2026年05月29日

まじめでないけど マルセイバターサンドを思い出した


まじめなんですね、っていわれるけど、どうだろう。
ぼくは株式投資をしない。パチンコをしない。公営ギャンブルをしない。ゴルフをしない。ゲームをしない(どれも一度もやったことがないものばかり)。テレビを見ない。タバコを吸わない(1本も吸ったことがない)。スーパーなどに車を停めるとき、遠いところに置いて歩く(健康のためでなく、足が不自由な人のために近いところを開けておく。自分が骨折して松葉杖を使っていたときすら遠くへ置いていた)。SNSはやらない(ブログの投稿は2000を優に越えているけど)。でも、ほんとうの理由は、愉しいことがたくさんあって時間がまったく足りないから(だから睡眠時間が4時間になる)。

家事全般、調理、清掃(家の周囲は毎日、車内の清掃も毎日)をする。野菜はたくさん食べる(以前にカゴメだったかイベントで測定してもらった数値に驚かれたことがある)。クルマの運転時には指差確認をする。自分だけでなく誰かのいのちを預かっているから。運転はクルマの流れに載るけれど燃費はかなり伸びる。クルマは20万kmは買い替えないで大切に使う。サングラスを必ずかける、パソコン用の調整された調光特性を持つグラスをかける、ディスプレイの輝度調整は著しく低く(暗く)するのは、目を大切にしたいから。目は有害な光から守ることで目の寿命を延ばすことができる。だって生きることは見ること。写真は目でなくセンサーが感知しているけど、ヒトの目の代わりみたいなもの。

自分の意図でないものや、付和雷同すること、愉しくないものはやらない。自分で自分を管理したい。管理するのは自由でいるため。管理するのは、未来の自由度を確保するため。管理するのは、なりたい自分になるため。自分で自分を管理するのは愉しいけれど、他人や組織には管理されたくない。だから社会的責任を果たす生き方でなければと思っている。自立と自律で生きていく。

誰かと比べて一喜一憂しないし、誰かと違うことや見栄えの良さが目的ではないから。自分の意思で生きているけど、相手に合わせたり適度に流される心地よさも。理念があれば柔軟でいられるという感じ。

だから●●(黒塗り)首相のようなひどい政治をしていて、それをごまかそうとするあさましさが丸わかり(貧相なお顔の相をされているな)。国の内外で、つまらない独裁政治家、苦しい社会、息が詰まりそうなここ数年の世界だけど、生きる歓びや愉しさはまったく影響を受けない。だって、この世界はほんとうに真善美に満ちているから(このブログはその一部をお裾分けしたいという動機が少しあるかも。押しつけがましいけど(^^))。

いましたいこと? マルセイバターサンドを食べたい。
DSCF7021-1.jpg

このYouTubeを見て思い出したから。中国人2人と台湾人1人が北海道のお菓子を食べて感想を述べ合っている。そこに日本人の動画スタッフも加わる。会話が愉しい。
https://www.youtube.com/watch?v=l1No65RXYbU

この動画の人たちのおしゃべりは愉しい。中国の各地や台湾で生まれて日本が好きになっておとなになってから来日した方々だけど、日本愛の深さ、それでいて客観的に見ていること、その思いを言語化しているところ。東アジアの近隣住民は互いにかくありたいと思わずにいられない。

それぞれのYouTubeのチャンネルもご紹介。
●「とある中国人のむいむい」https://www.youtube.com/@ume_muimui
来日して9年なのに、日本語能力には尊敬の念を抱いてしまう。日本の古典、人名、難読漢字、日常のスラングに至るまで自在に使いこなして、ブログを2,000コンテンツ書いているぼくの日本語より上。上に挙げた動画でも「道産子」なんて言葉が自然に出ている。

●「台湾人の年年」https://www.youtube.com/@nensuke_t
物語(ナラティブの作り方)は話者としてネイティブを凌ぐ。話の中身で聞かせる人。食べることがお好きなようで日本食も大好きとか。論理性と着眼点がすばらしい。語り部です。

●「マイティー・ポー【中国人アル】」https://www.youtube.com/channel/UCWbStUoGvEfS94S4UE4VEzw
食に対する表現が的確。錦糸町にお住まいのようで界隈の話題にも明るい。日本がほんとうにお好きなんですね。普通の日本人への憧れ…生きる場所を見つけられて応援しています。

●「チャイナ娘くまちゃん」https://www.youtube.com/@kumajiang
子どもの頃に日本へ移住されたようで、日本語はネイティブ級というよりは所作や気配りも含めてネイティブ以上。こんな人が身近にいたら癒される。

●「やなっちチャンネル」https://www.youtube.com/channel/UC1Q_aQ3PCjpuuKYeVq4lKAQ
オーストリア出身のシンガーソングライター。日本語の微妙なニュアンスを斟酌されていて、日本から遠いヨーロッパからなのに、どんなふうにすればあんなふうに外国語の壁を乗り越えられるのか。日本に来て明るくなったとか、よかったですね。

これらの方々のお仲間もあるので、適当に覗いてみて。国籍や国境で争う政治家たちにこそ見てほしい。異文化への尊敬(こちらも相手国に対して同じように)が会話を通じて、なごやかにさせる。

これはちょっと深い話
「外国人が日本を選び続ける本当の理由を話したら深過ぎた…母国に帰ったら精神的にきつい?!」https://www.youtube.com/watch?v=Sm1KCukEs2s


さて、マルセイバターサンドは、六花亭の定番商品で、量販店の催事販売などで手に入ることもあるけど、六花亭の店舗は北海道だけにしかないため、直接出かけるか通信販売での購入のいずれかとなる。

六花亭の商品には、自由や気取らないやさしさを感じる。よい原材料を使って、最高に企画管理された菓子作りをされているけれど、北海道民の日常のお菓子というコンセプトは崩さない。手頃な価格のおやつでこれ以上の商品はないと思う。

企業としても一流だが、それよりも自由な気風、北海道への風土や文化を大切にしていることが感じられる。「こだわりの材料を厳選して匠の技でつくったから数がつくれない、ありがたく食べろ」といった雰囲気のラーメン店や飲食店、スイーツ店やコーヒー店など、ぼくは敬遠したい(店のスタッフがいまだに腕組みしている写真を公式Webサイトに掲載していたら何のユーモア?と思ってしまう。Instagramだけで発信を行っている事業者も多いけど、それでは伝わらないよ)。

六花亭は高い理想が伝わるけど、あくまで気取らない自然体。レーズンサンドはコンビニにもあるけれど、菓子単体でもわかる品質の違いに加えて、六花亭の自由や愛を感じさせる世界観や理念と、他のレーズンサンドとは似て非なる存在。

東アジア出身の3人にとって、六花亭は未知のブランドだったけど、飾らない包装や食べたらわかる違いが伝わったようだね。

posted by 平井 吉信 at 23:42| Comment(0) | 生きる

2026年05月28日

1%、8%、10%の消費税率→ 国民は支持しないで


政府の案によれば、食料品の消費税率を1%に設定するという。そうすると、税率10%、8%、1%の税体系となる。

消費税率が「10%、8%、1%」のように3段階に複雑化し、しかもそれが2年程度という時限的な措置である場合、現場の混乱だけでなく、価格形成の歪みや、将来的な大増税への布石(地ならし)という懸念が現実味を帯びてくる。

まず起こるのが、流通段階での税込価格の食い合いである。原価高騰を価格転嫁できていない流通が、税率低下分(7%分)を吸収してしまい、消費者の購入価格が下がらない可能性が高い。現在、多くの流通・小売企業は原材料費や人件費の上昇を100%販売価格に上乗せできていない。それは売上の減少(買い控え)を恐れているため。ここで、食料品の税率が8%から1%に下がった場合、仕入れ価格と販売価格の中抜き調整が行われる可能性が高い。

その証拠に、連日のように価格転嫁に関連する相談が中小企業から寄せられている。価格を引き上げれば良いじゃないかと行政が考えそうな上っ面の代替案では解決しない。原価構造の把握と中長期の展望に基づくビジネスモデルの変革が不可欠なのだ。

これまで身を切って利益を削っていた中間流通(卸売)や小売が、税率が下がったタイミングで本体価格(税抜価格)を実質的に引き上げ、自社の利益を適正水準に戻そうとする動きが必ず出てくる。それは令和の時代に南海トラフ地震が発生するのと同じぐらいあり得る。「減税で消費者を助ける」と言いつつも、店頭の税込価格はほとんど変わらない、という現象が起きる。これは流通業者の責任ではなく、これまでの無理なコスト吸収(転嫁困難のしわ寄せ)が、税率変更の歪みで表面化した結果である。

複雑な税体系がもたらす取引コストと価格形成へのマイナスはほかにもある。税率が3つ(10%・8%・1%)になり、しかもそれが短期間で変わるとなると、企業のシステム改修や事務負担(インボイスの対応など)は膨大になる。そのことが、中小の流通業者や小売店にとって、これら制度対応のためのコスト(人件費やシステム改修費)で深刻な経営不振に陥るおそれが高い。そこに補助金を付けるなどとなればもう本末転倒。バカじゃないか。

本来、商品の価格は、需要と供給や品質によって決まるべきだが、どの税率が適用されるか、システム対応コストをどこで回収するかという税制の都合で価格が左右されることになり、健全な価格形成が阻害される。

しかも2年限定の裏にある、将来的な増税への伏線(地ならし)がある。期限付き減税は、選挙でのばらまき公約に過ぎないが、それは有権者への「ニンジン」ではなく、消費税率を高水準に引き上げる際の併用策である。

1%という極端に低い税率を一時的に見せることで、「食料品は守ります」というポーズを国民に印象付けることができても、2年後に元の8%に戻す、あるいは「財政健全化のために全体を15%に上げるが、食料品は8%に据え置く」といった、将来の本格的な増税を受け入れさせるための精神的なハードルを下げる伏線となる可能性は極めて高い。

結論として、「消費者の負担軽減」という大義名分を掲げながらも、実態は「流通現場にコストと価格還元のシワ寄せを押し付け」「価格体系を歪ませ」「将来の増税への心理的ハードルを下げる」という、マクロ経済的にも実務的にも極めてリスクの大きい(欺瞞的な)政策である。地方自治体にとっては税収の減少も問題となっている。

消費税の減税は経済的に効果があるとされるが、それは一律同じ税率で下がったときのみである。今回の「1%」に相当する財源があるなら、行うべきは「一律8%」だろう。流通の歪みは皆無、システム改修も一瞬で終わる、食料品のみと違って、価格が高騰している住宅や自動車のような耐久消費財や趣味の製品にも消費意欲が刺激される。ところが食料品は必需品でもあり、消費は喚起されない。しかも今回の「食料品1%」は税込価格は下がらない可能性が高いうえ、税収の減少は将来の税率上げの伏線となっている。よくもこんな愚策を提案できるものだ。実行されたら、流通や生活者の暮らしは壊滅的になる。


ナフサがどこかで目詰まりしているという言葉にも憤りを覚える。民間企業がどこかで悪意のある買い占めや出し渋りをしているという批判を暗に含んでいる。

トヨタ自動車の「ジャスト・イン・タイム」「カンバン方式」という製造のしくみがある。出て行く分だけ、入ってくるというモノの流れの同期を行うことである。これを実現するためには、部品を運ぶトラックが決められた時刻に配達しなければならず(早くても遅くてもいけない)、路上で時間調整を行っているのが現実。CO2をムダに排出し、運転手の過酷な労働を招き、余裕のないサプライチェーンではすぐに途絶してしまう。ぼくがトヨタ車を一生購入しないと決めている(若い頃からぶれない)のは、自社の利益のために社会を歪ませているからだ。

