2023年02月03日

いつまでも「大切な言葉」燕奈緒美・燕真由美 


だれかを好きになる。
悶々とした日々を過ごす。

意を決して前を向く。そして動く。
……報われなかった。

失恋はこころの栄養になるはず。そのときはつらくても。
失恋の手前は苦しさの極大、そうでありながら甘美のきわみ。
もしかして叶うのではないか、もしかして…

そんなことを何度か、何度か。いや、何度も重ねて。
それは人が生きる試練というより、しあわせに近づくみちなかば。

歌にしてみたらこうなった。
「大切な言葉」
燕奈緒美・真由美姉妹の1985年の作品。

失恋のラブソングの理想を描いたような
失恋の体験を同調同期して共感の振れ幅を大きくする楽曲。
ラブソングを10曲選ぶとしたら、ぼくは選ぶ。
普遍的でどんな人の胸にも響くだろうこの曲を。

燕真由美さん、2023年1月24日ご逝去。
ザ・リリーズとして姉妹で活動を始めた頃、ぼくは知らなかった。ヒット曲「好きよキャプテン」を。
この楽曲はリリーズ名義ではなく、二人の名前を並べてクレジットされている。
そしてこの王道のラブソングは現在いかなるパッケージメディア、配信でも入手できなくなっている。

手持ちのシングル盤 ビクター音楽産業から発売
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レコードはいいよね
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久しぶりにターンテーブルを回そうにもアーム直出しの出力コードでアース線が断線している。
MCカートリッジのダンパーも動くのだろうか。

忘れないあなたから贈られたあの大切な言葉(ワンワード)
永遠にせつなくて……


この曲をうたってくれた燕姉妹をぼくは忘れない。

動画配信サイトで聴いてみてください。
燕奈緒美・真由美−大切な言葉(ワン・ワード)
posted by 平井 吉信 at 21:59| Comment(0) | 音楽

2023年01月23日

アグネス・チャン「ぼくの海」 帰る場所がなくなっても……


アグネス・チャンが「ひなげしの花」でデビューしたときは衝撃だった。
歌い出しの躍動するスタッカートのリズム(ものまねのネタにされた)とサビのレガートの対比。透明感あるメゾソプラノの声で♪の間をスラーでつなぐと天使が降りてきたみたい。鈴虫の声のようにキュンと通り過ぎて、首をかしげる所作、腕を上げて掌をひらく動作と相まって歌とか立ち居振る舞いがそのままの芸術となる。17歳の女の子にしか歌えない時分の花。

初期の歌でぼくが好きなのはシングル2枚目の「妖精の詩」。冒頭のリズムの刻みは春を感じて土から虫が出てくる(啓蟄)、そよ風がノックする電子ピアノに誘われて彼女の声が降りてくる。「春がめぐりきた印です」の暗示。繰り返しながら降りていく音型、「太陽のガス灯を星の靴履く少年が磨き出す」なんて詩的な表現。スラーで結ぶアグネス節は魅力的。ぼくがスミレを好きなのは春がめぐりきた象徴を感じるからとしても、この楽曲は恋の芽生えとともに春の訪れを待つ心にも届く。その次の「草原の輝き」が春の甲子園の入場行進曲となった年は部員11人の山間部の公立校が準優勝したことを忘れない。

あと好きな曲を何曲か挙げると、「白いくつ下は似合わない」。デビューから3年後の11枚目のシングルで荒井由実作詞作曲。歌唱は格段に進歩して日本語の心の綾を描いていく。ひたすら歌唱の海に心を委ねる。デビュー当初の物珍しさでなくヴォーカリストとして聴いている。

松本隆、吉田拓郎による18枚目のシングル「アゲイン」もいい。目をつぶっていてもわかるマイナーにむせぶ拓郎節の旋律は諦念さえ漂いつつ物語を紡いでいく。
「点になる蒸気機関車 霧晴れてあなたが見えた」

松本隆の作詞も映画のよう。短調から転調しながら降りてきて空気が変わる。なんて良い曲なんだろう。ためらいと決意が胸を打つ。

CDでは次のベストがおすすめ。


入手が難しければこちらでも。


実はこのままでは終われない。アグネス・チャンの曲でとても好きな作品があって、それがいずれのベストにも収録されていないのだ。それは1980年の23枚目のシングル「ぼくの海」(B面は同曲の英語版で「Children of the Sea」でアグネス・チャンの作曲(英語版は作詞も)。この楽曲は戦争(内戦)で故国を船で脱出するボードピープルの旅立ちをうたう。父親が戦死し母親とともに新天地を夢見る母の祈り、子どもの願いであり、海の向こうにはきっとしあわせがあると信じている。

もういくつ寝たら 海がなくなり
走りまわれる 浜辺に着くかな
今夜は100まで 星を数えるよ
明日昇る太陽 今日より大きいさ

1980年の日本は(香港も)政変とはほど遠い平和を謳歌していたが、彼女の視点は別の世界に思いを馳せていた。親しみやすい旋律でありながらその楽曲にも似ていない感じ。切なさがこみ上げてくる。

切なさだけでない、ひとすじの希望が込められている。希望もしくは未来を信じようとする決意とでも。ぼくもともに祈りたい。

We are the children of the ocean
We are the children of the sea
海の向こうに きっとあるね
しあわせが しあわせが


追記

もう一度この楽曲を聴きたいと思っていたら
(ぼくが調べた限りでは配信音源もない)
なんとCDシングルがタワーレコードで復刻されている。
(もし現在の彼女が歌ったとしてもこの世界観を体現できるだろうか。時分の花はそのときだけ咲いているというのも哀しい現実かも)
2曲目はかつてのシングルの裏面と同様、英語版である。
オンデマンドのCD-R受注生産であるが取り寄せは可能である。もちろん正規音源。
https://tower.jp/item/5152080/%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%81%AE%E6%B5%B7
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posted by 平井 吉信 at 20:16| Comment(0) | 音楽

2022年12月17日

凍てつく夜空に月の光 ドビュッシーとベートーヴェンの音楽


ふたご座流星群が終わって凍てつく冬の寒空。大松川沿いの真っ暗な道を自転車の灯火だけを頼りに帰路に着いた中学時代。学校の屋上には五藤光学製20センチ屈折赤道儀があり、それを観望しての帰りだったかもしれない。

この頃からドビュッシーの「月の光」(ベルガマスク組曲)は好きだった。
クラシック音楽が好きそうに見られるけれど、そうではなくて好きな作曲家の作品が好き。時代は関係ない。

年末だから第九ではないのだがベートーヴェンについても話題を。ベートーヴェンの最高傑作は「英雄」と思う。作曲されたのが1804年で今年で218年が経過する。ハイドンやモーツァルトを聴くと雅な古典(教養)だなと思う。マーラーやブルックナーを聴くと後期ロマン派(はまりたくない。ま、ブルックナーはいいけど)に括ってしまう。それなのにベートーヴェンはいまも生きているようだ。

ロックやブルースが好きな人、ヒップホップやラップが好きな人が聴いても世界に没入できる可能性がある。そんな音楽はベートーヴェンぐらいだろう。なかでも英雄は最後まで止められない。魂の輪郭があるとすればどこまでも膨らんでいく宇宙の開びゃくのような快感。ほんとうにそうだよ。

そしてドビュッシー。10代のぼくはアンセルメ/スイスロマンド交響楽団の「牧神の午後への前奏曲」に入り浸っていた。ベートーヴェンとは天と地ほど違う音楽だけれど、ぼくのなかではたったいま生まれた音楽がぼくのなかでさらに囁き始める、といった趣。そしてサンソン・フランソワのドビュッシーのピアノ選集を聴いていた。

冬の凜とした夜空に思いを馳せて「月の光」が奏でられると、どこまでも空間に煌々とまどかなる光輪がさんざめく。音楽ってこんなに広がるものかと。ドビュッシーの天才が匂い立つ。

動画投稿サイトで見つけた「月の光」を見つけた。演奏者は野上真梨子さん。目を閉じると遙か銀河の月世界に誘われる。月は清らかだけれど、決してなよなよしない凜としている。だから月の光にも過剰なロマン(人間の表現)を求めない。例え作曲者の音符に書かれていたとしてもピアニシモがピアニシモしすぎないし、フォルテもピアノを底まで鳴らしきる必要はない。かといってムード音楽ではない。表現を超えた静けさが必要だ。野上さんの演奏はぼくには理想の抑揚だ。
https://www.youtube.com/watch?v=6NIdECGkXgA

それにしても朴訥でふくよかなこの音色はどうだろう。楽器は1911年製のフランスのプレイエルが使われているようだ。アルフレッド・コルトーがショパンを弾いていた楽器と同じかもしれない。ダイナミックなヤマハやくすんだきらびやかさを持つベーゼンドルファーなどと違う音色に聞こえる。

ドビュッシーは必ずしも標題音楽とはいえないのだけれど、「月の光」の醸成する空間はたおやかでまどかで光がみなぎるきらびやかさ、けれど静寂という音世界。フランソワやベロフの演奏よりも良いと思ったので野上さんのCDを探したが未発売のようだ(YouTube音源のみ)。

野上さんはベートーヴェンのピアノソナタ作品101も演奏している。
運命や第九のベートーヴェンとは違う、でもベートーヴェンらしい憂いと愉悦が感じられる。
このソナタの曲想には精緻でダイナミックなピアニズムは似合わない。ツイマーマンは好きなピアニストだけどおそらく合わない。ぼくがピアニストなら、やや早めのテンポで、強弱はあまり付けず、モーツァルトのソナタのような接し方で、シューベルトやブラームスを無造作に流すような。要は感じているけれどさりげなく繊細すぎない調子で。まるでベートーヴェンが(若き日の)ヨゼフィーネを回想しつつ(不滅の恋人といわれた)アントーニアに接するように。

ピアノはスタインウェイのようだ(これもプレイエルで聴いてみたいような気もするが)。
誰が弾いても美しい曲で彼女の演奏で作品101に浸ることができる。
https://www.youtube.com/watch?v=yW-hdU7O_fY

そうか、きょうはベートーヴェン生誕252年と1日だったな。
posted by 平井 吉信 at 23:13| Comment(0) | 音楽

2022年12月06日

また見つけたベートーヴェン ああこれもベートーヴェン 


年末は第九というけれど、思いがけず第九に出会った。
音源は例の動画投稿サイト。
Beethoven- Symphony No. 9 - Jordi Savall with Le Concert des Nations (complete symphony)1:07:39
https://www.youtube.com/watch?v=FwDo7MdaxhA
(DW=ドイチェ・ヴェレが録音したと思われる音質も極上だ)

