2025年04月29日
消費税率を下げる/なくすは良い政策だが、すべて同じ税率(5%/0%)でなければならない
立憲民主党が消費税を1年間、かつ食料品に限って0%とすると発表した。本ブログでも消費税減税/廃止が、国民も事業所(個人・中小企業・大企業)を問わず、もっとも効果的な施策と考えて提唱しているが、これは禁じ手である。
前回の公明党提唱の軽減税率(8%と10%の複数税率)で流通は混乱し、挙げ句のはてにインボイス制度が導入されて多数のフリーランスや小規模事業者が廃業するという副作用まで起こった。公明党は弱者いじめの政党の印象が定着した愚策であるが、今回の立民も同様の愚策である。
このような理念なき政策をばらまきという。給付金もばらまきであるが、理念がある給付金として、国民の幸福につながる諸施策との相乗効果で生活への安心を確保しつつ、いまお金が必要なときだから給付も位置づける、というのなら愚策とはいえない。
ところがこの国をどのように立て直すのかの理念と方針がないままに実施しようとすると、国民の目にはばら撒き(どうせ所得税で回収されるんでしょう)に映る。
立民のこの政策も選挙目当てとしかいいようがない。社会を知らない青臭い匂いがぷんぷんする。1年間だけの税率のために、流通や企業の総務、取引の現場がどれだけ混乱するか。食品と雑貨を扱う小規模店にとってはレジ業務の運営が回らずお手上げとなる。おそらくシステム改修に補助金を当てる政策が提案されるだろうが、1年後にはまた元に戻す。システム改修費がまた必要となる。→ 官民ともに無駄遣いを強いる愚策。
これならまだすべて5%(恒常的もしくは0%まで下げる暫定扱いなど)がましである。この政策の良いところは、誰も不利にならず、不公平にもならないというところである。消費税負担は生活者だけでなく中小企業も負担になっている。赤字の法人は少なくないが、売上1億円、経費1.2億円(減価償却前)の赤字企業でも、数百万円の消費税が課税されると経営が追い詰められて雇用を守れない、破たんなどの怖れがある。
最大多数の最大幸福でもある消費税率を下げる(撤廃する)財源はどこに?という答えは、内需拡大による税収(所得税)で補えるはずである。社会実験としてやってみる価値はあると思う。
posted by 平井 吉信 at 12:19| Comment(0)
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2025年04月04日
トランプ関税など相手にしない アメリカなしでも生きられるが米なしでは生きていけない
トランプ関税で賑わう昨今だが、そんなことで日本の経済は影響を受けることはない(株価が一時的に下がってもそれが当たり前。株式市場は変動するもの)。なにより日本の中小企業には唯一無二の技術があり、国民性に裏打ちされたきめ細かいサービスがある。
トランプ関税に比べれば消費税10%やインボイス(身近なところで廃業した事業者は数え切れない)がはるかに大きな影響だったが、政府は知らぬ顔だった。大企業にはもともと内部留保が大きくゆとりがある。むしろ関税はかけた国がもっともダメージを受ける。発動されても自国内の反対の声で撤廃されるのは時間の問題というのが冷静な観測。関税対策を行なうのなら、発想を転換して内需をつくる。それは消費税の撤廃。誰も敗者はいない、誰も困る人はいない、可処分所得の増加はお金の循環を生み出して(財務省にとっても)税収が増える可能性すらある。
友人として相手国に伝えるべきことがあるだろう。相手がロシアであれ中国であれアメリカであれ、世界のなかで尊敬される日本国としての、まっとうな精神とぶれないモノサシで、どこの国よりも平和を願う国民のいる政府として毅然とした態度を取るべき。ただし、今回の関税の報復措置は実施しない。それは日本国民のため。トランプ関税は静観しておく。株式を売り抜ける必要もなし。
日本は軍事費の増強はやりません、お気に召さないなら基地を廃止するのでお帰りください、とでも。それよりも米がないことはこの国の闇を浮き彫りにするとともに、いま何に取り組むべきかを訴えている。このまま行くと秋の収穫前まで、いや、収穫後も上がり続ける。米を作っていない東京都民は1日1食の時代を迎えるかもしれない。南海トラフや有事を考えると都会に住む大きな潜在リスクが顕在化しようとしている。
米は決して余っていない。流通のどこかで貯蔵されているなどということはない(それがあるのなら米屋の廃業や営業休止などは起こりえない)。生産者を支える政策、米の増産に転じる正しい政策を行なっていかなければ、どこかの国のミサイルではなく、国民が餓死(政策の失敗)して終わるかもしれない。
posted by 平井 吉信 at 22:07| Comment(0)
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2025年02月24日
誰かと話をすることは心の残り火を灯すこと
スポーツを見るのは好きじゃない。スポーツが嫌なのは、組織や勝利のために盲目的に個を従わせること(スポ根的な)。だから常識を外れた大谷翔平選手を応援したくなる。夢を追いかける感性がある。それがないと出発点にも立てない。そして成功の要素を考え抜いて行動を定義すること、あとはそれを積み重ねていく。なにより野球が好きだからその過程を愉しんでいるね。
大リーグに行って成功する人/しない人は、渡米前からわかる。しなやかな感性と仮説ー検証のループ(PDCAサイクル)があるかないか。スポ根で頭空っぽ&バット(腕)を振り回すだけのお山の大将が海を渡ってもやる前から結果は見えている。それを「挑戦して敗れたが尊い」などと美談にしたくない。その経験が人生を歪めなければよいが。
NHKのプロフェッショナル仕事の流儀で栗山英樹さんが取り上げられた。監督ではなく球団組織の立て直しを担うようになった苦悩に焦点を当てている。栗山さんがいたからWBCは勝てたと思っているが、今度は球団の運営にまわるのだ。
野球でも経営でもそうだが、特定のメソッドだけ(データ分析とか球筋の測定とか)で勝率が上がるわけではない。まずは野球をするうえでの大切な土壌(組織風土)がある。それを失えば成績は低迷する。組織文化を醸成することが実は遠いようでもっとも早道だ(それ以外の方策はないと思う)。栗山さんがめざしているのはまずは土壌づくり、その次に脱スポ根&合理的科学的な思考と手段のインストールだろう。
同じくNHKの特番で、ウクライナで女性が兵士として志願して前線で闘うドキュメンタリーを見た。兵士や兵士に付随する特定の人たちが命がけで撮影した映像である。すさまじい場面もカットされていない。ウクライナの平和を願わずにはいられないが、この戦争を引き起こしたプーチン大統領は深い業を背負うことになるだろう。それを決めるのはウクライナの人たちではあるが、例え領土を失ったとしても停戦にこぎ着けることは価値があると思う。ただ残された国を立て直すのに途方もない時間と労力と資金と思いを投入しなければならない。日本も一助となれればと。
その一方で戦争は起こりそうもなく平和ぼけしている日本、などと紋切り型の表現はできなくなっていると感じる。普段に接している中小企業の経営者と面談すると事態が深刻である。リーマンにせよコロナ下にせよ、これまでの日本はここまでではなかった。特にインボイスなどと相まって、小規模事業者や中小企業の廃業、経営破たんが相次いでいる。経営努力が足りないのではない。この国の政治がもたらした人災である。
もうこのままこの世を去っても後悔はない…とつぶやく経営者を見て胸がはりさけそうであった。お話を聞いても打つ手がないのだ。消費が低迷しているので需要がなく、その代わり原価(燃料費、材料費、人件費、光熱費など)が上がり続けている。価格転嫁はできないし、安くしても売れない。こんな国にしたのはこの30年のほとんどを仕切った政党、政治家である。
いまは会話を続けること、それに尽きる。方策はなくても未来に希望はなくても、人は人と話し合ってなにかを感じることができれば、それが原動力となる。お金がないことだけではなく、誰もが自分のことに思ってくれないと感じられることがつらいこと。それは栗山英樹さんも伝えていた。一人ひとりの選手に、信頼している、見守っている、きっとできるというメッセージを送り続けていると。
厳しい寒波が続いているが、かすかな春の芽吹きが感じられる。植物もそうだが、試練を経験してくぐり抜ける人は、前よりもっとやさしくなれる。それがまた別の誰かに伝播する。そのような社会でありたい。邪馬壹国について勉強して感じたのは決して他者を貶めない日本(特に縄文人)のすばらしさ。現代の天岩戸の向こうで消えかかった精神世界の残り火が自らを、そしてもっと遠い世界までを照らせるようになれればと。
雪にとざされてしまった

それでも陽光を浴びて、来たるべき朝に顔を上げる

見上げると、桃の蕾も膨らんでいる

いまいちばん必要なこと、大切なことは、誰かと話をすること。そうですよ、話をしてください。
posted by 平井 吉信 at 15:19| Comment(0)
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2024年12月08日
また、まちの名店が消えていく
ケーキハウスサンガといえば、徳島市八万町から小松島市にかけての住民がお世話にならなかった人はいないというケーキ屋である。店の名前は、社長であり菓子職人の三賀さんのカタカナ表記である。
サンガさんは、地域の人たちに愛される菓子(店)でありたいと考えておられたから、アルハンブラ、小さなチーズケーキ、ミニシュークリームといった100円玉1〜2枚程度で買えるケーキを提供されていた(地元の人のための身近な菓子という点では北海道の六花亭も同様である)。
気取った見栄えで割高なケーキや洋菓子が多いなかで、ぼく自身はここ数年、ケーキを買いに(サンガさんでなくても)足を運んでいなかった。ましてクリスマスケーキなどは洋菓子店の経営を圧迫する悪しき慣習と思っていた(イチゴや生クリームなど関連業界も含めて)。売上は上がっても特需に応えるため原材料費は上がる。さらに人件費、警備員などの他の原価費用もかさむので収益につながらず疲弊感が残るだけ。
人手不足のなか突出した需要に対応することがどれほど非効率的非人間的なのか。みんなが一斉に同じものを食べることは草原を食い尽くすバッタにも似て、食材の枯渇とロスの両方が多くなる。むしろ繁忙期を避けてケーキを購入することで需要の平準化に協力したいと思っている(洋菓子に限らず恵方巻きや土用の丑の日以外でも絶滅危惧種のウナギを食べないのも同様の理由)。
数日前に三賀社長の貴重なお時間を頂戴してお話を聞かせていただいた。その内容の一部を紹介したとしてもご迷惑にはならないだろうし、このような方がいらっしゃることをお伝えしていくのは義務かもしれないと思ったので。
三賀社長が1983年に徳島市八万町で開店されたとき、店は8.5坪だったという。小さな店でもおいしいケーキがあるということで店は評判を呼んだ(城南高校の生徒さんは想い出があるのでは?)。
手狭感から一時は店舗とは別に工房を設けたりされたが、小松島市神田瀬町(現店舗)に広い物件が見つかったことで2店舗体制となった。その後、徳島市の店は閉められたが、うちの家族や親族も含めてサンガさんのお世話にならなかった人はいないぐらい地域に密着された菓子店である。
閉店の理由はご自身の高齢化と人手不足といわれる。早朝からの仕込みは大変で、それを41年間続けてこられたのは、いつも店のお菓子が好きで通ってくれるお客様のことに思いをはせておられたから(体調の変化もあるなかで来る日も来る日も変わることなく同じ品質を提供することがどれほど大変なことかご存知でしょう)。
続ける選択肢はありませんでしたか? 別の人にのれんを譲渡する方法(第三者事業承継)もありますよ、とありきたりのことしか言えなかった。三賀さんは、店の名前を残すことには関心をお持ちでないように感じた。確かに三賀さんがいないこの店はサンガではない。温厚で誠実な三賀さんが(こちらに気を使っていただいて)微笑みながら語り掛けるそのおだやかな表情から41年を振り返っておられるのだと気付いた。大変なこともあったと推察いたしますが、多くの人に愛されて幸せな人生と言えるのではないでしょうか?と返した。三賀さんが店を閉じたあとの人生で、愛された時間と歴史が人生の果実をもたらし続けると確信している。
サンガさんの事例は氷山の一角である。原材料費のやむことなき上昇、そして全国一の上げ幅となった徳島県の最低賃金の上昇、さらに人手不足が経営を圧迫したのではないかと推察する。賃上げを簡単に考える知事の感覚はずれている(プロセスがない一過性のパフォーマンス/経済音痴の裸の王様)。商品やサービスの価格を上げれば良いではないかと思っているのだろうが、それができるのは日清製粉のような大手だけである。ラーメン店もケーキ屋も住宅メーカーも米も価格を上げれば売上は落ち込む(実際に値上げ後の各品目の売上げ数をチェックしたここ数か月の事例ではわずかでも値上げすると売上げは落ちることがわかっている)。心ある経営者は、価格が高くなってお客様がいままで買えていたものが買えなくなるという事態を避けたいと考えるから。
なぜなら使えるお金が少なくなっているので。つまり賃上げありきは、経済の負の循環につながって、経営が衰退して最後は人減らし、給与削減。モノや人、情報などへの投資が先細りとなり、ますます「安い日本」に落ち込むだけ。いま、賃上げはやってはいけないのだ。
何度も同じことは書かないけれど(こちらに書いてある)、この30年の政策の間違いが貧しき日本に落とし込んだことは間違いない。国民生活からすると、賃上げはそのことだけをとれば良いことのように見えるが、賃上げすべきかどうかは論点(真に取り組むべき課題のこと)ではない。賃上げを強要する人たちに決定的に欠けているのは「賃金を上げる」のではなく「賃金が上がる」視点である。
すなわちそれは内需の拡大を通した国民一人ひとりが豊かになる施策を行なうこと、それは生活者に恩恵があり、中小企業・小規模事業者にもその果実が降り注ぎ、生活者や中小企業が支える大企業にも等しく恩恵があるという誰もが良くなる政策である。103万円の壁も同様に論点ではない。自民党の敵失を目の当たりにしながら立憲民主党も自民党の応援団のような党首が率いており、国民民主党は間違った方向に誘導しないことだ。利権誘導で生活者を切り捨てる維新は論外だろう。何度も申し上げているように政党の批判をするのが本意ではなく、正しい政治をやってくれるならどこの政党でも構わない。
なぜ、消費税を撤廃できないのだろうか? 上げても影響のない法人税の増税(中小企業にはほとんど影響しない)に踏み切れないのは利権構造に組み込まれている腐った鎖があるから。国民一人ひとりの幸福なくして国が栄えるはずがないではないか。
またひとつ、まちから店(会社)が消えていく。次はどの店(会社)だろう。
追記
この日は午後にお店に伺ったところ、ケーキ類はすべて売り切れだったので焼き菓子を求めた。サンガさんのお菓子を心に刻んでおきたいので撮影し、おいしいコーヒーを手煎れして滋味溢れる焼き菓子をいただいた。ケーキハウスサンガは2024年12月20日を持って41年の歴史を閉じることとなる。

