へ旅立ちスペシャル!
地方から上京してきたガールの、
リアルな物件探しに
番組スタッフが密着!
更に海外へ移住を決めたガールの、
リアルな物件探しにも海を越え
番組スタッフが同行!
お楽しみに!!!

(引用ここまで)
徳島に縁のある内容かもしれませんね。

タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 23:08| Comment(0) | 徳島

2018年03月10日

とくしま植物園 3月にひらく花


徳島市南部の田園を過ぎて動物園を上がった丘陵にとくしま植物園がある。
入園は無料で一年を通じて散策できる。

ここへ来る途中でオオイヌノフグリが石垣に現れた。
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その近くにスイセン
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この時期、もっとも多い山野草はホトケノザかも。擬人化して見える。
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スミレが畑に奥に向かって伸びていく
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早咲きの桜も。河津桜?
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しだれ梅
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丘を登る途中で振り返ると動物園の観覧車が見える
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丘を上り下りしながら徳島市南部の里山と丘陵を見ながら
日向にたたずむ春のひまわりのよう。
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posted by 平井 吉信 at 22:36| Comment(0) | 徳島

2018年03月06日

重症児通所支援事業 ミラクルキッズを立ち上げます 


篠原実智子さん(42歳)は、
平成30年春に重症心身障害児を受け入れる施設を
小松島市内で開業しようとされている。
重症心身障害児(以下「重症児」)とは、
重度の知的障害および重度の肢体不自由が重なった子どものことである。
場合によっては呼吸器をはずせないなど医療の支援を要する。
ところが、重症児を預かる通所施設は県内にはほとんどない。
そこで自ら開業してみようと決意されたのだろう。

篠原さんのご子息、裕人(ひろと)君は呼吸ができない状態で生まれ、
そのまま新生児の集中治療室で人工呼吸器を装着した。
仮死分娩そのものはそれほどめずらしくないそうだが、
裕人君の場合は次第に症状が悪化。3歳8か月まで長期入院となった。

在宅での療養を望む篠原さんだったが、
人工呼吸器を装着しての在宅療養は困難と考えられた。
それでも篠原さんの思いを受けて、
関係の母子医療センター、療養施設等が協議を行って
人工呼吸器の使い方の研修やトラブル発生時の連携体制を確認。

定期的に日中一時支援と短期入所を利用できるようになったので、
篠原さんはパートタイマーとして働けるようになった。
さらに関係者の協力もあって念願のヘルパーの資格も取ることができた。

しかし裕人君の病状は少しずつ悪化、
腎機能の低下で腹膜透析を行うようになった。
退院後を見据えて施設関係者は透析管理の方法を学ぶことで
施設への受入が可能となった。

七五三を迎えた裕人君(写真)
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入学式の裕人君(写真)
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(写真は篠原さんの許可をいただいて掲載。(c)篠原実智子)

裕人君は特別支援学校の小学部へと入学。
当初は母親が付き添った授業も、
やがて裕人君はひとりで受けられるようになった。

子どもは誰もが等しく教育を受ける権利があるというが、
学校の授業や行事はかけがえのない機会である。
在宅療養のなかで家族と一緒に外へ出かけた思い出、
支援学校でのお友だちとの学びと遊びの機会は
本人にも家族にも得がたい経験となっただろう。

重症児を支えることはその家族を支えることでもある。
そのためのしくみづくりはもちろんだが、
理屈で計り知れない家族の気持ちに寄り添う意思疎通は
かたち以上に大切かもしれない。

けれど関係者の願いも届かず
裕人君は7歳の誕生日を迎えることなく天国に召された。
篠原さんは当時を振り返る。
「眠ることができず、どうやって生きていたのか不思議なくらいでした。お泊まりで預かってもらえる日があると、また1週間だけがんばろうと思える。それがないと、いつまで続くかわからない状況に絶望していたかもしれません」。

一時的に介護や育児から離れて休息やリフレッシュすることをレスパイトというが、
「私の経験を糧に重症心身障害児を受け入れる施設をつくりたいと考えるようになりました」
と篠原さんは言う。

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篠原さんは周囲が驚く行動の人である。
平成29年春に志を実現するため動き始める。
まず小松島市内に適当な土地を物色して手に入れた。
周辺は渋滞がなく道路の幅が広いのに交通量が少なく車が停めやすい。
ひのみね総合療育センターへも近い。それだけでも重症児の通所には助かる。

