2019年07月06日

80年代の自由な風から生まれた音楽たち(二名敦子)、好きな音楽を蘇らせるために一人ひとりが政治にまっすぐ向かい合いたい


オアフ島から吹いてくる風のような「LOCO ISLAND」というアルバム。
歌っているのは二名敦子
(ウィキペディアでは「になあつこ」となっているけど「にいなあつこ」では?)
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70年代から80年代はシスコンブームもあって音楽業界は活況、
80年代に入ってアナログからデジタル(CD)の過渡期で両方が併売されていた。

高度経済成長期からさらに日本製品が世界を席巻して経済神話が確立された頃、
世界の企業ベスト10(時価総額)に日本の会社が7つ入っていた(平成元年)。
ぼくもなけなしのお金を証券会社の商品で運用しながら
ノーリスクで7%程度の運用をしていた。
(100万円預ければ1年後に107万円!。複利で利息がつく郵便局の定額貯金に10年置いておけば元金が倍近くになった。そしてあの頃の金相場は1,000円台の前半だったのでぼくにも手が出た。いまでは相場が5千円台になっている)

若者は自分の車を改造して乗り回した。
排ガス規制の余波が終わって
車がステータスとか生き方を表現するようになった頃の話。

マツダは赤のファミリアの全盛期、
町じゅうで3ドアXGを見かけた(当時からマツダのスタイリングは人気だった)。
一世を風靡したスカイライン、ケンとメリーの。
駆動方式はFFが増えていたがスターレットなどの大衆車にもFRが残っていた。
改造車両の定番であったレビン/トレノ、
友人たちも座席を後ろに下げて乗っていたプレリュードやシルビア(ナンパ車)。
トヨタから出たソアラを憧れの目で見ていた人も多いだろう。
日産のサニーベースのワゴン「カリフォルニア」は木目をドアにあしらう楽しいデザイン。
アルシオーネの失敗で出遅れていたスバルもレガシィの発売で挽回を図る。
先日、なつかしいツーリングワゴンを見かけて胸がときめいた。
身近で尊敬できる人が乗っていた車種と色だったから。

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いすずの117クーペ、ピアッツァ、ジェミニの流麗なスタイルはなんだろう(ときめくね)。
その頃のぼくは(いまもそうだが)
時流を追わず質実剛健のマリンブルーのVWゴルフに乗って
屋久島から中日本あたりを車中で寝ながら走っていた。
その後ワーゲンを卒業したぼくはスバリストとなって
WRCブルーのインプレッサに乗っていたが
それは21世紀になってからのこと。
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まちも人々も自信にあふれていたように思う。
(もう一度若い頃を過ごすとしたらインターネットやスマートフォンがなくても80年代を選びたい)

音楽業界の活況は十分な予算で楽曲の制作や録音も行われたに違いない。
80年代のアイドル、松田聖子や菊地桃子、斉藤由貴などのアルバムは
楽曲も編曲も演奏も職業音楽家の総力を結集して、
しかも肩の力を抜いてつくられたからいま聴いても高揚感がある。
そんななかで1枚だけ挙げるとしたら、
松田聖子の20歳の録音、パイナップル(1984年)。
いまの大御所たち(名前は挙げるのは憚られるが)も
才能が枯渇しない(おっと)70年代後半から80年代がもっとも輝いていた。

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20世紀の終わりもあと2か月を切った頃、
発売された1枚のシングルにぼくは釘付けとなった。
飾らない声、胸を締め付ける等身大の詩の世界観、
素人には歌えないような不思議なコード進行、
さりげない、なのに何度もリフレインされるメッセージ。
この水準の楽曲ってその後の20年=2019年になっても出ていないよね。
それは、aikoの「カブトムシ」。

80年代はサウンド志向で
アイドルすら意欲的な実験が行われた時代だけど、
二名敦子は特に強い個性があるわけでない。
でも、風を受けて海を走るときにいつもカセットでかけていた。
70年代のようなメッセージ性は時代が求めたもの。
(それもよかった。優劣ではなく時代が求めるものが違っていただけ)
80年代は自分の場を心地よくしてくれる役割に変化して
リズムやグルーブ、編曲に力を入れたサウンド志向になっていった。
これは日本だけでなく外国もそうだったと思う。
(TOTOの4枚目などは特にそうだった)
また、クリストファー・クロスなどのAORもその流れで出てきたと思う。
日本ではシティ・ポップスとして数え切れないアーティストが存在したのもこの頃。

二名敦子ではロコアイランドが特にお気に入り。
冒頭のリズムとミュージシャンのかけ声からセッションの雰囲気が伝わってくる。
だいたいでいいよ、などと言っているようにも思えるが
演奏が始まるとプロの仕事はさすが。
全編を横溢するオアフ島の空気感は例えようがない。
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当時のサーファーはセシリオ&カポノやカラパナをワゴンで流していた。
杉山清貴のコナ・ウィンドを聴くたび自由な空気を感じていた。
村田和人も良かったが、
ハニー&ビーボーイズ の「バック・トゥ・フリスコ」は再発売されないかな?

二名敦子のロコアイランドはアナログで持っていたけれど、
「him」は持っていなかった。
CDはビクターから80年代に出ていて中古で入手できるが、
タワーレコードのオリジナル企画で2014年にリマスター再発売されている。
オンラインでは入手困難だが、
タワーレコードの渋谷店に在庫として置いてあることがわかって半月前に入手してきたところ。
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(手持ちのリチャード・グードのベートーヴェン・ピアノソナタ全集もタワレコ独自の企画)
(リリー・クラウスのモーツァルトピアノソナタ全集もタワレコ企画で出ているが、これは60年代のステレオ録音なのでご注意。というのも演奏、録音とも名手アンドレ・シャルランが関わって50年代に録音したモノ音源の全集がいい)

二名敦子の「him」には
「ムーンライト・ママ」や「オレンジ・バスケット」などの人気曲もあるけど、
(オレンジも夢を見るのですよ)
バラードの名作といいたい「夜も泣いていた」がある。
そしてぼくが二名敦子のなかでもっとも好きな「Sunset Cruising」が収録されている。

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夏を求め遠くまで来たね 二人だけで楽しむ休暇
黄昏せまるよ サンセット サンセット クルージング…


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彼女と遠くの海へとドライブに出てみる晩夏。
彼女は手作りのサンドイッチをバスケットに入れている。
(おにぎりでもいいけど)
二人の乗った車は岬へとまっすぐ伸びる道を巡航している。
はしゃいだ会話のあと、潮騒を背景に音楽を聴いている、
という状況かも。

タワーレコードさん、「ウィンディ・アイランド」も再プレスをお願いします。
https://tower.jp/item/3279828/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%EF%BD%A5%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%EF%BC%9C%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E9%99%90%E5%AE%9A%EF%BC%9E

なんと同アルバムからの3曲がライブ音源で
二名敦子 & 芳野藤丸SPECIAL BAND FM LIVE
https://www.youtube.com/watch?v=X7v_Zp99ExM



ここで政治の話題をどうしても

いまの時代に豊潤な音楽が生まれないのは音楽業界の不振だけでないような気がする。
かつての荒井由実や山下達郎が現れても人々は耳を傾けるだろうか?
(ぼくにはそうは思えない)
おそらく時代がそんな空気を発していない、
人々は自由な生き方を謳歌できていない。
それが2019年の日本。
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そんななかでまっすぐのメッセージをぶつけてくる人がいる。
(政党にまったく期待していないぼくでも何かを感じた)
わずか1〜2分程度の映像。先入観なく見て欲しい。
(熱い気持ちがなければ生きていてもつまらない)

https://www.youtube.com/watch?v=6UoAP5BweIQ
https://www.youtube.com/watch?v=AU5TIn2na3E

時間のある人はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=E51ysj1dB4k

政治団体のなかで経済政策の本質を訴えているのは
山本太郎さんだけではないだろうか。
(自民党よりも自民党らしい王道の政策という感じ)
消費税を上げて軽減税率とか商品券のばらまきとか矛盾していますよ。
(ほんとうにやるべきことという意味で。この20年の経済政策は間違っていますよ)
市民運動のみなさん、環境保全とか文化を守ろうとか、原発反対、
SDGsなどときれいごとを言っても響かないですよ。
憲法改正やっている場合か?
アメリカや東アジアの政治家に付き合っている場合か?
(特に隣国の指導者が…でも外交はもっと慎重に)

老後は2千万円の貯金ではまったく足りない。
(自助努力による方策はこちらのブログで綴っていきます→ おだやかな経営
(↑自分が人生を愉しみながら自分のペースで生きて足りない年金を埋める方策を書いています)

人々は追い詰められている。
まず安心して生きていけること(衣食足りて礼節を知る)。
いまの日本でもっとも取り組むべきは経済対策と思う。
そこがすべての根源。ただし間違った方向に行かないこと。
ここで気付いて踏みとどまらないと。
国は滅んでも国民は元気で生きて欲しい。
そんな究極の選択が求められていることに気付いて欲しい。

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こんな時代だからあきらめることなく
まっすぐに生きていきたい。



posted by 平井 吉信 at 22:21| Comment(0) | 音楽

2019年05月04日

EACH TIMEのカセットが! 大滝詠一に浸る連休を過ごしています


桜を眺めていたのがついこの間までで
季節はいつのまにか初夏へと。

連休中はやりたいことがたくさんあって
時間がいくらあっても足りない、
というかやりたいことが次々と出てきて
夜寝るのが先延ばし、朝起きるのが楽しみという日々。

もっとも連休が多いと収入は減少するけれど
それよりもやれることが多いことがうれしい。

→ パラレルワールド(異なる結末の記事)に行く

何をしているかといえば
・潮風に浸りに海へ行く
・地球の鼓動が感じられる場所でゆったりと過ごす
・新緑の山へ行く
・小さな山野草に心を通わせる
・自宅でいる間は料理をすべてつくる
・普段できない清掃をする
・紙の本を数冊、Kindleを数冊購入(8冊のうち半分は読んだ)
・ナイアガラ(大滝詠一三昧。運転でも自室でも風呂での鼻歌でも)
・ベートーヴェンの田園をさまざまな指揮者で聴く(いまの季節にぴったり。ここ数日よく聴いたのはワルター/ウィーンフィルのオーパス蔵による復刻版。音質もさることながら当時のウィーンフィルの想像を絶するみずみずしさと指揮者の個性が一体となっている。戦前の録音なのに音だけ聴けば誰もそうは思わないだろう)
・入浴時の呼吸(簡単な瞑想)
・仕事(したいとき、インスピレーションが湧いてしたいときに)
・このブログを書く

すべてに共通項があるとしたら
どれも「愉しい」ということ。
10連休でも20連休でも飽きることはないけど
みんなが同時に休むことはありえないので
(この休日が負荷の高い生活や仕事になっている方々も多い)
今回だけにして欲しいというのが大多数の人の声だと思う。
(休みたいときにそれぞれが休めるのがほんとうの姿ではないかと思うけど、個人的な利点があるとしたら仕事の電話がかかってこないので遊びに集中できることぐらい)

大滝詠一について再び書いてみようと思う。
A LONG VACATIONEACH TIMEは日本のポップスの金字塔。
それ以前のナイアガラレーベルは一部の愛好家向きという感じはするけれど
この2枚(長い人生でたった2枚!)のすばらしさは言葉に尽くせない。
初出時はそれぞれ1981年と1984年。
A LONG VACATIONは初回プレスのアナログを持っているのは以前に書いたとおり

この2枚、ひとことでいえば
完成度の高い(そして唯一無二の)A LONG VACATION
音楽に浸ってときを忘れるEACH TIMEと思っている。

前者は、「君は天然色」の衝撃に始まり
どこもかしこも松本隆、大滝詠一の描く音の情景のさわやかさ。
(さわやか、とは誰もが良いと思うような音世界の美しさ、わかりやすさを表している)
それでいて奥に秘められた職人芸の深さという聴き手の場面に合わせて
深度を変える音楽の懐の奥行きがある。

後者は松本隆の世界観が極まった感がある感傷的な詩の世界に
A LONG VACATIONを上回る職人芸で音楽を閉じ込めている。
何度聴いても色あせることがない。
けれど、発売される度にアレンジ、曲順、収録曲、リミックスが変わっていく。
(この点については大滝さん、考えすぎでは? 初出の構成が最善ではと思う)

ところがなぜか手元にあるのはコンプリートEACH TIMEのアナログ盤。
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初出オリジナルを持っていない。
ところがアルバムの最後を飾る「レイクサイドストーリー」は
初出のエンディングが以後のアルバムでは変更されているというのだ。
(ファンの間では「大エンディング」と呼称されている)

