2016年04月14日

桜はこれが見納めと思って だから誰かに


徒歩1分のところにある桜並木をニコンを片手に出かけた。
サンダルをひっかけて散歩がてら、陽光を浴びながら。

もう花見は終わっているけれど
ぼくは散り際の桜はそこはかとなく美しいと感じる。
誰もいないこの並木で
花びらは、ここにいるよ、ってささやいている。
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花見に行けなかった人のために。
家族を気遣って花を見に行かなかった人のために。
会社の経営が大変で花見の気分になれなかった人のために。
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これを見て。
日射しに打たれ雨に打たれ、
風に散らされても、なお残る花びら。
その向こうに空が透けて見えるかもしれない。
あと数日、
いや、次の瞬間には生まれた樹を去って行くかも。
それでも、桜は桜。
この桜はいまこれを見ているあなたかも。
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人は最後の旅に出て、旅立つ直前に悟ることがあるという。
その突き抜けたときにも似て、いっそう輝いている。
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さくらは、さくら。
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posted by 平井 吉信 at 23:33| Comment(0) | 生きる

2016年02月19日

東京は行列がごちそう 光がつながれば都市 情報がつながればDNA 宿主という生命は何を想う


グルメではありません。
グルメブログにもしたくありません。
それでも、食べることの幸福感は生きる原動力となっています。
みなさまに食欲が湧くようなのもたまに良いかと。

東京出張(二日間の長い会議)に臨むに当たって
いつもは会場の近所で済ませている。
飛行機の到着が早くて時間がたっぷり取れるため
空港から京急と三田線を乗り継いで神保町へ。
(もうこの時点で食べる意識よりも老舗の万年筆店を訪ねてみようかなどと)


駅を降りてすぐに行列が見えた。
(時刻はまだ11時半というのに)
東京では昼食に行列は珍しいことではない。
気に留めるまでもなく通り過ぎようとしたら
カレー店のよう。
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店内の様子から回転は早いと見て
知らない店だけど、長丁場の会議だからと自分に言い訳して
普段はあまり食べないカツカレーに挑戦してみようかと。
(メニューの左上に置いてあるので人気メニューではないかと推察)

意外に待つことなく店内へ。
(入店前にメニューを聞いてくれることもあって店内ではすぐに出てきた)

黒いルーは玉ねぎをじっくり炒めたものを基調としながら
野菜の甘さを香辛料で引き締めた感じ。
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キャベツが皿に乗っているのも
狭い店内で回転率を上げるのと
カレーのコクをひとくちで更新する工夫かと。

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サラリーマンばかりの客層で地元のソウルフードのような位置づけかとも。
たまにこれが無償に食べたくなることがありそう。
(この店が有名店とは、店を出たあとで判明。スマートフォンを持っていないので情報はパソコンから)

それから岩本町に出て秋葉原まで歩き、日比谷線で南下しようと。
赤いマフラー手ぬぐいにして横丁の風呂屋に通う
昭和の男女を見つめていたのはこの川
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会議は虎ノ門周辺なので定宿はいつも愛宕山近辺にしている。
いままで気付かなかったけれど、
ホテルの左前にひとだかり(飲食店の行列)。
東京名物の東京タワーと行列ということで
さっそく並んでみようと近寄った。
例によって何屋かわからないけれど
数千円を請求される雰囲気ではないし
女性もちらりほらりと並んでいるので
闇鍋感覚の不見転で並ぼうとしたのが…。
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行列があまりに長く、店は洞窟の奥にあるようで
諦めることに(会議が始まるまで40分ぐらいしかない)。

あとで調べるとそば店が地図上にあるようだが
再開発が進んでいることもあって確信は持てない。

そこで虎ノ門ヒルズの中の香港料理店へ。
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前回はワンタン麺とマンゴープリンだったが、
今回はサンラータン麺。
酢の酸味がうれしく最後まで残さずいただく。
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ヒルズは昼の憩いの場となっているよう。
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咽が渇いたので茶を買うことに。
手頃な価格だが、セブンイレブンの緑茶(コカコーラのOEM)は
あっさりと咽に流し込みたいときに手に取る商品。

会議が始まった。
昨日は気付かなかったけれど
席が替わったので東京タワーが見えることに気付いた。
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延べ12時間にも及び会議を終えて。
夕刻迫る羽田空港。この飛行機で徳島に戻る。
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Webのような都市のネットワークを上空から眺める。
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飽きることなく窓の外から下界を見下ろす。
いつまでも飽きることなどなく眺める。
小さな人間が空を飛ぶことに感動がなくなったら
カレーやラーメンやそばを食べることは
もっとつまらないことだろう。
人が生きることはどんなに地味で地道であっても
いのちのリレーを受けつぎながら、ときを刻むDNAの継承者。
― 漆黒の宇宙に明滅する光なのではないかと。



(フジX20で撮影)
posted by 平井 吉信 at 18:42| Comment(0) | 生きる

2016年02月16日

前日の雪が解けて徳島県西部のまちや集落はうっすら雪化粧


東予に行っての帰り。
川之江から県境の境目トンネルを越えると雪景色。
樹氷が展開する風景を撮っている人も。
池田ダム湖を過ぎて吉野川が目に飛び込んできた。
増水して笹濁りの水は翡翠色。

橋桁の名残と思われる構造物と
常夜灯、さらに水辺へ降りる階段。
かつては渡し船があったのだろうか。
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山は清明にして地面にまで日が射している
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池田のまちの南の山麓が雪解けで蒸発している
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太陽が川面を追いかけていく
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吉野川の支流、半田川を少し遡ったところの集落
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半田の里では雪がないときにはこんな風景が見られる
(2006.9.25)
先の縦長の写真は、
この写真では画面左の半田川(下から上へと流れている)の屈曲点から
下向きに撮っている。
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トトロが出てきそうな里山の風情
ここは半田そうめんの里。
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のどかな里山からおいしい乾めんがつくられている。
(食べたことがない人は、人生で出会う楽しみを残している♪ おすすめは茹で時間6分のうどん)
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冬から春への兆しをちらりと見せつつ冬は手綱を引いて
里山に雪景色を見せてくれる。
それを受け止めて心をくすぐっていたい。

