2018年09月15日

小松玲子さんによるサヌカイトとマリンバによるコンサート 小松島市ミリカホール


小松島市ミリカホールに小松玲子さんが来るという。
ときは2018年9月29日(土)14時〜

それなのにこの時間にキャンセルできない用事が入ってしまった。
なんという巡り合わせの悪さ。

小松玲子さんがサヌカイトの奏でる音楽として次の2コマのYouTubeを見てみては?
秘かな水瓶
https://www.youtube.com/watch?v=6m7DOrW8OEw

LOVE LETTER
https://www.youtube.com/watch?v=wM_s1obu49w


超高域や倍音が入り交じる現場でないと味わえない音があるはず。
小松玲子さんの演奏する姿も凛として美しい。

このコンサートは、(公財)よんでん文化振興財団の助成で
1,000円(一般)に設定されるという。
https://www.city.komatsushima.tokushima.jp/docs/472156.html

この音色、楽曲に惹かれた人は行かなければ後悔しますよ。
posted by 平井 吉信 at 19:05| Comment(0) | 音楽

2018年04月07日

ゆうべ遅くに聞いたフォーレ


ゆうべ夜更けに聞いたフォーレのピアノ五重奏曲ニ短調を思い出している。
ピアノの煌めくアルペジオが低弦の幽愁を呼び覚ます冒頭から
フォーレの世界が淡々と繰り広げられる。
(フランクのヴァイオリンソナタの醸し出す雰囲気と似ていながらも、どこか遠くを見ているような視線)
ただそこに浸っていればいい。
(ぼくが持っているのはエリック・ル・サージュのピアノとエベーヌ四重奏団
試聴先はMP3音源で(CDではないので間違って購入されませんよう)

フォーレの初期の作品「組曲 ペレアスとメリザンド」は宝石のような作品。
なかでも前奏曲が好き。
ひたひたと押し寄せる地中海の光と陰の明滅とでもいいたげに。
そして、シシリエンヌの軽やかな舞曲は光の園の中心に運んでくれる。
(LPで持っているのは、アンセルメ/スイスロマンド管、CDではデュトワ/モントリオール響
デュトワのシシリエンヌがYouTubeにあった。
https://www.youtube.com/watch?v=yoDlcNwvTZM

フルート奏者にとってはたまらない出番。
以前に紹介した上野由恵さんのアルバムにもこの曲は収録されている。
(オーケストラではなくピアノ伴奏なのだけど)
http://soratoumi2.sblo.jp/article/182354637.html

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フォーレの良さは、音楽が人の感情をまとって明滅するようなやわらかな音つむぎ。
長調とか短調とかを超越して、それでいて無調にも陥らず
禅や瞑想のように覚醒しつつおだやかな心境を写す鏡のよう。
フォーレとて、日本の春を想って作曲したわけではないけれど
かすみたなびく日出る国の風情を西洋の音階でタペストリーにしてみました、
と二十世紀初頭のフランスの作曲家を代弁してみる。


タグ:フォーレ
posted by 平井 吉信 at 14:39| Comment(0) | 音楽

2018年02月14日

バレンタイン企画 チョコを渡す人がいなくてもチョコをもらう相手がいなくても ばらの騎士があれば。たった5分で味わうR. シュトラウス「ばらの騎士」の愉しみかた


オペラ通でもないぼくが解説するのは冒険だけど
もし6分ほど付き合ってみようと思われるのなら、
YouTubeのリンク先をご覧になってみては?
https://www.youtube.com/watch?v=9Qzcnd0pLvg

このリンク先が実によくできている。
ボランティア団体のようだけど
法律を遵守して音楽に対訳をつけていただいている。

リヒャルト・シュトラウスは大昔の作曲家ではなく
第二次大戦後に没した人である。
ドイツ後期ロマン派のめくるめく音彩を描いてやまない。
オーケストレーション(オーケストラへの編曲)に関しては
プロの作曲家のなかでも名人芸の域に達している。
(ぼくはベートーヴェンの不器用なオーケストレーションが好きなのだけど)

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ばらの騎士 三重奏での登場人物は以下の3人。
陸軍元帥夫人マリ・テレーズ:エリーザベト・シュヴァルツコップ
ばらの騎士オクタヴィアン:クリスタ・ルートヴィヒ
花嫁ゾフィー:テレサ・シュティッヒ=ランダル

