2017年01月01日

新たな年のご多幸をお祈りいたします


混沌として暗い将来しか描けない社会にあって
ときに大所高所から、
ときに現場に腰を据えて
できることを考えていきます。

みなさまの健やかなくらしは
いつの世もいかなる日もそうあって欲しいと願っております。

一休宗純にも似た思いで
どちらさまにも年賀を差し上げなくなって十数年、
これにて年賀のごあいさつといたします。

2017年1月1日

今朝の野菊の花
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花の盛りは過ぎていても朝の光を露のように宿して照り返しています。
その恵みをみなさまにも。

この野菊はいつからか庭に自生するようになって数年、
昨夏の猛暑で地上の茎は枯れてしまったのだが、
冬を迎えて蘇った。
朝日を照り返す姿に
見守っている人間を
もしかしたら支えようとしているのではないか。
太陽に呼びかけようとしているかのよう。
小さくても凛としたその存在が多くの人の暮らしを照らす。
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今朝の神棚
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西日本のよろずの神々を斉祀っております。
この国の弥栄を祝詞に込めて奏上いたしました。

今朝の仏壇
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先祖、亡き肉親への感謝を込めて
読経いたしました。
(開経偈、般若心経、観音経、十三仏真言、光明真言、弘法大師宝号)

大晦日の産土神社
神々の弥栄を祈念するとともに
今年一年のご加護に感謝いたしました。
(明日の喧噪を前におだやかな神社の情景が心に残って大晦日に二度足を運びました)
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追伸
餅を食べ過ぎないようにね。

タグ:神社 2017
posted by 平井 吉信 at 12:01| Comment(0) | 生きる

2016年12月04日

冬の色 土佐佐賀の公園に立ち止まる(青柳裕介さんを回想)


中村からの帰り、国道56号線の海岸線を瞳に焼き付けつつ
最後の海岸線が土佐佐賀の公園。
空間にぐんと突きだした木のテラスに立って
太陽と潮風を全身に浴びる。
まるで細胞にでも取り込むように。
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そんななかに色彩を突然散りばめて存在する
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冬の日はモノクロームのようだが
南国幡多の国は色彩を帯びている。
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海風を遮るベンチの木漏れ日の朝
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幡多を離れてやがて自動車道に。
馬立SAで青柳裕介さんの「土佐の一本釣り」の壁画を見る。
純平と八千代が笑っている。
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(フジX-E2+XF14mmF2.8 R、XF35mmF1.4 R)

濃密な人間関係と風土のなかで生きていく人間を描いた作品。
物部川の支流を舞台にした「川歌」は全巻揃えている。
http://amzn.to/2fUBl0C

青柳さんの妻、香織さんへのドキュメンタリー動画が残されている。
「土佐の一本釣り」が生まれた背景、「川歌」への思い。
青柳さんの自然への思い、捉え方。
やなせたかし、牧野富太郎、森下雨村…。高知の男は魅力的だ。
https://www.youtube.com/watch?v=Zp2EIEIkZkQ
絶版となっている土佐の一本釣り、再版されないものだろうか?

酒を飲んだのはいつでしたか。
旅立たれたのは2001年だったとは。
香織さんへ遺した言葉は明るくも切ない。
時は待たない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9F%B3%E8%A3%95%E4%BB%8B

過去のブログから
http://soratoumi2.sblo.jp/article/57698390.html

posted by 平井 吉信 at 12:35| Comment(0) | 生きる

2016年09月06日

上勝で生きていく 思いは深いけれど自然体 澄んだ眼で未来をみつめる


先日の記事(2016.9.3)の追記情報です。

カフェ・ポールスターのオーナーである東輝実さんの寄稿が「上勝子育て帖」として
9月6日付の徳島新聞朝刊で掲載されています。
常にほんもの、すばらしいものを子どもたちに見せようとした
(例えば、有名な美術展があれば学校を休ませてでも子どもたちを連れていった)
いまは亡きご両親の思い出が綴られています。

あれは、2003年7月29日のこと。
生態系保全の先進国であるドイツから副総領事をお招きして
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大学の教授、ビオトープの専門家などとともに
当時中学2年生の輝実さんはコーディネータのぼくの隣に座って
パネル討論の壇上で堂々と意見を述べていました。
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このとき打ち上げにも参加されていた上勝町の笠松町長と、
輝実さんの母、ひとみさんたちが熱く語られていました。
役場と民間の有志が率先してのごみゼロへの取り組みは。
やがてゼロ・ウェイストをめざす動きへと発展しました。
事業を行うのも、組織を動かすのも、地域に浸透させるのも
思いの深さと冷静かつ大胆な行動です。
いま、輝実さんがご両親の足跡をたどりつつも
さらに高いところをめざされているような気がします。
カフェのご成功だけではない、
その思いの深さにご両親の分までも良き人生をと祈らずにはいられません。
(それが気負わず自然体でできる人ですから)

未来への航海(2003年12月23日) 徳島発 未来の地球へのメッセージを話し合うシンポジウム
(右から2人目)
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「四国一小さなまちの地球規模での挑戦」と題して上勝町の取り組みを著名人が多数参加するシンポジウムで説明(2004年1月23日)
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posted by 平井 吉信 at 22:08| Comment(0) | 生きる

2016年08月15日

盂蘭盆会2016年 現代のハスも古代のハスも


71回目の終戦の日、2016年8月15日、
今年も考えさせられることがあった。

現政権の本質を捉えていない経済政策の失敗は検証されないまま、
ときが過ぎていく。
安全保障、マスコミ統制、国民を管理する全体主義への流れ。
このような独裁政治が何を招いたか国民は忘れてしまったのだろうか?
国民が国に依存する流れを断ち切るためには
身近なところで意思決定を行える国のしくみが必要だ。
(大きな政府を維持できるシナリオはどこにもない)

省庁の移転を要請するのは中央集権の発想から抜け切れていない。
(消費者庁の移転をありがたく拝受するのでは何の意味もないよ)
地域ブロックが自治の基本とする国のしくみがあれば、
四国消費者庁を自ら設置できる。
地域ブロックが立法までも行う権限を持ち、
国全体で考えるべきことだけを中央政府に委譲するかたちでいい。

もうひとつは、象徴天皇という位置づけ。
平和を尊重し国民の幸福を願う思いの深さが
全身全霊からあふれるようで
公務を通じてこれからの日本が進むべき道を
無言の語りかけをされている。

ところが、政治に介入できない存在でありながら
政治利用しようとする動きが感じられる。
ご年齢と次代への円滑な継承を考えたとき
当たり前に認められるべきことさえ…。
(憲法でうたわれている基本的な人権とはいったい何だろう?)

憲法第9条が戦後の日本の発展に貢献したことは疑う余地がない事実。
(戦略とは、すること、しないことを明確にすることなので、戦争をしないことをうたうことで、限られた国家資源を集中して国の発展のために投下できた)
けれど、いまの憲法が最善とは思えない。
なし崩し的に恣意的解釈が拡大されるうえ、
政党政治が機能不全に陥っている。
つまり、あるべき国の姿と乖離している。

「改憲」とは、中央集権をさらに強める改正を行う人たちの言葉。
そうではなく、地方や国民が主体的に活動することをうたう憲法に変えていく。
未来に何を残すか(そのなかに生態系の価値もあるだろう)を
新しい憲法をつくって明確にしていく(加憲はごまかし)。
だから「改憲」ではなく別の言葉で表現したい。

ひとりの人間では手に余るようなことに思いをめぐらしているのも
やはり終戦を迎えるこの日だから。
何を受けついで何を改め何をつくって未来に渡していくかの責任が
誰にもあるはずだから。


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自宅の盂蘭盆会で読経を行った。
(例年と変わらない)

