2026年03月07日

坂本八幡神社のひなまつり 2026年(勝浦町坂本地区)


勝浦町でもっとも奧(勝浦川支流坂本川上流)にあるのが坂本地区。この地区には、休校となった坂本小学校を活用してグリーンツーリズムの拠点「ふれあいの里さかもと」があった。ぼくも宿泊したことがあって、海川喜男さんらのお話を伺いながら、豆腐づくりやこんにゃくづくりを地元の方たちに教わりながら体験したことがあった。残念ながら、2026年9月を持って23年の歴史が幕を閉じた。施設の老朽化、運営費の高騰、団体旅行向けの設備、運営される方の高齢化などが原因と推察する。

ふれあいの里さかもとのすぐ上には、坂本八幡神社がある。地域の産土神社として年中行事が行われてきた。今年もこちらにお雛様を飾るということで訪れた。
おひなさまとそれを飾ったご家庭、そしてこの日のために神社に飾り付けた地域の人々の思いや念を感じるのに解説は不要だろう。
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飾られた500体のおひなさまは、3月15日を持ってご供養となる。地元の6人の方が中心となって、2か月かけて飾り付けられたと聞いた。おひなさまにとって、最後の晴れ舞台となる。それぞれのご家庭の女子の成長を見守って役割を終えたおひなさまをお見送りすることで、ご供養の一助となればと考える。
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posted by 平井 吉信 at 17:46| Comment(0) | 徳島

2026年02月25日

あの日も三寒四温。徳島南部自動車道 阿南I.C〜小松島南I.C開通を迎えた


那賀川は渇水気味だが、それでも水はとうとうと流れる。
2026年2月21日、徳島南部自動車道 阿南I.C〜小松島南I.Cでの3月8日の開通を記念して歩くイベントの日、
ぼくは、ここで高齢の母に付き添う。この道は感慨深い場所のはずだから。

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(ときは20世紀に遡る)
那賀川は海まであと10kmとなっても変わらない急流を保つ。下流というのにカンドリ舟をこぎ出してイカリを落としたが、(平水時なのに)イカリが止まらず流された経験がある。剣山の南斜面を中心に、木頭村、木沢村、上那賀町、相生町、鷲敷町からの集水域があるため。

親戚から竿を借りて、毛鉤をつけて水面を流して鮎釣りをしたこともある。この釣り方をトバシと呼んでいた。
家の裏手には北岸用水(浦川と呼んでいた。那賀川を大川とも呼んでいた)がこれまた急流。ぼくの叔父が子どもの頃、用水に落ちてあやうく死ぬところだったと聞いた。この流れに落ちれば大人でも助からないかもしれない。浦川にはきぎん(標準語でギギのこと。ナマズに似て美味)がいて、おじいが捕りに行っていた。

那賀川の土手にたどり着く前に、葦が繁る底なし沼のような湿地帯がある。どんがん淵と呼んでいた。そこには近づかないようにと言われていたが、ぼくは怖いもの見たさにときどきひとりで行っていた。いまにも河童が出てきそうな場所である。その後、親水公園として整備されて開けた。

どんがん淵は、岩脇公園として整備された(撮影:2019年)。どんがん淵は、那賀川の河跡湖だったのだろうな。堤防で締め切られて残された湿地となっていたのだろう。水源は、北岸用水からの2つの分派川だったのでは?と推測。どんがん淵をもっと調べておけばよかった。
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どんがん淵の近くには桜馬場という県南随一の花見の場所があった。桜馬場から北岸用水を渡れば妙見山があり、お花見の頃にはぼんぼりが揺れた。この場所に、遊山箱を持って花見に行った。遊山箱の中身は、寒天、卵焼き、巻きずしでなかったかな。

桜馬場の花見(2008年頃)
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妙見山の山裾を少し東に進むと、クヌギ林がある。そこに親戚の兄ちゃん(従兄弟)とカブトムシを捕りに行ったもの。ただし良いことばかりではない。枝から蛇がぶら下がっていたり、スズメバチが寄ってきたり、イラガが威嚇してきたり。どう対応するかが生きる知恵だった。子どもの頃に危険なものと遭遇しなければ、無知なおとなになってしまうから。この近くから、小松島市立江町へ向けて、那賀郡羽ノ浦町をつなぐ阿千田越と呼ばれる峠道がある。

再び北岸用水を渡って岩脇小学校あたりへと戻ってくる。東西南北このぐらいが子どもだったぼくのテリトリーだった。ちょっとだけ、あの頃の想い出を繙いてみる。

 このところ晴れたり曇ったりで天気が安定しない。三寒四温である。けれども、少しずつ暖かくなっている。
 ここは那賀川下流ののどかな集落である。土手に近い田んぼでふたりの兄妹がれんげ草を摘んでいる。あぜみちには、たんぽぽ、オオイヌノフグリ、ぺんぺん草が咲いていた。
 春の野草にはそれぞれあそび方がある。だれでも知っているように、ぺんぺん草は実を引っぱって回すとジャラジャラ音がする。
 れんげ畑でふたり遊んでいると、いつのまにか招き猫みたいな白い猫が寄ってきた。妹は両手をせいいっぱい前に差し出して、「おいでおいで」をしながらよたよたついていくけれど、猫の方はまるで相手にしない。というより、されるままにじっとしている。
 裏の妙見山を振り返ると、黒くすすけた木の家が見えた。母屋に続く垣根の坂道をかけのぼる。家の裏には那賀川の水を引いた深い用水があり、その流れは強い。お兄ちゃんはこわごわのぞきこむけれど、妹はゴーという音が聞こえると逃げていってしまう。
 笑うことと楽しいことの間に少しの距離もなく、無邪気な仕草をするたびに、ふたりの兄妹は大きくなっていく。疑うことを知らず、好奇心にあふれて問いかけるまなざしがひたむきであればあるほど、日一日と賢くなっていっただろうこの兄妹に会えたらどんなにかうれしいことだろう。
 私は過去に戻ってレンズを向ける。するとレンズに気づいた子供は、きょとんと顔を上げる。
「なんだろう」
口元をきりっと結んでふしぎそうな瞳は微動だにしない。

(「空と海」から引用)

自動車道の完成には、母の生家の立ち退きがあった。立ち退いて新築された家は道路から見えるが、かつての黒く煤けた杉板の家、庭に池があった家はもうない。納屋の一角に五右衛門風呂があり、踏み板を踏んで入る。温もる。風呂の窓から東に昇ったばかりの満月が見えた。でも、おじいもおじさんもおばさんもいない。

生家はすでに道路の下になっている。それをどう感じたかはわからない。道路はさらに進んで妙見山の下をくぐって、立江川がひらいた小松島市立江町に出る。この道路の下には友の家が山中にあった。移転新築したその家はやはり道路から見えるけれど、あの柿の木のあった山中の隠れ家(ここも五右衛門風呂だった)はもうない。そこに住んでいた親世代も鬼籍に入られた。

少しばかりの感慨を持った路傍の石になってみようと思ったけれど、人々の賑わいや歓声が現実に戻してくれる。この道は、日亜化学のためにつくられたといっても過言ではない。3千人の社員の通勤(時差出勤を採り入れていた)が周辺に渋滞を起こしている。社員にとっても通勤は苦痛だろう。なにせ、売上高が連結で5,000億円を超える企業で、徳島県、阿南市にとっての地方税の税収は圧巻である。そしてそこに働く社員の給与から、地域経済への循環が連関するので経済効果は計り知れない。

日亜化学は地元の学校へも多大の寄付を行っている。今回の道路建設に際しても協力を惜しまなかったはずである。元社員でノーベル賞を受賞した中村修二さんと会社は揉めたけれど、道路の建設は県南の経済にとって大きなプラスとなったことは間違いない。

