2024年02月11日

月の光はしずしずと 田部京子「メロディ」


田部京子さんを初めて聞いたのは吉松隆作品から。
現存する作曲家でもっともロマンティックな曲を書ける吉松さんの作品は田部さんに任されているかのよう。プレイアデス組曲の第1集第2集ほど繰り返し聴いたピアノの短編集はないだろう。そして宇宙空間にしずしずと花ひらくピアノ協奏曲「メモ・フローラ」の静謐な音詩はうつむいた心を少し上を向かせるかもしれない。この音楽を自分に取り込むことができたらおだやかになれる。
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モーツァルトのピアノ協奏曲は極上の音楽だ。日本のオーケストラも羽毛のように空気がそよぐ上質感を醸し出す。例えば、ピアノ協奏曲K488。楽曲の天上的な美しさに輪を掛けたピアノの珠を転がす愉悦と叙情、小林研一郎の伴奏もピアノに真綿のように寄り添う。

2023年4月に発売されたピアノ小品集「メロディ」では、適度に名を知られた曲もあるが、世に知られていない楽曲を集めて光を放つ「世界」に仕立てた感じ。技術を煌めかせるのではなく、音符が語り掛ける感じ。弾き手の意志が濃厚なのに、ピアノをドライブするのではなく、音符がそこへ降りてくるよう。特に後半になるほど弾き手と楽曲が一体化している。

ぼくはドビュッシーが好きなので「月の光」について書きたい。いつのまにか灯りを消した部屋に射し込んでいる月光。ドビュッシーは決して標題音楽ではないけれど、ベルガマスク組曲第3番Clair de Lune、変ニ長調、Andante tres expressif、8分の9拍子は、やはり「月の光」。月の光がE=MC2の方程式でかけめぐるかのような淡々と光を強めながらしずしずと。

フォーレのシシリエンヌは儚くも美しいが、編曲においてはもっと羽ばたいてほしかった(中間部は、荒井由実のひこうき雲にも似た痛切な憧れのようだから)。楽器はなんだろう? くすんだきらびやかさを感じるのでベーゼンドルファーかな。このアルバムは理性で聴くよりは浸るように任せる音楽。それが叶うなら人生の豊かな時間を紡いでくれる。能登半島で復興に向けて長い道のりを歩み出そうとする人々にとってもそうであればと願う。

デンオン(日本コロンビア)による録音は、デッカなどと違って澄んだ高域と中低域のふくよかな響き。あのMCカートリッジDL-103に豊かなソノリティを付加したような録音。スイトナーの田園で第1楽章の低弦の漂う音場が朴訥な18世紀の田園野を感じさせた。

posted by 平井 吉信 at 00:37| Comment(0) | 音楽

2023年12月29日

年の瀬に聴きたいクリス・レアのOn The Beach 渚へ行こう 


車を運転しながらラジオを聴いていたら「Driving Home for Christmas」がかかった。お金に困窮して妻の長時間の運転で400km以上離れた故郷の家に戻る途中の渋滞でつくられた楽曲とのこと。家に到着したらアメリカでヒットした楽曲の著作権料の小切手が届いていてそれで暮らしを賄ったという。そんな背景を知らなくても、なつかしい人たちに早く逢いたいと家路を急ぐしみじみとした実感が漂うクリスマスの佳曲。
→ レア夫妻の若き日の困窮のなかで曲が生まれたエピソードを記したブログ

クリス・レアといえば、On The Beach(1986年)。車のCM(マツダ)にもなったタイトル曲が有名だが、アルバム全編の音づくりが良くて、いつまでも浸っていたい、1枚終わるとリピートしたいと思える音楽アルバムのひとつ。
タイトル曲はマイナーなのに、短調の作為(暗くしよう、寂しくしよう)を感じさせず、むしろ過ぎゆく夏を回想するような無為の為といいたい旋律(コード進行)。松岡直也の「九月の風」も同じ印象を受ける。ヒットしたシングルバージョンよりもこのアルバム(オリジナルバージョン)がゆったりとしていて原曲の魅力をより活かしている。波の音のSEが付いているのもこのアルバムのみだろう。あの夏の思い出はぼくだけの秘密とうたう。岬の裏手にある秘密の入り江でのできごと…過ぎた日の場面が名残のようにときめくといった趣。クリスと妻ジョアンにとっては喜びの島(シテール島)だったんだろうね。こんな曲を歌ってくれたら妻はどんな気持ちだろう。
(ここで楽曲を生んだフォルメンテラ島についてのクリスの言葉を紹介しておく。翻訳せずとも伝わるでしょう)
"That's where me and my wife became me and my wife. That's what it's about. Yeah, I was 'between the eyes of love.' It's a lovely island if ever you're in Europe."

2曲目"Little Blonde Plaits"の幼子のブロンドの三つ編みは愛娘Josephineのこと。夏の倦怠感のような楽曲で賛歌が綴られる。なんという感性。9曲目の"Light of Hope"も究極の妻へのラブソングだろう。

3曲目"Giverny"はフランスのノルマンティにある地名でモネの庭があるという。そこを訪れた幸福感、妻Joanへの想いがひたひたと花園を遊ぶ蜜蜂のような旋律に揺られる夢見心地。硬派な彼が渋い声でロマンに浸りきっているのである。モネの庭といえば、ぼくも格別の思い入れがある。それは高知県にある北川村「モネの庭」マルモッタンだけど(←リンク先はぼくが撮影したモネの庭ですが見ないほうが良いです。いまこの瞬間に行きたくなる確率が83%ありますので)。

4曲目"Lucky Day"はラテンに彩られた幸福のリズム。5曲目"Just Passing Through"は硬派な詩だが曲想は回想的でおだやかに綴られる。アルバムは淡々と進んでいくが、同じ心象風景に彩られた異なる場面という印象でアルバムの統一感、コンセプトが沁みてくる。クリス・レアには不器用で硬派な男という印象があるけれど、ここにあるのは妻や娘との時間をこれまで訪れた場所の心象で刻んだもの。アルバム全編がロマンティックに覆われていてもそこにあるのは媚びない楽曲と歌の魅力。

2枚目も秀逸で、音の雰囲気は明るく落ち着いている。バックの演奏は無駄がなく洗練されて声に寄り添う。スライドギターが好きな人は何もいうことはないだろう。
She throws her hair into the February breeze(なんと佳い詩)…で始まるFreewayは特に好きな曲で、And she's still dreaming of a freewayと幸福感が漂うが、Dream on lady, till the early morning sun Takes your dream to be free awayと余韻を残す。スライドギターがなつかしいこだまのように響く。
"Crack That Mould"はもっともクリスらしい曲。通好みの楽曲で音楽をやっている人なら打ちのめされそうなファンタジーに満ちている。
さらに、On The Beachの別バージョンが2つ収録されているが、ぼくは1枚目に収録したゆったりしたオリジナル版が好きだ。

最後は世界中で愛されたあの「Driving Home For Christmas (First Version)」で締めくくられる。ここに収録されているのはヒットする前のアレンジで素朴な感じ(冒頭での妻が遠距離ドライブで迎えに来たあのエピソードが感じられる)。クリスにはワムのようにクリスマスのはやり歌として売り出す気持ちは毛頭なく、自分の知らないところで関係者がシングルのB面に入れたものが評判を呼んでラジオ局でかかるようになった。販促をかけずコマーシャルとは無縁に楽曲の良さで世界中の人々に支持された曲。ぼくはクリスマスの楽曲では国の内外を問わずこの曲が一番だと思う。ただしこの曲はここに収録されている初版よりも、後年のピアノのオブリガートの入った版がクリスマスの人々の共感のエコーのように聞こえて愉しい。
On The Beach

当時の国内発売のAORにありがちだった、むさくるしい(?)顔写真の代わりに、おしゃれな風景に置き換えたジャケット(ポール・デイビス/クールナイト、ビル・ラバウンティなど)を連想させて、ああAOR路線なのかと思ってしまうが似て非なるもの。飾り気のなさが洗練と映ることはあっても、家族や友人を大切にする親密感あふれる音楽。一見AOR受けのジャケットのようで、実はアートワークとして、地中海に浮かぶフォルメンテーラ島の渚で撮影した1枚の写真を選び抜いている。作り手にも思い入れがあるようである。

音楽は地中海で過ごす夏の休暇のように、統一した世界観でつくられ、少ない音数でも濃密な音世界を描き、そこにあの渋い声が乗ってくる。声を活かすアレンジであり、アレンジの美学を浮かび上がらせる声ともいえる。ぼくはこの時間に身を任せられる。

オリジナルアルバムは入手が難しいが、新たにリマスターされて未発表曲などが収録されて2CD仕様の「オン・ザ・ビーチ(デラックス・エディション)」が入手できる。ラテンのリズム感やブルースの精神がブレンドされた若き二人の愛の結晶のようなアルバム。これはたまらない。音楽が好きで音楽なしには生きていけないぼくが音楽好きで音楽なしでは生きていけない人のために綴ってみた。

2023年の締めくくりは、渚ということでいかがでしょうか。

南阿波サンライン
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外ノ牟井浜
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明丸海岸
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大砂海岸
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大手海岸
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白浜海岸
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生見海岸
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大ちゃんのサーフボード(藍色特注)
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尾崎(ローカルポイント)
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南太平洋 ボラボラ島、ランギロア島、テティアロア島
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リゾート地ではヨーロッパからの観光客が多かった。フランスから旅行中の同年代の若者(Jérôme)とサメがいる海で素潜りの競争をしてみた。手が届きそうに見えたが実際は水深20メートルぐらいの海底に大きな貝があってそれを取りに行こうとしたが届かず、急に浮上したため潜水病になりかけた。いま思えば毒を持つ貝の可能性もあるので触らずによかった。丸一日腹痛にさいなまれたこともあったがトラブルはそれぐらい。
ひとりでビーチにたたずむ女優のような女性(Cristina)がいたので話しかけてみたら、新婚旅行でやってきたイタリアのカップルで自分ををほったらかしてマリンスポーツに興じる夫にあきれながらも熱い熱い。
地元のフラの練習に飛び入りで参加したり地元の若者たちと無人島にピクニックへ出かけてそれぞれの名前を岩にペンキで描いたことも。旅は自由で空は高く海は大きい。
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主人公は椰子の葉陰
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モデルさんではありません。現地の郵便局でハガキを出しながらPar avion au Japonと告げたら英語で返答があったので会話をしていると、周辺を案内できるとのことで連れて行ってもらったときの一枚。bureau de poste(郵便局)といっても床が白砂(地面)で彼女は裸足で仕事をしていた。
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椰子にもカップルがあるのか
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鳥の楽園テティアロア島。この島はタヒティの王族の避暑地であり、南太平洋を舞台にした映画「バウンティ号の反乱」で撮影に訪れた俳優のマーロン・ブランドが所有するプライベートアイランド。数人乗りのセスナをチャーターしてさらに船で数十分。そこに鳥の楽園があり、森に包まれて椰子の葉の皿でランチを食べた。もっとも自炊中心の節約旅行でリゾートに泊ったのはここだけ。ベッドの下は砂浜という自然の高い素敵なつくり。シャワーもあったが塩水だったような記憶。川がないので。
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世界第二の環礁ランギロアの外海。内海(ラグーン)は白く浅いが外海は黒く深い。ほんのすぐで水深数百メートルに達する。外洋と礁湖をつなぐ水路(水道)をマンタが行き交う
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ぼくを南太平洋へ誘ったのは世界の民族音楽を採録するノンサッチレーベルの「南太平洋の島々の音楽」でポリネシアの民族音楽を聴いたから、生で確かめたくなった。参考となった情報は「南太平洋の再発見―21世紀のふるさと」(松永秀夫著)。この本でポリネシア、ミクロネシア、メラネシア、イースター島のことが歴史的背景、かつてから今に至る文化や地理地勢がわかった。良書なので復刻してほしい。

