2021年08月16日

コロナの時代の盂蘭盆会 沈黙の時間に声を響かせる


いつもなら菩提寺もしくは菩提寺から派遣された別の寺のご住職に回向していただけるのだが、前年度からはそれもなくなった。菩提寺の営みも大変だろうと推察。

デルタ株(SARS-CoV-2 Delta variant)の出現は別の位相に入ったと感じる。
これまでは副反応でワクチン接種を避けていた人たちが次々と向かうと予想される。
ワクチン接種後も感染は止まらないというのは各国で起きていることだし
専門家も誰一人マスクを取って出歩いても構わないとは言わない。
むしろワクチン接種の有無を問わず従来以上に感染対策を強化すべきとのこと。

ワクチン接種を行わないという人は身の回りに少なくないのだが
根拠のない情報に惑わされていたり、外界と接触を断つほどの覚悟はない人たちには接種を行うことを強く奨めている。ぼくももちろん接種は行う。
副反応のリスクはあっても義務化しないとならない段階に入ったと感じる。

何度もその根拠を書いているように根源の原因がなくなることはないので
COVID-19は終息しないと考えている。
いやCOVID-19は数十年で終息するかもしれないが
別の感染症が入れ替わり立ち替わり跋扈する。
そして温暖化によって劇的な気象が頻発するようになった。
そのことがさらに感染症の引き金を引くという悪循環に陥る。
マスクとアルコールは財布やケータイ電話以上に不可欠の携行品となっている現実を直視しようとせず
マスクをはずして生活する人や温暖化は存在しないと主張する勢力がある限り、どうすることもできない。


デルタ株が出現したということは飲食店が経営を続けるのが困難な段階に入ったことを意味する。
かつて飲食店へ行くのはハレの日の喜ばしい家族のできごとであったが
いまでは感染を覚悟に(感染後の行動も想定に入れて)入店する―それぐらいのリスクを感じるほどになっている。

もちろん対策はあるし(別のブログに書いている)
その費用も現実的な金額に収まるのだが
ぼくが考える感染対策を実際に実行に移されている店舗は少ない。
やらなくても良い対策(イオンの発生装置やらコーティングやら)を実行されているのに
やらなければならない肝心要の対策(空気感染)が行われていないことが多い。
(接触感染やら飛沫感染はマスクとアルコールを携帯していれば自分で防げるのだ)

仮に感染対策ができていたとしても
大半の店ができていない現状では来店客は見分けが付かないのでやはり足が向かない。
その意味で自店のみ対策ができていてもどうしようもない。

盂蘭盆会を迎えて手を合わせているのは祖父や祖母、さらに遡った祖霊のため、もっとも近いところでは父のため。
さらに大好きだった川で水難事故で亡くなった叔父や親しい人。
日航機の墜落事故に遭遇した同級生。
今年に入ってからコロナで亡くなった親しい知人も含めている。
究極的には過去から現在までの生きとし生けるものすべてに。

それなのに、好きな食べ物をつくったり買いに行っては食べ物を食べ、
家族や親族に情報を提供したり暮らしの支援を行ったり
部屋の掃除を行いクルマやカメラやらパソコンを調整しつつ(このブログもそうだが)、
仕事も遊びも愉しみながら生きている。

けれどそれは紙一重。
生きていることと死んでいることが隣り合わせの日常を観じている。

いつものように読経を行う。
開経偈から般若心経、観音経(普門品第二十五偈)、十三仏真言、光明真言、南無大師遍照金剛と続いて各霊菩提、先祖代々を回向する。
自らの声が遠く響いて自分の声を別の自分が聴いている感覚を覚える。
般若心経のいくつかの単語が無限に繰り返すような。無限界 無意識界…
(でも般若心経は釈迦の教えとは違う)
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朝の静けさを打ち破るりんの音と空気を打ち振るわす声が盂蘭盆会の時間を満たしていく。
この時代を受け容れて生きていく。
タグ:盂蘭盆会
posted by 平井 吉信 at 00:20| Comment(0) | 生きる

2021年08月07日

言葉とは文字の並べ方だけではありません


長崎と広島のあの日は絶対に忘れない。
国民を巻き込んで暴走した政権の醜さ、滑稽さ。
戦争に使ってはいけないものを使ってしまった人類の重大な過ち。

生存している被爆者の代表や各国の代表が列席するなかで
もっとも大切な部分を知ってか知らずか読み飛ばした。
「我が国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国」であって「核兵器のない世界の実現に向けた努力を着実に積み重ねていく」などの文言が抜け落ちた。
意味のない棒読み人間、そうでなければ、悪意があっての読み飛ばし。
そこに付いている冠が内閣総理大臣。

政権中枢部から絶えず流れている軽はずみな言葉、
政治家として住民への愛がまるで感じられない政治家たちの行動、
その前の政権もいまの政権もその座に値しない。
自民、公明、立民、国民、維新…国民に愛がないという点ですべて同じ。
政党はすべて解体して志ある政治家による治世に変えていきたい。
(政治家の数をもっと増やそう、そして政治家の報酬をなくそう)

不正な受給を企てる輩や思いやりのない行動で感染症を拡大する人たちもいて
コロナ禍はヒトのみにくい本性をあぶり出している。


76年前のあの日、温暖化が進行していない当時は真夏でもいまほど気温は高くなかったはずだが、
降り注いだ熱線は有機物無機物を問わず焼いた。

ぼくは自宅と仕事場の両方でエアコンを使わなくなって(設置していたのを取り外した)10年ぐらいになる。温暖化防止への貢献というよりは暑い夏を忘れないようにしたい、との思いから。
(もちろん今年もエアコンは使っていない。ないのだから使いようがない。室温32度でも快適に過ごしている。扇風機すら使っていないし水もあまり飲まないようにしている。10年以上かけて身体を順応させたので決して我慢しているわけではない。暑い夏の心地よさすら感じている)