ぼくの心のなかの故郷は封印するけれど、文字や音楽にかたちを変えてこれからも生き続けるだろう。きょうは良き日。それでは写真で(どこを写してもお顔が写るのは困ったものだけど、大きく掲載しないので。都合が悪ければ掲載から除外するので)。

イベント当日は、日亜化学の駐車場を臨時に借り受けたもの。車を置いて本社の建物群を見る
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阿南I.Cからの長い上りが終わると、那賀川(新那賀川大橋)を渡る
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記念写真用の看板
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この辺りがかつて黒く煤けた杉板の家があった場所
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自動車道路と無縁であったまちにI.Cができる。開通後にこの看板の写真を撮ることはできない
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看板の向こうに那賀川中段の土手(上段は堤防上、中段は堤防の中間になる)があり、少し向こうにかつてどんがん淵があった
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 妙見山へ遊山に行くのもこの頃だ。男の子の絵がたどたどしく描かれた空色の重箱がお兄ちゃんのお気に入り。三段重ねの重箱に寒天やたまご焼きを詰めて持っていく。昼間登った時、お兄ちゃんは那賀川の水面がきらきら反射するのを食い入るように見ていた。
夜になって、頂上付近に桃色のぼんぼりが明滅するのが里から見えた。お兄ちゃんは勇気をもってひとりで登ってみた。手拍子のカチッとした響きが山中にこだまし、そこへ唄の節とも思われないような不気味な合唱がけだるそうに聞こえてきた。こわかった。あれは鬼の宴会だと思った。声のする方をみないように、いちもくさんに里へと駆け降りた。
(「空と海」から)


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ビニールハウスの向こうは桜並木(桜馬場)
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道路上に建設会社などのブースが並ぶ
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県南でフレンチの名店といえば、Loup(ルゥ)。田園の一角にある理想郷のような店舗は若きシェフ、佐竹博規さんの夢が実現したもの。ずっと応援したい。
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阿南市の公式キャラクター「あななん」。四国でいちばん早く太陽が昇る光のまちに由来するそう。でも、中の人は大変だな。
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冬場の北岸用水は水が流れていない。夏場は「まけまけいっぱい」に水が流れ下る。叔父(母の弟)が子どもの時分に九死に一生を得たのはこの辺り。水深2メートルで滝のように流れる用水なんて想像できる?
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夏の北岸用水
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キッチンカーの一角に出た。どこも行列が長い
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妙見山の下を抜ける羽ノ浦トンネルが近づいてきた
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おっと、ここで本イベントの公式カメラマンの「タケアツふぉと」武本淳美さんに遭遇。
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2025年8月に創業されました! ニコンDfの2台体制、元気印でいいね。ヒトの温もりが伝わるタケアツさんの写真の世界観や仕事の依頼は公式Webサイトからhttps://atsumitakemoto.com/

トンネル近づく!
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羽ノ浦トンネル750メートルの看板を撮影するのも最初で最後だね
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トンネル内はプロジェクションマッピング
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阿南市と小松島市の中間地点は記念写真を撮る人が絶えない。ここも二度と写真を撮れなくなるから
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トンネルを抜けると、そこは立江町だった
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車で走ればあっという間の終点。まだ、小松島南I.Cと小松島I.C、さらに徳島津田I.Cまでがつながっていない
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徳島南部自動車道は「E55」と表すんだね
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県のイベント調理用の新鮮なっ!とくしま号が待機中
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鳴門金時ぜんざいが振る舞われた
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小松島市のブース
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折り返して阿南I.C/日亜化学へ帰ろう(写真説明は往路で十分だから省略)
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説明しないと思ったけれど、思い出した。この先の河原で、嫁ぐ前の母とおじい(母の父)が河原にしゃがんで写真に写っていた。母は日傘を、おじいは釣り竿を持っていたのではなかったか。水神さんの祭りの日に、古庄のバス停から母に連れられて実家まで歩いたのは八月だった。
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那賀川が南岸から北岸へと瀬となってぶつかる水衝部。叔父(母の兄)は、ここでカンドリ舟を出す子どもたちを戒めた。なぜ、自分は大水のときに舟を出してしまったのか…。あのときの叔父の年齢を超えてしまった。

新那賀川大橋(徳島南部自動車道)ができる前の那賀川の河原と土手。こんな小径を歩けた
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2026年3月8日、徳島南部自動車道は開通する。

posted by 平井 吉信 at 22:37| Comment(0) | 徳島

2026年02月23日

まきのさんの道の駅・佐川、海鮮丼、芋けんぴ、山椒もち、司牡丹!


まきのさんの道の駅・佐川は、「らんまん」放映をきっかけに2023年6月に整備された四国でも最新の道の駅のひとつである。
https://makinosan.jp/

国道33号線がまちなかに入る手前の丘の上に展開している。後発の道の駅だけに、佐川おもちゃ美術館の併設など時間滞在型の工夫も施されている。核となる飲食店(西村商店)があるのも強み。バイカオイウレンに彩られた佐川町の玄関口の道の駅を利用してみた。

到着すると雨にむせぶ道の駅、雨に打たれながらのぬかるみでの観察は避けてまずは施設内へ。
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食事は、館内の西村商店で。週末の昼時は混み合うので30分〜1時間の順番待ちとなるが、名前を告げてそのあたりで待つことにする。順番が来ると、ベルがなる札で呼び出してもらえるし、牧野博士の著書も読むことができる。頼んだ料理は、海鮮丼定食(1,690円)。魚種は、マグロ、ブリ、カンパチ、マダイ。マグロ以外は養殖と思う(安定供給と品質の均質化、寄生虫の問題を回避する意味があるので、これは理解できる)。ご飯が見えないほどの刺身を盛り付けてあるのが特徴。「鰹の刺身とたたき定食」(2,230円)は売り切れが早いようだ。
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芋けんぴは、隣の日高村に工場がある澁谷食品(芋屋金次郎)と、窪川に本社がある南国製菓(水車亭)のどちらも置いてある。それぞれ好みでどうぞ。
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ただしここ数年は両社の芋けんぴの風味が(コロナ下と比較して)ともに落ちているように感じる(温暖化ゆえに産地の黄金千貫の品質が劣化しているのか?)。もっと芋の風味がしていたと思われるが、細切りにして揚げる温度を上げたのか、芋の質感は減じているように感じる。個人的な感想である。

道の駅の売店の奧には、地元の酒蔵「司牡丹酒造」の日本酒が置かれていた。これは見逃せない。司牡丹は、牧野博士の生家の「岸屋」から譲り受けたルーツを持つ。
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山椒もちがある。山椒は仁淀川中流域の名産で、ぼくも、鎌井田地区(仁淀川でもっとも桃源郷らしい場所)にある越知町仁淀川山椒企業組合から取り寄せたことがある。らんまんでは第1話と第2話で登場した風土菓だが、しばらく地元でも途絶えていたものを、放映後にNPO法人「佐川くろがねの会」が復活させた。さらに、わらび餅うさぎ堂(門田早緒理さん)が2023年10月に牧野公園内に出店。その後、2025年3月からは、施設内の「gochisou Lab.KOCHI」(小山菜摘さん)も手がけるようになった。

これは予定調和の菓子と違って、風味の予想が付かないが、何か人の手の温もりを感じるというか。もしこれが明治初期に食べられていたとしたら、ごちそうだが、令和のぼくたちもほかに例がない風味に心揺さぶられる。

パッケージも奇をてらわない。いいね
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原材料は、もち米玄米(佐川町産)、きび糖、米粉(佐川町産)、塩、山椒粉である。これで悪いはずがないじゃないか。手が止まらなくなりそうである。でもひとつだけ補足。この菓子を受け付けない人がいるとしたら、きっと食生活が悪いよ。

日本酒コーナーでは、司牡丹酒造の「司牡丹 仁淀ブルー」にしたよ。この写真は、カワセミが水に飛び込む瞬間を捉えた高橋宣之さんの写真集「NIYODO BLUE」からかな。ぼくもこの写真集は持っている。
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→ 仁淀川(安居渓谷、面河渓を含む)については仁淀川のタグからどうぞ
http://soratoumi2.sblo.jp/tag/%90m%97%84%90%EC