ぼくは企業における防災対策の専門家でもあり、連日のように防災マニュアルの策定などを支援しているが、政府がナフサに求めているのは流通に緩衝地帯(在庫の適切な範囲の冗長性)をなくせといっているに等しい。さまざまなサイクルの在庫管理を行うサプライチェーンのなかで、健全なクッション機能を持たせることは民間企業の「本能」とも社会的に供給責任を果たす「良心」ともいえること。在庫を持つな、余分を持つなというのは、災害時や非常時にサプライチェーンを途絶させることと同義語。

このブログでも3月の段階で石油製品、とりわけナフサの枯渇は連休明けぐらいから顕著になると書いている。その理由はモノが「ない」からで、買い占めしようにも「モノ」がない。注文が来ても「モノ」がない。だから、国民は良識を持って必要最小限の備蓄はしましょう(不必要な買い占めではない)と呼びかけた。

●●(黒塗り)首相になって、高い支持率のもと(これもほんとうか? ぼくの周囲には支持者は一人もいないが)過去に例を見ない悪政が次々と繰り出されている。声を上げたところでちっとも愉しくないが、これも義務と思ってやむを得ず書いている。
●●(黒塗り)首相は、どこまでこの国を貧しくするのか。


posted by 平井 吉信 at 00:07| Comment(0) | 生きる

2026年05月13日

ひどい時代じゃないか


石油やナフサを止めているのは、イランじゃなく、TACO大統領と某国の●●(黒塗り)首相では?
中国との関係性悪化で、観光客減少。南シナ海封鎖でもやられたら食糧の自給が危ぶまれる。
米の増産はやめたというから、日本へ攻める国があるとしたら、泣いて喜ぶ愚策。

間違った政策のオンパレード。
ないものを「ある」と言い続ける、帝国陸海軍のような「大本営発表」。
だから、前投稿でも節約と適度の備蓄を呼びかけた(必要な人を除く)。

カルビーのポテトチップスの包装が白黒になるのはやむを得ない措置。
製品値上げを行わずに、国民にさりげなく訴求する広報戦略としても秀逸で、ぼくは購入してみたいと思った(5月下旬以降だね)。
これは氷山の一角。あと1週間、あと一月と、さらに悪化していく。もっとも政治が悪い時代になった。
(それでも経済界は●●(黒塗り)首相に付いていくんだね。そのうち法人税上げられるよ)

政権の広報と化したNHK、要らないよ。
やるべきことは、政策の問題点を客観的に分析して、視聴者にわかりやすく解説すること。
権力の番人の役割を公共民間問わず放送局がやらなくなったら、どうなるの。

そういや、憲法も変えるんだってね。
(国の暴走を止めるために憲法を改正するのなら賛成する)
そのうち戦争を始めるよ、●●(黒塗り)首相は。
いやな国になったよ。ぼくは染まらないけど。


そういうお前は?
ぼく以上に「保守」はいませんよ。ウヨク、サヨクだと呼ばれたことはありませんが。
(イデオロギーには染まらないので)

天皇皇后両陛下を心から敬っています。
東京五輪までPHS使っていたよ。圏外に移動していることが多かったけど、電話番号を変えたくなかったから(結局、4Gになっても電話番号は変えていない)。
メールアドレスも20世紀から変えていないし、今後も変えません(迷惑メールが一日数百通来ても変えなかった)。
小学校のときの机、いまだに使っています。
クルマは20万km以上乗らないと買い替えません。
保守的です、保守のなかの保守です。
選択的夫婦別姓、女性天皇に賛成です。
平和と友好は、もっとも合理的低コストかつ持続的な社会の入口です。

ただし、ダメな政治家にはダメという。
(こういうことって、好きか嫌いか、推しが推さないかではないのだ)
それは国民の義務でもありますから。
人々の幸福だけが唯一のモノサシで十分。


posted by 平井 吉信 at 21:50| Comment(0) | 生きる

2026年04月29日

政府の発言を真に受けないで、ナフサ関連用品の備蓄と石油(ガソリン)の節約を


国を危うくする高市首相の発言が続いている。統一教会、裏金などの関連問題はいったん置いておいて、政策そのものについて、危機管理、税制、外交、意思疎通の観点から以下に考えた。

第一に、ナフサ備蓄をめぐる対応に見られる危機管理の危うさ
政府統計に基づき在庫逼迫を警告した専門家の指摘を首相が否定したことは、客観的データより「個人の感想」を優先する姿勢を示している。原油備蓄とは異なり、石油化学原料であるナフサは民間在庫が乏しく、包装材や物流など広範な産業に影響するため、誤った認識を広めることになりかねない。
※ナフサの備蓄について、資源エネルギー庁の有識者委員である境野春彦氏が、政府の「石油統計確報」に基づき、ナフサの在庫がわずか0.5ヶ月(約15日分)しかないことを指摘し、「6月には供給が詰まる」と警告したもの。


第二に、食料品消費税ゼロ政策に代表されるポピュリズム的政治
一見消費者の利益に見えるが、10%、8%、0%が混在する税率区分の複雑化により事務負担が増大し、還付手続きも煩雑化する。さらに外食と持ち帰りの税率差拡大は事業者の価格設定や経営を圧迫し、公平性と制度運用の観点で問題が大きい。高市首相は食品の消費税率を暫定的に0%にすることを公約として掲げていたが、おそらく本音は違うだろう(消費増税)。

食料品のみ0%についてはいかなる専門家も賛同しないと思う。消費者として食品の入手価格が下がるのは歓迎と思われるかもしれないが、原価の上昇を価格に転嫁できていない流通で少しずつ吸収されて価格は下がらないとみるべき。しかも数年で元の税率に戻すという。一瞬甘い汁を吸わせた後は消費税率(所得税も?)の引き上げを視野に入れている。ぼくは日本の経済循環からは個人消費を核とした内需の拡大(刺激)を行うべきと考えている。同じ財源を使うのなら、一律8%にするのが利点が大きいのは明らか。税収の伸びに期待して一律5%でもよい。

第三に、対米重視・対中強硬の外交姿勢がもたらす経済リスク
日本の製造業は中国との取引に大きく依存しており、過度な対立はサプライチェーンの不安定化や原材料価格の上昇を招き、国内物価に波及する可能性が高い。EUがアメリカと距離を置こうとしているなかで、対外関係の偏重は国益を損なう恐れがある。

数か月前の投稿でも書いたが、ホルムズ海峡の封鎖(しかも海峡が開いたところで戦争の影響で破壊された装置があるため生産量はすぐには戻らない)、さらには(中国との関係悪化による)南シナ海の封鎖が起これば日本のサプライチェーンは絶たれてしまう。

日本を降伏させるのにミサイルや核も必要ない。しかも数少ない自給できる米を(石破政権は増産を決めたというのに)増産しないという。「日本を弱く貧しくする政策なら私にお任せよ」といわんばかりの愚策。物価高の要因は首相の発言にある。経済政策と外交のまずさがますます円の価値を下げ、物価を押し上げ、日本の資産価値を下げる。円安は誰にとってもよいことではない。

第四に、記者会見の減少とSNS中心の発信に見られる民主主義の形骸化
双方向的な質疑の場を回避し、一方的な情報発信に偏ることは、いわば大本営発表。政策検証や批判的議論を弱め、メディアの監視機能の低下を招く。以前にマスコミを恫喝したことで(マスコミの忖度とはいえ)事実上の言論統制となって、政策の問題点を指摘する論調が出てこない。戦前か?

政府を信用する人は読み飛ばしていいけれど、ナフサが足りなくなると思われる方は、関連する用品の適切な備蓄をしてください。しかもこれは産業連関により連鎖的に他の分野にまで広がるおそれがある。

ただし備蓄といっても国民すべてが大量に備蓄すると、あっという間に枯渇する。そこで「1か月分か2か月分は備蓄してください」というのが思いやりのある現実的なところ。ただしナフサ関連用品が生きる上で生命線となりそうな人は遠慮なく。

観光関連の事業所はコロナ以後、苦戦を強いられ、それに人件費、食材高騰、エネルギーコストの増大などが経営を圧迫している。そんななかで、申し上げにくいことを書くならば、「なるべく遠出を控えてガソリン代を節約してください。家計のためだけでなく、「それをほんとうに必要とする人や用途のために」である。

高市政権は、ぼくの理想の未来とは真逆をめざしている。政治についてもっと一人ひとりが利害得失を離れて注視し発言する社会にならないと民主主義の成熟にはならない(だからぼくも発言を続ける)。

このままいくと、(妄想も交えるなら)「私を信じる愚民が国のために働いて働いて働いて…、やがては国のために戦ってもらうのよ、とでも)。

トランプもそうだが、トランプの支持者は自分たちがますます追い詰められる政治家を盲目的に支持しているように見える。自分たちに悪いことが起こってもトランプとは関係ない。陰謀のせいだとでも言っているのかも。悪意のあるナラティブの前に無力感を覚えてしまう。

ぼくは現政権とは違った意味で、憲法を改正すべきだと思う。なぜ、改憲が必要なのかについては、現憲法制定時にはなかった概念で大切な理念を盛り込む必要があるから。ただし、いまその議論をするときではないだろう。

豊かな未来を描ける憲法にするために。憲法だけでなく理念的な要素も含むけど。
(1)人々の幸福こそが政治の目的であり使命であることを高らかにうたうこと。格差をなくす政策が重点的に行われるべき。日本のGDPの6割は個人消費なので個人が豊かになれば、小さな店から大企業までが等しく潤う。そしてそのことが社会コストを低減させて行政の運用コストも低くなる。
(2)ヒトや環境、考え方の多様性(価値観や生態系)が重要であることを明文化すること。
(3)いまの世界にとっての脅威は独裁者。多くの知恵を蹴散らす独裁政治に国民が無力であることが世界のあちこちで明らか。政治家の暴走を食い止めるべく、国民主権をさらに強化すること。国民の意思で政治家を解任するしくみや特定の政策について国民投票ができるようにしておくこと。ITを活用して事務方の手間と費用のかからないしくみをつくること。
(4)地域主権を明確に打ち出す。中央集権こそ現場に合わなくなっている。スピード感がなく時代遅れのPDCAサイクル+数字あわせのKPI+上から降ってきたパフォーマンス予算で使い途に困った行政マンの鉛筆なめなめ帳尻合わせが実態。補助金などほとんど役に立っていないことがフォローアップをやってみればわかる(資金繰り支援としての貢献はある)。郵政民営化やJRの分社化は理解に苦しむ。収益を稼ぐ路線から、地方の生活必需路線へ再分配するために、全国組織のほうがよいのは明らか。行きすぎた民営化は無責任の末路。水道業務を民間業者に任せたいですか?
(5)第二次大戦の敗戦を受けて隣国との相剋が戦後80年を経ても続いている。不戦を強固にうたうこと(第9条をさらに強化する)。世界のどの国を見ても戦争は誰も幸福にしない。
(6)基本的人権のひとつとして、誰でも挑戦したり、学びの機会均等をうたうこと。
(7)理想主義の外交、等距離の外交で国際的に提案や調整を行うことをうたうこと。理想に近い国家としてスイスを見ると納得できる。
(8)核廃絶に向けての努力義務を明確にすること。被爆国の義務でもある。
(9)選択的夫婦別姓や女性が天皇として即位できるようにすることなどは憲法でうたわなくても当然の権利としてあること。

豊かな日本になるために、高市早苗、あなたは辞めなければならない。
タグ:政治
posted by 平井 吉信 at 11:13| Comment(0) | 生きる

2026年02月07日

危うい未来が迫っている 冷静に考えて投票しよう

トランプ大統領が高市首相を「支持する」という。アメリカの国益を最優先する大統領にとって、首相は都合の良い存在(カモ)ということなのだろう。

戦前の日本は、勇ましい世論と独裁的な政治で国が思考停止に陥り、その代償として沖縄の壊滅、原爆投下や本土空襲など大勢の人々(自国も相手国も問わず)が死んだ。終戦から81年が経過した今もなお、近隣諸国との関係に深い後遺症を抱えている。「強い日本」とは、軍備を拡張して貧しくなる姿や、特定の大国にすり寄るのではなく、自国の民主主義を成熟させ、暮らしを豊かにして世界から信頼され愛される国であるはず。未来をつくるとは、一人ひとりの幸福を願ってそのような日本にするということ。

雰囲気や好き嫌いではなく、政策をよく見よう。批判だけでなく処方箋も考えている
→ 国民が苦しくなる高市政権に賛同できない理由 ぼくが描く未来への処方箋
http://soratoumi2.sblo.jp/article/191565102.html


「現実逃避」のナラティブ、思い当たる人は?