開経偈 
般若心経
観音経普門品偈
十三仏真言
光明真言
南無大師遍照金剛
ご先祖それぞれの回向
回向文
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僧侶の資格は持っていないけれど、
真言宗の流れに沿いながら観音経を添えているのが独自の視点。
(密教の奥義である曼荼羅宇宙の構造がまだ理解できていないので理趣経は読経していないが、漢音でのリズムと抑揚の心地よさは感じている)
先祖、身内だけでなく
戦争や災害で亡くなられた方にも向けている。


先日の徳島新聞で、板野町の4番札所、5番札所の近傍にある那東地区で
古代ハスの親水公園が完成され、地元で管理を行っているというので訪ねてみた。
ところが場所がわかりにくい。
探すこと半時間。
結局4番札所地蔵寺の遍路詰め所でお尋ねしてわかった。
Google地図
(地番がなくその場所を示せないので近傍の寺を示す)
https://www.google.co.jp/maps/dir//%E6%84%9B%E6%9F%93%E9%99%A2%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E4%B8%89%E7%95%AA%E5%A5%A5%E4%B9%8B%E9%99%A2,+%E3%80%92779-0111/@34.1397789,134.4043421,13z/data=!3m1!4b1!4m8!4m7!1m0!1m5!1m1!1s0x355374ff9d741699:0xe4e4cad102351af3!2m2!1d134.4393616!2d34.1397128

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現代のハスも古代のハスも変わることなく生きている。
対立や否定ではない世界をどのようにつくっていくか。
幸福が感じられる社会、持続的な社会を
どのように花開かせるか、日本が担う役割は深い。

ハスの宿す光がやわらかいと思う、2016年の盂蘭盆会。

タグ:スイレン
posted by 平井 吉信 at 12:43| Comment(0) | 生きる

2016年07月31日

地方創世ではなく、地域主権では?


災害の際、自助、共助、公助それぞれの役割を果たすことが必要である。
それは今後の日本のあるべき姿を考える際にも置くべき視点でないかと。

自助…自分のために、家族のために、組織のために自分ができること、義務を果たすこと。
共助…地区、地域のために、できること、義務を果たすこと。
公助…国民のために国ができること、義務を果たすこと。

住みやすい国となるためにはこれらが有機的にからむことで
個人や地域の成果をほかの地域へ、
国の施策が個人の幸福へとつながっていく。

ところが、日本は人口が多く、小さいとはいえ、国土は長い。
国が大枠の理念(方針)を示すとして、
憲法、法律、防衛以外に国がなすべきことは多くないのではないかと。

消費者庁の移転をめぐって地元では押せ押せムードが見られる。
消費者庁の移転に賛成か反対かは論点ではない。
自助、共助、公助に串を通すためにどうあるべきかの議論が先にあると思う。

現在の中央集権の制度が改まらない限り、消費者庁の移転は意味を持たず、
行政にとって弊害が大きいものとなろう。

セキュリティーの問題は技術的に解決できるだろうが、
問題はそれではなく意思疎通と思う。
Web会議が成立するのは、
同じ組織で同じ目的を持って業務を行うグループのブレーンストーミングや
メールだけの情報共有では問題ありと判断して行う場合などに限られる。
少なくとも相談事があって異なる組織からの参加者が
名刺交換から入るような場面ではWeb会議はなじまない。
(セキュリティではなくコミュニケーションの問題である)

ただし研修機能やなんらかの作業部隊を置いて
東京にいれば検証できない作業を行う機能の設置なら意味があろう。

例えば、こう考えてみる。
すでに徳島県は、西部、南部に県民局を設置しているが、
県内でも過疎地を活性化するために県庁(万代町)を移転する案も考えられる。
すでにある旧役場の庁舎や廃校跡を活用し、
神山 → 上勝 → 海陽 → 木屋平 → 木頭 → 佐那河内 → 一宇などと
数年程度で本庁を移していく。

もし、消費者庁の全面移転を望むのであれば
県庁も万代町からの移転を検討すべきだろう。
かちどき橋周辺の渋滞緩和に貢献、
停滞した過疎地へ多数の職員が居住、通勤することで経済のカンフル効果、
なかには気に入って移住する人も出るだろう。
万代町を民間に賃貸すれば歳入を増やせる。
まさに良いことずくめ(机上の上では)。
ところで、県庁の移転に支障があるという理屈であれば、
消費者庁も東京から徳島には来られない。
(ものごとは立場を変えて俯瞰すると本質が見えるかもしれない)


国と地方の関係性に目を向けることが本質である。
地方は立法機能(州法)を持たせるぐらいの自治と予算を持つことで
それぞれの地域力と人材を活かすことができる。
道州制の自治単位で地域政府として権限を持つべきだろう。


鉄のカーテンの崩壊以後の共産主義の行き詰まり、
(なれの果ては独裁)
格差拡大による資本主義の危機的な状況にせよ
(これまたなれの果ては?)
管理する側とされる側に二分化されることが不幸の原因ではないだろうか。
ポピュリズムの政治に、1億総評論家兼傍観者。
(補助金ばらまきも同様の社会リスクを内包している)
人口減の税収減、老朽化した社会資本の更新、
高齢化を支える財源の不足などを補うために税率を上げていくと
国家も経済も破綻してしまうだろう。


そうではなく、誰もが権利を持つが、義務も負う社会。
自助、共助が機能することが未来をつくる前提ではないだろうか。
日本は、世界に範を示せる資質を持っているように思う。
既存の失敗パターンから脱却して
新たな価値を提案、実践することで
未来への夢や希望が感じられる国になれないだろうか。

縄文の森では自治が機能していた。
あの時代に持続的な狩猟採取生活が機能したのは日本だけであった。
遠い過去に学ぶべき社会がある。

小さな政府をめざすとすれば
中央集権を打破しなければならない。
この点において、官僚も政治家も抵抗勢力となる。
しかしやり遂げなければならない。
原動力は、政治(政党)ではなく、国民の意識を上げること。

中央集権からの脱却のプロセスとして
人材育成(というよりは活躍の場を与える)がカギとなる。
志、分析力、行動力のある人材を民間から登用して政策立案に当たらせればいい。
(あるいは議員報酬をなくして実費弁償だけにしておいて議員を増やすという選択肢がある)

そのために行政には人材の目利きが求められる。
これまでも、WS、アート、デザイン、地域ブランドなどで
著名な人材を行政が過大評価しすぎて成果が出せない事例が続出した。
地元の行政自らが熱い心と醒めた目で小さな実験などで戦略を検証しつつ
PDCAサイクルを回していかなければならない。

posted by 平井 吉信 at 11:08| Comment(0) | 生きる

2016年07月22日

健康は生きる前提だけど目的ではないと思う 


待合室にいるときに気付いた。
破れを何カ所も繕っている靴下で診察を受けに来ていることを。
(でも気にしない。それで自分なんだから)
きょうは特定健診の結果を聴きに来たところ。

結果はすべてA。見るまでもない。
体重は高校を卒業した頃からいままでせいぜい2〜3sの変動内だし
今回のデータも10年前と変わっていない。
(まるで検査機関に賄賂を渡して数値を合わせたかのような)
歯も定期検診を除いて治療には行く必要がない。

10代の後半、100歳まで生きて人生を味わおうと決めた。
自分でレールを敷いていくのならそれが当然と考えたから。
あとは単純に徹底して実行するから気持ちがいい。
・煙草を吸わない(1本も吸ったことがない)
・パチンコや賭け事はしない(1回も行ったことがない。運命を自分で決められないことに費やすのは好きじゃない)
・意識して身体を動かすけれど、スポーツは特にやらない。
(健康のために生きるって矛盾しているよう。身体を動かすのが楽しいなら賛成)
・ラーメンはほとんど食べない(我慢しているのではなく食べたくない)
・スマートフォンは使わない。情報よりも考える時間、行動する時間が大切。予測や洞察力を身に付けたい人には不要かも。

