2020年05月22日

でもいまは…。フジコ・ヘミングの愛の夢、月の光


フジコのピアノを聴いて大勢の人がいう。
音楽は技術じゃないと感じさせてくれたと。

実はぼくはまだ実演もCDも聴いたことがない。
でもいまは動画で視聴することができる。
(ぼくはAmazon PRIMEで聴いている)
いい時代だ。

決して指が器用に動く人ではないのに超絶技巧を求められる楽曲を弾く。
ピアノを叩くような強音はなく
空間に消えそうな弱音もない。
もしピアニストが粒立つアルペジオや
ピアニズムのきらめきを封じられたらどうなるだろう?
たどたどしいピアノの練習のように聞こえてしまうかもしれない。
だが、繊細ぶらないタッチのなかに、指が置き忘れたような隙間があって
ぽつんと濡れたような音が滑り込む。
そこに時間が刻まれる(心に余韻を残す)。
音の隅々に意志をみなぎらせて
テクニカルな打鍵の切れではない底まで鳴っている硬質のきらめき。
(これ、ベーゼンドルファーか? うちにはアトラスのアップライトやヤマハのグランドピアノがあってぼくもときどき弾いていた)

木訥に聞こえる演奏のようで凍らせた愛の感情のほとばしるよう。
極力ピアノをピアノとして存在させないのに
ピアノの音色が楽器を離れて演奏者と一体となったよう。
(むしろピアニズムの深みを感じる)
音符をいったん楽譜から剥がして彼女が再び並べているよう。
聴衆にも媚びず、ただ彼女が自らの裸の心をピアノに吹き込んでいるよう。
言葉にできなくても多くの人がそう感じているのでは?

リスト、ショパンが有名だが
ぼくはドビュッシーもいいと思う。
複雑な響きや晦渋さをおとぎ話に変えてお話するかのごとく。

2020年6月13日、徳島でフジコ・ヘミングを聴くことはできなかった。


posted by 平井 吉信 at 23:22| Comment(0) | 音楽

2020年04月22日

愛国の花 それは古関裕而の玉手箱 女性の持つ普遍的な強さ そして美しさ


あの頃の政府は国民を駆り立て戦争に向けて暴走した。
その結果は誰も幸福にならなかったばかりか
尊い生命が犠牲になった。
焦土となった国土の回復は奇跡ともいえるが、失った北方領土は戻ることがない。
近隣諸国とのぎくしゃくした関係はどれだけそれぞれの国民の幸福を逸失したことか。
その責任は重大であり、例え何世紀になろうと忘れることはできない。
箴言に耳を傾けず、狭い了見と思いつきで突っ走る内閣。
国粋主義はいかなる正当性もない。

NHKの連続テレビ小説で作曲家の古関裕而が取り上げられている。
甲子園でおなじみのあの楽曲も、NHKの昼時の放送のあのテーマも彼の手によるもの。
古関さんは戦時歌謡も手がけている。
(それが本意であったかどうかはわからないが、若者を戦場に志願させたのも音楽の力であったかもしれないことを後悔されていたのではないだろうか。けれど現地で兵隊が涙を流しながら古関さんの戦時歌謡に耳を傾けていたのも事実)

「愛国の花」は太平洋戦争に突入する前の昭和12年の作品で、
銃後の女性たちに思いを馳せてつくられた。
歌手は渡邊はま子さん(でもぼくはあまり感銘を受けなかった)。
いま聴くと女性はか弱きものと描いているように感じる人もいるだろう。
ときの為政者の意向をに従いながら
作詞家と作曲家の願いは別のところにあったのではないかと思える。
(この曲と古関裕而について予備知識は持たないで書いている)

最初にこの楽曲を知ったのは有山麻衣子さんのソプラノで。
初々しさは誰の心にもほのぼのとあかりを灯すアルバムであった。
ここでは戦時歌謡を純音楽としてうたっている。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/177021874.html

YouTube上には本家も含めて
現代の自衛隊の演奏なども聴けるが
ぼくがこの曲に思いを寄せられるようになったのは
藍川由美さんの歌唱である。
(YouTube上には歌い手の名前がクレジットされていない)
https://www.youtube.com/watch?v=_PJcJ-z0JIY

ピアノの静かで簡素な伴奏に乗ってゆったりとしたテンポで歌が響き出す。
声楽家にありがちな声を響かせてよく聴かせようとする作為がないのに
落ち着いたテンポのなかに凛とした空気が張り詰める。
ビブラートや小節に頼らずひたすら自分を信じて
静かに押し出していく声の強さ、それでいてレガートの魅力。
どこまでが藍川由美でどこまでが愛国の花かわからない一体感。

古関裕而特有の音階の高揚感が人を酔わせるのだろうけど
それとは対照的にぐっと力を蓄えつつ落ち着いて徘徊する旋律の魅力がある。
楽曲の構造も軍部に文句を言われない戦争賛美は入れているけれど
ほんとうに作詞家と作曲家が言いたかったのは
最後の旋律にあるのではないだろうか。

2番の歌詞を例に取ると「ゆかしく匂う国の花」のフレーズ。
高揚する音程が終わって
ここでゆかしくの「く」の箇所で次の音符までの間に
藍川さんが音程をずり下げているが
そこに得も言われぬ奥ゆかしさを醸し出す。
(このような歌い方が明確に聞き取れる歌い手は少ない)
藍川さんはアカデミックに楽曲の再現をされる方なので楽譜が求めているのだろう。
(たったひとつのスラーを入れるだけで部分的な旋律の表情、ひいては楽曲の印象が変わってしまう。古関裕志はそれがわかっていた方なんだろうな。そしてそこに大衆の気持ちが入り込む場所をつくりだした)

この曲に女性の持つ生命力、いのちのたゆたいを感じさせる。
細部のニュアンスを忠実に、しかも美しい日本語の発声を添えて
愛国の花という楽曲をいまの時代にメッセージとして届けているようだ。
(ぼくは藍川さんの唱歌や昭和の歌謡を聴いてみたい)

戦時歌謡と言われる楽曲をいまの時代に冷静かつ情感を込めてうたうことで
当時の楽曲の作り手と歌い手、ひいてはそこに共感した国民の感情が見えてくるのではないか。

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(愛国の花に献呈するのはナガバノタチツボスミレ、佐那河内村で撮影)
posted by 平井 吉信 at 00:38| Comment(0) | 音楽

2020年03月29日

「青い瞳のステラ、1962年夏…」と「星空の南十字星(サザンクロス)」の柳ジョージ 


ふと耳にしたのは柳ジョージの「青い瞳のステラ、1962年夏…」。
その瞬間、雷に打たれたよう。

初めて柳ジョージ(&レイニーウッド)を耳にしたのは中学の頃だったか、
ダイエーの4階にあったオーディオ売場で
オンキヨーのM6マーク3という31センチ2ウェイのスピーカーから流れた
「微笑の法則 〜スマイル・オン・ミー〜」だった。
国産のスピーカーでこれ以上に鳴りっぷりが良いスピーカーはないと思われる機種だったと思う。
そこからせり出してくる声に足が止まった。

成人してからは柳ジョージの最高作と言われている
2枚組のアナログLP「Woman and I」を購入。

徳島には米軍基地も横浜のような街並みもないけれど
音楽で背伸びをしていたのだ。
「青い瞳のステラ、1962年夏…」はこのアルバムの目玉曲でもあった。
YouTubeに1993年のライブ音源がある。
https://www.youtube.com/watch?v=j5aINIgqRVE

魂で歌っているように感じられるけれど
音楽はあくまで端正に流れていく。
最高の職人芸を提供しながらすれていないアマチュアリズムを持ち続けた人。
(だからライブ音源がすばらしいのだろう。なぜこんなバンド、音楽、歌い手が現在はいないのだろう)


レイニーウッド時代の音も悪くないけれど
アトランティック時代では「GEORGE」も好きだ。
「星空の南十字星」という楽曲を聴くと
南太平洋の離島で過ごした日々を思い出す。


ある日、近くの民家から子どもの鳴く声がして母親があやしていた。
どこの国も、どの母親も同じ…
ああ地上はどこもそうなんだと腹に落ちた。
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すがすがしさと切なさに眠れずファレを抜け出して
見上げた夜更けの空に南十字星が燦々とあった。
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柳ジョージの歌は本人が地上にいなくなってもなお南の空に輝いている。


追記1
CD1枚で聴きたい人はこのベスト盤がいいだろう。
プレミアム・ベスト 柳ジョージ オリジナルレコーディングのリマスター
〔収録曲〕
1. 「祭ばやしが聞こえる」のテーマ
2. 微笑の法則~スマイル・オン・ミー~
3. 青い瞳のステラ、1962年夏…
4. さらばミシシッピー
5. 酔って候 (Live at Budokan)
6. 雨に泣いてる (Live at Budokan)
7. 星空の南十字星
8. RUNAWAY〔悲しき街角〕
9. ビッグ・カントリー
10. 真夜中のテレフォン・コール
11. コイン ランドリィ ブルース
12. For Your Love
13. フーチー・クーチー・マン
14. 明日への風
15. Long Time Comin’
16. 愛しき日々


追記2
南十字星は赤道近くに行かなければ見えないと思っている人も多いだろう。
北に位置する星は意外にも高知県から見える。
もっともそれを見たからといって南十字星の一部とはわからないかもしれない。
全天第二の輝星にして南極老人星とも呼ばれるりゅうこつ座のα星、カノープスが2月に南中する時は徳島でも地平線から少し上で見ることができる。
この星を見ると長生きできる、といわれているのはご存知のとおり。
知っていればけれど。
posted by 平井 吉信 at 23:31| Comment(0) | 音楽

2020年03月16日

80年代の名盤 ハニー&ビーボーイズ「Back to Frisco」が28年ぶりに再発売!


ぼくがミノルタのX700を持って南太平洋から日本各地を旅するように回っていた頃、
しっくりと来る音楽があった。

オリジナルが発売されたのは1987年、
Honey & B-Boysはこのアルバム1枚だけのユニットで
山下達郎の秘蔵っ子と言われた村田和人に山本圭右、平松愛理、西司の4人組。
強力な4人のヴォーカルと西海岸のからりとした風が吹くような雰囲気は
まさに80年代ならでは。

特に1曲目の「Morning Selection」は出色の出来映え。
村田和人がサビを、山本圭右が主パートをツインヴォーカルで
突然の風に驚いて振り返るとそこには…のような雰囲気。
身体が動き出すのを止められない。
村田和人はハイトーンが伸びてさわやか。
山本圭介は少年の夢を宿したどこか翳りのある表現が出色。

この頃はhPaではなくミリバールの時代(なつかしい)。
タンタンと雨のリズムを刻むなか、マイナーのバラード調のが曲が響く。
1000mbの雨♪、と2番まで歌って
3番は
この雨は僕からのメッセージ 1000mbの愛♪と締める。
(うまいなあ。和声がメジャーに開きかけるので曲調はすがすがしい)
滴が滴りそうな男性ヴォーカルは誰だろう?
(1000mbのサヨナラ)
→ 西司でした。「雨はてのひらにいっぱい」も西司がヴォーカルを取っている。
切なく繊細な歌い方でアルバムにひんやりとした叙情を与えている。

小休止
ミリバールといえば、ソニーの野外ラジオシリーズの名称。
山用として名を馳せた 防水耐衝撃仕様の黒のICR-3000があるが
そこからNSB受信をFMに置き換えたのが黄色のICF-S73。
暗闇でもわかりやすいよう上面に星型の蛍光シールを貼って使っている。
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アルバムジャケットも秀逸。


カントリー調のイラストの中央にはちみつの入った瓶が置かれている。
この画面はもちろん静止画だけど
きっと雲の流れは早いんだろうな、
でもその風がぴたりと止んだ一瞬が絵になったんだろうな。
このイラストで物語がひとつ書けそうな想像と創造をかきたてる。

ところが廃盤になってほとんど20数年が経過した2019年7月、
しかも「2019年最新リマスタリング/SHM-CD/紙ジャケット仕様/ボーナス・トラック10曲追加」ときた。
(それまではダウンロード音源すらなかったのだ)
初回プレス枚数を想像するとメディアとしては最後の入手の機会だろう。

平松絵里は2年後にソロデビューを果たし
5年後に「部屋とワイシャツと私」がヒットする平松愛理。
英語の歌詞など彼女に合っていない楽曲もあるけれどアルバムに可憐な花を添えている。
結局、このアルバムは4人の別々の色を持つヴォーカリストと
西海岸の音で束ねて木綿のような風合いを味わうアルバム。
(カラオケで聴くとコーラスの和声が浮かび上がる)

若いっていいよね。
守るものがない生き方が惨めでなく自由と思えた時代が後押しした。

アルバム最後を飾るのはシュガーベイブの名曲「雨はてのひらにいっぱい」。
ぼくは本家よりもこちらが好きだ。
切なくてストレートでそれでいて含みがあって。

さらにカラオケトラックが追加されて、
紙ジャケットに当時の解説資料が満載されて
レコードを取り出すようなビニール袋仕様で。
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同じ1987年、村田和人のソロアルバム「ボーイズ・ライフ」も世に出ている。

同時代の山下達郎のアルバムと比べても遜色がない。
特にA面がいいよね。これもからりと陽気な音づくり。
空を駈けめぐるような気分にしてくれる。
(確か西海岸で基本トラックが録音されたのでなかったっけ?)

