2021年04月24日

5月の別れ


風の言葉に諭されながら 別れ行く二人が五月を歩く、という歌い出しで始まる。

別離を決めている(暗黙の了解かもしれない)二人がどこかを歩いている。
それはきっと明るい森だろう。
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何があったかわからない。
幾たびのできごとを共有しながら紡いだ時間がそれぞれの思い出から切り放されようとしている。

冬から春の装いはことのほか風が感じられる。
草花や木々のためいきのような匂い、
見上げた空の高さがぽんと飛び込んでくる。
そこにぽつんといるあなたとわたし。

風が教えてくれるのは この世は変わって行くということ。
無常とは無情という意味ではない。
「風の言葉に諭されながら」とは自然のたたずまい、
自分たちも含めて「あるがまま」を受け止めなさいと教えてくれている。
これでいいの、これでいいのだ、と。

何もなくても無限の慈しみに包まれている感覚がわかるような気がした。
そんな心象を受け止める森の心を音楽にしたような楽曲。
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他人に提供した楽曲はそれぞれの演奏者がヒット曲をうたう感じになるが
作曲者本人がうたうと「作品」になる。

「Best Ballade」井上陽水

〔収録曲〕
花の首飾り
つめたい部屋の世界地図
いっそ セレナーデ
恋の予感
恋の神楽坂
リバーサイド ホテル
恋こがれて
結詞
自然に飾られて
ワインレッドの心
TRANSIT
背中まで45分
新しいラプソディー
5月の別れ
真珠
少年時代



「真珠」で夢を紡いでほろほろと溶暗していく時間を描き、
「少年時代」で締めくくる。
自然界の綾なす横糸と、人の心の機微を持つ縦糸を
少年の感性で老練な詩人が紡いでいく。それも艶のある糸(声)で。

売れることに注意を向けず楽曲の世界観を再現することに専念できる。
5月の別れを四月の宵に聴いている。
井上陽水は詩人の魂を持つ音楽家だから。


追記
コロナ下で苦しいのは誰も同じだが、それゆえにいっそう自分に注意を払うことが誰かを守ることにつながる。
わずかな光でも感じられたらそれが未来への希望へとつながっている。
破滅は再生へのきっかけ、苦悩は歓びの序章。

posted by 平井 吉信 at 21:09| Comment(0) | 音楽

2021年04月17日

BREEZEが心の中を通り抜ける 40年目のロング・バケーション

BREEZEが心の中を通り抜ける 40年目のロング・バケーション

それは偶然だった。
インターネットを見ていると、ロングバケーションの40周年企画が出るとある。
A LONG VACATION VOX

初出は1981年3月21日だった(27AH1234=アナログLP初回プレスは手持ちにあるよ)。
「君は天然色」、よかったね。
どこかで聞いたようでなつかしく、けれど新鮮だった。
そうか、40年。

気付いたのは3月19日、発売2日前のこと。
予約を入れておこうとWebサイトを見るとすでに「完売」。
根気強く探すと家電量販店のWebサイトに在庫があった。
それも割引価格で。
時間の猶予はないと発注。

それで手元にやってきた。
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このなかにはA LONG VACATIONのすべてが詰まっている。
たっぷりの溝で切られたLP、
最新リマスタリングのCD、エピソード盤、初公開音源、さらに当時のイラストブックやポスターなどの宣材も復刻。
おお。
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音質についてコメントしておこう。
手元にある20th、30thとの比較から。
A LONG VACATION 20th Anniversary Edition
A LONG VACATION 30th Edition
A LONG VACATION 40th Anniversary Edition (通常盤)
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20thは、音の粒立ちを重視しつつ音像が迫ってくる。
30thは、立体感に乏しいが音場の自然な広がりとカセットテープを聞くような各楽器の一体感が特徴。
そして40thはというと、
これまでのマスタリングのいずれとも異なることが一聴してわかる。
声が伴奏から分離して浮き上がるのは過去の2エディションにはなかったこと。
音圧は明らかに30thより高く、中域の充実度、艶がある。
その反面、高域の音場感は30thがいい。
ほとんどの人は音の違いを聞き分けられると思う。
(ただしそれをコメントにするのは訓練が必要)

音圧の低めの30thはアンプの音量を上げると有機的な音の広がりが押し寄せて心地よい。
音色の色彩感は3種類のなかでは地味(モノクローム調)だが、Fレンジ、Dレンジは広いかもしれない。

40thはきらめきや透明感を持たせつつ音が粒立ち、モノクロームの思い出に色を付けている!
やや人工的な感じも受けるが、これはこれでいいじゃないか。
この夏にはSA-CDも出るようだからそれも愉しみに。

ぼくがもっとも再生したのもこのアルバムかもしれない。
だってまったく飽きることがない。
いまの音楽のつまらなさって、シェア(共感)を強いることだよね。
(言葉でいえば「〜じゃないですか」と同意を得るニュアンス)

A面の1曲目から3曲目まででリゾートに運ばれる。遊び心だね。
しっとりとしたB面の1曲目「雨のウェンズデイ」では天然色をモノクロに換える。
思い出の夏を回想するB-2「スピーチバルーン」の独白の深み。
固唾を呑んでいると3曲目「恋するカレン」に打ちのめされる。
B-4「Fun×4」でいったん終わらせて異なる場面「さらばシベリア鉄道」に導く幕引き。
ほんとうに同じことの繰り返し(こちらの感情)なのだけど
数千回目のロング・バケーションとなってしまったかも。

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ロング・バケーションには松本隆、大滝詠一の才能(魂)のぶつかりからほとばしる音楽がある。
松本隆のつぶやきがコピーとして残されている。
「生きる事が長い休暇なら どこまで遊び通せるか試してみたい気もする」
「音と絵と言葉の三角形で 俺たちのカレイド・スコープなんだね」

この格好良い世界観を大滝さんはリズムをぼかしてうたう。
伴奏との掛け合いを楽しむかのように。
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ぼくもいう。
「生きることが長い休みなら、どこまで愉しめるか試してみたい気がする」
(人生は愉しむためにあるよね)
「空と海と川のつながりで、ぼくたちの四国なんだね」
タグ:大滝詠一
posted by 平井 吉信 at 16:43| Comment(0) | 音楽

2021年02月12日

たまたま出遭った「運命」(ベートーヴェン交響曲第5番)


ラジオからふと流れてきたのは「運命」。
久しぶりに聴いた。
いい曲だな。

もっとも20代のぼくはこの曲と格闘するかのごとく没頭していた。
自分ならここをこう演奏するなどと。
(レコードとCDは20枚以上はあると思う)

仕事中に気軽に聴いてみようとYouTubeを探したらもちろんあった。
でも、こんな演奏に出会うなんて。

朝比奈隆/NHK交響楽団
https://www.youtube.com/watch?v=K_nrwuWRLIc

大河を渡る古武士のような風格。
弦の滋味豊かなカンタービレの厚み、古色を帯びた金管の重厚な魂の響き、
技術を超越して音楽に巻き込まれる。
第2楽章の出だしからして高貴な風格が漂う。
(全盛期のベーム/ベルリンフィル以上かもしれない。N響は指揮者によってはこんな音を出せるんだ)
ここ十数年のヨーロッパの指揮者でもこれだけの広々とした運命は演奏できない。
感染症で苦しむ社会に降り注ぐ慈雨のようだ。
CD化されないかな?
posted by 平井 吉信 at 14:05| Comment(0) | 音楽

2020年11月23日

笛(篠笛、フルート)とハープ。モーツァルトから狩野泰一、hatao&namiまで (たった5分で景色は変わる 変えることができる)


若い頃から好きなのはモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」(k299)。
典雅な宮廷音楽のようだが、幸せの虹を音で描いたような音楽。
優美で空間にすっと入ってくるのはモーツァルトの人たらし的な作風もあるけれど
聴き手の思いの深まりに呼応して深い水の色をたたえた湖のような表情にもなる。

モーツァルトは知人の貴族が演奏できるよう作曲したので
調性もハ長調にするなど難しい指使いは避けている。
きらびやかな第1楽章のあと、
第2楽章では人生がこんなふうに過ぎていけばいい、と思わずにはいられない。
微笑みはモーツァルトの創作の泉から湧き出しているが
フルートとハープという異色の組み合わせから
音楽の色が無限の階調をうつろいながら夢幻を漂う。
(この音楽はイヤフォンではなく小さな音量でいいから空間に高く描きたい。モーツァルトが書いた虹のような音楽だから)

おすすめは以下のCD(適宜検索で見つけてみて)
ヴェルナー・トリップ(フルート)
フーベルト・イェリネク(ハープ)
アルフレート・プリンツ(クラリネット)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:カール・ミュンヒンガー
録音:1962年9月
場所:ウィーン、ソフィエンザール
https://amzn.to/3kVDhTg


典雅なウィーンにじっくり浸れる前者に対し、きらめきを伝えるのはランパルとノールマン。
(どちらもじっくり探せば新品はあるかもしれないけれど当時1000円前後で買えた名盤のCDは2010年代後半が入手できる最後の機会かもしれない。ダウンロードやストリーミングでも入手は難しくなっている。かつてどこのレコード店にも置かれていた名盤なのに)


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ときは流れて平成の日本。
佐渡島を拠点に活動されている狩野泰一のCDをご紹介。
主役の楽器はもちろん狩野さんの篠笛。
それに津軽三味線、中国古箏、ピアノ、ベース、ストリングスなどがからむ。
アルバム名は「Fish Dance」。


ぼくは寝る前に小さな音量でこのアルバムを聴いている。
CDプレーヤーに盤を置いて再生ボタンを押す。
目を閉じて1曲目の「Fish Dance」の音の入りを待つ。
わずかな刹那にこれから浸る音楽の余韻に早くも没入している。

ピアノの短い序奏に続いて篠笛が揺れるような音階を奏でる。
この出だしのおだやかさはおだやかとしかいいようがないおだやかさ。
そして天に向かって憧れを伸ばしていくが
次の瞬間、ひそやかな告白(人生の振り返り)のパッセージがある。
そして人生を肯定するようにピアノに受け渡す。
(もうたまらない)

ピアノもおだやかに入って篠笛の和声の進行をなぞっていく。
和声のアルペジオの伴奏で指が触れただけの打鍵、
言葉にならない心の動き、感受性だけでできているピアノのはかなさ。
高揚した演奏家の心は雲間から差す木漏れ日のようにきらめいては
天使のように降りてくる。
このピアノはいつまでも続いてほしい、終わらないで欲しい。

誰だろう、こんな弾き方ができるのは。
羽田健太郎は健康的なロマンティストだが、このアルバムのピアニストは崩れ落ちそうなセンチメンタリスト、フェビアン・レザ・パネ。

手持ちのCDでは大貫妙子が弦とピアノの伴奏でオリジナル曲を再録した名盤「pure acoustic」で伴奏をしていたのはレザ・パネでなかったか。
「突然の贈りもの」の耽美的な美しさは聴く度に心が震えた。


笛は人の心にもっとも近い楽器。
感情を誰かを介することなく、楽器のメカニズムと接触することなく
音として空間に出せる。
ひとつの音符のなかにスタッカートとレガートを混ぜることも
レガートにアクセントを挟むこともできる。
これは弦楽器や鍵盤楽器、打楽器にはできないこと。
このアルバムではオリジナル曲だけで綴られているのもいい。
少ない音なのに豊潤な音絵巻に浸る感じ。
(心にしみ入る音楽ってこんな音楽だよね)。
演奏者も聴き手も心に豊かさがないとね。
全編で佐渡島の風や海鳴りを感じるのもアルバムコンセプトかも。
録音も極上。少ない楽器の息づかいと豊かな残響感。
立ち上がりの良い音で空間を刻みながら、あふれんばかりのソノリティで満たす。
(フルレンジやタイムドメイン理論のスピーカーで再生したら愉しいと思う)
狩野泰一/フィッシュダンス