そして小松島商工会議所へ創業の相談に行った。
対応された経営指導員の油谷さんは
まず土地を買ったという篠原さんにあっけにとられて言葉が出なかった。
けれど篠原さんの熱意に打たれて
なんとかしてあげたいと思う気持ちで創業相談を続けた。
油谷さんのサポートを受けて篠原さんが作成した創業プランは、
11月10日に徳島県の「あったかビジネス事業計画」の認定を受けられることとなった。
http://www.pref.tokushima.lg.jp/mb/jigyoshanokata/sangyo/shokogyo/5007318
https://www.our-think.or.jp/?mode=detail&p=2229

篠原さんと行動を共にしたのは神ア麻衣子さん。
事務処理は苦手だが前進力のある篠原さんと
事務処理を緻密に行う神アさんの対照的な二人の名コンビ。

さらに元の同僚の協力が得られることになり、必要な有資格者の目処が立った。
日本公庫(国民生活事業)から融資も得られ、
親切で協力的な阿南市内の建築業者(田窪建設さん)を篠原さんが探してきて
新築の建物も平成29年暮れに完成した。

施設の目玉として篠原さんが考えたのは、
入浴サービスに力を入れること。
自宅での重症児の入浴は子どもの身体を支えながらの作業なので
腰を痛めるなどかなり大変だ。
それでも風呂に入れると血行を促進し子どもを気持ち良くさせてあげられる。

篠原さんは、子どもたちの可能性を信じている。
そして家族の暮らしをも支えたいと施設名を「ミラクルキッズ」とした。
 
事業内容:児童福祉法に基づく指定通所支援事業(児童発達支援・放課後等デイサービス)
所在地:小松島市金磯町3番89
運営者名:合同会社キセキ
施設名:ミラクルキッズ
利用対象者:重症心身障害児
運営理念:利用者及び介護者家族のQOL(生活の質)の向上

(この記事は、篠原さん本人へのヒアリングと専門知識については「小児看護」第38巻第10号=2015年9月を参考に書いている)

追記
この記事をご覧いただいている方々へ

平成30年春の開業を前に、施設は立ち止まっている。
それは必要な有資格者があと1人足りないのだ。
篠原さんたちもハローワークに募集案内を出しているのだが…。
(理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、臨床心理士のいずれか)

上記の資格を持っている方で「ミラクルキッズ」に共感できる人は
電話をして話を聞いて欲しい。
納得されたらハローワーク経由で申し込むことができる。

ミラクルキッズ(合同会社キセキ)
電話0885−39−1550(開業前の電話対応時間:月曜から金曜の10時〜16時)
担当:篠原さん、神崎さん

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創業のビジネスプランの指導を受ける篠原さん(小松島商工会議所)
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施設は交通量の少ない広い道路に面していて車を停めやすい
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このプレートに込められた思いはミラクル(奇跡)
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カエルはミラクルキッズのアイドル。未来に向かって飛び上がるのだから。
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南向きの明るく清潔な室内
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雲が浮かぶ空をイメージした天井
色がみるみる変わっていくLED電球は子どもたちの興味を引く。
視覚など知覚への適切な刺激は大切と篠原さんたちは考えている。
奇跡を起こしてどこまでも子どもたちに飛翔して欲しいから。
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子どもたちを擬人化したような壁の動物たち
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運営がうまくいくこと、
そして子どもたちの笑顔が弾けることを願って。

2018年7月12日追記
必要な資格者が揃って7月1日から営業が認可され、2日から施設の運営が開始されました。
小松島市周辺で重症心身障害児をお持ちの方、
ご負担を軽減する意味でもご利用していただけたらとのことでした。
よかったですね。
篠原さん、神崎さん、児童発達支援管理責任者の横田さん、看護師の竹内さんをはじめ
スタッフのみなさんの明るい笑顔が印象的です。
がんばってくださいね♪