健康診断で悪い数値があってもただ数値が悪いだけで
健康を損ねているとは限らない。
自分勝手な解釈は厳禁だけれど数値に一喜一憂しなくていい。
健康は、やりたいことをやり切る前提条件であって
ルーティンから自ずと付いてくるもの。
(イチローの哲学と実践に共感する)

健康でいることは手段であって目的ではないので
健康でなかったとしても受け容れて
できることからやればいい。


20世紀末、地球温暖化を見据えて
10年以上をかけて暑い夏に身体を慣らし、
エアコンを取り払ったのが数年前。
水分を取り過ぎないようにしているし、
扇風機も使わないけれど、快適に過ごせている。
(冷房が効いた環境に行くときは上着を持っていく)
ビールは飲んだあとにクルマの運転ができないので
飲まないようにしている。
料理に合わないという理由もある。
どうしても飲むときはノンアルコールの「龍馬1865」にしている。

アマゾンのレビューを見ると賛否両論だが
味覚を通してその人の食生活が見えるようでおもしろい。
日本ビール ノンアルコールビール 龍馬1865 6缶パック 350ml×24本
ぼくは、スーパードライや一番搾りなどとは比べられない上質と思う。


健康でいられるとしたら
その配当を誰かのために使い、社会に役立てられたらいい。
「いま」をそのまま受け容れるということは
「いま」できることに全力で当たるということ。
(将来は考えない。「いまでしょ」は哲学と思う)
タグ:イチロー
posted by 平井 吉信 at 00:30| Comment(0) | 生きる

2016年07月10日

きょうは参議院選挙の日 投票に行こう


イギリスの国民投票結果を見て考えたのは
重大な影響を及ぼす問題を国民投票にかけてはいけない、
という教訓ではないと思う。
しかし、国民一人ひとりが判断するには大きすぎる問題であることは確かである。

徳島では吉野川第十堰の可動堰化をめぐる住民投票が2000年に行われた。
論点をわかりやすく解説しつつ、
ハチマキや筵旗を排した手作りの楽しい啓発と
政治の色がつかない活動が家庭の主婦や学生にまで共感を広げた。

一人ひとりが真剣に考えて地域のことは地域で決める。
そのプロセスを構築して意思表示の場を提供する。
そこには地域エゴは存在しない。存在したら活動は広がっていない。
環境保全か安全かの二択ではなく、
先人の知恵に学びこれから数百年後も考えた選択であり、
持続可能な未来という経済合理性を評価するとともに
洪水や地震などの災害に対する安全性(意識も含む)を高め、
住民が自分たちの暮らしを見つめるきっかけとなったこと。
その成果は大きい。
その過程においては、
・客観的な事実を積みあげていく(「徳島方式」と呼ばれている)。
・イデオロギーを排してさまざまな立場の合意をつくっていく
・心に訴えかけていく(ただし煽らない、感情的に判断しない)。
・住民が判断すべきこと、判断できうる内容であったこと。
これがイギリスと吉野川の違いである。
そこには、「地域」(地域主権)というキーワードがある。
(さらに考察を進めれば、地域国家連合≒道州制への議論へと発展する)
吉野川の住民投票は、いまの日本が真剣に学ぶべき事例と思う。

→ 数年前に不慮の事故でお亡くなりになった姫野雅義さんの思考の日々が残されているのは財産である。
第十堰日誌


歴史を振り返ると
共産主義の社会実験は失敗に終わり、
残った国も行き着くところは独裁国家となっている。
努力するものが報われず、利権が跋扈する。
与えられた見せかけの平等への不満から
一部の国では国内の不満が高まるのを
愛国主義を煽って国外へ目を向けさせようとする。

一方で勝利者のように見えた民主主義も
既得権者が潤うだけで生活格差が拡大し
民衆の不満の一部は、極端な主張を支持するようになる。
(経済効率優先の社会の未来に幸福はないことは確かだ)

現時点でうまく行っているように見える国は
格差を是正するとともに、内需を拡大するために公正な競争の確保と
国内産業の保護をうまく両立させている北欧諸国、
永世中立国をうたい、金融センター機能と生産性の高い経済を構築したスイス、
あるいは、経済合理性ではかれない幸福の価値観を共有できたブータンではないか。

日本は、前述の地域の社会設計を参考にしつつ
世界のどの国とも等距離の平和外交を貫くことで
歴史と文化の魅力と共助を折り込んだ独自の世界観を構築できる。
その根底にある理念が憲法(9条)である。
SWOT分析風にいうなら、平和国家の強みを活かして
文化や技術を背景に観光立国としての存在感や産業の生産性を高めて
世界に範を示すことができる国―。
それがぼくが描いている日本の未来。
(何度も書くが憲法改正に賛成か反対かの問いは本質ではない)

ところが、いまの政権は変な方に行っている。
新たな価値観(国家の理念)を提示することなく
時代遅れの経済政策は格差の拡大をもたらし、将来の不安を増大させる。
(将来に希望を持てない若者を洗脳して軍に参加させようとでもするのか?)
元東京都知事、現首相をはじめ、偏った世界観の政治家の存在で
東アジアの国々とのきしみを生じた(失われた数年間の損失は計り知れない)。
(あれだけ半日思想にさらされながら日本に来られた中国の人たちがなぜリピーターになるのか。暴買いが終わってこれからが真の日中関係の再構築に入るのだと思う)
テロリストからねらわれる国家となってしまった。
(先のバングラデシュの事件は、日本人が「巻き込まれた」のではなく「ねらった」ものであることに注意)

めざすべき方向とはあまりに遠い政策の数々(政策とは呼べないが)。
・安保法案
・言論統制 → 政権に批判的なメディア、キャスターを締め付ける動き、それを察知したメディアの腰砕けの自主規制(情けない)
・教育の現場での政治の話を密告させる自民党のWebサイト(二十四の瞳の大石先生も密告されるだろう)。 
これらを見ていると、誰も止められず戦争に驀進した昭和の反省はどこに行ったのか。

そんななかで、ご高齢にもかかわらず
天皇皇后両陛下が国の内外で心に染みるメッセージを発信されている。
(日本の最高の外交は首相や外相ではなく、皇室や草の根の民間かもしれない)
等距離の平和外交を遂行するとしても
テロリスト(国家)の脅威への備えや災害への支援という意味から
自衛隊の存在意義は大きい。

近年では、海上自衛隊東京音楽隊の三宅由佳莉さんの歌が話題となっている。
彼女の歌には、災害救助や国防への誇りと使命感が感じられ、
国や国民への万感の思いが込められているようだ。
(しかも彼女の歌は、ヒロイックな歌からアニメソングまでこなす表現力)
そのいずれもが全力投球なのが伝わってくる。

おすすめのCD → 祈り~未来への歌声

これが同一の人だろうか?
https://www.youtube.com/watch?v=huK_pFyOkys
https://www.youtube.com/watch?v=TvDWJif1sSI

(SDFマクロスのリン・ミンメイを思い出した人、いますか? CDもプレミアム価格だ)
超時空要塞マクロス 飯島真理SONGメモリー 〜ミンメイ SINGS FOR YOU〜


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20代の頃、三内丸山遺跡を見に行った。
岡本太郎が主張する縄文土器や土偶の激しい芸術性に打たれた。
さらに、縄文の森で定住していた祖先のくらしは
21世紀に提示できる持続的な社会のあり方とわかった。
(生態系破壊と富の偏在をもたらす農耕文化とは異なる優れた社会)
温帯モンスーンの季節の移り変わりを
洗練された合理的な暮らしと情緒的な価値に高めた日本が
唯一の被爆国、深刻な原発事故を経験した国として
世界にリーダーシップを取っていけるはずである(それは大国の論理とは異なるもの)。

