2017年06月10日

ある日の東京 from 2017 flashback to 1991


バブルの時代、
空気を膨らませるように肩幅の広い衣装を着て闊歩していた主人公たち。

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「もっと上をめざす「クリスマスイブには!」
時代が押し上げてくれた(上げ底の)上昇感。
でも気流に乗り遅れそうな焦燥感。
理想を現実の間を感じながら取り繕う洒落た言葉、
(それができると先頭を走っている気がした)
地面から足が届かなくなるほど仮面を被った自分。
ふと、ためいきをつく(虚無感)。
素顔に戻れる相手、素顔を受け容れてくれる相手に
いつかめぐりあうかもしれない…。
求めつつも流されていく。
寂しい―。
あの日 あのとき あの場所で 君に会えなかったら…。

そこに小田和正が入ってきた。
(あの月曜9時のトレンディドラマを実は見ていない)

地球の歴史では、生命を絶滅させる大異変が数回起こっている。
奇跡的に生き延びた生命がその後に爆発的な進化を遂げた。
(マイナス50度で地球が凍り付く全球凍結、
地表が1,000度の灼熱地獄に包まれた隕石衝突…想像できる?)
手厳しいけれど地球の愛情なんだね。
バブルもそう。
浮かれることもよかった。それが崩壊することもよかった。
次の進化のための過程と捉えられるから。
バブル崩壊後の「失われた20年」ではなく、
「変革と創造の20年」と考えてみたら?
(乗り遅れたのは大企業だったけど)
いまの経済政策はこの流れに逆行している。
10年後、20年後の暮らしを見つめて
どの方向へ舵を切るかが必要。
目先の株価や成長率だけを追っていると
世界でもっとも宝物に恵まれた日本の良さを失ってしまうよ。
めざすべきは経済のリーダーではなく、世界に道を示す生き方のリーダー。
でもそれがかえって経済成長にもつながるはず。


あれから四半世紀、失ったものもあれば得たものもある。
時代を否定することも肯定することもなく
淡々と自分の生きる道を歩いていただけ。
バブルに乗ることはできなかったけれど
(乗りたかったけど、お金を持ち合わせていなかったから)
バブルに浮かれた時代、いい時代だったね。

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時代はときどき過去から未来へと手紙を届けるように
不定期なワープを仕掛けてくるね。
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携帯電話は限られた人だけ。
― いま、どこにいるんだろう。何をしているんだろう―。
つながるまでの時間が感情に水をたっぷりかける。

スマートフォンを持たないぼくは
まだあの頃の時間を体内に持っている。
(もしかしたら手放したくないのではないかと)

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いまの東京に泡が弾ける狂騒はないけれど
あのときの舞台のようなまちなみを感じつつ
東京を歩き、空を飛んだ。
仕事の余韻を楽しみつつ立ち去る2017年初夏の東京。

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タグ:東京 2017
posted by 平井 吉信 at 11:31| Comment(0) | 生きる

2017年04月12日

燃えさかる魂のいつかを


少女が見上げる視線の先にあるのは一条の光。
ひとつのことに打ち込める幸せな人生と
逃げ道のない過酷な運命を背負いながら
魂を鼓舞していくただひとり。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ハ短調の第1楽章に乗せて
蝶の舞いのごとく優雅に始まり、
はらはらと散る花吹雪となって駆け抜け、
鬼気迫る刹那で締めくくる。
手が届きそうなところまでたどりついたのだが。

綿綿と愛を奏でる第2楽章もいつかは終わるように
跳躍し続ける魂もいつしか地上へ降りていく。
そのとき、あなたは何を振り返る?
記憶のなかで取り出して、ぼくは何を思う?

ほら、すべてをかけるコーダがやってきた。
次々と息をはずませる間もなく
時間のはざまの火の鳥がそこにいる。
銀盤の中央で光る身体のまま永遠に。

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追記
ラフマニノフの2番のCDを買う前に全曲聴いてみたい人は
YouTubeでどうぞ。
辻井伸行とBBCで
https://www.youtube.com/watch?v=dGX3temma5Q

タグ:2017
posted by 平井 吉信 at 00:33| Comment(0) | 生きる

2017年03月30日

四国巡礼 旅を想う カナダからのお遍路


春はお遍路の季節。
四国巡礼の旅、空海の遺徳を忍ぶ旅人は宗派も民族も問わない。
土佐佐賀の展望台はいつも小休止を取るところ。
抗うことを忘れたひねもすのたりのたりの海。
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車から降りて歩いていると展望台があった。
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展望台から海を眺めていると、ぼくの後ろから人影。
地図を眺めているようだ。
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ここは声をかけるのが礼儀と、
「何かわからないことはありますか? ここがどこかわかりますか?」
と日本語で話しかけた。
(外国人だから英語というのは先入観で、まずは日本語で話しかけてみる)
「ニホンゴ ワカラナイ」

ここからは英語で(それを日本語に訳してブログへ)。
「いまいるのはこの辺りですよ」(ローマ字表記の地図を指さして)
「ああ、わかります」
「きょうはどこまで行きますか?」
「ナダまで」
「岬のあるところですね。ここからだと10km少々でしょう。天候がいいのですばらしい歩きになりますよ」
「そう思います」(自分の身なりを指さして)「きょうはそこで泊まります」。
「灘には公的なキャンプ場ではありませんが、休む場所があって快適に泊まれるでしょう。四国に来て何日になりますか?」
「35日です。徳島ではお遍路をたくさん見かけましたが、高知県西南部ではあまり見かけません。公共交通を使っているのでしょうか?」
「距離が長いですからそんな人もいるでしょう」
(5本指のタビのような靴やハイドレーションを見て)
「アクティブな装備ですね。特に靴がいい」
 彼女はアウトドアの装備である。
「とても楽でいいですよ」
「合理的と思います。ぼくも遍路するなら白装束や杖や傘は持たずにあなたのようなアウトドア装備で行きたいですね。ところで、どちらから来られましたか?」
「カナダから」
「もし伺ってよければ、仕事は?」
「科学者です。研究が一段落して次の研究が秋から始まるのでこうして一人旅を楽しんでいます」
 なるほど、サバティカルリーブ(適当な日本語訳が思い浮かばない)のようなものなのだろう。
「うらやましい! ぼくはこれから仕事で四万十市へ行くところです」
「どんな仕事で?」
(略)
「あ、そうそう。写真を撮ってもいいですか?」
「どうぞ」
「一枚だけ。ありがとう。良い旅の幸運を祈ります」
「あなたも」

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旅はいい。
風が自由だから。
自由な旅をしていたことを思い出してなつかしくもあった。
日本人がめずらしいのか、子どもが照れながら付いてくる。
(いや、地方に行ったときは日本人の子どもも遊んでくれたけど)

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生きていることそのものが人生の旅ではあるけれど
旅心をどこかに置き忘れてはいないだろうか。
いや、置き忘れたのは旅心ではなく、旅に憧れる気持ち。
それさえあれば、いつでもどこからでも始められる。
いまはゆとりがなくても、時間をつくることができなくても
憧れを温めて続けて人生のいつかの時期にスイッチを入れてみる。
そんな時間はきっと訪れると信じて生きていく。
旅は、それがあると思い浮かべるだけで愉しく過ごせる人生快適化装置。

posted by 平井 吉信 at 23:07| Comment(0) | 生きる

2017年03月23日

証人喚問


テレビで断片を見ただけ。
でも、その人は誠実に対応されているように見えた。
(ウソをついているようには見えなかった)
確かに一連の行為は誉められたものではない。
けれど、私人を招へいするよりも先に招へいすべき関係者がいるはず。
当該事件に関係した官僚は証人として国民に答える義務がある。