SNSを中心に「インドネシア・ルピアやイラク・ディナールを買えば大儲けできる」という偽情報が拡散している。「トランプ氏が世界金融をリセットし、闇の政府を打倒する」という荒唐無稽な物語や科学的な根拠を無視した独善的なやり方とともに。

冷静に考えれば、流通性(換金性)のない通貨で儲かるはずなどないのだが、現状への不満や不安を抱える被害者意識の強い人々は、「救世主がすべてを逆転させてくれる」という甘いナラティブ(物語)に魅せられてしまう。

現在の政治的な熱狂は根底で繋がっているように見える。
・既存メディアや政府はすべて嘘だという不信感の植え付け(権力に警鐘を鳴らす役割から逃げているのは確かだが)
・「真実を知る特別な自分」という選民意識の付与
・反科学・陰謀論による現実からの乖離

これらは人々の考える力を奪い、特定の勢力にとって都合の良い「熱狂」を作り出す装置となっている。政治を根拠なき「奇跡」や「物語」に委ねてはいけない。巷にあふれるショート動画や組織的なSNSなどは洗脳ツール(それも国民の税金でつくられている?)。取り返しのつかない事態になる前に、私たちは「目覚める」必要がある。

選挙は、国民の権利であり義務でもある。
それは、誰かを信任する機会(目的)ではなく、なりたい未来に向けて政策を選択する手段。
少なくとも、無責任な政治家、独裁政治へ向かう方向だけは選ばない。
投票は、冷静に、現実を見つめて(あるべき理想を描きながら)判断しなければと。



posted by 平井 吉信 at 21:11| Comment(0) | 生きる

2026年01月24日

なぜ、こんな政治家(政党)ばかりなのか?


政策が間違っているうえに、やってはいけないことを(信念で?無知で?)やり続ける○○首相をどう思いますか?(以下は、与野党を問わずその他の政治家や政党も含む)

・スーパーで買い物をすれば、たちまち5千円ぐらいに。
・米は下がらないが、農業をやっていく人たちもつらい。
・中小零細企業の廃業や経営破たんが止まらない。
・台湾海峡やホルムズ海峡などを封鎖されたらエネルギーや食糧は止まるというのに、米すら増産して自給しようとしない愚かな政策(石破氏は増産をめざしたのだが…)。
・このまま有事(軍事だけでなく南海トラフ巨大地震や富士山噴火も含む)になれば首都圏は物資が流入せず飢餓死。
・可処分所得が減少して生活が苦しい人が増加しているのに上がる株価?(実体経済と乖離している相場が支配しているのでNISAは危ない)
・円安が進行して、海外からの輸入に頼る日本は物価高が止まらない。今後も上がり続ける。
・円安で海外で日本製が売れるはずなのに、貿易収支は赤字。
→ 円高に転じる政策を行わなければ、この国から資産と国際競争力がどんどん失われる。
・海外からの研修生、いまや日本人と同じ給与だが、中国人はすでに去り、ベトナム人も安月給と見切りを付け、次はどこの国に来てもらうのかと思えば海外を閉め出す愚かな政策をめざす(自国を困窮させる政策を日本ファーストなどと呼称)。一次産業や介護はすでに海外からの人たちに支えられているというのに。
・世界のいかなる通貨に対しても値下がりを続ける日本。同じ100万円の貯金でも地球上で見ればどんどん目減りしているよ。目に見えない泥棒があなたの財産を食い潰している。すべてゴールドで持っていればまだましだが、その金地金も買えないぐらい高くなっている。
・1円のコストもかからず、いまのままだと困る人たちを救える選択式夫婦別姓をやらないのはなぜ?(誰も困る人がいない政策をやらないのを実行力がないという)
・30年前は同じ賃金だった国はすでに数倍に増加しているのに、先進国で変わらないのは日本だけ。この間、政権を握ったのはどこの政党?
・覇権主義の中国が正しいとは思えないが、影響を考えずに勇ましい発言をしてしまう。どれだけの国富が消えてしまったか
・気に入らなければ観光に行かせない、レアアースを輸出させない、威嚇行動をし続けるプーさん主席、自分の思い通りにならなければ関税をかけると脅して相手国が反撃に出たらしゅんとなるTACO大統領、かつての共和国連邦の国へ無益な闘いを仕掛けて大勢の死傷者を出して国が疲弊していることを国民に知らせないプ大統領、人道を超えた殺戮を繰り返す中東の愚者…。世界は覇権主義と独裁主義に塗り込められようとしているときに、自分もそうなりたいのか○○首相。
・万博は誰のためのイベント? そのうちカジノか、都構想か?(地域利権、政党利権の象徴)。身を切る改革よりムダをやめろ。
・安倍首相の銃撃事件は起こってはならない痛ましいできごとであったが、統一教会とべったりとだったのはどこの誰?
・家族を破壊され、生涯を棒に振った被告は愉快犯でも利害を有してもいなかった。重罪ではあるが、なぜカルト集団を罰することができなかった(被告が犯行に及ばずに済んだはず)? さらに量刑判断の根拠がおかしくないか?(奈良地裁が政権に忖度したのか?)
・庶民は100円のパンを盗んでも犯罪で検挙されるが、数千万円ごまかしても犯罪でない国会議員たちを辞職もさせず、選挙で活躍できるようにしたのは誰? 「裏金や 時間が経てば ないことに 記憶薄れた 選挙やれ(詠み人知らず)」
・人に投資すべきなのに、教育に力を入れず、教育機関が困窮しているのはどこの国?
・消費税は経済循環を停めている元凶なのに、経済循環をつくらなければ財政の健全化はありえないでしょうが。
・IT関連やAIの株式投資で儲けているとある党首は庶民の暮らしも経済循環もわからない。消費税のメカニズムをAIか経済コンサルタントに聞いてみたら?
・唐突な選挙に850億円かかるそうだ。たいした政策のひとつも打てそうなのに。大阪ではさらに府知事、市長もやるそうで、どさくさに紛れて対抗馬が機能しないのを信任されたと言い張る。これ、どこの政党?
・食料品のみ消費税なしそれも期限付というのが、消費を上向かせる効果がないのに、どれほど流通の現場を混乱させるか知っていますか? 自民維新中道のみなさん。
・大和総研の分析では「高市首相が打ち出した飲食料品の消費税を2年間限定でゼロにする施策が実行された場合、個人消費の押し上げは年間約5千億円にとどまる」(経済効果は限定的)。
→ 食品は必需品なので消費の増加には回らず流通が混乱して国も税収が減少するだけ。やるならすべて同一税率(例外なし)で。まずは5%で3年様子を見て経済好転による税収増加につながるなら消費税は廃止。財源は法人税の課税強化や金融課税強化で補填できる。

独裁者が支配するのは政党があるから。政党はすべて廃止して、もっと多くの人が政治に関心を持ち、いまの10倍ぐらいの議員が参加して真剣に議論する政治にならなければ。右とか左とか中道などととらわれず、一人ひとりを幸福にする政治を行うことがすべての人、組織にとって利益に叶うこと(そのための処方箋も過去ログに随時投稿している)。

ぼくは日本が大好きで、この国が世界に輝く国になってほしい。○○首相は信任しない。
タグ:政治
posted by 平井 吉信 at 23:21| Comment(0) | 生きる

2026年01月14日

久米宏さんも逝く


南極老人星でも見て長生きして欲しい人がまた逝ってしまった。筑紫哲也さん(2008年11月7日ご逝去)に続いて、久米宏さん(2026年1月1日)に亡くなっていたことが公表された。

久米さんがメインキャスターを務めたニュースステーションが22時開始、23時からは筑紫さんのNews23が始まるので両方見ていた。筑紫さんの多事争論というコーナーがあって、ぼくもこれができたらいいなと思ってテーマを決めて即興で話をすることをやっていた。当時も政権の風当たりは強かったはずだが、世論の支持(視聴率)が雑音を押しのけた。2つの番組があったのが大きいだろう。1つだけなら集中砲火されてしまうが、2つでやれば怖くない。よきライバルであって同士(むしろこの感情が強かったと思う)だったお二人だった。

相手が首相であれ大統領であれ、踏み込むべきところは踏み込んでいた。安倍政権あたりからマスコミは怖れをなして忖度を行い、放送局の言論の自由に恐喝する高市さんも輪を掛けた。そのためか、どの放送局も政権の問題点を質そうとしない。国谷裕子キャスターを去らせてしまったNHKなどはもう死んでいるとしか思えないが(ラジオ3波を2波に再編するアナウンスなど、より便利になると詭弁する。国会答弁のようだ。朝のパーソナリティの番組にもひどいものがある。科学的な根拠に乏しい自説を並べる方の著作をNHKが売りこんでいるのかと思える)。

何の権力も影響力もない本ブログでは根拠を持って現政権の批判を行っている。そこには、どの政治家や政党が良いかなどは関係なく(ぼくは政治から距離を置きたい)、あるべき姿を描いて私心なくその乖離を書き綴っている。

この2つの報道番組には何度が取組中の活動が取り上げられた。筑紫哲也さんをお招きして講演会を徳島で開催したことがあり、打ち上げの席にもいらしていただいたことを覚えている。

1996年8月には「水郷水都全国会議・徳島大会」を開催。その約1年前から準備を進めてきて、ぼくは事務局の一因として会計や広報、渉外などを担当。打ち合わせは21時頃から始まっていつも日付が変わる頃まで毎日のように姫野雅義さんの事務所で行っていた。

この大会は、三木睦子さん(元首相夫人)を大会長に、徳島大学の石井先生、中島先生を代表幹事にそれぞれ着任いただいて、ゲストはアメリカのニコラス・オーメン博士、基調講演に哲学家の梅原猛さんを招聘。このほか、この大会以外にもお招きしたC・W・ニコルさん(作家)、野田知佑さん(カヌー・エッセイスト)、大熊孝さん(新潟大教授、河川工学者)、本多勝一さん(ジャーナリスト)、筑紫哲也さん(ジャーナリスト)、近藤正臣さん(俳優)で、その講演録となっている。さらにRAKUENで知られる三好和義さん、県内の写真家、荒井賢治さん、西田茂雄さんの写真も使わせていただいた。これらのコンテンツについてはみなさまのご好意で使用を許諾いただいたもので、編集作業に携わった。書籍は1997年に山と溪谷社から「未来の川のほとりにて―吉野川メッセージ」として発刊された。すでに廃刊となっていると思われるが、各地の図書館には蔵書されているはずである。

高市政権の政策について賛同できない理由については2025年12月9日の投稿で書いている。
→ 「このままでは国民が苦しくなるのみ〜高市政権の経済政策に賛同できない理由〜


経済対策としては下策と思うのに株価が上がっていく(投資家はいったい何を見ているのか?)。円安は進み物価高は加速しているのに、肝心の内需拡大策(すべての企業、商店、家庭にプラスになる)である消費税減税(廃止も含む)は一向になされない。手間を掛けず、好循環による税収増加も見込める財政改善にもつながるというのに。

