2021年08月27日

やまびこ打線の池田高校 ノーサインの富岡西高校 野球と光のまちでみんなが主人公となって始めること


仕事での打ち合わせを何度か行っていた県西部の方が帰り際に池田高校野球部のご出身と打ち明けられた。
畠山投手を擁して初優勝した前年度の選手という。
先発メンバーの名前がすらすらと出てくる、互いに。
そして「山間の…」と声を合わせて蔦監督の言葉を合唱。そして意気投合。

※「山あいの子供たちに一度でいいから大海(甲子園)を見せてやりたかったんじゃ」という蔦監督の言葉が刻まれた碑が池田高校にはある。


「さわやかイレブン」のメンバーですら宙で言えるぼくも池田高校ファン。
池田高校全盛期の出場校は、(地名)高校とか、(地名)商業などのような公立高校が多かった。(漢字の熟語やアルファベット)学園のような私学はまだそれほど多くなかった。

さわやかイレブンとは、部員11人の山間部の学校が二度目の甲子園で準優勝したときのこと。
開会式直後の試合で一番の雲本選手がホームスチールに成功。
監督のサインは二塁盗塁なら二塁ベースを指さす(ほんとうかと相手も呆気にとられる)ものだったので県内の対戦相手にはばれていたという(当たり前だろう)。このときもホームベースを指したのだろう。大胆である。

いや、ホームスチールなんて野球のなかでも成功の確率がもっとも低い仕掛けの典型。なにせピッチャーが投げる130kmのボールと競争してキャッチャーがタッチするより早くホームベースに到達しなければならないのだから。左腕投手で3塁が見えないとか、右投手でもワインドアップのときとか、セットポジションでも一塁ランナーに気を取られている隙を突くことはあるとしても。
虎穴に入らずんば虎児を得ずの例えがあるが、失敗すれば三塁まで進んだランナーの憤死という高い代償を払うことになる。

さわやかイレブンがきっかけとなってマスコミの露出が増えた蔦監督を慕って(判官贔屓と監督の実直な言動が人気を呼んだこともあるだろう)県下からも生徒が集まりだした。
畠山投手の実家は三好郡ではなくうちから数キロの海辺のまち。
水野投手の実家もぼくの母校(富岡西高校)の通学路にあったあんこやさん。
この2人の投手を擁して夏(畠山投手)、翌春(水野投手)と優勝。
いまでも語り草となっている広島商業や早稲田実業との試合はYouTubeで見ることができる。

池田の対戦として印象に残るのは華々しい打撃戦の勝利ではなく、PL学園に敗れる直前の天王山といわれた中京戦。試合はがっぷり四つに組んだ横綱戦で双方が全力でぶつかって1対1のまま9回に突入した。
この回に池田がホームランをきっかけに2点を取って突き放したのだが、中京の野中投手が立派だった。
グランドマナーというか王者の風格。勝負に負けても全力で闘って悔いなしの表情にぼくは感動した。高校生の彼の器の大きさと野球以外であっても将来の大成を感じるのだ。この年は桑田・清原の1年生コンビを擁するPL学園が優勝するのだが、中京・野中投手には惜しみない賛辞を送りたい。

翌年の春は準決勝での明徳義塾との試合が印象的。スクイズで先制した明徳が隙のない試合運びで1点を守り抜き、8回裏1アウトまで来た。次打者も快音は聞かれず1塁への平凡なゴロ。残り4つしかないアウトを思えば点差は1点であっても見ている人は池田の敗戦を覚悟したはずだ。これで2アウトかと思った瞬間、守備でお手玉があった(甲子園には魔物がいる)。
命拾いしたランナーを1人おいて9番打者の井上選手が低めのボール球をすくい上げて右中間三塁打で同点。そして先頭に戻って坂本選手が同点の興奮が球場を包んでいた初球をライナーに右前へ運んで逆転。たった2球のできごと。この1点のリードで十分であった。9回表を迎える水野投手は息を吹き返したに違いない。

蔦さんはいう。「教育はちっぽけな大人の再生産ではない。大きい小児をつくること。これは自分の天職だ」。野球は好きでたまらない野球の申し子だが、それよりも生き方を問いかける。
PL学園に完敗したあの試合の後にマスコミの質問に答えた。
「この子たちの人生を考えたら負けたほうがいい。それも水野が打たれる形で」。

さて、池田高校からときは流れてコロナ禍の1年前、2019年の春のこと。
母校の富岡西高校が21世紀枠で初めて甲子園に出場。創部120年目にして初の甲子園出場となった。
(21世紀枠というが、このときの富西は四国大会のベスト4。かつて四国の野球の全盛期には選抜の四国枠が4つあったため普通に出られたはず。四国の野球の全盛期とは公立高校が甲子園の常連であった頃かもしれない。校名を売りたい私学が手段を選ばす選手を集めるに至っては地方色も高校野球らしさも薄れてしまった。そんななかで富西は公立高校で地元の選手ばかりでの出場であった)

この大会は愛知の東邦高校が優勝したのだが、冨西の応援団が応援団の最優秀賞に選ばれた。試合内容でも富西は1回戦で東邦と対戦し1対3で敗れたものの、この年の優勝校をもっとも追い詰めたのは富西といってよく、決勝戦のような緊迫した試合展開だった(実は試合当日は県外出張でテレビを見られなかったのであるが)。1点を先制された富西は6回に同点に追いつき、続く2死満塁で鋭い当たりが野手の正面を突いた。

高校野球では運と勢いを味方に付けたら番狂わせが起こる。いや、番狂わせに見えて実は理詰めの理由が隠されている。富西の野球は浮橋投手の冷静かつ読みの深い投球術にあるのは間違いないが、9人がそれぞれチームとして「何が求められるか」と個人として「何ができるか」を考え抜く。ノーサインで選手同士が考えて無言で意思疎通を行い試合を組み立てるのが大きな特徴。でも、そんなことはあり得るのか(超能力でも使うのか)。

現場の最前線に答があるとしたら、戦況をもっとも把握する選手がリアルタイムで作戦をつくりあげていく姿勢が運を呼ぶことはあり得るだろう。場面ごとに何をすべきかを選手たちがきっと共有していたはずである。

富西の小川監督は次のように説明する。
「もどかしいというより、お前、すごいことするなと驚いてばかりです。社会に出た時に生きると思うんです。こういう時はこんな選択がいいなとか、自由な発想ができる。彼らは楽しくて仕方ないんじゃないかな。面白いと言って卒業していきますよ。サイン通りだと指示待ち人間になってしまう。今は考える力を求められている世の中。主体的に動ける人間。社会に巣立った時に独創性豊かに活躍して欲しいなと思うんです」(引用元 https://baseballgate.jp/p/458123/

勝敗がすべてではないのだ。後輩たちの頼もしい活躍はその後の人生できっと生きる。人は苦しいことを経験してこそ、幸福にたどり着ける。なぜなら幸福とは、「状態」ではなく、それをどう捉えるかの考え方だから。