余談だが、胡弓とか笛、ハープなどもそうだが、
唱歌やスタンダードな楽曲の演奏はしてほしくない。
人が謡う音符と楽器の音符は違う。
その楽器の個性を活かせるのは楽器を知った作曲家、演奏家によるオリジナルと思っている。

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笛とハープという組み合わせで北欧の味付けを基調にオリジナルを大切にされているのがhatao&namiのお二人(考えてみればフルートとハープの組み合わせはモーツァルトのあの一曲だけでほかにはないかもしれない。それをデュオとして演奏しているのだから)。

小西昌幸さんが館長をされていた北島創生ホールは
全国的にも希有な企画を地道に続けている。
公共の施設なのに、あまり聴いたことのない演奏や作品を採り上げておられる。
もしかして議会や町民からクレームがあったかもしれないが、小西さんは信念を持って取り組まれている。
役場を退職されたいまも精力的に活動をされており、
今回のコンサート「hatao&nami ケルト・北欧音楽への旅★5分間の魔法」も小西さんが企画されたのだろう。
*hatao&nami(畑山智明、上原奈未)
どこかのホールの席数をいくつにするかなどの形骸化した議論よりもそこにどうやって魂を吹き込むかが大切。どんな人にどんな権限を任せてどのようなコンセプトでやっていくかを考えたとき、ホールのあるべき姿が見えてくるだろう。加えて感染症対策が不可欠となった2020年以降に2千人を収容することは少なくとも1時間に6万立米の換気を求められる。その空調とアコースティック楽器のコンディショニングやモーターのうなりなどの暗騒音はどう解決するのか。県にひとつは大きなホールを、などの「もっと欲望症候群」のような文化の香りのしない意見を見ているとこれはダメだなと思ってしまう。検討委員会は小西さんのご意見を伺ってみてはどうか?。これまで全国的なイベントをいくつか徳島で実行してきた経験から使い勝手が良いのは400人から800人程度の音響の良いホールを複数、100人までの小さいけれど音響の良いホール(適度な残響感)を複数あるのが良いように思うのだけれど。


その小西さんが招へいするのだから行かなければと思った。
hatao&namiのお二人は関西を拠点にアイリッシュやケルト、北欧の伝統音楽とオリジナルを演奏されていてこれまで4枚のアルバムを出されている。

当日は2枚目のアルバムからの「雨上がり」「自由な鳥」で幕を開けた。楽器はアイリッシュフルート、アイリッシュハープ。未知の空間が開け放たれた印象。
親しみやすい旋律だが、hataoさんのフルートが縦横無尽に会場をかけめぐる。
どこかで聴いたような旋律は皆無で思いのままに音楽を呼吸している。
自由な曲だな、と浸る。
続いてフィンランドやアイルランド、スウェーデン、ブルターニュなどの伝統曲の再現と二人のオリジナル楽曲を織り交ぜる。

今回の演奏会は「5分間の魔法」と題された4枚目(最新)アルバムのタイトル曲が最後に置かれている。演奏会でのnamiさんのピアノ(この曲ではハープではなくピアノ)はスタジオ録音と異なって高域のアルペジオをきらめかせて音符が跳動する。

演奏家には緊張感はあったはずだが、
それよりも音楽できる歓びがほとばしるようで
自宅で聞いたCDの録音よりも高揚感があった。

愛好家が手慰みに吹く唱歌やオリジナル曲はベースが歌謡曲(歌)にあると感じるが、
それゆえに飽きやすい。
hatao&namiは器楽のアプローチで和声が基本にあって
音符はその時々の感興に任せているように感じる。
古典のソナタ形式のように序奏−提示部−展開部−再現部−コーダのような構成を感じる楽曲もあり、再現部では2つのテーマが調和に向かう。

そのためCDで繰り返し聞いても飽きることがない。
こんな良質の音楽をつくっている人たちがいると生きていて良いなと思える。
この社会では売れる売れないは価値とはまったく無関係なのだ。
(ぼくもこの言葉を自分に言い聞かせている)


ぼくは当日のプログラムでの印象からCDを2枚(2枚目と4枚目)を会場で購入。
お二人のサインもいただいた。
著作権はあるが、やはり優れた作品を紹介したいと思ってジャケットを掲載する。
細部まで行き届いた配慮と世界観が浸透している。
音楽そのものもさることながらCDパッケージの完成度が高い。
ダウンロードではなくCDをぜひとおすすめしたい。
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最初に買うのなら2枚目「雨つぶと風のうた」がいいかもしれない。
北欧の香りが部屋に立ちこめる。
録音も2枚目が良好である。
Songs of Raindrops and Breeze 雨つぶと風のうた


演奏家としてオリジナルで勝負しているのが最新作(4枚目)の「5分間の魔法」。
4枚目のアルバムは以下のWebサイトにhataoさんによる解説があり動画での視聴もできる。
https://celtnofue.com/blog/archives/5392

疾走感あふれる楽曲「曇り空の向こう」はいまの時代を見据えながらも元気をもらえる楽曲で思わず手を打ってしまう。演奏している二人がもっとも気持ちよさそうだから。
続く「黄昏時のリール」ではハーモニックス音のような音で始まる。アイルランドの古いまちなみに集う人と夕暮れの鐘のような余韻(心のざわめき)が心に残る。最初に何度も心で繰り返したのはこの曲だった(テレビドラマのエンディングで採用されたらきっとブレイクするね。ヒット曲の要素を持っている)。
音楽会でも演奏された「6年間」の音楽の心地よさ。
「三日月の星夜」では歌謡的な旋律を散りばめる。
ラストの「5分間の魔法」はピアノのアルペジオの導入の後、意外な調性でフルートが入ってくる。その後転調を重ねて新たなテーマもあらわれて川の流れのように変化していく。祈りの高揚感のあと、ピアノが導入を再現するが、フルートが転調して現れピアノが寄り添いフルートが心を満たされながら音を置く。長い人生だけど、たった5分で見ている景色が変わることがある、というメッセージ。

4枚目「5分間の魔法」もどうぞ。

https://amzn.to/39d85wJ

posted by 平井 吉信 at 12:41| Comment(0) | 音楽

2020年10月17日

しらいみちよさんの「豊かな時のなかへ」という曲を知っていますか?


少し前のブログで「檸檬」はつまらないと書いたが、
それはパフォーマーの才能というより
時代が求め人々が共感する方向がつまらないの意味である。
(文脈を読めば誤解なく伝わったと思うが念のため。人々を楽しませるという意図ではなく自分のためにつくっているような気がする。孤独を感じる人はその世界感に浸れるが、そうでない人は息苦しいと感じるのではないだろうか)。

1980年代の音楽は演奏家たちの職人芸とプロデューサーなど作り手の思いが組み合わされて
聴いていて愉しい音楽が量産されていた。
アイドル歌手を例にとっても、
新人歌手とは思えない大胆かつ伸びやかな松田聖子のファーストアルバム「スコール」(CBSソニー)、
ワーナーパイオニアからは大成を予感させる中森明菜の「プロローグ〈序幕〉 」(デビュー前の彼女を生で見て売れると思った。レコード会社は「ちょっとエッチなミルキー娘」というキャッチコピーを付けていたように思う)。
菊地桃子のデビュー作はホーンセクションをはじめみごとなまでのサウンド志向。これがアイドルのアルバムかと驚いた(当時のVAPさんはそこに力を入れていたんだろうな)。

1990年は環境の時代(Geeen Decade)の幕開け。
1976年にイギリスの片田舎で創業したボディショップが世界的な企業に登り詰めるのも環境というビジョンを掲げて邁進する姿に人々が共感したから。日本では自由が丘に1号店ができた。創業者アニータ・ロディックの原書「BODY AND SOUL」を梅田の丸善で購入して自分用に翻訳したのもこの頃(本の通販などなかった時代)。

そんな90年代半ばの1996年秋にシングルCDが発売された。
しらいみちよさんの「豊かな時のなかへ」。
(ジャケットは屋久島の森のようだ。当時の8センチシングルCDは縦長のジャケットなのだ)
緑あふれる理想郷への思いをうたったものだが、
90年代から理想の環境の時代が訪れる未来への祈りのような楽曲。
それを歌うしらいさんののびやかな表情に浸る。
癖のない透明な声だがふくよかな潤いを豊かに広げていく。
アレンジもアコースティック楽器の和音の重ねが素敵だ。
(いまの時代だからこそこんな歌が必要ではないのか)

どんなに悪政が繰り広げられても茹でガエルのように気付かず内閣の支持率が高いなんて。
(つまらない、つまらない。目を開いて現実を見よ。理想を描いたときに現実のひどさが見えてくる)。
そんな時代だからこそ
自分たちの手で未来をつくる覚悟と
夜も眠れないほどのわくわく感で時代を切りひらきたい。

カップリング曲の「23夜」は屋久島への旅をうたったもの。
それは水の滴、静寂の森、23夜の月の出を待ちながら風を感じる人の心。
屋久島のやわらかな心象風景はしずしずと―。

満たされた思いは未来への希望に抱かれているから。

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しらいみちよさんのアルバムも聴いてみたいのだが入手が難しい。
しらいさんは被災地の復興を後押しする取り組みを続けておられるようである。
信念を持って活動されている音楽家にとって受難のときを迎えておられるが
積極的にコンサートへ行ったりCDを購入して支えたい。
(正しい知見に基づく感染症対策が施され、かつ参加者がルールを守れば音楽会は安全に開催できる。留意点は音響と空調の流れの制御)
「豊かな時のなかへ」を多くの人に聴いていただける機会があれば。
(アマゾンで2万円の高値が付いているが、せめてダウンロード音源だけでも確保されないものだろうか)

posted by 平井 吉信 at 23:43| Comment(0) | 音楽

2020年08月23日

真夏の夜のオレンジ〜Caroline Shaw: Orange / キャロライン・ショウ:オレンジ アタッカ四重奏団〜


夏の暑い日々も少しずつ秋の気配が感じられるこの頃、
そんな時節にとてもおいしい音楽を見つけた。
(梅干しの次はオレンジ)。

楽曲や演奏者の解説は以下のWebサイトをご覧いただくとして。
https://wmg.jp/attacca-quartet/discography/20725/

https://www.npr.org/sections/deceptivecadence/2019/04/19/700361912/caroline-shaws-love-letter-to-the-string-quartet


バレンシアオレンジはアメリカのスーパーマーケットでどこにでも売られているありふれた果実。
そのオレンジから受けた霊感を
冷涼かつ温もりのある陰翳、精緻な造形で描いた音楽(といっても伝わらない)。

弦楽四重奏曲はハイドンやベートーヴェンの古典から
近代ではバルトークやショスタコーヴィチの名作が知られる。
この音楽も古典の造形や構造は採り入れているが、
新たな価値(心象)を再現するのに成功している。
といっても作者のひとりよがりの実験音楽の印象はない。
音が空間に鳴り出すとわくわくする感じ。
(千利休の一期一会という言葉がこの音楽との出会いそのもの)

