2022年08月13日

港町の夕暮れ 夏の入道雲やちぎれ雲は劇的に ときにほのかに染まる


駅前には広場があり、そこから幾重にも放射状に広がる道があった。逆に見ればここは収束点。広場の前は京阪神の航路があった場所(旧港という。後に北に新たな港=新港に移った)。船の待合室は鹿鳴館のような瀟洒な建物でハイカラ館とも呼ばれていたが、ぼくが子どもの頃にはユーレイ屋敷と呼ぶようになっていた。さらに昭和の終わりを告げる頃に廃線となり、やがて航路も廃止となった。

往時を知らない人には信じられない話だが、かつては四国の東玄関と呼ばれ、紙テープに見送られて多くの人が旅立った。ちくわ売りのおばさんもいた。鉄道は10数両を連ねて高知、高松、松山へそれぞれ直行する準急列車(今でいう特急)があったらしい。駅は広大な保線区、車両基地でSLが格納されていた。駅近くの踏切は車両の入れ替えなどで頻繁に遮断機が降りる。それは人の手でハンドルを回して上げ下げしていた。保線区内には石炭の貯蔵庫もあった。桜並木やバッタやコオロギがいる野原は鉄道の敷地内であったが、子どもが虫取りをするぐらいは大目に見てくれた。蚊に噛まれて痒いことをかゆいことを除けば1メートル四方に数え切れない虫がいる楽園だった。


昔話をしても仕方がないしぼくも年寄りではない。すみません。前置きが長すぎました。
写真はこちらです。かつての旧港と呼ばれた神田瀬川沿いの場所です。
DSFT4444-1.jpg

DSFT4447-1.jpg

DSFT4450-1.jpg

DSFT4453-1.jpg

DSCF4244.jpg

DSCF4254-1.jpg

DSCF4257-1.jpg

DSCF4263-1.jpg

DSCF4266-1.jpg

梅雨明け後の夕立を伴う天気の日はとにかく雲と黄昏が美しい。燃えるような光は最後の審判のようだし、ほのかな残照にもためいきのような情熱を感じた。これで終わりかと思ったら最後に予想外の朱に染まった。
DSCF4274-1.jpg
(フジX-T30+XF35mmF1.4 R、フジX-T2+XF23mmF1.4 R)
posted by 平井 吉信 at 14:23| Comment(0) | 徳島

2022年05月03日

春のうららの鶴林寺 深山幽谷の趣のまま


四国巡礼は徳島は鳴門から始まるが、発心道場の阿波路では焼山寺と鶴林寺が道中が困難な札所だろう。
とはいえ車で上がる巡礼や参拝者も少なくなく細い山道は慎重に運転する必要がある。
車を停めるがそこからすでに幽玄の木立に包まれて昼なお暗い。山門に向かって歩き出す。
DSFT2215-1.jpg

境内には高い杉木立がそびえる
DSFT2227-1.jpg

DSFT2232-1.jpg

樹木は苔むしている。霧がかかり湿度が高いのかもしれない。
DSCF9346-1.jpg

花(落花)を愛でながら仏像を拝謁して歩みを進める
DSFT2247-1.jpg

DSCF9353.jpg

DSCF9376-1.jpg

DSCF9365-1.jpg

DSCF9360-1.jpg

DSCF9385-1.jpg

DSCF9420-1.jpg

長い階段を上がると本堂、右手に五重塔
DSFT2264-1.jpg

DSCF9410-1.jpg

特に読経したり納経帳に印をいただくわけではない。ただ苔むす古刹の醸し出す雰囲気が好きなのだ。寺もここまで来ると清浄をたたえて玲瓏神妙にある
DSCF9427-1.jpg

DSCF9429-1.jpg

DSFT2281-1.jpg

DSFT2284-1.jpg


タグ:神社仏閣
posted by 平井 吉信 at 00:22| Comment(0) | 徳島

2022年04月15日

徳島には豊かなものがありすぎて


温帯モンスーンから亜寒帯にさしかかる日本には世界でも有数のスミレが自生する。
それは世界でも稀な多様な気候、地形、それらの複合作用の生態系、そして人間が関わる里山の暮らしがあるからである。
川とスミレについてのテーマが多いな、と思われる方、そのとおりです。
だってそれが日本が日本たる本質、四国や徳島の本質と思うので。

意外にも徳島はユリやスミレの種類の多様性は特筆もの。
海だって瀬戸内海から大河の砂が吐き出す海底の紀伊水道、そして太平洋まであるので海の魚の多様性も全国有数。
さらに雨が多いことにかけては南紀と四国東南部が双璧。深い森とそこから流れ出す良質の川に恵まれる。

そこでそれぞれの地区で川による野球を行うとして四国チームを編成してみた。
ちょっと負ける気がしない。いや、まるでほかの地区は土俵が違うという質の違い。
実際に全日本でオーダーを組んでみた。

1番 海部川
2番 沙流川
3番 長良川
4番 吉野川
5番 四万十川
6番 仁淀川
7番 那賀川
8番 熊野川
9番 錦川

DH:釧路川、信濃川、天塩川、江の川
代打の切り札:那珂川、筑後川、川辺川(球磨川)
代走:狩野川 魚野川


その結果、豊富なミネラルを宿した土から良質の野菜が採れる。
香酸柑橘だって、ゆず、ゆこう、すだち、阿波すず香、さなみどりとこれまた美味さわやか。
米だけはもしかしたら他の地域に及ばないかもしれないけれど、産地でなく生産者単位でいうとひけを取らない。

いやはや、徳島には何もかもありすぎてどこを訴求してよいのかわからない。その魅力をひとことのカタカナ(フレーズ)で表現すると「ミネラル・ヒーリング」。
これは1999年に著した「南阿波海部の新しい波〜エコツーリズムによる地域づくり」(国会国立図書館に蔵書)の核心となっている概念。それをアウトドアとしてコンテンツにしたのが「南阿波アウトドア道場」(初版を企画監修して現在は第3版がWeb上に掲載されている。第4版も計画されている)。
https://www.pref.tokushima.lg.jp/FAQ/docs/00031554/


野田知佑さんが住んでいた日和佐町を例にとっても、海、川、暮らしとも一級品。
鳴門を例にとれば、渦潮、美術館、鳴門鯛、なると金時、レンコン、ドイツ館、一番札所、エクシブとありすぎて何を訴求してよいのやら。

そんなときあれもこれもではなく、特定の誰かのこんな場面で共感してもらえそうな物語を紡ぐというコンテンツの作り方が必要だよね。
posted by 平井 吉信 at 20:48| Comment(0) | 徳島

2022年01月09日

年末年始の神社訪問

人が集まるのを避けるために年末、夕暮れ近く、場所によっては午前中などと神社ごとに特性を考慮して訪問すれば密集は避けられる。

そして御札を求めて神々の弥栄をお祈り申し上げる。
若い頃から個人の願い事はしていない。
それらは自分の力で切り拓いていくものだから。

大麻比古神社(鳴門市)
阿波の一宮として。
DSFT9952-1.jpg

DSCF4068.jpg

DSFT9915-1.jpg

DSFT9926-1.jpg

八幡神社(小松島市)
産土の神様として。
DSFT0006.jpg

DSCF4301.jpg

DSFT0021.jpg

天石門別八倉比売神社(徳島市)
少し古代に思いをはせつつ。
DSFT0027-1.jpg

事代主神社(鳴門市)
みなさまのご商売が繁盛するように。
DSFT0076.jpg

近隣の商店街のシャッターに描かれた絵 いまにも動き出しそうな生身感
DSCF4570.jpg

商店街から入った路地の片隅に昭和の時代の喫茶店
DSCF4057.jpg

DSCF4049-1.jpg


余談
NHKの大河ドラマで近代が出ると視聴率が低迷する傾向があるようだ。
かといっていつまでも戦国時代とか江戸時代ばかりでもおもしろくない。
時代考証から離れて卑弥呼などはどうだろう?

