2022年09月17日

桜坂 ガリレオ 観音経 KOH+(そして桜坂の輪廻)

テレビは30年以上使っているSONYのトリニトロンブラウン管(プロフィール15インチ)。
現在も骨董品ではなく普段使いだが、テレビを見ることはほとんどなくなった。
番組がつまらないから。人々を幸福にするようなメッセージを伝えていきたいと願っているけれど、映像を見るにしてもインターネット経由でパソコンで見ている。

例えばNHKプラス(見逃し番組が期限付でインターネットで配信される無料サービス)で、Songsで福山雅治と柴咲コウが出演した番組が配信されていたので見てみたらこれがよかった。

ホスト役の大泉洋(ああ鎌倉殿!)が福山(龍馬伝)、柴咲(直虎)の両名を迎える構図から始まる。最初は大河の主役をこなした二人のやりとりから始まってそこへホスト役(大泉カットイン)がやりにくそうに入ってくる間合いのオープニング。

大河としては龍馬伝は歴代でも失敗作と思っている。主役の福山さんが肩に力が入っていて楽しめない。龍馬を演じるのではなく、龍馬が福山を演じるでよかったのにと思う。誰がやっても相手が大物だけに位負けするが、歴史人物の龍馬に会ったことはないが、彼には理想主義と現実の狹間を際どく渡っていく真剣勝負の遊びといった魂の解脱が感じられる。ある意味では福山さんの地の部分と似ているとも思うのだ。いまの彼なら龍馬伝を愉しんでやれるのではないか。

今回の短い番組で彼の話術のおもしろさに感嘆した。笑わせようとしゃかりきになるバラエティ出演者たちと違って、自分がクールでいるがゆえに(それゆえいっそう)次の瞬間のオチへみごとな虹をかけられるのだろうね。かつて日曜夕方のFM番組だったか運転中に聞くともなく聞いていたことを思い出した(ぼくは番組中の彼の語りのものまねができる)。

大河としては失敗作ともいわれる直虎だが、ぼくはおもしろいと思っている。もちろん柴咲さんの魅力が大きいし、俳優としての存在感を極めつけに打ち出した高橋一生が忘れられない。大河では直虎の勝ちといったところ。

直虎で印象に残っているのは、観音経を唱える場面で彼女が旋律をつくって謡いとしていたことだ。どのような場面だったか覚えていないが、里山の風景で画面が引きとなってこだましていく美しさに浸った。このブログでもぼくは祝詞や読経を日常的に行っていることを触れているけれど、実は観音経を謡のように読んでいる(観音経とは「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」で普段はその要約版「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」)。

観音経を奏上していくと何度も現れる「念彼観音力」というフレーズに、観音という他力(宇宙の真理)に溶けていく心地がする。「衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦」まで来ると、自分が消えて天上から響く声を他人の自分が聴くような不思議な心地がする。「種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅」の下りではいつも勝手に右手が天に向かって動き、「無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間」で祈りが極まる。
「滅除煩悩炎」で再び空間を切るように手が動いてピークアウトする。その後に続く「妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念」はフォルテのあとの静かな歌い出しのように張り詰めた静けさに包まれ、コーダに向けて静かに結ぶ。

読経しているとどこからか旋律(謡い・歌舞音曲)が舞い降りてくる。それが観音経の力かもしれない。柴咲さんも同じ体験をされたから自然に出てきたのではないか。
この楽曲は「直虎」のサントラにも収録されていうが「謡い経」として1曲のみの配信で買える。


この二人はご存知「ガリレオ」の主役で近々新作が上映されるという時期。
湯川教授は福山雅治以外はできないだろうと思えるはまり役。それまでの定番だったサスペンスや刑事物の押しつけられた正義感が窮屈かつ退屈と感じた(「相棒」ですら楽しめないのだ)。
湯川教授は数式(論理思考)を信じて淡々と行動するけれど、そこに彼なりのモノサシがある。それは道徳とか倫理観とも違う本能的な心の動きだが、そこを隠してクールを装うのが魅力的なのだ。

ガリレオからのスピンオフで柴咲コウとともにKOH+というユニットを結成しているが、Songsの番組中ではユニットの歌を披露。「KISSして」が愉しかった。その他の楽曲も魅力的で音声だけでもすばらしいが映像が加わるとさらに印象が深まる。いつまでも見ていたい。

CDのみ


CD+DVD


番組では桜坂を3人で3声(オクターブユニゾン+長3度)でさらりと歌うとくつろぎの時間が流れた。
桜坂は福山雅治の世界観が凝縮された楽曲で、桜坂が特定の場所を素材にしているとしても、桜の咲く頃に誰かと肩を並べて歩いたみち、という普遍的な状況に置き換えられる。その普遍性(普通の良さ)が魅力ともいえる。

桜坂は柴咲コウもカバーしている。Amazonプライムでどちらも聴けるが、人肌のぬくもりを飾らず誰にでも普遍のメッセージを届ける福山オリジナル桜坂は低回する節回しが聴き手を揺さぶる。楽曲を桜色に染めて黄昏の空気感を浸透させていく柴咲桜坂もすばらしい。

関係のなさそうな連想がつながった。実におもしろい。

大泉洋も含めて3人のやりとりがなごむのは自分をさらけだしつつ他人を不快にさせないことが自然体でできるからだろうね。
いまの時代の楽曲がつまらないのは音楽をやる人間の責任ではないかもしれない。自分が幸福を感じていないと誰かに幸福感を届けることなどできないでしょう。社会を変える一歩は自分ができることから始めることだけれど、あるべき姿をいつも思い描き続けること、そしてそのことを発信していくこと。この拙いブログに存在価値があるとしたらそこしかない。
posted by 平井 吉信 at 12:29| Comment(0) | 音楽

2022年08月11日

心のオアシスのようなギタリスト 朴 葵姫(パク・キュヒ) 雲に浮かぶ夢見ごこちの音色


このギタリストは何度か聴いていた。でもAmazonプライムで楽曲を見つけて聞きこんでみたのだ。

技術は飛び抜けているが、ギターを弾かず音楽はギターを包むように内へと凝縮されていく。音色は温かい、線は細くない、響きに溺れない、効果は狙わない。セゴビア、イエペス、ウィリアムズ、ブリームなど欧州の著名ギタリストの誰とも似ていない。

ギターの楽曲はスペインやブラジルなどのローカル色が豊かなものが多いが、彼女は一度ばらして再度彼女の調子で組みたて直す。そのため聞き慣れた楽曲でもどこかリズムやフレージング、強弱が異なって別の楽曲のように聞こえる。東洋人のぼくにはなぜかしっくり来る。
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子どもの頃、親父が持っていた中出阪蔵や河野賢などの手による手工ギターをつま弾くことがあった。中出の表板はドイツ松、裏板はハカランダ(当時は南洋材がまだ入手できた)。重厚でつややかな音色。河野は杉の表板にローズウッドではなかったか。こちらはやや明るく粒立ちが良かったと記憶している。

中学の頃の愛聴盤は、ビートルズやキャンディーズやアリス、中島みゆきなどではなく、ギターの楽曲。特にヴィラ=ロボスの5つの前奏曲が好きで、ヤマハのCA-400プリメイン、シュアーのMMカートの付いたベルトドライブのレコードプレーヤーYP-311、スピーカーは20センチ2ウェイのNS-430。これらは白木の仕上げで当時流行していたパイオニアやトリオ、テクニクスなどのシステムコンポと違って、普及価格帯のバラコンであったが音楽を上品に聴かせる(色づけなくというとわかりやすい)装置であった。しかもNS-430はアッテネッターがなく低域の反応が極めて早い。そのため歯切れの良さはその後に購入したどんなスピーカーも上回った。(残念ながらいまのヤマハのプリメインにはCA-2000やA-2000の遺伝子は受けつがれていないように感じる)。

この装置で中学生がヴィラ=ロボスを聴いているのであった。あれから幾年月、韓国の若い女性ギタリストがヴィラ=ロボスをレパートリに下げて録音したアルバムを聴いた。「Saudade(サウダーヂ)−ブラジルギター作品集−」と銘打たれたアルバムには前奏曲の2番と5番が収録されている(1番をどんなふうに演奏するのだろうか興味がある)。

彼女は決して弦を弾(はじ)かない。ギタリストやピアニストならついこう弾きたくなる。それぞれの固有の楽器を切れよく響かせたい。でもそれをやると、楽器の嫌な面、飽きやすい側面も見えてくる。

彼女はそうではなく、音色はギターとともに音楽がその場にとどまり、聴き手の感情もそこに寄り添う感じ。内へ内へと紡がれる音の原画だけれど、しんねりむっつりしないし退屈もしない。音の響きは決して内向的ではなく外へと波紋を広げていく。さりげないけれど息の長い抑揚、それがもたらすうねりを感じる。もっとも近い日本語の言葉ひとつで表すと豊かさかもしれない。さらに装飾が許されるならば、ゆりかごのような揺さぶるリズム感、楽曲との独白感、心に湧き上がるおだやかな白い雲とでも。

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ぼくがもっとも好きなのは「Saudade(サウダーヂ)−ブラジルギター作品集−」



初めて聞く人はアルハンブラの思い出(これもていねいに弾いている)の入った「FAVORITE SELECTION」



美しい佳曲を味わいたい人は「Harmonia -ハルモニア-」



技術のキレとしっとりと濡れたような表現が両立する「スペインの旅」


コロナで家でいる機会が増えた人へ。心のオアシスのようなギターの音色はいかがですか?
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(写真は8月のあすたむらんど)
タグ:ギター
posted by 平井 吉信 at 00:22| Comment(0) | 音楽

2022年08月08日

ひまわりの咲く国、森を風が吹き抜けるエストニアから歌姫Mari Kalkun


ひまわりは日本固有種ではないけれど、もはや日本の風物詩。
子どもの頃からひまわりが好きで、双葉から本葉が出てすくすく伸びて大輪の花を咲かせる姿を毎日眺めていた。牧野富太郎にはなれないけれど、牧野少年に負けず劣らずの好奇心と生涯に渡る植物への思いは変わらず。

ひまわりといえばウクライーナ。2月に侵攻が始まって6か月目に突入した。これほど長期化するとは想像できなかった。意のままにならなければ国を挙げて威嚇(武力に訴える)する。国益と称して世界のあちことで人間のつまらなさを見せつけられている。

信者を集めては食い物にするカルト集団と自民党との関係が少しずつ明るみに出ている。今回の選挙の前によく考えて投票すべきと書いた。国民をむしばむ政治勢力に投票してどうするのだろう。目覚めよ、国民(の趣旨で記事を書いた)。
NHKが政権の暗黒部をまったく報道しないのはどうしてだろう? 自公政権の闇など見ないふり。ぼくはNHKの受信料の支払いを多くの国民がボイコットしてみてはと考える。権力になびいて忖度しているのはNHKだけではないけれども。
とにかく旧統一教会は明らかな反社。関わりのあった議員は政党を問わず辞任すべき。だって十万円程度の給付金や補助金でも反社会勢力でないことを誓約している一般国民の感情からは有り得ない。

ニュースを見ていると感覚が麻痺してくる。世界のどこかで似たような光景が繰り広げられる。しかしテレビ(パソコン・スマートフォン)のスイッチを切れば縁も切れる。食事は何をつくろう(食べよう)、今度の休みはどう過ごそう?などと日常に戻れるから。もしかしたら心の痛みに気付いていないふりをしているのかもしれない。それは一種の自己防衛反応。

