2019年03月27日

冨岡西高校 よかったね

2019年3月26日、
冨西の試合があるというのに
県外出張が先に決まっていて
試合を見ることができない。

池田高校が活躍した時代からその兆候はあったが
高校野球は良い選手を集められる私立高校が優位となっている。
(甲子園で勝つことは格好の宣伝となる)
その傾向が顕著になればなるほど
公立高校の進学校で地元の生徒が通う学校が
甲子園で勝つことが難しくなっている。

21世紀枠とはいえ
初出場となったことで野球のまち阿南は盛り上がっている。
冨岡西高校(通称「冨西」)は創立122年の伝統校で著名人も多く
校風は質実剛健で卒業生は25千人を数える。

あいにく映像は見られなかったがラジオの実況で状況は伝わってきた。
2回の攻撃の前だったか校歌が流れた。
ベートーヴェンの音楽にも通じる胸弾む校歌である。
同点になった6回は球場が冨西一色となったような雰囲気すら感じられた。
http://tomiokanishi-hs.tokushima-ec.ed.jp/%E6%A0%A1%E6%AD%8C%E3%83%BB%E6%A0%A1%E7%AB%A0/

試合は1対3で敗れはしたが、見ていて悔しい気持ちはない。
むしろすがすがしいぐらい。
勝ち負け以上に大切なことを体験できたという潔さが選手には感じられた。

頭を使わず号令があれば猪突猛進するのが体育会系。
ところが冨西はノーサインで選手が考えながら野球を進めるというのだ。

一人ひとりが考えて考え抜いて(アイコンタクトすら取らずに)
一球ごとに訪れる「この状況でいますべきこと」をチームで創造していく作業。
それはスポーツを越えて芸術とか即興とか、光の速さでの以心伝心というか、
すがすがしい時間をつくりあげていた。
そのことを指摘する好記事があった。
https://number.bunshun.jp/articles/-/838795


傍観者、長いものに巻かれる、他人に不寛容、評論家のような人たちが多くなった時代に
自分のこととして捉えて(プレーヤーとして)
身の回りの人と意思疎通を図りながら
責任を持って未来をつくる意思を込めた。
いまの時代にもっとも必要なことがぎゅっとこの試合に詰まっていた。

母校に戻ったら春の日射しに桑野川の水面が輝いていたことだろう。
あの校歌のように。

琴江はきよく せゝらぎて  桜ふぶきの 風香る
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(琴江=桑野川の古称)

追記
翌日の新聞記事でわかったことだが
バッテリーは小学校から組んでいること、
3回の攻撃で右打ちの打者が左打席に入って
その後本来の右打席に戻ったが
これは仲間の緊張をほぐすためだったという。

初出場校が甲子園の舞台で大観衆(及びテレビ放映)を前に
こんなことを考えられる冷静さ、のびやかさ。
実にいいではないか。

posted by 平井 吉信 at 23:17| Comment(0) | 徳島

2019年03月21日

太陽が西に傾いても磯遊び 海渡る風ぬるむ大砂海岸(海南町)

することがないことが贅沢といえるといい。
でも、それはすることがないことに「退屈」しているのではなく
することがないことを「楽しめる」こと。

ここは海南町の大砂海岸。
徳島県内でも屈指の透明度を誇る渚。
かつて淡水であれば飲める、
という水質検査結果が出たこともあった。
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何もすることがないヒトにおすすめの場所。
駐車場が海岸とほぼ同じ高さにあって
トイレが完備していて
ここで弁当やパンを持ってきて
好きな飲み物を煎れて
(V60ドリッパーで手入れするのもよし)
野外用のアルミの椅子と机を置いて
本を見ながら眠たくなったらそのまま目を閉じて
潮騒と潮風に浸るだけ。

考えてみれば徳島に大砂海岸がなければ
移住してしまうかもしれない、という
宝物級の場所なのだけど
ここもあまり知られていない。

大潮の引き潮かもしれない。
普段は海中の岩の上を沖まで歩く。そこから砂浜を振り返る
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良質の海藻が岩に付着している 水の透明度が高いことが一目でわかる
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潮だまりには小魚やらウニ(ガンガゼ)やら海藻やら
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ハマダイコンは春の海辺の風物詩
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若いふたりの落書きは青い春の証し
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波打ち際に銀河のようにあらわれる貝のみち
近づいてみると無数の貝殻の集まり
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浜に打ち上げられた海藻やら波打ち際のおだやかな表情やら
そろそろ浜節句の季節、アンロクの酢みそ合えやら桜餅やら
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渚にいると普段考えないことも考えてみる。
県知事選だから県政について考えてみた。

観光の魅力度が全国最下位、
人口あたりの宿泊者数が全国最低、
糖尿病の罹患率が全国一などの注目すべき指標がある。
これらを改善しようと思ったら
課題の本質を見極めて
本質的な課題、つまり解くべき論点を間違えないこと。

非日常的なパフォーマンスの予算ではなく
日常の暮らしの質を高めていけば自ずと県民生活は向上する。
例えばトップの号令で1つか2つに集中している文化イベント予算を削減して
県立図書館の蔵書の充実や司書の待遇改善に回す。
良質の人材を確保できたら(もしくは既存の人材の志気を高められたら)
お金をさほどかけずとも
良質の蔵書が揃い魅力的な企画が上がってくるはず。

食の宝庫徳島であるから糖尿病が高いのは仕方がない、ではなく
健康な人(例えば健康保険の使用が少ない人)にはインセンティブを行う。
(例えば半額を県が補助するなど)
実際に霞ヶ関周辺を見聞している立場からみると
消費者庁の移転など我田引水の地域エゴイズムのように映る。
それよりも国の施策でおかしいときに県が異論を唱えられること、
「うちの県では地域振興券をやりません」
「軽減税率は事業所の負担が大きすぎるのでやりません」
(国税だから県が口出しできないではなく姿勢を打ち出して問題提起を行う)
逆に国が躊躇している良い施策があれば県が率先してやる。
そんなことが可能になれば
良質の移住者が増え、健康に気を配る人の割合が増加し
盛り上がった内需を経済で循環させることができ
地元の日常の魅力が上がれば観光客も地元をまるごと体験したくなる。

そのような施策は決して華々しいものではなく
むしろ現場に権限委譲して裁量を認めてやりがいを引き出すなかで
(KPIやPDCAサイクルは上を納得させる鉛筆のなめかたでしかないので撤廃)
当たり前のことを当たり前のように地道に積みあげていくことではないのだろうか。
同じ施策をやっているのに成果が違う、ということができうるのではないか。
(日本マクドナルドのカサノバ社長を見ているとそれが徳島県庁にも当てはまると思う)

議会との間には緊張関係をつくるために
不偏不党を前提に政策をめぐる議論をすべて公開して太陽の下で検討を進める。
(いまの県議会は機能していない。存在していなくても県民生活には影響がない)
それだと知事が議会の集中砲火を浴びるのでは?
それも含めて県民に判断してもらえればいい。

大きな変革はダメ。
資源(ヒト、モノ、カネ、ノウハウ)を動かすとき
そこに必ずロス(間接経費の増大、時間の浪費、ノウハウの欠如による失敗)が増えて
志気の低下が起こる。