一般の生活者がよくわからない政策に対して、それがよいところ悪いところを客観的論理的にわかりやすく伝える番組が皆無となった(マスコミがまったく問題点を挙げなくなった。芸能リポートでないのでどんなバッグを使っているかなど報道する必要はありますか?)ことも高市内閣の高い支持率の要因と思う。天国の筑紫さん、久米さんが今般の政治や報道をどのように見ていらっしゃるだろう。霊媒でもよいからもう一度伝えてほしい。

ぼくが考える日本の構造的な課題は、食糧やエネルギーの低い自給率である。これらは台湾事変やホルムズ海峡封鎖で現実のもととなる。ある日突然、株価が急落するのは目に見えている(この状態でも金価格は下がらない)。

もう一つは、国内での消費を活かせず輸出に依存する構造がある。内需を創出すれば経済は活性化する。GDPは右肩上がりとなり、国民の暮らしの実感、中小企業に至るまでの収益性は劇的に改善する。しかもこれらの課題の解決には別々の処方箋があるのではない。

これらを解決する正しい政策は行われていない。論理的に導かれた課題(背景)と解決策(因果関係)の分析なく、ただ巨額の献金を行う相手(大企業)のみの論理で政治が動いている。それでは票が取れないので、小手先の政策(食品のみの消費税率の一次停止など。お米券は論外としても)をばらまいている。呼び水となる正しい政策を行えば、正の経済循環となって自ら好転に向かって動き出すはずである。それが消費税率の例外なく一律の引き下げor消費税廃止。

このような状況で正しく政策を提案するためには、利害得失を離れてあるべき姿に戻すため、金権政治から脱却しなければならない。論理的な問題や国民感情(我々は税金をきちんと納めているのに…、物価高で家計が火の車というのに…)だけではない、もっと本質的な問題である。右でも左でも保守でもリベラルでも中道でもなく、ただそこにあるのは、国民一人ひとりの幸福のためになされる政治である。

posted by 平井 吉信 at 18:38| Comment(0) | 生きる

2026年01月01日

2026年


年賀状はずっと以前に止めてWeb年賀としてきましたが、年賀を申し上げるにはあまりに社会(政治、経済、世界情勢)が劣化してしまってWeb年賀も取りやめることとしました。
(無力感ではなく抗議の意味からです)

個人の幸福だけを追求しても愉しくないので、社会への貢献を仕事や発信を通じて行いながら、個人のやりたいこともやり尽くすというこれまでの姿勢は変わりません。
(一日25時間でも足りないぐらい)
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変わらないのは、人々(生物などの生態系も含めて)の幸福を願うこと。
どなたも生きていてよかったと実感できる世の中、おだやかで多様性のある社会になればと願っています。
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posted by 平井 吉信 at 11:07| Comment(0) | 生きる

2025年12月09日

国民が苦しくなる高市政権に賛同できない理由 ぼくが描く未来への処方箋


なぜ、高市政権の政策が良くないのか? それは優れた考え方の人たちを多く集めて議論する姿勢がなく、独断で決めているからともいえるし、いまの日本に必要な政策が見えておらず方向性が間違っているからともいえる。

失われた30年 政策の総括を行わないと

1980年から90年代にかけての日本企業は、時価総額で世界のベスト10に入る企業の8社を占めていたことがあった。1ドル100円を切る円高で、1995年4月には80円を切った。その頃、ガソリンもリッター80円前後だった。このランキングには不動産高騰の含み益による金融機関も含まれていたとはいえ、製造業も含めて「日出づる国」の経済力だったことは間違いない。だから貿易摩擦も問題となった。

民主党政権下の2011年頃も1ドル75円まで上がったことがあった。日本は小麦などの食糧品も含めて輸入が多いので物価は安かった。民主党政権の評価を行うわけではないが、経済の指標は現在よりはるかに良好で生活が苦しいと感じる人も少なかったはず。

日本の企業が強かった時代は1ドル80円でも競争力があった。法人税率はいまより高く、消費税率は低かった。具体的には、法人税率(国税)は1980年代半ばの43.3%から、段階的に引き下げられ、現在は23.2%(地方税等含む実効税率は約30%弱)になった。一方で、消費税率は1989年の導入以降、3%から10%へと引き上げられた。消費税率については、国際競争力を維持するため経団連(大企業)はさらに上げよと提言している。

けれど日本の企業が強かった30年前、法人税率が高かったので企業は内部留保より研究開発や設備投資、人材確保に回された。これらは日本企業お得意のカイゼンだけでなく、変革にも貢献したと思われる。ところが大企業は内部留保をこの30年で蓄えて太り続けたが、成長戦略を実行しなかったため、日本企業が海外企業に買収されたり競争力を徐々に失った。以下の直近の時価総額ベスト10を見ると、ソフトやプラットフォーム、コミュニケーションツールなどのIT系がほとんどであることがわかるが、失われた30年で日本企業が陥落した要因そのものでもある。

世界の企業の時価総額のランキングの2025年データは以下のとおり。
1位 NVIDIA 米国 情報技術(半導体・AI)
2位 Microsoft 米国 情報技術(クラウド・ソフトウェア)
3位 Apple 米国 情報技術(デバイス・サービス)
4位 Amazon 米国 消費関連(Eコマース・クラウド)
5位 Alphabet (Google) 米国 情報技術(広告・クラウド)
6位 Saudi Aramco サウジアラビア エネルギー(石油)
7位 Meta Platforms 米国 情報技術(SNS・AI)
8位 Berkshire Hathaway 米国 コングロマリット
9位 Broadcom 米国 情報技術(半導体)
10位 TSMC (台湾積体電路製造) 台湾 情報技術(半導体)
(この順位は時価なので刻一句と変動するが大きな順位の違いはない)

日本企業はこの中にないのはもちろん、最上位のトヨタ自動車ですら、2025年11月データでは49位である。法人税率を下げて消費税率を上げることがどんな顛末を迎えたか。それは、物価や原材料費、エネルギーなど企業にとっての原価の上昇、可処分所得が減少した家計は逼迫して値上げすると売れなくなり、企業経営がさらに苦しむ悪循環に陥っている。

大企業を肥やす方向は間違っていたのだ。アベノミクスの3本の成長戦略が成果を生み出させず、大企業を潤しそれが国民に降りていくトリクルダウンの構図は出現しなかった(アベノミクスが総じて成功したという経済学者がいたら教えてください)。大企業は内部留保を蓄えて内部から腐敗していったことが今日の大企業の不祥事や海外企業への身売りなどでうかがえる。

経済の好循環を作り出すきっかけは消費税の減税・廃止から

失われた30年の教訓、総括から、今後行うべきことは、国民一人ひとりの幸福を実現することに尽きる。生活が楽になり、誰もが望む教育が受けられ、健全な食生活を送ることができれば、自ずと教育や娯楽、耐久消費財の購入などが増える。それは規模を問わず企業や商店を潤す。このように連鎖的に好循環が生まれる。

それを阻害しているのは消費税である。まずは一律5%(民主党のお坊ちゃまお嬢ちゃま議員は食品のみ0%を主張しているが意味がない。それで家計の足しになるのか? ティッシュペーパーやドラッグストアで手に入るようなものは対象外で良いのか、税率が2つあると流通は混乱しないのか?)、5%は暫定で時期を見て早期に廃止とする。財源は法人税で賄う(30年の誤りを逆に時計を回さないといけないだろう)。消費税について訴えていた国民民主も選挙が終われば何も言わなくなった。公約のなんと軽いことか。

一人ひとりの使えるお金が増えることは生活が豊かになること、精神的な満足も高まること、企業や商店に落ちるお金が増えることで経済の好循環となり、税収(所得税)が増えることで実は回収できる可能性が高まるのだ。

失われた30年では企業経営は「選択と集中」に基づいて財務指標のみで判断した結果、本来その企業に期待されている分野すら売却されて強い部門だけ残したり、注力されなくなった部門が未来の成長性を阻害(いまの果実を刈り取ったら次のネタがないでしょう)したともいえる。当然顧客も離れていく。そのことがもっとも顕著に現れたのが家電メーカーといえるのではないか。

内需の拡大こそが真の経済政策

日本の名目GDP(約550兆円規模)のうち、内需全体(個人消費、民間投資、政府支出など)で考えると、GDPの約85%を占める。そのうち個人消費(家計最終消費支出)が占める割合は50%以上であり、内需が日本の経済の実態である。つまり、世界経済が減速して輸出が落ち込んだとしても、国内の消費が堅調であれば経済全体が大きく落ち込むのを防ぐことができるのは日本の強みともいえる。

現在の日本経済が抱える構造的な課題は「個人消費の低迷」であり、これを解決して「所得から支出への前向きな循環メカニズム」を働かせることが、経済成長の鍵となる。その足かせとなっているのが消費税(文字通り消費のペナルティ)である。

正の経済循環が回り出せば、企業や商店の売上(利益)が増えて、賃金を上げる原資となる。何度もこのブログで書いているように、現在の賃上げは中小企業にとって負担となっており経営格差を招いているが、賃金を「上げる」施策ではなく、賃金が「上がる」施策(国民一人ひとりが豊かになること)を行うことが王道である。

多様性と防衛について

国民一人ひとりが幸福感を得るためにはお金だけではない。多様性が認められることがお金と同等に大切である。夫婦別姓が許されず、不便や不都合が生じている事実婚夫婦などは少なくない。いわば夫婦別姓が認められないばかりに家族の絆(権利)を喪失している.この制度は、「選択式」なので必要な人が別姓を選べるため、この制度を導入しても不利になる人は一人もいない。それぞれの家庭(夫婦)の選択に委ねるだけ。都合が悪かったら夫婦同姓に戻ることもできる。この政策もコストがかからないのにまったく着手されない。誰も不利にならず費用もかからない政策でなぜ議論が必要なのか?

防衛費の増強も意味不明。台湾有事が勃発するなら海上封鎖が想定される。日本へ南方からの食糧品などが届かないことになる。これは日本にとっての有事といえるので高市さんの「台湾有事は存立危機にあたる」との発言は間違っているとは思えない。中国の作戦行動を考えると、大陸側(台湾の西側)だけでなく手薄な東海岸から挟み撃ちにするのだろうなと軍事に疎いぼくにも視える。中国軍が東海岸上陸のため迂回するとなれば日本近海を通過することになる。その際に領海侵犯や海上封鎖が起こりえるし、台湾上陸を果たした暁は尖閣諸島でも作戦が展開されうる(中国にとって固有の領土なので日本侵略に当たらないと主張するだろう)。

このシナリオからもわかるように、日本から離れた場所で戦闘するのが戦争ではなく、日本の補給路を断つだけで日本国民は困窮する(第二次世界大戦で兵站のまずさを学ばなかったのか)。食糧の自給率を上げることが最大の防衛(しかも東アジアの国に不安を煽らず中国に口実を与えない)となる。

ことは軍艦や空母、戦闘機以前に危機が起こりえる。米の増産を撤回するなど愚の骨頂。食糧の自給率を上げることは国力の強化につながる。防衛省だけの予算ではなく総合的に施策を組み合わせて国民のための国をつくらなければならない。米の増産はしないと宣言して米の販売価格が下がらず、お米券を配付するという愚の骨頂の施策。しかも予算の大半が以下の類似事業の類推から米以外の費用に消えるおそれがある。やらなければならないのは米の安定供給(消費者にとっての米価の安定)と生産者への直接所得補償(特に中山間地域などでの)のさらに有効な運用だ。

(参考)プレミアム付商品券事業などの事務費内訳は、以下のとおり。
印刷製本費(商品券等の印刷): 約19.0%
換金手数料(金融機関等への支払い): 約12.8%
宣伝広告費: 約10.7%
人件費: 約9.7%
(このなかに委託先への委託費用は含まれていない。冗談だろ、お米券なんて→ ほんとうにやるのか?)
→ 会計検査院法第30条の2の規定に基づく報告書「地域活性化・地域住民生活等緊急支援交付金(地域住民生活等緊急支援のための交付金)」の交付について(平成29年3月15日報告)

このように、積極財政の内容は有効性に乏しく、むしろ余計な施策によって財政悪化の懸念から円安が進行して物価が上昇しているのだ。

ぼくが考える政治のしくみ

過労のように働く姿から美談のイメージをつくりあげるのもよいが、マスコミもグルになった「高市祭り」に恐ろしさを感じる。高市さんがやろうとしていることは、失われた30年をさらに没落させる方向でしかない古い政治だ。また、維新を巻き込んだことで国会議員の定数削減など、貴重な政治資源を割いていま議論する必要があるのだろうか?