唯一の被爆国だからこその発信があるはず。
それは義務でありいまの時代に生きる良心の発露だろう。

さて、東京五輪の開会宣言の一幕。
天皇陛下は原文と対照してJOCの誤訳にお気づきになって
さりげなく訂正したうえで宣言されたという。
https://dot.asahi.com/dot/2021080600079.html?page=1

上記の記事で「五輪憲章の『誤訳』の件で誰かが傷ついたり、責任を問われることのないように、というのが陛下の一番の願いであったと思います。そうしたなかでも正しい日本語として宣言できるよう、人目につかないように、ひっそりと訂正なさったのだと思います」と識者の意見を紹介している。

言葉の重みは思いやりの深さに比例するとしたら、
品格と思いの深さを備えたあの方は
折に触れて言葉にできない伝言を発していらっしゃるようだ。
posted by 平井 吉信 at 22:49| Comment(0) | 生きる

2021年04月06日

コロナ下であろうとなかろうとそこにいる限りそれがしあわせ


幸福とは何か、どんな状態かについては誰もがほぼ同じ答を持っていると思う。
人は誰も幸福になりたいと願う。それは自然な欲求である。

ところがその幸福をめざそうとすると、幸福は得られないことを古今東西を問わず賢人たちは語る。
釈迦をはじめ道元に至るまでの仏教の伝道師たち、西洋ではメーテルリンクやサンテクジュペリも物語を借りてメッセージを発している。
それどころか光速度が一定であることから導かれる因果律をはじめとする種々の現象を投影させた物理学、
観測者効果という言葉の響きが神秘的な量子力学、古代のインド哲学など。
幸福は人生の究極の目的でありながら、それを得ようとすればするりとすり抜ける。ここに幸福の本質があるようだ。
幸福とは人間の内なる世界にあるー。その世界観が投影されているようだ。

コロナ禍は見えにくくなっていた幸福を手に取るように見せてくれている、ということもできる。
この状況はいつか収束する。
数年で収まるかといわれるとそれは違うというのが内外の専門文献を1年間読み続けた感想。
でもマスクを付ける生活は十年程度で収まるだろうと楽観的に考えている(百年は続かないだろう)。

ただしSARS-CoV-2は変異を続ける(それこそがウイルスの本質)。
さらに別のコロナウイルス、例えば2026年型コロナウイルス(SARS-CoV-3が引き起こすCOVID-26)のようなものがそのうち出現して2019年型に取って代わるようなことが起こるかもしれない。コロナウィルスでは2002年のSARS、2012年のMERS、そして2019年のSARS-CoV-2(日本では新型と呼んでいる)と間隔が短くなっていることにご留意。その原因もわかっている。わかっていながら対策を取らないのが人類だ。

原因とは、人類が熱帯雨林など未開の地に踏みこんで(=破壊・開発行為)未知のウイルスと接触して世界各地に散らばるから。
その結果、○○年型ウイルスは出現し続ける。
それに輪を掛けているのが社会活動が引き起こす温暖化による気温上昇。
つまり感染症を呼び寄せているのは人類の存在そのものである以上、
この状態で生きていくことを受け容れていくしかない。
ぼくが20年をかけてエアコンを使わないようにしたのは
温暖化が不可避と悟り、起こりうることをすべてを受け容れる覚悟で生きていこうと思ったから。
コロナ下では生きているだけで幸福なのではないかとおぼろげながらに感じている。

花が咲く、桜が咲く、すみれが咲く、川は流れる、そして人は生きている。
それだけで幸福なのではないかと。
2021年の春を拾ってみた。春の野山を逍遥する気分になっていただくため文字は省いた。
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(以上、神山町にて)

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(とくしま植物園にて)

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(以上、勝浦町にて)

仕事の合間の束の間の逍遥であっても
花見が終わったあとの静かな桜並木を歩いてみても
夕方近くになってふらりと出かけた散策であっても
やはりそこに風は吹いている、水は流れている、花は咲いている。
幸せになる必要はない。生きることが幸せなのだから。


posted by 平井 吉信 at 23:49| Comment(0) | 生きる

2021年03月24日

深夜に届けられたライムライト


親父はハイカラ好きだった。
若い頃、東京へ出てハワイアンのバンドを組んでいたこともある、といっていたが
どこまで真実かわからない。
しかし徳島に戻ってきてハワイアンを弾いていたのは事実。

若い頃、アメリカの喜劇が好きだった。
特にボブ・ホープの「腰抜け二挺拳銃」、ダニー・ケイの「虹を掴む男」を見てみろと口癖のように言っていた(未だに見ていない)。

けれど長寿とは言えない年齢でこの世を去った。
野辺の送りの前に「珊瑚礁の彼方」を流した。
のどかな旋律に満たされて白い顔がおだやかに見えた。
もう少し長生きしたかっただろう。
もうこの音楽を聴くこともないのだ。

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 ☆、。 ・*'★ .。 ・':....*.:'☆        .。・:'*・':'・★

ときは2021年3月、
週末返上で連日2時、3時までの仕事が続いている。
コロナ下でするべきこと、果たすべきことが山のようにあり
それらは生きる人間の務めと思って日々を過ごしている。

寝ながらパトリック・ガロワのCDを聴いていた。
フルートとオーケストラによるムード音楽のような内容だが
クラシックにありがちな強弱を排して演奏されるこのCDは深夜のオアシスのよう。

パトリック・ガロワ/ベスト・オブ・ベスト フルート名曲集
(耳当たりの良い誰でも知っている70の楽曲と極上の録音。4枚組のCDが2千円未満)