強いていえばラヴェルの弦楽四重奏曲を自由に解き放ち、時間と空間に拡散させながら
音楽そのものはあくまで人間に寄り添っている風情。
現代に活きる作曲家が自由に魂を羽ばたかせて
そこに漂う人肌の温もりとオレンジの酸味が飛び交う刹那が交錯し
弦楽がピッチカートや和声を織り交ぜて空間に積み重なっていく現象を
現実に受け容れて音空間に浸る歓びは何物にも代えがたい。

晩年のベートーヴェンがもっとも力を入れたのは弦楽四重奏曲で
彼がこの世を去るまで描かれている。
ときに一筆書きのように融通無碍で
馥郁とした音楽の香りが立ちのぼるが
それとともに作曲家の魂に触れる親密さ。
そしてどこか遠くへ連れ去られる。
(バルトークやショスタコーヴィチも同様だろう)

作曲者のキャロライン・ショウも純粋な音楽の表現として弦楽四重奏が最適と考えたという。
そして自らが呼びかけて結成したアタッカ四重奏団が彫りの深い演奏で応える。
(2003年、ジュリアード音楽院の学生により結成されたもの)

音楽とは形式や構造を持っていて、そこに和声、リズム、テンポがあり
楽器を出し入れしつつそれぞれの絵の具を足したり引いたりしつつ
空間に並ぶ音の粒子の千変万化諸行無常に浸るもの。

紙ジャケットのデザインは秀逸。二つ折りの最初の袋には作者からの楽曲に寄せるメッセージが書かれている。2枚目の袋にはオレンジ色のCD。
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オレンジの持つ酸っぱさ、明るい存在感、親しみやすさ…。
オレンジを素材として自らの世界観を庭になぞらえて
幸福な音の編み物に仕上げた。心に清涼感をもたらす音楽の風鈴が夏の夜に凛と鳴る。

換気の行き届いたカフェで聴きたい音楽はこれかな(コロナ禍の贈り物として)。
真夏の夜に聴いているただいまが愛おしい。


Caroline Shaw: Orange / キャロライン・ショウ:オレンジ【輸入盤】

視聴はYouTubeでできる(アタッカ四重奏団公式アカウント)
https://www.youtube.com/watch?time_continue=206&v=tQPY89YQmJQ&feature=emb_logo
https://www.youtube.com/watch?v=zgQnjRwsFNc&list=OLAK5uy_m3o5c-TkpHRhQN1T8d3AOmvGpWAeDMPlE&index=2

2020年グラミー賞(最優秀室内楽・小編成アンサンブル・パフォーマンス賞)受賞を記念してピクチャーアナログLPを限定発売! レコード盤がオレンジ色?
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https://www.youtube.com/watch?v=64ozoqUKZ9c
(↑キャロラインとアタッカ四重奏団の遊び心が伝わる場面)

追記
録音も最上級。
眼前でアタッカ四重奏団のメンバーが演奏しているよう。
技術者もよい仕事をしたね。

みかん食べたくなってきた。
posted by 平井 吉信 at 11:26| Comment(0) | 音楽

2020年05月22日

でもいまは…。フジコ・ヘミングの愛の夢、月の光


フジコのピアノを聴いて大勢の人がいう。
音楽は技術じゃないと感じさせてくれたと。

実はぼくはまだ実演もCDも聴いたことがない。
でもいまは動画で視聴することができる。
(ぼくはAmazon PRIMEで聴いている)
いい時代だ。

決して指が器用に動く人ではないのに超絶技巧を求められる楽曲を弾く。
ピアノを叩くような強音はなく
空間に消えそうな弱音もない。
もしピアニストが粒立つアルペジオや
ピアニズムのきらめきを封じられたらどうなるだろう?
たどたどしいピアノの練習のように聞こえてしまうかもしれない。
だが、繊細ぶらないタッチのなかに、指が置き忘れたような隙間があって
ぽつんと濡れたような音が滑り込む。
そこに時間が刻まれる(心に余韻を残す)。
音の隅々に意志をみなぎらせて
テクニカルな打鍵の切れではない底まで鳴っている硬質のきらめき。
(これ、ベーゼンドルファーか? うちにはアトラスのアップライトやヤマハのグランドピアノがあってぼくもときどき弾いていた)

木訥に聞こえる演奏のようで凍らせた愛の感情のほとばしるよう。
極力ピアノをピアノとして存在させないのに
ピアノの音色が楽器を離れて演奏者と一体となったよう。
(むしろピアニズムの深みを感じる)
音符をいったん楽譜から剥がして彼女が再び並べているよう。
聴衆にも媚びず、ただ彼女が自らの裸の心をピアノに吹き込んでいるよう。
言葉にできなくても多くの人がそう感じているのでは?

リスト、ショパンが有名だが
ぼくはドビュッシーもいいと思う。
複雑な響きや晦渋さをおとぎ話に変えてお話するかのごとく。

2020年6月13日、徳島でフジコ・ヘミングを聴くことはできなかった。


posted by 平井 吉信 at 23:22| Comment(0) | 音楽

2020年04月22日

愛国の花 それは古関裕而の玉手箱 女性の持つ普遍的な強さ そして美しさ


あの頃の政府は国民を駆り立て戦争に向けて暴走した。
その結果は誰も幸福にならなかったばかりか
尊い生命が犠牲になった。
焦土となった国土の回復は奇跡ともいえるが、失った北方領土は戻ることがない。
近隣諸国とのぎくしゃくした関係はどれだけそれぞれの国民の幸福を逸失したことか。
その責任は重大であり、例え何世紀になろうと忘れることはできない。
箴言に耳を傾けず、狭い了見と思いつきで突っ走る内閣。
国粋主義はいかなる正当性もない。

NHKの連続テレビ小説で作曲家の古関裕而が取り上げられている。
甲子園でおなじみのあの楽曲も、NHKの昼時の放送のあのテーマも彼の手によるもの。
古関さんは戦時歌謡も手がけている。
(それが本意であったかどうかはわからないが、若者を戦場に志願させたのも音楽の力であったかもしれないことを後悔されていたのではないだろうか。けれど現地で兵隊が涙を流しながら古関さんの戦時歌謡に耳を傾けていたのも事実)

「愛国の花」は太平洋戦争に突入する前の昭和12年の作品で、
銃後の女性たちに思いを馳せてつくられた。
歌手は渡邊はま子さん(でもぼくはあまり感銘を受けなかった)。
いま聴くと女性はか弱きものと描いているように感じる人もいるだろう。
ときの為政者の意向をに従いながら
作詞家と作曲家の願いは別のところにあったのではないかと思える。
(この曲と古関裕而について予備知識は持たないで書いている)

最初にこの楽曲を知ったのは有山麻衣子さんのソプラノで。
初々しさは誰の心にもほのぼのとあかりを灯すアルバムであった。
ここでは戦時歌謡を純音楽としてうたっている。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/177021874.html

YouTube上には本家も含めて
現代の自衛隊の演奏なども聴けるが
ぼくがこの曲に思いを寄せられるようになったのは
藍川由美さんの歌唱である。
(YouTube上には歌い手の名前がクレジットされていない)
https://www.youtube.com/watch?v=_PJcJ-z0JIY

ピアノの静かで簡素な伴奏に乗ってゆったりとしたテンポで歌が響き出す。
声楽家にありがちな声を響かせてよく聴かせようとする作為がないのに
落ち着いたテンポのなかに凛とした空気が張り詰める。
ビブラートや小節に頼らずひたすら自分を信じて
静かに押し出していく声の強さ、それでいてレガートの魅力。
どこまでが藍川由美でどこまでが愛国の花かわからない一体感。

古関裕而特有の音階の高揚感が人を酔わせるのだろうけど
それとは対照的にぐっと力を蓄えつつ落ち着いて徘徊する旋律の魅力がある。
楽曲の構造も軍部に文句を言われない戦争賛美は入れているけれど
ほんとうに作詞家と作曲家が言いたかったのは
最後の旋律にあるのではないだろうか。

2番の歌詞を例に取ると「ゆかしく匂う国の花」のフレーズ。
高揚する音程が終わって
ここでゆかしくの「く」の箇所で次の音符までの間に
藍川さんが音程をずり下げているが
そこに得も言われぬ奥ゆかしさを醸し出す。
(このような歌い方が明確に聞き取れる歌い手は少ない)
藍川さんはアカデミックに楽曲の再現をされる方なので楽譜が求めているのだろう。
(たったひとつのスラーを入れるだけで部分的な旋律の表情、ひいては楽曲の印象が変わってしまう。古関裕志はそれがわかっていた方なんだろうな。そしてそこに大衆の気持ちが入り込む場所をつくりだした)

この曲に女性の持つ生命力、いのちのたゆたいを感じさせる。
細部のニュアンスを忠実に、しかも美しい日本語の発声を添えて
愛国の花という楽曲をいまの時代にメッセージとして届けているようだ。
(ぼくは藍川さんの唱歌や昭和の歌謡を聴いてみたい)

戦時歌謡と言われる楽曲をいまの時代に冷静かつ情感を込めてうたうことで
当時の楽曲の作り手と歌い手、ひいてはそこに共感した国民の感情が見えてくるのではないか。

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(愛国の花に献呈するのはナガバノタチツボスミレ、佐那河内村で撮影)
posted by 平井 吉信 at 00:38| Comment(0) | 音楽

2020年03月29日

「青い瞳のステラ、1962年夏…」と「星空の南十字星(サザンクロス)」の柳ジョージ 


ふと耳にしたのは柳ジョージの「青い瞳のステラ、1962年夏…」。
その瞬間、雷に打たれたよう。

初めて柳ジョージ(&レイニーウッド)を耳にしたのは中学の頃だったか、
ダイエーの4階にあったオーディオ売場で
オンキヨーのM6マーク3という31センチ2ウェイのスピーカーから流れた
「微笑の法則 〜スマイル・オン・ミー〜」だった。
国産のスピーカーでこれ以上に鳴りっぷりが良いスピーカーはないと思われる機種だったと思う。
そこからせり出してくる声に足が止まった。

成人してからは柳ジョージの最高作と言われている
2枚組のアナログLP「Woman and I」を購入。

徳島には米軍基地も横浜のような街並みもないけれど
音楽で背伸びをしていたのだ。
「青い瞳のステラ、1962年夏…」はこのアルバムの目玉曲でもあった。
YouTubeに1993年のライブ音源がある。
https://www.youtube.com/watch?v=j5aINIgqRVE

魂で歌っているように感じられるけれど
音楽はあくまで端正に流れていく。
最高の職人芸を提供しながらすれていないアマチュアリズムを持ち続けた人。
(だからライブ音源がすばらしいのだろう。なぜこんなバンド、音楽、歌い手が現在はいないのだろう)


レイニーウッド時代の音も悪くないけれど
アトランティック時代では「GEORGE」も好きだ。
「星空の南十字星」という楽曲を聴くと
南太平洋の離島で過ごした日々を思い出す。


ある日、近くの民家から子どもの鳴く声がして母親があやしていた。
どこの国も、どの母親も同じ…
ああ地上はどこもそうなんだと腹に落ちた。
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すがすがしさと切なさに眠れずファレを抜け出して
見上げた夜更けの空に南十字星が燦々とあった。
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柳ジョージの歌は本人が地上にいなくなってもなお南の空に輝いている。


追記1
CD1枚で聴きたい人はこのベスト盤がいいだろう。
プレミアム・ベスト 柳ジョージ オリジナルレコーディングのリマスター
〔収録曲〕
1. 「祭ばやしが聞こえる」のテーマ
2. 微笑の法則~スマイル・オン・ミー~
3. 青い瞳のステラ、1962年夏…
4. さらばミシシッピー
5. 酔って候 (Live at Budokan)
6. 雨に泣いてる (Live at Budokan)
7. 星空の南十字星
8. RUNAWAY〔悲しき街角〕
9. ビッグ・カントリー
10. 真夜中のテレフォン・コール
11. コイン ランドリィ ブルース
12. For Your Love
13. フーチー・クーチー・マン
14. 明日への風
15. Long Time Comin’
16. 愛しき日々


追記2
南十字星は赤道近くに行かなければ見えないと思っている人も多いだろう。
北に位置する星は意外にも高知県から見える。
もっともそれを見たからといって南十字星の一部とはわからないかもしれない。
全天第二の輝星にして南極老人星とも呼ばれるりゅうこつ座のα星、カノープスが2月に南中する時は徳島でも地平線から少し上で見ることができる。
この星を見ると長生きできる、といわれているのはご存知のとおり。
知っていればけれど。
posted by 平井 吉信 at 23:31| Comment(0) | 音楽

2020年03月16日

80年代の名盤 ハニー&ビーボーイズ「Back to Frisco」が28年ぶりに再発売!