音楽の話題を。
それはエストニアの音楽。まずは国の話題から。
バルト三国のうち、もっとも北に位置するエストニアは北欧のIT先進国で日本が手本とすべき国。国民がIDを持ちながらも個人情報を管理するのは国ではなく本人という先進性。国土でもっとも高い標高は3百メートル少々と平原の森に覆われた大地。

そのエストニアの森や湖を感じさせる音楽がMari Kalkun(マリ・カルクン)。
https://www.youtube.com/watch?v=rQ0debTEu7o

エストニアの少数民族の言葉(volu語)で歌われた大地を潤す雨への感謝の歌である。民族楽器のカンネルの弾き語りの楽曲は素朴だけど心に風が吹く。カンネルはエストニアの琴のような古楽器で指で弾くし弓でこすることもある。

「風」の正体は、風土と人間の一体感、それが歌の原点。森のざわめきや湖の静けさを感じさせてくれるから。

上記の動画で中間部で演奏者による声の掛け合いがある。まるで野生の鳥や獣が互いの存在を確かめ合うよう。エストニアが独立したのはソ連の崩壊のとき。エストニアの人々はそれまで禁じられていた民族音楽を、声を合わせて歌うことで心を通わせて静かな独立を果たしたという。ぼくはMari Kalkunが日本に来たら聴きに行きたい。

上記の動画の楽曲が収録されたCD(Vihmakono)を発注したのが春先だったが、ウクライーナ情勢の影響からか数ヶ月が経過して入荷することはなかった。さらに調べてみると、彼女のCDのライナーノートを書いている東京の小さなCD店があり、そこに取り扱いがあることを知った。この店については以前にも紹介したことがある。この店はジャンルは問わないが特定の音楽を深く紹介しているコンセプト志向。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/187188689.html

いまの時代に手づくりの情報で、流行とは相容れないけれど琴線に触れる音楽を1枚1枚紹介している。
https://shop.ameto.biz/

ようやく届いたCDに浸っている。エストニアの森と風を感じる、と書くと情緒的に過ぎる。でもここにはコード進行とかAメロとかサビとかの言葉とは無縁の人類が自然に歌するようになった頃からの遠い時間の風が吹いている。ホモ・サピエンス初期の歌とヨーロッパ大陸の片隅の古楽器、民謡と現代の音楽が境目なく溶け合ったともいえる。

(情報提供)
音楽だけを聴きたい人はmoraの配信がある。
https://mora.jp/package/43000033/A66520/

エストニア語の和訳や歌の世界観などの解説が読みたい人は配信ではなくパッケージで(輸入盤と国内盤があるが国内盤がお勧め)。国内盤のCDで新品が入手できるのはこの店だけ。
https://shop.ameto.biz/?pid=31510541

最新盤「Ilmamõtsan」(邦題:森の世界の中で)はまだ入手できる。視聴してみるとこちらも良かった。いや、さらに純化されている。こちらも必聴。目の前にMari Kalkunがいるようだが、素材を磨いていくとオーディオ的な快感とはまた違う生々しさになったという録音。豊かな音空間が部屋に浸透し心に沁みてくる。


大好きなひまわりを少しだけ。
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ひまわりといえば、斉藤由貴の「風夢」で名曲「砂の城」「12月のカレンダー」に続いてA-4に収録されている。これも名曲。いやこのアルバムでもっとも光っている。


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空はツナガッテイルことをわずれない
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posted by 平井 吉信 at 23:15| Comment(0) | 音楽

2022年07月29日

パイナップルとユートピア 聖子の輝いた夏(音が違う2種類のCDについて)


松田聖子のアルバムで頂点をなす2枚は夏を題材にした松本隆の叙情詩。そしてそれにいのちを吹き込んだのは彼女の歌。

絶頂期で過密スケジュールだったという。ユートピアを録音したのは深夜の東京のスタジオだったらしい。アルバム中の名曲「マイアミ午前5時」「セイシェルの夕陽」では疲労困憊の彼女が残したテイクに抜け感がないとプロデューサーが指摘。

ところがアルバムに残されているのは、行ったことのないフロリダやインド洋の真珠を目の当たりにしているような錯覚。詩、曲、編曲、声が一体となって楽曲の世界観を高く高く描いている。よく聴いてみてよ。これだけのバックで、煽るように刻まれるリズムにせかされることなく、むしろ彼女に合わせてバックが声の細胞のように溶け込む錯覚を覚える。突き抜けた何かがないとこの2曲は歌えない。だから誰がカバーしてもしっくり来ない。抜け感は松田聖子の証しのようなもの。

パイナップルとユートピアはどちらが最高か。ひとりでコメントを考えて対話のように心のディベートを行ったものだ。アルバム全体のコンセプト性、楽曲の粒ぞろい、かけがえのない夏のひとこまを描いた点でパイナップルは最高だ。それも紋切り型のリゾートソングではなく、そこに血の通った等身大の誰かが感じられる。陰影に富む生活感を併せ持っているのは松本隆と来生たかお、原田真二などの作家陣、そしてなにより楽曲を夏空に掲げたのは大村雅朗の編曲である。シズル感あふれるP・R・E・S・E・N・Tの出だし。若さがはじけてとまらない。一転してひまわりの丘ではスタッカート風のリズムが午後の昼下がりに夏の丘を下っていくよう。個人的には季節が違う赤いスイトピーの代わりに、マドラスチェックの恋人が入っていたらと思うけれど。

一方でユートピアの抜けきった楽曲群(マイアミ午前5時、セイシェルの夕陽」、シングル曲の質の高さ(天国のキッス、秘密の花園)はパイナップル(渚のバルコニー、赤いスイートピー)を上回る。結局順番を付けなくていいかということになる。


CDを買おうとする人に老婆心ながらご助言を。もしあなたの音楽を聴く装置がヘッドフォンオーディオやらデスクトップオーディオなら、Blu-spec CD2の仕様で良いと思う。一般的にこれがもっとも新しいマスタリングで盤の仕様も良いとされている。

しかしあなたが耳が良くて、決して高価でなくても良質のオーディオ装置で聴かれるのなら、CD選書のシリーズをおすすめする。CD選書とはCBSソニーの邦楽の廉価版シリーズ(本でいうなら文庫本)の名称。

ぼくの手持ちのアナログ盤に近いのは実は(巷では音が悪いと喧伝される)CD選書と思う。これに比べると最新盤(Blu-spec CD2)は低域に厚みがあり、声がなめらかで、細部の音が聴き取りやすくなっているけれど、音楽を聴いていて愉しくない。何か蓋が被さったような(天井が低くなったような)圧迫感を覚える。好きか嫌いかで片づけられるけれど、良いか悪いかでいうと判断は難しい。

ユートピアのアナログ(マスターサウンド仕様の初出盤)を聴くと、ややハイが上がった高い鮮度感や伸びやかさが印象的だが、その印象に近いのはむしろ選書のほうである。
ただしCD選書は保存性の良くない薄手のケースにペラペラの同封ジャケット、さらには録音レベルが低い(同じボリューム位置ではBlu-spec CD2が音量が圧倒的に大きい)。それゆえ、ファンからもCD選書は買うなとの声が多いのは頷ける。

ところがぼくの卓上オーディオ(タイムドメインライトのチューンアップ版)で聴いても、クリプトンKX-1をオンキヨーで鳴らす良質のオーディオ装置で聴いてもCD選書が良いと思うのである。

Blu-spec CD2で聴くとレガートとスタッカートがわかりにくい。パイナップルもユートピアも糸を引くように声が伸びているのはCD選書で、声は艶っぽく濡れたように透明で伸びやかである。潮が引いていくようなパイナップルの最後の曲も余韻を残す。伸びていく、沈んでいく、糸を引いていくなどの表情が感じられる。いわばアタック感は犠牲にしても音楽の抑揚を忠実に再現しようとしている。彼女の天才的な歌唱はこれでないと耳に届かないのではないか。

思うにこれはBlu-spec CD2が録音レベルが高い(高すぎる)ので、ピアニシモに埋もれそうな部分は明確に浮かび上がるが、すべてがメゾフォルテのような楽曲の抑揚は平坦である。これは音楽のとても大切なところで、彼女がそのとき自身の直感に従って魂を吹き込んだ歌が平板な表情になっている。実にもったいない。

ユートピアの名曲中の名曲「セイシェルの夕陽」では潮騒を従えてトランペットが鳴り、聖子の声が入る直前の音場空間の高さ。それは雲間からの零れ日が光の柱が見える感じ。CD選書盤では感じられるそそり立つ空間の立体、声の神々しさがBlu-spec CD2盤では失われている。

ただしBlu-spec CD2は原理的に優れた製造方式なので、音源のリマスタリングを行ってピークがピークとなるよう音圧を下げて販売して欲しい。

パイナップルもユートピアももともとが優れた録音であることに加えて、その時代の名作家、名プレーヤーが真剣勝負でつくりあげた音楽空間、そしてそこに自在に舞う歌姫の記録が刻まれた永遠の名盤である。
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現在のBlu-spec CD2がながら族が愉しむ際に、迫力めいた音をねらったものは理解できるけれど、例えば、ステレオサウンド社から限定で発売されたSACDではほんとうの音楽の良さが伝わってくる(方式もさることながらマスタリングが良識を持って行われている。ぼくも1枚だけ持っている。SACDの再生装置は持っていないがハイブリッドとしてCD層も刻まれているためマスタリングの良さが十分に伝わってくる。再プレスしてもらえないかな)。

CD選書は録音レベルがやや低めでプレス技術も当時の仕様なので最高の音とはいえないにしても、Blu-spec CD2での音圧を上げたマスタリングよりは本質に迫っている。マニアックな話題だけど、わかる人にはわかってもらえると思う。


CD選書は千円少々で買える。間違わないようリンクを以下に。




posted by 平井 吉信 at 23:33| Comment(0) | 音楽

2022年06月21日

疾走する今宵の銀河鉄道999 愉しませるね


なんだか気分が高揚しているときに、突然聞いてみたくなる音楽がいくつもあるのだけれど、ゴダイゴのこの曲もそう。

ライブではさらに早く疾走する音源が残されていてとても良い感じ。音楽が好きな人たちが愉しみながらやっているよね。
https://www.youtube.com/watch?v=SzEsyg0W5Vs
(ゴダイゴの解散ライブらしいけれど悲壮感など微塵もなく、エンターテインメントに徹することができるプロの集団という感じ)

でも勢いだけじゃない。子どもの頃のぼくはこの曲がうまく歌えなかった。そりゃ、あんなコード進行はこの曲以外に見かけないでしょ。移調と半音階を織り交ぜながら一本の線路のようにうねりながら流れていく。そして凄さがわからないぐらいさりげなく歌っているから。

タケカワユキヒデって日本人なのか外国人なのかわからなかったよ、当時はインターネットなんてなかったし(鼻にかかる日本語の発音が独特で帰国子女かなと思っていた。でもこの声と節回しが魅力なんだよね)。バンドの演奏もすばらしい。抜群のリズム感はスタジオ録音でもはっきりと刻まれている。

夢を求めて宙に旅立つ少年の憧れと野心が旋律に乗ってどこまでも昇っていく。哲朗とメーテルのあの長い長い列車は子どもの頃、近所を走っていた。えんじ色の旅客車両を十数両従えて小松島駅から阿波池田駅へと向かっていたよ。

ガンダーラもよかったね。ほろほろと異国情緒に揺れながら限りない憧れの音織物は類似の音楽がない感じ。たまにトレイに載せてみるゴダイゴのCD、今夜はひさしぶりに聴いた。
posted by 平井 吉信 at 00:51| Comment(0) | 音楽

2022年04月12日

背の高い子ども かつてそうだったことを覚えていますか?(野田知佑さんを回想する音楽選)

