2024年08月15日

フランスの高原の素朴な歌曲集 オーヴェルニュの歌は盛夏に冷涼な音楽の打ち水


それではと、舞台を(前投稿の)三好市からフランス中南部の高原地域へと。そこで羊飼いに歌い継がれてきた民謡を採取して、管弦楽の伴奏を付加して作編曲されたカントルーブのオーヴェルニュの歌を聴いてみよう。

民謡である原曲の素朴さが耳にやさしい。牧童の初々しさ、朴訥さ、あけすけな生活の歌が源流にあって、管弦の色彩が声を包み込む。漂う声と旋律の美しさは雲が流れる高原にかかる虹のよう。角笛が丘をこだまするようなオーケトレーションの洗練を加えた歌曲集は、音楽の打ち水に打たれた感じ。初めて聴く人はその洗礼を浴びる覚悟がいる。

古くは1960年代のウクライーナ出身のソプラノ、ダウラツによって初演されたが、彼女は半年にも及ぶオーヴェルニュ地方の方言(オック語)の抑揚を習得したうえで録音に臨んだといわれる。

タニア・ダヴラツ(歌),ピエール・ド・ラ・ローシュ指揮(管弦楽団名不詳)、1963年


全曲でもっとも美しい楽曲は「バイレロ」。谷を隔てて聞こえてくる歌は、羊飼いの男女のやりとり。わたしは谷を渡れないから、あなたがこっちへおいでなさいな、と誘っている。清涼な音楽に、睦み合う前の空気感が秘められているなんて。

次の「3つのブーレ」で、ダウラツは羊飼いになって、泉の水ではなく気持ちが良くなるワインを飲みなよ、とか、羊を花畑に放してその間に…とか、素朴だけど濃厚な歌詞を、ときにあけすけに、ときに腰に手を当てて誇らしげに歌う娘さんの趣。無名のオーケストラだが情感たっぷりに寄り添う。彼女のフランス語方言もはまっているように聞こえる(他の歌手と発音が異なる)。郷土色豊かな盤というでは最右翼だ。1960年代の録音だけど、良質のオーディオ装置やタイムドメインのような敏感な再生装置でも音楽に浸れる。日本盤は盤質もよく、しかも歌詞対訳付。これがあることで楽曲の魅力の再現度が違う。

その国内盤も2種類がある。2004年に日本コロンビアから発売された品番COCQ-83799と、2017年にキングインターナショナルから発売された品番GCAC-1012/3がある。ともに2枚組。ぼくが持っているのは前者コロンビア盤だが、後者キング盤はXRCD24bit仕様で音が良いとされる。確かめてみたい気がするが、2004年版の音質もまったく不満はない。やがて後者も入手困難になりそうな気がする。

ダウラツ盤は誰もがこの音楽に描く印象そのものだが、新しい録音というなら、ジャンス盤を紹介。この歌曲集はオペラではないし、そのように歌うと貴族のサロン調となって曲が死んでしまう。ダウラツは牧童の娘らしくてよかったが、ほかの歌手ではところどころオペラティックな歌い方が鼻についてしまう。そんななかで、同じくオペラ風でない歌い方が佳い。おそらくこの曲の最新録音(2004年)。

ヴェロニク・ジャンス(歌)、ジャン=クロード・カサドシュ指揮リール国立管弦楽団、2004年


しかもジャンスは、オーヴェルニュの出身で歌唱は癖がなく、オーケストラもご当地。さらに24bitの録音で透明感がある。ジャンス盤のテンポはやや早めでストレートな表現。オーヴェルニュの歌(全27曲)からの抜粋で主要な曲は網羅されていて抜粋盤で十分。問題は新しいのに入手が難しそうなこと。ぼくは新品で1600円程度で購入できたが、いまは中古で数千円とか。根気よく探さないと中古で高いものを買ってしまうのでご注意。

それに比べると名盤の誉れの高いダウラツ盤は全集だし、入手はまだ可能と思われる。1960年代の録音とはいえ、ダウラツ盤は色彩感では新しいジャンス盤を上回っている。YouTubeなどで音源が見つかるので試しに全曲聴いてみて、気に入ればご自宅の部屋にフランス中南部の高原地方の風を吹かせてみては。

上記2枚とも入手が難しければ、アップショウ、ケント・ナガノ指揮 リヨン国立歌劇場管弦楽団、1994年

アメリカ人のソプラノながら、素朴さを失わず、歌の色彩感があり、バイレロは、二人の牧童(男女)の掛け合いで、一方が谷の向こうから響いてくるような演出がされていて、音による映像を見ているよう。音楽に浸れる点では最右翼だが、ローカル色は薄まってフランスの牧童の雰囲気よりは劇場の歌手の趣。指揮者は繊細かつ細部に血を通わせた伴奏で、純音楽としての音の磨き上げでは最右翼だ。YouTubeでレコード会社公式音源で全曲が聴けるようだhttps://www.youtube.com/watch?v=cQMsSMXU-CM&list=PL1IXBSY4jc2s3ulYvnoPaPiRPFgKC23wf


手持ちの音源。ダウラツ盤のアナログは盤面、ジャケットとも極上の状態。CD2枚はやはりダウラツ盤を手に取るが、清涼感の高いジャンス盤もリッピングして車内でかけることが多い。
オーヴェルニュの歌は、音楽の風鈴。夏の朝、高原の風がそよぐ一日をどうぞ。
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2024年07月31日

薬師丸ひろ子「古今集」〜ひといろに描かれた無限の階調〜


薬師丸ひろ子さん(以下、敬称略)を語るとき、中学の同級生の女の子(以下、Kちゃん)を思い出す。育ちがよいお嬢さんでありながら、人を疑うことを知らず庶民的、それでいて凜としていて頭が良くて学年で1位(はばかりながら2位はぼくだった。でも仲が良いから順位などに一喜一憂しない。良い点とったらさすがと称賛の気持ちだけ)。音楽の時間に独唱をしたら、Kちゃんの声にうっとりと聴いてしまう(その表情を悟られたくない)。バリトン歌手のようなパパの声とアルトの声質の娘だったね。

薬師丸ひろ子の声は、Kちゃんの声や雰囲気に似ている。その声は不思議成分たっぷり。高域と低域で声の音色が変わる歌手はいるが、薬師丸ひろ子はほとんど変わらない。また、話し言葉とも変わらない。一見細い声に思えるが、声量と呼ぶべきか、声の幅というべきか、倍音を含んでいるのか浸透性が高い。これは岩崎宏美さんのようなビブラート成分でもないように思う。

今回は、1984年に発売されたファーストアルバム「古今集」について。このアルバムはミドルテンポの楽曲が多い。また、短調と長調で揺れる調性の楽曲が多い。先入観をもたずに聴いていると、ヨーロッパの印象を受けるな、大貫妙子さんが歌うといい曲があるななどと思ってCDの歌詞カードを見て驚いた。

作詞は、(敬称略で)竹内まりや、来生えつこ、湯川れい子、大貫妙子、阿木耀子、松本隆。作曲は、竹内まりや、南佳孝、大貫妙子、井上鑑、 大滝詠一、大野克夫。何という顔ぶれ。これだけ多彩な作家が描きながら、アルバムの色が一色(ひといろ)に染められている。そして低域から高域まで一つの声でモノローグのように歌う。 これがファーストアルバム?

さらに発売当時のオリジナルアルバムには収録していなかった4曲がCDに追加されている。それは 「探偵物語」「少しだけやさしく」「セーラー服と機関銃」(別バージョン)、「探偵物語」(strings version)。

当時はリアルタイムで聴いていた場所はN君宅のオーディオ装置から。コーラルのDX-7という大口径スコーカーの3ウェイスピーカーは声が浮かび上がる。このスピーカーはフルレンジのような中域を軸に無理なくレンジが広げられている。ある意味では国産3ウェイスピーカーの行き着いた完成と思っている。入力系は、イギリスのロクサンのベルトドライブのレコードプレーヤーにオーディオテクニカのMCを付けて、プリメインはヤマハのA2000aで増幅という万全の布陣で音楽が悪いはずがない。さらにそれをぼくがチューニングしてあるので(説明略)。

話は脱線するが、小学校の同級生のM君宅へ行けば、ヤマハNS-1000M、アンプA-2000、プレーヤーGT-2000(ピュアストレートアーム仕様)+デンオンDL-103。ここで彼が針を降ろすのは荒井由実の「ひこうき雲」から「ベルベット・イースター」。透明度の高い空間から声が降りてくるとしばし聴き入ったもの。弦やピアノはいまも無敵なのではと思える。位相管理が正確で、ベリリウムの中高域に紙ウーファが奇跡のブレンディング。透明感や彫りが深いのはいうまでもないが、ヨーロッパの著名な2ウェイより豊潤で酔わせる音楽を聴かせた(決してモニタースピーカとは思っていない。むしろ音楽を奏でる楽器ともいうべき)。以後、ヤマハからは第2のNS-1000Mは現れなかった。今日復刻したら当時の3倍〜5倍の価格設定になるかもしれない。ヤマハさん、考えてもらえない?

高校の同級のK君宅、ダイヤトーンDS-1000Zをラックスマンのプリメイン、ケンウッドのレコードプレーヤーKP-1100でかけるのはストーンズとビートルズ。国産のレコードプレーヤでもっとも音が良いのはテクニクスやヤマハでなくこのケンウッドではないかな。これが10万円未満で買えたのだから当時のオーディオ業界は幸せといえる。奴はにやにやしながらレコードを取り出して「まあ、聴け」と訪問客に選択の余地はない。それぞれが人に聞かせるフリして自分が聞きたいからかけている。

ぼくは、ダイヤトーンの16センチフルレンジP-610DB(アルニコユニット)を左右連結して機械的に直結する構造に畳1枚ほどの段ボールの平面バッフルをフロントに添えた自作スピーカー。ヤマハA2000aのプリとメインを分離して、プリアウトとメインインを直結する(つまりフラットアンプとボリュームをパスする=増幅率は下がるがボリュームは解放)。アンプのフォノイコでMCカートをMM入力で受けることで音量調節がきかなくても音楽を聴ける音量に収まる。スピーカーにはネットワークやバッフルがないので位相は乱れず音もこもらない(紙のバッフルの低域は空振りしている)ことと相まって、しかもA級増幅で歪率は21世紀のアンプが逆立ちしても勝てない特性を誇っていたので究極の純度の再生となる。それは音場と音像が一体化してソリッドに豊潤に広がるという相反する再生音。操作はレコードに針を落としてからプリメインカプラーを切り放す。友人を呼んできては「この斉藤由貴を聴いてみ、歯のどこに虫歯があるかまでわかるだろ」と得意顔(だったらしい)。

それだけ音楽を聴くのに真剣に努力していた時代だったんだね。話が長くなったけど、それで古今集は耳に残っているわけ。

そこで2024年になってCDを買ってみた。録音については、記憶が頼りなのだが、N君の家でロクサンのアナログディスクプレーヤーでかけていたあの色彩豊かで美しい残響の再生音は21世紀のCDからは少し聞かれなくなったと思う。ただし、このCDは、SHM-CD仕様で信号音を忠実に刻んでいる仕様である。

「元気を出して」が流れてくると、Kちゃんの声とN君の部屋で鳴っていたことを思い出す。佳い声だな、朴訥とした野生味と楚々とした上品さが同居している。録音は10代最後の年ではないかと思うのだが、「ジャンヌダルクになれそう」を聞くと、これは確かに10代の薬師丸ひろ子なんだろうけど、この愉悦感はらしくない。そこがまた佳い(でも、ぼくは当時も今も角川映画で薬師丸ひろ子を見たことがない)。

このアルバムにも収録されている1983年の「探偵物語」では、古今集収録より若い時点なのにおとなびて聞えるのはこの楽曲の世界観を彼女なりにつくりあげたから。そして彼女が短調の楽曲に染められない人ということもわかる。短調の楽曲には、その音階が人を不自然な気分に落ち込ませる要素があるが、彼女が歌う短調にはそれがない。短調らしさを脱却できるのは、女優の表現力と天性の資質なのだと思う。探偵物語で2枚目のシングルにしてすでに世界観を確立。短調の楽曲はこのように歌うのよ、という見本のよう。「A LONG VACATION」、太田裕美の「さらばシベリア鉄道」と同じく「松本隆&大滝詠一」です。それにしてもこれが2枚目のシングルとは…。誰がこんな歌い方ができる?