自転車で稲穂の海を渡るまっすぐの道を自転車漕いで通った北の脇とあの夏を思い出す。明日はその富岡の町に仕事で出かける。

(そして翌日…)
夜に開催されたセミナーが終わった。
CO2センサーの指標を説明しながら参加者は換気ファーストの原則を納得していただいた。一時CO2濃度が800ppmに達したが、やがて自然換気の効果で数分後に600ppm未満に下がった。この日、徳島では過去最高の感染者数の発表があったばかり。ワクチン接種を終えた当日にわざわざ参加された方もいた。一人ひとりが自発性と積極性を持って自分ごととして受け止めていただたいことで中味のある2時間半だった。

外に出て目の前に広がるLEDの森を見てシャッターを押した。この人たちの思いがまちの未来を照らすように。
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(夜の牛岐城公園は22時までLEDの点灯があるらしい)

追記
実は池田高校と富岡西高校の校歌は歌い出しの旋律がそっくりなのだ。

しののめの 上野が丘に 花めぐり そびゆるいらか みどりこき(池田高校)
はつらつ若き胸はりて仰ぐ眉山の空ひろく(富岡西高校)
https://tomiokanishi-hs.tokushima-ec.ed.jp/4045a6cfe9b444a802f6a477e985f6a0/826a29f8fa01d50ab18fc1504f6b3321

どちらの校歌もいまでも歌えるのだけれど出だしで混同してもわからないぐらい似ている。
甲子園での池田高校の校歌は1番のあとコーダをくっつけているのだが、実は2番と3番がある。音符の結びが甲子園版とは違って1番2番の結びは解決しない和声で終了感を3番まで持ちこんでいる。
https://ikeda-hs.tokushima-ec.ed.jp/g-shoukai/kouka
(甲子園バージョンとフルバージョンの2種類で聴ける)。

しののめの上野が丘が吉野川の河岸段丘にあることが実感できる学校のPR動画
https://www.youtube.com/watch?v=V7rTer-MPL0

実に優れた校歌だな。雄大で凛として。
(CD化しても売れるのではないかな)
終盤では装飾音(短前打音)が入るので技術的に難しいところも入っている。

posted by 平井 吉信 at 00:14| Comment(0) | 徳島

2021年05月18日

祖谷(東祖谷)の奥深さ 時を経ても縁は切れない


ここは東祖谷。秘境祖谷のなかでも最深部の釣井(つるい)集落。
近くには重要文化財の木村家がある。
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ぼくが遊んでもらった子どもたちは近所の子だ。
子どもの遊びを見ていると
高い崖(2メートル以上ある)からひとりが飛び降りた。
するとあとの子たちも続いた。
何事もなかったかのように着地して駈けていく。
骨が丈夫なのだろう。

やがてお姉ちゃんがじゃれる弟の足を引っ張る。
すると弟の頭は道路でコトコト音を立てる。
弟は笑っている。
アニメじゃない、実写だ。
映画じゃない、暮らしの一コマだった。
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あのお姉ちゃんと会話を楽しんだ。名前も覚えている。
もうとっくに成人して子どもがいるだろう。

東祖谷山村の釣井集落でミノルタX-700を手に出会う人々と会話をしながら撮影していた。
→ 詳しく見たい人はこちらに古いコンテンツ「東祖谷と三嶺・探訪絵日記」
https://www.soratoumi.com/river/iya/iya1.htm


それから数年後、
山と渓谷社からのご依頼で「ヤマケイJOY秋号」の取材で東祖谷と三嶺を訪れて写真撮影を行った。
投宿した宿ではひらら焼きなどをいただいた。
この取材に同行したのは後に「とくし丸」の創業メンバーとなる村上稔さんとその奥さんである。
村上さんとは仕事でいまも交流が続いている。

祖谷は平家の落人伝説がある。
伝説というよりは史実だろう。
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まず言葉(抑揚)が徳島の平地と異なる。
異国のように感じるほどだ。

ほとんどの人は祖谷のかずら橋を見て大歩危小歩危や妖怪伝説で帰っていくけれど
やはり東祖谷の集落で身体(時間)を埋めないと魅力はわからない。
SNSの受信音の鳴らない環境で急斜面の家の縁側から谷底と向かいの山を眺めてごらん。
雲を映した瞳、風になびく髪、千年のかくれんぼを感じる心。

1973年にアメリカの青年が祖谷に魅了されたのは釣井集落である。
ぼくも庵を訪ねていったが、このときアレックスさんは不在だったと記憶している。
(なぜ、こうも釣井集落に縁があるのだろう。実はさらにもうひとつ縁があるのだが)

アレックス・カーさんの語りで綴る6分少々の動画をご覧ください。
(三好市まるごと観光戦略課制作)
TRAVELS in IYA ~in the words of Alex Kerr~
https://www.youtube.com/watch?v=Pyskw3yjza8

(観光PR動画とは一線を画す静かな語り口、邪魔にならない音楽で佳いコンテンツですね)

追記
前述とはさらに別のご縁があった。
数年前に台風で壊れた屋根の修理を依頼した業者さん。
仕事がきっちりと評判の方。
実はこの方が東祖谷のご出身。
それだけでない。
東祖谷に特化したWebコンテンツをつくられていた方で
さきほどのWebでぼくがリンクを貼った先だった。
(現在はリンク切れでたどらないように)
さらに、東祖谷山村のご出身で後に知事になられた方のご自宅にお招きいただいたこともあった。
さらにさらに…いや、省略ということで。
祖谷はかくれんぼをしながら人のえにしをつないでいる。

タグ:祖谷
posted by 平井 吉信 at 22:13| Comment(0) | 徳島

2020年12月14日

海に沈む太陽を眺める気分の川辺の光景 吉野川大橋


県外の人に川に架かる橋を渡るのにどれぐらいかかりますか?と訊いてみる。
川幅にもよるけど、歩いて3分ぐらいと答えるかもしれない。

いえいえ、徳島の人は鳴門方面から市内へ入るのに川を渡る橋がありますが
時速60kmの車で68秒、
時速15kmの自転車で4分33秒、
時速4kmの徒歩で17分かかります。

それは吉野川大橋(1,137メートル)です。
海に沈む夕陽を見ているようです。

かつて阪神方面へ向かう水陸両用機が離発着していた古川橋(吉野川橋=1,071メートル)のたもと。
浮桟橋があったそうです。高度経済成長に差し掛かるオリンピック直前の頃らしいです。
川の水面を飛行場に使っていたとは。
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吉野川橋から1.4km下流に架かる吉野川大橋。
(下流に阿波しらさぎ大橋=1,291メートルが架かるまでは最長だった)
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(ご覧になっている光景は川に沈む夕陽ですよ)

でも高速バスに乗って東京関西方面から戻るとき
ああ徳島に戻ってきたと思うのです。
(橋の上を通過するときに、徳島駅まで迎えに来てもらうために携帯電話をかける光景を見ることがあります)

いまは県境を越える移動は控えておきましょう。
でも公共交通機関での感染の怖れはほとんどないことも
記憶にとどめておいていいかもしれません。
タグ:吉野川
posted by 平井 吉信 at 21:36| Comment(0) | 徳島

2020年11月28日

紀貫之が遊星を眺めたらなんというだろう


ここはどこ?
地球が木星に近づきすぎたのではないか。

いえいえ、渋滞の高架で止まった車から眺める眉の山です
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(ソニーRX100M7)
posted by 平井 吉信 at 23:39| Comment(0) | 徳島