(私小説や引きこもりの告白のような歌は聴きたくない)

それはそうと
マスク付けるより心の免疫を上げることが大切。
それにはていねいな食生活と心の栄養。

今夜つくった豚肉と野菜煮込み。
これと五分づきのご飯だけで何も要らない。
(もちろん炊飯の直前に精米したもの。そして米の味は研ぎで決まる)

言葉をしゃべりたくないぐらいうまい。
どっさりのタマネギとあまりものの根菜類に生姜を刻んでコトコト、
それに豚バラ肉のオリーブとニンニク炒めを加えて
テルモスの保温鍋で2時間放置。
(オリーブ油はサルバーニョのEV)
ねらいは風邪気味の家人の体温を上げること。
味付けは酒と塩(小さじ半分も使っていない)とトマトパウダーが少し。
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薄味だけどうまいうまいとむさぼるように食べる。
店でこんな料理はなかなかお目にかかれない。
下ごしらえは20分だけ。
仕事の合間に手を走らせたので。

posted by 平井 吉信 at 21:02| Comment(0) | 音楽

2020年02月22日

雨の休日 ラジオから流れるパット・メセニー 不眠でなくても眠りに落ちる


ピーター・バラカンさんが担当する土曜朝の「ウィークエンドサンシャイン」(NHKーFM)は楽しみ。
有名な曲はその背景やアーティストの動機まで解説があり
そうでない曲にもはっとする感覚を受けてメモをすることが多い。
(番組Webサイトには当日の楽曲が掲載されている)
この番組を聴いて買った洋楽CDは数え切れない。

うちは徳島市の眉山にある送電アンテナからは強電界区域なので
音の良いラジオを流すと空気感がぱっと変わる。
(かつてのトリオのシスコンのチューナを操作してセンターシグナルに同調したみたいに)

そんなときのラジオはICF-801。
ソニーの数少ない日本製アナログラジオでよくできている(現在は生産されていない)。
選局性能こそ最近のPLLシンセの機種には勝てないが
ローカル局では高らかに音を再生する。
籠もることはなく豊かな中低域を響かせつつ
声は自然に響く。
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→ メイド・イン・ジャパンの至福のラジオ〜ICF-801〜
http://soratoumi.sblo.jp/article/57853049.html

バラカンさんはパット・メセニー・グループから3曲紹介。
取り上げたのはメンバーの一人の訃報からだった。
さわやかなフュージョンは朝にリズム感をもたらしてくれた。
久しぶりに聴いた感じがする。

やがて番組はゴンチチのDJに変わった。
再生される音楽は二人の造詣を反映してジャンルを問わず広いが
バッハのゴールドベルク変奏曲(テーマの提示から第5変奏まで)がかかったのには驚いた。

この音楽が聞きたくなって数日前の夜にかけながら眠ったところ。
この楽曲は不眠症の貴族のためにバッハが作曲したと伝えられている。
バッハは音楽に人間的な感情を排して淡々と紡いでいくので
かえって現代人にも入りやすい。
(誰も眠る前にショスタコーヴィチやマーラーを聴きたいとは思わないだろう)

思い起こせば小学校の同級生のM君(いまも近所に住んでいる)の愛聴盤だった。
彼の部屋を訪れれば、ユーミンのひこうき雲、ビートルズ、クーベリックのモーツァルト、
そしてグレン・グールドのゴールドベルグ変奏曲を
ヤマハの名機NS1000MとA2000で聴かせてくれたものだ。
(この組み合わせは高校の同級生のK君も持っている。いまでも彼の家でときどき聴かせてもらっている)

そしてラジオを聴きながら
冷凍食パン2枚に、
豚肉をキャベツを炒めた具材を挟み込んでプレスして食べた。
朝だからコーヒーよりも紅茶で。
朝は陽が射していたが、雨に変わろうとしている。
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そういえば、東京に「雨と休日」というCDショップがある。
雨の休日に聴きたいCDを集めたお店でぼくも何度か購入した。
コンセプチュアルな小さなお店は応援したくなるね。

オンライン店舗内を訪ね歩いてみると
ゴールドベルグがありました。
グールドの演奏ではなくて
眠りに落ちるよう研究された奏者の演奏、というのがこのお店らしくていい。
https://shop.ameto.biz/?pid=148711205
(みなさんも視聴してみて。♪マークをクリック)

ところでアンビエンス音楽というと
ブライアン・イーノ。
ぼくはこのアルバムを数え切れないほど寝る前に聴いた(そのまま眠りに落ちているので最後まで聴いたことはない)。
https://amzn.to/2uXw0i1
(上記の5曲目を聴いてみて)

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朝のFMはめざめの音楽であり
それは快適な眠りに続いている。
さあ、日の光を浴びよう。
posted by 平井 吉信 at 14:46| Comment(0) | 音楽

2020年01月11日

フルトヴェングラーの第9 バイロイト盤 2019年DSDリマスタリング仕様(WPCS-28425)


ベートーヴェンの第九で欠くことのできない名盤が
JVCスタジオのエンジニアの手でリマスターされたので
年末に発注して新年に入手できたのでさっそく聴いてみた。
(夜は大きな音が出せないので休日の午後を待っていた)
販売店の記述は以下のとおり。

オリジナル・マスターテープより、アビイ・ロード・スタジオにて、DSD11.2MHzへデジタル変換。そのDSDマスターより、JVCマスタリングセンター 杉本一家氏により、UHQCDでそのマスターを再現すべくマスタリングが施されています。


かつてLPをヤマハGT-2000にデンオンDL-103系列で聴いていたときより
音の抜けが良くデジタル特有の高域の寸詰まり感がない。
オリジナルマスターテープ(もしくはコピーテープ)の状態が良好なのか
最新録音とも遜色がない。
これが1951年のライブ録音とはわからないほどの再生音であった。
初めてフルトヴェングラーの第九を買う人は
価格も手頃なこのアルバムが標準となるのではないだろうか。
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聴いているうちに理性がどんどん薄れて感情がわき起こる演奏だから
最後には立ち上がっていたのだ。
https://www.yodobashi.com/product/100000009003195554/

再生装置
プリメインアンプ:オンキョー A-1VL
CDプレーヤー:C-1VL
スピーカー:クリプトンKX-1
スピーカーケーブル:江川式1メートル×2本
視聴空間:12畳相当洋室

追記
リマスタリングを行われた杉本一家さんが2019年10月にお亡くなりになられたとのこと。
ご冥福をお祈りいたします。
https://tower.jp/article/campaign/2019/12/04/01
posted by 平井 吉信 at 16:05| Comment(0) | 音楽

2019年12月28日

ベートーヴェン第九 フルトヴェングラーのウィーン盤を聴く


ベートーヴェンは音楽の革新者である。
第九は当時の音楽の革新であり壮大な実験であり
それでいて美しく力強い。
没後二百年が迫ろうとしているが
彼の作曲した第九交響曲の人気はますます増しているように思える。

第九といえばドイツの指揮者フルトヴェングラーの1951年に録音されたライブ盤(バイロイト盤)が人々の記憶に刻まれている。
二十代の頃、このレコードを聴いたぼくは雷に打たれたような震えを感じていた。
なんと深い、そして優美、それでいて人間の感情が込められた音楽だろう。

音源はモノーラルで鮮明ではないが
音の実在感はひけをとらないばかりか
音楽の実在感がすばらしいのである。

近年になっても新たなライブ音源(あるいは別テイク)が発掘されている。
きょう始めて聴いたのは
1953年のウィーン盤である。

イルムガルト・ゼーフリート(ソプラノ)
ロゼッテ・アンダイ(アルト)
アントン・デルモータ(テノール)
パウル・シェフラー(バス)
ウィーン・ジングアカデミー
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮)

録音時期:1953年5月30日
録音場所:ウィーン、ムジークフェラインザール
録音方式:モノラル(ライヴ)
【オットー・ニコライ演奏会(同年1月23日の繰り延べ演奏会)】
Produced by Epitagraph(原盤:エピタグラフ)


この盤が世に出たのは2009年であるが
今回の高音質盤が出たのは2019年4月のこと。
きょうまで封を開けずにとっておいたもの。

聞き終わった感想は?
文字に書けない―。
それでは伝わらない。
だから書く。

バイロイト盤との違いは
ウィーンの引力でベートーヴェンがローカライズされた感じ。
(ベートーヴェンは私たちの音楽なのよ、こうするのよ)
親密で親近感があり魅惑の花が咲きこぼれている。
(ほら、ウィーンフィルの弦が艶やかに歌ったり木管が空間に浮かび上がったり。もしかしてバイロイト盤よりオケのピッチがやや高い?)
一聴してこじんまりとしているようにも聞こえるが
それは同じ方向を向いた人々が指揮者と一体となって突き進むからだ。

第三楽章はベートーヴェンの書いた最高の緩徐楽章だが
聞く前から予想していた音の世界をさらに上回る。
バイロイト盤では天から降りてきて天に上がっていく荘厳な雰囲気に浸ったが
ウィーン盤ではもっと人間に寄り添う。
それでいてディティールの美しさというか匂いが全編に漂う。
光に誘われて地上から天上の楽園に足を踏み入れた人類の逍遥というか
フランダースの犬の最終回で少年ネロが昇天して天国で親しい人と再会してみたされるというか
神に導かれて音楽と絵画と詩の区別がない理想郷で魂を抜かれてしまいそうだ。
ところが突然の金管の咆哮(警告)で、また地上に呼び戻される歩み。
完結しない和声が終楽章(合唱付)への導きとなっている。

終楽章はぼくはバイロイト盤が好きだ。
寄せ集めのオーケストラと言われるが
(縦の線が合わないとかコーラスの入りが遅れる箇所とかある)
多様な価値観(オーケストラ)が認め合いながらひとつになろうとする刹那ではなかったか。
戦後間もないドイツでフルトヴェングラーが音楽会に復帰してまもない頃
ドイツ民族にとってバイロイトでの演奏がどんな意味を持つものであったか。
「歓喜に寄せて」というシラーの詩とベートーヴェンの人間性と
フルトヴェングラーやこのときの関係者の気持ちが同一化した希有の場面が残されている。
(最善の録音環境ではなかったから、このバイロイト盤をよりより音で響かそうとする試みが2019年末になってもさまざまな手段やリマスターでの発売が絶えないのはそのためだろう)

