2018年01月30日

ばらの騎士 爛熟したヨーロッパの宝石箱 そしていまを生きる人のために


ばらつながりでというわけではないけれど、
リヒャルト・シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」。

人によってはモーツァルト以来、最高のオペラと評する人も少なくない。
爛熟したヨーロッパの落日を前にしてまばゆい残光に包まれる感さえする。
舞台は18世紀近辺のウイーンとされる。

ぼくが好きなのは、プッチーニの「蝶々夫人」。
ただし蝶々さんが新居をめざして長崎の丘を登っている場面から
愛の初夜を迎える第一幕しか聴かない。
(「ある晴れた日に」のアリアは有名だけど、不幸な蝶々さんの哀しみはたとえ音楽といえども聴きたくない。幸福の絶頂のまま音楽も終わらせてあげたいと思うから)
夢のようなフレーニのピアニシモと
日本情緒をたたえた旋律の盛り付けが耳のごちそう。
五月の日曜の晴れた朝に、
窓を開けはなって風を感じつつ聴く幸福感は何物にも代えがたい。

といってもぼくはオペラ通ではない。
CDを持っているのは、モーツァルトの「魔笛」、「フィガロの結婚」、
プッチーニでは「蝶々夫人」のほかに「ラ・ボエーム」。
ヴェルディでは「椿姫」。
オペレッタではレハールの「メリー・ウイドウ」。
そして「ばらの騎士」ぐらい。

ときは中世のウイーン。
(筋書きは誰が説明しても同じだからウィキペディア(Wikipedia)でも)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%AE%E9%A8%8E%E5%A3%AB

始めてこの楽劇に接する人でも
この三重奏(第三幕)を聴いてみたら何かを感じるはず。
日本語の歌詞対訳がついている6分少々の場面。
https://www.youtube.com/watch?v=9Qzcnd0pLvg

戸惑いながらためらいながらも高まりを抑えきれない若いふたり。
シュワルツコップ演じる元帥夫人の気品と自らに言い聞かせるような独白。
そして若いふたりを導くように身を引いていく。
憧れと諦念と戸惑いが織りなす三重奏が夢のように展開される。

ゾフィーのテーマの木管を、
オーケストラが包み込むと夕映えのような至福のとき。
予備知識は要らない。ただ音楽に身を任せてみて。

これでもっと聴きたくなったら
第二幕全体(対訳付)へ。
https://www.youtube.com/watch?v=JqUK1NyKYrE

時間のない人は5分過ぎのばらの騎士オクタヴィアンの登場する場面、
銀のばらの献呈の場面へ。
(チェレスタとハーブが銀のばらを描いているとされる)

そして8分からこのオペラでもっとも美しい時間が宝石のようにあふれだす。
10代の若いふたりが惹かれあう。
そこに理性も筋書きもない。なるようにしてなっていく。
ばらの騎士(結婚の使者としてばらを持参した若者)が花嫁を
花嫁がばらの騎士を。
それは自然の摂理のようで、それは必然のようでもあり。

…もっと語りたいけどやめておく。
DSFT7856-1_Fotor.jpg

人生はそんな場面にいつ遭遇するかわからない。
生きるって、どれだけ深く感動できるか。
生きることが輝いて見えるから。


追記
ぼくが持っているカラヤン/フィルハーモニアはAmazonで2万円近い価格設定の業者がいる。
輸入盤なら3枚組で1000円少々で買える(日本語対訳は付いていない)。
HMVで買うのが良い。
http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%80%81%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%EF%BC%881864-1949%EF%BC%89_000000000019384/item_%E3%80%8E%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%AE%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E3%80%8F%E5%85%A8%E6%9B%B2%E3%80%80%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%EF%BC%86%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%AE%A1%E3%80%81%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%97%E3%80%81%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%92%E3%80%81%E4%BB%96%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%95%EF%BC%96%E3%80%80%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%AA%EF%BC%89%EF%BC%88%EF%BC%93%EF%BC%A3%EF%BC%A4%EF%BC%89_3666118

http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%80%81%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%EF%BC%881864-1949%EF%BC%89_000000000019384/item_%E3%80%8E%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%AE%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E3%80%8F%E5%85%A8%E6%9B%B2%E3%80%80%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%EF%BC%86%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%AE%A1%E3%80%81%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%97%E3%80%81%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%92%E3%80%81%E4%BB%96%EF%BC%881956%E3%80%80%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%AA%EF%BC%89%EF%BC%883CD%EF%BC%89_8163750

Amazonでも見つかるが日本語入力ではここに辿り着かない(輸入盤なので日本語対訳は付いていない)


Amazonならカルロス・クライバー/ウイーンのDVDがおすすめ


さらに追記
入門用として良いCDがあった。
カラヤンとウィーンフィルによる1984年の新版
抜粋盤なので聞きどころを抜粋して1枚、千円台に納めている。
しかも日本語の対訳付。
おすすめしているのはカラヤンとフィルハーモニアの旧盤(1956年だが演奏が良く音もまったく問題なしで世評の高いもの)だけど
録音が新しいこちらも演奏と歌手は悪くない。




タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 23:12| Comment(0) | 音楽

2018年01月17日

土曜の夜は羽田に来るの/ハイファイセット、せつなくて/オフコース


赤い鳥というフォークグループが解散後に
紙ふうせんとハイファイセットの2つのグループが誕生。
(リアルタイムで赤い鳥を知っている訳ではないけれど)
紙ふうせんの話題に触れて
ハイファイセット/山本潤子に触れないわけにはいかない。

ぼくが持っているのはPasadena Park というアルバムだけ。
ハイファイセットのことも知りたいと思って1枚買ってみた。

まずはこの映像と音楽から。
https://www.youtube.com/watch?v=9rYvdzVQw1Q
♪土曜の夜は羽田に来るの
たったひとりで羽田へ来るの

初めて買った車がマリンブルーのワーゲンゴルフ(それも新車で)。
(さらにいうと現金で誰からの援助もなく。エアコンは高くて買うのが半年遅れたけれど)
この車で屋久島に出かけたり、
http://www.soratoumi.com/sakuhin/yakusima/
http://www.soratoumi.com/sakuhin/yakusima/index2.htm
あちこち出かけたけれど、
心で鳴らしていたのは「中央フリーウェイ」。
(四国に中央高速はないけれど(^^;)

ユーミンの楽曲を山本潤子がうたうと
心に引っ掛からない「音楽」になってしまうと感じることがある。
(同じことは、マンハッタン・トランスファーのシェリル・ベンティーンにもいえる。でも、その声に身を任すのは心地よいしずっと浸っていたいとも思う)

思うにユーミンは歌の情景を心に描いてうたっている。
けれど、語ろうとして語りきれないところが
かえって余韻として心に残る。
聴き手はユーミンの世界を自分に投影するけれど
歌い手からみればユーミンの曲は彼女の私小説。
誰がうたっても「お客様」になってしまう。
(とはいえ、最初にユーミンを聴いたときは、誰がほかの人が歌ってくれたら…とも思っていた)

「土曜の夜は羽田に来るの」は
楽曲の世界観を見事に描いている。
歌詞、旋律、アレンジが描く情景は
心のひだを映してやまない。
(この曲からひとつのドラマ/脚本が書けそう)
山本潤子の歌い方もこの曲そのものとしかいいようがない。
絶唱しないのに、
感情を排除してうたっているのに
引き込まれてしまう。
♪空から帰らないあなたと話すため
心配しないで 新しい愛も訪れるでしょう

この世にいない恋人に向けて呼びかける。
空にもっとも近づけると信じた羽田で
「心配しないで」と話しかける女性の耳元に
天国からの伝言がこだまする。
♪♪♪♪
(ほら、天国の彼がアレンジを借りて応えている)
せつない…
美しすぎてどうにかなってしまいそうなほど。

CDをさらに聞きこんでいくと
新たな地平線が見えてきた。
(この素のままの声の良さはタイムドメインのスピーカー、それも帯域を付加しないで単独で鳴らすとき、がもっとも伝えられるかもしれない)
「冷たい雨」の楽曲との一体感、
「ファッショナブル・ラバー」「メモランダム」のキュートな変幻自在、
「幸せになるため」の悠久に思いをはせ(まるで現代の幸福感を先取りしたような)、
「少しだけまわりみち」の軽やかな輪舞曲、
「中央フリーウェイ」はユーミンと異なる価値を提示、
「遠くからみちびいて」「海辺の避暑地」で内面を見つめる。
(何度か聴いていると1枚をスキップすることなく聴き通してしまう)

フレージング、リズムを職人的に仕上げて
日本語の発声がやわらかく自然で
ノンビブラートでうたう声の質感の高さ。
(安心して浸れる。21世紀の歌い手は技術面でもこの時代に及ばないと確信している)
受け取る人がそれぞれの世界を広げられるように
うたわれているのではと。
(いま、40代が聞ける上質のポップスってある?)

音楽の世界に浸ることは
向き合って追体験することで浄化されるということだよね。
音楽がぽっかりと空けた深淵に聴き手の思いを重ねるように。




(場面変わって)
好きな女の子と
窓の外の雪を見るともなく見ていた。
「雪が降っているね」という言葉しか見つからなかった冬休み。
(・・・・・・)
切ないといえば、
オフコースの「WE ARE」がそのときの心に響いていた。

このアルバム、最初に聴いたとき音の良さに驚いた。
こんなにドラムが抜けて弾むのか、
ハイアットやキーボードが空間を凛と響かせて。
良質の機材で感性のあるエンジニアが録音、トラックダウンしたのだろう。
音楽としてもオフコースの頂点になったのではないか。

ファンはどう思うか知らないが、
オフコースの楽曲も歌い方も感傷的に過ぎる反面、
なよっとしながら辛口の歌詞や抽象的な世界観に違和感を覚える人もいるだろう。
(ぼくも全面的に受け容れてはいない)
それはそれでいい。

でも、このアルバムの楽曲は
せつないうたを紡いで最後の余韻に浸ってしまう。
(特にB面の最後4曲)試聴先→ http://amzn.to/2mBKGLu

音楽を聴いて感傷に浸ることもいい。
ぼくにとって、あの雪の日を思い起こせる唯一の音楽だから。

音楽の力は過去完了ではなく
現在進行形として人の感情が息づいていることを教えてくれる。

タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 00:37| Comment(0) | 音楽

2017年12月28日

紙ふうせん「冬が来る前に〜なつかしい未来〜」の世界観に心がこだまする


この冬に出会った心にしみ入る音楽(CD)をご紹介。
紙ふうせんは1977年の「冬が来る前に」のヒットで知られる。
このアルバムは2014年発売のもの。
新曲も2曲入っている。

紙ふうせんは伝承歌と呼ばれる各地で歌い継がれる口伝のうたを採取して
それを音楽に昇華させている。

このアルバムでも「大江の子守唄」「紙すき唄」と続く一連の楽曲がそう。
日々の暮らしの素朴な感情をうたにするしかなかった人たちの
魂を音楽に乗せて、さらにそこに紙ふうせんのふたりが魂を入れる。

好きなのは、「大江の子守唄」。
この抱きしめたくなる、なつかしい世界観。
夜更けに聴いていると、あたたかい感情がこみ上げてきて、
生きていることがもっと好きになる。
DSFT6229-1.jpg

「紙すき唄」では紙すきの家に生まれた娘が
「昼は暇ない 夜おいでよ」と謡う。
テレビもインターネットもなく働くだけの日々。
過酷な労働でただひとつの慰みであり楽しみが男女の営み。
千年前の万葉の東歌の時代から変わっていない。
しもやけの指先と冷え切った身体をあたためてくれる。
そこにあるのは「行為」だけ。
つかみどころのない幸福がぽっと灯をともす。

音楽としてあくまで美しい。
でも、そこに漂う情感の深さは稲妻に打たれた感じさえする。
このアルバムではライブ音源の「竹田の子守唄」が収録されている。
二人の生活感のある声が心を震わして身体に微振動が走る。
(誰かを好きになるあの切なさにも似ている)