2020年10月04日

神山へ連れ出す


コロナ禍でストレスが溜まっているのは高齢者。
特に社会福祉協議会や役所が主催するイベントに行けなくなっている。
買い物の際も感染症に怯えながらもそれでも生きるために外出は避けられない。
むしろ外出しないと余計に心身が弱ってしまう。
そこで定期的に徒歩圏から外へと連れ出さなければならない。

神山方面が手頃なので佐那河内から神山へ入り
森林公園、文化の森を経由して帰ることとした。
(長時間だと年寄りは疲れてしまうのだ)

外食へも連れて行けないので弁当を購入。
この日は神山町の商店街内で五味さんが経営される535へ。
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ていねいにつくられたおかずとおいしいご飯をいただいた満足感。
(わかる人にはこの品質感が伝わると思う)
森の中に椅子とテーブルを置いて大歩危茶を淹れてみた。
すると、食欲不振が続いていた年寄りも完食してしまった。
(環境を変えてみたら気分が変わる。みなみ食堂さんもそうだけど良い食事は元気の源になるね)

すだちくんもマスクをしている神山森林公園/イルローザの森
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秋の野を彩る草花
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高齢者も開放感に浸っている
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このところ読者のみなさまには見飽きている鮎喰川。
これも食欲増進&気分転換の舞台にはなっている。
(鮎喰川についてはこの次のブログでまとめて紹介)
タグ:弁当 神山町
posted by 平井 吉信 at 10:06| Comment(0) | 徳島

2020年06月06日

小松島市長選 何を求める 何ができる 思いつきからプロセスの積みあげ重視へ


明日は小松島市長選。
国政では思いつきのアイデアや政権幹部や経験者の関連会社への利権などにうんざりする。
以前から指摘してきたように政権の目玉事業はその話題性に隠れて
決まり切った企業が受託して事務委託費(中間コスト)に大半が消えていく。
それらが政治家になんらかのかたちで間接的に環流するのだろう。

国政と基礎自治体の政治はやや事情が異なる。
まずは限られた予算と権限のなかで為政を行わなければならない。
しかしすでに支出が固定化されている経常的な支出がある。
平成30年度の小松島市では経常収支比率が99.8%に達していることから
市単独財源ではできうることはきわめて限られる。
(公債費負担比率は同年17.7%と警戒水準を突破している)

いまは2020年。政策としてコロナ禍への対応がある。
(これについては国からの臨時交付金等が降りてくると考えられる)
すでに専門家等からの指摘があるように
数ヶ月単位で収束することはあっても
終息までに2年から5年程度はかかるというのがほとんどの識者の見解。

だから重点施策から「賑わい創出」につながるハード整備やイベント系は消さなければならない。
思い出してほしい。
なぜ徳島県は県内由来の感染者が出ていないのか。
それは全国で唯一中心市街地がない県だからである。
それゆえ人が集まる場所として感染症がマークされてきたのは
郊外の商業施設1〜2箇所のみ。

もしある候補者が賑わいをつくるような政策を並べていたら
ぼくはその政治家の顔をまじまじと見つめる。
「時代が見えていますか?」

企業の経営では強みを活かして(伸ばして)
新たな需要をつくりだす(潜在ニーズの「見える化」や提案)ことが戦略である。
基礎自治体では予算と既得権の制約があるが
強みを抽出して磨き上げる方向は間違っていない。

小松島市の強みは何かというと地勢的な拠点性と考える。
徳島市に近く、勝浦川流域(勝浦町・上勝町)からの日々の流入がある。
その一方で阿南市からもバイパスで結ばれている。
そのため、個性ある事業所は徳島市南部、勝浦川流域、県南部から徳島市へ向かう流れの一部を取り込める。

もっとも重要な拠点は赤十字病院である。
ここには医療関係者、入院患者とその付き添いなど常時2千人が滞在する。
循環器系診療ではかつて四国有数と呼ばれていた。

弱みは企業等の立地場所が限られること、まちなかや主要地区の津波防災対策が求められること、
少子化時代に対応できる持続可能な学校教育の構築である。

このような立地においては生活者の安心安全や利便性を考えて都市設計を行うことで
人口減少はあっても存在意義を示していくことはできる。
(近頃当選した県内の若い市長たちは生活者の存在が見えていないのではないか)

国政では思いつき政治の弊害が誰にも明らかで
市町村長をアイデアで選んではいけない(それを実現して意味があるか、実現する裏付けがあるか)。
前市長に見るように市町村政では専制的な運営がなされやすい。
意思決定のプロセスを構築すること、そこに市民の意見が反映されること、
このことが2020年の小松島市にもっとも必要なこと。

さて、ふたりの候補者はどう応えてくれるのか?
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(夕刻の小松島市中心部を日峰山から)

posted by 平井 吉信 at 16:11| Comment(0) | 徳島

2020年04月29日

阿南市加茂谷地区は移住者の隠れた魅力の地 起業の場所


次郎笈、高の瀬峡を経て流れる北川(那賀川本流)と
海部山系から流れる幾つもの谷が集まる南川、
さらには剣山の南斜面から流れる槍戸川(坂州木頭川)が合流して那賀川となる。
全国有数の雨が多い地域から豊富な水量を集めて海に向けて流れ出した急流は
阿南市に入ると中流の様相となる。
かつては阿南市のなかでも陸の孤島とも呼ばれた地域であるが
いまは移住者がこの地で次々と起業されている。

人気のカフェ ボスコベルさん、
土手の下にある和み工房しげぱんさん、
(しげぱんさんはホンモノ志向の良質のパンをつくられている。端正で温もりのある前庭があるが、この庭はうちの親戚筋の人が施工したらしいということもわかった)
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開業したばかりのイタリアンのリストランテ岡本さんも那賀川沿いの場所に立地している。
ここから少し下流の岩脇地区で1年後でないと予約が取れないフレンチレストランのLOUPを経営している佐竹さんも加茂谷のご出身と聞いたことがある。
つまりは自然環境の豊かな大河の畔で
食生活の本質を見つめつつ生きている人たちの楽園となっている。

また、以前に紹介した縄文時代の遺構加茂宮ノ前遺跡や太龍寺に続く遍路道「かも道」も近くにある。

きょうはそんななかで知られざる名瀑「午尾の滝」へ行ってみた。
場所はリストランテ岡本さんから少々上流を山手に入ったところにある。

滝は深瀬八幡神社の境内からすぐ奥にある。
神社までは急な細い坂道で慣れない人は気を付けて。
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滝は上部の岩から末広がりに落ちてくる。
近い場所からそれを眺められるし水面に降りていくこともできる。
岩肌を滑り落ちて淵をつくる佇まい。
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ここから階段を上がれば新緑のなかに鎮座する深瀬八幡神社。
鬼瓦など細部をみればおもしろい。
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境内にはナガバノタチツボスミレ
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(徳島でのこのスミレはいずれも背が高く立派で見映えがする)