人類同胞が心を寄せて演奏するのに完璧な演奏は求める必要がない。
それゆえ人々が寄り添おうとする心がベートーヴェンの精神のようにも思える。
独唱もぼくは神々しさを感じるバイロイト盤が好きだ。
(ウィーンはそれだけまとまりがよいのだ)
そう、そのまとまりの良さで
熱狂と精妙を両立させながら最後は途方もないテンポに加速して
一糸乱れず昇り詰める心意気はウィーンの名人芸。
熱狂する聴衆の力を借りてウィーンフィルがともに作り上げた芸術だろう。

しばらくは立ち上がれないと思ったが
意を決して文章を書いた。
年末だからベートーヴェンではない。
生きているからベートーヴェンを聴くのだ。

追記
フルトヴェングラーの指揮の様子が断片的に動画として残されている。
優美や幽玄と熱狂が同居するその姿は岡本太郎がいう「美」に近い。
誰かに見せようとしているのではない。
指揮する姿がすでに絵になっている。
若い頃、物憂げに遠くを見るような目をした少年は女性を虜にしたかもしれない。

ベートーヴェンの作品で例えば作品101のピアノソナタを耳にすると伝わるものがあるだろう。
愛する女性への憧れが漂うな楽曲、それでいて全編を覆う切なさ、その裏返しの寂しさ―。
それでも音楽は前を向いて進もうとするのだ。ベートーヴェンならでは。
https://www.youtube.com/watch?v=-EGZUJnPHvQ

フルトヴェングラーのベートーヴェンには熱情と寂しさがある。
(それなくしてベートーヴェンの音楽は再創造しえないだろう)
今日では彼の解釈が古い箇所があるといわれたとしても
表現の持つ真実はいささかも失われていないばかりか
2020年を迎えようとしてますます輝いているようにも見える。
それは人間の人間による人間のための音楽であったからではないか。

フルトヴェングラーの音楽の呼吸は深い。
禅の吐く息のように細く長くつながっている。
ピアニシモでは張り詰めた糸を引くような
痛切な憧れを秘めたような音色を出す。

そして音楽が押し寄せるような(例えば「英雄」の第一楽章のように加速しながらなだれこむ)フォルテ。
それはふくよかな厚みというか、鋭いというよりは沈み込む重さというか。
単に協奏強打させているのではない。

これはオーケストラがどこであってもそのような音を引き出せるようだ。
楽団員が練習しているときに、彼が練習場に入った途端
温色が変わったことを目撃している関係者が多い。
ある種の超能力にも似た意思疎通の深い領域へと入り込めた人ではないか。
そしてそれをすべて芸術のために使った人ではないかと。

バイロイトの第9は数多く発売されているので
迷わないようよう1種類上げておこう(EMI正規版で一般向きするもの。同じ演奏だが、音質がやや異なる)
https://amzn.to/2SzQ03k




posted by 平井 吉信 at 21:51| Comment(0) | 音楽

2019年12月03日

音楽のテンポは機械で刻めない


竹内まりやのPortraitで「イチゴの誘惑」を聴いて思った。
リズムが生きている。

渡辺真知子の「かもめが翔んだ日」もスタジオ録音でありながら
後半に向かって加速する。
その疾走感が歌の世界と一体化する。

それに対してリズムを打ち込みで音楽をつくると
なぜか死んでしまう。

その理由ははっきりしている。
人間は次のリズムのタイミングが予測できると
途端に退屈を感じる、のではないかと仮説を立てている。

ピアノを弾くときメトロノームを鳴らしながら弾いてみる。
途端にリズムが死んでしまう。
音楽はインテンポのときでさえ揺れている、
いや揺れていないと不自然に感じてしまう。

これはアゴーギグ(テンポを意図的に伸び縮みさせて緩急の表現を付ける)とも違う。
表現のために意識して揺らしているのだから「表現」の領域である。

これに対してここで言いたいのは
脈拍が1分間に60回打つとして(当然規則正しく)
そのなかにわずかな時間のずれ(ムラ)があるはず。

音楽も同様でインテンポに聞こえるようにテンポを呼吸させる。
指揮者のムラヴィンスキー、ピアニストではバックハウスがそうではないか。

前者はインテンポを装って動いている、後者も情緒を排してぶっきらぼうに弾いているが
その実、そこから妙なる息づかいが感じられる。
メトロノーム的なインテンポではないのだ。

アナログの良さは時間軸の揺らぎというかムラにあるのかもしれない。
そしてそれは生理的な脈との同調でそのほうが自然に聞こえるのではないか。

スタジオ録音よりもライブ録音が良いというのはよくある話。
MISIAはスタジオもライブも変わらない品質を誇る歌い手だが
ぼくにはライブのほうが輝いて聞こえる。
歌の端正さは変わらないとしても情感の深さが異なる。
それでもMISIAはためをつくって歌うなどの小細工はない。
あくまでインテンポのように聞こえるけど
そこに人の感知しないライブの何か(情感といえば安易だけど)が込められているのだろう。

ライブなのにスタジオ録音のような完成度、
スタジオ録音なのにライブのようなノリの良さがあったのはキャンディーズ。
わかる人にはわかるプロフェッショナル意識の高いアーティスト。
(その後のアイドルとは一線を画す品質感だった)

まりやのPortraitを聴いてやはり思う。
音楽は機械で刻めない。
クオーツシンセサイザー(水晶発振で同期させたリズム)では人は眠ってしまうだろう。

写真のフィルム、アナログレコード、ブラウン管テレビ(いまもぼくは15インチのトリニトロンブラウン管のソニープロフィールを使っている)懐古趣味と言い切れないのだ。
posted by 平井 吉信 at 23:17| Comment(0) | 音楽

2019年12月01日

竹内まりや 40年目の「Portorait」の季節 


レコードで持っていてずっと買いたかったアルバムがある。
それが昨年だったかデビュー40周年を記念してリマスターアルバムが発売された。
それからも買うタイミングを見ていた。
(インターネットでは価格が変動するのはご存知のとおり)

その人は過去の楽曲が海外でも注目されている。
「プラスティックラブ」がYouTubeで2800万回再生されたという。
(それも非公式にアップロードされたもの)
萌えキャラを描くことも流行しているらしい。
その人は竹内まりや。買いたかったアルバムは「Portrait]



80年代の日本のポップスは日出づる国の勢いがもたらした副産物。
伸びやかでアーティストが好きな楽曲を親密な関係で演奏しているのがわかる。
(先日は二名敦子を紹介)
「80年代の自由な風から生まれた音楽たち」
(二名敦子)http://soratoumi2.sblo.jp/article/186241479.html

Portraitの発売は1981年10月。ぼくはリアルタイムでLPを購入した(初回プレス)。
アルバムを横溢する自然体の空気はこの時代ならでは。
王道のコード進行でおおらかにうたう。
(加山雄三の世界に通じるものがあるね)
過密なスケジュールのなかで充実したときを過ごした人たちの同窓会のような愉しさ。
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収録曲を見ていくと、同じ時代に録音されたライブ音源がうれしい。
アナログでいうA面は60年代ロック、オールディーズの雰囲気が漂う楽曲。
なかには「僕の街へ」のように当時の彼女の心情を代弁した楽曲も含まれている。

B面ではシングルカットされた「イチゴの誘惑」が大好き。
イントロを聴くだけで心が弾んで仕方がない。
少ない音と単純なコード進行と歌心。
(ワンツースリーと合いの手を入れるのがRCAシスターズと呼ばれるEPO、大貫妙子、まりやの3人。ささやく声の3人がおかしくて笑いが止まらなかったそう。それに釣られてまりやさんも本編でぶりっこの歌い方になってしまったそうな。この曲はプラスティックラブのようなシニカルな歌い方でなくてよかった)
楽しそうだなって思わせることがプロの仕事。音楽ってこれでいいねって思う。

アイドルとしての竹内まりやをもう少し聴きたかったとの思いもある。
(デビュー曲「戻っておいて私の時間」のテレビ出演時)
https://www.youtube.com/watch?v=jmIEgAF8Lxk

「Natallie」では西海岸風の音とともにヒロインのサクセスストーリーとそこで失った何かが描かれる。そして彼女の英語の発音(音楽ではなくて)に癒されるというおまけ。そこに「しあわせって何?」という彼女の自問自答を含んでいた(深い)。

ぼくがもっとも好きなのは「ウェイトレス」。わずか3分ばかりの佳品はトライアングルで開始を告げる。まりやの声が「微笑みに見とれてたら葡萄酒を注ぎそこねた…」と独白する。ここは海に近いホテルのパティオ。彼女はウェイトレス。短編ドラマの叙情を漂わせる作詞はまりや、曲は達郎。ハーモニカの間奏のあと時間が流れるとハッピーエンディングへと導かれる。静かなエピソードの愛らしさ。そしてボーナストラックではライブでも収録されている(MC入りの悶絶もの)。

「 Special Delivery ~特別航空便~」ではその場に居合わせた大人が外国の子どもの声帯を真似て「サンタクロース…」とうたっているとか。ここでも幸福の本質がまっすぐに見える。

アルバムを締めくくる「ポートレイト ~ローレンスパークの想い出~」。回想の冬のまちなみ、17歳のまりやさんの後ろ姿が見えるような楽曲。切なくもなつかしい一ページが閉じ込められたノンビブラートのバラード。

〔収録曲〕
ラスト・トレイン
Crying All Night Long
ブラックボード先生
悲しきNight & Day
僕の街へ
雨に消えたさよなら
リンダ
イチゴの誘惑
Natalie
ウエイトレス
Special Delivery ~特別航空便~
ポートレイト ~ローレンスパークの想い出~
ウエイトレス [LIVE Ver.] [Bonus Tracks]
Natalie [LIVE Ver.] [Bonus Tracks]
Special Delivery ~特別航空便~ [LIVE Ver.] [Bonus Tracks]
Crying All Night Long with/伊藤銀次 [LIVE Ver.] [Bonus Tracks]
ラスト・トレイン [LIVE Ver.] [Bonus Tracks]
リンダ [LIVE Ver.] [Bonus Tracks]


添付されたライナーでは楽曲ごとの録音の背景が解説されている。


追記
リマスターの音についても触れておこう。
アナログと比べても低域の抜け感がずばらしい。
(ご主人の息がかかっているよね)
土台のクリアな安定感はデジタルならではで
声が空間に浮かび上がる。
(帯域は広げておらずそれが中域の密度感を損ねない)
中高域は自然に粒立たせているがこれはアナログが優るかもしれない。
(イチゴの誘惑のキーボードの落ち着いたきらめきはリマスタリングの成果かも)

追記2
お会いしたことはないが
竹内まりやさんは人生を迷わず意思決定をしながら生きている感じがある。
人に媚びないが尖っているのではなくそれが自然体。
アイドルのような登場からこの5作目のアルバムまでわずか数年だが
時勢を味方にやれることをやったという満足感があるのではないだろうか。

InstagramerやFacebookerは誰かに承認を求めるが
それがないと生きていけないのは幸福とは言えない。
まりやさんは誰かと比べない世界観を当時から漂わせていた。
自分を輝かそうなど必要がない、あなたはあなたらしければいいの―
そんなメッセージが聞こえてきそう。
リラックスした歌い手に聴き手も浸れるのだ。
(いまの時代にはこんな音楽が生まれてこないのは時代を映しているから)
日本が世界のリーダーをめざして走っていた時代、いまからでも遅くないと思う。

追記3 
NHKの紅白歌合戦に初出場されるようだ。
https://www.mariya40th.com/news/20191122.html
(ここ数十年見たいと思わなかったが見てみようかなと)
posted by 平井 吉信 at 12:12| Comment(0) | 音楽