九州の北部で生まれた少女が神がかりて人々の信望を集め
争いの絶えない国々をまとめる象徴として位置づけられていく。
そうして中国地方、山陰地方(出雲)と出会いつつ、畿内に入って大和に定着する。
各地の有力者たちとの関係性を描きつつ、執政を補佐する弟、後継者選びと教育、
来るべく王朝を予感しながら卑弥呼が大和盆地を見下ろしつつ番組を終えるという筋書き。
(邪馬台国が国のかたちを調えながら九州から畿内へと移動発展していくことで邪馬台国の比定は問題なくなる)

言語はときどき縄文語と古代やまとことばを散りばめながら(番組テロップで翻訳)
脚本家の創造で世界を遠くへ飛翔させてみる。
卑弥呼を誰に配役するか? ぼくは無名の新人が良いと思う。
極力人間的な演技に走らないほうがよく、そのかわり佇まいや立ち居振る舞いを重視してオーディションを行えば良いと思う。
posted by 平井 吉信 at 22:36| Comment(0) | 徳島

2021年12月19日

狸はいまも そしてこれからも 阿波の狸の物語


狸に化かされたことがなければ信じられないだろう。
ぼくも親父も同じ場所で別々の機会に狸に化かされている。
場所は那賀川下流の南岸、桑野川(岡川)との三角州状の地区で
夜間に1時間ばかり同じところを車で徘徊していたというもの。
(親父の車には母が乗っていたので証人がいる。ぼくはひとりで運転していたが自分のことだから信じるまでもない)
ぼくは小学生の頃から地図収集が趣味で知らない土地でも道に迷わない。日本地図など小学3年生の頃には湾や大きな川の位置も含めて宙でかけた。県内ならどこでも土地勘がある(字=あざで話をしてもだいたいわかる)。それなのに迷わされてしまったのだから。

さらに近年になってわかったのは、かねて狸に化かされたことが多いという場所が那賀川北岸(この場所の対岸)にあって目と鼻の先。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/177277035.html

2016年10月26日発刊の「小松島タウンニュース 第334号」(徳島新聞小松島市販売店会発行)によると、冒頭の泉正夫さんの「あの話この話」で県内の地蔵信仰が綴られている。
そのなかで、狸に化かされないように地蔵を建てた話として以下のように書かれている。
「那賀川町江ノ島、島尻、西原地区には道を通るときにタヌキに化かされないように建てた地蔵がある」

泉正夫先生は小松島高校の教頭をされていた方で「あの話この話」が書籍にならないかと楽しみにしている。退職後も精力的に活動をされている。


かつて芥川賞候補にもなった作家、三田華子さんの「徳島昔ばなし」には言い伝えが多く収録されている。例えば(記憶違いがあるかもしれないがこんな内容)、徳島市の佐古の辺りで夜に眉山で狸火が見えることがあった。狸が遊んでいるから邪魔をしないようにというのが住民の心情。特にやってはいけないことは、狸火を見ながら袖の下から手招きをすればたちまち火が向かってくるという。実際にやった若者がいて火が近づいてきて腰を抜かしたとか。

まあ、この話は一例だが、阿波の狸の話には事欠かない。スタジオジブリの平成狸合戦ぽんぽこの総大将は小松島の金長狸であった。

小松島市のキャラクター「こまポン」は小松島市の登録商標。竹ちくわを持っている。
komapon.png

小松島市ステーションパーク たぬき公園の巨大なタヌキ像
(かつて小松島駅があった場所で阿波池田行きの10数両編成の列車が手動の踏切を通って煙を吐きながら行き来した)
RXM02210-1.jpg

金長だぬき郵便局のポストの上にもいる
DSCF9168-1.jpg

日本たぬき学会の大平正道さんによる講演(2008年11月15日)
DSCF1669.jpg

南小松島駅前の泉のある公園のたぬき
DSCF4096-1.jpg

この金長狸にゆかりの大和屋の家系(梅山家)が金長神社の宮司を担われている。
→ 雨に打たれる金長神社 春を迎える日はいつまでか
DSCF2406.jpg

阿波狸合戦はかつて新興キネマの映画にもなり、その際に建てられたのが金長神社
宗教法人由来でない寺としては珍しく、長らく市民に親しまれてきた。
小松島市が運動公園に整備するため取り壊されようとしていた際に
地元住民が署名を集めて守るための組織を立ち上げた。
(修繕には1千万円以上かかる見通し。ご寄付は以下へ。清掃のお手伝いも歓迎)
 → 一般社団法人 金長と狸文化伝承の会 

その代表となられて活躍されたのが松村優子さんや地蔵寺のご住職であった。
松村さんからいただいた藍の染料で描かれた書画は宝物となっている。
DSCF8475-1.jpg
→ あいいろ企画株式会社の運営するIndigo MINERVA

マクドナルド小松島店の近くに藤樹寺という寺がある。
DSCF4565.jpg

境内の一角で祀られているのが藤ノ木寺の鷹とその子の小鷹、弟の熊鷹という狸である。鷹は金長の一の子分であったが、四国の総大将、津田の六右衛門に謀反の疑いをかけられてやむなく合戦となった折、一騎打ちで六右衛門に噛みつかれた深手を負った金長をかばいながら日開野(小松島)まで逃げ延びたが、鷹は一命を落とす。金長も三日三晩苦しんでこの世を去る。津田方も大将の六右衛門が一騎打ちで敗れて双方の大将が倒れる壮絶な闘いであった。合戦の後、無数の狸の屍が勝浦川下流(論田から大原地区だろう)を埋めたという。
→ 阿波狸合戦のあった勝浦川下流の散策(徳島市南部の論田、大原、小松島市江田地区)
http://soratoumi2.sblo.jp/article/185077495.html

2代目金長を継いだのは一の子分 藤ノ木寺の鷹(当時は寺社などに狸が棲んでいた)の息子、小鷹である。六右衛門の継承者、津田の千住太郎と和解して阿波の狸界に平和が戻った。

ここから始まるのが三田華子さんの「阿波狸列伝」である。
最初は在所の狸の活躍など小咄から始まるが、そのうちなんだかきな臭い匂いが混じるようになる。他国から某かの陰謀が感じられ、今度は2代目金長や千住太郎、それを取り巻く堅気の狸たちの奮闘を描いている。阿波の国、お城下、そして剣山を舞台に繰り広げられる人情話や妖怪変化の怪奇譚、冒険話、陰陽道などが散りばめられてスターウォーズやハリーポッターよりずっとおもしろいよ。メディアドゥさん、版元の小山助学館さんや著作者の三田華子さんのご親族と協議してこれを電子書籍化してみませんか?(紙媒体での流通リスクとどこでも読めるために電子化がいいと思う)
DSCF4152-1.jpg
『阿波狸列伝』第1巻「風雲の巻」、小山助学館、1959年5月。
『阿波狸列伝』第2巻「変化の巻」、小山助学館、1979年4月。
『阿波狸列伝』第3巻「通天の巻」、小山助学館、1979年7月。

お城下の3大女傑狸といえば、臨江寺のお松、興源寺のお染、妙長寺のお睦だが、
うちは毎年冬になるとお睦さんから御札が送られてくる。
そもそもぼくの名前は近所に狸の憑いた方が柳町の路地の奥まった一角に日吉大明神という祠を祀っておられたがその方が付けたという。ほんまか?