追記その2
徳島市安宅1丁目にある、天然酵母のサンドのお店、ふたばサンドさんも12月28日で閉店されるとのこと。噛めば噛むほど味が出るというか、おかずパンがこんなにおいしいのかと目を見張らされた。手軽なファストフードでありながらごちそうの域に達していたお店。
ふたばサンド https://www.futabasando.com/
インボイスによる課税負担、小麦やハム、野菜など原材料高騰、賃金上昇、エネルギーコスト増大、生活が苦しくなった消費者の買い控えでロスの増大などが考えられるが、まちの名店を直撃している政府の無策(こんな外部環境では生きていけないじゃないか!)に憤りを覚える。
車内で昼食のために買ったサンドを並べてみた

posted by 平井 吉信 at 16:37| Comment(0)
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2024年10月22日
変わらないと思うよりも、変えていこう
このブログは本投稿前までに1865本の記事がある。よくもこれだけ書いたなと思う人がいるかもしれないけれど、有名になろうとか(YouTuberやInstagramerのように)お金を儲けようという動機はない。それでも一貫して流れる意志というか伝えたいこと、世界観はある。
それは、この世界は変わらないと思っていたら変わることはないが、変えようと決意したら変えることができるということ。
地元徳島の良さや四国について感じたことを発信する合間に、すべての人々が幸福にという理念を基本に、この社会をよくするためのシナリオを描き、メッセージとしてお伝えしている。
まちでポスターを見かけた。「どうせ 変わらない、を変えていく!」とある。ぼくは政治から距離を置いている無党派の人間なので、関係者ではない。しかしこの言葉には、「一緒に」という意味が込められていると思う。とても良い響きの言葉だと思う。
候補者の演説を聴いた。アジテーションとは無縁の、むしろそこからもっとも遠いところの独白のような、なかば祈りのような内省が込められていると思った。ぼくはこの候補者から至誠を感じる。
自民党の裏金が問題となっている。これは個人の懐で私服を肥やした脱税という問題以上に、ほんとうに重要な議論に時間を割くことができないという二重の損失。該当する議員は、公民権を停止する、議員のバッジをはずす、横領分を国庫に返還する、所得税の追徴課税を課せられる。たったそれだけで前へ進めることができる(公認するとかしないとかの次元じゃないだろう)。石破首相が生き残るには組織を敵に回しても国民の方を向くしかないが彼にはできないだろう。理念なき政党については選挙区も比例も投票の選択肢から外すことが有権者自身を救うことになる。
野党はこの問題ばかりを焦点にしないことだ。この問題が良くないと思う人は言うまでもないが、この問題が悪いと思わない人もいる(政治には金がかかるので良くないことだが、このような財源も必要だという。しかしこの構造が諸悪の根源となっている。利権を排除して理想をめざせなければ未来はない)。立民が敵失を活かせないのは有効な経済対策(減税)を提示できないからだ。おそらく本選挙後も議席は微増にとどまるだろう。
きょうも会議があった。その自治体にとっては大切な会議で、ぼくは座長を務めている。会議の席で多くの意見が寄せられたのは、賃上げは物価上昇と密接に結びついているが、大企業は途方もない額をポンポン上げてくる。取引のある大企業はこの1〜2年で5回の値上げを一方的に通告してきたが、その価格は転嫁できないという。その先にいるお客様の購買力が落ちているから。
そこで賃上げをする企業には一時金をという施策を県が打ち出しているが、マッチポンプの感は否めない。ほんとうに必要なのは経済の規模、すなわち内需を拡大すること。そのためにもっとも効果的なのは、痛めた懐の一部を給付するような政策(一時金、補助金、助成金など)ではなく、国民一人ひとりの可処分所得を増やすこと。これは政治でないとできない。
れいわの山本太郎さんは、先進国で唯一30年不況が続いている国、と看破しているが、その元凶は消費税である。個人も中小企業も消費税を歓迎していない。特に家庭や中小企業にとってはお金が減る最大要因となっている。この消費税を廃止するだけで可処分所得が増える。
消費税の増税は社会保障ではなく法人税の減税に主として充当されたが、その結果、日本の企業の時価総額はどんどん落ち込み、著名な企業の海外への身売りが続出している。有効な人やモノ、技術への投資ができずに内部留保としてため込んでいるお金を所得の再分配の財源として使えれば、経済循環が好転して財務省にとっては課税所得は増え、大企業自身も内需拡大の恩恵で収益力が強化される。消費税廃止は敗者がいない政策なのである。
すでに国民負担率が50%近くに達している。得た所得の半分弱は税金などに持って行かれているのに、将来の暮らしは切り詰めて生き延びなければという社会福祉しか待っていない。租税公課の負担は重くなり、年金などの福祉の恩恵は少なくなり、子どもを育てる経済的なゆとりがない家庭からは子どもは生まれない、育たない。増税分が与党や大企業の懐を肥やしているだけなのが現実。だから消費税増税を誰が提案しているか、調べたらすぐにわかる。
消費税とは、貧しき人や企業から、富める人や企業へ富の逆再分配として機能している。そして格差が拡大することが社会全体を貧しくする。これはどこの国でも学者が指摘していること。だから現在の立憲の党首がかつて首相として決断した消費税増税の余波が経済を沈めてしまった。反省の言葉もなく、減税はやらないという。無能さ極まる。
昭和の時代、一億総中流といわれた頃は、まちの八百屋さんであっても、子息を大学にやらせることができた。うちの周囲には徒歩5分以内に八百屋が7軒あったが、みんな経営は成り立っていた。寅さんのような存在が許されたのも、午前中にノルマを達成して午後からは喫茶店でマンガを読んでいたサラリーマン(のんきな稼業ときたもんだ)。商店街の役員会と称して店を妻に任せて昼間から宴会をしていた店主たち。生涯にわたって制約を受けずに研究を続けた学者―。社会が少しずつでも富を分け合ってささやかながらも裕福であったから。
お金を搾り取ってお情けの給付金をばらまくよりも、可処分所得が増えるしくみにすれば、使うお金が増えるので、すべての産業に恩恵が行く。産業連関という言葉があるように、その恩恵は個人商店も中小企業も一部上場企業も関係なく等しく降り注ぐ。アベノミクスとは逆に、お金は少額でも大多数の人が使うことでその恩恵はみんなに降り注ぐ(当然自分にも降り注ぐ)。アベノミクスが機能しなかったのは最初に落ちた場所で富がとどまってしまうことを見抜けなかったから。
国が力を入れるべきは、まずは減税による内需の拡大。施策としては、教育の充実(無償化や教育環境の改善など)や基礎研究につながる大学への予算の増額など。食糧自給につながる農業への傾斜配分(所得補償なども含めて)も意味が大きい。
政党交付金や政策調査費は廃止。政治家の報酬も年間1〜2百万円で構わないが(誰もが兼業で政治家やろうよ。そのほうが健全)、政治家をもっと増やそう。そして市町村議会や県議会の議員も国政に発言しよう。今日の議員の仕事は住民の要望の口利きではなく、国の政策への関与であるべき。だって構造的な問題を放置したまま、地方創生など無意味。イベントやら商品券をいくら連発しても花火にしかならない。ほんとうにやるべきは中央集権の解体でしょ。
補助金や助成金は一度全廃してみる。ニュースで不正が明らかになったIT導入補助金は氷山の一角。実態はベンダー肥やしと言われている。補助金の申請者は補助を受ける事業所でなくベンダーなので、泥棒に警察を任せているようなもの。とある補助金では、WordPressを使った簡単なWebサイトが1百万円と申請。実際は数万円もかからないので、1/3(事業者の自己負担分)を事業者にキックバックしてもぼろ儲け(この例はIT導入補助金ではないが、わかりやすい例としてあげた)。補助事業を受けた事業者に成果の聞き取りを行っているが、経営に役に立っていない補助金の筆頭と断言できる(廃止しても影響は出ない)。
もっと多くの、普通の人の声が政治を動かせるよう、政治のしくみを変えていく。でもそのためには遠いようだが、諦めることなく次善の選択を続ける(ぼくは政治家に期待するつもりはないが、諦めるつもりはまったくない)。
「どうせ 変わらない、を変えていく」とは、特定の政治家や政党を応援するフレーズではなく、国民一人ひとりが自分事として捉えて生きていこうよという呼びかけなのだ。
どこの国も政治の劣化は激しいが、世界でユートピアを築けるもっとも近い場所にあるのは、スイスかアイスランドか北欧か、いやいや、地震や津波に見舞われて大変だけど、世界一豊かな生態系の多様性を持ち、長く続いてきた洗練された文化を背景に、勤勉で思いやりの心を持って、大谷翔平選手のように前へ進んでいくこの日本じゃないか。
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2024年09月27日
日いずる国
きょうはなんだか明るい日射し。缶詰のような仕事が終わってインターネットに接続すると、高市―石破の決選投票とのこと。下馬評の高かったKジュニアは脱落したらしい。この人は若いからダメなのではなく、80歳になってもおそらくダメ。会ったことも話をしたこともないけど、話を聞いているとわかる。自民党員もそこに危機感を感じたのだろう。ポストほしさで国会議員が付和雷同するなかで、全国の党員は選択を間違わなかったし、今回の結果で首相の目は完全に消えてしまっただろう。
そして石破氏が決戦投票で1位となったとのこと。ぼくの周辺でも安堵する声が多数聞かれた。自民党員もすんでのところで思いとどまってくれたのだろう。とにかく21世紀の自民党政権は手続きとか協議とか合意を一切とらず、仮想敵を仕立てて雰囲気で突っ走るか、強権的威圧的な政治で社会の雰囲気を劣化させたり、聞く耳を持たないか、不感症かだった。自民党政権の劣化を見ていると、(民主党支持者ではないが)民主党政権下がはるかにましだったなと思う。ただひとりを除いては。
それでそのただひとりが党首になったのだからもう付ける薬がない政党、おそらく民主党は今後は草刈場になるだろう。愚鈍を絵に描いたような政治家を選ぶ党員からして付ける薬がない。政策と社会の関係が見えてないのだろう。自民がやって社会を壊してきたこの30年と真逆の政策をやれば票も取れるし党勢も回復するはずなのに、自民以上に国民を貧しくする政策を提案しそう。
石破さんは党内野党少数派の立場だったことがプラスになるかもしれない。法人税の課税強化、消費税の廃止などを断行してくれたら、これらは所得の再分配としても機能する。党内で孤立しても国民は支持する。誰も困る人のない政策だから(かつて日本企業が世界を席巻したときの為替相場と法人税の水準を見ればわかる。そして何が企業をダメにしたかも。ぼくは法人税の引き下げが企業の意思決定や投資をしないモラトリウム状態を引き起こしたように見える)。国民の暮らしを支える政策を続けていけば、経済政策にもなって必ず日本は蘇る。すると党内も掌を返すように神様仏様石破様となるだろう。防衛費についても現場を知る石破さんなら増強以外の選択肢を考えるかもしれない。
いまの日本に核弾頭やミサイルを撃ち込んでくる国があるとは思えない。そんな危ない橋を渡らなくても、食糧が入らないよう海上封鎖や輸出禁止を取れば日本(国民)は降参するしかない。燃料や半導体でも同様だろう。国内農業の破たんを招きながら減反を改めない愚かな農業政策はただちに改めなければならないし、生産性追求の外にあって大切な役割を果たしていること、中山間地域の営農/就労支援のための所得補償の充実も不可欠。
大学をはじめ教育や研究者が追い詰められている。人づくりこそ真の国づくりであるなら、どこにお金を回すべきかは明らか。生産性を上げようと思ったら、賃金を上げた会社に補助するなどのマッチポンプではないだろう。いまの日本で賃上げは間違った施策と思う。それは製造原価や販管費の増加を招いて企業の減収となり、物価を上げることで実質賃金が目減りするのでさらなる賃上げ圧力(できない企業は賃上げ格差で滅びる)という負の循環になる。そうではなく、どうすれば経済活力を取り戻して経済循環を高められるかを考えるべきで、消費税の撤廃は物価対策と内需の拡大の最有力でしかも社会が混乱せず、給付金のような分配の費用も時間も手間も発生しない。石破さん、思い切ってやりなよ。少数派だからできることがあるし、良い政策をやってもらえるなら国民は応援すると思うよ。財務省の解体までを視野に入れて。
ついでに政治家は志のある普通の人が兼業でなれるようにすべき(専業政治家は不正の温床)。年収は2百万円、いや1百万円もあればいいだろう。お金のかからない選挙はデジタル庁に政治家データベースと情報発信を兼ねたWebコンテンツのしくみづくりを行ってもらえばいい。選挙に出るのは数千円程度にできるはず。投票はインターネットもしくは投票所でデジタル投票で集計も一瞬で終わる。まだまだできることはある。理想をかたちにできれば、日本が世界中で羨望の的となりそうな気がする。アニメや食文化、おもてなし、公共交通や施設の清掃はすでにその域に達している。社会の優れたしくみを輸出することができれば再び日いずる国になれるだろう。
(だいぶ端折って書いているけれど、誰も敗者にならない、誰もが幸福になれる政策があるから)
追記
かつて鳥取県知事を務めた片山善博さんと近しい人(この方も尊敬できる方であった)と数年間、仕事をした歳に、片山知事の言動について聞かされていた。総務省出身の知事は多けれど(優秀な官僚から脱却できない知事もいたが)、官僚の枠にとどまらず高い視座をお持ちの方であったと思う。鳥取には優れた政治家が出るようだ。島根鳥取と徳島高知はところ違えど風土に共通点があるような気がしている。石破さんが志を貫く政治を行うなら応援したいと思う。
posted by 平井 吉信 at 23:19| Comment(0)
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2024年09月25日
夏の雲 語りかける 地上の人々へ
はあっ、つまらない―。
大げさな言葉でなく、形容する表現がない政治の世界の絶望的な茶番。
この国をどのような国にしたいか? その原因は何かを深く掘り下げて、あるべき姿と処方箋を描くのだけれど、それがどこにもない、誰も提示しない。
部分的に政策(えさ)を提案するのではなく、国家のあるべき姿、理念を語るべき。悪質卑劣なのは自民、付ける薬がないほど無能なのが立民。どちらも絶望的。なくなってもいいよ。
国民一人ひとりが幸せになるとはどういうこと?
これまでの政策はそれに対してどうだった?
いまもっともやるべきことは何?
語ってもらいたい、間違わないでもらいたい。政治のあるべき姿も示してもらいたい(自分の考えをこのブログでは書き続けている)
海外の訪問者は、日本人は親切、道路や施設がきれい、人々が親切、ていねい、食事がおいしい、新幹線がすばらしい、などと発信するけれど、(まあ、海外に比べたら良いのかもしれないが)毎日道路に捨てられている吸い殻を拾っているのが現実。特にここ1年ぐらいから頻繁になっている。何かに対する無力感や苛立ちが込められているように感じる。
こんなときこそ、大谷翔平にならなければ。
彼の50/50には野球を越えたメッセージを感じる。未来をつくるために、ぶれない理念と間違わない方向性を持ち、社会を明るくする発信を続けていくという。
はて、夏の雲の話題のつもりが…。
夏の雲はとても大きなエネルギーを感じさせる。それは災害と表裏一体だけど、そのエネルギーを行くべき方向へ向かう原動力にできればと思って雲の写真を撮り続けている。
この空は9月第2週のことだけど、夏の雲が地上の人々に語り掛ける声なき声に思いをはせてみる。絶望のなかで希望を持ち続けるためには、政治が間違わないこと(言い換えれば選択を間違えないこと)。
政治家さん、社会をよくしてください。お手並み拝見、ではないよ。一人ひとりが社会にどう関わるかが問われているんだよ。
海辺の田園地帯は盛夏の名残を空に残しながら田んぼは秋を迎える準備