誰かの感情を損ねれば、手続きやルールは容易にねじまがる―。
この証人喚問の実現そのものが問いただすべき構造を象徴している。
この事件は、21世紀の日本であっても、
戦前と同じように、いやそれ以上の独裁政治が起こりえることを国民に示してしまった。
もし何らかの関与があったのなら、まだましだ。
働きかけがないのに、ねじまがったとしたら、
その力学こそあぶり出すべき本質だ。
今回は氷山の一角に過ぎない。

淡々と事実を確認している質問者(野党)があった反面、
下品で感情的に煽っていた質問者(与党)もあった。
自分たちは同じ穴の狢ではないという心象を植え付けるために
証人の証言に傷を付けようとしていた。
ここは国会の場であるというのにその品格のなさ。
それらの政党は国民の心象を損ねただろう。

証人には偏った世界観はあったとしても
それを実現するために手段を選ばなかったとしても
信念を持って生きてきた人と思った。
煽りにも同調せず冷静に対応していた。

ときの権力者がでっち上げれば
たやすく重大な犯罪者にされることを意味する共謀罪。
近隣諸国との対立を深めつつ
おとなしく従順な国民をつくる教育はそのシステムの仕上げ。
マイナンバー、マスコミへの恫喝(キャスターの退任)、
消費税引き上げ、円安誘導、一億総活躍、補助金ばらまきなども
個々の政策だけを見ているとわからなくても並べてみると
国民を統制する国家像が見えてくる。
そのようなつまらない未来は誰も選ばない。

経済ではなく、幸福感が生きる基準になる。
国に依存しない自主性、自律性、個性を大切にする(ぼくが理想と考える)未来。
安全な食糧が国内で安定的に確保され(これこそ真の安保だ)
生産者の暮らしが成り立つ。
憲法にうたわれる健康で文化的な暮らしが約束される社会であって
教育には熱心でその機会は誰にでも開かれている。
伸びようとする才能や、限りない知恵の探究を支える。
(カネになる研究だけでなく、じっくりと基礎研究や誰もが顧みない分野を深掘りするのもいい)

それでも学歴よりも創造性や職人の技が尊重される。
(日本がめざすべき生産性の高い経済のお手本はスイスだろう。ITやシステム化が進む社会で標準化の思想、合理化の手法、思想教育などを押しつけるのはかえって未来のリスク要因)
住民は直接的に政治や自治に参加している。
政治家は兼務で報酬はボランティア程度。
政党はなく、特定のイデオロギーにも支配されない。
自分たちのお金が、自分たちの考えで自分たちのために使われ、
その過程や結果が目に見えるので賄賂や利益誘導は自ずと発生しない。

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そこに日本ならではの文化や風土(世界中の人がうらやむクールな日本)が漂い、
ものだけでなく、生き方や風土や社会の姿が憧れの国となる。
そのための理念、中長期の方針、アクションプランも描けるだろう。

関心をそらす仕掛けやサプライズに惑わされず、
目に見える現実(そのように見させている構図に気付くこと)から
目に見えない背後の力を見よう。
悪意を持って与えられる社会ではなく、つくりたい未来を描く国になろう。
一人ひとりがその気持ちを強く持って行動することだ。

事件を解明して幕引きではなく
なぜこのようなことが起こりえるのか、
特定の人物や組織が国を支配しようとする動きを
どうすれば防げるのか?
政党政治ではなく、国民が未来をつくるしくみに転換していくこと。
(いつも言っているように、地域が主権を持つこと。四国のことは四国で決められること。そして多くの人が政治に関わることが必要。徳島と高知を1人の議員が担うなんて馬鹿げている。サラリーマン、子育て中の主婦、成人後の学生、場合によっては公務員すらも構わない。議員は兼業で実費弁償だけの報酬で良いのだ。国会議員と県議会議員を区別する必要があるとも思えない)
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追記
ぼくは、天皇陛下を尊敬し日本の国家も国旗もそして何よりこの国が好きな愛国者と思っているけれど、右でも左でも保守でも革新でもないし、どの政党もイデオロギーも支持はしない。日本は、東アジアの近隣諸国とはもちろん、イスラム圏も含めて中立的に良好な関係を築ける数少ない可能性をもった国と信じている。カネのばらまきや軍事力だけが外交ではないのだ(もちろん自衛力は不可欠で自衛隊の役割は大切)。近隣諸国の嫌がることはせず、公害防止や食品の安全確保など相手にとって必要な技術やソフトを支援することで良好な関係が築ける(それこそ相手国の国民が望んでいることだろう)。日本を批判する外堀が埋まってしまえば互恵的な関係を築くのは難しくないはずで、それが日本の国益に叶うことなのだ。



タグ:2017
posted by 平井 吉信 at 23:32| Comment(0) | 生きる

2017年03月10日

消防車 赤いヒーローは子どもの人気者


午前中に市役所で消防フェアがあると、
広報車が廻ってきた。
生きているのかわからないほどの日々だけれど
それはみんな同じ。
いまこのときも親の介護や資金繰りや子育てに必死の人たちがいるはず。
そんな人たちのひとときの安らぎの時間になりたい。

概観の凹凸とレバーの多さ、メカニカルな造形を後ろから見る
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真剣に聴く人、ていねいに説明する人。
フェイスブックなら「いいね」と押すところ。
(もう流行は下火になったようだけど)

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あのシリーズをつくった円谷プロ風でもあり
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このディティール、曲線の流れとそれが突然切られた視点の力
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空高く誘う。子どもの夢はいつも空にあるから
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こんな体験もいつか役に立つかもしれない。火に対する対処を心の奥深くに刻んで
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どんな道具が現場に役に立つか。想定内も想定外も隊員の使命感と勇気と工夫にささえられている
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竹輪を持った小松島のキャラ。これはたぬぽんだったっけ? 商工会議所さん
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→ 「こまポン」でした。

良い写真だな(ぼくの写真ではなくて、人々の表情がおだやかで)
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嫌なニュースが続くこの頃、
限界を超えてしまったかのような国際情勢、
国内でも独裁への道を進む勢力がちらりと見せた事件の断片、
あの日から6年を迎えるというのに教訓を進化できない私たち。
(暴力や主義主張に流されない静かな革命が必要だろう)
何が起こっても不思議でない危機的な社会に言葉にならない重さを感じる。
それでも、ヒトの営みが好きになる一日。
かすかな力であっても思いを込めた光が存在し
それを集めることはできる。
その力がいまにも消えそうな明日を照らすと信じて。

(フジX-E2+XF18-55mmF2.8-4)

追記

こんなイベントでした。
【イベント内容】
●消防車両の乗車体験・放水体験・装備品の展示
●AEDの取り扱いを含めた心肺蘇生法等の救急体験
●防災スタンプラリー(景品プレゼント!)
●地震体験車で南海地震を体験しよう
●煙体験ハウスで煙の怖さを学ぼう
●炊き出し訓練(試食あり!)
タグ:小松島 2017
posted by 平井 吉信 at 21:40| Comment(0) | 生きる