ぼくがミノルタのX700を持って南太平洋から日本各地を旅するように回っていた頃、
しっくりと来る音楽があった。

オリジナルが発売されたのは1987年、
Honey & B-Boysはこのアルバム1枚だけのユニットで
山下達郎の秘蔵っ子と言われた村田和人に山本圭右、平松愛理、西司の4人組。
強力な4人のヴォーカルと西海岸のからりとした風が吹くような雰囲気は
まさに80年代ならでは。

特に1曲目の「Morning Selection」は出色の出来映え。
村田和人がサビを、山本圭右が主パートをツインヴォーカルで
突然の風に驚いて振り返るとそこには…のような雰囲気。
身体が動き出すのを止められない。
村田和人はハイトーンが伸びてさわやか。
山本圭介は少年の夢を宿したどこか翳りのある表現が出色。

この頃はhPaではなくミリバールの時代(なつかしい)。
タンタンと雨のリズムを刻むなか、マイナーのバラード調のが曲が響く。
1000mbの雨♪、と2番まで歌って
3番は
この雨は僕からのメッセージ 1000mbの愛♪と締める。
(うまいなあ。和声がメジャーに開きかけるので曲調はすがすがしい)
滴が滴りそうな男性ヴォーカルは誰だろう?
(1000mbのサヨナラ)
→ 西司でした。「雨はてのひらにいっぱい」も西司がヴォーカルを取っている。
切なく繊細な歌い方でアルバムにひんやりとした叙情を与えている。

小休止
ミリバールといえば、ソニーの野外ラジオシリーズの名称。
山用として名を馳せた 防水耐衝撃仕様の黒のICR-3000があるが
そこからNSB受信をFMに置き換えたのが黄色のICF-S73。
暗闇でもわかりやすいよう上面に星型の蛍光シールを貼って使っている。
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アルバムジャケットも秀逸。


カントリー調のイラストの中央にはちみつの入った瓶が置かれている。
この画面はもちろん静止画だけど
きっと雲の流れは早いんだろうな、
でもその風がぴたりと止んだ一瞬が絵になったんだろうな。
このイラストで物語がひとつ書けそうな想像と創造をかきたてる。

ところが廃盤になってほとんど20数年が経過した2019年7月、
しかも「2019年最新リマスタリング/SHM-CD/紙ジャケット仕様/ボーナス・トラック10曲追加」ときた。
(それまではダウンロード音源すらなかったのだ)
初回プレス枚数を想像するとメディアとしては最後の入手の機会だろう。

平松絵里は2年後にソロデビューを果たし
5年後に「部屋とワイシャツと私」がヒットする平松愛理。
英語の歌詞など彼女に合っていない楽曲もあるけれどアルバムに可憐な花を添えている。
結局、このアルバムは4人の別々の色を持つヴォーカリストと
西海岸の音で束ねて木綿のような風合いを味わうアルバム。
(カラオケで聴くとコーラスの和声が浮かび上がる)

若いっていいよね。
守るものがない生き方が惨めでなく自由と思えた時代が後押しした。

アルバム最後を飾るのはシュガーベイブの名曲「雨はてのひらにいっぱい」。
ぼくは本家よりもこちらが好きだ。
切なくてストレートでそれでいて含みがあって。

さらにカラオケトラックが追加されて、
紙ジャケットに当時の解説資料が満載されて
レコードを取り出すようなビニール袋仕様で。
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同じ1987年、村田和人のソロアルバム「ボーイズ・ライフ」も世に出ている。

同時代の山下達郎のアルバムと比べても遜色がない。
特にA面がいいよね。これもからりと陽気な音づくり。
空を駈けめぐるような気分にしてくれる。
(確か西海岸で基本トラックが録音されたのでなかったっけ?)

(私小説や引きこもりの告白のような歌は聴きたくない)

それはそうと
マスク付けるより心の免疫を上げることが大切。
それにはていねいな食生活と心の栄養。

今夜つくった豚肉と野菜煮込み。
これと五分づきのご飯だけで何も要らない。
(もちろん炊飯の直前に精米したもの。そして米の味は研ぎで決まる)

言葉をしゃべりたくないぐらいうまい。
どっさりのタマネギとあまりものの根菜類に生姜を刻んでコトコト、
それに豚バラ肉のオリーブとニンニク炒めを加えて
テルモスの保温鍋で2時間放置。
(オリーブ油はサルバーニョのEV)
ねらいは風邪気味の家人の体温を上げること。
味付けは酒と塩(小さじ半分も使っていない)とトマトパウダーが少し。
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薄味だけどうまいうまいとむさぼるように食べる。
店でこんな料理はなかなかお目にかかれない。
下ごしらえは20分だけ。
仕事の合間に手を走らせたので。

posted by 平井 吉信 at 21:02| Comment(0) | 音楽

2020年02月22日

雨の休日 ラジオから流れるパット・メセニー 不眠でなくても眠りに落ちる


ピーター・バラカンさんが担当する土曜朝の「ウィークエンドサンシャイン」(NHKーFM)は楽しみ。
有名な曲はその背景やアーティストの動機まで解説があり
そうでない曲にもはっとする感覚を受けてメモをすることが多い。
(番組Webサイトには当日の楽曲が掲載されている)
この番組を聴いて買った洋楽CDは数え切れない。

うちは徳島市の眉山にある送電アンテナからは強電界区域なので
音の良いラジオを流すと空気感がぱっと変わる。
(かつてのトリオのシスコンのチューナを操作してセンターシグナルに同調したみたいに)

そんなときのラジオはICF-801。
ソニーの数少ない日本製アナログラジオでよくできている(現在は生産されていない)。
選局性能こそ最近のPLLシンセの機種には勝てないが
ローカル局では高らかに音を再生する。
籠もることはなく豊かな中低域を響かせつつ
声は自然に響く。
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→ メイド・イン・ジャパンの至福のラジオ〜ICF-801〜
http://soratoumi.sblo.jp/article/57853049.html

バラカンさんはパット・メセニー・グループから3曲紹介。
取り上げたのはメンバーの一人の訃報からだった。
さわやかなフュージョンは朝にリズム感をもたらしてくれた。
久しぶりに聴いた感じがする。

やがて番組はゴンチチのDJに変わった。
再生される音楽は二人の造詣を反映してジャンルを問わず広いが
バッハのゴールドベルク変奏曲(テーマの提示から第5変奏まで)がかかったのには驚いた。

この音楽が聞きたくなって数日前の夜にかけながら眠ったところ。
この楽曲は不眠症の貴族のためにバッハが作曲したと伝えられている。
バッハは音楽に人間的な感情を排して淡々と紡いでいくので
かえって現代人にも入りやすい。
(誰も眠る前にショスタコーヴィチやマーラーを聴きたいとは思わないだろう)

思い起こせば小学校の同級生のM君(いまも近所に住んでいる)の愛聴盤だった。
彼の部屋を訪れれば、ユーミンのひこうき雲、ビートルズ、クーベリックのモーツァルト、
そしてグレン・グールドのゴールドベルグ変奏曲を
ヤマハの名機NS1000MとA2000で聴かせてくれたものだ。
(この組み合わせは高校の同級生のK君も持っている。いまでも彼の家でときどき聴かせてもらっている)

そしてラジオを聴きながら
冷凍食パン2枚に、
豚肉をキャベツを炒めた具材を挟み込んでプレスして食べた。
朝だからコーヒーよりも紅茶で。
朝は陽が射していたが、雨に変わろうとしている。
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そういえば、東京に「雨と休日」というCDショップがある。
雨の休日に聴きたいCDを集めたお店でぼくも何度か購入した。
コンセプチュアルな小さなお店は応援したくなるね。

オンライン店舗内を訪ね歩いてみると
ゴールドベルグがありました。
グールドの演奏ではなくて
眠りに落ちるよう研究された奏者の演奏、というのがこのお店らしくていい。
https://shop.ameto.biz/?pid=148711205
(みなさんも視聴してみて。♪マークをクリック)

ところでアンビエンス音楽というと
ブライアン・イーノ。
ぼくはこのアルバムを数え切れないほど寝る前に聴いた(そのまま眠りに落ちているので最後まで聴いたことはない)。
https://amzn.to/2uXw0i1
(上記の5曲目を聴いてみて)

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朝のFMはめざめの音楽であり
それは快適な眠りに続いている。
さあ、日の光を浴びよう。
posted by 平井 吉信 at 14:46| Comment(0) | 音楽

2020年01月11日

フルトヴェングラーの第9 バイロイト盤 2019年DSDリマスタリング仕様(WPCS-28425)


ベートーヴェンの第九で欠くことのできない名盤が
JVCスタジオのエンジニアの手でリマスターされたので
年末に発注して新年に入手できたのでさっそく聴いてみた。
(夜は大きな音が出せないので休日の午後を待っていた)
販売店の記述は以下のとおり。

オリジナル・マスターテープより、アビイ・ロード・スタジオにて、DSD11.2MHzへデジタル変換。そのDSDマスターより、JVCマスタリングセンター 杉本一家氏により、UHQCDでそのマスターを再現すべくマスタリングが施されています。


かつてLPをヤマハGT-2000にデンオンDL-103系列で聴いていたときより
音の抜けが良くデジタル特有の高域の寸詰まり感がない。
オリジナルマスターテープ(もしくはコピーテープ)の状態が良好なのか
最新録音とも遜色がない。
これが1951年のライブ録音とはわからないほどの再生音であった。
初めてフルトヴェングラーの第九を買う人は
価格も手頃なこのアルバムが標準となるのではないだろうか。
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聴いているうちに理性がどんどん薄れて感情がわき起こる演奏だから
最後には立ち上がっていたのだ。
https://www.yodobashi.com/product/100000009003195554/

再生装置
プリメインアンプ:オンキョー A-1VL
CDプレーヤー:C-1VL
スピーカー:クリプトンKX-1
スピーカーケーブル:江川式1メートル×2本
視聴空間:12畳相当洋室

追記
リマスタリングを行われた杉本一家さんが2019年10月にお亡くなりになられたとのこと。
ご冥福をお祈りいたします。
https://tower.jp/article/campaign/2019/12/04/01
posted by 平井 吉信 at 16:05| Comment(0) | 音楽

2019年12月28日

ベートーヴェン第九 フルトヴェングラーのウィーン盤を聴く


ベートーヴェンは音楽の革新者である。
第九は当時の音楽の革新であり壮大な実験であり
それでいて美しく力強い。
没後二百年が迫ろうとしているが
彼の作曲した第九交響曲の人気はますます増しているように思える。