ムダの削減を訴える維新が万博だけは天井知らずの聖域のように膨張予算を放任し、どんな企業が受注してそれがどのように献金されているのか、カジノとの関係はどうなのかを考察すればどうなるか。大阪都構想のような地域利権ではなく、地域主権を進めるのが本筋である。国会議員の定数削減など何をいまさらの感がある。

このWebサイトでは一貫して政治家は増やすべき(いまより10倍以上)と提案している。ただし報酬は年間1百万円程度の有償ボランティアの兼業とする(専業政治家は悪事を働く)。定数が減ると良質の政治家から落選するように見える。権力闘争や資金集めよりも政策立案力や現場の洞察に力を入れているから。

その代わり、統計局を設置して議員の主たる活動の政策立案をサポートする。統計局の職員の身分は政治の干渉を受けないことはもちろんだが、「この政策に合うデータのみを抽出してほしい」のようなリクエストは受けない(統計局は恣意的なデータを希望する依頼を受けない)。また、データの提供に関して組織内の複数のチェックを受けるとともに、必要に応じて専門家の監修を受ける。

議会はオンラインで開催され、障がいがある政治家や子育て中の人、サラリーマン政治家もリモートや夜間に参加できる。そもそも市町村議員、都道府県議員、国会議員などと区別する必要があるだろうか? 国民の政治不信や政治離れが起こっている今こそ議員は増やして、間接民主主義であっても直接民主主義に近づけること。自治に近づけば政治への無関心も少なくなるように思う。そうしないと、悪意のある切り抜き動画のナラティブに騙されて踊らされてしまうよ。変な政策には声を上げていかないと。

ぼくは日本と日本人が好きだから書かずにはいられない。

追記
一部の大企業は腐敗したが、中小企業は善戦している。その分野で世界一、目立たないけれどその企業がなければ今日の世界は維持できないとか不便になるいう技術や製品を、まちの中小企業が担っていたりするのだ。きちんと戦略を描けば補助金を活かすことができる。徳島市の沿岸部にあるとある鉄工所は優れた活用事例のひとつで、確実に補助金を活かしてステップアップされている。経営者の優れた戦略的思考と実行力に社員の力が加わっているからだ。そんな会社を応援したい。中小企業は立派だよ。



posted by 平井 吉信 at 00:20| Comment(0) | 生きる

2025年10月19日

危うい政治家たちは 多様性の本質を学べ!


日本のすばらしさを誰よりも理解しているつもり。でもそれには、深く広い洞察が必要。日本の本質は多様性(=強み)にあると言い切れる。

それは4つのプレートがぶつかってできた日本列島の成り立ちに起因する。今日の観光資源のすべて、温泉や風光明媚な場所、亜熱帯から亜寒帯までの海洋性気候と山脈によって遮られる日本海側と太平洋側、高気圧団の位置取りや前線の配置が生み出す豊かな四季と多様な気候。

そしてそこに適応して、ある程度定住しながら、部分的には栽培も手がけ、権力や権利という概念なく人々が生きて行けた世界でも希有な縄文時代。この時代はSDGsの理想型をすでに実現できていた。(多少の想像力も駆使して)さらに歴史が下ってヤマト王権の成立に絡む列島の内と外をつなぐ壮大な人の流れがあり、日本人の成立には、古日本人と古日本人が海外へ出て戻った集団の両方が関与していると考える。そうであれば、外国人と日本人という概念すら国の成立前からなくなっている。

もっと遡れば、約700万年前頃に類人猿から分かれたヒトの歩み、少なくとも数万年前には数種の人類が共存していた時代があったこと(ホモ・サピエンスとネアンデルタール人、デニソワ人は今日の人類に遺伝子を引き継いでいるので交雑があったことが確か)。もしかしたらホモ・エレクトゥスの末裔とも交雑していた可能性すらある。

さらにもっと(もっともっと)遡って約40億年前に地球の黎明期から、生命の進化をたどるとき、いまここに多くの生命が存在する奇跡と言葉にならない肯定の感情が湧き上がるのを止められない。

説明が長くなるので端折るとしても、いまの大国の動きは多様性の上に成り立っている人類の価値を否定している。

うんと身近な政治や経済の話題に転換する。高市総裁(総理)に期待することとして経済政策と答える人が多いが、ほんとうだろうか? ぼくは、財政健全化と積極財政のどちらにも与しない(というかそのような二択で考えるべきではない)が、どちらかといえば、いまのような時代こそ、経済が循環していく方向へ舵を切る(積極財政)が正しいと判断している。立民が振るわないのは当然だろう。

かといってアベノミクスから高市氏までにつながる経済政策も経済の活性化に寄与していない。実態は、利権誘導と、格差の拡大と見かけ上の株価が上がっただけで国民は貧しくなっている(正しい経済政策を行なえば一時的に株価は下がっても、今度は実質的な経済の力で株価があるべき価格まで上昇する)。つまり高市経済政策とは、特定の集団が利するようなお金をばらまいて、特定の集団間のつながりを深めて(経団連)そのキックバックで自分たちも肥えていく政策に過ぎない。特定利権にたかる体質は自民とまったく同じで、さらに危うい思想をもつ政策集団や新興宗教と結びつくと、この国(というか国民)はシャブリつくされてさらに貧しくなるのみ(この実態が見えないと選挙にいってもむなしいよ)。維新のような自分たちの利権(万博)以外はコストカットで国民を貧しくさせる思想はもっとも避けるべき。

やるべきことは、賃金を上げる政策、株価を上げる政策ではなく、賃金が自ずと上がる、株価が自ずと上がる政策である。

そのような経済政策はあるのか? 
あると答えたい。

それは、国民一人ひとりが豊かになり、格差が少なくなること。生まれながら貧しい家の子どもは質の高い教育を受けられず、ハンディを背負っておとなになる。これは世代を重ねるたびに負の資産は代々継承されていく。幸福論の論文ではすべて同じ結論が得られていることだけど、人間は自分ひとりが幸福になっても幸福を感じられないということ。身の回りの人たちが豊かになってこそ、ヒトは幸福を感じられる。ゆえに、国民一人ひとりの幸福をめざす政策こそ、政府の最上位理念として掲げて取り組むべき。そのような社会では、使えるお金が増えて個人のやりたいことがやれるようになり、個人の起業家が増えて(所得にも恵まれ)、中小企業や大企業まで豊かになれる。お金が循環していくことになるので、正の循環として財政も健全化に向かう(財政健全化は目標ではなく結果として得られる果実でしょう)。

・消費税は一律5%に(段階的には廃止)。食料品のみの税率設定は混乱を招くだけ→ 経済政策の第一歩
・お金が無駄にプールされていて弊害となっている場所(所得税の累進課税や法人税、金融所得課税)に課税強化する税制改正やしくみづくり(財務省や財政健全論者も喜ぶ)
・誰でも質の高い教育を受けられるしくみ
・子育てのサポートなどといった部分的なサポートではなく、生活のサポートの視点からの政策の実行
・米を中心に自給率を高める農業政策(農業の所得補償だけではなく省庁横断による間接的な支援も含む)
・どの国とも等距離かつ「日本がいうなら仕方ない」といわれるようなぶれない理念と筋の通った外交。軍備の拡張は近隣諸国とのあつれきを生むだけ。あくまでも外交と貿易で。
・多様性を認めるさまざまな施策(誰も不利益にならない「選択的」夫婦別姓のような本質的かつ簡単にできることすら実現できていない)
・政治家をうんと増やそう(なんなら数十人に1人は政治家であるべき。もう利権誘導はできなくなるし、人は責任を自覚すればポピュリズム的な政策を自ら選択しなくなる)。これらの政策はすべての人に有益な政策と思う。

政治のしくみも変えたい。特定少数が関与すれば腐敗も起こる。そして国・都道府県・市町村の境界をなくして政治活動を行えるようにする。政策を考えて実施しようとするとき、市町村議会でやれることはほとんどない。国の政策と暮らしを一体化させるためには、少数の国会議員が国策を議論する密室政治からの脱却が必要だ。だから多様な人が政治家になって(専門の政治家など不要で兼業が望ましい)、オンラインなどの議会でいつでもどこからでも参加できて、意見の表明ができること。政治家の報酬は有償ボランティアの概念で構わない。オンラインをうまく使えば、交通費も政治活動が難しい人でも政治に参画できる。議員削減をめざす維新は時代に逆行している(特権意識を持つ危うい思想の政党だとわかる)。政治家を大幅に増やすことは民主主義の枠組みの試行であり、行なう価値はあると思う(お金のかからないしくみをつくることで政治家になる人もそうだが、国にとっても歳出が増えることにはつながらない。兼業だから年俸は1百万円ぐらいでよいのでは?)。

腐敗した政治からの脱却には国民のほとんどが目覚めないと取り返しが付かなくなるよ。政治について発言しないのは、社会をよくすることに関心がないということ。だから、ぼくは発信しつづける。いまのところ、悪い方へ向かっているけれど、未来へのシナリオはあると思っている。
posted by 平井 吉信 at 13:57| Comment(0) | 生きる

2025年09月28日

秋の夜空に力尽きたオオミズアオ


夜遅く家の外へ出た。なにやら高速で飛翔している蝶のような飛翔体を見た。飛び方はコウモリのように夜空を縦横無尽に移動した。目で追いかけていたら見えなくなった。

数秒後、再び視界へ戻ってきた飛翔体は、数メートル手前の道ばたに落下した。近づくと飛び立つのではと思ったが動かなかった。それは、羽根を拡げて透き通るような青白さ。
DSCF0866-1.jpg

オオミズアオ(Actias aliena)♂と同定。成虫は口が退化して食餌にありつけず、交尾のため1週間程度で寿命を迎えるとのこと。周辺の生息環境から近縁種のオナガミズアオではないと判断した。

彼の目には自分を目で追う人間が視界に入っていたはず。「風に乗って翔ぶ。最後を見てくれ」と声なき意思を感じた。秋の入口に遭遇した生命の最終章、せめてその証しをまぶたとセンサーに残しておこうと。
posted by 平井 吉信 at 23:16| Comment(0) | 生きる

2025年09月26日

未来を語る 明鏡止水の政治家 


世間の関心は次の総裁選びに移っている。この国のトップで居られる時間も長くない。周囲の雑音が消え、自らの悩みも消えて揺るぎない境地に至ったのかもしれない。

第80回国連総会における石破総理大臣一般討論演説(令和7年9月24日/外務省)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/un/pageit_000001_02451.html

開き直りであれば無茶もできるがそうではないようだ。むしろ抑制の利いた口調で(しかし良識のまなこをひらいて)淡々と国連改革や(固有名詞こそ挙げないが、暗にプーチンやトランプ、ネタニヤフを非難しつつ)あるべき国際関係を語り掛けるのは、21世紀になって久しく見ることのなかった場面のように感じる。「理想論を語るばかりで行動が伴わない…」と評されることもある人だが、理想も語れなくて何を実行する?

