那賀川は渇水気味だが、それでも水はとうとうと流れる。
2026年2月21日、徳島南部自動車道 阿南I.C〜小松島南I.Cでの3月8日の開通を記念して歩くイベントの日、
ぼくは、ここで高齢の母に付き添う。この道は感慨深い場所のはずだから。
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(ときは20世紀に遡る)
那賀川は海まであと10kmとなっても変わらない急流を保つ。下流というのにカンドリ舟をこぎ出してイカリを落としたが、(平水時なのに)イカリが止まらず流された経験がある。剣山の南斜面を中心に、木頭村、木沢村、上那賀町、相生町、鷲敷町からの集水域があるため。
親戚から竿を借りて、毛鉤をつけて水面を流して鮎釣りをしたこともある。この釣り方をトバシと呼んでいた。
家の裏手には北岸用水(浦川と呼んでいた。那賀川を大川とも呼んでいた)がこれまた急流。ぼくの叔父が子どもの頃、用水に落ちてあやうく死ぬところだったと聞いた。この流れに落ちれば大人でも助からないかもしれない。浦川にはきぎん(標準語でギギのこと。ナマズに似て美味)がいて、おじいが捕りに行っていた。
那賀川の土手にたどり着く前に、葦が繁る底なし沼のような湿地帯がある。どんがん淵と呼んでいた。そこには近づかないようにと言われていたが、ぼくは怖いもの見たさにときどきひとりで行っていた。いまにも河童が出てきそうな場所である。その後、親水公園として整備されて開けた。
どんがん淵は、岩脇公園として整備された(撮影:2019年)。どんがん淵は、那賀川の河跡湖だったのだろうな。堤防で締め切られて残された湿地となっていたのだろう。水源は、北岸用水からの2つの分派川だったのでは?と推測。どんがん淵をもっと調べておけばよかった。

どんがん淵の近くには桜馬場という県南随一の花見の場所があった。桜馬場から北岸用水を渡れば
妙見山があり、お花見の頃にはぼんぼりが揺れた。この場所に、遊山箱を持って花見に行った。遊山箱の中身は、寒天、卵焼き、巻きずしでなかったかな。
桜馬場の花見(2008年頃)

妙見山の山裾を少し東に進むと、クヌギ林がある。そこに親戚の兄ちゃん(従兄弟)とカブトムシを捕りに行ったもの。ただし良いことばかりではない。枝から蛇がぶら下がっていたり、スズメバチが寄ってきたり、イラガが威嚇してきたり。どう対応するかが生きる知恵だった。子どもの頃に危険なものと遭遇しなければ、無知なおとなになってしまうから。この近くから、小松島市立江町へ向けて、那賀郡羽ノ浦町をつなぐ
阿千田越と呼ばれる峠道がある。
再び北岸用水を渡って岩脇小学校あたりへと戻ってくる。東西南北このぐらいが子どもだったぼくのテリトリーだった。ちょっとだけ、あの頃の想い出を繙いてみる。
このところ晴れたり曇ったりで天気が安定しない。三寒四温である。けれども、少しずつ暖かくなっている。
ここは那賀川下流ののどかな集落である。土手に近い田んぼでふたりの兄妹がれんげ草を摘んでいる。あぜみちには、たんぽぽ、オオイヌノフグリ、ぺんぺん草が咲いていた。
春の野草にはそれぞれあそび方がある。だれでも知っているように、ぺんぺん草は実を引っぱって回すとジャラジャラ音がする。
れんげ畑でふたり遊んでいると、いつのまにか招き猫みたいな白い猫が寄ってきた。妹は両手をせいいっぱい前に差し出して、「おいでおいで」をしながらよたよたついていくけれど、猫の方はまるで相手にしない。というより、されるままにじっとしている。
裏の妙見山を振り返ると、黒くすすけた木の家が見えた。母屋に続く垣根の坂道をかけのぼる。家の裏には那賀川の水を引いた深い用水があり、その流れは強い。お兄ちゃんはこわごわのぞきこむけれど、妹はゴーという音が聞こえると逃げていってしまう。
笑うことと楽しいことの間に少しの距離もなく、無邪気な仕草をするたびに、ふたりの兄妹は大きくなっていく。疑うことを知らず、好奇心にあふれて問いかけるまなざしがひたむきであればあるほど、日一日と賢くなっていっただろうこの兄妹に会えたらどんなにかうれしいことだろう。
私は過去に戻ってレンズを向ける。するとレンズに気づいた子供は、きょとんと顔を上げる。
「なんだろう」
口元をきりっと結んでふしぎそうな瞳は微動だにしない。
(「空と海」から引用)
自動車道の完成には、母の生家の立ち退きがあった。立ち退いて新築された家は道路から見えるが、かつての黒く煤けた杉板の家、庭に池があった家はもうない。納屋の一角に五右衛門風呂があり、踏み板を踏んで入る。温もる。風呂の窓から東に昇ったばかりの満月が見えた。でも、おじいもおじさんもおばさんもいない。
生家はすでに道路の下になっている。それをどう感じたかはわからない。道路はさらに進んで妙見山の下をくぐって、立江川がひらいた小松島市立江町に出る。この道路の下には友の家が山中にあった。移転新築したその家はやはり道路から見えるけれど、あの柿の木のあった山中の隠れ家(ここも五右衛門風呂だった)はもうない。そこに住んでいた親世代も鬼籍に入られた。
少しばかりの感慨を持った路傍の石になってみようと思ったけれど、人々の賑わいや歓声が現実に戻してくれる。この道は、日亜化学のためにつくられたといっても過言ではない。3千人の社員の通勤(時差出勤を採り入れていた)が周辺に渋滞を起こしている。社員にとっても通勤は苦痛だろう。なにせ、売上高が連結で5,000億円を超える企業で、徳島県、阿南市にとっての地方税の税収は圧巻である。そしてそこに働く社員の給与から、地域経済への循環が連関するので経済効果は計り知れない。
日亜化学は地元の学校へも多大の寄付を行っている。今回の道路建設に際しても協力を惜しまなかったはずである。元社員でノーベル賞を受賞した中村修二さんと会社は揉めたけれど、道路の建設は県南の経済にとって大きなプラスとなったことは間違いない。
ぼくの心のなかの故郷は封印するけれど、文字や音楽にかたちを変えてこれからも生き続けるだろう。きょうは良き日。それでは写真で(どこを写してもお顔が写るのは困ったものだけど、大きく掲載しないので。都合が悪ければ掲載から除外するので)。
イベント当日は、日亜化学の駐車場を臨時に借り受けたもの。車を置いて本社の建物群を見る