夜の静寂で心を揺さぶられたのは
チャップリンが製作・監督・脚本・作曲・主演まで担当したという「ライムライト」から「テリーのテーマ」。

人生を肯定するあの主題が万感の想いを込めて提示され
木管がこだまのように振り返る。
ピアノに受け渡された主題は独白となって
フルートがオブリガートで伴奏。
再びの全奏で包み込まれる。
モノローグは低弦の上でヴァイオリンが見送るように。
(深夜に降ってきたミューズの落とし子のような音楽。ここでの印象はフランク・チャックスフィールド・オーケストラによるもの)

映画を見たくなった。
時代も言葉も違えば地理的な距離も遠いけれど
チャップリンと世阿弥が遭っていたら
「花を咲かせる」ことで話が弾んだことだろう。
老いることの怖さ、老いに向かう勇気、
そして泰然と迎える最後。
そのおだやかな瞬間の満ち足りた光は人生の走馬灯を動かす力。
心がうつむいている人のために、ライムライト。
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“Yes, life can be wonderful, if you're not afraid of it. All it needs is courage,imagination, … And a little dough”

posted by 平井 吉信 at 20:55| Comment(0) | 生きる

2021年01月09日

室温6度


仕事場にはエアコンがないので仕方がない。
毛布にくるまってキーボードを打っている。
ときどき手を温める。

着ている服は3枚(下着も入れて)だが
風のない室内では抱える空気層からしてそれ以上に着ても意味がないような気がする。
頭が冴えているが、思ったことをかたちにするのに指先がもつれがち。
でも寒さにここ数日で寒さに順応したようで慣れてしまった。

温帯モンスーンでの厳冬も温暖化がもたらしたこと。
熱帯雨林などへのとどまることを知らない浸食(破壊)と資源の搾取、
つまるところ生態系の破壊と未知のウイルスとの接触の増大、
そして人々の移動。

温暖化とグローバル化が異常気象による災害多発と感染症の蔓延をもたらしている。
さらに輪を掛けたのが21世紀になって自民党政権による所得格差の拡大政策である。
比較的安全に過ごせる人たちは所得が高い人々である。
このことは所得によるリスクが異なることを意味しているし
所得による人類の分断を促進しているともいえるし、
残るべき人々を所得で選別しているともいえる。
株価は実態を反映せずバブル状態だが、例え3万円を超えても庶民の暮らしに変化はない。
ここでも格差が広がっていく。
けれどCOVID-19は序章に過ぎない。
生きていくのに必要な情報の見極め、的確な行動の絞り込みと実行ができるか。

コロナを契機に国による統制が強まる傾向が出ている。
諸外国では全体主義的な傾向が目立ってきたし日本も前政権から顕著になっている。
このまま真善美を封印して権力になびく忖度や
「自粛」という言葉に想起される同調、同質を強いる社会へ向かうか
既存の社会とは異なる価値を実現できるかの岐路に立っている。

生き方のヒントは縄文時代の日本にあるように思う。
この続きはそのうちに。



posted by 平井 吉信 at 13:25| Comment(0) | 生きる

2021年01月02日

不器用ですから


自分で靴のひもを結べない、ネクタイもうまく結ぶことができない、人前に出るというのにときどき左右で別の靴を履いていることもある。

髪の毛を切りに行って自分の髪型について「こんなふうにして欲しい」と要望を出したことは一度もない。初めての店でも「おまかせします」。

着るものもほとんど持っていない。
ジーンズは機能的でないので一着も持っていない(四国の風土や生き方には合っていない)。ジャージやトレーナーも持っていない。
山用の道具を普段着ているか、世界中でおなじみのあのブランド(安くて着やすい)を着ている。

外観で自分の本質は変わらないと思っているが
所作はその人の本質を映し出す。
それでいいと思っている。

仕事場にはエアコンがない。
およそ10年前にとっぱらってしまった。
夏は扇風機すらないので室温は30度〜35度。
ときどき USB 接続の小型の扇風機を使うのは
右手の甲に当てて汗をひかさないとキーボードが錆びてしまうから。

エアコンを使わないのはエコでもSDGsでも節約でも断捨離でもミニマリズムでも偏屈でもない。
地球が温暖化するという長期の展望で1990年代から計画していたこと。
気温が上がって電力がひっ迫したときに備えて身体を慣らしておく、できれば暑さを愉しめるようにしておきたいと思ったので。

キーボードといえば、スマートフォンのフリップ入力ができない。
買い物などでアプリをダウンロードしてくださいと店員に言われて、
従っていると個人情報の入力画面で青ざめる。
店の人が「暗号化されているので大丈夫です」という。
(大丈夫」という言葉もあいまいで好きではない)
いやいやそれではなく、入力ができないのです。
(音声入力で住所や名前が変換されないのはご承知のとおり)。
この頃は社員にスマートフォンを持たせる企業もあるが、使えといわれると会社を辞めますということになる。

なぜできないか?
ご承知のようにスマートフォンでは 文字を打つときに扇形に文字が広がる。
その時にうまく 指が動かない。文字を追いかけてるうちに違う文字に触れてしまう。
(「おはよう」と打つのに何分かかるか競争しましょうか? 少なくとも秒ではないです)

それに比べるとキーボードは達人だ。
かつて親指シフトというキーボードを使っていた(どのキーボードが自分に合うかを確かめるために10万円以上は使っている。これだと分速200〜300文字ぐらいは打てる。それは生産性を上げるために必要な投資)。

でもセキュリティーが求められる時代には自分のキーボードさえ会社のパソコンにつなぐことがままならないはず。下手をすればフリーアドレスでPCすら兼用となる(自分の環境が構築できなくて仕事の生産性など上がるはずがないよ)。