あの頃の若者は短くても数週間、長ければ数か月の放浪の旅に出ていたよ。いまでも集う友人たちもそれぞれヨーロッパ、チベット、インドなどと旅をしていた。そんな経験なくしてどうやって世界の人と意志疎通を行うのか。かつては円高(日出づる国)だったんだよ。


posted by 平井 吉信 at 12:19| Comment(0) | 音楽

2023年12月13日

頂点を極めたあの歌手もいいけれど


全盛を極めている歌手がいるとしたら、ほとんどの人が名前を挙げるのはテイラー・スウィフト。TIME誌が選ぶ2023年「今年の顔」(Person of the Year)にもなったとのこと。そのキャリアは輝いている。

突き抜けた人はその手にどれだけ富と名声を集めても嫌みがない。それは尊敬に値する。楽曲もなつかしく耳になじみ、声の質もロマンティックでメッセージが届きやすく万人向けの歌姫。

ぼくがテイラーのアルバムで1枚だけ選ぶとしたら、Fearless (Taylor's Version)かな。若い頃のオリジナルを視聴すると、息苦しさを感じて聞き続けるのがつらい。版権の関係か何かで自身が近年再録したTaylor's Versionではおだやかになって音楽に浸れるようになっている。


ほかの人は同意しないかもしれないけれど、彼女の声はパルシブで短い立ち上がりがマッシブに集まって声を響かせているように聞こえる。ある意味では刹那的、ある意味では存在感、悪く言えば圧迫感があって聞くときの体調を選ぶ歌手という感じ。疲れているときは聴きたくないと思う。

つい手が伸びるのはSade(シャーデー)。
彼女の声を聴いていると、なんといい曲だろう、人生がこのまま過ぎていくのなら何も言うことはない、と浸っている。

1つの楽曲のなかに哀しみも歓びも散りばめて、歌はあくまでもレガートで山吹色のかぐわしい声色が落ち着いた小麦色に推移したり、漂うような水色や紫色をほのかに帯びることはあっても。

いわば、聴き手の心が自由に楽曲で遊べる隙間と媚薬が散りばめられている。その頂点が「Stronger Than Pride」。なかでもClean Heartはそう。音楽のごちそうなんだけど、茜さす野の翳りとでも形容したい人生の移ろいを感じる。


追記
テイラーの好きなところは社会に対する自分の立ち位置(役割といってもいいかもしれない)を自覚しているところだ。サザンの桑田さんもそうだが、絶えず政治的なメッセージを発している。自分たちが生きているこの空気感のなかから音楽が生まれてくるのだから、音楽は音楽、政治は政治と切り放すことはできない。ぼくもそう思う。自分の生きていること、やりたいこと、好きなこと、仕事や遊びも社会と密接につながっている。だから利害とは無関係に政治や行政に発言し続けている。

それに対して(名前は挙げないけれど)ここ10数年の音楽にはそれが感じられない。社会から切り放されて自分の殻に閉じこもる無力感、それはそれでいまを生きる人たちの共感を呼んでいるのだけれど、そこから一歩でも踏み出して社会にメッセージを届けなければ。

例え恋愛の歌であってもテイラーの音楽からはメッセージを、そして自分自身が社会のアイコンとして生きていることを感じる。

posted by 平井 吉信 at 22:41| Comment(0) | 音楽

2023年08月24日

アリス=紗良・オットで聴いた 真夏のドビュッシー 晩夏のグリーグ 


アリス=紗良・オット(Alice Sara Ott)というピアニストをご存知ですか?
動画サイトで良い演奏を見つけたので書いてみました。

ドビュッシーの月の光は誰でも知っている曲だが、ドビュッシーを得意とした往年のピアニスト、フランソワ、ベロフ、ギーゼキングなどのようにピアノの名人芸やピアノの可能性を追求した演奏とは違う。ピアノをピアノとして演奏する前に心の声が鳴っている。指は鍵盤に触れているのに鳴っているのはピアノでない感触とでもいうか。

★ドビュッシー 月の光
https://www.youtube.com/watch?v=6JNkRFKkQBA

この映像では静謐な青白い光の明滅とともに空気が澄んでいくような感じを受ける。日本のテレビ番組での演奏のようだが、集中していたんだろうね。弱音が夜にひらいた一つひとつの白い花のような。

CDで探してみたらこのアルバムが見つかった。フランスの作曲家の小品集。



★ベートーヴェンピアノ協奏曲第1番(本人公式チャンネル) 
https://www.youtube.com/watch?v=pQObiL-ZYsw
ファルテピアノの演奏のように雅び。ロココの時代に若きベートーヴェンの情熱がこだまする。

★グリーグ ピアノ協奏曲(これはいい!)
https://www.youtube.com/watch?v=6LJTwzZHrwQ

ぼくはこの曲がずっと好き。かつてクリスティアン・ツィマーマンとカラヤン/BPOのレコードで聴いていた。ベルリンフィルの深みと凄み、若きツィメルマン(ドイツ語の発音ではこちらが近い?)の堂々とした演奏はカラヤンを凌ぐほどだけど、この曲ではカラヤンもロマン派の巧者のようだ。

その後、ツィマーマンが徳島に来ると知ってコンサートに出かけた。夫人を伴ってやって来た彼は彼女の肩を抱いて会場から消えていった(その格好良さ)。

さて、グリーグの協奏曲。この曲は世間が評価するよりずっと良い。心が疲れたときに聴いてみたくなるし、元気なときにはさらに心に沁みてくる。

第1楽章が始まる。アリスの笑みと没我の瞬間をカメラが捉えている。この楽曲がアリスに合っているんだなとわかる。第2楽章の最弱音の美しさは別世界から聞こえてくるよう。そして第3楽章のこぼれるような跳躍の愉悦。

オーケストラではホルンの音色の深み、精妙な弦が生き物のように漂いつつ、全体は朴訥で木質のあたたかい響き。最後は興奮の坩堝に飛び込んで観客総立ちの壮絶な演奏となる。終わりはアリスと指揮者が一心同体のように所作がシンクロしている。この指揮者の立ち居振る舞いも日本の能を見ているような所作の清潔さがある。その彼がアリスの演奏に聴き入っている瞬間が記録されている。

指揮は、トーマス・ダウスゴー、オーケストラはDR放送響(デンマーク国立交響楽団)。

これを実演で見えた人はいいな。欧州まで飛行機代払ってでも見に行きたい。
(そのままCDや映像化されたら良いのだけど)

スタジオで製作されたCDはこちら。グリーグの小品集と組み合わされていて素敵だ。


有名なエリーゼのために。この曲をアンコールで弾く人はほかにいないでしょう。ピアノを習っていないぼくでも弾ける曲だけど、この軽やかな深みは言葉で表せない。特に実演のアンコール演奏での空気に溶け込むピアニシモの凜とした表情は、Für Elise を再創造したかのよう。
https://www.youtube.com/watch?v=_e7PCh9ekRo(コンサートのアンコールで)
https://www.youtube.com/watch?v=k0eNzs6g_MU(ドイツグラモフォン公式サイト)

ドイツ人の父と日本人の母を持ち、数カ国語を話す多国籍な環境で育ち、若くして脚光を浴びたが、近年は多発性硬化症に見舞われたという。天才チェリストといわれエルガーのチェロ協奏曲で一世を風靡したジャクリーヌ・デュ・プレも同じ病だったと記憶。ピアニストにとって指が動かなくなれば致命的だが、演奏活動を再開された。きっとさらにすばらしい演奏を世に出していただけると信じている。彼女に幸多いことを祈らずにはいられない。

コロナ下や病気に見舞われたときの感情を伝えるインタビュー動画がある。英語だが理解できる人は多いと思う。

★Life Is Like Prelude: Alice Sara Ott / Pianist
https://www.youtube.com/watch?v=6An9n79g7W0

上の動画を見たあとで、日本語で日経のインタビューを受けている人やドイツ語で答える人が別人のように見える。言語って背負うものや世界があるんだね。でもイスに座ってあぐらをかいているのがアリスの日常なんだね。
https://www.youtube.com/watch?v=Yqs4jEKYvCs(日経で日本語)
https://www.youtube.com/watch?v=YqBnaA4Eczs(英語)
https://www.youtube.com/watch?v=ypZW2TAmfhk(ドイツ語)

アリスはスタジオ録音よりも実演でさらにきらめく人のよう。気取っているのではなく天性の所作を持っている人。格調高いクラシックを演奏しているようで伝統の呪縛を脱ぎ去り、多様性の価値を身上としてもっと自然で飾らない心の動きを大切にしている演奏家。アリス=紗良・オット、もっと聴いてみたいな。

posted by 平井 吉信 at 00:53| Comment(0) | 音楽

2023年08月17日

真夏のベートーヴェン


盆と台風が過ぎれば秋の風が吹く。もう扇風機は必要ないだろうと思う。音楽にじっくり向き合いたい季節がやってきた。

そんな昨今、知人が興奮した様子で「ベートーヴェンの良さがわかった」と連絡があった。コンサートに行ったらしく、何を聴いたかと尋ねると「交響曲第7番」という。ベートーヴェンの交響曲では身体がもっとも動く作品だろう。20世紀のロックのごとく。「ベートーヴェンはもっと暗いと思っていた」とも。