カラヤンとフィルハーモニア管弦楽団による1956年の録音から
第三幕の終わりのほうの一部に出てくる三重奏だけを取り上げた動画。
(といっても登場人物はなく字幕だけ)

この動画では、ドイツ語と日本語の歌詞と対訳が出てくるので
発音を追いかけつつ意味もわかる。
さらに、字幕の出し方が絶妙である。
第3幕の有名な三重奏が終わりに近づいて
「神の御名において」と元帥夫人がうたい終わると
(実演ではここから元帥夫人は退場するのだが)
元帥夫人を演じるエリザベート・シュワルツコップの名前が浮かび上がる。
続いて、ばらの騎士オクタヴィアンを演じたクリスタ・ルードヴィヒ
そしてゾフィーのテーマがオーボエで奏でられると
ゾフィーを演じたシュティヒ・ランダルの名前。

そして管弦楽の響きに包み込まれると
指揮者カラヤンの名が流れ、没後20年を記念と紹介される。
さらに作者のリヒャルト・シュトラウスの生誕150年に当たると表示される。
オーケストラがエコーのように回想するなか、この録音のプロデューサーの名が流れる。
https://www.youtube.com/watch?v=9Qzcnd0pLvg

対訳集の本もあるが、哀しいかな平面上にまざりあう歌詞を表現することができない。
ところが動画で字幕を動かしていくと
三重奏の複雑なからみが見えてくる。
左にゾフィー、右にオクタヴィアン、
真ん中下から元帥夫人の台詞が流れるという至れり尽くせり。

ここでこの歌劇の見どころを少しだけ。
この楽劇(作者は歌劇とは呼んでいない)は、
18世紀のウィーンを舞台にしている。
設定は以下で。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%AE%E9%A8%8E%E5%A3%AB

先にも述べたようにオペラを好きでないという人は
大柄なアングロサクソンの男女(ネアンデルタール人のDNAを持っているからだろう)が
歌詞が聴き取れない発声法でヒステリックな大音量を上げるのが我慢ならないからだろう。
ぼくも苦手である。
(プッチーニの蝶々夫人などはそのような歌唱は出てこない)
モーツァルトの頃の時代設定ということもあって
ばらの騎士もそのような歌唱は求められていない。

劇の設定を個人的な見解でひもといてみよう。
元帥夫人は30歳前後であるが、身分の高い夫を持つ。
おそらくは政略結婚で、年下のオクタヴィアン(17歳)を愛人にしている。
このふたりがベッドでむつみ合う場面から幕が上がる。
(それを不貞と責めるとこの劇は成り立たない)

若いオクタヴィアンも元帥夫人に夢中であり
序曲は突き抜けようとする彼を包み込む夫人の包容力の愛を描く。

17歳のオクタヴィアンを演じるのはソプラノもしくはメゾソプラノ、
つまり女性歌手が男装して演じる。
劇中では元帥夫人の部屋にいることを見つかりそうになって
女装する場面がある(女性が男装して役作りを行うが劇中では女性に変装して本来の性でうたうという凝ったつくり)。


第三幕の三重奏の場面は居酒屋。
ここで上記の3人が遭遇する。
三重奏は三角関係の悲恋と恋愛が絡む。
つまり恋の勝者と敗者がいる。
ただし配役上は男1人、女2人であっても
演じるのは女性3人(つまりひとりはズボン役=男役)。

かつて英語と日本語の歌詞まで暗記してしまった
ミュージカル「Les Miserables」の三重奏を思い出す。
コゼットとマリウス、それを見守るだけのエポニーヌ。
滝田栄のジャン・バルジャンや島田歌穂のエポニーヌを見るため
梅田コマ劇場まで何度も通ったっけ。

ばらの騎士の元帥夫人は、2人が恋に落ちていることを見抜き
ゾフィーもオクタヴィアンと夫人が愛人関係であることを感づいてしまう。
元帥夫人は自分が身を引くことでオクタヴィアンの幸福を願うという
気品ある態度と心の葛藤を演じなければならない。
この楽劇の事実上の主人公であり、
リリックソプラノにとっての生涯の集大成となるような名誉な役である。

ここでは名歌手シュワルツコップが心の機微を演じきる。
表現することが愉しくてたまらない、そのために生きてきたといわんばかりの
絶唱をコントロールしつつ、涙を気品で隠した歌唱。
舞台姿を想像しつつ聴いてみよう。