2019年10月21日

サモア島の歌 ラグビーからポリネシアを思い出した 


かつて滞在した南太平洋ポリネシア。
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ときに民家を借りて自炊し
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ときに地元の同世代の若者たちとカヌーを漕いでモツ(環礁内の島)へと漕ぎだし
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モツでのピクニック
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ときに旅行者と素潜りでどこまで潜れるかを競い(潜水病になりかけた)
ときにセスナをチャーターして島に渡り
ファレ(民家)で眠った。
一ヶ月をかけて島々を巡った。
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「アイタペアペア」が合言葉。
気にしない、どうにかなるよ、ぐらいの意味。
これが人生を横溢している。
そしてポリネシアの人は身体が大きい。
子どもの頃は愛らしくてもおとなになると関取のようになる人が多いようだった。
豪快に食べるバラクーダはいつも日本人のぼくに食べ物を10人前奨めてくれる
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鶴を織ってあげると不思議に受ける。最初に泊まった宿の娘さん
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ランギロア島で民宿を経営するマリ
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なぜ南太平洋へ旅立ったかって?
それは音楽。
以前にも書いたが、「南太平洋の島々の音楽」と題して
民族音楽ばかりを収録したアメリカのレーベル「ノンサッチ」から
発売されたレコードを聴いてこれを直接聞いてみたいと思った。

夜になると踊りの練習やら歌の練習でぞろぞろと若者たちが集まってくる。
南の島といえども季節によっては夜は寒く長袖を着ている人が多い。
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真ん中でギターを弾いているのはマリ=テレーズ。どうしてオペラのヒロインのような名前なのか尋ねてみたら、彼女もわからないと。フランス語圏の国だから。
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思い思いに歌を歌いながら踊る。
毎晩のように繰り広げられる日常に魅了された。
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幼い頃、耳に残る一曲があった。
それが「サモア島の歌」。
いま聴いても単純なコード進行、
繰り返しの多い歌詞がポリネシアの言葉を連想させる。
ポリネシア民謡を原曲に日本語の歌詞がつけられたものだが
だれの耳にも覚えやすい旋律と単純なリズム。
それなのに輪唱のようなたたみかける終盤は魂を揺さぶられる。
音楽の仕掛けた魔法にかかってしまう。
https://www.youtube.com/watch?v=9sSYcJGY_ZA

南半球の島々はそれぞれ個性があるけれどのどかなところは共通。
でも地球温暖化で海水面が上昇して苦しむ島もある。
まずは自分でできることと考えて
たいがいの温暖化対策はやっているつもり。
(エアコンを取り外したが、このことで暑さに強くなった。扇風機すら使わない)

ところでポリネシアを離れる日、
パピエテのまちでレコードを探してみた。
彼らがうたっていた音楽のなかに
耳に残る曲があった。
財津和夫のサボテンの花とそっくりだった。
レコード店で何枚か視聴させてもらって雰囲気が合っていれば良し。
反らないように日本まで持ち帰ったのだが
お目当ての楽曲は入っていなかった。
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日本からの直行便はなかった時代、
ニュージーランドのオークランドからフレンチカレドニアのヌメアを経由して
タヒティのパピエテへとほぼ一日かかるフライトだった。
あの頃は原田知世の「天国にいちばん近い島」も流れていたように思う。
この楽曲は詩情あふれる切ない歌詞、
はるか彼方の楽園を描ききった林哲司の作曲、
原田知世のプレーンな歌い方と相まって
透明な世界観を描いた。
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地球っていいなと思えるのは四国の川と南太平洋の島々。

→ 南太平洋の子どもたち
 http://soratoumi2.sblo.jp/article/182381227.html
→ 南太平洋 ファイカバの恋歌
 http://soratoumi2.sblo.jp/article/97208434.html
タグ:南太平洋
posted by 平井 吉信 at 23:45| Comment(0) | 音楽

2019年07月06日

80年代の自由な風から生まれた音楽たち(二名敦子)、好きな音楽を蘇らせるために一人ひとりが政治にまっすぐ向かい合いたい


オアフ島から吹いてくる風のような「LOCO ISLAND」というアルバム。
歌っているのは二名敦子
(ウィキペディアでは「になあつこ」となっているけど「にいなあつこ」では?)
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70年代から80年代はシスコンブームもあって音楽業界は活況、
80年代に入ってアナログからデジタル(CD)の過渡期で両方が併売されていた。

高度経済成長期からさらに日本製品が世界を席巻して経済神話が確立された頃、
世界の企業ベスト10(時価総額)に日本の会社が7つ入っていた(平成元年)。
ぼくもなけなしのお金を証券会社の商品で運用しながら
ノーリスクで7%程度の運用をしていた。
(100万円預ければ1年後に107万円!。複利で利息がつく郵便局の定額貯金に10年置いておけば元金が倍近くになった。そしてあの頃の金相場は1,000円台の前半だったのでぼくにも手が出た。いまでは相場が5千円台になっている)

若者は自分の車を改造して乗り回した。
排ガス規制の余波が終わって
車がステータスとか生き方を表現するようになった頃の話。

マツダは赤のファミリアの全盛期、
町じゅうで3ドアXGを見かけた(当時からマツダのスタイリングは人気だった)。
一世を風靡したスカイライン、ケンとメリーの。
駆動方式はFFが増えていたがスターレットなどの大衆車にもFRが残っていた。
改造車両の定番であったレビン/トレノ、
友人たちも座席を後ろに下げて乗っていたプレリュードやシルビア(ナンパ車)。
トヨタから出たソアラを憧れの目で見ていた人も多いだろう。
日産のサニーベースのワゴン「カリフォルニア」は木目をドアにあしらう楽しいデザイン。
アルシオーネの失敗で出遅れていたスバルもレガシィの発売で挽回を図る。
先日、なつかしいツーリングワゴンを見かけて胸がときめいた。
身近で尊敬できる人が乗っていた車種と色だったから。

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いすずの117クーペ、ピアッツァ、ジェミニの流麗なスタイルはなんだろう(ときめくね)。
その頃のぼくは(いまもそうだが)
時流を追わず質実剛健のマリンブルーのVWゴルフに乗って
屋久島から中日本あたりを車中で寝ながら走っていた。
その後ワーゲンを卒業したぼくはスバリストとなって
WRCブルーのインプレッサに乗っていたが
それは21世紀になってからのこと。
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まちも人々も自信にあふれていたように思う。
(もう一度若い頃を過ごすとしたらインターネットやスマートフォンがなくても80年代を選びたい)

音楽業界の活況は十分な予算で楽曲の制作や録音も行われたに違いない。
80年代のアイドル、松田聖子や菊地桃子、斉藤由貴などのアルバムは
楽曲も編曲も演奏も職業音楽家の総力を結集して、
しかも肩の力を抜いてつくられたからいま聴いても高揚感がある。
そんななかで1枚だけ挙げるとしたら、
松田聖子の20歳の録音、パイナップル(1984年)。
いまの大御所たち(名前は挙げるのは憚られるが)も
才能が枯渇しない(おっと)70年代後半から80年代がもっとも輝いていた。

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20世紀の終わりもあと2か月を切った頃、
発売された1枚のシングルにぼくは釘付けとなった。
飾らない声、胸を締め付ける等身大の詩の世界観、
素人には歌えないような不思議なコード進行、
さりげない、なのに何度もリフレインされるメッセージ。
この水準の楽曲ってその後の20年=2019年になっても出ていないよね。
それは、aikoの「カブトムシ」。

80年代はサウンド志向で
アイドルすら意欲的な実験が行われた時代だけど、
二名敦子は特に強い個性があるわけでない。
でも、風を受けて海を走るときにいつもカセットでかけていた。
70年代のようなメッセージ性は時代が求めたもの。
(それもよかった。優劣ではなく時代が求めるものが違っていただけ)
80年代は自分の場を心地よくしてくれる役割に変化して
リズムやグルーブ、編曲に力を入れたサウンド志向になっていった。
これは日本だけでなく外国もそうだったと思う。
(TOTOの4枚目などは特にそうだった)
また、クリストファー・クロスなどのAORもその流れで出てきたと思う。
日本ではシティ・ポップスとして数え切れないアーティストが存在したのもこの頃。

二名敦子ではロコアイランドが特にお気に入り。
冒頭のリズムとミュージシャンのかけ声からセッションの雰囲気が伝わってくる。
だいたいでいいよ、などと言っているようにも思えるが
演奏が始まるとプロの仕事はさすが。
全編を横溢するオアフ島の空気感は例えようがない。
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当時のサーファーはセシリオ&カポノやカラパナをワゴンで流していた。
杉山清貴のコナ・ウィンドを聴くたび自由な空気を感じていた。
村田和人も良かったが、
ハニー&ビーボーイズ の「バック・トゥ・フリスコ」は再発売されないかな?

二名敦子のロコアイランドはアナログで持っていたけれど、
「him」は持っていなかった。
CDはビクターから80年代に出ていて中古で入手できるが、
タワーレコードのオリジナル企画で2014年にリマスター再発売されている。
オンラインでは入手困難だが、
タワーレコードの渋谷店に在庫として置いてあることがわかって半月前に入手してきたところ。
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(手持ちのリチャード・グードのベートーヴェン・ピアノソナタ全集もタワレコ独自の企画)
(リリー・クラウスのモーツァルトピアノソナタ全集もタワレコ企画で出ているが、これは60年代のステレオ録音なのでご注意。というのも演奏、録音とも名手アンドレ・シャルランが関わって50年代に録音したモノ音源の全集がいい)

二名敦子の「him」には
「ムーンライト・ママ」や「オレンジ・バスケット」などの人気曲もあるけど、
(オレンジも夢を見るのですよ)
バラードの名作といいたい「夜も泣いていた」がある。
そしてぼくが二名敦子のなかでもっとも好きな「Sunset Cruising」が収録されている。

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夏を求め遠くまで来たね 二人だけで楽しむ休暇
黄昏せまるよ サンセット サンセット クルージング…


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彼女と遠くの海へとドライブに出てみる晩夏。
彼女は手作りのサンドイッチをバスケットに入れている。
(おにぎりでもいいけど)
二人の乗った車は岬へとまっすぐ伸びる道を巡航している。
はしゃいだ会話のあと、潮騒を背景に音楽を聴いている、
という状況かも。

タワーレコードさん、「ウィンディ・アイランド」も再プレスをお願いします。
https://tower.jp/item/3279828/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%EF%BD%A5%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%EF%BC%9C%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E9%99%90%E5%AE%9A%EF%BC%9E

なんと同アルバムからの3曲がライブ音源で
二名敦子 & 芳野藤丸SPECIAL BAND FM LIVE
https://www.youtube.com/watch?v=X7v_Zp99ExM



ここで政治の話題をどうしても

いまの時代に豊潤な音楽が生まれないのは音楽業界の不振だけでないような気がする。
かつての荒井由実や山下達郎が現れても人々は耳を傾けるだろうか?
(ぼくにはそうは思えない)
おそらく時代がそんな空気を発していない、
人々は自由な生き方を謳歌できていない。
それが2019年の日本。
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そんななかでまっすぐのメッセージをぶつけてくる人がいる。
(政党にまったく期待していないぼくでも何かを感じた)
わずか1〜2分程度の映像。先入観なく見て欲しい。
(熱い気持ちがなければ生きていてもつまらない)

https://www.youtube.com/watch?v=6UoAP5BweIQ
https://www.youtube.com/watch?v=AU5TIn2na3E

時間のある人はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=E51ysj1dB4k

政治団体のなかで経済政策の本質を訴えているのは
山本太郎さんだけではないだろうか。
(自民党よりも自民党らしい王道の政策という感じ)
消費税を上げて軽減税率とか商品券のばらまきとか矛盾していますよ。
(ほんとうにやるべきことという意味で。この20年の経済政策は間違っていますよ)
市民運動のみなさん、環境保全とか文化を守ろうとか、原発反対、
SDGsなどときれいごとを言っても響かないですよ。
憲法改正やっている場合か?
アメリカや東アジアの政治家に付き合っている場合か?
(特に隣国の指導者が…でも外交はもっと慎重に)