川のほとりで本をめくるのはいつもやっていること。
こないだの投稿では電子インク(電子書籍)を礼賛したけれど、
川風に吹かれているときは紙の本が良いような気がする。

ほら、この本。
「日本の川を旅する」(野田知佑)
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文庫本の初版が出たのが1985年。以来入手が難しくなっていたようだけれど
野田さんと親交のある辰野社長のモンベルから復刻発刊された。
その際に2018年にツーリングを行った「川内川再び」が追加されている。
本所の最後のページには吉野川の大歩危小歩危について触れられている。
日本の川の良さに触れたあとで、「川で遊び、川を好きな人間をたくさん作りたいと思っている」と結ばれている。増補ということであるが、これが単行本として書かれた野田さんの最後のメッセージではないか(吉野川源流については次投稿で触れておきたい)。

そして海部川の河原で読んでいる。
日本の川が無頓着無関心な人の手で元に戻らない破壊が進行している歯がゆさと
子どもの頃の川遊びを切ないまでに追体験しているようで。

それは18ページに記されている。
「自分の腕を信頼して毎日何度か危険を冒し少しシンドクて、孤独で、いつの野の風と光の中で生き、絶えず少年のように胸をときめかせ、海賊のように自由で―」

川下り、川遊びの心象風景として川がとうとうと流れていく。
言い換えれば、背の高い子どもの心が軽やかに舞っていくような。

ぼくはこの本の世界観を表現する音楽(アルバム)を3枚上げてみたい。



「ライフ・サイズ」(中谷隆博)
このアルバムはほんとうに名作。角松敏生がプロデュースした1996年の作品。中谷さんは野田さんと同じ熊本出身の九州男児だが、音は角松的なシティサウンド。それでも有明海に小舟を漕ぎ出してカサゴを釣るコミカルな歌もある。

ところがところがアルバムの楽曲は粒ぞろいで「当時のファッショナブルなシティポップなのね」の先入観を持たずに聞いて欲しい。ぼくはこのアルバムには歌心を感じる。声は声で軽やかで伸びやかでそれでいて軽薄でなく声に溺れない地声の魅力を感じる。

ぼくは数百回聴いているけれど、ついつい運転中にアルバムの再生ボタンを押してしまう。
ファンキーな楽曲が3つ続いた後、4曲目「君を忘れない」がかかる前には心を静めて待つ。するとソロシンセがなつかしい響きを奏で、女性コーラスに導かれて「思い出の扉を開けたら君がいる」と始まる。そして「あの頃のぼくたちはおとなになった。離れ離れの愛はもういまでは遠い物語…」と続く。

年月が流れていまでは名字が変わった憧れの女の子への回想、一つひとつの場面が走馬灯のように蘇る。それぞれにそんな体験があるだろう。ぼくは胸が熱くなる。これは決して都会の雑踏でなく故郷のなつかしい陽射しに包まれた音楽。洗練された楽曲に思いが溢れて止まらない。

5曲目「シェリー」、そして6曲目の「ラスト・メッセージ〜星の王子様が帰る日」でほんとうに大切なものは目には見えないと追憶の彼方に。8曲目の「カサゴ」で熊本弁でのユニークなやりとり、10曲目でまあ、きょうはこんなところです、とでもいいたげに円満に音楽が閉じられる。

当時はあまり売れないまま廃盤となっているけれど、「プラスティック・ラブ」や「真夜中のドア」が見直されているいま、アルバムとしての品質感は(東京が主体となっていない地方色のある楽曲に歌の魂を込めたという点で)それらを上回る。山下達郎でもこれに匹敵するのは「ライド・オン・タイム」や「ARTISAN」ぐらいだろう。廃盤だけれど騙されたと思って中古を手に入れてみて。できればCD復刻(配信でもいいけど)を望む。中谷さんがお読みになられていたらお伝えしたい。「良質の音楽を求める人は必ずいます。売れたかどうかなど関係ありません」。

ところでどうしてこのアルバムを知ったかって? それはこのアルバムがいいよと教えてくれた女性がいたから。彼女の夫が川に人生を捧げるほど無類の川好きだったから。夫婦とも野田さんと親交が深かったから。そして彼女も九州の出身だから。




「BOY](石川セリ)

少年時代や夏を回想させたら井上陽水や石川セリだ。なかでも石川セリの1983年発表のこのアルバム。軽やかな楽曲と綿あめのようなふわふわの声(声がいいよね)、ポップスに浸りたいと思ったらこのアルバムの右に出るものは知らない。

80年代の音楽はいまではシティポップなどと後付けでラベリングされているが、商業主義で深みがない、メッセージ性に欠けると思う人もいるだろう。そんな音楽も少なくないけれど、日常の場面が音楽の衣を身にまとってマイクロスコープで拡大してカレイドスコープで覗き込むトキメキ感は21世紀になってから見当たらないでしょ。それは日本という国が1980年代を境に下りをひた走りしていることとも無関係でないように思う。時代を諦めたようないまの時代の歌に魅力を感じないのは時代背景も影響している。

セリさんのこのアルバムをひとことで言い表すなら、背の高い子どもたちの日常が掌の上で漂う愉悦感。ぼくはこのアルバムを聴いていると旅に出たくなる。ハワイでもスペインでも中東でもいいけれど。

「トール・チルドレン」から「夏の海岸」へと続く流れで、人生がこんなふうに過ぎていくといいな(及びその実感)が汲めども尽きない永遠の泉のように湧き出してくる。同時期のあの大御所女性歌手よりも好きだ。





最後は吉野川の源流から河口までを思い起こさせる音楽を。
「Summer」(ジョージ・ウィンストン)

野田さんだったか、ニコルさんだったかをお招きしたイベントで、徳島の写真家、荒井賢治さんの撮影した吉野川にぼくの撮影したコマを加えて吉野川を紹介する文章をつくり、スライドに合わせて自らナレーションを行い、背景に伴奏させた音楽。ちなみに吉野川源流は5曲目「Lullaby」、第十堰は2曲目「Loreta And Desiree's Bouquet 1 And 2 」、竹林とかんどり舟は1曲目「 Living In The Country」、河口干潟は最後の曲「 "Where Are You Now"」。

水のある自然を即興で描いた心象風景(ぼくのなかでは)ジョージ・ウィンストンの傑作。生も聴きに行った。これまでにもっとも聞きこんだ音楽かな。



野田知佑さんを偲んでこの3枚を聴いた。いま気付いたけれど、共通のテーマは「少年」かも。
おとなはだれもが子どもだったけど、そのことを忘れずにいるおとなはいない。
でも、背の高い少年は天空の川を下っている。


posted by 平井 吉信 at 23:37| Comment(0) | 音楽

2022年01月31日

真夜中のドア〜Stay With Me〜は終わらない


ここ数年、世界中で高い人気となっている。ラジオを聴いていてもよく耳にするので、おや?と思う。
きっかけはインドネシアのYouTuberが日本語でうたってそれが世界に広まったから。
数年前の竹内まりや - Plastic Loveと同じ。
この曲が世に出たのが1979年(作詞:三浦徳子、作詞:林哲司)。
(林哲司は、杉山清貴、菊池桃子のアルバムづくりには欠かせない人だからVAPレコード専属かと思っていた。菊池桃子のアルバムのリズムセクションなどアイドルとは思えない)
うたっていたのは松原みき。44歳で早逝されたのが痛恨の極み。

手元のレコード盤を探したけれど
好きな曲だったのにシングルを持っていなかったことに気付いた。
聴けば聴くほど歌心があふれて仕方がない。
仕事中も何か足先がステップを踏み、腕がリズムを取って揺れてしまう。

この曲がデビュー曲なのだけれど、新人にこの楽曲とリズム隊を付けるとは
彼女の声が人を惹きつけてやまないからだろう。

真夜中のドア」は多くの人がカバーして動画にしているけれど
本家本元がいちばんという理屈を越えて歌心が別格だから。

音符の長さの揺れがある、などと書くと冷静すぎて伝わらない。
(例えば「そんな気もするわ」の「わ」を早めに入って伸ばす、シンコペのリズムを強調してグルーブ感を出す、それまでの同じ音型の歌詞と違って「心に穴が」で一瞬の間を置いて「空いた」へ着地するところなど。日本語の歌詞と感情のうねりが自然に体現されているね)
それがテクニックというよりは無意識、自然体で出てしまう。
(スタジオ録音でも高揚感があるけれど、ライブであればどんなにか。彼女がライブアルバムを残していないのは残念)

音符の一つひとつにかかる彼女の息が時間を無限に引き延ばす。
気が付けば4分少々しか経っていない。
声の湿り気も声の色もリズムもビブラートもすべて松原みき。
歌の魔法としかいいようがない。

当時はレコード(ビニール盤)だった。
ターンテーブルにシングルかLPを載せて
回転スイッチを押して定速(45rpm or 33-1/3rpm)に達したらそっと針を降ろす。
雰囲気を聴くときはシュアーのMMカートリッジで、声の輪郭を浮かび上がらせたいときはデンオンやオルトフォン、テクニカのMCで。
円盤をモーターが直結して廻すドライブもあればゴムや糸で間接的に廻すドライブもある。
ダイナミック感があるのはダイレクトドライブ、なめらかで艶やかで音楽が躍動するのはベルトドライブ。
針が動き出すと音が出てくる予兆の暗騒音のあとに
動的に音が躍動するあのレコード再生の味わいが待っている。

レコードが人気と聴いてうれしい。
効率化だけを追い求めて沈んだ日本だけれど
非効率であっても所作に何かの感情が伴うもの、
フィルムカメラやチェキ、レコード盤などに
いまの若い人が憧れることがあると聴いてほっとする。
紙の大きなジャケットはそれだけで美術だから。
紙袋からそっと取り出して両手で胸の前に抱えて持つ瞬間、何かを感じるはずだから。

長らく埋もれていたこの楽曲に光を当てたのが
日本語を解さないインドネシアの女性YouTuberというのもいまの時代ならでは。
日本語に憧れて日本の楽曲をうたう白い衣装をまとったあどけないインドネシアの女性。
YouTuberというよりは好きなことを素直に実行している姿勢がほほえましい。
(でもそれが感動的かというとそれは別。プロの歌手の矜持があるから)

カバーはオリジナルを超えないかというとそれは事例による。
PlasticLoveについては背筋が伸びた印象のオリジナル(歌の世界観と歌い手が合っていない感じ。オリジナルが当時ヒットしなかったのもそこに理由があると思う)よりも、Friday Night Plansのほうが好きだ。背徳の翳りと情念のうねりの湿度感で聴き入ってしまう。


ぼくは80年代の音楽が好きでこのブログでも20年近くにわたって書いてきたけれど
それでもまだ書き足りない思いがする。

真夜中のドアは一度聴いたらもう一度聴きたくなる。
りんごジュースをウィルキンソンのジンと炭酸水で割った飲み物をつくってきて
またかける。
飲みながら聴く。
終わったらまたかけてみる。
今度は炭酸水だけを入れてみる。
いや、ジョニーウォーカー 黒を少々。
最後は竹鶴17年の氷割りで。

これでは寝られない。なんでそんなに愉しそうに歌うの?
そんなヴォーカリスト、そんなにいないでしょう。

CDではデビュー曲「真夜中のドア〜Stay With Me」のジャケットを使って、精密なダンパーで信号を記録したこのCDで聴いてみるのはどう?