指揮者は、Jordi Savall (ジョルディ・サヴァール)、オーケストラは、Le Concert des Nationsという。古楽器を中心とした編成のスペインのオーケストラのようだ。

指揮者の名前もぼくにはなじみがなく、スペインのオーケストラでのベートーヴェンも初物。ところが第1楽章を聞き始めるとそのまま最後まで聴き通してしまった。

古楽器(ピリオド楽器)でのベートーヴェンは、ノリントンやジンマンなどがあって、ぼくもそれぞれ全集のCDを持っている。ベートーヴェンの9つの交響曲は10代の頃から魂の近くに感じている音楽なので、フルトヴェングラーやワルター、ベーム、ムラヴィンスキー、チェリビダッケ、C.クライバーなどの往年の巨匠、スイトナー、ブロムシュテット、シュミット=イッセルシュテットなどの中堅(かつての)、若手ではラトルなど、変わったところではシューリヒトのアナログレコードの全集(田園と英雄が聞きたくて全集を買ったのだ)などもある。

カラヤンの第一と英雄のCDがある。これは2003年2月22日にドイツ連邦共和国総領事館の副総領事ヴィリ・シュペートさん、広報担当翻訳官の大谷恵子さんをお招きしてドイツのビオトープの勉強会を開催したことがきっかけとなった。打ち上げの席でシュペートさんにベートーヴェン愛を語っていると(大谷さんのの通訳を介して)後日、ドイツ国の資料とともにいただいたもの。250年のときと距離を隔ててなおベートーヴェンの音楽は人々の心をつないでいる。
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さて、サヴァールの演奏について。サヴァールの演奏は理知的で淡々としているように見えるが、オーケストラの団員は熱演だ。古楽器を使っているので縦の透明度が高く、思いがけず対旋律が浮かび上がっては消えるけれど、そこに関心しているのではない。テンポは早めだが、おそらく近年のベートーヴェン研究の成果だろう。ベルリンフィルやシカゴフィルなどでは重厚なテンポでも音楽が持つが、編成の小さい古楽器オーケストラでは早めのテンポが採られることが多い。それでも伝統的な厚みのオーケストラを聞いた後でも違和感がない。音楽の立ち上がり、立ち下がりが早く、切れ味が鋭い。しかしそれを売りにしているわけではない。オブリガードの存在感でピリオド楽器だと気付かされるけれど、何度もいうけど違和感がない。

まあアレグロ・マ・ノン・トロッポの第1楽章、第2楽章のスケルツォはオーケストラの特性から良いだろう。でもアダージョ・モルト・エ・カンタービレの第3楽章はどうだろう?と思いつつ、第3楽章が始まると、テンポは早い。この楽章は現代オーケストラの厚みのあるカンタービレが良いのではと思うけれど(あの時間が止まったかのようなフルトヴェングラーのように)、室内楽のように音楽が精妙に息づいて天国の木霊のように明滅する。ああ、第2主題……。これ、実演で聴いていたらたまらないだろうな。

第4楽章はもっとも高揚する。ベートーヴェンの音楽もそうだけど、この演奏もそう。合唱も小編成で透明度が高く、ソロの4人も申し分ない。相変わらず音の出し入れが巧みな伴奏と控えめなコーラスだが、物足りなさは感じない。節度がきいているのに熱を帯びているとでも表現すべきか。全合奏では会場の底まで鳴り響く。熱演としか。指揮者は淡々と振っているが楽団員はベートーヴェンが乗り移ったかのようで。ミサのような美しさと透明度にどこかへ旅だってしまいそうだ。

このコンサート(ライブ)は2021年に開催されている。絶叫しないコロナ下でのベートーヴェン。そのように見えて天使の訪れのような終楽章に隠された人間の熱がほのかに確実に体温を上げていく2021年のベートーヴェンなのだ。

買うしかあるまい。青年ベートーヴェンの忠実な肖像画がジャケットになっているこの全集も。
ぼくはこれだけで生きていける―、そう思えたのだ。

第1〜第5まで(YouTubeには英雄と第5があり、これらもすばらしい)


第6田園〜第9まで


YouTube
英雄
第1楽章 第2楽章 第3楽章 第4楽章

第5
第1楽章
第2楽章
第3楽章
第4楽章
posted by 平井 吉信 at 23:57| Comment(0) | 音楽

2022年11月05日

潮騒からこぼれた幸せな時間 SURF&TEARS(杏里)


杏里の1987年の作品。
この曲が好きでシングル盤を買っていた。
SURF&TEARSは杏里のアルバムには長い間収録されず、
そのうち新バージョンに変わったが、そちらはなじめない。
(ベストアルバムに収録されているのは1987年版ではないよ)
やはり1987年音源で聞きたいと思っていたら
アルバム「SUMMER FAREWELLS」(これもオリジナルは1987年)が2011年にBlu-spec CD(リマスタリング)されたときにボーナストラックとして初めて収録された。

このアルバムもなつかしい。
若者がサーフィンやディスコを愉しみながら気が向いたら海外へ出かけていた時代の音楽。
(そんな時代もあったな、という懐古調はつまらないのだけれど)
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音楽を聴いて元気になりたい人は一度視聴してみたら。
アルバム全編を通して佳曲揃いで、しかもコンセプトが通っているので浸れるよ。

杏里は1987年には2枚のアルバムを発表している、
「創作の泉をかろうじて書き留めてみたのよ」といわんばかりの前のめり&充実感。
つくりモノ感がなくライブ感が横溢している。
時代と作り手と歌い手が一体化しているからだろうね。

それぞれの思いで生きていこうとする若者の背中を押してくれた時代。
歌のなかに個人の心の動きをごくパーソナルに閉じ込められた時代とでも。
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このアルバムを聴き通して世界観が身体をあの頃に染めてしまってから
いよいよ待望の曲が始まる。
もともとのオリジナルアルバムには収録されなかった「SURF&TEARS」について書くね。
(何度も書くけど、SURF & TEARSを聴くのなら、アルバム「SUMMER FAREWELLS」(Blu-spec CD)に収録されているバージョンで)
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歌の物語はこんな感じ。
10代の頃、サーフィンをしている彼に出会った。
波に乗ることが夢で、その夢を追いかける姿に夢中になった。
彼の夢は彼女の夢、区別する必要ある?
週末の夜明け、天気図を眺めては低気圧がやってくる西をめざしたこともあった。

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ふたりの夢がサーフィンを通して一体となった夏の物語。
でも、彼が波乗りをやめた夏、ふたりの恋は終わった。
(恋と憧れと夢と情熱の輪郭が溶け合ったようなふたりだったんだろうね)

 夏よ いつまでもふたりを守って♪
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彼との夏は色あせることのない永遠の思い出。
それどころか生きる勇気に変えてくれるときのひとしずく。
夏の日の情熱、焦燥、憧れ、切なさを1曲に凝縮しながら音楽は流れる。
そしてその力はどれだけ年月が経とうとも消えず、輝きとなって戻ってくる。
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posted by 平井 吉信 at 12:01| Comment(0) | 音楽

2022年09月17日

桜坂 ガリレオ 観音経 KOH+(そして桜坂の輪廻)

テレビは30年以上使っているSONYのトリニトロンブラウン管(プロフィール15インチ)。
現在も骨董品ではなく普段使いだが、テレビを見ることはほとんどなくなった。
番組がつまらないから。人々を幸福にするようなメッセージを伝えていきたいと願っているけれど、映像を見るにしてもインターネット経由でパソコンで見ている。

例えばNHKプラス(見逃し番組が期限付でインターネットで配信される無料サービス)で、Songsで福山雅治と柴咲コウが出演した番組が配信されていたので見てみたらこれがよかった。

ホスト役の大泉洋(ああ鎌倉殿!)が福山(龍馬伝)、柴咲(直虎)の両名を迎える構図から始まる。最初は大河の主役をこなした二人のやりとりから始まってそこへホスト役(大泉カットイン)がやりにくそうに入ってくる間合いのオープニング。

大河としては龍馬伝は歴代でも失敗作と思っている。主役の福山さんが肩に力が入っていて楽しめない。龍馬を演じるのではなく、龍馬が福山を演じるでよかったのにと思う。誰がやっても相手が大物だけに位負けするが、歴史人物の龍馬に会ったことはないが、彼には理想主義と現実の狹間を際どく渡っていく真剣勝負の遊びといった魂の解脱が感じられる。ある意味では福山さんの地の部分と似ているとも思うのだ。いまの彼なら龍馬伝を愉しんでやれるのではないか。

今回の短い番組で彼の話術のおもしろさに感嘆した。笑わせようとしゃかりきになるバラエティ出演者たちと違って、自分がクールでいるがゆえに(それゆえいっそう)次の瞬間のオチへみごとな虹をかけられるのだろうね。かつて日曜夕方のFM番組だったか運転中に聞くともなく聞いていたことを思い出した(ぼくは番組中の彼の語りのものまねができる)。

大河としては失敗作ともいわれる直虎だが、ぼくはおもしろいと思っている。もちろん柴咲さんの魅力が大きいし、俳優としての存在感を極めつけに打ち出した高橋一生が忘れられない。大河では直虎の勝ちといったところ。

直虎で印象に残っているのは、観音経を唱える場面で彼女が旋律をつくって謡いとしていたことだ。どのような場面だったか覚えていないが、里山の風景で画面が引きとなってこだましていく美しさに浸った。このブログでもぼくは祝詞や読経を日常的に行っていることを触れているけれど、実は観音経を謡のように読んでいる(観音経とは「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」で普段はその要約版「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」)。

観音経を奏上していくと何度も現れる「念彼観音力」というフレーズに、観音という他力(宇宙の真理)に溶けていく心地がする。「衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦」まで来ると、自分が消えて天上から響く声を他人の自分が聴くような不思議な心地がする。「種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅」の下りではいつも勝手に右手が天に向かって動き、「無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間」で祈りが極まる。
「滅除煩悩炎」で再び空間を切るように手が動いてピークアウトする。その後に続く「妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念」はフォルテのあとの静かな歌い出しのように張り詰めた静けさに包まれ、コーダに向けて静かに結ぶ。

読経しているとどこからか旋律(謡い・歌舞音曲)が舞い降りてくる。それが観音経の力かもしれない。柴咲さんも同じ体験をされたから自然に出てきたのではないか。
この楽曲は「直虎」のサントラにも収録されていうが「謡い経」として1曲のみの配信で買える。