不器用はまだある。
携帯電話(4G)を初めて購入したのはコロナ禍以後である。それもやむをえず。
やはり使いにくい。レスポンスが悪くバグも多い。
それまで20年使っていたPHSにはなかったこと。
音声もPHSに軍配が上がる。

スマートフォンは2020年秋に初めて新品を購入した。
それまでは3千円ぐらいで買った中古品(2013年製)を試しに使ってみたが、フリップ入力で詰まってしまった。音声入力機能も付いていなかったし、バッテリーが1時間と持たなかった(アプリはすべてアンインストールしてChromeのみ、Wi-Fi、Bluetooth切り、電源は使用後切るという運用にも関わらず)。

それがトラウマとなって敬遠していたのだけれど、仕事がらWebのレスポンシブルデザインの検証のために使わざるを得ない。そこでスマートフォンに詳しい知人に相談してサムスンのGalaxy A20という機種を新品で1万円少々で買った。通話はしないのでSIMはSMS機能付の通信用。

この機種は優秀である。驚いたのはバッテリーが1週間は持つこと。技術の進歩なのかたまたまよい状態の機種に当たったか、月に数回の充電で済む。

このように不器用ですから(網走番外地に住んで黄色いハンカチを待っているわけではありません)日常生活は不自由だろうと思われるでしょうが、案外そうではない。
不器用ですが料理は好きで(子どもの頃から) 魚を三枚におろして刺身を作ったりできるし、和洋中華何でも作ることができるけど レシピは見ない。梅干しやら梅酒やらはこれ以上のものは味わったことがないと思えるほど。

料理をする時は2台のガスコンロ、電気で動く調理器具、さらには電子レンジを駆使して4本の包丁と2つのまな板を使い台所を走り回ってあり合わせのものを使って短時間で作る。
米は食べる都度に精米して食べている。つきたての米を上手に炊くとそれだけでごちそう。米をおかずにご飯が食べられそう。

もし冷暖房が効いた豪邸に住んでいて高級車に乗ってたくさんの食材に囲まれてインテリアも凝って毎日Instagramに投稿していたとしたら。

でもそんな生活に全く憧れない。
もっといえば幸福感を感じない。むしろ不幸な生活だなって思う。
僻みではないのだ。

幸福とは自分が幸せと思う気持ちが幸福だから。
誰かの役に立ってその対価でお金をいただくことを実感できる。
社会とのゆるやかなつながりを意識しつつ
自然と一体となって自然の恵みで生きていく。
(本質はまちに住んでいても同じ。何も高原のログハウスや別荘で住む必要はないよ)


コロナで仕事が数ヶ月なかった2019年春であったが
山に出かけて毎日スミレを見ていた。
仕事がないおかげでスミレが見られる、と喜んでいた。
このブログで春先にスミレばっかりでてくるのはそのため。

晴れたら山に行き川で遊び海にたたずみ
雨が降れば本を読む音楽を聴く料理をする。
それ以上に喜びってあるのだろうか。
(コロナ禍は幸福の本質を垣間見せてくれている)

しかし自分だけが良ければ良いわけではない。
(宮沢賢治の言葉が思い出される)。

そこで仕事がない間に社会を洞察しコロナ禍で経営が落ち込む対策を考えることにした。専門文献を参考にしながら現場に落とし込むことをWebサイトで発信。コロナ禍のなかでも感染症対策を万全に行って四国各地で説明会を開いた。

それが「おだやかな経営」(https://www.odayaka-keiei.com/)。
言い換えれば、「何がしたいか」と「何ができるか」を合致させること。
自分のモノサシは明確でブレがないから生き方も単純になる。
ぼくは生まれて一度もタバコも吸ったことがないしギャンブルやパチンコ、ゲームもしたことがない。もっと愉しいこと、やりたいことがあるので流行しているものを知っておく必要もない。
それゆえハリーポッターも檸檬も鬼滅も興味がない。
誰でも生きるための資源は限られている。
資源とは、自分自身の体力、資金、使えるモノ使いたいモノ、知恵やノウハウ、ネットワーク、時間のこと。
それゆえあれはやらないこれはやらないと自分のモノサシが明確になれば
人生の資源を自分の思うように充実させることができる。
目標が愉しみであるばかりかその過程も楽しみとなる。

いま置かれている状況をそのまま受け止める。
そこに価値判断は不要だし誰かと比べる必要もない。
それは、おだやかな生き方を意味し、
翻っては幸福の本質を洞察しようとしている。

(写真)幸福を招くという青い蜂 北川村「モネの庭」マルモッタンにて
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(フジX-T30+XF35mmF1.4 R)
posted by 平井 吉信 at 11:55| Comment(0) | 生きる

2021年01月01日

新たな年を迎えるに当たりみなさまのご多幸をお祈りいたします


神棚を祀り
仏壇で供養を行い
荒神棚を手入れする。

祝詞を奏上し
読経を行う。
そして産土神社へと参拝。
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個人の願い事はしないで神々の弥栄と世界の平和を祈る。
ここで産土神社、天照大御神、三宝荒神の神札を求める。
(神社を守る神職への感謝を込めている)
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年賀状は一度いただいた人は永久有効としているので
何度もお出しいただく必要はありません。
いただけるものはありがたく拝読しますが
返信もいたしません。

生きていくとすべての人にお世話になっていると気付き
正月だけでなくすべての刹那が大切な時間と思うようになってから
年賀状をお送りすることをやめてしまった。

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変わることなく祈っているのは人々のご多幸、
生きとし生けるものが互いにその役割を果たしていのちを全うすることだけ。