政治や政党には期待していないし、いかなる政治活動にも関わりたくない。
しかし、無力と絶望で傍観しているとどんどん社会は歪んでしまう。


脱原発を含む持続的なエネルギー政策(=価値観の転換)、
憲法9条の尊重、規制緩和、道州制、TPPへの対応など、
野党の政策のなかには部分的に共感できるキーワードが少なくない。
(だが、どの政党が政権をとってもうまくいきそうにない)
かつての与党では派閥や一家言を持つ重鎮の苦言など
一定のチェック機能が働いていたが、いまは機能しない。
このまま放置すれば、ますます社会が歪んで日本が理想の国から遠ざかる。
この選挙は与党を選ぶか野党を選ぶかの選択肢ではなく、
止められない暴走(過去への逆走)を転換させるための意思を示すこと。
(それは国民の義務)
政治の力学を考えれば、どのように行動すべきかはわかりやすい。

きょうは参議院選挙の投票日。投票には行きましょう。



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posted by 平井 吉信 at 11:29| Comment(0) | 生きる

2016年06月24日

風の強い日にまちなかで蝶が舞う



風が強い週末、立ち寄ったATMからの帰路に
水浴びをする小鳥を見つけた。
こちらが視野に入っているが
1メートルまで寄っても逃げない。
それどころか、再び水に入った。
生き物は敵意を感じなければ、
生きる営みを止めないのかもしれない。

さらに帰路で蝶を見つけた。
何度も蜜を吸いながら
次々と花を彷徨う。
自宅の近くなので
カメラを取りに行った。
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羽根の一部と花が同色ということが気に入っているのだろうか
それとも蝶は色盲で微妙な色の判別はできないのだろうか?
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蝶の種類はわからない。
 → ツマグロヒョウモンでは?

(ニコンD7000+AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR)

蝶は本能的に花を求めている。
シャッターの音は時間の刹那の衝動。
いまを感じて生きていく。
人も生き物も。


posted by 平井 吉信 at 22:59| Comment(0) | 生きる

2016年06月22日

雨ですね


クルマの前ガラスに滴る流れを観ている。
樹木の輪郭をぼやかしながら
とどまるところがない。
絶えず変化していくさまを、ただ見つめる。
そこには楽も苦もなく
ただ流れる時間があるだけ。
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誰かが流れた跡をたどる雫もいれば
自分でそこにとどまろうとする雫もいる。
でも、次の瞬間、誰かの雫とともに流れ落ちていく。
とどまるところを知らない宇宙の現象。
そこに感情を交えることなく刹那に呼吸する。

あるがままを受け止める時間は
瞑想をせずともやってきた。


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2016年06月19日

深山の天女 オオヤマレンゲ 水無月の剣山林道


木沢の山で人気投票を行うとすれば、どの山が上位に入るだろう。
ブナの大木のある権田山
難攻不落の平家平
福寿草の西三子山
ブナの森の天神丸、高城山
花の名峰 砥石権現
そんななかで断然人気を集めるのが樫戸丸。

風の広場から尾根沿いの登山道をたどる。
天然林のなかを快適に高度を上げていく。
山頂近くにオオヤマレンゲが咲く一角がある。
1時間少々の散策が時間のないまちびとの癒しとなっている。

スーパー林道沿いのファガスの森、
少し南へ下った四季美谷温泉では
それぞれ食事をしたり休憩することができる。

これは6月18日の記録。
登り始めると、トリカブトの群生を見ながら尾根をたどっていく。
基本的に尾根をはずさず山頂へ着くのだが
木々の花はやや盛りを過ぎている。
山野草では、登山口に近いところでタツナミソウを見かけるぐらい。
標高が1,400メートルに近づくと、フタリシズカが花穂を伸ばしている。
さらに上げると、背の高く目立つバイケイソウが白い花をつけている。
なによりもブナの木々に見とれてしまう。

スーパー林道から見えた高城山は一瞬日が射した
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風の広場からの登山道。まるで遊歩道のおもむき
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尾根を伝う散策路
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やがてブナが見えてくる
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フタリシズカが林床に点在する
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山の見通しはいい。その分深山幽谷のおもむきはないが
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苔や樹木の草に立ち止まる。そこには別の小宇宙があるから
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山頂があっけなく見えてきた
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山頂直下の森は雰囲気がある
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樫戸丸名物のダチョウの木を見つけられるかな? 登山者に大人気で写真を撮っていく場所
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オオヤマレンゲを追いかけてみよう 
この時期は虫との格闘(虫除けスプレーは効かない。サロンパスを貼るのがいいかもしれない)
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オオヤマレンゲは望遠レンズが必要だ
(ニコンD7000+AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR)

帰り道、見慣れぬ花が夕暮れにたたずんでいた
あじさいの葉に派手なホタルブクロが付いているような。
夕闇にひときわあでやかに立ち尽くす。
(園芸種のように見えるが、ここは人里離れた場所なので不可解)

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曇りの空気感は天女の気高さを映し出すが
日が射してほほえむ花弁はさらにいい。
また来年を楽しみに。

(追記)
ブヨをはじめ、蚊のような虫に刺されてかゆみが止まらず。
(ダニではなく、空を飛ぶ虫。女性は長袖、ネット付の帽子をどうぞ)








posted by 平井 吉信 at 01:25| Comment(0) | 生きる

2016年06月17日

目に見えないものを観ようとしなければ


ものごとの本質を見るためには
「何」に捕われすぎないようにしたい。
とりわけ政治家については注意深く見ていかなければならない。

不適切な行為や言動があればマスコミが取り上げるが、
その取り上げ方(見せ方)の背後にあるものに考えを巡らす。
ときの政権に対する姿勢(感度)の差異、
メディア戦術を操る大手広告代理店の存在。
それらが「どのように」見せようとしているのか。

目に見えることから目に見えない力学を読み解いていく。
立花隆さんがかつてロッキード疑獄を解明したように
表面に現れた現象から論理を組み立てつつ思考を発展させる。
(そのためには意図的に情報を遮断する時間が不可欠)

都知事の辞職までのマスコミや都民の反応は過熱気味であった。
前都知事が辞めることの可否だけに焦点が当たった。
(何者かの意図でそのように演出された気がする。何かから目を反らされたようでもあり)
異様な空気を感じる。

高級ホテルへの宿泊や公務との関連が疑わしい備品の購入は
反感を買うので庶民にわかりやすい。
法律違反であろうがなかろうが、為政者としてやって欲しくない。
(そのような姿勢で民のための政治はできない)

けれど、都民、国民にとっては失政のダメージの影響が大きいはずである。
(長期政権のあの知事はどうであったか?)

人気取りの政策、理念なき政策、不要不急な政策の実行、
悪意のある発言、社会に影響を与える言動など枚挙に暇がない。

・特定機密保護法
・安全保障法
・メディア規制の脅しの総務相の発言
(憲法違反では?)
・カネと権力の癒着
・近隣諸国との関係を悪化させる無神経な言動
(まずは関係性を改善しなければ正しい歴史認識にたどり着けないはず)
・福島の復興、原発問題
(新たな価値観に基づく客観的科学的な原発のあり方の議論が必要)
・経済政策の失敗
(いまの時代を直視して内需換気型への転換が必要)
・憲法改正の動き
(憲法を改良していくことは必要。しかし改正の意図・力学を見極めよう)

国民を守るための政治が、国民をないがしろに暴走を始めようとする。
歯止めをかけようとすると、つぶされてしまう。

国民は、個人が道を踏み外すことには容赦しない。
(不倫やパクリや使い込みは犯罪だが、いつの時代にもあるもの)
その傾向が強まったのはここ数年ではないか。
ところが政治が道を踏み外すことに寛容、無関心、もしくは気付かない。
(だから、やりたい放題)。
何をやっても変わらない無力感が個人バッシングに向かっているのかもしれない。

日常生活には変化はないように見える。
なじみのコーヒーショップや食べログの評判の店に行く限りでは。
しかし、少しずつ変化が現れていくはずである。
組織が道を踏み外すことに警鐘を鳴らそうとしていたキャスターたちが相次いで降板。
目に見えないものが少しずつ顕在化していき
気付いたときは後戻りできなくなっている。
ものごとが動くときは、誰も止められず奔流のごとく押し流していく。
戦争へ向かうときがそうだ。