それはCDを再生し終わったあとでも
それから数時間経っても身体の中を木霊しているかのよう。

人それぞれ感動する対象や感性は違うけれど
紙ふうせんがこのアルバムで提示する世界は深いよね。
(↓視聴可能)
冬が来る前に〜なつかしい未来〜

それに…夫婦としてこんな生き方は理想でしょう。
(ライブでの竹田の子守唄の息の合わせ方は男女がひとつに溶け合っている奇跡のような瞬間)
YouTubeで若い頃の音源を見ると、
夫が妻に熱愛光線を発しているようにも見える(時分の花)。

DSXE7023-1.jpg

「冬が来る前に」(当時)
https://www.youtube.com/watch?v=jWEPaCjbZG4
https://www.youtube.com/watch?v=UgmccGdoi8A

そして二人ともそんな光線を発して70歳を迎えたように思える。
「翼をください」
https://www.youtube.com/watch?v=Ay1PBV4IHaA
(こんなのを見せられると、もっとやることがあるねと勇気づけられるでしょ)

「竹田の子守唄」
https://www.youtube.com/watch?v=Ha1wvQYgkmc
栄光の残骸のような歌手が多いなかで
いまだから歌える「真実の花」(風姿花伝の言葉)が咲いている。

最後に2曲の新曲で締めくくられる。
白い花たちは 親から貰った命
♪ピンクの花たちは 支えてくれた人
一人だけでは 咲かせられない
人生の花束♪


DSCF0447-1.jpg
人生の花束は、紙ふうせんのお二人からの伝言。
一人だけでは咲かせられない人生の花束…。
押し寄せてはリフレインする。

タグ:2017
posted by 平井 吉信 at 23:18| Comment(0) | 音楽

2017年11月29日

森山愛子 歌の切なさを抱いて眠る


以前に紹介した森山愛子
近頃新譜が出たことを偶然発見した。
http://amzn.to/2iZshHp

YouTubeで探しているうちに
いつも聴き入ってしまう。

まずは韓国に由来する楽曲。
情感の深さがありながら
歌におぼれない客観性がいい。
彼女の個性の深いところで結ばれているような。
(国籍とか国境とかではなく)

約束
https://www.youtube.com/watch?v=Mcr_4t8Py6w

イムジン河
https://www.youtube.com/watch?v=fsIvdibXogI

なごり雪
https://www.youtube.com/watch?v=6L-C_hbGunc

彼女の舞台姿も神々しい。
この人はスタジオ録音よりもライブで力を発揮する。
人が生きているから持つ負の感情さえも
肯定しながら溶かし解き放つ彼女の歌の力。

大富豪がいて、彼女が歌いたい歌を
現在の時世のままアルバムとして閉じ込めてもらえないのだろうか。

彼女の看板となっている赤とんぼはこの歌唱がいいと思う。
以前の彼女は美声を朗々と響かせていた。
でも、それは曲の魂を声が遮っているような気もした。
ところが…。
(1分50秒ぐらいから)
https://www.youtube.com/watch?v=6J2f-pLI6c8

弱めの冒頭の歌い出しは深い。
数え切れない魂をなぐさめるように空間を移動していくような。
秋空にそっと放たれた赤とんぼが夕暮れに凛ときらめくような。
最後の歌詞に万感を込めて東北の夜空をいつまでも漂っているような。

歌の切なさを響かせて今宵も眠る。


タグ:森山愛子 2017
posted by 平井 吉信 at 00:13| Comment(0) | 音楽

2017年11月26日

冬が来る前に 紙ふうせんから未来に


もう冬が来てしまったと思えるこの頃、
あの曲を思い出す。

あの曲とは、「冬が来る前に」。
1977年に発表された紙ふうせんの代表的な楽曲。
ピンクレディー台風が吹き抜けるなかで
キャンディーズの解散や渡辺真知子などのデビューがあった時代。

切ない感情は誰の胸にも覚えのある現実感。
この曲を弾きたいと思ってギターを鳴らしたことがある。
詩と旋律が一体となったとき現れる世界に心が震えた。
Amの出だしで調性はハ長調とを行き交う。
若さが何かを求めて揺れ、
E7での変化で不安げな歌詞との一体感、
マイナーとメジャーを行きつ戻りつAmに収斂されていく。
リズムもコード進行もどこにでもあるような楽曲なのに
感傷は心のひだをひたひたと濡らす。
駅までの遠い道のりを振り返ることなく歩み続けた10代。

「冬が来る前に」はフォークデュオ全盛期の傑作だと思っている。
デュオの女性リードヴォーカルでは平山泰代がもっとも好き。
現実感、生活感を持った声だから、生きる情感が響くから。
もし当時のシングルレコードが再発売されたら買いたいと思える唯一の盤。

実はきょう(11/26)兵庫県でリサイタルが開かれている。
行きかったのだが…。
http://www1.gcenter-hyogo.jp/contents_parts/ConcertDetail.aspx?kid=4296111103&sid=0000000001

コンサートのご盛況を願いつつCDを聴いている。
それは、2014年に発売された結成40周年記念のCD。
http://www.sonymusic.co.jp/artist/KamiFusen/info/440338

Web上の動画ではかつての姿も近年の歌唱も見られる。
いちいち紹介はしないけれど
画面に見入ってしまう。
(いまも変わらぬ歌唱を見せる平山泰代さんは同世代の人たちへのエールとなっている)。

2014年に発売された「冬が来る前に 〜なつかしい未来〜」と題されたアルバムは
若い頃からのライフワークである伝承歌なども発掘しつつ、
未来に伝えていくという気持ちが込められている。
http://amzn.to/2A66J5L

東京五輪まではコンサートを続けると。
もうあと2年少々。
行きたかったけれど、しばらくはCDで。


ホテルモントレ神戸の中庭で待ち合わせて
老舗のコーヒー店で香りを楽しみ
ハンター坂をふたりで上がっていったあの日を思い出した。


追記

昭和のフォークデュオはいまも活動を続けている。
ダ・カーポ、トワ・エ・モワ(白鳥恵美子)、紙ふうせん、チェリッシュ…。
例えヒット曲が出なくても
音楽を大切に抱えながらときを過ごしてきた人たち。
還暦を過ぎてもなお自分たちのペースで音楽活動を続けておられる。
その姿に尊敬と憧れを感じてしまう。
トワ・エ・モワの「風のリボン~トワ・エ・モワが歌う美しい日本の歌」も寝る前に静かにかけている。

タグ:2017
posted by 平井 吉信 at 20:58| Comment(0) | 音楽

2017年10月29日

機械の刻む音楽をずらして人間の感じるリズムで奏でる(生きていく) 


前ブログからの続き
ベートーヴェンが好きで
9つの交響曲、32のピアノソナタ、5つのピアノ協奏曲、16の弦楽四重奏曲の全集を
それぞれ何セットか持っている。

ベートーヴェンのピアノソナタで名演とされるバックハウスを聴くとわかる。
バックハウスは効果を狙わないピアニストで感傷的な表現はほとんどない。
ぶっきらぼうに聞こえるぐらいだが、一方で慈しみや愛おしさが伝わってくる。

バックハウスはインテンポではなく、実は細かく揺れている。
表現のために「揺らしている」(アゴーギク=テンポの伸び縮み)のと
演奏者も意図せず「揺れている」のとでは違う。
バックハウスは「揺れている」。
指導者によっては船酔いのような感じ、技術的な欠陥と指摘する人もいるかもしれない。

ぼくはそうは思わない、感じない。
むしろ、正確なリズムで刻まれた音楽は生理的に退屈してしまう。
(これって言葉に説明できないけれどわかる人はわかるでしょう)

人間の耳には機械的に刻まれたリズムは音が出た途端にわかる。
なんだか独特の「退屈感」が漂う。

ポップスやロックにおいてもリズムの揺れがあるのが普通。
それをメトロノーム(リズムボックス)を置いて合わせると
期せずして出てくる「つまらない感」は音楽の生命を奪っているよう。
マルチトラックでリズム合わせをしての被せ(多重録音)を否定はしないけど
名作「A LONG VACATION」はスタジオだけでしか再現できない。

フルトヴェングラーのベートーヴェンはテンポの変化を効果的に曲想に活かしている。
そのフレージングは思いつきではなく、潮が満ちて引いていくように深い呼吸で自然だ。
テンポの揺れというよりは意識的に動かしているが、
表現のための人工的な技術ではなく深い呼吸を感じさせる。
人間の音楽であるベートーヴェンは
指揮者の大きな呼吸のなかで意識を持って再創造されていく。

ぼくが中学1年生になって音楽の授業を受けたとき
衝撃を受けたのがこの自然な動きを取り入れたピアノ伴奏なのだ。
こちらのブログに書いてある。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/179274151.html

渡辺真知子の初期のほとんどの楽曲は
人間が奏でている。
座長は羽田健太郎だったそうだ。
(マクロスでもいい仕事をしたよね)
調べてみるとこんな人たち。
(業界の人には説明の必要もないメンバーでしょう)

田中清司 ドラムス
高水健司 ベース
矢島賢 ギター
ラリー須永 パーカッション
栗林稔 キーボード
羽田健太郎 ピアノ

この人たちはレコーディングメンバーであるとともに
コンサートツアーも担っていたという。息が合っているわけだ。
FM音源だが、スタジオライブを聴くことができる。
しかもリバーブがかかっていない自然体。
(これは珍しい。これはいい!)
素のままのヴォーカルとともに、
ミュージシャンが一発勝負の腕と魂で乗っている。
https://www.youtube.com/watch?v=GoMcVKgfGqg
(1978年のFM音源)

ここでの「かもめが翔んだ日」(37分56秒〜)も
1番から2番の間奏で加速、さらに終盤に向けても。
もともと乗っていくタイプのアーティストであるだけに
健太郎さん率いるリズム隊が彼女の鼓動を感じつつ(多少の煽りも入れつつ)、
渡辺真知子が勢いに乗じて歌い上げる。
疾走感がたまらない快感や共感を生み出している。

人工知能に取って代わられる仕事が多く出てくるが
AIを使いこなす新たな職業も出てくる。
それは「論理的に正しいこと」と人間の感情を調整する役割だろう。

音楽っていいな。

タグ:音楽 2017
posted by 平井 吉信 at 11:34| Comment(0) | 音楽

2017年10月28日

渡辺真知子「いのちのゆくえ〜〜My Lovely Selections〜」から


富岡の阿南駅前のセイドー百貨店のエスカレータを上がっているとき
店内を流れてきた音楽に釘付けとなった。
 
現在、過去、未来、あの人に逢ったなら… 

「掴み」の冒頭からあふれだす才能のきらめき、
 
ひとつ曲がり角 ひとつ間違えて迷い道くねくね

いつでも、という言葉の代わりに畳みかける新鮮な語感、
こんな曲があるのか、と足が止まった。

久保田早紀の異邦人と同様、
これまで聴いたことがない世界からきこえてきた音楽だった。

続いて「かもめが翔んだ日」「ブルー」と提示された三部作の世界観。
(特にこの2曲は突き抜けているよね)
切なさが疾走する。
でも、べたべたしない。
失恋は若者の特権だけど、
自分の体験に触れてそして高い空へと昇華してくれた―。
そんな思いが多くの人の琴線に触れたのかも。

しかも自作自演(「かもめが翔んだ日」のみ作詞が伊藤アキラ)。
この「ブルー」の映像を見て。
憂いをたたえた表情から一転して情念で迫る。
https://www.youtube.com/watch?v=AB1rX49xGws
目の語り掛けの強さ、リズムの躍動感、
情念の深さにぞくぞくする。
ふっと目を上げる、伏せるなど歌と一体となっている。
女優のようだ。

生の一発勝負でこのパフォーマンス。
「かもめが翔んだ日」
音符の洪水、歌の氾濫、音の空間を泳ぎわたる。
https://www.youtube.com/watch?v=R2vr0KwtgfE
なお、スタジオ録音(つまりシングルレコード)でも
曲の後半に向けて加速しているように聞こえる。
3分少々の時空間が渡辺真知子に染まり
その空間がさらに彼女に力を与えているようにすら見える。
(若さっていいよね。いまの時代の音楽とは好き嫌いではなく優劣かも)

歌しかない歌手と、形容する言葉もない聴き手。
この三部作は贅の極み(ごちそうの大盛り)なので
あとに続く楽曲が大変ではなかったか。

それからしばらく経った頃の映像と思われるが、
太田裕美との競演も同窓会のようで愉しい
https://www.youtube.com/watch?v=Ejzg9Jun5OM