5人囃子が勇ましく絶叫する空虚な音声を耳に入ってくると(入れたくないのだが)、暗澹たる心地になる。誰も金権政治の一掃を語らない、誰も国民の幸福を語らない、誰も経済政策を語らない(真の課題が見えていない)。現状を洞察できず、未来を語れず、因果を見通せず、このままではアメリカのトランプ、ロシアのプーチン、中国の習近平、イスラエルのネタニヤフといった政治家の劣化版が日本にも誕生するのみ。

5人囃子はもとより、現在の野党党首の誰を持ってきても石破さんの代替はできない。おそらく短命に終わる次期政権とは距離を置いて対峙し、与党野党を問わず、未来をつくる政策の実現に向けて賛同者は誰であっても歩みを進めていく準備をしていこう。第1期石破政権の経験を死に物狂いで活かすのであれば、政治から離れたり、本質を見極められず似非政治家に踊らされる国民も目を向けてくれるはずだ。

ぼくは自民党の支持者でも特定の政治団体の支持者でもないが、そう思っている。混沌とした世界に光を照らす資質があるとしたら、多様な生態系のなかで1万年以上に渡って営みを続けてきた、そして唯一の被爆国でもある日本だけだろう。YouTubeには日本万歳とか日本すごいとかAIのつくる似非コンテンツが溢れているが、そんなものではなくもっと本質的なすばらしさを持つ国、縄文時代に端を発する真のSDGsの流れを持つ国は日本である。天皇皇后両陛下のまっすぐな理念と世界に灯りをともすお人柄はもちろんのこと、草の根では大谷翔平選手、アニメ、コンビニといった人、文化、個々のコンテンツは共感を集めつつある。良きリーダーとともに、国民一人ひとりが思いを持って冷静に行動していくことで未来はひらける。

そう思いながら、きょうも道に捨てられた吸い殻を拾っている。
posted by 平井 吉信 at 22:57| Comment(0) | 生きる

2025年09月10日

民主主義の終わりに


人が行動するときは、「何のため?」などない無目的な行動がいいと何度も書いている。目的は一見やっていることを正当化する疑似手段にもなりかねないという警鐘である。もし、とある政治家に信念があって、それのみに照らされて行動できていたら…と思っているのは本人だけではなだろう。

裏金議員は公認しない、選挙区に立つなら刺客を立てる(これは小泉元首相が先鞭を付けた)。もしくは議員辞職を勧告する。あれやこれやと注文を付けられて理想の政治ができないのなら、開き直りが必要であった。

成果に挙げている対米関税交渉も一方的に不利な条件を呑まされただけで、これを成果とはとても呼べない(自動車メーカーなどは真に怒っているのではないか。場合によっては国交を断絶しても交渉する気概が必要だった)。物価の上昇はやまず、可処分所得が減少し続けて、ついには主食の米が買えずに備蓄米に群がる人たちを知っている。生まれ育った家庭で将来の夢や立ち位置が決まってしまう親ガチャ、教育の機会不均等、未来に希望が持てないので子育てなどやらないほうがまし、という感覚にはうなづくばかり。ヘイト的な差別はやまないばかりか、さらにひどくなり、優越感を持つ人と劣等感を持つ人に二極化して対立する構図が際立ってくる。国民が政治をあきらめるとますます加速するので、洞察力を磨きつつ政治参加を放棄してはならない。

いまの日本に与党も野党もないだろう。自民党支持者でも今回は見切りをつけられた人が多いと思うが、だからといって任せる野党はあるだろうか? 
以前からの持論だが、政党は解体して政治家個人がそれぞれの信条によってのみ政治を行なう。カネのかからない選挙や広報として、議員データベースを国の予算でつくり、それが情報発信の手段とする。政策ごとに賛否とその理由が簡潔に記載され、国民(閲覧者)が必要に応じて並べ替えや比較、さらには自分の重み付けで政治家を点数化できるようにする。これは政策活動費や政治資金パーティがそもそも不要となるしくみで、紐がつかない政治が実現する。ただ紐付いているのは国民の評価(良識)のみ。

政治活動もオンラインでの議会参加や政治活動が可能となるため、費用はかからず、そのため子育て中の女性やサラリーマン、体調不良を抱えた人、まちのパン屋、中山間地で田畑を守る百姓(この言葉を敬意を込めて選んでいる)も政治家になれる(ただしITがすべてという生活者の実感のない政治グループとは距離を置きたい)。

政治家の劣化、国民の民主主義への真の理解と熱意の低下は、日本に限らず独裁者を生み出し、それが世界を貧しく厳しく潤いのないものとしている。まるで戦前のようだ。自民党の総裁選に立候補しようとする政治家も戦争に向かって長いものに巻かれていく(後世からみれば)無能な政治家のように見える。

しかし、すべての人にとって、誰もが賛成できる国の運営方針がある。それは国民一人ひとりの幸福の実現が政治や行政の目的であるということ。それは一筋の流れが集まって大河となるように社会を変えていくはず。それに沿って政治を行なう議員個人を見極めることで国民も政治に間接的に参加できる。

民主主義の実験は終わり、社会が後戻りできない持続的な独裁主義と対立を煽る扇動家の牛耳る時代になったと認めることはできる。ぼくは抗うけど。
posted by 平井 吉信 at 22:47| Comment(0) | 生きる

2025年08月24日

知床の羅臼岳での事故に思う


やはりそうか、と思った。羅臼岳や知床硫黄山は、シレトコスミレの生息地でもあるので、もし行くとしたらの想定で旅程や行程を調べたことがあるが、ヒグマの生息地であることはもちろん、アイゼンなどの冬山装備が必要なことや希少種だけに自分ひとりであっても入山による生態系への影響などを考えて断念した。

北海道のヒグマでもこの地域の個体は道南と比べておとなしいとされていて(だから油断してよいものではない)、これまでこの山域で人身事故が報告されていない(記憶違いでなければ)だけに、なぜ起こったのかが気になっていた。

当初の新聞記事ではこの記述が気になっていた。「下山中に200メートルほど前を歩いていた友人から名前を呼ばれ、近づくとクマと格闘していた…」というくだり。これは?と思った。いかに親しい仲でもマイペースでどんどん進むことは有り得ない。ましてヒグマの生息密度が極めて高い知床であれば。

登山をしたことがある人なら誰でもそうだと思うが、先行者は後続の息や歩みを感じつつ距離が離れそうになったら速度を調整したり小休止(休憩ではない)を入れる。この状況が発生するとしたら、ひとり(被害者)がトレランに切り替えて走り出したのではないか。

そして数日後のHTB北海道ニュースで放映されたのは、被害者の男性が走っていたことだった。
https://www.htb.co.jp/news/archives_33107.html

亡くなられた方には誠にお気の毒だが、結果論ではなく入山に際して留意しておくことはあったはず。
(1)知床半島はヒグマの生息密度が高い地域であることはもちろん、羅臼岳登山では襲われた周辺はヒグマの夏の餌となる蟻塚があることからヒグマのテリトリーであることは入山前に知っておくべき。
(2)そのような場所を走ることは自殺行為に等しい。熊鈴はクマにこちらの存在を早くに知らせて出会い頭を避けて双方とも待避する時間をつくるもの(このところ都市部に出没するアーバンベアと異なり、人との接触が少ない場所ではヒグマもリスクを感じてヒトは避ける傾向)。走っていればヒグマが待避する時間がなくなるばかりか、攻撃されると認識される可能性が高まる。
(3)さらに子グマを連れた母グマであったこと。この状態は子を守る母の本能で攻撃的かつ敏感になっている。
(4)トレランをするのに、わざわざ世界自然遺産の山域で行なうのか(登山道のみではあっても生態系への負荷があるのではと推察。人同士の接触事故も想定される。今後禁止すべきと思う)
(5)被害者を襲ったヒグマ親子の駆除はやむを得ない(駆除されたヒグマも人間が慎重な行動をすれば接触を避けられたはずで、彼らにとっても残念なことであった)。ヒグマにとっても恐怖の経験で、今後は人を襲う習性が常態化するおそれがあった。
(6)ヒトとクマの接触頻度が増すことは双方にとって望ましくない。餌付けや写真撮影のための接近は厳に慎むべき。世界自然遺産区域は野生生物や生態系のレクチャーを受けた登山者のみによる人数制限を行なうなど厳格な入山規制を行なうか、ガイド同伴を義務づけるなどが望ましいのではないか。

 四国に生息するツキノワグマは基本的に人を避ける傾向があると思っているが、それでもクマの生息域に入っていく際には、地形や植生、時間帯や天候から彼らの行動パターンを推測し、さらにそれらの痕跡を確認しつつ、鈴はもちろんだが、場所に応じて声を出したり笛を吹いたりして行動している。
 被害者の方のご冥福をお祈りするとともに、山へ入る場合はクマ対策も含めて必要最小限の知識を身につけておくべき。そうしないと悲劇はなくならない。
posted by 平井 吉信 at 11:14| Comment(0) | 生きる

2025年07月26日

懲りない人たちはおいといて 石破さんは続けるべき


自民党は選挙の総括で大敗の原因を党首総裁に背負わせようとしているが、ほかの人ならもっと大敗した可能性に気付いていない。21世紀になって自民党から出た総理はことごとく国会でのやりとりで聞く耳を持たず、未来を担う子どもたちにこれが国会だと見せたくない光景ばかりだった。

党内では石破おろしが加速している。自公の政策についてはこれまでも書いているとおりで、経済政策を見ても彼が理想の首相とは思えない。けれどもこんな時代だからこそ、政党間の調整をしながら国家(国民から負託されたという意味)は最善(次善)の選択肢を重ねていく必要がある。

国会のやりとりにあったが、野党の質問(指摘)であっても納得できたことには対応しているところである。能登半島の現場に深く入っているれいわ新撰組から、復興について現場が困窮している現状を数字を交えて伝えたとき、石破首相が予算措置を約束したのはその一例。

この難局は石破さんでないと乗り切れないだろう。野党だけでなく党内基盤や政治勢力からの牽制に対応しながらという弱みはあるにしても。

自公政権のなかにも(一部のカルト政党を除くすべての政党に)良識派はいると思う。この際、自民党も分裂して、政党を問わず良識ある人々が結集して再編するのもあり得ると思う。

ランディングページの作成などのセミナーで説明していることとして、見る人の心の弱みにつけ込むナラティブ(物語)の事例を説明して、それらは効果はあっても悪用してはいけない、なぜなら大切なお客様とは生涯つきあっていく責任があるし、そのことが自らの成長と安定につながるからと説明している。SNSだけの情報発信は自殺行為とも説明している。ぼくのようにアカウントを持っていない者は見ることすらできない場合があるし、大切な情報や定番コンテンツもタイムラインの彼方に消えてしまう。Twitterがエックスになったように、いつルール変更がサービス提供者から行なわれるかもわからない。情報発信が大切であるがゆえ、自ら発信する手段を持つべきなのだ(定額制の業者のサービスはトラブルのほうが多い。そもそもそのこと事態がベンダーロックイン。IT業界は情報の非対称性のため、ぼったくりが常態化しているのが偽りのない現状。わからないから発注するのではなく、発注側も勉強しなければ)。

悪いナラティブとは、例えば、コロナワクチンが陰謀である(ぼくはワクチンのすべてに賛同しないが、統計的には有効だったと思う。ただし人によっては災いとなるのは先天的な遺伝子や後天的な疾病との関係性があるため)。このほかにも、DS(影の政府)、国際通貨で一儲けしよう、トランプは救世主、外国人が日本人を圧迫しているという語りを聴いたことがある人もいるのでは。自分の目でしっかりと社会を洞察しなければ、悪意を込めた偽りの物語や煽り動画にだまされるよ。

とはいえ、陰謀(隠れた意図や洗脳)は社会に溢れている。客観性を装ったSNSなどを用いてマーケティング会社が加担して人心をコントロールしようとしているのは遺憾だ。

ナラティブについては、毎日新聞の記者、大治朋子さんの著書「人を動かすナラティブ なぜ、あの「語り」に惑わされるのか」が良書なので一読を奨める。

選挙に行くのは良いことだが、まずは世の中を洞察すること、どのような意図や背景があるのかに思いを巡らすことなく鵜呑みにしていると、社会が悪化していく片棒を担ぐことになる。でも、そのためには、この宇宙や地球の成り立ちにまで遡ることになるかもしれない。自然の摂理が見えてくると、多様性とか存在の本質が観えてきて悪意のあるナラティブには惑わされなくなると思う。


追記 一票の格差は問題か?