そうでしょうか? あれほど愉悦を発散する音楽はないと思いますが。魂を鼓舞するリズム。屈折とか鬱積とかではなく、世界の中心に自分がいて心が晴れていくヒロイックな旋律(愛を叫ぶ必要はありませにゅ)、それでいて静かに自らをみつめるような緩徐楽章の深み、一転してスケルツォでは高笑いをしてみせる無邪気さ。音楽に人間の輝きや寂しさを構築できた芸術家ではないでしょうか。

ぼくがベートーヴェンに私淑したのは(いまもだけど)10代の頃。当時はレコードだけれど、ベートーヴェンの作品に浸り研究し共感して、彼の作品を自分以上に理解している人間はいないのではと思えるほど。著名な演奏家や団体のベートーヴェンを聴いて「これは違う」「ダメだ、わかっていない」などと叫んでいた。まるでベートーヴェンが乗り移ったかのよう。

コロナ下で仕事がなくなったとき、野山に出てスミレを見に行った。野山を歩いて路傍の小さき花を見つけるたび、生きている喜びを感じた(だから不安はまったくなかった)。

夜は体系的にベートーヴェンに集中してみようと、ピアノソナタ全集(4セットある)であれば、全32曲を第1番から順に数日をかけて聴いて、次に別のピアニストでまた1番から始めるといった具合。これだけで1か月は浸ることができる。

ピアノソナタ作品101では、憧れと憂鬱が混じり合った法悦とため息を織り交ぜた詩情がくすぐる。ショパンだってこんな詩情は描けていない。でもご心配なく。いつものベートーヴェンで締めくくるから。日本人の女性ピアニストはこの作品によく合っているように思う(誰でもいいので動画サイトで検索して聴いてみて)。

その次は弦楽四重奏曲(中期以降ぐらいから)をリピート。
交響曲はいくつかの全集と単売を。愉しい田園などは10数枚あるので、ワルター=ウィーンの戦前のSP復刻から、ベーム/ウイーンのNHKライブやBPOとのスタジオ版、いぶし銀のブロムシュウテットやスイトナーの演奏、シューリヒトの一筆書き、アバドの美音、古楽器ではノリントンやジンマー、深く沈み込むフルトヴェングラーははずせない。

ベートーヴェンに浸る月日が定期的に訪れては洗われていく。心の友、終生変わらずつきあっていく音楽と思っていたので、知人のその言葉に「まだ入口だよ」と返答した。優越感ではないのだ。

(第7はわかりやすいから。おそらく1楽章の序奏から主部でヒロイックに打ちのめされたんだろう、2楽章の中間部で深い安らぎを覚えたね、3楽章のユーモアに身体が動き出しそうになったんだね、全曲聴き終わったら高揚と恍惚を覚えたのだろうね。ベートーヴェンの音楽は人類史上もっとも習慣性と癒やす効果の高い麻薬かな。人体に無害なのはもちろんのこと。

第7番で世評の高いカルロス・クライバー/ウィーンを聴いてもピンと来ないところがある。彼はこの楽曲に呑み込まれてオーケストラを制動できていないように感じるから。でも実演ならクライバーは聴いてみたかったな、好きな指揮者だから。でも、ぼく自身は9つの交響曲で第7はもっとも聴く機会が少ないけど)。

これからこの深く魂が喜ぶ音楽の森を逍遙する歓びを味わえることがどんなに幸せなことかという励ましを込めたつもり。真夏のベートーヴェン、おすすめです。

posted by 平井 吉信 at 21:45| Comment(0) | 音楽

2023年05月28日

自然の音を部屋に流してみるなら アンビエント系なら このCDがおすすめ


環境音、アンビエント系のCDをいくつか聴いている。自然音に持続的な楽器を重ねたりギター、ピアノなどを被せたりしているのだけれど、メロディー要素が強すぎて(さも癒やして差し上げます)飽きるというより初手で視聴を停めてしまう(購入前の試し聴き)。

なかなか手持ちのものより気に入るものがないので、改めて紹介すると、まずはブライアン・イーノのこの1枚。何枚か出ているけれど、ぼくはこれだけあればよし。
Ambient 2: Plateaux of Mirror 

1曲目「First Light」」は宇宙空間を漂う飛行船から宇宙を眺めているような気分になる。音楽というより星々が共鳴しているような自然さがある(何度もいうけど、「うっとりするメロディーの弊害がない」)。それは人間社会の「癒やしいいね!」を押しつけられているような気分。名前は出さないけれど、アマゾンで人気の作曲演奏家もその傾向がある方たちが多い。
5曲目「An Arc Of Doves」では細胞がふつふつとほぐされながら湧き上がるような静かな快感がある。個々の楽曲というよりはアルバム全体が何度か繰り返し流していて違和感がない。音楽の存在を消しながら空間をつくるという意味で究極のアンビエントである。



「癒やし系の音楽」よりは自然音のほうが好きな方には、デラというレーベルが「ネイチャーサウンドギャラリー」と銘打って発売しているシリーズがある。そのなかでおすすめの2枚はこちら。

「せせらぎ」https://www.della.co.jp/collections/naturesoundgallery/products/dlns-112

軽井沢や屋久島などの渓流の録音だが、オンマイク(音源に接近しすぎた場合の直接音中心の響き=生々しさを強調)すぎないので、長時間浸れるもの。各音源が揃っていて連続して浸れる。




「高原の朝」https://www.della.co.jp/collections/naturesoundgallery/products/dlns-202
早朝に目覚めたときに、小さな音で部屋で流すと気持ちいいよ。主に野鳥の声なんだけど、音と音の間に隙間があるのが良い。波音だといつも波が音空間を満たしているけれど、これはそうではないので耳にやさしい。すがすがしさでは最右翼。



この2枚の録音とも空間が再現されるような優秀録音。ぼくは室内だけでなく車を運転するときもCDから抽出したデータを聴いている。日頃の喧噪を打ち消す別世界の波という感じ。

2022年7月に屋久島での自然音の新譜が発売された。販売形態はCDはなくデータ購入と配信のみである。
屋久島〜Deep Forest/ネイチャー・サウンド・ギャラリー(自然音)
https://www.della.co.jp/collections/naturesoundgallery/products/dlns-214

こちらは耳を澄ましてどんな場面かを想像する愉しさがある。
屋久島の森を目を閉じて疑似体験する心地がする。
「森に響く野生の声〜屋久島・西部林道」に続いて、雨の音を収録した「森に降る雨〜屋久島・安房林道」もあるが、これも意外に良い感じ。定番のせせらぎの後、「巨樹を仰いで〜屋久島・紀元杉」では風に揺れる木々の音と野鳥のさえずりが臨場感。最後の「山から大海を見下ろす〜屋久島・一湊矢筈岳」は海に面した山中から聞く潮騒だろうか。
「ただいま」のみを見つめること、それは瞑想や座禅の精神にもつながる。

購入するのなら直売サイトでも良いが、ダウンロード形式を選べるOTOTOYがおすすめ。
(Amazonの配信はMP3なので音質が落ちる)
データ形式は「wav」を選べば圧縮されていない音源となる。金額は非圧縮のwavもその他の圧縮形式も同じ(1,222円)。ただし自分の機器や端末で再生できるデータ形式かどうかを確認したうえで。
https://ototoy.jp/_/default/p/1330470

さらに音の良いハイレゾもあるが再生機器が対応しているかどうかを調べてから。
https://ototoy.jp/_/default/p/1330468

屋久島には続編「屋久島〜Water」があり、こちらも愉しめる。
https://ototoy.jp/_/default/p/1296866

なかでも2曲め「ウィルソン株の泉」では株の内部で硬質の残響が耳に残る。また、6曲めの「澄明の泉〜屋久島・大株歩道」はやさしいヤ行の響きの水音に溶けていくようだ。

「屋久島〜Deep Forest」の1曲目「森に響く野生の声」、「屋久島〜Water」の前述の2場面は印象に残る。


posted by 平井 吉信 at 17:00| Comment(0) | 音楽

2023年04月11日

荒井由実「生まれた街で」 ― 空から降りてきた感性の女神が季節の変わりを告げる


「生まれた街」は荒井由実時代のアルバム「ミスリム」の1曲目に収録されている楽曲。
弾むスタッカートの低弦でリズムが始まり、楽器が少しずつ増えていく。
(楽曲を通奏するこのリズムだってこれから起こる胸のときめきが編み込まれている)
良い編曲だね。ほとんどの人はこのカラオケ(ヴォーカルトラックのない基本トラック)では歌えないだろう。音の隙間へ声が滑り込んでくる不意打ち。
いつものあいさつなら どうぞしないで
言葉にしたくないよ 今朝の天気は

鼻腔をくすぐったのは葉っぱの香りだったかもしれない。
降り注ぐ午前の光、季節の変わり目に大気が運んできたのは、やや湿り気を帯びた空気感。
街角に立ち止まり 風を見送った時
季節がわかったよ

数種類の楽器が鳴っていながら静謐に情景を置いていく。主役は人の声だよ(80年代の音志向とは異なる編曲の妙)。
まちかどの並木道でふと喧噪がやんで空を見上げた少女の不思議なわくわくを
ありふれた日本語を列べて最小限の言葉で描いたね(天才少女の作品)。

歌詞は伸びやかに繰り返され、間奏ではフルートが即興風に羽ばたく。
聴く人それぞれが楽曲を自分の世界で紡ぐ時間。

心を遊ばせる隙間が詰まった、つまりは音楽に風を吹かせた希有の楽曲。
初期のユーミンのなかでもっとも好きな曲。

季節は春から初夏かも。
いまもぼくは追体験している。

〔収録アルバム〕


ぼくが実際に入手したのは初期のアルバム5枚をリマスタリングした音源(世界的なマスタリング・エンジニア バーニー・グランドマン氏によるデジタル・リマスタリング)(Yumi Arai 1972-1976)。音圧上げのhi-fi調に走らずアナログのような生々しさと透明感が増しているので買い足したもの。これと比べると初期のCDは音がこなれないのにぼやけている。マスタリングが良くなかったんだね。音楽でいうと初期4枚では「ミスリム」がもっとも好きだけど、尖った感性では「ひこうき雲」。完成度は「14番目の月」といったところ。「コバルトアワー」はあまり聴かないかな。松任谷由実になってからの「SURF&SNOW」「PEARL PIERCE」「VOYAGER」「Delight Slight Light KISS」などの80年代のアルバムがよりコンセプト志向で音楽が飛翔しているから。