ふたりの愛人関係に気付いたゾフィーは
その場から立ち去ろうとするが
オクタヴィアンが引き留めようとする。
ゾフィーも不安と憧れが入り交じる
若さが崩れ落ちそうになりながら
支えを求めている。
第2幕のばらの騎士を迎える「銀のばらの贈呈」の場面で.
夢のような歌唱を見せたシュティッヒ=ランダルが
思いが天に突き抜ける歌唱を見せる。
そこに戸惑いや不安を散りばめて。
ぼくはこの声を聴いて10代の娘に感じられた。
(うますぎない、絶叫しない、コケットリーであって乙女チックな)

もっとも感動的な第3幕の三重奏に対して
もっとも美しいのは第2幕の銀のばらの贈呈の場面である。
第2幕では、親類に当たるオックス男爵の婚約の使いとして
銀のばらを届ける「ばらの騎士」が登場する。
(このとき、花嫁ゾフィーを見初める。ゾフィーも修道院を出たばかり。つまり同年代の若い二人の一目惚れ)
オクタヴィアンは、第3幕では好色のオックス男爵をゾフィーから引き離すため
一計を案じて女装して誘惑する場面も演じるなど、全3幕を通じて出番が続く難役である。


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ゾフィーは貴族生活に憧れる少女。
まだ見ぬ男爵が醜男であることは知らないで
婚約の使いで訪れたばらの騎士にめぐりあってしまった。
(第二幕)
10代の恋を初々しく演じるとともに
若気の至りや誇らしげな態度、不安やおびえなども表現する。
第2幕は全曲に字幕付のこの動画で。
https://www.youtube.com/watch?v=JqUK1NyKYrE

5分過ぎにばらの騎士があらわれる。
8分台のゾフィーが献呈されたばらについて夢見心地に話す場面は
この世のものとも思えない美しさ。
声の弱音に生涯の憧れを載せてうたっているような。
そして、オーボエで奏でられる天国のこだまのようなゾフィーのテーマ。
グロッケンシュピール、ハープ、チェレスタなどが刻む不思議な音階のいろどり。

ふたりの間に恋心が芽生え
10分台から12分にかけて、このときを死ぬまで忘れないと。
Rシュトラウスはここぞとばかりに
転調、移調で歌い手の心も聴き手の魂も揺さぶる。
リヒャルト・シュトラウスは管弦楽の魔術師。
声はオーケストラと一体となって音楽をつくりあげる。
こうなると、ばらの騎士から一生抜け出せない。
だって、この音楽が響かなくなる頃は干からびているのだから。

音で聴く限り、カラヤン/フィルハーモニアの1956年録音が最良と思う。
(録音もいまの水準と比べてもひけをとらない)
芸達者なシュバルツコップに薫陶を受けたのか
シュティッヒ・ランドルのゾフィーと
ルートヴィッヒのオクタヴィアンの儀式の緊張が解けたあとの会話など
弾むような気持ちを伝えて止まない。
三重奏もいまだ持ってこれを越えるものを知らない。
オペラはつくりものの世界、というけれど
そのなかに感情を投影することは
論理一辺倒に活を与えて
豊かな感情の流れを内なる自分に開くことができ
一種のカタルシスを得るのではないか。

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聴いていると聴き手も同じように
高揚感や寂しさを感じることがある。
それこそリヒャルト・シュトラウスの魔法。
息すらできなくなる恋愛の不安と情熱、
そしていつかはつゆと消えゆく夕映えのようなためいき。
歌詞も音楽も理屈もわからなくていい。

誰だって、人を好きになったことはあるはず。
たとえ片思いでも、全身全霊で人を好きになって
彼女の成長を見守る場面があっただろう。
彼の愛に包まれていることに気付いて
身も世もない恋を経験しておとなになっていくことがあっただろう。
恋に卒業はなく、いつが来ても慣れることはないこの感情の晴れ舞台。
バレンタインに聴く「ばらの騎士」はメッセージを伝えてくれるのでは?