老後は2千万円の貯金ではまったく足りない。
(自助努力による方策はこちらのブログで綴っていきます→ おだやかな経営
(↑自分が人生を愉しみながら自分のペースで生きて足りない年金を埋める方策を書いています)

人々は追い詰められている。
まず安心して生きていけること(衣食足りて礼節を知る)。
いまの日本でもっとも取り組むべきは経済対策と思う。
そこがすべての根源。ただし間違った方向に行かないこと。
ここで気付いて踏みとどまらないと。
国は滅んでも国民は元気で生きて欲しい。
そんな究極の選択が求められていることに気付いて欲しい。

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こんな時代だからあきらめることなく
まっすぐに生きていきたい。



posted by 平井 吉信 at 22:21| Comment(0) | 音楽

2019年05月04日

EACH TIMEのカセットが! 大滝詠一に浸る連休を過ごしています


桜を眺めていたのがついこの間までで
季節はいつのまにか初夏へと。

連休中はやりたいことがたくさんあって
時間がいくらあっても足りない、
というかやりたいことが次々と出てきて
夜寝るのが先延ばし、朝起きるのが楽しみという日々。

もっとも連休が多いと収入は減少するけれど
それよりもやれることが多いことがうれしい。

→ パラレルワールド(異なる結末の記事)に行く

何をしているかといえば
・潮風に浸りに海へ行く
・地球の鼓動が感じられる場所でゆったりと過ごす
・新緑の山へ行く
・小さな山野草に心を通わせる
・自宅でいる間は料理をすべてつくる
・普段できない清掃をする
・紙の本を数冊、Kindleを数冊購入(8冊のうち半分は読んだ)
・ナイアガラ(大滝詠一三昧。運転でも自室でも風呂での鼻歌でも)
・ベートーヴェンの田園をさまざまな指揮者で聴く(いまの季節にぴったり。ここ数日よく聴いたのはワルター/ウィーンフィルのオーパス蔵による復刻版。音質もさることながら当時のウィーンフィルの想像を絶するみずみずしさと指揮者の個性が一体となっている。戦前の録音なのに音だけ聴けば誰もそうは思わないだろう)
・入浴時の呼吸(簡単な瞑想)
・仕事(したいとき、インスピレーションが湧いてしたいときに)
・このブログを書く

すべてに共通項があるとしたら
どれも「愉しい」ということ。
10連休でも20連休でも飽きることはないけど
みんなが同時に休むことはありえないので
(この休日が負荷の高い生活や仕事になっている方々も多い)
今回だけにして欲しいというのが大多数の人の声だと思う。
(休みたいときにそれぞれが休めるのがほんとうの姿ではないかと思うけど、個人的な利点があるとしたら仕事の電話がかかってこないので遊びに集中できることぐらい)

大滝詠一について再び書いてみようと思う。
A LONG VACATIONEACH TIMEは日本のポップスの金字塔。
それ以前のナイアガラレーベルは一部の愛好家向きという感じはするけれど
この2枚(長い人生でたった2枚!)のすばらしさは言葉に尽くせない。
初出時はそれぞれ1981年と1984年。
A LONG VACATIONは初回プレスのアナログを持っているのは以前に書いたとおり

この2枚、ひとことでいえば
完成度の高い(そして唯一無二の)A LONG VACATION
音楽に浸ってときを忘れるEACH TIMEと思っている。

前者は、「君は天然色」の衝撃に始まり
どこもかしこも松本隆、大滝詠一の描く音の情景のさわやかさ。
(さわやか、とは誰もが良いと思うような音世界の美しさ、わかりやすさを表している)
それでいて奥に秘められた職人芸の深さという聴き手の場面に合わせて
深度を変える音楽の懐の奥行きがある。

後者は松本隆の世界観が極まった感がある感傷的な詩の世界に
A LONG VACATIONを上回る職人芸で音楽を閉じ込めている。
何度聴いても色あせることがない。
けれど、発売される度にアレンジ、曲順、収録曲、リミックスが変わっていく。
(この点については大滝さん、考えすぎでは? 初出の構成が最善ではと思う)

ところがなぜか手元にあるのはコンプリートEACH TIMEのアナログ盤。
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初出オリジナルを持っていない。
ところがアルバムの最後を飾る「レイクサイドストーリー」は
初出のエンディングが以後のアルバムでは変更されているというのだ。
(ファンの間では「大エンディング」と呼称されている)

待てよ、EACH TIMEのオリジナル、どこかで見たことある―。
そう思って記憶をたどるようにカセットを探したらすぐに見つかった。
オリジナルEACH TIME(見本盤)。
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再生はどうするって?
いまは良質のカセットプレーヤーが入手できない。
いえいえ、これを持っています。
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ソニーがカセットデンスケ(TC-D5M )とともに世界に誇る名機「ウォークマンプロ」(WM-D6C)。
(テレビは液晶ではなくていまだにブラウン管のトリニトロン15インチプロフィールプロを使っている。程度は極上。19インチプロフィールも健在、VHS再生も当時のソニーの名機が2台完動で待機中)

海外の民族音楽レーベル「ノンサッチ」で
名手ディヴィッド・ファンショーが現地録音で用いた機材が
これでないかと推察している。
(ぼくの好きな「南太平洋の島々の音楽」など)。
虫の声やせせらぎをワンポイントステレオマイクで録音するのに使っていた。
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(さすがにナグラは持っていかないだろう。アンペックスやスチューダー? どうやって密林を歩いて運ぶの?熱帯の高温多湿な場所、電力確保が容易でない場所ならデンスケやウォークマンプロなどのカセットタイプがずっとハンドリングがいい。もしかして音質も負けていないのでは? それにしてもテープによる録音機って夢があるよね)
(コンポに組み込むデッキでは意外にトリオKX-880がよかった。定番のソニーTC-K333ESは長年使い込んだけど)

ヘッドもピンチローラーも極上のまま、
端子も錆びていない。
久しぶりにクリーニングを行う。
ACアダプターは紛失しているので(この時代のソニーの極性はいまと違う)
単三電池を4つ、新品を投入。
まずはカセットを装着して早送りでテープ面に風を送る。
シュルシュルと静かにキャプスタンが廻る、上々。
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そしてステレオのイヤフォンをミニジャックに挿す。
再生でのドルビーはオフにする。
そして耳に流れた。
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アナログのカセットってこんなにいい音だったのだ。
おそらく当時のCDよりもスペック(仕様)では負けていても
人間の聴く音楽としてはこちらが優っている。
エコー感を伴いながら高域が粒立ち、低域が有機的に弾みながら
声が浮かび上がる。
(これは30thリマスターの方向性でもある)

そして「レイクスサイドストーリー」の大エンディング、
聞き慣れたフェードアウトではなく
余韻を残して完結する。
まるで人生をかけて音楽と向き合った人たちの
最終章(コーダ)のよう。
涙がこぼれそうだ。

やはりEACH TIMEは初出(作り手のインスピレーションの高揚があった)がいい。

これをデジタルアーカイブしておきたいけれど
手持ちのPCや機材ではできそうにないな、と思いつつ。
(USBオーディオの変換装置が必要なんだろうね。いまは入手できない貴重な音源のカセットがたくさんある。購入後30年以上を経ているウォークマンプロフェッショナルが健在なうちに)

追記1
なぜ、業界の人みたいに手元に見本盤(非売品)があるかって?
それは秘密。

追記2
もし、EACH TIME 30thリマスターをやり直せるのなら
ぼくならこうしたい。

1.魔法の瞳
2.夏のペーパーバック
3.木の葉のスケッチ
4.恋のナックルボール
5.銀色のジェット
6.1969年のドラッグレース
7.ガラス壜の中の船
8.ペパーミント・ブルー
9.レイクサイド ストーリー(初出の大エンディング)
〔ボーナストラック〕
・フィヨルドの少女
・バチュラーガール



令和が始まって部屋でも車でも仕事中も浸りっぱなし。
大滝詠一の音楽は幸福感に包まれるね。
タグ:大滝詠一
posted by 平井 吉信 at 13:13| Comment(0) | 音楽

2019年04月27日

平成最後のプレゼント 大滝詠一「NIAGARA CONCERT '83」(初回限定盤) 

80年代のカーステレオから流れる音楽は
「A LONG VACATION」
初めて聴いたとき、1曲目の「君は天然色」はどこかで聞いたような
往年のポップスの名曲のようなつかしくきらめきを感じた。
(ほら、27AH1234の初回プレスですよ)

1曲目の掴みでA面をトレースすると
B面は「雨のウェンズデイ」「スピーチバルーン」という切ないバラード。
そして固唾を呑んで待ちわびる名曲「恋するカレン」。
(マリンブルーのVWゴルフで南の海を運転していたよ)
(このパターンはイーチタイムのB面も踏襲しているね)

期待を背負ってプレッシャーを感じていたのかもしれないけれど
1984年の「EACH TIME」もよかった。

大滝さんは完全主義者なのかCDの番号が変わるたびに
曲順、曲目、リミックスが変更される。
そのため、ファンはその都度買い足していくことになる。
発売後20年、30年を経過して
それぞれ20th、30thのリマスターが発売された。
初めて買うなら30thリマスターで。
(良質のオーディオ装置では20thよりも30thが伸びやかでダイナミックレンジが広く位相の乱れも少ないように感じる。それに2枚目に純カラオケが付いていて音の組み立てが手に取るように見える)




「EACH TIME」では、
「魔法の瞳」(初発売時)が1曲目にないと始まった気がしない。
「夏のペーパーバック」は名曲だけど
聴き手の上昇した体温を受け止めてクールダウンする位置に置いて欲しかった。
この場所じゃないと楽曲みずからが語っているような気がする。
1984年の初発売時では以下の順番。

A面
魔法の瞳
夏のペーパーバック
木の葉のスケッチ
恋のナックルボール
銀色のジェット

B面
1969年のドラッグレース
ガラス壜の中の船
ペパーミント・ブルー
レイクサイド ストーリー
(楽曲の並びも音楽の流れも自然で結晶化しているように思う)

それにしても松本隆の作詞がなければこの世界観はつくれなかったと思う。
切なさ、甘酸っぱさは完結感のないコード進行で。
(同じメロディーをメジャー6、メジャー7でなぞると翳りやまどろみが顔を出す。D→Dmaj7 →Dmaj6→ D。うつむいたり上を向いたりしながら会話を続けるような時間軸の揺らぎを感じさせる。キーは違うけどベッツイ&クリスの「白い色は恋人の色」もこのパターンじゃなかったけ?)