この二人はご存知「ガリレオ」の主役で近々新作が上映されるという時期。
湯川教授は福山雅治以外はできないだろうと思えるはまり役。それまでの定番だったサスペンスや刑事物の押しつけられた正義感が窮屈かつ退屈と感じた(「相棒」ですら楽しめないのだ)。
湯川教授は数式(論理思考)を信じて淡々と行動するけれど、そこに彼なりのモノサシがある。それは道徳とか倫理観とも違う本能的な心の動きだが、そこを隠してクールを装うのが魅力的なのだ。

ガリレオからのスピンオフで柴咲コウとともにKOH+というユニットを結成しているが、Songsの番組中ではユニットの歌を披露。「KISSして」が愉しかった。その他の楽曲も魅力的で音声だけでもすばらしいが映像が加わるとさらに印象が深まる。いつまでも見ていたい。

CDのみ


CD+DVD


番組では桜坂を3人で3声(オクターブユニゾン+長3度)でさらりと歌うとくつろぎの時間が流れた。
桜坂は福山雅治の世界観が凝縮された楽曲で、桜坂が特定の場所を素材にしているとしても、桜の咲く頃に誰かと肩を並べて歩いたみち、という普遍的な状況に置き換えられる。その普遍性(普通の良さ)が魅力ともいえる。

桜坂は柴咲コウもカバーしている。Amazonプライムでどちらも聴けるが、人肌のぬくもりを飾らず誰にでも普遍のメッセージを届ける福山オリジナル桜坂は低回する節回しが聴き手を揺さぶる。楽曲を桜色に染めて黄昏の空気感を浸透させていく柴咲桜坂もすばらしい。

関係のなさそうな連想がつながった。実におもしろい。

大泉洋も含めて3人のやりとりがなごむのは自分をさらけだしつつ他人を不快にさせないことが自然体でできるからだろうね。
いまの時代の楽曲がつまらないのは音楽をやる人間の責任ではないかもしれない。自分が幸福を感じていないと誰かに幸福感を届けることなどできないでしょう。社会を変える一歩は自分ができることから始めることだけれど、あるべき姿をいつも思い描き続けること、そしてそのことを発信していくこと。この拙いブログに存在価値があるとしたらそこしかない。
posted by 平井 吉信 at 12:29| Comment(0) | 音楽

2022年08月11日

心のオアシスのようなギタリスト 朴 葵姫(パク・キュヒ) 雲に浮かぶ夢見ごこちの音色


このギタリストは何度か聴いていた。でもAmazonプライムで楽曲を見つけて聞きこんでみたのだ。

技術は飛び抜けているが、ギターを弾かず音楽はギターを包むように内へと凝縮されていく。音色は温かい、線は細くない、響きに溺れない、効果は狙わない。セゴビア、イエペス、ウィリアムズ、ブリームなど欧州の著名ギタリストの誰とも似ていない。

ギターの楽曲はスペインやブラジルなどのローカル色が豊かなものが多いが、彼女は一度ばらして再度彼女の調子で組みたて直す。そのため聞き慣れた楽曲でもどこかリズムやフレージング、強弱が異なって別の楽曲のように聞こえる。東洋人のぼくにはなぜかしっくり来る。
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子どもの頃、親父が持っていた中出阪蔵や河野賢などの手による手工ギターをつま弾くことがあった。中出の表板はドイツ松、裏板はハカランダ(当時は南洋材がまだ入手できた)。重厚でつややかな音色。河野は杉の表板にローズウッドではなかったか。こちらはやや明るく粒立ちが良かったと記憶している。

中学の頃の愛聴盤は、ビートルズやキャンディーズやアリス、中島みゆきなどではなく、ギターの楽曲。特にヴィラ=ロボスの5つの前奏曲が好きで、ヤマハのCA-400プリメイン、シュアーのMMカートの付いたベルトドライブのレコードプレーヤーYP-311、スピーカーは20センチ2ウェイのNS-430。これらは白木の仕上げで当時流行していたパイオニアやトリオ、テクニクスなどのシステムコンポと違って、普及価格帯のバラコンであったが音楽を上品に聴かせる(色づけなくというとわかりやすい)装置であった。しかもNS-430はアッテネッターがなく低域の反応が極めて早い。そのため歯切れの良さはその後に購入したどんなスピーカーも上回った。(残念ながらいまのヤマハのプリメインにはCA-2000やA-2000の遺伝子は受けつがれていないように感じる)。

この装置で中学生がヴィラ=ロボスを聴いているのであった。あれから幾年月、韓国の若い女性ギタリストがヴィラ=ロボスをレパートリに下げて録音したアルバムを聴いた。「Saudade(サウダーヂ)−ブラジルギター作品集−」と銘打たれたアルバムには前奏曲の2番と5番が収録されている(1番をどんなふうに演奏するのだろうか興味がある)。

彼女は決して弦を弾(はじ)かない。ギタリストやピアニストならついこう弾きたくなる。それぞれの固有の楽器を切れよく響かせたい。でもそれをやると、楽器の嫌な面、飽きやすい側面も見えてくる。

彼女はそうではなく、音色はギターとともに音楽がその場にとどまり、聴き手の感情もそこに寄り添う感じ。内へ内へと紡がれる音の原画だけれど、しんねりむっつりしないし退屈もしない。音の響きは決して内向的ではなく外へと波紋を広げていく。さりげないけれど息の長い抑揚、それがもたらすうねりを感じる。もっとも近い日本語の言葉ひとつで表すと豊かさかもしれない。さらに装飾が許されるならば、ゆりかごのような揺さぶるリズム感、楽曲との独白感、心に湧き上がるおだやかな白い雲とでも。

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ぼくがもっとも好きなのは「Saudade(サウダーヂ)−ブラジルギター作品集−」



初めて聞く人はアルハンブラの思い出(これもていねいに弾いている)の入った「FAVORITE SELECTION」



美しい佳曲を味わいたい人は「Harmonia -ハルモニア-」



技術のキレとしっとりと濡れたような表現が両立する「スペインの旅」


コロナで家でいる機会が増えた人へ。心のオアシスのようなギターの音色はいかがですか?
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(写真は8月のあすたむらんど)
タグ:ギター
posted by 平井 吉信 at 00:22| Comment(0) | 音楽

2022年08月08日

ひまわりの咲く国、森を風が吹き抜けるエストニアから歌姫Mari Kalkun


ひまわりは日本固有種ではないけれど、もはや日本の風物詩。
子どもの頃からひまわりが好きで、双葉から本葉が出てすくすく伸びて大輪の花を咲かせる姿を毎日眺めていた。牧野富太郎にはなれないけれど、牧野少年に負けず劣らずの好奇心と生涯に渡る植物への思いは変わらず。

ひまわりといえばウクライーナ。2月に侵攻が始まって6か月目に突入した。これほど長期化するとは想像できなかった。意のままにならなければ国を挙げて威嚇(武力に訴える)する。国益と称して世界のあちことで人間のつまらなさを見せつけられている。

信者を集めては食い物にするカルト集団と自民党との関係が少しずつ明るみに出ている。今回の選挙の前によく考えて投票すべきと書いた。国民をむしばむ政治勢力に投票してどうするのだろう。目覚めよ、国民(の趣旨で記事を書いた)。
NHKが政権の暗黒部をまったく報道しないのはどうしてだろう? 自公政権の闇など見ないふり。ぼくはNHKの受信料の支払いを多くの国民がボイコットしてみてはと考える。権力になびいて忖度しているのはNHKだけではないけれども。
とにかく旧統一教会は明らかな反社。関わりのあった議員は政党を問わず辞任すべき。だって十万円程度の給付金や補助金でも反社会勢力でないことを誓約している一般国民の感情からは有り得ない。

ニュースを見ていると感覚が麻痺してくる。世界のどこかで似たような光景が繰り広げられる。しかしテレビ(パソコン・スマートフォン)のスイッチを切れば縁も切れる。食事は何をつくろう(食べよう)、今度の休みはどう過ごそう?などと日常に戻れるから。もしかしたら心の痛みに気付いていないふりをしているのかもしれない。それは一種の自己防衛反応。

音楽の話題を。
それはエストニアの音楽。まずは国の話題から。
バルト三国のうち、もっとも北に位置するエストニアは北欧のIT先進国で日本が手本とすべき国。国民がIDを持ちながらも個人情報を管理するのは国ではなく本人という先進性。国土でもっとも高い標高は3百メートル少々と平原の森に覆われた大地。

そのエストニアの森や湖を感じさせる音楽がMari Kalkun(マリ・カルクン)。
https://www.youtube.com/watch?v=rQ0debTEu7o

エストニアの少数民族の言葉(volu語)で歌われた大地を潤す雨への感謝の歌である。民族楽器のカンネルの弾き語りの楽曲は素朴だけど心に風が吹く。カンネルはエストニアの琴のような古楽器で指で弾くし弓でこすることもある。

「風」の正体は、風土と人間の一体感、それが歌の原点。森のざわめきや湖の静けさを感じさせてくれるから。

上記の動画で中間部で演奏者による声の掛け合いがある。まるで野生の鳥や獣が互いの存在を確かめ合うよう。エストニアが独立したのはソ連の崩壊のとき。エストニアの人々はそれまで禁じられていた民族音楽を、声を合わせて歌うことで心を通わせて静かな独立を果たしたという。ぼくはMari Kalkunが日本に来たら聴きに行きたい。

上記の動画の楽曲が収録されたCD(Vihmakono)を発注したのが春先だったが、ウクライーナ情勢の影響からか数ヶ月が経過して入荷することはなかった。さらに調べてみると、彼女のCDのライナーノートを書いている東京の小さなCD店があり、そこに取り扱いがあることを知った。この店については以前にも紹介したことがある。この店はジャンルは問わないが特定の音楽を深く紹介しているコンセプト志向。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/187188689.html

いまの時代に手づくりの情報で、流行とは相容れないけれど琴線に触れる音楽を1枚1枚紹介している。
https://shop.ameto.biz/

ようやく届いたCDに浸っている。エストニアの森と風を感じる、と書くと情緒的に過ぎる。でもここにはコード進行とかAメロとかサビとかの言葉とは無縁の人類が自然に歌するようになった頃からの遠い時間の風が吹いている。ホモ・サピエンス初期の歌とヨーロッパ大陸の片隅の古楽器、民謡と現代の音楽が境目なく溶け合ったともいえる。

(情報提供)
音楽だけを聴きたい人はmoraの配信がある。
https://mora.jp/package/43000033/A66520/

エストニア語の和訳や歌の世界観などの解説が読みたい人は配信ではなくパッケージで(輸入盤と国内盤があるが国内盤がお勧め)。国内盤のCDで新品が入手できるのはこの店だけ。
https://shop.ameto.biz/?pid=31510541