「カーメルの画廊にて」は素敵な歌詞。カーメルとは確かシスコの近郊にある芸術家コミュニティだね。ぼくがこのまちを知ったのはNHKラジオ「英語会話」の特番「サンフランシスコ with ヴァレリー」だったかな。番組の出演者のヴァレリーが、No neon signs ...などと説明していたのを思い出した。歌詞は湯川れい子さん。これもアドレサンスの背伸びのようで共感する。

「月のオペラ」は歌うのは難しいだろう。一つの楽曲の中で意外なコード進行、部分的な移調転調で推移しながら典型的な大貫妙子ワールドなのだが、それを自分色に染めている。

アルバムの最後に置かれた「アドサンス(十代後期)」は、未来へのときめきにあふれている。「十代の最後のひとときは明日を映す万華鏡 甘やかな期待ね 恋に恋してる」と綴るのは阿木燿子さん。そんな詩をヨーロッパ調の旋律で歌えるなんて歌手冥利に尽きるね。

アルバムを通して、これもできる、あれもできるというヴァラエティの実験がなく、参集した職人たちが彼女の声質を活かしながら世界観を統一している。最後の楽曲が終わると、CDプレーヤの再生ボタンをまた押してしまったよ、ということになる。

改めて思ったのは ダウンロード音源や配信では、歌詞カードとか挿入された写真がないので、このアルバムの世界観を表面的にしか捉えないことがあるかもしれない。

「元気を出して」と、このアルバムは穏やかな1ページで始めたい日々の祈りのよう。今の時代には「おだやかな経営」とおだやかな20世紀の楽曲が必要なのである。

→ 薬師丸ひろ子「古今集」
→ 6枚組のセットが出ていた。こちらを買えばよかったかも。「薬師丸ひろ子 ピュア・スウィート
タグ:大滝詠一
posted by 平井 吉信 at 23:12| Comment(0) | 音楽

2024年07月13日

夜の静寂にピアノの弾き語り 言葉のまわりで感情を伝える人(谷山浩子さん)


めっちゃナントカという言葉、いたるところで聞くけれど、どうなんだろう? 伝えたくないから使うの? 言葉で伝えられないのなら言葉にしなくてもいいし、言葉で伝えたいなら自分の気持ちの内面に気付いて(それを言葉にする作業は大切)。メッチャとか絶品とか使わずに感じたままを言葉にしてみたらいいと思うよ。それで伝わればいいし、伝わらなくても気にしない。

言葉による表現の限界と可能性を感じながら、言葉の可能性をぽんと置いて、こんな感じでどう?と微笑むのが谷山浩子さんなんだろうな。

知人がかつて谷山浩子さんを個人で徳島に招いて(確か「101人コンサート」と名付けていたような)、チケット購入を頼まれて行った記憶がある。

「カントリーガール」を知っているぐらいだったぼくがコンサートに出かけてよかったと思ったので、それからレコードを買った。「眠れない夜のために」と題したアルバムで、浩子さんがピアノの弾き語りをしている。深夜に小さな音でこのレコードをかけると、目を閉じて天空の旅に出るよう。ピアノは宇宙空間のひび割れのように空間にきしみとなり、そのまわりを声が追いかけてまわる。きらびやかなピアノの音色から電子ピアノかなとも思ったけれど、ヤマハのグランドピアノをオンマイク(ピアノの響板、ハンマーにマイクを近づけての録音)で録ったものかな。右手のタッチを強めにして。

レコード盤の「眠れない夜のために」は内袋に星座が描かれている
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声を聞いただけでわかるし、詩を耳にしただけでもわかりそうな人はそうはいない。楚々とした夢想する少女が表層で色は白とすると、愉悦的諧謔的な下層がある(黒とする)。しかも白と黒は汽水域の淡水と海水のように混じり合うことはないので灰色にはならない。「カントリーガール」は白の楽曲としても、こんな曲をつくって歌う人は田舎にはいない。作者のなかにカントリーガールをホログラム化する強い憧れがあるから、楽曲と歌に生命力があるのではないか。

言葉の選び方の感性が散文的かつ具体的それでいて抽象の世界を描くというか、短歌や俳句のように前置き(状況の説明)があって披露されるものと違って、谷山浩子の楽曲の世界に入ってしまう。
たとえば「青い海」、「白い雲」、「悲しい気持ち」などと紋切り型の形容詞を付けず、雲と発したら、それがどんな雲がどのように浮かんでいるか情景が見えてきそうで。そこにある行動や事象から感情の動きを共有できる世界観。そこから感情を共有するというか。

斉藤由貴さんに提供した「MAY」「土曜日のタマネギ」が好き。斉藤由貴の初々しさと10代の尖った繊細な表現力、舌足らずとためらい、その裏返しとして強い思いが明滅する。佳い歌い方、佳い楽曲だなとため息が出る。

それを作詞者本人が歌うと、霞が掛った白いヴェールに漂う少女のような世界観が漂う。斉藤由貴の実在感も、谷山浩子の耽美感もどちらも好きとしかいいようがない。それにしても詩の世界の行動(潜在的心象)が人の心を実像化させてしまう。こんな詩を体感してしまうと、ここ10年ぐらいのヒット曲の歌い手(=作り手)は、作詞で首をかしげる箇所が多すぎるので(誰と誰かはいわないけれど)。

2つのMAYに違いがあるとすれば、ワンフレーズごとに感情移入で異なる感情の波をぶつける女優の斉藤由貴さんと、音楽としての伸ばす音、伸ばさない音という楽曲の構造を大切にしながら歌としての構成を組み立てる谷山浩子さん。表現することで楽曲を語らせるやり方と、楽曲の素のままの良さを歌を通して可能性を広げるやり方の違いがあるとしても、どちらもすばらしいことに変わりはない。

表現の可能性と楽曲(の精神)を忠実に再現することを高度にやってのけた歌手を一人だけ挙げるとしたら、ちあきなおみさんだろうな。「矢切の渡し」がその典型。彼女の天才性はモノマネで代替できるものではないよ。

斉藤由貴さんに提供した「MAY」「土曜日のタマネギ」に「カントリーガール」のピアノ弾き語り版、初期の「猫の森には帰れない」(こんな歌の世界がほんとうにあるなら世の中はどんなに潤いのあるものになるだろうに)、「お早うございますの帽子屋さん」、「すずかけ通り三丁目」(ジョージ・ウィンストンの「December」の透徹した叙情のような)などが含まれている1987年発売のベスト「谷山浩子bestア・ラ・カルト」をまずは聴いてみてはいかがでしょうか?
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(もしかしたら入手が難しいかもしれない。その場合は代替できるベストがない気がする)

音づくりから耳に入る80年代の「シティポップス」と違って海外の人に入っていくには時間がかかるかもしれないけれど、日本人ならではのやわらかで繊細でそれでいて芯がぶれない世界観はいずれ理解されるような気がする。

でもね、売れる売れないって重要でしょうか? 世の中のヒット曲ってほとんどがつまらないと思っている。なくても生きていけるし、「なぜこんな楽曲が売れるの?」と思うことがほとんど。例を挙げると数百挙げられそうだから挙げないし、ぼくが佳いなと思った楽曲は売れていないことが多いけど。

このブログもここまで1814のコンテンツを自分なりに積み上げているけれど、アクセス数は伸びないし、それを目標とはしていない。だからSNSもやらない。売れれば正義、当選すれば正義、大勢が支持すれば正義、論破すれば正義、嘘を重ねてシラを切れば悪でなくなる…そんな世の中だから、谷山浩子さんを聴きたくなりませんか? ほんとうにやりたいことを、心のままにやり続けることはヒット曲以上に価値あること、精神の高みの愉しみそのものでしょう。

オリジナルアルバムを1枚も持っていないコアでないファンだけど、感謝の気持ちを伝えたくて。
谷山浩子さん、無理をなさらず、けれど、ご活躍をお祈りします。


posted by 平井 吉信 at 14:35| Comment(0) | 音楽

2024年07月06日

真夜中のSACDプレーヤー 静寂を満たす3枚のCDから


人も寝静まった1時過ぎ。 静かに音楽に浸れる時間がやってきた。もちろんごく小音量である。

まず、谷島明世さんの民謡のCD「いいあんばい〜明世の唄つむぎ」から。主に茨城県の民謡を歌っている。大衆芸能としての民謡というよりは宇宙空間にぽつんと置かれて流れてきた音楽のようで心が洗われる。録音当時は20代前半ぐらいかな。

彼女を知ったのは、伍代夏子さんがパーソナリティの番組に生出演して生で歌声(ワンフレーズだったけど)を聴いたとき。暑い夏こそこんな音楽を聴きたい。録音も極上で、鮮度の高い音が自然体でそのまま閉じ込められており、真夜中のCDプレーヤーはそれをほぐしながら空間にひたひたと
波紋を拡げていく。特に好きなのは「篠山木挽き唄」、「磯節」「君田の炭焼き唄」など。尺八だけの伴奏でうたわれると民謡(芸能)というよりは心の声といった趣がある。


次にソプラノの有山麻衣子さんのCD「有山麻衣子 幻のコンサート」をかける。日本の唱歌、オペラのアリア、フォーレのレクイエムからの抜粋などを収録する。声とピアノ伴奏だけの組み合わせ。唱歌では「十五夜お月さん」「七つの子」は叙情的。一見ソプラノに向かないと思える「鯉のぼり」がよくて、作為的でない自然な強弱で自然に流れていくと、楽曲の良さに心を打ち抜かれる思い。「さくら」は声の声域との適合もあって楚々として散っていく。
洋物では、フォーレのレクイエムからPie Jesuを採り上げている(普段はコルボのCDでレクイエムを通して聴いている)。もし近しい人を亡くされた方がいれば、繊細で壊れそうな2分56秒の楽曲の静寂に浸ってみてはと声をおかけする。
最後は、オーヴェルニュの歌から「羊飼いの歌」(バイレロ)。フランスの高原地方の民謡を素材とした純朴な歌曲集(歌手はダウラツ。レコードで持っている)で、これを聴いた20代の頃、信州に行きたくなって野辺山高原や飯盛山を散策したことを思い出した。オーディオファンにはおなじみの高音質録音で部屋のエアコンを付けた環境ではこの良さはわからない。深夜に小音量で聴くべき音楽。

3枚目は小松玲子さん(音楽には関係ないがぼくの幼稚園の先生と同姓同名)のサヌカイト演奏のCD。この日は手持ちの3枚から「ボイス オブ サヌカイト」を選んだ。
世界でも珍しい香川県に産するサヌカイト石を旋律を持つ打楽器に仕立てたもので、音の純度は極めて高く、スピーカーの存在が消えて部屋の中にサヌカイトで音楽が満たされていく。調律は不可能な楽器なので平均律で調整されていると思われるが、ひたひたと音が階段を駆け上がる刹那に、わずかなうなり(不協和音成分)が重なって、それが主旋律を美しくぼかしながらも浮かび上がる趣はなにものにも代えがたい(1曲目の「Misty Blue」だけでも聴いてみて)。

音楽を聴き始めたときは必ずしも平穏が心境ではなかったが、終わる頃には過去を照らす光が未来の自分を見つめるような心境となった。静寂のなかから立ちこめる無限のエネルギーといおうか。

追記
マランツSACD 30nをお使いの方への参考情報(設定による音質の違い)

ネットワークプレーヤーとSACD/CDプレーヤーが一体となった本機は音質が良いのはどなたも知るとおり。設定でさらに音質が変わる(ACコンセントの極性は合っていることが前提。RCAラインケーブルはソニーの数百円のものでも音が素直で十分)。

言語モードの設定…言語を日本語と英語に切り替えられるが、日本語モードより英語モードの方が音の立ち上がり感が速く、音の輪郭が明瞭。日本語モードでは音の角が丸まる。

デジタルフィルター…フィルター1が圧倒的に高音質。フィルター2では、平板な印象になって、本機の強みが活かされない。声が楽器が浮かびかがるモード1に対して、モード2では一体化してしまう。

ライティング(ディスプレイ照明)…意外に差が大きい。明らかに Offが良い。明るさの違いによる音質差は感じないが、オンオフ差は大きい。オフは伸びやかで、目の前が開けて彫りが深くなる。

ネットワーク/USB再生…もっとも大きな差となるのは、SACD/CDを聴くときにネットワークをオフにしておくこと。

可変オーディオ出力…オフにするのが基本。

多機能でありながら各回路をアイソレートしている本機でも設定で回路を閉じられるならオフにしたほうが良い設定が多い。これは深夜にスピーカーの前50センチで聴いているからかもしれないが、音の差はかなり大きい。けれど昼間にエアコンをかけて大きな音量で再生していると違いは気付かないかもしれなず、再生環境によるところが大きい。

タグ:SACD
posted by 平井 吉信 at 12:06| Comment(0) | 音楽

2024年06月29日

真夜中のCD再生


CDプレーヤーが到着した日、実際に開封するのは深夜になった。意外と重くてどっしりしている。このような機器は通電して音が目覚めるのが時間がかかる。駆動メカやコンデンサのエージングを考えると1〜2か月後ぐらいから本領を発揮するだろうと思っていた。

まずは通電して各部の動作チェック、入力ごとの再生や初期設定などで1時間。ようやくCDが聴けるようになったのが日付が変わる頃。スピーカーの前数十センチに座る。スピーカーは壁から1メートル程度離して設置しており、しかもどの壁面とも並行(or垂直)になっていない。

スピーカーの間隔は1メートルを切っているのは小音量再生が多いため。真夜中は静けさがあって背景音に邪魔されず音楽に集中できる。社会活動が停止されるので供給される電源も汚れていない。もともとごく小音量再生なので家庭内にも近隣にも迷惑はかからない。