天文台へ向かうまっすぐの道の彼方に積雲がいすわる

芦原の川をたどっていけば、海へたどりつくはず

(フジX-T5+XF16-50mmF2.8-4.8 R LM WR)
posted by 平井 吉信 at 21:31| Comment(0)
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2024年08月09日
南海トラフ地震への備え
どうぜ津波が来たら終わりだろうと開き直りがちだが、どのようなリスクがあり、どんな事象が起こるかを想定し、それに基づいて的確な対策を取り、普段から備えておけば、あとは冷静に行動するのみ。できうることは限られているようで、実はやれることは多い。

早くも食料の買い占めや行楽のキャンセルが起こっているらしい。しかし食品の備蓄はマスクや高濃度アルコールと同様に日常から行っておくべき。今回は盆前と重なってしまったので、里がえりや墓参、盆休みの過ごし方などと相まって行動パターンが複雑になっている。
公共交通機関は減速や減便、運行休止などで普段通り動かない可能性がある。観光施設を予約している人は自宅を離れる準備を行ったうえでそのまま訪問してもよいと思う。
ただし自宅を離れる準備をどこまでやるかは試案どころ。建物崩壊や水没が想定される場合は、そのような被害がないところへ避難させておくとしても、電気をどのように扱うかは悩ましい。地震後に停電が起こるとして、その際に家屋内で断線が発生するおそれがある。そして電力会社が通電を再開するとショートして火災が発生する。自宅を離れる前に屋内配線のブレーカーを落としていくのなら、冷蔵庫のような通電を前提としている電気製品を止めることを意味する。感震ブレーカーを使うのが一般的だろう。
2011年3月11日は県外へ公共交通機関で仕事へ出張していた。大津波警報が出ている徳島は交通機関は止まってしまい。帰宅は困難であった。幸い携帯ラジオや予備電池などを持参していたので情報収集は可能であった。重い荷物を持って長距離を歩くなどしてなんとか自宅に戻ってこられた記憶がある。ただし自宅や親族との連絡は困難であった。