たがが恋の絶唱
https://www.youtube.com/watch?v=hxC0MKVK70o

CDはといえば、手元に当時1,000円でヒット曲を6曲収録したアルバムを持っていた。
でも、彼女は現役のシンガーである。
「現在」と「過去」をつなぎながら「未来」へのメッセージを受け取ってみたい。
そこでいのちのゆくえ〜My Lovely Selections〜と題された
3枚組のCDを買ってみた。

ヒット曲、ファンが好きなアルバムからの楽曲が1枚目と2枚目に、
そして2010年以降の歌唱を中心に、
デビュー前も含めたライブ音源で構成された3枚目。
本人選曲の選び抜かれた楽曲を
ソニーの誇るCDスタンプ技術、Blu-spec CD2で提供。
ぼくの装置でCD選書の録音と比べたら、やはりBlu-spec CD2が良かった。
一聴して「選書」盤が鮮度と音場感が高いように聞こえるが
音楽の実在感に優るのは後者。
帯域では中低域の充実感がきいている。
それと声の成分(中域から中高域)がストレスなく伸びていく。

このCD、本人直筆のサインが入った写真集が付いてくる。
(この特典はソニーミュージックの直販のみ。冒頭の写真は宮崎あおいかと思った)
https://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?cd=MHCL000030313
DSFT5418-2.jpg

YouTubeの音源を見て
スタジオ録音を聴いても温度感が変わらないのは
いつも全力でぶつかっているからだろう。
感動を伝える前に本人が崩れてしまう(テクニックの破たん)ライブパフォーマンスがあるよね。
テクニックが失われても魂が伝わるライブパフォーマンスもあるよね。
でも、テクニックと歌の魂を高い次元で持っていたら
スタジオとライブは変わらない。
(レコード盤を買って、スタジオ録音のおとなしい整然とした演奏に物足りなさを感じた人はいるでしょう)
渡辺真知子はいつも全力でぶつかっていったのだろうし、
荒削りであってもそれを制御する歌唱力を持っていた。
(表現こそ違うがキャンディーズもそうだった。スタジオとライブの差は感じられない完成度があった)
瀬戸際のような楽曲をうたっても
その4分を描ききれるから陳腐にならない。
何を伝えるかではなく、いかに伝えるか―。
切なさへの共感と、きれいごとではない情念のうねり。
この表現力、浸っても心地よさを感じるのは
彼女が真剣勝負をしているから、そして聴き手をいつも楽しませようとしているから。

まとわりつく情感と大胆なフレージングが近年の歌唱。
ゴスペルシンガーのようだ。
かもめが翔んだ日も3枚目に収録されている2013年ライブ音源では
スペイン語が紛れ込んできたと思ったらファドの世界だ。

往年の名曲が、コード進行も曲調も一部転調なども取り入れ
ソロの楽器が活躍するジャズの要素もある。
もはや外観など取り繕わない。あるのは歌のみ。

でも、かつてのヒット曲はあの頃のほうが好きだ。
表現しようとすれば楽曲のみずみずしさから遠ざかる。
(年輪のうまみが曲想を活かすとは限らない)
あの頃は何もせずそのまま歌うだけで音楽と一体だった。
世阿弥のいう「時分の花」(何もしなくても匂い立つ表情が魅力の二十代)。
20代に咲く花もあれば、60が近づいて咲く花もある。
そこには35年の歳月がある。


渡辺真知子の人生をかけたメッセージには
過去の回想だけでなく、未来への伝言も含まれている。
渡辺真知子 いのちのゆくえ 〜My Lovely Selections〜

タグ:2017
posted by 平井 吉信 at 13:50| Comment(0) | 音楽

2017年06月03日

シャクナゲを見て思いだした 岩崎良美


いや、80年代のアイドルは日本の歴史の星座だね。
70年代の山口百恵、キャンディーズから受けつがれた
80年代の松田聖子、中森明菜、岩崎良美、菊地桃子、斉藤由貴、荻野目陽子…。
(余談だけれど、ぼくの父はデビュー直前の中森明菜を見て、この娘は売れると思ったらしい)
互いに影響しあいながら一人ひとりが輝いている。
松田聖子についてはよく触れているけれど
いまは岩崎良美が浮かんできた。

岩崎良美といえば、赤と黒、涼風の初期の頃の初々しさもいいけれど
どんな難曲もさらりと歌いこなしてしまう。
姉は気持ち良く歌い上げる。
妹は、天使の高音でさえずりながら、ささやいたり、強い地声で凄んだり。
運命を受け容れてしたたかに生きる掃きだめに咲くバラのような歌い手にもなれる。
(YouTubeで生歌唱を見ると、ぐいぐい引き込まれる。宝物の歌手だね)

愛してモナムール
https://www.youtube.com/watch?v=dmJ-0XDqEFk

愛はどこへ行ったの
https://www.youtube.com/watch?v=FzangHs9uxo

恋ほど素敵なショーはない
https://www.youtube.com/watch?v=6-UQ5dcMB5Y

月の浜辺
https://www.youtube.com/watch?v=WqoOD9hhKig

オシャレにKiss Me
https://www.youtube.com/watch?v=8wVNBk716rg

だから、作家陣が次々と実験的な楽曲を彼女で試す(といったら怒られるか)。
同世代の日本のファンの等身大の日常とは違う非日常のヨーロッパ的な情景と
素人がカラオケでは歌えない移調、転調、リズム感を備えた難曲が続々と。
これでは大衆の心は掴めない。
けれど、そこを涼しげにこなすところが岩崎良美を感じるところ。

彼女、どれだけリズムが弾んでも、日本語の発声が乱れない!
身体のなかに吸い込まれていく歌(日本語の発音)です。
(ロックは日本語のリズムと合わないので母音と子音を不自然に伸ばすというのは技術がないのだ)
ぼくのなかでは、これ。
「恋ほど素敵なショーはないでしょう」
https://www.youtube.com/watch?v=D_teQVw-gRk

日本のポップスの歴史に残る名曲と思っている。
こんな曲をいつも描けたら作家冥利だね。
作家陣が良い仕事をしている。

ギターの刻みにほだされて風に吹かれる羽毛の歌い出し、
そっと空間に置かれた言葉が立ち止まる。
「お願いよここにいてね さよならは いや」
フレーズの最後で消え入るそよ風のためいき。

サビが移調しながらパターンで循環する。
(古典的な作曲の常套手段だけど)

調性が変わるたびに気分を変える。
編曲が次の場面を、さあ、こっちよと案内する。
楽曲を活かす大陸的な抑揚の伸びやかな編曲、
楽曲から浮かび上がる軽やかに弾む声。
幾重にも切なさを編み込んだタペストリー=耳から離れない奇跡の楽曲。
こんな歌を聴かされたらデビュー前のアイドルは諦めてしまうしかない。

アルバムをすべて聴いたわけではないけれど
音を愉しむのならWeather Report、 
ヴォーカリストとしての存在感ならWardrobeかな。

不思議に思うのは1985年のプラザ合意が音楽の分岐点にもなっているのではと。
80年代のアイドルたちも80年代後半には別の領域に行ってしまった気がする。
(そしてバブルの崩壊を迎えるのだ)
アイドル以外では
松任谷由実もオフコースも80年代になって音の厚みを増しながら洗練させている。
それぞれ「SURF & SNOW」、「WE ARE」のような良い音のアルバムを完成させている。
(それはそれで頂点の音楽と思う。でも70年代のフォーク調のテイストから失った情感もある)
2010年代の音楽がこの時代の輝きに及ばないのは、
時代がアイドルやポップスを後押ししたところもあるのではないか。

というわけで、例によってCDは限定発売。
(そううたっていなくても在庫が終了後再プレスされる保証はない)

3枚組のシングル両面コレクションがもっともおすすめ。
音質もそれ以前のと違うのが試聴音源からもわかる。
(視聴もできる)


次いで2枚のオリジナルアルバムとシングルA面を組み合わせた特別企画もの。




この辺りから聴いてみたら?
DSFT1177-1.jpg
あでやかでぽっと浮かぶけれど 気がつけば存在感、妖艶なシャクナゲのようだね。
タグ:アイドル 2017
posted by 平井 吉信 at 18:51| Comment(0) | 音楽

2017年03月26日

モーツァルト ピアノソナタと協奏曲 日本人ならではの高みに辿り着いた


田部京子を知ったのは、吉松隆の佳曲「プレイアデス組曲」の演奏で。
http://amzn.to/2np3UWg
http://amzn.to/2nBkPFp

今回、発売されたモーツァルトの2作品が1枚に入ったCDを求めた。
モーツァルト:
ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調 K.331(トルコ行進曲付き)
ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488 
田部京子(ピアノ)
小林研一郎(指揮)
日本フィルハーモニー交響楽団 ※
オクタヴィアレコード OVCT-00125
2015年6月28日 東京・サントリーホールにてライヴ録音 (ピアノ協奏曲第23番)
2016年9月19-20日 埼玉・富士見市民文化会館(キラリふじみ)にて収録 (ピアノ・ソナタ第11番)
http://amzn.to/2nBg1A0

K331は、第3楽章がトルコ行進曲として知られる作品。
トルコ行進曲は、リリー・クラウスのモノラル盤が忘れられない。
感情の趣くままに刹那に燃え立つ生命力を持ちながらも
端正な造形の古典美を誇っている。
録音は、パリのシャンゼリゼ劇場を愛してやまなかった名手、アンドレ・シャルランの手によるもの。
ワンポイントマイクが捉えた芸術の香気はモノラルながら珠玉の音楽。
ぼくが好きなのは、変奏曲の第1楽章。
豊かな感情を解き放つ旋律の展開に
この変奏曲をいつか弾いてみたい(=人生に重ねてみたい)と思いつつも。

K488は、モーツァルトのピアノ協奏曲で華麗さと情感が散りばめられた佳品。
かつて第2楽章の旋律を薬師丸ひろ子が日本語の歌詞をつけて歌っていた記憶がある。
手持ちのなかにもK488を収録したCDは随分持っている。

往年の名盤を置いておく棚は色あせることはないとしても
いまの時代を漂わせた盤を探していた。
そこでこの盤を買ってみた。
D7K_8762-1.jpg

音が出た瞬間に違いがわかった。
再生装置を感じない自然さ。
透明度を強調するなどハイファイ調の作為がない。
それなのに音楽がベールをまとわず、スピーカーから離れて鳴り響く。
ピアノは直接音がよく聞き取れるが、ホールの間接音が心地よい。
録音は聴衆のいないホールで取り直しをすることなく一発で行われたのではと想像。

オーケストラで始めるK488は、
弦の主旋律の鮮明さ、対旋律がエコーのように寄り添い
木管がぽっと浮かび上がってそれらが協奏曲となって紡がれていく。
これは指揮者の音楽に寄せる深い愛情があってこそ。
このような伴奏ならピアノが自由に羽ばたける。
細部のパートが浮かび上がる万華鏡と
それが混じり合ってひとつの音楽のうねりとなる。
どこまでがピアノでどこまでがオーケストラなのか。

こんなK488は初めてだ。
個性的な演奏という尖り方ではなく
モーツァルトの音楽の可能性を
こぼれ落ちた花びらを池にそっと浮かべるように
細部にまで心を通わせ
木管は空高く、弦は地を漂い、ピアノは空間をコロンと駆け巡る。
流れる大河のごとく悠然として自然。
この繊細さ、自然さはもしかして日本の風土そのものではないかとさえ思えた。
第三楽章のコーダでは、この高揚感はやはりライブだと気付いた。
(K331の端正な冒頭からは想像もできない)。

この演奏なら、モーツァルトの最後の協奏曲K595が史上最高の演奏になるのでは?と思った。
天国にたどりつきたい魂が奏でる無垢なまでのK595を
田部京子と小林研一郎/日本のオーケストラで聴いてみたいもの。
ジャパニーズウィスキーが世界を魅了したように
西洋の古典音楽の典雅な高みの作品を
日本人の感性で音に編み上げ、日本人演奏家でなければなし得なかった高みに。
その晴れ晴れとした聴き心地。
桜の季節に、桜のごとく舞い降りて煌めくモーツァルト。
DSCF4779-1.jpg
SACDとなっているが、通常のCDプレーヤーで再生できる。
http://amzn.to/2nBg1A0