阿南I.Cからの長い上りが終わると、那賀川(新那賀川大橋)を渡る

記念写真用の看板

この辺りがかつて黒く煤けた杉板の家があった場所

自動車道路と無縁であったまちにI.Cができる。開通後にこの看板の写真を撮ることはできない

看板の向こうに那賀川中段の土手(上段は堤防上、中段は堤防の中間になる)があり、少し向こうにかつてどんがん淵があった

妙見山へ遊山に行くのもこの頃だ。男の子の絵がたどたどしく描かれた空色の重箱がお兄ちゃんのお気に入り。三段重ねの重箱に寒天やたまご焼きを詰めて持っていく。昼間登った時、お兄ちゃんは那賀川の水面がきらきら反射するのを食い入るように見ていた。
夜になって、頂上付近に桃色のぼんぼりが明滅するのが里から見えた。お兄ちゃんは勇気をもってひとりで登ってみた。手拍子のカチッとした響きが山中にこだまし、そこへ唄の節とも思われないような不気味な合唱がけだるそうに聞こえてきた。こわかった。あれは鬼の宴会だと思った。声のする方をみないように、いちもくさんに里へと駆け降りた。
(「空と海」から)

ビニールハウスの向こうは桜並木(桜馬場)

道路上に建設会社などのブースが並ぶ

県南でフレンチの名店といえば、
Loup(ルゥ)。田園の一角にある理想郷のような店舗は若きシェフ、佐竹博規さんの夢が実現したもの。ずっと応援したい。

阿南市の公式キャラクター「あななん」。四国でいちばん早く太陽が昇る光のまちに由来するそう。でも、中の人は大変だな。

冬場の北岸用水は水が流れていない。夏場は「まけまけいっぱい」に水が流れ下る。叔父(母の弟)が子どもの時分に九死に一生を得たのはこの辺り。水深2メートルで滝のように流れる用水なんて想像できる?

夏の北岸用水

キッチンカーの一角に出た。どこも行列が長い

妙見山の下を抜ける羽ノ浦トンネルが近づいてきた

おっと、ここで本イベントの公式カメラマンの「タケアツふぉと」武本淳美さんに遭遇。

2025年8月に創業されました! ニコンDfの2台体制、元気印でいいね。ヒトの温もりが伝わるタケアツさんの写真の世界観や仕事の依頼は公式Webサイトから
https://atsumitakemoto.com/へ
トンネル近づく!

羽ノ浦トンネル750メートルの看板を撮影するのも最初で最後だね

トンネル内はプロジェクションマッピング




阿南市と小松島市の中間地点は記念写真を撮る人が絶えない。ここも二度と写真を撮れなくなるから



トンネルを抜けると、そこは立江町だった


車で走ればあっという間の終点。まだ、小松島南I.Cと小松島I.C、さらに徳島津田I.Cまでがつながっていない

徳島南部自動車道は「E55」と表すんだね

県のイベント調理用の新鮮なっ!とくしま号が待機中

鳴門金時ぜんざいが振る舞われた

小松島市のブース

折り返して阿南I.C/日亜化学へ帰ろう(写真説明は往路で十分だから省略)






説明しないと思ったけれど、思い出した。この先の河原で、嫁ぐ前の母とおじい(母の父)が河原にしゃがんで写真に写っていた。母は日傘を、おじいは釣り竿を持っていたのではなかったか。水神さんの祭りの日に、古庄のバス停から母に連れられて実家まで歩いたのは八月だった。

那賀川が南岸から北岸へと瀬となってぶつかる水衝部。叔父(母の兄)は、ここでカンドリ舟を出す子どもたちを戒めた。なぜ、自分は大水のときに舟を出してしまったのか…。あのときの叔父の年齢を超えてしまった。
新那賀川大橋(徳島南部自動車道)ができる前の那賀川の河原と土手。こんな小径を歩けた



2026年3月8日、徳島南部自動車道は開通する。