自宅で開栓して、数本ある日本酒と比べてみた。明らかに違う。すっきりと辛口でありながら、喉に沁みるかすかな酸味の引き際の見事さ。四国の酒に多いフルーティーな切り口とも違うし、東北のガツンとくる辛口とも違う。これはすばらしいね。
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瓶が仁淀ブルーの世界を表現しているね
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また行きたくなってしまった佐川町。徳島からだと遠いようでも伊野I.Cで下りてすぐだから行きやすい。行ってみたら。その風土や文化とともに味わえるから。
posted by 平井 吉信 at 14:19| Comment(0) | 徳島

2026年01月23日

キハ47型が消える? JR四国は新型ハイブリッド車両を導入


踏切を渡ろうとしたら、珍しいオレンジのキハ47型気動車が横切っていくではないか。たまたま持っていたカメラで撮影(いつどの便がそうなのかは公表されておらずわからない)。全国的には絶滅危惧種でもしかしたらこれが最後の1台かもしれない。
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JR牟岐線のローカルは朝夕の時間帯を除いてワンマン運用が常態化しており、旧車両は1両編成では動いているのを見たことがない。駅舎に併設されていたトイレも次々と撤去(駅舎そのものさえも)されて、有人の駅も無人化が進んだ。

子どもの頃は、路線バスに乗るにも運転手と車掌が乗っていた記憶がある。近所にあった踏切は国鉄職員がハンドルを回して上げ下げしていたし、石炭の貯蔵倉もあった。

時代が進んだ今は、ユニバーサルデザイン、環境対応、省力化運用、メンテナンス性(交換部品や修理技術の属人性の排除など)が求められる。さらに車両にトイレが必要になったこともある。

それらの回答がハイブリッド車両(3600系)で、計70両(35編成)を2030年度までに導入するとのことで、国鉄から継承されたキハ47型の引退はそう遠くないはず。

なかでもオレンジのキハ47は希少種。室戸岬で見かけたオオキンカメムシのように出会えると幸運が訪れる(かも)。

→ 【JR四国提供】ハイブリッド新型車両「3600系」完成! 来年6月にも徳島県内で運行開始(徳島新聞動画)https://www.youtube.com/watch?v=3EuJI2gT5po&t=2s
posted by 平井 吉信 at 00:01| Comment(0) | 徳島

2025年12月29日

徳島の「ミネラルの癒し」(ミネラル・ヒーリング)を科学する


徳島県は、さまざまな指標が下位に位置している県である。宿泊客の少なさ、下水道の整備率、糖尿病の罹患率、路面電車がなく鉄道が電化されていないなど。その反面、日常の暮らしについては不便を感じることが少なく、特に食生活がそう。

魚種は、瀬戸内海側、吉野川と紀ノ川などが向かい合う紀伊水道海域、蒲生田岬以南の太平洋海域と異なる環境が比較的接近している(愛媛県だと東予中予南予はまったく別の地域である)。そのため豊富な魚種、海藻(ワカメだけではなく、スジアオノリ、アラメ、テングサ、ヒロメ、ヒジキ、アンロク、フノリなど)の種類も豊富、陸地では、藍の栽培、野菜、根菜類は関西への供給を担っている。香酸柑橘は、スダチ、ユズ、ユコウ、アワスズカなど多種多彩。

ハレとケでいうと、徳島の魅力は非日常のハレというよりは住んでわかる「ケ」の魅力が主体と考える。しかし野菜や食材が豊富というのは他県でもいえること。それが徳島らしさとどう結びつくかについて考察して1999年に「南阿波の新しい波〜エコツーリズムによる地域づくり」を刊行した(国会図書館に蔵書)。

そのなかで徳島の良さを繙くキーワードとして「ミネラル」とそれがもたらす恵みを提起した。海や川で遊びたい人にとっても徳島は天国で、それらの要素も加味して「ミネラルの癒し」(ミネラル・ヒーリング)と名付けた。


ミネラルがもたらす食生活への貢献が他県と比べて際立っていると考えたのは、川の恵みが大きいから。徳島県には平野部が少なく、吉野川、勝浦川、那賀川の氾濫原+三角州に人々が住んでいる。そのため津波に遭うか、土砂災害に遭うかという地形になっている。

その一方で、山の有用なフルボ酸鉄などのミネラルが氾濫を通じて平野部と海に供給されやすい。藍染めの原料の藍の生産が全国一となったのは吉野川の氾濫がもたらした。その究極の知恵が池田町から岩津までの約50km、面積270ヘクタールにも及び竹林の帯(水害防備林)である。この吉野川の竹については数十年も地域資源として提唱し続けている。洪水の際に土砂は濾過して細かい土砂(ミネラル成分含む)をおだやかに田畑に届けるしくみだった。いまでは河道に洪水を閉じ込める近代治水となったが、21世紀には氾濫を前提とした流域治水などの治水思想(社会資本整備の費用と効果のバランス)が採り入れられるようになっている。

特に県南部の日和佐川、牟岐川、海部川、野根川(その他多くの小河川も同様に)にはダムがなく、山のミネラルが直接海に届く。山と海が近く、山のミネラルを合理的に人が利用しつつ海洋資源にも貢献している。このように徳島はハレとケで言うとケの部分で、その根源はミネラルにあるというのがぼくの考え。今回はさらに深掘りしてみよう。まずは吉野川を生み出した地形から。

中央構造線がもたらす土壌の多様性とミネラル供給

徳島は、日本最大の断層帯である中央構造線が吉野川に沿って東西を貫いている。吉野川が中央構造線によって流れを決定づけられている(東流)というのが正確だろう。中央構造線を境に、北側(和泉層群などの堆積岩)と南側(結晶片岩などの変成岩)で地質が異なり、異なる地質からは異なる種類のミネラルが溶け出す。
 
徳島の山々は急峻で、雨水が岩石を削り、新鮮なミネラルを含んだまま一気に川へ、そして海へと流れ込む(ダムなどのコンクリート遮蔽物があるとフルボ酸鉄などは減少すると、気仙沼の畠山重篤さんを徳島にお招きしたときに教わった)。平野が広すぎると、川が海にたどり着くまでにミネラルバランスが変わるが、徳島は山と海が近いため、直接的な供給が行われる。吉野川河口のスジアオノリ、紀伊水道のアシアカエビ(クマエビ)やハモなどはその副産物だろう。

「吉野川システム」による栄養塩の運搬

「四国三郎」吉野川は、山(森林)の腐葉土に含まれるフルボ酸鉄などのミネラルを海へ運ぶ巨大なベルトコンベアとして機能する。吉野川、勝浦川、那賀川、対岸からは紀ノ川など(和歌山)が流れ込む紀伊水道は、瀬戸内海と太平洋の「外洋水(黒潮)」がぶつかる場所で、ここに川からのミネラルが注ぎ込むことで、植物プランクトンが定着し、それを食べる魚介類が育つのではないか。

なかでも吉野川河口の汽水域で育つスジアオノリは、まさに「川のミネラル」と「海のミネラル」が融合した結晶といえる。全国のほとんどは吉野川産であり、高品質なアオノリが育つ環境は全国でも稀有となっている。以前に吉野川左岸の長浜漁協の漁師の賀川さんから、「嶺北(高知県)で大雨が降ると吉野川が濁って大量の土砂を海にもたらす。それを土佐水と呼んで歓迎していた」とお話を伺った。土佐水とは、ミネラルの恵みである。