posted by 平井 吉信 at 16:03| Comment(0) | 徳島

2018年03月04日

吉野川橋の落日 揺らめく光(時間)を受け止める


徳島市内に住む人は
吉野川大橋を渡るとき、地元に戻ってきたと感じる。

これはそのひとつ上流の吉野川橋。
通称では古川橋ともいう。
かつてはこの付近で大阪方面への水陸両用艇が離発着していたらしい。

徳島市は四県都のなかでもっとも渋滞が激しい。
その理由は城下町を水路(川)が縦横無尽に走っていること。
とどめはこの川幅1qを越える吉野川の存在である。

でも、吉野川がなかったら徳島市も存在しない。
事務局の一翼を担った1996年の水郷水都全国会議・徳島大会も開かれなかった。

高知県瓶ケ森の南斜面に発した流れは
やがて四国山地を横切る横谷(大歩危、小歩危)となり
池田でくるりと向きを変えて紀伊水道をめざす。
日本最大規模の竹林を従え
日本一の基本高水(利根川や天塩川を凌ぐ)を誇り
二百数十年続く石積みの第十堰を透過して
ラムサール条約に登録された河口干潟に注ぐ。

その194kmの水の旅の終着に近いこの場所で
冬の陽が水面に長く伸びて揺れている。
太陽が川から上って川に沈む日本で唯一の大河。
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ヒトも川の流れのように
ゆらゆらとたなびいて時間を受け止めればいい。






posted by 平井 吉信 at 21:03| Comment(0) | 徳島

2018年02月25日

羽田と徳島を結ぶ空の翼、JALとANAの架け橋 そして夕暮れに見えた富士山


地域の経済政策について二日間の真摯な議論を終えて
羽田から帰路に着いている。
往路は曇りで見えなかったが
復路は天候が回復傾向。

(往路の模様を少し)
徳島空港を出発してすぐ、今切川上空から吉野川河口へと旋回
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羽田へ降りるとスカイマークの機体。
イスカンダル行きがもうすぐ出発のよう。
人類全滅まであと365日。
必ずここへ帰って来てください。
手を振っていますから。
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羽田はしっとりと小雨にたたずむ
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(再び復路の空)
とはいえ、時刻が夕方近くで地上の透明度は高いとは言えない。
けれど富士山が見える可能性に期待して席を取っておいた。
出発からほどなくみなとみらい、江ノ島や酒匂川の河口がかすんで見える。

翼を照らす西日
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機内から眺めて愉しいのは地上の景色だけでなく、雲
ほんのりと薄紅をさして儚げに浮かぶ雲を見ていると
時間がどんどんと過去へ流れていくようで。
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今回も期待できないと思いつつ翼ごしに右前方を見ると…。
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見えた!
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飽きることなく眺め、眺めつつシャッターを押す
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乗務員の方から声をかけてもらった。
「いかがでしたか? 熱心にご覧になっていらっしゃいましたね?」

ぼくの地理好きは小学校の頃に始まっている。
趣味:地図を描くこと、地図を集めること、地図の地形を確かめること―。
おとなになっても乗り物へ乗ると地図好き少年に戻ってしまう。

乗務員さんとは長く雑談を交わした。
のどが乾いたのでおかわりをいただくことにした。
飲み物ととともに差し出されたのは、富士山の写真。
「よろしければお持ち帰りください。お好きなようでしたので」
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彼女の笑顔と富士山の神々しさと絶妙の着陸の三拍子揃った空の旅だった。
(撮影は通信機能のないデジカメで他の乗客のご迷惑にならないよう無音シャッターで撮影)

徳島空港へ降りると夕闇が迫っていた。
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展望台に続く通路にはひな人形が浮かび上がっていた。
春の足音を感じるひな人形を見て
自宅で風呂に入り好きな音楽を聴きながら寝る今宵の過ごし方が浮かんだ。
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追記

徳島空港は長い間、JAS(日本エアシステム)が東京便を運用してきたため
統合先のJALのシングルトラックの時代が長かった。
しかしANAが再び乗り入れてダブルトラックになった。
http://www.tokushima-airport.co.jp/outline/

ぼくはマイルを貯めることよりも
ダブルトラックを維持してもらうために
JALとANAを交互に使うようにしている。
(観光関連の仕事で観光企画のために本社幹部と同行したこともあった)
どちらも応援している。