小松島というか徳島を代表する銘菓といえば金長まんじゅう。
D7K_2314-1.jpg
生みの親は二条通にあったハレルヤ製菓。
(うちから歩いて2分、走れば1分)
誕生日に買ってもらえるアップルパイやたぬきのケーキは楽しみだった。

水瀬マユさんの「姫さま狸の恋算用」は小松島や金長神社が舞台となったコミック作品。著者のサイン入りの初版を持っている


さても狸づくしのようであるが
今朝の徳島新聞を開くと、「長道のお絹」という徳島市安宅町界隈に住んで美人に化けていたお絹という狸が近頃人々が驚かなくなったので霊力を高めるために助任の万福寺の三太郎狸に会いに出かける途中で夕立に遭い、雨宿りに立ち寄った軒先で下駄師の爺さんに呼び止められて爺さんの話を聴いて諭される(爺さんは着物から尻尾が覗いていたので狸と気付いたがそんなことに構わず人生の深い話を語った)。寄稿されたのは徳島文理大の名誉教授の飯原一夫先生である。

子どもの頃はこっくりさんという遊びがあった。狐狗狸とも書くが、動物のお告げを聞くというもの。ほんとうに動物だったか人間の霊が変化したものかはわからないが、あまり深入りしないほうが良いのは確か。

こんなふうに阿波国、徳島では人と狸が文字どおり境目なく共生していた。
(知的な方も、ふつうのいなかのおっちゃんおばちゃんも狸について語る語る)
蛇足ながら蜂須賀家を藩主とする徳島藩はあるが阿波藩はない。徳島藩は阿波と淡路を所領する25万石であるが、実際は藍商人など藍や塩などの産物の利益(含み益)があって40万石以上とされた。そんな風土のなかで阿波の狸の物語が育まれてきたのだろう。

でもいまは政治家に化かされないようにしなければならない。ニュースやマスコミの報道を裏読みしていかないと真実はわかりませんよ。SNSの情報も悪意を持って拡散させているものを見抜かないと生きていけませんよ。ものごとには動機がある。その動機から見ていく方が真実に辿り着きやすいかも。権力を監視するためやら生態系や人権をより尊重するための憲法改正なら大いに賛成しますよ。
(狸の話題や写真は「狸」のタグからたどってくださいね)

12/20追記
本日、小松島商工会議所へ立ち寄ったら以下の行事があることを教えていただいた。
(商工会議所による88狸の取り組みとその地図

2022年2月19日(土)15:00〜16:30
阿南市文化会館夢ホール
講師:森脇佳代子​『阿波の狸合戦〜物語と地域〜』
「阿波の狸合戦」を郷土史の視点から見つめ直すと、新しいものが見えてきます。
江戸時代の写本、明治時代の講談、大正・昭和の民話、戦前の映画、平成のアニメ映画や小説、町おこし。様々な媒体を経由しながら、独自の進化を遂げてきたコンテンツ「阿波の狸合戦」。
地域性や各媒体の特性、時代の風を自在に飲み込みながら、今もなお世界を広げている「阿波の狸合戦」ワールドを、資料紹介も交えながらお話しします。


12/22追記
本日、小山助学館本店に立ち寄ったら、「阿波狸列伝」の第1巻と第2巻の在庫があった。
(写真はぼくの手元の第1巻〜第3巻)
DSCF4152-1.jpg

さらに店頭で「小松島の歴史と文化―阿波地域文化の特質―」を見かけたので求めた。
2021年3月21日刊の新たな研究成果が盛り込まれている。
DSCF4153-1.jpg
目次は以下のとおり。
・鍍金甲冑で身を飾る人〜子安観音塚古墳をめぐって〜
・コラム 水神社と立江馬淵遺跡・立江柳ノ内移籍
・豊国大明神と小松島
・阿波狸合戦と小松島
・阿波の奇僧 閑々子と小松島
・阿波の円山派の絵師 松浦春挙と小松島
・コラム 小松島のマンホール

なお、著者のお一人が上記の夢ホールでの講演の森脇佳代子さんであった。
書籍の価格は徳島新聞では1,000円と紹介されていたが1320円であった。





タグ: 那賀川
posted by 平井 吉信 at 11:39| Comment(0) | 徳島

2021年11月13日

藍よしのがわトロッコとの遭遇(徳島駅)


コロナ下では県外出張が少なくなっていたここ数年、久しぶりのJR四国での特急利用。
徳島駅の1番線に停車中の列車を撮影している人たちが見えた。
停車しているのはJR四国の特急として長年牽引してきた2000系、
そしてホームの電光掲示板には「トロッコ」の文字。
―よしのがわトロッコか?
RXM05455-1.jpg

高徳線と予讃線はJR四国の看板路線でいち早く新型車が投入されてきた。
特に高徳線では空気バネを用いて乗り心地を改善した2600系が数年前に投入された。
→ 高徳線 2600系「うずしお」に乗ってみた
→ 特急うずしお N2000・2000系から新型2600系へ   

2600系はとても気に入っていたのだが、
長い距離でカーブの多い土讃線では空気の容量が足りないようで
量産されたのは車体の傾斜装置に振り子式が用いられた2700系。
見た目は2600系を踏襲し、技術的には2000系の改良版と
双方の良いところを組み合わせた感じ。
きょうは2700系に乗る。
(県内を走る徳島線と牟岐線では列車は更新されず2000系であるが、それだけになつかしさもある)

特急うずしおが出発する数分の時間に駆け足でよしのがわトロッコを撮影した。
藍色と木目の室内
RXM05457-1.jpg

RXM05458-1.jpg

RXM05469-1.jpg

藍色から青への階調が基本となっている
「藍」と書かれた文字が戦国武将の兜のようだ
前へ回って顔を見ても藍から青への流れが吉野川を想起させる良い色である
RXM05461-1.jpg

鳴門行きの普通列車の隣で先発の特急うずしお。
これから東京からの方々を迎える会議で高松へ出かける。
RXM05471-1.jpg
JR四国をみんなで利用して支えよう。政策的にはJRを統合して全国組織としよう。

タグ:JR四国
posted by 平井 吉信 at 16:07| Comment(0) | 徳島

2021年08月27日

やまびこ打線の池田高校 ノーサインの富岡西高校 野球と光のまちでみんなが主人公となって始めること


仕事での打ち合わせを何度か行っていた県西部の方が帰り際に池田高校野球部のご出身と打ち明けられた。
畠山投手を擁して初優勝した前年度の選手という。
先発メンバーの名前がすらすらと出てくる、互いに。
そして「山間の…」と声を合わせて蔦監督の言葉を合唱。そして意気投合。

※「山あいの子供たちに一度でいいから大海(甲子園)を見せてやりたかったんじゃ」という蔦監督の言葉が刻まれた碑が池田高校にはある。


「さわやかイレブン」のメンバーですら宙で言えるぼくも池田高校ファン。
池田高校全盛期の出場校は、(地名)高校とか、(地名)商業などのような公立高校が多かった。(漢字の熟語やアルファベット)学園のような私学はまだそれほど多くなかった。

さわやかイレブンとは、部員11人の山間部の学校が二度目の甲子園で準優勝したときのこと。
開会式直後の試合で一番の雲本選手がホームスチールに成功。
監督のサインは二塁盗塁なら二塁ベースを指さす(ほんとうかと相手も呆気にとられる)ものだったので県内の対戦相手にはばれていたという(当たり前だろう)。このときもホームベースを指したのだろう。大胆である。

いや、ホームスチールなんて野球のなかでも成功の確率がもっとも低い仕掛けの典型。なにせピッチャーが投げる130kmのボールと競争してキャッチャーがタッチするより早くホームベースに到達しなければならないのだから。左腕投手で3塁が見えないとか、右投手でもワインドアップのときとか、セットポジションでも一塁ランナーに気を取られている隙を突くことはあるとしても。
虎穴に入らずんば虎児を得ずの例えがあるが、失敗すれば三塁まで進んだランナーの憤死という高い代償を払うことになる。

さわやかイレブンがきっかけとなってマスコミの露出が増えた蔦監督を慕って(判官贔屓と監督の実直な言動が人気を呼んだこともあるだろう)県下からも生徒が集まりだした。
畠山投手の実家は三好郡ではなくうちから数キロの海辺のまち。
水野投手の実家もぼくの母校(富岡西高校)の通学路にあったあんこやさん。
この2人の投手を擁して夏(畠山投手)、翌春(水野投手)と優勝。
いまでも語り草となっている広島商業や早稲田実業との試合はYouTubeで見ることができる。