2020年当初、マスクはすでに備蓄済であった。さらに、1枚のマスクを安全に使い回す方法を考案した。使い回すためには安全な無害化が不可欠なのだが、マスクは水洗い、アルコール、次亜塩素酸水塩素、紫外線殺菌、高温殺菌、オゾンなどいかなる減菌法もフィルター性能を損ねるので使えない。そこで、温度調整の可能な炊飯器をヤフオクで入手して、水を使わず一定温度で一定時間加熱する方法を考案した。この方法だとフィルター層の性能をあまり損なうことなく、殺菌しながらふんわりと復元できた。ただし無限に使えるわけではなく、一定の回数で廃棄していた。いまは在庫が潤沢でそんな必要はないが。
今回は仕事の予定なども変更して、災害対策本部機能を保持できるようにしている。なにかあったときに家族や親族の状況を知ってサポートできるようにするため。どのみち盆はどこへ出かけても交通渋滞や物品が欠品しがちなこと、猛暑とも相まって、自宅待機が最良の行動ではないかと考えた。
家庭向けではないが中小企業が自然災害、感染症、サイバー攻撃などのリスクにどう対処すべきかについての勉強会を、9月6日に阿南商工会議所で行う(無料)ので関心のある人はご参加を。
https://anancci.or.jp/update/20240906.pdf (PDF 1,168kb)
タグ:ラジオ
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2024年08月06日
株価の下落を大局観で見る あるべき姿を描いて社会で生きていく
1990年代の頃、バブルが崩壊した日本で、今後の生き方や経営を示唆する一冊に出会った。それは、THE BODY SHOPというイギリスの化粧品の製造直売を行う会社で、創始者のアニータ・ロディックが著した「BODY AND SOUL」。
環境対応、簡易包装、動物実験なし、フェアトレードなどいまでは当たり前となったSDGsの先取りとなる行動で急成長した企業で、日本では自由が丘に1号店が出店し、いまでは全国津々浦々で見かけるようになった。当時は和訳が未刊のため、梅田の丸善書店まで買い求めに行き、数か月かけて自分用に和訳した。
ひとことでいうと、Profits with principlesと掲げられた副題のように、理念から利益が生まれる経営の実践を説いたもの。当時の日本は、株価、不動産価値が上がれば正義、そのことの上に繰り広げた実態のない経済で踊っていた時代に、目を覚ませと着眼点を示唆する著書であった。この本については追記欄で。
2024年8月第1週で株価が急落した。以前から思っている(このブログにも頻繁に書いてある)ことだが、バブル崩壊の反省が活かされていない。当時もいまもバブルには浮かれることはなかったが、ぼくなりにこの時代から得た教訓は、
(1)あるべき姿(真善美)を描いて、乖離していればおかしいと感じる。
(2)マスコミ(SNSなどから隠れ情報操作などもある)や世論に惑わされない。その情報の動機、誘導する組織の意図と力学を見抜く。
何か変だと思うことを書き連ねる。いちいち出典や数字は上げないが、気になる方はご自分で調べてほしい。
起こっている現象として、
・家計の支出は数年続けて前年同月を下回っている。生活が苦しいと実感する世帯の割合が増加している。
・このことはGDPの大半を占める内需に影響を与えている。人々は使いたくてもお金がないので節約する。
・いまの物価高は円安を最大要因として、間接的には、人手不足、海外依存のサプライチェーンなどが原因となっている。
・企業は税制や補助金、助成金によって賃上げの動機(圧力)があるが、輸出で稼ぐ大企業と違って、内需中心の大企業やほとんどの中小企業は賃上げは苦しい。輸出中心の大企業は内部留保を吐き出す=賃上げを行えるが、そうなると中小企業との賃金格差はますます広がる。
・賃金を含めた原価の上昇で企業は販売価格を上げざるをえない。それが物価をさらに押し上げる悪循環となる。いまの日本では賃上げは禁じ手に近いのではと思う。
・株価は34年ぶりに高値を更新した。逆にいえば、1989年の水準に戻るのに34年かかった。この間に、政治の誤った政策で失われた30年があった。それを主導したのが自公政権である。
・同じ4万円の株価でも、かつての日本は時価総額で世界のベスト10に入る企業が8社あった。いまはベスト30に入る企業もない。円相場は下がり続けて、円高で海外旅行の良さを実感できた時代とはほど遠く、いまや東南アジアの人々が格安と思って旅行に来るが、海外実習生は給与が安いためなり手が少なくなった。
・かつては郵便局に10年預ければ税引き前でほぼ倍になって戻ってきた。1年で7%の金利がつく金融商品(ノーリスク)もあった。
仮説として
・現在の円安は、日銀の前総裁からの誤った金融政策(異次元緩和)の弊害であり、金利が上昇すれば円安はある程度是正される。
・円安は輸出企業に有利とされているが、実態は円安曲面がすべての輸出企業に有利とはならない。国民生活にとっては国内物価を押し上げて生活を苦しくしているだけ。
・円安は、海外で生産して国内で販売する日本企業にとっては、原材料など製品原価を製品価格に転嫁する値上げと、日本と海外で販売する製品の価格を、為替相場のバランス(例えば、円安の日本で購入して転売利益で稼ぐ業者の存在を排除するため)から製造原価の値上げ分以上に国内価格設定を高くせざるを得ない。そのためモノによっては数年で倍近い価格設定になったものもある。
・現在の賃上げは、製造原価(仕入原価)が上昇しているので物価が上がり続ける要因となりかねない。企業の体力や収益構造によっては賃上げは困難で、国民の格差がさらに広がる。仮に賃上げがあっても物価は上昇するので可処分所得は増えない、賃上げがなかった企業の社員では可処分所得が減少するのみ。現在の曲面で行うべきは賃上げではないのではないか?
・内需が拡大して、国民の実質所得が増えて、企業の収益も改善される結果がないまま、ゼロ金利政策が行き場を失ったお金が株式市場に入っているだけの実態のないバブル株価ではないか。
あるべき姿として、
・景気回復、幸福な社会に向けては内需の拡大をめざす施策がとられるべきだが、それとは真逆の方向へ政治が向かっている。具体的には中間層や生活弱者の切り捨てとなる消費税の増税(経団連は20%をめざせという)、インボイス制度、国による管理の原動力となるマイナ保険証など。
・幸福な社会の定義は、格差が減少すること(これについてはさまざまな内外の論文で明らかとなっている)。日本はまだ海外と比べて格差は少ないといわれるが、失われた30年で中間層がなくなり、金持ちと貧乏人に二極化する政策が行われてきた。そのため、お金が有り余る少数の人々をさらに優遇する政策(税や保険は高額所得者ほど負担感が少ない逆累進性など)、お金のない人をさらに貧困化する政策が行われてきた(それらを客観的に分析してわかりやすく解説し政策として提案しているのはれいわ新撰組である)。
以上のようなところから大局観を描くなら、実態を反映しない株価となっており、それを維持する政策(法人税減税や消費税税率改定20%など)を与党の献金先である経団連や、情報操作で暗躍する広告代理店(与党が顧客)が存在する。
あるべき姿は、すべての国民、すべての事業者が幸福となる政策で、その手段は見えているにもかかわらず実行される力学がない。政治の腐敗を防止するだけでは不十分で、献金によって支えられる政治活動(政党)が甘い汁を吸えるしくみを提供し、そのお金がまた政党に貫流して、一部は政治家の懐に消えるがおとがめもなし、という構図から脱却しないとこの国は変われない。すなわち国民の幸福をどう定義し、そのための政策(行動計画)を描けること。それができれば潜在的に世界有数の資質を持つこの国と国民は世界の模範(称賛や憧れ)となり得ると思う。
前の日銀総裁が長い間続けてきた無意味な実験(結果が伴わなければ数か月でゼロ金利政策を撤回しなければならなかったが、十年も続けてしまった)のツケはいまに重くのしかかっている。誤解を怖れずにいえば株価はいったん下げなければならない。正しい政策をやれば漢方薬の瞑眩反応のように膿出しのためにいったんは下がってもそれは一時的。本質的な内需の回復とともに株価は実態を伴って上昇に転じるはず。日銀の植田総裁の意志決定を支持したいと思う。
株価が下がって不安な方はよく考えてください。力学やあるべき姿を考えれば、下がるべくして下がったもの。現状は根源の経済循環のしくみが変わっていないので、経済の実態は株価よりさらに低いところにある(=もっと下がる)と思うのなら、損をしても株式投資から撤退すべき(いまからNISAに取り組もうとする人、結論は出ていませんか?)。政策、為替、人口減少や戦争など社会情勢に左右されない安定した(実態のある)資産は値上がりが続いている。
あと30年〜50年は塩漬けで構わない方は株価に一喜一憂せずそのまま持ち続ける。ただし、政治がどんどん腐敗していくなかで将来展望はない(数年後にどのような社会になるかも見えているけれど)。社会を変えていく行動を起こさないと株価も上昇しない。
解釈は人ぞれぞれなので鵜呑みにしないで。
ただし誰であっても、流れてくる情報を解釈することなく受け止めず、疑問や問題意識、あるべき姿を描いて大局観を持って判断することこそ、こんな時代に生きるうえで必要では?
国民の幸せを描ける社会(政治も含めて)に代えていくことが誰にとっても幸せな未来となるという大局観とそのための行動を起こすしかないのでは。
追記
BODY AND SOULから印象に残ったフレーズ(原文)をいくつか掲載する。中学生でも理解できる平易な英語で書かれている(和訳版は廃刊になっている。いまとなっては当たり前のことなのでわざわざ取り寄せて読むまでもない)。
女性の価値観をビジネスに
I think all business practices would improve immeasurably if they were guided by "feminine" principles---qualities like love and care and intuition.
最初から理想を描いていたわけではなかった
I didn't know anything about business when I opened the first Body Shop in Brighten in 1976.I didn't want to change the world; I just wanted to survive and be able to feed my kids.
脱マーケティング
They spent millions on market research; we simply said to our customers, "Tell us what you want and we will try and get it for you"
男性に見せるためではなく。これはその後成功した化粧品メーカーの概念となった
What is beauty? I believe beauty is about vivaciousness and energy and commitment and self-esteem, rather than some ideal arrangement of limbs or facial features as celebrated in fashion magazines and beauty pageants.
環境対応、簡易包装、動物実験なし、フェアトレードなどいまでは当たり前となったSDGsの先取りとなる行動で急成長した企業で、日本では自由が丘に1号店が出店し、いまでは全国津々浦々で見かけるようになった。当時は和訳が未刊のため、梅田の丸善書店まで買い求めに行き、数か月かけて自分用に和訳した。
ひとことでいうと、Profits with principlesと掲げられた副題のように、理念から利益が生まれる経営の実践を説いたもの。当時の日本は、株価、不動産価値が上がれば正義、そのことの上に繰り広げた実態のない経済で踊っていた時代に、目を覚ませと着眼点を示唆する著書であった。この本については追記欄で。
2024年8月第1週で株価が急落した。以前から思っている(このブログにも頻繁に書いてある)ことだが、バブル崩壊の反省が活かされていない。当時もいまもバブルには浮かれることはなかったが、ぼくなりにこの時代から得た教訓は、
(1)あるべき姿(真善美)を描いて、乖離していればおかしいと感じる。
(2)マスコミ(SNSなどから隠れ情報操作などもある)や世論に惑わされない。その情報の動機、誘導する組織の意図と力学を見抜く。
何か変だと思うことを書き連ねる。いちいち出典や数字は上げないが、気になる方はご自分で調べてほしい。
起こっている現象として、
・家計の支出は数年続けて前年同月を下回っている。生活が苦しいと実感する世帯の割合が増加している。
・このことはGDPの大半を占める内需に影響を与えている。人々は使いたくてもお金がないので節約する。
・いまの物価高は円安を最大要因として、間接的には、人手不足、海外依存のサプライチェーンなどが原因となっている。
・企業は税制や補助金、助成金によって賃上げの動機(圧力)があるが、輸出で稼ぐ大企業と違って、内需中心の大企業やほとんどの中小企業は賃上げは苦しい。輸出中心の大企業は内部留保を吐き出す=賃上げを行えるが、そうなると中小企業との賃金格差はますます広がる。
・賃金を含めた原価の上昇で企業は販売価格を上げざるをえない。それが物価をさらに押し上げる悪循環となる。いまの日本では賃上げは禁じ手に近いのではと思う。
・株価は34年ぶりに高値を更新した。逆にいえば、1989年の水準に戻るのに34年かかった。この間に、政治の誤った政策で失われた30年があった。それを主導したのが自公政権である。
・同じ4万円の株価でも、かつての日本は時価総額で世界のベスト10に入る企業が8社あった。いまはベスト30に入る企業もない。円相場は下がり続けて、円高で海外旅行の良さを実感できた時代とはほど遠く、いまや東南アジアの人々が格安と思って旅行に来るが、海外実習生は給与が安いためなり手が少なくなった。
・かつては郵便局に10年預ければ税引き前でほぼ倍になって戻ってきた。1年で7%の金利がつく金融商品(ノーリスク)もあった。
仮説として
・現在の円安は、日銀の前総裁からの誤った金融政策(異次元緩和)の弊害であり、金利が上昇すれば円安はある程度是正される。
・円安は輸出企業に有利とされているが、実態は円安曲面がすべての輸出企業に有利とはならない。国民生活にとっては国内物価を押し上げて生活を苦しくしているだけ。
・円安は、海外で生産して国内で販売する日本企業にとっては、原材料など製品原価を製品価格に転嫁する値上げと、日本と海外で販売する製品の価格を、為替相場のバランス(例えば、円安の日本で購入して転売利益で稼ぐ業者の存在を排除するため)から製造原価の値上げ分以上に国内価格設定を高くせざるを得ない。そのためモノによっては数年で倍近い価格設定になったものもある。
・現在の賃上げは、製造原価(仕入原価)が上昇しているので物価が上がり続ける要因となりかねない。企業の体力や収益構造によっては賃上げは困難で、国民の格差がさらに広がる。仮に賃上げがあっても物価は上昇するので可処分所得は増えない、賃上げがなかった企業の社員では可処分所得が減少するのみ。現在の曲面で行うべきは賃上げではないのではないか?
・内需が拡大して、国民の実質所得が増えて、企業の収益も改善される結果がないまま、ゼロ金利政策が行き場を失ったお金が株式市場に入っているだけの実態のないバブル株価ではないか。
あるべき姿として、
・景気回復、幸福な社会に向けては内需の拡大をめざす施策がとられるべきだが、それとは真逆の方向へ政治が向かっている。具体的には中間層や生活弱者の切り捨てとなる消費税の増税(経団連は20%をめざせという)、インボイス制度、国による管理の原動力となるマイナ保険証など。
・幸福な社会の定義は、格差が減少すること(これについてはさまざまな内外の論文で明らかとなっている)。日本はまだ海外と比べて格差は少ないといわれるが、失われた30年で中間層がなくなり、金持ちと貧乏人に二極化する政策が行われてきた。そのため、お金が有り余る少数の人々をさらに優遇する政策(税や保険は高額所得者ほど負担感が少ない逆累進性など)、お金のない人をさらに貧困化する政策が行われてきた(それらを客観的に分析してわかりやすく解説し政策として提案しているのはれいわ新撰組である)。
以上のようなところから大局観を描くなら、実態を反映しない株価となっており、それを維持する政策(法人税減税や消費税税率改定20%など)を与党の献金先である経団連や、情報操作で暗躍する広告代理店(与党が顧客)が存在する。
あるべき姿は、すべての国民、すべての事業者が幸福となる政策で、その手段は見えているにもかかわらず実行される力学がない。政治の腐敗を防止するだけでは不十分で、献金によって支えられる政治活動(政党)が甘い汁を吸えるしくみを提供し、そのお金がまた政党に貫流して、一部は政治家の懐に消えるがおとがめもなし、という構図から脱却しないとこの国は変われない。すなわち国民の幸福をどう定義し、そのための政策(行動計画)を描けること。それができれば潜在的に世界有数の資質を持つこの国と国民は世界の模範(称賛や憧れ)となり得ると思う。
前の日銀総裁が長い間続けてきた無意味な実験(結果が伴わなければ数か月でゼロ金利政策を撤回しなければならなかったが、十年も続けてしまった)のツケはいまに重くのしかかっている。誤解を怖れずにいえば株価はいったん下げなければならない。正しい政策をやれば漢方薬の瞑眩反応のように膿出しのためにいったんは下がってもそれは一時的。本質的な内需の回復とともに株価は実態を伴って上昇に転じるはず。日銀の植田総裁の意志決定を支持したいと思う。
株価が下がって不安な方はよく考えてください。力学やあるべき姿を考えれば、下がるべくして下がったもの。現状は根源の経済循環のしくみが変わっていないので、経済の実態は株価よりさらに低いところにある(=もっと下がる)と思うのなら、損をしても株式投資から撤退すべき(いまからNISAに取り組もうとする人、結論は出ていませんか?)。政策、為替、人口減少や戦争など社会情勢に左右されない安定した(実態のある)資産は値上がりが続いている。
あと30年〜50年は塩漬けで構わない方は株価に一喜一憂せずそのまま持ち続ける。ただし、政治がどんどん腐敗していくなかで将来展望はない(数年後にどのような社会になるかも見えているけれど)。社会を変えていく行動を起こさないと株価も上昇しない。
解釈は人ぞれぞれなので鵜呑みにしないで。
ただし誰であっても、流れてくる情報を解釈することなく受け止めず、疑問や問題意識、あるべき姿を描いて大局観を持って判断することこそ、こんな時代に生きるうえで必要では?
国民の幸せを描ける社会(政治も含めて)に代えていくことが誰にとっても幸せな未来となるという大局観とそのための行動を起こすしかないのでは。
追記
BODY AND SOULから印象に残ったフレーズ(原文)をいくつか掲載する。中学生でも理解できる平易な英語で書かれている(和訳版は廃刊になっている。いまとなっては当たり前のことなのでわざわざ取り寄せて読むまでもない)。
女性の価値観をビジネスに
I think all business practices would improve immeasurably if they were guided by "feminine" principles---qualities like love and care and intuition.
最初から理想を描いていたわけではなかった
I didn't know anything about business when I opened the first Body Shop in Brighten in 1976.I didn't want to change the world; I just wanted to survive and be able to feed my kids.
脱マーケティング
They spent millions on market research; we simply said to our customers, "Tell us what you want and we will try and get it for you"
男性に見せるためではなく。これはその後成功した化粧品メーカーの概念となった
What is beauty? I believe beauty is about vivaciousness and energy and commitment and self-esteem, rather than some ideal arrangement of limbs or facial features as celebrated in fashion magazines and beauty pageants.
posted by 平井 吉信 at 11:23| Comment(0)
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2024年06月02日
これだけおかしくなっても!?
異変をきたしている。地球環境もそうだが、日々の暮らしもそうである。
この5月は、コロナでも売上を減らさなかった人気の飲食店の店主が暗い表情であった。店頭には行列ができるパン店が過去最悪だったとのこと。4月は前年度を上回ったホテルが5月では計画を下回った。
自宅前の道路に吸い殻が落ちているのを見かけるようになった。以前にはほとんどなかったことで、ひどいときは一日数回清掃している。
タバコのポイ捨ては喫煙者が多い所得層の精神状態が良好でないと考えると社会が悪化しているともいえる。相次ぐ政治家襲撃事件も個人の思想や資質で片づけず、国民の潜在的な不満が見えない集団圧となっているのではないか(これまであまりにも政治に無関心すぎたので政治家や政党が利権のサークルになってしまった。政治をやっていくには汚れ手も必要悪などと考えてはいけない)。
とにかくこの5月がおかしい。物価高と所得の減少で人々の暮らしが限界に近づいているのではないか。特に自営業や小規模事業者は、コロナで大きな影響を受け、原材料高騰や物価高で原価が上昇した分を転嫁することができず、インボイスが大打撃となった。電気料金もそのうち大幅に上がる。
6月の所得税の定額減税は、個人事業主には効力が及ばず、来年の確定申告を待てということである。4月に昇給して6月に減税の恩恵があるのは大企業の社員に限られる。しかもその煩雑な事務処理を求められる基礎自治体や企業の総務担当者からは悲鳴が上がっている。
それなのに、2023年の個人の確定申告の税収は過去最高と国税庁は発表。馬鹿げている。苦しいときに課税を強化するなどやってはいけないこと。
一方で、おとがめなしなのは悪事を働く国会議員。けれどパーティ券をいつまでも議論しているときではないだろう。もうその議論はやめよう。
やるべきことは簡潔。問題を起こした議員は金額の多寡や自身の関与にかかわらず責任を負う。自主的に議員を辞職するとともに、法令で定められる期間の公民権を停止。不正な所得への追徴課税もセットである。
それとともに、企業献金、パーティの禁止を行うとともに、金のかからない政治活動(広報)のために、国がすべての議員のために用意する(デジタル庁を設置しているのだろう)。そこで政策や成果を発表できる共有プラットフォームの構築(政務調査費も不要となる)などの政治改革をやると決めること。たったこれだけ。反対する国民はいないだろう。
やらなくてよいこと、やってはいけないことを連発しながらやるべきことはまったく手を付けない。やるべきことは、簡単に実行できて、余計な手間や費用がかからず、しかもその恩恵が国民全員(個人も法人も小規模事業者も大企業も含む)に及ぶ方法があるというのに。
それは消費税の撤廃(最低でも税率を一律で5%に下げるなど=インボイス不要)である。いまの日本では給与を上げてはいけない曲面であることが理解されていない。物価高を給与を上げて対応ということになれば、製造原価(工場の人件費の場合)、販管費(事務所や営業の場合)などの経費が上がるので製品価格を上げざるをえない。そこで可処分所得が減るので給与を上げる、という負のスパイラルに陥って未来永劫抜け出せなくなる。企業は売上高は上がるが利益は上がらず物価のみ上がるが、すべての人が給与や所得が上がるわけではないので格差の拡大、貧困世帯の増加、社会の不安定が増す。それは幸せな国の姿ですか?
これで革命が起きなければ日本は滅びる、というところまで来ている(これでも穏便に表現しているつもり)。
消費税の撤廃で税収が減るというのであれば、いま円安でもっとも儲かっている大企業の法人税率を上げるだけ。日本の企業が世界を席巻していた30年前なら、法人税率はいまの倍でも成長できていたのだから。
経済の好循環は、需要を喚起することから。その最有力な方策が消費税の撤廃(減税)である。使えるお金(可処分所得)が増えるので消費が増える。それは飲食店、個人事業主やフリーランス、雇用されている人、経営者、法人のすべてが恩恵が受けられる。しかも手続きや間接経費は不要。ソフトウェアの税率の設定変更であれば軽微な手間の変更であるし、なによりそれで売上が上がることが期待できる。同じ手間でも未来に希望が感じられる制度変更なら国民は喜んで受け容れる。
マイナンバーカードと保険証の紐付けなど、すべての国民が拒否することで制度が見直されるきっかけとなる。いくら期限を切られても対応してはいけない。
だから政治(選挙)に無関心はやめよう。どこ(誰)に入れても同じと思わず、半歩でも前進しよう。国のしくみを変えれば自ずと好転するやりかたがあり、それこそが本質的な課題設定ではないだろうか。
選挙でどこに入れるかって? 今回はとても簡単。すぐにできる本質的な課題として消費税の撤廃(減税)を掲げているところへ国民の票を集めること。
政治(選挙)はあくまで手段。その先にあるすべての国民(企業も含む)の幸福が願いである。
posted by 平井 吉信 at 11:20| Comment(0)
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2024年05月19日
白ワインにイチゴ
物価高騰対策として。
赤と白のワインは常備しているご家庭は多いが、価格と品質が魅力的だったチリ産ワイン(寒冷な気候で良質のブドウが確保しやすく、しかも日本との協定で関税がかからない)も値上がり傾向。円はドルに対してのみならず、すべての通貨に対して価値が下がっているのだろう。
果汁は輸入ながら飲みやすいのはメルシャンの酸化防止剤無添加の赤と白。しかしこれも値上がりしている。そんななかでセブンイレブンで販売されている同社のワインは手が届く価格に抑えられている。
https://7premium.jp/product/search/detail?id=130
https://7premium.jp/product/search/detail?id=131
そこにイチゴを半分に切って落としてみたもの。イチゴは酸味のある菓子用などが合うかもしれない。目で見る愉しみ、香りを嗅ぐわくわく感、そして舌を転がし、喉を通る満足感と、1飲みで3度おいしいワインとなる。