【追記】
フジX-E2は2016.2.4にファームウェアが更新されて電子シャッターが使えるようになった。
フォーカルプレーンシャッターの衝撃から逃れることができたことで
原盤では小石や微細な枝までが分解していて
ナナオL997ディスプレイ上では壮観となっている。
センサーも欲張らない16メガのため、画素ピッチが細かくなりすぎず
トーンと解像度が絶妙に均衡している感じ。
いずれもjpegそのままを縮小。

posted by 平井 吉信 at 18:07| Comment(0) | 生きる

2016年02月14日

低気圧がもたらした重い空気 里山に降りて空白の一日


低気圧の接近が南から湿った風と温かい空気をもたらした日のこと。
どんよりとした空気は生暖かく、湿気を含んでいる。
レンズを通しても湿度が高そうな珍しい冬の一日。

水車を回す水にはまだ春の勢いはない。
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この辺りでつくられた特別栽培米を玄米のまま求めて
自宅で分搗き米に精米しているわが家。

あぜ道にオオイヌノフグリ。
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菜の花が灰色の空と重い空気にしっとりと佇んでいる。
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訃報があり、香典を持参する家人を送迎して時間待ちのひとこま。
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ご冥福を。

三寒四温ではなく気まぐれな低気圧がもたらした空白。
心が晴れることはないけれど、
あるがままに過ごしてみようと思う一日。

(フジX-E2+XF35mmF1.4 R)
posted by 平井 吉信 at 18:14| Comment(0) | 生きる

2016年01月31日

きょうもみた するとももももう


あしたもみよ、とのことで
きょうもみた。
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数日前と打って変わって
気温は十度を超えている。
陽光に花弁をひろげたばかり。
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視線をたどると、桃も。
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冬があるから春がはずむ。


フジX-E2+タムロン90oF2.5(ミノルタマウント)にて手持ち撮影



posted by 平井 吉信 at 12:32| Comment(0) | 生きる

2016年01月10日

初詣 神様にふたたび会う機会 鳴門の阿讃山麓を西から東へ


元日は産土(うぶすな)神社へとあいさつに行く。
ここ数年は快晴で竹がからからと音を立てて
高い空に向かって光の柱が伸びるような初詣。

それからいくつかの神社を回る。
二日目は、気延山のふもとにある天石門別八倉比売神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)。
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そして気延山に登る。
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幾何学的におもしろい樹木の紋様。縄文を思わせる
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現在の阿波の一宮は、大麻比古神社。
ご祭神は大麻比古大神と猿田彦大神。

ご神木は太陽を従えてざわめく
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正月ともなれば混み合うのでそれを避けてきたが
参拝の列が駐車場の階段まで伸びている。
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そこで列に並ばず、離れたところから祝詞を奏上する。
(祈るのは我が身のことではなく神々の弥栄と国の平和のみ)

裏山は神社ならではの生態系がうれしい。
眼鏡橋の池に光が踊るさまは息を呑む。
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池の中央に岩があってそこに1円玉を投げようとする人たちがいる。
聞いてみると、岩に載るとよいらしい。
手元に4円あったので投げてみたら1個が岩のうえでとどまった。

対岸から見ていると
日の光が一瞬立ちこめたように見えたのでシャッターを押した。
すると2コマに写っていた。
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広大な社の敷地には自然度が高い風景が散りばめられている。
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この森で両手を広げて陽光を受けながら胸をふくらませてみたら?
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遅い昼食は、近くの道の駅第九の里で。
鳴門は、日本での第九初演の地なのだ。
(また、第九でつながった)
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ドイツ館とこちらの売店で鳴門やドイツ由来の特産品が楽しめる。
ブラートヴルストをいただく。
ライ麦パンにドイツ直送の白ソーセージをはさんだホットドッグは
注文してからつくられる。
それを外の日だまりで食べる幸福感。
(この内容でこの価格だから人気なのも当然)
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鳴門から吉野川北岸を伝う道沿いには古墳や神社が点在する。
次に訪れたのは大麻比古神社から5km東に位置する阿波神社。
ご祭神は37歳で崩御されてこの地で火葬されたとされる土御門上皇。
(隣接する池に浮かぶ区画を宮内庁が管理)
近くの大麻比古神社の喧噪が幻のように感じられる閑静な一角。
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以前から気になっていたのが
阿波神社から東へ2kmのところにある
こんもりとした小さな森に囲まれた神社。
なぜだかわからないけれど
長い参道と鎮守の森の配置の妙というか雰囲気が良いのだ。
初めて近づいてみると
葛城神社と読める。
小さな社だけれど地区の人に大切にされているようだ。
ご祭神は、一言主命。
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きょうはえびす祭り(えべっさん)でもある。
鳴門の事代主神社に初めて詣でることにした。
(葛城神社から6km東)
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主に近隣で商売をされていると思われる人たちが参拝に訪れているようだ。
撫養街道に面し背に山を抱えて風水としては申し分のない立地。
まちなかでありながら、すがすがしさを調え
家々の軒の間をすり抜けるように格別の親しみを覚える。
また来たくなるあたたかい雰囲気に包まれた神社。
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みなさまにとって、良い年となるようお祈りいたします。
そして、日本はもちろん世界が少しでも良い方向へ進むよう。



追記1
不思議なのは
自宅の神棚、荒神棚、仏壇に酒を祀っても
ほんの数分でそれぞれの風味が激変すること。
もっとも香り高く濃厚で香気すら放つのが神棚。
仏壇は気の抜けたような酒の魅力が薄まった感じ。
両者の中間が荒神棚。
(香りを際立たせる神様と香りを召し上がる仏様ということか)
これは気のせいではなく誰が味わってもわかる。


追記2 
鳴門の事代主神社がある撫養街道は
古くから栄えた旧街道筋で
まちの散策が好きな人にとっては宝物が散りばめられている。
古民家の軒先の営業看板、古い酒蔵、由緒ある神社、
路地のたたずまい、煙突、郵便ポストめぐりなど
宝探しに尽きることがない。
もし、この一角に空き家を見つけられると
まち暮らしの味わいが好きな人にはたまらないだろう。

追記3
鳴門といえば、鳴門の渦潮、渦の道だが、
鳴門鯛、なると金時、鳴門わかめ、れんこんと全国区の産物がずらり。
(ことに鳴門金時は東南アジアでも知名度が高まり人気らしい)