「鳴門の渦潮」による鉛直混合

さらに、他県と決定的に違う地形として、鳴門海峡の激しい潮流がある。それによって海底に沈殿している栄養塩(ミネラル)を海面近くまで巻き上げる「湧昇流」のような効果を生み出す。鳴門わかめが肉厚で色が鮮やかなのは、激しい潮流(物理的刺激)と、巻き上げられる豊富なミネラル(栄養)のおかげ。徳島に海藻文化が発達しているのは、この「海のミネラル濃度」の高さが背景にあるのは間違いない(とはいっても近年は海水温の上昇により、冬場になってもアイゴやタカノハダイ、ブダイが磯に居着いて藻場が消失しつつある)。

さらに関連する話題へと拡げると、このブログでも度々ゆこうなどの香酸柑橘の話題に触れているが、香酸柑橘によるキレート作用によって「ミネラルを身体に取り込みやすくする文化」が根付いているのではないかという仮説。

具体的には、スダチ、ユズ、ユコウなどの香酸柑橘に含まれるクエン酸は、ミネラル(特にカルシウムや鉄分)を包み込んで吸収しやすくする「キレート作用」を持っている。日常の食卓で、ボウゼやアユなどにスダチ(クエン酸)をかける行為は、味だけでなく、栄養学的にも「ミネラル摂取」の効率を最大化しているといえるのではないか。

以上のように、食生活では無意識に「ケ」(日常)としてミネラルが定着しているのが徳島の強みと考えているが、いまだに観光行政は科学的本質的な視点に立たず、SNSや動画での発信、海外航空便の増便などに資源を割いている。本質的な強みを理解しなければ、一過性のプロモーションに終わってしまうだけ。

生物は海に芽生え、やがて陸をめざした。その際に海の成分(ミネラル)を蓄えて必要なときに取り出せる貯蔵庫が必要となった。それが骨であり、重力にも耐える骨格が形成されてさらに陸上での適応を拡大した。ミネラルは陸上生物の素のようなものである。徳島は「ミネラルによる循環」で勝負しよう。

全国有数の多雨地域の那賀川上流域などから急流で運ばれるミネラル、中央構造線によって吉野川は多くの支流を集めて東流し氾濫を繰り返しながらもたらされた恵み、海にたどり着けば鳴門海峡の撹拌と紀伊水道を北上し淡路島がもたらす反時計回りの海流によるミネラルの循環が途絶えることなく続いていく。川が重要な役割を担っていることに着目して、全国から約800人を集めて開催された水郷水都全国会議・徳島大会を1996年8月に開催し、事務局の一翼を担い、大会報告書を仕上げた。

ミネラルの鮮度と密度の濃さで、日常生活のなかで地球の成分(ミネラル)を身体に取り込めるのが徳島。下水道普及率が低いのは、自然の浄化作用に頼れるほど水が豊かであることの証しでもあり、電車がない=スローな時間として、自然に近い「人間本来の暮らし(ヒーリング)」の演出として転換できる。そのミネラルの作用がもっとも濃厚なのが海部郡なのだ。このブログで頻繁に取り上げている真意もそこにある。

posted by 平井 吉信 at 13:33| Comment(0) | 徳島

2025年11月03日

藍よしのがわトロッコが行く(つるぎ町)


国道192号線は、JR徳島線と併走する区間がある。前方に見慣れないデザインの列車が見えた。アンパンマン新列車かなと思ったが色彩感が違う。列車の速度は出ていないのでやがて追いつき、追い抜いた。

観光列車の藍よしのがわトロッコだった。安全な道沿いにクルマを停めて前を撮る
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2両編成の前がトロッコ(素通しなので乗車の際は防寒対策を)
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後の車両は、藍の階調で描かれた顔、キハ185-20とある。つるぎ町の小島駅に向かって走行中。
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地元の人も見かけたら手を振っていた。
藍よしのがわトロッコの情報、ご予約はJR四国まで
https://www.jr-shikoku.co.jp/01_trainbus/event_train/yoshino_torokko.html

posted by 平井 吉信 at 11:09| Comment(0) | 徳島

2025年09月15日

そのまま食べるのがおいしい夏野菜 徳島は野菜の王国であることを生成AIと考えた


徳島は野菜の一大産地との仮説を考える。基本は川の王国がもたらす山のミネラルである。徳島が野菜の王国となりえた理由(仮説)を5つ考えてみた。

(1)小雨で日照の多い瀬戸内気候から雨の多い南海気候(海岸性温帯湿潤気候)までの多様性
さらに深掘りすると(非AI/自家考察)、日本で雨がもっとも多い屋久島は洋上アルプスの独立峰のため海水面からのエネルギーを受けて1年中多雨で山間部では年間8千ミリに達している。四国東南部は、台風など太平洋からの風を四国山地(剣山山系)が遮断することで豪雨になりやすい(かつて一日の降水量記録は木頭村だった)。南紀大台ヶ原も熊野灘からの供給を紀伊山地が受けるかたちで同様の豪雨となる。河川ではこの山域が源流域の那賀川が影響をもっとも受ける。

別の角度からの考察では、海の魚種も瀬戸内の魚に鳴門海峡の特殊要因が加わって鳴門鯛(マダイ)や鳴門わかめが生まれ、吉野川、勝浦川、那賀川(対岸も紀ノ川など大きな川が土砂を吐き出す)から供給される浅い砂地の海の魚種(ハモ、アシアカエビなど)、それに太平洋側の要因のイセエビ、ヒラアジ科の豊富な魚種が漁港界隈のスーパーの店頭に並ぶ。

(2)流通の産地に近い特性
四国からは京阪神市場にもっとも近い(陸続きの南紀より時間距離は短い)地の利や、季節ものが採れないときの代替や特産品の原材料として(冬の野沢菜や奈良漬けの原材料を供給など)。

(3)川の氾濫がもたらしたミネラル豊富な土壌
吉野川の氾濫は恵みと災いの両面をもたらすが、水害防備林によって土砂災害を防ぎつつ豊富な表土の養分は田畑に落とすという自然を活用する生活の知恵が藍染めをもたらし、明治年間は徳島市は全国有数の富める都市であった。このミネラル豊富な土壌がニンジン、ダイコン、キュウリ、ナス、トマトなどを供給する(トマトは水はけも重要)。

(4)急傾斜地農業
世界農業遺産にも登録された県西部の山々での農業は、稗、粟などの雑穀や野菜を産する(にし阿波の傾斜地農耕システム)。

(5)香酸柑橘の宝庫
食材に香りや酸味を添える、スダチ、ユズ、ユコウ、阿波すず香といった香酸柑橘が中部の山間部で収穫される。

以上の仮説をChatGPTに投げてみた。さらに定量データでの裏付けを求めた。

(ここからChatGPTの回答を抜粋)
農業産出額に占める野菜の割合
最新の統計で、徳島県の農業産出額の中で 野菜が占める比率が36.9%。つまり、農業全体の約3分の1以上を野菜が担っています。

主要野菜・品目での全国順位の高さ
いくつかの野菜・作物で全国上位に入っているものがあります。たとえば:
にんじん、れんこん、柚(ユズ)は “3位”

かんしょ(サツマイモ)やブロッコリーなども上位に位置付けられている類です。 また、「しろうり」「スダチ」「ユコウ(=柑橘類)」など徳島特産の品目で全国1位をとっているものもあります。

野菜の収穫量・作付面積の大きさ
徳島県の野菜作付面積・収穫量・出荷量についても一定規模があります。具体例として:平成28年時点で,「野菜生産出荷統計」によれば、作付け面積・収穫量・出荷量が多数の主要野菜でかなりな量がある。例えば大根・キャベツ・きゅうり・トマトなど。

農林水産省の作物統計調査により、徳島県は 主要野菜の作付面積・収穫量で全国5位とか3位 に入る品目が複数あります。

全体としての生産構造における「野菜部門」の重み
徳島県の農業産出額のうち、「野菜」が最も大きな部門になっており、果実・畜産などと比べても出荷額・比率が高い位置にあります。

(ChatGPTの出力には公的機関などの統計の裏付けが付随しているがリンク先は省略)