このボトルは高品位なもので、リサイクルに回しても良いが、洗浄して再利用すると、野外生活で外へ持ち出す水を入れる容器となる。アルコール耐性があり、密閉度が確保されている容器代と考えると安いもの。
セブンイレブンでは、さらに上位に良いワインがあるという。いつかの愉しみにとっておこう。
https://7premium.jp/product/search/detail?id=8529
追記
赤ワインにトマトもやってみた。トマトは地元農園によるスマート栽培によって水遣りを絞ったもので旨味は濃厚で酸味もある。一見合いそうに思えるが、食べる前から合わないだろうと味を描いた。
結果は予想どおり。赤ワインは、草くさくなって水っぽくもなった。対するトマトはこれはこれであり得ると思える。このように味の相乗効果や相性はある程度予想がつくもの。赤ワインに何が合うかって?
考えるだけで楽しみが増えた。
posted by 平井 吉信 at 23:42| Comment(0)
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2024年04月11日
ヴィオラの成長物語とそこから派生するムダな雑談のあとで、スミレのクナイプ
ご容赦ください。スミレの話題ばかりじゃないかって。
でも、短時間に花期は過ぎていく。そしてそれが来年も眺められるとは限らないもの。すべての生物は自分以外の生物と一期一会と思って生きていく。それが自然体のような気がする。ただ、見たいんです。
それでこのヴィオラの花。これは近所の直売所で50円で買ってきた苗。売られているポットで、もっとも小さくて、元気がなさそうで、(ぼくが買わなければ)誰も買わなさそうな苗を選んだ。あとは可能性にかけるだけ。

かけるといっても、賭け事は好きでないし、やらないことは徹底している。アインシュタインは「神はサイコロを降らない」と言った(量子力学、特に不確定性原理を批判したもの)。自分の意志や意識が及ばないことは偉大なことか、つまらないことかのいずれか。
世の中で大流行したものにも興味なし。ドラゴンボールも鬼滅の刃もハリーポッターも見たことないので話題に入れない(主人公の名前もあらすじも知らない)。
ギャンブルをやらないとは、任天堂やソニーなどから発売されたテレビゲーム、パチンコ、競馬競輪競艇などの公営ギャンブル、麻雀、ポーカー、縁日の標的に至るまですべて。賭け事でないけれどゴルフもやらない。サラリーマン時代にゴルフコンペがあって何度か誘われたが、道具は持っていないし、同僚たちは出世や接待の道具でやりたくもないのにやっているのが透けて見えて興ざめ。
大画面のテレビもなしで、未だに15インチのブラウン管(ソニートリニトロン=1980年代製)を使っている。キャリアが停波しなければいまでもPHSを使っていると思う(PHSで不便を感じない)。スマートフォンはやむなく1万円で中古を購入したが、電話機としては使っていない。電話機で使わないとすれば、使い途がわからないので数年放置していた。この頃、使い途を発見したのは、天気予報のソフトウェアをインストールして、それを見るようになったこと(ウェザーニュース)。あとは、QRコードの読み取り機能が付いていなかったので、レンズという名称のソフトウェアを入れたら読めるようになった。URLを読み込んだらパソコンに転送してPCの広い画面で閲覧する。ただし機種が古いせいか、クリックしてソフトが立ち上がるまで5秒以上かかる。2〜3万円の高価なスマートフォンなら処理能力は上がるのだろうが、処理速度についてはCPUやGPUの性能差(=消費電力差)があるのでパソコンには及ばない。
スマートフォンで見たいものはなし、やりたいことはなし。この小さな画面で、入力装置がなく(物理キーボード)、表示が遅く、データの保存性に劣り、数時間おきに充電が必要という不便な端末であなたは何をしているの?と尋ねたくなるほど。SNSをやらないのも同じ。「いいね」ほどつまらないものはないと思っているので。レスポンシブといえば聞こえが良いが、スマートフォンの普及はWebのインターフェイスや閲覧性を阻害してしまったね(PCではレスポンシブデザインは使いづらい)。
そんなわけで何にオチを持ってくるかいうと、大谷翔平選手はおそらくギャンブルにまったく興味がないだろうということ。だって野球という(彼にとっては)最高におもしろい存在があるのに(興味のない人間にとってギャンブルをやりなさいといわれるのは拷問)、野球の練習時間を割いてギャンブルを行うことはありえない。善意で建て替えなどもしない。彼はモノサシをはっきりと持って生きている。お金の問題じゃない。ただそこにお世話になったという感情が絡むけど、潔白が証明されるのは時間の問題だと思う。水原さん、賭け事じゃなく、自分の人生、つまり可能性にかけてみればよかったのに(いつも翻訳を聞いていて良いニュアンス訳だと思っていた)。
ぼくもやりたいこと、知りたいこと、取り組みたいことがあるので、寝る時間や食べる時間を削って生きている。仕事も複数の仕事をこなし、家事のほとんどは分担して(合理的な方法を考えるのが愉しい)やっているので、夜中の2時や3時に炊飯していることもしょっちゅうある。買い出しは、外出する機会の多いぼくの役割で、それぞれのスーパーの特徴や買い得、価格も把握している。同一チェーン、例えば、コスモスやハローズで、同一地域の同一日で店ごとに同じ品物の価格が異なる場合があることは知っていますか? ここ数か月(あるいは数日の)の生活用品の値上げについては岸田首相はわかるはずもないだろう。POS端末の設定は本部集中管理で行うので、これらは消費者行動のエリアマーケティングであり、属性に基づく仮説の検証を行っている(AI援用による機会学習)。
そんなわけで、最初の段落のオチとしては、庭のヴィオラ(あの貧弱な苗だったヴィオラ)がたくましくも凜々しく咲き誇っている姿に感動したということ。