砂糖をまぶして食べる赤飯や老舗の鳴門饅頭、金時豆の入ったお好み焼きなど
塩田で栄えたまちだけに、砂糖、甘いものへのの思い入れもひとしお。

鳴門の西はずれに位置する大麻地区は、
大麻比古神社ドイツ館、大谷焼などがまとまって存在する。
窯元を一つひとつめぐるのも一興。

大塚国際美術館はもとより、リゾートしての存在感も放っている。
会員制高級リゾートのグランドエクシブ鳴門など、
瀬戸内海に面した高台には別荘やリゾートホテル、レストランがずらり。

庶民の食事では、出汁となじむ鳴門細麺うどんもある。

高松道、徳島道、本四連絡道が集まる交通の拠点であり、
徳島空港までは徳島市より近い。
大鳴門橋を渡れば、淡路島経由で明石、神戸もドライブがてら。

まちなかには、小学校、中学校、高校が点在し
高島にはリゾートのような立地に鳴門教育大学がある。

数少ない弱点は公共交通の便と水がおいしくないところだが
それは浄水器で補完できる。
ここ数ヶ月はコウノトリが巣作りをしている話題でも知られる。

地元ではあまり発信していないけれど、
特徴的な風土とリゾートの風合いを混ぜた独特の距離感は
都市生活との二元生活を送りたい人や
静かで風光明媚だけれど
人間関係が面倒な田舎暮らしまでは求めていない人の終の棲家として好適。

posted by 平井 吉信 at 23:14| Comment(0) | 生きる

2015年12月21日

田園に囲まれた音楽を聴くための家


完成した友人宅の新居を訪れた。
夫は高校の同級生で山と音楽が好き。
妻は近所の幼なじみで同じく音楽が好き。
ピアノにゆかりのある仕事をしている。
田園のなかにたたずむこの家は
地元の木材を使っている。

この家には裏山で取れる雑木を燃料にする蒔ストーブがある。
ほんのりとあたたかい。
炎を見ていると時間がどんどん過ぎていくけれど
それもまた時間の使い方。

テレビは見当たらない。
別室に15インチの小さなのが1台あるけれど
ほとんど見ないという。
(うちも15インチのブラウン管テレビが1台あるだけなのでその気持ちはわかる。大きな画面は不要。バラエティは見ないので芸人がわからないし流行語大賞もわからない)
パソコンもなければ、スマートフォンもない。
(ぼくもスマートフォンはいったい何に使ったら良いかわからない。もう5年も使い途を考えているのだけれど)
その代わり、電池で動くパナソニックのラジオが置いてあり
ときどき友人が聞いている。

玄関を入って左へ廊下を伝うと居間がある。
部屋にはグランドピアノ、別室にも別のグランドピアノ、
(タッチが違う)
電子ピアノもある。
宵の口ならピアノを弾いても苦情は来ないゆったりとした風景。

久しぶりだからKちゃん(幼なじみ)に
ブラームスのワルツ作品39の15番を弾いてとリクエスト。
照れながら応じてくれた。
ためらうような旋律から空に羽ばたくようで。
子どもの頃、好きなレコードだったから。
音楽は心の滋養、いつになっても、どこにいても
胸おどらせる。
どんなに短くても音楽はひとつの小宇宙だから。

お礼にオーディオ装置を手直し。
ちょっと手を入れると見違える音に生まれ変わった。
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(オーディオって買ってつないだときの10倍以上はよくなるからおもしろい。ときには名機と付き合う苦しみもあるけれど)
ここで鳴っている音にはまったく不満はない。
迫力めいた音ではなく
音楽が親密に寄り添ってくるけれど
はっとするようなニュアンスを奏でるから。
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Kちゃんは紅茶を入れてくれる。
小さな音楽で談笑のひととき。
こうしておだやかな夕暮れを迎えた日曜日。
でも…。

のどかで平和なひとときに
脳裏を離れないのは
この国の未来や社会のこと。
何ができるだろう、何をすればいいんだろう。
社会の幸福がなければ個人の幸福はありえないと。
posted by 平井 吉信 at 23:52| Comment(0) | 生きる

いつものあの人たちと何気ない時間だけれど


仕事で中村(四万十市)へ行ったら
喫茶ウォッチへ。
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この日も地元の女性客でいっぱい。
亡き店主が築き上げたJBLのパラゴンとソナスファベールを
マッキントッシュで鳴らしている。
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きょうは時間の関係でカレーのセットメニューで(焼きカレーは食べる時間を考えて断念)。
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.。'.*.'☆、。・*:'★    .。.・'☆、。・*:'★
  .。'*・☆、。・*:'★     .。・*:'☆
 ☆、。 ・*'★ .。 ・':....*.:'☆        .。・:'*・':'・★

美郷物産館へ立ち寄る
野菜をこのように陳列できるといい。
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JAの巨艦市には真似ができないのは
ここを運営する人たちの気持ちがこもっているから。
美郷で起業した徳長さんの梅酒「トオカミ」と「エミタメ」も並べられている。
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今年の自家製梅干しも上々だけど
あえてプロの作品と比べるために梅干しを買う。
(素人が手間をかけてつくり手作りの良さってあるよね)
それから昼のランチを。
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明石弘美さんの笑顔に見送られて、次の仕事へ。


タグ:ランチ 美郷
posted by 平井 吉信 at 00:00| Comment(0) | 生きる

2015年12月20日

コップのフチ子さん クリスマスの衣装で登場


コップを置く仕草で文章を始めた11月22日のブログからコップつながりで。

もうすぐクリスマス。
まちは幸福の赤に染まり
人々の暮らしを見守る。
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政府は、時代錯誤意味不明の迷走を続けちゅうが、
(ぼくの描く理想の未来とは180度違う)
庶民のくらしは平和そのもの。
(忍び寄る影も感じるけれど)

コップのフチ子さん、クリスマス版登場。
海洋堂つながりでフィギュアの話題をと思ったもので。
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フィギュアであれ生身のヒトであれ
微笑みから思いを伝えることはできる。

ガシャポン コップのフチに舞い降りた聖夜の天使 コップのフチ子 クリスマス 5種アソート

道後温泉限定版(ご当地版)もあるとか…
コップのフチ子 温泉 バージョン 手ぬぐい 愛媛 道後温泉 限定 ネイビー ご当地 四国 愛媛県 フチ子 グッズ ふち子 てぬぐい 紺

ヨーグルトのCMもあるとか
https://www.youtube.com/watch?v=tyBtU9g5PhY

posted by 平井 吉信 at 16:52| Comment(0) | 生きる

2015年11月12日

目に見えないアクセス〜「来て良かった。また、来たい」と思いつつ〜


飲食店に入る。
いらっしゃいませ、と言って、
ドン、と水の入ったコップを置く。

そうではなく、
笑顔で運ばれてくる。
もちろんていねいな所作で。

どちらの水がおいしいでしょうか?
(どちらを飲みたいでしょうか?)