第九といえばドイツの指揮者フルトヴェングラーの1951年に録音されたライブ盤(バイロイト盤)が人々の記憶に刻まれている。
二十代の頃、このレコードを聴いたぼくは雷に打たれたような震えを感じていた。
なんと深い、そして優美、それでいて人間の感情が込められた音楽だろう。

音源はモノーラルで鮮明ではないが
音の実在感はひけをとらないばかりか
音楽の実在感がすばらしいのである。

近年になっても新たなライブ音源(あるいは別テイク)が発掘されている。
きょう始めて聴いたのは
1953年のウィーン盤である。

イルムガルト・ゼーフリート(ソプラノ)
ロゼッテ・アンダイ(アルト)
アントン・デルモータ(テノール)
パウル・シェフラー(バス)
ウィーン・ジングアカデミー
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮)

録音時期:1953年5月30日
録音場所:ウィーン、ムジークフェラインザール
録音方式:モノラル(ライヴ)
【オットー・ニコライ演奏会(同年1月23日の繰り延べ演奏会)】
Produced by Epitagraph(原盤:エピタグラフ)


この盤が世に出たのは2009年であるが
今回の高音質盤が出たのは2019年4月のこと。
きょうまで封を開けずにとっておいたもの。

聞き終わった感想は?
文字に書けない―。
それでは伝わらない。
だから書く。

バイロイト盤との違いは
ウィーンの引力でベートーヴェンがローカライズされた感じ。
(ベートーヴェンは私たちの音楽なのよ、こうするのよ)
親密で親近感があり魅惑の花が咲きこぼれている。
(ほら、ウィーンフィルの弦が艶やかに歌ったり木管が空間に浮かび上がったり。もしかしてバイロイト盤よりオケのピッチがやや高い?)
一聴してこじんまりとしているようにも聞こえるが
それは同じ方向を向いた人々が指揮者と一体となって突き進むからだ。

第三楽章はベートーヴェンの書いた最高の緩徐楽章だが
聞く前から予想していた音の世界をさらに上回る。
バイロイト盤では天から降りてきて天に上がっていく荘厳な雰囲気に浸ったが
ウィーン盤ではもっと人間に寄り添う。
それでいてディティールの美しさというか匂いが全編に漂う。
光に誘われて地上から天上の楽園に足を踏み入れた人類の逍遥というか
フランダースの犬の最終回で少年ネロが昇天して天国で親しい人と再会してみたされるというか
神に導かれて音楽と絵画と詩の区別がない理想郷で魂を抜かれてしまいそうだ。
ところが突然の金管の咆哮(警告)で、また地上に呼び戻される歩み。
完結しない和声が終楽章(合唱付)への導きとなっている。

終楽章はぼくはバイロイト盤が好きだ。
寄せ集めのオーケストラと言われるが
(縦の線が合わないとかコーラスの入りが遅れる箇所とかある)
多様な価値観(オーケストラ)が認め合いながらひとつになろうとする刹那ではなかったか。
戦後間もないドイツでフルトヴェングラーが音楽会に復帰してまもない頃
ドイツ民族にとってバイロイトでの演奏がどんな意味を持つものであったか。
「歓喜に寄せて」というシラーの詩とベートーヴェンの人間性と
フルトヴェングラーやこのときの関係者の気持ちが同一化した希有の場面が残されている。
(最善の録音環境ではなかったから、このバイロイト盤をよりより音で響かそうとする試みが2019年末になってもさまざまな手段やリマスターでの発売が絶えないのはそのためだろう)

人類同胞が心を寄せて演奏するのに完璧な演奏は求める必要がない。
それゆえ人々が寄り添おうとする心がベートーヴェンの精神のようにも思える。
独唱もぼくは神々しさを感じるバイロイト盤が好きだ。
(ウィーンはそれだけまとまりがよいのだ)
そう、そのまとまりの良さで
熱狂と精妙を両立させながら最後は途方もないテンポに加速して
一糸乱れず昇り詰める心意気はウィーンの名人芸。
熱狂する聴衆の力を借りてウィーンフィルがともに作り上げた芸術だろう。

しばらくは立ち上がれないと思ったが
意を決して文章を書いた。
年末だからベートーヴェンではない。
生きているからベートーヴェンを聴くのだ。

追記
フルトヴェングラーの指揮の様子が断片的に動画として残されている。
優美や幽玄と熱狂が同居するその姿は岡本太郎がいう「美」に近い。
誰かに見せようとしているのではない。
指揮する姿がすでに絵になっている。
若い頃、物憂げに遠くを見るような目をした少年は女性を虜にしたかもしれない。

ベートーヴェンの作品で例えば作品101のピアノソナタを耳にすると伝わるものがあるだろう。
愛する女性への憧れが漂うな楽曲、それでいて全編を覆う切なさ、その裏返しの寂しさ―。
それでも音楽は前を向いて進もうとするのだ。ベートーヴェンならでは。
https://www.youtube.com/watch?v=-EGZUJnPHvQ

フルトヴェングラーのベートーヴェンには熱情と寂しさがある。
(それなくしてベートーヴェンの音楽は再創造しえないだろう)
今日では彼の解釈が古い箇所があるといわれたとしても
表現の持つ真実はいささかも失われていないばかりか
2020年を迎えようとしてますます輝いているようにも見える。
それは人間の人間による人間のための音楽であったからではないか。

フルトヴェングラーの音楽の呼吸は深い。
禅の吐く息のように細く長くつながっている。
ピアニシモでは張り詰めた糸を引くような
痛切な憧れを秘めたような音色を出す。

そして音楽が押し寄せるような(例えば「英雄」の第一楽章のように加速しながらなだれこむ)フォルテ。
それはふくよかな厚みというか、鋭いというよりは沈み込む重さというか。
単に協奏強打させているのではない。

これはオーケストラがどこであってもそのような音を引き出せるようだ。
楽団員が練習しているときに、彼が練習場に入った途端
温色が変わったことを目撃している関係者が多い。
ある種の超能力にも似た意思疎通の深い領域へと入り込めた人ではないか。
そしてそれをすべて芸術のために使った人ではないかと。

バイロイトの第9は数多く発売されているので
迷わないようよう1種類上げておこう(EMI正規版で一般向きするもの。同じ演奏だが、音質がやや異なる)
https://amzn.to/2SzQ03k




posted by 平井 吉信 at 21:51| Comment(0) | 音楽

2019年12月03日

音楽のテンポは機械で刻めない


竹内まりやのPortraitで「イチゴの誘惑」を聴いて思った。
リズムが生きている。

渡辺真知子の「かもめが翔んだ日」もスタジオ録音でありながら
後半に向かって加速する。
その疾走感が歌の世界と一体化する。

それに対してリズムを打ち込みで音楽をつくると
なぜか死んでしまう。

その理由ははっきりしている。
人間は次のリズムのタイミングが予測できると
途端に退屈を感じる、のではないかと仮説を立てている。

ピアノを弾くときメトロノームを鳴らしながら弾いてみる。
途端にリズムが死んでしまう。
音楽はインテンポのときでさえ揺れている、
いや揺れていないと不自然に感じてしまう。

これはアゴーギグ(テンポを意図的に伸び縮みさせて緩急の表現を付ける)とも違う。
表現のために意識して揺らしているのだから「表現」の領域である。

これに対してここで言いたいのは
脈拍が1分間に60回打つとして(当然規則正しく)
そのなかにわずかな時間のずれ(ムラ)があるはず。

音楽も同様でインテンポに聞こえるようにテンポを呼吸させる。
指揮者のムラヴィンスキー、ピアニストではバックハウスがそうではないか。

前者はインテンポを装って動いている、後者も情緒を排してぶっきらぼうに弾いているが
その実、そこから妙なる息づかいが感じられる。
メトロノーム的なインテンポではないのだ。

アナログの良さは時間軸の揺らぎというかムラにあるのかもしれない。
そしてそれは生理的な脈との同調でそのほうが自然に聞こえるのではないか。

スタジオ録音よりもライブ録音が良いというのはよくある話。
MISIAはスタジオもライブも変わらない品質を誇る歌い手だが
ぼくにはライブのほうが輝いて聞こえる。
歌の端正さは変わらないとしても情感の深さが異なる。
それでもMISIAはためをつくって歌うなどの小細工はない。
あくまでインテンポのように聞こえるけど
そこに人の感知しないライブの何か(情感といえば安易だけど)が込められているのだろう。

ライブなのにスタジオ録音のような完成度、
スタジオ録音なのにライブのようなノリの良さがあったのはキャンディーズ。
わかる人にはわかるプロフェッショナル意識の高いアーティスト。
(その後のアイドルとは一線を画す品質感だった)

まりやのPortraitを聴いてやはり思う。
音楽は機械で刻めない。
クオーツシンセサイザー(水晶発振で同期させたリズム)では人は眠ってしまうだろう。

写真のフィルム、アナログレコード、ブラウン管テレビ(いまもぼくは15インチのトリニトロンブラウン管のソニープロフィールを使っている)懐古趣味と言い切れないのだ。
posted by 平井 吉信 at 23:17| Comment(0) | 音楽

2019年12月01日

竹内まりや 40年目の「Portorait」の季節 


レコードで持っていてずっと買いたかったアルバムがある。
それが昨年だったかデビュー40周年を記念してリマスターアルバムが発売された。
それからも買うタイミングを見ていた。
(インターネットでは価格が変動するのはご存知のとおり)

その人は過去の楽曲が海外でも注目されている。
「プラスティックラブ」がYouTubeで2800万回再生されたという。
(それも非公式にアップロードされたもの)
萌えキャラを描くことも流行しているらしい。
その人は竹内まりや。買いたかったアルバムは「Portrait]



80年代の日本のポップスは日出づる国の勢いがもたらした副産物。
伸びやかでアーティストが好きな楽曲を親密な関係で演奏しているのがわかる。
(先日は二名敦子を紹介)
「80年代の自由な風から生まれた音楽たち」
(二名敦子)http://soratoumi2.sblo.jp/article/186241479.html

Portraitの発売は1981年10月。ぼくはリアルタイムでLPを購入した(初回プレス)。
アルバムを横溢する自然体の空気はこの時代ならでは。
王道のコード進行でおおらかにうたう。
(加山雄三の世界に通じるものがあるね)
過密なスケジュールのなかで充実したときを過ごした人たちの同窓会のような愉しさ。
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収録曲を見ていくと、同じ時代に録音されたライブ音源がうれしい。
アナログでいうA面は60年代ロック、オールディーズの雰囲気が漂う楽曲。
なかには「僕の街へ」のように当時の彼女の心情を代弁した楽曲も含まれている。

B面ではシングルカットされた「イチゴの誘惑」が大好き。
イントロを聴くだけで心が弾んで仕方がない。
少ない音と単純なコード進行と歌心。
(ワンツースリーと合いの手を入れるのがRCAシスターズと呼ばれるEPO、大貫妙子、まりやの3人。ささやく声の3人がおかしくて笑いが止まらなかったそう。それに釣られてまりやさんも本編でぶりっこの歌い方になってしまったそうな。この曲はプラスティックラブのようなシニカルな歌い方でなくてよかった)
楽しそうだなって思わせることがプロの仕事。音楽ってこれでいいねって思う。

アイドルとしての竹内まりやをもう少し聴きたかったとの思いもある。
(デビュー曲「戻っておいて私の時間」のテレビ出演時)
https://www.youtube.com/watch?v=jmIEgAF8Lxk