最初にかけたのは田部京子と小林研一郎のモーツァルトのピアノ協奏曲K488。深夜の極小音量再生にもかかわらず、空気に溶け込むような低域の音場が床を這うように漂う。最初の音出しで打ちのめされた(普通はこんなもんかという鳴り方しかしないのがオーディオ装置の初日)。

でも瞬時に逆相感ありと判断。CDプレーヤーの電源を落としてACコンセントを逆に差し込んでみる。思ったとおり中央の音像がくっきりと浮かび上がり逆相感は消えた。ぼくは初対面のオーディオ装置でのコンセントの極性合わせはA/Bテストをしなくてもわかる。極性が合っていないときの鳴り方には独特の刺激感、逆相感があるから。

極性が合い、通電して2時間が経過したことで、再生音はさらに繊細かつ豊潤となった。田部京子はSACDと表示された。ハイブリッドディスク(SACDとCD層が多層的にプレスされたもの)だったのでこれが初のSACD体験となった。
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それは、夢見心地。目の前の空間のどこかで、音の波がぽつんと空間に飛び出して波紋を広げ、その波紋が重なり合いながら漂っている様子がわかる。ピアニシモでオーケストラ全体の漂う音場が低く出現するのはSACDの特徴かもしれず、再生音の耽美的までの美しさをあえて言葉にして表現しようと試みる。

これはSP再生など現実的な音像と対照的な世界だけれど、一方で客席で聴いているような臨場感はなまなましい。装置が消えて空気が震える体感。ネコがいなくなって笑いが漂っているような不思議の国のアリスになった気分。コルボ指揮のフォーレのレクイエムを再生していて停止ボタンが押せなくなった。

CDを聴いてみると、いつものオーディオ装置を聴いている気分。いわゆるハイファイだけれど装置の存在を感じる。
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さらにUSBメモリ、SSDからの再生を行ってみると、ヴェールのないCDの再生と比べると、付帯音が感じられてさらにハイファイ調となるけれど、微細な陰影は感じにくい。やはり巷で言われるように、ネットワーク再生はディスク再生を越えられないというのがわかった。しかもその差は大きい(これは理屈ではわかっていても体感しないとわからない)。最後のディスクプレーヤーとしてCDを再生する日々が始まった。
タグ:SACD
posted by 平井 吉信 at 22:17| Comment(0) | 音楽

2024年06月27日

音楽を聴くホモ・サピエンス、言葉より前から存在したものを再生し続けるために


音楽を聴くってどんな感じだろう? 考えたことはなくても感じることはできる。ここでの音楽はレコードやCD、カセットテープ、音声データなどの再生音源のことで生の音楽ではない。生の音楽は聴きたいときに聴きたい場所で聴きたいように聴けないから。

音楽を再生する。耳に入ってくる。耳を通して入った音が身体に入り込んでいく。どこが心かどこが肉体かの区別はないように感じる。ただ音の振動が波のように波紋を拡げたり共鳴したり。

共鳴? それは何と? わからない。
細胞といえばしっくりくる。細胞が音の響きに共鳴して動く、振動する、波のように伝播する感じ。

それを感じるためには、澄んだ音でなければならない。歪みの少なさ、雑音の少なさ、大きな音から小さな音まで連続して推移する。どんな再生装置でもよいわけではない。

いまぼくがデスクトップで使っているデスクトップPC+asio4ドライバ+JRiver Media Center+タイムドメインlight(チューンアップ仕様)では、空間に放たれた音の粒子や音の波が見える/聞える気がする。元の音源は、パイオニアのBlu-rayライターBXR-X13J-XでCDからリッピングしたもの。これとは別にプリメインアンプ、CDプレーヤー、アナログプレーヤー、カセットデッキ(ウォークマンプロ)、スピーカー3組(クリプトンKX-1、JVC SX-V1、パイオニアピュアモルトSP)がある。

例えていえば、これらの装置で再生すると、音の塊が身体に入り込むと飛散して身体のなかで再び元に戻る、というか輪郭が再形成される。

言葉で表せないことを文字にする意志は大切と思う。道元の正法眼蔵を理解できているわけではないけれど、只管打坐(ひたすら座る)という言葉で表せない何かを、文字で著わそうと(二次元に顕そうと)している様子は感じられる。

音の連なりや早さ、強さ、抑揚の変化も同じだろう。ホモ・サピエンスやネアンデルタール人、デニソワ人が感じる意識を持って奏でる(発する)妙なる音のつながりは言葉より先にあったもの。もしかしたら後期のホモ・エレクトゥスだって空気の震えを意識して発していたかもしれない。

ぼくの手持ちのなかではCDが多い。音質と利便性と保存性からみれば、CDが最良のメディアであると思う。遮光や湿度に気を付けて保管する限り、読み取りは永遠に可能だ。

でも、ここ1年ぐらいのオーディオの動きを見ていると、CDプレーヤーが発売されなくなる時代が近づいているように思える。需要はまだありそうだが、個々の部品を供給するメーカーがいつまであるのか。オーディオに適した電源トランス、電解コンデンサー、増幅の素子やデバイス、回路設計、CDを回転させる駆動系(トランスポーター)、デジタルからアナログへと変換するD/Aコンバーター、小音量まで特性の落ちないアッテネッター(接点切り替えや電子制御の可変式)、リレーやセレクター、デジタル輻射ノイズを軽減する技術。これらの部品は日本で世界でつくることができるメーカーは限られている。そしてこれらのパーツや回路を最終的な音づくりにまとめあげるノウハウなど、オーディオ装置は10年後に存在するといえるのか?

オーディオに限らず、農業や漁業、パンクを修理するまちの自転車店、包丁を研いでくれる刃物屋、小回りの利く職人の技などこれらを提供している人たちを直撃しているのがインボイス制度。社会の崩壊が目に見えているのに、未だに国会議員の不正すら正せず。

いまぼくにできる数少ないこととして、20年を経たCDプレーヤーをそのままに、1台追加しようと考えた。空間に放たれた音楽が、心と身体を区別することなく内部に沁みてきて震える感覚を少しでも長く味わいたくて。

その機種は、繊細に音をほぐしながらも、それと矛盾する芳醇で有機的な響きを持ち、実在感のある音像を結びながら、同時に空間に美しい波を伝播させることができる。それは、音波が粒子でもあり波でもあることの証しのように。

その機種も7月1日から3割の価格改定されるという。次々と装置を買い替えるオーディオマニアもいるだろうけど、ぼくにとっては20年ぶりのこと。リッピング用のドライブ(BXR-X13J-X)は確保済。CDプレーヤも複数確保しておきたい。音楽は生きるうえでなくてはならない呼吸のようなものだから。

posted by 平井 吉信 at 01:13| Comment(0) | 音楽

2024年06月12日

松田聖子「レモネードの夏」を5種類の音源で聞き比べる


前回に引き続いて名作「Pineapple」のなかから「レモネードの夏」を3種類のCDと2種類のリッピング機器で比較する。それらの音源は以下のとおり。

@「Touch Me,Seiko」(32DH792)1984年CD(BDR-XD05Rリッピング)
(同アルバムのアナログマスターサウンド盤もあるが、今回はCD比較のため除外)

A「Touch Me,Seiko」(32DH792)1984年発売CD(BXR-X13J-Xリッピング)

B「Pineapple」(CD選書)(BXR-X13J-Xリッピング)

C「Pineapple」(Blu-spec CD2)(BDR-XD05Rリッピング)

D「Pineapple(Blu-spec CD2)(BXR-X13J-Xリッピング)

BDR-XD05R…2014年3月発売のパイオニア製外付ポータブル型BD/CD/DVDライター
BXR-X13J-X…2023年11月発売のパイオニア製外付BDドライブ(最新型)

Touch Me,Seiko」は「マドラスチェックの恋人」(ほかのアルバムには収録されていない)が聴きたくて買ったのだが、シングルのB面集とは思えない佳曲揃い。商品番号32DH〜はソニーの最初期のCDの品番なのにいまも新品が手に入る(Blu-spec CD2化される前に買っておいたほうが良いと思うよ)。そのなかに「レモネードの夏」も入っていたので比較してみることにしたもの。それぞれにリッピングの音質の違いは以下のとおり。

@…古いCDだが、CD発売当初のもの。自然な再生だが、Aと比べると鮮度感が落ちる。ただし声の自然な感じがあって音楽には浸れる。リッピングに使用したポータブル型ゆえの制約と長所(電源ノイズが少ない?)が再生音に反映されている。

A…@と同じ音源をリッピング装置を変えたもの。抜け感、音の立ち上がりが良く鮮度が高いが、自然な再生。声は@よりやや若い感じでが背景から浮かび上がるが、背景の楽器もよく聞こえる。バックが声を盛り立てている感じが伝わる。

B…音量はもっとも小さい。低域の力感は少ない。ただし声の表情、微妙なニュアンスは小音量でもよく伝わる。音量を揃えるとさらに良い印象になると思われる。

C…音量がいきなり上がる。体感的には3dbは上がったかと思われ、うるさささえ覚える。声が間近に聞こえるが、バックは抜け感が後退する。声はもっとも太く再生されて聖子の魅力が伝わりにくい。

D…Cに比べて抜け感が俄然向上する。リッピングによってここまで違うのかと思わせてヴェールがとれた感じ。それでいて音の角が丸まらず、かつうるさくならず弾むので愉しく聴ける。相変わらず声は前面に出てくるが、奥行き感は出にくい。高い音圧ゆえのデメリットか。

結果は、それぞれ特徴があって好みにも左右されるだろうが、Instagram映えで代表されるようなぱっと見(ぱっと聴き)はBlu-spec CD2盤からのリッピングだが、音楽を聞きこんだ人、楽器を演奏する人、良質のオーディオ装置を持っている人なら拒否反応を示すかもしれない。Blu-spec CD2という優れたCDプレスの技術を採用しながら、音圧至上主義のマスタリングが足を引っ張って音楽に浸れない。言葉を選ばなければうるさいだけに聞こえてしまう。ソニーさん、マスターテープが劣化しないうちに、良いマスタリングを施して再発できないものだろうか? プレス技術としてのBlu-spec CD2は優れた仕様だと思うので。

意外にももっとも良かったのが初期CD盤で最新BDドライブからのリッピング。盤は二十年以上を経過しているが、光とホコリを遮って保管しているので信号面の拾い出し、実際の再生音に劣化は感じられない。初期CDにはデジタルに不慣れでマスタリングに難があるCDもあるといわれるが、本CD(32DH792)の帯を見ると、税抜2,920円、税込3,008円(消費税3%)と書かれている。消費税は10%まで上がったが、経団連は20%まで上げるよう提言しているという。余談だが、経団連の製品を個人的に不買運動を続けている。盤面に小さく記されたIFPI-L277という記載からCDのプレスは、ソニー・ミュージックエンタテインメント静岡工場でなされたものと推察。

CD選書からのリッピングは、やはり良好な結果。余裕のある鳴り方で声とバックの楽器の関係性はもっともよくわかる。声がもっとも楚々としているので小悪魔的な声の表情はもっとも伝わるかもしれない。IFPI-L274でこちらもソニー静岡工場でのプレス。CD選書のCDをお持ちの方は、通常とは逆向きの収納(信号面が上を向くように)にしないと、裏が透明のケースゆえ、光が当たって信号面が劣化するのでご注意を。

タグ:松田聖子
posted by 平井 吉信 at 00:18| Comment(0) | 音楽

2024年06月10日

松田聖子「ユートピア」の音源を聞き比べる―通常とハイレゾの違い、それよりもマスタリングの違いが大きい―


松田聖子ファンならきっと気になっていること。それは音源による音質の差だろう。そこで、松田聖子の名盤と呼ばれるアルバムから「ユートピア」(1983年オリジナル)を聞き比べる。なお、この作品からPCMレコーダーが使用されたデジタルレコーディングとなった。ぼくの手元にはアナログの初出盤(それもマスターサウンド盤)がある。前作のパイナップルとは明らかに音の鮮度が上がったなと思わせた。しかしDRを使いこなせていないかマスタリングのせいか、アナログレコードで聴いたときもハイ上がりに聞こえていた。

正確な聞き比べではないが、この楽曲をダウンロード音源のWebサイトを使って聞き比べる。まずは同一配信元の通常とハイレゾから。次に異なる配信元同士の同じ仕様での比較など(ただし視聴用の音源が販売用データと同一とは限らず、特にハイレゾは異なるのではと推察)。

CDが初めて発売されたのは、CBSソニーなど3社で1982年10月1日のことであった。ぼくはソニーのCDプレーヤー初号機CDP-101(当時168,000円)を業界筋から借り受けて視聴した記憶がある。そのときの印象は透明感があるが音が固いな(ほぐれないな)というものだった。それでも低域の抜けの良さには驚いた。

松田聖子はソニーのドル箱であったので作家陣や音づくりも力が入っていて、録音技術も力を入れていたのだろう。後年にオーディオ雑誌が独自にSA-CDを限定販売したことがあったが、このときの音質が松田聖子のアルバム史上で最高の音質という評価は不変である(ぼくも1枚だけ持っている。パイナップルやユートピアが欲しかったのだが、気付いたときはすでに売り切れであった)。