追記
コンサート形式で三重奏から最後までの演奏がある。
(コンサート形式だが元帥夫人は一度舞台から去って行く)
https://www.youtube.com/watch?v=EXi8U1twwrc
アバドとベルリンフィルによる。
評判のいいカルロス・クライバーよりこちらがいいように思える。
名人集団のベルリンフィルがこれほどあたたかい音色で
しかも包まれるような抱擁感で鳴るとは。
キャスリーン・バトルのゾフィーはかれんだが、少し違うような気がする。
(ゾフィーはもっと控えめに感情表現するのでは。もっと拙い感じというか、前に出すぎない初々しさとでも)
フォン・シュターデのオクタヴィアンはいい。所作や感情表現まで見とれてしまう。
フレミングの元帥夫人は落ち着いているが期待を裏切らない。
実演に接していたら目が眩むような感動だったのではと思う。


さらに追記

フレデリカ・フォン・シュターデがうたった作品として
カントルーブのオーヴェルニュの歌から「バイレロ」はいかが?
暑い夏に聴くと、フランスの高原地方の情緒が涼やかに立ちこめるはず。
https://www.youtube.com/watch?v=b_LUu45cHPc

ぼくがレコードでもっているのは、ダウラツの歌唱。
もっと素朴な感じがする。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=194&v=-iI8tMHrD_c

音楽って、一度に時代や世界を越えて駆け巡ることができる世界旅行、歴史旅行のようなものだね。


posted by 平井 吉信 at 22:44| Comment(0) | 音楽

2018年02月07日

南フランスを思い出すとき フォーレやドビューシー、ビゼーの楽曲 上野由恵さんのフルートが冬の日本をプロヴァンスの風そよぐ季節に変える


パリの散歩道 フランス・フルート名曲集 上野由恵/三浦友理枝

雪に閉ざされる日本から、
常夏の島々を思い浮かべても遠い。
むしろ、地中海沿岸の光にあふれたおだやかな地方、
例えば、南フランスのプロヴァンス地方や
スペインのカタルーニャが思い出される。
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南フランスといえば思い出すのは
フォーレやドビュッシーの音楽。
フォーレの組曲「ペレアスとメリザンド」ならこんな情景。
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 真夏の立体がしたためるけだるく重たい空気に、少しずつ諦念にも似たさわやかさが混じりはじめる頃、沈まないと思えた太陽に翳りが差した。黄昏海岸の目に映る景色のなかで何かがささやいている。ぼくは自転車を置いた。

 手をかざしてみると、ガードレール越しに海が橙色に散乱していた。
 目を閉じると波が見えてくる。沈黙の間をそれとなく波の音が満たしている。波頭がくずれながら横へ平行移動するのと、戻ろうとする波が縦の方向でぶつかりあう。その音のずれが、ほとんど海と陸の境目のない空気の厚みを感じさせているのだと気づいた。
 引きずられてこすれあう石ころ。波の声はやはりここまで届いている。はるばる太平洋から届いた旅の終点は幾重にも重なった砂の拍手。それは、突然ゆっくりと起き上がるような調子で声をあげるのだから。

 夏の午後が落ちる前に最後にぶつけてくるため息のような情熱に包まれていた。ななめの残照が頬のほてりをなぐさめてくれるようだった。
 長く引いた影をたどると、そこにひとりの女の子がいた。白い半袖のブラウスは分水嶺のように正確に光を分けて、直射するところは光を突き放してオレンジ色に染まっていた。

 ぼくは目をそらさなかった。
 女の子も目をそらさなかった。
 そんな状態が一秒間続いたあと、どちらからともなくうつむいた。
 ぼくは手を差し出した。ところが、汚れているのに気づいてあわてて引っ込めざるを得なかった。
 自転車のパンクはもう修理できている。ぼくは目線を上げて彼女を見た。やはり少し淋しそうな表情に思えた。
 けれど、それは間違いだった。小さくてふくよかな唇がわずかに動いて、
「ありがとう」
 そう言うと、きりっと結んでいた口元がゆるんで白い歯が並び、瞳はさらに大きく開かれて微笑の静止画をとってみせた。
 その笑顔に心の裏付けを必要としないのは、彼女が両親から情愛を持って授けられたにちがいない、均整のとれた容姿を持つ女の子だから。そのことを彼女自身、直観で感じていたのだろう。だから、なるべく目立つまいと表情を抑えているのかもしれなかった。

 彼女が手を振った。

 草の根の大地に立って空を見上げた。ため息のような情熱が溶暗していくと、背景は少しずつ照明を落とし、星がひとつ、ふたつ、にぶい光を空間に放ち、しだいに明るさを増していった。
 ぼくは自分がどれだけ無力かを知っている。だからこそ、すばらしいものに会えるだろう。
 トレモロで刻む弦の上をハーモニーがサーっと拡がって始まった夏、輝いていた。