前例踏襲のままでよいか?
それも違う。
まずは大きな理念を掲げよう。
その理念の下、経済政策やら少子化対策やら個々の課題を編み込んでいく。
例えば、この県の強み弱みを俯瞰するとき
県民の日常の暮らしの質を高めることがもっとも本質的な課題(すべてにきいてくる論点)
として理念に掲げたら
産業政策も農業政策も福祉政策も観光政策もすべてそのモノサシを行動基準とする。
政策が目に見えない一本の糸で結ばれるようになると
そこに同じ金額で同じ事をしても政策効果が上がるようになるのではないか。
個別の政策のアイデアよりも政策を編み込むモノサシ(価値判断)を据えること。
それが県政をよくする一歩。
(いまの徳島市政がもっとも欠けていること)

良い未来をつくりたいのなら
住民も政治家もエゴを捨ててどんな未来をつくりたいか
(そこに政党もイデオロギーも選挙区対策も要らない)
その1点だけが動機となるようなことはできないものか。
(だから候補者が何をしてくれるのかではなく、県民として何がしたいか、できるかを問い直すことが大切)
posted by 平井 吉信 at 22:12| Comment(0) | 徳島

縄文時代の加茂宮ノ前遺跡(阿南市)の発掘

フェリーを乗り継いで屋久島に渡って縄文杉を見に行ったことがある。
東北を見聞しながら三内丸山遺跡を訪れたことがある。
岡本太郎が撮影した縄文土器の鋭い造形に見入ったことがある。
日本列島でもっともいい時代と思えるし
もしかしたら人類史のなかでも最良の時代(住まい)だったのではないかとも。

那賀川中流域の阿南市加茂谷地区に縄文の遺跡があり
発掘作業のあと埋め戻される前に公開されるときいて
忙中閑を見つけてやってきた。

那賀川の河原からそう遠くない場所で水利に恵まれた場所だが
洪水に遭遇しそうな場所でもある。
当時は河床が低かったのか、それとも流路が少し違っていたのかわからないが
なぜこの地に居住を定めたのか、現地を踏んでみないとわからないと思った。

縄文時代、縄文文化といっても幅が広い。
国立歴史民俗博物館の山田康弘さんは次のように定義する。
「土器の出現から灌漑水田稲作が開始されるまでの日本列島において、狩猟・採集・漁労を主な生業とし、さまざまな動植物を利用し、土器や弓矢を使い、本格的な定住生活を始めた人々が残した日本列島各地における文化群の総称である」。
その年代も旧石器時代のあとを受けて1万6500年前から
3000年~2500年前までの時代とされるから1万年以上の長さがある。
しかも地域的な多様性と交易があったという。
縄文時代の研究はここ数年で深化している。
最新の知見ということで
2019年1月に講談社から発刊されたこの本をおすすめしたい。
(ぼくは電子書籍版で購入)



縄文の女神、ヴィーナスとも呼ばれるこの土偶もたまらない
https://www.city.chino.lg.jp/site/togariishi/1755.html
https://www.youtube.com/watch?v=07kak67VMdw

さて、臨時駐車場から発掘現場まで歩いて10分で到着。
すでに多くの人が来訪されている。
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「縄文時代後期の集落跡から、石杵と石臼計300点以上のほか、表面に水銀朱が塗られた耳飾りや土器など計700点以上も見つかった」(朝日新聞デジタル記事から引用)とのこと。
朱とは血の色と見立ててそこから儀式の意味付けもできるような気がする。

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地元に縄文の息吹があったということは古くから人が四国東部に住んでいたということ。
縄文人も春の甲子園を応援してくれている、と考えて
2019年春に21世紀枠で出場が決まった冨岡西高校野球部の活躍を祈ります。
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posted by 平井 吉信 at 11:12| Comment(0) | 徳島

2019年02月02日

吉野川橋 黄昏


鳴門方面へ行くとき、かつてこの橋しかなかった時代があった。
昭和30年代には川面から水陸両用機が発着していたらしい。
平成も終わろうとする2019年の冬、
人々の暮らしを見つめてきた流れとそこに架かる橋。

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posted by 平井 吉信 at 19:11| Comment(0) | 徳島

2018年12月03日

ゆこうの季節 絞って飲んであったまって 柿と合わせれば上質の口溶け 


ゆこうだいだいゆずの自然交配種、
上勝町を中心に那賀郡、海部郡の一部に存在する。
地元のぽん酢には欠かせない果汁。
すだち、ゆず、ゆこうはそれぞれ個性がある。
すだちとゆずは果汁というより果皮に特徴を感じるが
ゆこうは果皮というよりは果汁に魅力がある。
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コ島を代表する香酸柑橘(こうさんかんきつ)三姉妹を例えると
おっとりと知的な姉は上品でくせがないおいしさで長女の風格の「ゆこう」、
明るい笑顔をふりまく個性的な性質で周囲を自分に染めていく次女の「ゆず」、
きりりと小顔だが小気味のよい口調で相手をさわやかな笑顔に巻き込む三女の「すだち」。
この三種をブレンドしてつくるのがコ島の酢飯。

11月頃から勝浦郡の直売所でゆこうの生果が並ぶようになる。
買ってから少し熟成をさせて数日前に初絞りを飲んでみた。
熱っぽいのに出張が続く日々にどうしても身体が欲しがった感じ。

まるごとていねいに水洗いして適当に切り分けて
絞り器にかける。
それを湯で割って蜂蜜を入れるのが冬の風物詩。
身体が温まるし風邪の菌が死ぬような感覚がある。
(ゆこうに優れた機能性があるのは体感的に間違いない。研究機関で明らかにしてくれるとうれしいのだが)
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今年はさらに変わった商品と合わせてみた。
手元にあるのは柿とゆこうのコンフィチュール
素材は、柿、ゆこう、砂糖、洋酒である。
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韓国ドラマが流行した頃、
NHKで「宮廷女官チャングムの誓い」というドラマがあって
主演のイ・ヨンエの清純さが話題となった。
その少女時代、先生が料理の授業で生徒に味見させて
甘みを何で付けたかを当てさせる場面があった。
誰も答えられないなかで
主人公のチャングムが「柿でございます」と答えて
料理の先生を驚かせる場面があった。

柿は砂糖の代わりに使える上質の甘みである。
その柿をゆこうと使う作り手の感性に驚いた。

ゆこうの特性に注目して取り組んでいる人たちが県内には数人いる。
味匠「濱喜久」の濱田利宏さんもそのひとりで
ゆこうドレッシング、ゆこうちり酢は出色のできばえである。
さしみをちり酢でいただくと、普段使っている醤油が白身魚の魅力を邪魔しているとわかる。
なでるようにちり酢をつけて口に放り込むと素材そのままでは感じにくかった良さが抽出される。
素材を活かすゆこうの特徴を初めて商品化されたと言って過言でない。
お店で手に入るので調味料としてご紹介したい。
(濱喜久さんの大将は気取らないけど地元素材への愛情が感じられるよね)
【濱喜久オリジナル】ゆこうドレッシング 1本 500円(税抜)
【濱喜久オリジナル】ゆこうちり酢(白ポンズ)1本 500円(税抜)