自分で聞き比べる人のために以下に配信サイトを3つ掲げる。

●mora 
(通常/AAC-LC 320kbp)https://mora.jp/package/43000087/MHCL20154B00Z/?trackMaterialNo=1789579
(ハイレゾ/flac96.0kHz/24bit)https://mora.jp/package/43000100/MHXX01284B00Z_96/?trackMaterialNo=3771094

●OTOTOY
(通常/16bit/44.1kHz)https://ototoy.jp/_/default/p/906575
(ハイレゾ/flac 24bit/96kHz)https://ototoy.jp/_/default/p/823592

●e-onkyo
(ハイレゾ/flac 96kHz/24bit)https://www.e-onkyo.com/music/album/smj4582290407579/

通常仕様では、2曲目の「マイアミ午前5時」がわかりやすい。通常音源では、声が太く圧迫された感じを受ける(聴いていて苦しくなるほど)。これは音圧を上げて圧縮して迫力ある聴かせ方をしているのだろう。電車などでヘッドフォンで聴く人はこれでよいが、音楽に浸りたい人はきついだろうな。

ぼくの再生環境は、デスクトップパソコン+再生プレーヤーJRiver Media Center+アクティブスピーカーのタイムドメインライト(チューンアップ仕様)、聴取距離50センチで微少な差がわかりやすい。CDからのリッピングは、パイオニアBXR-X13J-XからEACで抽出している。その際にエプソンのデスクトップPC(Windows10)では一切の作業やソフトを立ち上げずCPUをリッピングに集中させている(背後で動いているソフトまでは停めていないが)。

先の通常版の音は、パッケージでは音圧が高いといわれるBlu-spec CD2として販売されているシリーズではないかと推察する。それに対してアナログのマスターサウンド盤が基準として、これにもっとも近い音は意外にもCD選書と銘打って廉価版の簡易パッケージで販売されているCDである。「マイアミ午前5時」はのびやかで高域は清涼感、低域は量感は少ないもののよく弾み、アルバムのコンセプトにふさわしい。

これに対し、手元にある「SEIKO MEMORIES ~Masaaki Omura Works~」(Blu-spec CD2、2018年デジタルマスタリング仕様)で「セイシェルの夕陽」を聴くと、もともと収録音量の小さなこの楽曲では、音圧が高いマスタリングが極端には災いせず、細部がむしろ聞き取りやすいが、意外にダイナミックレンジの広いこの楽曲ではやはり圧縮感のある(ピアニシモのない)再生で音楽に浸れない印象。

このあとでCD選書からのリッピング音源を聴くと、音楽を聴いたなという充実感がある。それは音量の大きなところから小さなところやその遷移が心の動きと一致しているから。それを改変しているBlu-spec CD2でのマスタリングはオリジナルの良さを伝えていない。

配信では、通常より圧倒的にハイレゾが良いが、これは方式の違いというよりは元のマスターが違うのが大きいのではないか(ハイレゾでは音圧を極端に上げていないように聞こえる)。Blu-spec CD2はCDプレスとしては秀れた技術だが、それとは無関係の音源のマスタリングには再考の余地があるように思う。

結論として、アナログのマスターサウンド盤(32AH1610)とステレオサウンド社の限定SA-CD(SSMS-005)が最良だが、入手困難(プレミアム価格の中古のみ)なので、ソニーから新たなマスタリングで再発売(例えばハイブリッドSA-CDなど)されない限り、パッケージとしてはCD選書(CSCL-1271)が最良ということになる。

区別がつきにくいのでAmazonでのCD選書のリンクはこちら

CD選書の視聴はソニーWebサイトから
https://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&cd=CSCL000001271
タグ:松田聖子
posted by 平井 吉信 at 23:58| Comment(0) | 音楽

2024年06月09日

8センチのシングルCD、おぼえていますか? その名曲は21世紀にこそ聴いて欲しい


レコードでは、シングル(17センチ)、LP(30センチ)が存在する。レコードではさらに12インチシングル=30センチ45回転仕様があって回転が速いので音質が良い。CDには一般的な12センチ(アルバムもシングルもある)のほかにシングル(8センチ)があっていまも生産されている。CDのシングルはその後、アルバム(12センチ)サイズになった。店頭の万引き対策や店側の陳列しやすさもあるが、量産されている12センチはコスト面でも有利なのではないか。
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数年前からCDは売れなくなったとされ、ダウンロードやデータ配信が主流となっているというが、ぼくはあらゆる点でパッケージメディア(レコード盤やCD、カセットなどの物理規格)が好き。ジャケットや歌詞カードといった副産物もさることながら、手元にあると安心できる。配信などはマーケティングや配信元の意向でリストから消えてしまう可能性が高いこと、データの保管をきちんとやらないとデータが消滅・紛失するリスクがある。

それに圧縮音源の配信やダウンロードと比べて非圧縮のパッケージは音質が良い。再生装置によっても変わってくるが、レコードもCDも優劣なく、どちらも配信やネットワークよりは音質が良い。特に扱いが簡単でパッケージ性もあり、データ化(リッピング)も容易なCDは良さが見直されるはずである。
CDは44.1Kのサンプリングなのでヒトの可聴帯域の20Kを少し越えてはいるが、量子化しないアナログディスクはさらに高域が伸びていて有利などといわれる。確かに最高のアナログレコードプレーヤーで再生すると、アナログ盤はCDを上回る再生が可能なことは知られているが、そのためには費用と調整技術を要するので誰でもというわけにはいかない。

でも録音する際のマイクロフォンは可聴帯域をはるかに越えて収録することができるだろうか? それに中高年なら耳の高域限界が落ちているので一概にアナログがCDより音質が良いとは言い切れない。なにはともあれ、扱いやすさ、持ち運び、音質と3拍子揃ったメディアはCDであり、みなさんも配信ではなく物理メディアで購入することをお勧めする。おそらくは応援する演奏者の実入りも増えるはず。

CDの扱いで気を付けるのは保管時に光を遮ること。湿気も良くないが、まずは光を当てないこと。理想は、暗闇で空調の行き届いた場所。


前置きが長くなった。8センチCDはいまとなっては12センチシングルに押されて少数派となってしまったが、縦長だが、折りたたんで正方形に小さくすることもできる。
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留意すべきはディスクを挿入するタイプ(オートローダー)のCDプレーヤーにはかからない可能性が高いこと。再生できるのは引き出し型のトレイの中央に8センチの溝があること、もしくは上から蓋を開けてディスクを入れるタイプ(ラジカセやハイエンドCDトランスポートに多い)。
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8センチCDにはいまとなっては入手が困難な音源が多く、それらはダウンロードや配信もなされていないことが多い。小さな円盤は精緻な感じがする。手持ちの8センチから何枚か紹介しよう。

●「サラダ・クラシック」オニオンは、タイスの瞑想曲や亜麻色の髪の乙女を、前橋汀子さんが憑依したような鬼気迫る演奏を行っている。ヴァイオリンの美音を追求するのではなく魂の抑揚を込めた演奏との印象。こんなのが8センチで売られていたのが奇跡的。音圧が低い(圧縮していない)のが幸いして自然な再生音でダイナミックレンジも広い。CDをプレスする工場としては、当時からソニー、JVCは自社工場があってプレス技術が高く音質が良いと言われてきた。今日でもソニー、JVC,メモリーテックの3社がそれぞれが切磋琢磨しながらCDのプレスを行っているらしい。技術の灯を消さないためにももっとCDを買おう。いまやCDを買うのは日本人ぐらいといわれるが、日本人であろうとなかろうと優れたフォーマットであるCDを盛り立てよう。

●「幸せな結末」(大滝詠一)は、アルバム「EACH TIME」以後の数少ない音源で、20世紀最後の年の流行のドラマの主題歌となったので説明不要だろう(ぼくはドラマを見ていない)。郷愁を込めた楽曲が90年代の終わりにもあった。録音、マスタリングともポップスを愉しむに極上で楽曲や声の良さの相乗効果で心地よさに酔いしれる。音楽で極めた幸福感といえば当たっている?

●「花〜すべての人の心に花を〜」(喜納昌吉)は、20世紀が生んだ名曲のひとつ。多くの歌手でカバーされたが、本家の歌に込められた魂を揺さぶられる歌唱はまねできるものではない深みがある。光が降り注いで細胞がひらいていくような。もし、この歌をネアンデルタール人やホモ・サピエンスの縄文人に聴かせて反応を見てみたい。瞬時に何かが伝わるのではないか。

●「豊かな時のなかへ」(しらいみちよ)は、太古の森の木霊のような編曲の美しさに乗って「ようこそ豊かな時のなかへ」と凜とした声が大地の風となって降り注ぐ。こんな佳曲がいまでは再発もされず配信もなく、という事態に残念。カップリングの「二十三夜」も屋久島の水滴がこぼれたような詩的かつ純度が高い楽曲。しらいさんの声は作為や表現を感じさせず、ただヒトと自然が一体となって流れるのみ。

●「春告げ鳥」(山崎ともみ」は、岩手県出資の演歌歌手の山崎さんの実話に基づいた楽曲。硬質でありながら凜と張り詰めたひたむきな質感がすばらしく、歌詞の感動的な世界観をこれ以上深く掘り下げて歌える人はいないのではと思える。みずみずしくもひたむきな時分の花が咲いた名曲。歌の世界については以下でも触れている。いまはパッケージも配信も入手できず。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/89683284.html

●「愛して愛して愛しちゃったのよ」(原由子&稲村オーケストラ)は、昭和の名曲。原さんの声で聴くとオリジナル(ややコミカルな感じがある)と比べて切なさで優り、誰かを好きになったときに心の深いところに不覚にも入り込んだ。編曲もスチールギターの郷愁たっぷりで、後半は独自の旋律と編曲で舞い上がっていく。サザンの名曲「真夏の果実」と表裏一体の楽曲。

●「ちゅらぢゅら」(りんけんバンド)は、色彩豊かな楽器による前奏に乗って島唄のうたしゃのような上原知子さんの声が印象的(個性がきらぼしのごとく)。琉球音階に載せて伝統楽器とドラムスなどが融合、さらに世の平安をうちなーぐちで願う祈りの詩でもある。世界中のどの音楽にも似ていないのに、心がふくれあがるような。大陸風の落ち着いた演奏も恰幅よく歌の世界を拡げていく。うちなーでなければ、こんな音楽は生まれなかっただろうな。衣装もいいな。

●「太陽に出逢う風」(高橋リナ)は、日本の若者が夢と冒険心を持って「地球の歩き方」のバックパッカーになって世界に飛びだった時代の音楽。不安と期待を持って訪れた異国のまちで出逢った人々や景色はおだやかだった。そんなときの耳元をくすぐる風を歌にしたらこうなるんだろうな。リナさんの歌は、日本語の美しさを全編にたたえながら「踊りながらはしゃぎながら」などの箇所では声色がわずかに上ずる表現の素敵さ。表現と声の美感を高い次元で両立させた普遍性で、楽曲の佳さもあってこれも名曲だよね。旅に出たいけれど、あの頃の日本には戻れない。この音源もパッケージも配信もいまでは入手することができない。

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追記
車やデスクトップで聴くことも多いので、自分が購入したCDからリッピングすることが多い。その際に役に立つ(必要)ものが、PCに接続する外付けの光学ドライブである。この春に購入した装置(パイオニアBXR-X13J-X)は、音質がとても良い。そのため過去にリッピングした音源も再度やり直している。過去に読み込めなかったメディアからもデータを抽出できる。2023年に販売されたが、リッピング用の決定版といっても良いだろう。実績と優れた設計思想に裏打ちされたこの機種をパイオニアがいつまで生産してくれるかわからないので2台確保しておきたいぐらいだ。
https://jpn.pioneer/ja/pcperipherals/bdd/products/bdr-x13j-x/
(こういう機械はAmazonで買わずに、メーカー直販がもっとも安心できる)

従来は同じパイオニアのポータブル型の光ドライブだったが、同じメディアからEAC経由で抽出してみると、以下の違いがある。
・SN比が向上し音量がやや高くなる。
・声が引き締まって小さな範囲から聞こえる。
・背景と声が明瞭に分離して声が浮かび上がる。
・各楽器、特に低音楽器の音程や刻みがよく聞こえる。音楽の土台が安定すると聴いていて安心感がある。
・新旧2つのデータをブラインドで比較する際に、比較しなくても最初に聴いたものがどちらか当てることができる。これはACコンセントの極性による逆相感が両方比較せず片方だけで判別できるのと似ている。
・音楽が平板にならず抑揚が豊かでリズムが弾むので聴いていて愉しい。
・全体の印象は作り上げた印象ではなく、自然体。
 金額は約5万円と高価だが、現時点で入手できるリッピング機器としては、パイオニア独自のCDを読み取るエラー訂正技術(アルゴリズム)のみならず、インシュレーター、回転系などの防振や筐体の剛性化、メカ精度の向上などハード系の物量投入と改善が施されている(パイオニアはまじめな技術者集団である)。そのため手元のCDプレーヤーで読み取りができないメディアでもトランスポート機能としてデータを抽出することも可能となる。