人の感情を風景や情感の動きに投影(比喩、代弁)させる松本節。
特にイーチタイムでは内省的な歌詞が散りばめられている。
「冬の色の風に吹かれた落ち葉たちが通りを走っていく…」(木の葉のスケッチ)
「羽撃くのを止めれば墜ちること青空舞う鳥さえ識っているさ…」(銀色のジェット)
(音だけではわからない漢字の当て方もそうだけど)
この翳りがたまらない。

声もそう。
(カラオケで歌うと聞き映えがしないのは技術的に難しいから)
2枚のアルバムの楽曲は
大滝詠一以外が歌うと借り物のようになってしまうのは
世界観のチューニングが絶妙なんだろうと思う。
分厚く波のように押し寄せるソフトな声が楽曲の情景を描く。
声の圧力で空気を押し出す感覚で歌わないと
軽めのリゾートソングになってしまうんだろうと思う。
キーも重要。特定の調性は固有のイメージを持っている。
(開放的で漂う感じはEとかD、Aだよね)
大滝さんの歌いやすいキーがたまたま南を示しているんだね。

大滝さんは、数年前に突発的な事故(病気?)で亡くなられた。
それ以後、新たな音源の発売はないだろうと思っていたら
2019年3月21日にライブが出た!
1983年の西武球場でのコンサートである。
(ロングバケーションから「イーチタイム」発売までの黄金の隙間である)


NIAGARA CONCERT '83(初回生産限定盤)

「夢で逢えたら」から「カナリア諸島にて」までの最初の5曲は
新日本フィルによるオーケストラ演奏でいわば「ナイアガラソングブック」のライブ仕様。

大滝詠一の歌は6曲目の「オリーブの午后」で始まる。
ライブならではのバックの適度な音の隙間。
大滝さんも緊張気味のようにも思われるが
レイドバック感がかえって心地よい。
薬師丸ひろ子に提供した楽曲、森進一に提供した楽曲と続いて
聴き手の体温があたたまったところで
「恋するカレン」のイントロ、そして鼻歌のようなヴォーカル。
(風呂に入るとカレンを歌いたくなる♪)
波に漂う感覚に包まれる。
最後は「君は天然色」に浸れる。
それだけでも満足。

ところでマニアックな話をひとつ。
「君は天然色」ひとつとってもこれだけの解析がなされているということ。
http://soundsconf.jugem.jp/?eid=688
http://soundsconf.jugem.jp/?eid=689
http://soundsconf.jugem.jp/?eid=690

初めて聴いたときに3連符の刻みがバックと声で交互にあるところが新鮮だった。
(この曲、カラオケで歌うには手強いよ。リズムを追うのではなく正確なリズムを持ったうえでグルーブしていく感覚が必要。三連符の刻みはアクセントを強めに)
同じメロディにシックスやセブンスの和音を出し入れして繰り返しの単調さを避けていること、
歌詞の気分と一体となって次の展開を先取るコード進行など
プロの技と思った。
理屈はわからなくてもみんなそう感じていたのではないか。
そして明るい曲想にもかかわらず
作詞家の個人的な思いが込められた哀しい曲かもしれないのである。

こんなこと知らなくても
耳に心地よかったり
変化を感じて歌うときはリズムを変えていたりと。
でも、作り手の思いは感じていたい。

聴いている間も聴き終わったあとも
幸福感に包まれた。
限定版仕様では2枚目がオールディズの楽曲(ライブ)になっていて
これがまた愉しい。

久しぶりにアルコールが飲みたくなって
ゆこうとチーズのビスコッティをあてに貯蔵している宮城峡12年を飲んだ。
(ナイアガラだからニッカなら余市ではなく宮城峡、スコッチならバランタイン12年などがいいよね。ハイボールならバランタイン12年かな)
DSCF0814-1.jpg
溝の劣化のない盤を保存しているので
ソニーにあるアナログマスターが劣化したら
メーカーに貸し出しますよ。
(ロングバケーショ、コンプリート・イーチタイムも初回プレス)
でも、この2枚を聴いていると
3枚目は出せなかっただろうな、出す必要がなかったなとも感じた。
人生のそのときでないと刻めない時間がある。
大滝さんが奇跡のような2枚を遺してくれたのだ。


追記
「君は天然色」を初めて聴いたときの違和感を思い出した。
覚えやすくていいメロディーなんだけど単調な感じ。
それが全音下げたサビ(想い出はモノクローム…♪でE→Dとなったらしい)だったのかと。
冒頭メロディ(くちびるつんととがらせて…)と同じだから単調な印象を受ける。
その直前(今より眩しい…の最後の音がそのまま滑り込むので自然な感じはある。レガートでそのままつないでもあり得るような)
ところがイントロ(E)がサビを先取りしているので(同じコード進行なので)
サビはそこへ行くものと耳が期待していたのだ。
なるほど…。
オケ録りの後だったので苦肉の策で下げたらしい。
サビだけを下げた原因は歌いにくさだったよう。
(何らかのエフェクト=ピッチ下げをかけた)

ぼくが聴く限り、ピッチ下げのタイミングが3回ともすべて違うように聞こえる。
(サビに入ってからピッチダウンするのが2回目、3回目は一小節前、初回は一拍前? いずれにしてもピッチダウンの弊害で音が籠もるのは同じ。いつかオリジナルの全音下げをしない歌を聴いてみたい。山下達郎さんがやってくれないかな)
そんなことも含めてA LONG VACATIONは愛おしいし
大滝さん亡きあとも人々の胸に生き続けるんだろうな。
posted by 平井 吉信 at 23:27| Comment(0) | 音楽

2019年03月10日

朴葵姫さんからタレガ・ギターカルテット(朴葵姫、松田弦、徳永真一郎、岡本拓也)へ

前頁から続く
親父がクラシックギターを何本か持っていて
ヤマハのCA-400プリメインとベルトドライブのプレーヤーにシュアーをつけて
同じくヤマハの20センチ2ウェイスピーカーで
アコースティックギターの楽曲を聴いていたのがきっかけで
当時の流行歌には目もくれず
中学になる頃にはヴィラ=ロボス、ソル、スカルラッティ、スペインの数々の楽曲などを聴いていた。
(あの頃のヤマハのオーディオは質が高かった)
日常会話には手工ギターの銘柄が出てきた。
ヘルマン・ハウザーの表板がどうした、ホセ・ラミレスの高音がどうした、
サントス・エルナンデス、イグナシオ・フレタの伝達性は、ヤマハGCの弦長は…
など固有名詞が飛び交っていた(うちにあったわけではないけれど)。
ドイツスプルースや米杉の単板と組み合わせる裏板、側板などに
いまでは稀少なハカランダやローズウッドなどの南洋材が使われていた。

朴葵姫さんがカルテットを組む(タレガ・ギターカルテット)のメンバーの一人、
徳永真一郎さんは徳島市の出身。
彼のお父さんとのご縁がきっかけで当時小学生の真一郎さんも連れて
今切川に船を浮かべて川底の泥を採取したことがあった。
幼少の頃からギターに触れる機会があったこともあるけど
今日の真一郎さんの活躍はうれしい。


なお、真一郎さんは徳島のギター製作家 井内耕二さんの手工ギターを使用されている。
井内さんのギターの音色がわかる動画がある。
https://www.youtube.com/watch?v=4qNnBnMbhV4

次に仕事でもご縁のある四万十市の公式チャンネルの動画をご紹介。
タレガ・カルテットの一員、松田弦さん(高知県のご出身。お名前に「弦」がある)の演奏で
四万十川を上空から紹介する動画を掲載している。
(外国人に向けての発信はわかるけど日本語の注釈をタイトルに入れておかないと日本人や日本通に検索されませんよ、市役所さん)
https://www.youtube.com/watch?v=CuWk7gFOIMw



アコースティックギターには音量という壁と
弾き手の技巧の披露から
尖った弾き方をしてしまいがちだけど、
聴き手の立場でいうと、ソロ楽器として長く聴いていられない。
超絶技巧をどう使うかをカルテットの演奏家たちはそれぞれに答えを見つけようとされているよう。
若いギタリストの豊かな音世界がギターの可能性を広げていくと信じている。

posted by 平井 吉信 at 11:52| Comment(0) | 音楽

2019年03月03日

5月の薫風を思って「田園」を聴く

小学校の音楽室にはピアノが置かれていた。
壁には楽聖たちの肖像画があり、いまでも脳裏に思い浮かぶ。
音楽の授業では音楽鑑賞の時間があった。小学校の高学年の頃である。
先生がその日かけたレコードはベートーヴェンの「田園」だった。

クラシックの音楽鑑賞は楽曲への理解を助けるために
言葉による解説という先入観を子どもに与える。
田園は各楽章に標題がついていてわかりやすい。
ぼくは標題というより音楽そのもの、
特に第一楽章の出だしに惹かれてしまったのだ。
音楽が心にすっと入ってきた感じ。
(岡本太郎の太陽の塔を見たときも同じだった)
レコードを最初に買うのなら田園にする、と決めた。
その後、パイオニアのラジカセを買ってもらって
FMで流れるというのでフジのカセットに録音して聴いた。

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(ときは流れて)
おとなになっても好きな曲は変わらない。
ベートーヴェンは生涯の友となり
読むのに数ヶ月を要するセイヤー著「ベートーヴェンの生涯」(上/下)を読み
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001277679-00
(徳島県内の図書館には置かれていない。派手なパフォーマンスの影で文化予算は激減していると聞く。良質の本に触れる地道な文化振興こそ大切。予算は政治家のアピールのためにあるのではない)
総譜を集めては自分で書き込みを行い
ベートーヴェンのレコードやCDを集めた。
なかでも田園は月に1回は聴いているような気がする。

疲れたときふと部屋に籠もって聴きたくなる。
きょうはベーム/ウィーンフィルの1977年の日本公演(ライブ)を取り出した。

打ち水を踏みしめるように静けさのなかから始まる歩み。
しかしすぐに弾むような音楽の逍遥。
田園という曲に音符で描かれたカッコウや雷鳴は誰が聞いてもわかる。
雷鳴が近づいて炸裂して遠ざかっていく轟きの余韻など
自然のなかに身を置いているかのような現実感。
(楽器の音で音楽であってそれなのに写実的)
嵐のあと雲の切れ目から地上に降りてくる日射しのような終楽章の導入。

楷書か草書かでいうと楷書で描かれている。
それでも第2楽章の楽器をリレーするかのごとく
息の長いフレージングは楷書一辺倒ではないベーム(ベートーヴェン)の歌。
標題音楽というより純音楽の響きであり
ソナタ形式のドラマというよりは音を積み重ねて悠久を紡いでいくよう。
個々の楽器が浮き立っては溶け込んでいく耳のごちそう。

ベートーヴェンは古典の枠組みで標題音楽を作曲しているけれど
形式に則るのが目的ではなく手段に過ぎない。
だから後生の人間が自分たちの尺度や味方を持ちこんで
楽曲を再創造できる。
ベートーヴェンは音楽の遺産ではなくいまも生きている。
演奏はそのときどきの最良の楽器や手法でやればいい。

ベームのNHKライブはほかの田園とまるで違う。
もしコンピュータに田園の演奏を分析させれば
テンポや音量、速度など音符との対比を抽出したとして
この盤が傑出しているとは判別できないだろう。
例えば同じウィーンフィルを演奏しているアバドは
同じように楽譜のように進んでいくけれど
上等なムード音楽のようにも響く。
それなのに音楽が寄り添ってこない。

ベームのNHKライブでは
アバドよりも角が立っていて立体感があるのに
音楽は絶叫しない。
絶叫しないのに大地に根っこを貼った存在感がある。
存在感があるのに霧の向こうから響いてきたり
夢のなかから滲みだしてきた音楽のようにも感じる。
絹や木綿でていねいに紡がれた田園であり
木訥でのどかな田園であり
心を弾ませながら魂を鎮める田園でもあり。

このライブCDを聴くと
実演で聴いた人は一生に一度と思える音楽の体験になっただろうと思う。
CDに残された録音は響きの少ないNHKホールで各楽器はよく聞き取れる。
これを教会の一室などで再生したらさぞいいだろうと思うけれど
やれる人は電気的に残響感を加えてみたら夢のような体験が待っているだろう。

田園が輝く5月を思いながらきょうもベートーヴェンに浸る。


スタジオ録音で聴きたい人はドイツグラモフォンの輸入盤で

posted by 平井 吉信 at 22:11| Comment(0) | 音楽

2018年11月07日

Wink デビュー30周年 愛の喜びが切ないためいきと感謝にあふれて


彼女たちが現役でやっていた頃は聴いていなかった。
それでも相田翔子がテレビ番組の司会をやっていたのを見た記憶があって
アイドルをやっていた頃よりも存在感があると思った。