「空と海」から引用


ペレアスとメリザンドでは有名な「シシリエンヌ」も良いが
ぼくは第1曲の「前奏曲」が好きだ。
この音楽を聴いていると自然に湧き出した泉のような文章である。

初夏の朝に窓を開けて
アンセルメ/スイスロマンド管のレコートでよく聞きこんだもの。
光と影が降り注ぐような音楽。
https://www.youtube.com/watch?v=dgRtrTnMr1M
(目を閉じて聴いてみて)

そして午後になれば、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。
こちらは夏の午後の幻のような
それでいてめくるめく情熱と官能の極みを
時間軸の高まりで描いた10分弱の音楽。
ドビュッシーは天才的な音楽の詩人だね。
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これもアンセルメ盤で聴いたもの。
いまならデュトワ/モントリオール響がいいだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=z1GAaSP8Ku4

ところが昨年秋、南フランスを彷彿させる楽曲を
フルートで演奏する日本人女性のアルバムが発売された。
パリの散歩道 -フランス・フルート名曲集
フルート奏者の上野由恵さん。ピアノ伴奏は三浦友理枝さん。
https://www.yoshieueno.com/

上野さんは高松市(志度)のご出身とか。
そしてたびたび行くサンポート界隈でコンサートをされたこともあるという。
今年その機会があればぜひ行ってみたいと思う。

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南フランスといえば、ぼくが大好きで欠かせない曲がもうひとつあった。
ビゼーの組曲「アルルの女」から上野さんの演奏を見てみて。
https://www.youtube.com/watch?v=mRK4nIbUuX0

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フルートはピアノなどと違って人間の肉声に近い音の出し方をする楽器である。
彼女の奏でる音色の音が詰まった密度感とそれと相反する浮遊感、
早いパッセージでの情熱的な粒立ち、
空気の震えは心の震えを伝え、
湿り気を帯びた珠を転がすようなレガートが
フランスの香る楽曲を典雅に奏でる。
人生がこんなふうに流れていけばいいと思える
我を忘れる数分のできごと。
彼女のたたずむ姿も美しい。
ぜひとも実演に接してご本人にもお会いしたいもの。

アルバムの選曲の良さも光る。
ドビュッシー、フォーレ、ラヴェル、ビゼー、サティー
まったく予備知識なしに聴いても耳が歓びそうな曲がずらりと並ぶ。
それでいて彼女の持つテクニカルなメソッドを十分に発揮する楽曲も含まれている。

CDの価格はやや高い。
しかしこの録音には関係者の思いが詰まっているように思われる。
オクタヴィアレコードは、田部京子のモーツァルトピアノ協奏曲K488
すばらしい録音を世に出してくれた。
演奏の良さともあいまって
この古典の楽曲の天使のような美しさを引き出してくれた。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/179215570.html

空間の響きの良さをあますことなく捉えた録音は
おそらく化粧を施すのではなく楽器そのものの響きを
響きの良い空間に放って空間ごと閉じ込めたような録音。
CDが売れないといわれる時代に、
(3,200円という価格設定でも収益が出るかどうかと思われるのだが)
このような企画と成果を残した人たちへのエールを込めて紹介している。
CDを聴いた人の部屋(心の空間)に、どれだけ豊かな時間が流れ出すことか。


上野由恵さん、これからも良い音楽を届けてください。
posted by 平井 吉信 at 22:33| Comment(0) | 音楽

2018年01月30日

ばらの騎士 爛熟したヨーロッパの宝石箱 そしていまを生きる人のために


ばらつながりでというわけではないけれど、
リヒャルト・シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」。

人によってはモーツァルト以来、最高のオペラと評する人も少なくない。
爛熟したヨーロッパの落日を前にしてまばゆい残光に包まれる感さえする。
舞台は18世紀近辺のウイーンとされる。

ぼくが好きなのは、プッチーニの「蝶々夫人」。
ただし蝶々さんが新居をめざして長崎の丘を登っている場面から
愛の初夜を迎える第一幕しか聴かない。
(「ある晴れた日に」のアリアは有名だけど、不幸な蝶々さんの哀しみはたとえ音楽といえども聴きたくない。幸福の絶頂のまま音楽も終わらせてあげたいと思うから)
夢のようなフレーニのピアニシモと
日本情緒をたたえた旋律の盛り付けが耳のごちそう。
五月の日曜の晴れた朝に、
窓を開けはなって風を感じつつ聴く幸福感は何物にも代えがたい。