「Natallie」では西海岸風の音とともにヒロインのサクセスストーリーとそこで失った何かが描かれる。そして彼女の英語の発音(音楽ではなくて)に癒されるというおまけ。そこに「しあわせって何?」という彼女の自問自答を含んでいた(深い)。

ぼくがもっとも好きなのは「ウェイトレス」。わずか3分ばかりの佳品はトライアングルで開始を告げる。まりやの声が「微笑みに見とれてたら葡萄酒を注ぎそこねた…」と独白する。ここは海に近いホテルのパティオ。彼女はウェイトレス。短編ドラマの叙情を漂わせる作詞はまりや、曲は達郎。ハーモニカの間奏のあと時間が流れるとハッピーエンディングへと導かれる。静かなエピソードの愛らしさ。そしてボーナストラックではライブでも収録されている(MC入りの悶絶もの)。

「 Special Delivery ~特別航空便~」ではその場に居合わせた大人が外国の子どもの声帯を真似て「サンタクロース…」とうたっているとか。ここでも幸福の本質がまっすぐに見える。

アルバムを締めくくる「ポートレイト ~ローレンスパークの想い出~」。回想の冬のまちなみ、17歳のまりやさんの後ろ姿が見えるような楽曲。切なくもなつかしい一ページが閉じ込められたノンビブラートのバラード。

〔収録曲〕
ラスト・トレイン
Crying All Night Long
ブラックボード先生
悲しきNight & Day
僕の街へ
雨に消えたさよなら
リンダ
イチゴの誘惑
Natalie
ウエイトレス
Special Delivery ~特別航空便~
ポートレイト ~ローレンスパークの想い出~
ウエイトレス [LIVE Ver.] [Bonus Tracks]
Natalie [LIVE Ver.] [Bonus Tracks]
Special Delivery ~特別航空便~ [LIVE Ver.] [Bonus Tracks]
Crying All Night Long with/伊藤銀次 [LIVE Ver.] [Bonus Tracks]
ラスト・トレイン [LIVE Ver.] [Bonus Tracks]
リンダ [LIVE Ver.] [Bonus Tracks]


添付されたライナーでは楽曲ごとの録音の背景が解説されている。


追記
リマスターの音についても触れておこう。
アナログと比べても低域の抜け感がずばらしい。
(ご主人の息がかかっているよね)
土台のクリアな安定感はデジタルならではで
声が空間に浮かび上がる。
(帯域は広げておらずそれが中域の密度感を損ねない)
中高域は自然に粒立たせているがこれはアナログが優るかもしれない。
(イチゴの誘惑のキーボードの落ち着いたきらめきはリマスタリングの成果かも)

追記2
お会いしたことはないが
竹内まりやさんは人生を迷わず意思決定をしながら生きている感じがある。
人に媚びないが尖っているのではなくそれが自然体。
アイドルのような登場からこの5作目のアルバムまでわずか数年だが
時勢を味方にやれることをやったという満足感があるのではないだろうか。

InstagramerやFacebookerは誰かに承認を求めるが
それがないと生きていけないのは幸福とは言えない。
まりやさんは誰かと比べない世界観を当時から漂わせていた。
自分を輝かそうなど必要がない、あなたはあなたらしければいいの―
そんなメッセージが聞こえてきそう。
リラックスした歌い手に聴き手も浸れるのだ。
(いまの時代にはこんな音楽が生まれてこないのは時代を映しているから)
日本が世界のリーダーをめざして走っていた時代、いまからでも遅くないと思う。

追記3 
NHKの紅白歌合戦に初出場されるようだ。
https://www.mariya40th.com/news/20191122.html
(ここ数十年見たいと思わなかったが見てみようかなと)
タグ:二名敦子
posted by 平井 吉信 at 12:12| Comment(0) | 音楽

2019年10月21日

サモア島の歌 ラグビーからポリネシアを思い出した 


かつて滞在した南太平洋ポリネシア。
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ときに民家を借りて自炊し
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ときに地元の同世代の若者たちとカヌーを漕いでモツ(環礁内の島)へと漕ぎだし
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モツでのピクニック
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ときに旅行者と素潜りでどこまで潜れるかを競い(潜水病になりかけた)
ときにセスナをチャーターして島に渡り
ファレ(民家)で眠った。
一ヶ月をかけて島々を巡った。
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「アイタペアペア」が合言葉。
気にしない、どうにかなるよ、ぐらいの意味。
これが人生を横溢している。
そしてポリネシアの人は身体が大きい。
子どもの頃は愛らしくてもおとなになると関取のようになる人が多いようだった。
豪快に食べるバラクーダはいつも日本人のぼくに食べ物を10人前奨めてくれる
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鶴を織ってあげると不思議に受ける。最初に泊まった宿の娘さん
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ランギロア島で民宿を経営するマリ
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なぜ南太平洋へ旅立ったかって?
それは音楽。
以前にも書いたが、「南太平洋の島々の音楽」と題して
民族音楽ばかりを収録したアメリカのレーベル「ノンサッチ」から
発売されたレコードを聴いてこれを直接聞いてみたいと思った。

夜になると踊りの練習やら歌の練習でぞろぞろと若者たちが集まってくる。
南の島といえども季節によっては夜は寒く長袖を着ている人が多い。
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真ん中でギターを弾いているのはマリ=テレーズ。どうしてオペラのヒロインのような名前なのか尋ねてみたら、彼女もわからないと。フランス語圏の国だから。
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思い思いに歌を歌いながら踊る。
毎晩のように繰り広げられる日常に魅了された。
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幼い頃、耳に残る一曲があった。
それが「サモア島の歌」。
いま聴いても単純なコード進行、
繰り返しの多い歌詞がポリネシアの言葉を連想させる。
ポリネシア民謡を原曲に日本語の歌詞がつけられたものだが
だれの耳にも覚えやすい旋律と単純なリズム。
それなのに輪唱のようなたたみかける終盤は魂を揺さぶられる。
音楽の仕掛けた魔法にかかってしまう。
https://www.youtube.com/watch?v=9sSYcJGY_ZA

南半球の島々はそれぞれ個性があるけれどのどかなところは共通。
でも地球温暖化で海水面が上昇して苦しむ島もある。
まずは自分でできることと考えて
たいがいの温暖化対策はやっているつもり。
(エアコンを取り外したが、このことで暑さに強くなった。扇風機すら使わない)

ところでポリネシアを離れる日、
パピエテのまちでレコードを探してみた。
彼らがうたっていた音楽のなかに
耳に残る曲があった。
財津和夫のサボテンの花とそっくりだった。
レコード店で何枚か視聴させてもらって雰囲気が合っていれば良し。
反らないように日本まで持ち帰ったのだが
お目当ての楽曲は入っていなかった。
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日本からの直行便はなかった時代、
ニュージーランドのオークランドからフレンチカレドニアのヌメアを経由して
タヒティのパピエテへとほぼ一日かかるフライトだった。
あの頃は原田知世の「天国にいちばん近い島」も流れていたように思う。
この楽曲は詩情あふれる切ない歌詞、
はるか彼方の楽園を描ききった林哲司の作曲、
原田知世のプレーンな歌い方と相まって
透明な世界観を描いた。
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地球っていいなと思えるのは四国の川と南太平洋の島々。

→ 南太平洋の子どもたち
 http://soratoumi2.sblo.jp/article/182381227.html
→ 南太平洋 ファイカバの恋歌
 http://soratoumi2.sblo.jp/article/97208434.html
タグ:南太平洋
posted by 平井 吉信 at 23:45| Comment(0) | 音楽

2019年07月06日

80年代の自由な風から生まれた音楽たち(二名敦子)、好きな音楽を蘇らせるために一人ひとりが政治にまっすぐ向かい合いたい


オアフ島から吹いてくる風のような「LOCO ISLAND」というアルバム。
歌っているのは二名敦子
(ウィキペディアでは「になあつこ」となっているけど「にいなあつこ」では?)
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70年代から80年代はシスコンブームもあって音楽業界は活況、
80年代に入ってアナログからデジタル(CD)の過渡期で両方が併売されていた。

高度経済成長期からさらに日本製品が世界を席巻して経済神話が確立された頃、
世界の企業ベスト10(時価総額)に日本の会社が7つ入っていた(平成元年)。
ぼくもなけなしのお金を証券会社の商品で運用しながら
ノーリスクで7%程度の運用をしていた。
(100万円預ければ1年後に107万円!。複利で利息がつく郵便局の定額貯金に10年置いておけば元金が倍近くになった。そしてあの頃の金相場は1,000円台の前半だったのでぼくにも手が出た。いまでは相場が5千円台になっている)

若者は自分の車を改造して乗り回した。
排ガス規制の余波が終わって
車がステータスとか生き方を表現するようになった頃の話。

マツダは赤のファミリアの全盛期、
町じゅうで3ドアXGを見かけた(当時からマツダのスタイリングは人気だった)。
一世を風靡したスカイライン、ケンとメリーの。
駆動方式はFFが増えていたがスターレットなどの大衆車にもFRが残っていた。
改造車両の定番であったレビン/トレノ、
友人たちも座席を後ろに下げて乗っていたプレリュードやシルビア(ナンパ車)。
トヨタから出たソアラを憧れの目で見ていた人も多いだろう。
日産のサニーベースのワゴン「カリフォルニア」は木目をドアにあしらう楽しいデザイン。
アルシオーネの失敗で出遅れていたスバルもレガシィの発売で挽回を図る。
先日、なつかしいツーリングワゴンを見かけて胸がときめいた。
身近で尊敬できる人が乗っていた車種と色だったから。

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いすずの117クーペ、ピアッツァ、ジェミニの流麗なスタイルはなんだろう(ときめくね)。
その頃のぼくは(いまもそうだが)
時流を追わず質実剛健のマリンブルーのVWゴルフに乗って
屋久島から中日本あたりを車中で寝ながら走っていた。
その後ワーゲンを卒業したぼくはスバリストとなって
WRCブルーのインプレッサに乗っていたが
それは21世紀になってからのこと。
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まちも人々も自信にあふれていたように思う。
(もう一度若い頃を過ごすとしたらインターネットやスマートフォンがなくても80年代を選びたい)

音楽業界の活況は十分な予算で楽曲の制作や録音も行われたに違いない。
80年代のアイドル、松田聖子や菊地桃子、斉藤由貴などのアルバムは
楽曲も編曲も演奏も職業音楽家の総力を結集して、
しかも肩の力を抜いてつくられたからいま聴いても高揚感がある。
そんななかで1枚だけ挙げるとしたら、
松田聖子の20歳の録音、パイナップル(1984年)。
いまの大御所たち(名前は挙げるのは憚られるが)も
才能が枯渇しない(おっと)70年代後半から80年代がもっとも輝いていた。

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20世紀の終わりもあと2か月を切った頃、
発売された1枚のシングルにぼくは釘付けとなった。
飾らない声、胸を締め付ける等身大の詩の世界観、
素人には歌えないような不思議なコード進行、
さりげない、なのに何度もリフレインされるメッセージ。
この水準の楽曲ってその後の20年=2019年になっても出ていないよね。
それは、aikoの「カブトムシ」。

80年代はサウンド志向で
アイドルすら意欲的な実験が行われた時代だけど、
二名敦子は特に強い個性があるわけでない。
でも、風を受けて海を走るときにいつもカセットでかけていた。
70年代のようなメッセージ性は時代が求めたもの。
(それもよかった。優劣ではなく時代が求めるものが違っていただけ)
80年代は自分の場を心地よくしてくれる役割に変化して
リズムやグルーブ、編曲に力を入れたサウンド志向になっていった。
これは日本だけでなく外国もそうだったと思う。
(TOTOの4枚目などは特にそうだった)
また、クリストファー・クロスなどのAORもその流れで出てきたと思う。
日本ではシティ・ポップスとして数え切れないアーティストが存在したのもこの頃。

二名敦子ではロコアイランドが特にお気に入り。
冒頭のリズムとミュージシャンのかけ声からセッションの雰囲気が伝わってくる。
だいたいでいいよ、などと言っているようにも思えるが
演奏が始まるとプロの仕事はさすが。
全編を横溢するオアフ島の空気感は例えようがない。
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当時のサーファーはセシリオ&カポノやカラパナをワゴンで流していた。
杉山清貴のコナ・ウィンドを聴くたび自由な空気を感じていた。
村田和人も良かったが、
ハニー&ビーボーイズ の「バック・トゥ・フリスコ」は再発売されないかな?