政治や政党、政治家にはもはや期待していない。
さりとて、無関心になればなるほど、社会は歪められていく。
それぞれが異なる価値観を持ちつつ居場所と出番を見つけられる社会になればいい。
(言い換えれば「比べない」ということ。異なる価値観を認めるということは、共通部分に目を向けるということでしょう
そのためにできることはあるはず。
市民が良識を持って行政や政治に参画していくしくみをつくりたい。


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久しぶりの晴天に庭を見ると、それぞれに存在感を振りまいている。
今年初めて開花したキキョウ
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庭は使用済みの茶葉をふりまく以外の手入れはしない。
そうして毎年違った植物が生えてくるのを見ている。
初めてのムラサキツユクサ
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それぞれ一生懸命生きているんだね。
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社会を見て無力感を感じる日も、
庭の植物を見て心の居場所を置き換える。
木々や草花、流れる雲、水の表情、日の光、星のまたたきにはそんなやさしさがある。

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posted by 平井 吉信 at 13:14| Comment(0) | 生きる

2016年05月28日

ヒロシマでオバマ大統領が伝えたかったこと


安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから―。

この碑に刻まれた言葉の意味を
子ども心に感じていた。

これは慰めの祈りであるとともに
人類が未来の人類に対して誓った言葉だと。


原爆は多くの人の命を救ったやむをえない選択であった、
などと正当化する意見がある。
(これも偏った教育だろう)

しかし、原爆投下は誰も幸福にはしなかった。
人類の闇を見せられた誰もが被害者なのだ。
まずはそのことを自覚しなければならない。
だから、ヒロシマへ行くべきなのだ。
逃れることのできなかった被爆の苦しみを
我がこととして受け止めることが人の道だろう。


理想はわかっていても
遅々として事態が動いていかないと
人々はどうしても強硬意見に傾いていく。
(いまのアメリカはその病に陥っているようだ)
それは、解決をさらに遠ざける。

目に見えない暗黒の圧力は
若い日に平和を願い、プラハでは核のない世界を訴えた
ひとりの大統領の思いを呑み込んで流れた。

しかし、理念を訴えなければ
誰かの心には届かない、広がらない。
大国の大統領として、
核を行使した国として、
ヒロシマを訪問した意義は大きい。
(大統領退任後の責務を示したともいえる)。

ヒロシマ・ナガサキ、
そしてフクシマを経験した日本が
世界に貢献すべき道を示したできごとでもあった。

サミットでは、世界的な経済危機を演出してまで
経済政策の失敗を見せなくするとともに
消費増税の先送りの演出を腐心した一国の首相の姿があった。
(選挙で民意を問えばいいが、民意は気まぐれで本質が見えているかどうかわからない)

外交は本音と建て前が交錯する権謀の産物ではあるけれど
個人の思い込みでやるものではない。
日本で行うからには、世界に示す思想があるはず。

日本が誇れる目に見えないソフト。
それは、歴史や文化、科学技術、観光、コンテンツ産業、生産管理、災害対応など
あらゆる分野に及ぶ。
それらは未来を照らす燭光でもあるはず。
世界のどの勢力とも節度ある距離を持って
敵をつくらず貢献していく道があるはず。
国内で個性ある製品を、生産性の高いものづくりをしていけば
それを目を細めて買ってくれる人はたくさんいるはずだが、
そのマーケットは、スイスや北欧が占拠している。
人々の幸福を前提に、質の高い経済国家として先頭を切って走ることができるはず。
(いまやらなければならないのは、時代にそぐわない的外れの経済政策や理念のない五輪ではないはず)

冒頭の碑の言葉は、
主語をぼかしているのではなく
人類全体の責務として捉えて
核を含めた戦争のない社会へ取り組んでいく決意を込めたものと理解している。

オバマ大統領の功績は何だったか?
謝罪がなかった、などを問う前に
私たちはどんな未来に向かって
どのように行動するかを考えたい。


人の一生は限られている。
金持ちも貧乏も白人も黒人も関係なく
時間は等しく流れていく。
けれども時間の密度、
言い換えれば、満足感はまったく違う。
生きること―。
そこからの学びに感謝するとともに
楽しむことができたらどうだろう。


お金や経済といった尺度は邪魔になる、と排除することはしない。
(株価に一喜一憂するのはつまらないと以前から述べているのは経済システムを否定して仙人をめざしているのではなく、それらに左右されない社会をつくれば、自ずと経済システムも良くなるとの考えから)
お金や経済を否定するのではなく
その存在を肯定して(ただし捕われることなく)、
自分にも社会にも活かすこと。

実はそれは誰にでもできる。
たったひとつのことができたら。

それは、生きることに幸福を感じること。
(置かれている現在の環境のまま幸福を感じること)。
他力本願でも人と比べるのでもない。
視点を変えればできる。

テロや他国の脅威に名を借りて軍事産業の闇の力が
覆い被さってくることを身を持って知ったとしても
一人ひとりの幸福感が核なき世界への道のりを拓く。
オバマ大統領はそこに一縷の望みをつなごうとしたのではないか。


ぼくは幸福を感じる処方箋を伝えていこうと思う。
哲学、宗教、心理学、科学、芸術などの垣根を越えて
道は違えど同じ目標をめざして人は生きている。
幸福へ向かう道はある。
それに気付くことの大切さと処方箋を伝えていきたい。
(自分の利益のために動いた時点でメッセージは伝わらなくなる。新興宗教が人々の心に浸透しないのもそこにある。行為は無償であるべき)



posted by 平井 吉信 at 17:28| Comment(0) | 生きる

2016年05月19日

相生森林美術館 雨でも崖崩れでも音楽は踊る


友人の親しい知人が出演するということで
相生森林美術館へ出かけた。

ところが、当日の朝刊では…
美術館の手前の国道で前日の午後に崖崩れがあり通行できないとある。
幸いにも迂回路があって事なきを得た。

ミュージアムコンサート「トリオ・ルーチェ 新緑の光のなかで」
5月15日(日)午後2時開演
出演:トリオ・ルーチェ
(綾野幸恵:ヴァイオリン/田上和子:チェロ/釘宮貴子:ピアノ)

同時に開催されていた美術展では、
日本とフランスを行き来した三岸節子(みぎしせつこ)展も開かれている。
時系列で見ると作風の変化を感じることができる。
壮年期の花の絵が好みだ。
画家の若い頃の凛としたたたずまいが印象的。
(いずれも含めて入場料は500円)。

コンサート終了後に木のオブジェを見る。
どんなふうに曲げられた(接合された)のだろう。
このすぐ横で演奏されていた。
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小さなホールでありながら
フラッターエコーの発生がなく
木質であることもあって過剰な響きはない。
演奏者から5メートルぐらいで楽器の響きが直接飛び込んでくる。
(ただ、壁が近いこともあって楽器のバランスはとりづらく、室内がデッドで近距離なので溶け合うことは難しい)
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当日は雨で、最初は楽器が湿っていたようだけれど
途中から俄然鳴りが良くなった。
麗しいお三方の美演は、雨とともに地上に潤いをもたらす天使となった。
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外に出ると近所のお宅の庭が来場者を楽しませる
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赤いバラが桃色の小さな花の仲間に入れて欲しいと思っている
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この浮遊感はなんだろう。美術館の外でも展示が繰り広げられたわけだ。
(カメラはフジX20)

追記
館内の庭にあるハンカチノキの花は終わっていた。

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posted by 平井 吉信 at 16:38| Comment(0) | 生きる

2016年05月18日

600万画素のデジカメを使って2016年の日本を上空から眺める


全国から専門家と国の担当者を集めての会議の後、
新橋で知人の会社経営者と打ち合わせを兼ねて会食をしていたとき、
ぐらっと揺れた。
揺れる直前に通報が鳴っていたようだ。
(ぼくのはPHSなので通報機能は付いていない)