といってもぼくはオペラ通ではない。
CDを持っているのは、モーツァルトの「魔笛」、「フィガロの結婚」、
プッチーニでは「蝶々夫人」のほかに「ラ・ボエーム」。
ヴェルディでは「椿姫」。
オペレッタではレハールの「メリー・ウイドウ」。
そして「ばらの騎士」ぐらい。

ときは中世のウイーン。
(筋書きは誰が説明しても同じだからウィキペディア(Wikipedia)でも)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%AE%E9%A8%8E%E5%A3%AB

始めてこの楽劇に接する人でも
この三重奏(第三幕)を聴いてみたら何かを感じるはず。
日本語の歌詞対訳がついている6分少々の場面。
https://www.youtube.com/watch?v=9Qzcnd0pLvg

戸惑いながらためらいながらも高まりを抑えきれない若いふたり。
シュワルツコップ演じる元帥夫人の気品と自らに言い聞かせるような独白。
そして若いふたりを導くように身を引いていく。
憧れと諦念と戸惑いが織りなす三重奏が夢のように展開される。

ゾフィーのテーマの木管を、
オーケストラが包み込むと夕映えのような至福のとき。
予備知識は要らない。ただ音楽に身を任せてみて。

これでもっと聴きたくなったら
第二幕全体(対訳付)へ。
https://www.youtube.com/watch?v=JqUK1NyKYrE

時間のない人は5分過ぎのばらの騎士オクタヴィアンの登場する場面、
銀のばらの献呈の場面へ。
(チェレスタとハーブが銀のばらを描いているとされる)

そして8分からこのオペラでもっとも美しい時間が宝石のようにあふれだす。
10代の若いふたりが惹かれあう。
そこに理性も筋書きもない。なるようにしてなっていく。
ばらの騎士(結婚の使者としてばらを持参した若者)が花嫁を
花嫁がばらの騎士を。
それは自然の摂理のようで、それは必然のようでもあり。

…もっと語りたいけどやめておく。
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人生はそんな場面にいつ遭遇するかわからない。
生きるって、どれだけ深く感動できるか。
生きることが輝いて見えるから。


追記
ぼくが持っているカラヤン/フィルハーモニアはAmazonで2万円近い価格設定の業者がいる。
輸入盤なら3枚組で1000円少々で買える(日本語対訳は付いていない)。
HMVで買うのが良い。
http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%80%81%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%EF%BC%881864-1949%EF%BC%89_000000000019384/item_%E3%80%8E%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%AE%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E3%80%8F%E5%85%A8%E6%9B%B2%E3%80%80%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%EF%BC%86%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%AE%A1%E3%80%81%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%97%E3%80%81%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%92%E3%80%81%E4%BB%96%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%95%EF%BC%96%E3%80%80%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%AA%EF%BC%89%EF%BC%88%EF%BC%93%EF%BC%A3%EF%BC%A4%EF%BC%89_3666118

http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%80%81%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%EF%BC%881864-1949%EF%BC%89_000000000019384/item_%E3%80%8E%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%AE%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E3%80%8F%E5%85%A8%E6%9B%B2%E3%80%80%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%EF%BC%86%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%AE%A1%E3%80%81%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%97%E3%80%81%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%92%E3%80%81%E4%BB%96%EF%BC%881956%E3%80%80%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%AA%EF%BC%89%EF%BC%883CD%EF%BC%89_8163750

Amazonでも見つかるが日本語入力ではここに辿り着かない(輸入盤なので日本語対訳は付いていない)


Amazonならカルロス・クライバー/ウイーンのDVDがおすすめ


さらに追記
入門用として良いCDがあった。
カラヤンとウィーンフィルによる1984年の新版
抜粋盤なので聞きどころを抜粋して1枚、千円台に納めている。
しかも日本語の対訳付。
おすすめしているのはカラヤンとフィルハーモニアの旧盤(1956年だが演奏が良く音もまったく問題なしで世評の高いもの)だけど
録音が新しいこちらも演奏と歌手は悪くない。




posted by 平井 吉信 at 23:12| Comment(0) | 音楽

2018年01月17日

土曜の夜は羽田に来るの/ハイファイセット、せつなくて/オフコース


赤い鳥というフォークグループが解散後に
紙ふうせんとハイファイセットの2つのグループが誕生。
(リアルタイムで赤い鳥を知っている訳ではないけれど)
紙ふうせんの話題に触れて
ハイファイセット/山本潤子に触れないわけにはいかない。