そのWinkも1988年にデビューして30年が経過するという。
偶然目に止まったYouTubeでの「淋しい熱帯魚」の映像に魅了された。
元の楽曲は1989年だけど
この映像はこの場だけの復活のようだ。
当時より20年後のこの2008年の歌い方がいい。
https://www.youtube.com/watch?v=px-aPbn_scA

それは歌っているふたりが楽曲を愛しみ歌うことを心から楽しんでいるように見えるから。
何度か視線を合わせてほほえみを浮かべる場面が記録されている。
一つひとつの所作に艶がありそれが自然に流れていって微笑みに溶けていく。
アイドルをやっていた頃は過密スケジュールと
次々と押し寄せるタスクにつぶされそうになっていたかもしれない。
それがどうだろう、
「あの人はいま」(現在の生出演)でがっかりを見せられることが多いなかで
むしろ美貌が増しているというか
年齢を重ねてなお可憐、妖艶さが加わって
何をうたっても聴いていたいと思える。

年齢とともに輝きを増す人を尊敬する気持ちが人一倍強い。
年を重ねるのが悪いのではなく年齢を重ねることを甘受して
劣化を気にしなくなるのは生き方が輝いていない、
きっと人生を愉しんでいない。
だからあえていう。
人間、年を取るようではダメ。
生きるって年を取ってはいけない。
(これは終生変わらない信念)

カイリー・ミノーグのカバー曲「愛が止まらない」の当時の映像では
緊張感に裏打ちされたひたむきさ、初々しさが印象的だ。
(左右非対称の振り付けやコスチュームもwinkらしい)
https://www.youtube.com/watch?v=ZItcRV_K268

同じ楽曲だが、初めて1位になったときの心の動きが刻まれている。
(二人にしかわからないことがあるのだろう。生々しいけれど美しくもある)
https://www.youtube.com/watch?v=MMGnK89B8Ak

そうだ、この際Winkを聴いてみようと
CDを買ってみることにした。
2013年の25周年に発売された2枚組だが二人が選曲している
(シングルコレクションよりもこのほうがいいだろう)
https://amzn.to/2F7mQn5

アルバム中では「あなたがドアを開ける夜」が好きだ。
愛の喜びが切ないためいきと感謝にあふれて
楽曲全体がソフトフォーカスのヴェールを帯びる。
その洗練された情感がたまらない(女性の愛らしさが極まった感じ)。

さらにヒット曲のシングル盤(17センチアナログ)まで今年発売されたという。
https://www.hmv.co.jp/artist_Wink_000000000012796/item_%E6%B7%8B%E3%81%97%E3%81%84%E7%86%B1%E5%B8%AF%E9%AD%9A-%E3%80%90%E5%AE%8C%E5%85%A8%E9%99%90%E5%AE%9A%E7%9B%A4%E3%80%91%EF%BC%887%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%EF%BC%89_8587901

久しぶりに聴くと楽曲の品質感が高いし
それに答えるアーティストの力量がある。
当時のWinkのひたむきさもいいが(それも共感できる)
いまのWinkがコンサートをしたら、見に行きたいと思う。

タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 01:27| Comment(0) | 音楽

2018年09月15日

小松玲子さんによるサヌカイトとマリンバによるコンサート 小松島市ミリカホール


小松島市ミリカホールに小松玲子さんが来るという。
ときは2018年9月29日(土)14時〜

それなのにこの時間にキャンセルできない用事が入ってしまった。
なんという巡り合わせの悪さ。

小松玲子さんがサヌカイトの奏でる音楽として次の2コマのYouTubeを見てみては?
秘かな水瓶
https://www.youtube.com/watch?v=6m7DOrW8OEw

LOVE LETTER
https://www.youtube.com/watch?v=wM_s1obu49w


超高域や倍音が入り交じる現場でないと味わえない音があるはず。
小松玲子さんの演奏する姿も凛として美しい。

このコンサートは、(公財)よんでん文化振興財団の助成で
1,000円(一般)に設定されるという。
https://www.city.komatsushima.tokushima.jp/docs/472156.html

この音色、楽曲に惹かれた人は行かなければ後悔しますよ。
タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 19:05| Comment(0) | 音楽

2018年04月07日

ゆうべ遅くに聞いたフォーレ


ゆうべ夜更けに聞いたフォーレのピアノ五重奏曲ニ短調を思い出している。
ピアノの煌めくアルペジオが低弦の幽愁を呼び覚ます冒頭から
フォーレの世界が淡々と繰り広げられる。
(フランクのヴァイオリンソナタの醸し出す雰囲気と似ていながらも、どこか遠くを見ているような視線)
ただそこに浸っていればいい。
(ぼくが持っているのはエリック・ル・サージュのピアノとエベーヌ四重奏団
試聴先はMP3音源で(CDではないので間違って購入されませんよう)

フォーレの初期の作品「組曲 ペレアスとメリザンド」は宝石のような作品。
なかでも前奏曲が好き。
ひたひたと押し寄せる地中海の光と陰の明滅とでもいいたげに。
そして、シシリエンヌの軽やかな舞曲は光の園の中心に運んでくれる。
(LPで持っているのは、アンセルメ/スイスロマンド管、CDではデュトワ/モントリオール響
デュトワのシシリエンヌがYouTubeにあった。
https://www.youtube.com/watch?v=yoDlcNwvTZM

フルート奏者にとってはたまらない出番。
以前に紹介した上野由恵さんのアルバムにもこの曲は収録されている。
(オーケストラではなくピアノ伴奏なのだけど)
http://soratoumi2.sblo.jp/article/182354637.html

DSFT0678-3.jpg
フォーレの良さは、音楽が人の感情をまとって明滅するようなやわらかな音つむぎ。
長調とか短調とかを超越して、それでいて無調にも陥らず
禅や瞑想のように覚醒しつつおだやかな心境を写す鏡のよう。
フォーレとて、日本の春を想って作曲したわけではないけれど
かすみたなびく日出る国の風情を西洋の音階でタペストリーにしてみました、
と二十世紀初頭のフランスの作曲家を代弁してみる。


タグ:フォーレ 2018
posted by 平井 吉信 at 14:39| Comment(0) | 音楽

2018年02月14日

バレンタイン企画 チョコを渡す人がいなくてもチョコをもらう相手がいなくても ばらの騎士があれば。たった5分で味わうR. シュトラウス「ばらの騎士」の愉しみかた


オペラ通でもないぼくが解説するのは冒険だけど
もし6分ほど付き合ってみようと思われるのなら、
YouTubeのリンク先をご覧になってみては?
https://www.youtube.com/watch?v=9Qzcnd0pLvg

このリンク先が実によくできている。
ボランティア団体のようだけど
法律を遵守して音楽に対訳をつけていただいている。

リヒャルト・シュトラウスは大昔の作曲家ではなく
第二次大戦後に没した人である。
ドイツ後期ロマン派のめくるめく音彩を描いてやまない。
オーケストレーション(オーケストラへの編曲)に関しては
プロの作曲家のなかでも名人芸の域に達している。
(ぼくはベートーヴェンの不器用なオーケストレーションが好きなのだけど)

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ばらの騎士 三重奏での登場人物は以下の3人。
陸軍元帥夫人マリ・テレーズ:エリーザベト・シュヴァルツコップ
ばらの騎士オクタヴィアン:クリスタ・ルートヴィヒ
花嫁ゾフィー:テレサ・シュティッヒ=ランダル

カラヤンとフィルハーモニア管弦楽団による1956年の録音から
第三幕の終わりのほうの一部に出てくる三重奏だけを取り上げた動画。
(といっても登場人物はなく字幕だけ)

この動画では、ドイツ語と日本語の歌詞と対訳が出てくるので
発音を追いかけつつ意味もわかる。
さらに、字幕の出し方が絶妙である。
第3幕の有名な三重奏が終わりに近づいて
「神の御名において」と元帥夫人がうたい終わると
(実演ではここから元帥夫人は退場するのだが)
元帥夫人を演じるエリザベート・シュワルツコップの名前が浮かび上がる。
続いて、ばらの騎士オクタヴィアンを演じたクリスタ・ルードヴィヒ
そしてゾフィーのテーマがオーボエで奏でられると
ゾフィーを演じたシュティヒ・ランダルの名前。

そして管弦楽の響きに包み込まれると
指揮者カラヤンの名が流れ、没後20年を記念と紹介される。
さらに作者のリヒャルト・シュトラウスの生誕150年に当たると表示される。
オーケストラがエコーのように回想するなか、この録音のプロデューサーの名が流れる。
https://www.youtube.com/watch?v=9Qzcnd0pLvg

対訳集の本もあるが、哀しいかな平面上にまざりあう歌詞を表現することができない。
ところが動画で字幕を動かしていくと
三重奏の複雑なからみが見えてくる。
左にゾフィー、右にオクタヴィアン、
真ん中下から元帥夫人の台詞が流れるという至れり尽くせり。

ここでこの歌劇の見どころを少しだけ。
この楽劇(作者は歌劇とは呼んでいない)は、
18世紀のウィーンを舞台にしている。
設定は以下で。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%AE%E9%A8%8E%E5%A3%AB

先にも述べたようにオペラを好きでないという人は
大柄なアングロサクソンの男女(ネアンデルタール人のDNAを持っているからだろう)が
歌詞が聴き取れない発声法でヒステリックな大音量を上げるのが我慢ならないからだろう。
ぼくも苦手である。
(プッチーニの蝶々夫人などはそのような歌唱は出てこない)
モーツァルトの頃の時代設定ということもあって
ばらの騎士もそのような歌唱は求められていない。

劇の設定を個人的な見解でひもといてみよう。
元帥夫人は30歳前後であるが、身分の高い夫を持つ。
おそらくは政略結婚で、年下のオクタヴィアン(17歳)を愛人にしている。
このふたりがベッドでむつみ合う場面から幕が上がる。
(それを不貞と責めるとこの劇は成り立たない)

若いオクタヴィアンも元帥夫人に夢中であり
序曲は突き抜けようとする彼を包み込む夫人の包容力の愛を描く。

17歳のオクタヴィアンを演じるのはソプラノもしくはメゾソプラノ、
つまり女性歌手が男装して演じる。
劇中では元帥夫人の部屋にいることを見つかりそうになって
女装する場面がある(女性が男装して役作りを行うが劇中では女性に変装して本来の性でうたうという凝ったつくり)。


第三幕の三重奏の場面は居酒屋。
ここで上記の3人が遭遇する。
三重奏は三角関係の悲恋と恋愛が絡む。
つまり恋の勝者と敗者がいる。
ただし配役上は男1人、女2人であっても
演じるのは女性3人(つまりひとりはズボン役=男役)。

かつて英語と日本語の歌詞まで暗記してしまった
ミュージカル「Les Miserables」の三重奏を思い出す。
コゼットとマリウス、それを見守るだけのエポニーヌ。
滝田栄のジャン・バルジャンや島田歌穂のエポニーヌを見るため
梅田コマ劇場まで何度も通ったっけ。

ばらの騎士の元帥夫人は、2人が恋に落ちていることを見抜き
ゾフィーもオクタヴィアンと夫人が愛人関係であることを感づいてしまう。
元帥夫人は自分が身を引くことでオクタヴィアンの幸福を願うという
気品ある態度と心の葛藤を演じなければならない。
この楽劇の事実上の主人公であり、
リリックソプラノにとっての生涯の集大成となるような名誉な役である。

ここでは名歌手シュワルツコップが心の機微を演じきる。
表現することが愉しくてたまらない、そのために生きてきたといわんばかりの
絶唱をコントロールしつつ、涙を気品で隠した歌唱。
舞台姿を想像しつつ聴いてみよう。