池田の対戦として印象に残るのは華々しい打撃戦の勝利ではなく、PL学園に敗れる直前の天王山といわれた中京戦。試合はがっぷり四つに組んだ横綱戦で双方が全力でぶつかって1対1のまま9回に突入した。
この回に池田がホームランをきっかけに2点を取って突き放したのだが、中京の野中投手が立派だった。
グランドマナーというか王者の風格。勝負に負けても全力で闘って悔いなしの表情にぼくは感動した。高校生の彼の器の大きさと野球以外であっても将来の大成を感じるのだ。この年は桑田・清原の1年生コンビを擁するPL学園が優勝するのだが、中京・野中投手には惜しみない賛辞を送りたい。

翌年の春は準決勝での明徳義塾との試合が印象的。スクイズで先制した明徳が隙のない試合運びで1点を守り抜き、8回裏1アウトまで来た。次打者も快音は聞かれず1塁への平凡なゴロ。残り4つしかないアウトを思えば点差は1点であっても見ている人は池田の敗戦を覚悟したはずだ。これで2アウトかと思った瞬間、守備でお手玉があった(甲子園には魔物がいる)。
命拾いしたランナーを1人おいて9番打者の井上選手が低めのボール球をすくい上げて右中間三塁打で同点。そして先頭に戻って坂本選手が同点の興奮が球場を包んでいた初球をライナーに右前へ運んで逆転。たった2球のできごと。この1点のリードで十分であった。9回表を迎える水野投手は息を吹き返したに違いない。

蔦さんはいう。「教育はちっぽけな大人の再生産ではない。大きい小児をつくること。これは自分の天職だ」。野球は好きでたまらない野球の申し子だが、それよりも生き方を問いかける。
PL学園に完敗したあの試合の後にマスコミの質問に答えた。
「この子たちの人生を考えたら負けたほうがいい。それも水野が打たれる形で」。

さて、池田高校からときは流れてコロナ禍の1年前、2019年の春のこと。
母校の富岡西高校が21世紀枠で初めて甲子園に出場。創部120年目にして初の甲子園出場となった。
(21世紀枠というが、このときの富西は四国大会のベスト4。かつて四国の野球の全盛期には選抜の四国枠が4つあったため普通に出られたはず。四国の野球の全盛期とは公立高校が甲子園の常連であった頃かもしれない。校名を売りたい私学が手段を選ばす選手を集めるに至っては地方色も高校野球らしさも薄れてしまった。そんななかで富西は公立高校で地元の選手ばかりでの出場であった)

この大会は愛知の東邦高校が優勝したのだが、冨西の応援団が応援団の最優秀賞に選ばれた。試合内容でも富西は1回戦で東邦と対戦し1対3で敗れたものの、この年の優勝校をもっとも追い詰めたのは富西といってよく、決勝戦のような緊迫した試合展開だった(実は試合当日は県外出張でテレビを見られなかったのであるが)。1点を先制された富西は6回に同点に追いつき、続く2死満塁で鋭い当たりが野手の正面を突いた。

高校野球では運と勢いを味方に付けたら番狂わせが起こる。いや、番狂わせに見えて実は理詰めの理由が隠されている。富西の野球は浮橋投手の冷静かつ読みの深い投球術にあるのは間違いないが、9人がそれぞれチームとして「何が求められるか」と個人として「何ができるか」を考え抜く。ノーサインで選手同士が考えて無言で意思疎通を行い試合を組み立てるのが大きな特徴。でも、そんなことはあり得るのか(超能力でも使うのか)。

現場の最前線に答があるとしたら、戦況をもっとも把握する選手がリアルタイムで作戦をつくりあげていく姿勢が運を呼ぶことはあり得るだろう。場面ごとに何をすべきかを選手たちがきっと共有していたはずである。

富西の小川監督は次のように説明する。
「もどかしいというより、お前、すごいことするなと驚いてばかりです。社会に出た時に生きると思うんです。こういう時はこんな選択がいいなとか、自由な発想ができる。彼らは楽しくて仕方ないんじゃないかな。面白いと言って卒業していきますよ。サイン通りだと指示待ち人間になってしまう。今は考える力を求められている世の中。主体的に動ける人間。社会に巣立った時に独創性豊かに活躍して欲しいなと思うんです」(引用元 https://baseballgate.jp/p/458123/

勝敗がすべてではないのだ。後輩たちの頼もしい活躍はその後の人生できっと生きる。人は苦しいことを経験してこそ、幸福にたどり着ける。なぜなら幸福とは、「状態」ではなく、それをどう捉えるかの考え方だから。

自転車で稲穂の海を渡るまっすぐの道を自転車漕いで通った北の脇とあの夏を思い出す。明日はその富岡の町に仕事で出かける。

(そして翌日…)
夜に開催されたセミナーが終わった。
CO2センサーの指標を説明しながら参加者は換気ファーストの原則を納得していただいた。一時CO2濃度が800ppmに達したが、やがて自然換気の効果で数分後に600ppm未満に下がった。この日、徳島では過去最高の感染者数の発表があったばかり。ワクチン接種を終えた当日にわざわざ参加された方もいた。一人ひとりが自発性と積極性を持って自分ごととして受け止めていただたいことで中味のある2時間半だった。

外に出て目の前に広がるLEDの森を見てシャッターを押した。この人たちの思いがまちの未来を照らすように。
DSFT8029-1.jpg

DSFT8043-1.jpg

DSFT8054-1.jpg
(夜の牛岐城公園は22時までLEDの点灯があるらしい)

追記
実は池田高校と富岡西高校の校歌は歌い出しの旋律がそっくりなのだ。

しののめの 上野が丘に 花めぐり そびゆるいらか みどりこき(池田高校)
はつらつ若き胸はりて仰ぐ眉山の空ひろく(富岡西高校)
https://tomiokanishi-hs.tokushima-ec.ed.jp/4045a6cfe9b444a802f6a477e985f6a0/826a29f8fa01d50ab18fc1504f6b3321

どちらの校歌もいまでも歌えるのだけれど出だしで混同してもわからないぐらい似ている。
甲子園での池田高校の校歌は1番のあとコーダをくっつけているのだが、実は2番と3番がある。音符の結びが甲子園版とは違って1番2番の結びは解決しない和声で終了感を3番まで持ちこんでいる。
https://ikeda-hs.tokushima-ec.ed.jp/g-shoukai/kouka
(甲子園バージョンとフルバージョンの2種類で聴ける)。

しののめの上野が丘が吉野川の河岸段丘にあることが実感できる学校のPR動画
https://www.youtube.com/watch?v=V7rTer-MPL0

実に優れた校歌だな。雄大で凛として。
(CD化しても売れるのではないかな)
終盤では装飾音(短前打音)が入るので技術的に難しいところも入っている。

posted by 平井 吉信 at 00:14| Comment(0) | 徳島

2021年05月18日

祖谷(東祖谷)の奥深さ 時を経ても縁は切れない


ここは東祖谷。秘境祖谷のなかでも最深部の釣井(つるい)集落。
近くには重要文化財の木村家がある。
kimurake.JPG
ぼくが遊んでもらった子どもたちは近所の子だ。
子どもの遊びを見ていると
高い崖(2メートル以上ある)からひとりが飛び降りた。
するとあとの子たちも続いた。
何事もなかったかのように着地して駈けていく。
骨が丈夫なのだろう。

やがてお姉ちゃんがじゃれる弟の足を引っ張る。
すると弟の頭は道路でコトコト音を立てる。
弟は笑っている。
アニメじゃない、実写だ。
映画じゃない、暮らしの一コマだった。
kodomo.JPG
あのお姉ちゃんと会話を楽しんだ。名前も覚えている。
もうとっくに成人して子どもがいるだろう。

東祖谷山村の釣井集落でミノルタX-700を手に出会う人々と会話をしながら撮影していた。
→ 詳しく見たい人はこちらに古いコンテンツ「東祖谷と三嶺・探訪絵日記」
https://www.soratoumi.com/river/iya/iya1.htm


それから数年後、
山と渓谷社からのご依頼で「ヤマケイJOY秋号」の取材で東祖谷と三嶺を訪れて写真撮影を行った。
投宿した宿ではひらら焼きなどをいただいた。
この取材に同行したのは後に「とくし丸」の創業メンバーとなる村上稔さんとその奥さんである。
村上さんとは仕事でいまも交流が続いている。