さて、今回の出張のお伴はフジのF31fdという
平成18年に発売されたデジタルカメラ。
 → FinePix F31fdの仕様

上空から眺める日本列島には感慨がある。
機内では窓に顔を寄せて飽きることなく下界を眺めている。
頭のなかの地図や地形を取り出しながら
模型のように見える日本列島の里山、都市が愛おしい。
この空の下、人々の営み、歴史と文化、それぞれの家族の物語がある。

小学校の頃の通信簿には、
休み時間にぼおっとして窓の外を眺めている子ども、
などと書かれたこともあった。

ところが、日本地図や世界地図を自在に描ける特技があり
「理想の住みたい架空のまち」の地図をチラシの裏に書いていた。
それは海辺であって、港と砂浜と岩礁地形、岬と湾があり
川が湾に流れ込んでいるもの。
少し遡れば渓谷に入り、子どもが冒険をしたくなるような沢がある。
河畔林をたどる子どもの冒険と魑魅魍魎との出会いを書いた物語(ファンタジー)も書いた。
(ご希望の方には読んでいただけるようにしたい)

国土地理院の地図を集めて、そして眺めてうっとりしている。
地図のどこがおもしろい?
そこから実際の風景を想像するのが楽しくて。
地図を見て、描いた世界と実際の違いを見るのが楽しくて。

当時見ていたテレビは、NHKの「新日本紀行」。
(風変わりな子ども)
先般亡くなられた冨田勲さんのオープニングが聞こえてくると
胸が高鳴る小学生だった。
高度経済成長で変わりゆく日本と変わらない日本がせめぎあいながら
ひとつの時代をつくっていた。
そこに生きる人々が時代に流されながらも紡いでいった。
そんなドキュメンタリーを食い入るように見つめていた。
(いまも変わっていないけど)


気流は安定していない
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やや高い高度を飛ぶ他の飛行機が見えた。
距離はそれほど離れていない。
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眼下に見下ろす雲が海に溶け込んでいくたたずまい
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(元画像を縮小しただけだが、600万画素ならではの階調とコントラストが美しい)

やがて雲の上に南アルプスの北岳をはじめとする3千メートルを超える山々が見えてきた。
やはりひときわ高く突き抜けた富士山が見えた。
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宿泊していたホテルの窓から。
東京には意外に緑が多いことに気付く。
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大井川だろう。黄色く濁っているのは増水しているから
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画像処理で先鋭化
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ヤマハのお膝元、浜名湖(先鋭化)
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伊勢志摩を遠くに見つつ、宮川と五十鈴川。伊勢神宮も見える
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数年前の紀伊半島の災害の爪痕か
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和歌山の風力発電所は晴れた日には四国からもよく見える。
あと少しで徳島空港に着陸。
変わりゆく日本、変わらない日本に思いを馳せつつ。
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タグ:東京
posted by 平井 吉信 at 22:34| Comment(0) | 生きる

2016年05月08日

かけがえのないこと 宍喰の寒茶のある暮らし そして甘みと旨味が溶け込んだ「寒茶物語」


1億総評論家が飲食店、宿泊施設、家電品を評価する時代。
自分で実際に判断すれば良いことだが、
失敗したくない、自分で判断できない人たちが
レビューを求めてネットサーフィンをする。
そこに途方もない時間が消費されている。
それを増長しているのがスマートフォン。

そこで、わかりやすいキャッチコピーとシズル感のある写真を見せ
限定などの煽りをきかせて買わせるのがマスマーケティング(楽天など)の手法となっている。
それゆえ、このようなサイトや○○○セレクションなどに登録されたものには
良いモノはほとんど見かけない。
(自分が生きていく身の回りのことは自分で実際に体験して判断しようよ)

「匠の技」「こだわりの逸品」「厳選した材料」
「有機JAS認定」「○○使用、だからこれこれ」などのフレーズを用いた商品を、
買わないようにしている。
(あくまで個人のモノサシですが)

その一方で、良いものは、なかなか浸透しない。
「○○産の○○グレードの材料を○○グラム使用して
手間のかかる○○製法でつくった逸品」といった情報はわかりやすいので
先入観(脳が味わう情報)に弱い私たちは飛びついてしまう。

星の王子様は、ほんとうに大切なものは目には見えない、という。
目に見えないことなので文字では伝えにくい。
社会にはほんの一握りだけれど、
目に見えることから、目に見えないものを推し量っていける人がいる。

目に見えることは、「何を」。
目に見えないけれど大切なことは「どのように」と定義すると、
豊かな人生とは、
「何を」ではなく、「どのように」を大切にする生き方と思う。

なぜ、それをつくっているのか?
どんな気持ちで取り組んでいるのか?
何を伝えよう、届けようとしているのか?

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徳島県最南端の海陽町宍喰(ししくい)地区には寒茶(かんちゃ)という茶がある。
山に自生している山茶を寒の時季(真冬)に摘み取って製茶していたもので、
全国的に寒茶と自称する製品はあったとしても
このような製法を見つけることは難しい。

茶が自生している宍喰の山中は
水をすくって飲めそうな清流、野根川の上流部。
携帯電話すらつながらない地区である。
そのような場所で、農薬を使わず自然に任せて生育した山茶を
わざわざ一年でもっとも寒い時季に摘み取るのはなぜか?

冬の寒さに耐える分厚い茶葉は
旨味を貯えるとともに、カフェインが少ないからである。
しかし、風味が奥に閉じ込められているので
高温の湯で抽出する必要がある(煮るという感覚に近い)。
だから寒茶は、急須に湯を注いですぐに飲んでも出ない。
やかんに煮だして、野良へ持っていて水筒代わりに飲むこともあったのではないだろうか。
地元では普段飲みのお茶として親しまれてきた。
いわば、暮らしの飲み物である(これが従来の寒茶)。

いまから数十年前、
野根川の夏を楽しみに宍喰町を訪れたとき、
キャンプ場の管理をされていた女性から楽しいお話を伺ったことがある。
山峡の地でそよ風に吹かれるような笑顔の女性は、石本アケミさんという。
そのとき、寒茶の存在を教えていただいた。
(同じ徳島県人にも知られていないのである)


生産者は70歳を越えているだろうか。
もともと、まとまった茶畑があるわけではなく
野根川に落ちる急峻な地形とも相まって
山峡の集落では効率的な生産は望めない。
それを高齢者が細々と
しかし、この茶を子どもや孫たちに伝えたいと
作業に励んでいる。
いまも、集落の高齢者が励まし合いながら寒茶の生産を続けている。

このままでは消えゆく運命にある宍喰の寒茶であるが、
東京からIターンで移住されたご夫婦が
地域と寒茶の可能性を信じて、地元の生産者を支援しつつ
寒茶の可能性を極限まで引き出した製品を開発された。
日比光則さん、裕子さんご夫妻である。

それは、寒茶の地平線を切りひらいたもので
水で抽出することもできるティーバッグ「寒茶物語」として提供されている。
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コーヒーでも水で抽出すると、まろやかな風味になることは知られている。
しかしそのために、数時間かけて抽出することが一般的である。
その抽出装置もそれぞれ工夫されている。
(私が行きつけの四万十市の喫茶ウォッチもそうである)

しかし、この製品「寒茶物語」は、水で数分で抽出できるよう茶葉を加工したもので、
オリジナルの寒茶とは異なる価値を提案している。

その風味は、茶の甘みが感じられ、飲んだあとに旨味があとを引く。
(すっきり風味のあとの名残感が飲んだ人をなごませる)
もちろん、湯で抽出してもいい。
その場合は、ウーロン茶で感じられるような、心地よい酸味が鼻腔に抜けていく。
この1杯の茶には、それを育てる自然の営みと
真冬の時期だからこそ茶葉に宿る風味を取り出したことと
寒茶のある風土と人々に共鳴して、惜しみなく支援を行ってきた思いが込められている。