ハナニラとヴィオラの間にはニオイスミレ(花が終わって葉だけになっている)がある

スミレ(バイオレット)の香りのクナイプ(バスソルト スミレの香り)が季節限定で発売され、それを入手して一日を振り返るひとときが愛しいということ。合成ではなくニオイスミレの花エキスが使われており、歴代のクナイプの香りではもっとも良いかも。甘やかでほのかであって消えていくようで。

この2行を書くために、ムダな多数の文字を消費する行為こそ、ギャンブルに匹敵するムダな行動。でもそのムダが良いんだという点では同じ穴のムジナ。
タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 23:43| Comment(0)
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2024年02月17日
H3ロケット 打ち上げ成功おめでとう!
成功してよかった。はやぶさ初号機も感動したけれど、多くの人の知恵と熱意の結晶の成果はもっと多くの人に共感という揺さぶりを与えるね。
https://www.youtube.com/watch?v=VtsUTvZRcJM
日本が強みとしている世界有数の多様な生態系と科学技術、それと伝統的な文化は大切にしていきたいもの。
ところが大学の研究費や科学技術にかける費用はどんどん削減されている。費用対効果のかけ声のもと、削減されたことが日本の国力の低下をもたらしている。もっとも費用対効果が悪いのは政府の政策だよ、ムダの権化の万博開催(つくってすぐに捨てるんだとよ。SDGsの時代に)や本質的な安全保障を飛ばしていきなり防衛費の増強、医師も患者も怒る保険証の廃止、小規模事業者の廃業続出、企業総務の手間増大で生産性低下のインボイス導入、使えないマスクやばらまき商品券ばらまき現金…やらんでよいことのオンパレード。誰を幸せにしているのか?
つまらない政治を一掃したいと良い未来をつくる処方箋は見えているのに、それとは逆のやってはいけないことばかりを積み上げる政府、政治は要らない。1億人が政治家になったつもりで未来を考えて実践していかないと(勉強しないと陰謀論やらNHKも加担する政府の広報にだまされるよ)。
ぼくからの提案はいつもだけど、政治家を10倍に増やそう。国会、都道府県議会、市町村議会の境界をなくしてデジタル技術を活用して議論しよう。全国津々浦々の声を集めていこう。
政治家を増やすって?
それは身近なところから、どんどん政治に関わってもらうしくみ。学生や子育て世帯、パートタイマーや中小企業の経営者、高齢者、身障者など、これまで政治に関わっていない人たちの声が届くしくみ。
議員は、所属する市町村と県のみならず国会でも議決権を持つ(リモート投票)。こうすることで政党やら派閥は有名無実化。その政策や成果は、国が一律に準備する政治家データベースで活動記録や公約、政策提案を掲載できる。有権者に伝える費用が不要となったことで政務調査費も不要。意義のある活動には事前に申請書を提出して採択されれば調査を行い報告書と領収書が検収されて後払いとする。
議員の報酬も日当(1日2万円、半日1万円)として、さらに年間の上限200万円を設定(ぼくの知っている人たちは、私財を投げ打って活動していた人たちばかりだから、社会に貢献して2百万円もらえるなんて夢のような話)。こうすればお金がかからなくなるし、影響力を行使したい企業からの献金など意味をなさなくなる(もちろん企業献金やら政党助成金も廃止ね)。それで政治活動に横たわる問題、ひいては生活者の声を反映する政治が行いやすくなり、すべて解決するのでは? 日本が経済大国でなくなったいま、社会のあり方こそ世界に示して住みやすい国1位をめざすべきでは?
行政には政治家の政策立案を支えるための統計局を設置する。政治家からの求めでデータの分析と収集を行うのだが、政治家に提供する際は複眼でチェックする。そのことで統計局としての専門性と客観性(つまりは身分の保証と職業的倫理観)を担保する。どの政治家がどんな統計を要求したか、その分析結果はどんなものかは先のWebデータベースで公開される。国民の税金だから当然である(もともと統計にはその性格上個人情報は含まれない)。
うまくいかない国や組織の共通点はワンマン(ほら、あの国もかの国も)。うまくいっている組織の共通項は、幸福感を感じる人たちが良いナラティブを紡ぎ出して、そこから発展の和が限りなく広がっていく。いわば幸福感がすべての出発という視点(近年のハーバードあたりの科学的な根拠に基づく論文は読んでる? いまの株価は不幸な人たちがあふれる社会が払った代償だから、いったんは暴落させないと。世直しができたら株価は急上昇するから。実態を反映していないから投資は危ないよ)
万博や五輪や防衛費、はたまた政策調査費やパーティ券収入は別の世界にあるよう。どこにも歯止めがないのに、まじめな議論になると予算がないという。だから社会が破たんしないために税金を上げて、みなさんが負担していただいてと呼びかけるけれど、所得に対する租税の負担は5割を超えてしまった日本。可処分所得は減少しながら税率はどんどん上がっていく。それでもゆりかごから墓場までの国のような社会保障は夢のかなた。国の金庫(財務省)を政治家(=国民の代理人)が管理することで、利権のループから切り放すことができて、ムダな支出を防ぎつつ必要な投資はきっちりと行えるようにする。
一方でどんどん税率を下げた大企業の法人税だけど、かつて企業の時価総額では世界ベスト10に8社入った国が、いまやベスト30に1社も入らない。法人税を下げたことが内需を圧迫して人材を流出(家電メーカーの買収など)させてしまった悪循環。中小企業にはその恩恵もなく、社員の給与も上がらなかった。不幸な国民が増える国で経済政策や子育てがうまくいくはずがない。いまの政治が続く限り、子どもが生まれた数だけ不幸な人を増やすだけになってしまう(子どもを増やしたいのなら政治を変えないと)。
間接民主が機能せず利権誘導の構図から脱却できず最大多数の最大幸福にはならない以上、政治家を増やしてブロックチェーンのように大勢の人が政治を監視するしくみにするしかない。大切なことは良い政策を行うことではなく、不要な政策をやらないこと。それが機能するようになってから、良い政策を立案実行していくしくみを調えていけばよい。
多幸感のある国民が住む国をめざして一人ひとりが政治に参加しなくては(脱政党、脱イデオロギー)。
posted by 平井 吉信 at 11:55| Comment(0)
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2024年01月05日
心の声を聴け 政治家たちよ
ここ数日、本ブログでアクセス数が著しく多い記事がある。
それは、三原山噴火で全島民を数時間で避難を可能にしたできごとから危機管理とはどうあるべきかを書いたもの。
→ 三原山噴火にみる危機管理
岸田首相/官邸の危機管理の意識のなさは目を覆うばかり。いま何をやるべきかを果敢にやり遂げなければならないというのに、重要でも緊急でもないことに注力しているように見えるし、記者会見も他人事のように見える。参加の必然性のない新年会に参加していたとの情報も聞いた。20世紀の自民党内閣ならこんなことはなかった。まるでパーティ券スキャンダルが注目からはずれたのを喜んでいるのでは?と勘ぐってしまう。
いますぐやるべきこと、1週間後にやるべきこと、数週間後にやるべきこと、1か月後にやるべきこと…。それぞれの過程に向けて準備しておくことを洗い出すこと。
限られた資源ゆえにやらなくてよいことをいますぐ止めるべき。万博、増税/インボイス、憲法改正、防衛費増強、原発…。現時点でも外部電源喪失の危機にあるとされる志賀原発を見ても原発を動かすのは危ない(福島第一原発から13年しか経っていないというのに)。
もっと心の声を聴け、岸田首相よ。政治家たちよ。
国民を見捨てようとしているつもりだろうが、
国民が見捨てようとしているのは政府だよ。
posted by 平井 吉信 at 23:02| Comment(0)
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2024年01月03日
産土神社にて
元日の朝、自宅の神棚で祝詞を奉ることから始める。
続いて仏壇で読経。台所の竈の神様である三宝荒神へも。
その後に初詣。まずは八幡神社、天照皇大神、三宝荒神の御札を求めて参拝する。
産土神には天津祝詞を、伊勢神宮からの分祀社では十言神呪を奏上する。
個人の願い事は一切しない。ただ神々の弥栄とこの社会の安寧を願うのみ。
曇りのない目で世界を見たいから。
そして災害と事故への鎮魂を込めて。