祖谷は平家の落人伝説がある。
伝説というよりは史実だろう。
nijyukazurabashi.JPG
まず言葉(抑揚)が徳島の平地と異なる。
異国のように感じるほどだ。

ほとんどの人は祖谷のかずら橋を見て大歩危小歩危や妖怪伝説で帰っていくけれど
やはり東祖谷の集落で身体(時間)を埋めないと魅力はわからない。
SNSの受信音の鳴らない環境で急斜面の家の縁側から谷底と向かいの山を眺めてごらん。
雲を映した瞳、風になびく髪、千年のかくれんぼを感じる心。

1973年にアメリカの青年が祖谷に魅了されたのは釣井集落である。
ぼくも庵を訪ねていったが、このときアレックスさんは不在だったと記憶している。
(なぜ、こうも釣井集落に縁があるのだろう。実はさらにもうひとつ縁があるのだが)

アレックス・カーさんの語りで綴る6分少々の動画をご覧ください。
(三好市まるごと観光戦略課制作)
TRAVELS in IYA ~in the words of Alex Kerr~
https://www.youtube.com/watch?v=Pyskw3yjza8

(観光PR動画とは一線を画す静かな語り口、邪魔にならない音楽で佳いコンテンツですね)

追記
前述とはさらに別のご縁があった。
数年前に台風で壊れた屋根の修理を依頼した業者さん。
仕事がきっちりと評判の方。
実はこの方が東祖谷のご出身。
それだけでない。
東祖谷に特化したWebコンテンツをつくられていた方で
さきほどのWebでぼくがリンクを貼った先だった。
(現在はリンク切れでたどらないように)
さらに、東祖谷山村のご出身で後に知事になられた方のご自宅にお招きいただいたこともあった。
さらにさらに…いや、省略ということで。
祖谷はかくれんぼをしながら人のえにしをつないでいる。

タグ:祖谷
posted by 平井 吉信 at 22:13| Comment(0) | 徳島

2020年12月14日

海に沈む太陽を眺める気分の川辺の光景 吉野川大橋


県外の人に川に架かる橋を渡るのにどれぐらいかかりますか?と訊いてみる。
川幅にもよるけど、歩いて3分ぐらいと答えるかもしれない。

いえいえ、徳島の人は鳴門方面から市内へ入るのに川を渡る橋がありますが
時速60kmの車で68秒、
時速15kmの自転車で4分33秒、
時速4kmの徒歩で17分かかります。

それは吉野川大橋(1,137メートル)です。
海に沈む夕陽を見ているようです。

かつて阪神方面へ向かう水陸両用機が離発着していた古川橋(吉野川橋=1,071メートル)のたもと。
浮桟橋があったそうです。高度経済成長に差し掛かるオリンピック直前の頃らしいです。
川の水面を飛行場に使っていたとは。
DSFT9310-1.jpg

DSFT9313-1.jpg

吉野川橋から1.4km下流に架かる吉野川大橋。
(下流に阿波しらさぎ大橋=1,291メートルが架かるまでは最長だった)
DSFT9316-1.jpg

DSFT9327-1.jpg
(ご覧になっている光景は川に沈む夕陽ですよ)

でも高速バスに乗って東京関西方面から戻るとき
ああ徳島に戻ってきたと思うのです。
(橋の上を通過するときに、徳島駅まで迎えに来てもらうために携帯電話をかける光景を見ることがあります)

いまは県境を越える移動は控えておきましょう。
でも公共交通機関での感染の怖れはほとんどないことも
記憶にとどめておいていいかもしれません。
タグ:吉野川
posted by 平井 吉信 at 21:36| Comment(0) | 徳島

2020年11月28日

紀貫之が遊星を眺めたらなんというだろう


ここはどこ?
地球が木星に近づきすぎたのではないか。

いえいえ、渋滞の高架で止まった車から眺める眉の山です
RXM04505-1.jpg

(ソニーRX100M7)
posted by 平井 吉信 at 23:39| Comment(0) | 徳島

2020年10月04日

神山へ連れ出す


コロナ禍でストレスが溜まっているのは高齢者。
特に社会福祉協議会や役所が主催するイベントに行けなくなっている。
買い物の際も感染症に怯えながらもそれでも生きるために外出は避けられない。
むしろ外出しないと余計に心身が弱ってしまう。
そこで定期的に徒歩圏から外へと連れ出さなければならない。

神山方面が手頃なので佐那河内から神山へ入り
森林公園、文化の森を経由して帰ることとした。
(長時間だと年寄りは疲れてしまうのだ)

外食へも連れて行けないので弁当を購入。
この日は神山町の商店街内で五味さんが経営される535へ。
DSCF9804-1.jpg

ていねいにつくられたおかずとおいしいご飯をいただいた満足感。
(わかる人にはこの品質感が伝わると思う)
森の中に椅子とテーブルを置いて大歩危茶を淹れてみた。
すると、食欲不振が続いていた年寄りも完食してしまった。
(環境を変えてみたら気分が変わる。みなみ食堂さんもそうだけど良い食事は元気の源になるね)

すだちくんもマスクをしている神山森林公園/イルローザの森
DSCF9782-1.jpg

秋の野を彩る草花
DSCF9777-1.jpg

DSCF9814-1.jpg

高齢者も開放感に浸っている
DSCF9790.jpg

このところ読者のみなさまには見飽きている鮎喰川。
これも食欲増進&気分転換の舞台にはなっている。
(鮎喰川についてはこの次のブログでまとめて紹介)
タグ:弁当 神山町
posted by 平井 吉信 at 10:06| Comment(0) | 徳島

2020年06月06日

小松島市長選 何を求める 何ができる 思いつきからプロセスの積みあげ重視へ


明日は小松島市長選。
国政では思いつきのアイデアや政権幹部や経験者の関連会社への利権などにうんざりする。
以前から指摘してきたように政権の目玉事業はその話題性に隠れて
決まり切った企業が受託して事務委託費(中間コスト)に大半が消えていく。
それらが政治家になんらかのかたちで間接的に環流するのだろう。

国政と基礎自治体の政治はやや事情が異なる。
まずは限られた予算と権限のなかで為政を行わなければならない。
しかしすでに支出が固定化されている経常的な支出がある。
平成30年度の小松島市では経常収支比率が99.8%に達していることから
市単独財源ではできうることはきわめて限られる。
(公債費負担比率は同年17.7%と警戒水準を突破している)

いまは2020年。政策としてコロナ禍への対応がある。
(これについては国からの臨時交付金等が降りてくると考えられる)
すでに専門家等からの指摘があるように
数ヶ月単位で収束することはあっても
終息までに2年から5年程度はかかるというのがほとんどの識者の見解。

だから重点施策から「賑わい創出」につながるハード整備やイベント系は消さなければならない。
思い出してほしい。
なぜ徳島県は県内由来の感染者が出ていないのか。
それは全国で唯一中心市街地がない県だからである。
それゆえ人が集まる場所として感染症がマークされてきたのは
郊外の商業施設1〜2箇所のみ。

もしある候補者が賑わいをつくるような政策を並べていたら
ぼくはその政治家の顔をまじまじと見つめる。
「時代が見えていますか?」

企業の経営では強みを活かして(伸ばして)
新たな需要をつくりだす(潜在ニーズの「見える化」や提案)ことが戦略である。
基礎自治体では予算と既得権の制約があるが
強みを抽出して磨き上げる方向は間違っていない。

小松島市の強みは何かというと地勢的な拠点性と考える。
徳島市に近く、勝浦川流域(勝浦町・上勝町)からの日々の流入がある。
その一方で阿南市からもバイパスで結ばれている。
そのため、個性ある事業所は徳島市南部、勝浦川流域、県南部から徳島市へ向かう流れの一部を取り込める。

もっとも重要な拠点は赤十字病院である。
ここには医療関係者、入院患者とその付き添いなど常時2千人が滞在する。
循環器系診療ではかつて四国有数と呼ばれていた。

弱みは企業等の立地場所が限られること、まちなかや主要地区の津波防災対策が求められること、
少子化時代に対応できる持続可能な学校教育の構築である。

このような立地においては生活者の安心安全や利便性を考えて都市設計を行うことで
人口減少はあっても存在意義を示していくことはできる。
(近頃当選した県内の若い市長たちは生活者の存在が見えていないのではないか)