追記2

今回の出張では先に宿泊を押さえたので使っていないが
知人(県外人)には渋谷のターンテーブルをおすすめして使ってもらった。
写真とともに感想をいただいた。これからに期待したい。
http://www.diykoumuten.com/pressrelease.html
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000251.000010686.html
http://www.topics.or.jp/localNews/news/2018/01/2018_15166836330818.html

追記3

五輪が終わってあの人が羽田に戻ってくる日とずれていてよかった。
また間違われるところだった。
(まだそのネタで引っ張るの?)
タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 23:29| Comment(0) | 徳島

2018年02月07日

雪が舞う四国のJR 


西日本が寒波の到来に凍り付いている。
それでも出張は頻繁にある。
しんしんと雪のなか、朝が来た。
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そして牟岐線の普通列車が滑り込んできた。
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勝浦川も雪化粧
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里山の小川は空を映して凍える
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阿讃山脈を越える頃には盆地は雪に。
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ところが讃岐白鳥に差し掛かる頃には雪が消えてしまったが。

列島は凍り付いてしまった。
猛暑と極寒は温暖化の副産物かもしれない。

特急いしづちはこの車両が好きだ。
シートが良く電源も完備している。
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別のいしづちとすれ違った(台湾仕様だったかな)。
めずらしく東予もうっすら雪化粧。
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事務所の気温は6度。
でも仕事は仕事で。
冬のひとこまとして受け止めている。



タグ:JR 2018
posted by 平井 吉信 at 21:22| Comment(0) | 徳島

2018年01月21日

阿波藍アート 藍のけしき 県立二十一世紀館にて はんなりとたゆたう光になって


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(フジX-T2+XF35mmF1.4 R、XF14mmF2.8 R、フジX-E2+XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS。いずれも手持ち)

あかり障子とふすまで区切られた空間がある。
障子の和紙がすずろに明るい。
紙一枚で隔てた「向こう」と「こちら」は
ことさらに区切られてはいない。
けれども、幾重にも空気を閉じ込めた和紙のとばりは
光をはんなりと宿し、
そのときの風に移ろい、
水気を調えながら、
そこはかとなく気配を映し出している。

床の間があり、茶の間が寝間にも広間にもなる
融通無碍の空間、日本家屋。
まず柱を立て、屋根を造って全体が見えた後、
それを分割して「間取り」をする日本家屋は、
ふすまを自由につけ外すことによって、
ひとつの部屋を多目的に使うことができる。
間取りとは、部屋をつくることであると同時に、
時間に応じて間をしつらえることである。
建具で仕切り方を変えるだけで、
晴れの日と普段のくらしが入れ替わる。
 
障子を開けると、縁側が見え、
外の空気が人の気配を伺いながら入ってくる。
それからなじみの顔が縁側に現れる。
四季を取り込み、人を取り込む間取り。
障子やふすま、雨戸といった建具がその微妙な仲立ちをする。
隔てながらつないでいる不思議なやりとり。

夕暮れ時、表で遊んでいた子どもは、
ふと気づいてひとりふたりと消えていく。
昼でも夜でもない時刻、河童に喰われぬうちに家に走って帰る。
玄関戸を開けると、
夕げの支度が整ったことを知らせるおつゆの香りが漂っている。
 
生活様式の変化、洋風化に伴い失ってしまったのは、
家族のつながり、自然との無意識のやりとりかもしれない。

この藍染めの空間展示は
あちらとこちらを分けつつも
はんなりと互いを映す。
足元が見えないほどの暗がりに
光源からの光の粒子もしくは波が
藍染めの布をたゆたう。

時間が揺らぎ
空間があいまいになる。
ブライアン・イーノの環境音楽のような効果音もいい。

あなたもはんなりと漂うときの微粒子になってみる―。

ローランド・リケッツ監修による標記イベントは
2018年1月28日まで(無料)。
https://www.pref.tokushima.lg.jp/ippannokata/kyoiku/bunka/5009667

(無味乾燥のプロジェクションマッピングよりずっといい。個人的なつながりの音楽関係者に使途不明のお金をつぎ込んだのは誰の判断? その反面、図書館や通常の文化振興予算を大幅に削減したのは誰の判断? このままうやむやになるか、引責して辞めてしまっても真相はわからない。多くの指標で全国最下位に近い現状でマスコミ受けするパフォーマンスではなくもっと地に足の付いた県政を)