→ おみやげ用として購入できる
→ ブログで紹介されている https://yoko-leaf.blog.so-net.ne.jp/2015-02-03

ゆこうはゆずと違って独特の色がなく
透明感のある酸味とまろやかな果汁感がまったり感と鮮烈感を併せ持つ。
ゆこうそのものがおいしいだけにゆこうを活かすのは少々難しい。
ゆずだと誰がどんなものをつくっても風味がわかりやすく、
ゆずを活かしているねということになる。
(裏を返せばゆずの個性が相方よりも目立つ)

ところがゆこうは相手を活かす風味の透明感とまろやかさがある。
これと組み合わせてうまくいくのは実は難しい。
その素材をビスコッティにしておいしいものをつくりあげた人が
今度はコンフィチュールにしてみたのだから
季節の素材をどう料理しているかがゆこうファンなら気になる。

パンやヨーグルトにかけてもいいが
まずはそのまま味わってみるのがいい。
包み込むような果実感のあるまあるい酸味が溶けていく
その一瞬一瞬が愛おしい。
おそらくゆこうをもっとも活かした食品(菓子)になっただろう。
決め手は熟れた柿と組み合わせた点にあると思う。
この商品は旬の果実を使うhowattoさんの方針で数日しか販売されない。
次回の販売(12/7)が今年最後の機会となりそうとのことである。

そんな貴重な食材を大胆にもゆこう果汁の湯割にも入れて見たのだ。
するとまろやかさとおいしさがゆこう果汁をひっそう引き立てる。
いつもは蜂蜜だけど、メープルシロップも少量入れている。

感じたことは
やさしい風味なので湯割りに混ぜずに、
やはりスプーンでそのままスイーツとして食べるのがいい。
柿の上品な甘みはゆこうのおいしさを邪魔せず
ゆこうの酸味は柿に足りない快感をもたらす。

ゆこうの季節、コ島でしか入手できないこの果実を果汁として味わえれば
地元の風土が近寄ってくるのでは?

ゆこうを飲めば、これ以上の飲み物は要らないと思えてくる。
おいしいのは当たり前だけど
それ以上にこの包まれる安心感、心地よさ、ひだまりのなかで感じる酸味の輝きというか。
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追記
チャングムが肉の下味を柿と言い当てる名場面は第5回。
https://terutell.at.webry.info/200702/article_2.html
料理の真髄を突いていると思いながら見ていたな。
posted by 平井 吉信 at 00:11| Comment(0) | 徳島

2018年11月26日

阿波狸合戦のあった勝浦川下流の散策(徳島市南部の論田、大原、小松島市江田地区)


ときは江戸の末期、天保年間に遡る。
小松島は日開野(ひがいの)で染め物を商う大和屋の茂右衛門は
子どもにいじめられていたタヌキを助けた。
それ以来、タヌキは大和屋の護り神となった。
タヌキの名は金長という。
(茂右衛門は実在の人物で子孫も健在)
金長は、阿波狸合戦の主人公であり、
スタジオジブリの平成狸合戦ぽんぽこにも出てくる。

コ島は津田の六右衛門のもとで修行を重ねて成就の後、
小松島の主人の下に帰ろうとする金長を
師匠の六右衛門が娘婿にと見込んで呼び止めたが、
大和屋への恩義を果たしたい金長は義理を尽くして辞する。
これを謀反と受け止めた六右衛門は奇襲をかけるが
金長の一の子分、藤樹寺の大鷹の犠牲で金長はいのちからがら日開野へ逃げ帰る。
金長に思いを寄せていた六右衛門の娘、鹿の子姫は悲しんで身を投げて父の行動を諫めた。

やがて娘の自死を悲しむ津田方(六右衛門一派)と
合戦を受けて立つ覚悟の日開野方(金長一派)が勝浦川の下流で激突する。
阿波の狸合戦と後生に知られる戦いは三日三晩続き、
付近の河原には無数のタヌキの屍が転がっていたという。
(住民の目撃談)
金長は六右衛門を討ち取ったが
自身も六右衛門に切られて瀕死の重傷で苦しみながら死んだ。
その後を継いだ大鷹の息子の小鷹が二代目金長を襲名、
津田方は六右衛門の子息、千住太郎を据えて弔い合戦というときに
屋島の八毛狸の仲裁で和解した。
再び平和を取り戻した阿波狸界だが、やがて暗雲が垂れ込めることになる。
そこから始まるのが後述の三田華子の阿波狸列伝である。


ぼくも父もタヌキに化かされた実体験がある。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/177277035.html
それは昭和の終わり頃から平成にかけての話である。
とにかくコ島には狸をめぐる無数の民話が存在する。

「阿波狸列伝」(全3巻)を読めば
ハリーポッターやスターウォーズが表面的な大味の物語に見えてくる。
そこには人情や意地、人の生き方や哲学、陰陽の呼吸や風土と一体となった冒険譚が繰り広げられる。
(以前から電子書籍で復刻してもらえないものだろうかと繰り返し書いている)

今回は近場にして足をほとんど踏み入れていない
阿波狸合戦のあった地区へをご紹介。
ところは徳島市の旧国道55号線沿線の論田町から大原町、
小松島市の江田町にかけての勝浦川三角州。

この地区には車を停めるところが皆無である。
そこで江田の潜水橋の左岸に数台置ける広さの河川敷があるので
そこに停めるのがいいだろう。
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江田の潜水橋を左岸から右岸に渡ることにする。
(川は下流を向いて左手を左岸、右手を右岸という)
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右岸には分派流があって小川の風情を醸し出す
誰かが釣りをしている。北海道の原野を流れる川に見えなくもない。
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何を釣っているのだろう。
淡水魚研究家か、タナゴやカワムツ釣りのような通の釣りかもしれない。

河原の花にも目をとめる。
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土手から見えた木造家屋。
ベランダがいい。
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分派流は大原の崖にぶつかって淵をつくる。
さっきの浅い小川とは思えない深淵。
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誰が放流したかブラックバス。
釣りきって欲しい。
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川沿いに神社がある(蛭子神社)。
このあたりから自転車専用道が旧国道に架かる勝浦浜橋まで続く。
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江田の堰は潮止めとなっている。
ここは汽水域である。
背後に見えるのは江田の潜水橋。
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(レンズ遊びでフジのデジカメにミノルタのフィルム一眼用のレンズ(1980年代発売newMD85mmF2)を付ける)。

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勝浦川最下流に架かる野神潜水橋。
道幅は狭く大型車は躊躇するだろう。
ところが人も自転車も車も意外に通っているのだ。
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さらに下流へ移動すると野神潜水橋と江田潜水橋が同じ視野に見られる。
(ミノルタ85oで撮影)
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阿波の狸合戦があったのはこのあたりの河原ではないだろうか。
勝浦浜橋だと水深がありすぎて狸が渡れないからだ。
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さらに下流へ土手を歩いて行くと寺が目に入った。
土手を降りて見ると身代わり観音で知られる真言宗耕福寺という。
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耕福寺からは土手に戻らず土手の下の集落を歩く。
道幅は狭く車での撮影はできない。
すると曲線を描いたみごとな石積みの壁が見えてきた
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これは、おとめ石を積んだものといわれる。
おとめ石とは「乙女石」ではなく
コ島藩主が採取を禁じた「お止め石」とのこと。
https://www.city.tokushima.tokushima.jp/kankou/shimin_isan/city/032.html
良質の石は勝浦川河口の南部の大神子海岸で採れた。
明治になって解禁されてから地元の名士が建てたものだろう。