国政では思いつき政治の弊害が誰にも明らかで
市町村長をアイデアで選んではいけない(それを実現して意味があるか、実現する裏付けがあるか)。
前市長に見るように市町村政では専制的な運営がなされやすい。
意思決定のプロセスを構築すること、そこに市民の意見が反映されること、
このことが2020年の小松島市にもっとも必要なこと。

さて、ふたりの候補者はどう応えてくれるのか?
DSFT9715-1.jpg
(夕刻の小松島市中心部を日峰山から)

タグ:政治経済
posted by 平井 吉信 at 16:11| Comment(0) | 徳島

2020年04月29日

阿南市加茂谷地区は移住者の隠れた魅力の地 起業の場所


次郎笈、高の瀬峡を経て流れる北川(那賀川本流)と
海部山系から流れる幾つもの谷が集まる南川、
さらには剣山の南斜面から流れる槍戸川(坂州木頭川)が合流して那賀川となる。
全国有数の雨が多い地域から豊富な水量を集めて海に向けて流れ出した急流は
阿南市に入ると中流の様相となる。
かつては阿南市のなかでも陸の孤島とも呼ばれた地域であるが
いまは移住者がこの地で次々と起業されている。

人気のカフェ ボスコベルさん、
土手の下にある和み工房しげぱんさん、
(しげぱんさんはホンモノ志向の良質のパンをつくられている。端正で温もりのある前庭があるが、この庭はうちの親戚筋の人が施工したらしいということもわかった)
DSFT5448-1.jpg
開業したばかりのイタリアンのリストランテ岡本さんも那賀川沿いの場所に立地している。
ここから少し下流の岩脇地区で1年後でないと予約が取れないフレンチレストランのLOUPを経営している佐竹さんも加茂谷のご出身と聞いたことがある。
つまりは自然環境の豊かな大河の畔で
食生活の本質を見つめつつ生きている人たちの楽園となっている。

また、以前に紹介した縄文時代の遺構加茂宮ノ前遺跡や太龍寺に続く遍路道「かも道」も近くにある。

きょうはそんななかで知られざる名瀑「午尾の滝」へ行ってみた。
場所はリストランテ岡本さんから少々上流を山手に入ったところにある。

滝は深瀬八幡神社の境内からすぐ奥にある。
神社までは急な細い坂道で慣れない人は気を付けて。
DSFT9345-1.jpg

DSFT9351-1.jpg

滝は上部の岩から末広がりに落ちてくる。
近い場所からそれを眺められるし水面に降りていくこともできる。
岩肌を滑り落ちて淵をつくる佇まい。
DSCF3408-1.jpg

DSFT9362-1.jpg

DSCF3402-1.jpg

ここから階段を上がれば新緑のなかに鎮座する深瀬八幡神社。
鬼瓦など細部をみればおもしろい。
DSFT9364-1.jpg

DSFT9353-1.jpg

DSCF3466-1.jpg

DSCF3469-1.jpg

DSCF3475-1.jpg

DSCF3476-1.jpg

境内にはナガバノタチツボスミレ
DSCF3441-1.jpg

DSCF3450-1.jpg
(徳島でのこのスミレはいずれも背が高く立派で見映えがする)

目と鼻の先には川沿いに芝生広場がある。
DSFT9390-1.jpg

DSFT9391-1.jpg

東流しようとする那賀川に右岸の城山が立ちはだかって北へと向きを変える。
そのため水が淀む。
そこに支流の熊谷川が城山の南斜面から合流する。
典型的な内水面の氾濫するパターンである。
(上流の加茂谷川との合流点はこれと様相は異なるがやはり内水被害に遭遇する場所である)
写真は南岸堰の堰体
DSFT9393-1.jpg

山が迫る右岸と左岸を最短距離で結ぶ加茂谷潜水橋。
潜水橋とは大水で川に潜る橋のこと。車も通れるが欄干がないのでご注意。
四万十川でおなじみの沈下橋だが、四国にはこのような橋は無数にある。
DSFT9388-1.jpg

DSCF3482-1.jpg

DSCF3480-1.jpg
対岸には受験の神様、お松権現がある。

紹介した地点はすべてこのなかにある(Google航空写真)
https://www.google.com/maps/@33.9242294,134.5590331,2960m/data=!3m1!1e3

高校の頃、加茂谷の同級生の近藤君の家に自転車で遊びに行ったことがあるが
陸の孤島だなと当時も思ったが
今日ではこの隔絶感(とはいいながら日亜化学から20分程度)は
異なる価値感に立てば、住みやすさ、豊かさはもちろん、
阿南市、小松島市、徳島市南部からも近いので集客の可能な経済圏として
今後脚光を浴びるに違いない。
それが地元中心に起こっているのが他の地区と違う。だから外からの風も入っていける。
(創業をお考えの人は相談してくださいね→無料)

徳島の飲食店経営の方、早々に休業しないでください。
こちらに紹介したお店はリピートする価値がありますよ。
しげぱんさんは、感染症対策を行いつつ営業を続けています。
どれをとっても素材の良さを活かすパンづくりが出色。
カレーパンの本格的な風味はちょっと県内では見られないもの。

県内の飲食店のみなさん、5月は風がさわやかで最適の季節。
どうぞ、感染症予防対策を万全にして営業してください。
そのことを発信してください。

〔参考情報〕
→ コロナ禍の経営危機を乗り切る

→ 飲食店の再開に向けての対策と弁当販売の留意点

→ 飲食店が営業を続ける選択肢を応援したい

posted by 平井 吉信 at 23:32| Comment(0) | 徳島

2020年04月12日

若葉の頃を思い出す桜 牛岐城(阿南市富岡町)


牛岐城は阿南市富岡町のまちを見下ろす丘にあった城である、
14世紀末に細川氏ゆかりの人物によって建造されたとされる。
16世紀の終盤になって長宗我部氏が支配するようになった。
DSCF2260-1.jpg

阿南といえば野球のまち、LEDのまちとして売り出している。
近年は冨岡西高校が21世紀枠で出場して活躍。
その冨西生にとってもなじみの場所。
→ 質実剛健を校風とした県南の進学校、冨西の校歌

かつては阿南駅前にセイドー百貨店があり、エスカレーターで上階まで上がっていった。
富岡の商店街はいまより賑やかで専門店が軒を連ねていた。
うちの親父も鮎釣りに行った帰りに紅葉屋に立ち寄って好きなあんパンを買っていた。
富岡のまちは迷路のように入り組んだ路が特徴で
阿南駅から冨岡西高校までは幾通りものルートがあった。
近年になって牛岐城公園周辺はLEDと桜の植樹で整備された。

この日は阿南市内に所用があって訪れた帰りに牛岐城公園に立ち寄ってみた。
まちなかではあるが、車も置くことができる。
上がり口では親子がのびのびと身体を動かしている。
DSFT8958-1.jpg

公園前には広場があり、そこかららせん状の階段で上がっていく。
DSFT8963-1.jpg

ソメイヨシノは満開を過ぎたところであるが
それでも夕方の光を宿し風を受けて散っていく。
DSCF2237-1.jpg

桜の持つ晴れがましさとその裏に秘めたはかなさは
季節の象徴であるばかりか日本人の共感する対象となっている。
DSCF2243-1.jpg

頂上は展望台となっておりLEDのオブジェが置かれている。
DSFT8972-1.jpg

DSFT8977-1.jpg

ところで不思議に思うのはどこに行っても女子学生のグループは見かけるけれど
男子学生のグループは見かけない。なぜかな?