待てよ、EACH TIMEのオリジナル、どこかで見たことある―。
そう思って記憶をたどるようにカセットを探したらすぐに見つかった。
オリジナルEACH TIME(見本盤)。
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再生はどうするって?
いまは良質のカセットプレーヤーが入手できない。
いえいえ、これを持っています。
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ソニーがカセットデンスケ(TC-D5M )とともに世界に誇る名機「ウォークマンプロ」(WM-D6C)。
(テレビは液晶ではなくていまだにブラウン管のトリニトロン15インチプロフィールプロを使っている。程度は極上。19インチプロフィールも健在、VHS再生も当時のソニーの名機が2台完動で待機中)

海外の民族音楽レーベル「ノンサッチ」で
名手ディヴィッド・ファンショーが現地録音で用いた機材が
これでないかと推察している。
(ぼくの好きな「南太平洋の島々の音楽」など)。
虫の声やせせらぎをワンポイントステレオマイクで録音するのに使っていた。
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(さすがにナグラは持っていかないだろう。アンペックスやスチューダー? どうやって密林を歩いて運ぶの?熱帯の高温多湿な場所、電力確保が容易でない場所ならデンスケやウォークマンプロなどのカセットタイプがずっとハンドリングがいい。もしかして音質も負けていないのでは? それにしてもテープによる録音機って夢があるよね)
(コンポに組み込むデッキでは意外にトリオKX-880がよかった。定番のソニーTC-K333ESは長年使い込んだけど)

ヘッドもピンチローラーも極上のまま、
端子も錆びていない。
久しぶりにクリーニングを行う。
ACアダプターは紛失しているので(この時代のソニーの極性はいまと違う)
単三電池を4つ、新品を投入。
まずはカセットを装着して早送りでテープ面に風を送る。
シュルシュルと静かにキャプスタンが廻る、上々。
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そしてステレオのイヤフォンをミニジャックに挿す。
再生でのドルビーはオフにする。
そして耳に流れた。
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アナログのカセットってこんなにいい音だったのだ。
おそらく当時のCDよりもスペック(仕様)では負けていても
人間の聴く音楽としてはこちらが優っている。
エコー感を伴いながら高域が粒立ち、低域が有機的に弾みながら
声が浮かび上がる。
(これは30thリマスターの方向性でもある)

そして「レイクスサイドストーリー」の大エンディング、
聞き慣れたフェードアウトではなく
余韻を残して完結する。
まるで人生をかけて音楽と向き合った人たちの
最終章(コーダ)のよう。
涙がこぼれそうだ。

やはりEACH TIMEは初出(作り手のインスピレーションの高揚があった)がいい。

これをデジタルアーカイブしておきたいけれど
手持ちのPCや機材ではできそうにないな、と思いつつ。
(USBオーディオの変換装置が必要なんだろうね。いまは入手できない貴重な音源のカセットがたくさんある。購入後30年以上を経ているウォークマンプロフェッショナルが健在なうちに)

追記1
なぜ、業界の人みたいに手元に見本盤(非売品)があるかって?
それは秘密。

追記2
もし、EACH TIME 30thリマスターをやり直せるのなら
ぼくならこうしたい。

1.魔法の瞳
2.夏のペーパーバック
3.木の葉のスケッチ
4.恋のナックルボール
5.銀色のジェット
6.1969年のドラッグレース
7.ガラス壜の中の船
8.ペパーミント・ブルー
9.レイクサイド ストーリー(初出の大エンディング)
〔ボーナストラック〕
・フィヨルドの少女
・バチュラーガール



令和が始まって部屋でも車でも仕事中も浸りっぱなし。
大滝詠一の音楽は幸福感に包まれるね。
タグ:大滝詠一
posted by 平井 吉信 at 13:13| Comment(0) | 音楽

2019年04月27日

平成最後のプレゼント 大滝詠一「NIAGARA CONCERT '83」(初回限定盤) 

80年代のカーステレオから流れる音楽は
「A LONG VACATION」
初めて聴いたとき、1曲目の「君は天然色」はどこかで聞いたような
往年のポップスの名曲のようなつかしくきらめきを感じた。
(ほら、27AH1234の初回プレスですよ)

1曲目の掴みでA面をトレースすると
B面は「雨のウェンズデイ」「スピーチバルーン」という切ないバラード。
そして固唾を呑んで待ちわびる名曲「恋するカレン」。
(マリンブルーのVWゴルフで南の海を運転していたよ)
(このパターンはイーチタイムのB面も踏襲しているね)

期待を背負ってプレッシャーを感じていたのかもしれないけれど
1984年の「EACH TIME」もよかった。

大滝さんは完全主義者なのかCDの番号が変わるたびに
曲順、曲目、リミックスが変更される。
そのため、ファンはその都度買い足していくことになる。
発売後20年、30年を経過して
それぞれ20th、30thのリマスターが発売された。
初めて買うなら30thリマスターで。
(良質のオーディオ装置では20thよりも30thが伸びやかでダイナミックレンジが広く位相の乱れも少ないように感じる。それに2枚目に純カラオケが付いていて音の組み立てが手に取るように見える)




「EACH TIME」では、
「魔法の瞳」(初発売時)が1曲目にないと始まった気がしない。
「夏のペーパーバック」は名曲だけど
聴き手の上昇した体温を受け止めてクールダウンする位置に置いて欲しかった。
この場所じゃないと楽曲みずからが語っているような気がする。
1984年の初発売時では以下の順番。

A面
魔法の瞳
夏のペーパーバック
木の葉のスケッチ
恋のナックルボール
銀色のジェット

B面
1969年のドラッグレース
ガラス壜の中の船
ペパーミント・ブルー
レイクサイド ストーリー
(楽曲の並びも音楽の流れも自然で結晶化しているように思う)

それにしても松本隆の作詞がなければこの世界観はつくれなかったと思う。
切なさ、甘酸っぱさは完結感のないコード進行で。
(同じメロディーをメジャー6、メジャー7でなぞると翳りやまどろみが顔を出す。D→Dmaj7 →Dmaj6→ D。うつむいたり上を向いたりしながら会話を続けるような時間軸の揺らぎを感じさせる。キーは違うけどベッツイ&クリスの「白い色は恋人の色」もこのパターンじゃなかったけ?)

人の感情を風景や情感の動きに投影(比喩、代弁)させる松本節。
特にイーチタイムでは内省的な歌詞が散りばめられている。
「冬の色の風に吹かれた落ち葉たちが通りを走っていく…」(木の葉のスケッチ)
「羽撃くのを止めれば墜ちること青空舞う鳥さえ識っているさ…」(銀色のジェット)
(音だけではわからない漢字の当て方もそうだけど)
この翳りがたまらない。

声もそう。
(カラオケで歌うと聞き映えがしないのは技術的に難しいから)
2枚のアルバムの楽曲は
大滝詠一以外が歌うと借り物のようになってしまうのは
世界観のチューニングが絶妙なんだろうと思う。
分厚く波のように押し寄せるソフトな声が楽曲の情景を描く。
声の圧力で空気を押し出す感覚で歌わないと
軽めのリゾートソングになってしまうんだろうと思う。
キーも重要。特定の調性は固有のイメージを持っている。
(開放的で漂う感じはEとかD、Aだよね)
大滝さんの歌いやすいキーがたまたま南を示しているんだね。

大滝さんは、数年前に突発的な事故(病気?)で亡くなられた。
それ以後、新たな音源の発売はないだろうと思っていたら
2019年3月21日にライブが出た!
1983年の西武球場でのコンサートである。
(ロングバケーションから「イーチタイム」発売までの黄金の隙間である)


NIAGARA CONCERT '83(初回生産限定盤)

「夢で逢えたら」から「カナリア諸島にて」までの最初の5曲は
新日本フィルによるオーケストラ演奏でいわば「ナイアガラソングブック」のライブ仕様。

大滝詠一の歌は6曲目の「オリーブの午后」で始まる。
ライブならではのバックの適度な音の隙間。
大滝さんも緊張気味のようにも思われるが
レイドバック感がかえって心地よい。
薬師丸ひろ子に提供した楽曲、森進一に提供した楽曲と続いて
聴き手の体温があたたまったところで
「恋するカレン」のイントロ、そして鼻歌のようなヴォーカル。
(風呂に入るとカレンを歌いたくなる♪)
波に漂う感覚に包まれる。
最後は「君は天然色」に浸れる。
それだけでも満足。

ところでマニアックな話をひとつ。
「君は天然色」ひとつとってもこれだけの解析がなされているということ。
http://soundsconf.jugem.jp/?eid=688
http://soundsconf.jugem.jp/?eid=689
http://soundsconf.jugem.jp/?eid=690

初めて聴いたときに3連符の刻みがバックと声で交互にあるところが新鮮だった。
(この曲、カラオケで歌うには手強いよ。リズムを追うのではなく正確なリズムを持ったうえでグルーブしていく感覚が必要。三連符の刻みはアクセントを強めに)
同じメロディにシックスやセブンスの和音を出し入れして繰り返しの単調さを避けていること、
歌詞の気分と一体となって次の展開を先取るコード進行など
プロの技と思った。
理屈はわからなくてもみんなそう感じていたのではないか。
そして明るい曲想にもかかわらず
作詞家の個人的な思いが込められた哀しい曲かもしれないのである。

こんなこと知らなくても
耳に心地よかったり
変化を感じて歌うときはリズムを変えていたりと。
でも、作り手の思いは感じていたい。

聴いている間も聴き終わったあとも
幸福感に包まれた。
限定版仕様では2枚目がオールディズの楽曲(ライブ)になっていて
これがまた愉しい。

久しぶりにアルコールが飲みたくなって
ゆこうとチーズのビスコッティをあてに貯蔵している宮城峡12年を飲んだ。
(ナイアガラだからニッカなら余市ではなく宮城峡、スコッチならバランタイン12年などがいいよね。ハイボールならバランタイン12年かな)
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溝の劣化のない盤を保存しているので
ソニーにあるアナログマスターが劣化したら
メーカーに貸し出しますよ。
(ロングバケーショ、コンプリート・イーチタイムも初回プレス)
でも、この2枚を聴いていると
3枚目は出せなかっただろうな、出す必要がなかったなとも感じた。
人生のそのときでないと刻めない時間がある。
大滝さんが奇跡のような2枚を遺してくれたのだ。


追記
「君は天然色」を初めて聴いたときの違和感を思い出した。
覚えやすくていいメロディーなんだけど単調な感じ。
それが全音下げたサビ(想い出はモノクローム…♪でE→Dとなったらしい)だったのかと。
冒頭メロディ(くちびるつんととがらせて…)と同じだから単調な印象を受ける。
その直前(今より眩しい…の最後の音がそのまま滑り込むので自然な感じはある。レガートでそのままつないでもあり得るような)
ところがイントロ(E)がサビを先取りしているので(同じコード進行なので)
サビはそこへ行くものと耳が期待していたのだ。
なるほど…。
オケ録りの後だったので苦肉の策で下げたらしい。
サビだけを下げた原因は歌いにくさだったよう。
(何らかのエフェクト=ピッチ下げをかけた)

ぼくが聴く限り、ピッチ下げのタイミングが3回ともすべて違うように聞こえる。
(サビに入ってからピッチダウンするのが2回目、3回目は一小節前、初回は一拍前? いずれにしてもピッチダウンの弊害で音が籠もるのは同じ。いつかオリジナルの全音下げをしない歌を聴いてみたい。山下達郎さんがやってくれないかな)
そんなことも含めてA LONG VACATIONは愛おしいし
大滝さん亡きあとも人々の胸に生き続けるんだろうな。
posted by 平井 吉信 at 23:27| Comment(0) | 音楽

2019年03月10日

朴葵姫さんからタレガ・ギターカルテット(朴葵姫、松田弦、徳永真一郎、岡本拓也)へ

前頁から続く
親父がクラシックギターを何本か持っていて
ヤマハのCA-400プリメインとベルトドライブのプレーヤーにシュアーをつけて
同じくヤマハの20センチ2ウェイスピーカーで
アコースティックギターの楽曲を聴いていたのがきっかけで
当時の流行歌には目もくれず
中学になる頃にはヴィラ=ロボス、ソル、スカルラッティ、スペインの数々の楽曲などを聴いていた。
(あの頃のヤマハのオーディオは質が高かった)
日常会話には手工ギターの銘柄が出てきた。
ヘルマン・ハウザーの表板がどうした、ホセ・ラミレスの高音がどうした、
サントス・エルナンデス、イグナシオ・フレタの伝達性は、ヤマハGCの弦長は…
など固有名詞が飛び交っていた(うちにあったわけではないけれど)。
ドイツスプルースや米杉の単板と組み合わせる裏板、側板などに
いまでは稀少なハカランダやローズウッドなどの南洋材が使われていた。