タグ:大滝詠一
posted by 平井 吉信 at 01:37| Comment(0) | 音楽

2024年05月27日

一日のおわり、夕暮れの田園を歩けば 


妹宅を訪問しようと車を停めたら、夕暮れが近づいている里の気配に惹かれた。
そのまま家へ入らず、カメラを1台持って田園と河畔を散策することにした。

ベートーヴェンの田園は交響曲のなかでももっとも美しい叙情詩。ベートーヴェンにしては珍しく標題が付いている。「田園交響曲、あるいは田舎の生活の思い出。絵画描写というより感情の表出」と楽譜に付されている。

田園から受ける心象風景と作者は語っているが、せせらぎ、そよ風に揺れる若葉、カッコウをはじめとする野鳥のさえずりなど、自然がこだまする交響曲である。

十代の頃からベートーヴェンに私淑していたぼくは、「楽聖」の衣を除いた人間ベートーヴェンに迫ろうと、毎日のようにベートーヴェンの作品を聞きこみ、ときに総譜、ときに指揮棒を振りながら自分の内面に再創造するように再現していった。史実を忠実に集めたとされるセイヤーの「ベートーヴェンの生涯」(上下)は読破するだけでも数か月を要した大作であった。

こうしてベートーヴェンに没頭するあまり、どこまでが作曲者でどこまでが自分なのかの境界が見えなくなる。レコードやCDを聴いて、これは違う!自分ならこうする、という基準を持って聴いていたのだと思う。それは決して画一的なモノサシではなく、そうか、そういうやりかた(解釈)もあるな、と感心することも多かった。生涯にわたって友となるベートーヴェンとの付き合いはいまも続いている。

せっかくだから、田園のレコード(CD)を何枚か挙げておこう(ぼくの手元にはおそらく30種類くらいの演奏がある)。

忘れられないのが、1977年に来日したベーム/ウィーンフィルのNHKライブの音源(これは1000円台では買えないが)。音楽の深みで別世界に連れて行かれるので、これを聴くのは数年に1回ぐらいにしている。ワルター/ウィーンフィルの戦前の音源(これは意外に音が良く観賞用として愉しめる)などもあるが、どこでも誰でも入手しやすく楽曲を気軽に愉しめる1000円前半のCDに限定してみよう。

オトマール・スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレの1980年盤はデンオンPCM録音で、漂うな音場感と豊かな低弦の響きが魅力的。スイトナーの指揮は職人的で楽曲に浸れる。
https://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%EF%BC%881770-1827%EF%BC%89_000000000034571/item_%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC6%E7%95%AA%E3%80%8E%E7%94%B0%E5%9C%92%E3%80%8F%E3%80%81%E5%BA%8F%E6%9B%B2%E9%9B%86-%E3%82%AA%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%BC-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%AB%E3%83%9A%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3_7455796

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデンは、東ドイツ時代のシャルプラッテンレーベルの録音。同じく職人的な指揮だが、木綿の肌触りのスウィトナーに対してオーケストラのブレンド感があり、おだやかな演奏である。これら2枚はとびきりの名演というよりはいぶし銀の魅力で、何度聴いても聴き飽きない演奏といえる。
https://tower.jp/item/6187219/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%EF%BC%9A%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC6%E7%95%AA%E3%80%8C%E7%94%B0%E5%9C%92%E3%80%8D%EF%BC%9C%E9%99%90%E5%AE%9A%E7%94%9F%E7%94%A3%E7%9B%A4%EF%BC%9E

これらを聴いた後で、ベーム(NHKライブ1977年、グラモフォン1971年)や愉悦感ならピカイチのワルター(コロンビア響、ウィーンフィル)の歴史的な名演、フルトヴェングラーの深沈とした哲学的な田園、ジンマンやノリントン、ガーディナーなどのさわやか古楽器系、朝比奈などの日本人指揮者、ハンス・シュミット‐イッセルシュテットやピエール・モントゥーの職人芸、玄人好みのシューリヒトやチェリビダッケ、中庸のアバドやムーティーなどに進むと良いだろう。

田園の演奏は簡単ではない。技術があっても感じる心(ベートーヴェンが心からの歓びを感じて郊外の小川のほとりを散策していた感情の動き)がなければ凡庸。ドラマティックに聴かせよう、個性を表現しよう、細かな表情をつけようなどとすると二流の芸(音楽がそれだけ大きいので小手先の技が目立つ)に陥る。

指揮者は各楽器のバランスを立体的に描きながら、フレージングで心理を表現し、奏者が求める強弱、アクセントをも活かしながら自然に流していくと、指揮者に触発されてオーケストラが自発的に音楽を流していくような瞬間が訪れる。細部にまで血の通いながらも大河のように蕩蕩と流れる。

それは、数百年前の柱時計をすみずみまで分解し、油を差したり清掃をしたりしながら、当時の素朴な時計の雰囲気を現代の人々に共感してもらえるよう再構築する作業。とにかく田園は愉しい。

田園の河畔は夕暮れに包まれていく。まちの郊外にはこんな風景がどこにでもある。
21世紀の田園は、いにしえに思いをはせつつ、いまを生きる意識で再創造すること。少しの寂しさを感じながらあたたかい食事と家族の温もりを求めて家路を急ぐ心に響かせる交響曲。

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(フジX-T30+XF23mmF1.4 R)
posted by 平井 吉信 at 01:09| Comment(0) | 音楽

2024年05月19日

それぞれのプロジェクトX いまこそ語り掛けたい


21世紀初頭、NHKがまだ健全であった頃の人気番組はまだ記憶に新しい。国井雅比古、久保純子のおふたりがゲストと対談しつつ、回想していく番組が物語を紡いでいく。

それが「黒四ダム 断崖絶壁の難工事」の再放映を契機にパート2となった。当時の番組の各回では、事実と異なる描かれ方や、やらせ、現役を退いてから脚光を浴びる違和感などが指摘されていたが、描かれ方については「絵になる」を求める制作側のある程度の裁量もあるかと思う。ただし当事者やその周辺では違和感や傷ついた方もいらっしゃるかもしれない。けれども、他者に敬意を払いつつ、伝えようとしたメッセージを自分の糧とすればそれで十分。

この番組に欠かせないのは、エンディングに被せて淡々と語るナレーションと、それを鼓舞する音楽の力。中島みゆきの創作者、歌手の才能が遺憾なく発揮されたのが「ヘッドライト・テールライト」と思う。

実は、アナログ、CDを通じてみゆきさんのパッケージ音源は持っていないぼくが、唯一持っているのが、この番組のオープニングとエンディングを収めたシングルCD。
(本投稿後に2枚組ベストの「ここにいるよ」を購入。やっぱり佳いな)

作詞・作曲: 中島みゆき、編曲: 瀬尾一三
「地上の星」
「ヘッドライト・テールライト」
「地上の星」(TV MIX)
「ヘッドライト・テールライト」(TV MIX)


ぼくが紅白歌合戦を見た最後の年だったと思うが、凍てつく黒部ダム地下トンネルから生中継がされ、それも感銘を受けた。中島みゆきは希有の歌姫ということが改めてわかる。このとき歌詞を間違ったらしいが、試行錯誤から光明を見出したプロジェクトXの精神でもあり、それも含めてかけがえのない時間だった。

なお、TV MIXとはオリジナルカラオケのこと。この楽曲は、編曲が歌にぴったり寄り添っている。それがオリジナルカラオケを聴くとさらに沁みてくる。アンビエント音楽のような浮遊感は魂を持ち上げようとしているようだ。ストリングスがすべてを包み込んで回想の時間旅行とその後に訪れる真の癒やし(カタルシス)に誘う。

地上の星もヘッドライトもベストCDに含まれているが、ぼくは、このシングルCDがいい。このカラオケパートに被せて、ぼくの知っているプロジェクト、そこに携わった人々の功績を本人たちの前で語ってみたいから。

政治が国の内外で劣化して世界は崩壊寸前である。それらの社会の歪みやいびつな構造をつくりだし、そこから富を得ている人たちには虚構が見えていない。

そんななかで市井の人たちは自分に与えられた役割に使命を感じて淡々と日々を送っている。それは大きなプロジェクトではないありふれた日常、例えば、小さな介護施設の一職員の日々の嘆きや喜び、来る日も来る日も同じ味に仕上げようとする菓子職人、安全が当たり前の公共交通の運行の陰で手を抜かない人々、腐敗した政治に憤り抵抗を続ける数少ないまっとうな政治家―。中島みゆきが光を当てたかったのはそのような人々だろう。ゆえに無数の限りないそれぞれのプロジェクトXを、この曲とともに一人ひとりに語り掛けたい。

地上の星/ヘッドライト・テールライト

追記
30年前の経済大国の面影はどこにもなく、政治の劣化とともに、優れた技術者を活かせなかった経営陣の責任は大きい。トップの無知や無能に翻弄されながら日本を支えている市井の人々こそ讃えられ、そして報われるべき。

円安の是正の本質とは経済力を高めること。具体的にはGDPの大半を占める内需の拡大を行うこと。そのためにできるもっとも簡単で効果的な施策は消費税の撤廃と法人税の引き上げ。それに障がい者や子育て家庭、零細商店主やサラリーマン、農家など普通の人たちが政治家になるしくみを構築(政治にカネがかからないしくみともいえる。オンライン議会や国都道府県市町村の垣根を取り払って政治活動を行うなど(国政から変えないと地方は良くならないよ)。そして政治家をいまの10倍、100倍に増やして(給与は年間2百万円未満。専属の政治家など要らないよ、兼業でないと腐敗する)、経団連などと政治の癒着を断ち切ること。

この30年間、これだけ自民党政権下で優遇されながら経営の舵取りを誤った経営者たちは、負の意味で「黒歴史プロジェクトX」で取り上げられるかもしれない。なぜ、もっと現場の声に耳を傾けない? なぜもっと世界を見ない? 株主への必要以上の迎合や保身に走らず成長に必要な取り組みは何であったか? 失われた30年の総括はもう出ているというのに。


posted by 平井 吉信 at 11:25| Comment(0) | 音楽

2024年04月24日

イチゴの誘惑(「ポートレート」竹内まりや より)


去年に比べたらイチゴも値上がりしたなと思うけれど、生産者の手取りが増えているわけではないだろう。これも物価高騰、円安の影響である。いや、愉しい話にしよう。
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イチゴをかじりながら、イチゴの菓子を食べながら、好きなお茶、コーヒー、ワインを飲みながら、いちごにゆかりの心弾む音楽は、竹内まりやの「イチゴの誘惑」。1981年発売のアルバム「ポートレート」のB面の2曲目に収録されている。同アルバムからシングルカットもされた。

ぼくは知らなかったけど、この半年後に山下達郎と結婚することになるんだね。このアルバムは、竹内まりやのなかでぼくがもっとも好きなもの。ちょっと聴きに印象的な曲は置かず、粒立ちのある佳曲を揃えている。特にアナログB面(デジタル7曲目以降)は心の思い出が音楽に溶暗していく感じがして、匿名の切なさが押し寄せる。
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手持ちのアナログは初出盤(1981年10月21日発売)、CDは40周年盤(2019年発売)を持っている。40周年盤は、リマスタリングとともにライブ音源が6曲追加されている。アナログに負けない聴き心地の良さ、木綿のようなしなやかさな弾力感とキラキラ感が同居している。

初期の彼女はコマーシャルの色調を帯びたキャンパスアイドルの感じもある。それでも「September」のような名曲は聴く度に佳い曲と思う。

「イチゴの誘惑」は、前奏から波に乗せられて軽やかに声が滑り込んでくる。60年代のポップスのような雰囲気を漂わせながら、大貫妙子やEPOのバックコーラスも愉しい。良質のポップスはさりげなく心のひだを探り当てて打ち震える。だから何度も聴きたくなる、一度聴くと繰り返しボタンを押してしまう(レコードではそうはいかないけれど)。松本隆(詩)、林哲司(曲・編曲)。玄人にもそうでない人にも受ける職人の作品(賛辞です)。

アルバム中もっとも好きなのは「ウェイトレス」。「ほほえみにー みとれてたーら」。日本語の伸ばす音の声の艶と少し鼻にかかった竹内まりやの魅力が脳内の増幅装置でふくらんでいく。楽曲の世界は、古き良きアメリカがときおりリバプールの風を感じながら日本の留学生を通してこだまするよう。竹内まりや(詩)、山下達郎(曲。編曲)。ああ、そうなのか。深い詠嘆とともに納得。


最後の曲「 ポートレイト ~ローレンスパークの想い出~」が終わると、またA面から聞き返したくなるぐらい好き。アルバム全体を通して、竹内まりやが自分がやりたかったことをやり尽くしている。80年代を21世紀の色眼鏡でみる「シティポップス」風ではなく、打ち込みでもなく、フォーク・ロック調とポップスが融合した自然体で、彼女の声にもっとも合っている。後年の人生を噛みしめる歌やシティポップスとしてもてはやされている「プラスティック・ラブ」などよりも聴くことが断然多い。そしてそれは1981年冬に巻き戻す魔法の再生ボタン。