目と鼻の先には川沿いに芝生広場がある。
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東流しようとする那賀川に右岸の城山が立ちはだかって北へと向きを変える。
そのため水が淀む。
そこに支流の熊谷川が城山の南斜面から合流する。
典型的な内水面の氾濫するパターンである。
(上流の加茂谷川との合流点はこれと様相は異なるがやはり内水被害に遭遇する場所である)
写真は南岸堰の堰体
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山が迫る右岸と左岸を最短距離で結ぶ加茂谷潜水橋。
潜水橋とは大水で川に潜る橋のこと。車も通れるが欄干がないのでご注意。
四万十川でおなじみの沈下橋だが、四国にはこのような橋は無数にある。
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対岸には受験の神様、お松権現がある。

紹介した地点はすべてこのなかにある(Google航空写真)
https://www.google.com/maps/@33.9242294,134.5590331,2960m/data=!3m1!1e3

高校の頃、加茂谷の同級生の近藤君の家に自転車で遊びに行ったことがあるが
陸の孤島だなと当時も思ったが
今日ではこの隔絶感(とはいいながら日亜化学から20分程度)は
異なる価値感に立てば、住みやすさ、豊かさはもちろん、
阿南市、小松島市、徳島市南部からも近いので集客の可能な経済圏として
今後脚光を浴びるに違いない。
それが地元中心に起こっているのが他の地区と違う。だから外からの風も入っていける。
(創業をお考えの人は相談してくださいね→無料)

徳島の飲食店経営の方、早々に休業しないでください。
こちらに紹介したお店はリピートする価値がありますよ。
しげぱんさんは、感染症対策を行いつつ営業を続けています。
どれをとっても素材の良さを活かすパンづくりが出色。
カレーパンの本格的な風味はちょっと県内では見られないもの。

県内の飲食店のみなさん、5月は風がさわやかで最適の季節。
どうぞ、感染症予防対策を万全にして営業してください。
そのことを発信してください。

〔参考情報〕
→ コロナ禍の経営危機を乗り切る

→ 飲食店の再開に向けての対策と弁当販売の留意点

→ 飲食店が営業を続ける選択肢を応援したい

posted by 平井 吉信 at 23:32| Comment(0) | 徳島

2020年04月12日

若葉の頃を思い出す桜 牛岐城(阿南市富岡町)


牛岐城は阿南市富岡町のまちを見下ろす丘にあった城である、
14世紀末に細川氏ゆかりの人物によって建造されたとされる。
16世紀の終盤になって長宗我部氏が支配するようになった。
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阿南といえば野球のまち、LEDのまちとして売り出している。
近年は冨岡西高校が21世紀枠で出場して活躍。
その冨西生にとってもなじみの場所。
→ 質実剛健を校風とした県南の進学校、冨西の校歌

かつては阿南駅前にセイドー百貨店があり、エスカレーターで上階まで上がっていった。
富岡の商店街はいまより賑やかで専門店が軒を連ねていた。
うちの親父も鮎釣りに行った帰りに紅葉屋に立ち寄って好きなあんパンを買っていた。
富岡のまちは迷路のように入り組んだ路が特徴で
阿南駅から冨岡西高校までは幾通りものルートがあった。
近年になって牛岐城公園周辺はLEDと桜の植樹で整備された。

この日は阿南市内に所用があって訪れた帰りに牛岐城公園に立ち寄ってみた。
まちなかではあるが、車も置くことができる。
上がり口では親子がのびのびと身体を動かしている。
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公園前には広場があり、そこかららせん状の階段で上がっていく。
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ソメイヨシノは満開を過ぎたところであるが
それでも夕方の光を宿し風を受けて散っていく。
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桜の持つ晴れがましさとその裏に秘めたはかなさは
季節の象徴であるばかりか日本人の共感する対象となっている。
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頂上は展望台となっておりLEDのオブジェが置かれている。
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ところで不思議に思うのはどこに行っても女子学生のグループは見かけるけれど
男子学生のグループは見かけない。なぜかな?

食べたくなるような若葉
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富岡のまちなかの喫茶店に女の子と行った。
ビクターの白木のスピーカーSX-3から妙なる音楽が鳴っていた。
(このときの心象風景が後にビクターのSX-V1,さらには同じ設計者のクリプトンKX-1を買わせたのかもしれない)
まあ、それはともかく若葉のような10代の頃を思い出した。

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牛岐城を振り返ればなつかしい。
もちろん高校の頃の通い慣れた路ではあるけれど
中学のときに訪れた明日香村の天武・持統天皇陵にも重なるのだ。
明日香ののどかな春が来年は来るといいなと願いつつ。

posted by 平井 吉信 at 14:10| Comment(0) | 徳島

2020年02月26日

パンデミックに備えていま確保すべきもの


県内でも感染者が出たというニュース。
この結果に驚きはないし過剰反応をする必要はない。
ただ的確に確実に対応していきたい。
(ただし県の対応は疑問。非常時に国の方針を確認するのではなく現場で判断するべき。危機管理とはそういうもの)

マスクがなくて困っている人もいらっしゃると思うが
感染された人のエチケット用は必須としても
予防用としては意外に優先度は低いと思う。
(ほとんどの人は正しい使い方をされていないように思う。その場合はマスクが感染源となってしまう。ぼくもスーパーへの買い物などではマスクを付けない。すぐに帰宅して手洗いと顔洗いで防げるので。またアルコール噴射はよほど大量でないと気休めになる)。

効果的なのは手洗い、顔洗い。
(アルコール噴射よりもまず洗い流すこと=もっとも有効な感染予防)
そこで必要なのは石けん(個体と液体)。
洗顔用にはシャボン玉の無添加(3個入りで300円台)。
https://www.shabon.com/shop/products/view/3112
安心して使える老舗のブランドである。
常用するのでことさら除菌とか薬用などとうたっていない製品が安心できる。
(シャボン玉石けんは県内のドラッグやディスカウントにはほとんど在庫がある)

手荒い用には大手トイレタリーメーカーではなく
サラヤのシャボグリーンフォームがいい。
ヤシノミ由来で泡切れがはやく節水もできる。
イソプロピルメチルフォノール(殺菌剤)も配合。
詰め替え用2.7リットルを備えておくと安心だし割安。
https://shop.saraya.com/smile/item/23077/
(ただし徳島県内で販売しているのは見たことがない。なるべく地元で買いたいので見かけた人は投稿フォームから情報の共有をしましょう)

詰め替え用なので詰め替え容器が必要となる。
サラヤ純正500ml用を確保したいが、いまは入手困難だろう。
https://shop.saraya.com/smile/item/23074/

そこで大手メーカーの泡フォーム容器を洗って使う。
(うちでは花王でもライオンの容器もうまく行っている。もちろん泡用に限る)

睡眠の確保、不要な人混みに行かない、
慢性期で通院している人は行かない(頻度を下げる)などの対策もお忘れなく。
(慢性期の薬の服用を止める絶好の機会かもしれない)

こんな時期は人々の不安につけ込んで怪しい商品が跋扈する。
首からぶら下げる除菌装置などはその最たるもの。
また特にコロナウィルス用などと銘打たなくても
普通の石けんで十分。こまめに手洗いすることが大切。
(普通の石けんで汚れを落とす際に菌が落ちる。さらに石けんには殺菌効果もあるという。PHの効能だろうか)
https://the360.life/U1301.doit?id=4002
不安は不要、正しい知識と徹底した運用あるのみ。