朴葵姫さんがカルテットを組む(タレガ・ギターカルテット)のメンバーの一人、
徳永真一郎さんは徳島市の出身。
彼のお父さんとのご縁がきっかけで当時小学生の真一郎さんも連れて
今切川に船を浮かべて川底の泥を採取したことがあった。
幼少の頃からギターに触れる機会があったこともあるけど
今日の真一郎さんの活躍はうれしい。


なお、真一郎さんは徳島のギター製作家 井内耕二さんの手工ギターを使用されている。
井内さんのギターの音色がわかる動画がある。
https://www.youtube.com/watch?v=4qNnBnMbhV4

次に仕事でもご縁のある四万十市の公式チャンネルの動画をご紹介。
タレガ・カルテットの一員、松田弦さん(高知県のご出身。お名前に「弦」がある)の演奏で
四万十川を上空から紹介する動画を掲載している。
(外国人に向けての発信はわかるけど日本語の注釈をタイトルに入れておかないと日本人や日本通に検索されませんよ、市役所さん)
https://www.youtube.com/watch?v=CuWk7gFOIMw



アコースティックギターには音量という壁と
弾き手の技巧の披露から
尖った弾き方をしてしまいがちだけど、
聴き手の立場でいうと、ソロ楽器として長く聴いていられない。
超絶技巧をどう使うかをカルテットの演奏家たちはそれぞれに答えを見つけようとされているよう。
若いギタリストの豊かな音世界がギターの可能性を広げていくと信じている。

posted by 平井 吉信 at 11:52| Comment(0) | 音楽

2019年03月03日

5月の薫風を思って「田園」を聴く

小学校の音楽室にはピアノが置かれていた。
壁には楽聖たちの肖像画があり、いまでも脳裏に思い浮かぶ。
音楽の授業では音楽鑑賞の時間があった。小学校の高学年の頃である。
先生がその日かけたレコードはベートーヴェンの「田園」だった。

クラシックの音楽鑑賞は楽曲への理解を助けるために
言葉による解説という先入観を子どもに与える。
田園は各楽章に標題がついていてわかりやすい。
ぼくは標題というより音楽そのもの、
特に第一楽章の出だしに惹かれてしまったのだ。
音楽が心にすっと入ってきた感じ。
(岡本太郎の太陽の塔を見たときも同じだった)
レコードを最初に買うのなら田園にする、と決めた。
その後、パイオニアのラジカセを買ってもらって
FMで流れるというのでフジのカセットに録音して聴いた。

.。'.*.'☆、。・*:'★    .。.・'☆、。・*:'★
  .。'*・☆、。・*:'★     .。・*:'☆
 ☆、。 ・*'★ .。 ・':....*.:'☆        .。・:'*・':'・★

(ときは流れて)
おとなになっても好きな曲は変わらない。
ベートーヴェンは生涯の友となり
読むのに数ヶ月を要するセイヤー著「ベートーヴェンの生涯」(上/下)を読み
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001277679-00
(徳島県内の図書館には置かれていない。派手なパフォーマンスの影で文化予算は激減していると聞く。良質の本に触れる地道な文化振興こそ大切。予算は政治家のアピールのためにあるのではない)
総譜を集めては自分で書き込みを行い
ベートーヴェンのレコードやCDを集めた。
なかでも田園は月に1回は聴いているような気がする。

疲れたときふと部屋に籠もって聴きたくなる。
きょうはベーム/ウィーンフィルの1977年の日本公演(ライブ)を取り出した。

打ち水を踏みしめるように静けさのなかから始まる歩み。
しかしすぐに弾むような音楽の逍遥。
田園という曲に音符で描かれたカッコウや雷鳴は誰が聞いてもわかる。
雷鳴が近づいて炸裂して遠ざかっていく轟きの余韻など
自然のなかに身を置いているかのような現実感。
(楽器の音で音楽であってそれなのに写実的)
嵐のあと雲の切れ目から地上に降りてくる日射しのような終楽章の導入。

楷書か草書かでいうと楷書で描かれている。
それでも第2楽章の楽器をリレーするかのごとく
息の長いフレージングは楷書一辺倒ではないベーム(ベートーヴェン)の歌。
標題音楽というより純音楽の響きであり
ソナタ形式のドラマというよりは音を積み重ねて悠久を紡いでいくよう。
個々の楽器が浮き立っては溶け込んでいく耳のごちそう。

ベートーヴェンは古典の枠組みで標題音楽を作曲しているけれど
形式に則るのが目的ではなく手段に過ぎない。
だから後生の人間が自分たちの尺度や味方を持ちこんで
楽曲を再創造できる。
ベートーヴェンは音楽の遺産ではなくいまも生きている。
演奏はそのときどきの最良の楽器や手法でやればいい。

ベームのNHKライブはほかの田園とまるで違う。
もしコンピュータに田園の演奏を分析させれば
テンポや音量、速度など音符との対比を抽出したとして
この盤が傑出しているとは判別できないだろう。
例えば同じウィーンフィルを演奏しているアバドは
同じように楽譜のように進んでいくけれど
上等なムード音楽のようにも響く。
それなのに音楽が寄り添ってこない。

ベームのNHKライブでは
アバドよりも角が立っていて立体感があるのに
音楽は絶叫しない。
絶叫しないのに大地に根っこを貼った存在感がある。
存在感があるのに霧の向こうから響いてきたり
夢のなかから滲みだしてきた音楽のようにも感じる。
絹や木綿でていねいに紡がれた田園であり
木訥でのどかな田園であり
心を弾ませながら魂を鎮める田園でもあり。

このライブCDを聴くと
実演で聴いた人は一生に一度と思える音楽の体験になっただろうと思う。
CDに残された録音は響きの少ないNHKホールで各楽器はよく聞き取れる。
これを教会の一室などで再生したらさぞいいだろうと思うけれど
やれる人は電気的に残響感を加えてみたら夢のような体験が待っているだろう。

田園が輝く5月を思いながらきょうもベートーヴェンに浸る。


スタジオ録音で聴きたい人はドイツグラモフォンの輸入盤で

posted by 平井 吉信 at 22:11| Comment(0) | 音楽

2018年11月07日

Wink デビュー30周年 愛の喜びが切ないためいきと感謝にあふれて


彼女たちが現役でやっていた頃は聴いていなかった。
それでも相田翔子がテレビ番組の司会をやっていたのを見た記憶があって
アイドルをやっていた頃よりも存在感があると思った。

そのWinkも1988年にデビューして30年が経過するという。
偶然目に止まったYouTubeでの「淋しい熱帯魚」の映像に魅了された。
元の楽曲は1989年だけど
この映像はこの場だけの復活のようだ。
当時より20年後のこの2008年の歌い方がいい。
https://www.youtube.com/watch?v=px-aPbn_scA

それは歌っているふたりが楽曲を愛しみ歌うことを心から楽しんでいるように見えるから。
何度か視線を合わせてほほえみを浮かべる場面が記録されている。
一つひとつの所作に艶がありそれが自然に流れていって微笑みに溶けていく。
アイドルをやっていた頃は過密スケジュールと
次々と押し寄せるタスクにつぶされそうになっていたかもしれない。
それがどうだろう、
「あの人はいま」(現在の生出演)でがっかりを見せられることが多いなかで
むしろ美貌が増しているというか
年齢を重ねてなお可憐、妖艶さが加わって
何をうたっても聴いていたいと思える。

年齢とともに輝きを増す人を尊敬する気持ちが人一倍強い。
年を重ねるのが悪いのではなく年齢を重ねることを甘受して
劣化を気にしなくなるのは生き方が輝いていない、
きっと人生を愉しんでいない。
だからあえていう。
人間、年を取るようではダメ。
生きるって年を取ってはいけない。
(これは終生変わらない信念)

カイリー・ミノーグのカバー曲「愛が止まらない」の当時の映像では
緊張感に裏打ちされたひたむきさ、初々しさが印象的だ。
(左右非対称の振り付けやコスチュームもwinkらしい)
https://www.youtube.com/watch?v=ZItcRV_K268

同じ楽曲だが、初めて1位になったときの心の動きが刻まれている。
(二人にしかわからないことがあるのだろう。生々しいけれど美しくもある)
https://www.youtube.com/watch?v=MMGnK89B8Ak

そうだ、この際Winkを聴いてみようと
CDを買ってみることにした。
2013年の25周年に発売された2枚組だが二人が選曲している
(シングルコレクションよりもこのほうがいいだろう)
https://amzn.to/2F7mQn5

アルバム中では「あなたがドアを開ける夜」が好きだ。
愛の喜びが切ないためいきと感謝にあふれて
楽曲全体がソフトフォーカスのヴェールを帯びる。
その洗練された情感がたまらない(女性の愛らしさが極まった感じ)。

さらにヒット曲のシングル盤(17センチアナログ)まで今年発売されたという。
https://www.hmv.co.jp/artist_Wink_000000000012796/item_%E6%B7%8B%E3%81%97%E3%81%84%E7%86%B1%E5%B8%AF%E9%AD%9A-%E3%80%90%E5%AE%8C%E5%85%A8%E9%99%90%E5%AE%9A%E7%9B%A4%E3%80%91%EF%BC%887%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%EF%BC%89_8587901

久しぶりに聴くと楽曲の品質感が高いし
それに答えるアーティストの力量がある。
当時のWinkのひたむきさもいいが(それも共感できる)
いまのWinkがコンサートをしたら、見に行きたいと思う。

タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 01:27| Comment(0) | 音楽

2018年09月15日

小松玲子さんによるサヌカイトとマリンバによるコンサート 小松島市ミリカホール


小松島市ミリカホールに小松玲子さんが来るという。
ときは2018年9月29日(土)14時〜

それなのにこの時間にキャンセルできない用事が入ってしまった。
なんという巡り合わせの悪さ。

小松玲子さんがサヌカイトの奏でる音楽として次の2コマのYouTubeを見てみては?
秘かな水瓶
https://www.youtube.com/watch?v=6m7DOrW8OEw

LOVE LETTER
https://www.youtube.com/watch?v=wM_s1obu49w


超高域や倍音が入り交じる現場でないと味わえない音があるはず。
小松玲子さんの演奏する姿も凛として美しい。

このコンサートは、(公財)よんでん文化振興財団の助成で
1,000円(一般)に設定されるという。
https://www.city.komatsushima.tokushima.jp/docs/472156.html

この音色、楽曲に惹かれた人は行かなければ後悔しますよ。
タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 19:05| Comment(0) | 音楽

2018年04月07日

ゆうべ遅くに聞いたフォーレ


ゆうべ夜更けに聞いたフォーレのピアノ五重奏曲ニ短調を思い出している。
ピアノの煌めくアルペジオが低弦の幽愁を呼び覚ます冒頭から
フォーレの世界が淡々と繰り広げられる。
(フランクのヴァイオリンソナタの醸し出す雰囲気と似ていながらも、どこか遠くを見ているような視線)
ただそこに浸っていればいい。
(ぼくが持っているのはエリック・ル・サージュのピアノとエベーヌ四重奏団
試聴先はMP3音源で(CDではないので間違って購入されませんよう)

フォーレの初期の作品「組曲 ペレアスとメリザンド」は宝石のような作品。
なかでも前奏曲が好き。
ひたひたと押し寄せる地中海の光と陰の明滅とでもいいたげに。
そして、シシリエンヌの軽やかな舞曲は光の園の中心に運んでくれる。
(LPで持っているのは、アンセルメ/スイスロマンド管、CDではデュトワ/モントリオール響
デュトワのシシリエンヌがYouTubeにあった。
https://www.youtube.com/watch?v=yoDlcNwvTZM

フルート奏者にとってはたまらない出番。
以前に紹介した上野由恵さんのアルバムにもこの曲は収録されている。
(オーケストラではなくピアノ伴奏なのだけど)
http://soratoumi2.sblo.jp/article/182354637.html

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フォーレの良さは、音楽が人の感情をまとって明滅するようなやわらかな音つむぎ。
長調とか短調とかを超越して、それでいて無調にも陥らず
禅や瞑想のように覚醒しつつおだやかな心境を写す鏡のよう。
フォーレとて、日本の春を想って作曲したわけではないけれど
かすみたなびく日出る国の風情を西洋の音階でタペストリーにしてみました、
と二十世紀初頭のフランスの作曲家を代弁してみる。