寒茶物語の風味は、乳酸発酵で現在ブームとなっている阿波晩茶をはじめ、
一般的な紅茶や緑茶とも異なる風味である。
それでいて、誰が飲んでもすうっと飲める。
(個性と普遍性を高度に両立させているので、お茶に目がない人たちに味わっていただきたい)
そして、胃腸が弱い人や子ども、高齢者が飲んでも身体にやさしいのがいいところ。
(カフェインが少ないので)
真冬の茶葉に閉じ込められた旨味成分を「どのように取り出すか」を研究し
試行錯誤の末に実現できた開発者のひそかな高揚感すら感じられる。

寒茶物語は、徳島県南部の一部の場所でしか入手できない。
インターネットでの販売も検討されているようだが、
現時点では、道の駅宍喰温泉 産直市場「すぎのこ市場」(ホテルリビエラししくいの隣,道の駅宍喰)で入手できる。

facebookすぎのこ市場

ティーバッグなので飲みたいときにすぐに飲める。
けれど、わざわざ寒茶だけを味わい尽くす休日の時間も素敵。
このお茶には、ゆったりとした暮らしを楽しむきっかけが詰まっているから。
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徳島県最南端の宍喰町久尾の集落へ出かけて
野根川の清流と茶が自生する斜面を見ていただけると
寒茶に託した人々の思いが伝わってくる。
川からの薫風を感じる初夏からせみしぐれの夏、
寒茶の里を訪ねてみては?
(商品を買って産地を応援できるけど、それだけではなく直接現地を訪ねてみては?)

追記

寒茶を練り込んだ手延べ乾めんも完成した。
麺本体だけでも稲庭うどんに匹敵するおいしさである。
この麺は、つるぎ町の製麺所(本田製麺)に特注してつくられたもの。
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麺になにかを混ぜ込むことはどこでもやっているけれど
たいがいは風味よりも話題性が先行しているように思う。

ところが、「手延べつけ麺 寒茶」は、
麺だけですでに完結している世界観を持つ。

使用している国産小麦は、日比さんがかつて数ヶ月かけて
全国を訪ね歩いて見つけたものを生産者から直接購入されていると伺った。
安全安心とおいしさへの思いは深いが、そのことは売り文句として語らない。

そこに宍喰の寒茶の茶葉を使っている。
麺のゆで汁を飲んでみると
すでに寒茶の旨味が溶け込んでいる。

つけ麺は、日比さん特性の塩だれ。
(もちろん化学調味料や保存料は使用していない)
麺の風味を壊すことなく、塩で麺の甘みと旨味を引き出している。
茹でる時間は、5分程度。ゆであがりを水で締めてできあがり。
あまりにもプレーンでさりげないだけに
夏の暑さをものともしない涼しさを感じさせる。
手延べ乾めんに寒茶の旨味を閉じ込めた
この突き抜けた世界観は唯一無二のものだろう。
「手延べつけ麺 寒茶」は現代の千利休に味わっていただきたいと思う。
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手延べつけ麺は、日比さんの経営されているChannel R55が全国初と聞いている。
お店でもいただくことができるが、現在は、一時休業されているようである。
再開されれば本ブログでもお知らせしたい。


posted by 平井 吉信 at 17:46| Comment(0) | 生きる

2016年05月01日

九州を東から南へと駆け足で旅をする


前頁から続く)

三崎港から臼杵港に入り、別府へ向かうと鉄輪温泉郷の湯けむり
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地獄めぐりでは、海地獄は一見の価値あり
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お約束の血の池地獄
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温泉地獄蒸しプリン(明礬地獄)
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路上の隙間から湯気が立ちのぼる鉄輪温泉郷の夜
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大分牛の鉄板焼き
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コップのフチ子さん別府バージョン
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霧のかかる金鱗湖周辺(由布院)
日本語よりは韓国語や中国語が飛び交う
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俗化が進んだ場所を避けて散策
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薄曇りに春のきざし
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川沿いの壁から湧き出る湯(大分)。
湯の個性はもちろん、食事、とりわけ自家製の米は最高評価の炊きあがり。
立地の魅力や個性だけではない、あたたかいおもてなしを感じる宿。
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九州は日の国 至るところで火山活動 四国の人間は目を奪われるだけ
長者原
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阿蘇山(撮影は2008年)
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霧島国立公園内
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竹田市入田地区の水路橋。川は岩盤を削って流れる独特の地形。
九州のナイアガラの滝も同様の成り立ちか。
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白川水源で咽を潤す人々(南阿蘇村、2008年)
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高千穂神社の夫婦杉は手をつないで三周まわると良いそうだ
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曇りの日ではあったが、高千穂峡。秘境のごとく見えて観光地
子どもの頃から一度は見てみたい場所だったから満足
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天孫降臨の神話の里は神様を身近に感じる場所(天岩戸神社)
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景色を切り取るというよりその場が発する雰囲気に呼び寄せられる感じ
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天安河原は洞穴に祀られている。暗闇にたたずむオーラは重苦しささえ漂う
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裸踊りを舞うと見てみたくなる
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この清楚で凛とした雰囲気はなんだろう。天岩戸神社のもうひとつの宮(東本宮)
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新緑とともに萌える
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大地の鼓動の蒸気と硫黄臭
日本で最初の国立公園は霧島国立公園
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えびの高原から韓国岳をめざす(2014年)
硫黄山は立ち入りが制限されることも。
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まだ雪が残る韓国岳の斜面
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氷に朝日があたるとプリズムが現れる
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韓国岳の火口
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2011年に噴火した新燃岳
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えびの高原の池は噴火の痕跡なのか
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九州の川と滝はこのようなかたちが多い
丸尾の滝(霧島温泉郷)
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天降川(鹿児島)
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霧島神宮
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龍馬とお龍が(日本で初めてといわれる)新婚旅行にやってきたのはいつのことだったか
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宮崎といえば、チーズ饅頭(小林市、宮崎市)と鳥南蛮
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鹿児島といえば、かるかん(明石屋本店)
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天文館通りのラーメン
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これまでに泊まった宿で唯一5点満点をつけたいと思った(鹿児島)
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決して表面的な満足感に終わらせないのは
コストを抑えるために過剰なサービスをそぎ落とすとともに、
地元食材の料理は背伸びをしないのに完成度が高く
工程の標準化を進めているように感じられる。
目に見えないバックヤードのマネジメントがしっかりしているから安心感がある。
顧客の意見に振り回されることなく、冷静に強みを活かし、切り捨てるところを見極めている。
(旅行評価サイトのレビューは表面的な現象の感想にとどまっているが、その背後にどのような文化やしくみがあるかを感じることができればこの宿の真価が見えてくる)。
しかもここではミニチュアではないホンモノの自然が感じられる。
露天風呂で一緒になった男性は(鹿屋市在住というご近所)
ここが最高、親戚一同で泊まりに来た、という。
そういうぼくもリピーター。

全国第2位の茶の産地 知覧茶 普段飲みにも使うことが多い
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鹿児島の最南端は起伏のある地形を縫って走る
シルエットとなって待っているのは開聞岳
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川辺川や小川(こがわ)の魅力にも触れていない。
九重山系にも足を運べていない。
九州北部にもアプローチできていない。

九州は大きい。
月日は百代の過客にして
自分の非日常と誰かの日常が出会う日々もまた旅。
だから、自分を見つめることは誰かを見つめること、
ある地域を通して国の姿を映そうとしている。
自然の持つ恵みと災いのどちらも感じつつ
災いを怖れるだけでなく、
どのようにつきあっていくかがヒトの智慧。
観光地の魅力も大きいけれど、九州の潜在的な可能性はさらに大きい。