だからこの瞬間が大切で
その祈りを届けていると感じていただけたらそれで十分。

2020年元旦

(フジX-T30+XF35mmF1.4 R)
タグ:神社仏閣
posted by 平井 吉信 at 11:32| Comment(0) | 生きる

2020年11月07日

政治家はここまで墜ちたのか


海の向こうでは民主主義を真っ向から攻撃する大統領、
(不正をしているのはあなただろう)
海のこちらでも学問の理念を無視する総理大臣、
(その前の長期政権で日本を低迷させた罪は重いのだけれど)。
国会では小池氏の舌鋒鋭い質問に(国民への思いが感じられる)
答えになっていない文字列を繰り返すだけ。
(ぼくはこの人を首相に任命しない。国民だから物申す権利がある)

前者は任期まで持ったことが奇跡。
しかしこの大統領にここまで接戦に持ちこまれる凡庸な候補者もどうしたものだろう?(アメリカでも人はいないのか)
後者は短命に終わる政権の典型的なパターン。おそらく数ヶ月持たないだろう。
その意味で自助が大切。自助とは先入観、思い込み、曇りのない目で洞察すること。
政治色はまったく持たない人不偏不党の人間だが、21世紀になって政治家の劣化に心が曇る。
posted by 平井 吉信 at 00:06| Comment(0) | 生きる

2020年09月21日

棘のある香酸柑橘 茶の花も咲いている斜面で収穫 でもこれでいいのか?


勝浦川流域は香酸柑橘(こうさんかんきつ)の宝庫、露地のスダチが鈴なりに実る山間。
青い実がつき始めているのはユズ、ユコウ。
農業関係の集まりでセミナー講師を担当したことがきっかけとなって
すだち農家の方に収穫体験をしてみないかとお誘いをいただいた。

みずみずしいスダチの木陰。
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でもスダチの収穫(摘果)をされた人ならご存知。
手足や身体が棘にさらされるので頑丈な木綿の服を着ていく。

山の斜面に植えられた香酸柑橘の畑へと向かう合間に
自生している茶が目に付いた(画面奥に見えるのが茶の実)
ヤブキタなど茶畑の植栽とは異なる品種で山茶という。この茶葉から緑茶も阿波晩茶もつくることができる。
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実がなっているということは花が咲くということ。
これが茶の花。見たことはありますか?
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椿に似ている。そういえば山茶花(さざんか)という漢字もある
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茶と共生するツユクサ。露草と書いてみたい。
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木になっているユコウ
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収穫のときに分けていただけるか気になっている。
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宇宙空間に浮かぶ地球、といった趣
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ユコウに見とれていると
ユズもあります、のお声
柚はお尻がクレータのように盛り上がる
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葉が落ちると枝がわかりやすい。これがユズの枝
この隙間に手を入れて摘果する(スダチも同じ)
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たわわに実っていたスダチも収穫された
(大粒で艶がある)
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生産者の方はこの篭を背中に背負い、片手にも提げて
急峻で足元がおぼつかない踏み跡を道路まで運ぶ。
(途中に崖が連続していて足元を滑らせたら大けがは必至)
さすがに滑落はしないというが、
これまでに数回バランスを崩して摘果したスダチを谷底に落としてしまったことがあるという。
手足や背中まで棘にやられながらも慣れていると笑う。
いや、棘のなかに上半身を潜り込ませなければ採れない。
でもどうやって身体を引く?
(実際この日のぼくは切り株にこすれてズボンがカッターで切ったかのようにぺろんと破れて膝下を裂傷した。大したことはないよ)
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ひとやすみしている時間に果汁になる加工品の価格を聞いて驚いた。
これでは苦労が報われない。

樹間にも秋の気配。これは紫蘇の花
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農薬はあまり使用されていないという。
そのためか蝶が寄ってきた。
いつものゆっくりとした動作で蝶に近づいていく。
手に持っているのは標準レンズ。
ツマグロヒョウモンの♀のように見えるが違う気もする。
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嵐に遭遇したか鳥に襲われたか片羽根が痛んでいる。
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彼岸花を一輪見つけた
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(写真はすべてフジX-T30+XF35mmF1.4 R)

佐那河内村の一部の生産者がつくっている「さなみどり」は言葉に形容できないみずみずしさで
生きていてよかったと思える風味だが、ほとんど知られていない。
和歌山県北山村のじゃばらはブランディングに成功した取り組みだが
どの香酸柑橘でもあれができるわけではない。
(青果にせよ加工品にせよ単価が他の香酸柑橘と段違いに高いので生産者の手取りが多い)
https://kitayama-jabara.jp/
https://kitayama-jabara.jp/hpgen/HPB/entries/1.html

徳島の中山間地域ではイノシシや鹿が出没しそうな山の斜面で
きょうもスダチ農家がせっせと手を動かしている。
棘の向こうのスダチ1個、ヒトが採っている。



ちょっとひとりごと。

コロナ禍で明らかとなったのはこの社会に要らない職業などないということ。
感染症のリスクにさらされながらレジを通す人もマスクを縫製する小さな事業所の人もいる。
それなのに所得の格差は大きい(ここ20〜30年代の格差の拡大が社会の歪みや社会保障や医療費の増大を招くとともに、消費を落ち込ませているのは事実。それに消費増税が追い打ちをかけている愚策。軽減税率はさらに重ねた愚策)。

生産性を上げるためにするべき施策があるはずだが逆ばかり。
内需の拡大、安心できる暮らしと消費喚起の政策。
何より格差をなくして安心できる暮らしを提供することが
ひいては最上の経済政策にもなり得る。
大局的には資本主義も共産主義も行き詰まり
独裁主義、ナショナリズムの政権によるポピュリズム、国民分断をねらう政策が横行。
(日本に限ったことではない)