追記

ところで、イチゴのお菓子なら、中徳島町のhowattoさんが4月中に特集をやるとのことで。
https://howatto.jp/
タグ:竹内まりや
posted by 平井 吉信 at 22:01| Comment(0) | 音楽

2024年03月20日

等身大のTaylor Swiftと円熟のTaylor Swift


いまさらTaylor Swiftについて書くのも…と思ったが、やはり書いておきたい。前回にTaylor Swiftについて触れた話題で、声質が立ち上がりが早くそれもマッシブなので聴いていて疲れると書いた。それは録音もあると思う。間接成分(リバーブ)が少なく生気がなく固い。1980年代のスタジオミュージシャンと録音技術者がいたらこんな音で録らなかっただろうと思う。

彼女の歌い方も意図的にストレートに声を出している。ビブラートに振り向けず、声をまっすぐ出す効率の良い声の出し方。これはコンサートの長丁場でも声が疲れにくいかもしれない。

歌のうまい人、例えば岩崎宏美なら常に伸ばす音でビブラートがかかるように聞こえる(アルバム「私・的・空・間」)についてはそのうち書こう)。ノンビブラートではうたいあげるよりも肉声感が出てメッセージが届きやすくなる。歌唱力を前面に押し出さないから等身大の声の魅力がある。女性の熱狂的なファンが多いのはこの声の質とも密接に関係があると思う。

CDを視聴して何枚か入手してみた。やはり2作目の再録版「Fearless (Taylor's Version) 」がもっとも好きだ。カントリー調を響かせながら琴線に触れるポップス。ほとんどが自作の曲というのも驚き。再録版とは、版権の関係でかつて録音した音源が自らの手を離れたテイラーが完全再生を試みているもので現在進行中。アルバムによってオリジナル(旧盤)がよいと思うものと再版が好みという場面があると思う。

「Fearless」については視聴で聞き比べて迷わずに再録版を選んだ。聴いていて心を緩められるというのが理由。30代前半のTaylor Swiftが10代後半の自作を歌うのは無理がない。歌いこなれて手練れ感が出ると嫌みになるけれど、初めてこれらの楽曲に向かい合うように歌っているから。さらに「from the vault」(蔵出し)の未発表曲が本編に優るとも劣らない輝き。

打ち込み感がなく、アナログ感。いまの若い人たちが情感的と捉える要素がすでにあるよね。針を落とすアナログレコードやフィルムを現像する銀塩カメラに通じるような。

1曲目のタイトル曲「Fearless」は広々とした世界観をひろげてくれる。前奏からゆったり感があふれて虜になる。歌詞は幸せなデートのときめきを綴っていてほのぼのとする(この曲は先に音楽ができてあとから歌詞を入れたのかも)。何度も繰り返される「Fearless」では、動画にテロップが出て念を押すようなTaylor Swiftからの同年代の女性への語り掛け。「何も怖れないでいいのよ、あなたらしく」と。人生が動き出す瞬間の応援歌のよう。

2曲目「Fifteen」。出だしは不安な新入生の駆け出しの気持ち。この孤独な少女はテイラー自身だろう。告白されデートに誘われてFeeling like there nothing to figure outと夢中になる女の子の心理に身を寄せながらも「well」(そうね、でもね)と合いの手を入れる(Taylorは歌詞カードにない合いの手をときどき入れる。しかし歌詞の内容によって合いの手を入れない。「もう、わかったでしょ、だいじょうぶよね」という意味。見守られているようなニュアンスの変化は、英語圏の女の子からすれば語り掛けられているように感じるだろう)。

この情景を描くために、Taylor Swiftは孤独に身を置いて、その身を漕がず恋愛に委ねて、そこで失うものがあっても、立ち上がって上を見る。その姿こそ、彼女の音楽の源なのだろう。
この楽曲は友人の失恋の歌のようで、dating the boy of the football teamよりも、もっとすばらしいことがこれからのあなたの人生であるよと、友人を勇気づけているよう。

でも彼女自身も、I didn't know who I was supposed to be at fifteenと打ち明ける。15歳が15歳をうたっているのではないのだから、30代のテイラーがうたっても違和感がない。みずみずしい初恋と失恋を体験した女性たちに、それでも前を向いて生きていこう、だって15歳なんだから(ここでも動画のテロップのようにfifiteenと投げかけて、相手の目を見て微笑むテイラーのやさしさが見えるようだ)。

ぼくの好きなコルビ−・キャレイとの共演「Breathe」も佳い。コルビーは、2007年のデビュー作「Coco」が愛聴盤。ライブで追加収録されているジャスティン・ヤングとのデュエット曲「Tell Him」、ボブ・マーリーのカバー「 Turn your lights down low」は息が合った恋人同士の語り掛けのよう。どんなに気分が上がらないときもこの素敵な2曲は階段を上がらせてくれる。

コルビー・キャレイ 「ココ+7」
→ コルビーとジャスティンはその後に「Gone West」というグループを結成している。聴いてみたいな。

さらにこの上なくロマンティックな「untochable」も天上に誘われるようだ。
そんな歌詞を心を揺さぶるような旋律の動き(覚えやすいコード進行)に載せてうたう。人の心はこのように掴むという見本だけど、それは彼女自身の多感な感受性がなせる技。等身大の悩み多き女性と前人未踏の高みをめざすスーパースターが明滅するのがTaylor Swiftで虚構のオーラなしで輝いている。大谷翔平とも人間的な共通性があるような気がする。

「フィアレス 」(テイラーズ・ヴァージョン) 輸入盤より日本版が安く歌詞対訳もついている。


そして3作目の「Speak Now」はタイトル曲について書いておこう。全体に2作目と比べてこなれた感じがある。特にタイトル曲の教会で花婿をさらっていくなんてオペレッタ。サンタバーバラの教会に現れたダスティン・ホフマンの21世紀ヒロイン版ともいえる。このタイトル曲が実によくできている。テイラーとしても曲ができあがったとき、してやったり感を覚えたのではないか。

曲の途中からのドラムスの伴奏が重要。これが聞こえてくると迫真の場面で駆け出しそうな気持ちになると同時に、20世紀のリバプールサウンドが木霊する。繰り返しのフレーズでも歌詞に応じて微妙に旋律を変えるのもテイラーならでは。

There's a silence, there's my last chanceと、心に時限爆弾のスイッチが入る。
牧師の決まり文句、異議あるものは話せ、さもなくば沈黙を持って応えよの言葉に、すっと立ち上がった女性。教会に居合わせた人々の驚きの視線、でもそこから先に何があったかは歌詞に描かれない。ただ、But I'm only lookin' at you…ここのTaylorは無垢の少女のささやきのようで萌え死するほど。このニュアンスは30代の再録版では失われている。
(そうです、3作目は再録版ではなく、旧録音を選びました。2作目と違ってみずみずしさが欲しいので。ただし録音は相変わらず潤いがなくデッドな感じだけど)

Taylor Swiftの持ち味は、下降する音階の動き、そしてそれが行き着く低音の声にあるかもしれない。それは、安らぎに至る過程、根っこのような安心感。自分の声がもっとも出しやすい領域と重ねているのかもしれない。

テイラーの無邪気な笑いが入り、最後は結婚式から逃れてきた彼が、ぼくは…と一人称の歌詞に。喜劇だね、どこまでも自己肯定感ですね(決してひとりよがりじゃない)。全然21世紀的じゃない。それで構わない、ぼくは。
Speak Now [2 CD Deluxe Edition]

追記
LOVERについても書きたいけど、時間をくださいね。
posted by 平井 吉信 at 15:41| Comment(0) | 音楽

2024年02月11日

月の光はしずしずと 田部京子「メロディ」


田部京子さんを初めて聞いたのは吉松隆作品から。
現存する作曲家でもっともロマンティックな曲を書ける吉松さんの作品は田部さんに任されているかのよう。プレイアデス組曲の第1集第2集ほど繰り返し聴いたピアノの短編集はないだろう。そして宇宙空間にしずしずと花ひらくピアノ協奏曲「メモ・フローラ」の静謐な音詩はうつむいた心を少し上を向かせるかもしれない。この音楽を自分に取り込むことができたらおだやかになれる。
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モーツァルトのピアノ協奏曲は極上の音楽だ。日本のオーケストラも羽毛のように空気がそよぐ上質感を醸し出す。例えば、ピアノ協奏曲K488。楽曲の天上的な美しさに輪を掛けたピアノの珠を転がす愉悦と叙情、小林研一郎の伴奏もピアノに真綿のように寄り添う。

2023年4月に発売されたピアノ小品集「メロディ」では、適度に名を知られた曲もあるが、世に知られていない楽曲を集めて光を放つ「世界」に仕立てた感じ。技術を煌めかせるのではなく、音符が語り掛ける感じ。弾き手の意志が濃厚なのに、ピアノをドライブするのではなく、音符がそこへ降りてくるよう。特に後半になるほど弾き手と楽曲が一体化している。

ぼくはドビュッシーが好きなので「月の光」について書きたい。いつのまにか灯りを消した部屋に射し込んでいる月光。ドビュッシーは決して標題音楽ではないけれど、ベルガマスク組曲第3番Clair de Lune、変ニ長調、Andante tres expressif、8分の9拍子は、やはり「月の光」。月の光がE=MC2の方程式でかけめぐるかのような淡々と光を強めながらしずしずと。

フォーレのシシリエンヌは儚くも美しいが、編曲においてはもっと羽ばたいてほしかった(中間部は、荒井由実のひこうき雲にも似た痛切な憧れのようだから)。楽器はなんだろう? くすんだきらびやかさを感じるのでベーゼンドルファーかな。このアルバムは理性で聴くよりは浸るように任せる音楽。それが叶うなら人生の豊かな時間を紡いでくれる。能登半島で復興に向けて長い道のりを歩み出そうとする人々にとってもそうであればと願う。

デンオン(日本コロンビア)による録音は、デッカなどと違って澄んだ高域と中低域のふくよかな響き。あのMCカートリッジDL-103に豊かなソノリティを付加したような録音。スイトナーの田園で第1楽章の低弦の漂う音場が朴訥な18世紀の田園野を感じさせた。

posted by 平井 吉信 at 00:37| Comment(0) | 音楽

2023年12月29日

年の瀬に聴きたいクリス・レアのOn The Beach 渚へ行こう 


車を運転しながらラジオを聴いていたら「Driving Home for Christmas」がかかった。お金に困窮して妻の長時間の運転で400km以上離れた故郷の家に戻る途中の渋滞でつくられた楽曲とのこと。家に到着したらアメリカでヒットした楽曲の著作権料の小切手が届いていてそれで暮らしを賄ったという。そんな背景を知らなくても、なつかしい人たちに早く逢いたいと家路を急ぐしみじみとした実感が漂うクリスマスの佳曲。
→ レア夫妻の若き日の困窮のなかで曲が生まれたエピソードを記したブログ

クリス・レアといえば、On The Beach(1986年)。車のCM(マツダ)にもなったタイトル曲が有名だが、アルバム全編の音づくりが良くて、いつまでも浸っていたい、1枚終わるとリピートしたいと思える音楽アルバムのひとつ。
タイトル曲はマイナーなのに、短調の作為(暗くしよう、寂しくしよう)を感じさせず、むしろ過ぎゆく夏を回想するような無為の為といいたい旋律(コード進行)。松岡直也の「九月の風」も同じ印象を受ける。ヒットしたシングルバージョンよりもこのアルバム(オリジナルバージョン)がゆったりとしていて原曲の魅力をより活かしている。波の音のSEが付いているのもこのアルバムのみだろう。あの夏の思い出はぼくだけの秘密とうたう。岬の裏手にある秘密の入り江でのできごと…過ぎた日の場面が名残のようにときめくといった趣。クリスと妻ジョアンにとっては喜びの島(シテール島)だったんだろうね。こんな曲を歌ってくれたら妻はどんな気持ちだろう。
(ここで楽曲を生んだフォルメンテラ島についてのクリスの言葉を紹介しておく。翻訳せずとも伝わるでしょう)
"That's where me and my wife became me and my wife. That's what it's about. Yeah, I was 'between the eyes of love.' It's a lovely island if ever you're in Europe."

