2018年05月28日

吉野川大橋を河口付近から眺めて見送る落日


吉野川にかかる橋と眉山は徳島市の象徴。
普段なら感傷的になる時刻だけれど、このところの国の状況が…。
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何事もなければ良いが…。
タグ:吉野川
posted by 平井 吉信 at 22:45| Comment(0) | 徳島

2018年05月18日

突き抜けようとした魂 ブルースカイブルー


歩いて買い物にいける範囲には八百屋が6〜7軒あった。
主に行く八百屋は決まっているが、
ときには子どものおやつはあそこで
パンはあの店でなどと買い回りをしていた。
(まだ子どもが1円玉を握りしめて買えるものがあった時代である)

自転車専門店、喫茶店、肉屋、すし屋(2軒)、キリスト教教会、ふとん店、餃子店、中華そば店、うどん店、仕出し屋、薬局、陶器店…。これらは全力で走れば1分とかからないところにあった。
歩いて2分の場所には子どもの遊ぶ広場(楠と小さな神社もあった)があり
フェンスの向こうは国鉄小松島線の広々とした線路が横たわっていた。
(JR牟岐線の中田駅と小松島港駅を結ぶ全長1.9kmの日本でもっとも短いローカル線でありながら、準急で四国の四県都と結ばれていた)

線路沿いには保線区(汽車の点検を行う車庫)、
石炭を置いておく小屋、
港に着いた乗客を徳島、高松、松山、高知へ向けて
いつ果てるともなく続く車列を踏みきりで見送っていた少年だった。
列車が通過する度、遮断機を人が上げ下げしていた。
路線バスには車掌が乗っていてお金を払って切符を切ってもらっていた時代である。
(岡崎友紀の18シリーズではバスガイドもあった)
https://www.youtube.com/watch?v=xSmRZzH5XS8
(今から見れば仕事の生産性はありえないが、それでもほとんどの国民が中流でいられた。その時代の歌の力と今が違っているのは当然かもしれない)
小松島線は昭和60年3月14日に廃止となる。その最後の日に汽車を見送った。

当時の小松島線の状況が掲載されている貴重なブログ
バッタやコオロギを追いかけた線路沿いの草むらがなつかしい
https://blog.goo.ne.jp/mazenannpuu260915uptodate/e/8d14e04b3976f3cdc009feaf6e3cfdf4

線路をはさんでまた別の公園があり、
地上から2メートルぐらいの高さの時計台の内部に潜り込んだりして遊んだ。
フェンスを跳び越えたボールをこっそり拾いに線路は入ると怒られたものだ。

映画館は2軒あった。
書店も2軒あった。
ハレの日には二条通の洋食堂コトブキに卵の乗ったカレーを食べに行く。
重厚な雰囲気のインテリアに囲まれて家族で食べるのはときめきだった。

その前にはハレルヤの本店もあった。
(同級生の女の子のご両親が経営していた)
いまでは別会社の経営になっているが
金長まんじゅうとたぬきのケーキは受けつがれている。
でも、あの至宝のアップルパイは復刻されなかった。
円形の土手が5センチぐらい盛り上がって多層になった焼き菓子で
このさくさくとした食感と
リンゴの切片がふんだんに載った中央の窪地に載せられて
その下にはラムレーズンのカステラ生地があったような。
(もはやレシピがないのだと思うが、再現されるときは記憶を総動員してお手伝いします)

まちなかに住んでいたように見えるけれど
桜が咲く公園、土だんごをつくれる場所、草むらのコオロギやキリギリス、桜に集まるアブラゼミの合唱、へびやトカゲもテントウムシもカナブンもコガネムシも日常の一コマ。
(近所を5分歩けば虫かごがたちまちあふれるのだ)
蚊にさされてぼりぼり掻きながら草むらに飛び込んだボールを探していると
夏草の草いきれの上に空が見えた。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/102997084.html

高度経済成長期にぼくが好きだった絵本が「大きい一年生と小さな二年生」。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/69583506.html


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あの人の指にからんでいたゴールドの指輪を引き抜き…♪

年上の女性へのほのかな憧れをどうすることもできない少年の夏の日、
どこまでも空を駈けようとする思い、
焦燥とほろ苦さをまっすぐな歌唱で向かい合う。
突き抜けようとする魂が歌わせたのではないか。

確かに生きた足跡を刻まれた。
時代の後押しと、自らを信じて歌に力を込めた。
そんな人がバラードをうたった。
ブルースカイブルー、
いまはあなたのために送ります。
西城秀樹さん、ありがとう。
https://www.youtube.com/watch?v=9L3LJqhyfFY
posted by 平井 吉信 at 10:51| Comment(0) | 徳島

2018年04月02日

知人が今夜テレビに出るよというので見てみたら…


数日前に仕事でお会いしたとき、テレビに出ると言われていた。
「深イイ話」という。
(「頂点を極めた女性は本当に幸せなのか?SP」)

すると、瀬戸内寂聴さんと阿波おどりで飛び出してきたではないか。
95歳の寂聴さんの豪邸、まったく落ちない食欲、
(毎日肉とアルコールのてんこ盛り)
いやはや呆れるやら。