タグ:フォーレ 2018
posted by 平井 吉信 at 14:39| Comment(0) | 音楽

2018年02月14日

バレンタイン企画 チョコを渡す人がいなくてもチョコをもらう相手がいなくても ばらの騎士があれば。たった5分で味わうR. シュトラウス「ばらの騎士」の愉しみかた


オペラ通でもないぼくが解説するのは冒険だけど
もし6分ほど付き合ってみようと思われるのなら、
YouTubeのリンク先をご覧になってみては?
https://www.youtube.com/watch?v=9Qzcnd0pLvg

このリンク先が実によくできている。
ボランティア団体のようだけど
法律を遵守して音楽に対訳をつけていただいている。

リヒャルト・シュトラウスは大昔の作曲家ではなく
第二次大戦後に没した人である。
ドイツ後期ロマン派のめくるめく音彩を描いてやまない。
オーケストレーション(オーケストラへの編曲)に関しては
プロの作曲家のなかでも名人芸の域に達している。
(ぼくはベートーヴェンの不器用なオーケストレーションが好きなのだけど)

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ばらの騎士 三重奏での登場人物は以下の3人。
陸軍元帥夫人マリ・テレーズ:エリーザベト・シュヴァルツコップ
ばらの騎士オクタヴィアン:クリスタ・ルートヴィヒ
花嫁ゾフィー:テレサ・シュティッヒ=ランダル

カラヤンとフィルハーモニア管弦楽団による1956年の録音から
第三幕の終わりのほうの一部に出てくる三重奏だけを取り上げた動画。
(といっても登場人物はなく字幕だけ)

この動画では、ドイツ語と日本語の歌詞と対訳が出てくるので
発音を追いかけつつ意味もわかる。
さらに、字幕の出し方が絶妙である。
第3幕の有名な三重奏が終わりに近づいて
「神の御名において」と元帥夫人がうたい終わると
(実演ではここから元帥夫人は退場するのだが)
元帥夫人を演じるエリザベート・シュワルツコップの名前が浮かび上がる。
続いて、ばらの騎士オクタヴィアンを演じたクリスタ・ルードヴィヒ
そしてゾフィーのテーマがオーボエで奏でられると
ゾフィーを演じたシュティヒ・ランダルの名前。

そして管弦楽の響きに包み込まれると
指揮者カラヤンの名が流れ、没後20年を記念と紹介される。
さらに作者のリヒャルト・シュトラウスの生誕150年に当たると表示される。
オーケストラがエコーのように回想するなか、この録音のプロデューサーの名が流れる。
https://www.youtube.com/watch?v=9Qzcnd0pLvg

対訳集の本もあるが、哀しいかな平面上にまざりあう歌詞を表現することができない。
ところが動画で字幕を動かしていくと
三重奏の複雑なからみが見えてくる。
左にゾフィー、右にオクタヴィアン、
真ん中下から元帥夫人の台詞が流れるという至れり尽くせり。

ここでこの歌劇の見どころを少しだけ。
この楽劇(作者は歌劇とは呼んでいない)は、
18世紀のウィーンを舞台にしている。
設定は以下で。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%AE%E9%A8%8E%E5%A3%AB

先にも述べたようにオペラを好きでないという人は
大柄なアングロサクソンの男女(ネアンデルタール人のDNAを持っているからだろう)が
歌詞が聴き取れない発声法でヒステリックな大音量を上げるのが我慢ならないからだろう。
ぼくも苦手である。
(プッチーニの蝶々夫人などはそのような歌唱は出てこない)
モーツァルトの頃の時代設定ということもあって
ばらの騎士もそのような歌唱は求められていない。

劇の設定を個人的な見解でひもといてみよう。
元帥夫人は30歳前後であるが、身分の高い夫を持つ。
おそらくは政略結婚で、年下のオクタヴィアン(17歳)を愛人にしている。
このふたりがベッドでむつみ合う場面から幕が上がる。
(それを不貞と責めるとこの劇は成り立たない)

若いオクタヴィアンも元帥夫人に夢中であり
序曲は突き抜けようとする彼を包み込む夫人の包容力の愛を描く。

17歳のオクタヴィアンを演じるのはソプラノもしくはメゾソプラノ、
つまり女性歌手が男装して演じる。
劇中では元帥夫人の部屋にいることを見つかりそうになって
女装する場面がある(女性が男装して役作りを行うが劇中では女性に変装して本来の性でうたうという凝ったつくり)。


第三幕の三重奏の場面は居酒屋。
ここで上記の3人が遭遇する。
三重奏は三角関係の悲恋と恋愛が絡む。
つまり恋の勝者と敗者がいる。
ただし配役上は男1人、女2人であっても
演じるのは女性3人(つまりひとりはズボン役=男役)。

かつて英語と日本語の歌詞まで暗記してしまった
ミュージカル「Les Miserables」の三重奏を思い出す。
コゼットとマリウス、それを見守るだけのエポニーヌ。
滝田栄のジャン・バルジャンや島田歌穂のエポニーヌを見るため
梅田コマ劇場まで何度も通ったっけ。

ばらの騎士の元帥夫人は、2人が恋に落ちていることを見抜き
ゾフィーもオクタヴィアンと夫人が愛人関係であることを感づいてしまう。
元帥夫人は自分が身を引くことでオクタヴィアンの幸福を願うという
気品ある態度と心の葛藤を演じなければならない。
この楽劇の事実上の主人公であり、
リリックソプラノにとっての生涯の集大成となるような名誉な役である。

ここでは名歌手シュワルツコップが心の機微を演じきる。
表現することが愉しくてたまらない、そのために生きてきたといわんばかりの
絶唱をコントロールしつつ、涙を気品で隠した歌唱。
舞台姿を想像しつつ聴いてみよう。

ふたりの愛人関係に気付いたゾフィーは
その場から立ち去ろうとするが
オクタヴィアンが引き留めようとする。
ゾフィーも不安と憧れが入り交じる
若さが崩れ落ちそうになりながら
支えを求めている。
第2幕のばらの騎士を迎える「銀のばらの贈呈」の場面で.
夢のような歌唱を見せたシュティッヒ=ランダルが
思いが天に突き抜ける歌唱を見せる。
そこに戸惑いや不安を散りばめて。
ぼくはこの声を聴いて10代の娘に感じられた。
(うますぎない、絶叫しない、コケットリーであって乙女チックな)

もっとも感動的な第3幕の三重奏に対して
もっとも美しいのは第2幕の銀のばらの贈呈の場面である。
第2幕では、親類に当たるオックス男爵の婚約の使いとして
銀のばらを届ける「ばらの騎士」が登場する。
(このとき、花嫁ゾフィーを見初める。ゾフィーも修道院を出たばかり。つまり同年代の若い二人の一目惚れ)
オクタヴィアンは、第3幕では好色のオックス男爵をゾフィーから引き離すため
一計を案じて女装して誘惑する場面も演じるなど、全3幕を通じて出番が続く難役である。


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ゾフィーは貴族生活に憧れる少女。
まだ見ぬ男爵が醜男であることは知らないで
婚約の使いで訪れたばらの騎士にめぐりあってしまった。
(第二幕)
10代の恋を初々しく演じるとともに
若気の至りや誇らしげな態度、不安やおびえなども表現する。
第2幕は全曲に字幕付のこの動画で。
https://www.youtube.com/watch?v=JqUK1NyKYrE

5分過ぎにばらの騎士があらわれる。
8分台のゾフィーが献呈されたばらについて夢見心地に話す場面は
この世のものとも思えない美しさ。
声の弱音に生涯の憧れを載せてうたっているような。
そして、オーボエで奏でられる天国のこだまのようなゾフィーのテーマ。
グロッケンシュピール、ハープ、チェレスタなどが刻む不思議な音階のいろどり。

ふたりの間に恋心が芽生え
10分台から12分にかけて、このときを死ぬまで忘れないと。
Rシュトラウスはここぞとばかりに
転調、移調で歌い手の心も聴き手の魂も揺さぶる。
リヒャルト・シュトラウスは管弦楽の魔術師。
声はオーケストラと一体となって音楽をつくりあげる。
こうなると、ばらの騎士から一生抜け出せない。
だって、この音楽が響かなくなる頃は干からびているのだから。

音で聴く限り、カラヤン/フィルハーモニアの1956年録音が最良と思う。
(録音もいまの水準と比べてもひけをとらない)
芸達者なシュバルツコップに薫陶を受けたのか
シュティッヒ・ランドルのゾフィーと
ルートヴィッヒのオクタヴィアンの儀式の緊張が解けたあとの会話など
弾むような気持ちを伝えて止まない。
三重奏もいまだ持ってこれを越えるものを知らない。
オペラはつくりものの世界、というけれど
そのなかに感情を投影することは
論理一辺倒に活を与えて
豊かな感情の流れを内なる自分に開くことができ
一種のカタルシスを得るのではないか。

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聴いていると聴き手も同じように
高揚感や寂しさを感じることがある。
それこそリヒャルト・シュトラウスの魔法。
息すらできなくなる恋愛の不安と情熱、
そしていつかはつゆと消えゆく夕映えのようなためいき。
歌詞も音楽も理屈もわからなくていい。

誰だって、人を好きになったことはあるはず。
たとえ片思いでも、全身全霊で人を好きになって
彼女の成長を見守る場面があっただろう。
彼の愛に包まれていることに気付いて
身も世もない恋を経験しておとなになっていくことがあっただろう。
恋に卒業はなく、いつが来ても慣れることはないこの感情の晴れ舞台。
バレンタインに聴く「ばらの騎士」はメッセージを伝えてくれるのでは?



追記
コンサート形式で三重奏から最後までの演奏がある。
(コンサート形式だが元帥夫人は一度舞台から去って行く)
https://www.youtube.com/watch?v=EXi8U1twwrc
アバドとベルリンフィルによる。
評判のいいカルロス・クライバーよりこちらがいいように思える。
名人集団のベルリンフィルがこれほどあたたかい音色で
しかも包まれるような抱擁感で鳴るとは。
キャスリーン・バトルのゾフィーはかれんだが、少し違うような気がする。
(ゾフィーはもっと控えめに感情表現するのでは。もっと拙い感じというか、前に出すぎない初々しさとでも)
フォン・シュターデのオクタヴィアンはいい。所作や感情表現まで見とれてしまう。
フレミングの元帥夫人は落ち着いているが期待を裏切らない。
実演に接していたら目が眩むような感動だったのではと思う。


さらに追記

フレデリカ・フォン・シュターデがうたった作品として
カントルーブのオーヴェルニュの歌から「バイレロ」はいかが?
暑い夏に聴くと、フランスの高原地方の情緒が涼やかに立ちこめるはず。
https://www.youtube.com/watch?v=b_LUu45cHPc

ぼくがレコードでもっているのは、ダウラツの歌唱。
もっと素朴な感じがする。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=194&v=-iI8tMHrD_c

音楽って、一度に時代や世界を越えて駆け巡ることができる世界旅行、歴史旅行のようなものだね。


タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 22:44| Comment(0) | 音楽

2018年02月07日

南フランスを思い出すとき フォーレやドビューシー、ビゼーの楽曲 上野由恵さんのフルートが冬の日本をプロヴァンスの風そよぐ季節に変える


パリの散歩道 フランス・フルート名曲集 上野由恵/三浦友理枝

雪に閉ざされる日本から、
常夏の島々を思い浮かべても遠い。
むしろ、地中海沿岸の光にあふれたおだやかな地方、
例えば、南フランスのプロヴァンス地方や
スペインのカタルーニャが思い出される。
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南フランスといえば思い出すのは
フォーレやドビュッシーの音楽。
フォーレの組曲「ペレアスとメリザンド」ならこんな情景。
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 真夏の立体がしたためるけだるく重たい空気に、少しずつ諦念にも似たさわやかさが混じりはじめる頃、沈まないと思えた太陽に翳りが差した。黄昏海岸の目に映る景色のなかで何かがささやいている。ぼくは自転車を置いた。

 手をかざしてみると、ガードレール越しに海が橙色に散乱していた。
 目を閉じると波が見えてくる。沈黙の間をそれとなく波の音が満たしている。波頭がくずれながら横へ平行移動するのと、戻ろうとする波が縦の方向でぶつかりあう。その音のずれが、ほとんど海と陸の境目のない空気の厚みを感じさせているのだと気づいた。
 引きずられてこすれあう石ころ。波の声はやはりここまで届いている。はるばる太平洋から届いた旅の終点は幾重にも重なった砂の拍手。それは、突然ゆっくりと起き上がるような調子で声をあげるのだから。