写真は「海を見ていた午後」のインスピレーションで。
八王子でも横浜でもないけど、ぼくには海辺のまちと駅のほうがしっくり来る。
初期の荒井由実、人が感性を発揮するというよりは感性が人に降りてきているよね。
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posted by 平井 吉信 at 23:26| Comment(0) | 音楽

2023年03月18日

Give me your hand なつかしいアイルランドの音楽が流れた朝


豊臣秀吉が木下藤吉郎だった頃…じゃなかった、携帯電話がまだPHSだった頃、好きな女性からの電話では呼び出し音を変えていた(PHSについては2021年まで使っていたからPHS時代は遙かな昔の話ではないけど)。
(わくわくするよね、ポケットの奧からひそやかに鳴り出すと…)

その1 そろそろかかってくるだろう、こちらから電話しようかと思っていた(シンクロ性)
その2 かけようとは思っていなくても、なんとなく想っていたとき(にやにや。これは恋愛初期にあるよね)
その3 大勢の人に囲まれているが電話には出られる場面で仕事の対応のフリをしてその場を離れる(顔の表情を悟られぬよう苦虫をつぶしたような表情で)
その4 気まずい会話で別れたあとのコール(ほっとするというか、どきどきするというか。これもあるよね)


ぼくがこの音源に親しんだのはジョージ・ウィンストンの「PLAINS」(この単語を聞くと、The rain in Spain stays mainly in the plain〜スペインの雨は主に平地で降る―を思い出しませんか?)というアルバムの4曲目「Give Me Your Hand / La Valse Pour Les Petites Jeunes Filles」。

翻訳すると「手を貸してください、少女のためのワルツ」とでも(後半のフレーズはラヴェルの作品のようだね)。小さな女の子が無垢な笑顔で草原で花を摘みステップを踏むような様子をピアノが珠を転がすよう。この曲を生で聴いた(ジョージ・ウィンストンの徳島でのコンサートがあったとき)。ぼくの隣でその女性は座っていた。

それで…なぜ思い出したかといえば、ピーター・バラカンさんの朝のFM番組「ウィークエンドサンシャイン」から。
→ 聞き逃し https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=0029_01

土曜の朝はいつもこれをラジオから聴いている。1週間を終える(始める)のに気持ちがなごむひととき。きょうはアイリッシュのグループ、チーフタンズの特集。

アイリッシュテイストの音楽ということでは、hatao&namiの2020年のコンサートを聴きに行った。アイリッシュを聴くと人によっては無印良品の店内にいるような錯覚を覚えるかも。

まあそんな感じで今朝のラジオに浸っていたら、聴き覚えのあるあの旋律(少し装飾音が加わっている)。一瞬、電話がかかってきたかの条件反射が起こりそうになった。アイルランド語のタイトルは「Tabhair dom do Lamh」(トール・ドムド・ローム)。Danny Boyにしても懐かしいような気分のまま魂を鼓舞されるアイルランド音楽。

互いになかなか時間が取れないなかで彼女とはキャッチボールをしたことなども思い出した。あの無邪気な笑顔で本気になってスローイングしてくるのだから。その後彼女は大きな挑戦を続けていまに至っている。とてもうれしい。

ぼくがその女性のために最上と思って無意識に待ち受けに選んでいた音楽が朝のラジオから予告もなく流れ出したとき数十年の巻き戻しがあった。ということで心の動きを綴っておいた。

追記
ジョージ・ウィンストンのなかでも「PLAINS」は透明な叙情感よりも、毎日聴きたくなるやさしさに横溢された作品。入手が難しくなる前に予備を買っておきたいぐらいだけど。

posted by 平井 吉信 at 11:43| Comment(0) | 音楽

2023年02月19日

「海を抱きしめて」 おぼえていますか


湘南あたりを舞台に放映されていた昭和の学園ドラマで番組の終わりで中村雅俊の歌が流れる。
主人公たちとドラマの回想をしているような気分になりつつも、明日からの現実が交錯する数分間。

生きていくことがいやになるようなとき心が独白するとき、人は海に浸る。

幼な児よりも ひたむきに遠い名前を叫んで…



加山雄三にも「海その愛」という名曲がある。
海に抱かれて男ならば

どこか現実離れしているようで、夢を見続ける生き方に徹することができた希有の人。

バート・バカラックが残した名曲の数々のなかで、ぼくにとってひときわ身近に感じる曲が「Raindrops Keep Fallin' On My Head](雨にぬれても)。
Because I'm free Nothing's worrying me


この曲の世界観も近いと感じる。歌詞も楽曲も歌も子ども心にしみ通った。歌っている人は味があるけど苦しそうだな、歌うまくないなと思っていたら、2023年になって知ってしまったこと―B. J. トーマスが録音直前に風邪を引いて声が出なかったとか。でも「free」と何かを吹っ切るように声を響かせるところが好きだ。

明日をも知れぬ社会を前を向いて歩いて行くのだから、心に寂しさや切なさをたたえたまま微笑んでいる人間の姿勢。ロシア兵にもウクライナ兵にも届けたい気がする。

さて写真は「海を抱きしめて」の着想で選んだ。
このブログを愛読されている方にはどこかおわかりの場所でしょうけど。
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汗ばむ心潮風が 洗うにまかせれば
いつのまにか生きることが
また好きになるぼくだよ


posted by 平井 吉信 at 00:05| Comment(0) | 音楽

2023年02月03日

いつまでも「大切な言葉」燕奈緒美・燕真由美 


だれかを好きになる。
悶々とした日々を過ごす。

意を決して前を向く。そして動く。
……報われなかった。

失恋はこころの栄養になるはず。そのときはつらくても。
失恋の手前は苦しさの極大、そうでありながら甘美のきわみ。
もしかして叶うのではないか、もしかして…

そんなことを何度か、何度か。いや、何度も重ねて。
それは人が生きる試練というより、しあわせに近づくみちなかば。

歌にしてみたらこうなった。
「大切な言葉」
燕奈緒美・真由美姉妹の1985年の作品。

失恋のラブソングの理想を描いたような
失恋の体験を同調同期して共感の振れ幅を大きくする楽曲。
ラブソングを10曲選ぶとしたら、ぼくは選ぶ。
普遍的でどんな人の胸にも響くだろうこの曲を。

燕真由美さん、2023年1月24日ご逝去。
ザ・リリーズとして姉妹で活動を始めた頃、ぼくは知らなかった。ヒット曲「好きよキャプテン」を。
この楽曲はリリーズ名義ではなく、二人の名前を並べてクレジットされている。
そしてこの王道のラブソングは現在いかなるパッケージメディア、配信でも入手できなくなっている。

手持ちのシングル盤 ビクター音楽産業から発売
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レコードはいいよね
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久しぶりにターンテーブルを回そうにもアーム直出しの出力コードでアース線が断線している。
MCカートリッジのダンパーも動くのだろうか。

忘れないあなたから贈られたあの大切な言葉(ワンワード)
永遠にせつなくて……


この曲をうたってくれた燕姉妹をぼくは忘れない。

動画配信サイトで聴いてみてください。
燕奈緒美・真由美−大切な言葉(ワン・ワード)
posted by 平井 吉信 at 21:59| Comment(0) | 音楽

2023年01月23日

アグネス・チャン「ぼくの海」 帰る場所がなくなっても……


アグネス・チャンが「ひなげしの花」でデビューしたときは衝撃だった。
歌い出しの躍動するスタッカートのリズム(ものまねのネタにされた)とサビのレガートの対比。透明感あるメゾソプラノの声で♪の間をスラーでつなぐと天使が降りてきたみたい。鈴虫の声のようにキュンと通り過ぎて、首をかしげる所作、腕を上げて掌をひらく動作と相まって歌とか立ち居振る舞いがそのままの芸術となる。17歳の女の子にしか歌えない時分の花。

初期の歌でぼくが好きなのはシングル2枚目の「妖精の詩」。冒頭のリズムの刻みは春を感じて土から虫が出てくる(啓蟄)、そよ風がノックする電子ピアノに誘われて彼女の声が降りてくる。「春がめぐりきた印です」の暗示。繰り返しながら降りていく音型、「太陽のガス灯を星の靴履く少年が磨き出す」なんて詩的な表現。スラーで結ぶアグネス節は魅力的。ぼくがスミレを好きなのは春がめぐりきた象徴を感じるからとしても、この楽曲は恋の芽生えとともに春の訪れを待つ心にも届く。その次の「草原の輝き」が春の甲子園の入場行進曲となった年は部員11人の山間部の公立校が準優勝したことを忘れない。

あと好きな曲を何曲か挙げると、「白いくつ下は似合わない」。デビューから3年後の11枚目のシングルで荒井由実作詞作曲。歌唱は格段に進歩して日本語の心の綾を描いていく。ひたすら歌唱の海に心を委ねる。デビュー当初の物珍しさでなくヴォーカリストとして聴いている。

松本隆、吉田拓郎による18枚目のシングル「アゲイン」もいい。目をつぶっていてもわかるマイナーにむせぶ拓郎節の旋律は諦念さえ漂いつつ物語を紡いでいく。
「点になる蒸気機関車 霧晴れてあなたが見えた」

松本隆の作詞も映画のよう。短調から転調しながら降りてきて空気が変わる。なんて良い曲なんだろう。ためらいと決意が胸を打つ。

CDでは次のベストがおすすめ。


入手が難しければこちらでも。


実はこのままでは終われない。アグネス・チャンの曲でとても好きな作品があって、それがいずれのベストにも収録されていないのだ。それは1980年の23枚目のシングル「ぼくの海」(B面は同曲の英語版で「Children of the Sea」でアグネス・チャンの作曲(英語版は作詞も)。この楽曲は戦争(内戦)で故国を船で脱出するボードピープルの旅立ちをうたう。父親が戦死し母親とともに新天地を夢見る母の祈り、子どもの願いであり、海の向こうにはきっとしあわせがあると信じている。

もういくつ寝たら 海がなくなり
走りまわれる 浜辺に着くかな
今夜は100まで 星を数えるよ
明日昇る太陽 今日より大きいさ

1980年の日本は(香港も)政変とはほど遠い平和を謳歌していたが、彼女の視点は別の世界に思いを馳せていた。親しみやすい旋律でありながらその楽曲にも似ていない感じ。切なさがこみ上げてくる。

切なさだけでない、ひとすじの希望が込められている。希望もしくは未来を信じようとする決意とでも。ぼくもともに祈りたい。

We are the children of the ocean
We are the children of the sea
海の向こうに きっとあるね
しあわせが しあわせが