追記

田部京子では、ベートーヴェンのピアノソナタを聴いてみたい。
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第30番、第31番、第32番
http://amzn.to/2mE2Qip

視聴しただけだが、もっと聴きたいと思った。
音の構造が繊細だが凛としている。
作品109が心にしみ入る。
作品110はシューベルトのようにも響くが、そこに音の抑揚の張り詰めた余韻を残す。
作品111では、最後の審判のような凄みと静けさを感じる。
ベートーヴェンのピアノソナタの全集だけでも4セット持っているけれど
このCDは、往年の巨匠の演奏とは異なる価値を創造している。
芸術の香気が漂うけれど
ベートーヴェンの晩年の楽曲から人間のやさしさを感じることができるという意味で。


posted by 平井 吉信 at 19:17| Comment(0) | 音楽

2017年02月05日

山下達郎 これからも


好きな選手はイチローである。
いまも現役の大リーガーとして準レギュラーで活躍している。
そのために自分の強みである「俊足」「動体視力」「強肩」を活かしている。
でも「強みを活かす」ことは戦略の基本でありながら難しい。

例えば、もっと足が早くなれるよう筋トレを行う。
強肩をさらに堅固にするために投げ込む、といったやり方では
強みを伸ばすことにつながらない。

それよりも、わずかな動きに反応できる身体能力、
意思とそれを動かす神経、筋肉、骨格が有機的に統合されること。
だから関節の可動域の確保や体幹の均衡に留意しつつ
メンタルとの一体性からルーティンを確立するのも賢明。

こうすることで正確なバットコントロール、予測能力も含めた守備範囲の広さ、
捕球際になって伸びる制御のきいた遠投を複合的に駆使して
最多安打や高打率、盗塁王、ゴールデングラブ、捕殺などにつながっている。
しかもその選手生命が持続している。


前置きが長くなった。
イチローから連想されるミュージシャンがいる。
ミュージシャンというと、喜怒哀楽が激しい気まぐれ。
創造の泉が枯渇する不安から
酒や煙草やその他非合法の手段も含めて偏った日常に浸り、
その結果、音楽生命もまた自身のいのちも短命に終わるというイメージがある。
(魂の音楽とは幻に頼る手段でしか生み出せないものだろうか? 確かに理性が支配する脳からは感動は生まれない。でも退廃的な方法でなく理性をしばし眠らせて汲めども尽きることのない泉を内側に持つことはできるはず)


世阿弥の風姿花伝によれば、人はそのときどきに花を咲かせることができるとする。
しかし10代の花と20代の花、50代や60代の花は違っている。
そのことに気付かずに、若さゆえの花にいつまでも憧れて破滅する。
そうではないだろう。
80代のミュージシャンがいてもいい。
老害などではなく、失われた技術と引き換えに得たものがあれば。
自分と向かい合いながら、魂の高みを音楽として花を咲かせてみる―。


山下達郎は自分の健康やライフステージを意識している音楽家と感じる。
長い音楽家生命は自己管理と戦略ゆえではないかと。
戦略とは、譲るところと譲れないところを明確に、
ぶれない立ち位置でありながら時代を引き寄せるという意味で。

かつてFM雑誌であったかインタビュー記事があって、
確かこんなフレーズだったと記憶している。
「いきざま音楽なんてなくなれ!」(記憶が不確かで間違っているかもしれないが)

当時はニューミュージックの全盛期であった。
作詞に力を入れ、音楽というよりは音楽に乗せた語りのような
つまり伝道師のような音楽家にはなりたくない、とのニュアンスを感じた。

初期のアルバムは楽曲志向が突き抜けていてそれはそれで好きだ。
例えば、1979年発売の「ムーングロウ」のなかから「RAINY WALK」など。
http://amzn.to/2la4dRz

DSCF1839_HDR_1.jpg

さらに遡って1975年の「シュガー・ベイブ」での「SONGS」は時代を超越して輝いている。
どの楽曲も自由な気分があふれ、のびのびと展開していく。
http://amzn.to/2k8YZoc
ぼくは「雨は手のひらにいっぱい 」が好きで、
その後、「ハニー&ビーボーイズ」のアルバム「バック・トゥ・フリスコ」にも収録された。
アナログは持っているが、多くの人に聴いてもらうためCDで復刻されないだろうか。
(80年代半ば頃の発売だったと記憶している)
アルバムジャケットも秀逸だ。
http://amzn.to/2kFx5n4

このままできごとを綴るほどの知識と経験はないので
あとは好きなアルバムを3枚紹介するとして。
(この3枚はどれが最高というのではなく、そのときどきに無性に聴きたくなるもの)
発売順に書いてみよう。

「RIDE ON TIME」(1980年)
タイトル曲が「目を覚ませ、音楽人間」のコピーで
自身も出演したマクセルのカセットテープのCMにも使われた。
それまでの音楽と本質は変わっていなくても
時流をつかむことの機微も大切と教えてくれる。
ほんとうに実力がある人は時代や聴衆に媚びることなく、
しかし時代の空気感や聴衆を大切にしながら
時流を感じて時代を引き寄せることができる。
(生き様を語っていないが、アルバムの成功からそんな人生訓は感じる。ぼくもそうありたいと思っている)
EPOも歌っていた「いつか」のリズム隊の刻みで身体が動き出す。
DSCF5465_HDR.jpg
でも、このアルバムの白眉はB面ではないだろうか。
「夏への扉」がおだやかな午後への扉をひらいて永遠の夏をリフレインする。
「MY SUGAR BABE」で空想の空への憧れのようでもあり、
「RAINY DAY」では時代に媚びない内省的な深みがたまらない。
「雲のゆくえ」では覚醒にも似た高揚を感じ、
「おやすみ」で耽美に消えていく。
http://amzn.to/2k92XNE

DSCF5594_HDR.jpg

「FOR YOU」(1982年)
大滝詠一の「ロング・バケーション」と双璧の夏のアルバム。
楽器をやる人にはたまらない冒頭の刻みから
西海岸の乾いた風が洗練された音の洪水となって押し寄せる。
日本語がロックには向かない、なんて呪縛を解き放っている。
日出ずる国の音楽の風格と余裕を感じるのはやはり時代を背景にしている。
(いまこんな音楽は誰もつくれないよ。才能もあるけど時代がそれを阻んでいるから)
「HEY REPORTER!」が生まれた背景は理解できるけれどCDではスキップする。
ぼくの個人的な背景とはつながらないので。
http://amzn.to/2kuegkC
DSC_0036-1a_HDR.jpg

「MELODIES」(1983年)
音楽っていいなと感じるのはこんな音楽を聴いているとき。
ぼくの大好きな国道55号線を南下するとき、
「悲しみのJODY」や「高気圧ガール」は不可欠。
夏冬混合の楽曲だけれど
sky.jpg
冬に聴けば、夏への思慕、なつかしさがこみあげ、
夏に聴けば、クリスマスの頃のせつなさが蘇る。
マンハッタンズのようなテイストも感じる。
DSCF4883_HDR_1-1.jpg

山下達郎は作詞家としても秀逸。
特定の場面が現実感を持って描かれたものではなく
どちらかといえば抽象的暗示的であるけれど
そこには楽曲と一体となって感情の雲がわき上がるというもの。
場面に依存しない心象風景―。究極の叙情といってもいいと思う。

バブルに至る時代の流れで
取り残された人たちの心を捉えた「クリスマスイブ」では
イントロから賑わうクリスマスの雑踏が浮かんでくる。
歌詞にはクリスマスの幸福感はない。
人々の共感を得つつ、時代へのアンチテーゼをひそませ
普遍的な愛の場面を描いているよう。
(80年代のソーシャルマーケティング)
http://amzn.to/2l5Vzqo


もう1枚上げるなら
「Big Wave](1984年)
D7K_4329-1_HDR_1.jpg
徳島の県南部ではサーフィンをやっているから、というわけではないけれど
サーフィン映画のサントラ。
「サンデーソングブック」(東京FM)は運転中によく聞いたが
そのテーマ曲「ONLY WITH YOU」を収録。
Major7,Minor7系の解決しない和音の進行がたまらない。
ビーチボーイズのカバーが2曲「GIRLS ON THE BEACH」「PLEASE LET ME WONDER」 ある。
オリジナルも好きだが、達郎版では多重録音のコーラスを堪能できる。
http://amzn.to/2k8SqSK
DSC_00291_3.jpg

自身がバックグラウンドにしている音楽への共感と
音の仕上げの職人的な愛情と
自分のやりたいことをやりながらも
時代へのメッセージを秘めた音楽、
それがぼくにとっての山下達郎。

これからも。
posted by 平井 吉信 at 13:05| Comment(0) | 音楽

2017年01月05日

松岡直也がくれた年が明ける贈り物 Beautiful Journey -Romantic Piano Best Collection-


音楽が好きでいつも聴いている。
仕事をしていなければ音楽を聴いていたいけれど
いつも、ではないし、ながら、ではない。
(むしろ集中するときは音楽を聴かない)

だから音楽と向かい合って聴く。
聴くことが多いのはクルマを運転中のときと寝る前のひととき。
深夜であっても隣近所にまったく迷惑にならない音量だから。
(耳が良いことはいいことばかりではないのだけれど)

昨年末、松岡直也の3枚組CDが発売された。
Beautiful Journey -Romantic Piano Best Collection-
一見してベストのようだけど、romantic Piano Best と副題が付けられている。
テーマを持った選曲は一貫している。
そう、これはピアノが際立つ旋律が主役。
けれどそこには奏者(楽器)のせめぎ合いの妙があって
「ピアノ協奏曲」ではない。
ラテンとフュージョンを合せた独創的な音楽なのに
一聴して松岡直也なのに
けれど旋律はこれまでのどの楽曲とも似ていないのに
どこかで聴いたかのようななじみがあるのはなぜ?

聴いていて心が弾むのは、
作曲している人が、弾いている人が、
ただ音楽が好き、という理由だけでやっていることが伝わるから。

海岸沿いの国道55号線を時速60kmで流すとき
ミディアムテンポが軽やかに風景を後方に流していく。
けれど、ゆっくりとこの時間を身体に感じていたいから。
D7K_6565-3.jpg

ひとりの男が好きなことだけを一生かけて取り組んで
その成果を娘が拾い集めたのがこのアルバム。
(初めて松岡直也を買うのならこれだけでいい)
遺した人も遺された人も幸福感に包まれているようで。
D7K_6565_HDR.jpg

クリプトンKX-1で鳴らすと、小音量であっても
豊かな響きと抑制された音楽の弾みが心地よくて
朝でも昼でも夜中でも松岡直也を聴いていたい。
2016年が暮れるときも2017年が明けるときも
松岡直也のこのアルバムがあったから。
http://amzn.to/2iag3cj

D7K_6565-4.jpg

えっ、年賀状?
今年も1枚も出せていません。
いただいた人、今度お会いしたときにでも。

(風景は南阿波サンライン)
posted by 平井 吉信 at 00:11| Comment(0) | 音楽

2016年10月29日

眠りの前に聞いて深い安らぎに誘われる そんな音楽があります


カフェに行けなくても瞑想の時間は取りたい。
瞑想のときには音楽は要らない。
瞑想といってもいまや宗教とは無関係。
Googleなど世界的な企業が組織的に取り入れている
マインドフルネスという考え方によるもの。
瞑想の効能はもはや大脳生理学で明確に実証されている。
専門用語でいえばヴィパッサナー瞑想。

別の話題をもうひとつ。
人は成功するから幸福なのではなく
幸福感があるから成功するということ。
ハーバード大の教授が執筆したベストセラーがある。
「幸福優位7つの法則 仕事も人生も充実させるハーバード式最新成功理論」
(ハーバードからこのような研究が出たのはさすがだと思う)
http://amzn.to/2eFhmRL

ストレスと付き合っていくために
自分をよく知るとともに
ストレスを自分で管理する(ストレスマネジメント)。
幸福を感じる心が生きる原動力であり、そのための心構えが述べられている。
(幸福感とはかつて自己啓発セミナーで取り上げたようなポジティブシンキングとは違う。後者はむしろ他人の気持ちに気付かないふりをしているのではとさえ思うのだ)
幸福を感じる生き方が幸せな生き方、というと禅問答のようだが
この本の趣旨を理解して取り入れられたら
充実感が違ってくるだろう。