さらに屋久島、奄美へと続く海の旅路はいつかまた。


タグ:神社 九州
posted by 平井 吉信 at 22:12| Comment(0) | 生きる

2016年04月29日

分かち合う国 九州へと至るみち


2011年3月の東日本大震災が発生し、
容易ならざる事態と判明したことで
お金の拠出も含めて
自分としてできることを積み重ねていった。
一つひとつは小さなことでも
連帯感を持って生きていきたかったから。

そして半月後、自粛の雰囲気が横溢するなかで
旅行に出かけることとした。
(ただし遠出は避けた)

旅立つ3日前の春休みの日、
とある島の人気の宿に電話を入れてみると
空きがあるという。
奮発してその宿に泊まった。
おだやかな春の日に、
島めぐりのひなびた味わいとともに思い出となった。

あれから5年目の春に震災が起こった。
今回は、4月の第1週に旅に出た。
別府から由布院へのアクセスや
竹田から高千穂に抜ける国道57号線も被災した。
幸いにも霧島から宮崎は影響を受けなかったようだが、
数日ずれただけでなにごともなく旅は終わり四国へ戻った。

悪ふざけや悪意のある中傷は良くないが、
ぼくが被災者であれば、
被災しなかった人たちは遠慮することなく普段通りに過ごして欲しいと思う。
同情は要らない。
(自分のプレーで被災した人たちに)「勇気を与える」なんて言って欲しくない。
それは与えられるものでなく、自分で感じるものだから。
励ましの意図を込めたデザインや垂れ幕、SNSも不要。
(どちらかといえば、やっている人の自己満足では?)

腹をくくるしかない。
起こったことをすべて受け容れ、
まずは、身の回り1メートル四方を片づけることから始めたい。
次の日は、別の1メートル四方を、その次の日はさらに別の区画を…。

経済的な支援や人的なサポートは当然必要だが、
内なる力がなければ支援を受け止められない。
何が起こったかを評価するのではなく
その状態をどう認識するかが大切。
被災しなければ向かい合うことはなかった現実だけど
そこから学びがきっとあるはず。
日々懸命に生きていくなかで
心のなかにきらりと一条の光が見えたら。
(無理にポジティブシンキングに持っていくこととはまったく違う)
ささやかであっても、幸福を感じるセンサーは閉ざさないでください。


被災した人もそうでない人も
それぞれができることを行って
ひたむきに生きていく。
その過程で少しでも得られたものがあれば
多くの人と分かち合うことを考える国でありたい。

 → 九州に至る

タグ:九州
posted by 平井 吉信 at 14:06| Comment(0) | 生きる

2016年04月22日

春の名残を追いかけて いつのまにか薫風が季節を運ぶ


日本のような温帯モンスーンの国では
どこかで誰かが春を待っている。
季節が移り変わるから心が求めるのか
心が感じるから季節が通り過ぎていくのか。

その足跡は見えなくても
通り過ぎたあとには変化が起こる。

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どこにでも生えている野草でも希少種でも花は花

しだれ桜の名所が神山町に整備されたと聞いてやってきた。
ここへは、文化の森を過ぎて鮎喰川へ出会う前に左折する道をたどる。
地震の直前、竹田から高千穂へ抜ける小径で感じた春の気配と似ている。
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あいにく、しだれ桜は前日の嵐で吹き飛ばされているようだった。
それでも散策してみたい。
付近の山々は萌えている。
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枝に残る花びらを見つけた。
今年最後のしだれ桜の散りゆくときに立ち会えた。
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春の七草のひとつ ハハコグサともゴギョウとも
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今度は、神山の鬼籠野経由で帰ろうとすると
ノボリフジの名所、神光寺の表示があった。
ご真言を唱え賽銭を供えて花を見る。
良い雰囲気の小さな庭、阿弥陀如来、地蔵菩薩が花に浮かび上がるさまは極楽浄土。
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それは、人が朽ちていなくなったあとにもやって来る。
果たしてそうだろうか?
それを愛でる人がいなくなれば
春は来なくなるかもしれないのだ。


タグ: 神山
posted by 平井 吉信 at 00:20| Comment(0) | 生きる

2016年04月18日

熊本地震 民間だからできること 〜モンベルのアウトドア義援隊協力のご案内〜


熊本地震は連鎖的に被害が拡大している。
ひとりの人間としてできることはないだろうか?
そう考えている人は少なくない。

大手の公益的な団体などが募る義援金は
その使途の内容や支援内容の有効性など、
災害時に有効に活用されたかどうかの検証が必要と考えている。

クロネコヤマトやモンベルは民間企業であるが
厳しい経済環境でも業績を残している。
初動期に必要なもの、長期的に必要なことを見極めて
現場の視点で支援を行っている印象がある。

モンベルは、東日本大震災のときにも
援助物資(約300トン=トラック積載量換算)、
援助金(45,221,554円)を集め、
現地ボランティア約400名を送り込んだ。
現在も復興支援として、復興共生住宅の建造を担うなど
災害支援の勘どころを知っている。
(阪神淡路大震災のときからの経験を積み重ねている)
http://about.montbell.jp/release/disp.php?infomation_id=300

クロネコヤマトは、
東日本大震災 生活・産業基盤復興再生募金を設けて
142億円を被災地に役立てている。
しかもその目的、過程、内訳が明確である。

【採用指針】
1.見える支援・速い支援・効果の高い支援
2.国の補助のつきにくい事業
3.単なる資金提供でなく新しい復興モデルを育てるために役立てる。
http://www.yamatowf-saisei.jp/overview.html
(行政にここまでの透明かつ的確な運用ができただろうか?)

この2社はCSRに力を入れている企業である。
なにか役に立つことを考えている人は、
行動の選択肢に入れても良いかもしれない(ご判断は各自で)。


追記
軽量でかさばらず高性能なアウトドア用品は災害時に役立つものが多い。
山を趣味にしている人は自宅でも山用品を使っている人が少なくない。
普段から自然のたたずまいを感じながら生きることは
人生観を育むとともに、災害時の対応で自らを助けるかもしれない。
posted by 平井 吉信 at 11:06| Comment(0) | 生きる

2016年04月16日

自分で生きていく覚悟、誰かを助ける勇気、社会を見据えて行動すること


4月15日の朝、新聞を開いて驚いた。
(家族の誰一人として知らなかった)
熊本でM7の地震が発生したという。
しかし、当初の報道からは、
揺れはひどかったものの、甚大な被害であることはわからなかった。
数日が経過したいま、その実態が少しずつ伝わってきた。

インターネットは閲覧しなければ情報収集ができない。
テレビやラジオもスイッチをいれていないとわからない。
今回は、地震通知メールも流れてこなかった。

情報のすきまで、巨大地震の発生と紙一重の生活を送っていることに気付いた。

現実を直視すると、
電気が足りている状況で
地殻変動の活動期にさしかかった日本で
原発を再稼働させるという選択肢はありえない。

先の福井地裁の判決文が掲載されている。
http://www.news-pj.net/diary/1001
その最後が以下のように綴られている。

(ここから引用)
 他方、被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

 また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。

(引用ここまで)

誰も止められない政府の暴走に対して、
国の豊かさとは何かの本質を見据え、
机上の法律解釈から、暮らしを直視する方向へと転換した。
司法の暴走という人もいるだろうが、
そもそも人(その他もろもろの生物なども含めて)の幸福のために
司法が存在しているのではないだろうか。

株価が下がった、誰かがスキャンダルを起こした、
などのノイズを意図的に生活から遮断している。
今後もそのつもりだけれど、自分の生命は一人ひとりが守らなければならない、
そして、余裕があればまわりの誰かを。
できれば、そうならないための社会のしくみを。

そんな覚悟を持って生きていく時代に向かい合っている。

災害に遭われた方も、そうでない方も
ご無事とご安全を。


険しい環境でも花を咲かせる山野草がある。
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posted by 平井 吉信 at 10:57| Comment(0) | 生きる