ぼくが持っているのはPasadena Park というアルバムだけ。
ハイファイセットのことも知りたいと思って1枚買ってみた。

まずはこの映像と音楽から。
https://www.youtube.com/watch?v=9rYvdzVQw1Q
♪土曜の夜は羽田に来るの
たったひとりで羽田へ来るの

初めて買った車がマリンブルーのワーゲンゴルフ(それも新車で)。
(さらにいうと現金で誰からの援助もなく。エアコンは高くて買うのが半年遅れたけれど)
この車で屋久島に出かけたり、
http://www.soratoumi.com/sakuhin/yakusima/
http://www.soratoumi.com/sakuhin/yakusima/index2.htm
あちこち出かけたけれど、
心で鳴らしていたのは「中央フリーウェイ」。
(四国に中央高速はないけれど(^^;)

ユーミンの楽曲を山本潤子がうたうと
心に引っ掛からない「音楽」になってしまうと感じることがある。
(同じことは、マンハッタン・トランスファーのシェリル・ベンティーンにもいえる。でも、その声に身を任すのは心地よいしずっと浸っていたいとも思う)

思うにユーミンは歌の情景を心に描いてうたっている。
けれど、語ろうとして語りきれないところが
かえって余韻として心に残る。
聴き手はユーミンの世界を自分に投影するけれど
歌い手からみればユーミンの曲は彼女の私小説。
誰がうたっても「お客様」になってしまう。
(とはいえ、最初にユーミンを聴いたときは、誰がほかの人が歌ってくれたら…とも思っていた)

「土曜の夜は羽田に来るの」は
楽曲の世界観を見事に描いている。
歌詞、旋律、アレンジが描く情景は
心のひだを映してやまない。
(この曲からひとつのドラマ/脚本が書けそう)
山本潤子の歌い方もこの曲そのものとしかいいようがない。
絶唱しないのに、
感情を排除してうたっているのに
引き込まれてしまう。
♪空から帰らないあなたと話すため
心配しないで 新しい愛も訪れるでしょう

この世にいない恋人に向けて呼びかける。
空にもっとも近づけると信じた羽田で
「心配しないで」と話しかける女性の耳元に
天国からの伝言がこだまする。
♪♪♪♪
(ほら、天国の彼がアレンジを借りて応えている)
せつない…
美しすぎてどうにかなってしまいそうなほど。

CDをさらに聞きこんでいくと
新たな地平線が見えてきた。
(この素のままの声の良さはタイムドメインのスピーカー、それも帯域を付加しないで単独で鳴らすとき、がもっとも伝えられるかもしれない)
「冷たい雨」の楽曲との一体感、
「ファッショナブル・ラバー」「メモランダム」のキュートな変幻自在、
「幸せになるため」の悠久に思いをはせ(まるで現代の幸福感を先取りしたような)、
「少しだけまわりみち」の軽やかな輪舞曲、
「中央フリーウェイ」はユーミンと異なる価値を提示、
「遠くからみちびいて」「海辺の避暑地」で内面を見つめる。
(何度か聴いていると1枚をスキップすることなく聴き通してしまう)

フレージング、リズムを職人的に仕上げて
日本語の発声がやわらかく自然で
ノンビブラートでうたう声の質感の高さ。
(安心して浸れる。21世紀の歌い手は技術面でもこの時代に及ばないと確信している)
受け取る人がそれぞれの世界を広げられるように
うたわれているのではと。
(いま、40代が聞ける上質のポップスってある?)