さてと、表題に背かないために情報(というか体験)のご提供を。
日本ではプレムプロモーションレーベルからいいのが出ている。
音楽を聞き込んだぼくがおすすめできる厳選した3枚。

★クワイエット・アース/カマール
http://amzn.to/2eZ48NW
試聴ができるhttp://www.relax-garden.com/products/detail.php?product_id=81

この音楽を聴くと、地球の黎明という言葉が浮かぶ。
まだ生物もいない原始地球に音の風景があるとしたら
まだ旋律は生まれていないが
ゆらぎがときおり音程のつながりに昇華するとしたら
こんな音楽ではないかと。
右脳と左脳を調えるなどとうたわれているが
頭のすみずみから淀みが押し出されてすっきりとする。
特に1曲目が白眉。
空間にしずしずと響いて細胞のなかに入り込んでくる。
そこにはこの手の音楽にありがちな作為性、
「癒やしってこんなもの」の意図が感じられない。
細胞レベルで癒やされる感じがする不思議な感覚。


★タントラ/アヌガマ
やさしい波動にあふれている。
荘厳というよりは人の気配。
淡い泡の海に漂うような。
明るいけれどもおだやか。
クワイアットアースとの共通点は潮騒を感じるところ。
http://amzn.to/2eRbhlO


最近購入したのをもう1枚だけ。
これもプレムプロモーションレーベルだが、
紹介する力学も意図もまったくない。たまたま揃っただけ。

★Moon Light Ocean-海の月光浴

波の音が基本にあってそこに音楽がかぶさっている。
一般的な波音のCDは波の音だけなので
室内に飛沫が飛び交うようで波に神経が行っていまい、
居心地が悪く感じられることがある。

制作者の中田悟さんは、BSセント・ギガで耳にしていた。
(良い放送局であったが、残念ながら経営破綻)
自然音に造詣の深い方で多数の録音を残されている。
すでにお亡くなりになっていたのだ。
http://www.bayfm.co.jp/flint/20080309.html

中田さんの波の音は適度に音楽と溶け合う。
音楽(旋律)が出しゃばらず波の音が尖らない。
瞑想中にかけて良い音楽があるとしたら
これだと思う。
瞑想に音楽が向かない理由は
呼吸に集中するのに旋律や律動が邪魔するから。
(特に知っている旋律の場合。絶対音感のある人は無意識に音符にしてしまうし、そうでない人もメロディーを追いかけてしまう)
ところが、このCDは違う。
自然音と音楽がこれほど違和感なく融合しているのは
長年の経験と感性だろう。
瞑想するときにむしろかけたくなるし
眠りに就く前にかけたままでいつのまにか意識が薄れている。
(眠りは深い)

クルマの運転中にかけながら深呼吸をすることもある。
すると、意識が調って身体の調子が改善する。
その後の運転が冴える。
(眠気をさますのに使える)
http://amzn.to/2eX2Jrz


ストレスマネジメント、幸福感、瞑想―。
同義語で捉えられる。
タグ:瞑想
posted by 平井 吉信 at 17:17| Comment(0) | 音楽

2016年09月27日

童謡、唱歌で 夢は山野を駆けめぐる


以前の話題の続き

童謡・唱歌でもっともよく聴いたのがこどもたちによるもの。
NHK東京放送児童合唱団による「早春賦 珠玉の唱歌名曲集」(キングレコードK30X-244)。
http://www.oricon.co.jp/prof/17893/products/131273/1/
(1988年の発売だが、すでにメーカーや合唱団のWebサイトからも消えているようだ。CDは見つけたときに買わないと後がない)
【収録曲】
1. 早春賦
2. 朧月夜
3. 故郷
4. 若葉
5. 茶摘
6. 田植
7. 港
8. 夏は来ぬ
9. 海
10. 牧場の朝
11. 我は海の子
12. 村祭
13. 紅葉
14. 野菊
15. 冬景色
16. 冬の夜
17. 鎌倉
18. 故郷の空
19. 埴生の宿
20. 故郷を離るる歌
(残念ながら廃盤で入手は難しいかもしれないが、中古市場にはあるだろう)。

児童合唱団としての歌唱のレベルは高いが
おとなのようにパフォーマンスがないからいい。
合唱団にありがちなアレンジしすぎて楽曲のニュアンスを損ねることはない。
(子どものお遊戯のレベルではなく安心して聴くことができる。合唱団の技巧が前面に出すぎれば唱歌の世界が小さく沈むが、この盤はそのバランスが絶妙なのだ)

楽曲によってソロパートと合唱パートが交替する場面があり
ソロの子どもたちの突き抜けた透明感は何物にも代えがたい。
秋の野を影絵となってひとりとぼとぼと歩く姿が見えるようだ。
そして仲間が戻ってきて音楽の輪に包まれる。
子どもの顔に笑いが戻る。

伴奏も弦楽器、ピアノ、ハーモニカなど
楽曲によって個性を際立たせて
聴き終える頃には胸にあたたかいものが残る。

現役版で探してみると、次のものがあった。
http://amzn.to/2d5eEmd
カメラータによる録音がとてもていねいで
関係者の思いを感じることができる。
【収録曲】
・汽車(文部省唱歌/作詞不詳/大和田愛羅/編曲:糀場富美子)
・たこのうた(文部省唱歌/編曲:糀場富美子)
・村の鍛冶屋(文部省唱歌/編曲:大竹くみ)
・めえめえ児山羊(藤森秀夫/本居長世/編曲:北爪道夫)
・椰子の実(島崎藤村/大中寅二/編曲:北爪道夫)
・冬景色(文部省唱歌/編曲:鷹羽弘晃)
・一番星みつけた(文部省唱歌/生沼勝/信時潔/編曲:鷹羽弘晃)
・ふじの山(文部省唱歌/厳谷小波/作曲不詳/編曲:大竹くみ)
・村祭り(文部省唱歌/編曲:糀場富美子)
・夕焼け小焼け(文部省唱歌/中村雨紅/草川信/編曲:糀場富美子)
・案山子(文部省唱歌/編曲:糀場富美子)
・故郷(尋常小学唱歌(高野辰之/岡野貞一/編曲:大竹くみ)
・どこかで春が(百田宗治/草川信/編曲:鷹羽弘晃)
・3つの太郎のうたメドレー(編曲:鷹羽弘晃)〜浦島太郎(文部省唱歌)〜金太郎(石原和三郎/田村寅蔵)〜桃太郎(尋常小学唱歌/作詞不詳/岡野貞一)
・赤とんぼ(三木露風/山田耕作/編曲:北爪道夫)
・あの町この町(野口雨情/中山晋平/編曲:鷹羽弘晃)
・雨降りお月さん(野口雨情/中山晋平/編曲:糀場富美子)
・アメフリ(北原白秋/中山晋平/編曲:糀場富美子)
・波浮の港(野口雨情/中山晋平/編曲:北爪道夫)
・旅人の歌(野口雨情/中山晋平/編曲:大竹くみ)
・出船の港(時雨音羽/中山晋平/編曲:大竹くみ)
・砂山(北原白秋/中山晋平/編曲:大竹くみ)
・東京音頭(西條八十/中山晋平/編曲:北爪道
テクニックはさらに磨かれていてアレンジも芸術性を高めている。
けれど、あの旧版がさらに忘れられない。

小さな灯りに代えて小さな音量で唱歌を聴く秋の夜長は、
子どもの頃かけめぐった山野を閃光のように蘇らせてくれる。
posted by 平井 吉信 at 11:05| Comment(0) | 音楽

2016年09月25日

森山愛子 応援しています


前頁から

森山愛子 コンプリートベスト から 赤とんぼ
http://amzn.to/2cvyUzX
レコード会社は森山愛子に叙情歌を歌わせた企画を実現して欲しい。
これだけの歌手の旬を記録しないのはもったいない。
(誰か金持ちのパトロンが付いてレコード会社に大金を積まないものか)
かろうじてYouTube上でNHKの番組の公開収録のうたが見つかるが。
https://www.youtube.com/watch?v=i8FbONpEroQ
個性を出して(小節で)成功したのは唯一この人だけ。
シンディ・ローパーのやさしい感性がうかがえる。
シンディは、震災直後の3月16日、コンサートを(チャリティを兼ねて)予定どおり行った。
彼女もその感受性ゆえに人の心の痛みのわかる音楽家である。

NHKにて
https://www.youtube.com/watch?v=8LwJ-lYmuAk
解説付
https://www.youtube.com/watch?v=6J2f-pLI6c8
(後半にコンサートの映像がある。彼女の赤とんぼでももっとも歌の世界に没入したもの)

ふるさと
https://www.youtube.com/watch?v=k3mxDGGzFuw

千曲川
https://www.youtube.com/watch?v=m6aN0ltN3yg

アンコ椿は恋の花
https://www.youtube.com/watch?v=T2KFkDBWKsU

ヨイトマケの歌
https://www.youtube.com/watch?v=bOvNr5395jM
https://www.youtube.com/watch?v=R-MDpPSAFVI

麦畑
https://www.youtube.com/watch?v=yKNQSjQyqJU
コミカルな味がいい。由紀さおりのようだ。

逢いたくて逢いたくて
https://www.youtube.com/watch?v=bwenCDRLST4
東京ドドンパ娘
https://www.youtube.com/watch?v=k417W-tSRVE
銀座カンカン娘
https://www.youtube.com/watch?v=LFn_g71AQnQ
リンゴの唄
https://www.youtube.com/watch?v=0B-n8EVIuHA
蘇州夜曲
https://www.youtube.com/watch?v=yMGnbi3wD1U
青い山脈
https://www.youtube.com/watch?v=-Hrpr9wNBpE
カナダからの手紙
https://www.youtube.com/watch?v=9IghWDA0mEM
(山川豊と)
https://www.youtube.com/watch?v=_yzNhlsSHD4
(平尾昌晃と)
https://www.youtube.com/watch?v=_yzNhlsSHD4
都会の天使たち
https://www.youtube.com/watch?v=WycHHXHKgyA
昭和歌謡はいい感じ。

なごり雪
https://www.youtube.com/watch?v=UgxMKZDzfWA
https://www.youtube.com/watch?v=6L-C_hbGunc

琵琶湖周航の歌
https://www.youtube.com/watch?v=_brnCnvl5-Q

時代
https://www.youtube.com/watch?v=ZwdDbvafh1g

八月の濡れた砂
https://www.youtube.com/watch?v=h9MdRGalTk4

イムジン河
https://www.youtube.com/watch?v=9QAgGt-Pbso
約束
https://www.youtube.com/watch?v=cyMnvw6Djx0
https://www.youtube.com/watch?v=NdKNyK4QJLM
(韓国歌謡の情感とは距離が近い)

未来予想図2
https://www.youtube.com/watch?v=ycZIihGtauQ

スイートメモリー
https://www.youtube.com/watch?v=pxJjICWQ_Kk
小節は使わなくても歌える。

ひこうき雲
https://www.youtube.com/watch?v=fuI7ofi2244

やさしい悪魔
https://www.youtube.com/watch?v=PceI_6fij0o
(これはキャンディーズに及ばない。急ごしらえのトリオだから)

わたしの彼は左きき
https://www.youtube.com/watch?v=M3j8i9Py8S8

みずいろの雨
https://www.youtube.com/watch?v=4z2Ov2wU0Gc
(これはオリジナルが強敵)
https://www.youtube.com/watch?v=SijwJOkSKTA

手紙
https://www.youtube.com/watch?v=G8K0uplLWfg
(またまた強敵にぶつけてきた)

いい日旅立ち
https://www.youtube.com/watch?v=k2PjSMeWIBY
(元歌は山口百恵の祈りを込めた情感が印象的だが)