一票の格差は違憲と裁判を起している法律家なども懲りない人々だ。杓子定規に条文を崇めている感じがあるが、そもそも法律は何のためにある?ということに答えられないだろう。
屁理屈には屁理屈で返すとするなら。自分たちの県の代議士を出せない有権者は一票の格差以上の格差じゃないの? 候補者がカバーする(移動する)距離(面積)の格差はどうするの?(選挙区に浸透することが物理的に困難。例えば、徳島県美波町から高知県大月町まで車で止まらず走って6時間かかる)。一票の格差をなくすことが正義なら、この倍率までは合憲という概念はなく、ぴたりと合わせないと平等とはいえない。ゆえに、同じ市町村でも選挙区が違うことが起こりえる。その労力や手間のコストは納税者が納得するか? 仮に違憲として選挙のやり直しが必要とすれば、その費用は誰が出すのか? 自分の懐に数千万円取り込んだ政治家は合法なのか?(子どもが考えてもわかる善悪を。なぜ形式的法治原理主義者は追求しないのか)

法律家の知人は何人かいるが、みな理屈っぽい。彼らの主張が正しいなら、大多数の善良な国民が形式的法治主義に苦しむ場面を多く見てきた。違憲かどうかより前に、法律は何のためにあるのかを問いただしたい。


追記2

SNSをなぜ使わないかは、例えばこの投稿のような内容(長文をSNSに掲載できるかどうかの視点は置いといて)を掲載すれば、なるべく多くの人の目に触れないような意図的な目に見えない操作を受けることがわかっている(それらを陰謀という)。

posted by 平井 吉信 at 12:27| Comment(0) | 生きる

2025年07月21日

ああ 参院選

 
いつもだと選挙結果の詳報やら解説やらデータ分析の記事を読むのだけれど、今回は無気力になってしまって読み進もうと思えない。

世界では、トランプ、ネタニヤフ、プーチンといった独裁者が保身のために国の内外に不幸をもたらしているというのに、この国もそうなってしまったかの失望感が無気力の根底にある。

ぼくが理想とするすべての人の幸福(個人も事業者も生産者も生物もこの国に住むすべての外国人も、健常者と身障者も少数派の人たちも区別することなく等しく幸福でいられる)な国民が住む幸福な国家からはさらに遠ざけてしまった感がある。そのための政策も見えていて、このブログでも未熟ながら方向性の処方箋を書いているつもりだ。

それは自公の枠組みでは実現しえない(その理由も明らかにしている)ので、本質的な課題を解決する勢力の台頭が必要なのだが、ポピュリズムや排他主義が蔓延していることがわかった。そのような国民にしたのは言うまでもなく自公を中心とするこの30年の国民貧困化政策で、多様な考え方や夢に向かって進んでいく人を応援するという風土を失ってしまった。

その徴候がまっさきに現われたのが大企業で、この30年間、唯一の減税(法人税)の恩恵を受けながら技術や思想、人材面の投資を行なうことなく、内部留保をため込んでは外資に買収されて大量リストラを繰り返してきた。

ある企業城下町では、生産性向上のため、決められた時間に決められた部品を決められた量だけ納品するしくみとなっている。遅延は許されず、配送やら生産には冗長化が必要となるので、道路で運転や待機する。それが運転手の体力を奪い、道路渋滞を招いてCO2を余計に排出する。一方で受注を受けた生産者も自ら繁忙を設定できないので製造費用が割高となるが、受注がなくなると人員や設備を遊ばせるしかない。つまり発注元の効率化は誰かの非効率化(=犠牲)の上に成り立つということ。極端な同期を求めてサプライチェーン全体では生産性も社会性も低下している。幾重にも優遇された大企業ではあるが、社会を幸福にという理念は見えず、経営者は四半期の業績やら保身に走る戦略ばかりで成長戦略を描けていない。それも国の貧困化の要因となっている。そうじゃないですか、経団連のみなさん。

その一方で中小企業・小規模事業者の倒産や経営不振が深刻である。これらの人たちが日本を支えているし、例えば、パンクしたときにお願いできるまちの自転車屋さんがくらしを支えているともいえる。

ところが内需が低迷して収益が低下する悪循環。賃上げすれば赤字拡大、値上げすれば売上減、需要を増やすしかないが、減税どころか経団連は消費税の増税を視野に入れているという。必要なのは政策で内需を成長させること。内需=事業所の売上なので消費税が諸悪の根源ということになる。

自滅政策のようなトランプ関税は外部のイレギュラーな環境要因に過ぎない(冷静に見ればトランプ関税は長続きしない)。本質的な部分に取り組むこと、つまりは適切な課題の設定こそが政治家の役割である(防衛費の増額やら増税などは誰も望んでいない)。ただしポピュリズムでなく、国のあるべき姿(ぼくの場合は国民の幸福度)を実現するための理念とそれを具体化する政策立案とプロセスが見えていることだが、今回躍進したところからはそれは見えないばかりか悪い方向へ向かうような気がする。

今回の選挙で躍進したところも衰退したところも同じ原因から出発している。それは生活者の不満の高まり(生活満足度や幸福感の低下)ということ。本質とは関係なくそこにつけ込む政策を提示できた勢力は躍進したというマーケティング選挙でもあった。

結局のところ、有権者の水準以上の国にはならないということ。でも、ぼくは諦めない。
posted by 平井 吉信 at 10:06| Comment(0) | 生きる

2025年07月08日

「脱こだわり」の調理は地球がなくなるまで続けられる


NHKプラスでNHKのクローズアップ現代が目にとまった。桑子真帆アナウンサーが料理研究家の土井善晴さんと対談する番組である。

料理番組やレシピ本、料理動画はまったく見ない分野だけど、子どもの頃から調理が好きで、自分なりに考えて取り組んできたので小学生の頃には一通りの料理はできるようになっていた。好きなことは上達するもので、うちの米はいまでも5キロ換算で千円台だけど(請求されるより多く払ってもそれだけ)、飲食店でもこれ以上のご飯に出会うことは希な気がする。それはぼくの腕が良いからではなく、家庭でつくるものは(時間や手間を換算しない)商業ベースでないからというのが答えになる。もちろん調理の原理原則を知っていることが大前提である。あるべき道理に沿って頭と手を動かしていくと自ずとできあがる「脱こだわり」の世界ともいえる。

この番組で土井さんが提唱しているのは、
おいしさは追求しない
レシピにとらわれない
味付けはそれぞれ食べる人にお任せ
出汁は使わない

ぼくはグルメでないので食べ歩きはしないし興味もない。料理本は持っていないしそもそも見ない。野菜は好きでよく食べる(キャベツは半玉ぐらい、ピーマンは6個ぐらい、レタスはボールいっぱいなど)のだが、徳島は野菜の生産地なので助かる。ある産業系の展示会に出かけたとき、かごめのブースだったか、呼び止められて掌を測定されたとき、途方もなく高い値だったらしく周囲にいた社員がみんな集まってきて質問攻めにあったことがある。

それもドレッシングや調味料で味付けしないでそのまま食べることも少なくない。おいしさは追求しないけれど、この分野では自分のつくったものが一番だなと思うものはたくさんある。毎年1回は投稿している梅酒などはその代表格。

出汁は使わないけれど、多用するのはトマト。徳島が産地ということもあって、生食以外にもカレー、すき焼、水炊きや鍋、みそ汁やラーメンに使うことが多い。何に使ってもおいしい。水炊きに温州ミカンを入れるのはおいしいよ。

米は、毎日精米して(精米機は山本製機の2万円未満の機種)五分づきとして研いで冷蔵庫で冷やして炊くだけ。炊いた米はすぐに保温専用の真空炊飯器に移す。これで2日以上は風味が落ちない。炊く用の炊飯器は2台がスタンバイしてさらに数台の予備があるので、ほかの調理にも使える。台所にすべて保管できないので分散して置いているが、それらはほとんどが中古で揃えたので大した出費にはなっていない。中古で揃えるのは価格を抑えるためではなく、すでに販売中止になって10年以上が経過するからやむなくである。

調理はマルチタスク。弱火のフライパンで仕込んでいる間に、電子レンジ、オーブン、マルチグリルプレート、スロークッカーなどを適当に使ってつくる。その間は台所を走り回るので数千歩歩いていることも(冷蔵庫から電子レンジまで6メートルあるので)。

ぼくは高卒で卒業時の成績が400人中380番(学歴詐称はしない。ほんとうである。学歴で経歴書は飾れても生きる力にはならないよ)と何度もお伝えしているけれど、勉強は好きで毎日なにかの勉強をしている(仕事に関係のないこと)。学問ほど愉しいものはなく、スミレの世界ひとつとってもわくわくする(このブログでスミレの写真が多いのはそのため)。料理もわくわく。川を見るのも愉しい。食事の支度にはほとんど毎日のように買い出しから後片付けまですべてやる。仕事が立て込んでくると夜中の3時に炊飯しているときもあるが、気にしない。

多分このくらしは、明日地球が崩壊するという前日でも変わらないし変えないと思う。あるがままで十分。

この日は出張だったので手製の弁当(五分づきの米、手製梅干し、牛肉とピーマンの炒め物)をクーラバッグで持参。つくる時間10分、これで十分(おいしさを噛みしめる)
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posted by 平井 吉信 at 20:41| Comment(0) | 生きる

2025年07月05日

政治は何のため? 理想の社会をつくるための政治の選択肢とは?