さらに問答を繰り返す。
(ここからChatGPT)
結論だけ先に言うと、(概算)徳島県の主要野菜の年間生産量は約144千トン、人口1人当たりに換算すると約201 kg/年になります。以下に出典・計算過程と注意点をまとめます。

要点(結論)
推定総収穫量(対象):約 144,312 トン(令和4年産の主要野菜37品目の合計、下に品目一覧の抜粋あり)。

徳島県人口(国勢調査 2020):719,559 人。
1人あたり換算:(計算過程省略)200.6kg/人/年

比較(国レベルの消費量と比較)
農林水産省の統計で示される「野菜の1人当たり年間供給量(国内消費に概ね相当)」は 令和4年で約88.1 kg/年 と報告されています。これと単純比較すると、徳島県の(今回扱った品目での)生産量は県人口1人あたりで国内需要の約2.3倍に相当します。つまり、疫災やサプライチェーン断絶時に県内で消費するには相当な余裕がある規模感です。

(ここまでChatGPT)

やはり野菜王国といえるだけの定量データもあるようだ。このことは南海トラフなどでサプライチェーンが途絶したときに地域で賄える能力があることを示す。潜在的(顕在的?)に御食国(みけつくに)の要素があることがわかったので生成AIから離れてローカルに戻る。

未だに日中の外気温が30度を越えているので夏野菜がまだ採れている。うちにもお裾分けをいただき、それをさらに近隣の親族で分け合ってもさらにまだあるというありさま。
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この野菜は収穫されて24時間以内のもので、今朝はここからピーマン4個を食べた。水洗いして縦に4つ割しただけ(ワタもとらない)。何も調味料は要らない。そのまま食べると、甘酸っぱさが漂う。やや誇張を交えれば菓子を食べている感じ。おいしい野菜とは採れたてのもの。この野菜は近所(といっても山間の傾斜地)なので水はけが良好。特別なピーマンではないけれど、ピーマンをかじると、いのちを感じる(生命あるものをいただいて生命を維持するということ)。極論すると、それがしあわせなのでは?と自分に問いかけ自分でうなづいている。
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観光面での発信には力を入れている徳島県だが、それでも毎年魅力度は最下位あたりを彷徨っている。観光でなく、ありふれた食材の宝庫ということを普段の県民の暮らしを通じて発信するだけでも価値あるものと感じてこのブログを20数年続けている(ハレよりケの暮らしの質的な高さが徳島県の本質と思っている)。魅力に乏しいが満足度は高いなどと揶揄されることもあるが、実は魅力もあるとの発信も行なっている。ここまで2012投稿がある。注目されないけれど。

追記
那賀川の木頭地区の天然アユをいただいた。一見養殖鮎のような見事な体型だが、追い星(オスの婚姻色)が明確な天然モノならでは。
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最初に塩をたっぷり付けて放置した後、水洗いをして拭き取る。あまり塩を利かせすぎないように焼いてみた。
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これも山のミネラルがくれたもの。那賀川の上流に位置する木頭地区は、中流にある長安口ダム、小見野々ダムのため天然モノは遡上しないけれど、湖産アユもこの環境に放たれれば違ってくる。木頭地区は全国有数の雨の多い地区で水量が多く水温を低く保てている。このことがアユの風味にもつながっているように思う。
posted by 平井 吉信 at 13:47| Comment(0) | 徳島

2025年08月30日

海から見上げる鳥居 日出湾に沈む夕日(日出神社/鳴門市瀬戸町)


さらに鳴門シリーズである。
島田島から四国本土の鳴門市瀬戸町日出(ひゅうで)地区へと抜ける途中で、西に面した日出湾がある。湾に面して日出神社がある(この神社も「ひゅうでじんじゃ」と読むのだろうか?)。

この神社の参道(?)は海から始まる。日出湾を航行しながら、あそこに神社がある、参拝するか、などの状況があるのかどうかはわからないが、鳴門市内には海からしか行けない阿波井神社がある。高知県須崎市にも同様に鳴無神社(おとなしじんじゃ)があり、行ってみたいと思う。

海から上陸した気分で階段を上がる
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振り返ると灯籠と日出湾
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道路を挟んで境内に入り、再び海を見る
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日出湾は青が支配する
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日出神社の本殿
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(それから数時間が経過)

夕暮れ迫る鳥居
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日出湾に沈む夕日
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一日の終わりに神様を拝し太陽に向かう
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タグ:鳴門
posted by 平井 吉信 at 18:01| Comment(0) | 徳島

2025年06月22日

港町の夕暮れ


19時1分、日は落ちて天文薄明の時間帯、ここは港町
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空に網目状の構造が見えるけれど、水面はそのすべては映さない
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船だまりに赤から青までの階調がゆらめく
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橋の欄干から「また、あした」の声が聞こえたような気がした。子どもの頃にはこの橋はなかったけれど、夜遅くまで川筋で遊んでいたから。
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posted by 平井 吉信 at 23:17| Comment(0) | 徳島

2025年06月14日

王子神社(海陽町中山)


母川の上流部から海部川筋へ抜ける途中で見かけた神社は、鳥居がなければ神社と思えず、緑の芝に覆われた洋風の庭のようであった
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近づくと家型の門があってその向こうに本殿があるよう
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本殿に近づいていく
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菊の御紋(12弁菊花紋)。菊花紋を持つ神社は特別珍しくはないが、皇室との関係性を示す紋章であるため、なにがしかの由来があるのではないか。
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創建時の手水鉢と推定される旨の記載
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背後に小山を従えて広々とした草地の敷地と、手の込んだ建築が印象的な神社である。
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追記
神社前の水路にはジャケツイバラが咲いていた。
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旧社格:旧村社
祭神:「国常立尊」(クニノトコタチノミコト)、「罔象女神」(ミツハノメノカミ)
建築様式:一間社片入母屋造(王子造風)向拝一間縋破風 銅板葺

「海陽町の社寺建築」(阿波学会)参照
https://library.bunmori.tokushima.jp/digital/webkiyou/63/073-086.pdf
タグ:神社仏閣
posted by 平井 吉信 at 12:46| Comment(0) | 徳島

2025年06月13日

和奈佐意富曽神社(海陽町)


大里松原を通過するたび、気になっているこじんまりとした神社がある。神社名の読みもわからないし、全国に類例のない名称。いわれがあるのだと思うが、手がかりがない。
しかし、ここの場所の清らかな雰囲気は人を引き寄せる。明るく楚々とした感じ。

道路から見た神社
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鳥居と小型の社
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一社造りの神棚と同
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この彫り物はなに? 猪? 龍? くじら? 鼻の短い像? ワニ? 
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ご祭神は、神功皇后とその子、応神天皇のようである。雰囲気は、海の向こうから渡ってきた神様を祀っていると感じたところ。

この神社の立地の良さは、晴れた日には、四国の東南部でもっとも雄大な大里松原の渚まで歩いていける場所にあり、少し移動すれば、湧き水を集めたオオウナギの生息地、母川、温暖な南四国を代表する清流、海部川があること。この神社から直線距離で3〜4km南には那佐湾という入り江があり、地名由来と考えられるが、全国でもここにしかない名称の神社である。歴史をたどる手がかりはないけれど、思いを馳せてみる。

旧社格:不明
祭神:息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト)、誉田別命(ホンダワケノミコト)
建築様式:一間社流造 銅板葺

「海陽町の社寺建築」(阿波学会)参照
https://library.bunmori.tokushima.jp/digital/webkiyou/63/073-086.pdf
タグ:神社仏閣
posted by 平井 吉信 at 23:38| Comment(0) | 徳島

2025年06月11日

第18番札所 恩山寺


ここ数年残念に思っているのは、子どもの頃、遊んだ場所へ行けなくなったこと。花見をした広場とそこから上がる小径があったが、そこへ行く道中にバリケードが築かれている。もともと私有地だったのだろう。「工事中」とのことで、危険な箇所が表出しているのかもしれないが、ここ数年封鎖されたままになっているのは気掛かり。

