美馬市内の企業を訪問したときのこと。協議が終わって雑談をしていたとき、美馬市出身の藤島博文さんの絵画展に行って感銘を受けたと話をしたら、その会社の社長が「親戚です、ときどきみなで集まっています」と答えられた。
偶然といえばまだある。目の前で面談している社長をぼくはテレビで拝見して一方的に存じ上げている。それは人助けをされた話をマスコミが取り上げたものなのだが、その映像を見てぼくはこの方が徳が高い人だと直感した。おそらく神霊の支えがなければなしえないと思えたのだ。だから、いつかはお目に掛りたいと思っていたら、偶然にもその機会がやってきた。当時の映像のテロップでは会社員としか出ていなかったし、どこの会社の社員かも知らなかった。その方が社長になられた会社へ仕事で訪問することになるとは。あの映像を見てから20年以上が経過していた2025年春。縁(えにし)は大切にしたいもの。
藤島画伯の絵でもっとも見たいと思っていたのが、木屋平の三木家が麁服を調進するために大麻を栽培する畑である。それも、しだれ桜が咲く季節ということになる。そこで早いうちからこの日は見に行く予定に入れていたもの。
三木家は重要文化財であり、その隣に週末だけ開館する三木家資料館がある。大麻をつくる畑は三木家の前にある。栽培には県知事の許可がいる。種を蒔いて収穫まで24時間の監視が求められるという。葉の1枚すら囲いの外へ出してはいけないとのことで、葉を集めてその場で焼いているのだという。栽培にはおそらく数千万円の費用がかかる。
収穫された大麻は茎のみを使う。その繊維を布にして践祚大嘗祭の儀式に持参する。天皇に即位されるとき、お一人で一晩かけて行なわれるらしい。一生に一度のもっとも重要な儀式で、何人もその儀式の場に入れない秘密の儀式である。
その儀式に使われる麁服(あらたえ)という大麻でつくられた布が儀式の要となる。毎年正月になると、天照大御神の御札を産土神社で求めるが、神宮大麻と書いてある。伊勢神宮の根源の神と大麻はかくも深い関係にある。
その麁服は、阿波の三木家(宮廷の祭祀を行なう忌部氏の末裔)から調進されなければならない。忌部氏は、天照大御神が天岩戸にお隠れになったとき、外で出ていただくために居合わせた天太玉命(フトダマ)の子孫といわれる。麁服は、木屋平の地でつくられなければならず、それも三木家でなければならない。
西洋では、イエス・キリストのご遺体を包んだ聖骸布が麻でできているという。大嘗祭の儀式は新天皇が一晩お一人で儀式を行なわれると聴いたことがあるが、王家の聖なる身体や御霊を包むというのは同じである。天照大御神の御霊が宿る麁服とお過ごしになるのだろう。
三木家は穴吹川を遡り、途中から川を離れて三木山へと上っていく。かつての木屋平村の尾根に近い場所である。徳島市方面からは、佐那河内村→神山町→川井峠→木屋平と進むのが近道である。
車は三木家の近傍の貢(みつぐ)公園に置いて歩くのが一般的。公園内にも花見をする人がいる。


公園に隣接して三ツ木八幡神社がある。三木家と関係がありそうな名称である

やがて眼下に麁服の原料をつくる畑、左手に三木家資料館、その奧に重要文化財三木家が見えてくる



麁服の畑には大麻が植えられるのは、天皇の即位に備える時期のみである。直近では、令和元年、その前は平成元年が即位であったからその数年前から宮内庁からの要請か示唆を受けてつくられていたのではないか。しだれ桜に囲まれて明るい雰囲気である。次の作付予定は当然ながら未定(あってほしくない)。
大嘗祭に使用された麁服と同じ麻糸でつくられたストラップが資料館で販売されていた。国産の麻でつくられた稀少なもので部分的に藍染めされている(1500円)。これが最後の1個だったようで、これもご縁というべきか(当然ながら次の予定はない)。背景紙の紋様は阿波忌部氏の麻の葉文様の家紋のようだ。

三木家資料館には週末にボランティアの方が順番に担当されているという。資料館内には、各種文献やパンフレットのほか、麁服を織る機械などが置かれている。





資料館の前には畑がある



重要文化財三木家住宅は独特の構造を持つという。桜に囲まれてのどかな季節を迎えている。さまざまな角度とレンズで撮影してみた。→ 国指定重要文化財三木家住宅(美馬市Webサイト)







タチツボスミレまでが気品と華があるような


居心地が良い場所で公園、神社、三木山、三木家資料館、三木家周辺(麁服の畑)を行き来しつつ数時間が経過。おだやかな春の過ごし方としてはこれに優るものはない。
麁服は麻で紡ぎ、藤島博文さんは筆で描く。高天原はこんなところにあったのではないかと思いつつ、レンズを通して心に刻む2025年の春。