タグ:藍染め 2018
posted by 平井 吉信 at 22:18| Comment(0) | 徳島

2018年01月20日

冬の短編集 大麻比古神社から「田園」へ


産土神社へは元日に足を運んだ。
けれど一宮へはまだ行けていなかった。
夕方近くに時間が取れた日、
大麻比古神社へと参詣。

ご神木を眺める人
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神殿の屋根が淡く照り返す
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静まりかえった池と眼鏡橋
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田園が聴きたくなった。
この光なら、
ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン(1977年)で。
(賛同してもらえるでしょう)
http://amzn.to/2rngHw9
タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 23:47| Comment(0) | 徳島

2018年01月07日

ナガヤという場に集まる人たち


自分の生きる道を自分でつくりたい、と思っている人は多いけれど
どうすればいいかわからない。
そもそもやりたいことが見つからないこともある。

「何を」やるかはもちろん大切でそれは出発点だけれど
「どのように」やるかがもっと大切と思う。

自分の生き方をするために創業・起業という選択肢がある。
けれど人口減少やインターネットでの情報が錯綜しているなか、
組織に所属してやっていくのも個人でやっていくにもリスクの程度に変わりはない。
むしろ時代を読める人にとっては
この時代をかえって絶好の機会と捉えることもできるのではないか。
しかし従来のビジネスの発想(固定費をかけてハードを整備して借入を返済する)ではうまくいかない。

そこで、いまあるものを磨いていくこと、
風土や文化を意識しつつ理念をつくる。
その原点をもとに経営資源を構築していくやり方が最善。

何も新しいことではない。
強みを掘り下げてそれを活かすこと
(ほとんどは本人さえ気付いていない)。
SWOT分析という手法があるが、
これをほんとうに使いこなしている企業は見たことがない。
たいていはマス目をクロスワードパズルのように遊んでいるだけ。

経営も地域も「あるもの探し」から始まる。
そしてそれをいまの時代に照らして再構築する。
温故知新(温故革新)ともいえる。

古い家屋を改修、再生して使うことは
一定の制約があるなかでやっていくことになる。
そこに自由な発想や飛翔が生まれる余地がある。

リノベーションの枠組みを通じて
感度の高い、感性の豊かな、時代を見据えて何かをしようとする人が集まる可能性がある。
(先月、尾道の空き家再生プロジェクトを研究して四国のある自治体に提案したところだった)

古い民家を改修して雑貨屋を始めた人が徳島市内にいることは知っていた。
けれど、山野草の咲く頃や水がぬるむ季節はついつい海山川へ足を運んでしまう。
今回から手作りのお菓子を定期的に出品される方がいると聴いたこともあって
1月6日に足を運んだ。
そして、古い長屋を活かした試みをナガヤプロジェクトと名付けて
管理運営をされている吉田絵美さんとお会いすることができた。
http://nagayaproject.com/


その昔、中学時代は二軒屋駅から
英才教育で知られる私立中学まで歩いて通っていた。
当時バイパスはできたばかりで
狸の巣がありそうな葦原のところどころに民家が集まっているような地区であった。

中学には丸山先生という怖い数学の教師がいた。
3年間で一度も笑ったことはない。
いつもよれよれの灰色のコートを着て(白墨が積もっていた)
プラスチックの指し棒を持って授業を行っていた。
怖い先生で指し棒で机を叩かれると震え上がったものだが
人を理解させるとはこういうことかと納得できる授業だった。
「恩師」「畏敬」という言葉は丸山先生のためにある。

卒業後、クラスメート数人で沖浜にあるご自宅を訪ねたことがある。
哲学者のような暮らしをされていたことが心に残っている。
その後、沖浜地区はバイパスの整備とともに急激に郊外型SCの銀座となった。
あの頃、葦原を倒して秘密基地をつくった思い出も
あのとき辿った通学路も記憶の彼方に行ってしまった。

初めてナガヤに来られる方は、
県南部から来られる人は沖浜のKFCを左折するとわかりやすいのではないか。

仕事の邪魔にならないようと思ったので
吉田さんとは立ち話程度であったが
このプロジェクトを応援したいと思わずにはいられなかった。


小さな起業には競合のない青い海が必要。
そこには市場はないが、社会の目に見えないうねりから小さな泡が生まれることがある。
稼ぐことの難しさを知っている同士、その泡は互いに近い場所にいると相互に成長できる。