そうであっても、その場所に居合わせたら、そのとき化学変化が起こる。感じたことを記憶にとどめつつ、心の動きを所作にすると写真。
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(フジX-T30+XF35mmF1.4 R、フジX-T5+XF16-50mmF2.8-4.8 R LM WR)
タグ:神社仏閣
posted by 平井 吉信 at 01:29| Comment(0) | 徳島

2025年05月06日

おもてなしの小倉八幡神社(徳島市八多町)


県道33号小松島佐那河内線から多々羅川を挟んで対岸に見える社務所、桜を彩る鳥居、公園が印象的だった。実際に神社へ近づいてみると、さらに石段があって山上へと誘われた。

登り切ったその先には広場のような境内があり、リスの置物を中心に、来る人をお迎えしようとされる宮司さん一家のお心づかいが感じられた。地元の氏子以外にはなかなか上がってきにくい場所にあるかもしれないけれど、地元密着の神社のたたずまいは居心地の良さと美感を備えているように見受けられた。大勢の人に親しまれることを願って。
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タグ:神社仏閣
posted by 平井 吉信 at 13:50| Comment(0) | 徳島

2025年04月12日

麁服(あらたえ)の里、三木家の春(美馬市木屋平)


美馬市内の企業を訪問したときのこと。協議が終わって雑談をしていたとき、美馬市出身の藤島博文さんの絵画展に行って感銘を受けたと話をしたら、その会社の社長が「親戚です、ときどきみなで集まっています」と答えられた。

偶然といえばまだある。目の前で面談している社長をぼくはテレビで拝見して一方的に存じ上げている。それは人助けをされた話をマスコミが取り上げたものなのだが、その映像を見てぼくはこの方が徳が高い人だと直感した。おそらく神霊の支えがなければなしえないと思えたのだ。だから、いつかはお目に掛りたいと思っていたら、偶然にもその機会がやってきた。当時の映像のテロップでは会社員としか出ていなかったし、どこの会社の社員かも知らなかった。その方が社長になられた会社へ仕事で訪問することになるとは。あの映像を見てから20年以上が経過していた2025年春。縁(えにし)は大切にしたいもの。

藤島画伯の絵でもっとも見たいと思っていたのが、木屋平の三木家が麁服を調進するために大麻を栽培する畑である。それも、しだれ桜が咲く季節ということになる。そこで早いうちからこの日は見に行く予定に入れていたもの。

三木家は重要文化財であり、その隣に週末だけ開館する三木家資料館がある。大麻をつくる畑は三木家の前にある。栽培には県知事の許可がいる。種を蒔いて収穫まで24時間の監視が求められるという。葉の1枚すら囲いの外へ出してはいけないとのことで、葉を集めてその場で焼いているのだという。栽培にはおそらく数千万円の費用がかかる。

収穫された大麻は茎のみを使う。その繊維を布にして践祚大嘗祭の儀式に持参する。天皇に即位されるとき、お一人で一晩かけて行なわれるらしい。一生に一度のもっとも重要な儀式で、何人もその儀式の場に入れない秘密の儀式である。

その儀式に使われる麁服(あらたえ)という大麻でつくられた布が儀式の要となる。毎年正月になると、天照大御神の御札を産土神社で求めるが、神宮大麻と書いてある。伊勢神宮の根源の神と大麻はかくも深い関係にある。

その麁服は、阿波の三木家(宮廷の祭祀を行なう忌部氏の末裔)から調進されなければならない。忌部氏は、天照大御神が天岩戸にお隠れになったとき、外で出ていただくために居合わせた天太玉命(フトダマ)の子孫といわれる。麁服は、木屋平の地でつくられなければならず、それも三木家でなければならない。

西洋では、イエス・キリストのご遺体を包んだ聖骸布が麻でできているという。大嘗祭の儀式は新天皇が一晩お一人で儀式を行なわれると聴いたことがあるが、王家の聖なる身体や御霊を包むというのは同じである。天照大御神の御霊が宿る麁服とお過ごしになるのだろう。

三木家は穴吹川を遡り、途中から川を離れて三木山へと上っていく。かつての木屋平村の尾根に近い場所である。徳島市方面からは、佐那河内村→神山町→川井峠→木屋平と進むのが近道である。

車は三木家の近傍の貢(みつぐ)公園に置いて歩くのが一般的。公園内にも花見をする人がいる。
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公園に隣接して三ツ木八幡神社がある。三木家と関係がありそうな名称である
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やがて眼下に麁服の原料をつくる畑、左手に三木家資料館、その奧に重要文化財三木家が見えてくる
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麁服の畑には大麻が植えられるのは、天皇の即位に備える時期のみである。直近では、令和元年、その前は平成元年が即位であったからその数年前から宮内庁からの要請か示唆を受けてつくられていたのではないか。しだれ桜に囲まれて明るい雰囲気である。次の作付予定は当然ながら未定(あってほしくない)。

大嘗祭に使用された麁服と同じ麻糸でつくられたストラップが資料館で販売されていた。国産の麻でつくられた稀少なもので部分的に藍染めされている(1500円)。これが最後の1個だったようで、これもご縁というべきか(当然ながら次の予定はない)。背景紙の紋様は阿波忌部氏の麻の葉文様の家紋のようだ。
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三木家資料館には週末にボランティアの方が順番に担当されているという。資料館内には、各種文献やパンフレットのほか、麁服を織る機械などが置かれている。
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資料館の前には畑がある
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重要文化財三木家住宅は独特の構造を持つという。桜に囲まれてのどかな季節を迎えている。さまざまな角度とレンズで撮影してみた。→ 国指定重要文化財三木家住宅(美馬市Webサイト)

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タチツボスミレまでが気品と華があるような
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居心地が良い場所で公園、神社、三木山、三木家資料館、三木家周辺(麁服の畑)を行き来しつつ数時間が経過。おだやかな春の過ごし方としてはこれに優るものはない。

麁服は麻で紡ぎ、藤島博文さんは筆で描く。高天原はこんなところにあったのではないかと思いつつ、レンズを通して心に刻む2025年の春。
posted by 平井 吉信 at 23:51| Comment(0) | 徳島

2025年03月14日

(号外)特急むろと号 最後の運行 満月と人々に見送られて


多いときは月に10日以上は乗っていた。特急むろと号は、1962年の準急に始まる牟岐線唯一の特急だった(ホームエクスプレス阿南はあったが、あれは近距離通勤仕様なので)。

そんな特急むろとは、2025年3月14日の徳島駅発19時33分→牟岐駅着20時58分の列車をもって、63年の歴史に幕を下ろした。「むろと」と名乗りながら、室戸市へは行かない。いつかは牟岐線が延伸されて室戸岬経由で高知市と結ばれることを夢見ていた列車。だけど夢は叶わなかった。

利用者の低迷に加えて、運転手のシフトが難しくなったとされる(運転手は牟岐駅の宿舎に泊って翌日7時発で徳島駅まで戻り運行する)。

2017年9月のむろと号。徳島駅でうずしお号から乗り換える
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2両編成で、一部座席指定
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8年後に廃止されるとはむろと号も夢に思わなかっただろう
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(回想の場面は終わって、現実の3月14日)

むろと号が到着する少し前、南小松島駅のホームには人が集まりかけていた
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まずは上りの普通列車が入線して待機
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むろと号が駅に向かって進入(カメラの位置はは柵の内側から)
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南小松島駅に停車
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乗客も知っている。これが最後のむろと号の姿であることを
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駅を発つ。万感の想いで見送る。さようなら、むろと号
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→ 動画で見送る

タグ:JR四国
posted by 平井 吉信 at 20:32| Comment(0) | 徳島

2025年01月04日

JR四国 牟岐線 キハ型ディーゼルが走る(特急むろとの廃止を惜しむ)