周辺はデザイナーが建てたような瀟洒な一戸建ても目に付き
新旧が対照的だ。
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花を育てる人も多い
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徳島市内の人口が密集しているとは思えないのどかな風景
穴場のような非日常感ある住まいだが、
実は旧国道まで指呼の間にある。
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蛭子神社を過ぎれば再び江田潜水橋。
勝浦川下流に位置する徳島市南部の地区はのどかで
住宅に行き届いた配慮を持つ人が多く住む土地である。
この地で200年近く前にあった狸の合戦や
殿様のおふれに思いをはせながら歩いてみると
半日の時間が短く感じられることだろう。
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タグ: 2018
posted by 平井 吉信 at 23:18| Comment(0) | 徳島

2018年10月16日

徳島の魅力は全国2位


今朝の徳島新聞に都道府県の魅力度ランキングで
徳島県が最下位から2番目という調査結果だったと伝えた。
(否定せずに受け止めたらいいと思うよ)
(言い換えればモノサシをひっくり返せば全国2位になる)

ところが幸福度1位の福井県はというと39位。
住んでいる人の満足度とは違うことがわかる。
ハレとケでいう、ハレの観光地は上位に行くけれど
住んで良い県(ケの良さ)は下位にランクされている、と見ることもできる。

非日常ではなく日常が良いとは
このブログでも伝わっているように
・川の良さ(地球の水循環と物質の循環、それに寄り添う人々の暮らし)
・ミネラル豊富な土から採れる野菜や米、果実
・瀬戸内、大河の吐き出す紀伊水道、太平洋の3水域の水産物
→ とにかく食材の宝庫
・京阪神へのアクセスの良さ
・女性が元気
(VS東京とはこれらを無視して東京の価値観と対峙しようとしているように見えてしまう。それで行くとワースト2位が順当な県)

でもいまの地域のブランディングって
日常の暮らしの良さを地道に伝えることだし
それを体験を通じて共感につなげていけば良いこと。
(調査結果は間違っていないと思うけど、この調査会社は地域のブランディングのことがわかっていないね)

このブログはこれまでに
徳島を中心に四国の話題を848本投稿している。
仕事と遊びが重なりあいながら
充実した日々を過ごしていることが伝わると思うけど。
(毎日やりたいことだらけで時間がいくらあっても足りないぐらい)
タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 22:53| Comment(0) | 徳島

2018年10月15日

妖しくて気の毒な日峰山 最後は故郷の空へと続いていく


いつも気の毒と思ってしまうのだけど
家の近所で小さい頃から遊んだ日峰山(ひのみね)は
(国土地理院地形図では芝山と標記されている)
夕方近くになって腹ごなしに散策してしまう。
妖しい写真、妖艶な写真を連発して
日峰山の印象を悪くしているのではないかと。

本ブログではアクセス数が極めて多い大神子(おおみこ)関連の記事も日峰山と関係が深い。
(大神子小神子という地名も県外の人から見ると妖しい)
http://soratoumi2.sblo.jp/article/88676981.html
http://soratoumi2.sblo.jp/article/114463056.html

日の峰の東端が海に落ち込む断崖を
うちの父は「通り魔」と呼んでいた(犯罪が起きる場所という意味ではないが意味不明)。

確かにこの山は朝夕を訪わず散策する人が多いのだが
防空壕があったりひっそりとたたずむ隠された池があったり
変なオブジェがあったりそれ以外にも敏感な人には感じるところがあったりするようだ。

そんな印象で見ていくとどんどん心象が悪くなる。
しかもこの山のふもとには金長神社がある。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/182757285.html
http://soratoumi2.sblo.jp/article/180910689.html

さらに妖しくなっていく。
2014年秋にもあやしいとブログに書いているではないか。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/104415420.html

しかしこの山の東端の小神子(こみこ)の山上には一部上場企業の別荘がある。
日峰山は標高191メートルの偉容を小松島市街地に投影して
きょうも輝いている、と明るく締めくくる。

ふもとには金長神社のほか、野球場(通称「グラウンド」)がある。
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民さんのような野菊が咲いている
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赤い実
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道ばたの道祖神ならぬ陶器、これがまた妖しい
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猪が出ても妖怪が出ても誰も驚かないあやしい池 昼なお暗い
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夕暮れに妖しく輝く宝石
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山頂の前に展望広場がありここから市街地を臨む
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東のピークをめざして山道へと入る
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この山域で岩場を登るもっとも野性味あるルート
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岩場を登り切ると西北の展望が開け、徳島市内が遠望できる
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登り切ると東へ向かって降りていく
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どちらを向いてもハギ
澄行く水に秋萩たれ 玉なす露はススキに満つ♪
日本の秋がしみじみと染み入る
そうなんだ、思い出した。
子どもの頃、秋になるとこの山の沢を登って秋に浸っていたっけ。
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小神子の沖を船が行く
沖合の一本松(岩)まで小舟を漕いで
ボウゼを釣りに行ったのはいつの日か?
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中村(四万十市)のみなさま、どこを向いても女郎蜘蛛だらけ
https://www.shimanto-kankou.com/kanko/culture/kumo.html
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ねぐらへ帰るカラス 親がいるときといないときで風景が変わって見える
それが故郷
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ヒッチコックの映画のように
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萩の向こうに港を歩く人が見えた
すぐそばで子どもの頃がする
人の里と隣り合わせの近そうで近くない。
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志を果たしていつの日には帰らん

(フジX-E2+XF18-55mmF2.8-4 R)
↑ 散策で持っていくカメラとレンズ1本
posted by 平井 吉信 at 22:22| Comment(0) | 徳島

2018年10月13日

いづこも同じ 秋の夕暮れ 神田瀬川編


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モノクロでも撮影してみた
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夢去りし街角というアリスの曲を思い出した
https://www.youtube.com/watch?v=9tic1M5dGzM
タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 23:39| Comment(0) | 徳島

2018年09月04日

(藍染め)石井孝明×篠原ともえ → よかったじゃないか


この人、二〇代の頃、インドに半年ほど出かけていたことがある。
徳島に戻って、まっさきにうちに寄ってくれたのだが
インドの半年分の匂いを貯め込んだようで、さすがに苦笑。
自宅に戻ると飼い犬に吠えられたそう(犬もわからんかった)。

その後、藍染めの道に入り、そこで出会った女性と結婚して
藍染めの道を歩み続けている。
石井君がいるのは徳島市応神町の藍染工芸館。
前衛的なデザインではなく
モチーフはどこにでもある素材なのだけど
彼の誠実でやさしい人柄がにじみでる。
(いまの時代だからこういう人が光るよね)
応援したいと思っている友人のひとり。

その石井君からメールが届いた。
記されたURLをクリックしてみると
あらあら、著名な女性のブログに掲載されているではないか。
https://lineblog.me/shinoharatomoe/archives/67146721.html

この際、石井孝明君の藍染めを本人に無断で掲載してしまおう。
多くの人に知ってもらえばいいじゃないか。
(新作ができるたびに画像を送ってくれる。そしてこちらは間髪を入れずにコメントを返す。そのせめぎあいを彼も愉しんでいる)
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以前に「空と海」をモチーフにつくってくれたタペストリの記事
http://soratoumi2.sblo.jp/article/181155438.html