追記
これだけ世界的に評価が高くなったのはご本人の実力ゆえ。
これが80年代、90年代当時にそうなっていたらと思うことはあるけど、
当時から高く評価していた人は少なくなかったはず。
目立つこと、売れること(バエる、バズるなんて言い方は嫌い)が良いとは限らない。
(SNSは虚栄感にあふれている)
信念を持って生きていければそれでよし。
(金子みすずも生前はいまほど支持されていなかった)
大勢に理解されなくてもきっと誰かが良いと思っている。
例えひとりであっても(もしかして百年後かもしれないけど)
熱烈に支持してくれる人がいれば―。

そう思って生きていくことを
天国の松原みきさんが教えてくれているような気がする。

さらに追記
一連の記事を投稿して数日後の2月4日のNHKラジオの「ごごカフェ」でゲストに林哲司さんを迎えて、「天国にいちばん近い島」のイントロを皮切りに、竹内まりや、松原みきなどの楽曲が作曲者本人の振り返りを交えて放送された。
posted by 平井 吉信 at 23:55| Comment(0) | 音楽

2022年01月29日

井上望 メイク・アップ・ミー

長いこと気になっていながら忘れてしまうことがある。
井上望もそうだった。アイドル歌手に括られるのかもしれないけれど、歌唱力が際立った新人、という印象。

1980年前半はアイドルが百花繚乱。
百恵と交替するかのように裸足の季節で彗星のごとくデビューした松田聖子は2作目の青い珊瑚礁で一気に疾走。いや、デビュー曲ですでに大輪の器を見せていた。
この楽曲は音程の跳躍や部分的な半音など技術的にも難曲で
アイドルのデビューに向けられた無難な楽曲ではない。
作家陣、編曲とも総力を尽くして新人には背伸びした楽曲を提供したところ、
それを乗りこなしたばかりかステップアップの踏み台にしてしまった。
(「夜のヒットスタジオ」初出演で緊張する舞台で伸びやかにうたう動画がYouTubeに残されている)
松田聖子でもっとも好きな楽曲は「小麦色のマーメイド」。シングルレコードB面の「マドラスチェックの恋人」も同じぐらい好き。
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中森明菜の「スローモーション」も抜きんでていたし、河合奈保子、小泉今日子、三田寛子、堀ちえみ、菊池桃子といったアイドルもそれぞれに個性を発揮していた。

そんななかで井上望はいつのまにか見かけなくなったようだけど、
4枚目のシングル「メイク・アップ・ミー」は良かった。
(「裸足の季節」とはリリース日が10日ぐらいしか違わないのだ)

またまた個人的な話で恐縮だけど、
北国から転向してきた同級生のことが気になっていた(南ではなく今度は北)。
「メイク・アップ・ミー」を聴く度に片思いだった彼女のことを思い出す。
垢抜けない雰囲気が魅力でその横顔とはにかむ笑顔に惹かれたのだ。
(声をかければよかったのかも、などと思うこともあったけど)
それがどこか井上望に似ていた。

井上望の動画も奇跡的に残されている。やはりこの曲を余裕で歌っている。
また聴きたくなってきた。配信サイトに載らないかな。
理想をいえば音源の再CD化だけど。


追記
実はいまの井上望の生歌がYouTubeで聴けることを発見した。
ご主人のエド山口さんのチャンネル「エド&望 歌謡曲バンザイ♪」で
夫婦でうたう動画が多数掲載されている。
歌声は相変わらず艶やかで佳き人生を重ねて来られたのだなと推察。
見ていると愉快な気分に♪
https://www.youtube.com/watch?v=4GYRcL8xW-A
https://www.youtube.com/watch?v=FW_XsBS-KGI
(いまの井上望さんでカバー曲集でもつくってもらえないかな)


追記2
今回の投稿とは関係ないけど心地よいカバーバンドを見つけたのでメモに。

「君は天然色」(ナレロ)
https://www.youtube.com/watch?v=yx46JLR38r8

「夢先案内人」(ナレロ)
https://www.youtube.com/watch?v=kmkAycEgxwM

(個人的な意見です)
ナレロのめざす音楽は仲間で愉しみながら演奏していることが伝わるところ。
選曲も琴線に触れるとぼくを含めて多くの人が感じている。
限られた楽器編成で忠実に再現をめざしながらも、そこから先はオリジナリティが発揮されている。
ツインヴォーカルの良さが最大限に発揮されていてレイドバックしてとても心地よい音楽となっています。
声が器楽的にうたっている箇所があるようで、詩の意味を踏まえるとさらにすばらしくなるように思います(音程も探しに行かずに決めるとさらに)。
応援しています。



人は音楽がなければ生きてけない、音楽は究極の愉しさということが伝わってくるね。
posted by 平井 吉信 at 22:33| Comment(0) | 音楽

天国にいちばん近い島はいまでも音楽のなかに


山口百恵の引退から4年後に発売されたシングルがこれ。
1980年代の角川映画は、薬師丸ひろ子、渡辺典子、原田知世らを発掘して映画がつくられた。これは同名映画の主題歌。

森村桂の原作のことはよく知らないが、
1ドル360円の時代、海外旅行は誰でも行ける時代でなかった頃に
ニューカレドニアに渡った若い女性の旅行記、だったと記憶している。
原田知世出演の映画も見ていない(特に彼女のファンというわけではない)。
それなのに主題歌だけはいまも、そしてこれからもずっと心にとどまったまま。
レコードは多少年代感は出ているけれど、光を当てない保管のため色彩は失われていない。
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久しぶりに針を落としてみようか、と思ったら
レコードプレーヤーのアースが切断されていてハムノイズが乗る。

それではダウンロードで1曲買うことにしたのだけれど、どの配信サイトにも掲載されていない。
(原田知世で同名曲があってもそれは新しい録音でアレンジも声も当時とは異なっている)

ならCDはと探してようやく1枚だけ見つけた。新品がまだあって700円少々で手に入れた。


さっそく聴いてみよう。レコードとは違うけれど、CDをトレイに載せるときもわくわく感がある。
「時をかける少女」、これは新アレンジだ。ファンにとってはどうだろう?
「愛情物語」が終わっていよいよ順番だ。

ギターのイントロとストリングスが聞こえてきた。
南太平洋の島々をめぐった人ならわかるあの色彩、
間奏のギターの刻みは、珊瑚礁のさざなみの浅緑と環礁の外海の水晶のきらめき。

彼女の声がすべりこんでくる。
「そんなとこ好きだからとても」とささやく。
恋人への思いがしだいに高まると、
「恋したときみんな出会う自分だけの神様」と言葉がひらく。
願いが結晶化した瞬間、旋律は短調に転調。
切なさをかき鳴らしたまま、
天国にあなた、いちばん近い島と結ばれる。
(「あなた」と挿入されるのがとても効果的で作詞の妙)

目印、オペラグラス、そっと手を振って…。
星が降る、甘いテレパシー…。
親密なふたりだけにわかるメッセージがある。

「心の海渡る船が迷わないようにと」鼻に掛かる高音が魅力。
不安と憧れを胸いっぱいに原田知世が楚々と輝く。
4分41秒の魔法だね。

質の高い楽曲をその歌手を輝かせるためにつくる。
80年代は職人技の極みで歌い手とともに感情の編み機を走らせて
普遍的なラブソングを紡いだ。
いいよね、切ないよね。


この音楽から数年後、南太平洋への片道切符の旅に出た。
ニュージーランド、ニューカレドニアを経由して22時間のフライトで
タヒチのファアア国際空港に降り立った。
ポリネシアには切ないラブソングがある。それを聴きたくて赤道の反対側をめざしたのだった。

→ サモア島の歌 ラグビーからポリネシアを思い出した 
http://soratoumi2.sblo.jp/article/186710885.html

→ 子どもを大切にする国 特急のなかのほのぼのとしたできごと。南太平洋の子どもたちを思い出した
http://soratoumi2.sblo.jp/article/182381227.html

→ 南太平洋「ファイカヴァの恋歌」民族音楽の地球紀行はノンサッチで
http://soratoumi2.sblo.jp/article/97208434.html

posted by 平井 吉信 at 21:15| Comment(0) | 音楽

ステージにマイクを置きました…

ぼくは知らなかった。これが何を意味するかを。

きっかけは知人の女性との何気ない艶っぽい会話から。
その人は「ビキニはステージに置いてきました」といった。

意味が分からないまま、気になったのでしばらくして訊ねると
標題の言葉の暗示でようやくわかった。

1980年10月5日、山口百恵の「伝説から神話へ 日本武道館さよならコンサート・ライブ」のこと。
最後の曲を歌い終えた彼女がステージにマイクをそっと置いて
振り返らないまま立ち去っていくという場面から。
(それ以後、彼女は一度も舞台に立っていないはず。ぼくはこの場面を知らなかった。近年ではこの演出を模倣した事例があるらしい。映像を見るとぼくには演出には見えない)

ぼくが歌手であったとして、
この映像を見たあとに同じ行動はしない、できない。
(もちろんステージでの動きや行動に著作権はない)。
それは「模倣」を避けるというよりも
歌い手への尊敬の気持ちから。

山口百恵の歌は完成された様式美がある。
ラストコンサートでの語りは音符のない独白のよう。
(ファンの歓声がやや興ざめだがそれも時代の写し絵)
鍛錬されたかたちを持ちながらも
一瞬に思いを込めてうつろう悠久の時間が微分された一期一会。

探してみるといまでもこの映像はDVD、Blu-rayで入手可能という。


山口百恵の楽曲でもっとも好きなのは、
最後のオリジナルアルバムに収録されている「想い出のストロベリーフィールズ」。
詩がほんのりとセピアの色彩を帯びた写真を見るようで
走馬灯が回想されていくように想い出を抱きしめる。
ときが過ぎて戻れない時間が浮かび上がる。
だから人生―。
そんなメッセージを感じる。

「想い出のストロベリーフィールズ」がB面に収録されている限定発売のシングル「一恵」
サイン色紙が封入されている。
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誰が書いたのだろう。
横須賀恵、これは本人のペンネームだった。
ステージでの山口百恵を支えているのは、まなざしの深み。
ノスタルジーを畳みかけるのは杉真理の作曲。

山口百恵は制作側がつくりあげた仮面を付けて歌をうたっている印象があった。
数々のヒット曲はあれども意外に心に響く楽曲が少ない。
そんななかで「想い出のストロベリーフィールズ」は素のままで歌える音楽だったのではと。

初恋の幼なじみが美しく成長して思いがけず再会したあのとき、
ぼくはこの楽曲に出遭って彼女を見るたび胸のなかで鳴らしていた。
(その後一度も逢うことはなく月日が流れた)
そんな「想い出のストロベリーフィールズ」である。

次に好きなのは「乙女座宮」。
セールス的にはもうひとつだったようだけど、
当時の天文少年のぼくは楽曲のきらめく世界観にときめいた。
いま聴いてもその気持ちは変わらない。
(でも、しし座の彼とおとめ座の彼女では相性はもうひとつかな?などと思ったり)

「夢先案内人」にも思い出がある。
とある会合で出遭った初対面の女の子が気になってしかたない。
空色のシャツ、トンボメガネ、黄色のカーディガンでホワイトボードに向かっていた姿を昨日のように覚えている。
その彼女と南の海へ出かけたとき、耳元で歌ってくれた曲。
(これも売上はいまひとつだったのかもしれないけれど、華々しいヒット曲よりぼくはこんな楽曲が好き)