成功した大きな泡は小さな泡を育てることに生きがいを覚える。
それは使命共同体という場。
本音でやっていく人生とか、同じ幸福感を持つ場で大きくなっていくことが必要。
生きる動機のベクトルを合わせたら、互いに成長の渦を巻きながら収益につなげたい。

場という考え方がある。
内側と外側、Iターンと地元など場をどうつくるか。
どのタイミングでどんな仕掛けで融合させるかさせないかの管理が難しい。
(移住者を早く溶け込まそうと地元の濃い人間関係に放り込むとほぼ失敗する)
その意味で地元のしがらみもあるけれど
外の風を知って地元を客観的に(愛情を持って)見られるUターンが
仕掛けるのがうまく行きやすい。

場のなかでひとりよがりにならないこと、
ひがみやねたみを生まないための動き方ができるよう
内の誰かが調整を行う。
しかし場を管理することは困難で、ほとんどの地区でできていないように思う。
(美波町の移住コーディネータ小林陽子さんはそれができていらっしゃる)
https://tokushima-iju.jp/interview/414.html

強いていえば、役場や経済団体なども参画する公民連携の任意組織を置いて
小林陽子さんのようなリーダーがいて
全体会議で方針を定め、それに沿って上がってきたプロジェクトを承認し
応援し調整を行う。
それぞれのプロジェクトは、公民連携組織の下部組織に置くという
ゆるやかなオーサライズがいいかもしれない。

場のなかでは生きていくことのメッセージを出し続けること。
そのなかに多様性を大切にするというビジネス生態系がある。
それを稼ぎにつなげるためのサポーター(有償・無償・公的支援のミックス)が必要。
(経営のテクニックや社会の定石で説明しようとする既存勢力(行政、金融機関)の支援が成果につながらない場面が多いのだが)。

2018年のいまは、
震災後に芽生えた幸福を問い直す心の動きや
本音で生きていこうとする生き方が背後にあることを知って
ブランディングやマネジメントを行う必要がある。

ぼくはそのように整理している。
そしてナガヤとは民間が自由に、しかしベクトルあわせを行いながら
場を醸成(管理というニュアンスではなく)できる場所ではないかと。

続く
posted by 平井 吉信 at 13:24| Comment(0) | 徳島

2017年11月04日

文化の森のPJM 人は足早に立ち去っていく


文化の森でプロジェクションマッピングを行っていた。
誰も見に来る人はいなかったが、10分ほど滞在していると
親子連れが1組やってきた。
というより、図書館の帰りに立ち寄ったらしく
ほどなく場を離れた。
もう見慣れてしまったのだろう。

最新の技術は時間とともに色あせていくことが人々の行動から見て取れる。
それでも税金を投入して行われている以上、
多くの人に楽しんでもらえたらと紹介することとした。
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光と音のプログラムは制作者自慢の技術なのだろうが
琴線に触れてこない。
参加者が関われる仕掛け、参加者とともにつくる創作というところは買えるが、
そこに風土の匂いがしない。
(ほんものの滝だったら、半日滞在しても飽きないのに)。

先月見た勝浦町のあかりの里さかもとはこんな感じ。
住民の手作り感がある。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/181290730.html
http://soratoumi2.sblo.jp/article/177277035.html

虫の声、風のざわめき、遠い国から聞こえてくる足音…
まるで昔話が出現したような錯覚を受ける。


タグ:2017
posted by 平井 吉信 at 19:14| Comment(0) | 徳島

2017年10月15日

あかりの里さかもと2017


仕事で上勝町を訪れた帰り、夜になった。
今年は見られないと思っていた第4回のイベントだが、
新坂本トンネルを越えると神社の石段に沿って明滅する光が見えてきた。
車を停めて坂道を上り階段の下に出た。
あとは画像で。
→ 詳細は前年のブログ http://soratoumi2.sblo.jp/article/177277035.html

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明滅する行灯の行列はほのぼのとするものであった。
(ただLEDの照明は残念ながらこのイベントに合っていない)。

第4回を見て感じたことは、
よそでやっている陳腐なプロジェクションマッピングとはちがって
(手作りイベントを数多くやってきたから言うけど、一過性のパフォーマンスは心に残らない。税金を活かせない残念な使い方)
地元の人たちがていねいにつくりあげていること。
そこで思ったのは、やわらなか光を通して
日常の感謝や祈りを込める場となればさらに輝くのではと思った。

「おひなさまの奥座敷」といわれる勝浦町坂本地区は
集落のまとまりがよく、地区のみなさまが一体となって地区を盛り上げようとしている。
祭り以外にも足を運んでさかもとグリーンツーリズムに触れてみては?