最新盤「Ilmamõtsan」(邦題:森の世界の中で)はまだ入手できる。視聴してみるとこちらも良かった。いや、さらに純化されている。こちらも必聴。目の前にMari Kalkunがいるようだが、素材を磨いていくとオーディオ的な快感とはまた違う生々しさになったという録音。豊かな音空間が部屋に浸透し心に沁みてくる。


大好きなひまわりを少しだけ。
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ひまわりといえば、斉藤由貴の「風夢」で名曲「砂の城」「12月のカレンダー」に続いてA-4に収録されている。これも名曲。いやこのアルバムでもっとも光っている。


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空はツナガッテイルことをわずれない
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posted by 平井 吉信 at 23:15| Comment(0) | 音楽

2022年07月29日

パイナップルとユートピア 聖子の輝いた夏(音が違う2種類のCDについて)


松田聖子のアルバムで頂点をなす2枚は夏を題材にした松本隆の叙情詩。そしてそれにいのちを吹き込んだのは彼女の歌。

絶頂期で過密スケジュールだったという。ユートピアを録音したのは深夜の東京のスタジオだったらしい。アルバム中の名曲「マイアミ午前5時」「セイシェルの夕陽」では疲労困憊の彼女が残したテイクに抜け感がないとプロデューサーが指摘。

ところがアルバムに残されているのは、行ったことのないフロリダやインド洋の真珠を目の当たりにしているような錯覚。詩、曲、編曲、声が一体となって楽曲の世界観を高く高く描いている。よく聴いてみてよ。これだけのバックで、煽るように刻まれるリズムにせかされることなく、むしろ彼女に合わせてバックが声の細胞のように溶け込む錯覚を覚える。突き抜けた何かがないとこの2曲は歌えない。だから誰がカバーしてもしっくり来ない。抜け感は松田聖子の証しのようなもの。

パイナップルとユートピアはどちらが最高か。ひとりでコメントを考えて対話のように心のディベートを行ったものだ。アルバム全体のコンセプト性、楽曲の粒ぞろい、かけがえのない夏のひとこまを描いた点でパイナップルは最高だ。それも紋切り型のリゾートソングではなく、そこに血の通った等身大の誰かが感じられる。陰影に富む生活感を併せ持っているのは松本隆と来生たかお、原田真二などの作家陣、そしてなにより楽曲を夏空に掲げたのは大村雅朗の編曲である。シズル感あふれるP・R・E・S・E・N・Tの出だし。若さがはじけてとまらない。一転してひまわりの丘ではスタッカート風のリズムが午後の昼下がりに夏の丘を下っていくよう。個人的には季節が違う赤いスイトピーの代わりに、マドラスチェックの恋人が入っていたらと思うけれど。

一方でユートピアの抜けきった楽曲群(マイアミ午前5時、セイシェルの夕陽」、シングル曲の質の高さ(天国のキッス、秘密の花園)はパイナップル(渚のバルコニー、赤いスイートピー)を上回る。結局順番を付けなくていいかということになる。


CDを買おうとする人に老婆心ながらご助言を。もしあなたの音楽を聴く装置がヘッドフォンオーディオやらデスクトップオーディオなら、Blu-spec CD2の仕様で良いと思う。一般的にこれがもっとも新しいマスタリングで盤の仕様も良いとされている。

しかしあなたが耳が良くて、決して高価でなくても良質のオーディオ装置で聴かれるのなら、CD選書のシリーズをおすすめする。CD選書とはCBSソニーの邦楽の廉価版シリーズ(本でいうなら文庫本)の名称。

ぼくの手持ちのアナログ盤に近いのは実は(巷では音が悪いと喧伝される)CD選書と思う。これに比べると最新盤(Blu-spec CD2)は低域に厚みがあり、声がなめらかで、細部の音が聴き取りやすくなっているけれど、音楽を聴いていて愉しくない。何か蓋が被さったような(天井が低くなったような)圧迫感を覚える。好きか嫌いかで片づけられるけれど、良いか悪いかでいうと判断は難しい。

ユートピアのアナログ(マスターサウンド仕様の初出盤)を聴くと、ややハイが上がった高い鮮度感や伸びやかさが印象的だが、その印象に近いのはむしろ選書のほうである。
ただしCD選書は保存性の良くない薄手のケースにペラペラの同封ジャケット、さらには録音レベルが低い(同じボリューム位置ではBlu-spec CD2が音量が圧倒的に大きい)。それゆえ、ファンからもCD選書は買うなとの声が多いのは頷ける。

ところがぼくの卓上オーディオ(タイムドメインライトのチューンアップ版)で聴いても、クリプトンKX-1をオンキヨーで鳴らす良質のオーディオ装置で聴いてもCD選書が良いと思うのである。

Blu-spec CD2で聴くとレガートとスタッカートがわかりにくい。パイナップルもユートピアも糸を引くように声が伸びているのはCD選書で、声は艶っぽく濡れたように透明で伸びやかである。潮が引いていくようなパイナップルの最後の曲も余韻を残す。伸びていく、沈んでいく、糸を引いていくなどの表情が感じられる。いわばアタック感は犠牲にしても音楽の抑揚を忠実に再現しようとしている。彼女の天才的な歌唱はこれでないと耳に届かないのではないか。

思うにこれはBlu-spec CD2が録音レベルが高い(高すぎる)ので、ピアニシモに埋もれそうな部分は明確に浮かび上がるが、すべてがメゾフォルテのような楽曲の抑揚は平坦である。これは音楽のとても大切なところで、彼女がそのとき自身の直感に従って魂を吹き込んだ歌が平板な表情になっている。実にもったいない。

ユートピアの名曲中の名曲「セイシェルの夕陽」では潮騒を従えてトランペットが鳴り、聖子の声が入る直前の音場空間の高さ。それは雲間からの零れ日が光の柱が見える感じ。CD選書盤では感じられるそそり立つ空間の立体、声の神々しさがBlu-spec CD2盤では失われている。

ただしBlu-spec CD2は原理的に優れた製造方式なので、音源のリマスタリングを行ってピークがピークとなるよう音圧を下げて販売して欲しい。

パイナップルもユートピアももともとが優れた録音であることに加えて、その時代の名作家、名プレーヤーが真剣勝負でつくりあげた音楽空間、そしてそこに自在に舞う歌姫の記録が刻まれた永遠の名盤である。
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現在のBlu-spec CD2がながら族が愉しむ際に、迫力めいた音をねらったものは理解できるけれど、例えば、ステレオサウンド社から限定で発売されたSACDではほんとうの音楽の良さが伝わってくる(方式もさることながらマスタリングが良識を持って行われている。ぼくも1枚だけ持っている。SACDの再生装置は持っていないがハイブリッドとしてCD層も刻まれているためマスタリングの良さが十分に伝わってくる。再プレスしてもらえないかな)。

CD選書は録音レベルがやや低めでプレス技術も当時の仕様なので最高の音とはいえないにしても、Blu-spec CD2での音圧を上げたマスタリングよりは本質に迫っている。マニアックな話題だけど、わかる人にはわかってもらえると思う。


CD選書は千円少々で買える。間違わないようリンクを以下に。




posted by 平井 吉信 at 23:33| Comment(0) | 音楽

2022年06月21日

疾走する今宵の銀河鉄道999 愉しませるね


なんだか気分が高揚しているときに、突然聞いてみたくなる音楽がいくつもあるのだけれど、ゴダイゴのこの曲もそう。

ライブではさらに早く疾走する音源が残されていてとても良い感じ。音楽が好きな人たちが愉しみながらやっているよね。
https://www.youtube.com/watch?v=SzEsyg0W5Vs
(ゴダイゴの解散ライブらしいけれど悲壮感など微塵もなく、エンターテインメントに徹することができるプロの集団という感じ)

でも勢いだけじゃない。子どもの頃のぼくはこの曲がうまく歌えなかった。そりゃ、あんなコード進行はこの曲以外に見かけないでしょ。移調と半音階を織り交ぜながら一本の線路のようにうねりながら流れていく。そして凄さがわからないぐらいさりげなく歌っているから。

タケカワユキヒデって日本人なのか外国人なのかわからなかったよ、当時はインターネットなんてなかったし(鼻にかかる日本語の発音が独特で帰国子女かなと思っていた。でもこの声と節回しが魅力なんだよね)。バンドの演奏もすばらしい。抜群のリズム感はスタジオ録音でもはっきりと刻まれている。

夢を求めて宙に旅立つ少年の憧れと野心が旋律に乗ってどこまでも昇っていく。哲朗とメーテルのあの長い長い列車は子どもの頃、近所を走っていた。えんじ色の旅客車両を十数両従えて小松島駅から阿波池田駅へと向かっていたよ。

ガンダーラもよかったね。ほろほろと異国情緒に揺れながら限りない憧れの音織物は類似の音楽がない感じ。たまにトレイに載せてみるゴダイゴのCD、今夜はひさしぶりに聴いた。
posted by 平井 吉信 at 00:51| Comment(0) | 音楽

2022年04月12日

背の高い子ども かつてそうだったことを覚えていますか?(野田知佑さんを回想する音楽選)

川のほとりで本をめくるのはいつもやっていること。
こないだの投稿では電子インク(電子書籍)を礼賛したけれど、
川風に吹かれているときは紙の本が良いような気がする。

ほら、この本。
「日本の川を旅する」(野田知佑)
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文庫本の初版が出たのが1985年。以来入手が難しくなっていたようだけれど
野田さんと親交のある辰野社長のモンベルから復刻発刊された。
その際に2018年にツーリングを行った「川内川再び」が追加されている。
本所の最後のページには吉野川の大歩危小歩危について触れられている。
日本の川の良さに触れたあとで、「川で遊び、川を好きな人間をたくさん作りたいと思っている」と結ばれている。増補ということであるが、これが単行本として書かれた野田さんの最後のメッセージではないか(吉野川源流については次投稿で触れておきたい)。

そして海部川の河原で読んでいる。
日本の川が無頓着無関心な人の手で元に戻らない破壊が進行している歯がゆさと
子どもの頃の川遊びを切ないまでに追体験しているようで。

それは18ページに記されている。
「自分の腕を信頼して毎日何度か危険を冒し少しシンドクて、孤独で、いつの野の風と光の中で生き、絶えず少年のように胸をときめかせ、海賊のように自由で―」

川下り、川遊びの心象風景として川がとうとうと流れていく。
言い換えれば、背の高い子どもの心が軽やかに舞っていくような。

ぼくはこの本の世界観を表現する音楽(アルバム)を3枚上げてみたい。



「ライフ・サイズ」(中谷隆博)
このアルバムはほんとうに名作。角松敏生がプロデュースした1996年の作品。中谷さんは野田さんと同じ熊本出身の九州男児だが、音は角松的なシティサウンド。それでも有明海に小舟を漕ぎ出してカサゴを釣るコミカルな歌もある。