五輪の中止は経済の損失になる。
(それでも人命には変えられないと思うが)
中止、延期、観客なし運用などいずれであっても
多くの人が準備を進めており
早めに対策を決定しないと
運営資源がムダになってしまう。
(猛暑を避けて秋に延期するのも選択肢と思う)
このまま指をくわえて開催突入、
もしくは年度明けに中止などの措置は避けたい。
関係機関の早期の対応を求めたい。
パンデミックは目の前に来ているのだ。
(人命の尊重を第一に大会の運営資源のロスを低減すること、選手の準備への配慮などを考慮すれば、2月中に意思決定できなければ危機管理は機能していないと思う)。

posted by 平井 吉信 at 10:59| Comment(2) | 徳島

2019年12月22日

お城下のリゾート 大滝山のふもとに黄花亜麻が咲いた

徳島お城下の象徴、眉山の北部界隈を大滝山という。
由緒ある神社仏閣が集まっている区域で
実は徳島市の隠れた観光地ではないかと思っている。
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大滝山は風光明媚な場所でもあり
滝の焼き餅という素朴な菓子を販売する茶店が開いている。
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和田の屋本店は大滝山から流れ落ちる滝が
店の庭を通過していくという立地にある。
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気取らないお店でありながら
つくりものではない風情の持つ落ち着きがいい。
和田の屋さんにはもうひとつ冬の風物詩がある。
それはモラエスも愛したとされる黄花亜麻。
これからが満開を迎えて見頃となる。
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花を目当てに、そして甘味処をいただいて
しばりごゆるりとお過ごしになるのも一興。

(ここは山奥ではなく街なか。阿波おどり会館から歩いて5分程度)
posted by 平井 吉信 at 21:55| Comment(0) | 徳島

2019年11月30日

深まる県都 秋が来てまちは沈む


以前にも書いたように四国四県都で徳島市だけが沈滞している。
この沈み込みは尋常ではないように思える。
周辺自治体の商業施設に集客を奪われ、
最後はイオンモールによってとどめをさされた、と思っていたら
ドンキホーテまで出店。
そしてそごう徳島店の撤退決定(2020年夏)。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/186711175.html

そごうが出店しているアミコビルをどのようにするかについて
専門家や企業経営者が地元新聞紙上でコメントしているが
取り壊して別の器を立てるという話が多い。
(現実はそれを行う財源も清算する原資もないのではないか)
その後の活用についてはいずれも我田引水の感じが否めない。

解体するといっても負債を抱えた運営会社はそうはいかないだろう。
かといって商業施設が入ることもないだろう。
現実的には小区画に分けてオフィスビル(一部は飲食や物販を集約する)として
やっていくしかないだろう。

それよりも大切なこと、
市としてどんなまちをつくるのか百年後を見据えたまちづくりを
そのなかから3〜5年でできることを落とし込んでいく。

まずは遠いようでも百年の計を定めて
ときの市長や知事の意向に左右されないまちづくりの礎をつくることだろう。
(知事と市長のやりとりを見ているとどちらも市民のためにお引き取りください、といいたくなる)

百年後を見据えて人の住まいはどうあるべきか?
人口はどのように推移するか?
公共交通の体系はどう整理されていくか?
川によって寸断されている地区をどのように有機的につなげていくか?
その際の役割分担はどうするか?
そして来たるべき南海トラフの災害時への備え(自助共助公助の連携)はどうあるべきか?
(これらをばらばらにやるのではなくひとつの理念で編み上げていく)

まちの将来を考え、未来の人たちへの橋渡しを考えて実践すること、
結局はそれがいま生きる人たちの糧にもなり得るのではないか。
そのための政策誘導、地区の特性、ゾーニングなどの都市政策はどうあるべきか?
公民の連携や巻き込みはどうつくっていくか。

だから未来をつくるためのかけがえのない時間を
つまらぬ面子や思いつきの政策でつぶすのはやめてほしい。
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県庁から市役所までを散策して秋が深まっていくのを感じる。
川と眉山が何かを語ってくれているような。
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(ソニーRX100M7)
タグ:徳島市
posted by 平井 吉信 at 21:49| Comment(0) | 徳島

2019年10月22日

そごう徳島店の上空に彩雲と日暈


そごう徳島店の営業が2020年8月末までとなった。
このニュースは県内を一日で駆け抜けた。

徳島市周辺ではすでに商業床が飽和していると見られる。
だからそごう撤退後に代替となるキーテナントを誘致するのは至難の業。
家賃を下げて不動産管理会社の損失を税金で補てんするのを市民が厭わなければ。

インターネットで買える時代であろうと
百貨店のエスカレータを上がり下りするハレの気分。
どちらかといえば幼少時の思い出は東新町の丸新百貨店のおもちゃ売り場や
食堂で食べるオムライスであったりする。
ときには高松三越と栗林公園というとびきりのハレもあった。
それらの百貨店での晴れがましい気分は
大手SC(イオンモールやゆめタウン、フジグランなど)にはないもの。

百貨店では対面販売による情報提供や助言があるのがいい。
万年筆を買うときは専門店かそごうの文具売場で試し書きをして買っていた。
(もっとも近い購入では神保町の専門店へ足を運んだ)
数少ないブランドもののジャケットもそごうで買った(オンワード樫山系列)。
地下の食品売場はやはりときめくものがある。

いまどき百貨店で買い物をするなんて
情緒的であって合理的でないと言われそうだが
それを否定するならITで管理される社会へとまっしぐら。
(ぼくはスマートフォンを使うことすら抵抗があるのだ)。

いまの時代に車掌の乗っているバスなら乗ってみたい。
JR四国の危機意識が伝えられるが
ぼくは率先してJRに乗るようにしている。
しかし車掌が切符回収までやっている現状では
乗客とのていねいな意思疎通など無理である。

生産性を高めることと人員を投入することが同義語となるような経営。
そのための施策を国が行えるよう知恵を絞りたい。
(合理化、削減、コストダウンを行うと志気が下がり品質が低下し経営が下り坂となることを前社長の時代のマクドナルドが等身大の実験として示してくれた)

これは日本の現場で当たり前のように見られる光景。
特別養護老人施設では決められた時間内に少人数の福祉士が世話をしなければならない。
そこには悲壮感すら漂う。
人の手をかけて事業を行うことの意義がある。
しかしそこには人間への尊厳が同時になければならない。

北海道では花畑牧場や六花亭製菓が北海道から出ようとしないことに
拍手をしている。
それは地元の雇用のためであり
地元の人に愛される製品(都会のスイーツとは異なる価格の相場観)を意識されているからだと思う。
製品の品質感は高いがそれは手が届くもの。

そごう徳島店を見たくなってわずかの時間の隙間に駅前駐車場に車を停めて見ていた。
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西日を受けて立体感を示すクレメントビル。同じことにならなければよいが。
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気がつくと日暈が出ている。
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彩雲も見えた。
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全国の都道府県都で徳島市中心市街地の衰退はおそらくワースト1だろう。
いまの東新町の通行量は人口3万人の高知県四万十市の商店街とほぼ同じだ。
空き地と立地のパズルゲームを市のトップがやっているだけで
そこに数十年後の徳島市をどうすべきかの理念が感じられない。