茶道の名残手(なごりて)は料理にに通じるもの。
厨房を見ると、
良い料理を出す店は
(客が見ていようが見ていまいが)
手技のキレとタメがある。

ラーメンを茹でる。
湯切りをする。
お待たせしないという気持ちと
ていねいにおつくりするという気持ちが
すばやい動作にやわらかい着地をさせる。
すると、名残手のような動きになる。

ものごとには、目に見えることと、目に見えないことがある。
どちらも大切だが、
目に見えない領域が影響を及ぼしている。
脳には人が意識してアクセスできない領域があり
それが人の心や行動に影響を与えているとされる。
それどころか、無意識の行動は
普段の行動(能力)を軽く越える。

意識は傍観者である: 脳の知られざる営み (ハヤカワ・ポピュラーサイエンス)

意識と無意識の区分は、
さまざまな見方で投影されていることに気付く。
かたちとこころ、
陰と陽(太極図)、
おもてなしも然り。

「おもてなし」とは、表と裏の境界がなく、
思っていることと行動が一致していること。
だから「かたち」から入って「こころ」を導く方程式もある。
習い事がそうだし、
イチローや五郎丸選手の決まり切った所作もそうだ。

たぶん、探している答えはどこかにあるのだけれど
そこにアクセスできていないだけ。
答えに近づくのは情報だけではないこと。
理念や感性の世界の向こうから
こちらへ降りてくるのではないかと。

理念があれば、無意識に通じ、
常識を越えて空に飛翔できる。


閑話休題

久しぶりに立ち寄ったそば店で
「お久しぶりです」と屈託のない笑顔。
その瞬間に、心の上着を脱いでいる。
「こうでなければならぬ」の店よりも、
くつろぎをさりげなく打ち出せる。
そばの味はやさしく滋味ゆたか。
「来て良かった。また、来たい」と思いつつ。
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脇町 楽庵にて


追記

いまから十数年前のこと。
佐那河内で料理店を営む岩本光治さんに
徳島市佐野塚地区のジイモで芋の汁をつくっていただいた。
吉野川の河原でのひとこまである。

口に運んだ芋煮はじんわりと口に溶ける。
「芋がえらいんですよ」と岩本さん。
(いや、それを引き出せたからこそ)
食材がほんのりと訴える声をたぐっていくと、
波紋を広げるように共鳴する味覚。
塩と昆布だけでこれだけ豊かな世界が描けるのかと。
語らずといえども深い世界があることを知った。

岩本さんのお店は、佐那河内にある。
虎屋 壺中庵

タグ:佐那河内
posted by 平井 吉信 at 12:33| Comment(0) | 生きる

2015年11月07日

那賀川河川敷に宇宙人到来 それは黄色、紫、白の未確認生物で…


それは月のない夜のこと。
那賀川のほとりに未確認飛行物体が降りたったとの報せを聞いて
密かに特殊部隊を当該地区に派遣しました。

物体は白い円盤状で突起がいくつかあり
その先端が黄色く光っていたというもの。

捜索隊は夜でも昼のように見える暗視野照明装置を付けて警戒に当たります。

まずは流れが早い場所から。
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しかし、こんなところに隠れているはずはありません。
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やがて、捜索隊は次々と異星人に遭遇します。
彼らが見たものとは(続く)

















黄色い異星人 アオヤギバナ星人を発見。
まるでこの星を謳歌しているようです。
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続いて、薄紫の頭を発見。
これは19世紀にイギリスで発見された異星人に似ています。
ナガバシャ人です。
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濃い紫は、ホソバリンドウ星から来たようです。
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白いUFOでは攻撃部隊が見えます。
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ナカガワノギク星の住人です。本来は白いのですが、赤い花もあります。
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生きることの意味を教えてくれているようです。
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おっと、敵の母船に見つかってしまいました。
確かに白い円盤に突起があり、緑や黄色に彩られています。
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こちらの装備は攻撃用ではありませんので
まずは抵抗する意思がないことを示します。
彼らと意思疎通としてみると
ウメバチソウ星からの使者のようです。

使者からの伝言を解読すると次のようです。

多くの宇宙人が偵察に押し寄せているのは
この国が経済政策を誤ったことがきっかけで格差が拡大し
貧困層を多く生み出しているから。
平和を強く願って国の犠牲になった人たちの思いを忘れて
自国が攻撃されていないのに戦力を出動させる準備を調えているから。


なるほど、さらにメッセージを聞いてみましょう。

格差を是正する政策を行うとともに、
中央集権を崩して規制緩和を行い既得権を解放、
自由かつ支え合う協調社会のもとで
問題解決に重点を置いた教育に力を入れ
ものづくりや農業、基礎科学の価値を認め尊重し
やりたい人がのびのびと能力を活かし
そこから全体に波及していく社会が必要と訴えています。

(国がお膳立てをして国民を活躍させるという発想の貧しさ)

さらに細かい論点を次々と質問してきます。

クローズアップ現代のキャスターは何か悪いことをしましたか?
ジャーナリストらしい問題提起と鋭い論点で本質に迫っていましたが
何か都合が悪いことがありますか?
本質を国民に問いかけるのがマスコミの使命ではありませんか?