追記

もう一度この楽曲を聴きたいと思っていたら
(ぼくが調べた限りでは配信音源もない)
なんとCDシングルがタワーレコードで復刻されている。
(もし現在の彼女が歌ったとしてもこの世界観を体現できるだろうか。時分の花はそのときだけ咲いているというのも哀しい現実かも)
2曲目はかつてのシングルの裏面と同様、英語版である。
オンデマンドのCD-R受注生産であるが取り寄せは可能である。もちろん正規音源。
https://tower.jp/item/5672969/%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%81%AE%E6%B5%B7

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posted by 平井 吉信 at 20:16| Comment(0) | 音楽

2022年12月17日

凍てつく夜空に月の光 ドビュッシーとベートーヴェンの音楽


ふたご座流星群が終わって凍てつく冬の寒空。大松川沿いの真っ暗な道を自転車の灯火だけを頼りに帰路に着いた中学時代。学校の屋上には五藤光学製20センチ屈折赤道儀があり、それを観望しての帰りだったかもしれない。

この頃からドビュッシーの「月の光」(ベルガマスク組曲)は好きだった。
クラシック音楽が好きそうに見られるけれど、そうではなくて好きな作曲家の作品が好き。時代は関係ない。

年末だから第九ではないのだがベートーヴェンについても話題を。ベートーヴェンの最高傑作は「英雄」と思う。作曲されたのが1804年で今年で218年が経過する。ハイドンやモーツァルトを聴くと雅な古典(教養)だなと思う。マーラーやブルックナーを聴くと後期ロマン派(はまりたくない。ま、ブルックナーはいいけど)に括ってしまう。それなのにベートーヴェンはいまも生きているようだ。

ロックやブルースが好きな人、ヒップホップやラップが好きな人が聴いても世界に没入できる可能性がある。そんな音楽はベートーヴェンぐらいだろう。なかでも英雄は最後まで止められない。魂の輪郭があるとすればどこまでも膨らんでいく宇宙の開びゃくのような快感。ほんとうにそうだよ。

そしてドビュッシー。10代のぼくはアンセルメ/スイスロマンド交響楽団の「牧神の午後への前奏曲」に入り浸っていた。ベートーヴェンとは天と地ほど違う音楽だけれど、ぼくのなかではたったいま生まれた音楽がぼくのなかでさらに囁き始める、といった趣。そしてサンソン・フランソワのドビュッシーのピアノ選集を聴いていた。

冬の凜とした夜空に思いを馳せて「月の光」が奏でられると、どこまでも空間に煌々とまどかなる光輪がさんざめく。音楽ってこんなに広がるものかと。ドビュッシーの天才が匂い立つ。

動画投稿サイトで見つけた「月の光」を見つけた。演奏者は野上真梨子さん。目を閉じると遙か銀河の月世界に誘われる。月は清らかだけれど、決してなよなよしない凜としている。だから月の光にも過剰なロマン(人間の表現)を求めない。例え作曲者の音符に書かれていたとしてもピアニシモがピアニシモしすぎないし、フォルテもピアノを底まで鳴らしきる必要はない。かといってムード音楽ではない。表現を超えた静けさが必要だ。野上さんの演奏はぼくには理想の抑揚だ。
https://www.youtube.com/watch?v=6NIdECGkXgA

それにしても朴訥でふくよかなこの音色はどうだろう。楽器は1911年製のフランスのプレイエルが使われているようだ。アルフレッド・コルトーがショパンを弾いていた楽器と同じかもしれない。ダイナミックなヤマハやくすんだきらびやかさを持つベーゼンドルファーなどと違う音色に聞こえる。

ドビュッシーは必ずしも標題音楽とはいえないのだけれど、「月の光」の醸成する空間はたおやかでまどかで光がみなぎるきらびやかさ、けれど静寂という音世界。フランソワやベロフの演奏よりも良いと思ったので野上さんのCDを探したが未発売のようだ(YouTube音源のみ)。

野上さんはベートーヴェンのピアノソナタ作品101も演奏している。
運命や第九のベートーヴェンとは違う、でもベートーヴェンらしい憂いと愉悦が感じられる。
このソナタの曲想には精緻でダイナミックなピアニズムは似合わない。ツイマーマンは好きなピアニストだけどおそらく合わない。ぼくがピアニストなら、やや早めのテンポで、強弱はあまり付けず、モーツァルトのソナタのような接し方で、シューベルトやブラームスを無造作に流すような。要は感じているけれどさりげなく繊細すぎない調子で。まるでベートーヴェンが(若き日の)ヨゼフィーネを回想しつつ(不滅の恋人といわれた)アントーニアに接するように。

ピアノはスタインウェイのようだ(これもプレイエルで聴いてみたいような気もするが)。
誰が弾いても美しい曲で彼女の演奏で作品101に浸ることができる。
https://www.youtube.com/watch?v=yW-hdU7O_fY

そうか、きょうはベートーヴェン生誕252年と1日だったな。
posted by 平井 吉信 at 23:13| Comment(0) | 音楽

2022年12月06日

また見つけたベートーヴェン ああこれもベートーヴェン 


年末は第九というけれど、思いがけず第九に出会った。
音源は例の動画投稿サイト。
Beethoven- Symphony No. 9 - Jordi Savall with Le Concert des Nations (complete symphony)1:07:39
https://www.youtube.com/watch?v=FwDo7MdaxhA
(DW=ドイチェ・ヴェレが録音したと思われる音質も極上だ)

指揮者は、Jordi Savall (ジョルディ・サヴァール)、オーケストラは、Le Concert des Nationsという。古楽器を中心とした編成のスペインのオーケストラのようだ。

指揮者の名前もぼくにはなじみがなく、スペインのオーケストラでのベートーヴェンも初物。ところが第1楽章を聞き始めるとそのまま最後まで聴き通してしまった。

古楽器(ピリオド楽器)でのベートーヴェンは、ノリントンやジンマンなどがあって、ぼくもそれぞれ全集のCDを持っている。ベートーヴェンの9つの交響曲は10代の頃から魂の近くに感じている音楽なので、フルトヴェングラーやワルター、ベーム、ムラヴィンスキー、チェリビダッケ、C.クライバーなどの往年の巨匠、スイトナー、ブロムシュテット、シュミット=イッセルシュテットなどの中堅(かつての)、若手ではラトルなど、変わったところではシューリヒトのアナログレコードの全集(田園と英雄が聞きたくて全集を買ったのだ)などもある。

カラヤンの第一と英雄のCDがある。これは2003年2月22日にドイツ連邦共和国総領事館の副総領事ヴィリ・シュペートさん、広報担当翻訳官の大谷恵子さんをお招きしてドイツのビオトープの勉強会を開催したことがきっかけとなった。打ち上げの席でシュペートさんにベートーヴェン愛を語っていると(大谷さんのの通訳を介して)後日、ドイツ国の資料とともにいただいたもの。250年のときと距離を隔ててなおベートーヴェンの音楽は人々の心をつないでいる。
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さて、サヴァールの演奏について。サヴァールの演奏は理知的で淡々としているように見えるが、オーケストラの団員は熱演だ。古楽器を使っているので縦の透明度が高く、思いがけず対旋律が浮かび上がっては消えるけれど、そこに関心しているのではない。テンポは早めだが、おそらく近年のベートーヴェン研究の成果だろう。ベルリンフィルやシカゴフィルなどでは重厚なテンポでも音楽が持つが、編成の小さい古楽器オーケストラでは早めのテンポが採られることが多い。それでも伝統的な厚みのオーケストラを聞いた後でも違和感がない。音楽の立ち上がり、立ち下がりが早く、切れ味が鋭い。しかしそれを売りにしているわけではない。オブリガードの存在感でピリオド楽器だと気付かされるけれど、何度もいうけど違和感がない。

まあアレグロ・マ・ノン・トロッポの第1楽章、第2楽章のスケルツォはオーケストラの特性から良いだろう。でもアダージョ・モルト・エ・カンタービレの第3楽章はどうだろう?と思いつつ、第3楽章が始まると、テンポは早い。この楽章は現代オーケストラの厚みのあるカンタービレが良いのではと思うけれど(あの時間が止まったかのようなフルトヴェングラーのように)、室内楽のように音楽が精妙に息づいて天国の木霊のように明滅する。ああ、第2主題……。これ、実演で聴いていたらたまらないだろうな。

第4楽章はもっとも高揚する。ベートーヴェンの音楽もそうだけど、この演奏もそう。合唱も小編成で透明度が高く、ソロの4人も申し分ない。相変わらず音の出し入れが巧みな伴奏と控えめなコーラスだが、物足りなさは感じない。節度がきいているのに熱を帯びているとでも表現すべきか。全合奏では会場の底まで鳴り響く。熱演としか。指揮者は淡々と振っているが楽団員はベートーヴェンが乗り移ったかのようで。ミサのような美しさと透明度にどこかへ旅だってしまいそうだ。

このコンサート(ライブ)は2021年に開催されている。絶叫しないコロナ下でのベートーヴェン。そのように見えて天使の訪れのような終楽章に隠された人間の熱がほのかに確実に体温を上げていく2021年のベートーヴェンなのだ。

買うしかあるまい。青年ベートーヴェンの忠実な肖像画がジャケットになっているこの全集も。
ぼくはこれだけで生きていける―、そう思えたのだ。

第1〜第5まで(YouTubeには英雄と第5があり、これらもすばらしい)


第6田園〜第9まで


YouTube
英雄
第1楽章 第2楽章 第3楽章 第4楽章

第5
第1楽章
第2楽章
第3楽章
第4楽章
posted by 平井 吉信 at 23:57| Comment(0) | 音楽

2022年11月05日

潮騒からこぼれた幸せな時間 SURF&TEARS(杏里)


杏里の1987年の作品。
この曲が好きでシングル盤を買っていた。
SURF&TEARSは杏里のアルバムには長い間収録されず、
そのうち新バージョンに変わったが、そちらはなじめない。
(ベストアルバムに収録されているのは1987年版ではないよ)
やはり1987年音源で聞きたいと思っていたら
アルバム「SUMMER FAREWELLS」(これもオリジナルは1987年)が2011年にBlu-spec CD(リマスタリング)されたときにボーナストラックとして初めて収録された。

このアルバムもなつかしい。
若者がサーフィンやディスコを愉しみながら気が向いたら海外へ出かけていた時代の音楽。
(そんな時代もあったな、という懐古調はつまらないのだけれど)
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音楽を聴いて元気になりたい人は一度視聴してみたら。
アルバム全編を通して佳曲揃いで、しかもコンセプトが通っているので浸れるよ。