初めて藍染めの世界に入ってどれぐらいの年月が経っただろう。
でも終わりがない挑戦、
これからもそうであるように、これからもきっと。
posted by 平井 吉信 at 01:08| Comment(0) | 徳島

2018年07月15日

高徳線 2600系「うずしお」に乗ってみた

西日本豪雨の翌日は出張。
天候は回復したものの
JR四国は高徳線を除いてほとんどが止まっている。
(本日中にすべて復旧するだろうと思っていたらそうではないことが後日判明)
牟岐線でも特急が止まっているので
徳島駅まで出てうずしおに乗ることができた。
ホームに滑り込んできたのは、2600系ではないか。
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2600系に乗るのは初めて。いつもは2000系しか乗ったことがない。
2600系はJR四国の最新車両(気動車)で空気バネが特徴。
以前から乗りたかったが、2両編成のときに限られており
ぼくがよく乗る時間帯は3両編成なのであきらめていた。
今回は時間帯をずらしたので初めて乗ることができた。
(2602と2652の2両編成)

動き出すと鮎喰川を渡り、吉野川の鉄橋を通過し
(実はこの辺りが高徳線でもっとも振動が多い)
レンコン畑を見ながら走るローカル特急「うずしお」。
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この色は山河の多い四国の風景に映える。
室内は青いシート(2652)に床は木目。
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明るい雰囲気は特急南風(2000系気動車)に似ているが、
シートはいしづち・しおかぜ仕様だ。
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床の材質は木なのかPタイルかは見分けが付かない。
厚めのポリエステル塗装を施した集成材かもしれない。
室内は明るい雰囲気が横溢している。
足元も従来よりは広く感じる。
なお、2602はえび茶色。
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シートはダンピングの効いたやや堅めのもので
ヨーロッパ車のような快適なもの。
シートの角度はやや立っている。
腰痛の人には歓迎されるのではないか。
2000系の車両は(クッションのへたりもあるのだろうが)やわらかい。

走り出して気付いたのは車両が揺れが少なく静かなこと。
空気バネを使っているだけではなく
最新の設計で細部が磨かれているのだろう。
空気バネはやわらかいので限界を超えると
突然傾くようなところがあるかもしれない。
しかし従来の2000系よりは快適である。

窓はカーテンではなくスクリーンとなっている。
そのため窓がサッシのように区切られている。
2000系と比べて視界はやや狭くなっている。
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各座席には充電にも使える100vのコンセントがお目見え。
JR四国では予讃線の特急しおかぜ・特急いしづち(8600系)ですでに装備されているものだが
高徳線では初登場。
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手荷物を置く場所が大きくなってキャリーカートを載せられるようにしている。
空調も静かだ。
足元には暖房装置と思われる吹き出し口がある。
しかし床下の清掃に難点があるのではと推察。

トイレや洗面室のレイアウトが曲線を描くのも8600系のいしづち・しおかぜと同じ。
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車内のアナウンスは日本語に続いて英語も加わった。
This is the limeted express train bound for Takamatsu.The next station is, Sanbon-matsu,thank you.
(首都圏でも似たようなお声を聴いている。もしかしてアナウンスの声の主はクリステル・チアリさんかもしれない。英語の発音ながら地名は日本語風に発音)
https://www.youtube.com/watch?v=yS3csiZbUMQ
https://www.youtube.com/watch?v=xs24fCftDGw

大雨がどこに行ったのか、おだやかな東讃の里山を縫って粛々と走る。
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いつもなら悠々と瞑想(寝る)するのだが、

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乗り心地を味わいつつ
久しぶりに晴天となった緑の田園を眺めようとして寝られない。
同じ場所を雪景色と比べてみた。
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屋島を過ぎると家屋やビルが立て込んでくる。
高架の栗林駅を過ぎて右カーブを続けてトンネルをくぐると
サンポートが見えてきた。
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初の2600は心が弾む体験だった。
JR四国にもっと乗ろう。
タグ:JR 2018
posted by 平井 吉信 at 11:16| Comment(0) | 徳島

2018年05月28日

吉野川大橋を河口付近から眺めて見送る落日


吉野川にかかる橋と眉山は徳島市の象徴。
普段なら感傷的になる時刻だけれど、このところの国の状況が…。
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何事もなければ良いが…。
タグ:吉野川 2018
posted by 平井 吉信 at 22:45| Comment(0) | 徳島

2018年05月18日

突き抜けようとした魂 ブルースカイブルー


歩いて買い物にいける範囲には八百屋が6〜7軒あった。
主に行く八百屋は決まっているが、
ときには子どものおやつはあそこで
パンはあの店でなどと買い回りをしていた。
(まだ子どもが1円玉を握りしめて買えるものがあった時代である)

自転車専門店、喫茶店、肉屋、すし屋(2軒)、キリスト教教会、ふとん店、餃子店、中華そば店、うどん店、仕出し屋、薬局、陶器店…。これらは全力で走れば1分とかからないところにあった。
歩いて2分の場所には子どもの遊ぶ広場(楠と小さな神社もあった)があり
フェンスの向こうは国鉄小松島線の広々とした線路が横たわっていた。
(JR牟岐線の中田駅と小松島港駅を結ぶ全長1.9kmの日本でもっとも短いローカル線でありながら、準急で四国の四県都と結ばれていた)

線路沿いには保線区(汽車の点検を行う車庫)、
石炭を置いておく小屋、
港に着いた乗客を徳島、高松、松山、高知へ向けて
いつ果てるともなく続く車列を踏みきりで見送っていた少年だった。
列車が通過する度、遮断機を人が上げ下げしていた。
路線バスには車掌が乗っていてお金を払って切符を切ってもらっていた時代である。
(岡崎友紀の18シリーズではバスガイドもあった)
https://www.youtube.com/watch?v=xSmRZzH5XS8
(今から見れば仕事の生産性はありえないが、それでもほとんどの国民が中流でいられた。その時代の歌の力と今が違っているのは当然かもしれない)
小松島線は昭和60年3月14日に廃止となる。その最後の日に汽車を見送った。

当時の小松島線の状況が掲載されている貴重なブログ
バッタやコオロギを追いかけた線路沿いの草むらがなつかしい
https://blog.goo.ne.jp/mazenannpuu260915uptodate/e/8d14e04b3976f3cdc009feaf6e3cfdf4

線路をはさんでまた別の公園があり、
地上から2メートルぐらいの高さの時計台の内部に潜り込んだりして遊んだ。
フェンスを跳び越えたボールをこっそり拾いに線路は入ると怒られたものだ。

映画館は2軒あった。
書店も2軒あった。
ハレの日には二条通の洋食堂コトブキに卵の乗ったカレーを食べに行く。
重厚な雰囲気のインテリアに囲まれて家族で食べるのはときめきだった。

その前にはハレルヤの本店もあった。
(同級生の女の子のご両親が経営していた)
いまでは別会社の経営になっているが
金長まんじゅうとたぬきのケーキは受けつがれている。
でも、あの至宝のアップルパイは復刻されなかった。
円形の土手が5センチぐらい盛り上がって多層になった焼き菓子で
このさくさくとした食感と
リンゴの切片がふんだんに載った中央の窪地に載せられて
その下にはラムレーズンのカステラ生地があったような。
(もはやレシピがないのだと思うが、再現されるときは記憶を総動員してお手伝いします)