地球人としてこう答えました。

言論統制を行いつつ一億総動員して
狂気の世界へ連れていこうと企みは決して成功しません。
地球46億年、人類60万年の歴史を学んだ私たちは
いまの奇跡とともに、人間の力をもっと信じています。
政治や行政が途を開くことはできず、
一人ひとりが使命感を持って充実した日々を送る意思を持つことから
未来が始まります。
まずは理念を持って高く掲げること。
あとは地道に続けていくことです。
(右とか左のイデオロギー、保守、革新、維新などの分類も不要。あるべき姿を見据えてゼロベースで考えていくこと)

ナルホド、ワカリマシタ。

彼らはひとまず帰っていきました。

秋の那賀川の河原で宇宙のファンタジーを見ようとしたのですが
生々しい現実に戻されたようで。

でも、花のいのちはすがすがしい。
花は与えられるものではなく、自分から求め得るもの。
心の中の花を咲かせることが大切なこと。
(自然界の山野草にも思いをはせてください)


おまけ

おいしくいただきました。
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2015年10月14日

徳島大学の薬草植物園の一般公開の日


年に1度、数日だけ公開される。
場所は徳島市国府町で、土地勘がないと辿り着くことは難しい。
道路も狭いし駐車場からの出入りも気を使う。
それでも、見たい気持ちが強くなった。
仕事で鴨島方面へ向かう日と重なったため、
1時間ほど早めに出て途中で立ち寄ることとした。

徳川家康の長寿はその淡々とした哲学(処世術)とともに
自らが薬草に親しんだことがある。
薬草の効用はもとより、健康管理の重要性に気付いていた。
(戦国の世では経験がものをいうため、競合より長く生きると有利)

普段接している山野草でも
トリカブトやセンブリなど薬草とされるものは少なくない。
薬草を料理に取り入れているのは月ケ谷温泉で、
以前に紹介したところ。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/73836190.html
http://soratoumi2.sblo.jp/article/59956611.html

健康でいることが目的ではなく
充実して人生を生ききることの意義、
その爽快感を味わいたくてぼくは生まれてきたように思う。
けれど、健康でなかったとしても
くよくよせず、受け容れればいい。
そこから広がる可能性、というより
健康な身体では気付かなかった世界が見えてくる。

西洋医学の拠点のような徳島大学薬学部が
薬草の研究を続けているという点も興味がある。

といってもアカデミックな話題ばかりでなく
花を見ると、つい意思疎通を図ろうとするのは性。

名称をメモしなかったし、
名前を知ることにさして興味はない(山野草でもそうだが)。
まずは、生命体として付き合ってみる。

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リュウキュウアイ(間違っていたらご容赦を)
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アイ(藍染めに使う)。雑草のようだが、こんな花だと知っていた?
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媚薬として使われたイランイラン。
南の島では、花嫁さんを迎える初めての夜にベッドにまきちらかすという。
それは、花に託した愛のメッセージ。
人生に一度しかないその夜のためにイランイランを使う。
実際に落ちた花びらから匂いをかいでみた。するとその気になった(かも)。
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生き物の気配を感じたら、キリギリスの仲間(ヤブキリか?)だった。
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人のそばにいるが気付かれない
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一眼レフから小さなデジカメ(X20)で5センチに接近
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逃げずにこちらをうかがっている。
昆虫は瞬時に危険か否かを察知して
危険でないと判断すれば好奇心を働かせているのでは?
そう感じるしかないキリギリスの表情。おもしろい。
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徳島市近郊の田園地帯の一角にある薬草植物園から
社会に役立つ発見が生まれたらいいな。
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タグ:藍染め
posted by 平井 吉信 at 00:05| Comment(0) | 生きる

2015年09月30日

四国カルストは雨 恵みの雨 災いの雨


連休といえども休みの感覚はないけれど
それでもどこかへ行ってみようと考えた2015年秋。
遠出する気はないけれど、
さりとていつもの場所とは違うところ。

そんな状況で思い浮かんだのは
四国カルスト。
愛媛県・高知県境にまたがる石灰岩の高原地形は
四国に類のないもの。
これまで晴天に恵まれたことがなかったのだ。

自宅を抜け出したのは深夜。
4時間弱かかるとして途中が仮眠が必要。
川沿いの静かな場所として、道の駅633美の里を選んだ。

東四国からは大豊I.Cで降りて一般道を抜けて国道33号に合流し
そこから天狗高原もしくは地芳峠をめざす。

(予想していたことだけど)
離合が(ドライバーの判断と技術によっては)困難であった。
ときに右側にクルマを手向けて交わしたり
下がる下がらないの判断、
後続車の止め位置などを総合的に見極めて
どのようにクルマを動かすかを判断すること。
(ステアリング操作と車幅感覚の活用など技術面もあるが)
山道に不慣れだと周囲に迷惑をかける。
(免許所得後の離合の実施研修はビジネス機会になり得るのでは?)

漢和及第(閑話休題のいつもの誤用)

銀連休は晴れが続くと頭の隅にあったのだけれど、
山間部に差し掛かるとぱらりぱらり。
朝になれば晴れるとみて道の駅駐車場で仮眠に就く。

睡眠時間2時間少々で朝が来た。
普段とそう変わらないともいえるけど
窮屈な車内の仮眠では熟睡は難しい。
起きて簡単な朝食をつくる。
ここの道の駅でお世話になったので
帰りに買い物をすることにして出発。

仁淀川支流・安居渓谷の分岐を過ぎて土居川と合流し、
池川町を下っていく。
まちなか(商店街)の横を清流が流れる四国の郡上八幡のような場所。
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茶畑と沈下橋、
そして、高知ではシャクリと呼ばれる
箱めがねで水中を見てアユをかける漁法も見ることができた。
ここの風景が、鎌井田地区と並んで
仁淀川流域でも特に好きな場所。
しばらく風に吹かれてみる。
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国道33号から四国カルスト分岐へ。
天狗荘へと登る道、地芳峠への440号線、大野ヶ原への最短36号線がある。
前2ルートは問題ないが、36号線は離合が不慣れな人は避けよう。
(Google地図では太く描かれているので誤解しやすい)

36号からカルストを見上げる大野ヶ原の盆地に到着。
酪農の草原が広がる牧歌的な風景。
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これから天狗高原へと足を伸ばそうと。
しかし…
カルストへ上がると下界では想像できない風雨で
姫鶴平に着く頃には視界が5メートルとなった。
ヘッドライトがなければ、止まっている車にぶつかりそうなほど。

傘を差してみたが、飛ばされそう。
濡れた服のまま車内へ戻るとガラスが曇る。
次々と上がってきたクルマが離合できずに
何度か停渋滞をつくる。
天狗高原までたどり着けないと判断して大野ヶ原へ降りることとした。