涙そうそう
https://www.youtube.com/watch?v=trOFhJeuvVY


https://www.youtube.com/watch?v=ue8XZIzLZJk

浜辺の唄
https://www.youtube.com/watch?v=gZ7exjLwNHA

悲しい歌でも間奏中に笑顔を見せるのは、
森山愛子は聴いている人を思って歌っているから。
歌のうまさはだれのために使うかを心に留めている人。

それにしてもこれだけのレパートリーをこなしているのに驚く。
地方を題材にして小節を使う情感豊かな楽曲は十八番だが
それ以外にも歌の世界に浸ることができた。

歌は人を振り返らせ、未来を向く勇気を少し感じることができる。
森山愛子にはカバーアルバムをつくって欲しいと願っている。
http://amzn.to/2cvM9QZ
タグ:森山愛子
posted by 平井 吉信 at 16:09| Comment(0) | 音楽

童謡、唱歌、叙情歌を秋の夜長に聴く 決定版を探して


由紀さおり(安田姉妹)つながりで前からの続きということで。

童謡と唱歌の魅力についてはそれぞれの想い出が照らしてくれる。
その追体験をしたいからCDを聴くのだけれど
どれを選ぶかが難しい。

お姉さんとの姉妹での童謡や唱歌も人気作となっている。
トルコ行進曲での超絶技巧も楽しい。
でも、童謡や唱歌は繊細で歌手の自己主張のさじ加減が難しい。
ぼくもこれまであまたの歌手を集めてみた。

倍賞千恵子 叙情歌全集
http://amzn.to/2d0ktl0
凛として昭和の生活感を背負った歌がある。
叙情歌をサロン芸にしないために、
全集だったが思い切って手に入れた。
歌は楽曲の世界を壊すことなく淡々と綴る。
しかしそこに情感が香る。

雨宮知子 おかあさんの詩
http://amzn.to/2d8oDHT
クルマで聴くと心が洗われる。
気がつくと一緒に歌っている。
(信号で止まったら恥ずかしいので歌をやめる)

グレッグ・アーウィンの英語で歌う、日本の童謡
http://amzn.to/2d8nBLW
雨宮知子の日本語の童謡のあとに
日本語の意義を英訳してグレッグが歌う。
同じ歌の日本語と英語が聴ける。
英訳にじんと来ることもある。
豪華ななのは絵本が付いてくること。
いや、絵本にCDが付いているというべき。
日本人の心の郷愁を呼び起こす画には見入っていまう。
故郷を思う気持ちに東西はない。
口コミで支持されて売り続けられているが、
廃盤になってからこの世界観に触れられなくなっては後悔する。

山野さと子 
どうようベスト
http://amzn.to/2cvz1f1
同 さくらsong
http://amzn.to/2cvySYY
同 35周年記念
http://amzn.to/2d8mv2T

NHKの歌のおねえさんであり、アニメ主題歌も多い。
歌の世界のために奉仕しているという感がある。
雨宮知子とともに大切にしたい童謡や叙情歌の歌い手。

スーザン・オズボーン wabi (英語)
http://amzn.to/2d8nyzO
呼吸の深さ。赤とんぼの世界観は想像を絶する深みと
(安易に使いたくないが)押し寄せる癒やしの波が空間を包み込む。
スーザンは決してオペラティックには歌わないが、
豊かな声量はまるで母なる地球から湧き出しているかのよう。

有山麻衣子 幻のコンサート
http://amzn.to/2cvyXf6
音楽評論家に見出された音大出身生の録音でこれ1枚だけ。
場の空調ノイズさえ厭わす拾いだした録音の空間の再現度と
徹底的にノンビブラートで声を投げ出している。
外国の楽曲も数曲入っていて
フォーレのレクイエムの魂の慰め(純粋に美しいからとしかいいようがない)、
カントルーブのオーベルニュの歌から「バイレロ」は清涼の極み。
中古でもちろんプレミアムとなっている。
しかし中古で高く買うなら、
録音に携わったインフラノイズ社から市販されるようになった。
「マスタークオリティー 有山麻衣子 幻のコンサート」
http://www.infranoise.net/shop/

白鳥英美子 抒情歌 ベスト
http://amzn.to/2cvySbm
http://amzn.to/2d8pzvE
アメジンググレースで脚光を浴びたことを覚えている人も多いだろう。
どの楽曲もつるつると引っ掛からず聴くことができるのど越しの良さがいい。
もう一歩の深みも欲しいけれど
表現に走ると、世界が矮小化される罠に落ちるのは童謡や叙情歌の怖さだから。

トワエモア 風のリボン
http://amzn.to/2cvySbm
夜しみじみと聴いている。或る日突然、砂山など部屋に波紋が広がっていくようで。
たぶん、深夜にもっとも取り出しているCD。楽曲の途中でそのまま眠っている。
でも、デジタルアンプだから朝まで点けても問題なし。

森山愛子 コンプリートベスト から 赤とんぼ
http://amzn.to/2cvyUzX
レコード会社は森山愛子に叙情歌を歌わせた企画を実現して欲しい。
(森山愛子については次頁にて)

童謡、唱歌、叙情歌に浸ってきたが、
個性が楽曲に優っていたり
声の透明度、抱擁度、優しさと強さ、
いずれも必要とされる。
声の色がひといろ過ぎて飽きそうになったり、
それぞれ収録曲も違えば得意も違う。
結局1枚ですべてを満たすものはなく、
そのときの気分で聴いている。
いずれでも言えるのは、ビブラートは要らないというところ。
オペラ歌手が歌えば美しく響かそうとして詩が埋没する。
(歌の心に入っていけないのは大きな問題)
安田姉妹では、遅い楽曲でお姉さんの歌い方がやはり引っ掛かる。
(妹さんはビブラートを抑制しつつもレガートの魔法を持っている)

臼澤みさき 赤とんぼ
https://www.youtube.com/watch?v=6rbeiR8C7Jk
震災後に発表されたアルバムから。
歌は風土と結びついていることを実感。
応援している。

特に難しいのは「赤とんぼ」。
楽曲の世界観からはアレンジは最小限に留めておきたい。
テンポルバートは論外。
音程の動きは想像以上に難しく、これを遅いテンポを保って
つぶやきでもなく、朗々と歌い上げるのでもなく
寂しさや懐かしさをこめつつ、淡々と流す情感の深さ、とでもいおうか。
いつの日か、理想の赤とんぼに出会えることを楽しみにしつつ。

→ 童謡、唱歌で 夢は山野を駆けめぐる









posted by 平井 吉信 at 14:04| Comment(2) | 音楽

2016年09月24日

由紀さおり 夜明けのスキャット〜宇宙戦艦ヤマト〜海上自衛隊東京音楽隊


ルールールルルー♪
歌詞が出てくるのはずっと後。
でもこのまま終わってもいいと思えた。
子ども心に何を感じたのか。
おとなの女性の色気を敏感に感じ取る年頃だったのかも。

歌詞がわかるようになると
こんなうたがテレビに流れて人々はどうだっただろう。

…ゆくの、よ(と、違う世界に旅立つことを示唆)
夜は流れず星は消えない 愛の歌響くだけ…
(説明はしないけれど)

う、これは。
独身の男女が聴いてはいけない歌。

昭和44年当時と同じ音程で
むしろレガートに磨きをかけて。
何という歌手人生だろう。

いまから数年前、
由紀さおりの初期のオリジナルアルバムがCD化された。
いまも衰えていないとはいえ
21歳でなければ歌えない声がある。

これらも手に入る最後の機会かもしれない。
ファーストアルバム「夜明けのスキャット」(1969.7/10)
http://amzn.to/2d7tIQy

セカンドアルバム「由紀さおりの美しき世界」(1969.12./1)
http://amzn.to/2d7sHIc

サードアルバム「あなたと夜と音楽と -由紀さおりの魅力-」(1970.6/5)
http://www.universal-music.co.jp/yuki-saori/products/toct-29012/
(ジャケット写真の妖艶なこと)
http://amzn.to/2d7uTzx
(上記はアマゾンMP3の試聴先)
HMVも売り切れ
http://www.hmv.co.jp/artist_%E7%94%B1%E7%B4%80%E3%81%95%E3%81%8A%E3%82%8A_000000000035868/item_%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%A8%E5%A4%9C%E3%81%A8%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%A8-%E7%94%B1%E7%B4%80%E3%81%95%E3%81%8A%E3%82%8A%E3%81%AE%E9%AD%85%E5%8A%9B_4993673
新品で入手できるのはタワーレコード
http://tower.jp/item/3076121/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%A8%E5%A4%9C%E3%81%A8%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%A8--%E7%94%B1%E7%B4%80%E3%81%95%E3%81%8A%E3%82%8A%E3%81%AE%E9%AD%85%E5%8A%9B-
(ブログに掲載すると瞬く間に売り切れるかも。ご容赦)

淑女の香りが芳しいほど耳元をくすぐる。
少女の祈りのような高音が明滅するかと思えば
次の瞬間、小悪魔の表情が舌をぺろっと出して
甘やかな吐息をふっと漏らす。
昭和のささやき、たまらない。

1970年といえば、大阪万博。
その象徴であった太陽の塔に打たれた。
子ども心にこんなものが世の中にあるのか。
見たい、欲しいと思った。
万博のテーマも岡本太郎のねらいも知るよしもなかったが
理屈を越えて飛び込んでいく生命力を感じた。
夢遊病のように崇拝した岡本太郎の呪縛から解き放たれたのは
近年になってからである。


昭和の歌と21世紀の歌との埋めがたい溝を感じる。
という言い方が控えめであるのなら
優劣があるように思える。

近作のNHKの連ドラの主題歌を
若手の人気ユニットが歌っていたが、
オープニングは聴きたくなかった。
(楽曲は悪くないのだが、声が流れてくると暗い気持ちになった)
ディレクターや録音に携わるプロデューサーはなぜ放置しているのか。

ところが、由紀さおりがテレビの番組で
若手が鼻濁音の発音ができていないことを嘆いていた。
(もちろん、連ドラのオープニングを指したものではない)
ぼくは、授業で日本語の発声練習をしたほうがいいと思う。
かつて日本語にあった、Y行、KY行、W行が
時代に埋没して消えていったこともある。
発音が単純化することは、例えば外国語の対応力が低下することを意味する。
文字に書かれていないことを理解できなくなることにも通じる。
(文字に書かれていないことは理解しない、という文脈につながる不安があるのだ)
発音とは文字を読むことではない。
だれも東京を「トウキョウ」とは発音しないのだから。

ぼくが感じたのもそのことだったのだろう。

変えること、変えないことが世の中にはあるはず。
日本語の響きは変えないことだろう。
変えなければならないもの、
いまの時代に照らして再定義すべきものは
家元とか形式主義とか権威など残っているのだ。


さて、スキャットといえば、宇宙戦艦ヤマトの川島和子が印象的だ。
(あ、あの場面の、あーあー あああ、という)
https://www.youtube.com/watch?v=nvH9f78-VFI

滅びの美学が使命感を残り火のように燃やす。
大気圏でカプセルを切り放したはやぶさが
地球に突入して燃え尽きた2010年6月13日。
https://www.youtube.com/watch?v=KO2550BAMU4

はやぶさは金属の塊ではない。
そこに人々が魂を吹き込み、はやぶさがそれに応えた。
最後の任務となる日、
JAXAは、はやぶさの向きを変えて
生まれ故郷の姿を最後に見せたという。
関係者にとって、いや関係者でなくても
はやぶさを愛おしいと思う気持ちに変わりはない。
(ぼくの前にははやぶさの模型がある。これを眺めるときは無心に見るとき)
D7K_1835-2.jpg

こんなときに聴きたくなるのが
宇宙戦艦ヤマト交響組曲。

ぼくはボックスで買ったがいまは見当たらない。
CDは見つけたときに求めなければ後悔する。
(まだあると思っていて、数日の違いで入手できなかったことがたびたびある)

主題歌挿入歌を集めたアルバム
http://amzn.to/2cuAbXZ

いまは海上自衛隊東京音楽隊の三宅由佳莉だ。
特に坂の上の雲の主題歌「stand alone」に胸を打たれる。
https://www.youtube.com/watch?v=sXpKMO4XGx8
http://amzn.to/2d7xlWZ
こんな歌い方を毎日していたら身が持たない、と思えるほど
燃え尽きて歌っている。
スタジオ録音のCDでどこまで入っているかはわからないが
まずは、YouTubeで見てみては?