そんなふうに、みんなそれぞれの「山口百恵」があるに違いない。
いまはどこでどう暮らしているのだろうと思うと
切なさとともに、ひと目逢ってみたい気もする。


「想い出のストロベリーフィールズ」を含む最後のオリジナルアルバム「This is my trial」



春夏秋冬をテーマにしたこんな企画が成立するなんて。これは秀逸な企画。新たな価値を訴求している
「山口百恵 日本の四季を歌う」



シングルを集めた2枚組「GOLDEN☆BEST 山口百恵 コンプリート・シングルコレクション」
posted by 平井 吉信 at 15:03| Comment(0) | 音楽

2022年01月01日

台湾から日本へ〜春の目覚めを待つあなたの果たせなかった夢〜

謹賀新年
今年も佳き年でありますよう。

きょうは台湾の歌姫の話題から。
首相経験者からきな臭い発言があったが気にしない。
相変わらず歴史に学んでいないけれど。

有事にならないよう避けるのが外交。
伝えることは伝えながらも
中国とも台湾とも良い関係を保っていく道筋を模索するのが政治の仕事。

2021年中に気になるアーティストの音源を聴いた。
それは台湾東部に住む少数部族のアミ族の女性、イリー・カオルーの歌。
アミ属の言葉や台湾華語などで歌われている。
歌詞対訳は英語と日本語が付いている。
彼女の名前の英語/台湾語の表記は次のとおり。
Ilid Kaolo/以莉高露
このアルバムはコロナ下で日本の演奏者たちとわずかな隙間を縫って残された音楽の足跡。
(アミ属の神話に由来する歌などが題材となっていて音楽としてとても愉しめる)

台湾は大陸に近い西半分は平野が多く、東半分は山岳地帯となっている。
イリー・カオルーさんは農業に従事しながら伸びやかな東部の風土に息づく歌をインスピレーションでつくられている。
そのアルバムを聴いてみたいと思いつつ、忙殺されて2021年末を迎えた頃、思い出した。
そうだ、彼女の歌を聴こう。

イリー・カオルー(Ilid Kaolo / 以莉高露)/《Longing》

日本でリリースされたそのアルバムは短編小説の付いた仕様とCDのみの仕様の2種類。
こういう音源はすぐに確保しないと市場から消えてしまうと考えてHMVを見ると在庫があった。

商品が到着したのが元日のこと。
元日の親族の集まりも昼過ぎに引けて後片付けも終わった。
さっそく封を切ってみる。

ぼくが注文したのはCD+短編小説付だが、
ていねいかつ作り手の思いがあふれているもので感銘を受けた。

CDはタブレットサイズのブックレットに挿入されており、
台湾東部と思われる写真や彼女の自筆歌詞などが寄せられた十数ページになるもの。
装丁は黒の帯に金文字、暗闇に灯火で浮かぶイリーさんの幻想的な写真を表紙にしている。
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短編小説だけで1冊の書籍と呼べるもので
彼女の音楽を小説化して日本語訳をつけて挿絵がある。
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1曲目の「17歳的你」(17歳のあなた)で遙かな世界へ連れ去られる。
楽曲は日本統治下で17歳で海に散った少年の切ない物語。
 → 公式YouTubeでのMV https://www.youtube.com/watch?v=dtL8thEd0zU

春の目覚めを待つあなたの果たせなかった夢を歌が叶えるような切なさ。
台湾から日本の南の海へと吹く偏西風、台湾沖から日本へ向かう黒潮…。
悲劇の物語というよりは感情を解き放って浄化されるようで。
イリー・カオルーの音楽もコロナ下で結ばれた意識のように東方へと羽ばたく。

音楽の普遍性って言葉や記号を簡単に越えて伝わること。
動物が人の奏でる音楽にうかれたり身体の動きで表したりすることがあることからもわかる。
イリーさんの音楽もそんな伝わり方をする。

元日早々、伸びやかな台湾の土と海の匂いが届けられたようで目と耳のごちそう。
これだけの制作物が埋没してしまわないよう発信するのは聴かせていただいた者の務め。

公式Webサイト
http://ilidkaolo.com/
(日本語を選択すれば日本語で読める)

まず音楽を聴いてみたい人はこちらから。
https://music.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_ns2p3Nplz1r0iclp9b2YgV6JWhJrS7jYI

追記
台湾本島の西にある澎湖諸島では2015年に
北京原人、ジャワ原人、フローレンス原人とも異なるアジア第4の原人と見られる人類の化石が見つかっている(澎湖人)。台湾は人類学的にも目が離せない。
posted by 平井 吉信 at 17:46| Comment(0) | 音楽

2021年12月18日

週末の百円スイート+スイートな音楽


ときどき菓子売り場を歩くのは量販菓子でも季節限定があるから。
この日は不二家ルックのイチゴシリーズ(使っているのはペーストのはずで通年出回っても不思議ではないがそこは不二家、季節限定で消費者心理に訴求するから)

このチョコレート、1962年から発売されているらしいので
もうすぐ還暦を迎えるというめでたい菓子なのだ。
(コンビニの棚で2週間並べて売れなければ他の商品に場所を譲って二度と戻ることはないのだから)
商品名は「4種のいちご」)と奇をてらわない。パッケージも王道を行く。
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イチゴの種類は、「あまおう苺」「もういっこ」「ゆうべに」「淡雪」。
あまおうと淡雪では切り口の色も違えば風味も異なる。
甘み、酸味、匂いの違いが明確にあって、半分に切って断面を眺めながら食べるのもよい。
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今月公開されたYouTubeの製品公式動画を見るとコミュニケーション菓子として訴求している(それも男同士だ。なるほど、異性のカップルがこの状況で食べているのは想像しにくいから)

コーヒーは浅煎りの香り高いものを淹れよう。ぼくはいつものあの小さなコーヒー店の豆で。
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音楽はペギー・リーの「ブラックコーヒー」よりも若手の音楽で。
Faye Webster(フェイ・ウェブスター)の「Atlanta Millionaires Club」。
2019年の作品だけど時代が舞い戻ったかのよう。
甘いささやき声で気だるい時間を浮かばせる。




Clairo(クレイロ)の「Immunity 」は2019年のリリースで彼女が二十歳ぐらいの作品。



BLU-SWING 「10th ANNIVERSARY BEST」


田中裕梨「雨のウェンズデイ -Single」
同じくBLU-SWINGのヴォーカリストのソロは大滝詠一の名曲をカバー。


ところでいま聴いている音楽は?
高峰三枝子の「南の花嫁さん」と一青窈の「ハナミズキ」。
何か?
posted by 平井 吉信 at 18:18| Comment(0) | 音楽

2021年10月05日

グリーグピアノ協奏曲 秋の古色を奏でる田部京子/小林研一郎盤


秋が来ると気温が下がり 眼前の景色が黄昏を帯びてくる。
森ですらオータムグリーンの濁りと円熟の色を混ぜてくる。

すみれをはじめ山野草が芽吹く春は愉しくてたまらない。
水を近く感じる夏は翡翠や紺碧に彩られた盛りを感じる。
それでは秋は…。
自然界の物音や風の気配すら音の調べを伴うような。

そこで聴きたくなったのはグリーグのピアノ協奏曲。
レコード盤ではツィマーマン/カラヤン/ベルリンフィルを持っている。
リリカルなグランドマナーといいたい若きツィマーマンのピアノを奔流のように包み込んで豊潤に歌わすオーケストラの詩情。この曲はシューマンのイ短調のピアノ協奏曲を組み合わされることが多く、ツィマーマン版もそうだ。

ツィマーマンは徳島市で公演を行ったことがある。もちろん行った。こんな機会は滅多にないから。演奏はもちろん良かったけれど、コンサート終了後に奥さんの肩を抱いて会場を去って行く彼の姿が印象に残っている。

ツィメルマン(ドイツ語ではこの音が近いのだろう)とも記されるが
東日本震災後からほぼ毎年日本で被災者のためのチャリティコンサートを行っているという。
CDで発売中のラフマニノフのピアノ協奏曲第2盤は名盤とされるリヒテルやアシュケナージとまったく異なる彫りの深い演奏だったが、作曲者が描いた甘美な世界観すら越えてしまった感がある。
(秋はラフマニノフの季節だよね)

外観は内面を表すというが、その哲学者のような風貌と相まって商業主義の匂いがしない求道者のようなピアニスト。尊敬している。


さて、2018年になって田部京子/小林研一郎/東京交響楽団のグリーグのピアノ協奏曲が発売になった。
ぼくはこの組み合わせが気になっていた。手持ちではモーツァルトのピアノソナタK331とピアノ協奏曲K488を絹のようなオーケストラとピアノの対話で演奏されたCDに心弾む。
作曲家にもよるが、田部/小林の組み合わせで聴くレパートリーのピアノ協奏曲は聞き逃せない。いまどきの演奏家に技術の齟齬などあるはずもなく、それだけではない音楽の香りが馥郁と漂いつつ音量やディナミークだけでない情感。録音も絹のような感触だ。

Amazonプライム(音楽視聴サービスがある)に田部/小林コンビのグリーグの協奏曲が載っているではないか。

第1楽章はおだやかに深い呼吸のオーケストラでピアノともどもにきらめきを抑えた表情が印象的。遅めのテンポで細部をほぐしながら悠然と漂う(ピアニズムのきらめきを封印したらグリーグが寄り添ってきたという感覚)。
第2楽章はツィマーマン/カラヤンの豊かな寂寥感も捨てがたいが、小林/東京交響楽団の音色は古色を帯びて胸にしみ入る。隠してもにじみ出るピアノの音色の凛とした透明感は田部さんならでは。
第3楽章は心のピアニズムとオーケストラが前2楽章に比べて楽曲の魅力に劣ると感じる終楽章を木訥につむいでいく。中間部の独白などこの曲はこんなにもしとやかで雄弁であったのかと気付いた。

カップリング曲はグリーグのペールギュント組曲からピアノ編。やはりグリーグはグリーグで通しで聴きたい。同じイ短調だからといってシューマンのピアノ協奏曲と組み合わされるとしっくり来ない。
ピアノソロになると一段と田部京子さんのピアノは独白の色濃く抑制されたピアニズムからグリーグの存在感が立ち上がる。

そして「朝」ですよ。誰もが知っているペールギュントの第1曲。劇音楽だけにオーマンディのような歌わせ方のオーケストラで聴いてみたい気もするけれど、饒舌を脇に置いたピアノで北欧の静的な風景、紺碧の湖やらフィヨルドを見下ろす夏に束の間に咲く植物のたたずまいが谷間の霧のように浮かび上がる。


posted by 平井 吉信 at 01:33| Comment(2) | 音楽

2021年09月21日

斑鳩から明日香まで古都をめぐる日々は遠く(広谷順子さんを偲んで)


秋が来ると夢のなかに繰り返し出てくる歌(楽曲)がある。

山に囲まれた大和路の四季を教えてくれたのはあなたでした
(中略)
斑鳩から飛鳥へとひとり静かに古都をめぐりたい
(広谷順子/「古都めぐり」から)



歌うのは広谷順子さん。
(YouTube上にあるので視聴してみて)
もし女性だったら大和路を案内してくれる恋人がいたらいい。
風を受けたレンタサイクルでめぐりつつ(明日香は自転車がいい)。
明日香川 明日も渡らむ石橋の 遠き心は思ほえぬかも