 夏の午後が落ちる前に最後にぶつけてくるため息のような情熱に包まれていた。ななめの残照が頬のほてりをなぐさめてくれるようだった。
 長く引いた影をたどると、そこにひとりの女の子がいた。白い半袖のブラウスは分水嶺のように正確に光を分けて、直射するところは光を突き放してオレンジ色に染まっていた。

 ぼくは目をそらさなかった。
 女の子も目をそらさなかった。
 そんな状態が一秒間続いたあと、どちらからともなくうつむいた。
 ぼくは手を差し出した。ところが、汚れているのに気づいてあわてて引っ込めざるを得なかった。
 自転車のパンクはもう修理できている。ぼくは目線を上げて彼女を見た。やはり少し淋しそうな表情に思えた。
 けれど、それは間違いだった。小さくてふくよかな唇がわずかに動いて、
「ありがとう」
 そう言うと、きりっと結んでいた口元がゆるんで白い歯が並び、瞳はさらに大きく開かれて微笑の静止画をとってみせた。
 その笑顔に心の裏付けを必要としないのは、彼女が両親から情愛を持って授けられたにちがいない、均整のとれた容姿を持つ女の子だから。そのことを彼女自身、直観で感じていたのだろう。だから、なるべく目立つまいと表情を抑えているのかもしれなかった。

 彼女が手を振った。

 草の根の大地に立って空を見上げた。ため息のような情熱が溶暗していくと、背景は少しずつ照明を落とし、星がひとつ、ふたつ、にぶい光を空間に放ち、しだいに明るさを増していった。
 ぼくは自分がどれだけ無力かを知っている。だからこそ、すばらしいものに会えるだろう。
 トレモロで刻む弦の上をハーモニーがサーっと拡がって始まった夏、輝いていた。

「空と海」から引用


ペレアスとメリザンドでは有名な「シシリエンヌ」も良いが
ぼくは第1曲の「前奏曲」が好きだ。
この音楽を聴いていると自然に湧き出した泉のような文章である。

初夏の朝に窓を開けて
アンセルメ/スイスロマンド管のレコートでよく聞きこんだもの。
光と影が降り注ぐような音楽。
https://www.youtube.com/watch?v=dgRtrTnMr1M
(目を閉じて聴いてみて)

そして午後になれば、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。
こちらは夏の午後の幻のような
それでいてめくるめく情熱と官能の極みを
時間軸の高まりで描いた10分弱の音楽。
ドビュッシーは天才的な音楽の詩人だね。
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これもアンセルメ盤で聴いたもの。
いまならデュトワ/モントリオール響がいいだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=z1GAaSP8Ku4

ところが昨年秋、南フランスを彷彿させる楽曲を
フルートで演奏する日本人女性のアルバムが発売された。
パリの散歩道 -フランス・フルート名曲集
フルート奏者の上野由恵さん。ピアノ伴奏は三浦友理枝さん。
https://www.yoshieueno.com/

上野さんは高松市(志度)のご出身とか。
そしてたびたび行くサンポート界隈でコンサートをされたこともあるという。
今年その機会があればぜひ行ってみたいと思う。

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南フランスといえば、ぼくが大好きで欠かせない曲がもうひとつあった。
ビゼーの組曲「アルルの女」から上野さんの演奏を見てみて。

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フルートはピアノなどと違って人間の肉声に近い音の出し方をする楽器である。
彼女の奏でる音色の音が詰まった密度感とそれと相反する浮遊感、
早いパッセージでの情熱的な粒立ち、
空気の震えは心の震えを伝え、
湿り気を帯びた珠を転がすようなレガートが
フランスの香る楽曲を典雅に奏でる。
人生がこんなふうに流れていけばいいと思える
我を忘れる数分のできごと。
彼女のたたずむ姿も美しい。
ぜひとも実演に接してご本人にもお会いしたいもの。

アルバムの選曲の良さも光る。
ドビュッシー、フォーレ、ラヴェル、ビゼー、サティー
まったく予備知識なしに聴いても耳が歓びそうな曲がずらりと並ぶ。
それでいて彼女の持つテクニカルなメソッドを十分に発揮する楽曲も含まれている。

CDの価格はやや高い。
しかしこの録音には関係者の思いが詰まっているように思われる。
オクタヴィアレコードは、田部京子のモーツァルトピアノ協奏曲K488
すばらしい録音を世に出してくれた。
演奏の良さともあいまって
この古典の楽曲の天使のような美しさを引き出してくれた。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/179215570.html

空間の響きの良さをあますことなく捉えた録音は
おそらく化粧を施すのではなく楽器そのものの響きを
響きの良い空間に放って空間ごと閉じ込めたような録音。
CDが売れないといわれる時代に、
(3,200円という価格設定でも収益が出るかどうかと思われるのだが)
このような企画と成果を残した人たちへのエールを込めて紹介している。
CDを聴いた人の部屋(心の空間)に、どれだけ豊かな時間が流れ出すことか。


上野由恵さん、これからも良い音楽を届けてください。
posted by 平井 吉信 at 22:33| Comment(0) | 音楽

2018年01月30日

ばらの騎士 爛熟したヨーロッパの宝石箱 そしていまを生きる人のために


ばらつながりでというわけではないけれど、
リヒャルト・シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」。

人によってはモーツァルト以来、最高のオペラと評する人も少なくない。
爛熟したヨーロッパの落日を前にしてまばゆい残光に包まれる感さえする。
舞台は18世紀近辺のウイーンとされる。

ぼくが好きなのは、プッチーニの「蝶々夫人」。
ただし蝶々さんが新居をめざして長崎の丘を登っている場面から
愛の初夜を迎える第一幕しか聴かない。
(「ある晴れた日に」のアリアは有名だけど、不幸な蝶々さんの哀しみはたとえ音楽といえども聴きたくない。幸福の絶頂のまま音楽も終わらせてあげたいと思うから)
夢のようなフレーニのピアニシモと
日本情緒をたたえた旋律の盛り付けが耳のごちそう。
五月の日曜の晴れた朝に、
窓を開けはなって風を感じつつ聴く幸福感は何物にも代えがたい。

といってもぼくはオペラ通ではない。
CDを持っているのは、モーツァルトの「魔笛」、「フィガロの結婚」、
プッチーニでは「蝶々夫人」のほかに「ラ・ボエーム」。
ヴェルディでは「椿姫」。
オペレッタではレハールの「メリー・ウイドウ」。
そして「ばらの騎士」ぐらい。

ときは中世のウイーン。
(筋書きは誰が説明しても同じだからウィキペディア(Wikipedia)でも)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%AE%E9%A8%8E%E5%A3%AB

始めてこの楽劇に接する人でも
この三重奏(第三幕)を聴いてみたら何かを感じるはず。
日本語の歌詞対訳がついている6分少々の場面。
https://www.youtube.com/watch?v=9Qzcnd0pLvg

戸惑いながらためらいながらも高まりを抑えきれない若いふたり。
シュワルツコップ演じる元帥夫人の気品と自らに言い聞かせるような独白。
そして若いふたりを導くように身を引いていく。
憧れと諦念と戸惑いが織りなす三重奏が夢のように展開される。

ゾフィーのテーマの木管を、
オーケストラが包み込むと夕映えのような至福のとき。
予備知識は要らない。ただ音楽に身を任せてみて。

これでもっと聴きたくなったら
第二幕全体(対訳付)へ。
https://www.youtube.com/watch?v=JqUK1NyKYrE

時間のない人は5分過ぎのばらの騎士オクタヴィアンの登場する場面、
銀のばらの献呈の場面へ。
(チェレスタとハーブが銀のばらを描いているとされる)

そして8分からこのオペラでもっとも美しい時間が宝石のようにあふれだす。
10代の若いふたりが惹かれあう。
そこに理性も筋書きもない。なるようにしてなっていく。
ばらの騎士(結婚の使者としてばらを持参した若者)が花嫁を
花嫁がばらの騎士を。
それは自然の摂理のようで、それは必然のようでもあり。

…もっと語りたいけどやめておく。
DSFT7856-1_Fotor.jpg

人生はそんな場面にいつ遭遇するかわからない。
生きるって、どれだけ深く感動できるか。
生きることが輝いて見えるから。


追記
ぼくが持っているカラヤン/フィルハーモニアはAmazonで2万円近い価格設定の業者がいる。
輸入盤なら3枚組で1000円少々で買える(日本語対訳は付いていない)。
HMVで買うのが良い。
http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%80%81%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%EF%BC%881864-1949%EF%BC%89_000000000019384/item_%E3%80%8E%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%AE%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E3%80%8F%E5%85%A8%E6%9B%B2%E3%80%80%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%EF%BC%86%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%AE%A1%E3%80%81%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%97%E3%80%81%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%92%E3%80%81%E4%BB%96%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%95%EF%BC%96%E3%80%80%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%AA%EF%BC%89%EF%BC%88%EF%BC%93%EF%BC%A3%EF%BC%A4%EF%BC%89_3666118

http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%80%81%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%EF%BC%881864-1949%EF%BC%89_000000000019384/item_%E3%80%8E%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%AE%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E3%80%8F%E5%85%A8%E6%9B%B2%E3%80%80%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%EF%BC%86%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%AE%A1%E3%80%81%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%97%E3%80%81%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%92%E3%80%81%E4%BB%96%EF%BC%881956%E3%80%80%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%AA%EF%BC%89%EF%BC%883CD%EF%BC%89_8163750

Amazonでも見つかるが日本語入力ではここに辿り着かない(輸入盤なので日本語対訳は付いていない)


Amazonならカルロス・クライバー/ウイーンのDVDがおすすめ


さらに追記
入門用として良いCDがあった。
カラヤンとウィーンフィルによる1984年の新版
抜粋盤なので聞きどころを抜粋して1枚、千円台に納めている。
しかも日本語の対訳付。
おすすめしているのはカラヤンとフィルハーモニアの旧盤(1956年だが演奏が良く音もまったく問題なしで世評の高いもの)だけど
録音が新しいこちらも演奏と歌手は悪くない。




タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 23:12| Comment(0) | 音楽

2018年01月17日

土曜の夜は羽田に来るの/ハイファイセット、せつなくて/オフコース


赤い鳥というフォークグループが解散後に
紙ふうせんとハイファイセットの2つのグループが誕生。
(リアルタイムで赤い鳥を知っている訳ではないけれど)
紙ふうせんの話題に触れて
ハイファイセット/山本潤子に触れないわけにはいかない。

ぼくが持っているのはPasadena Park というアルバムだけ。
ハイファイセットのことも知りたいと思って1枚買ってみた。

まずはこの映像と音楽から。
https://www.youtube.com/watch?v=9rYvdzVQw1Q
♪土曜の夜は羽田に来るの
たったひとりで羽田へ来るの

初めて買った車がマリンブルーのワーゲンゴルフ(それも新車で)。
(さらにいうと現金で誰からの援助もなく。エアコンは高くて買うのが半年遅れたけれど)
この車で屋久島に出かけたり、
http://www.soratoumi.com/sakuhin/yakusima/
http://www.soratoumi.com/sakuhin/yakusima/index2.htm
あちこち出かけたけれど、
心で鳴らしていたのは「中央フリーウェイ」。
(四国に中央高速はないけれど(^^;)

ユーミンの楽曲を山本潤子がうたうと
心に引っ掛からない「音楽」になってしまうと感じることがある。
(同じことは、マンハッタン・トランスファーのシェリル・ベンティーンにもいえる。でも、その声に身を任すのは心地よいしずっと浸っていたいとも思う)

思うにユーミンは歌の情景を心に描いてうたっている。
けれど、語ろうとして語りきれないところが
かえって余韻として心に残る。
聴き手はユーミンの世界を自分に投影するけれど
歌い手からみればユーミンの曲は彼女の私小説。
誰がうたっても「お客様」になってしまう。
(とはいえ、最初にユーミンを聴いたときは、誰がほかの人が歌ってくれたら…とも思っていた)

「土曜の夜は羽田に来るの」は
楽曲の世界観を見事に描いている。
歌詞、旋律、アレンジが描く情景は
心のひだを映してやまない。
(この曲からひとつのドラマ/脚本が書けそう)
山本潤子の歌い方もこの曲そのものとしかいいようがない。
絶唱しないのに、
感情を排除してうたっているのに
引き込まれてしまう。
♪空から帰らないあなたと話すため
心配しないで 新しい愛も訪れるでしょう

この世にいない恋人に向けて呼びかける。
空にもっとも近づけると信じた羽田で
「心配しないで」と話しかける女性の耳元に
天国からの伝言がこだまする。
♪♪♪♪
(ほら、天国の彼がアレンジを借りて応えている)
せつない…
美しすぎてどうにかなってしまいそうなほど。

CDをさらに聞きこんでいくと
新たな地平線が見えてきた。
(この素のままの声の良さはタイムドメインのスピーカー、それも帯域を付加しないで単独で鳴らすとき、がもっとも伝えられるかもしれない)
「冷たい雨」の楽曲との一体感、
「ファッショナブル・ラバー」「メモランダム」のキュートな変幻自在、
「幸せになるため」の悠久に思いをはせ(まるで現代の幸福感を先取りしたような)、
「少しだけまわりみち」の軽やかな輪舞曲、
「中央フリーウェイ」はユーミンと異なる価値を提示、
「遠くからみちびいて」「海辺の避暑地」で内面を見つめる。
(何度か聴いていると1枚をスキップすることなく聴き通してしまう)

フレージング、リズムを職人的に仕上げて
日本語の発声がやわらかく自然で
ノンビブラートでうたう声の質感の高さ。
(安心して浸れる。21世紀の歌い手は技術面でもこの時代に及ばないと確信している)
受け取る人がそれぞれの世界を広げられるように
うたわれているのではと。
(いま、40代が聞ける上質のポップスってある?)