たまたまここ数日、
「多々羅川」で寂聴さんネタが続いていたのは偶然。
番組収録の裏情報も事前に聞いていたけれど
(それはちょっと書けないけど)
主人公に負けていないよ、小林陽子さんの弾け具合も。

posted by 平井 吉信 at 21:37| Comment(0) | 徳島

2018年04月01日

とくしま植物園のチューリップやすみれ それから桜も


仕事を一段落して午後の遅い時間に足を運ぶとしたら
とくしま植物園がいいと思う。
丘を上がりながら花壇だけでなく法面の山野草も見ながら
高度を上げていくと動物園の観覧車が見えてくる。

人は生きていくうえで重力に逆らうことは大切なこと。
日焼けが気になる人もいるだろうけど
太陽光線そのものが免疫力を高める治療薬のようなものだから。
(光線療法というのさえ存在する)
実際に日の光を浴びて斜面を上がるのは究極の健康法かもしれないと思う。

さて、花はというとご覧のとおり。
(説明が必要な方、いらっしゃいますか? と言いながら手抜きの口実)
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追記
行政が本気で取り組めばこんなこともできるのに。

ネモフィラで満たされた国営ひたち海浜公園
http://hitachikaihin.jp/hana/nemophila.html

福島の花見山公園(画像集)
https://www.google.co.jp/search?q=%E7%A6%8F%E5%B3%B6+%E8%8A%B1%E8%A6%8B%E5%B1%B1&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwielr3ItpjaAhWMS7wKHZxcB5gQ_AUICygC&biw=1182&bih=783

これは? 福島県の花見山プロモーション動画?
https://www.youtube.com/watch?time_continue=2&v=9BFdY8rALYA

実は徳島にそんな場所をつくろうとしているのが
上勝の「彩山」構想なのだ。





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posted by 平井 吉信 at 15:27| Comment(0) | 徳島

2018年03月21日

雨に打たれる金長神社 春を迎える日はいつまでか


かつてここには無料の動物園があった(無料だったと記憶している)。
孔雀、狸、猿がいたように思う。
動物はコンクリートの箱形の建物で飼われていて
その建物に上がることができた。
(猿の檻は金網なので上がれない)

小学校の頃には写生大会があり
学校から歩いてきたことがあった。
遠足のおやつは、カバヤのジューシーとか明治のハイレモンとか。
森永ミルクキャラメルやチョコボールだった。
(それとバナナも忘れてはならないだろう)

金長公園にはいつも動物の鳴き声が聞こえていて
見上げると小松島の象徴、日の峰が背後にそびえていた。

金長神社は動物園の片隅にあった。
動物園の敷地には桜が植えられ、花見もできた。
妹を連れて来たことを思い出した。

小松島市では、来たるべき南海地震に備えるべく
この場所を防災機能を持つ都市公園に整備するということで
金長神社は撤去されるかもしれないとのことである。

ぼくはときどき金長神社を訪れているけれど
いまの金長神社が観光資源と呼べるかどうかはわからない。
低未利用地で数少ない種地でもあるこの場所を
市民生活に活かすために都市公園へ整備することは間違っていない。

ただし、金長神社のあり方については
都市公園と切り放して考えることもできると思う。
歴史や文化は未来へと続くまちづくりの資源(拠り所)であり
いまのかたちでなくても方策(リノベーションや再創造)はあるように思う。

公共の場所に宗教施設は御法度というのは理解できる。
しかし金長神社は宗教施設といえるかどうか。
昔からの由緒ある神社というよりは
映画のヒットへの感謝を込めて
昭和31年に映画関係者が建立したもの。
いわば神社というよりは顕彰施設。
(宗教法人ではなく自治会のような組織が運営しているのでは?)
だから市が宗教施設でない由来や経緯を付して
国土交通省に説明すればそれで済むような気もする。
(このようなローカルマターで国が市を指導する時代ではないだろう)
土地と建物を運営組織に管理してもらい、
地代家賃と相殺することもできるのでは?

いまの世の中、
権力を持った中枢に近い面々は
親族や知人の企業などが(まるで優遇されるように)
例外扱いやうまく大義名分を役所が忖度してつくることで
補助金を受けたり大きな事業を受託している。
(世間を騒がせているあの事件だけではないと思うよ)

その一方で
下々では法令を遵守することが目的となって
(法治国家である以上それは大切なこと)
法令を字義どおりに解釈して地元の事情とそぐわなくなってしまう。
(中央集権ではなく四国が判断すれば動かしていける自治が必要。そこがこの問題の本質だよね)

そして行政や議会に任せないで自分たちが考え動かしていくことが大切。
議員報酬など無償で良いから(議員報酬が低いから議員のなり手がいないのではないよ。誰でも議員ができるしくみを取り入れることが本質)。
どんどん市民が議決権を持って参加できる議会でありたいね。

父もぼくも狸に化かされたことがあることは以前にこのブログにも書いたけど
魑魅魍魎はどんどん消えていく。
小山助学館からかつて発刊されていた三田華子の「阿波狸列伝」はほんとうにおもしろいよ。
(スターウォーズやハリーポッターはこれと比べると人情の機微がない大味に見えてしまう)
関係者が電子書籍にしてくれたらもっと広まるのにと思いつつ。

だから雨がしょぼしょぶ降る夕方に金長神社に来てみた。
誰もいない。

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posted by 平井 吉信 at 22:20| Comment(0) | 徳島