2017年02月02日

19回太陽が廻って2月2日は神山の休日、上一宮大粟神社と大粟山の物語


創業して19年目の今日は、2が二つ並ぶ日。
太陽が19回廻って水瓶座に戻ってきた。

仕事は次々と押し寄せて少し疲労感(with充実感)はあるけれど、
それもまた人生。

そんなとき、ほのかに季節を感じつつ
しっとりと濃淡を散りばめたやさしい料理が欲しくなる。
行こう、神山へ。

いつもの店で出てきたのは
ホウボウの煮付け、鳥の唐揚げ。
それぞれ、いい。
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季節を先取りした菜の花のおひたしなどもある。
これでじゅうぶん。

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3分の食事の日常を、
半時間かけて食べる非日常に変えてくれる。

文旦のデザート
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小学生の頃、来ていた毛糸の服をいまも着ている
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料理だけではない居心地の良さは
お迎えしていただく店の方々の品格あってゆえ。

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今年はじめて上一宮大粟神社へ行ってみる。
神社の下にクルマを停めて石段を上がるときめき。
(神社の境内近くまでクルマを乗り入れずに下から歩くのがいい)
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手水の使い方の説明が少女のイラストで。
人形のアリスちゃんの里がえりの物語をふと思い出した。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/174363083.html
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ここへ行くとは知らせていなかった相棒が、
そういえば、注連縄が新しくなったらしいと教えてくれる。
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日本麻振興会による動画が掲載されている。
https://www.youtube.com/watch?v=Pu73v42SYiQ
2016年10月9日に奉納されたとのこと。
地元の方々で賑わっている。
大切な信仰の山、神社、土地である。

参拝では個人的なお願いはしない。
ご祭神(大宜都比売)とこの国の弥栄を祈るだけ。
そしてただありがたく。

あそこに粟の紋様が付いている、と指さすので見ると確かに。
(いつも指摘に感心するが、先入観なくものごとを見ているのだろう)
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こんなことも言う。
オバマさんは好きだけど、社会に変革をもたらすことはできない。
社会(毒)を薬で治そうとするから。治されたくない人が抵抗するから。
トランプ大統領の出現は必然で、
薬を受け付けない人が勘違いして毒を受け付けてしまう。
けれど短命に終わる政権。
誰も幸福にはならないことがすぐに露呈するから。
しかし毒と薬は紙一重。実はそのなかに新しい時代の萌芽がある。
その役割は(本人も意図せず)崩壊の引き金を引くこと。
毒を毒で洗い流し、既得権や既成の価値観がひっくり返る。
歴史のなかでトランプ政権は変革を呼び出すスイッチ、との意見。

(小泉政権の作用に似ているのだともいう。その後の民主党政権を生み出す流れをつくりだしたが、その揺れ戻しは強烈に働いた。それは政党政治の終焉を意味しているとぼくは思う)
なるほど、政治や経済はまるで素人の話だけれど、そういう感じ方もあるのだろう。


インターネットではこの神社はパワースポットとの言い回しや
特別な場所という表現がときどき見られるが
(それはそれで肯定したい)
それは、全国で○○川の鮎は日本一というのに似ている。
(日本一の鮎や邪馬台国は全国どこにでもあるのだ。それでいい)

→ 地元ケーブルテレビ制作「第三回 阿波古代史プロジェクト「天岩戸は神山で開いた」〜阿波に広がる古事記の世界〜」https://www.youtube.com/watch?v=lbDf0zvcjFo

それよりも上一宮大粟神社の醸し出す雰囲気が好きだ。
風雪に耐えた時間の悠久を感じさせる。


神社とゆかりのある隣の神宮寺にも立ち寄る。
ここの庭園は山懐のひたひたと迫る場所にあり
心地よい分散と集中を感じさせる庭の配置となっている。
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地蔵様にもぬくもりを。
施した人の心も、施された地蔵尊のお顔も、ぬくい。
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ぼけ封じの観音様は現代風の凛々しいお顔。
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ランチを食べた店でイラストの地図を手に入れたので見ていると、
大粟山に常設アートがあるという。
神社から登るのではと見当を付けて境内へ戻ると
たまたま上から降りてきた人がいたのでお尋ねすると
クルマで車道から行くといい、上には祠があるだけ、とのこと。

そこでコットンフィールドから廻っていくと
大久保の棚田へ出た。
なるほど、大粟山を半周したことになる。
これは行きすぎた。
途中で山へ入る細い分岐があったのでそちらへ入ると
どうやら林間にアートらしきものが。

釣り鐘のようなオブジェだが、竹の切り口でできている
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クルマを停めて次々と見つけながら
森を散策していく。
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針葉樹がほとんどだけれど
樹間の木漏れ日が宝物のようだ。
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高いところがもうないので
ここが上一宮大粟神社の背後にある大粟山の山頂のようだ。
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往路と道を変えて下っていると
神社の方向へと下る道があり、
しばらく下ると神社の社務所へと出た。
やはり上一宮大粟神社から大粟山へ通じる散策路があったのだ。
思ったより近い。
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神山の氣にふれた半日。
魂をふくよかなに広げた神山の休日も過ぎて、
次は20年目の2月2日か、と思いつつ仕事に戻っている。
いつもと変わることなく今日が終わる。
ただ受け容れて、ぼうっとありがたくもある。
ほのぼのと―。





posted by 平井 吉信 at 21:56| Comment(0) | 生きる

2017年01月19日

雲間 アスファルト 南風


年度末なので移動の頻度と距離が長い。
県北、上勝、愛媛…を半日でなど。
ブログもメールも手つかず。
年賀状は1世紀お待ちください…。
(一度でもいただいたのなら、またこちらから出したのも含めて未来無期限有効としたします)

といいながら、1月に入って初めての休みに束の間のひとこま。
オープンカーの勢揃いに、
雲間からの日射しが錯乱し
潮風に吹かれてヤシがしゃべる。
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雲間 アスファルト 南風、の連想ゲームは
南阿波サンライン。
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その心は、
人も植物も雲も生きている、ということ。
posted by 平井 吉信 at 23:59| Comment(0) | 生きる

2017年01月01日

新たな年のご多幸をお祈りいたします


混沌として暗い将来しか描けない社会にあって
ときに大所高所から、
ときに現場に腰を据えて
できることを考えていきます。

みなさまの健やかなくらしは
いつの世もいかなる日もそうあって欲しいと願っております。

一休宗純にも似た思いで
どちらさまにも年賀を差し上げなくなって十数年、
これにて年賀のごあいさつといたします。

2017年1月1日

今朝の野菊の花
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花の盛りは過ぎていても朝の光を露のように宿して照り返しています。
その恵みをみなさまにも。

この野菊はいつからか庭に自生するようになって数年、
昨夏の猛暑で地上の茎は枯れてしまったのだが、
冬を迎えて蘇った。
朝日を照り返す姿に
見守っている人間を
もしかしたら支えようとしているのではないか。
太陽に呼びかけようとしているかのよう。
小さくても凛としたその存在が多くの人の暮らしを照らす。
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今朝の神棚
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西日本のよろずの神々を斉祀っております。
この国の弥栄を祝詞に込めて奏上いたしました。

今朝の仏壇
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先祖、亡き肉親への感謝を込めて
読経いたしました。
(開経偈、般若心経、観音経、十三仏真言、光明真言、弘法大師宝号)

大晦日の産土神社
神々の弥栄を祈念するとともに
今年一年のご加護に感謝いたしました。
(明日の喧噪を前におだやかな神社の情景が心に残って大晦日に二度足を運びました)
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追伸
餅を食べ過ぎないようにね。

タグ:神社 2017
posted by 平井 吉信 at 12:01| Comment(0) | 生きる

2016年12月04日

冬の色 土佐佐賀の公園に立ち止まる(青柳裕介さんを回想)