杏里は1987年には2枚のアルバムを発表している、
「創作の泉をかろうじて書き留めてみたのよ」といわんばかりの前のめり&充実感。
つくりモノ感がなくライブ感が横溢している。
時代と作り手と歌い手が一体化しているからだろうね。

それぞれの思いで生きていこうとする若者の背中を押してくれた時代。
歌のなかに個人の心の動きをごくパーソナルに閉じ込められた時代とでも。
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このアルバムを聴き通して世界観が身体をあの頃に染めてしまってから
いよいよ待望の曲が始まる。
もともとのオリジナルアルバムには収録されなかった「SURF&TEARS」について書くね。
(何度も書くけど、SURF & TEARSを聴くのなら、アルバム「SUMMER FAREWELLS」(Blu-spec CD)に収録されているバージョンで)
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歌の物語はこんな感じ。
10代の頃、サーフィンをしている彼に出会った。
波に乗ることが夢で、その夢を追いかける姿に夢中になった。
彼の夢は彼女の夢、区別する必要ある?
週末の夜明け、天気図を眺めては低気圧がやってくる西をめざしたこともあった。

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ふたりの夢がサーフィンを通して一体となった夏の物語。
でも、彼が波乗りをやめた夏、ふたりの恋は終わった。
(恋と憧れと夢と情熱の輪郭が溶け合ったようなふたりだったんだろうね)

 夏よ いつまでもふたりを守って♪
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彼との夏は色あせることのない永遠の思い出。
それどころか生きる勇気に変えてくれるときのひとしずく。
夏の日の情熱、焦燥、憧れ、切なさを1曲に凝縮しながら音楽は流れる。
そしてその力はどれだけ年月が経とうとも消えず、輝きとなって戻ってくる。
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posted by 平井 吉信 at 12:01| Comment(0) | 音楽

2022年09月17日

桜坂 ガリレオ 観音経 KOH+(そして桜坂の輪廻)

テレビは30年以上使っているSONYのトリニトロンブラウン管(プロフィール15インチ)。
現在も骨董品ではなく普段使いだが、テレビを見ることはほとんどなくなった。
番組がつまらないから。人々を幸福にするようなメッセージを伝えていきたいと願っているけれど、映像を見るにしてもインターネット経由でパソコンで見ている。

例えばNHKプラス(見逃し番組が期限付でインターネットで配信される無料サービス)で、Songsで福山雅治と柴咲コウが出演した番組が配信されていたので見てみたらこれがよかった。

ホスト役の大泉洋(ああ鎌倉殿!)が福山(龍馬伝)、柴咲(直虎)の両名を迎える構図から始まる。最初は大河の主役をこなした二人のやりとりから始まってそこへホスト役(大泉カットイン)がやりにくそうに入ってくる間合いのオープニング。

大河としては龍馬伝は歴代でも失敗作と思っている。主役の福山さんが肩に力が入っていて楽しめない。龍馬を演じるのではなく、龍馬が福山を演じるでよかったのにと思う。誰がやっても相手が大物だけに位負けするが、歴史人物の龍馬に会ったことはないが、彼には理想主義と現実の狹間を際どく渡っていく真剣勝負の遊びといった魂の解脱が感じられる。ある意味では福山さんの地の部分と似ているとも思うのだ。いまの彼なら龍馬伝を愉しんでやれるのではないか。

今回の短い番組で彼の話術のおもしろさに感嘆した。笑わせようとしゃかりきになるバラエティ出演者たちと違って、自分がクールでいるがゆえに(それゆえいっそう)次の瞬間のオチへみごとな虹をかけられるのだろうね。かつて日曜夕方のFM番組だったか運転中に聞くともなく聞いていたことを思い出した(ぼくは番組中の彼の語りのものまねができる)。

大河としては失敗作ともいわれる直虎だが、ぼくはおもしろいと思っている。もちろん柴咲さんの魅力が大きいし、俳優としての存在感を極めつけに打ち出した高橋一生が忘れられない。大河では直虎の勝ちといったところ。

直虎で印象に残っているのは、観音経を唱える場面で彼女が旋律をつくって謡いとしていたことだ。どのような場面だったか覚えていないが、里山の風景で画面が引きとなってこだましていく美しさに浸った。このブログでもぼくは祝詞や読経を日常的に行っていることを触れているけれど、実は観音経を謡のように読んでいる(観音経とは「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」で普段はその要約版「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」)。

観音経を奏上していくと何度も現れる「念彼観音力」というフレーズに、観音という他力(宇宙の真理)に溶けていく心地がする。「衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦」まで来ると、自分が消えて天上から響く声を他人の自分が聴くような不思議な心地がする。「種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅」の下りではいつも勝手に右手が天に向かって動き、「無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間」で祈りが極まる。
「滅除煩悩炎」で再び空間を切るように手が動いてピークアウトする。その後に続く「妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念」はフォルテのあとの静かな歌い出しのように張り詰めた静けさに包まれ、コーダに向けて静かに結ぶ。

読経しているとどこからか旋律(謡い・歌舞音曲)が舞い降りてくる。それが観音経の力かもしれない。柴咲さんも同じ体験をされたから自然に出てきたのではないか。
この楽曲は「直虎」のサントラにも収録されていうが「謡い経」として1曲のみの配信で買える。


この二人はご存知「ガリレオ」の主役で近々新作が上映されるという時期。
湯川教授は福山雅治以外はできないだろうと思えるはまり役。それまでの定番だったサスペンスや刑事物の押しつけられた正義感が窮屈かつ退屈と感じた(「相棒」ですら楽しめないのだ)。
湯川教授は数式(論理思考)を信じて淡々と行動するけれど、そこに彼なりのモノサシがある。それは道徳とか倫理観とも違う本能的な心の動きだが、そこを隠してクールを装うのが魅力的なのだ。

ガリレオからのスピンオフで柴咲コウとともにKOH+というユニットを結成しているが、Songsの番組中ではユニットの歌を披露。「KISSして」が愉しかった。その他の楽曲も魅力的で音声だけでもすばらしいが映像が加わるとさらに印象が深まる。いつまでも見ていたい。

CDのみ


CD+DVD


番組では桜坂を3人で3声(オクターブユニゾン+長3度)でさらりと歌うとくつろぎの時間が流れた。
桜坂は福山雅治の世界観が凝縮された楽曲で、桜坂が特定の場所を素材にしているとしても、桜の咲く頃に誰かと肩を並べて歩いたみち、という普遍的な状況に置き換えられる。その普遍性(普通の良さ)が魅力ともいえる。

桜坂は柴咲コウもカバーしている。Amazonプライムでどちらも聴けるが、人肌のぬくもりを飾らず誰にでも普遍のメッセージを届ける福山オリジナル桜坂は低回する節回しが聴き手を揺さぶる。楽曲を桜色に染めて黄昏の空気感を浸透させていく柴咲桜坂もすばらしい。

関係のなさそうな連想がつながった。実におもしろい。

大泉洋も含めて3人のやりとりがなごむのは自分をさらけだしつつ他人を不快にさせないことが自然体でできるからだろうね。
いまの時代の楽曲がつまらないのは音楽をやる人間の責任ではないかもしれない。自分が幸福を感じていないと誰かに幸福感を届けることなどできないでしょう。社会を変える一歩は自分ができることから始めることだけれど、あるべき姿をいつも思い描き続けること、そしてそのことを発信していくこと。この拙いブログに存在価値があるとしたらそこしかない。
posted by 平井 吉信 at 12:29| Comment(0) | 音楽

2022年08月11日

心のオアシスのようなギタリスト 朴 葵姫(パク・キュヒ) 雲に浮かぶ夢見ごこちの音色


このギタリストは何度か聴いていた。でもAmazonプライムで楽曲を見つけて聞きこんでみたのだ。

技術は飛び抜けているが、ギターを弾かず音楽はギターを包むように内へと凝縮されていく。音色は温かい、線は細くない、響きに溺れない、効果は狙わない。セゴビア、イエペス、ウィリアムズ、ブリームなど欧州の著名ギタリストの誰とも似ていない。

ギターの楽曲はスペインやブラジルなどのローカル色が豊かなものが多いが、彼女は一度ばらして再度彼女の調子で組みたて直す。そのため聞き慣れた楽曲でもどこかリズムやフレージング、強弱が異なって別の楽曲のように聞こえる。東洋人のぼくにはなぜかしっくり来る。
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子どもの頃、親父が持っていた中出阪蔵や河野賢などの手による手工ギターをつま弾くことがあった。中出の表板はドイツ松、裏板はハカランダ(当時は南洋材がまだ入手できた)。重厚でつややかな音色。河野は杉の表板にローズウッドではなかったか。こちらはやや明るく粒立ちが良かったと記憶している。

中学の頃の愛聴盤は、ビートルズやキャンディーズやアリス、中島みゆきなどではなく、ギターの楽曲。特にヴィラ=ロボスの5つの前奏曲が好きで、ヤマハのCA-400プリメイン、シュアーのMMカートの付いたベルトドライブのレコードプレーヤーYP-311、スピーカーは20センチ2ウェイのNS-430。これらは白木の仕上げで当時流行していたパイオニアやトリオ、テクニクスなどのシステムコンポと違って、普及価格帯のバラコンであったが音楽を上品に聴かせる(色づけなくというとわかりやすい)装置であった。しかもNS-430はアッテネッターがなく低域の反応が極めて早い。そのため歯切れの良さはその後に購入したどんなスピーカーも上回った。(残念ながらいまのヤマハのプリメインにはCA-2000やA-2000の遺伝子は受けつがれていないように感じる)。

この装置で中学生がヴィラ=ロボスを聴いているのであった。あれから幾年月、韓国の若い女性ギタリストがヴィラ=ロボスをレパートリに下げて録音したアルバムを聴いた。「Saudade(サウダーヂ)−ブラジルギター作品集−」と銘打たれたアルバムには前奏曲の2番と5番が収録されている(1番をどんなふうに演奏するのだろうか興味がある)。

彼女は決して弦を弾(はじ)かない。ギタリストやピアニストならついこう弾きたくなる。それぞれの固有の楽器を切れよく響かせたい。でもそれをやると、楽器の嫌な面、飽きやすい側面も見えてくる。

彼女はそうではなく、音色はギターとともに音楽がその場にとどまり、聴き手の感情もそこに寄り添う感じ。内へ内へと紡がれる音の原画だけれど、しんねりむっつりしないし退屈もしない。音の響きは決して内向的ではなく外へと波紋を広げていく。さりげないけれど息の長い抑揚、それがもたらすうねりを感じる。もっとも近い日本語の言葉ひとつで表すと豊かさかもしれない。さらに装飾が許されるならば、ゆりかごのような揺さぶるリズム感、楽曲との独白感、心に湧き上がるおだやかな白い雲とでも。