2曲目"Little Blonde Plaits"の幼子のブロンドの三つ編みは愛娘Josephineのこと。夏の倦怠感のような楽曲で賛歌が綴られる。なんという感性。9曲目の"Light of Hope"も究極の妻へのラブソングだろう。

3曲目"Giverny"はフランスのノルマンティにある地名でモネの庭があるという。そこを訪れた幸福感、妻Joanへの想いがひたひたと花園を遊ぶ蜜蜂のような旋律に揺られる夢見心地。硬派な彼が渋い声でロマンに浸りきっているのである。モネの庭といえば、ぼくも格別の思い入れがある。それは高知県にある北川村「モネの庭」マルモッタンだけど(←リンク先はぼくが撮影したモネの庭ですが見ないほうが良いです。いまこの瞬間に行きたくなる確率が83%ありますので)。

4曲目"Lucky Day"はラテンに彩られた幸福のリズム。5曲目"Just Passing Through"は硬派な詩だが曲想は回想的でおだやかに綴られる。アルバムは淡々と進んでいくが、同じ心象風景に彩られた異なる場面という印象でアルバムの統一感、コンセプトが沁みてくる。クリス・レアには不器用で硬派な男という印象があるけれど、ここにあるのは妻や娘との時間をこれまで訪れた場所の心象で刻んだもの。アルバム全編がロマンティックに覆われていてもそこにあるのは媚びない楽曲と歌の魅力。

2枚目も秀逸で、音の雰囲気は明るく落ち着いている。バックの演奏は無駄がなく洗練されて声に寄り添う。スライドギターが好きな人は何もいうことはないだろう。
She throws her hair into the February breeze(なんと佳い詩)…で始まるFreewayは特に好きな曲で、And she's still dreaming of a freewayと幸福感が漂うが、Dream on lady, till the early morning sun Takes your dream to be free awayと余韻を残す。スライドギターがなつかしいこだまのように響く。
"Crack That Mould"はもっともクリスらしい曲。通好みの楽曲で音楽をやっている人なら打ちのめされそうなファンタジーに満ちている。
さらに、On The Beachの別バージョンが2つ収録されているが、ぼくは1枚目に収録したゆったりしたオリジナル版が好きだ。

最後は世界中で愛されたあの「Driving Home For Christmas (First Version)」で締めくくられる。ここに収録されているのはヒットする前のアレンジで素朴な感じ(冒頭での妻が遠距離ドライブで迎えに来たあのエピソードが感じられる)。クリスにはワムのようにクリスマスのはやり歌として売り出す気持ちは毛頭なく、自分の知らないところで関係者がシングルのB面に入れたものが評判を呼んでラジオ局でかかるようになった。販促をかけずコマーシャルとは無縁に楽曲の良さで世界中の人々に支持された曲。ぼくはクリスマスの楽曲では国の内外を問わずこの曲が一番だと思う。ただしこの曲はここに収録されている初版よりも、後年のピアノのオブリガートの入った版がクリスマスの人々の共感のエコーのように聞こえて愉しい。
On The Beach

当時の国内発売のAORにありがちだった、むさくるしい(?)顔写真の代わりに、おしゃれな風景に置き換えたジャケット(ポール・デイビス/クールナイト、ビル・ラバウンティなど)を連想させて、ああAOR路線なのかと思ってしまうが似て非なるもの。飾り気のなさが洗練と映ることはあっても、家族や友人を大切にする親密感あふれる音楽。一見AOR受けのジャケットのようで、実はアートワークとして、地中海に浮かぶフォルメンテーラ島の渚で撮影した1枚の写真を選び抜いている。作り手にも思い入れがあるようである。

音楽は地中海で過ごす夏の休暇のように、統一した世界観でつくられ、少ない音数でも濃密な音世界を描き、そこにあの渋い声が乗ってくる。声を活かすアレンジであり、アレンジの美学を浮かび上がらせる声ともいえる。ぼくはこの時間に身を任せられる。

オリジナルアルバムは入手が難しいが、新たにリマスターされて未発表曲などが収録されて2CD仕様の「オン・ザ・ビーチ(デラックス・エディション)」が入手できる。ラテンのリズム感やブルースの精神がブレンドされた若き二人の愛の結晶のようなアルバム。これはたまらない。音楽が好きで音楽なしには生きていけないぼくが音楽好きで音楽なしでは生きていけない人のために綴ってみた。

2023年の締めくくりは、渚ということでいかがでしょうか。

南阿波サンライン
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外ノ牟井浜
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明丸海岸
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大砂海岸
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大手海岸
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白浜海岸
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生見海岸
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大ちゃんのサーフボード(藍色特注)
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尾崎(ローカルポイント)
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南太平洋 ボラボラ島、ランギロア島、テティアロア島
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リゾート地ではヨーロッパからの観光客が多かった。フランスから旅行中の同年代の若者(Jérôme)とサメがいる海で素潜りの競争をしてみた。手が届きそうに見えたが実際は水深20メートルぐらいの海底に大きな貝があってそれを取りに行こうとしたが届かず、急に浮上したため潜水病になりかけた。いま思えば毒を持つ貝の可能性もあるので触らずによかった。丸一日腹痛にさいなまれたこともあったがトラブルはそれぐらい。
ひとりでビーチにたたずむ女優のような女性(Cristina)がいたので話しかけてみたら、新婚旅行でやってきたイタリアのカップルで自分ををほったらかしてマリンスポーツに興じる夫にあきれながらも熱い熱い。
地元のフラの練習に飛び入りで参加したり地元の若者たちと無人島にピクニックへ出かけてそれぞれの名前を岩にペンキで描いたことも。旅は自由で空は高く海は大きい。
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主人公は椰子の葉陰
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モデルさんではありません。現地の郵便局でハガキを出しながらPar avion au Japonと告げたら英語で返答があったので会話をしていると、周辺を案内できるとのことで連れて行ってもらったときの一枚。bureau de poste(郵便局)といっても床が白砂(地面)で彼女は裸足で仕事をしていた。
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椰子にもカップルがあるのか
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鳥の楽園テティアロア島。この島はタヒティの王族の避暑地であり、南太平洋を舞台にした映画「バウンティ号の反乱」で撮影に訪れた俳優のマーロン・ブランドが所有するプライベートアイランド。数人乗りのセスナをチャーターしてさらに船で数十分。そこに鳥の楽園があり、森に包まれて椰子の葉の皿でランチを食べた。もっとも自炊中心の節約旅行でリゾートに泊ったのはここだけ。ベッドの下は砂浜という自然の高い素敵なつくり。シャワーもあったが塩水だったような記憶。川がないので。
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世界第二の環礁ランギロアの外海。内海(ラグーン)は白く浅いが外海は黒く深い。ほんのすぐで水深数百メートルに達する。外洋と礁湖をつなぐ水路(水道)をマンタが行き交う
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ぼくを南太平洋へ誘ったのは世界の民族音楽を採録するノンサッチレーベルの「南太平洋の島々の音楽」でポリネシアの民族音楽を聴いたから、生で確かめたくなった。参考となった情報は「南太平洋の再発見―21世紀のふるさと」(松永秀夫著)。この本でポリネシア、ミクロネシア、メラネシア、イースター島のことが歴史的背景、かつてから今に至る文化や地理地勢がわかった。良書なので復刻してほしい。

あの頃の若者は短くても数週間、長ければ数か月の放浪の旅に出ていたよ。いまでも集う友人たちもそれぞれヨーロッパ、チベット、インドなどと旅をしていた。そんな経験なくしてどうやって世界の人と意志疎通を行うのか。かつては円高(日出づる国)だったんだよ。


posted by 平井 吉信 at 12:19| Comment(0) | 音楽

2023年12月13日

頂点を極めたあの歌手もいいけれど


全盛を極めている歌手がいるとしたら、ほとんどの人が名前を挙げるのはテイラー・スウィフト。TIME誌が選ぶ2023年「今年の顔」(Person of the Year)にもなったとのこと。そのキャリアは輝いている。

突き抜けた人はその手にどれだけ富と名声を集めても嫌みがない。それは尊敬に値する。楽曲もなつかしく耳になじみ、声の質もロマンティックでメッセージが届きやすく万人向けの歌姫。

ぼくがテイラーのアルバムで1枚だけ選ぶとしたら、Fearless (Taylor's Version)かな。若い頃のオリジナルを視聴すると、息苦しさを感じて聞き続けるのがつらい。版権の関係か何かで自身が近年再録したTaylor's Versionではおだやかになって音楽に浸れるようになっている。


ほかの人は同意しないかもしれないけれど、彼女の声はパルシブで短い立ち上がりがマッシブに集まって声を響かせているように聞こえる。ある意味では刹那的、ある意味では存在感、悪く言えば圧迫感があって聞くときの体調を選ぶ歌手という感じ。疲れているときは聴きたくないと思う。

つい手が伸びるのはSade(シャーデー)。
彼女の声を聴いていると、なんといい曲だろう、人生がこのまま過ぎていくのなら何も言うことはない、と浸っている。

1つの楽曲のなかに哀しみも歓びも散りばめて、歌はあくまでもレガートで山吹色のかぐわしい声色が落ち着いた小麦色に推移したり、漂うような水色や紫色をほのかに帯びることはあっても。

いわば、聴き手の心が自由に楽曲で遊べる隙間と媚薬が散りばめられている。その頂点が「Stronger Than Pride」。なかでもClean Heartはそう。音楽のごちそうなんだけど、茜さす野の翳りとでも形容したい人生の移ろいを感じる。


追記
テイラーの好きなところは社会に対する自分の立ち位置(役割といってもいいかもしれない)を自覚しているところだ。サザンの桑田さんもそうだが、絶えず政治的なメッセージを発している。自分たちが生きているこの空気感のなかから音楽が生まれてくるのだから、音楽は音楽、政治は政治と切り放すことはできない。ぼくもそう思う。自分の生きていること、やりたいこと、好きなこと、仕事や遊びも社会と密接につながっている。だから利害とは無関係に政治や行政に発言し続けている。

それに対して(名前は挙げないけれど)ここ10数年の音楽にはそれが感じられない。社会から切り放されて自分の殻に閉じこもる無力感、それはそれでいまを生きる人たちの共感を呼んでいるのだけれど、そこから一歩でも踏み出して社会にメッセージを届けなければ。

例え恋愛の歌であってもテイラーの音楽からはメッセージを、そして自分自身が社会のアイコンとして生きていることを感じる。

posted by 平井 吉信 at 22:41| Comment(0) | 音楽

2023年08月24日

アリス=紗良・オットで聴いた 真夏のドビュッシー 晩夏のグリーグ 


アリス=紗良・オット(Alice Sara Ott)というピアニストをご存知ですか?
動画サイトで良い演奏を見つけたので書いてみました。

ドビュッシーの月の光は誰でも知っている曲だが、ドビュッシーを得意とした往年のピアニスト、フランソワ、ベロフ、ギーゼキングなどのようにピアノの名人芸やピアノの可能性を追求した演奏とは違う。ピアノをピアノとして演奏する前に心の声が鳴っている。指は鍵盤に触れているのに鳴っているのはピアノでない感触とでもいうか。

★ドビュッシー 月の光
https://www.youtube.com/watch?v=6JNkRFKkQBA

この映像では静謐な青白い光の明滅とともに空気が澄んでいくような感じを受ける。日本のテレビ番組での演奏のようだが、集中していたんだろうね。弱音が夜にひらいた一つひとつの白い花のような。

CDで探してみたらこのアルバムが見つかった。フランスの作曲家の小品集。



★ベートーヴェンピアノ協奏曲第1番(本人公式チャンネル) 
https://www.youtube.com/watch?v=pQObiL-ZYsw
ファルテピアノの演奏のように雅び。ロココの時代に若きベートーヴェンの情熱がこだまする。

★グリーグ ピアノ協奏曲(これはいい!)
https://www.youtube.com/watch?v=6LJTwzZHrwQ

ぼくはこの曲がずっと好き。かつてクリスティアン・ツィマーマンとカラヤン/BPOのレコードで聴いていた。ベルリンフィルの深みと凄み、若きツィメルマン(ドイツ語の発音ではこちらが近い?)の堂々とした演奏はカラヤンを凌ぐほどだけど、この曲ではカラヤンもロマン派の巧者のようだ。

その後、ツィマーマンが徳島に来ると知ってコンサートに出かけた。夫人を伴ってやって来た彼は彼女の肩を抱いて会場から消えていった(その格好良さ)。

さて、グリーグの協奏曲。この曲は世間が評価するよりずっと良い。心が疲れたときに聴いてみたくなるし、元気なときにはさらに心に沁みてくる。

第1楽章が始まる。アリスの笑みと没我の瞬間をカメラが捉えている。この楽曲がアリスに合っているんだなとわかる。第2楽章の最弱音の美しさは別世界から聞こえてくるよう。そして第3楽章のこぼれるような跳躍の愉悦。

オーケストラではホルンの音色の深み、精妙な弦が生き物のように漂いつつ、全体は朴訥で木質のあたたかい響き。最後は興奮の坩堝に飛び込んで観客総立ちの壮絶な演奏となる。終わりはアリスと指揮者が一心同体のように所作がシンクロしている。この指揮者の立ち居振る舞いも日本の能を見ているような所作の清潔さがある。その彼がアリスの演奏に聴き入っている瞬間が記録されている。

指揮は、トーマス・ダウスゴー、オーケストラはDR放送響(デンマーク国立交響楽団)。

これを実演で見えた人はいいな。欧州まで飛行機代払ってでも見に行きたい。
(そのままCDや映像化されたら良いのだけど)

スタジオで製作されたCDはこちら。グリーグの小品集と組み合わされていて素敵だ。


有名なエリーゼのために。この曲をアンコールで弾く人はほかにいないでしょう。ピアノを習っていないぼくでも弾ける曲だけど、この軽やかな深みは言葉で表せない。特に実演のアンコール演奏での空気に溶け込むピアニシモの凜とした表情は、Für Elise を再創造したかのよう。
https://www.youtube.com/watch?v=_e7PCh9ekRo(コンサートのアンコールで)
https://www.youtube.com/watch?v=k0eNzs6g_MU(ドイツグラモフォン公式サイト)