ヒトが行動するには、なぜそれを行なうのかの理由(動機)がある。その動機は理念の実現のためである。ということは、同じ行動を取っていても理念が異なれば是非の判断は異なることになる。従って、何をするかは重要ではないような気がする。

その文脈での話として政策の評価をするとき、給付と減税のどちらがよいかという設問をしがちである。世論調査では、行動のみの判断を求めているが、大切なのは行動そのものではなく、動機やその源となったモノサシ(理念)ということになる。

政治は何のためにあるか? → 人々の幸福感のため
政策はなぜ行なうのか? → 人々の幸福をつくるため

ぼくはこれをモノサシとしている。

それでは2025年の人々の幸福とはなにか? → 格差を是正すること(これが目的ではないが、ここから正の好循環の連鎖が始まる。つまりアベノミクスとは真逆に、人々が身心とも健やかであれば消費が増えて企業も潤い、結果として賃金が上がるなど)

格差の拡大は幸福感を低下させる。それは、貧困者だけでなく富裕層も同様である。物質的な満足感に満たされていると細胞ががん化しやすくなるという研究がある(オカルトではなく科学的な研究)。お金がありすぎると幸福感はかえって低下するというのは奇異に見えるが、事実のようである。それでは幸福感をもたらす年収とはを調査したところ、日本では年収800万円ぐらいだそうだ。これより少ないと必要なものに投資(消費)できなくなる可能性があり、これより多いとかえって心が満たされなくなるということ。

30年前は1億総中流といわれ、格差が少なかった(世帯年収も600万円〜700万円ぐらいでなかったか。これは世界でも理想の状態に近い)。そのため消費意欲(内需)は旺盛で、1ドル100円を切るような状態でも、国民が自国の製品を買うので企業の経営は傷を受けず、それどころか世界のなかで時価総額ベスト10の企業に日本の企業が8社入っていた。円は高く、法人税はいまよりずっと高かったのにもかかわらず。いまではベスト30に入る企業すらない。

日本の失われた30年は消費税課税(及びその税率上昇)がもたらしていることは統計から有意性の証明ができるはずである。法人税率が高いことは決してマイナスではなく、有効に投資(資本効率)を真剣に考えて成長戦略を実行した。その結果、生まれた革新的な取り組みが日本の企業を世界一にした。ウォークマンをはじめとするあの時代の製品には力があり、100万円台のカローラの品質感はベンツをも上回っていた。学生が趣味で海外旅行へ出かけるのが普通で、ぼくの友人で海外へ行ったことがない人間は一人もいない。それも数か月の旅行は珍しくなく、南太平洋の無人島などを1か月かけて回った人間もいた(このブログの作者のこと)。

視点が世界や宇宙にまで向けられ、そこから人々や生態系の多様性の大切さを肌で知った。ぼく自身も天文学、天体物理学、量子力学などの勉強を続けながら、民俗学、河川工学、人類学、語学、小説を書いたり写真を撮ったり、人生を愉しみながら、ある国家資格をストレートで合格(合格率3%のこの試験を高卒&独学&ストレート合格者は全国で1人しかいないのではと思う。なにせ高校を卒業するときの成績が400人中380番だったし大学には魅力を感じないので大学にも行っていない)、それがいまの仕事になっていたり、NPOやNGOを複数掛け持ちして社会貢献をしたり(見返りのない行為にお金と時間を使ってきた)、思うままに生きてきたしいまも変わらない。このブログの背景にはそんな体験や知見があると感じていただけたら幸い。

さて、社会に横たわる問題を小さく捉えて対症療法を行なっても決してよくならない。この30年の政治はそうであったように。例えば少子化対策には子どものいる世帯に給付する(それが間違っているというよりは根源の課題を見ずに対症療法に走っている)といった具合。

人々の幸福の実現が政治に課せられた使命であるとしたら、いまやるべき課題は何か(課題とは根源の要因でそれを解決できれば連鎖的に解決していくという本質的なことである)。

それが格差の是正である。すべてがここからつながっている。30年前は格差が少なかった。そして格差拡大をもたらしたのが逆進性の強い消費税と法人税減税である。これを元に戻してやる。

格差の拡大は実は富裕層をもむしばむ。ぼくは、富裕層を目の敵には決してしていない。努力をされているからだ。しかしその反面、生まれた家の所得で一生がほぼ決まってしまう。これは基本的人権の平等性が担保されておらず、違憲状態である。選挙で一票の格差が違憲というような矮小化された詭弁ではなく、本質を見るべき。

幸福とはみんなが幸福であって初めてそう思えるもの。豪華な自宅の前に栄養失調の子どもが座り込んでいるのを見て幸福と思えるだろうか? その反対に誰かが喜ぶ姿を見てそこに癒しや感動があり、それが幸福感の根源ではないだろうか?

幸福感の実現に、保守も革新も右も左もない。ぼくは特定の政党の支持者ではなく、この投稿もその意図はない。あるべき姿を実現するために最良(もしくは次善)の選択肢の参考になればと思って書いている。

給付か減税かの問いは意味がないというのは、それがどちらも格差の是正に資する行動のひとつであることと、それが課題の解決を通して理念の実現につながるかどうかだけを問うべきである。生活困窮世帯には給付金は必要である。一時的でも必要であれば給付することは間違っていない。しかし課題の連鎖を見据えた政策でなければばらまきという(自公の政策は格差是正の本質が見えていないのでばらまきである)。この30年をつくったのは自公(民主党政権でも野田政権がさらに低迷を深めたので立憲も同類)であり、それらの選択肢はない。大阪万博の利権の権化のような政党、手取りを増やすといいながら与党の補完勢力になっている政党、誰かを批判して英雄気取りになったり、外国人を排除しようとする○○ファーストの新興勢力も論外。陰謀論などは誰かの心を支配するためのナラティブでしかなく、戦前のような空気感を感じる。そもそも排他的な国で日本人も幸福になれるわけがないし、徴兵制度すらやりかねない。カルトの雰囲気にだまされないことだ。

減税は正しい。なぜなら減税はすべての人に等しく恩恵があり、消費税減税は逆進性を緩和する効果がある。即効性がないとの意見もあるが、精神的な安心感が与える効果は計り知れない。当座のお金が必要な人には給付も併用すればよい。人々が使えるお金が増えると、消費が増えて飲食店や小売店などの小規模事業所が潤う。消費の増加の恩恵をもっとも受けるのが企業である。企業経営にとって消費税の負担感は重い。内需の拡大に直接働き変える最善の政策で、経済循環にプラスのまわりを作り出すことで実は税収も増えて財務省も喜ぶ。法人税の税率強化は資本利益率の本質を考えるきっかけとなる影の経済政策である。しかも大掛かりな仕掛けなしに実現できる。よく使う人には減税幅が大きいので富裕層には不満がないし、生活が苦しい人たちはいわずもがな。

ただし税率はすべて同じでなければならない。0%が理想だが、まずはすべて同一税率の5%で着地して段階を踏むのも現実的だろう。トランプ関税よりもこの社会に深刻な影響を与えたのはインボイス制度である。人々の暮らしに欠かせない近所の自転車店が廃業した、まちのミシン店が店を閉めた、才能あるクリエイターが廃業した、などはインボイスのなせる技。個人事業主の廃業は社会の潤滑油をなくすことにもつながっている。同一税率はインボイスの廃止という副産物にもつながる。これは社会にとって大きな成果だ。

関税については好きなだけかけさせることでアメリカ国内の不満が溜まり、富が国外に流出してトランプが失脚する構図は目に見えている。スバルのSUVに乗りたいアメリカ人は、4万ドルが5万ドルになったところで買うのはやめない。日本でスイスの高級時計が好きな人が円安のため200万円が300万円に値上がりしたから買うのを止めないのと同様である(実際にここ数年の日本はそうなっている)。トランプ関税のためアメリカの消費者はインフレに悩むこととなる。さらにサプライチェーンが有機的につながる今日ではめぐりめぐってアメリカの企業をも直撃する。皮肉なことにトランプ関税はアメリカを偉大にはさせない典型的な政策である。

老朽化した公共財(水道管や下水管、橋、ダムなど)に適切な補修や技術革新(総合治水への転換なども含む)を行なうなど社会資本の再整備を行なうニューディール政策的な視点も経済循環をつくりだすきっかけとなる。円安デフレが続いた日本で急激な物価高に苦しめられているとしたら、その処方箋は断じて賃金を上げる圧をかけての賃上げではなく、賃金が上がる(内需拡大)政策を行なうべき。このことには誰も反論できない。

消費税の減税は未来の安定を揺るがすのではなく、いまを豊かにして正の循環を未来につないでいくために、いまの機会を逸したら永遠の沈没しかない。その選択肢のカギを握るのは一人ひとりの良識ある判断。よく考えてそして必ず投票へ行こう。
posted by 平井 吉信 at 22:36| Comment(0) | 生きる

2025年04月29日

消費税率を下げる/なくすは良い政策だが、すべて同じ税率(5%/0%)でなければならない


立憲民主党が消費税を1年間、かつ食料品に限って0%とすると発表した。本ブログでも消費税減税/廃止が、国民も事業所(個人・中小企業・大企業)を問わず、もっとも効果的な施策と考えて提唱しているが、これは禁じ手である。

前回の公明党提唱の軽減税率(8%と10%の複数税率)で流通は混乱し、挙げ句のはてにインボイス制度が導入されて多数のフリーランスや小規模事業者が廃業するという副作用まで起こった。公明党は弱者いじめの政党の印象が定着した愚策であるが、今回の立民も同様の愚策である。

このような理念なき政策をばらまきという。給付金もばらまきであるが、理念がある給付金として、国民の幸福につながる諸施策との相乗効果で生活への安心を確保しつつ、いまお金が必要なときだから給付も位置づける、というのなら愚策とはいえない。

ところがこの国をどのように立て直すのかの理念と方針がないままに実施しようとすると、国民の目にはばら撒き(どうせ所得税で回収されるんでしょう)に映る。

立民のこの政策も選挙目当てとしかいいようがない。社会を知らない青臭い匂いがぷんぷんする。1年間だけの税率のために、流通や企業の総務、取引の現場がどれだけ混乱するか。食品と雑貨を扱う小規模店にとってはレジ業務の運営が回らずお手上げとなる。おそらくシステム改修に補助金を当てる政策が提案されるだろうが、1年後にはまた元に戻す。システム改修費がまた必要となる。→ 官民ともに無駄遣いを強いる愚策。

これならまだすべて5%(恒常的もしくは0%まで下げる暫定扱いなど)がましである。この政策の良いところは、誰も不利にならず、不公平にもならないというところである。消費税負担は生活者だけでなく中小企業も負担になっている。赤字の法人は少なくないが、売上1億円、経費1.2億円(減価償却前)の赤字企業でも、数百万円の消費税が課税されると経営が追い詰められて雇用を守れない、破たんなどの怖れがある。

最大多数の最大幸福でもある消費税率を下げる(撤廃する)財源はどこに?という答えは、内需拡大による税収(所得税)で補えるはずである。社会実験としてやってみる価値はあると思う。
posted by 平井 吉信 at 12:19| Comment(0) | 生きる

2025年04月04日

トランプ関税など相手にしない アメリカなしでも生きられるが米なしでは生きていけない


トランプ関税で賑わう昨今だが、そんなことで日本の経済は影響を受けることはない(株価が一時的に下がってもそれが当たり前。株式市場は変動するもの)。なにより日本の中小企業には唯一無二の技術があり、国民性に裏打ちされたきめ細かいサービスがある。

トランプ関税に比べれば消費税10%やインボイス(身近なところで廃業した事業者は数え切れない)がはるかに大きな影響だったが、政府は知らぬ顔だった。大企業にはもともと内部留保が大きくゆとりがある。むしろ関税はかけた国がもっともダメージを受ける。発動されても自国内の反対の声で撤廃されるのは時間の問題というのが冷静な観測。関税対策を行なうのなら、発想を転換して内需をつくる。それは消費税の撤廃。誰も敗者はいない、誰も困る人はいない、可処分所得の増加はお金の循環を生み出して(財務省にとっても)税収が増える可能性すらある。

友人として相手国に伝えるべきことがあるだろう。相手がロシアであれ中国であれアメリカであれ、世界のなかで尊敬される日本国としての、まっとうな精神とぶれないモノサシで、どこの国よりも平和を願う国民のいる政府として毅然とした態度を取るべき。ただし、今回の関税の報復措置は実施しない。それは日本国民のため。トランプ関税は静観しておく。株式を売り抜ける必要もなし。

日本は軍事費の増強はやりません、お気に召さないなら基地を廃止するのでお帰りください、とでも。それよりも米がないことはこの国の闇を浮き彫りにするとともに、いま何に取り組むべきかを訴えている。このまま行くと秋の収穫前まで、いや、収穫後も上がり続ける。米を作っていない東京都民は1日1食の時代を迎えるかもしれない。南海トラフや有事を考えると都会に住む大きな潜在リスクが顕在化しようとしている。

米は決して余っていない。流通のどこかで貯蔵されているなどということはない(それがあるのなら米屋の廃業や営業休止などは起こりえない)。生産者を支える政策、米の増産に転じる正しい政策を行なっていかなければ、どこかの国のミサイルではなく、国民が餓死(政策の失敗)して終わるかもしれない。



posted by 平井 吉信 at 22:07| Comment(0) | 生きる