ところがところがアルバムの楽曲は粒ぞろいで「当時のファッショナブルなシティポップなのね」の先入観を持たずに聞いて欲しい。ぼくはこのアルバムには歌心を感じる。声は声で軽やかで伸びやかでそれでいて軽薄でなく声に溺れない地声の魅力を感じる。

ぼくは数百回聴いているけれど、ついつい運転中にアルバムの再生ボタンを押してしまう。
ファンキーな楽曲が3つ続いた後、4曲目「君を忘れない」がかかる前には心を静めて待つ。するとソロシンセがなつかしい響きを奏で、女性コーラスに導かれて「思い出の扉を開けたら君がいる」と始まる。そして「あの頃のぼくたちはおとなになった。離れ離れの愛はもういまでは遠い物語…」と続く。

年月が流れていまでは名字が変わった憧れの女の子への回想、一つひとつの場面が走馬灯のように蘇る。それぞれにそんな体験があるだろう。ぼくは胸が熱くなる。これは決して都会の雑踏でなく故郷のなつかしい陽射しに包まれた音楽。洗練された楽曲に思いが溢れて止まらない。

5曲目「シェリー」、そして6曲目の「ラスト・メッセージ〜星の王子様が帰る日」でほんとうに大切なものは目には見えないと追憶の彼方に。8曲目の「カサゴ」で熊本弁でのユニークなやりとり、10曲目でまあ、きょうはこんなところです、とでもいいたげに円満に音楽が閉じられる。

当時はあまり売れないまま廃盤となっているけれど、「プラスティック・ラブ」や「真夜中のドア」が見直されているいま、アルバムとしての品質感は(東京が主体となっていない地方色のある楽曲に歌の魂を込めたという点で)それらを上回る。山下達郎でもこれに匹敵するのは「ライド・オン・タイム」や「ARTISAN」ぐらいだろう。廃盤だけれど騙されたと思って中古を手に入れてみて。できればCD復刻(配信でもいいけど)を望む。中谷さんがお読みになられていたらお伝えしたい。「良質の音楽を求める人は必ずいます。売れたかどうかなど関係ありません」。

ところでどうしてこのアルバムを知ったかって? それはこのアルバムがいいよと教えてくれた女性がいたから。彼女の夫が川に人生を捧げるほど無類の川好きだったから。夫婦とも野田さんと親交が深かったから。そして彼女も九州の出身だから。




「BOY](石川セリ)

少年時代や夏を回想させたら井上陽水や石川セリだ。なかでも石川セリの1983年発表のこのアルバム。軽やかな楽曲と綿あめのようなふわふわの声(声がいいよね)、ポップスに浸りたいと思ったらこのアルバムの右に出るものは知らない。

80年代の音楽はいまではシティポップなどと後付けでラベリングされているが、商業主義で深みがない、メッセージ性に欠けると思う人もいるだろう。そんな音楽も少なくないけれど、日常の場面が音楽の衣を身にまとってマイクロスコープで拡大してカレイドスコープで覗き込むトキメキ感は21世紀になってから見当たらないでしょ。それは日本という国が1980年代を境に下りをひた走りしていることとも無関係でないように思う。時代を諦めたようないまの時代の歌に魅力を感じないのは時代背景も影響している。

セリさんのこのアルバムをひとことで言い表すなら、背の高い子どもたちの日常が掌の上で漂う愉悦感。ぼくはこのアルバムを聴いていると旅に出たくなる。ハワイでもスペインでも中東でもいいけれど。

「トール・チルドレン」から「夏の海岸」へと続く流れで、人生がこんなふうに過ぎていくといいな(及びその実感)が汲めども尽きない永遠の泉のように湧き出してくる。同時期のあの大御所女性歌手よりも好きだ。





最後は吉野川の源流から河口までを思い起こさせる音楽を。
「Summer」(ジョージ・ウィンストン)

野田さんだったか、ニコルさんだったかをお招きしたイベントで、徳島の写真家、荒井賢治さんの撮影した吉野川にぼくの撮影したコマを加えて吉野川を紹介する文章をつくり、スライドに合わせて自らナレーションを行い、背景に伴奏させた音楽。ちなみに吉野川源流は5曲目「Lullaby」、第十堰は2曲目「Loreta And Desiree's Bouquet 1 And 2 」、竹林とかんどり舟は1曲目「 Living In The Country」、河口干潟は最後の曲「 "Where Are You Now"」。

水のある自然を即興で描いた心象風景(ぼくのなかでは)ジョージ・ウィンストンの傑作。生も聴きに行った。これまでにもっとも聞きこんだ音楽かな。



野田知佑さんを偲んでこの3枚を聴いた。いま気付いたけれど、共通のテーマは「少年」かも。
おとなはだれもが子どもだったけど、そのことを忘れずにいるおとなはいない。
でも、背の高い少年は天空の川を下っている。


posted by 平井 吉信 at 23:37| Comment(0) | 音楽

2022年01月31日

真夜中のドア〜Stay With Me〜は終わらない


ここ数年、世界中で高い人気となっている。ラジオを聴いていてもよく耳にするので、おや?と思う。
きっかけはインドネシアのYouTuberが日本語でうたってそれが世界に広まったから。
数年前の竹内まりや - Plastic Loveと同じ。
この曲が世に出たのが1979年(作詞:三浦徳子、作詞:林哲司)。
(林哲司は、杉山清貴、菊池桃子のアルバムづくりには欠かせない人だからVAPレコード専属かと思っていた。菊池桃子のアルバムのリズムセクションなどアイドルとは思えない)
うたっていたのは松原みき。44歳で早逝されたのが痛恨の極み。

手元のレコード盤を探したけれど
好きな曲だったのにシングルを持っていなかったことに気付いた。
聴けば聴くほど歌心があふれて仕方がない。
仕事中も何か足先がステップを踏み、腕がリズムを取って揺れてしまう。

この曲がデビュー曲なのだけれど、新人にこの楽曲とリズム隊を付けるとは
彼女の声が人を惹きつけてやまないからだろう。

真夜中のドア」は多くの人がカバーして動画にしているけれど
本家本元がいちばんという理屈を越えて歌心が別格だから。

音符の長さの揺れがある、などと書くと冷静すぎて伝わらない。
(例えば「そんな気もするわ」の「わ」を早めに入って伸ばす、シンコペのリズムを強調してグルーブ感を出す、それまでの同じ音型の歌詞と違って「心に穴が」で一瞬の間を置いて「空いた」へ着地するところなど。日本語の歌詞と感情のうねりが自然に体現されているね)
それがテクニックというよりは無意識、自然体で出てしまう。
(スタジオ録音でも高揚感があるけれど、ライブであればどんなにか。彼女がライブアルバムを残していないのは残念)

音符の一つひとつにかかる彼女の息が時間を無限に引き延ばす。
気が付けば4分少々しか経っていない。
声の湿り気も声の色もリズムもビブラートもすべて松原みき。
歌の魔法としかいいようがない。

当時はレコード(ビニール盤)だった。
ターンテーブルにシングルかLPを載せて
回転スイッチを押して定速(45rpm or 33-1/3rpm)に達したらそっと針を降ろす。
雰囲気を聴くときはシュアーのMMカートリッジで、声の輪郭を浮かび上がらせたいときはデンオンやオルトフォン、テクニカのMCで。
円盤をモーターが直結して廻すドライブもあればゴムや糸で間接的に廻すドライブもある。
ダイナミック感があるのはダイレクトドライブ、なめらかで艶やかで音楽が躍動するのはベルトドライブ。
針が動き出すと音が出てくる予兆の暗騒音のあとに
動的に音が躍動するあのレコード再生の味わいが待っている。

レコードが人気と聴いてうれしい。
効率化だけを追い求めて沈んだ日本だけれど
非効率であっても所作に何かの感情が伴うもの、
フィルムカメラやチェキ、レコード盤などに
いまの若い人が憧れることがあると聴いてほっとする。
紙の大きなジャケットはそれだけで美術だから。
紙袋からそっと取り出して両手で胸の前に抱えて持つ瞬間、何かを感じるはずだから。

長らく埋もれていたこの楽曲に光を当てたのが
日本語を解さないインドネシアの女性YouTuberというのもいまの時代ならでは。
日本語に憧れて日本の楽曲をうたう白い衣装をまとったあどけないインドネシアの女性。
YouTuberというよりは好きなことを素直に実行している姿勢がほほえましい。
(でもそれが感動的かというとそれは別。プロの歌手の矜持があるから)

カバーはオリジナルを超えないかというとそれは事例による。
PlasticLoveについては背筋が伸びた印象のオリジナル(歌の世界観と歌い手が合っていない感じ。オリジナルが当時ヒットしなかったのもそこに理由があると思う)よりも、Friday Night Plansのほうが好きだ。背徳の翳りと情念のうねりの湿度感で聴き入ってしまう。


ぼくは80年代の音楽が好きでこのブログでも20年近くにわたって書いてきたけれど
それでもまだ書き足りない思いがする。

真夜中のドアは一度聴いたらもう一度聴きたくなる。
りんごジュースをウィルキンソンのジンと炭酸水で割った飲み物をつくってきて
またかける。
飲みながら聴く。
終わったらまたかけてみる。
今度は炭酸水だけを入れてみる。
いや、ジョニーウォーカー 黒を少々。
最後は竹鶴17年の氷割りで。

これでは寝られない。なんでそんなに愉しそうに歌うの?
そんなヴォーカリスト、そんなにいないでしょう。

CDではデビュー曲「真夜中のドア〜Stay With Me」のジャケットを使って、精密なダンパーで信号を記録したこのCDで聴いてみるのはどう?