そんな合間でも
風雨の落ち着くときに周辺の景色と山野草を拾ってみた。

見たことのないかれんな花が沢沿いに群生。
紫から白に至るまで花の色が違う。
雨の中、小さなぼんぼりが灯っているようにも見える。
ハガクレツリフネの一種ではないだろうか。
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四国カルストは1,000メートルを超え、
山頂部は1,400メートルに達する高地なので
植生も標高に準じる。
雨に打たれて雫を宿した姿はけなげで凛々しくもある。
あなたの名前はもしかして、シコクフウロですか?
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赤いシロツメグサがある。青い赤鬼と同じように変な日本語である。
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星のかたちをした山野草。
純白に黄緑のアクセントで、
雨に打たれて灰色の空に花弁をひらく。
雲間からこぼれた雨を受けて
風に耐えている。
シノノメソウと思ったが、
かの有名なアケボノソウではないだろうか。
初めてこの花を見た人の感動は深い。
なぜなら、花弁が空間に浮かぶ星夜のような光景は
地上では稀だから。
そっと見守れば観光資源になり得るけれど、
ほとんどの人はその存在に気付かない。
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上の2枚はX20。
センサーサイズの小さなこの機種がもっとも活き活きと山野草の姿を映し出す

うなぎのような造形がつらなる紫の花
手元の図鑑ではセキヤノアキチョウジに似ている。
楽器のようなかたちを楽しむのなら
ルーペがあればいい。
(→ アキチョウジではないかとご指摘をいただきました)
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ここからはX20
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シコクフウロもX20で
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霧が晴れたら牛がいた。
群れのなかでもっとも好奇心が旺盛な個体が人間観察を行っている。
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小さな牧場は有料で見学できるが、
それよりも前景の花に目を留めた。
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濃厚なチーズケーキをいただいた。
時間は2時間待ちとのことで、この日は11時半に品切れだったとか。
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土居川に架かる橋に建物が付いている。
鉄橋を渡る汽車のようにも見えるが、実は建物。
四国では愛媛にも建物付の橋がある(内子だったか)。
(土木遺産が好きな人にとってたまらない造形と工法だろう)
ここは市場も開かれる。
男と女の出逢いは市場から。
そんな時代がこの地球上のどこかにあったかも。
市場にはどんなドラマが詰まっているのだろう。
心のレンズで繙いてみたい。
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川口橋については↓
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/195849
http://ameblo.jp/sup2410/entry-11237389748.html

里の秋を感じてはクルマを止め。
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道の駅633美の里で地元の茶葉を買い込む。
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クマ笹茶は、道の駅土佐さめうらで。
手作りのカボチャパイとサツマイモパイ(ともに150円)


吉野川支流の地蔵寺川にかかる木橋。
ここをわたって集落の人が集まる。
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駆け足のクルマの旅であっても
南四国は山紫水明から高原までの遷移と山里の暮らしを垣間見た。
その翌日、南四国は大雨に遭遇した。
人は川から離れて生きるよりも、
川とうまく付き合う暮らしを選んだそのときから、
恵みと災いをもたらす存在に畏敬の念を持っている。

posted by 平井 吉信 at 00:28| Comment(0) | 生きる

2015年09月28日

うさぎ


 うさぎ、うさぎ
  なに見てはねる
   十五夜お月さま
     見てはねる

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わらべうたの旋律の美しさは比類のないもの。
心を探る音程の彷徨いから
駈けだした旋律が天に弧を懸ける。
後ろを振り返りたい気持ちを隠して
月に跳ねた。
https://www.youtube.com/watch?v=CeNv6kVIyCs

うさぎ、なぜこんな時代に跳ねる?
暗雲立ちこめる9月28日のスーパームーン。

ニコンD7000+AF-S NIKKOR 70-200mm f/4Gでねらってみた。
雲間から出てきたところ。
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闇夜を照らすうちに雲が途切れていく
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望遠レンズだけでもこれだけ写る
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posted by 平井 吉信 at 20:49| Comment(0) | 生きる

2015年09月06日

原点の公式があるはずだから


地元で採れた米を
その日食べる分を精米してご飯を炊く
(七分づき)

茶碗に装い、
和田島のちりめんにすだちをかけ
自家製の梅干しを置いて
茶をかける。

緑茶は、
苦みのある茶もいいけれど
知覧茶を選ぶ。

仕上げに地元の焼き海苔を置いた。
(有名な地元ブランドもあるけれど、海苔の風味が生きているとくしま漁連を選ぶ)

米を噛みしめつつ
ちりめんの食感をすだちが引き締め
海苔が香りとで旨味がぎゅっと詰まっている。
茶をぶっかければ
咽から鼻腔へ誘いかける香りが先導して
緑茶に乗って体内へ吸い込まれていく。

これを茶漬けという。
(茶葉を除いて半径10q圏内の食材で完結)

生きていくために身の回りにいのちがあり
それを届ける人がいて
いただいた恵みを別の方法でお返しをする。
それを地域経済の循環という。
いや、それが地域で生きること。

魅力=理念(考え方)×地元にあるもの×発信(個性)=経済(売上)

原点の公式は普遍だけれど
角度を変えて外から見れば
別の意味を持ってくる。

原点の公式とはモノサシ。
それに気付くこと、見つけること、
そこから始めないと―。

posted by 平井 吉信 at 15:55| Comment(0) | 生きる

2015年09月04日

おわら風の盆 生涯に一度の逢瀬


暦を見ていて、
ああ、風の盆だな、と気付いた。

わが南四国の阿波おどり、よさこいも良いけれど
暮らしと世代が溶け込み、まちと風土の一体感、
魂と身体の輪郭の境目がなくなる旋律の深みは
おわら風の盆にかなわない。

胡弓、三味線にからみつく謡い、
うたに寄り添いながらも
自ら鼓舞し空間に散りゆく地方(じかた)。
唄い手を支え、それ以上に調子をつくる囃子。
人生は走馬燈のめぐり、
迎えた秋の実りを送る風の神を鎮める祈り。

どこの祭りにも似ていない、
どこの祭りよりも独創的。
季節は夏のおわり、
熟すのを待つことはできず
指の先にひるがえる
若い男と女の所作に隠した刹那の情熱。
(女踊りは阿波おどりに似ていなくもない)