食べたくなるような若葉
DSCF2253-1.jpg
富岡のまちなかの喫茶店に女の子と行った。
ビクターの白木のスピーカーSX-3から妙なる音楽が鳴っていた。
(このときの心象風景が後にビクターのSX-V1,さらには同じ設計者のクリプトンKX-1を買わせたのかもしれない)
まあ、それはともかく若葉のような10代の頃を思い出した。

DSCF2274-1.jpg

牛岐城を振り返ればなつかしい。
もちろん高校の頃の通い慣れた路ではあるけれど
中学のときに訪れた明日香村の天武・持統天皇陵にも重なるのだ。
明日香ののどかな春が来年は来るといいなと願いつつ。

posted by 平井 吉信 at 14:10| Comment(0) | 徳島

2020年02月26日

パンデミックに備えていま確保すべきもの


県内でも感染者が出たというニュース。
この結果に驚きはないし過剰反応をする必要はない。
ただ的確に確実に対応していきたい。
(ただし県の対応は疑問。非常時に国の方針を確認するのではなく現場で判断するべき。危機管理とはそういうもの)

マスクがなくて困っている人もいらっしゃると思うが
感染された人のエチケット用は必須としても
予防用としては意外に優先度は低いと思う。
(ほとんどの人は正しい使い方をされていないように思う。その場合はマスクが感染源となってしまう。ぼくもスーパーへの買い物などではマスクを付けない。すぐに帰宅して手洗いと顔洗いで防げるので。またアルコール噴射はよほど大量でないと気休めになる)。

効果的なのは手洗い、顔洗い。
(アルコール噴射よりもまず洗い流すこと=もっとも有効な感染予防)
そこで必要なのは石けん(個体と液体)。
洗顔用にはシャボン玉の無添加(3個入りで300円台)。
https://www.shabon.com/shop/products/view/3112
安心して使える老舗のブランドである。
常用するのでことさら除菌とか薬用などとうたっていない製品が安心できる。
(シャボン玉石けんは県内のドラッグやディスカウントにはほとんど在庫がある)

手荒い用には大手トイレタリーメーカーではなく
サラヤのシャボグリーンフォームがいい。
ヤシノミ由来で泡切れがはやく節水もできる。
イソプロピルメチルフォノール(殺菌剤)も配合。
詰め替え用2.7リットルを備えておくと安心だし割安。
https://shop.saraya.com/smile/item/23077/
(ただし徳島県内で販売しているのは見たことがない。なるべく地元で買いたいので見かけた人は投稿フォームから情報の共有をしましょう)

詰め替え用なので詰め替え容器が必要となる。
サラヤ純正500ml用を確保したいが、いまは入手困難だろう。
https://shop.saraya.com/smile/item/23074/

そこで大手メーカーの泡フォーム容器を洗って使う。
(うちでは花王でもライオンの容器もうまく行っている。もちろん泡用に限る)

睡眠の確保、不要な人混みに行かない、
慢性期で通院している人は行かない(頻度を下げる)などの対策もお忘れなく。
(慢性期の薬の服用を止める絶好の機会かもしれない)

こんな時期は人々の不安につけ込んで怪しい商品が跋扈する。
首からぶら下げる除菌装置などはその最たるもの。
また特にコロナウィルス用などと銘打たなくても
普通の石けんで十分。こまめに手洗いすることが大切。
(普通の石けんで汚れを落とす際に菌が落ちる。さらに石けんには殺菌効果もあるという。PHの効能だろうか)
https://the360.life/U1301.doit?id=4002
不安は不要、正しい知識と徹底した運用あるのみ。

五輪の中止は経済の損失になる。
(それでも人命には変えられないと思うが)
中止、延期、観客なし運用などいずれであっても
多くの人が準備を進めており
早めに対策を決定しないと
運営資源がムダになってしまう。
(猛暑を避けて秋に延期するのも選択肢と思う)
このまま指をくわえて開催突入、
もしくは年度明けに中止などの措置は避けたい。
関係機関の早期の対応を求めたい。
パンデミックは目の前に来ているのだ。
(人命の尊重を第一に大会の運営資源のロスを低減すること、選手の準備への配慮などを考慮すれば、2月中に意思決定できなければ危機管理は機能していないと思う)。

posted by 平井 吉信 at 10:59| Comment(2) | 徳島

2019年12月22日

お城下のリゾート 大滝山のふもとに黄花亜麻が咲いた

徳島お城下の象徴、眉山の北部界隈を大滝山という。
由緒ある神社仏閣が集まっている区域で
実は徳島市の隠れた観光地ではないかと思っている。
DSCF8617.jpg

大滝山は風光明媚な場所でもあり
滝の焼き餅という素朴な菓子を販売する茶店が開いている。
DSCF6143.jpg

和田の屋本店は大滝山から流れ落ちる滝が
店の庭を通過していくという立地にある。
DSFT6131.jpg

DSCF6140-1.jpg

気取らないお店でありながら
つくりものではない風情の持つ落ち着きがいい。
和田の屋さんにはもうひとつ冬の風物詩がある。
それはモラエスも愛したとされる黄花亜麻。
これからが満開を迎えて見頃となる。
DSCF8621-1.jpg

DSCF8632-1.jpg

DSCF0297-1.jpg

DSFT613812-1.jpg

DSCF6140.jpg

花を目当てに、そして甘味処をいただいて
しばりごゆるりとお過ごしになるのも一興。

(ここは山奥ではなく街なか。阿波おどり会館から歩いて5分程度)
posted by 平井 吉信 at 21:55| Comment(0) | 徳島

2019年11月30日

深まる県都 秋が来てまちは沈む


以前にも書いたように四国四県都で徳島市だけが沈滞している。
この沈み込みは尋常ではないように思える。
周辺自治体の商業施設に集客を奪われ、
最後はイオンモールによってとどめをさされた、と思っていたら
ドンキホーテまで出店。
そしてそごう徳島店の撤退決定(2020年夏)。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/186711175.html

そごうが出店しているアミコビルをどのようにするかについて
専門家や企業経営者が地元新聞紙上でコメントしているが
取り壊して別の器を立てるという話が多い。
(現実はそれを行う財源も清算する原資もないのではないか)
その後の活用についてはいずれも我田引水の感じが否めない。

解体するといっても負債を抱えた運営会社はそうはいかないだろう。
かといって商業施設が入ることもないだろう。
現実的には小区画に分けてオフィスビル(一部は飲食や物販を集約する)として
やっていくしかないだろう。

それよりも大切なこと、
市としてどんなまちをつくるのか百年後を見据えたまちづくりを
そのなかから3〜5年でできることを落とし込んでいく。

まずは遠いようでも百年の計を定めて
ときの市長や知事の意向に左右されないまちづくりの礎をつくることだろう。
(知事と市長のやりとりを見ているとどちらも市民のためにお引き取りください、といいたくなる)

百年後を見据えて人の住まいはどうあるべきか?
人口はどのように推移するか?
公共交通の体系はどう整理されていくか?
川によって寸断されている地区をどのように有機的につなげていくか?
その際の役割分担はどうするか?
そして来たるべき南海トラフの災害時への備え(自助共助公助の連携)はどうあるべきか?
(これらをばらばらにやるのではなくひとつの理念で編み上げていく)

まちの将来を考え、未来の人たちへの橋渡しを考えて実践すること、
結局はそれがいま生きる人たちの糧にもなり得るのではないか。
そのための政策誘導、地区の特性、ゾーニングなどの都市政策はどうあるべきか?
公民の連携や巻き込みはどうつくっていくか。

だから未来をつくるためのかけがえのない時間を
つまらぬ面子や思いつきの政策でつぶすのはやめてほしい。
RXM01824-1.jpg

RXM01821.jpg

RXM01812-1.jpg

県庁から市役所までを散策して秋が深まっていくのを感じる。
川と眉山が何かを語ってくれているような。
RXM01772.jpg

RXM01781-1.jpg

RXM01787.jpg

(ソニーRX100M7)
タグ:徳島市
posted by 平井 吉信 at 21:49| Comment(0) | 徳島

2019年10月22日

そごう徳島店の上空に彩雲と日暈


そごう徳島店の営業が2020年8月末までとなった。
このニュースは県内を一日で駆け抜けた。

徳島市周辺ではすでに商業床が飽和していると見られる。
だからそごう撤退後に代替となるキーテナントを誘致するのは至難の業。
家賃を下げて不動産管理会社の損失を税金で補てんするのを市民が厭わなければ。