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ぼくがもっとも好きなのは「Saudade(サウダーヂ)−ブラジルギター作品集−」



初めて聞く人はアルハンブラの思い出(これもていねいに弾いている)の入った「FAVORITE SELECTION」



美しい佳曲を味わいたい人は「Harmonia -ハルモニア-」



技術のキレとしっとりと濡れたような表現が両立する「スペインの旅」


コロナで家でいる機会が増えた人へ。心のオアシスのようなギターの音色はいかがですか?
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(写真は8月のあすたむらんど)
タグ:ギター
posted by 平井 吉信 at 00:22| Comment(0) | 音楽

2022年08月08日

ひまわりの咲く国、森を風が吹き抜けるエストニアから歌姫Mari Kalkun


ひまわりは日本固有種ではないけれど、もはや日本の風物詩。
子どもの頃からひまわりが好きで、双葉から本葉が出てすくすく伸びて大輪の花を咲かせる姿を毎日眺めていた。牧野富太郎にはなれないけれど、牧野少年に負けず劣らずの好奇心と生涯に渡る植物への思いは変わらず。

ひまわりといえばウクライーナ。2月に侵攻が始まって6か月目に突入した。これほど長期化するとは想像できなかった。意のままにならなければ国を挙げて威嚇(武力に訴える)する。国益と称して世界のあちことで人間のつまらなさを見せつけられている。

信者を集めては食い物にするカルト集団と自民党との関係が少しずつ明るみに出ている。今回の選挙の前によく考えて投票すべきと書いた。国民をむしばむ政治勢力に投票してどうするのだろう。目覚めよ、国民(の趣旨で記事を書いた)。
NHKが政権の暗黒部をまったく報道しないのはどうしてだろう? 自公政権の闇など見ないふり。ぼくはNHKの受信料の支払いを多くの国民がボイコットしてみてはと考える。権力になびいて忖度しているのはNHKだけではないけれども。
とにかく旧統一教会は明らかな反社。関わりのあった議員は政党を問わず辞任すべき。だって十万円程度の給付金や補助金でも反社会勢力でないことを誓約している一般国民の感情からは有り得ない。

ニュースを見ていると感覚が麻痺してくる。世界のどこかで似たような光景が繰り広げられる。しかしテレビ(パソコン・スマートフォン)のスイッチを切れば縁も切れる。食事は何をつくろう(食べよう)、今度の休みはどう過ごそう?などと日常に戻れるから。もしかしたら心の痛みに気付いていないふりをしているのかもしれない。それは一種の自己防衛反応。

音楽の話題を。
それはエストニアの音楽。まずは国の話題から。
バルト三国のうち、もっとも北に位置するエストニアは北欧のIT先進国で日本が手本とすべき国。国民がIDを持ちながらも個人情報を管理するのは国ではなく本人という先進性。国土でもっとも高い標高は3百メートル少々と平原の森に覆われた大地。

そのエストニアの森や湖を感じさせる音楽がMari Kalkun(マリ・カルクン)。
https://www.youtube.com/watch?v=rQ0debTEu7o

エストニアの少数民族の言葉(volu語)で歌われた大地を潤す雨への感謝の歌である。民族楽器のカンネルの弾き語りの楽曲は素朴だけど心に風が吹く。カンネルはエストニアの琴のような古楽器で指で弾くし弓でこすることもある。

「風」の正体は、風土と人間の一体感、それが歌の原点。森のざわめきや湖の静けさを感じさせてくれるから。

上記の動画で中間部で演奏者による声の掛け合いがある。まるで野生の鳥や獣が互いの存在を確かめ合うよう。エストニアが独立したのはソ連の崩壊のとき。エストニアの人々はそれまで禁じられていた民族音楽を、声を合わせて歌うことで心を通わせて静かな独立を果たしたという。ぼくはMari Kalkunが日本に来たら聴きに行きたい。

上記の動画の楽曲が収録されたCD(Vihmakono)を発注したのが春先だったが、ウクライーナ情勢の影響からか数ヶ月が経過して入荷することはなかった。さらに調べてみると、彼女のCDのライナーノートを書いている東京の小さなCD店があり、そこに取り扱いがあることを知った。この店については以前にも紹介したことがある。この店はジャンルは問わないが特定の音楽を深く紹介しているコンセプト志向。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/187188689.html

いまの時代に手づくりの情報で、流行とは相容れないけれど琴線に触れる音楽を1枚1枚紹介している。
https://shop.ameto.biz/

ようやく届いたCDに浸っている。エストニアの森と風を感じる、と書くと情緒的に過ぎる。でもここにはコード進行とかAメロとかサビとかの言葉とは無縁の人類が自然に歌するようになった頃からの遠い時間の風が吹いている。ホモ・サピエンス初期の歌とヨーロッパ大陸の片隅の古楽器、民謡と現代の音楽が境目なく溶け合ったともいえる。

(情報提供)
音楽だけを聴きたい人はmoraの配信がある。
https://mora.jp/package/43000033/A66520/

エストニア語の和訳や歌の世界観などの解説が読みたい人は配信ではなくパッケージで(輸入盤と国内盤があるが国内盤がお勧め)。国内盤のCDで新品が入手できるのはこの店だけ。
https://shop.ameto.biz/?pid=31510541

最新盤「Ilmamõtsan」(邦題:森の世界の中で)はまだ入手できる。視聴してみるとこちらも良かった。いや、さらに純化されている。こちらも必聴。目の前にMari Kalkunがいるようだが、素材を磨いていくとオーディオ的な快感とはまた違う生々しさになったという録音。豊かな音空間が部屋に浸透し心に沁みてくる。


大好きなひまわりを少しだけ。
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ひまわりといえば、斉藤由貴の「風夢」で名曲「砂の城」「12月のカレンダー」に続いてA-4に収録されている。これも名曲。いやこのアルバムでもっとも光っている。


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空はツナガッテイルことをわずれない
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posted by 平井 吉信 at 23:15| Comment(0) | 音楽

2022年07月29日

パイナップルとユートピア 聖子の輝いた夏(音が違う2種類のCDについて)


松田聖子のアルバムで頂点をなす2枚は夏を題材にした松本隆の叙情詩。そしてそれにいのちを吹き込んだのは彼女の歌。

絶頂期で過密スケジュールだったという。ユートピアを録音したのは深夜の東京のスタジオだったらしい。アルバム中の名曲「マイアミ午前5時」「セイシェルの夕陽」では疲労困憊の彼女が残したテイクに抜け感がないとプロデューサーが指摘。

ところがアルバムに残されているのは、行ったことのないフロリダやインド洋の真珠を目の当たりにしているような錯覚。詩、曲、編曲、声が一体となって楽曲の世界観を高く高く描いている。よく聴いてみてよ。これだけのバックで、煽るように刻まれるリズムにせかされることなく、むしろ彼女に合わせてバックが声の細胞のように溶け込む錯覚を覚える。突き抜けた何かがないとこの2曲は歌えない。だから誰がカバーしてもしっくり来ない。抜け感は松田聖子の証しのようなもの。

パイナップルとユートピアはどちらが最高か。ひとりでコメントを考えて対話のように心のディベートを行ったものだ。アルバム全体のコンセプト性、楽曲の粒ぞろい、かけがえのない夏のひとこまを描いた点でパイナップルは最高だ。それも紋切り型のリゾートソングではなく、そこに血の通った等身大の誰かが感じられる。陰影に富む生活感を併せ持っているのは松本隆と来生たかお、原田真二などの作家陣、そしてなにより楽曲を夏空に掲げたのは大村雅朗の編曲である。シズル感あふれるP・R・E・S・E・N・Tの出だし。若さがはじけてとまらない。一転してひまわりの丘ではスタッカート風のリズムが午後の昼下がりに夏の丘を下っていくよう。個人的には季節が違う赤いスイトピーの代わりに、マドラスチェックの恋人が入っていたらと思うけれど。

一方でユートピアの抜けきった楽曲群(マイアミ午前5時、セイシェルの夕陽」、シングル曲の質の高さ(天国のキッス、秘密の花園)はパイナップル(渚のバルコニー、赤いスイートピー)を上回る。結局順番を付けなくていいかということになる。


CDを買おうとする人に老婆心ながらご助言を。もしあなたの音楽を聴く装置がヘッドフォンオーディオやらデスクトップオーディオなら、Blu-spec CD2の仕様で良いと思う。一般的にこれがもっとも新しいマスタリングで盤の仕様も良いとされている。

しかしあなたが耳が良くて、決して高価でなくても良質のオーディオ装置で聴かれるのなら、CD選書のシリーズをおすすめする。CD選書とはCBSソニーの邦楽の廉価版シリーズ(本でいうなら文庫本)の名称。

ぼくの手持ちのアナログ盤に近いのは実は(巷では音が悪いと喧伝される)CD選書と思う。これに比べると最新盤(Blu-spec CD2)は低域に厚みがあり、声がなめらかで、細部の音が聴き取りやすくなっているけれど、音楽を聴いていて愉しくない。何か蓋が被さったような(天井が低くなったような)圧迫感を覚える。好きか嫌いかで片づけられるけれど、良いか悪いかでいうと判断は難しい。

ユートピアのアナログ(マスターサウンド仕様の初出盤)を聴くと、ややハイが上がった高い鮮度感や伸びやかさが印象的だが、その印象に近いのはむしろ選書のほうである。
ただしCD選書は保存性の良くない薄手のケースにペラペラの同封ジャケット、さらには録音レベルが低い(同じボリューム位置ではBlu-spec CD2が音量が圧倒的に大きい)。それゆえ、ファンからもCD選書は買うなとの声が多いのは頷ける。

ところがぼくの卓上オーディオ(タイムドメインライトのチューンアップ版)で聴いても、クリプトンKX-1をオンキヨーで鳴らす良質のオーディオ装置で聴いてもCD選書が良いと思うのである。

Blu-spec CD2で聴くとレガートとスタッカートがわかりにくい。パイナップルもユートピアも糸を引くように声が伸びているのはCD選書で、声は艶っぽく濡れたように透明で伸びやかである。潮が引いていくようなパイナップルの最後の曲も余韻を残す。伸びていく、沈んでいく、糸を引いていくなどの表情が感じられる。いわばアタック感は犠牲にしても音楽の抑揚を忠実に再現しようとしている。彼女の天才的な歌唱はこれでないと耳に届かないのではないか。