ふたりの愛人関係に気付いたゾフィーは
その場から立ち去ろうとするが
オクタヴィアンが引き留めようとする。
ゾフィーも不安と憧れが入り交じる
若さが崩れ落ちそうになりながら
支えを求めている。
第2幕のばらの騎士を迎える「銀のばらの贈呈」の場面で.
夢のような歌唱を見せたシュティッヒ=ランダルが
思いが天に突き抜ける歌唱を見せる。
そこに戸惑いや不安を散りばめて。
ぼくはこの声を聴いて10代の娘に感じられた。
(うますぎない、絶叫しない、コケットリーであって乙女チックな)

もっとも感動的な第3幕の三重奏に対して
もっとも美しいのは第2幕の銀のばらの贈呈の場面である。
第2幕では、親類に当たるオックス男爵の婚約の使いとして
銀のばらを届ける「ばらの騎士」が登場する。
(このとき、花嫁ゾフィーを見初める。ゾフィーも修道院を出たばかり。つまり同年代の若い二人の一目惚れ)
オクタヴィアンは、第3幕では好色のオックス男爵をゾフィーから引き離すため
一計を案じて女装して誘惑する場面も演じるなど、全3幕を通じて出番が続く難役である。


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ゾフィーは貴族生活に憧れる少女。
まだ見ぬ男爵が醜男であることは知らないで
婚約の使いで訪れたばらの騎士にめぐりあってしまった。
(第二幕)
10代の恋を初々しく演じるとともに
若気の至りや誇らしげな態度、不安やおびえなども表現する。
第2幕は全曲に字幕付のこの動画で。
https://www.youtube.com/watch?v=JqUK1NyKYrE

5分過ぎにばらの騎士があらわれる。
8分台のゾフィーが献呈されたばらについて夢見心地に話す場面は
この世のものとも思えない美しさ。
声の弱音に生涯の憧れを載せてうたっているような。
そして、オーボエで奏でられる天国のこだまのようなゾフィーのテーマ。
グロッケンシュピール、ハープ、チェレスタなどが刻む不思議な音階のいろどり。

ふたりの間に恋心が芽生え
10分台から12分にかけて、このときを死ぬまで忘れないと。
Rシュトラウスはここぞとばかりに
転調、移調で歌い手の心も聴き手の魂も揺さぶる。
リヒャルト・シュトラウスは管弦楽の魔術師。
声はオーケストラと一体となって音楽をつくりあげる。
こうなると、ばらの騎士から一生抜け出せない。
だって、この音楽が響かなくなる頃は干からびているのだから。

音で聴く限り、カラヤン/フィルハーモニアの1956年録音が最良と思う。
(録音もいまの水準と比べてもひけをとらない)
芸達者なシュバルツコップに薫陶を受けたのか
シュティッヒ・ランドルのゾフィーと
ルートヴィッヒのオクタヴィアンの儀式の緊張が解けたあとの会話など
弾むような気持ちを伝えて止まない。
三重奏もいまだ持ってこれを越えるものを知らない。
オペラはつくりものの世界、というけれど
そのなかに感情を投影することは
論理一辺倒に活を与えて
豊かな感情の流れを内なる自分に開くことができ
一種のカタルシスを得るのではないか。

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聴いていると聴き手も同じように
高揚感や寂しさを感じることがある。
それこそリヒャルト・シュトラウスの魔法。
息すらできなくなる恋愛の不安と情熱、
そしていつかはつゆと消えゆく夕映えのようなためいき。
歌詞も音楽も理屈もわからなくていい。

誰だって、人を好きになったことはあるはず。
たとえ片思いでも、全身全霊で人を好きになって
彼女の成長を見守る場面があっただろう。
彼の愛に包まれていることに気付いて
身も世もない恋を経験しておとなになっていくことがあっただろう。
恋に卒業はなく、いつが来ても慣れることはないこの感情の晴れ舞台。
バレンタインに聴く「ばらの騎士」はメッセージを伝えてくれるのでは?



追記
コンサート形式で三重奏から最後までの演奏がある。
(コンサート形式だが元帥夫人は一度舞台から去って行く)
https://www.youtube.com/watch?v=EXi8U1twwrc
アバドとベルリンフィルによる。
評判のいいカルロス・クライバーよりこちらがいいように思える。
名人集団のベルリンフィルがこれほどあたたかい音色で
しかも包まれるような抱擁感で鳴るとは。
キャスリーン・バトルのゾフィーはかれんだが、少し違うような気がする。
(ゾフィーはもっと控えめに感情表現するのでは。もっと拙い感じというか、前に出すぎない初々しさとでも)
フォン・シュターデのオクタヴィアンはいい。所作や感情表現まで見とれてしまう。
フレミングの元帥夫人は落ち着いているが期待を裏切らない。
実演に接していたら目が眩むような感動だったのではと思う。


さらに追記

フレデリカ・フォン・シュターデがうたった作品として
カントルーブのオーヴェルニュの歌から「バイレロ」はいかが?
暑い夏に聴くと、フランスの高原地方の情緒が涼やかに立ちこめるはず。
https://www.youtube.com/watch?v=b_LUu45cHPc

ぼくがレコードでもっているのは、ダウラツの歌唱。
もっと素朴な感じがする。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=194&v=-iI8tMHrD_c

音楽って、一度に時代や世界を越えて駆け巡ることができる世界旅行、歴史旅行のようなものだね。


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posted by 平井 吉信 at 22:44| Comment(0) | 音楽

2018年02月07日

南フランスを思い出すとき フォーレやドビューシー、ビゼーの楽曲 上野由恵さんのフルートが冬の日本をプロヴァンスの風そよぐ季節に変える


パリの散歩道 フランス・フルート名曲集 上野由恵/三浦友理枝

雪に閉ざされる日本から、
常夏の島々を思い浮かべても遠い。
むしろ、地中海沿岸の光にあふれたおだやかな地方、
例えば、南フランスのプロヴァンス地方や
スペインのカタルーニャが思い出される。
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南フランスといえば思い出すのは
フォーレやドビュッシーの音楽。
フォーレの組曲「ペレアスとメリザンド」ならこんな情景。
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 真夏の立体がしたためるけだるく重たい空気に、少しずつ諦念にも似たさわやかさが混じりはじめる頃、沈まないと思えた太陽に翳りが差した。黄昏海岸の目に映る景色のなかで何かがささやいている。ぼくは自転車を置いた。

 手をかざしてみると、ガードレール越しに海が橙色に散乱していた。
 目を閉じると波が見えてくる。沈黙の間をそれとなく波の音が満たしている。波頭がくずれながら横へ平行移動するのと、戻ろうとする波が縦の方向でぶつかりあう。その音のずれが、ほとんど海と陸の境目のない空気の厚みを感じさせているのだと気づいた。
 引きずられてこすれあう石ころ。波の声はやはりここまで届いている。はるばる太平洋から届いた旅の終点は幾重にも重なった砂の拍手。それは、突然ゆっくりと起き上がるような調子で声をあげるのだから。

 夏の午後が落ちる前に最後にぶつけてくるため息のような情熱に包まれていた。ななめの残照が頬のほてりをなぐさめてくれるようだった。
 長く引いた影をたどると、そこにひとりの女の子がいた。白い半袖のブラウスは分水嶺のように正確に光を分けて、直射するところは光を突き放してオレンジ色に染まっていた。

 ぼくは目をそらさなかった。
 女の子も目をそらさなかった。
 そんな状態が一秒間続いたあと、どちらからともなくうつむいた。
 ぼくは手を差し出した。ところが、汚れているのに気づいてあわてて引っ込めざるを得なかった。
 自転車のパンクはもう修理できている。ぼくは目線を上げて彼女を見た。やはり少し淋しそうな表情に思えた。
 けれど、それは間違いだった。小さくてふくよかな唇がわずかに動いて、
「ありがとう」
 そう言うと、きりっと結んでいた口元がゆるんで白い歯が並び、瞳はさらに大きく開かれて微笑の静止画をとってみせた。
 その笑顔に心の裏付けを必要としないのは、彼女が両親から情愛を持って授けられたにちがいない、均整のとれた容姿を持つ女の子だから。そのことを彼女自身、直観で感じていたのだろう。だから、なるべく目立つまいと表情を抑えているのかもしれなかった。

 彼女が手を振った。

 草の根の大地に立って空を見上げた。ため息のような情熱が溶暗していくと、背景は少しずつ照明を落とし、星がひとつ、ふたつ、にぶい光を空間に放ち、しだいに明るさを増していった。
 ぼくは自分がどれだけ無力かを知っている。だからこそ、すばらしいものに会えるだろう。
 トレモロで刻む弦の上をハーモニーがサーっと拡がって始まった夏、輝いていた。

「空と海」から引用


ペレアスとメリザンドでは有名な「シシリエンヌ」も良いが
ぼくは第1曲の「前奏曲」が好きだ。
この音楽を聴いていると自然に湧き出した泉のような文章である。

初夏の朝に窓を開けて
アンセルメ/スイスロマンド管のレコートでよく聞きこんだもの。
光と影が降り注ぐような音楽。
https://www.youtube.com/watch?v=dgRtrTnMr1M
(目を閉じて聴いてみて)

そして午後になれば、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。
こちらは夏の午後の幻のような
それでいてめくるめく情熱と官能の極みを
時間軸の高まりで描いた10分弱の音楽。
ドビュッシーは天才的な音楽の詩人だね。
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これもアンセルメ盤で聴いたもの。
いまならデュトワ/モントリオール響がいいだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=z1GAaSP8Ku4

ところが昨年秋、南フランスを彷彿させる楽曲を
フルートで演奏する日本人女性のアルバムが発売された。
パリの散歩道 -フランス・フルート名曲集
フルート奏者の上野由恵さん。ピアノ伴奏は三浦友理枝さん。
https://www.yoshieueno.com/

上野さんは高松市(志度)のご出身とか。
そしてたびたび行くサンポート界隈でコンサートをされたこともあるという。
今年その機会があればぜひ行ってみたいと思う。

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南フランスといえば、ぼくが大好きで欠かせない曲がもうひとつあった。
ビゼーの組曲「アルルの女」から上野さんの演奏を見てみて。

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フルートはピアノなどと違って人間の肉声に近い音の出し方をする楽器である。
彼女の奏でる音色の音が詰まった密度感とそれと相反する浮遊感、
早いパッセージでの情熱的な粒立ち、
空気の震えは心の震えを伝え、
湿り気を帯びた珠を転がすようなレガートが
フランスの香る楽曲を典雅に奏でる。
人生がこんなふうに流れていけばいいと思える
我を忘れる数分のできごと。
彼女のたたずむ姿も美しい。
ぜひとも実演に接してご本人にもお会いしたいもの。

アルバムの選曲の良さも光る。
ドビュッシー、フォーレ、ラヴェル、ビゼー、サティー
まったく予備知識なしに聴いても耳が歓びそうな曲がずらりと並ぶ。
それでいて彼女の持つテクニカルなメソッドを十分に発揮する楽曲も含まれている。

CDの価格はやや高い。
しかしこの録音には関係者の思いが詰まっているように思われる。
オクタヴィアレコードは、田部京子のモーツァルトピアノ協奏曲K488
すばらしい録音を世に出してくれた。
演奏の良さともあいまって
この古典の楽曲の天使のような美しさを引き出してくれた。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/179215570.html

空間の響きの良さをあますことなく捉えた録音は
おそらく化粧を施すのではなく楽器そのものの響きを
響きの良い空間に放って空間ごと閉じ込めたような録音。
CDが売れないといわれる時代に、
(3,200円という価格設定でも収益が出るかどうかと思われるのだが)
このような企画と成果を残した人たちへのエールを込めて紹介している。
CDを聴いた人の部屋(心の空間)に、どれだけ豊かな時間が流れ出すことか。


上野由恵さん、これからも良い音楽を届けてください。
posted by 平井 吉信 at 22:33| Comment(0) | 音楽