動画で見る

タグ:2017 勝浦町
posted by 平井 吉信 at 23:00| Comment(0) | 徳島

2017年10月07日

勝浦川中流の飯谷町 滝のそばの竹林でかぐや姫が光に包まれて生まれた

郷土の愛すべき魑魅魍魎たち、
狸や妖怪が好きなんだろう、この作者は。

そうかもしれません。
暮らしのなかで息づく現象、なにかの気配、
それは風が動きながら鳴らす葉音が
この世ならざる気配を運んでくるのかも。

闇は闇で美しい。
そして闇は光があるから存在がわかる。
光は闇があるから輝きが際立つ。

小松島のルピアからほんの10分で
徳島市飯谷町の勝浦川支流に落ち込む鳴滝がある。
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県道から入ったすぐで標識もあるけれど
ことさら観光という雰囲気はまとっていない。
そんな場所に地元の人たち(飯谷鳴滝会)が
周辺の竹林に灯りを施したと聞いてやってきた。
10月8日、9日もやっているそう。
http://www.topics.or.jp/localNews/news/2017/10/2017_15073386320773.html

小学校のなかにある杉尾神社の秋祭りが開かれるらしいので、
この二日のほうが人が出るような気がする。
(小学校の校庭に神社があるとは珍しい)

中流の星谷付近(左岸)。土手と河畔林と夏草を見ながら自転車でたどる
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横瀬付近。勝浦川の横瀬立川の鮎は日本一という人もあった。
横瀬付近は子どもがちょっと冒険をしながら川遊びをするのに最高の場所であった。
ダムができる前までは。
正木ダムができてからは大水が出なくなって
河原は草が茂るようになった。
水は濁るようになった。
かつて横瀬立川を流れた冷たいまでの清冽な水は失われている。
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飯谷は勝浦川中流でもっとも狭い峡谷の地形。
勝浦川の流れは勝浦町横瀬でいったん山間部から抜け出して
中流平野を形成するのだが
勝浦町の下流から徳島市飯谷町、小松島市田浦町に抜ける流路は
山間部をえぐるように苦しそうな蛇行をする。
隆起する山をものともせず浸食して流れる先行河川、横谷の地形である。
吉野川の大歩危小歩危や肱川下流もそうではないだろうか。
(ブラタモリファンなら見逃せない地形なのだ)。

台風で水没しそうな飯谷潜水橋。その向こうに飯谷小学校が見える
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特に飯谷小学校前の水衝部は
勝浦川でもっとも深いともいわれ
(15メートル以上?)
親父は「淵の底には洞穴があって渦を巻いている」と聞かされたそう。
または、その洞穴が小松島のほうへ続いているとも。

しかし、飯谷小学校前の深みは少なからず水遊びの犠牲者を出している。
それらの魂を慰めることが必要だろう。

一度勝浦町内の生比奈小学校にご依頼をいただいて
川について授業を行ったことがある。
飯谷小学校では、子ども向けのコンサートを開いたことがある。

この子どもたちは、もう大人になって
力強く未来を歩んでいる(応援している)。
輝実さんは上勝町の若きリーダー、
子育てをしながら遺志を受けついで歩まれている。
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地域に元気をとの願いで地元有志の方が始めたその初日である。
明日は人が多く来ることが予想される。

県道から見えるぼんぼりのような灯り
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竹林の光の帯は銀河となってたゆたい、いのちの誕生を伝える
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かぐや姫の影が見えてくる
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あなたにはかぐや姫の誕生が見えますか?
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竹は伸びるときは1日に1メートルは成長する。生命力の極みの植物。
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それはそうと、勝浦町では
さかもとあかりの里がまもなく始まる。
 → 2016年のさかもとあかりの里

posted by 平井 吉信 at 23:12| Comment(0) | 徳島