音楽の世界に浸ることは
向き合って追体験することで浄化されるということだよね。
音楽がぽっかりと空けた深淵に聴き手の思いを重ねるように。




(場面変わって)
好きな女の子と
窓の外の雪を見るともなく見ていた。
「雪が降っているね」という言葉しか見つからなかった冬休み。
(・・・・・・)
切ないといえば、
オフコースの「WE ARE」がそのときの心に響いていた。

このアルバム、最初に聴いたとき音の良さに驚いた。
こんなにドラムが抜けて弾むのか、
ハイアットやキーボードが空間を凛と響かせて。
良質の機材で感性のあるエンジニアが録音、トラックダウンしたのだろう。
音楽としてもオフコースの頂点になったのではないか。

ファンはどう思うか知らないが、
オフコースの楽曲も歌い方も感傷的に過ぎる反面、
なよっとしながら辛口の歌詞や抽象的な世界観に違和感を覚える人もいるだろう。
(ぼくも全面的に受け容れてはいない)
それはそれでいい。

でも、このアルバムの楽曲は
せつないうたを紡いで最後の余韻に浸ってしまう。
(特にB面の最後4曲)試聴先→ http://amzn.to/2mBKGLu

音楽を聴いて感傷に浸ることもいい。
ぼくにとって、あの雪の日を思い起こせる唯一の音楽だから。

音楽の力は過去完了ではなく
現在進行形として人の感情が息づいていることを教えてくれる。

タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 00:37| Comment(0) | 音楽

2017年12月28日

紙ふうせん「冬が来る前に〜なつかしい未来〜」の世界観に心がこだまする


この冬に出会った心にしみ入る音楽(CD)をご紹介。
紙ふうせんは1977年の「冬が来る前に」のヒットで知られる。
このアルバムは2014年発売のもの。
新曲も2曲入っている。

紙ふうせんは伝承歌と呼ばれる各地で歌い継がれる口伝のうたを採取して
それを音楽に昇華させている。

このアルバムでも「大江の子守唄」「紙すき唄」と続く一連の楽曲がそう。
日々の暮らしの素朴な感情をうたにするしかなかった人たちの
魂を音楽に乗せて、さらにそこに紙ふうせんのふたりが魂を入れる。

好きなのは、「大江の子守唄」。
この抱きしめたくなる、なつかしい世界観。
夜更けに聴いていると、あたたかい感情がこみ上げてきて、
生きていることがもっと好きになる。
DSFT6229-1.jpg

「紙すき唄」では紙すきの家に生まれた娘が
「昼は暇ない 夜おいでよ」と謡う。
テレビもインターネットもなく働くだけの日々。
過酷な労働でただひとつの慰みであり楽しみが男女の営み。
千年前の万葉の東歌の時代から変わっていない。
しもやけの指先と冷え切った身体をあたためてくれる。
そこにあるのは「行為」だけ。
つかみどころのない幸福がぽっと灯をともす。

音楽としてあくまで美しい。
でも、そこに漂う情感の深さは稲妻に打たれた感じさえする。
このアルバムではライブ音源の「竹田の子守唄」が収録されている。
二人の生活感のある声が心を震わして身体に微振動が走る。
(誰かを好きになるあの切なさにも似ている)

それはCDを再生し終わったあとでも
それから数時間経っても身体の中を木霊しているかのよう。

人それぞれ感動する対象や感性は違うけれど
紙ふうせんがこのアルバムで提示する世界は深いよね。
(↓視聴可能)
冬が来る前に〜なつかしい未来〜

それに…夫婦としてこんな生き方は理想でしょう。
(ライブでの竹田の子守唄の息の合わせ方は男女がひとつに溶け合っている奇跡のような瞬間)
YouTubeで若い頃の音源を見ると、
夫が妻に熱愛光線を発しているようにも見える(時分の花)。

DSXE7023-1.jpg

「冬が来る前に」(当時)
https://www.youtube.com/watch?v=jWEPaCjbZG4
https://www.youtube.com/watch?v=UgmccGdoi8A

そして二人ともそんな光線を発して70歳を迎えたように思える。
「翼をください」
https://www.youtube.com/watch?v=Ay1PBV4IHaA
(こんなのを見せられると、もっとやることがあるねと勇気づけられるでしょ)

「竹田の子守唄」
https://www.youtube.com/watch?v=Ha1wvQYgkmc
栄光の残骸のような歌手が多いなかで
いまだから歌える「真実の花」(風姿花伝の言葉)が咲いている。

最後に2曲の新曲で締めくくられる。
白い花たちは 親から貰った命
♪ピンクの花たちは 支えてくれた人
一人だけでは 咲かせられない
人生の花束♪


DSCF0447-1.jpg
人生の花束は、紙ふうせんのお二人からの伝言。
一人だけでは咲かせられない人生の花束…。
押し寄せてはリフレインする。

タグ:2017
posted by 平井 吉信 at 23:18| Comment(0) | 音楽

2017年11月29日

森山愛子 歌の切なさを抱いて眠る


以前に紹介した森山愛子
近頃新譜が出たことを偶然発見した。
http://amzn.to/2iZshHp

YouTubeで探しているうちに
いつも聴き入ってしまう。

まずは韓国に由来する楽曲。
情感の深さがありながら
歌におぼれない客観性がいい。
彼女の個性の深いところで結ばれているような。
(国籍とか国境とかではなく)

約束
https://www.youtube.com/watch?v=Mcr_4t8Py6w

イムジン河
https://www.youtube.com/watch?v=fsIvdibXogI

なごり雪
https://www.youtube.com/watch?v=6L-C_hbGunc

彼女の舞台姿も神々しい。
この人はスタジオ録音よりもライブで力を発揮する。
人が生きているから持つ負の感情さえも
肯定しながら溶かし解き放つ彼女の歌の力。

大富豪がいて、彼女が歌いたい歌を
現在の時世のままアルバムとして閉じ込めてもらえないのだろうか。

彼女の看板となっている赤とんぼはこの歌唱がいいと思う。
以前の彼女は美声を朗々と響かせていた。
でも、それは曲の魂を声が遮っているような気もした。
ところが…。
(1分50秒ぐらいから)
https://www.youtube.com/watch?v=6J2f-pLI6c8

弱めの冒頭の歌い出しは深い。
数え切れない魂をなぐさめるように空間を移動していくような。
秋空にそっと放たれた赤とんぼが夕暮れに凛ときらめくような。
最後の歌詞に万感を込めて東北の夜空をいつまでも漂っているような。

歌の切なさを響かせて今宵も眠る。


タグ:森山愛子 2017
posted by 平井 吉信 at 00:13| Comment(0) | 音楽

2017年11月26日

冬が来る前に 紙ふうせんから未来に


もう冬が来てしまったと思えるこの頃、
あの曲を思い出す。

あの曲とは、「冬が来る前に」。
1977年に発表された紙ふうせんの代表的な楽曲。
ピンクレディー台風が吹き抜けるなかで
キャンディーズの解散や渡辺真知子などのデビューがあった時代。

切ない感情は誰の胸にも覚えのある現実感。
この曲を弾きたいと思ってギターを鳴らしたことがある。
詩と旋律が一体となったとき現れる世界に心が震えた。
Amの出だしで調性はハ長調とを行き交う。
若さが何かを求めて揺れ、
E7での変化で不安げな歌詞との一体感、
マイナーとメジャーを行きつ戻りつAmに収斂されていく。
リズムもコード進行もどこにでもあるような楽曲なのに
感傷は心のひだをひたひたと濡らす。
駅までの遠い道のりを振り返ることなく歩み続けた10代。

「冬が来る前に」はフォークデュオ全盛期の傑作だと思っている。
デュオの女性リードヴォーカルでは平山泰代がもっとも好き。
現実感、生活感を持った声だから、生きる情感が響くから。
もし当時のシングルレコードが再発売されたら買いたいと思える唯一の盤。

実はきょう(11/26)兵庫県でリサイタルが開かれている。
行きかったのだが…。
http://www1.gcenter-hyogo.jp/contents_parts/ConcertDetail.aspx?kid=4296111103&sid=0000000001

コンサートのご盛況を願いつつCDを聴いている。
それは、2014年に発売された結成40周年記念のCD。
http://www.sonymusic.co.jp/artist/KamiFusen/info/440338

Web上の動画ではかつての姿も近年の歌唱も見られる。
いちいち紹介はしないけれど
画面に見入ってしまう。
(いまも変わらぬ歌唱を見せる平山泰代さんは同世代の人たちへのエールとなっている)。

2014年に発売された「冬が来る前に 〜なつかしい未来〜」と題されたアルバムは
若い頃からのライフワークである伝承歌なども発掘しつつ、
未来に伝えていくという気持ちが込められている。
http://amzn.to/2A66J5L

東京五輪まではコンサートを続けると。
もうあと2年少々。
行きたかったけれど、しばらくはCDで。


ホテルモントレ神戸の中庭で待ち合わせて
老舗のコーヒー店で香りを楽しみ
ハンター坂をふたりで上がっていったあの日を思い出した。


追記

昭和のフォークデュオはいまも活動を続けている。
ダ・カーポ、トワ・エ・モワ(白鳥恵美子)、紙ふうせん、チェリッシュ…。
例えヒット曲が出なくても
音楽を大切に抱えながらときを過ごしてきた人たち。
還暦を過ぎてもなお自分たちのペースで音楽活動を続けておられる。
その姿に尊敬と憧れを感じてしまう。
トワ・エ・モワの「風のリボン~トワ・エ・モワが歌う美しい日本の歌」も寝る前に静かにかけている。

タグ:2017
posted by 平井 吉信 at 20:58| Comment(0) | 音楽

2017年10月29日

機械の刻む音楽をずらして人間の感じるリズムで奏でる(生きていく) 


前ブログからの続き
ベートーヴェンが好きで
9つの交響曲、32のピアノソナタ、5つのピアノ協奏曲、16の弦楽四重奏曲の全集を
それぞれ何セットか持っている。

ベートーヴェンのピアノソナタで名演とされるバックハウスを聴くとわかる。
バックハウスは効果を狙わないピアニストで感傷的な表現はほとんどない。
ぶっきらぼうに聞こえるぐらいだが、一方で慈しみや愛おしさが伝わってくる。

バックハウスはインテンポではなく、実は細かく揺れている。
表現のために「揺らしている」(アゴーギク=テンポの伸び縮み)のと
演奏者も意図せず「揺れている」のとでは違う。
バックハウスは「揺れている」。
指導者によっては船酔いのような感じ、技術的な欠陥と指摘する人もいるかもしれない。

ぼくはそうは思わない、感じない。
むしろ、正確なリズムで刻まれた音楽は生理的に退屈してしまう。
(これって言葉に説明できないけれどわかる人はわかるでしょう)

人間の耳には機械的に刻まれたリズムは音が出た途端にわかる。
なんだか独特の「退屈感」が漂う。

ポップスやロックにおいてもリズムの揺れがあるのが普通。
それをメトロノーム(リズムボックス)を置いて合わせると
期せずして出てくる「つまらない感」は音楽の生命を奪っているよう。
マルチトラックでリズム合わせをしての被せ(多重録音)を否定はしないけど
名作「A LONG VACATION」はスタジオだけでしか再現できない。