まちなかに住んでいたように見えるけれど
桜が咲く公園、土だんごをつくれる場所、草むらのコオロギやキリギリス、桜に集まるアブラゼミの合唱、へびやトカゲもテントウムシもカナブンもコガネムシも日常の一コマ。
(近所を5分歩けば虫かごがたちまちあふれるのだ)
蚊にさされてぼりぼり掻きながら草むらに飛び込んだボールを探していると
夏草の草いきれの上に空が見えた。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/102997084.html

高度経済成長期にぼくが好きだった絵本が「大きい一年生と小さな二年生」。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/69583506.html


.。'.*.'☆、。・*:'★    .。.・'☆、。・*:'★
  .。'*・☆、。・*:'★     .。・*:'☆
 ☆、。 ・*'★ .。 ・':....*.:'☆        .。・:'*・':'・★


あの人の指にからんでいたゴールドの指輪を引き抜き…♪

年上の女性へのほのかな憧れをどうすることもできない少年の夏の日、
どこまでも空を駈けようとする思い、
焦燥とほろ苦さをまっすぐな歌唱で向かい合う。
突き抜けようとする魂が歌わせたのではないか。

確かに生きた足跡を刻まれた。
時代の後押しと、自らを信じて歌に力を込めた。
そんな人がバラードをうたった。
ブルースカイブルー、
いまはあなたのために送ります。
西城秀樹さん、ありがとう。
https://www.youtube.com/watch?v=9L3LJqhyfFY
posted by 平井 吉信 at 10:51| Comment(0) | 徳島

2018年04月02日

知人が今夜テレビに出るよというので見てみたら…


数日前に仕事でお会いしたとき、テレビに出ると言われていた。
「深イイ話」という。
(「頂点を極めた女性は本当に幸せなのか?SP」)

すると、瀬戸内寂聴さんと阿波おどりで飛び出してきたではないか。
95歳の寂聴さんの豪邸、まったく落ちない食欲、
(毎日肉とアルコールのてんこ盛り)
いやはや呆れるやら。

たまたまここ数日、
「多々羅川」で寂聴さんネタが続いていたのは偶然。
番組収録の裏情報も事前に聞いていたけれど
(それはちょっと書けないけど)
主人公に負けていないよ、小林陽子さんの弾け具合も。

タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 21:37| Comment(0) | 徳島

2018年04月01日

とくしま植物園のチューリップやすみれ それから桜も


仕事を一段落して午後の遅い時間に足を運ぶとしたら
とくしま植物園がいいと思う。
丘を上がりながら花壇だけでなく法面の山野草も見ながら
高度を上げていくと動物園の観覧車が見えてくる。

人は生きていくうえで重力に逆らうことは大切なこと。
日焼けが気になる人もいるだろうけど
太陽光線そのものが免疫力を高める治療薬のようなものだから。
(光線療法というのさえ存在する)
実際に日の光を浴びて斜面を上がるのは究極の健康法かもしれないと思う。

さて、花はというとご覧のとおり。
(説明が必要な方、いらっしゃいますか? と言いながら手抜きの口実)
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追記
行政が本気で取り組めばこんなこともできるのに。

ネモフィラで満たされた国営ひたち海浜公園
http://hitachikaihin.jp/hana/nemophila.html

福島の花見山公園(画像集)
https://www.google.co.jp/search?q=%E7%A6%8F%E5%B3%B6+%E8%8A%B1%E8%A6%8B%E5%B1%B1&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwielr3ItpjaAhWMS7wKHZxcB5gQ_AUICygC&biw=1182&bih=783

これは? 福島県の花見山プロモーション動画?
https://www.youtube.com/watch?time_continue=2&v=9BFdY8rALYA

実は徳島にそんな場所をつくろうとしているのが
上勝の「彩山」構想なのだ。





タグ: 2018
posted by 平井 吉信 at 15:27| Comment(0) | 徳島

2018年03月21日

雨に打たれる金長神社 春を迎える日はいつまでか


かつてここには無料の動物園があった(無料だったと記憶している)。
孔雀、狸、猿がいたように思う。
動物はコンクリートの箱形の建物で飼われていて
その建物に上がることができた。
(猿の檻は金網なので上がれない)

小学校の頃には写生大会があり
学校から歩いてきたことがあった。
遠足のおやつは、カバヤのジューシーとか明治のハイレモンとか。
森永ミルクキャラメルやチョコボールだった。
(それとバナナも忘れてはならないだろう)

金長公園にはいつも動物の鳴き声が聞こえていて
見上げると小松島の象徴、日の峰が背後にそびえていた。

金長神社は動物園の片隅にあった。
動物園の敷地には桜が植えられ、花見もできた。
妹を連れて来たことを思い出した。

小松島市では、来たるべき南海地震に備えるべく
この場所を防災機能を持つ都市公園に整備するということで
金長神社は撤去されるかもしれないとのことである。

ぼくはときどき金長神社を訪れているけれど
いまの金長神社が観光資源と呼べるかどうかはわからない。
低未利用地で数少ない種地でもあるこの場所を
市民生活に活かすために都市公園へ整備することは間違っていない。

ただし、金長神社のあり方については
都市公園と切り放して考えることもできると思う。
歴史や文化は未来へと続くまちづくりの資源(拠り所)であり
いまのかたちでなくても方策(リノベーションや再創造)はあるように思う。

公共の場所に宗教施設は御法度というのは理解できる。
しかし金長神社は宗教施設といえるかどうか。
昔からの由緒ある神社というよりは
映画のヒットへの感謝を込めて
昭和31年に映画関係者が建立したもの。
いわば神社というよりは顕彰施設。
(宗教法人ではなく自治会のような組織が運営しているのでは?)
だから市が宗教施設でない由来や経緯を付して
国土交通省に説明すればそれで済むような気もする。
(このようなローカルマターで国が市を指導する時代ではないだろう)
土地と建物を運営組織に管理してもらい、
地代家賃と相殺することもできるのでは?

いまの世の中、
権力を持った中枢に近い面々は
親族や知人の企業などが(まるで優遇されるように)
例外扱いやうまく大義名分を役所が忖度してつくることで
補助金を受けたり大きな事業を受託している。
(世間を騒がせているあの事件だけではないと思うよ)

その一方で
下々では法令を遵守することが目的となって
(法治国家である以上それは大切なこと)
法令を字義どおりに解釈して地元の事情とそぐわなくなってしまう。
(中央集権ではなく四国が判断すれば動かしていける自治が必要。そこがこの問題の本質だよね)

そして行政や議会に任せないで自分たちが考え動かしていくことが大切。
議員報酬など無償で良いから(議員報酬が低いから議員のなり手がいないのではないよ。誰でも議員ができるしくみを取り入れることが本質)。
どんどん市民が議決権を持って参加できる議会でありたいね。

父もぼくも狸に化かされたことがあることは以前にこのブログにも書いたけど
魑魅魍魎はどんどん消えていく。
小山助学館からかつて発刊されていた三田華子の「阿波狸列伝」はほんとうにおもしろいよ。
(スターウォーズやハリーポッターはこれと比べると人情の機微がない大味に見えてしまう)
関係者が電子書籍にしてくれたらもっと広まるのにと思いつつ。

だから雨がしょぼしょぶ降る夕方に金長神社に来てみた。
誰もいない。

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posted by 平井 吉信 at 22:20| Comment(0) | 徳島

2018年03月18日

大松川か多々羅川か? それとも勝浦川か?