高知市ではチェントロに続いて県市図書館「オーテピア」、歴史博物館と相次ぎ
高知城、日曜市、ひろめ市場、よさこい情報館と続くまちなみは観光客と市民で賑わっている。

松山市は四国の県都のなかでもっとも商店街、百貨店、市民の連携のソフトが機能している。
(三越と高島屋がL字商店街の末端にある。かたや松山城、かたや交通の結節点の市駅という構造)
ロープウェイ街は地方都市でもっとも地価上昇率が高くなった。
大街道には老舗の間を縫って全国FCと娯楽が林立して残念ではあるが
銀天街までの1kmの道を多くの人が回遊している。
なにより「お城下」(おまち)が好きという人たちがまちをつくっているのだ。
道後温泉をつくった伊佐庭如矢(いさにわ ゆきや)の英断が今日の松山に引き継がれている。
ハードだけではない、と言ったが、消費の媒介に過ぎないカード事業を
地域の価値創造、交換に育てようとする「マチカ」の取り組みは全国最先端である。
https://machica.jp/
交通結節点の松山市駅も思い切った空間整備に出ようとしている。


高松市は中心市街地活性化の予算がもっともつぎ込まれた都市のひとつ。
丸亀町は別の街区に生まれ変わったが、
そこには百年後を見据えたあるべき姿とそれに向かう明確な戦略がある。
なぜ再開発をするのか?と問われたら
市の大半の固定資産税を生み出す地区の資産価値を上げるため、
という明快な答が関係者から返ってくるだろう。

徳島市では、今後数十年のビジョンを提示しそれに沿って行動することが求められる。

そうだ、明日(10/22)からは北海道の物産展だ。
そごうへ行こう、
そごうへ行って数年に1回だけ食べることにしている憧れのお菓子
マルセイバターサンドを買いに行こう。
(ぼくにとって若い頃から、そしていまでも最高のお菓子は不変となっている)

(撮影はソニーRX100M7)
posted by 平井 吉信 at 00:38| Comment(0) | 徳島

2019年09月22日

銀河に旅立つ汽車


ゴダイゴの銀河鉄道999は名曲だけど
子どもの頃は歌えなかった。

親しみやすい旋律なのに
部分的に挿入される難解な半音階と転調、
ミッキー吉野の仕掛ける疾走するアレンジと変化するリズム、
さらりと歌える人は音楽の鋭い耳と表現を持っている。

タケガワユキヒロの角の取れた心地よい声が
旅立つ若者の冒険心と夢をくすぐる。
もともとは英語詩を和訳したもので
サビのパートにはオリジナルの英訳を残したという。

ところかわって、日本で唯一電車が走っていない徳島県。
それでは地元ではJR徳島線、高徳線、牟岐線を走る車両をなんと呼んでいるか?
2019年のいまも「汽車」です。

(例文)
高校入学の初登校日に担任が
「自転車通学の人は? バス通の人? 汽車通の人は?」などど挙手させる。
(都会から赴任してきて「電車通で通学している人?」と尋ねても誰も手を上げないよ)


それでも便数が少なくなかなかお目にかかれないので
線路を眺めながら心のなかで999号を走らせてみる。
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(この鉄橋の上を深夜時刻表にない列車が灯りを消して走っているという目撃例がある。きっと機械の身体にされるためにアンドロメダに向かう幽霊列車だろう)

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(哲朗がトチローの母に助けられて戦士の銃を手渡されたのは大きな衛星を持つこの星だった)

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(機械伯爵がときどき現れてコレクションをみせびらかせるというトレーダー分岐点を密かに撮影した。命がけだった)

「JALジェットストリーム」の城達也のナレーションが響く。
いま万感の想いを込めて汽車がゆく。
JR四国がんばれと
手を振る人に笑顔で応え
さようならスリーナイン―。

タグ:JR四国
posted by 平井 吉信 at 22:35| Comment(0) | 徳島

2019年09月13日

西日を受けて西を向いた狸は温度が上がるので


仕事が終わったその場から散策する。

巨大なたぬきの像が鎮座する公園にやってきた。
子どもの頃は国鉄小松島駅と隣接する新港公園があった場所。
いつ果てるともなく続く12両編成の列車が通るたび、
人力で踏切を上げ下げするのだ。
いつの時代?と言われそうだが
子どもの頃には蒸気機関車も走っていた。

国鉄小松島線が廃止後に広大な敷地が公園に変わった。
そこに鎮座するのがスタジオジブリの作品の主人公になった金長狸である。
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手を叩くとありがたくも狸の霊能力で滝が落ちてくるとの伝説があるが
この日は現れなかった。

西に傾いた太陽から熱波を浴びている。
彼は西日をまともに受けているので温度が上昇してセンサーが動作しないのだろう。

暑い!という声が公園の散策びとからも漏れてくる。
でも、見上げた空が夏と違うことに気付いた。
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タグ:
posted by 平井 吉信 at 22:24| Comment(0) | 徳島

2019年09月07日

お地蔵様と池 歴史をひもとく散策(観音寺=徳島市国府町、桜間の池、桜間神社=石井町)


徳島新聞に夜泣き地蔵の伝説の紹介記事が掲載され、その史跡が残る徳島市西部の国府町を訪ねた。
子どもが授かるようにと願をかけて
叶うと小さな地蔵を納める子授け地蔵の風習。
池のなかから鳴き声がして
池をさらって出てきた子どもの夜泣きに効果がある夜泣き地蔵。
これらの情報が交錯して
その地蔵様がどこにあるのかインターネットでも情報は得られない。
そこで目星を付けて実地踏査を行った。

鮎喰川の土手下にある地蔵尊
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確かに小さな地蔵が安置されている。子授かり地蔵かもしれない
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続いて旧道を辿って観音寺へ
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気温は35度ぐらいだが、暑さにめげずに巡礼される方が次々と訪れる 
ぼくもがらにもなく般若心経を読経(自宅の仏壇ではやっているけれど外では読まない)
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観音寺だが境内には地蔵様が何体も
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愛しまれている子どものよう
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夜泣き地蔵は古から多くの女性たちがさすることでお顔が摩滅している
子どもを思う親心、子育ての苦しみから逃れたいと思いつつもここに足を運んだ女性たち
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子どもが大切にされる社会でありたいもの。