タグ:神社仏閣
posted by 平井 吉信 at 01:23| Comment(0)
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2024年01月01日
年始の提言
令和6年能登半島地震で被災された方、お見舞い申し上げます。
社会が崩壊寸前に至っているので「おめでとうございます」は使いません。悪政が諸悪の根源(そこに至った国民の政治への無関心も)です。
株価が高いのは庶民の幸福(身心とも豊かさを感じる暮らし)を犠牲にして上場企業(地元の中小企業は無関係)が奪取しているから。低金利は円安、円安は輸出企業にとっては売れるだけでなく巨額の消費税還付でうほうほ(税率が上がるほど儲かるので経団連は消費税を上げよと提唱。経団連企業の製品の不買運動を積極的に進めよう。一例としてキヤノンやサントリーの製品を無視するようになって数年。一切購買の対象にしていない)。
長い自公政権(民主党政権は支持しないが、どちらが悪夢の政権かはさまざま統計が白日の下にさらしているでしょう)で大企業の内部留保は増え、その財源に消費税率の引き上げを充当している。このからくりが国民に見えないようにしている。これについてはインターネット上で政府統計などを引用した解説が随所にあるので調べてみて。
株価がいまと変わらない水準だった1989年、時価総額のトップ10に日本企業は8社入っていた。それがいまではベスト30には1社も入らない。上がらぬ賃金、消費税率の引き上げ(3%→10%)、インボイスの実行、低金利で資産の目減り、物価高騰も相まって30年前より国民の可処分所得は減少している。感覚的には日経平均は1万円ぐらいが相場だろう。NISAで投資するのは危ないと感じる。虚構の株価は何かのきっかけ(金利の引き上げや国民の抗議など)で元に戻る(暴落する)のは必定だから。
以前から主張し続けているけれど、政策によって株価を引き下げるように誘導すべき。でも株式を持っている方、ご心配なく。それは一時的なもので、やがては内需拡大から国民の幸福度、所得増大、中小企業や個人商店までも潤って好循環に入り、その実態の反映として株価は上がる。それこそが待ち望む状態である。
政党に良い政策を期待できないとすれば、どうすれば国民の幸福につながるまっとうな政策が出てくるかを考える。そのひとつが政治家を増やすこと。例えば10倍から100倍ぐらいに。
思いはあって、勉強もしていて、課題を抽出して良い政策を提案したいと思う人たちがいる。それが子育て中の女性、余命いくばくもないが社会に役立ちたいと考える高齢者、現場で日夜奮闘する現役の生産世代、学生や若者、商店主であるかもしれない。そんな人たちが政治に参画すべき。世界の政治を見ていると、ひとりの独裁者の思いつきでひとつの国や地域、はてには世界が左右されている。間接民主主義が機能しないのであれば政治家を増やすしかないではないか。
議員の報酬は実費弁償とする。例えば日当1万円。専業議員は認めない(議員の報酬など年間数十万円から1百万円程度で良いではないか。そのほとんどは票取りの活動と費用で政策の研究ではないのだから)。そして政策の提案は国が用意した専用Webサイトに各候補者が思いや理念、政策などを登録するようにする。内容の要約はAIが行って政策のエッセンスが比較しやすくする。議会はオンラインを原則として誰もが参加しやすいようにする(全公開)。旅費も必要なくなる。政党助成金も企業献金も廃止して、無能な二世議員や業界の利益誘導、財務省のいいなり議員などが排除できる。
政治家はその成果がは公正に評価されるようにする。誰でもなれる代わりに、任期の間どのような活動を行っているかを報告する義務を負う。それらはデータベースに蓄積されて、貢献していない議員や意味不明の政策(現在の少数政党に見られるような)を訴求していると評価値が下がり、次回は出馬できなくなる。というのも、まじめに良識を持って働いている議員が落選してしまうことがあまりに多かったため。現在の自民党の女性議員を見てもおわかりのように差別的発言や勉強不足を露呈する人材があまりに多い(女性だから良い悪いのではなく、能力のない著名人や野心を持って偏った考え方の持ち主が選挙で上がっていくしくみに問題がある。選挙と政治を切り離せないかぎり、この国の未来はない。
もうひとつの大きな改革は国会、県議会、市町村議会の枠をとっぱらうのだ。議員であればどの議会にも参加できる。政策は基礎自治体だけで完結しないのでそれが自然な姿だろう。
デジタル化には熱心な?自公政権ゆえ投票もデジタルにすべき。そのためのマイナンバーだろう。サイレントマジョリティに選挙に行って欲しくないのかそのような議論はまるで聞こえてこない。
そうはいっても明日からただちに実行できる政治のやり方も提案しておきたい。現在の自公政権が断末魔の状態にあるとはいえ、それに変わる野党も存在しない。それならば政党をすべて解体するか、すべての政党からなる連立政権をつくるかだ。
後者の場合、政策同意書を各党の協議でここは同意できるというものを作り上げ、それに基づいて政策決定を行うようにするのだ。そこが難航すると思われるが、国の非常事態に足の引っ張り合いをしているようではどうにもならない。望ましい未来とは何か、その基本理念を政治家だけでなく国民と共有するしくみをつくっておくとよいだろう。デジタルによる国民の評価を反映させることで政策同意書は国民との約束ごとということになるのだから。
いまの社会をひとことで表現するなら、「やってほしいことをやってもらえないのなら、やってほしくないことをやらないでくれ」。間違っているでしょうか?
みなさまのご多幸を願っています。
2025年1月1日
posted by 平井 吉信 at 21:18| Comment(0)
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2023年11月19日
100円少々で買える庶民の楽しみ そこに住む人の幸福がすべてを明るくするというのに
まあいろいろあるでしょうが、この秋の新製品では2つ挙げてみた。

かっぱえびせん のりしお味
https://www.calbee.co.jp/products/detail/?p=20230721112805
鼻から味わうかっぱえびせんという感じで、植物の葉緑素的な匂い立ちと、塩のきいたエビの組み合わせの妙。定番よりもおいしいので定番化してほしいけど秋限定のよう。
大塚食品 マッチ ビタミンみかん
https://www.otsukafoods.co.jp/product/match/500_mikan.html
清涼飲料水につきまとうべたつき感が少なく好印象。うんしゅうみかん果汁を使用しているようで、酸味と甘味を押えたあっさり風味。
物価高で庶民は工夫している。政治には好循環をつくるきっかけとなる政策を行ってほしい。所得減税(定額)+一時給付金はやらないほうがましだよ。
日本の経済が良くならないのは内需が弱いからというのが専門家の見解(ぼくもそうです)。ここを出発点とすれば、内需が起こる施策を行えば良いということになるが、上記の措置からはそれは起こりえない。財政規律を重視する層からも経済優先を求める層からもそっぽを向かれてしまった。
順番はこうでしょう。
消費税減税(一律5%など)→ 安心感(心)と可処分所得の増大(物)(同時並行でインボイス廃止)→ 消費拡大→ 企業や商店へ売上高増加となって降り注ぐ→ 収益改善→ 所得や給与増大→ ますます可処分所得増える → 経営改善加速→ 低金利政策終了 → 円安から円高へ→ 物価下がる→ 海外に生産拠点を移した企業や輸入原料の高騰に苦しむ事業所の収益改善→ ますます消費増加・所得増加→ 納税額増加→ 法人税率改定+所得税累進性強化で財政改善 → 教育や子育てへの注力→ 消費税廃止→ 可処分所得増加で中流世帯増加…と好循環の鎖が続く。これは富裕層も貧困層も関係なく降り注ぐ。
これに対してアベノミクスのような大企業への利益誘導(円安による株価操作、30年間で法人税低下するも内部留保が増加するだけで研究開発や人材への投資、給与の増加は行われず、内側がぶくぶく膨れたけれども技術力や先進性も失って海外企業に身売り)をやってはいけなかったことが明らか。
その象徴が時価総額ベスト10企業の分布で1989年には世界トップ10社のうち8社は日本企業、いまではベスト30位にも入る企業すらなし。政策が間違っている。まずは国民を豊かに(幸福に)。そこから内需を拡大させる政策で企業も全方向から降る恵みの雨で恩恵(産業の連関構造上すべての企業や商店に恩恵が及ぶ)という構造に持っていかないと、自公お得意のばらまき補助金+商品券+軽減税率(インボイスの素)では財政悪化の事業成果なしの繰り返しになるよ。
posted by 平井 吉信 at 15:18| Comment(0)
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2023年10月10日
参議院補選 高知のことはわからないから投票に行かない ではなく徳島の人も投票に行きましょう
高知の人のことはわからないから今回の選挙(10/22)は行かないという人がいるようです。しかし今回の選挙は、いまの政治が良いと思っているか、枠組みを変えるべきかの大切な選択肢となっているのでぜひ行きましょう。
ぼくの考えを書きます。自分は無党派でいずれの政党とも利害関係はなく、良い政策を提案できる政党ならどこでも応援する姿勢です。単なる無党派ではなく、良い未来をつくるにはどうずれば良いかを国民の一人として毎日のように考えて積極的に政治に関わろうとする一人です。ただしそこに自分の利益追求はありません。
ぼくがめざす理想の国づくりはこうです。
@この国があるべき姿、基本理念を描きます。いまの政治はこれが描けていません。それを理念として明確にします。
A理念を実現するために、ものごとの原理原則、因果関係や連鎖、人々の心理など見極めて、理念が実現するための構造を解明します。大切なのは課題を解決することではなく、どの課題を解決するか、取り組まないかなど課題設定力が最重要です。限られたヒト、モノ、カネ、ノウハウ、時間を有効に活かす視点がなければ消費税を50%にしても国は崩壊します。
B構造が解明できたら過程を描きます。
Cそれを実現できるしくみや社会体制を考えます。
Dここでようやく課題解決のための政策へと落とし込みます。@の実現のために必要があれば憲法や法律も見直します。
EPDCAサイクルだけではなく、確証がない場合は少しやってみて(仮説を実現するための等身大の社会実験)結果や反応を見ながら修正します。ソフトウェア開発でいうところのアジャイル、軍隊用語ではOODAループです。2年前に予算化して…などのスピード感ではなく、必要な施策をすぐにでも実行できること。予算という概念すら変えなければ(やることが目的で数字あわせのKPIを盛るだけからの脱却)。重要な政策は長期的な視点で達成度を評価しながら検証を進めます。方法が間違っていなければ成果に至らなくても続ける視点も必要です。
いまの政治との比較を交えながら考えを具体的に簡潔に記します。
一人ひとりの幸福(感)をつくることを理念とします。企業も個人もサラリーマンも農家も研究者もなく、誰にとってもそれが必要で、誰からも反対のない理念です。
なぜ、人々の幸福感を出発点とするかは、その状態があらゆる面で良い社会をつくる原動力になるからです。幸福感のない社会では例えば首相の襲撃事件が頻発するはずです。行き場のない感情をぶつける場所がないので間違った行動を起こすのは空しいことです。抑圧されず失敗が許容されるという「心理的安全性」が担保されたうえで、多様な選択肢を自在に選ぶことができる状態が創造力や突破力を生み出します。
失われた30年はその真逆を行って同調圧力やら多様性の否定(どこかの政党を見ていたらわかるでしょう)を続けてきました。いまのままでは芸術家や発明家、ノーベル賞は近い将来日本から出なくなるでしょう。
人は幸福感を覚えるところから成功に至ることが立証されています。まずは理屈抜きで心理的安全性を確保するための社会制度、さらには突出して羽ばたく人をみんなが応援できるようにします。教育や基礎研究の予算は特に重要です。
株価は上昇していますが、中小企業の経営者や生活者は実感できていません。低金利が生み出したお金の行き場のない状態が作り出した政策バブルの状態でいずれ弾けます。長い目で見れば政治が変わらなければNISAはリスクが大きいでしょう。まずは失われた30年で行われた政策を総括する必要があります。
1980年代の終わり頃、世界の企業のベスト10(時価総額ベース)の8社は日本にありました。法人税はいまより遙かに高く、円も高く、輸出には厳しい状況であったにも関わらず、貿易黒字が問題になるほどでした。国民の所得はいまより高く消費税は低く税負担もいまより少なかったので国民は中流意識を持って学生が卒業旅行に海外へ行くのが珍しくなかった時代です。いまや日本の企業は30位にも入っていません。
この30年間に行われたのは法人税の減税と消費税の増税、所得税の累進の緩和とインボイスなど逆進性の高いしくみの導入でいまや所得の半分以上が税金となっています。この状態が格差を生み出し、貧しい家庭に生まれた子どもは一生をかけて出発点のマイナスを取り戻す(出発点に立つための借金を一生掛けて返す暮らし)ことになります。
格差が広がる状態では実は国の力は衰退することをあらゆる論文が示しています。まずは格差の是正による再分配を行います。法人税は少なくとも10%以上の税率を上げます。ほとんどの中小企業は赤字なので影響は受けませんが、内部留保をため込んでモノにもソフトにもヒトにも投資しない大企業が対象となります。これで倒産する企業はありません。なぜなら赤字企業や繰越欠損のある企業には法人税課税は影響がないからです。
その財源で消費税を5%、やがては廃止します。収入が10%増加したに等しいので可処分所得は消費に回り内需が活発化します。つまりお金をお金に投資するのではなく、未来や可能性に投資する、それも富める人も貧しい人も等しく享受します。いまのように補助金やら給付金、商品券をばらまいても効果はありません。消費税減税(廃止)は国民の幸福を担保しながら未来への投資を促すしくみと捉えるべきです(消費税の廃止はインボイス制度を不要にする利点もあります。
消費税を廃止すれば国の財政が破たんするのでは? それは税制に明るい経済の専門家にお尋ねください。国民を貧しく格差を大きくすればケアが必要となります。そこにお金を入れても供給を止めたら終わりです。財源の切れ目が政策の終わり。貧しさを増やして恵んでやるのではなく、自分で走っていける社会にするのが本筋では。そして配るフリをして儲けている一部の企業とそれが環流する政党があるとしたら、なんと志が低い。そんな連中に政治は語ってほしくない、社会を歪めてほしくない。
インボイスひとつを例にとっても、廃業せざるを得ない小規模事業者やフリーランスの悲鳴が聞こえてきます。特に飲食店の廃業が加速します。間接作業が比例する企業も悲鳴。残業の増加、生産性の低下など、この制度は誰も喜ばない悪法で歴史に残る自公の汚点。岸田内閣は消費税率のさらなる引き上げ、サラリーマン増税を睨んでいるようで、これが何のためなのかはおわかりと思います。
重点政策も変わってきます。地球温暖化による異常気象が農業や生態系を破壊していくこと(=身の回りの環境が壊れていく)で食糧の確保が難しくなって飢えが現実のものとなっていきます。農業とは必ずしも生産性や効率重視の視点だけではやっていけず、環境保全型の農業もあります。就農機会を増やす制度や農地のしくみの見直し、就農者への直接所得補償、地域の一体的な食糧増産や加工のしくみをつくります。
政治家の数も足りません。国会、県議会、市町村議会などと区別せず、議員の数をいまの10〜100倍に増やし、自己顕示欲や権力の亡者のような議員ではなく、ボランティアで真剣にこの国のことを考える人に政治家になってもらいます。もちろん兼業政治家です。利益相反のテーマであってもそれが事情に精通した説得力があれば構わないでしょう。その代わり報酬は実費弁償。政治家として活動を行った時間や日数、役割に応じて費用が支払われます。それだけで生活していけないので政治家は兼業で議会はリモートが半分程度を占めるようになり、高齢者、若者、子育て世代、身障者も政治に関われるようにします。
そうすると、電通やパソナなど政治家と結託した一部の会社が中抜きをして税金を抜き取り、政治家に環流する悪い習慣はなくなります。例えばこういうことです。ある条件を満たした人に給付金を配るとします。そのための事務局を委託します。予算100億円、委託費90億円、人々の手に支払われる給付は10億円です。これがこの国のあちらこちらで少数の企業を潤しながら行われているようなムダをなくしましょう。オリンピックや万博もうやむやにされてしまいました。
頭の良い人はこう考えます。給付金が必要な人はこんな人だ。だったらもっと賢い手段がある。事務局などに手間をかけない方法でかつ誰にでも行き渡る即効性、公平性のあるしくみとして減税をしよう。実際のコロナ下で世界の大半の国が行った減税を、30年間所得が下がり傾向にあるこの国で物価高やエネルギーコストの高騰に悩み、挙げ句の果てにインボイスで小規模事業者が行けていけない社会にしようとするこの国で行われていないことを知ってください。法人税を減税? そうじゃなくて増税でしょう。
企業に負担を求めるのは経営者としては納得いかない。ほんとうにそうですか? 経済の好循環をつくりだす座標にセットすればあとは自走(好循環)が始まり内需拡大(国民が国内でお金を使うことは株式よりももっと有効な企業(上場非上場、規模も問わない)への投資ではないですか?
ここに書いている政策を行うと最初は株価は下がるでしょうが、そのうち経済の基盤が強化されて経済力が自ずと株価を押し上げるようになるでしょう。アベノミクスは企業にお金が貯まるようにしましたが、国民や取引先には降りていきませんでした。その逆に国民が豊かになれば家庭に眠る途方もないお金で自国の企業へと降り注いでいく、何の補助金も給付金も必要なく。国民を豊かにする(いまは搾取する方向。搾取した原資は一部の利権のためのみという構造)ことから始めてその成果が経済を潤し回っていく。企業の営業利益は増加し、賃金は上昇し、起業の増加、産業構造の転換へとプラスの循環を回していけば良いのです。トリクルダウン(アベノミクス)は淀む構造しかないのですが、国民主権は小さなシャワーが集まって光の洪水となって未来を照らすと信じています。そんな政治をやってくれるのなら誰でも応援します。
いまは国がやらなくて良いこと(補助金だの給付金だの増税だの人気取りの場当たり政策)をやり、やらなければならないこと(どんな国にするかの理念と構造の解明、シンプルな落とし込みによる政策をやらず、文化財の保護、貧困の解消などをボランティア(美談)に任せようとしている。
誰もが挑戦してみたいと思える社会としくみをつくればあとは走り出しますよ。そんな社会にしませんか?
どの政党に投票すべきかはわかりません。場合によってはすべての政党からなる連立内閣でも構わないのです。ただしいまの政治の枠組みでは社会が奈落の底へ全員が落ちていくのは明らかです。こんな社会を未来に渡せるのですか?
高知県の政治家はわからない、入れたい政党がない、ではなく、どのような構図を排除するのがましなのかを考えれば投票行動は見えてくるはずです。何度も言いますが特定の政党を上げる下げる話ではありません。投票とは幸福な未来をつくるための最初の一歩です。国はその国民が選ぶ、つくるということを心にとどめて行動してください。
posted by 平井 吉信 at 20:53| Comment(0)
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2023年08月28日
昼の憩いの時間です 川を見ながら弁当でも/4県過疎連合の豊かな時間が流れる
仕事の途中の昼休みで弁当を食べることは愉しい。
きょうは初めての場所で昼休み。
(こんなことができるのも南四国。人口減少でますます盛り上がる)