JR四国では次々と駅舎がなくなったり駅員がいない無人化が進行している。存続のためにはやむを得ないとわかっていても寂しさを禁じ得ない。

子どもの頃、10両程度を率いて線路を走っていた記憶がある。車内に暖房はあっても冷房はなかったため、夏は窓を手で開けて窓から顔を出していた。鉄橋にさしかかると川面を渡る風を感じていた。

駅舎とともにトイレがなくなったことで、列車にトイレが装備されるようになった。ワンマン車両だと誰かが長時間入っていると大変だけど、そこはなんとかということだろう。

ところで徳島県内の路線は電化されていない。SUICAも使えないので他県から乗車される際はご注意を。全線ディーゼル機関車で「電車」は走らない。学年が変わって担任が受け持ちクラスの生徒の通学手段を調べるために挙手を求める際、「汽車通の人は?」などという。

イルカがなごり雪で「汽車を待つ君の横で…」の風景が見られるのは徳島県ならでは。これから卒業の季節なので、風情のある徳島線と牟岐線で「なごり雪」ツアーなど企画してみては?(>>>JR四国さん)。

牟岐線にはときどきキハ47系が走る(鉄道マニアでないのでわからないが、おそらく1日1〜2本では)。まずは、キハ47-114型。オレンジ色をしている(首都圏色というらしい)。トイレは付いているようだ
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こちらは、キハ47-118型(空色=JR四国色)
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空色のキハ47系が通過した後、反対側からキハ185-12がやってきた。県内では特急で運用されている車両で、牟岐線(徳島駅から牟岐駅まで)の「特急むろと」(室戸には到達しない)、徳島線(徳島駅から阿波池田駅まで)の「特急剣山」(特急南風と接続することで高知方面へ乗り換えはあっても迅速に移動できる。ただし南風の自由席は座れないことが多いので座席指定を取っておくのが無難)、高徳線(高松駅〜徳島駅)の「特急うずしお」では2700系に置き換えられていてあまり見ることがなくなった気がする。
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この列車は特急むろとではなく、正月三箇日のみに仕立てられた薬王寺参拝用の臨時特急列車の「やくおうじ」(下りがやくおうじ1号、上りがやくおうじ2号)である。停車駅は特急むろとと同じ

ついでにJR四国と第三セクター線路のその他の仕様も見てみよう
JRでは古い車両をリニューアルして特別仕様車に仕立てることがある。それは観光臨時列車用で「藍よしのがわトロッコ」として前が動力を持たないキクハ32-501、押しているのがキハ185-20。貞光川の鉄橋を渡っているところ
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列車は、徳島県、高知県の普通列車でもっとも見かける1200型で、トイレ、冷暖房を装備。最高速は110km/h。列車はめずらしくないが、停車(この写真は発車直後)したのが夏の海水浴シーズンのみ開設される田井ノ浜臨時駅
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桜咲く時季の1552型普通列車が停車した阿波赤石駅
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夕陽を浴びて走る
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アジサイの季節
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田んぼの海を走る
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ご当地色あふれる土佐くろしお鉄道
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アンパンマン列車
外装のみ(大歩危峡を通過する特急南風)
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内装も
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特別仕立ても
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トロッコ仕様も
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阿波海南駅でモードチェンジをして線路から道路使用に変化するDMV。JR四国、阿佐海岸鉄道が存続できるよう、地元住民も観光客も乗車してほしい
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四国の鉄道、応援しよう!




追記 特急むろとが廃止される

昨年末に、牟岐線を走る唯一の特急である「むろと号」が2025年3月15日のダイヤ改正で廃止される見通しとなった。2019年3月15日には、特急むろとの徳島〜阿南版で通勤客の便宜を図った「ホームエクスプレス阿南」も廃止されている。かつては高知県甲浦駅まで乗り入れ、1日3往復あった「特急むろと」も区間の縮小と減便を余儀なくされていたが、ついに廃止の日を迎えることとなり、牟岐線の特急は姿を消すこととなる。

調べてみると、特急むろとの起源は、1962年7月に運行を開始された高松駅〜牟岐駅間の「準急むろと」に端を発する。1966年には急行に格上げされた。20世紀の牟岐線を、ベージュに赤のラインの入った列車(キハ58型)が颯爽と風を切っていた姿を覚えている人も多いだろう。

牟岐駅を7時頃に出発する上り便では、海部郡内の教員、公務員、会社員などが出張の折に、あるいは岡山で新幹線に乗る県南部からの観光需要にも重宝されていた。牟岐線は単線で速度の遅い普通列車では各駅停車に加えてすぐに発車しない待ち合わせもあるため、特急の利便性は高い。

特急むろとは、例えば徳島駅〜阿南間を30分程度で結ぶ。この区間の道路はどこを通っても慢性渋滞であるため、クルマでは1時間程度はかかるし時間も読めない。渋滞の原因は、日亜化学(雇用や納税、寄付などの地域貢献で県内に大きな貢献している)への通勤が多いこともあるが、そもそも那賀川、勝浦川、吉野川の三角州地帯なので道路の制約が大きいうえ、渋滞を引き起こす橋が多いことも要因となっている。

一案として、徳島駅〜阿南駅間は特急で残しつつ、牟岐駅〜阿南駅間はデマンド方式のマイクロバスで運行するなどは考えてみたが、現実には、乗り入れ運行時の法規や乗車のしくみづくり、阿南駅での接続の余裕を見た場合の時間ロスがあって利用者がいるかどうか。最大の困難は運転手の確保だろう。

過疎は悪いばかりではないとしても、沿線住民の減少により公共交通は人口減の影響をまともに受ける。そしてそのことが離れた学校への通学、買い物、総合病院や専門医への通院などから地域外への住民移転を促進する悪循環となる。

タグ:JR四国
posted by 平井 吉信 at 23:13| Comment(0) | 徳島

2024年12月26日

誰かがやらないと何も生まれない 県南の海で未利用魚を食卓に届けたい会社の物語(株式会社澄海/徳島県美波町)


2023年春のこと、熊本県から徳島県に仕事で着任した濱隆博(はまたかひろ)さんが、長年使われずにがれきに埋もれた廃屋のようになっていた県所有の水産加工施設(美波町の志和岐漁港に設置)を数か月かけて使えるようにしました。この施設は、数年前まで地元漁協がアワビの稚貝を育成する施設として活用されていましたが、現在では使われなくなっていました。その施設を活用するためには補助事業のからみなど行政との交渉や調整がやまほどあったはずです。

志和岐漁港
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これが行政の事業だと数年を要する計画となるはずですが、濱さんは持ち前の行動力で会社を設立。荒れ放題となっていた施設の修復をひとりで行い、数か月で使えるようにしました。さらに地元の金融機関から融資を受けて必要な設備投資を行ないつつ、熊本県から知人の谷口毅さんを呼び寄せて社長に就任してもらいました。会社の名前は濱さんのご子息と同名の株式会社澄海(すかい)と名付けられました。澄んだ海と空を連想させる名前から、濱さんがこの事業に寄せる思いが感じられます。こうして二人三脚で事業が動きだしました。

左から取締役の濱さん、代表取締役の谷口毅さん
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施設には地元志和岐集落の高齢者を中心に地元民を雇用して水産加工(惣菜)をつくっています。魚種は徳島県内で採れたボラ、チヌ、タカノハダイなどの未利用魚や海部郡の沿岸で採れるブリやシイラなどを使っています。未利用魚とは、おいしいのになじみがないためあまり売れない魚など流通に乗りにくい魚です。濱さんは地元の漁業関係者や水産物を扱う事業者をくまなくまわり、ときに漁船に乗り込むなどして魚を出荷してもらえるよう信頼関係を築いていきました。