観音寺をあとに北西へ向かうと田んぼに地蔵が見えてくる
徳島市国府町から石井町にかけては吉野川の氾濫原だったことで
洪水痕跡を記して戒めとするともに子孫の無事を願う高地蔵が祀られている
この地蔵も外の輪郭は原形をとどめないほど風化している
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地蔵から指呼の間に池が見えてきた
舌洗いの池という
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義経が上陸して平家倒幕へ北進する際に馬に水を飲ませたという
その際に井戸の名を尋ねて「勝間の井」と地元の人が答えた。
これを聞いて義経は縁起がいいと喜んだという
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もともとはここから下手の村々の水源であり
水神、弁財天、観音の神々が祀られている
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鮎喰川の伏流水が湧き出す池は地域の憩いの場となっている
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ここから北西へ上がると県道徳島鴨島線がある。
国府町から石井町に入ったあたりで飯尾川に面した桜間の池というのがある。
鎌倉時代には鏡のような静けさをたたえた池として風光明媚な場所であったという。
江戸時代の徳島藩蜂須賀家の何代目かが顕彰のために巨岩を運んで整地した。
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国土地理院の地図を見れば、飯尾川との関連が一目で分かる(実際に神社のすぐ北を流れている)。
地形的には鮎喰川に合流する飯尾川、第十堰南岸に注ぐ神宮入江川、それに江川は吉野川の分流(河跡)であることが明らか。
当時は飯尾川に蕩蕩と水が流れて飯尾川と一体となった池であり
飯尾川の分流が膨らんだ地形ではなかったのだろうか。
今日の桜間の池は直径5メートル程度の小さな池である。
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桜間神社のご祭神は木花開耶姫命である
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飯尾川からみればこんもりと盛り上がった地形が古墳のように見える。
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国府と石井は一体となった吉野川洪水地帯であり
田畑に点在する地蔵と川が流れた痕跡の上に今日の集落がある。
交通の要衝となっている国道、県道を一歩入れば別の世界が待っている。
posted by 平井 吉信 at 14:47| Comment(0) | 徳島

2019年08月23日

夏の夜 おだやかな経営を求めて 幸福な経営について考える全10回の場

元号「令和」の考案者とされる中西進さんは89歳の現在も現役の研究者である。
ぼくも万葉集が好きでこのブログでもたびたび触れている。
だから明日香村へはたびたび足を運んでいる古墳にも関心が深い。
中西先生の著作も2冊購入している。

万葉集の研究者の第一人者であるとともに、
アカデミックな分野での地位と名誉の数々を得ていらっしゃるが
ご本人は気さくなお方のようにお見受けする。

なによりも万葉集の普及啓発のために各地で開いた勉強会は
昭和から始まって令和にまで達する。
いまなお新作の著書が旺盛に発刊されている。
人々を幸せにすることでご本人も幸福な人生を歩まれている。
中西先生のご健勝をお慶び申し上げるばかりである。

★ ☆

ぼくは10代の頃、誓ったことがある。
それは百歳まで現役でやっていきたいということ。

お金には執着しないが、
自分のやりたいことをやっていれば
自ずとお金は入ってくる。
だから年金2千万円問題も個人的には頓着しない。

☆ ★ ☆

8月26日(月)から小松島商工会議所で始まる塾では
第1回のテーマが「幸福を見つめて〜 80 歳まで続けられる経営〜」

今日の経営と生きるテーマを扱っていて
最新のマーケティングやマネジメントを扱いつつ
中小企業・小規模事業者のために簡潔にお伝えしていこうと考えている。
座学が1時間に、グループでの意見交換の楽しいひととき。

月曜日朝の申込も有効なので以下の項目を添えて
小松島商工会議所までどうぞ。(受講料無料)
小松島商工会議所(小松島市小松島町字新港36)
電話0885-32-3533
fax0885-32-0008
cci-bansou@komatsushima.ne.jp


(申込者)
住     所
事 業 所 名
氏     名
連 絡 先(電話)
連絡先(メール)


カリキュラムはこちらから。
2019koma_lec02.pdf
posted by 平井 吉信 at 22:51| Comment(0) | 徳島

2019年07月15日

初夏の日、立ち寄るともなく立ち止まった場所


大宮八幡神社(佐那河内村)
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大川原高原の紫陽花(佐那河内村)
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川島潜水橋(川島町)
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posted by 平井 吉信 at 22:18| Comment(0) | 徳島

2019年03月27日

冨岡西高校 よかったね

2019年3月26日、
冨西の試合があるというのに
県外出張が先に決まっていて
試合を見ることができない。

池田高校が活躍した時代からその兆候はあったが
高校野球は良い選手を集められる私立高校が優位となっている。
(甲子園で勝つことは格好の宣伝となる)
その傾向が顕著になればなるほど
公立高校の進学校で地元の生徒が通う学校が
甲子園で勝つことが難しくなっている。

21世紀枠とはいえ
初出場となったことで野球のまち阿南は盛り上がっている。
冨岡西高校(通称「冨西」)は創立122年の伝統校で著名人も多く
校風は質実剛健で卒業生は25千人を数える。

あいにく映像は見られなかったがラジオの実況で状況は伝わってきた。
2回の攻撃の前だったか校歌が流れた。
ベートーヴェンの音楽にも通じる胸弾む校歌である。
同点になった6回は球場が冨西一色となったような雰囲気すら感じられた。
http://tomiokanishi-hs.tokushima-ec.ed.jp/%E6%A0%A1%E6%AD%8C%E3%83%BB%E6%A0%A1%E7%AB%A0/

試合は1対3で敗れはしたが、見ていて悔しい気持ちはない。
むしろすがすがしいぐらい。
勝ち負け以上に大切なことを体験できたという潔さが選手には感じられた。

頭を使わず号令があれば猪突猛進するのが体育会系。
ところが冨西はノーサインで選手が考えながら野球を進めるというのだ。

一人ひとりが考えて考え抜いて(アイコンタクトすら取らずに)
一球ごとに訪れる「この状況でいますべきこと」をチームで創造していく作業。
それはスポーツを越えて芸術とか即興とか、光の速さでの以心伝心というか、
すがすがしい時間をつくりあげていた。
そのことを指摘する好記事があった。
https://number.bunshun.jp/articles/-/838795


傍観者、長いものに巻かれる、他人に不寛容、評論家のような人たちが多くなった時代に
自分のこととして捉えて(プレーヤーとして)
身の回りの人と意思疎通を図りながら
責任を持って未来をつくる意思を込めた。
いまの時代にもっとも必要なことがぎゅっとこの試合に詰まっていた。

母校に戻ったら春の日射しに桑野川の水面が輝いていたことだろう。
あの校歌のように。

琴江はきよく せゝらぎて  桜ふぶきの 風香る
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(琴江=桑野川の古称)

追記
翌日の新聞記事でわかったことだが
バッテリーは小学校から組んでいること、
3回の攻撃で右打ちの打者が左打席に入って
その後本来の右打席に戻ったが
これは仲間の緊張をほぐすためだったという。

初出場校が甲子園の舞台で大観衆(及びテレビ放映)を前に
こんなことを考えられる冷静さ、のびやかさ。
実にいいではないか。

posted by 平井 吉信 at 23:17| Comment(0) | 徳島

2019年03月21日

太陽が西に傾いても磯遊び 海渡る風ぬるむ大砂海岸(海南町)

することがないことが贅沢といえるといい。
でも、それはすることがないことに「退屈」しているのではなく
することがないことを「楽しめる」こと。

ここは海南町の大砂海岸。
徳島県内でも屈指の透明度を誇る渚。
かつて淡水であれば飲める、
という水質検査結果が出たこともあった。
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何もすることがないヒトにおすすめの場所。
駐車場が海岸とほぼ同じ高さにあって
トイレが完備していて
ここで弁当やパンを持ってきて
好きな飲み物を煎れて
(V60ドリッパーで手入れするのもよし)
野外用のアルミの椅子と机を置いて
本を見ながら眠たくなったらそのまま目を閉じて
潮騒と潮風に浸るだけ。