音楽の世界に浸ることは
向き合って追体験することで浄化されるということだよね。
音楽がぽっかりと空けた深淵に聴き手の思いを重ねるように。




(場面変わって)
好きな女の子と
窓の外の雪を見るともなく見ていた。
「雪が降っているね」という言葉しか見つからなかった冬休み。
(・・・・・・)
切ないといえば、
オフコースの「WE ARE」がそのときの心に響いていた。

このアルバム、最初に聴いたとき音の良さに驚いた。
こんなにドラムが抜けて弾むのか、
ハイアットやキーボードが空間を凛と響かせて。
良質の機材で感性のあるエンジニアが録音、トラックダウンしたのだろう。
音楽としてもオフコースの頂点になったのではないか。

ファンはどう思うか知らないが、
オフコースの楽曲も歌い方も感傷的に過ぎる反面、
なよっとしながら辛口の歌詞や抽象的な世界観に違和感を覚える人もいるだろう。
(ぼくも全面的に受け容れてはいない)
それはそれでいい。

でも、このアルバムの楽曲は
せつないうたを紡いで最後の余韻に浸ってしまう。
(特にB面の最後4曲)試聴先→ http://amzn.to/2mBKGLu

音楽を聴いて感傷に浸ることもいい。
ぼくにとって、あの雪の日を思い起こせる唯一の音楽だから。

音楽の力は過去完了ではなく
現在進行形として人の感情が息づいていることを教えてくれる。

posted by 平井 吉信 at 00:37| Comment(0) | 音楽

2017年12月28日

紙ふうせん「冬が来る前に〜なつかしい未来〜」の世界観に心がこだまする


この冬に出会った心にしみ入る音楽(CD)をご紹介。
紙ふうせんは1977年の「冬が来る前に」のヒットで知られる。
このアルバムは2014年発売のもの。
新曲も2曲入っている。

紙ふうせんは伝承歌と呼ばれる各地で歌い継がれる口伝のうたを採取して
それを音楽に昇華させている。

このアルバムでも「大江の子守唄」「紙すき唄」と続く一連の楽曲がそう。
日々の暮らしの素朴な感情をうたにするしかなかった人たちの
魂を音楽に乗せて、さらにそこに紙ふうせんのふたりが魂を入れる。

好きなのは、「大江の子守唄」。
この抱きしめたくなる、なつかしい世界観。
夜更けに聴いていると、あたたかい感情がこみ上げてきて、
生きていることがもっと好きになる。
DSFT6229-1.jpg

「紙すき唄」では紙すきの家に生まれた娘が
「昼は暇ない 夜おいでよ」と謡う。
テレビもインターネットもなく働くだけの日々。
過酷な労働でただひとつの慰みであり楽しみが男女の営み。
千年前の万葉の東歌の時代から変わっていない。
しもやけの指先と冷え切った身体をあたためてくれる。
そこにあるのは「行為」だけ。
つかみどころのない幸福がぽっと灯をともす。

音楽としてあくまで美しい。
でも、そこに漂う情感の深さは稲妻に打たれた感じさえする。
このアルバムではライブ音源の「竹田の子守唄」が収録されている。
二人の生活感のある声が心を震わして身体に微振動が走る。
(誰かを好きになるあの切なさにも似ている)

それはCDを再生し終わったあとでも
それから数時間経っても身体の中を木霊しているかのよう。

人それぞれ感動する対象や感性は違うけれど
紙ふうせんがこのアルバムで提示する世界は深いよね。
(↓視聴可能)
冬が来る前に〜なつかしい未来〜

それに…夫婦としてこんな生き方は理想でしょう。
(ライブでの竹田の子守唄の息の合わせ方は男女がひとつに溶け合っている奇跡のような瞬間)
YouTubeで若い頃の音源を見ると、
夫が妻に熱愛光線を発しているようにも見える(時分の花)。

DSXE7023-1.jpg

「冬が来る前に」(当時)
https://www.youtube.com/watch?v=jWEPaCjbZG4
https://www.youtube.com/watch?v=UgmccGdoi8A

そして二人ともそんな光線を発して70歳を迎えたように思える。
「翼をください」
https://www.youtube.com/watch?v=Ay1PBV4IHaA
(こんなのを見せられると、もっとやることがあるねと勇気づけられるでしょ)

「竹田の子守唄」
https://www.youtube.com/watch?v=Ha1wvQYgkmc
栄光の残骸のような歌手が多いなかで
いまだから歌える「真実の花」(風姿花伝の言葉)が咲いている。

最後に2曲の新曲で締めくくられる。
白い花たちは 親から貰った命
♪ピンクの花たちは 支えてくれた人
一人だけでは 咲かせられない
人生の花束♪


DSCF0447-1.jpg
人生の花束は、紙ふうせんのお二人からの伝言。
一人だけでは咲かせられない人生の花束…。
押し寄せてはリフレインする。

posted by 平井 吉信 at 23:18| Comment(0) | 音楽