フルトヴェングラーのベートーヴェンはテンポの変化を効果的に曲想に活かしている。
そのフレージングは思いつきではなく、潮が満ちて引いていくように深い呼吸で自然だ。
テンポの揺れというよりは意識的に動かしているが、
表現のための人工的な技術ではなく深い呼吸を感じさせる。
人間の音楽であるベートーヴェンは
指揮者の大きな呼吸のなかで意識を持って再創造されていく。

ぼくが中学1年生になって音楽の授業を受けたとき
衝撃を受けたのがこの自然な動きを取り入れたピアノ伴奏なのだ。
こちらのブログに書いてある。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/179274151.html

渡辺真知子の初期のほとんどの楽曲は
人間が奏でている。
座長は羽田健太郎だったそうだ。
(マクロスでもいい仕事をしたよね)
調べてみるとこんな人たち。
(業界の人には説明の必要もないメンバーでしょう)

田中清司 ドラムス
高水健司 ベース
矢島賢 ギター
ラリー須永 パーカッション
栗林稔 キーボード
羽田健太郎 ピアノ

この人たちはレコーディングメンバーであるとともに
コンサートツアーも担っていたという。息が合っているわけだ。
FM音源だが、スタジオライブを聴くことができる。
しかもリバーブがかかっていない自然体。
(これは珍しい。これはいい!)
素のままのヴォーカルとともに、
ミュージシャンが一発勝負の腕と魂で乗っている。
https://www.youtube.com/watch?v=GoMcVKgfGqg
(1978年のFM音源)

ここでの「かもめが翔んだ日」(37分56秒〜)も
1番から2番の間奏で加速、さらに終盤に向けても。
もともと乗っていくタイプのアーティストであるだけに
健太郎さん率いるリズム隊が彼女の鼓動を感じつつ(多少の煽りも入れつつ)、
渡辺真知子が勢いに乗じて歌い上げる。
疾走感がたまらない快感や共感を生み出している。

人工知能に取って代わられる仕事が多く出てくるが
AIを使いこなす新たな職業も出てくる。
それは「論理的に正しいこと」と人間の感情を調整する役割だろう。

音楽っていいな。

タグ:音楽 2017
posted by 平井 吉信 at 11:34| Comment(0) | 音楽

2017年10月28日

渡辺真知子「いのちのゆくえ〜〜My Lovely Selections〜」から


富岡の阿南駅前のセイドー百貨店のエスカレータを上がっているとき
店内を流れてきた音楽に釘付けとなった。
 
現在、過去、未来、あの人に逢ったなら… 

「掴み」の冒頭からあふれだす才能のきらめき、
 
ひとつ曲がり角 ひとつ間違えて迷い道くねくね

いつでも、という言葉の代わりに畳みかける新鮮な語感、
こんな曲があるのか、と足が止まった。

久保田早紀の異邦人と同様、
これまで聴いたことがない世界からきこえてきた音楽だった。

続いて「かもめが翔んだ日」「ブルー」と提示された三部作の世界観。
(特にこの2曲は突き抜けているよね)
切なさが疾走する。
でも、べたべたしない。
失恋は若者の特権だけど、
自分の体験に触れてそして高い空へと昇華してくれた―。
そんな思いが多くの人の琴線に触れたのかも。

しかも自作自演(「かもめが翔んだ日」のみ作詞が伊藤アキラ)。
この「ブルー」の映像を見て。
憂いをたたえた表情から一転して情念で迫る。
https://www.youtube.com/watch?v=AB1rX49xGws
目の語り掛けの強さ、リズムの躍動感、
情念の深さにぞくぞくする。
ふっと目を上げる、伏せるなど歌と一体となっている。
女優のようだ。

生の一発勝負でこのパフォーマンス。
「かもめが翔んだ日」
音符の洪水、歌の氾濫、音の空間を泳ぎわたる。
https://www.youtube.com/watch?v=R2vr0KwtgfE
なお、スタジオ録音(つまりシングルレコード)でも
曲の後半に向けて加速しているように聞こえる。
3分少々の時空間が渡辺真知子に染まり
その空間がさらに彼女に力を与えているようにすら見える。
(若さっていいよね。いまの時代の音楽とは好き嫌いではなく優劣かも)

歌しかない歌手と、形容する言葉もない聴き手。
この三部作は贅の極み(ごちそうの大盛り)なので
あとに続く楽曲が大変ではなかったか。

それからしばらく経った頃の映像と思われるが、
太田裕美との競演も同窓会のようで愉しい
https://www.youtube.com/watch?v=Ejzg9Jun5OM

たがが恋の絶唱
https://www.youtube.com/watch?v=hxC0MKVK70o

CDはといえば、手元に当時1,000円でヒット曲を6曲収録したアルバムを持っていた。
でも、彼女は現役のシンガーである。
「現在」と「過去」をつなぎながら「未来」へのメッセージを受け取ってみたい。
そこでいのちのゆくえ〜My Lovely Selections〜と題された
3枚組のCDを買ってみた。

ヒット曲、ファンが好きなアルバムからの楽曲が1枚目と2枚目に、
そして2010年以降の歌唱を中心に、
デビュー前も含めたライブ音源で構成された3枚目。
本人選曲の選び抜かれた楽曲を
ソニーの誇るCDスタンプ技術、Blu-spec CD2で提供。
ぼくの装置でCD選書の録音と比べたら、やはりBlu-spec CD2が良かった。
一聴して「選書」盤が鮮度と音場感が高いように聞こえるが
音楽の実在感に優るのは後者。
帯域では中低域の充実感がきいている。
それと声の成分(中域から中高域)がストレスなく伸びていく。

このCD、本人直筆のサインが入った写真集が付いてくる。
(この特典はソニーミュージックの直販のみ。冒頭の写真は宮崎あおいかと思った)
https://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?cd=MHCL000030313
DSFT5418-2.jpg

YouTubeの音源を見て
スタジオ録音を聴いても温度感が変わらないのは
いつも全力でぶつかっているからだろう。
感動を伝える前に本人が崩れてしまう(テクニックの破たん)ライブパフォーマンスがあるよね。
テクニックが失われても魂が伝わるライブパフォーマンスもあるよね。
でも、テクニックと歌の魂を高い次元で持っていたら
スタジオとライブは変わらない。
(レコード盤を買って、スタジオ録音のおとなしい整然とした演奏に物足りなさを感じた人はいるでしょう)
渡辺真知子はいつも全力でぶつかっていったのだろうし、
荒削りであってもそれを制御する歌唱力を持っていた。
(表現こそ違うがキャンディーズもそうだった。スタジオとライブの差は感じられない完成度があった)
瀬戸際のような楽曲をうたっても
その4分を描ききれるから陳腐にならない。
何を伝えるかではなく、いかに伝えるか―。
切なさへの共感と、きれいごとではない情念のうねり。
この表現力、浸っても心地よさを感じるのは
彼女が真剣勝負をしているから、そして聴き手をいつも楽しませようとしているから。

まとわりつく情感と大胆なフレージングが近年の歌唱。
ゴスペルシンガーのようだ。
かもめが翔んだ日も3枚目に収録されている2013年ライブ音源では
スペイン語が紛れ込んできたと思ったらファドの世界だ。

往年の名曲が、コード進行も曲調も一部転調なども取り入れ
ソロの楽器が活躍するジャズの要素もある。
もはや外観など取り繕わない。あるのは歌のみ。

でも、かつてのヒット曲はあの頃のほうが好きだ。
表現しようとすれば楽曲のみずみずしさから遠ざかる。
(年輪のうまみが曲想を活かすとは限らない)
あの頃は何もせずそのまま歌うだけで音楽と一体だった。
世阿弥のいう「時分の花」(何もしなくても匂い立つ表情が魅力の二十代)。
20代に咲く花もあれば、60が近づいて咲く花もある。
そこには35年の歳月がある。


渡辺真知子の人生をかけたメッセージには
過去の回想だけでなく、未来への伝言も含まれている。
渡辺真知子 いのちのゆくえ 〜My Lovely Selections〜

タグ:2017
posted by 平井 吉信 at 13:50| Comment(0) | 音楽

2017年06月03日

シャクナゲを見て思いだした 岩崎良美


いや、80年代のアイドルは日本の歴史の星座だね。
70年代の山口百恵、キャンディーズから受けつがれた
80年代の松田聖子、中森明菜、岩崎良美、菊地桃子、斉藤由貴、荻野目陽子…。
(余談だけれど、ぼくの父はデビュー直前の中森明菜を見て、この娘は売れると思ったらしい)
互いに影響しあいながら一人ひとりが輝いている。
松田聖子についてはよく触れているけれど
いまは岩崎良美が浮かんできた。

岩崎良美といえば、赤と黒、涼風の初期の頃の初々しさもいいけれど
どんな難曲もさらりと歌いこなしてしまう。
姉は気持ち良く歌い上げる。
妹は、天使の高音でさえずりながら、ささやいたり、強い地声で凄んだり。
運命を受け容れてしたたかに生きる掃きだめに咲くバラのような歌い手にもなれる。
(YouTubeで生歌唱を見ると、ぐいぐい引き込まれる。宝物の歌手だね)

愛してモナムール
https://www.youtube.com/watch?v=dmJ-0XDqEFk

愛はどこへ行ったの
https://www.youtube.com/watch?v=FzangHs9uxo

恋ほど素敵なショーはない
https://www.youtube.com/watch?v=6-UQ5dcMB5Y

月の浜辺
https://www.youtube.com/watch?v=WqoOD9hhKig

オシャレにKiss Me
https://www.youtube.com/watch?v=8wVNBk716rg

だから、作家陣が次々と実験的な楽曲を彼女で試す(といったら怒られるか)。
同世代の日本のファンの等身大の日常とは違う非日常のヨーロッパ的な情景と
素人がカラオケでは歌えない移調、転調、リズム感を備えた難曲が続々と。
これでは大衆の心は掴めない。
けれど、そこを涼しげにこなすところが岩崎良美を感じるところ。

彼女、どれだけリズムが弾んでも、日本語の発声が乱れない!
身体のなかに吸い込まれていく歌(日本語の発音)です。
(ロックは日本語のリズムと合わないので母音と子音を不自然に伸ばすというのは技術がないのだ)
ぼくのなかでは、これ。
「恋ほど素敵なショーはないでしょう」
https://www.youtube.com/watch?v=D_teQVw-gRk

日本のポップスの歴史に残る名曲と思っている。
こんな曲をいつも描けたら作家冥利だね。
作家陣が良い仕事をしている。

ギターの刻みにほだされて風に吹かれる羽毛の歌い出し、
そっと空間に置かれた言葉が立ち止まる。
「お願いよここにいてね さよならは いや」
フレーズの最後で消え入るそよ風のためいき。

サビが移調しながらパターンで循環する。
(古典的な作曲の常套手段だけど)

調性が変わるたびに気分を変える。
編曲が次の場面を、さあ、こっちよと案内する。
楽曲を活かす大陸的な抑揚の伸びやかな編曲、
楽曲から浮かび上がる軽やかに弾む声。
幾重にも切なさを編み込んだタペストリー=耳から離れない奇跡の楽曲。
こんな歌を聴かされたらデビュー前のアイドルは諦めてしまうしかない。

アルバムをすべて聴いたわけではないけれど
音を愉しむのならWeather Report、 
ヴォーカリストとしての存在感ならWardrobeかな。

不思議に思うのは1985年のプラザ合意が音楽の分岐点にもなっているのではと。
80年代のアイドルたちも80年代後半には別の領域に行ってしまった気がする。
(そしてバブルの崩壊を迎えるのだ)
アイドル以外では
松任谷由実もオフコースも80年代になって音の厚みを増しながら洗練させている。
それぞれ「SURF & SNOW」、「WE ARE」のような良い音のアルバムを完成させている。
(それはそれで頂点の音楽と思う。でも70年代のフォーク調のテイストから失った情感もある)
2010年代の音楽がこの時代の輝きに及ばないのは、
時代がアイドルやポップスを後押ししたところもあるのではないか。

というわけで、例によってCDは限定発売。
(そううたっていなくても在庫が終了後再プレスされる保証はない)

3枚組のシングル両面コレクションがもっともおすすめ。
音質もそれ以前のと違うのが試聴音源からもわかる。
(視聴もできる)


次いで2枚のオリジナルアルバムとシングルA面を組み合わせた特別企画もの。




この辺りから聴いてみたら?
DSFT1177-1.jpg
あでやかでぽっと浮かぶけれど 気がつけば存在感、妖艶なシャクナゲのようだね。
タグ:アイドル 2017
posted by 平井 吉信 at 18:51| Comment(0) | 音楽