思うにこれはBlu-spec CD2が録音レベルが高い(高すぎる)ので、ピアニシモに埋もれそうな部分は明確に浮かび上がるが、すべてがメゾフォルテのような楽曲の抑揚は平坦である。これは音楽のとても大切なところで、彼女がそのとき自身の直感に従って魂を吹き込んだ歌が平板な表情になっている。実にもったいない。

ユートピアの名曲中の名曲「セイシェルの夕陽」では潮騒を従えてトランペットが鳴り、聖子の声が入る直前の音場空間の高さ。それは雲間からの零れ日が光の柱が見える感じ。CD選書盤では感じられるそそり立つ空間の立体、声の神々しさがBlu-spec CD2盤では失われている。

ただしBlu-spec CD2は原理的に優れた製造方式なので、音源のリマスタリングを行ってピークがピークとなるよう音圧を下げて販売して欲しい。

パイナップルもユートピアももともとが優れた録音であることに加えて、その時代の名作家、名プレーヤーが真剣勝負でつくりあげた音楽空間、そしてそこに自在に舞う歌姫の記録が刻まれた永遠の名盤である。
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現在のBlu-spec CD2がながら族が愉しむ際に、迫力めいた音をねらったものは理解できるけれど、例えば、ステレオサウンド社から限定で発売されたSACDではほんとうの音楽の良さが伝わってくる(方式もさることながらマスタリングが良識を持って行われている。ぼくも1枚だけ持っている。SACDの再生装置は持っていないがハイブリッドとしてCD層も刻まれているためマスタリングの良さが十分に伝わってくる。再プレスしてもらえないかな)。

CD選書は録音レベルがやや低めでプレス技術も当時の仕様なので最高の音とはいえないにしても、Blu-spec CD2での音圧を上げたマスタリングよりは本質に迫っている。マニアックな話題だけど、わかる人にはわかってもらえると思う。


CD選書は千円少々で買える。間違わないようリンクを以下に。




posted by 平井 吉信 at 23:33| Comment(0) | 音楽

2022年06月21日

疾走する今宵の銀河鉄道999 愉しませるね


なんだか気分が高揚しているときに、突然聞いてみたくなる音楽がいくつもあるのだけれど、ゴダイゴのこの曲もそう。

ライブではさらに早く疾走する音源が残されていてとても良い感じ。音楽が好きな人たちが愉しみながらやっているよね。
https://www.youtube.com/watch?v=SzEsyg0W5Vs
(ゴダイゴの解散ライブらしいけれど悲壮感など微塵もなく、エンターテインメントに徹することができるプロの集団という感じ)

でも勢いだけじゃない。子どもの頃のぼくはこの曲がうまく歌えなかった。そりゃ、あんなコード進行はこの曲以外に見かけないでしょ。移調と半音階を織り交ぜながら一本の線路のようにうねりながら流れていく。そして凄さがわからないぐらいさりげなく歌っているから。

タケカワユキヒデって日本人なのか外国人なのかわからなかったよ、当時はインターネットなんてなかったし(鼻にかかる日本語の発音が独特で帰国子女かなと思っていた。でもこの声と節回しが魅力なんだよね)。バンドの演奏もすばらしい。抜群のリズム感はスタジオ録音でもはっきりと刻まれている。

夢を求めて宙に旅立つ少年の憧れと野心が旋律に乗ってどこまでも昇っていく。哲朗とメーテルのあの長い長い列車は子どもの頃、近所を走っていた。えんじ色の旅客車両を十数両従えて小松島駅から阿波池田駅へと向かっていたよ。

ガンダーラもよかったね。ほろほろと異国情緒に揺れながら限りない憧れの音織物は類似の音楽がない感じ。たまにトレイに載せてみるゴダイゴのCD、今夜はひさしぶりに聴いた。
posted by 平井 吉信 at 00:51| Comment(0) | 音楽

2022年04月12日

背の高い子ども かつてそうだったことを覚えていますか?(野田知佑さんを回想する音楽選)

川のほとりで本をめくるのはいつもやっていること。
こないだの投稿では電子インク(電子書籍)を礼賛したけれど、
川風に吹かれているときは紙の本が良いような気がする。

ほら、この本。
「日本の川を旅する」(野田知佑)
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文庫本の初版が出たのが1985年。以来入手が難しくなっていたようだけれど
野田さんと親交のある辰野社長のモンベルから復刻発刊された。
その際に2018年にツーリングを行った「川内川再び」が追加されている。
本所の最後のページには吉野川の大歩危小歩危について触れられている。
日本の川の良さに触れたあとで、「川で遊び、川を好きな人間をたくさん作りたいと思っている」と結ばれている。増補ということであるが、これが単行本として書かれた野田さんの最後のメッセージではないか(吉野川源流については次投稿で触れておきたい)。

そして海部川の河原で読んでいる。
日本の川が無頓着無関心な人の手で元に戻らない破壊が進行している歯がゆさと
子どもの頃の川遊びを切ないまでに追体験しているようで。

それは18ページに記されている。
「自分の腕を信頼して毎日何度か危険を冒し少しシンドクて、孤独で、いつの野の風と光の中で生き、絶えず少年のように胸をときめかせ、海賊のように自由で―」

川下り、川遊びの心象風景として川がとうとうと流れていく。
言い換えれば、背の高い子どもの心が軽やかに舞っていくような。

ぼくはこの本の世界観を表現する音楽(アルバム)を3枚上げてみたい。



「ライフ・サイズ」(中谷隆博)
このアルバムはほんとうに名作。角松敏生がプロデュースした1996年の作品。中谷さんは野田さんと同じ熊本出身の九州男児だが、音は角松的なシティサウンド。それでも有明海に小舟を漕ぎ出してカサゴを釣るコミカルな歌もある。

ところがところがアルバムの楽曲は粒ぞろいで「当時のファッショナブルなシティポップなのね」の先入観を持たずに聞いて欲しい。ぼくはこのアルバムには歌心を感じる。声は声で軽やかで伸びやかでそれでいて軽薄でなく声に溺れない地声の魅力を感じる。

ぼくは数百回聴いているけれど、ついつい運転中にアルバムの再生ボタンを押してしまう。
ファンキーな楽曲が3つ続いた後、4曲目「君を忘れない」がかかる前には心を静めて待つ。するとソロシンセがなつかしい響きを奏で、女性コーラスに導かれて「思い出の扉を開けたら君がいる」と始まる。そして「あの頃のぼくたちはおとなになった。離れ離れの愛はもういまでは遠い物語…」と続く。

年月が流れていまでは名字が変わった憧れの女の子への回想、一つひとつの場面が走馬灯のように蘇る。それぞれにそんな体験があるだろう。ぼくは胸が熱くなる。これは決して都会の雑踏でなく故郷のなつかしい陽射しに包まれた音楽。洗練された楽曲に思いが溢れて止まらない。

5曲目「シェリー」、そして6曲目の「ラスト・メッセージ〜星の王子様が帰る日」でほんとうに大切なものは目には見えないと追憶の彼方に。8曲目の「カサゴ」で熊本弁でのユニークなやりとり、10曲目でまあ、きょうはこんなところです、とでもいいたげに円満に音楽が閉じられる。

当時はあまり売れないまま廃盤となっているけれど、「プラスティック・ラブ」や「真夜中のドア」が見直されているいま、アルバムとしての品質感は(東京が主体となっていない地方色のある楽曲に歌の魂を込めたという点で)それらを上回る。山下達郎でもこれに匹敵するのは「ライド・オン・タイム」や「ARTISAN」ぐらいだろう。廃盤だけれど騙されたと思って中古を手に入れてみて。できればCD復刻(配信でもいいけど)を望む。中谷さんがお読みになられていたらお伝えしたい。「良質の音楽を求める人は必ずいます。売れたかどうかなど関係ありません」。

ところでどうしてこのアルバムを知ったかって? それはこのアルバムがいいよと教えてくれた女性がいたから。彼女の夫が川に人生を捧げるほど無類の川好きだったから。夫婦とも野田さんと親交が深かったから。そして彼女も九州の出身だから。




「BOY](石川セリ)

少年時代や夏を回想させたら井上陽水や石川セリだ。なかでも石川セリの1983年発表のこのアルバム。軽やかな楽曲と綿あめのようなふわふわの声(声がいいよね)、ポップスに浸りたいと思ったらこのアルバムの右に出るものは知らない。

80年代の音楽はいまではシティポップなどと後付けでラベリングされているが、商業主義で深みがない、メッセージ性に欠けると思う人もいるだろう。そんな音楽も少なくないけれど、日常の場面が音楽の衣を身にまとってマイクロスコープで拡大してカレイドスコープで覗き込むトキメキ感は21世紀になってから見当たらないでしょ。それは日本という国が1980年代を境に下りをひた走りしていることとも無関係でないように思う。時代を諦めたようないまの時代の歌に魅力を感じないのは時代背景も影響している。

セリさんのこのアルバムをひとことで言い表すなら、背の高い子どもたちの日常が掌の上で漂う愉悦感。ぼくはこのアルバムを聴いていると旅に出たくなる。ハワイでもスペインでも中東でもいいけれど。

「トール・チルドレン」から「夏の海岸」へと続く流れで、人生がこんなふうに過ぎていくといいな(及びその実感)が汲めども尽きない永遠の泉のように湧き出してくる。同時期のあの大御所女性歌手よりも好きだ。





最後は吉野川の源流から河口までを思い起こさせる音楽を。
「Summer」(ジョージ・ウィンストン)

野田さんだったか、ニコルさんだったかをお招きしたイベントで、徳島の写真家、荒井賢治さんの撮影した吉野川にぼくの撮影したコマを加えて吉野川を紹介する文章をつくり、スライドに合わせて自らナレーションを行い、背景に伴奏させた音楽。ちなみに吉野川源流は5曲目「Lullaby」、第十堰は2曲目「Loreta And Desiree's Bouquet 1 And 2 」、竹林とかんどり舟は1曲目「 Living In The Country」、河口干潟は最後の曲「 "Where Are You Now"」。

水のある自然を即興で描いた心象風景(ぼくのなかでは)ジョージ・ウィンストンの傑作。生も聴きに行った。これまでにもっとも聞きこんだ音楽かな。



野田知佑さんを偲んでこの3枚を聴いた。いま気付いたけれど、共通のテーマは「少年」かも。
おとなはだれもが子どもだったけど、そのことを忘れずにいるおとなはいない。
でも、背の高い少年は天空の川を下っている。


posted by 平井 吉信 at 23:37| Comment(0) | 音楽