その反面、SDGsやらエシカル消費やら買い物袋の有料化など
小手先の概念のように思えてしまう。
生きるための本質を見ていくと結果としてSDGsになるかもしれないけれど
それが目的ではないだろう。

内閣の支持率が高い?
どこを見ていますか?
あるべき国の姿、理想はありますか?
その方向へ行こうとしていますか?
(行ってないでしょ、ここ20年以上。大切なのは冷静な分析に基づく揺るぎない理念)
さらに夢を語らない首相、
夢を語れない野党第一党党首。
(夢とは未来が楽しみになる社会を描く処方箋のこと)

労働人口の流動化への規制緩和による非正規雇用の増加、
法人税の税率引き下げと消費税の税率改定、
低金利政策で行き場のないカネが株式市場に殺到した結果の実態のない株価(コロナ禍で苦しむ企業の実態を反映すればリーマンより悪化している。実態は日経平均で1万円の価値もないだろ)。

実質所得は20〜30年前が高かった。
多少泡に膨らされていたけれども普通の人が夢を見ることができた。
ジャパン・アズ・ナンバーワンがいまではアジアのリーズナブルな国へと転落。
80年代にベスト10に7社入っていた日本企業はいまではベスト30になら1社のみ。
100円ショップなど汎用的な製品は日本製、独創的な製品は中国製。
かつて日本製が駆逐したスイス時計は高付加価値製品や個性のある製品がずらり。週休三日で所得も高いスイスは模範。

かたや時給800円で生きていけるか?(休みたくても休めない)
ヒット曲もこじんまりと低回する曲調(ほら、あの柑橘の名前の付いたヒット曲のこと)が受ける。
(それはそれでいまの時代を表現しているので共感が集まるけれど音楽としてはつまらない)
身内を大切にするが国民には冷たい政権。
自助努力を求めつつ消費税はさらに上げるつもり。
国は守ってくれないので自分で自分を守れということ(それはそのとおり)。

でも普通の人が普通の仕事をして
夢を見たくなることが政治の役割ではないか。
(補助金をやめて電通やパソナへの委託事業もやめて簡素な施策で公正に。費用対効果や効率だけで判断せず科学技術や人材育成には集中的な投資を!)

失われた30年、政治の責任は重い。
思いつきの駄策を次々と繰り広げる政治に怒りを込めて見ている。
(自民党でいうならかつての小渕首相は人の意見に耳を傾けて良いと思ったら採用するなど周辺を活かしていた。いまは1億人が一人の思いつきに左右される恐怖の政治)
posted by 平井 吉信 at 23:20| Comment(0) | 生きる

2020年08月29日

穴吹川を見ながら弁当


このところ弁当を持参することが増えている。
(4月以後、外食したのはほんの数回で残りは弁当持参ということになる)

訪問先の近くの涼しいところにクルマを止めて
弁当を広げる。
5分搗きの米と自作梅干しを基本に適当に詰めたもの。
DSCF8711-1.jpg

目の前の河原では思い思いにときを過ごしている。
過ぎゆく夏を惜しむかのように。
DSCF8701-1.jpg

膝の上に置くトレイを探してみよう。
(セリア、無印、ニトリなどの木製・木目以外のプラスチック製が候補)



追記

外食で飲食店を応援したいのだが感染症対策を万全にしているところが見当たらなくて…。
(やっておられるのかもしれないが、どんな対策を施されているのか店頭や公式Webサイトでアピールされていない)

そんななかで道の駅貞光のゆうゆう館はWebサイトに対策が施されている。
https://www.tsurugi-eetoko.com/blank-14

飲食場所の前面は大きく開放されており
強力な換気扇で排気をしている。
お客様が席を立つごとにスタッフがアルコール消毒を行っている。
対向する座席はなく、座席の間隔は離して配置している。
席数を減らしたことでお客様にお待ちいただく時間は長くなるが
マスクをはずす食事中は安心できる店としておすすめ。
(換気の強化に向けてはさらなる対策をお考えのようだ)。
直売所の換気も強力だ。

タグ:弁当 穴吹川
posted by 平井 吉信 at 11:12| Comment(0) | 生きる

2020年08月16日

暑い夏もコロナも歓迎


盆も返上で連日深夜までの仕事が続いている。
睡眠時間は4時間ぐらいのこの頃だが、
食欲は失われていない。水分を取り過ぎていないことも貢献している。
気温が30度を超えるようになって体調が随分とよくなった。

室内温度は昼間で33度ぐらいになるが
ご承知のようにエアコンは使っていない(数年前にお金をかけて取り外した)。
ぼくは体温が高いのでこれぐらいの室温が快適なのだ。
クルマに人を載せることはあまりないが、
ついついエアコンを入れるのを忘れていて
「暑くないですか?」と同乗者に指摘されて慌ててスイッチを入れる場面がたまにある。

扇風機はときどき使うがそれも最初だけ。
仕事場には20年ぐらい前に買ったパナソニックの扇風機(当時2万円以上の最上級機種)がある。
取り柄といえば静かなことぐらいで家電としては赤点だろう。
例えば以下の点を見れば、使われる現場を洞察することなく設計されたことがわかる。
(現時点ではリモコンは壊れている)

(1)電源を切ろうとしたら一度すべての風モードを経ないと切ることができない。
リモコンを使わない場合、スイッチを押すのは人の手である。かがみこんで操作している人に最強風を顔に浴びせないと切れないというのはどういうことか(インターフェイスの設計ミス。タッチパネルで凹凸がないというデザイン性のみ。そのデザインにも機能美は感じない)。