そこには舞台も照明もなければ
観光客をもてなすこともない。

一度でいい、
招かれざる観光客となって
諏訪町の石畳をしゃなりと過ぎる
深夜の町流しに居合わせたい。
(生涯に一度の逢瀬)

八尾は高台にある
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風が吹かない夏の坂を上がっていく
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諏訪町のまちなみ
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タグ:祭り 踊り
posted by 平井 吉信 at 23:35| Comment(0) | 生きる

2015年08月23日

里山に道路ができる最後の夏 南の羽ノ浦町と北の立江町


道路ができることは便利だけれど、
またひとつ消えていく光景がある。
ここは、小さい頃よく遊んだ場所。
高架のコンクリートがあったところには
小さな坂を登ったところに
焼き杉の民家があった。
納屋の2階から那賀川の土手をオート三輪が走るのを眺めていた。

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家の裏には浦川という流れが早い水路があった。
さらに山際にはカブトムシがたくさんいる雑木林があった。
雑木林は妙見山のふもとである。
飼い犬のチビを連れていったら
鹿を見つけてじゃれて追いかけていき
戻らなかったことがあった。
桜の咲く頃、遊山箱に弁当や寒天を詰めて花見に出かけたのもその頃。

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並木林のアブラゼミはいまも健在で、
稲穂もよく付いているようだ。
この道路が徳島市内までつながるのに
まだ20年ぐらいかかるのだろうけれど。

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その頃には人口は減少して渋滞も緩和され、就業人口も少なくなる。
未来を夢見る社会とそのための人々の努力でありたい。

posted by 平井 吉信 at 23:36| Comment(0) | 生きる

2015年08月18日

駆け足で過ぎていく雲


盆が終わった庭に一輪のキキョウ、咲き残る。
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見上げると、台風の予兆のようなうろこ雲
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夏の足音が遠ざかっていく。
posted by 平井 吉信 at 23:57| Comment(0) | 生きる

2015年08月15日

避暑地の支流 ひと夏の涼 ひと夏の寒茶―。


知人にいただいた和釘の風鈴が涼しさに一役買っている。
この世ならぬ、天上の音を奏でる。

それと似ているのが川のせせらぎや水の音。
川から離れては生きていけない。
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やってきたのは自宅から1時間少々のいつもの支流。
地元のスーパーで食材を調達。
ヨーグルト、チーズ、オリーブオイル、塩を使い、
ベーコンの代わりに阿波尾鶏のすきみを使って
(この辺りが産地なので手に入る)
自家製のオクラを添えて
「夏の支流パスタ」をつくろうとして気付いた。
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あっ、麺を忘れた。
(パスタ麺ではなく中華麺を使う予定だった)。
麺のないパスタは、
「麺要らずの夏の支流パスタ」と改称。

幸いご飯を持ってきているので
卵とともに合わせて丼風にする。
そこで「麺要らずの夏の支流パスタご飯入り」
気取った店なら
「零麺夏のせせらぎジャポネカ with rice and オドーリ 渓谷風チーノ」
と名付けて2200円(税抜)とするだろう。

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漢和及第。
天気は薄曇り。
川のほとりの昼食、誰もいない。
(お時間がある人、いつかご案内しましょう)
河畔の木陰を吹き抜ける風に気付く。
水は冷たくない。

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そこへ、地元のおじいさんが棒と網を持って近づいてきた。
にこりと会釈をされるので
どうぞ、(ここから川へ)お入りください、と合図。
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大きな網と棒を持っている。
棒でたたいて網へ誘導する。
初めて見る漁法に興味をそそられる。

アメゴですか?
アユだという。

良い川海苔が生えている。
ここは人家がないので
流れる水で茶を点てたり料理に使えるのだ。
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食事のあと、林道沿いを歩いて自然を観察。
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適当に折り返して引き返す。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

麺をどうしても食べたいと
車で海沿いに移動(すぐそばなので)。
地元の寒茶を麺に用いた「手延べつけ麺 寒茶セット」がある。
寒茶を練り込んだ麺に、それを活かすつけ汁、
水出しと思われる寒茶が付いてくる涼感あふれる料理。
(Channel R55)
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ぼくは満腹感があるのでコーヒーにしたが、
寒茶セットを少しいただいてみる。
「ひこうき雲」のように
どこまでも伸びていくプレーンな味覚。
咽をすっと通しながらも
詠み人知らずとさらりと流す涼しさ。
(同じ料理でも初夏とは明らかに違う。夏に向けて人の体調や味覚が欲する点もあるだろうけど、汁の温度にその理由があると見た)

さらに、店主の日比さんが調整された音響を聴いてみる。
タイムドメインという時間軸を重視する理論に基づくスピーカーと
従来の周波数特性を重視するスピーカーを
空間でブレンドして心地よい音世界をつくりあげている。
その音は席によって異なる。
ホールの前席の場所、音が回り込んで包まれる場所などさまざま。
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人の声、口を忠実に再現するタイムドメインが音の輪郭をつくり
研ぎ澄まされた自然体の中域を軸に据える。
これは寒茶の世界に通じる。
しかしこのままだと、なにかが足りない。
蒸留水のような味気なさも音源によっては感じられる。

そこで、人の耳が心地よく感じる低域の響きと心地よい高域を
従来スピーカーから取り出して背景に据え、
声を浮かび上がらせる。
(さまざまなスピーカーを1o単位で調整された)
タイムドメインの素朴でやさしい風味を壊さないように。
足りない味覚をつけ汁で補うことで
寒茶の世界観を壊さぬよう注意を払った一筆書きのように。
ひと夏の涼 ひとの音楽 ひと夏の寒茶―。



追記

ぼくもタイムドメイン・ライトのチューンアップ版を持っている。
この再生音を人に聴かせると
信じられない顔をする人が少なくない。
(11月4日か10日に大勢の人に聴いていただく機会を持つ予定)
オリジナルとチューンアップの違いは大きい。
オリジナルは高域の広がりに力点を置いて
清冽に音楽を奏でるけれど
チューンアップでは、
スピーカーの存在が消える実在感がある。
声を隣の部屋で聴いていたら
誰かが歌っていると錯覚するほどだ。