二名敦子のロコアイランドはアナログで持っていたけれど、
「him」は持っていなかった。
CDはビクターから80年代に出ていて中古で入手できるが、
タワーレコードのオリジナル企画で2014年にリマスター再発売されている。
オンラインでは入手困難だが、
タワーレコードの渋谷店に在庫として置いてあることがわかって半月前に入手してきたところ。
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(手持ちのリチャード・グードのベートーヴェン・ピアノソナタ全集もタワレコ独自の企画)
(リリー・クラウスのモーツァルトピアノソナタ全集もタワレコ企画で出ているが、これは60年代のステレオ録音なのでご注意。というのも演奏、録音とも名手アンドレ・シャルランが関わって50年代に録音したモノ音源の全集がいい)

二名敦子の「him」には
「ムーンライト・ママ」や「オレンジ・バスケット」などの人気曲もあるけど、
(オレンジも夢を見るのですよ)
バラードの名作といいたい「夜も泣いていた」がある。
そしてぼくが二名敦子のなかでもっとも好きな「Sunset Cruising」が収録されている。

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夏を求め遠くまで来たね 二人だけで楽しむ休暇
黄昏せまるよ サンセット サンセット クルージング…


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彼女と遠くの海へとドライブに出てみる晩夏。
彼女は手作りのサンドイッチをバスケットに入れている。
(おにぎりでもいいけど)
二人の乗った車は岬へとまっすぐ伸びる道を巡航している。
はしゃいだ会話のあと、潮騒を背景に音楽を聴いている、
という状況かも。

タワーレコードさん、「ウィンディ・アイランド」も再プレスをお願いします。
https://tower.jp/item/3279828/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%EF%BD%A5%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%EF%BC%9C%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E9%99%90%E5%AE%9A%EF%BC%9E

なんと同アルバムからの3曲がライブ音源で
二名敦子 & 芳野藤丸SPECIAL BAND FM LIVE
https://www.youtube.com/watch?v=X7v_Zp99ExM



ここで政治の話題をどうしても

いまの時代に豊潤な音楽が生まれないのは音楽業界の不振だけでないような気がする。
かつての荒井由実や山下達郎が現れても人々は耳を傾けるだろうか?
(ぼくにはそうは思えない)
おそらく時代がそんな空気を発していない、
人々は自由な生き方を謳歌できていない。
それが2019年の日本。
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そんななかでまっすぐのメッセージをぶつけてくる人がいる。
(政党にまったく期待していないぼくでも何かを感じた)
わずか1〜2分程度の映像。先入観なく見て欲しい。
(熱い気持ちがなければ生きていてもつまらない)

https://www.youtube.com/watch?v=6UoAP5BweIQ
https://www.youtube.com/watch?v=AU5TIn2na3E

時間のある人はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=E51ysj1dB4k

政治団体のなかで経済政策の本質を訴えているのは
山本太郎さんだけではないだろうか。
(自民党よりも自民党らしい王道の政策という感じ)
消費税を上げて軽減税率とか商品券のばらまきとか矛盾していますよ。
(ほんとうにやるべきことという意味で。この20年の経済政策は間違っていますよ)
市民運動のみなさん、環境保全とか文化を守ろうとか、原発反対、
SDGsなどときれいごとを言っても響かないですよ。
憲法改正やっている場合か?
アメリカや東アジアの政治家に付き合っている場合か?
(特に隣国の指導者が…でも外交はもっと慎重に)

老後は2千万円の貯金ではまったく足りない。
(自助努力による方策はこちらのブログで綴っていきます→ おだやかな経営
(↑自分が人生を愉しみながら自分のペースで生きて足りない年金を埋める方策を書いています)

人々は追い詰められている。
まず安心して生きていけること(衣食足りて礼節を知る)。
いまの日本でもっとも取り組むべきは経済対策と思う。
そこがすべての根源。ただし間違った方向に行かないこと。
ここで気付いて踏みとどまらないと。
国は滅んでも国民は元気で生きて欲しい。
そんな究極の選択が求められていることに気付いて欲しい。

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こんな時代だからあきらめることなく
まっすぐに生きていきたい。



posted by 平井 吉信 at 22:21| Comment(0) | 音楽

2019年05月04日

EACH TIMEのカセットが! 大滝詠一に浸る連休を過ごしています


桜を眺めていたのがついこの間までで
季節はいつのまにか初夏へと。

連休中はやりたいことがたくさんあって
時間がいくらあっても足りない、
というかやりたいことが次々と出てきて
夜寝るのが先延ばし、朝起きるのが楽しみという日々。

もっとも連休が多いと収入は減少するけれど
それよりもやれることが多いことがうれしい。

→ パラレルワールド(異なる結末の記事)に行く

何をしているかといえば
・潮風に浸りに海へ行く
・地球の鼓動が感じられる場所でゆったりと過ごす
・新緑の山へ行く
・小さな山野草に心を通わせる
・自宅でいる間は料理をすべてつくる
・普段できない清掃をする
・紙の本を数冊、Kindleを数冊購入(8冊のうち半分は読んだ)
・ナイアガラ(大滝詠一三昧。運転でも自室でも風呂での鼻歌でも)
・ベートーヴェンの田園をさまざまな指揮者で聴く(いまの季節にぴったり。ここ数日よく聴いたのはワルター/ウィーンフィルのオーパス蔵による復刻版。音質もさることながら当時のウィーンフィルの想像を絶するみずみずしさと指揮者の個性が一体となっている。戦前の録音なのに音だけ聴けば誰もそうは思わないだろう)
・入浴時の呼吸(簡単な瞑想)
・仕事(したいとき、インスピレーションが湧いてしたいときに)
・このブログを書く

すべてに共通項があるとしたら
どれも「愉しい」ということ。
10連休でも20連休でも飽きることはないけど
みんなが同時に休むことはありえないので
(この休日が負荷の高い生活や仕事になっている方々も多い)
今回だけにして欲しいというのが大多数の人の声だと思う。
(休みたいときにそれぞれが休めるのがほんとうの姿ではないかと思うけど、個人的な利点があるとしたら仕事の電話がかかってこないので遊びに集中できることぐらい)

大滝詠一について再び書いてみようと思う。
A LONG VACATIONEACH TIMEは日本のポップスの金字塔。
それ以前のナイアガラレーベルは一部の愛好家向きという感じはするけれど
この2枚(長い人生でたった2枚!)のすばらしさは言葉に尽くせない。
初出時はそれぞれ1981年と1984年。
A LONG VACATIONは初回プレスのアナログを持っているのは以前に書いたとおり

この2枚、ひとことでいえば
完成度の高い(そして唯一無二の)A LONG VACATION
音楽に浸ってときを忘れるEACH TIMEと思っている。

前者は、「君は天然色」の衝撃に始まり
どこもかしこも松本隆、大滝詠一の描く音の情景のさわやかさ。
(さわやか、とは誰もが良いと思うような音世界の美しさ、わかりやすさを表している)
それでいて奥に秘められた職人芸の深さという聴き手の場面に合わせて
深度を変える音楽の懐の奥行きがある。

後者は松本隆の世界観が極まった感がある感傷的な詩の世界に
A LONG VACATIONを上回る職人芸で音楽を閉じ込めている。
何度聴いても色あせることがない。
けれど、発売される度にアレンジ、曲順、収録曲、リミックスが変わっていく。
(この点については大滝さん、考えすぎでは? 初出の構成が最善ではと思う)

ところがなぜか手元にあるのはコンプリートEACH TIMEのアナログ盤。
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初出オリジナルを持っていない。
ところがアルバムの最後を飾る「レイクサイドストーリー」は
初出のエンディングが以後のアルバムでは変更されているというのだ。
(ファンの間では「大エンディング」と呼称されている)

待てよ、EACH TIMEのオリジナル、どこかで見たことある―。
そう思って記憶をたどるようにカセットを探したらすぐに見つかった。
オリジナルEACH TIME(見本盤)。
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再生はどうするって?
いまは良質のカセットプレーヤーが入手できない。
いえいえ、これを持っています。
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ソニーがカセットデンスケ(TC-D5M )とともに世界に誇る名機「ウォークマンプロ」(WM-D6C)。
(テレビは液晶ではなくていまだにブラウン管のトリニトロン15インチプロフィールプロを使っている。程度は極上。19インチプロフィールも健在、VHS再生も当時のソニーの名機が2台完動で待機中)

海外の民族音楽レーベル「ノンサッチ」で
名手ディヴィッド・ファンショーが現地録音で用いた機材が
これでないかと推察している。
(ぼくの好きな「南太平洋の島々の音楽」など)。
虫の声やせせらぎをワンポイントステレオマイクで録音するのに使っていた。
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(さすがにナグラは持っていかないだろう。アンペックスやスチューダー? どうやって密林を歩いて運ぶの?熱帯の高温多湿な場所、電力確保が容易でない場所ならデンスケやウォークマンプロなどのカセットタイプがずっとハンドリングがいい。もしかして音質も負けていないのでは? それにしてもテープによる録音機って夢があるよね)
(コンポに組み込むデッキでは意外にトリオKX-880がよかった。定番のソニーTC-K333ESは長年使い込んだけど)

ヘッドもピンチローラーも極上のまま、
端子も錆びていない。
久しぶりにクリーニングを行う。
ACアダプターは紛失しているので(この時代のソニーの極性はいまと違う)
単三電池を4つ、新品を投入。
まずはカセットを装着して早送りでテープ面に風を送る。
シュルシュルと静かにキャプスタンが廻る、上々。
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そしてステレオのイヤフォンをミニジャックに挿す。
再生でのドルビーはオフにする。
そして耳に流れた。
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アナログのカセットってこんなにいい音だったのだ。
おそらく当時のCDよりもスペック(仕様)では負けていても
人間の聴く音楽としてはこちらが優っている。
エコー感を伴いながら高域が粒立ち、低域が有機的に弾みながら
声が浮かび上がる。
(これは30thリマスターの方向性でもある)

そして「レイクスサイドストーリー」の大エンディング、
聞き慣れたフェードアウトではなく
余韻を残して完結する。
まるで人生をかけて音楽と向き合った人たちの
最終章(コーダ)のよう。
涙がこぼれそうだ。

やはりEACH TIMEは初出(作り手のインスピレーションの高揚があった)がいい。

これをデジタルアーカイブしておきたいけれど
手持ちのPCや機材ではできそうにないな、と思いつつ。
(USBオーディオの変換装置が必要なんだろうね。いまは入手できない貴重な音源のカセットがたくさんある。購入後30年以上を経ているウォークマンプロフェッショナルが健在なうちに)