タイトルを見て内容がわかる人は地理マニアである。
それも徳島在住。

中学に通うのに川の土手を自転車で走ったのは大松川沿い。
水鳥が羽根を休めている光景によく出会う。

とくしま動物園の西のため池から流れ出して
徳島市南部の渋野、西須賀、三軒屋を通って大松川へと合流、
さらに勝浦川へ合流するのが多々羅川。
多くの人が頭に描く里山の川といったところ。

この小さな小川が文学になっていることをご存知だろうか?
瀬戸内寂聴「多々羅川」(新潮社)。
場所」に収録されている。
http://www.shinchosha.co.jp/book/114436/

寂聴さんの母は、7月4日の徳島大空襲の折、
身体の不自由な祖父を守るように防空壕で折り重なって亡くなられたという。
寂聴さんの不戦への強い使命感もそのような体験があったからこそ。

大松川は、勝浦川下流の分流であった。
小学校の頃、祖父の持っていた地図には
大松川の記述が確かにあったことを覚えている。
(埋められる前の地勢)

川の下流は三角州が発達する。
ここで県内の河川の三角州を繙いてみる。

◆吉野川
もともと旧吉野川が本流であった。
お城下の水利を求めて水路を掘削(もしくは元々あった流れを拡幅)したところ
水が流れやすいほうへ流れるので
どんどん川が成長したのがいまの滔々と流れる吉野川。
その結果、藍住、松茂方面へ水が行かなくなったので
分流のための堰を設けたのが第十堰といったところ。
(諸説があるようである)
新町川ももともとあった田宮川からの流れと
吉野川からの引水でできたのかどうかはわからないけれど
大きく捉えれば吉野川デルタの一部だろう。

◆那賀川
河口付近で岡川(桑野川)と合流している(していない?)ようだ。
三角州というよりも
日本有数の雨の多い木頭地区からの水を集めた急流が
土砂を押し流してくちばしのように平野を海に突き出しているようにも見える。
急流河川ゆえ、三角州の形成よりも堆積の力学が働いているように見える。

◆勝浦川
自由蛇行という点では県内では勝浦川がもっとも三角州地域が広いように見える。
大松川から神田瀬川までもがかつての勝浦川の流路と考えられる。
特に園瀬川、多々羅川、大松川、勝浦川本流が競うように流れる下流は
人が住みにくい湿地帯となっていたはずである(いまも残る)。

前述の世に勝浦川の分流であった大松川は、
JR牟岐線鉄橋の下流付近から分波して北流する。
大松川下流は水を湛えているが
上流はというと川の痕跡があるだけ。
ということは、上流は伏流していたのではないだろうか。
だから人為的に土手を閉めて埋め立てられたのではないか。
(勝浦川の分流であった大松川を吉野川水系と記述しているウィキペディア(Wikipedia)は間違っているのではないか?)

堤が締め切られて表面を流れる水はなくなったが、
それでも不思議なもので小さな流れは残っている。
そして多々羅川から水をもらうと大河のような雰囲気に変わる。
つまり大松川は勝浦川分流の三日月湖の上流が締め切られた川となっている。

締め切られる前は勝浦川に挟まれた地域があったことになる。
南部中学校はおそらくは大松川の河床につくられたもので
バイパスから二軒屋方面へ左折すると橋がある。
明らかな土手の流れや河床のような地形があることから
かつて川であったことが容易にわかる。
ゆえにこの辺りの建物は沖積平野の地盤に建てられている。

勝浦川に限らず、川の下流は三角州が発達する。
小松島市田浦地区から清浄が池、菖蒲田池を経て
小松島旧港へと注ぐ神田瀬川も勝浦川のかつての流路だろう。
徳島市南部は居住に適した地域だが
そのほとんどが沖積平野のため
洪積台地など岩盤らしき地盤を選んで家を建てるのが良い。
(山の裾野などに見ることができる)

多々羅川と大松川は何度か合流と分流をしているため
どの部分が多々羅川でどの部分が大松川なのかわかりにくい。
さらにその多々羅川も
徳島市方上町付近からの流れを集めて並行して流れ
(間に植物が繁茂する中州が続く)
合流することなく片方は大松川と合流して勝浦川へ
片方は園瀬川へと注ぐ。
自然地形なのか、水利権などの人為的な要素なのか?
この地形を読み解ける人はいますか?

(グーグル航空写真から引用)
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(合流することなく並行して流れる多々羅川)
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さらに勝浦川はどこまでが勝浦川なのか?
多々羅川の下流はかつての勝浦川の三角州の一部と見える。
その中州の地形を利用して人為的に土手(道路)となっているようにも見える。
もともとの水面を閉じたのであれば多々羅川の下流の広がった溜まりは
勝浦川と見なすのが自然である。
一方閉めた部分を多々羅川と見なすと
多々羅川は園瀬川へと注ぐことになる。
真実を求めて勝浦川下流域のこれらの川は自転車でめぐるのがいい。

多々羅川はJR牟岐線で中田駅から勝浦川を渡ってすぐに見える小川がそう。
里山の風情を宿した流れはぼくが子どもの頃から変わっていない。
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そんなことを書いていると
きょうはこんな夕焼けが大松川にやってきた。
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ところで、電子辞書の購入が文章を書く時間を短縮できている。
→ ホワイトカラーの生産性を上げる〜電子辞書の活用〜シャープPW-SH5を選んだ〜

(X-E2+XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS)
タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 01:34| Comment(0) | 徳島

2018年03月12日

「幸せ!ボンビーガール」どんな番組になるのかな(お楽しみに)


日本テレビ系列で放映されている番組「幸せ!ボンビーガール」に
本ブログの写真が活用されると
番組ご担当の方から連絡をいただきました。

(以下、番組のWebサイトから引用)
放送は3月13日(火)夜9時から2時間スペシャル!

次回は新生活へ旅立ちスペシャル!
地方から上京してきたガールの、
リアルな物件探しに
番組スタッフが密着!
更に海外へ移住を決めたガールの、
リアルな物件探しにも海を越え
番組スタッフが同行!
お楽しみに!!!