ドイツ人の父と日本人の母を持ち、数カ国語を話す多国籍な環境で育ち、若くして脚光を浴びたが、近年は多発性硬化症に見舞われたという。天才チェリストといわれエルガーのチェロ協奏曲で一世を風靡したジャクリーヌ・デュ・プレも同じ病だったと記憶。ピアニストにとって指が動かなくなれば致命的だが、演奏活動を再開された。きっとさらにすばらしい演奏を世に出していただけると信じている。彼女に幸多いことを祈らずにはいられない。

コロナ下や病気に見舞われたときの感情を伝えるインタビュー動画がある。英語だが理解できる人は多いと思う。

★Life Is Like Prelude: Alice Sara Ott / Pianist
https://www.youtube.com/watch?v=6An9n79g7W0

上の動画を見たあとで、日本語で日経のインタビューを受けている人やドイツ語で答える人が別人のように見える。言語って背負うものや世界があるんだね。でもイスに座ってあぐらをかいているのがアリスの日常なんだね。
https://www.youtube.com/watch?v=Yqs4jEKYvCs(日経で日本語)
https://www.youtube.com/watch?v=YqBnaA4Eczs(英語)
https://www.youtube.com/watch?v=ypZW2TAmfhk(ドイツ語)

アリスはスタジオ録音よりも実演でさらにきらめく人のよう。気取っているのではなく天性の所作を持っている人。格調高いクラシックを演奏しているようで伝統の呪縛を脱ぎ去り、多様性の価値を身上としてもっと自然で飾らない心の動きを大切にしている演奏家。アリス=紗良・オット、もっと聴いてみたいな。

posted by 平井 吉信 at 00:53| Comment(0) | 音楽

2023年08月17日

真夏のベートーヴェン


盆と台風が過ぎれば秋の風が吹く。もう扇風機は必要ないだろうと思う。音楽にじっくり向き合いたい季節がやってきた。

そんな昨今、知人が興奮した様子で「ベートーヴェンの良さがわかった」と連絡があった。コンサートに行ったらしく、何を聴いたかと尋ねると「交響曲第7番」という。ベートーヴェンの交響曲では身体がもっとも動く作品だろう。20世紀のロックのごとく。「ベートーヴェンはもっと暗いと思っていた」とも。

そうでしょうか? あれほど愉悦を発散する音楽はないと思いますが。魂を鼓舞するリズム。屈折とか鬱積とかではなく、世界の中心に自分がいて心が晴れていくヒロイックな旋律(愛を叫ぶ必要はありませにゅ)、それでいて静かに自らをみつめるような緩徐楽章の深み、一転してスケルツォでは高笑いをしてみせる無邪気さ。音楽に人間の輝きや寂しさを構築できた芸術家ではないでしょうか。

ぼくがベートーヴェンに私淑したのは(いまもだけど)10代の頃。当時はレコードだけれど、ベートーヴェンの作品に浸り研究し共感して、彼の作品を自分以上に理解している人間はいないのではと思えるほど。著名な演奏家や団体のベートーヴェンを聴いて「これは違う」「ダメだ、わかっていない」などと叫んでいた。まるでベートーヴェンが乗り移ったかのよう。

コロナ下で仕事がなくなったとき、野山に出てスミレを見に行った。野山を歩いて路傍の小さき花を見つけるたび、生きている喜びを感じた(だから不安はまったくなかった)。

夜は体系的にベートーヴェンに集中してみようと、ピアノソナタ全集(4セットある)であれば、全32曲を第1番から順に数日をかけて聴いて、次に別のピアニストでまた1番から始めるといった具合。これだけで1か月は浸ることができる。

ピアノソナタ作品101では、憧れと憂鬱が混じり合った法悦とため息を織り交ぜた詩情がくすぐる。ショパンだってこんな詩情は描けていない。でもご心配なく。いつものベートーヴェンで締めくくるから。日本人の女性ピアニストはこの作品によく合っているように思う(誰でもいいので動画サイトで検索して聴いてみて)。

その次は弦楽四重奏曲(中期以降ぐらいから)をリピート。
交響曲はいくつかの全集と単売を。愉しい田園などは10数枚あるので、ワルター=ウィーンの戦前のSP復刻から、ベーム/ウイーンのNHKライブやBPOとのスタジオ版、いぶし銀のブロムシュウテットやスイトナーの演奏、シューリヒトの一筆書き、アバドの美音、古楽器ではノリントンやジンマー、深く沈み込むフルトヴェングラーははずせない。

ベートーヴェンに浸る月日が定期的に訪れては洗われていく。心の友、終生変わらずつきあっていく音楽と思っていたので、知人のその言葉に「まだ入口だよ」と返答した。優越感ではないのだ。

(第7はわかりやすいから。おそらく1楽章の序奏から主部でヒロイックに打ちのめされたんだろう、2楽章の中間部で深い安らぎを覚えたね、3楽章のユーモアに身体が動き出しそうになったんだね、全曲聴き終わったら高揚と恍惚を覚えたのだろうね。ベートーヴェンの音楽は人類史上もっとも習慣性と癒やす効果の高い麻薬かな。人体に無害なのはもちろんのこと。

第7番で世評の高いカルロス・クライバー/ウィーンを聴いてもピンと来ないところがある。彼はこの楽曲に呑み込まれてオーケストラを制動できていないように感じるから。でも実演ならクライバーは聴いてみたかったな、好きな指揮者だから。でも、ぼく自身は9つの交響曲で第7はもっとも聴く機会が少ないけど)。

これからこの深く魂が喜ぶ音楽の森を逍遙する歓びを味わえることがどんなに幸せなことかという励ましを込めたつもり。真夏のベートーヴェン、おすすめです。

posted by 平井 吉信 at 21:45| Comment(0) | 音楽

2023年05月28日

自然の音を部屋に流してみるなら アンビエント系なら このCDがおすすめ


環境音、アンビエント系のCDをいくつか聴いている。自然音に持続的な楽器を重ねたりギター、ピアノなどを被せたりしているのだけれど、メロディー要素が強すぎて(さも癒やして差し上げます)飽きるというより初手で視聴を停めてしまう(購入前の試し聴き)。

なかなか手持ちのものより気に入るものがないので、改めて紹介すると、まずはブライアン・イーノのこの1枚。何枚か出ているけれど、ぼくはこれだけあればよし。
Ambient 2: Plateaux of Mirror 

1曲目「First Light」」は宇宙空間を漂う飛行船から宇宙を眺めているような気分になる。音楽というより星々が共鳴しているような自然さがある(何度もいうけど、「うっとりするメロディーの弊害がない」)。それは人間社会の「癒やしいいね!」を押しつけられているような気分。名前は出さないけれど、アマゾンで人気の作曲演奏家もその傾向がある方たちが多い。
5曲目「An Arc Of Doves」では細胞がふつふつとほぐされながら湧き上がるような静かな快感がある。個々の楽曲というよりはアルバム全体が何度か繰り返し流していて違和感がない。音楽の存在を消しながら空間をつくるという意味で究極のアンビエントである。



「癒やし系の音楽」よりは自然音のほうが好きな方には、デラというレーベルが「ネイチャーサウンドギャラリー」と銘打って発売しているシリーズがある。そのなかでおすすめの2枚はこちら。

「せせらぎ」https://www.della.co.jp/collections/naturesoundgallery/products/dlns-112

軽井沢や屋久島などの渓流の録音だが、オンマイク(音源に接近しすぎた場合の直接音中心の響き=生々しさを強調)すぎないので、長時間浸れるもの。各音源が揃っていて連続して浸れる。




「高原の朝」https://www.della.co.jp/collections/naturesoundgallery/products/dlns-202
早朝に目覚めたときに、小さな音で部屋で流すと気持ちいいよ。主に野鳥の声なんだけど、音と音の間に隙間があるのが良い。波音だといつも波が音空間を満たしているけれど、これはそうではないので耳にやさしい。すがすがしさでは最右翼。



この2枚の録音とも空間が再現されるような優秀録音。ぼくは室内だけでなく車を運転するときもCDから抽出したデータを聴いている。日頃の喧噪を打ち消す別世界の波という感じ。

2022年7月に屋久島での自然音の新譜が発売された。販売形態はCDはなくデータ購入と配信のみである。
屋久島〜Deep Forest/ネイチャー・サウンド・ギャラリー(自然音)
https://www.della.co.jp/collections/naturesoundgallery/products/dlns-214

こちらは耳を澄ましてどんな場面かを想像する愉しさがある。
屋久島の森を目を閉じて疑似体験する心地がする。
「森に響く野生の声〜屋久島・西部林道」に続いて、雨の音を収録した「森に降る雨〜屋久島・安房林道」もあるが、これも意外に良い感じ。定番のせせらぎの後、「巨樹を仰いで〜屋久島・紀元杉」では風に揺れる木々の音と野鳥のさえずりが臨場感。最後の「山から大海を見下ろす〜屋久島・一湊矢筈岳」は海に面した山中から聞く潮騒だろうか。
「ただいま」のみを見つめること、それは瞑想や座禅の精神にもつながる。

購入するのなら直売サイトでも良いが、ダウンロード形式を選べるOTOTOYがおすすめ。
(Amazonの配信はMP3なので音質が落ちる)
データ形式は「wav」を選べば圧縮されていない音源となる。金額は非圧縮のwavもその他の圧縮形式も同じ(1,222円)。ただし自分の機器や端末で再生できるデータ形式かどうかを確認したうえで。
https://ototoy.jp/_/default/p/1330470

さらに音の良いハイレゾもあるが再生機器が対応しているかどうかを調べてから。
https://ototoy.jp/_/default/p/1330468

屋久島には続編「屋久島〜Water」があり、こちらも愉しめる。
https://ototoy.jp/_/default/p/1296866

なかでも2曲め「ウィルソン株の泉」では株の内部で硬質の残響が耳に残る。また、6曲めの「澄明の泉〜屋久島・大株歩道」はやさしいヤ行の響きの水音に溶けていくようだ。

「屋久島〜Deep Forest」の1曲目「森に響く野生の声」、「屋久島〜Water」の前述の2場面は印象に残る。


posted by 平井 吉信 at 17:00| Comment(0) | 音楽

2023年04月11日

荒井由実「生まれた街で」 ― 空から降りてきた感性の女神が季節の変わりを告げる


「生まれた街」は荒井由実時代のアルバム「ミスリム」の1曲目に収録されている楽曲。
弾むスタッカートの低弦でリズムが始まり、楽器が少しずつ増えていく。
(楽曲を通奏するこのリズムだってこれから起こる胸のときめきが編み込まれている)
良い編曲だね。ほとんどの人はこのカラオケ(ヴォーカルトラックのない基本トラック)では歌えないだろう。音の隙間へ声が滑り込んでくる不意打ち。
いつものあいさつなら どうぞしないで
言葉にしたくないよ 今朝の天気は

鼻腔をくすぐったのは葉っぱの香りだったかもしれない。
降り注ぐ午前の光、季節の変わり目に大気が運んできたのは、やや湿り気を帯びた空気感。
街角に立ち止まり 風を見送った時
季節がわかったよ

数種類の楽器が鳴っていながら静謐に情景を置いていく。主役は人の声だよ(80年代の音志向とは異なる編曲の妙)。
まちかどの並木道でふと喧噪がやんで空を見上げた少女の不思議なわくわくを
ありふれた日本語を列べて最小限の言葉で描いたね(天才少女の作品)。

歌詞は伸びやかに繰り返され、間奏ではフルートが即興風に羽ばたく。
聴く人それぞれが楽曲を自分の世界で紡ぐ時間。

心を遊ばせる隙間が詰まった、つまりは音楽に風を吹かせた希有の楽曲。
初期のユーミンのなかでもっとも好きな曲。

季節は春から初夏かも。
いまもぼくは追体験している。

〔収録アルバム〕


ぼくが実際に入手したのは初期のアルバム5枚をリマスタリングした音源(世界的なマスタリング・エンジニア バーニー・グランドマン氏によるデジタル・リマスタリング)(Yumi Arai 1972-1976)。音圧上げのhi-fi調に走らずアナログのような生々しさと透明感が増しているので買い足したもの。これと比べると初期のCDは音がこなれないのにぼやけている。マスタリングが良くなかったんだね。音楽でいうと初期4枚では「ミスリム」がもっとも好きだけど、尖った感性では「ひこうき雲」。完成度は「14番目の月」といったところ。「コバルトアワー」はあまり聴かないかな。松任谷由実になってからの「SURF&SNOW」「PEARL PIERCE」「VOYAGER」「Delight Slight Light KISS」などの80年代のアルバムがよりコンセプト志向で音楽が飛翔しているから。


写真は「海を見ていた午後」のインスピレーションで。
八王子でも横浜でもないけど、ぼくには海辺のまちと駅のほうがしっくり来る。
初期の荒井由実、人が感性を発揮するというよりは感性が人に降りてきているよね。
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タグ:南予 JR四国
posted by 平井 吉信 at 23:26| Comment(0) | 音楽