ときおり万葉集を引用しつつ振り返っては退屈していないか気に掛けてくれる。
でも実際は「私より古刹が好きなのね」と嫉妬するかもしれないけれど。

このブログを隅々まで読んでいらっしゃる方はぼくが明日香村を好きなことはご存知のこと。
春夏秋と季節をたがえながら訪れていた。
桜の咲く石舞台周辺、蝉時雨の雷丘(いかづちのおか)もいいが、飛鳥川上流の棚田の光景も好きだ。
歌は歌としていつまでも心に余韻を響かせている。
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「古都めぐり」は広谷順子さんのファーストアルバム「その愛に」に収録されている。
ぼくが買ったのはCD選書という廉価版であったが音質は良かった。
(しかしその後に発売されたUHQCDは声がさらに現実感があって買い足すかどうか悩ましい。なぜわかるかって? Amazonプライムに出ているので手元のCDと比較ができる。Amazonの低い帯域からもこのUHQCD版の生々しく地に足の付いた存在感がわかった。余談だけどレコードはA面5曲、B面5曲が多く、その場合だとAD46とかXL-146,HF-S46=要するにノーマルポジションの46分テープにダビングしていたよね)


このアルバム、いま気付いたけれど、編曲は全曲松任谷正隆で参加している演奏者は以下のとおり。
松任谷正隆(key)、高橋幸宏、林立夫 、村上秀一(ds)、高水健一(b)、鈴木茂 、松原正樹、吉川忠英 (g) 、斉藤ノブ(per)ほか豪華メンバーがサポート。オールスターを見ているような。でもあまりおかずを入れずに広谷順子さんの声を活かしているね。

けれどきょう知ってしまった。
2020年1月に広谷順子さんが亡くなられていたことを。
はやすぎるよ。

この方は歌の世界観がぶれることなく、年々純化していった感が強い。
ソロから、夫との2人ユニット「綺羅」になってからは万葉の逍遥のごとく。

80年代の日本の音楽は音志向(もっとも世界的にそうだと思うが)で
歌詞はというと、英語のフレーズがファッションのように装飾された歌詞を
腕利きのプレイヤーが粋をこらして曲を編み上げて涼しげに聴かせてくれた。
(それはそれで好きだけど、あの部分的な英語フレーズは苦手。例えばこんな感じ「夏空を追いかけた on the road あなたの横顔 見上げた blue sky 逢いたくて just the moment…架空の歌詞だけど当時のシティポップスと呼ばれる分野に多かった。でも広谷順子さんの音楽は日本語でそれも抽象的でなく歌詞が文章になっている)

「夏恋花」と題して世に問うた綺羅の1枚目のアルバムはさらに進めて万葉集の世界。
言葉を選び空間に放つ音の響きと多重録音の声が夢か幻かという音絵巻を魅せてくれる。
平安に迷い込んだような「さくら」に続く2曲目の「陽だまり」はいまの時代にこそ聞いて欲しい。
人の心の上澄みにある軽やかな夢心地をぽつんと空間に放つ。手練手管は感じない。
3曲目はアルバムのタイトル曲でもある「夏恋花」。
男女の声が空間にたんぽぽの真綿のように浮かび上がると順子さんの楚々と妖艶な童女のような声。
日本のポップス史上、この楽曲、この歌い手に似た存在を知らない。
海が見える丘を駆け下りた遠い少年少女たちの回想のように。


綺羅では童謡集を2枚出している。これは親密な日本の庭で遊ぶ愉悦がある。
http://www.kira-net.com/cd/tokinonagori1.html
http://www.kira-net.com/cd/tokinonagori2.html
次はこれを買いたい。


これもYouTubeを見ていて初めて知ったけれど
広谷さん、セーラームーンの楽曲を歌っている。
放課後の胸がキュンとする世界が直球で飛び込んでくる(「 Moon Heart Sequence」)。

鈴虫の「凛」と少女の「楚々」に人肌の温もりを加えたような声の人。
音楽っていいなという思いと誰もが遭遇する喪失感。

明日香も斑鳩も当分は行けそうにない。
秋に聴く古都めぐりはさみしい。いまゆえに。
いつか別れはくるものとなぜ知らずにいたのだろう♪(「古都めぐり」から)

(広谷順子さん、さようなら)


タグ:童謡・唱歌
posted by 平井 吉信 at 23:38| Comment(0) | 音楽

2021年08月13日

真夏の夜 しみ入る音楽 3枚


今年のペルセウス座流星群は大雨で見えない。線状降水帯が発生している地区もあるようだ。ご無事を祈りたい。

さて、眠りに就く前に音楽をかけている。
それもとても小さな音で近所にも隣の部屋にも迷惑にならないぐらい。
CDを1枚終えるまで起きていることはなく、3〜4曲目で意識が遠のいている。
一日の澱を洗い流すようで心地よいこのひとときは出張以外の毎日の習慣。

そんな音楽はリズムの刻みが大きいものや強弱が付くものは避けている。
ここでは3枚だけ紹介してみたい。


ロドリーゴ・レアン率いるヴォックス・アンサンブルというユニットからファーストアルバム
アヴェ・ムンディ・ルミナール/Rodrigo Leao & Vox Ensemble」

ソニーミュージックのWebサイトのアルバム紹介は以下のとおり。
ポルトガルの人気グループ「マドレデウス」の元キーボーダー、ロドリーゴ・レアンのリーダーアルバム。このアルバムは、ロドリーゴの音楽体験の集大成であり、ポルトガルの民族音楽の要素、モーツァルト、オルフ、グレツキー等、クラシックの要素、フィリップ・グラス、マイケル・ナイマン等ミニマル・ミュージックの要素が融合した素晴らしいアンビエンスのアルバム。


20年以上前に買ったCDでいまは入手できるかどうかわからないと思ってAmazonを見たらあった。視聴もできる。

1曲目はキリスト教のマリアを扱いながら弦楽の調べに載せて夢幻から聞こえてくる女性の声。
YouTube上にライブもある。
https://www.youtube.com/watch?v=rOEpOKIjgwY

本人が運営するYouTubeチャンネルに2020年の音源(ライブ)がある。
上記と比べてソロを抑えてコーラスとポリフォニーが感じられて好印象。
https://www.youtube.com/watch?v=r_T8r5oTpoU

こちらは映像詩。音源は手持ちのCDと違っている。低弦の和声が支える1996年CD編曲が好きだが、この版ももちろん作者のオリジナル。どちらも美しい
https://www.youtube.com/watch?v=XsGmZlpwMaA

ライブもいいが、CDの漂うような録音とこの世とも思えぬ女声の遠い響きが美しい。ファド(ポルトガルの土着の音楽)の香りは感じないけれど、突き抜けた感があって夏の夜に天上に包まれて眠りの旅路に就く。




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Matthew Halsall(マシュー・ハルソール)Salute to the Sun

2020年11月のコロナ下のイギリスで発売されたジャズトランペットのクールな音楽。スピリチュアルジャズとワールドミュージックの融合と評する人もいる。レーベル名のゴンドワナでかつて地球上に存在した大陸名。人の汗がほとばしるような音楽ではなく、現生人類が発生したアフリカの鼓動を思わせる淡々とした進行が眠りを誘う。でもそこに存在のエネルギーが感じられて魂が共感して浮游する感覚を覚える。
YouTubeにもレーベルが掲載したスタジオライブがある。
https://www.youtube.com/watch?v=QTzV1YdQUZw




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小松玲子 Voice of Sanukaite

香川県にはサヌカイトという岩石がある。これを調律して楽器に組み上げた。その奏者が小松玲子さんである。倍音成分が多い楽器でおそらく高次の倍音(超高域)まで伸びているだろう。もちろんCDでは20Khz少々までしか再生できない。それでも可聴帯域内の響きが空間に広がっていく。
サヌカイト楽器は打楽器でありながら激しい打音はしない。楽器に触れたことはないが、小松玲子さんの演奏を見るにつけ良い音を出すには適度の加速度と減速による音量、音色の制御、ときには響きのミュートも相まって空間に音をデザインしている感じ。

ぼくが持っているアルバムは2枚。最初に「LOVE LETTER 」を、次にこのアルバムを手に入れた。ほぼ同じ時期に制作された2枚だが個性が違う。
LOVE LETTER は玲子さんの個性を凝縮した楽曲で散りばめられている演奏者の顔が見える気がする。
Voice of Sanukaiteはサヌカイトの響きに浸るとしたらこんな音符の動きの楽曲はどうかしら?という楽曲で埋められており、サヌカイト岩石が宇宙に向かって語り掛ける趣がある。どちらか選べと言われれば前者を選ぶけど、後者が好きな人は多いはず。

ご本人のブログを見ると演奏会が中止となるなど大変な時期が続いていらっしゃる。

コロナ下で演奏会が円滑に行われないなかでCDを購入するのも良いことと思える。
Amazonでは視聴はできないようだが、検索していただくと関係者によるWebサイトがあって視聴できる。

YouTube上で同名タイトルを見つけて聴くのもいいだろう。ぼくのおすすめは「LOVE LETTER 」の公式動画。演奏する姿も魅力的だが、没入没我の境地で石と向かい合っておられるように見える。今後のご活躍をお祈りしたい。
https://www.youtube.com/watch?v=wM_s1obu49w



追記
玲子さん、吉野川市で7月にコンサートの予定があったことをブログで拝見。
https://ameblo.jp/marimbareiko/image-12686053472-14971160986.html
コロナ下での中止(延期)とか。
(確かにいまは医療崩壊寸前の状況ではあるが、地元観客を対象に行うのに中止の必要性があったのか。東京から移動される演奏者のPCR検査と移動手段の管理を行うことでできたのではないか)
2018年9月に小松島市に来られたとき止むにやまれぬ所用で行けなかった。
再度県内で実現するときはぜひ行きたい。
posted by 平井 吉信 at 13:58| Comment(0) | 音楽

2021年07月04日

いまがダメならかたちから入ってもいいじゃないか


COVID-19ばかりではない。人々も会社も社会も自信をなくしているようだ。
だから大谷翔平選手の活躍に胸躍らせている。

若い人だけでなく、レコードやフィルムカメラ、カセットといった80年代前後の道具に憧れを持つ人がいる。道具というより空気感かもしれない。

あの時代のポップスが世界から注目されるようになった。きっかけは竹内まりやの「プラスティック・ラヴ」かな。70年代の社会問題から解放されて音楽を奏でる歓び、夢中になることを時代も後押しした。

あいみょんの「マリーゴールド」、沸き上がる入道雲のようなまぶしさを感じさせる。
歌詞は「揺れたマリーゴールド」のようになぜこの言葉を選ぶ?という推敲の余地を感じさせるけど「麦わらの帽子の君が…」「今日という日になんて名前をつけよう」「雲がまだ二人の影を残すから」なんて恋人たちが空や雲に祝福されている感じ。あふれそうな作者の自信が伝わってくる。(この曲をパクリという意見もあるけど、定番のコード進行が似ている楽曲があっても世界観が違うのでそれは当たらない)
この曲から長渕剛の「夏の恋人」を思い出した。初期の松山千春を感じさせる曲もあるね。


彼女の声はとても心地よい。テイラー・スウィフトは起伏の多い抑揚だが、あいみょんのフレージングは音符のかたちとは別に息が長い。ゆえに声に浸れる。

でもテイラーの曲作りは耳に残る。彼女は2021年になって版権の関係から自ら初期のアルバムを再録しはじめているが、声の魅力は31歳のいまのほうがしっくり来る。10代の頃の録音はアーティキュレーションが不安定(尖っていて)で聞いていて苦しくなることがあるが、今回の再録ではフレージングの息が長くなっている。抑揚がおだやかになって声にも艶が増している(SNSerなら「エモい」と綴るだろう)。日曜の朝に聞きたくなるね。
フィアレス(テイラーズ・ヴァージョン)