2017年03月26日

モーツァルト ピアノソナタと協奏曲 日本人ならではの高みに辿り着いた


田部京子を知ったのは、吉松隆の佳曲「プレイアデス組曲」の演奏で。
http://amzn.to/2np3UWg
http://amzn.to/2nBkPFp

今回、発売されたモーツァルトの2作品が1枚に入ったCDを求めた。
モーツァルト:
ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調 K.331(トルコ行進曲付き)
ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488 
田部京子(ピアノ)
小林研一郎(指揮)
日本フィルハーモニー交響楽団 ※
オクタヴィアレコード OVCT-00125
2015年6月28日 東京・サントリーホールにてライヴ録音 (ピアノ協奏曲第23番)
2016年9月19-20日 埼玉・富士見市民文化会館(キラリふじみ)にて収録 (ピアノ・ソナタ第11番)
http://amzn.to/2nBg1A0

K331は、第3楽章がトルコ行進曲として知られる作品。
トルコ行進曲は、リリー・クラウスのモノラル盤が忘れられない。
感情の趣くままに刹那に燃え立つ生命力を持ちながらも
端正な造形の古典美を誇っている。
録音は、パリのシャンゼリゼ劇場を愛してやまなかった名手、アンドレ・シャルランの手によるもの。
ワンポイントマイクが捉えた芸術の香気はモノラルながら珠玉の音楽。
ぼくが好きなのは、変奏曲の第1楽章。
豊かな感情を解き放つ旋律の展開に
この変奏曲をいつか弾いてみたい(=人生に重ねてみたい)と思いつつも。

K488は、モーツァルトのピアノ協奏曲で華麗さと情感が散りばめられた佳品。
かつて第2楽章の旋律を薬師丸ひろ子が日本語の歌詞をつけて歌っていた記憶がある。
手持ちのなかにもK488を収録したCDは随分持っている。

往年の名盤を置いておく棚は色あせることはないとしても
いまの時代を漂わせた盤を探していた。
そこでこの盤を買ってみた。
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音が出た瞬間に違いがわかった。
再生装置を感じない自然さ。
透明度を強調するなどハイファイ調の作為がない。
それなのに音楽がベールをまとわず、スピーカーから離れて鳴り響く。
ピアノは直接音がよく聞き取れるが、ホールの間接音が心地よい。
録音は聴衆のいないホールで取り直しをすることなく一発で行われたのではと想像。

オーケストラで始めるK488は、
弦の主旋律の鮮明さ、対旋律がエコーのように寄り添い
木管がぽっと浮かび上がってそれらが協奏曲となって紡がれていく。
これは指揮者の音楽に寄せる深い愛情があってこそ。
このような伴奏ならピアノが自由に羽ばたける。
細部のパートが浮かび上がる万華鏡と
それが混じり合ってひとつの音楽のうねりとなる。
どこまでがピアノでどこまでがオーケストラなのか。

こんなK488は初めてだ。
個性的な演奏という尖り方ではなく
モーツァルトの音楽の可能性を
こぼれ落ちた花びらを池にそっと浮かべるように
細部にまで心を通わせ
木管は空高く、弦は地を漂い、ピアノは空間をコロンと駆け巡る。
流れる大河のごとく悠然として自然。
この繊細さ、自然さはもしかして日本の風土そのものではないかとさえ思えた。
第三楽章のコーダでは、この高揚感はやはりライブだと気付いた。
(K331の端正な冒頭からは想像もできない)。

この演奏なら、モーツァルトの最後の協奏曲K595が史上最高の演奏になるのでは?と思った。
天国にたどりつきたい魂が奏でる無垢なまでのK595を
田部京子と小林研一郎/日本のオーケストラで聴いてみたいもの。
ジャパニーズウィスキーが世界を魅了したように
西洋の古典音楽の典雅な高みの作品を
日本人の感性で音に編み上げ、日本人演奏家でなければなし得なかった高みに。
その晴れ晴れとした聴き心地。
桜の季節に、桜のごとく舞い降りて煌めくモーツァルト。
DSCF4779-1.jpg
SACDとなっているが、通常のCDプレーヤーで再生できる。
http://amzn.to/2nBg1A0

追記

田部京子では、ベートーヴェンのピアノソナタを聴いてみたい。
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第30番、第31番、第32番
http://amzn.to/2mE2Qip

視聴しただけだが、もっと聴きたいと思った。
音の構造が繊細だが凛としている。
作品109が心にしみ入る。
作品110はシューベルトのようにも響くが、そこに音の抑揚の張り詰めた余韻を残す。
作品111では、最後の審判のような凄みと静けさを感じる。
ベートーヴェンのピアノソナタの全集だけでも4セット持っているけれど
このCDは、往年の巨匠の演奏とは異なる価値を創造している。
芸術の香気が漂うけれど
ベートーヴェンの晩年の楽曲から人間のやさしさを感じることができるという意味で。


posted by 平井 吉信 at 19:17| Comment(0) | 音楽

2017年02月05日

山下達郎 これからも


好きな選手はイチローである。
いまも現役の大リーガーとして準レギュラーで活躍している。
そのために自分の強みである「俊足」「動体視力」「強肩」を活かしている。
でも「強みを活かす」ことは戦略の基本でありながら難しい。

例えば、もっと足が早くなれるよう筋トレを行う。
強肩をさらに堅固にするために投げ込む、といったやり方では
強みを伸ばすことにつながらない。

それよりも、わずかな動きに反応できる身体能力、
意思とそれを動かす神経、筋肉、骨格が有機的に統合されること。
だから関節の可動域の確保や体幹の均衡に留意しつつ
メンタルとの一体性からルーティンを確立するのも賢明。

こうすることで正確なバットコントロール、予測能力も含めた守備範囲の広さ、
捕球際になって伸びる制御のきいた遠投を複合的に駆使して
最多安打や高打率、盗塁王、ゴールデングラブ、捕殺などにつながっている。
しかもその選手生命が持続している。


前置きが長くなった。
イチローから連想されるミュージシャンがいる。
ミュージシャンというと、喜怒哀楽が激しい気まぐれ。
創造の泉が枯渇する不安から
酒や煙草やその他非合法の手段も含めて偏った日常に浸り、
その結果、音楽生命もまた自身のいのちも短命に終わるというイメージがある。
(魂の音楽とは幻に頼る手段でしか生み出せないものだろうか? 確かに理性が支配する脳からは感動は生まれない。でも退廃的な方法でなく理性をしばし眠らせて汲めども尽きることのない泉を内側に持つことはできるはず)


世阿弥の風姿花伝によれば、人はそのときどきに花を咲かせることができるとする。
しかし10代の花と20代の花、50代や60代の花は違っている。
そのことに気付かずに、若さゆえの花にいつまでも憧れて破滅する。
そうではないだろう。
80代のミュージシャンがいてもいい。
老害などではなく、失われた技術と引き換えに得たものがあれば。
自分と向かい合いながら、魂の高みを音楽として花を咲かせてみる―。


山下達郎は自分の健康やライフステージを意識している音楽家と感じる。
長い音楽家生命は自己管理と戦略ゆえではないかと。
戦略とは、譲るところと譲れないところを明確に、
ぶれない立ち位置でありながら時代を引き寄せるという意味で。

かつてFM雑誌であったかインタビュー記事があって、
確かこんなフレーズだったと記憶している。
「いきざま音楽なんてなくなれ!」(記憶が不確かで間違っているかもしれないが)

当時はニューミュージックの全盛期であった。
作詞に力を入れ、音楽というよりは音楽に乗せた語りのような
つまり伝道師のような音楽家にはなりたくない、とのニュアンスを感じた。

初期のアルバムは楽曲志向が突き抜けていてそれはそれで好きだ。
例えば、1979年発売の「ムーングロウ」のなかから「RAINY WALK」など。
http://amzn.to/2la4dRz

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さらに遡って1975年の「シュガー・ベイブ」での「SONGS」は時代を超越して輝いている。
どの楽曲も自由な気分があふれ、のびのびと展開していく。
http://amzn.to/2k8YZoc
ぼくは「雨は手のひらにいっぱい 」が好きで、
その後、「ハニー&ビーボーイズ」のアルバム「バック・トゥ・フリスコ」にも収録された。
アナログは持っているが、多くの人に聴いてもらうためCDで復刻されないだろうか。
(80年代半ば頃の発売だったと記憶している)
アルバムジャケットも秀逸だ。
http://amzn.to/2kFx5n4

このままできごとを綴るほどの知識と経験はないので
あとは好きなアルバムを3枚紹介するとして。
(この3枚はどれが最高というのではなく、そのときどきに無性に聴きたくなるもの)
発売順に書いてみよう。

「RIDE ON TIME」(1980年)
タイトル曲が「目を覚ませ、音楽人間」のコピーで
自身も出演したマクセルのカセットテープのCMにも使われた。
それまでの音楽と本質は変わっていなくても
時流をつかむことの機微も大切と教えてくれる。
ほんとうに実力がある人は時代や聴衆に媚びることなく、
しかし時代の空気感や聴衆を大切にしながら
時流を感じて時代を引き寄せることができる。
(生き様を語っていないが、アルバムの成功からそんな人生訓は感じる。ぼくもそうありたいと思っている)
EPOも歌っていた「いつか」のリズム隊の刻みで身体が動き出す。
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でも、このアルバムの白眉はB面ではないだろうか。
「夏への扉」がおだやかな午後への扉をひらいて永遠の夏をリフレインする。
「MY SUGAR BABE」で空想の空への憧れのようでもあり、
「RAINY DAY」では時代に媚びない内省的な深みがたまらない。
「雲のゆくえ」では覚醒にも似た高揚を感じ、
「おやすみ」で耽美に消えていく。
http://amzn.to/2k92XNE

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「FOR YOU」(1982年)
大滝詠一の「ロング・バケーション」と双璧の夏のアルバム。
楽器をやる人にはたまらない冒頭の刻みから
西海岸の乾いた風が洗練された音の洪水となって押し寄せる。
日本語がロックには向かない、なんて呪縛を解き放っている。
日出ずる国の音楽の風格と余裕を感じるのはやはり時代を背景にしている。
(いまこんな音楽は誰もつくれないよ。才能もあるけど時代がそれを阻んでいるから)
「HEY REPORTER!」が生まれた背景は理解できるけれどCDではスキップする。
ぼくの個人的な背景とはつながらないので。
http://amzn.to/2kuegkC
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「MELODIES」(1983年)
音楽っていいなと感じるのはこんな音楽を聴いているとき。
ぼくの大好きな国道55号線を南下するとき、
「悲しみのJODY」や「高気圧ガール」は不可欠。
夏冬混合の楽曲だけれど
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冬に聴けば、夏への思慕、なつかしさがこみあげ、
夏に聴けば、クリスマスの頃のせつなさが蘇る。
マンハッタンズのようなテイストも感じる。
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山下達郎は作詞家としても秀逸。
特定の場面が現実感を持って描かれたものではなく
どちらかといえば抽象的暗示的であるけれど
そこには楽曲と一体となって感情の雲がわき上がるというもの。
場面に依存しない心象風景―。究極の叙情といってもいいと思う。

バブルに至る時代の流れで
取り残された人たちの心を捉えた「クリスマスイブ」では
イントロから賑わうクリスマスの雑踏が浮かんでくる。
歌詞にはクリスマスの幸福感はない。
人々の共感を得つつ、時代へのアンチテーゼをひそませ
普遍的な愛の場面を描いているよう。
(80年代のソーシャルマーケティング)
http://amzn.to/2l5Vzqo


もう1枚上げるなら
「Big Wave](1984年)
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徳島の県南部ではサーフィンをやっているから、というわけではないけれど
サーフィン映画のサントラ。
「サンデーソングブック」(東京FM)は運転中によく聞いたが
そのテーマ曲「ONLY WITH YOU」を収録。
Major7,Minor7系の解決しない和音の進行がたまらない。
ビーチボーイズのカバーが2曲「GIRLS ON THE BEACH」「PLEASE LET ME WONDER」 ある。
オリジナルも好きだが、達郎版では多重録音のコーラスを堪能できる。
http://amzn.to/2k8SqSK
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自身がバックグラウンドにしている音楽への共感と
音の仕上げの職人的な愛情と
自分のやりたいことをやりながらも
時代へのメッセージを秘めた音楽、
それがぼくにとっての山下達郎。

これからも。
posted by 平井 吉信 at 13:05| Comment(0) | 音楽