追記
これだけ世界的に評価が高くなったのはご本人の実力ゆえ。
これが80年代、90年代当時にそうなっていたらと思うことはあるけど、
当時から高く評価していた人は少なくなかったはず。
目立つこと、売れること(バエる、バズるなんて言い方は嫌い)が良いとは限らない。
(SNSは虚栄感にあふれている)
信念を持って生きていければそれでよし。
(金子みすずも生前はいまほど支持されていなかった)
大勢に理解されなくてもきっと誰かが良いと思っている。
例えひとりであっても(もしかして百年後かもしれないけど)
熱烈に支持してくれる人がいれば―。

そう思って生きていくことを
天国の松原みきさんが教えてくれているような気がする。

さらに追記
一連の記事を投稿して数日後の2月4日のNHKラジオの「ごごカフェ」でゲストに林哲司さんを迎えて、「天国にいちばん近い島」のイントロを皮切りに、竹内まりや、松原みきなどの楽曲が作曲者本人の振り返りを交えて放送された。
posted by 平井 吉信 at 23:55| Comment(0) | 音楽

2022年01月29日

井上望 メイク・アップ・ミー

長いこと気になっていながら忘れてしまうことがある。
井上望もそうだった。アイドル歌手に括られるのかもしれないけれど、歌唱力が際立った新人、という印象。

1980年前半はアイドルが百花繚乱。
百恵と交替するかのように裸足の季節で彗星のごとくデビューした松田聖子は2作目の青い珊瑚礁で一気に疾走。いや、デビュー曲ですでに大輪の器を見せていた。
この楽曲は音程の跳躍や部分的な半音など技術的にも難曲で
アイドルのデビューに向けられた無難な楽曲ではない。
作家陣、編曲とも総力を尽くして新人には背伸びした楽曲を提供したところ、
それを乗りこなしたばかりかステップアップの踏み台にしてしまった。
(「夜のヒットスタジオ」初出演で緊張する舞台で伸びやかにうたう動画がYouTubeに残されている)
松田聖子でもっとも好きな楽曲は「小麦色のマーメイド」。シングルレコードB面の「マドラスチェックの恋人」も同じぐらい好き。
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中森明菜の「スローモーション」も抜きんでていたし、河合奈保子、小泉今日子、三田寛子、堀ちえみ、菊池桃子といったアイドルもそれぞれに個性を発揮していた。

そんななかで井上望はいつのまにか見かけなくなったようだけど、
4枚目のシングル「メイク・アップ・ミー」は良かった。
(「裸足の季節」とはリリース日が10日ぐらいしか違わないのだ)

またまた個人的な話で恐縮だけど、
北国から転向してきた同級生のことが気になっていた(南ではなく今度は北)。
「メイク・アップ・ミー」を聴く度に片思いだった彼女のことを思い出す。
垢抜けない雰囲気が魅力でその横顔とはにかむ笑顔に惹かれたのだ。
(声をかければよかったのかも、などと思うこともあったけど)
それがどこか井上望に似ていた。

井上望の動画も奇跡的に残されている。やはりこの曲を余裕で歌っている。
また聴きたくなってきた。配信サイトに載らないかな。
理想をいえば音源の再CD化だけど。


追記
実はいまの井上望の生歌がYouTubeで聴けることを発見した。
ご主人のエド山口さんのチャンネル「エド&望 歌謡曲バンザイ♪」で
夫婦でうたう動画が多数掲載されている。
歌声は相変わらず艶やかで佳き人生を重ねて来られたのだなと推察。
見ていると愉快な気分に♪
https://www.youtube.com/watch?v=4GYRcL8xW-A
https://www.youtube.com/watch?v=FW_XsBS-KGI
(いまの井上望さんでカバー曲集でもつくってもらえないかな)


追記2
今回の投稿とは関係ないけど心地よいカバーバンドを見つけたのでメモに。

「君は天然色」(ナレロ)
https://www.youtube.com/watch?v=yx46JLR38r8

「夢先案内人」(ナレロ)
https://www.youtube.com/watch?v=kmkAycEgxwM

(個人的な意見です)
ナレロのめざす音楽は仲間で愉しみながら演奏していることが伝わるところ。
選曲も琴線に触れるとぼくを含めて多くの人が感じている。
限られた楽器編成で忠実に再現をめざしながらも、そこから先はオリジナリティが発揮されている。
ツインヴォーカルの良さが最大限に発揮されていてレイドバックしてとても心地よい音楽となっています。
声が器楽的にうたっている箇所があるようで、詩の意味を踏まえるとさらにすばらしくなるように思います(音程も探しに行かずに決めるとさらに)。
応援しています。



人は音楽がなければ生きてけない、音楽は究極の愉しさということが伝わってくるね。
posted by 平井 吉信 at 22:33| Comment(0) | 音楽

天国にいちばん近い島はいまでも音楽のなかに


山口百恵の引退から4年後に発売されたシングルがこれ。
1980年代の角川映画は、薬師丸ひろ子、渡辺典子、原田知世らを発掘して映画がつくられた。これは同名映画の主題歌。

森村桂の原作のことはよく知らないが、
1ドル360円の時代、海外旅行は誰でも行ける時代でなかった頃に
ニューカレドニアに渡った若い女性の旅行記、だったと記憶している。
原田知世出演の映画も見ていない(特に彼女のファンというわけではない)。
それなのに主題歌だけはいまも、そしてこれからもずっと心にとどまったまま。
レコードは多少年代感は出ているけれど、光を当てない保管のため色彩は失われていない。
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久しぶりに針を落としてみようか、と思ったら
レコードプレーヤーのアースが切断されていてハムノイズが乗る。

それではダウンロードで1曲買うことにしたのだけれど、どの配信サイトにも掲載されていない。
(原田知世で同名曲があってもそれは新しい録音でアレンジも声も当時とは異なっている)

ならCDはと探してようやく1枚だけ見つけた。新品がまだあって700円少々で手に入れた。


さっそく聴いてみよう。レコードとは違うけれど、CDをトレイに載せるときもわくわく感がある。
「時をかける少女」、これは新アレンジだ。ファンにとってはどうだろう?
「愛情物語」が終わっていよいよ順番だ。

ギターのイントロとストリングスが聞こえてきた。
南太平洋の島々をめぐった人ならわかるあの色彩、
間奏のギターの刻みは、珊瑚礁のさざなみの浅緑と環礁の外海の水晶のきらめき。

彼女の声がすべりこんでくる。
「そんなとこ好きだからとても」とささやく。
恋人への思いがしだいに高まると、
「恋したときみんな出会う自分だけの神様」と言葉がひらく。
願いが結晶化した瞬間、旋律は短調に転調。
切なさをかき鳴らしたまま、
天国にあなた、いちばん近い島と結ばれる。
(「あなた」と挿入されるのがとても効果的で作詞の妙)

目印、オペラグラス、そっと手を振って…。
星が降る、甘いテレパシー…。
親密なふたりだけにわかるメッセージがある。

「心の海渡る船が迷わないようにと」鼻に掛かる高音が魅力。
不安と憧れを胸いっぱいに原田知世が楚々と輝く。
4分41秒の魔法だね。

質の高い楽曲をその歌手を輝かせるためにつくる。
80年代は職人技の極みで歌い手とともに感情の編み機を走らせて
普遍的なラブソングを紡いだ。
いいよね、切ないよね。


この音楽から数年後、南太平洋への片道切符の旅に出た。
ニュージーランド、ニューカレドニアを経由して22時間のフライトで
タヒチのファアア国際空港に降り立った。
ポリネシアには切ないラブソングがある。それを聴きたくて赤道の反対側をめざしたのだった。

→ サモア島の歌 ラグビーからポリネシアを思い出した 
http://soratoumi2.sblo.jp/article/186710885.html

→ 子どもを大切にする国 特急のなかのほのぼのとしたできごと。南太平洋の子どもたちを思い出した
http://soratoumi2.sblo.jp/article/182381227.html

→ 南太平洋「ファイカヴァの恋歌」民族音楽の地球紀行はノンサッチで
http://soratoumi2.sblo.jp/article/97208434.html

posted by 平井 吉信 at 21:15| Comment(0) | 音楽

ステージにマイクを置きました…

ぼくは知らなかった。これが何を意味するかを。

きっかけは知人の女性との何気ない艶っぽい会話から。
その人は「ビキニはステージに置いてきました」といった。

意味が分からないまま、気になったのでしばらくして訊ねると
標題の言葉の暗示でようやくわかった。

1980年10月5日、山口百恵の「伝説から神話へ 日本武道館さよならコンサート・ライブ」のこと。
最後の曲を歌い終えた彼女がステージにマイクをそっと置いて
振り返らないまま立ち去っていくという場面から。
(それ以後、彼女は一度も舞台に立っていないはず。ぼくはこの場面を知らなかった。近年ではこの演出を模倣した事例があるらしい。映像を見るとぼくには演出には見えない)

ぼくが歌手であったとして、
この映像を見たあとに同じ行動はしない、できない。
(もちろんステージでの動きや行動に著作権はない)。
それは「模倣」を避けるというよりも
歌い手への尊敬の気持ちから。

山口百恵の歌は完成された様式美がある。
ラストコンサートでの語りは音符のない独白のよう。
(ファンの歓声がやや興ざめだがそれも時代の写し絵)
鍛錬されたかたちを持ちながらも
一瞬に思いを込めてうつろう悠久の時間が微分された一期一会。

探してみるといまでもこの映像はDVD、Blu-rayで入手可能という。


山口百恵の楽曲でもっとも好きなのは、
最後のオリジナルアルバムに収録されている「想い出のストロベリーフィールズ」。
詩がほんのりとセピアの色彩を帯びた写真を見るようで
走馬灯が回想されていくように想い出を抱きしめる。
ときが過ぎて戻れない時間が浮かび上がる。
だから人生―。
そんなメッセージを感じる。

「想い出のストロベリーフィールズ」がB面に収録されている限定発売のシングル「一恵」
サイン色紙が封入されている。
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誰が書いたのだろう。
横須賀恵、これは本人のペンネームだった。
ステージでの山口百恵を支えているのは、まなざしの深み。
ノスタルジーを畳みかけるのは杉真理の作曲。

山口百恵は制作側がつくりあげた仮面を付けて歌をうたっている印象があった。
数々のヒット曲はあれども意外に心に響く楽曲が少ない。
そんななかで「想い出のストロベリーフィールズ」は素のままで歌える音楽だったのではと。

初恋の幼なじみが美しく成長して思いがけず再会したあのとき、
ぼくはこの楽曲に出遭って彼女を見るたび胸のなかで鳴らしていた。
(その後一度も逢うことはなく月日が流れた)
そんな「想い出のストロベリーフィールズ」である。

次に好きなのは「乙女座宮」。
セールス的にはもうひとつだったようだけど、
当時の天文少年のぼくは楽曲のきらめく世界観にときめいた。
いま聴いてもその気持ちは変わらない。
(でも、しし座の彼とおとめ座の彼女では相性はもうひとつかな?などと思ったり)

「夢先案内人」にも思い出がある。
とある会合で出遭った初対面の女の子が気になってしかたない。
空色のシャツ、トンボメガネ、黄色のカーディガンでホワイトボードに向かっていた姿を昨日のように覚えている。
その彼女と南の海へ出かけたとき、耳元で歌ってくれた曲。
(これも売上はいまひとつだったのかもしれないけれど、華々しいヒット曲よりぼくはこんな楽曲が好き)