何度も取り上げるaikoのカブトムシはいまだ類似の楽曲は出てこない。
ジャズのコード進行という分析もあるが、コードの分散和音の音を半音下げて外したり(和声と旋律を一致させない)、和声を借りてきたり、和声の解決の手前で立ち止まったり。コード志向の作曲だけどそのコード進行が予想が付かない。コードありきで不協和音が挿入されてコードが後追いするような。彼女は和声の海を自在に泳ぐが、はずしかたがたまらない。
音階の動きもゆっくり上行させたり急激に飛んだり。作曲が声楽的というより器楽的。それが自然に響くのは抑揚の滑らかさと音符の着地を弓をぼわんとするように落とす。かすれ声の語尾の独白もあれば、畳みかけるブルースのうねり。提示部と再現部で同じ音型に導かれて最初はためらうように低徊するが、二度目は飛翔する(「カブトムシ」が歌詞に初めて出てきて印象づけられる)など、パターン化とパターンの崩し方(発展のさせ方)。理屈はわからなくてもそんな箇所は聞く人の胸に響いている(刺さっているなんて使わない。心に刺さるなんてひどい言い方)。
それでいて手練手管を感じさせず、本能で選び直感から生まれた生っぽさ。詩として読んでも情景が浮かぶ絵心のある歌詞。この曲の世界観を再現するには感性のきらめきと高度な技術を要するが、歌えたときの充足感は他の楽曲では得られないもの。すべての音符がさりげなく、たったひとつの音符の揺らめきの情感の深さ―。魂のヴォーカリストだよね。走馬灯のような経過句での場面転換と曲想の合致、はらはらと咲きこぼれる心情。可憐な乙女心の日本語の歌詞をビブラートのない安定した音程でジャズ風のコードと半音階を混ぜてうたう歌手なんて世界中探してもいない。


ニコンからZfcという品番で80年代のベストセラーのようなデザインのカメラが発売される。
おおむね熱狂的に迎えられているようだけれど、一部のカメラマンからは評判が悪い(例えば、動物写真家のあの人など。まだこの人は画素数を増やしたりノイズを減らしたり、AF速度やら画像処理を強化したりすることを求めている?)


ニコンが技術的な新規性に挑戦せず、流行に安直に迎合した、機能的な必然がないデザインという批判は見かける。
(ぼくもフルサイズでこの路線はないと思う。フルサイズの巨大なレンズが小さなレトロ一眼レフデザインに似合わない。この点ではフィルムの最適解が35oであったとしてもデジタルではAPS-Cというフジの主張に同意)

いま必要なのは高性能なカメラでなく、ヒトが写真を撮るカメラ。EOS Rシリーズのようなカメラに撮らせるのをヒトが見守るカメラじゃない。
デジカメはここ数年、画質の向上はほとんどなくなっている。スマートフォンで済ませられるので人々はあえてカメラを使うことの意義とか価値を見出せなくなっている。
(ぼくはスマートフォンのカメラは使いたくない。ときめきを感じないから)
ニコンの新製品はあの頃のようにカメラを操作する愉しさを味わいたい、というニーズに応えるもの(ただしほんとうにそのニーズに応えているかどうかは疑問はある。この操作系ならレンズの絞り環は必須のはず)。

フジの操作はその点、矛盾がない。さらにAPS-Cこそフィルムでのライカ版の世界観をデジタルで体現できる、という哲学にブレがない。
絞りもシャッターも意のままに決められるしそれが電源を入れなくてもわかる。
シャッター速度をオート、絞りリングをオートにすればフルオートとなるわかりやすさ。
トンビが飛んできたので動きを止めるために1/2000へとダイアルを回す。絞りを開けたくて2.8に合わせる、といった「見える化」された操作。少なくともPSAMダイヤルよりずっと機能的。

フジは新製品のX-S10で操作系を一般的な方式を採用したが、それが売れている。
しかしフジが好きな人たちは、レンズの絞り環、シャッターダイヤル、ISOダイヤルが独立しているのを好む。ぼくもそう。フルサイズのデジカメに魅力を感じないのは富士フイルムがあるから、ともいえる。


ニコンの新製品には惜しいところがあるけど、このカメラが売れることは確実。ぼくはそれでいいと思う。そこからZシリーズが本質的に深化する糧になればいい。道具としてはZ50のほうが使いやすいのだろうけど。

でもぼくがソニーのプロフィール(ブラウン管テレビ)を使っているのは懐古趣味ではない。この映像が4Kや8Kの液晶より好きだから(目が疲れず映像に浸れる)。

音楽を語りながら、イメージ写真としてマリーゴールドの幸福な世界観の心象風景を海辺に描き出してみた。
木洩れ日と照葉樹の森をゆっくり歩きたくなる
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緑の富士フイルムの面目躍如
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海岸性の砂地ゆえに植生も潮風を受けて地面に貼り付く
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一目でこことわかる大里松原の波打ち際
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みどりの国に迷い込んだ白昼夢
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(ここまでフジX-T30+XF35mmF1.4 R、XF60mmF2.4 R Macro)

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(ここまでフジX-T2+XF23mmF1.4 R。葉の一枚一枚が写しこまれていてそれが画面全体の現実感につながっている)

最後は手倉湾。
ここから5分でまったく別の世界がひらける。港を含む内湾でおだやかな入り江は透明度が高い。こんな場所は地元の人しか知らない。
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夕暮れ近くなったが太陽は依然として強い。少年も飽きずに水と遊ぶ
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砂に映す空色は徐々に染まってきた
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posted by 平井 吉信 at 00:00| Comment(0) | 音楽

2021年04月24日

5月の別れ


風の言葉に諭されながら 別れ行く二人が五月を歩く、という歌い出しで始まる。

別離を決めている(暗黙の了解かもしれない)二人がどこかを歩いている。
それはきっと明るい森だろう。
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何があったかわからない。
幾たびのできごとを共有しながら紡いだ時間がそれぞれの思い出から切り放されようとしている。

冬から春の装いはことのほか風が感じられる。
草花や木々のためいきのような匂い、
見上げた空の高さがぽんと飛び込んでくる。
そこにぽつんといるあなたとわたし。

風が教えてくれるのは この世は変わって行くということ。
無常とは無情という意味ではない。
「風の言葉に諭されながら」とは自然のたたずまい、
自分たちも含めて「あるがまま」を受け止めなさいと教えてくれている。
これでいいの、これでいいのだ、と。

何もなくても無限の慈しみに包まれている感覚がわかるような気がした。
そんな心象を受け止める森の心を音楽にしたような楽曲。
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他人に提供した楽曲はそれぞれの演奏者がヒット曲をうたう感じになるが
作曲者本人がうたうと「作品」になる。

「Best Ballade」井上陽水

〔収録曲〕
花の首飾り
つめたい部屋の世界地図
いっそ セレナーデ
恋の予感
恋の神楽坂
リバーサイド ホテル
恋こがれて
結詞
自然に飾られて
ワインレッドの心
TRANSIT
背中まで45分
新しいラプソディー
5月の別れ
真珠
少年時代



「真珠」で夢を紡いでほろほろと溶暗していく時間を描き、
「少年時代」で締めくくる。
自然界の綾なす横糸と、人の心の機微を持つ縦糸を
少年の感性で老練な詩人が紡いでいく。それも艶のある糸(声)で。

売れることに注意を向けず楽曲の世界観を再現することに専念できる。
5月の別れを四月の宵に聴いている。
井上陽水は詩人の魂を持つ音楽家だから。


追記
コロナ下で苦しいのは誰も同じだが、それゆえにいっそう自分に注意を払うことが誰かを守ることにつながる。
わずかな光でも感じられたらそれが未来への希望へとつながっている。
破滅は再生へのきっかけ、苦悩は歓びの序章。

posted by 平井 吉信 at 21:09| Comment(0) | 音楽

2021年04月17日

BREEZEが心の中を通り抜ける 40年目のロング・バケーション

BREEZEが心の中を通り抜ける 40年目のロング・バケーション

それは偶然だった。
インターネットを見ていると、ロングバケーションの40周年企画が出るとある。
A LONG VACATION VOX

初出は1981年3月21日だった(27AH1234=アナログLP初回プレスは手持ちにあるよ)。
「君は天然色」、よかったね。
どこかで聞いたようでなつかしく、けれど新鮮だった。
そうか、40年。

気付いたのは3月19日、発売2日前のこと。
予約を入れておこうとWebサイトを見るとすでに「完売」。
根気強く探すと家電量販店のWebサイトに在庫があった。
それも割引価格で。
時間の猶予はないと発注。

それで手元にやってきた。
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このなかにはA LONG VACATIONのすべてが詰まっている。
たっぷりの溝で切られたLP、
最新リマスタリングのCD、エピソード盤、初公開音源、さらに当時のイラストブックやポスターなどの宣材も復刻。
おお。
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音質についてコメントしておこう。
手元にある20th、30thとの比較から。
A LONG VACATION 20th Anniversary Edition
A LONG VACATION 30th Edition
A LONG VACATION 40th Anniversary Edition (通常盤)
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20thは、音の粒立ちを重視しつつ音像が迫ってくる。
30thは、立体感に乏しいが音場の自然な広がりとカセットテープを聞くような各楽器の一体感が特徴。
そして40thはというと、
これまでのマスタリングのいずれとも異なることが一聴してわかる。
声が伴奏から分離して浮き上がるのは過去の2エディションにはなかったこと。
音圧は明らかに30thより高く、中域の充実度、艶がある。
その反面、高域の音場感は30thがいい。
ほとんどの人は音の違いを聞き分けられると思う。
(ただしそれをコメントにするのは訓練が必要)

音圧の低めの30thはアンプの音量を上げると有機的な音の広がりが押し寄せて心地よい。
音色の色彩感は3種類のなかでは地味(モノクローム調)だが、Fレンジ、Dレンジは広いかもしれない。

40thはきらめきや透明感を持たせつつ音が粒立ち、モノクロームの思い出に色を付けている!
やや人工的な感じも受けるが、これはこれでいいじゃないか。
この夏にはSA-CDも出るようだからそれも愉しみに。

ぼくがもっとも再生したのもこのアルバムかもしれない。
だってまったく飽きることがない。
いまの音楽のつまらなさって、シェア(共感)を強いることだよね。
(言葉でいえば「〜じゃないですか」と同意を得るニュアンス)

A面の1曲目から3曲目まででリゾートに運ばれる。遊び心だね。
しっとりとしたB面の1曲目「雨のウェンズデイ」では天然色をモノクロに換える。
思い出の夏を回想するB-2「スピーチバルーン」の独白の深み。
固唾を呑んでいると3曲目「恋するカレン」に打ちのめされる。
B-4「Fun×4」でいったん終わらせて異なる場面「さらばシベリア鉄道」に導く幕引き。
ほんとうに同じことの繰り返し(こちらの感情)なのだけど
数千回目のロング・バケーションとなってしまったかも。

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ロング・バケーションには松本隆、大滝詠一の才能(魂)のぶつかりからほとばしる音楽がある。
松本隆のつぶやきがコピーとして残されている。
「生きる事が長い休暇なら どこまで遊び通せるか試してみたい気もする」
「音と絵と言葉の三角形で 俺たちのカレイド・スコープなんだね」

この格好良い世界観を大滝さんはリズムをぼかしてうたう。
伴奏との掛け合いを楽しむかのように。
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ぼくもいう。
「生きることが長い休みなら、どこまで愉しめるか試してみたい気がする」
(人生は愉しむためにあるよね)
「空と海と川のつながりで、ぼくたちの四国なんだね」
タグ:大滝詠一
posted by 平井 吉信 at 16:43| Comment(0) | 音楽

2021年02月12日

たまたま出遭った「運命」(ベートーヴェン交響曲第5番)