中村からの帰り、国道56号線の海岸線を瞳に焼き付けつつ
最後の海岸線が土佐佐賀の公園。
空間にぐんと突きだした木のテラスに立って
太陽と潮風を全身に浴びる。
まるで細胞にでも取り込むように。
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そんななかに色彩を突然散りばめて存在する
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冬の日はモノクロームのようだが
南国幡多の国は色彩を帯びている。
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海風を遮るベンチの木漏れ日の朝
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幡多を離れてやがて自動車道に。
馬立SAで青柳裕介さんの「土佐の一本釣り」の壁画を見る。
純平と八千代が笑っている。
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(フジX-E2+XF14mmF2.8 R、XF35mmF1.4 R)

濃密な人間関係と風土のなかで生きていく人間を描いた作品。
物部川の支流を舞台にした「川歌」は全巻揃えている。
http://amzn.to/2fUBl0C

青柳さんの妻、香織さんへのドキュメンタリー動画が残されている。
「土佐の一本釣り」が生まれた背景、「川歌」への思い。
青柳さんの自然への思い、捉え方。
やなせたかし、牧野富太郎、森下雨村…。高知の男は魅力的だ。
https://www.youtube.com/watch?v=Zp2EIEIkZkQ
絶版となっている土佐の一本釣り、再版されないものだろうか?

酒を飲んだのはいつでしたか。
旅立たれたのは2001年だったとは。
香織さんへ遺した言葉は明るくも切ない。
時は待たない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9F%B3%E8%A3%95%E4%BB%8B

過去のブログから
http://soratoumi2.sblo.jp/article/57698390.html

posted by 平井 吉信 at 12:35| Comment(0) | 生きる

2016年09月06日

上勝で生きていく 思いは深いけれど自然体 澄んだ眼で未来をみつめる


先日の記事(2016.9.3)の追記情報です。

カフェ・ポールスターのオーナーである東輝実さんの寄稿が「上勝子育て帖」として
9月6日付の徳島新聞朝刊で掲載されています。
常にほんもの、すばらしいものを子どもたちに見せようとした
(例えば、有名な美術展があれば学校を休ませてでも子どもたちを連れていった)
いまは亡きご両親の思い出が綴られています。

あれは、2003年7月29日のこと。
生態系保全の先進国であるドイツから副総領事をお招きして
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大学の教授、ビオトープの専門家などとともに
当時中学2年生の輝実さんはコーディネータのぼくの隣に座って
パネル討論の壇上で堂々と意見を述べていました。
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このとき打ち上げにも参加されていた上勝町の笠松町長と、
輝実さんの母、ひとみさんたちが熱く語られていました。
役場と民間の有志が率先してのごみゼロへの取り組みは。
やがてゼロ・ウェイストをめざす動きへと発展しました。
事業を行うのも、組織を動かすのも、地域に浸透させるのも
思いの深さと冷静かつ大胆な行動です。
いま、輝実さんがご両親の足跡をたどりつつも
さらに高いところをめざされているような気がします。
カフェのご成功だけではない、
その思いの深さにご両親の分までも良き人生をと祈らずにはいられません。
(それが気負わず自然体でできる人ですから)

未来への航海(2003年12月23日) 徳島発 未来の地球へのメッセージを話し合うシンポジウム
(右から2人目)
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「四国一小さなまちの地球規模での挑戦」と題して上勝町の取り組みを著名人が多数参加するシンポジウムで説明(2004年1月23日)
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posted by 平井 吉信 at 22:08| Comment(0) | 生きる

2016年08月15日

盂蘭盆会2016年 現代のハスも古代のハスも


71回目の終戦の日、2016年8月15日、
今年も考えさせられることがあった。

現政権の本質を捉えていない経済政策の失敗は検証されないまま、
ときが過ぎていく。
安全保障、マスコミ統制、国民を管理する全体主義への流れ。
このような独裁政治が何を招いたか国民は忘れてしまったのだろうか?
国民が国に依存する流れを断ち切るためには
身近なところで意思決定を行える国のしくみが必要だ。
(大きな政府を維持できるシナリオはどこにもない)

省庁の移転を要請するのは中央集権の発想から抜け切れていない。
(消費者庁の移転をありがたく拝受するのでは何の意味もないよ)
地域ブロックが自治の基本とする国のしくみがあれば、
四国消費者庁を自ら設置できる。
地域ブロックが立法までも行う権限を持ち、
国全体で考えるべきことだけを中央政府に委譲するかたちでいい。

もうひとつは、象徴天皇という位置づけ。
平和を尊重し国民の幸福を願う思いの深さが
全身全霊からあふれるようで
公務を通じてこれからの日本が進むべき道を
無言の語りかけをされている。

ところが、政治に介入できない存在でありながら
政治利用しようとする動きが感じられる。
ご年齢と次代への円滑な継承を考えたとき
当たり前に認められるべきことさえ…。
(憲法でうたわれている基本的な人権とはいったい何だろう?)

憲法第9条が戦後の日本の発展に貢献したことは疑う余地がない事実。
(戦略とは、すること、しないことを明確にすることなので、戦争をしないことをうたうことで、限られた国家資源を集中して国の発展のために投下できた)
けれど、いまの憲法が最善とは思えない。
なし崩し的に恣意的解釈が拡大されるうえ、
政党政治が機能不全に陥っている。
つまり、あるべき国の姿と乖離している。

「改憲」とは、中央集権をさらに強める改正を行う人たちの言葉。
そうではなく、地方や国民が主体的に活動することをうたう憲法に変えていく。
未来に何を残すか(そのなかに生態系の価値もあるだろう)を
新しい憲法をつくって明確にしていく(加憲はごまかし)。
だから「改憲」ではなく別の言葉で表現したい。

ひとりの人間では手に余るようなことに思いをめぐらしているのも
やはり終戦を迎えるこの日だから。
何を受けついで何を改め何をつくって未来に渡していくかの責任が
誰にもあるはずだから。


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自宅の盂蘭盆会で読経を行った。
(例年と変わらない)

開経偈 
般若心経
観音経普門品偈
十三仏真言
光明真言
南無大師遍照金剛
ご先祖それぞれの回向
回向文
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僧侶の資格は持っていないけれど、
真言宗の流れに沿いながら観音経を添えているのが独自の視点。
(密教の奥義である曼荼羅宇宙の構造がまだ理解できていないので理趣経は読経していないが、漢音でのリズムと抑揚の心地よさは感じている)
先祖、身内だけでなく
戦争や災害で亡くなられた方にも向けている。


先日の徳島新聞で、板野町の4番札所、5番札所の近傍にある那東地区で
古代ハスの親水公園が完成され、地元で管理を行っているというので訪ねてみた。
ところが場所がわかりにくい。
探すこと半時間。
結局4番札所地蔵寺の遍路詰め所でお尋ねしてわかった。
Google地図
(地番がなくその場所を示せないので近傍の寺を示す)
https://www.google.co.jp/maps/dir//%E6%84%9B%E6%9F%93%E9%99%A2%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E4%B8%89%E7%95%AA%E5%A5%A5%E4%B9%8B%E9%99%A2,+%E3%80%92779-0111/@34.1397789,134.4043421,13z/data=!3m1!4b1!4m8!4m7!1m0!1m5!1m1!1s0x355374ff9d741699:0xe4e4cad102351af3!2m2!1d134.4393616!2d34.1397128

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現代のハスも古代のハスも変わることなく生きている。
対立や否定ではない世界をどのようにつくっていくか。
幸福が感じられる社会、持続的な社会を
どのように花開かせるか、日本が担う役割は深い。

ハスの宿す光がやわらかいと思う、2016年の盂蘭盆会。

タグ:スイレン
posted by 平井 吉信 at 12:43| Comment(0) | 生きる

2016年07月31日

地方創世ではなく、地域主権では?