沿岸漁業がふるわないのは、温暖化で海水温が上昇したことで冬場に深みに移動する魚が磯に居着いて藻場を食い荒らすことが要因です。温暖化で冬に個体数が減少するはずのシカが減らず、林床の植生を食べ尽くすのと同じです(このほかには、里山の荒廃で人とケモノの境界が曖昧になっていることや上流の森の荒廃で川がフルボ酸鉄などのミネラルを海に供給しなくなったことも原因です)。未利用魚を流通に載せることは藻場の回復にも役立ちます。藻場は沿岸漁業を支える生態系のゆりかごで大切な存在です。

濱さんらがめざしているのは地域経済の循環を民間でつくるという地域経営の考え方です。濱さんの知人らが海部郡で藻場の再生を行なう一般社団法人藻藍部を立ち上げました。藻場の再生は未利用魚の流通化と密接な関係があるため、連携していくことになるはずです。濱さんは「徳島で水揚げされた魚たちに感謝して食べ(感食)、残さず食べて(完食)、魚を食べて海の環境改善に寄与(環食)しよう」とアピールしています。

また、施設には敷地内で陸上養殖のできる水槽を設置しました。県内では話題となった上勝町産のアメゴを使ったサツキマスの養殖も行なわれました。このことがご縁となって、上勝町の月ケ谷温泉では(株)澄海で生産した魚が使われるようになりました。魚のロスを出すことなくメニューを追加したい、厨房を楽にしてあげたい飲食店や宿泊施設は問い合わせされるとよいでしょう。

(株)澄海では直接お客様に届けられる商品も開発しました。12月23日と24日に徳島県庁で行なわれた県庁クリスマスマルシェに出店、持ち込んだ商品は完売となりました。その商品とは、シイラとブリの西京みそ焼きです。一度買った人たちはほとんどがリピーターになるそうですが、現時点では決まった場所での販売がありません。同社のWebサイトに販売情報が掲載されますので入手をご希望の方はご覧ください。

おなじみのブリ(左)とあまりなじみのないシイラ(右)。シイラは県南部の海で採れるが、地元スーパーではあまり出回らない。(株)澄海では地の利を活かして鮮度が落ちるまえに加工できる強みがある。ハワイでマヒマヒと呼ばれる南方系の高級魚であり、県南部のスーパーや産直市で見かけたときはぼくも購入して照り焼きなどにしている
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県庁での出店の際は微力ながら販売をお手伝いしました。一度に30個も求められたお客様(県職員の方でしょうか)もいらっしゃいました。「いままで子どもが魚を食べなかったけれど、これだけは喜んで食べるので。今度いつ買えるかわからないのでまとめ買いしました」とのことです。

商品は冷凍すれば半年持ちます。冷蔵庫で半日解凍して電子レンジ(ふっくら仕上げる)、オーブントースター(カリッと仕上がる)などで手軽におかず一品が追加できます。この商品のすばらしさは、魚が食べられなかった人でも食べたくなるおいしさと手軽さにあります。それでいて、食通の人にも訴求する食べ飽きないホンモノの旨味を再現できています。

使われているのは県内で特注した麦みそに、塩、醸造用アルコール、砂糖など。アミノ酸は使われていません。後味が良くひとりで一袋(100グラム)食べられます。九州生まれの濱さんがお母さんにつくってもらった味を再現したとのこと(九州男児で照れ屋の濱さんがはにかんで言いました)。麦みそは九州や愛媛県で使われていますが、徳島では求める風味に合う麦みそを特注してもらったとのことです。魚のおいしさを麦みそが引き出していてほんのり甘いやさしい風味です。

濱さんの手描きの黒板。この文字からどれだけ多くの情報(思い)を汲み取ることができますか?
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お隣には、シフォンケーキやマフィンなど素材系の菓子では県内ではもっともおいしい店のひとつ、howattoさんが出店されています。こちらのマフィンを買い求めました。ホールシフォンは早々と売り切れていました。今年最後の営業日は12月27日(金)です。
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アップルクランブルマフィン
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冬の看板商品 シュトレン
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すだちくんも買いに来てくれたそうです
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外は寒い冬の夜、キッチンカーも盛り上げます
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DMVのモードチェンジに乗車できる体験も子どもの人気を集めていました
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(株)澄海は、2024年10月にアスティ徳島で開催された徳島ビジネスチャレンジメッセで優秀賞に選ばれました。
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知事に説明しているところ
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(株)澄海は、高い理念、まっすぐな志を持ち、それに戦略性と行動力、社会貢献性が備わっていて、地域を巻き込んでいることが高く評価されたものです(地域の高齢者が家から歩いていけるような場所に雇用の場ができたことで、地元でこの設備ができたことがどれだけ喜ばれていることか。会社には全国各地から取引を希望する事業者が視察や商談に訪れているのも集落に活気を呼んでいます)。

(株)澄海では、生産性向上を高めるための設備投資にクラウドファンディングに挑戦しています。本日時点で締め切りまであと数日(2024年の年内まで)ですが、状況は道半ば、できたばかりの会社の資金力には限りがあります。会社を立ち上げた方々の思いの深さと献身に頭が下がる思いであり、応援したいと思います(すでにクラウドファンディングには応募しました)。当社への寄付は、ふるさと納税の寄付控除の対象となります。みなさまのご協力をお願いします。
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ふるさと起業家支援プロジェクト
→ 町の遊休施設を活用し地域水産業の未来を支えるDX化プロジェクト


posted by 平井 吉信 at 11:24| Comment(0) | 徳島

2024年07月26日

文化の森のカタツムリは文学がお好き


文化の森のカタツムリは言語を理解しているといわれる。
這ったあとにバーコードの模様が現れるので、3眼仕様のiPonをお持ちのかたはバーコードリーダーで読み取って欲しい。この画面からは次の文言がバーコードから読み取れた。
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我が輩はカタツムリである。名前はまだない。
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりして居る。
月日は百代の過客にして、月のころはさらなり。望月の欠けたることも つれづれなるままに やみもなほ、トンネルを抜けると、岩にしみ入る 蝉の聲。和をもって貴しとなす。


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意味はよくわかりませぬが、文化の森に棲むカタツムリともなれば、話す言葉も文学的で高尚だな。
つまらなかった東京都知事選の次に出ますか? それとも副大統領候補でかの国にでも?

追記
うちにネコを飼っていた頃、日本語で質問すると、考えたうえできちんと答えてくれた。
このネコはかなり高い知性があったが、質問する人の知性を試すネコでもあった。名前はマナという。

ヒト:マナ、ドルと円と、いまはどっちが安い? 
マナ:エーン(たしかに)
ヒト:人と人をつなぐ不思議な関係性は?
マナ:エーン(いわれてみればそうかも)
ヒト:滝廉太郎の荒城の月の出だしで、はるこうろうのはなの のあとに続く歌詞は?
マナ:エーン(なんという記憶力)
ヒト:S=πr2で求める図形は?
マナ:エーン(すごいな。人間でもわからない人が43%はいるはず)

確かにこのネコは質問するヒトの知性を試す。
暑い夏の夜を涼しくお過ごしください。
(投稿している部屋の室温32度で快適です)


posted by 平井 吉信 at 23:28| Comment(0) | 徳島

2023年07月19日

線路は続く 風が走り抜ける田園を 

いまもっともやってみたいこと。
それは夏の太陽の下、風を感じながら全力で走り続けること。
倒れたって構わない。力の限り走れ、走る、走ろう。

生きることって、夏の田園を全力で走ること。
その先になにかがある。遠慮なく躊躇なく自分の限界を超えて遙か高みへと。
誰も止めない。それが若さでしょ。
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その気持ちを込めて撮影したけれど、見方によっては列車が走らない寂しい線路にも見える。
JR牟岐線の阿南駅以南のことだけど。
でも、現在過去未来と風が走り抜けているでしょ。
タグ:JR四国
posted by 平井 吉信 at 00:09| Comment(0) | 徳島

2023年07月12日