2024年(物流問題で日本の地方の野菜、果実、肉類が都市部に入りにくくなる)、異常気象(洪水だけでも温暖化前の240倍=つくばスーパーコンピュータ)、不動産価格は高騰(ローンを返すための人生で楽しくない)、感染症とは共存しなければならないというのに人が多い都市部は絶対的に不利。
その点、島根・鳥取・高知・徳島の過疎地4県共和国(勝手に命名)はそんな心配とは無縁。人口の多い都市部へ食糧を供給しているぐらいだから自県内は産直にあふれている。
仕事をしていても時間はゆっくりと過ぎると感じる。自分の事業に加えて3つの会社の役員、2つの団体の役員、いくつかの公職を兼務していて、家事は分担。仕事が終わのは(数十年変わることなく)日が変わる時刻だけど、仕事に追われる感覚がないのは風土がなせること(本ブログだけでも1679コンテンツあるけれど)。

この弁当は手抜き。でも農家から直接分けてもらった玄米を毎日5分づきにして、自作の梅干しを腐敗防止と絶佳風味に添えて、おかずは味付けを変えた牛肉の炒め物と野菜の炒め物の2層で満足度高し。茶は水筒に八女茶を詰めているよ。ご飯だけでも幸福感を感じるうえに新鮮な素材を手間をかけず最小限の味付けを添えた弁当は市販してないから。見た目が悪い? ご飯は盛るけれど写真は盛らないので(Instagramを見過ぎていませんか?)
一度の人生だからやりたいことをやり尽くしませんか?
(日和佐町 北河内谷川にて)
posted by 平井 吉信 at 23:40| Comment(0)
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2023年08月26日
憧れの越中八尾 おわら風の盆
福井県、富山県などは県民幸福度の高い県ではなかったかな。持ち家率が高い、自殺率が低い、地元にとどまる比率が高いなどの傾向があるのではないかと。
県都の富山市を訪れてわかったのはどこにでもある地方都市ながら住みやすそうな土地と思った。公共交通網の充実があるし、繁華街の総曲輪地区を歩くと、都会の雰囲気はまとっていないが賑わいは保っているという感じ。黒部立山連峰から流れ出す急峻な川が富山湾に注ぐ。その川が拓いた富山平野には散居村という独特の集落を形成している。
富山市中心部から高山本線で南へ半時間遡ると越中八尾駅に着く。さらに徒歩で井田川を渡って丘を登るとそこがおわら風の盆の舞台となるまちなみ。この小さなまちに20万人が訪れるという。観客と踊り手の一体感は郡上踊りと同様に濃密である。
おわら風の盆は、丘の上の細長いまちにおわらを見ようと大勢の人が集まってくる。夜遅くまで行われるが、まちに宿は少なく(祭りの期間中に一見さんが泊まれるとは思えない)観光客は終電で宿のある富山市へと帰っていく。
ここから地元の祭りが始まる。時刻は夜半を過ぎて喧噪は消えている。編み笠も脱いで自分のための、まちのための踊りが繰り広げられるまち流しの時間帯。一度でいいから見てみたい。
風の盆は日本舞踊の要素を採り入れながら風土(そこにいる人々の心の動き)を所作にしている。蛍狩り、蛍を指さす(川の魚を指さす)、蚕が糸をふく(養蚕)、蛍の乱舞(立山をはるか望む)などの所作が組み込まれた四季踊り、そして鏡町で始まったとされる男女が踊る艶っぽい踊り。
優美な所作、ところどころでとまる動き、そこへ移行する動きの緩急のなかに、青さ(幼さ)と成熟(艶)が移ろいつつ明滅するように時間が息づく。そして地方(じかた)が奏する三味線と胡弓を飄々と歌い手が流し囃子手が合いの手を入れる。
おわらはまちごとに年長者から受けつがれていくなかで、まちへの帰属意識や愛着を高めていく。踊り手は未婚者で25歳には次の世代へ受け渡すという不文律がある。最後の年の踊り手には万感の想いが胸に迫るという。しかしそんなおわらも少子化という時代の波に揉まれている。
おわらは他の祭りとまったく違う。胡弓の響き、しなやかで優美な所作、そして二百十日(台風)の風を鎮め豊作を祈る。そんな地元の風土を踊りと音楽の絵巻にした芸術性。それを世界でもまれな丘の上の隔絶したまちなみで行われる。
祭りに優劣など無粋だけれど、もっとも見たい祭り、しかしコロナ下での来場制限も相まって、見たいけれども現地へ行けない祭り。思いが募る。
まもなく令和五年、風の盆が始まる。
丘の西を流れる井田川、橋を渡って坂道へとりつく



坂は広い道細い路地が縦横に入り組みつつ、町並みへと誘う




丘の上に石畳のまちなみがある。諏訪町。風の盆には11のまちが参加するという



追記
踊り手とそこにいる人との距離がないことが旅人の心に残るのではないかと。
郡上踊りもそうだが、予習せずやってきた旅行者がまちのあちこちで自然発生的に行われる数々の郡上踊りに参加していく。踊りのパターンも「かわさき」「春駒」「やっちく」「まつさか」などいくつかあって、何度かやっていると「あっ、これはさっきやった春駒だ」と身体が動き出す。電光掲示板やアナウンスも観客席もない。観客と踊り手の境界がなくなって見知らぬ人同士が意識して同じ動きに合わせようとすることで心が通い合う場面となる。
ここ数年の阿波踊りは政争の具となっているという人がいる。真偽はわからないが、2023年は踊る機会が与えられなかった有名連があった。そこで徳島城公園など有料演舞場以外の場所で踊ったところ、多くの人が自然発生的に集まって老いも若きも上手も下手も関係なく踊る場となった。そのことが連の踊り手に深い感銘を与えたという。高額な席を設けて商業主義をひた走る反面、リスクは委託した民間組織に背負わせるが、踊りの中止は市が決定するといういびつな構図も気になる。
ここで政治や行政を語っても仕方ないが、4県都(高松、松山、高知、徳島)の行政組織(どの市ともまちづくり等で仕事をしている)で、どのまちが活気がないかは明らかだろう。県内でどこの市が迷走しているかという問いにも同じ答えを書く人が少なくないだろう。
採算が条件であれば、一部のプレミアム席だけでなく有料桟敷席の料金をさらに高く設定するのが得策である。そうすると、ますますショー化が進み、ビールを飲んでつまみを食べている観客のそばを真剣勝負の踊り子が100点満点をめざしてフォーメーションなどの画一化組織化された団体演技を行う構図に収斂していく。でもそこに踊り子も観客も人生が浮かび上がることなく、それぞれの個性や感情も見えない。
かつて、駅前のちょっとした空間で神山町の地域連の桜花連が踊っているのを見た。地元の踊り手が演舞場での出番の合間でめいめいが踊っていたのだろう。決して同じ動きをする必要などなく、一人ひとりが感じたままに身体を動かせばそれで十分。踊りを見ていて心が軽くなった。アスリートのパフォーマンスを見せつけられても迫力は感じても心は動かないのだが、地域の人たちの気持ちをつないで愉しんでいる様子は心に残った。踊りとは人生そのもの、魂の祝福と思っている。
いまの阿波踊りを見たら、多田小餘綾さん、瀬戸内寂聴さん、名手四宮生重郎さんなどはどう思うだろう。一度すべてを分解して、政治や争い、主義主張は持ち込まず、観客と踊り手の境界もなくして(ただし踊る場所は設定する)、自然発生的にまちを流す実験を1日ぐらいはやってみてもよいのではないか。
祖霊を慰める盆踊りが源流にあり、踊りという祭りを通じて人々が交流をあたため、生きている感謝や魂の歓びを踊る。そんな阿波踊りが見たい気がする。
さらに追記
1人20万円の例の有料席は建築基準法違反での設置との報道があった。アトキンソンの影響か観光に拝金主義がはびこっている。
posted by 平井 吉信 at 14:39| Comment(0)
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