インターネットで買える時代であろうと
百貨店のエスカレータを上がり下りするハレの気分。
どちらかといえば幼少時の思い出は東新町の丸新百貨店のおもちゃ売り場や
食堂で食べるオムライスであったりする。
ときには高松三越と栗林公園というとびきりのハレもあった。
それらの百貨店での晴れがましい気分は
大手SC(イオンモールやゆめタウン、フジグランなど)にはないもの。

百貨店では対面販売による情報提供や助言があるのがいい。
万年筆を買うときは専門店かそごうの文具売場で試し書きをして買っていた。
(もっとも近い購入では神保町の専門店へ足を運んだ)
数少ないブランドもののジャケットもそごうで買った(オンワード樫山系列)。
地下の食品売場はやはりときめくものがある。

いまどき百貨店で買い物をするなんて
情緒的であって合理的でないと言われそうだが
それを否定するならITで管理される社会へとまっしぐら。
(ぼくはスマートフォンを使うことすら抵抗があるのだ)。

いまの時代に車掌の乗っているバスなら乗ってみたい。
JR四国の危機意識が伝えられるが
ぼくは率先してJRに乗るようにしている。
しかし車掌が切符回収までやっている現状では
乗客とのていねいな意思疎通など無理である。

生産性を高めることと人員を投入することが同義語となるような経営。
そのための施策を国が行えるよう知恵を絞りたい。
(合理化、削減、コストダウンを行うと志気が下がり品質が低下し経営が下り坂となることを前社長の時代のマクドナルドが等身大の実験として示してくれた)

これは日本の現場で当たり前のように見られる光景。
特別養護老人施設では決められた時間内に少人数の福祉士が世話をしなければならない。
そこには悲壮感すら漂う。
人の手をかけて事業を行うことの意義がある。
しかしそこには人間への尊厳が同時になければならない。

北海道では花畑牧場や六花亭製菓が北海道から出ようとしないことに
拍手をしている。
それは地元の雇用のためであり
地元の人に愛される製品(都会のスイーツとは異なる価格の相場観)を意識されているからだと思う。
製品の品質感は高いがそれは手が届くもの。

そごう徳島店を見たくなってわずかの時間の隙間に駅前駐車場に車を停めて見ていた。
RXM00557.jpg

RXM00560.jpg

西日を受けて立体感を示すクレメントビル。同じことにならなければよいが。
RXM00566-1.jpg

気がつくと日暈が出ている。
RXM00585-1.jpg

RXM00569-1.jpg

彩雲も見えた。
RXM00582-1.jpg

全国の都道府県都で徳島市中心市街地の衰退はおそらくワースト1だろう。
いまの東新町の通行量は人口3万人の高知県四万十市の商店街とほぼ同じだ。
空き地と立地のパズルゲームを市のトップがやっているだけで
そこに数十年後の徳島市をどうすべきかの理念が感じられない。

高知市ではチェントロに続いて県市図書館「オーテピア」、歴史博物館と相次ぎ
高知城、日曜市、ひろめ市場、よさこい情報館と続くまちなみは観光客と市民で賑わっている。

松山市は四国の県都のなかでもっとも商店街、百貨店、市民の連携のソフトが機能している。
(三越と高島屋がL字商店街の末端にある。かたや松山城、かたや交通の結節点の市駅という構造)
ロープウェイ街は地方都市でもっとも地価上昇率が高くなった。
大街道には老舗の間を縫って全国FCと娯楽が林立して残念ではあるが
銀天街までの1kmの道を多くの人が回遊している。
なにより「お城下」(おまち)が好きという人たちがまちをつくっているのだ。
道後温泉をつくった伊佐庭如矢(いさにわ ゆきや)の英断が今日の松山に引き継がれている。
ハードだけではない、と言ったが、消費の媒介に過ぎないカード事業を
地域の価値創造、交換に育てようとする「マチカ」の取り組みは全国最先端である。
https://machica.jp/
交通結節点の松山市駅も思い切った空間整備に出ようとしている。


高松市は中心市街地活性化の予算がもっともつぎ込まれた都市のひとつ。
丸亀町は別の街区に生まれ変わったが、
そこには百年後を見据えたあるべき姿とそれに向かう明確な戦略がある。
なぜ再開発をするのか?と問われたら
市の大半の固定資産税を生み出す地区の資産価値を上げるため、
という明快な答が関係者から返ってくるだろう。

徳島市では、今後数十年のビジョンを提示しそれに沿って行動することが求められる。

そうだ、明日(10/22)からは北海道の物産展だ。
そごうへ行こう、
そごうへ行って数年に1回だけ食べることにしている憧れのお菓子
マルセイバターサンドを買いに行こう。
(ぼくにとって若い頃から、そしていまでも最高のお菓子は不変となっている)

(撮影はソニーRX100M7)
posted by 平井 吉信 at 00:38| Comment(0) | 徳島

2019年09月22日

銀河に旅立つ汽車


ゴダイゴの銀河鉄道999は名曲だけど
子どもの頃は歌えなかった。

親しみやすい旋律なのに
部分的に挿入される難解な半音階と転調、
ミッキー吉野の仕掛ける疾走するアレンジと変化するリズム、
さらりと歌える人は音楽の鋭い耳と表現を持っている。

タケガワユキヒロの角の取れた心地よい声が
旅立つ若者の冒険心と夢をくすぐる。
もともとは英語詩を和訳したもので
サビのパートにはオリジナルの英訳を残したという。

ところかわって、日本で唯一電車が走っていない徳島県。
それでは地元ではJR徳島線、高徳線、牟岐線を走る車両をなんと呼んでいるか?
2019年のいまも「汽車」です。

(例文)
高校入学の初登校日に担任が
「自転車通学の人は? バス通の人? 汽車通の人は?」などど挙手させる。
(都会から赴任してきて「電車通で通学している人?」と尋ねても誰も手を上げないよ)


それでも便数が少なくなかなかお目にかかれないので
線路を眺めながら心のなかで999号を走らせてみる。
DSCF9180-2.jpg
(この鉄橋の上を深夜時刻表にない列車が灯りを消して走っているという目撃例がある。きっと機械の身体にされるためにアンドロメダに向かう幽霊列車だろう)

DSCF5584-2-5.jpg
(哲朗がトチローの母に助けられて戦士の銃を手渡されたのは大きな衛星を持つこの星だった)

DSFT3996-3-1.jpg
(機械伯爵がときどき現れてコレクションをみせびらかせるというトレーダー分岐点を密かに撮影した。命がけだった)

「JALジェットストリーム」の城達也のナレーションが響く。
いま万感の想いを込めて汽車がゆく。
JR四国がんばれと
手を振る人に笑顔で応え
さようならスリーナイン―。

タグ:JR四国
posted by 平井 吉信 at 22:35| Comment(0) | 徳島

2019年09月13日

西日を受けて西を向いた狸は温度が上がるので


仕事が終わったその場から散策する。

巨大なたぬきの像が鎮座する公園にやってきた。
子どもの頃は国鉄小松島駅と隣接する新港公園があった場所。
いつ果てるともなく続く12両編成の列車が通るたび、
人力で踏切を上げ下げするのだ。
いつの時代?と言われそうだが
子どもの頃には蒸気機関車も走っていた。

国鉄小松島線が廃止後に広大な敷地が公園に変わった。
そこに鎮座するのがスタジオジブリの作品の主人公になった金長狸である。
DSFT3943.jpg

手を叩くとありがたくも狸の霊能力で滝が落ちてくるとの伝説があるが
この日は現れなかった。

西に傾いた太陽から熱波を浴びている。
彼は西日をまともに受けているので温度が上昇してセンサーが動作しないのだろう。

暑い!という声が公園の散策びとからも漏れてくる。
でも、見上げた空が夏と違うことに気付いた。
DSFT3947.jpg


タグ:
posted by 平井 吉信 at 22:24| Comment(0) | 徳島