考えてみれば徳島に大砂海岸がなければ
移住してしまうかもしれない、という
宝物級の場所なのだけど
ここもあまり知られていない。

大潮の引き潮かもしれない。
普段は海中の岩の上を沖まで歩く。そこから砂浜を振り返る
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良質の海藻が岩に付着している 水の透明度が高いことが一目でわかる
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潮だまりには小魚やらウニ(ガンガゼ)やら海藻やら
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ハマダイコンは春の海辺の風物詩
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若いふたりの落書きは青い春の証し
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波打ち際に銀河のようにあらわれる貝のみち
近づいてみると無数の貝殻の集まり
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浜に打ち上げられた海藻やら波打ち際のおだやかな表情やら
そろそろ浜節句の季節、アンロクの酢みそ合えやら桜餅やら
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渚にいると普段考えないことも考えてみる。
県知事選だから県政について考えてみた。

観光の魅力度が全国最下位、
人口あたりの宿泊者数が全国最低、
糖尿病の罹患率が全国一などの注目すべき指標がある。
これらを改善しようと思ったら
課題の本質を見極めて
本質的な課題、つまり解くべき論点を間違えないこと。

非日常的なパフォーマンスの予算ではなく
日常の暮らしの質を高めていけば自ずと県民生活は向上する。
例えばトップの号令で1つか2つに集中している文化イベント予算を削減して
県立図書館の蔵書の充実や司書の待遇改善に回す。
良質の人材を確保できたら(もしくは既存の人材の志気を高められたら)
お金をさほどかけずとも
良質の蔵書が揃い魅力的な企画が上がってくるはず。

食の宝庫徳島であるから糖尿病が高いのは仕方がない、ではなく
健康な人(例えば健康保険の使用が少ない人)にはインセンティブを行う。
(例えば半額を県が補助するなど)
実際に霞ヶ関周辺を見聞している立場からみると
消費者庁の移転など我田引水の地域エゴイズムのように映る。
それよりも国の施策でおかしいときに県が異論を唱えられること、
「うちの県では地域振興券をやりません」
「軽減税率は事業所の負担が大きすぎるのでやりません」
(国税だから県が口出しできないではなく姿勢を打ち出して問題提起を行う)
逆に国が躊躇している良い施策があれば県が率先してやる。
そんなことが可能になれば
良質の移住者が増え、健康に気を配る人の割合が増加し
盛り上がった内需を経済で循環させることができ
地元の日常の魅力が上がれば観光客も地元をまるごと体験したくなる。

そのような施策は決して華々しいものではなく
むしろ現場に権限委譲して裁量を認めてやりがいを引き出すなかで
(KPIやPDCAサイクルは上を納得させる鉛筆のなめかたでしかないので撤廃)
当たり前のことを当たり前のように地道に積みあげていくことではないのだろうか。
同じ施策をやっているのに成果が違う、ということができうるのではないか。
(日本マクドナルドのカサノバ社長を見ているとそれが徳島県庁にも当てはまると思う)

議会との間には緊張関係をつくるために
不偏不党を前提に政策をめぐる議論をすべて公開して太陽の下で検討を進める。
(いまの県議会は機能していない。存在していなくても県民生活には影響がない)
それだと知事が議会の集中砲火を浴びるのでは?
それも含めて県民に判断してもらえればいい。

大きな変革はダメ。
資源(ヒト、モノ、カネ、ノウハウ)を動かすとき
そこに必ずロス(間接経費の増大、時間の浪費、ノウハウの欠如による失敗)が増えて
志気の低下が起こる。

前例踏襲のままでよいか?
それも違う。
まずは大きな理念を掲げよう。
その理念の下、経済政策やら少子化対策やら個々の課題を編み込んでいく。
例えば、この県の強み弱みを俯瞰するとき
県民の日常の暮らしの質を高めることがもっとも本質的な課題(すべてにきいてくる論点)
として理念に掲げたら
産業政策も農業政策も福祉政策も観光政策もすべてそのモノサシを行動基準とする。
政策が目に見えない一本の糸で結ばれるようになると
そこに同じ金額で同じ事をしても政策効果が上がるようになるのではないか。
個別の政策のアイデアよりも政策を編み込むモノサシ(価値判断)を据えること。
それが県政をよくする一歩。
(いまの徳島市政がもっとも欠けていること)

良い未来をつくりたいのなら
住民も政治家もエゴを捨ててどんな未来をつくりたいか
(そこに政党もイデオロギーも選挙区対策も要らない)
その1点だけが動機となるようなことはできないものか。
(だから候補者が何をしてくれるのかではなく、県民として何がしたいか、できるかを問い直すことが大切)
タグ:大砂海岸
posted by 平井 吉信 at 22:12| Comment(0) | 徳島

縄文時代の加茂宮ノ前遺跡(阿南市)の発掘

フェリーを乗り継いで屋久島に渡って縄文杉を見に行ったことがある。
東北を見聞しながら三内丸山遺跡を訪れたことがある。
岡本太郎が撮影した縄文土器の鋭い造形に見入ったことがある。
日本列島でもっともいい時代と思えるし
もしかしたら人類史のなかでも最良の時代(住まい)だったのではないかとも。

那賀川中流域の阿南市加茂谷地区に縄文の遺跡があり
発掘作業のあと埋め戻される前に公開されるときいて
忙中閑を見つけてやってきた。

那賀川の河原からそう遠くない場所で水利に恵まれた場所だが
洪水に遭遇しそうな場所でもある。
当時は河床が低かったのか、それとも流路が少し違っていたのかわからないが
なぜこの地に居住を定めたのか、現地を踏んでみないとわからないと思った。

縄文時代、縄文文化といっても幅が広い。
国立歴史民俗博物館の山田康弘さんは次のように定義する。
「土器の出現から灌漑水田稲作が開始されるまでの日本列島において、狩猟・採集・漁労を主な生業とし、さまざまな動植物を利用し、土器や弓矢を使い、本格的な定住生活を始めた人々が残した日本列島各地における文化群の総称である」。
その年代も旧石器時代のあとを受けて1万6500年前から
3000年~2500年前までの時代とされるから1万年以上の長さがある。
しかも地域的な多様性と交易があったという。
縄文時代の研究はここ数年で深化している。
最新の知見ということで
2019年1月に講談社から発刊されたこの本をおすすめしたい。
(ぼくは電子書籍版で購入)



縄文の女神、ヴィーナスとも呼ばれるこの土偶もたまらない
https://www.city.chino.lg.jp/site/togariishi/1755.html
https://www.youtube.com/watch?v=07kak67VMdw

さて、臨時駐車場から発掘現場まで歩いて10分で到着。
すでに多くの人が来訪されている。
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「縄文時代後期の集落跡から、石杵と石臼計300点以上のほか、表面に水銀朱が塗られた耳飾りや土器など計700点以上も見つかった」(朝日新聞デジタル記事から引用)とのこと。
朱とは血の色と見立ててそこから儀式の意味付けもできるような気がする。

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地元に縄文の息吹があったということは古くから人が四国東部に住んでいたということ。
縄文人も春の甲子園を応援してくれている、と考えて
2019年春に21世紀枠で出場が決まった冨岡西高校野球部の活躍を祈ります。
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posted by 平井 吉信 at 11:12| Comment(0) | 徳島