災害の際、自助、共助、公助それぞれの役割を果たすことが必要である。
それは今後の日本のあるべき姿を考える際にも置くべき視点でないかと。

自助…自分のために、家族のために、組織のために自分ができること、義務を果たすこと。
共助…地区、地域のために、できること、義務を果たすこと。
公助…国民のために国ができること、義務を果たすこと。

住みやすい国となるためにはこれらが有機的にからむことで
個人や地域の成果をほかの地域へ、
国の施策が個人の幸福へとつながっていく。

ところが、日本は人口が多く、小さいとはいえ、国土は長い。
国が大枠の理念(方針)を示すとして、
憲法、法律、防衛以外に国がなすべきことは多くないのではないかと。

消費者庁の移転をめぐって地元では押せ押せムードが見られる。
消費者庁の移転に賛成か反対かは論点ではない。
自助、共助、公助に串を通すためにどうあるべきかの議論が先にあると思う。

現在の中央集権の制度が改まらない限り、消費者庁の移転は意味を持たず、
行政にとって弊害が大きいものとなろう。

セキュリティーの問題は技術的に解決できるだろうが、
問題はそれではなく意思疎通と思う。
Web会議が成立するのは、
同じ組織で同じ目的を持って業務を行うグループのブレーンストーミングや
メールだけの情報共有では問題ありと判断して行う場合などに限られる。
少なくとも相談事があって異なる組織からの参加者が
名刺交換から入るような場面ではWeb会議はなじまない。
(セキュリティではなくコミュニケーションの問題である)

ただし研修機能やなんらかの作業部隊を置いて
東京にいれば検証できない作業を行う機能の設置なら意味があろう。

例えば、こう考えてみる。
すでに徳島県は、西部、南部に県民局を設置しているが、
県内でも過疎地を活性化するために県庁(万代町)を移転する案も考えられる。
すでにある旧役場の庁舎や廃校跡を活用し、
神山 → 上勝 → 海陽 → 木屋平 → 木頭 → 佐那河内 → 一宇などと
数年程度で本庁を移していく。

もし、消費者庁の全面移転を望むのであれば
県庁も万代町からの移転を検討すべきだろう。
かちどき橋周辺の渋滞緩和に貢献、
停滞した過疎地へ多数の職員が居住、通勤することで経済のカンフル効果、
なかには気に入って移住する人も出るだろう。
万代町を民間に賃貸すれば歳入を増やせる。
まさに良いことずくめ(机上の上では)。
ところで、県庁の移転に支障があるという理屈であれば、
消費者庁も東京から徳島には来られない。
(ものごとは立場を変えて俯瞰すると本質が見えるかもしれない)


国と地方の関係性に目を向けることが本質である。
地方は立法機能(州法)を持たせるぐらいの自治と予算を持つことで
それぞれの地域力と人材を活かすことができる。
道州制の自治単位で地域政府として権限を持つべきだろう。


鉄のカーテンの崩壊以後の共産主義の行き詰まり、
(なれの果ては独裁)
格差拡大による資本主義の危機的な状況にせよ
(これまたなれの果ては?)
管理する側とされる側に二分化されることが不幸の原因ではないだろうか。
ポピュリズムの政治に、1億総評論家兼傍観者。
(補助金ばらまきも同様の社会リスクを内包している)
人口減の税収減、老朽化した社会資本の更新、
高齢化を支える財源の不足などを補うために税率を上げていくと
国家も経済も破綻してしまうだろう。


そうではなく、誰もが権利を持つが、義務も負う社会。
自助、共助が機能することが未来をつくる前提ではないだろうか。
日本は、世界に範を示せる資質を持っているように思う。
既存の失敗パターンから脱却して
新たな価値を提案、実践することで
未来への夢や希望が感じられる国になれないだろうか。

縄文の森では自治が機能していた。
あの時代に持続的な狩猟採取生活が機能したのは日本だけであった。
遠い過去に学ぶべき社会がある。

小さな政府をめざすとすれば
中央集権を打破しなければならない。
この点において、官僚も政治家も抵抗勢力となる。
しかしやり遂げなければならない。
原動力は、政治(政党)ではなく、国民の意識を上げること。

中央集権からの脱却のプロセスとして
人材育成(というよりは活躍の場を与える)がカギとなる。
志、分析力、行動力のある人材を民間から登用して政策立案に当たらせればいい。
(あるいは議員報酬をなくして実費弁償だけにしておいて議員を増やすという選択肢がある)

そのために行政には人材の目利きが求められる。
これまでも、WS、アート、デザイン、地域ブランドなどで
著名な人材を行政が過大評価しすぎて成果が出せない事例が続出した。
地元の行政自らが熱い心と醒めた目で小さな実験などで戦略を検証しつつ
PDCAサイクルを回していかなければならない。

posted by 平井 吉信 at 11:08| Comment(0) | 生きる

2016年07月22日

健康は生きる前提だけど目的ではないと思う 


待合室にいるときに気付いた。
破れを何カ所も繕っている靴下で診察を受けに来ていることを。
(でも気にしない。それで自分なんだから)
きょうは特定健診の結果を聴きに来たところ。

結果はすべてA。見るまでもない。
体重は高校を卒業した頃からいままでせいぜい2〜3sの変動内だし
今回のデータも10年前と変わっていない。
(まるで検査機関に賄賂を渡して数値を合わせたかのような)
歯も定期検診を除いて治療には行く必要がない。

10代の後半、100歳まで生きて人生を味わおうと決めた。
自分でレールを敷いていくのならそれが当然と考えたから。
あとは単純に徹底して実行するから気持ちがいい。
・煙草を吸わない(1本も吸ったことがない)
・パチンコや賭け事はしない(1回も行ったことがない。運命を自分で決められないことに費やすのは好きじゃない)
・意識して身体を動かすけれど、スポーツは特にやらない。
(健康のために生きるって矛盾しているよう。身体を動かすのが楽しいなら賛成)
・ラーメンはほとんど食べない(我慢しているのではなく食べたくない)
・スマートフォンは使わない。情報よりも考える時間、行動する時間が大切。予測や洞察力を身に付けたい人には不要かも。

健康診断で悪い数値があってもただ数値が悪いだけで
健康を損ねているとは限らない。
自分勝手な解釈は厳禁だけれど数値に一喜一憂しなくていい。
健康は、やりたいことをやり切る前提条件であって
ルーティンから自ずと付いてくるもの。
(イチローの哲学と実践に共感する)

健康でいることは手段であって目的ではないので
健康でなかったとしても受け容れて
できることからやればいい。


20世紀末、地球温暖化を見据えて
10年以上をかけて暑い夏に身体を慣らし、
エアコンを取り払ったのが数年前。
水分を取り過ぎないようにしているし、
扇風機も使わないけれど、快適に過ごせている。
(冷房が効いた環境に行くときは上着を持っていく)
ビールは飲んだあとにクルマの運転ができないので
飲まないようにしている。
料理に合わないという理由もある。
どうしても飲むときはノンアルコールの「龍馬1865」にしている。

アマゾンのレビューを見ると賛否両論だが
味覚を通してその人の食生活が見えるようでおもしろい。
日本ビール ノンアルコールビール 龍馬1865 6缶パック 350ml×24本
ぼくは、スーパードライや一番搾りなどとは比べられない上質と思う。