そんなふうに、みんなそれぞれの「山口百恵」があるに違いない。
いまはどこでどう暮らしているのだろうと思うと
切なさとともに、ひと目逢ってみたい気もする。


「想い出のストロベリーフィールズ」を含む最後のオリジナルアルバム「This is my trial」



春夏秋冬をテーマにしたこんな企画が成立するなんて。これは秀逸な企画。新たな価値を訴求している
「山口百恵 日本の四季を歌う」



シングルを集めた2枚組「GOLDEN☆BEST 山口百恵 コンプリート・シングルコレクション」
posted by 平井 吉信 at 15:03| Comment(0) | 音楽

2022年01月01日

台湾から日本へ〜春の目覚めを待つあなたの果たせなかった夢〜

謹賀新年
今年も佳き年でありますよう。

きょうは台湾の歌姫の話題から。
首相経験者からきな臭い発言があったが気にしない。
相変わらず歴史に学んでいないけれど。

有事にならないよう避けるのが外交。
伝えることは伝えながらも
中国とも台湾とも良い関係を保っていく道筋を模索するのが政治の仕事。

2021年中に気になるアーティストの音源を聴いた。
それは台湾東部に住む少数部族のアミ族の女性、イリー・カオルーの歌。
アミ属の言葉や台湾華語などで歌われている。
歌詞対訳は英語と日本語が付いている。
彼女の名前の英語/台湾語の表記は次のとおり。
Ilid Kaolo/以莉高露
このアルバムはコロナ下で日本の演奏者たちとわずかな隙間を縫って残された音楽の足跡。
(アミ属の神話に由来する歌などが題材となっていて音楽としてとても愉しめる)

台湾は大陸に近い西半分は平野が多く、東半分は山岳地帯となっている。
イリー・カオルーさんは農業に従事しながら伸びやかな東部の風土に息づく歌をインスピレーションでつくられている。
そのアルバムを聴いてみたいと思いつつ、忙殺されて2021年末を迎えた頃、思い出した。
そうだ、彼女の歌を聴こう。

イリー・カオルー(Ilid Kaolo / 以莉高露)/《Longing》

日本でリリースされたそのアルバムは短編小説の付いた仕様とCDのみの仕様の2種類。
こういう音源はすぐに確保しないと市場から消えてしまうと考えてHMVを見ると在庫があった。

商品が到着したのが元日のこと。
元日の親族の集まりも昼過ぎに引けて後片付けも終わった。
さっそく封を切ってみる。

ぼくが注文したのはCD+短編小説付だが、
ていねいかつ作り手の思いがあふれているもので感銘を受けた。

CDはタブレットサイズのブックレットに挿入されており、
台湾東部と思われる写真や彼女の自筆歌詞などが寄せられた十数ページになるもの。
装丁は黒の帯に金文字、暗闇に灯火で浮かぶイリーさんの幻想的な写真を表紙にしている。
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短編小説だけで1冊の書籍と呼べるもので
彼女の音楽を小説化して日本語訳をつけて挿絵がある。
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1曲目の「17歳的你」(17歳のあなた)で遙かな世界へ連れ去られる。
楽曲は日本統治下で17歳で海に散った少年の切ない物語。
 → 公式YouTubeでのMV https://www.youtube.com/watch?v=dtL8thEd0zU

春の目覚めを待つあなたの果たせなかった夢を歌が叶えるような切なさ。
台湾から日本の南の海へと吹く偏西風、台湾沖から日本へ向かう黒潮…。
悲劇の物語というよりは感情を解き放って浄化されるようで。
イリー・カオルーの音楽もコロナ下で結ばれた意識のように東方へと羽ばたく。

音楽の普遍性って言葉や記号を簡単に越えて伝わること。
動物が人の奏でる音楽にうかれたり身体の動きで表したりすることがあることからもわかる。
イリーさんの音楽もそんな伝わり方をする。

元日早々、伸びやかな台湾の土と海の匂いが届けられたようで目と耳のごちそう。
これだけの制作物が埋没してしまわないよう発信するのは聴かせていただいた者の務め。

公式Webサイト
http://ilidkaolo.com/
(日本語を選択すれば日本語で読める)

まず音楽を聴いてみたい人はこちらから。
https://music.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_ns2p3Nplz1r0iclp9b2YgV6JWhJrS7jYI

追記
台湾本島の西にある澎湖諸島では2015年に
北京原人、ジャワ原人、フローレンス原人とも異なるアジア第4の原人と見られる人類の化石が見つかっている(澎湖人)。台湾は人類学的にも目が離せない。
posted by 平井 吉信 at 17:46| Comment(0) | 音楽

2021年12月18日

週末の百円スイート+スイートな音楽


ときどき菓子売り場を歩くのは量販菓子でも季節限定があるから。
この日は不二家ルックのイチゴシリーズ(使っているのはペーストのはずで通年出回っても不思議ではないがそこは不二家、季節限定で消費者心理に訴求するから)

このチョコレート、1962年から発売されているらしいので
もうすぐ還暦を迎えるというめでたい菓子なのだ。
(コンビニの棚で2週間並べて売れなければ他の商品に場所を譲って二度と戻ることはないのだから)
商品名は「4種のいちご」)と奇をてらわない。パッケージも王道を行く。
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イチゴの種類は、「あまおう苺」「もういっこ」「ゆうべに」「淡雪」。
あまおうと淡雪では切り口の色も違えば風味も異なる。
甘み、酸味、匂いの違いが明確にあって、半分に切って断面を眺めながら食べるのもよい。
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今月公開されたYouTubeの製品公式動画を見るとコミュニケーション菓子として訴求している(それも男同士だ。なるほど、異性のカップルがこの状況で食べているのは想像しにくいから)

コーヒーは浅煎りの香り高いものを淹れよう。ぼくはいつものあの小さなコーヒー店の豆で。
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音楽はペギー・リーの「ブラックコーヒー」よりも若手の音楽で。
Faye Webster(フェイ・ウェブスター)の「Atlanta Millionaires Club」。
2019年の作品だけど時代が舞い戻ったかのよう。
甘いささやき声で気だるい時間を浮かばせる。




Clairo(クレイロ)の「Immunity 」は2019年のリリースで彼女が二十歳ぐらいの作品。



BLU-SWING 「10th ANNIVERSARY BEST」


田中裕梨「雨のウェンズデイ -Single」
同じくBLU-SWINGのヴォーカリストのソロは大滝詠一の名曲をカバー。


ところでいま聴いている音楽は?
高峰三枝子の「南の花嫁さん」と一青窈の「ハナミズキ」。
何か?
posted by 平井 吉信 at 18:18| Comment(0) | 音楽

2021年10月05日

グリーグピアノ協奏曲 秋の古色を奏でる田部京子/小林研一郎盤


秋が来ると気温が下がり 眼前の景色が黄昏を帯びてくる。
森ですらオータムグリーンの濁りと円熟の色を混ぜてくる。

すみれをはじめ山野草が芽吹く春は愉しくてたまらない。
水を近く感じる夏は翡翠や紺碧に彩られた盛りを感じる。
それでは秋は…。
自然界の物音や風の気配すら音の調べを伴うような。

そこで聴きたくなったのはグリーグのピアノ協奏曲。
レコード盤ではツィマーマン/カラヤン/ベルリンフィルを持っている。
リリカルなグランドマナーといいたい若きツィマーマンのピアノを奔流のように包み込んで豊潤に歌わすオーケストラの詩情。この曲はシューマンのイ短調のピアノ協奏曲を組み合わされることが多く、ツィマーマン版もそうだ。

ツィマーマンは徳島市で公演を行ったことがある。もちろん行った。こんな機会は滅多にないから。演奏はもちろん良かったけれど、コンサート終了後に奥さんの肩を抱いて会場を去って行く彼の姿が印象に残っている。

ツィメルマン(ドイツ語ではこの音が近いのだろう)とも記されるが
東日本震災後からほぼ毎年日本で被災者のためのチャリティコンサートを行っているという。
CDで発売中のラフマニノフのピアノ協奏曲第2盤は名盤とされるリヒテルやアシュケナージとまったく異なる彫りの深い演奏だったが、作曲者が描いた甘美な世界観すら越えてしまった感がある。
(秋はラフマニノフの季節だよね)

外観は内面を表すというが、その哲学者のような風貌と相まって商業主義の匂いがしない求道者のようなピアニスト。尊敬している。


さて、2018年になって田部京子/小林研一郎/東京交響楽団のグリーグのピアノ協奏曲が発売になった。
ぼくはこの組み合わせが気になっていた。手持ちではモーツァルトのピアノソナタK331とピアノ協奏曲K488を絹のようなオーケストラとピアノの対話で演奏されたCDに心弾む。
作曲家にもよるが、田部/小林の組み合わせで聴くレパートリーのピアノ協奏曲は聞き逃せない。いまどきの演奏家に技術の齟齬などあるはずもなく、それだけではない音楽の香りが馥郁と漂いつつ音量やディナミークだけでない情感。録音も絹のような感触だ。

Amazonプライム(音楽視聴サービスがある)に田部/小林コンビのグリーグの協奏曲が載っているではないか。

第1楽章はおだやかに深い呼吸のオーケストラでピアノともどもにきらめきを抑えた表情が印象的。遅めのテンポで細部をほぐしながら悠然と漂う(ピアニズムのきらめきを封印したらグリーグが寄り添ってきたという感覚)。
第2楽章はツィマーマン/カラヤンの豊かな寂寥感も捨てがたいが、小林/東京交響楽団の音色は古色を帯びて胸にしみ入る。隠してもにじみ出るピアノの音色の凛とした透明感は田部さんならでは。
第3楽章は心のピアニズムとオーケストラが前2楽章に比べて楽曲の魅力に劣ると感じる終楽章を木訥につむいでいく。中間部の独白などこの曲はこんなにもしとやかで雄弁であったのかと気付いた。

カップリング曲はグリーグのペールギュント組曲からピアノ編。やはりグリーグはグリーグで通しで聴きたい。同じイ短調だからといってシューマンのピアノ協奏曲と組み合わされるとしっくり来ない。
ピアノソロになると一段と田部京子さんのピアノは独白の色濃く抑制されたピアニズムからグリーグの存在感が立ち上がる。

そして「朝」ですよ。誰もが知っているペールギュントの第1曲。劇音楽だけにオーマンディのような歌わせ方のオーケストラで聴いてみたい気もするけれど、饒舌を脇に置いたピアノで北欧の静的な風景、紺碧の湖やらフィヨルドを見下ろす夏に束の間に咲く植物のたたずまいが谷間の霧のように浮かび上がる。


posted by 平井 吉信 at 01:33| Comment(2) | 音楽

2021年09月21日

斑鳩から明日香まで古都をめぐる日々は遠く(広谷順子さんを偲んで)