ラジオからふと流れてきたのは「運命」。
久しぶりに聴いた。
いい曲だな。

もっとも20代のぼくはこの曲と格闘するかのごとく没頭していた。
自分ならここをこう演奏するなどと。
(レコードとCDは20枚以上はあると思う)

仕事中に気軽に聴いてみようとYouTubeを探したらもちろんあった。
でも、こんな演奏に出会うなんて。

朝比奈隆/NHK交響楽団
https://www.youtube.com/watch?v=K_nrwuWRLIc

大河を渡る古武士のような風格。
弦の滋味豊かなカンタービレの厚み、古色を帯びた金管の重厚な魂の響き、
技術を超越して音楽に巻き込まれる。
第2楽章の出だしからして高貴な風格が漂う。
(全盛期のベーム/ベルリンフィル以上かもしれない。N響は指揮者によってはこんな音を出せるんだ)
ここ十数年のヨーロッパの指揮者でもこれだけの広々とした運命は演奏できない。
感染症で苦しむ社会に降り注ぐ慈雨のようだ。
CD化されないかな?
posted by 平井 吉信 at 14:05| Comment(0) | 音楽

2020年11月23日

笛(篠笛、フルート)とハープ。モーツァルトから狩野泰一、hatao&namiまで (たった5分で景色は変わる 変えることができる)


若い頃から好きなのはモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」(k299)。
典雅な宮廷音楽のようだが、幸せの虹を音で描いたような音楽。
優美で空間にすっと入ってくるのはモーツァルトの人たらし的な作風もあるけれど
聴き手の思いの深まりに呼応して深い水の色をたたえた湖のような表情にもなる。

モーツァルトは知人の貴族が演奏できるよう作曲したので
調性もハ長調にするなど難しい指使いは避けている。
きらびやかな第1楽章のあと、
第2楽章では人生がこんなふうに過ぎていけばいい、と思わずにはいられない。
微笑みはモーツァルトの創作の泉から湧き出しているが
フルートとハープという異色の組み合わせから
音楽の色が無限の階調をうつろいながら夢幻を漂う。
(この音楽はイヤフォンではなく小さな音量でいいから空間に高く描きたい。モーツァルトが書いた虹のような音楽だから)

おすすめは以下のCD(適宜検索で見つけてみて)
ヴェルナー・トリップ(フルート)
フーベルト・イェリネク(ハープ)
アルフレート・プリンツ(クラリネット)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:カール・ミュンヒンガー
録音:1962年9月
場所:ウィーン、ソフィエンザール
https://amzn.to/3kVDhTg


典雅なウィーンにじっくり浸れる前者に対し、きらめきを伝えるのはランパルとノールマン。
(どちらもじっくり探せば新品はあるかもしれないけれど当時1000円前後で買えた名盤のCDは2010年代後半が入手できる最後の機会かもしれない。ダウンロードやストリーミングでも入手は難しくなっている。かつてどこのレコード店にも置かれていた名盤なのに)


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ときは流れて平成の日本。
佐渡島を拠点に活動されている狩野泰一のCDをご紹介。
主役の楽器はもちろん狩野さんの篠笛。
それに津軽三味線、中国古箏、ピアノ、ベース、ストリングスなどがからむ。
アルバム名は「Fish Dance」。


ぼくは寝る前に小さな音量でこのアルバムを聴いている。
CDプレーヤーに盤を置いて再生ボタンを押す。
目を閉じて1曲目の「Fish Dance」の音の入りを待つ。
わずかな刹那にこれから浸る音楽の余韻に早くも没入している。

ピアノの短い序奏に続いて篠笛が揺れるような音階を奏でる。
この出だしのおだやかさはおだやかとしかいいようがないおだやかさ。
そして天に向かって憧れを伸ばしていくが
次の瞬間、ひそやかな告白(人生の振り返り)のパッセージがある。
そして人生を肯定するようにピアノに受け渡す。
(もうたまらない)

ピアノもおだやかに入って篠笛の和声の進行をなぞっていく。
和声のアルペジオの伴奏で指が触れただけの打鍵、
言葉にならない心の動き、感受性だけでできているピアノのはかなさ。
高揚した演奏家の心は雲間から差す木漏れ日のようにきらめいては
天使のように降りてくる。
このピアノはいつまでも続いてほしい、終わらないで欲しい。

誰だろう、こんな弾き方ができるのは。
羽田健太郎は健康的なロマンティストだが、このアルバムのピアニストは崩れ落ちそうなセンチメンタリスト、フェビアン・レザ・パネ。

手持ちのCDでは大貫妙子が弦とピアノの伴奏でオリジナル曲を再録した名盤「pure acoustic」で伴奏をしていたのはレザ・パネでなかったか。
「突然の贈りもの」の耽美的な美しさは聴く度に心が震えた。


笛は人の心にもっとも近い楽器。
感情を誰かを介することなく、楽器のメカニズムと接触することなく
音として空間に出せる。
ひとつの音符のなかにスタッカートとレガートを混ぜることも
レガートにアクセントを挟むこともできる。
これは弦楽器や鍵盤楽器、打楽器にはできないこと。
このアルバムではオリジナル曲だけで綴られているのもいい。
少ない音なのに豊潤な音絵巻に浸る感じ。
(心にしみ入る音楽ってこんな音楽だよね)。
演奏者も聴き手も心に豊かさがないとね。
全編で佐渡島の風や海鳴りを感じるのもアルバムコンセプトかも。
録音も極上。少ない楽器の息づかいと豊かな残響感。
立ち上がりの良い音で空間を刻みながら、あふれんばかりのソノリティで満たす。
(フルレンジやタイムドメイン理論のスピーカーで再生したら愉しいと思う)
狩野泰一/フィッシュダンス

余談だが、胡弓とか笛、ハープなどもそうだが、
唱歌やスタンダードな楽曲の演奏はしてほしくない。
人が謡う音符と楽器の音符は違う。
その楽器の個性を活かせるのは楽器を知った作曲家、演奏家によるオリジナルと思っている。

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笛とハープという組み合わせで北欧の味付けを基調にオリジナルを大切にされているのがhatao&namiのお二人(考えてみればフルートとハープの組み合わせはモーツァルトのあの一曲だけでほかにはないかもしれない。それをデュオとして演奏しているのだから)。

小西昌幸さんが館長をされていた北島創生ホールは
全国的にも希有な企画を地道に続けている。
公共の施設なのに、あまり聴いたことのない演奏や作品を採り上げておられる。
もしかして議会や町民からクレームがあったかもしれないが、小西さんは信念を持って取り組まれている。
役場を退職されたいまも精力的に活動をされており、
今回のコンサート「hatao&nami ケルト・北欧音楽への旅★5分間の魔法」も小西さんが企画されたのだろう。
*hatao&nami(畑山智明、上原奈未)
どこかのホールの席数をいくつにするかなどの形骸化した議論よりもそこにどうやって魂を吹き込むかが大切。どんな人にどんな権限を任せてどのようなコンセプトでやっていくかを考えたとき、ホールのあるべき姿が見えてくるだろう。加えて感染症対策が不可欠となった2020年以降に2千人を収容することは少なくとも1時間に6万立米の換気を求められる。その空調とアコースティック楽器のコンディショニングやモーターのうなりなどの暗騒音はどう解決するのか。県にひとつは大きなホールを、などの「もっと欲望症候群」のような文化の香りのしない意見を見ているとこれはダメだなと思ってしまう。検討委員会は小西さんのご意見を伺ってみてはどうか?。これまで全国的なイベントをいくつか徳島で実行してきた経験から使い勝手が良いのは400人から800人程度の音響の良いホールを複数、100人までの小さいけれど音響の良いホール(適度な残響感)を複数あるのが良いように思うのだけれど。


その小西さんが招へいするのだから行かなければと思った。
hatao&namiのお二人は関西を拠点にアイリッシュやケルト、北欧の伝統音楽とオリジナルを演奏されていてこれまで4枚のアルバムを出されている。

当日は2枚目のアルバムからの「雨上がり」「自由な鳥」で幕を開けた。楽器はアイリッシュフルート、アイリッシュハープ。未知の空間が開け放たれた印象。
親しみやすい旋律だが、hataoさんのフルートが縦横無尽に会場をかけめぐる。
どこかで聴いたような旋律は皆無で思いのままに音楽を呼吸している。
自由な曲だな、と浸る。
続いてフィンランドやアイルランド、スウェーデン、ブルターニュなどの伝統曲の再現と二人のオリジナル楽曲を織り交ぜる。

今回の演奏会は「5分間の魔法」と題された4枚目(最新)アルバムのタイトル曲が最後に置かれている。演奏会でのnamiさんのピアノ(この曲ではハープではなくピアノ)はスタジオ録音と異なって高域のアルペジオをきらめかせて音符が跳動する。

演奏家には緊張感はあったはずだが、
それよりも音楽できる歓びがほとばしるようで
自宅で聞いたCDの録音よりも高揚感があった。

愛好家が手慰みに吹く唱歌やオリジナル曲はベースが歌謡曲(歌)にあると感じるが、
それゆえに飽きやすい。
hatao&namiは器楽のアプローチで和声が基本にあって
音符はその時々の感興に任せているように感じる。
古典のソナタ形式のように序奏−提示部−展開部−再現部−コーダのような構成を感じる楽曲もあり、再現部では2つのテーマが調和に向かう。

そのためCDで繰り返し聞いても飽きることがない。
こんな良質の音楽をつくっている人たちがいると生きていて良いなと思える。
この社会では売れる売れないは価値とはまったく無関係なのだ。
(ぼくもこの言葉を自分に言い聞かせている)


ぼくは当日のプログラムでの印象からCDを2枚(2枚目と4枚目)を会場で購入。
お二人のサインもいただいた。
著作権はあるが、やはり優れた作品を紹介したいと思ってジャケットを掲載する。
細部まで行き届いた配慮と世界観が浸透している。
音楽そのものもさることながらCDパッケージの完成度が高い。
ダウンロードではなくCDをぜひとおすすめしたい。
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最初に買うのなら2枚目「雨つぶと風のうた」がいいかもしれない。
北欧の香りが部屋に立ちこめる。
録音も2枚目が良好である。
Songs of Raindrops and Breeze 雨つぶと風のうた


演奏家としてオリジナルで勝負しているのが最新作(4枚目)の「5分間の魔法」。
4枚目のアルバムは以下のWebサイトにhataoさんによる解説があり動画での視聴もできる。
https://celtnofue.com/blog/archives/5392

疾走感あふれる楽曲「曇り空の向こう」はいまの時代を見据えながらも元気をもらえる楽曲で思わず手を打ってしまう。演奏している二人がもっとも気持ちよさそうだから。
続く「黄昏時のリール」ではハーモニックス音のような音で始まる。アイルランドの古いまちなみに集う人と夕暮れの鐘のような余韻(心のざわめき)が心に残る。最初に何度も心で繰り返したのはこの曲だった(テレビドラマのエンディングで採用されたらきっとブレイクするね。ヒット曲の要素を持っている)。
音楽会でも演奏された「6年間」の音楽の心地よさ。
「三日月の星夜」では歌謡的な旋律を散りばめる。
ラストの「5分間の魔法」はピアノのアルペジオの導入の後、意外な調性でフルートが入ってくる。その後転調を重ねて新たなテーマもあらわれて川の流れのように変化していく。祈りの高揚感のあと、ピアノが導入を再現するが、フルートが転調して現れピアノが寄り添いフルートが心を満たされながら音を置く。長い人生だけど、たった5分で見ている景色が変わることがある、というメッセージ。

4枚目「5分間の魔法」もどうぞ。

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posted by 平井 吉信 at 12:41| Comment(0) | 音楽