健康でいられるとしたら
その配当を誰かのために使い、社会に役立てられたらいい。
「いま」をそのまま受け容れるということは
「いま」できることに全力で当たるということ。
(将来は考えない。「いまでしょ」は哲学と思う)
タグ:イチロー
posted by 平井 吉信 at 00:30| Comment(0) | 生きる

2016年07月10日

きょうは参議院選挙の日 投票に行こう


イギリスの国民投票結果を見て考えたのは
重大な影響を及ぼす問題を国民投票にかけてはいけない、
という教訓ではないと思う。
しかし、国民一人ひとりが判断するには大きすぎる問題であることは確かである。

徳島では吉野川第十堰の可動堰化をめぐる住民投票が2000年に行われた。
論点をわかりやすく解説しつつ、
ハチマキや筵旗を排した手作りの楽しい啓発と
政治の色がつかない活動が家庭の主婦や学生にまで共感を広げた。

一人ひとりが真剣に考えて地域のことは地域で決める。
そのプロセスを構築して意思表示の場を提供する。
そこには地域エゴは存在しない。存在したら活動は広がっていない。
環境保全か安全かの二択ではなく、
先人の知恵に学びこれから数百年後も考えた選択であり、
持続可能な未来という経済合理性を評価するとともに
洪水や地震などの災害に対する安全性(意識も含む)を高め、
住民が自分たちの暮らしを見つめるきっかけとなったこと。
その成果は大きい。
その過程においては、
・客観的な事実を積みあげていく(「徳島方式」と呼ばれている)。
・イデオロギーを排してさまざまな立場の合意をつくっていく
・心に訴えかけていく(ただし煽らない、感情的に判断しない)。
・住民が判断すべきこと、判断できうる内容であったこと。
これがイギリスと吉野川の違いである。
そこには、「地域」(地域主権)というキーワードがある。
(さらに考察を進めれば、地域国家連合≒道州制への議論へと発展する)
吉野川の住民投票は、いまの日本が真剣に学ぶべき事例と思う。

→ 数年前に不慮の事故でお亡くなりになった姫野雅義さんの思考の日々が残されているのは財産である。
第十堰日誌


歴史を振り返ると
共産主義の社会実験は失敗に終わり、
残った国も行き着くところは独裁国家となっている。
努力するものが報われず、利権が跋扈する。
与えられた見せかけの平等への不満から
一部の国では国内の不満が高まるのを
愛国主義を煽って国外へ目を向けさせようとする。

一方で勝利者のように見えた民主主義も
既得権者が潤うだけで生活格差が拡大し
民衆の不満の一部は、極端な主張を支持するようになる。
(経済効率優先の社会の未来に幸福はないことは確かだ)

現時点でうまく行っているように見える国は
格差を是正するとともに、内需を拡大するために公正な競争の確保と
国内産業の保護をうまく両立させている北欧諸国、
永世中立国をうたい、金融センター機能と生産性の高い経済を構築したスイス、
あるいは、経済合理性ではかれない幸福の価値観を共有できたブータンではないか。

日本は、前述の地域の社会設計を参考にしつつ
世界のどの国とも等距離の平和外交を貫くことで
歴史と文化の魅力と共助を折り込んだ独自の世界観を構築できる。
その根底にある理念が憲法(9条)である。
SWOT分析風にいうなら、平和国家の強みを活かして
文化や技術を背景に観光立国としての存在感や産業の生産性を高めて
世界に範を示すことができる国―。
それがぼくが描いている日本の未来。
(何度も書くが憲法改正に賛成か反対かの問いは本質ではない)

ところが、いまの政権は変な方に行っている。
新たな価値観(国家の理念)を提示することなく
時代遅れの経済政策は格差の拡大をもたらし、将来の不安を増大させる。
(将来に希望を持てない若者を洗脳して軍に参加させようとでもするのか?)
元東京都知事、現首相をはじめ、偏った世界観の政治家の存在で
東アジアの国々とのきしみを生じた(失われた数年間の損失は計り知れない)。
(あれだけ半日思想にさらされながら日本に来られた中国の人たちがなぜリピーターになるのか。暴買いが終わってこれからが真の日中関係の再構築に入るのだと思う)
テロリストからねらわれる国家となってしまった。
(先のバングラデシュの事件は、日本人が「巻き込まれた」のではなく「ねらった」ものであることに注意)

めざすべき方向とはあまりに遠い政策の数々(政策とは呼べないが)。
・安保法案
・言論統制 → 政権に批判的なメディア、キャスターを締め付ける動き、それを察知したメディアの腰砕けの自主規制(情けない)
・教育の現場での政治の話を密告させる自民党のWebサイト(二十四の瞳の大石先生も密告されるだろう)。 
これらを見ていると、誰も止められず戦争に驀進した昭和の反省はどこに行ったのか。

そんななかで、ご高齢にもかかわらず
天皇皇后両陛下が国の内外で心に染みるメッセージを発信されている。
(日本の最高の外交は首相や外相ではなく、皇室や草の根の民間かもしれない)
等距離の平和外交を遂行するとしても
テロリスト(国家)の脅威への備えや災害への支援という意味から
自衛隊の存在意義は大きい。

近年では、海上自衛隊東京音楽隊の三宅由佳莉さんの歌が話題となっている。
彼女の歌には、災害救助や国防への誇りと使命感が感じられ、
国や国民への万感の思いが込められているようだ。
(しかも彼女の歌は、ヒロイックな歌からアニメソングまでこなす表現力)
そのいずれもが全力投球なのが伝わってくる。

おすすめのCD → 祈り~未来への歌声

これが同一の人だろうか?
https://www.youtube.com/watch?v=huK_pFyOkys
https://www.youtube.com/watch?v=TvDWJif1sSI

(SDFマクロスのリン・ミンメイを思い出した人、いますか? CDもプレミアム価格だ)
超時空要塞マクロス 飯島真理SONGメモリー 〜ミンメイ SINGS FOR YOU〜


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20代の頃、三内丸山遺跡を見に行った。
岡本太郎が主張する縄文土器や土偶の激しい芸術性に打たれた。
さらに、縄文の森で定住していた祖先のくらしは
21世紀に提示できる持続的な社会のあり方とわかった。
(生態系破壊と富の偏在をもたらす農耕文化とは異なる優れた社会)
温帯モンスーンの季節の移り変わりを
洗練された合理的な暮らしと情緒的な価値に高めた日本が
唯一の被爆国、深刻な原発事故を経験した国として
世界にリーダーシップを取っていけるはずである(それは大国の論理とは異なるもの)。

政治や政党には期待していないし、いかなる政治活動にも関わりたくない。
しかし、無力と絶望で傍観しているとどんどん社会は歪んでしまう。


脱原発を含む持続的なエネルギー政策(=価値観の転換)、
憲法9条の尊重、規制緩和、道州制、TPPへの対応など、
野党の政策のなかには部分的に共感できるキーワードが少なくない。
(だが、どの政党が政権をとってもうまくいきそうにない)
かつての与党では派閥や一家言を持つ重鎮の苦言など
一定のチェック機能が働いていたが、いまは機能しない。
このまま放置すれば、ますます社会が歪んで日本が理想の国から遠ざかる。
この選挙は与党を選ぶか野党を選ぶかの選択肢ではなく、
止められない暴走(過去への逆走)を転換させるための意思を示すこと。
(それは国民の義務)
政治の力学を考えれば、どのように行動すべきかはわかりやすい。

きょうは参議院選挙の投票日。投票には行きましょう。



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posted by 平井 吉信 at 11:29| Comment(0) | 生きる

2016年06月24日

風の強い日にまちなかで蝶が舞う



風が強い週末、立ち寄ったATMからの帰路に
水浴びをする小鳥を見つけた。
こちらが視野に入っているが
1メートルまで寄っても逃げない。
それどころか、再び水に入った。
生き物は敵意を感じなければ、
生きる営みを止めないのかもしれない。

さらに帰路で蝶を見つけた。
何度も蜜を吸いながら
次々と花を彷徨う。
自宅の近くなので
カメラを取りに行った。
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羽根の一部と花が同色ということが気に入っているのだろうか
それとも蝶は色盲で微妙な色の判別はできないのだろうか?
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蝶の種類はわからない。
 → ツマグロヒョウモンでは?