(引用ここまで)
徳島に縁のある内容かもしれませんね。

タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 23:08| Comment(0) | 徳島

2018年03月10日

とくしま植物園 3月にひらく花


徳島市南部の田園を過ぎて動物園を上がった丘陵にとくしま植物園がある。
入園は無料で一年を通じて散策できる。

ここへ来る途中でオオイヌノフグリが石垣に現れた。
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その近くにスイセン
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この時期、もっとも多い山野草はホトケノザかも。擬人化して見える。
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スミレが畑に奥に向かって伸びていく
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早咲きの桜も。河津桜?
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しだれ梅
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丘を登る途中で振り返ると動物園の観覧車が見える
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丘を上り下りしながら徳島市南部の里山と丘陵を見ながら
日向にたたずむ春のひまわりのよう。
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posted by 平井 吉信 at 22:36| Comment(0) | 徳島

2018年03月06日

重症児通所支援事業 ミラクルキッズを立ち上げます 


篠原実智子さん(42歳)は、
平成30年春に重症心身障害児を受け入れる施設を
小松島市内で開業しようとされている。
重症心身障害児(以下「重症児」)とは、
重度の知的障害および重度の肢体不自由が重なった子どものことである。
場合によっては呼吸器をはずせないなど医療の支援を要する。
ところが、重症児を預かる通所施設は県内にはほとんどない。
そこで自ら開業してみようと決意されたのだろう。

篠原さんのご子息、裕人(ひろと)君は呼吸ができない状態で生まれ、
そのまま新生児の集中治療室で人工呼吸器を装着した。
仮死分娩そのものはそれほどめずらしくないそうだが、
裕人君の場合は次第に症状が悪化。3歳8か月まで長期入院となった。

在宅での療養を望む篠原さんだったが、
人工呼吸器を装着しての在宅療養は困難と考えられた。
それでも篠原さんの思いを受けて、
関係の母子医療センター、療養施設等が協議を行って
人工呼吸器の使い方の研修やトラブル発生時の連携体制を確認。

定期的に日中一時支援と短期入所を利用できるようになったので、
篠原さんはパートタイマーとして働けるようになった。
さらに関係者の協力もあって念願のヘルパーの資格も取ることができた。

しかし裕人君の病状は少しずつ悪化、
腎機能の低下で腹膜透析を行うようになった。
退院後を見据えて施設関係者は透析管理の方法を学ぶことで
施設への受入が可能となった。

七五三を迎えた裕人君(写真)
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入学式の裕人君(写真)
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(写真は篠原さんの許可をいただいて掲載。(c)篠原実智子)

裕人君は特別支援学校の小学部へと入学。
当初は母親が付き添った授業も、
やがて裕人君はひとりで受けられるようになった。

子どもは誰もが等しく教育を受ける権利があるというが、
学校の授業や行事はかけがえのない機会である。
在宅療養のなかで家族と一緒に外へ出かけた思い出、
支援学校でのお友だちとの学びと遊びの機会は
本人にも家族にも得がたい経験となっただろう。

重症児を支えることはその家族を支えることでもある。
そのためのしくみづくりはもちろんだが、
理屈で計り知れない家族の気持ちに寄り添う意思疎通は
かたち以上に大切かもしれない。

けれど関係者の願いも届かず
裕人君は7歳の誕生日を迎えることなく天国に召された。
篠原さんは当時を振り返る。
「眠ることができず、どうやって生きていたのか不思議なくらいでした。お泊まりで預かってもらえる日があると、また1週間だけがんばろうと思える。それがないと、いつまで続くかわからない状況に絶望していたかもしれません」。

一時的に介護や育児から離れて休息やリフレッシュすることをレスパイトというが、
「私の経験を糧に重症心身障害児を受け入れる施設をつくりたいと考えるようになりました」
と篠原さんは言う。

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篠原さんは周囲が驚く行動の人である。
平成29年春に志を実現するため動き始める。
まず小松島市内に適当な土地を物色して手に入れた。
周辺は渋滞がなく道路の幅が広いのに交通量が少なく車が停めやすい。
ひのみね総合療育センターへも近い。それだけでも重症児の通所には助かる。

そして小松島商工会議所へ創業の相談に行った。
対応された経営指導員の油谷さんは
まず土地を買ったという篠原さんにあっけにとられて言葉が出なかった。
けれど篠原さんの熱意に打たれて
なんとかしてあげたいと思う気持ちで創業相談を続けた。
油谷さんのサポートを受けて篠原さんが作成した創業プランは、
11月10日に徳島県の「あったかビジネス事業計画」の認定を受けられることとなった。
http://www.pref.tokushima.lg.jp/mb/jigyoshanokata/sangyo/shokogyo/5007318
https://www.our-think.or.jp/?mode=detail&p=2229

篠原さんと行動を共にしたのは神ア麻衣子さん。
事務処理は苦手だが前進力のある篠原さんと
事務処理を緻密に行う神アさんの対照的な二人の名コンビ。

さらに元の同僚の協力が得られることになり、必要な有資格者の目処が立った。
日本公庫(国民生活事業)から融資も得られ、
親切で協力的な阿南市内の建築業者(田窪建設さん)を篠原さんが探してきて
新築の建物も平成29年暮れに完成した。

施設の目玉として篠原さんが考えたのは、
入浴サービスに力を入れること。
自宅での重症児の入浴は子どもの身体を支えながらの作業なので
腰を痛めるなどかなり大変だ。
それでも風呂に入れると血行を促進し子どもを気持ち良くさせてあげられる。

篠原さんは、子どもたちの可能性を信じている。
そして家族の暮らしをも支えたいと施設名を「ミラクルキッズ」とした。
 
事業内容:児童福祉法に基づく指定通所支援事業(児童発達支援・放課後等デイサービス)
所在地:小松島市金磯町3番89
運営者名:合同会社キセキ
施設名:ミラクルキッズ
利用対象者:重症心身障害児
運営理念:利用者及び介護者家族のQOL(生活の質)の向上

(この記事は、篠原さん本人へのヒアリングと専門知識については「小児看護」第38巻第10号=2015年9月を参考に書いている)

追記
この記事をご覧いただいている方々へ

平成30年春の開業を前に、施設は立ち止まっている。
それは必要な有資格者があと1人足りないのだ。
篠原さんたちもハローワークに募集案内を出しているのだが…。
(理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、臨床心理士のいずれか)

上記の資格を持っている方で「ミラクルキッズ」に共感できる人は
電話をして話を聞いて欲しい。
納得されたらハローワーク経由で申し込むことができる。

ミラクルキッズ(合同会社キセキ)
電話0885−39−1550(開業前の電話対応時間:月曜から金曜の10時〜16時)
担当:篠原さん、神崎さん

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創業のビジネスプランの指導を受ける篠原さん(小松島商工会議所)
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施設は交通量の少ない広い道路に面していて車を停めやすい
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このプレートに込められた思いはミラクル(奇跡)
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カエルはミラクルキッズのアイドル。未来に向かって飛び上がるのだから。
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南向きの明るく清潔な室内
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雲が浮かぶ空をイメージした天井
色がみるみる変わっていくLED電球は子どもたちの興味を引く。
視覚など知覚への適切な刺激は大切と篠原さんたちは考えている。
奇跡を起こしてどこまでも子どもたちに飛翔して欲しいから。
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子どもたちを擬人化したような壁の動物たち
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運営がうまくいくこと、
そして子どもたちの笑顔が弾けることを願って。

2018年7月12日追記
必要な資格者が揃って7月1日から営業が認可され、2日から施設の運営が開始されました。
小松島市周辺で重症心身障害児をお持ちの方、
ご負担を軽減する意味でもご利用していただけたらとのことでした。
よかったですね。
篠原さん、神崎さん、児童発達支援管理責任者の横田さん、看護師の竹内さんをはじめ
スタッフのみなさんの明るい笑顔が印象的です。
がんばってくださいね♪

posted by 平井 吉信 at 16:03| Comment(0) | 徳島