秋が来ると夢のなかに繰り返し出てくる歌(楽曲)がある。

山に囲まれた大和路の四季を教えてくれたのはあなたでした
(中略)
斑鳩から飛鳥へとひとり静かに古都をめぐりたい
(広谷順子/「古都めぐり」から)



歌うのは広谷順子さん。
(YouTube上にあるので視聴してみて)
もし女性だったら大和路を案内してくれる恋人がいたらいい。
風を受けたレンタサイクルでめぐりつつ(明日香は自転車がいい)。
明日香川 明日も渡らむ石橋の 遠き心は思ほえぬかも

ときおり万葉集を引用しつつ振り返っては退屈していないか気に掛けてくれる。
でも実際は「私より古刹が好きなのね」と嫉妬するかもしれないけれど。

このブログを隅々まで読んでいらっしゃる方はぼくが明日香村を好きなことはご存知のこと。
春夏秋と季節をたがえながら訪れていた。
桜の咲く石舞台周辺、蝉時雨の雷丘(いかづちのおか)もいいが、飛鳥川上流の棚田の光景も好きだ。
歌は歌としていつまでも心に余韻を響かせている。
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「古都めぐり」は広谷順子さんのファーストアルバム「その愛に」に収録されている。
ぼくが買ったのはCD選書という廉価版であったが音質は良かった。
(しかしその後に発売されたUHQCDは声がさらに現実感があって買い足すかどうか悩ましい。なぜわかるかって? Amazonプライムに出ているので手元のCDと比較ができる。Amazonの低い帯域からもこのUHQCD版の生々しく地に足の付いた存在感がわかった。余談だけどレコードはA面5曲、B面5曲が多く、その場合だとAD46とかXL-146,HF-S46=要するにノーマルポジションの46分テープにダビングしていたよね)


このアルバム、いま気付いたけれど、編曲は全曲松任谷正隆で参加している演奏者は以下のとおり。
松任谷正隆(key)、高橋幸宏、林立夫 、村上秀一(ds)、高水健一(b)、鈴木茂 、松原正樹、吉川忠英 (g) 、斉藤ノブ(per)ほか豪華メンバーがサポート。オールスターを見ているような。でもあまりおかずを入れずに広谷順子さんの声を活かしているね。

けれどきょう知ってしまった。
2020年1月に広谷順子さんが亡くなられていたことを。
はやすぎるよ。

この方は歌の世界観がぶれることなく、年々純化していった感が強い。
ソロから、夫との2人ユニット「綺羅」になってからは万葉の逍遥のごとく。

80年代の日本の音楽は音志向(もっとも世界的にそうだと思うが)で
歌詞はというと、英語のフレーズがファッションのように装飾された歌詞を
腕利きのプレイヤーが粋をこらして曲を編み上げて涼しげに聴かせてくれた。
(それはそれで好きだけど、あの部分的な英語フレーズは苦手。例えばこんな感じ「夏空を追いかけた on the road あなたの横顔 見上げた blue sky 逢いたくて just the moment…架空の歌詞だけど当時のシティポップスと呼ばれる分野に多かった。でも広谷順子さんの音楽は日本語でそれも抽象的でなく歌詞が文章になっている)

「夏恋花」と題して世に問うた綺羅の1枚目のアルバムはさらに進めて万葉集の世界。
言葉を選び空間に放つ音の響きと多重録音の声が夢か幻かという音絵巻を魅せてくれる。
平安に迷い込んだような「さくら」に続く2曲目の「陽だまり」はいまの時代にこそ聞いて欲しい。
人の心の上澄みにある軽やかな夢心地をぽつんと空間に放つ。手練手管は感じない。
3曲目はアルバムのタイトル曲でもある「夏恋花」。
男女の声が空間にたんぽぽの真綿のように浮かび上がると順子さんの楚々と妖艶な童女のような声。
日本のポップス史上、この楽曲、この歌い手に似た存在を知らない。
海が見える丘を駆け下りた遠い少年少女たちの回想のように。


綺羅では童謡集を2枚出している。これは親密な日本の庭で遊ぶ愉悦がある。
http://www.kira-net.com/cd/tokinonagori1.html
http://www.kira-net.com/cd/tokinonagori2.html
次はこれを買いたい。


これもYouTubeを見ていて初めて知ったけれど
広谷さん、セーラームーンの楽曲を歌っている。
放課後の胸がキュンとする世界が直球で飛び込んでくる(「 Moon Heart Sequence」)。

鈴虫の「凛」と少女の「楚々」に人肌の温もりを加えたような声の人。
音楽っていいなという思いと誰もが遭遇する喪失感。

明日香も斑鳩も当分は行けそうにない。
秋に聴く古都めぐりはさみしい。いまゆえに。
いつか別れはくるものとなぜ知らずにいたのだろう♪(「古都めぐり」から)

(広谷順子さん、さようなら)


タグ:童謡・唱歌
posted by 平井 吉信 at 23:38| Comment(0) | 音楽

2021年08月13日

真夏の夜 しみ入る音楽 3枚


今年のペルセウス座流星群は大雨で見えない。線状降水帯が発生している地区もあるようだ。ご無事を祈りたい。

さて、眠りに就く前に音楽をかけている。
それもとても小さな音で近所にも隣の部屋にも迷惑にならないぐらい。
CDを1枚終えるまで起きていることはなく、3〜4曲目で意識が遠のいている。
一日の澱を洗い流すようで心地よいこのひとときは出張以外の毎日の習慣。

そんな音楽はリズムの刻みが大きいものや強弱が付くものは避けている。
ここでは3枚だけ紹介してみたい。


ロドリーゴ・レアン率いるヴォックス・アンサンブルというユニットからファーストアルバム
アヴェ・ムンディ・ルミナール/Rodrigo Leao & Vox Ensemble」

ソニーミュージックのWebサイトのアルバム紹介は以下のとおり。
ポルトガルの人気グループ「マドレデウス」の元キーボーダー、ロドリーゴ・レアンのリーダーアルバム。このアルバムは、ロドリーゴの音楽体験の集大成であり、ポルトガルの民族音楽の要素、モーツァルト、オルフ、グレツキー等、クラシックの要素、フィリップ・グラス、マイケル・ナイマン等ミニマル・ミュージックの要素が融合した素晴らしいアンビエンスのアルバム。


20年以上前に買ったCDでいまは入手できるかどうかわからないと思ってAmazonを見たらあった。視聴もできる。

1曲目はキリスト教のマリアを扱いながら弦楽の調べに載せて夢幻から聞こえてくる女性の声。
YouTube上にライブもある。
https://www.youtube.com/watch?v=rOEpOKIjgwY

本人が運営するYouTubeチャンネルに2020年の音源(ライブ)がある。
上記と比べてソロを抑えてコーラスとポリフォニーが感じられて好印象。
https://www.youtube.com/watch?v=r_T8r5oTpoU

こちらは映像詩。音源は手持ちのCDと違っている。低弦の和声が支える1996年CD編曲が好きだが、この版ももちろん作者のオリジナル。どちらも美しい
https://www.youtube.com/watch?v=XsGmZlpwMaA

ライブもいいが、CDの漂うような録音とこの世とも思えぬ女声の遠い響きが美しい。ファド(ポルトガルの土着の音楽)の香りは感じないけれど、突き抜けた感があって夏の夜に天上に包まれて眠りの旅路に就く。




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Matthew Halsall(マシュー・ハルソール)Salute to the Sun

2020年11月のコロナ下のイギリスで発売されたジャズトランペットのクールな音楽。スピリチュアルジャズとワールドミュージックの融合と評する人もいる。レーベル名のゴンドワナでかつて地球上に存在した大陸名。人の汗がほとばしるような音楽ではなく、現生人類が発生したアフリカの鼓動を思わせる淡々とした進行が眠りを誘う。でもそこに存在のエネルギーが感じられて魂が共感して浮游する感覚を覚える。
YouTubeにもレーベルが掲載したスタジオライブがある。
https://www.youtube.com/watch?v=QTzV1YdQUZw




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小松玲子 Voice of Sanukaite

香川県にはサヌカイトという岩石がある。これを調律して楽器に組み上げた。その奏者が小松玲子さんである。倍音成分が多い楽器でおそらく高次の倍音(超高域)まで伸びているだろう。もちろんCDでは20Khz少々までしか再生できない。それでも可聴帯域内の響きが空間に広がっていく。
サヌカイト楽器は打楽器でありながら激しい打音はしない。楽器に触れたことはないが、小松玲子さんの演奏を見るにつけ良い音を出すには適度の加速度と減速による音量、音色の制御、ときには響きのミュートも相まって空間に音をデザインしている感じ。

ぼくが持っているアルバムは2枚。最初に「LOVE LETTER 」を、次にこのアルバムを手に入れた。ほぼ同じ時期に制作された2枚だが個性が違う。
LOVE LETTER は玲子さんの個性を凝縮した楽曲で散りばめられている演奏者の顔が見える気がする。
Voice of Sanukaiteはサヌカイトの響きに浸るとしたらこんな音符の動きの楽曲はどうかしら?という楽曲で埋められており、サヌカイト岩石が宇宙に向かって語り掛ける趣がある。どちらか選べと言われれば前者を選ぶけど、後者が好きな人は多いはず。

ご本人のブログを見ると演奏会が中止となるなど大変な時期が続いていらっしゃる。

コロナ下で演奏会が円滑に行われないなかでCDを購入するのも良いことと思える。
Amazonでは視聴はできないようだが、検索していただくと関係者によるWebサイトがあって視聴できる。

YouTube上で同名タイトルを見つけて聴くのもいいだろう。ぼくのおすすめは「LOVE LETTER 」の公式動画。演奏する姿も魅力的だが、没入没我の境地で石と向かい合っておられるように見える。今後のご活躍をお祈りしたい。
https://www.youtube.com/watch?v=wM_s1obu49w



追記
玲子さん、吉野川市で7月にコンサートの予定があったことをブログで拝見。
https://ameblo.jp/marimbareiko/image-12686053472-14971160986.html
コロナ下での中止(延期)とか。
(確かにいまは医療崩壊寸前の状況ではあるが、地元観客を対象に行うのに中止の必要性があったのか。東京から移動される演奏者のPCR検査と移動手段の管理を行うことでできたのではないか)
2018年9月に小松島市に来られたとき止むにやまれぬ所用で行けなかった。
再度県内で実現するときはぜひ行きたい。
posted by 平井 吉信 at 13:58| Comment(0) | 音楽