(ニコンD7000+AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR)

蝶は本能的に花を求めている。
シャッターの音は時間の刹那の衝動。
いまを感じて生きていく。
人も生き物も。


posted by 平井 吉信 at 22:59| Comment(0) | 生きる

2016年06月22日

雨ですね


クルマの前ガラスに滴る流れを観ている。
樹木の輪郭をぼやかしながら
とどまるところがない。
絶えず変化していくさまを、ただ見つめる。
そこには楽も苦もなく
ただ流れる時間があるだけ。
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誰かが流れた跡をたどる雫もいれば
自分でそこにとどまろうとする雫もいる。
でも、次の瞬間、誰かの雫とともに流れ落ちていく。
とどまるところを知らない宇宙の現象。
そこに感情を交えることなく刹那に呼吸する。

あるがままを受け止める時間は
瞑想をせずともやってきた。


タグ:
posted by 平井 吉信 at 18:02| Comment(0) | 生きる

2016年06月19日

深山の天女 オオヤマレンゲ 水無月の剣山林道


木沢の山で人気投票を行うとすれば、どの山が上位に入るだろう。
ブナの大木のある権田山
難攻不落の平家平
福寿草の西三子山
ブナの森の天神丸、高城山
花の名峰 砥石権現
そんななかで断然人気を集めるのが樫戸丸。

風の広場から尾根沿いの登山道をたどる。
天然林のなかを快適に高度を上げていく。
山頂近くにオオヤマレンゲが咲く一角がある。
1時間少々の散策が時間のないまちびとの癒しとなっている。

スーパー林道沿いのファガスの森、
少し南へ下った四季美谷温泉では
それぞれ食事をしたり休憩することができる。

これは6月18日の記録。
登り始めると、トリカブトの群生を見ながら尾根をたどっていく。
基本的に尾根をはずさず山頂へ着くのだが
木々の花はやや盛りを過ぎている。
山野草では、登山口に近いところでタツナミソウを見かけるぐらい。
標高が1,400メートルに近づくと、フタリシズカが花穂を伸ばしている。
さらに上げると、背の高く目立つバイケイソウが白い花をつけている。
なによりもブナの木々に見とれてしまう。

スーパー林道から見えた高城山は一瞬日が射した
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風の広場からの登山道。まるで遊歩道のおもむき
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尾根を伝う散策路
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やがてブナが見えてくる
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フタリシズカが林床に点在する
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山の見通しはいい。その分深山幽谷のおもむきはないが
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苔や樹木の草に立ち止まる。そこには別の小宇宙があるから
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山頂があっけなく見えてきた
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山頂直下の森は雰囲気がある
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樫戸丸名物のダチョウの木を見つけられるかな? 登山者に大人気で写真を撮っていく場所
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オオヤマレンゲを追いかけてみよう 
この時期は虫との格闘(虫除けスプレーは効かない。サロンパスを貼るのがいいかもしれない)
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オオヤマレンゲは望遠レンズが必要だ
(ニコンD7000+AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR)

帰り道、見慣れぬ花が夕暮れにたたずんでいた
あじさいの葉に派手なホタルブクロが付いているような。
夕闇にひときわあでやかに立ち尽くす。
(園芸種のように見えるが、ここは人里離れた場所なので不可解)

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曇りの空気感は天女の気高さを映し出すが
日が射してほほえむ花弁はさらにいい。
また来年を楽しみに。

(追記)
ブヨをはじめ、蚊のような虫に刺されてかゆみが止まらず。
(ダニではなく、空を飛ぶ虫。女性は長袖、ネット付の帽子をどうぞ)








posted by 平井 吉信 at 01:25| Comment(0) | 生きる

2016年06月17日

目に見えないものを観ようとしなければ


ものごとの本質を見るためには
「何」に捕われすぎないようにしたい。
とりわけ政治家については注意深く見ていかなければならない。

不適切な行為や言動があればマスコミが取り上げるが、
その取り上げ方(見せ方)の背後にあるものに考えを巡らす。
ときの政権に対する姿勢(感度)の差異、
メディア戦術を操る大手広告代理店の存在。
それらが「どのように」見せようとしているのか。

目に見えることから目に見えない力学を読み解いていく。
立花隆さんがかつてロッキード疑獄を解明したように
表面に現れた現象から論理を組み立てつつ思考を発展させる。
(そのためには意図的に情報を遮断する時間が不可欠)

都知事の辞職までのマスコミや都民の反応は過熱気味であった。
前都知事が辞めることの可否だけに焦点が当たった。
(何者かの意図でそのように演出された気がする。何かから目を反らされたようでもあり)
異様な空気を感じる。

高級ホテルへの宿泊や公務との関連が疑わしい備品の購入は
反感を買うので庶民にわかりやすい。
法律違反であろうがなかろうが、為政者としてやって欲しくない。
(そのような姿勢で民のための政治はできない)

けれど、都民、国民にとっては失政のダメージの影響が大きいはずである。
(長期政権のあの知事はどうであったか?)

人気取りの政策、理念なき政策、不要不急な政策の実行、
悪意のある発言、社会に影響を与える言動など枚挙に暇がない。

・特定機密保護法
・安全保障法
・メディア規制の脅しの総務相の発言
(憲法違反では?)
・カネと権力の癒着
・近隣諸国との関係を悪化させる無神経な言動
(まずは関係性を改善しなければ正しい歴史認識にたどり着けないはず)
・福島の復興、原発問題
(新たな価値観に基づく客観的科学的な原発のあり方の議論が必要)
・経済政策の失敗
(いまの時代を直視して内需換気型への転換が必要)
・憲法改正の動き
(憲法を改良していくことは必要。しかし改正の意図・力学を見極めよう)

国民を守るための政治が、国民をないがしろに暴走を始めようとする。
歯止めをかけようとすると、つぶされてしまう。

国民は、個人が道を踏み外すことには容赦しない。
(不倫やパクリや使い込みは犯罪だが、いつの時代にもあるもの)
その傾向が強まったのはここ数年ではないか。
ところが政治が道を踏み外すことに寛容、無関心、もしくは気付かない。
(だから、やりたい放題)。
何をやっても変わらない無力感が個人バッシングに向かっているのかもしれない。

日常生活には変化はないように見える。
なじみのコーヒーショップや食べログの評判の店に行く限りでは。
しかし、少しずつ変化が現れていくはずである。
組織が道を踏み外すことに警鐘を鳴らそうとしていたキャスターたちが相次いで降板。
目に見えないものが少しずつ顕在化していき
気付いたときは後戻りできなくなっている。
ものごとが動くときは、誰も止められず奔流のごとく押し流していく。
戦争へ向かうときがそうだ。