由紀さおりから始まり、はやぶさ経由でヤマトでとまる。
さらに海上自衛隊へと流れた。
秋が来たということ。
posted by 平井 吉信 at 22:52| Comment(0) | 音楽

2016年07月24日

国道55号線は「Pineapple」の季節 胸がつんと鳴る夏の日


室戸岬へと伸びる国道55号線、
パイナップルをめぐる季節は何度もやって来る。

7-1.jpg
(南阿波サンラインの下りの直線。この次のカーブをどのようにトレースする?)

夏を迎えようとする1982年5月21日、
松田聖子の5枚目のアルバム「Pineapple」が発売された。
帯には、”シュロの香り、南風 いま、ココナツ色の気分”
ジャケットは、甘酸っぱい黄色の背景に
彼女の顔がいっぱいに映し出されたもの。

松田聖子 Pineapple(パイナップル)楽曲
01 P・R・E・S・E・N・T 
 作詞:松本隆/作曲:来生たかお/編曲:大村雅朗
02 パイナップル・アイランド
 作詞:松本隆/作曲:原田真二/編曲:大村雅朗
03 ひまわりの丘
 作詞:松本隆/作曲:来生たかお/編曲:船山基紀
04 LOVE SONG
 作詞:松本隆/作曲:財津和夫/編曲:瀬尾一三
05 渚のバルコニー
 作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂/編曲:松任谷正隆
06 ピンクのスクーター
 作詞:松本隆/作曲:原田真二/編曲:大村雅朗
07 レモネードの夏
 作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂/編曲:新川博
08 赤いスイートピー
 作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂/編曲:松任谷正隆
09 水色の朝
 作詞:松本隆/作曲:財津和夫/編曲:大村雅朗
10 SUNSET BEACH
 作詞:松本隆/作曲:来生たかお/編曲:大村雅朗


デビュー当時、特に「裸足の季節」では
全力疾走で弾ける声が衝動を抑えきれず、
(100メートル走なのに200メートル走ってしまったかのように)
その音楽はマイクに収まらなかったが、ぼくらの心に届いた。
2曲目の「青い珊瑚礁」では
ハイトーンに添えられた甘いささやきが魅了した。
そして5枚目のパイナップルでは、
松本隆が二十歳の松田聖子の地平線を広げつつ
パイナップルという世界観に凝縮して見せた。

1曲目の躍動するリズムの刻み、浮かび上がる声が
夏という舞台装置を調える。
ふっと息を抜くところの表情がまばゆい。
伸ばした音がふわりと着地する直前の声のわずかな裏返り、
跳躍する音程を追いかけて伸びる間合い。
うまく歌おう、という意識よりも(音程を決めるよりも)
移りゆくときの流れに身を任せてみたの、と言いたげに。
(様式化された見栄を切る美空ひばり型ではなく、楽曲にのめり込みながらも、次のフレーズで別人のような表情を見せる、どこか醒めた目を持つちあきなおみ型に近い)

松本隆の世界観をミュージシャンがかたちにすれば、
水を得た魚のように泳ぐ人魚姫、聖子。
バンドやコーラスとのからみと声の浮き上がりのバランス。
アナログのマスターサウンド版を持っているが、
録音もプロの仕事だ。
(A面は朝、B面は昼下がりに聴きたい)
これだけの条件が揃った希有なアルバムであり、
(ハイレゾやSA-CDで聴いても愉しいと思うよ)
大滝詠一などと並んで日本のポップスの3本の指に入るアルバムと思っている。
(陳腐だけど、無人島に持っていく10枚のひとつ。残りの9枚はいつか)

DSC_1311.jpg
(北の脇)

人はなぜ、夏の日射しに憧れながら夏の翳りを感じるのか。
甘酸っぱいときめきは、まぶしさのせいであり、
若さがのめり込む衝動の裏には、ためいきの煩悶がある。

D7K_6493-1.jpg
(北の脇への森の散策路)

みずみずしい夏の朝に始まり
黄昏に漂う余韻で締めくくる。
夏に漂う若さの刹那を切なくうたう―。
これがパイナップルだ。
D7K_6564-1.jpg
(南阿波サンライン展望台の夕暮れ)

さらりと聞き流せば、さわやか。
入り込めば、さらにさらに深い泉へと誘ってくれる。
それはあなたしだい(聴く度に新たな発見があるのですよ、いまだに)。

朝焼けの海を、自転車で室戸岬に向かいながら
あのとき耳にこだましていたあの楽曲と、
波間に燦爛していた光を思い出す。

DSC_0036-1.jpg
(岬まで信号のない道は”空と海”をたどる旅)

室戸岬へと伸びる国道55号線、
パイナップルをめぐる季節は今年もやって来た。
D7K_9380-1.jpg
(田井ノ浜のハマボウ)

追記

もっとも音が良いのはステレオサウンドから発売されたSA-CD(廃盤。残念だけれど)
http://store.stereosound.co.jp/products/detail.php?product_id=2013

ネットワークプレイヤーを持っている人はハイレゾ音源
http://mora.jp/package/43000001/4582290406558/

CDプレーヤーならBlu-spec CD2(入手できる)
Pineapple


posted by 平井 吉信 at 14:50| Comment(0) | 音楽

2015年12月30日

ベートーヴェン第九交響曲の世界へようこそ 2015年が暮れていく


佐渡裕の第九演奏会から三日目。
いまだに第九の放射するエネルギーのなかにいる感じ。
第九のCDを聴いてみたいというリクエストが寄せられているので
まとめてお答えすることでご容赦を。


10代後半から20代にかけての10年はベートーヴェンの研究に没頭した。
文献としては、セイヤーの畢生の大作「ベートーヴェンの生涯」(上・下。音楽之友社刊)。
これは、ベートーヴェンの残した客観的な資料を集めて考証した伝記で
基準となるもの。

耳が聞こえなくなって、苦渋の顔を浮かべて、ハイリゲンシュタットの森で…という
あの既成概念を洗い出すためにも信頼できる資料が必要であった。
セイヤーの伝記はベートーヴェン研究の基準となるもの。
当時のぼくは生きるか死ぬかという生活であったが
いまこれを読まなければならない、との決意で
ベートーヴェンが生まれてからこの世を去るまで
当時のヨーロッパの社会生活を交えながら脚色を避けて正確な考証に徹している。
上下刊で1,200頁を越える大作を2か月かけて読んだ。
(どんなに苦しいときでも自己投資の時間と費用は惜しまないで生きることを学んだ)

主要な作品は総譜を求めて実際の演奏と照らし合わすとともに
自分ならこうする、との思いで総譜に書き込んでいった。

DSXE6811.jpg

真実と思ったことがある。
それは、作品と同じ魂の高さでなければその真価はわからないということ。
自分を磨き上げることでベートーヴェンの音楽をたぐり寄せるしかない。
さまざまなことに研鑽を重ねた若い日々だった。
(そのお陰でいまがあるのだけれど、いまだって当時と変わることなく挑んでいる)

今回は第九の話なので
そんなぼくが心を揺さぶられた演奏(レコード・CD)について記したい。

宇宙には芸術を生み出す混沌としたエネルギーが充ちているけれど
それを美というかたちにするためには女神のささやきが必要である。
ただし、女神は自ら作品を創造できないので
自らの魂をこれはという芸術家に降ろしていく。

その魂が降りた作曲家がベートーヴェン。
没後188年が経過してなお、
その音楽が洋の東西を越えて人々を感動させるのだから。

その作曲を演奏するのが指揮者とオーケストラ。
作曲者と同じ高さまで登り詰めないと人々を感動させる演奏はできない。
作曲者が乗り移って鬼気迫る音楽を紡いだのがフルトヴェングラー。

夢見るような少年期の表情、
痛切なまでの憧れを大人になっても持ち続けたのではないかと思える。
もちろん、そのような男を女性は放っておかないし
彼自身も恋多き男だったかもしれない。
彼が活躍した晩年は戦中から戦後にかけて。
19世紀のロマンティシズムがまだ社会の各所に息づいていた時代に
夢見る大人が夢中で演奏したベートーヴェン。
雄弁でありながらどこか寂しげで、
高くそびえ立つアルプスの高峰のように豊かでもあり、
人恋しくうたう切なさと雄弁なフォルテ、
潮が満ちて引くような生理的な呼吸が
ベートーヴェンそのもののように崇高で無邪気で律儀でもあり、
雷に打たれたような、身震いして宇宙と共鳴するような凄みでもあり。

CDは1951年のライブ録音、バイロイト祝祭管弦楽団を指揮したもの(通称バイロイトの第九)
復刻処理でみずみずしく滴りおちるような再生音になった。
音が悪い、録音が古いかどうかは耳で判断して欲しい。
ベートーヴェン:交響曲第9番《合唱つき》[バイロイトの第9/第2世代復刻]


ぼく自身は第九のレコード、CDをたくさん持っているが、
それらをすべて解説していたら日が暮れてしまう。

おもしろいものを3枚ぐらい拾ってみよう。

ひとつは、バーンスタインが、ベルリンの壁崩壊のときに演奏したライブ。
これも歴史の証人のような場面でバーンスタインのみならず
ただならぬ雰囲気のなか、演奏が行われている。
(1989年12月25日、東ベルリンにてライヴ録音)

ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」

もともと熱を持った指揮者が燃え尽きるような演奏。
なお、第4楽章では、Freude(歓喜)をFreiheit(自由)に変更して歌っている。


音楽を伝統の枠のなかで純粋に響かせても第九は美しい。
そのような演奏もいくつか。
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」

ベートーヴェン:交響曲第9番<合唱>

ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」


しかし、「伝統」というのは良くも悪くも権威、常識と結びついて
革新的な伊吹で熱を帯びることはない。
第九も作曲当時からの垢が付いてきた。
それらをそぎ落として新たないのちを吹き込んだのがノリントン。

考えてみれば、ベートーヴェンの作品のコピー、
すなわち楽譜(写譜)は劣悪な環境でなされている。
悪筆の作曲家のペンの跡をなぞるのは他人である。
音楽のことがわからないと、基本的な写譜ミスをしてしまうかもしれない。
逆に音楽のことが分かりすぎると、
ベートーヴェンが従来の常識を越えて飛翔している
場違いな音符を排除してしまうかもしれない。
いや、作曲家自身も耳が聞こえないうえ、
オーケストレイションが上手な人ではない。
校正を重ね、熱にうなされるようにペンを走らせていただろうから
手元には何種類もの原版があったに違いない。

このような状況で原典をたどる作業すら容易ではない。
しかしベートーヴェンの真筆がわからない以上、
受けつがれた伝統を信じて音化していく人もいれば
時代考証を可能な限り行い、
垢をそぎ落としながら最後は芸術家(創造するという意味)の判断を行う人もいる。

ノリントンは後者の人である。
演奏は聴いたことがない新鮮さ、
次々と現れる耳慣れない表現に釘付けになる。
身体が動き出す。まるでロックのよう(ベートーヴェンの音楽がそうなのだ)。
それでいて、ベートーヴェンの音楽は壊れていない。
奇をてらうことを目的ではなく
作品に魂を吹き込むために演奏していることが伝わってくる。
ノリントンはベートーヴェンの本質を捉えていると直感でわかった。

だから、ノリントンの第九は欠かせない。
ノリントンには新旧2種類のベートーヴェン交響曲全集がある。
オーケストラの良い新盤(シュトゥットガルト放送交響楽団)と
旧録音(ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ)を区別しよう。
第九は幸いにも単体で発売されている。
ベートーヴェン: 交響曲第9番「合唱」 (Ludwig Van Beethoven : Symphony No.9 D minor op.125 / Roger Norrington, Radio-Sinfonieorchester Stuttgart, Gachinger Kantorei Stuttgart) [輸入盤]


しかし、9つの交響曲を全集として聴いてみると
さらに愉しいひとときが待っている。
ところが、シュトゥットガルト放送交響楽団(新盤)の全集は廃版になっている。
気がつくと新品も中古もプレミアム価格となっている。
 → ベートーヴェン:交響曲全集(視聴はここでしかできない。英雄や第5などもとても良い演奏と気付く。ただしこのWebページでプレミアム価格で新品や中古を買ってしまわないように。ぼくが見たときには5万円の値付けも)