追記1
なぜ、業界の人みたいに手元に見本盤(非売品)があるかって?
それは秘密。

追記2
もし、EACH TIME 30thリマスターをやり直せるのなら
ぼくならこうしたい。

1.魔法の瞳
2.夏のペーパーバック
3.木の葉のスケッチ
4.恋のナックルボール
5.銀色のジェット
6.1969年のドラッグレース
7.ガラス壜の中の船
8.ペパーミント・ブルー
9.レイクサイド ストーリー(初出の大エンディング)
〔ボーナストラック〕
・フィヨルドの少女
・バチュラーガール



令和が始まって部屋でも車でも仕事中も浸りっぱなし。
大滝詠一の音楽は幸福感に包まれるね。
タグ:大滝詠一
posted by 平井 吉信 at 13:13| Comment(0) | 音楽

2019年04月27日

平成最後のプレゼント 大滝詠一「NIAGARA CONCERT '83」(初回限定盤) 

80年代のカーステレオから流れる音楽は
「A LONG VACATION」
初めて聴いたとき、1曲目の「君は天然色」はどこかで聞いたような
往年のポップスの名曲のようなつかしくきらめきを感じた。
(ほら、27AH1234の初回プレスですよ)

1曲目の掴みでA面をトレースすると
B面は「雨のウェンズデイ」「スピーチバルーン」という切ないバラード。
そして固唾を呑んで待ちわびる名曲「恋するカレン」。
(マリンブルーのVWゴルフで南の海を運転していたよ)
(このパターンはイーチタイムのB面も踏襲しているね)

期待を背負ってプレッシャーを感じていたのかもしれないけれど
1984年の「EACH TIME」もよかった。

大滝さんは完全主義者なのかCDの番号が変わるたびに
曲順、曲目、リミックスが変更される。
そのため、ファンはその都度買い足していくことになる。
発売後20年、30年を経過して
それぞれ20th、30thのリマスターが発売された。
初めて買うなら30thリマスターで。
(良質のオーディオ装置では20thよりも30thが伸びやかでダイナミックレンジが広く位相の乱れも少ないように感じる。それに2枚目に純カラオケが付いていて音の組み立てが手に取るように見える)




「EACH TIME」では、
「魔法の瞳」(初発売時)が1曲目にないと始まった気がしない。
「夏のペーパーバック」は名曲だけど
聴き手の上昇した体温を受け止めてクールダウンする位置に置いて欲しかった。
この場所じゃないと楽曲みずからが語っているような気がする。
1984年の初発売時では以下の順番。

A面
魔法の瞳
夏のペーパーバック
木の葉のスケッチ
恋のナックルボール
銀色のジェット

B面
1969年のドラッグレース
ガラス壜の中の船
ペパーミント・ブルー
レイクサイド ストーリー
(楽曲の並びも音楽の流れも自然で結晶化しているように思う)

それにしても松本隆の作詞がなければこの世界観はつくれなかったと思う。
切なさ、甘酸っぱさは完結感のないコード進行で。
(同じメロディーをメジャー6、メジャー7でなぞると翳りやまどろみが顔を出す。D→Dmaj7 →Dmaj6→ D。うつむいたり上を向いたりしながら会話を続けるような時間軸の揺らぎを感じさせる。キーは違うけどベッツイ&クリスの「白い色は恋人の色」もこのパターンじゃなかったけ?)

人の感情を風景や情感の動きに投影(比喩、代弁)させる松本節。
特にイーチタイムでは内省的な歌詞が散りばめられている。
「冬の色の風に吹かれた落ち葉たちが通りを走っていく…」(木の葉のスケッチ)
「羽撃くのを止めれば墜ちること青空舞う鳥さえ識っているさ…」(銀色のジェット)
(音だけではわからない漢字の当て方もそうだけど)
この翳りがたまらない。

声もそう。
(カラオケで歌うと聞き映えがしないのは技術的に難しいから)
2枚のアルバムの楽曲は
大滝詠一以外が歌うと借り物のようになってしまうのは
世界観のチューニングが絶妙なんだろうと思う。
分厚く波のように押し寄せるソフトな声が楽曲の情景を描く。
声の圧力で空気を押し出す感覚で歌わないと
軽めのリゾートソングになってしまうんだろうと思う。
キーも重要。特定の調性は固有のイメージを持っている。
(開放的で漂う感じはEとかD、Aだよね)
大滝さんの歌いやすいキーがたまたま南を示しているんだね。

大滝さんは、数年前に突発的な事故(病気?)で亡くなられた。
それ以後、新たな音源の発売はないだろうと思っていたら
2019年3月21日にライブが出た!
1983年の西武球場でのコンサートである。
(ロングバケーションから「イーチタイム」発売までの黄金の隙間である)


NIAGARA CONCERT '83(初回生産限定盤)

「夢で逢えたら」から「カナリア諸島にて」までの最初の5曲は
新日本フィルによるオーケストラ演奏でいわば「ナイアガラソングブック」のライブ仕様。

大滝詠一の歌は6曲目の「オリーブの午后」で始まる。
ライブならではのバックの適度な音の隙間。
大滝さんも緊張気味のようにも思われるが
レイドバック感がかえって心地よい。
薬師丸ひろ子に提供した楽曲、森進一に提供した楽曲と続いて
聴き手の体温があたたまったところで
「恋するカレン」のイントロ、そして鼻歌のようなヴォーカル。
(風呂に入るとカレンを歌いたくなる♪)
波に漂う感覚に包まれる。
最後は「君は天然色」に浸れる。
それだけでも満足。

ところでマニアックな話をひとつ。
「君は天然色」ひとつとってもこれだけの解析がなされているということ。
http://soundsconf.jugem.jp/?eid=688
http://soundsconf.jugem.jp/?eid=689
http://soundsconf.jugem.jp/?eid=690

初めて聴いたときに3連符の刻みがバックと声で交互にあるところが新鮮だった。
(この曲、カラオケで歌うには手強いよ。リズムを追うのではなく正確なリズムを持ったうえでグルーブしていく感覚が必要。三連符の刻みはアクセントを強めに)
同じメロディにシックスやセブンスの和音を出し入れして繰り返しの単調さを避けていること、
歌詞の気分と一体となって次の展開を先取るコード進行など
プロの技と思った。
理屈はわからなくてもみんなそう感じていたのではないか。
そして明るい曲想にもかかわらず
作詞家の個人的な思いが込められた哀しい曲かもしれないのである。

こんなこと知らなくても
耳に心地よかったり
変化を感じて歌うときはリズムを変えていたりと。
でも、作り手の思いは感じていたい。

聴いている間も聴き終わったあとも
幸福感に包まれた。
限定版仕様では2枚目がオールディズの楽曲(ライブ)になっていて
これがまた愉しい。

久しぶりにアルコールが飲みたくなって
ゆこうとチーズのビスコッティをあてに貯蔵している宮城峡12年を飲んだ。
(ナイアガラだからニッカなら余市ではなく宮城峡、スコッチならバランタイン12年などがいいよね。ハイボールならバランタイン12年かな)
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溝の劣化のない盤を保存しているので
ソニーにあるアナログマスターが劣化したら
メーカーに貸し出しますよ。
(ロングバケーショ、コンプリート・イーチタイムも初回プレス)
でも、この2枚を聴いていると
3枚目は出せなかっただろうな、出す必要がなかったなとも感じた。
人生のそのときでないと刻めない時間がある。
大滝さんが奇跡のような2枚を遺してくれたのだ。


追記
「君は天然色」を初めて聴いたときの違和感を思い出した。
覚えやすくていいメロディーなんだけど単調な感じ。
それが全音下げたサビ(想い出はモノクローム…♪でE→Dとなったらしい)だったのかと。
冒頭メロディ(くちびるつんととがらせて…)と同じだから単調な印象を受ける。
その直前(今より眩しい…の最後の音がそのまま滑り込むので自然な感じはある。レガートでそのままつないでもあり得るような)
ところがイントロ(E)がサビを先取りしているので(同じコード進行なので)
サビはそこへ行くものと耳が期待していたのだ。
なるほど…。
オケ録りの後だったので苦肉の策で下げたらしい。
サビだけを下げた原因は歌いにくさだったよう。
(何らかのエフェクト=ピッチ下げをかけた)

ぼくが聴く限り、ピッチ下げのタイミングが3回ともすべて違うように聞こえる。
(サビに入ってからピッチダウンするのが2回目、3回目は一小節前、初回は一拍前? いずれにしてもピッチダウンの弊害で音が籠もるのは同じ。いつかオリジナルの全音下げをしない歌を聴いてみたい。山下達郎さんがやってくれないかな)
そんなことも含めてA LONG VACATIONは愛おしいし
大滝さん亡きあとも人々の胸に生き続けるんだろうな。
posted by 平井 吉信 at 23:27| Comment(0) | 音楽

2019年03月10日

朴葵姫さんからタレガ・ギターカルテット(朴葵姫、松田弦、徳永真一郎、岡本拓也)へ

前頁から続く
親父がクラシックギターを何本か持っていて
ヤマハのCA-400プリメインとベルトドライブのプレーヤーにシュアーをつけて
同じくヤマハの20センチ2ウェイスピーカーで
アコースティックギターの楽曲を聴いていたのがきっかけで
当時の流行歌には目もくれず
中学になる頃にはヴィラ=ロボス、ソル、スカルラッティ、スペインの数々の楽曲などを聴いていた。
(あの頃のヤマハのオーディオは質が高かった)
日常会話には手工ギターの銘柄が出てきた。
ヘルマン・ハウザーの表板がどうした、ホセ・ラミレスの高音がどうした、
サントス・エルナンデス、イグナシオ・フレタの伝達性は、ヤマハGCの弦長は…
など固有名詞が飛び交っていた(うちにあったわけではないけれど)。
ドイツスプルースや米杉の単板と組み合わせる裏板、側板などに
いまでは稀少なハカランダやローズウッドなどの南洋材が使われていた。

朴葵姫さんがカルテットを組む(タレガ・ギターカルテット)のメンバーの一人、
徳永真一郎さんは徳島市の出身。
彼のお父さんとのご縁がきっかけで当時小学生の真一郎さんも連れて
今切川に船を浮かべて川底の泥を採取したことがあった。
幼少の頃からギターに触れる機会があったこともあるけど
今日の真一郎さんの活躍はうれしい。


なお、真一郎さんは徳島のギター製作家 井内耕二さんの手工ギターを使用されている。
井内さんのギターの音色がわかる動画がある。
https://www.youtube.com/watch?v=4qNnBnMbhV4

次に仕事でもご縁のある四万十市の公式チャンネルの動画をご紹介。
タレガ・カルテットの一員、松田弦さん(高知県のご出身。お名前に「弦」がある)の演奏で
四万十川を上空から紹介する動画を掲載している。
(外国人に向けての発信はわかるけど日本語の注釈をタイトルに入れておかないと日本人や日本通に検索されませんよ、市役所さん)
https://www.youtube.com/watch?v=CuWk7gFOIMw



アコースティックギターには音量という壁と
弾き手の技巧の披露から
尖った弾き方をしてしまいがちだけど、
聴き手の立場でいうと、ソロ楽器として長く聴いていられない。
超絶技巧をどう使うかをカルテットの演奏家たちはそれぞれに答えを見つけようとされているよう。
若いギタリストの豊かな音世界がギターの可能性を広げていくと信じている。

posted by 平井 吉信 at 11:52| Comment(0) | 音楽