まずは、オリジナルのまま購入して数ヶ月聴いてみる。


購入してしばらくすると音の変化が現れるから。
その変化を見極めてから
チューンアップを依頼するのがいいやりかた。
http://www.timedomain-lab.co.jp/customize/


posted by 平井 吉信 at 14:59| Comment(0) | 生きる

2015年08月11日

終戦の詔(平成27年8月)と長崎平和宣言(2015年)


「日本のいちばん長い日」(半藤一利)を読むと、
軍部の思惑に引っ張られて
ポツダム宣言受諾をめぐるやりとりが一向に進まないのがじれったい。
降伏を迫られてなお出口のない議論を行う。
当事者はそれぞれが正しいと信じた根拠や信念に則って
命がけの主張を行っているのだろうが、
読み進めるのが嫌になる。

しかし置かれていた状況は厳しい。
戦争を続けるも地獄、止めるも修羅場。
いずれの決定も国の内乱の怖れや
敗戦へつけ込む外国の思惑を見据えれば
英断ですっぱり決着をつけることは困難であったことも確か。

超法規的な「聖断」によって決着を図るという鈴木首相。
昭和天皇の存在がなければ議論が延々と続き、
原爆が次々と落とされ、ソ連が本州に上陸して国土は分割されていたかもしれない。
終戦の詔書に作成は、反乱を懸念しつつ時間との闘いのなかで
クーデターを企てる不穏な空気もあったが、
玉音放送へとつなげることができた。
(いまの内閣にこれだけのことがなしえるとは到底思えない)

朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
(中略)
耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
(「大東亜戦争終結ノ詔書」)
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taisenkankei/syusen/pdf/syousyo.pdf

平成27年8月1日、宮内庁から
「戦後70年の節目に当たり、
70年振りに玉音放送用の録音原盤の再生を試みたところ、
直接、昭和天皇のお声の再生に成功、録音することができました」
ということで、原盤からの音声が公開されている。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taisenkankei/index.html

命をかけて戦争を終わらせるという昭和天皇の強い意思、
国民への思いが感じられる。
歴史の経緯を知ったうえではさらに感慨深いものがある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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現代の長崎へ戻ろう。
一瞬の閃光がもたらした廃墟と
現在の緑の大浦天主堂の対比から
過ぎ去った70年に思いをはせる。
戦争の記憶が薄れれているという実感。

原爆は戦争終結に役立ち有意義であったという他国の世論に対し、
淡々と事実を伝えていかなければならない。
市長は、以下のくだりで
被害者、加害者を越えて向き合うべきとのメッセージを込めた。

「単なる被害者としてではなく、“人類の一員”として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。」

そして、2015年のヒロシマ、ナガサキで
いまも被爆者が苦しんでいる現実。
そんな戦争の反省から日本国憲法が生まれたと綴る。

田上市長はさらに個々の相手に呼びかける。
日本政府への呼びかけで、
集団的自衛権への言及を取り上げるマスコミは少なくなかった。
(またもや部分的な引用に意味づけして対立を煽る)。

個々の問題への「はい」、「いいえ」、「どちらともいえない」を尋ねる電話での世論調査。
何度かかかってきたが、一度も答えたことはない。
本質の問いに気付かなければ(設定ができなければ)
見せかけの問いに答えたところで意味がない。

集団的自益権、安保関連法案の是非を問うのなら
それ以前に本質の問いがある。
平和とは何か? それは必要なものか?
平和は誰に何をどのようにもたらすのか?
平和の本質は何か?
それを獲得し維持するために
どのような行動が必要か?を考えるべきだろう。

ときの政権は本質をずらして強引に導こうとしている。
生命や安全までもが「記号」に置き換えられてしまう。
集団的自衛権や安保法案も道具でしかない。
(「戦争法案」のレッテル貼りも同じ穴のムジナ)
行動のもととなる理念、精神、運用の方針など
「どのように」使いこなすかが大切。

アジアを中心とする時代情勢を分析したうえで
なお採択に突っ走ることが問題である。
多くの人々は法案の中味よりもその行動が問題と感じている。
都合の良い解釈で盲目的に突き進んだあのときのように。
日本の歴史でこれほどの痛みと汚点はない。
その責任は子孫である私たちも負わなければならない。
それは、過去に学び、未来を拓くことだ。

政治に無関心なのは「丸投げ」を容認すること。
本来、人の生死は究極的には
その人の「判断」に帰属するもの。
政府に命を預けますか?
何でも政府に求めますか?
自分のことはまず自分で考え行動すべきでは?
どんな国(地域)にしたいのかも含めて。

○○が必要、○○があればだいじょうぶ、ではなく、
「どのように」の視点が欠けているのがいまの日本。
機能不全の政治と行政が補助金をばらまく。
日本の津々浦々で行われている地方創成の実態。
事業の例示や紐を付けたりすることなく
地域に任せたらいい。

残念ながら現在の市町村や県に自治の能力はないだろう。
(行政は全知全能になる必要はなく、民を活かす施策を考えて実行すれば良いのだが)
住民もサービスを当然のごとく受けるとして
義務を果たすことなくお客になってしまっている。

自分たちで生きていくことに目覚めること。
行政機構は、地域が自分で決められる小さな地域国家のような単位が必要だろう。
沖縄の問題は日本全体の問題であり、
我がこととして考えるべきだが、
決めるのは沖縄・宮古・八重山の人たちでありたい。
国は平和外交と民の活動が活発になる規制緩和や制度づくりで
民の活動を支えればいい。

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再度、長崎平和宣言に戻る。
国籍を問わずこの世を去らざるを得なかった人たち、
その傷を背負ってなお生きていく人々の気持ちを
平和宣言は背負っている。
過去に学び、振り返ってはいまに活かし、
未来につなげていくべきもの。
時代の空気を反映させることは自然なこと。

淡々と綴られる田上市長の宣言には
市民の思いを背負う責任、覚悟とそれゆえの客観性が感じられる。
それを踏まえたうえで、
長崎の市長だから言えること、言わなければならないことがある。
(それを政治色とレッテルを貼る御用マスコミの論調も常套手段)。

自分が考え判断すること。
田上市長の長崎平和宣言をご覧になってどうお感じになりますか?

長崎平和宣言(長崎市)
http://nagasakipeace.jp/japanese/peace/appeal.html

宣言の動画
https://www.youtube.com/watch?v=FtmIK5BgyyE
posted by 平井 吉信 at 23:09| Comment(0) | 生きる