政治や政党、政治家にはもはや期待していない。
さりとて、無関心になればなるほど、社会は歪められていく。
それぞれが異なる価値観を持ちつつ居場所と出番を見つけられる社会になればいい。
(言い換えれば「比べない」ということ。異なる価値観を認めるということは、共通部分に目を向けるということでしょう
そのためにできることはあるはず。
市民が良識を持って行政や政治に参画していくしくみをつくりたい。


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久しぶりの晴天に庭を見ると、それぞれに存在感を振りまいている。
今年初めて開花したキキョウ
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庭は使用済みの茶葉をふりまく以外の手入れはしない。
そうして毎年違った植物が生えてくるのを見ている。
初めてのムラサキツユクサ
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それぞれ一生懸命生きているんだね。
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社会を見て無力感を感じる日も、
庭の植物を見て心の居場所を置き換える。
木々や草花、流れる雲、水の表情、日の光、星のまたたきにはそんなやさしさがある。

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posted by 平井 吉信 at 13:14| Comment(0) | 生きる

2016年05月28日

ヒロシマでオバマ大統領が伝えたかったこと


安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから―。

この碑に刻まれた言葉の意味を
子ども心に感じていた。

これは慰めの祈りであるとともに
人類が未来の人類に対して誓った言葉だと。


原爆は多くの人の命を救ったやむをえない選択であった、
などと正当化する意見がある。
(これも偏った教育だろう)

しかし、原爆投下は誰も幸福にはしなかった。
人類の闇を見せられた誰もが被害者なのだ。
まずはそのことを自覚しなければならない。
だから、ヒロシマへ行くべきなのだ。
逃れることのできなかった被爆の苦しみを
我がこととして受け止めることが人の道だろう。


理想はわかっていても
遅々として事態が動いていかないと
人々はどうしても強硬意見に傾いていく。
(いまのアメリカはその病に陥っているようだ)
それは、解決をさらに遠ざける。

目に見えない暗黒の圧力は
若い日に平和を願い、プラハでは核のない世界を訴えた
ひとりの大統領の思いを呑み込んで流れた。

しかし、理念を訴えなければ
誰かの心には届かない、広がらない。
大国の大統領として、
核を行使した国として、
ヒロシマを訪問した意義は大きい。
(大統領退任後の責務を示したともいえる)。

ヒロシマ・ナガサキ、
そしてフクシマを経験した日本が
世界に貢献すべき道を示したできごとでもあった。

サミットでは、世界的な経済危機を演出してまで
経済政策の失敗を見せなくするとともに
消費増税の先送りの演出を腐心した一国の首相の姿があった。
(選挙で民意を問えばいいが、民意は気まぐれで本質が見えているかどうかわからない)

外交は本音と建て前が交錯する権謀の産物ではあるけれど
個人の思い込みでやるものではない。
日本で行うからには、世界に示す思想があるはず。

日本が誇れる目に見えないソフト。
それは、歴史や文化、科学技術、観光、コンテンツ産業、生産管理、災害対応など
あらゆる分野に及ぶ。
それらは未来を照らす燭光でもあるはず。
世界のどの勢力とも節度ある距離を持って
敵をつくらず貢献していく道があるはず。
国内で個性ある製品を、生産性の高いものづくりをしていけば
それを目を細めて買ってくれる人はたくさんいるはずだが、
そのマーケットは、スイスや北欧が占拠している。
人々の幸福を前提に、質の高い経済国家として先頭を切って走ることができるはず。
(いまやらなければならないのは、時代にそぐわない的外れの経済政策や理念のない五輪ではないはず)

冒頭の碑の言葉は、
主語をぼかしているのではなく
人類全体の責務として捉えて
核を含めた戦争のない社会へ取り組んでいく決意を込めたものと理解している。

オバマ大統領の功績は何だったか?
謝罪がなかった、などを問う前に
私たちはどんな未来に向かって
どのように行動するかを考えたい。


人の一生は限られている。
金持ちも貧乏も白人も黒人も関係なく
時間は等しく流れていく。
けれども時間の密度、
言い換えれば、満足感はまったく違う。
生きること―。
そこからの学びに感謝するとともに
楽しむことができたらどうだろう。


お金や経済といった尺度は邪魔になる、と排除することはしない。
(株価に一喜一憂するのはつまらないと以前から述べているのは経済システムを否定して仙人をめざしているのではなく、それらに左右されない社会をつくれば、自ずと経済システムも良くなるとの考えから)
お金や経済を否定するのではなく
その存在を肯定して(ただし捕われることなく)、
自分にも社会にも活かすこと。

実はそれは誰にでもできる。
たったひとつのことができたら。

それは、生きることに幸福を感じること。
(置かれている現在の環境のまま幸福を感じること)。
他力本願でも人と比べるのでもない。
視点を変えればできる。

テロや他国の脅威に名を借りて軍事産業の闇の力が
覆い被さってくることを身を持って知ったとしても
一人ひとりの幸福感が核なき世界への道のりを拓く。
オバマ大統領はそこに一縷の望みをつなごうとしたのではないか。


ぼくは幸福を感じる処方箋を伝えていこうと思う。
哲学、宗教、心理学、科学、芸術などの垣根を越えて
道は違えど同じ目標をめざして人は生きている。
幸福へ向かう道はある。
それに気付くことの大切さと処方箋を伝えていきたい。
(自分の利益のために動いた時点でメッセージは伝わらなくなる。新興宗教が人々の心に浸透しないのもそこにある。行為は無償であるべき)



posted by 平井 吉信 at 17:28| Comment(0) | 生きる

2016年05月19日

相生森林美術館 雨でも崖崩れでも音楽は踊る


友人の親しい知人が出演するということで
相生森林美術館へ出かけた。

ところが、当日の朝刊では…
美術館の手前の国道で前日の午後に崖崩れがあり通行できないとある。
幸いにも迂回路があって事なきを得た。

ミュージアムコンサート「トリオ・ルーチェ 新緑の光のなかで」
5月15日(日)午後2時開演
出演:トリオ・ルーチェ
(綾野幸恵:ヴァイオリン/田上和子:チェロ/釘宮貴子:ピアノ)

同時に開催されていた美術展では、
日本とフランスを行き来した三岸節子(みぎしせつこ)展も開かれている。
時系列で見ると作風の変化を感じることができる。
壮年期の花の絵が好みだ。
画家の若い頃の凛としたたたずまいが印象的。
(いずれも含めて入場料は500円)。

コンサート終了後に木のオブジェを見る。
どんなふうに曲げられた(接合された)のだろう。
このすぐ横で演奏されていた。
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小さなホールでありながら
フラッターエコーの発生がなく
木質であることもあって過剰な響きはない。
演奏者から5メートルぐらいで楽器の響きが直接飛び込んでくる。
(ただ、壁が近いこともあって楽器のバランスはとりづらく、室内がデッドで近距離なので溶け合うことは難しい)
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当日は雨で、最初は楽器が湿っていたようだけれど
途中から俄然鳴りが良くなった。
麗しいお三方の美演は、雨とともに地上に潤いをもたらす天使となった。
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外に出ると近所のお宅の庭が来場者を楽しませる
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赤いバラが桃色の小さな花の仲間に入れて欲しいと思っている
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この浮遊感はなんだろう。美術館の外でも展示が繰り広げられたわけだ。
(カメラはフジX20)

追記
館内の庭にあるハンカチノキの花は終わっていた。

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posted by 平井 吉信 at 16:38| Comment(0) | 生きる