(2)デフォルトが「ゆらぎ」モードとなっている。
「ゆらぎ」モードとは単なる回転数の可変であくまで人工的な風である。特に強風でのゆらぎは「台風」(モーターを加速させる爆音)と「そよ風」(モーターにブレーキをかける)が繰り返されるだけで拷問に等しい(強風時にゆらぎを誰が必要とするのだろうか?)。そしてゆらぎモードを解除できるスイッチはリモコンのみ。リモコンが壊れた現在では4段階の風のうちソフト(最弱)しか事実上使えない。

(3)最弱でも風が強すぎる
書類が飛んでしまうため使うのは数分だけ。数年前に数千円で購入して寝室で使っているトヨトミのDC扇風機は32段階に設定できる。そのうち使うのは1/32という最微風でこれを身体に当てないようオフセットすることでかすかな風の動きを常時存在させている。夜の室温も33度から35度ぐらいと思われるが、エアコンなしで熟睡できる。人がいないときにも扇風機は回すが、このときは風力を真ん中ぐらいにしてサーキュレーター代わりに使っている。12畳の大きさでは強いてサーキュレーターの直進性の高い風は必要ない。

寝室で使う扇風機は直接人に当てず風が部屋を巡回していてその真っ直中で眠るという風の設定が好ましい。そこにはゆらぎなど不要。モーターの駆動制御の騒音とロスが大きく、かえって安眠を妨げる。カタログを飾るだけの機能でしかない。

こんな製品をつくっていればメーカーの経営は傾く。作り手の思いがなく外部(技術コンサルタント)に開発を丸投げしているのだろう。その点、一生を製品づくりに捧げた技術者がいたサンヨーでは独創的かつ本質的な製品づくりがあった。ところがあろうことかパナソニックと統合されたあと、サンヨーは身売りされてしまい、サンヨーのDNA(徹底的に開発者が製品を使いこなす社風や専門性に誇りを持つ気質)は失われ、今日のパナソニック製品ではドライヤー以外に見るべき製品がないと判断している。

事業所や店舗でサーキュレーターをうまく使えば感染症対策になり得るが、徳島県内で正しく設置して使っているところはほとんど見たことがない。
飲食店では空調が座席配置とともに感染症対策の要となる。ところが賃借物件などでは穴を空けるなど構造面に手を入れることを地権者が了承しない場面がある。その場合は換気扇による強制排気か、既存の1箇所の窓(網戸使用に改造する)からサーキュレーターで強制排気するしかない。サーキュレーターの特徴は直進性の高い送風で室内の空気の入れ換えを迅速に行うことが目的。ゆえにサーキュレーターに首振り機能は不要だ(故障や重量増、トラブルの原因)。

もうひとつ大切なことは感染症対策では気流の流れに人を巻き込まないこと。SARS-CoV-2では接触感染と飛沫感染が主要因であるが、マイクロ飛沫感染は起こりえる。そのため空気の流れは人に当ててはいけない。

ふたつめに空気を効率的に換気するために吸気口(自然吸気)を設けることが望ましい。それは換気扇と対角線斜めの位置が望ましいが、サーキュレーターがあれば吸気スリットは換気扇と反対方向にあれば十分。

空気清浄機は感染症対策に効果がないというのが専門家の知見である。加湿器の原理で次亜塩素酸水を空間に蒔くのもまったく効果がない(要するに空間除菌はありえないということ。もし空間除菌ができるのであれば人に健康被害をもたらす。原理原則を考えればわかる)。

暑い夏は暑いことを受け容れるだけ。
そこにはエシカルもエコもSDGsも気取る必要はない。まして我慢でもなければ心頭滅却する心身の修練でもない。

仕事は激減したけれど、
ぼくの目にはCOVID-19がちらりと見せてくれた未来への燭光に希望と感謝すら感じている。
暑い夏を暑いまま楽しむこと、感染症も受け容れてできうる対策を徹底的に自然体で行うだけ。
暑い夏もコロナも歓迎だ。

posted by 平井 吉信 at 11:17| Comment(0) | 生きる

2020年05月18日

生き方は変わっていく コロナのお陰という考え方


連休中に田井ノ浜へ行こうとしたら車を停める場所にロープが張ってあった。
県が管理する高丸山では駐車場が封鎖されていたという。
登山口周辺には車を停められる場所はないので
登山者の車は林道の路肩に停めざるを得ず、
作業用の大型車の往来が激しいなかで危なかったそうだ。

これらの場所は各自が感染症対策を行う限り封鎖する必要はない場所である。
このブログでは新型コロナウイルス感染症について対策を書いてきたが
やるべきことができていない反面、
やらなくてもいいことをやるなどちぐはぐが目立つ。

布マスクはすでに方々に出回り、家庭でも自作されている。
いまさら国が466億円をかけて配布しても意味がない。
不織布のマスクも普通に手頃な価格で近所のスーパーで並んでいたが、
商品を見たところ性能表示がないものであった。
(投げ売りの中国製マスクは買ってはいけない。性能表示とその証拠が提示されているもののみを購入すべき。6月になればマスクの価格はコロナ禍以前に戻るだろう。良質のPFE、BFE99%以上で1枚20円程度。それでも1回で使い捨てずに洗って使いたい)

不織布のマスクは洗って無害化すれば何度でも使えることがわかっている。
だからわが家では前年に備蓄のマスクだけで1年は乗り切れる(真夏でも公共交通を利用する場合や密集した場所に行くときはマスクをしているのでコロナ禍でなくても普段から備蓄をしている)。
また、ウイルスの侵入を阻止する効果に乏しい布マスクでも
不織布を1枚挟むだけで性能が向上することも知られている。
だから布マスクは不織布などをはさんで固定する機能(ポケット)があることが条件となる。