ある中古盤を購入しようとすると
「盤質は良いがカビあり」とある。
現物を見ないと何とも言えないが、カビが表層を食い込んでいたらお手上げである。

そこで、新品(輸入盤)を購入しようと
アマゾンUK、アマゾンUSAを探してみた。
すると、USAに1セットあった。
日本へ持ちこんで1万円弱である。
購入しようとして、再度検索してみたら
日本のアマゾンで輸入盤としての扱いを発見した。
これではオーケストラの名称で検索しても出ない。
高価な中古を購入している人のためにURLを下記に。
新盤のベートーヴェン全集が新品で買える。
(なくなればいつ再発売されるかはわからない)
Norrington Conducts Beethoven Complete Symphonies


今朝、未明は
ラトル/ウィーンフィルを聴いていた。
現代の指揮者がウィーンフィルを率いて
新しい解釈と往年の表現を織り交ぜたような愉しい演奏。
ベートーヴェン:交響曲第9番(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)


もうあとわずかで2015年が暮れていく。
ベートーヴェンの第九とともに過ごす時間もあとわずか。
みなさまのご多幸をお祈りいたします。

平井 吉信

DSXE6541-1.jpg
この指揮棒で何代目だろう。振り続けていると、いつのまにか折れてしまう。
posted by 平井 吉信 at 14:23| Comment(0) | 音楽

2015年12月27日

人生が駆け足を止めた 佐渡裕 第九演奏会 アスティ徳島


年の瀬になれば、第九を聴くのがここ数十年の決まり事。
ベートーヴェン研究は10代後半からで生涯の課題と思っている。
ベートーヴェンの音楽の魂に触れていた20代。
総譜を見ながら、ここは自分ならこうする、と悶々としていた。
集めたレコード、CDは数多いけれど、
実演に接する機会には恵まれていない。

そんな折、佐渡裕が自ら音楽監督を務めるプロオケを率いて来県する。
(オーケストラは兵庫芸術文化センター管。設立10年のプロフェッショナル楽団である)。
佐渡さんは震災の鎮魂で1万人の第九を振るなどきっとこの曲に思い入れがある。
しかも徳島は鳴門が日本での第九初演の地。
日曜日なので仕事を入れなくていいとチケットを手配したのが数ヶ月前。
(ぼくよりももっと聴きたいという人がいたので)

当日は小学生が遠足に行くが如し。
分刻みの仕事の日常から離れられた。
目と鼻の先のホールなのに開演の2時間前に家を出るなんて。

第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポ・ウン・ポコ・マエストーソ。
弦の刻みは神秘の霧ではなくmpで明快に。
第1楽章はベートーヴェンのペンがもっともなめらかに進めている。
(実際は推敲に魂を費やしたのだろうが、ソナタ形式のひとつの完成形。これより先は弦楽四重奏の高みに入っていく)
指揮もそれを信じてやや抑えた感じで音符を空間につむいでいく。
オケの編成は50名弱だと思うが、弦を前面に押し出すことなく
比較的管楽器が目立っていたように思う。
モダン楽器を使った室内オケのような端正なできばえ。

第2楽章は、内声部の充実とパートを自在に出し入れしつつ、
音楽としての魅力を存分に引き出している。
第1楽章もそうだったが、何もしていないようで
音楽が息づいていた。
前半2つの楽章を感動を持って味わえる感性の持ち主なら
どんな境遇にあっても人生の楽しみを見出しそこに光を当てられる人。
ただしCDなどの録音メディアでは
きょうの佐渡さんのように、パートが浮き上がっては
次の瞬間に響きに溶け込む様子はマイクに入らないだろう。
実演ならではの感動もそこにある。

第3楽章の冒頭、第1主題が天上から降りてくると
魂がぞくぞくする。
ベートーヴェンが辿り着いた突き抜けた遊びの境地。
西洋的には天国の花園の逍遥、
東洋的には無為の為のような瞬間が訪れる。
モダン楽器から過剰な表情は排して
古典のたたずまいを感じさせるのは一貫しているが、
即物的に響く古楽器風の演奏とは異なるあたたかい表情を持っている。

第4楽章、歓喜の主題が低弦から次々と受け渡されていくと
主旋律とオブリガートが明滅する。
個性を持ったそれぞれの人がそれぞれ輝く瞬間がある、
違いを認め合いたたえ合うから
全体はあくまでひとつに溶け合っていくという
ベートーヴェンのメッセージが込められているよう。
佐渡裕の第九を聴きたいと熱望し
念願かなって初めて聴いたぼくの隣では涙を流していた。
理屈を越えて胸に飛び込んできたのをひたひたと感性で受け止めた涙。

佐渡さんといえば、ベルリンフィルとの初演で
背伸びしつつ力業で対峙していた印象があったが、
この日の演奏は違った。
肩の力を抜いて統率するよりもオケの自発性に任せつつ、
全体の構造はぶれないという指揮。
フルトヴェングラーは楽団員を神秘の魔法にかけ、
佐渡さんの師匠のバーンスタインはオケを乗せ上手。
この日の演奏は、一見何もしていないように見えるけれど
音楽の骨格を支えつつ、細部を任せることで
音楽が息づいている印象。
ひとつのプログラムを徹底的に磨き上げる
天才肌のカルロス・クライバーとは違うが
熱い気持ちを秘めて職人芸で端正、躍動、
精妙に描く点で音楽の方向性は似ている気がした。
それは日本人の感性も後押ししているはず。

惜しむらくは会場の容量と残響。
合唱を率いるとはいえ比較的小規模編成に対し
4千人収容のほぼ満席だから
デッドで音楽が前へ出てこない感じ。特にヴァイオリンパート。
(ぼくがいたのが後席右奥というのもあるけれど)。
これが教会のような規模である程度の残響があれば
地面に漂う低弦、空間を浮游する木管など、
ホールエコーによる恍惚とした神秘体験すらできたのではないか。
(この日の最善は、弦のバランスなども考慮すると、ある程度直接音を身体で受け止めることができた前席で左寄りの席ではなかったかと)

人生がこのように過ぎてくれたらという音楽(ひととき)は夢のように駆け抜けた。
2015.12.27 ベートーヴェン第九 演奏会にて。

 → ベートーヴェン:交響曲第9番

第九はこれがおすすめ
ベートーヴェン:交響曲第9番《合唱つき》[バイロイトの第9/第2世代復刻]
時代を経ても感動は普遍であることを教えてくれる。

DSXE6541-1.jpg

追記

少し遅いクリスマスプレゼント、喜んでくれた(感激してくれた)。
お返しは、貼るカイロ。身体を冷やさないようにね、というメッセージ。
そんなやりとりがいいようで。



posted by 平井 吉信 at 23:03| Comment(0) | 音楽

2014年11月02日

トルコ行進曲の聞き比べ モーツァルトは燃え立つ火です 


音楽は生活そのものになっている。
音楽のない一日など考えられない。
おいしいコーヒーや紅茶とチョコレート、焼酎とちくわ、
ウィスキーとチーズなどが添えてあってもいいし
薫風の五月に
窓を開けてまどろみつつ雲を眺めながらの
ベートーヴェンのピアノソナタなどもいい。
例えば、ピアノソナタ第15番 ニ長調「田園」Op.28 第1楽章など。
(まるでいかめしくなく、弾む愉悦感と薫風のような詩情は現代人の心に届くはず)

聴く音楽の幅は広いので本人はジャンル(先入観)を意識していない。
歌謡曲やニューミュージック、フォーク・ロックはYouTubeから発掘する。
手持ちのCDでよく聴くのは、松田聖子、ちあきなおみ、小柳ルミ子、キャンディーズなど。

好きな作曲家は、古からでは、モーツァルト、ベートーヴェン。
この二人は特別な存在でベートーヴェンについては
若い頃からスコアを眺めたり文献を繙いたりと生涯の研究テーマ。
耳のごちそうとして、シューベルト、ブルックナー。
もっとも聞いているのはフランスものかも。
(フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル)。

変わり種では、ギターの作曲を行ったソルやヴィラ・ロボス、
オペラでは、プッチーニを筆頭に、レハールなど、
現代では、武満徹や吉松隆、
曲によっては、マーラー(第9の1楽章)、ショスタコーヴィチ(第15)。

もちろんジャズも。寝る前のキースのケルンコンサートや
ビル・エヴァンスは愛聴盤。

ラテンやボサノバは午後のひとときに欠かせない。

民族音楽に惹かれて南太平洋で一ヶ月過ごしたこともある。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/97208434.html
南西諸島、とりわけ八重山の音楽は心の糧でもある思い出のたまて箱。


NHKの特番(銀河宇宙オデッセイ、地球大進化、生命40億年はるかな旅、神の数式、篤姫などのサントラ)、アニメのサントラ(羽田健太郎は良かった)、ときにはボカロ作品なども。

変わり種では、雅楽や神社の神楽(4枚組のCDは宝物)、
リズムという概念のない邦楽の宇宙に浸る心地よさ。

なかでもおすすめは「日本古代歌謡の世界」。
神様が好きな人は決して後悔しない音楽。
(出会わなかったこと後悔することはあっても)
日本古代歌謡の世界


さて、モーツァルトに話を。
(遠廻りしたかも)
誰もが知っているモーツァルトのトルコ行進曲は、
ピアノソナタ K331の第3楽章。
ぼくが持っているのは、リリー・クラウスの1954年録音。
シャンデリゼ劇場を愛して止まなかった
名エンジニアのアンドレ・シャルランの名録音。
ワンポイント録音で、モノラルながら現在のデジタル録音が失ったものが閉じ込められている。
ピアノを打鍵したときのアタックとそのあとにまとわりつくコロンという響きの清楚で心地よさ。

リリー・クラウス モーツァルトピアノソナタ

トルコ行進曲の聞き比べができるYouTubeのリストがある。
https://www.youtube.com/watch?v=2y6OMn8O-fI&list=PLoVQukp35B67aeuZQ-wEXCZj7wYO48fPG

グールド。個性的であろうとする演奏なのか、個性を超越した表現なのか
https://www.youtube.com/watch?v=x4TRZjbhxmw&list=PLoVQukp35B67aeuZQ-wEXCZj7wYO48fPG&index=8

その前にこれを見てみる。
グールド本人による弾き方の解説。
http://www.youtube.com/watch?v=i8dSdoGQKXE

風変わりで効果をねらった演奏と捉えるか、
内面の小宇宙の光を見るか。

作曲者はその曲の世界観を持つ。
演奏者は同じ精神に立ってその世界観を再現しようとする。
しかし作曲者とて神ではない。
作曲者も演奏者も新しい光を当ててみたいと考えるのは同じ。
作品の精神は尊重して、かたちにはとらわれず―。

グールドのトルコ行進曲は成功例と思う。
クラウスのトルコ行進曲のタタッとせき立てるリズム、
生命力があふれながらも小粋で洒脱で古典の枠を踏み外していない。
表情豊かで端正な演奏だけど、
風のように駆け抜けてニュアンスがスピーカーからこぼれ落ちる。
モーツァルトがいまにも飛び出してきそう。
(YouTubeの聞き比べのなかにクラウスより魅力的な演奏はあるだろうか?)

K331は第1楽章が好きで、小学生でも弾けそうな主題のなかに
すでに人間の感情があふれている。
感情があふれるように一瞬スキップを踏むように駈けだす瞬間、
涙を溜めながらも前を向いて凛々しく歩こうとする。
(だから、なよなよと演奏してほしくない)

ライオンのイメージCMとも重なる。
ライオンの企業広告 働く女性への応援歌篇
http://www.youtube.com/watch?v=azAYaMy7Zrg
(このCMはいいな。登場する女性たちが魅力的。相棒に似ている人もいる)


リリー・クラウスは第二次大戦の最中、ジャワで日本軍に抑留されている。
(ハンガリー人なのに)
それなのに、戦後、日本の戦災孤児を引き取ったとの話もある。
魂の芸術家と呼びたいリリーの生涯を
NHKのディレクターが長年追い求めて一冊の本にまとめた。
この本の表紙のリリーは凛として女優にも優る。
リリー、モーツァルトを弾いて下さい

モーツァルトは全宇宙であり、燃え立つ火です――リリー・クラウス。




タグ:音楽 神社
posted by 平井 吉信 at 12:33| Comment(0) | 音楽