入手が相変わらず困難なアルコールは消毒機能を次亜塩素酸水と併用する(混ぜるという意味ではない)ことで節約できる。
壁面や床面などの広い面積には薬剤散布よりもケルヒャーなどの蒸気クリーナーのほうが適している。
電気と水だけなので機械の購入代金のみで維持費はかからない。
使い分けをすることで中国で死者が出る前に購入したアルコールが未だに使い切らずに残っている。

感染症はCOVID-19だけでない。
新型鳥インフルエンザ(特にH5N1型などの強毒型)が遺伝子の変異でヒトへの感染力を高めたら
その脅威はCOVID-19の比ではない。
だから衛生管理の徹底はコロナ対策ではなく一生の「習慣」とすべきこと。

適切な感染対策と感染の怖れが少ない状況で自己管理を適切に行えば
COVID-19を過度に怖れる必要はない。
逆に何の根拠もなく対策を行わないのは
自分も他人も巻き込む自殺他殺行為に等しい。
うちの近所では居酒屋が再開したが、
窓のない店内で至近距離で歓談することは危険が大きい。
愉しい時間を過ごしてわが家に帰宅することがどのような意味を持つのか考えるべき。

コロナ禍での自助努力として、
食糧を自分で生産、確保(もしくは地区で)する能力や取り組みが必要となった。
社会で多様な役割を細分化したが、
このことでウイルスによって容易に移動や接触を止められたら社会活動が止まってしまう。

できうる範囲(個人、共同体、国として)での自給自足的な考え方が必要となっている。
米や小麦粉が店頭から消えるのはその象徴的なできごと。
コロナ禍でインターネット販売が伸びると考える人もいるだろうが、
流通網だけあっても意味がないのだ。

このことを突き詰めれば国のあり方も人の生き方も変わっていく。
社会のなかで高度に分業化された役割を仕事と認識するのではなく
自分が生きていくのに必要な役割はすべて仕事と理解する。
老若男女を問わず家事、炊事、料理、洗濯、
家財道具の保全、修理、食糧の生産ができたほうがいい。
そうすれば家事が特定の家族の負担にならず、
家事は楽しくなっていく。
(ぼくがコロナ禍で喜んだこととしたらスミレを見に行けたことと、食事の準備が心置きなくできたこと)

東京一極集中を是正しようと叫ばなくてもそうなっていく。
このことは良いことだ。
徳島では県内で感染した人はいないとされているが、
徳島の潜在的な良さを物語っている。
それは中心市街地と呼べる街区がないこともあるが
良質の川に育まれた山のミネラルが県土に行き渡り(藍染めの藍作はその象徴)、
山の幸、川の幸、海の幸が手に入ること。
(このブログの開設当時=約20年前から指摘していたこと)

県の観光政策や経済政策はそのことを明確に意識して打ち出すべきだし、
「VS東京」というコピーや「県外人の来訪を監視している」というメッセージは引っ込めるべきだろう。
徳島の良さを認めようとしないのは徳島県人そのもの。
もし打ち出すとしたら「敵は徳島(地元)にあり」。
逆に徳島の良さを見出せた人が移住なり暫定居住なりしているのが実態だから。

コロナ禍では政府の初動期の対応に確たる方針がなかった。
国ばかりが情けないのではない。
義務を果たそうとしない人々もいる。
無知、無理解、無神経、無行動の四無の人も少なくない。
(スーパーで買い物をして家に戻る際には人も商品も無害化処理が必要だがどれだけの人がそれを実行しているだろうか)。

コロナ禍は大きな代償だけれど、この国が生まれ変われるとしたら意義はある。
(コロナ禍転じて福と成す)
それをやっていくことが一人ひとりの役割、
というか生きがいにしたい2020年である。
posted by 平井 吉信 at 22:54| Comment(0) | 生きる

2020年05月04日

コロナ禍がもたらした料理三昧の暮らし


連休中も外へ頻繁に出ていくので食欲は落ちない。
(ただしヒトがいない場所)
いずれも車で1時間以内の場所.
食事の合間に出るか、弁当(握り飯)を持って行くか。

自宅では普段できない料理に挑戦している。
といってもあり合わせの材料を適当につくっているだけ。
(普段と同じ)
炊きたてを卵掛けにするか、梅干しと納豆で食べるかと
米を研ぐときの高揚感、
(うちは毎回精米機にかけてそのときの気分で五分づきから七分づきで食べている。米は生産方法がわかっている知人から直接買っている)

こんなときカップ麺も悪くないけど乾めんは手軽でいい。
家計にやさしいのはこの会社の製品。
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スーパーやドラッグで見かけることがあると思うけど
価格の割に品質は高い。
(量産品では東の信州ほしののそば、西のさぬきシセイのうどんだろう)

Webサイトを見ると製造品目を絞りこんで一日15トンを製造されている。
使っている小麦粉はASWの一等粉とのこと。庶民の味方♪
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ほとんどすべての製品を食べてみたが
ひやむぎ規格のできがもっともいいようだ。

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太めの乾めんは同社の指定する時間より2割程度は長めに茹でたほうがいい。
もっとも太い麺では15分〜20分でもいい。
(10分どん兵衛に通じる世界)

乾めんは半生麺や冷凍麺より落ちると思っている人はいないだろうか?
むしろデンプン質がアルファ化したてを食べられる点でおいしいといえるのだ。
高級な稲庭うどんは乾めんである)

その一方で地元産のレモンが入手できたのでレモン酒をつけ込んでみた。
(例年、梅干しと梅酒をつくっているのはご存知のとおり。どちらも市販の高級品に負ける気がしない出来映え)
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生きる基本は食事と寝るところから。
国は安心して暮らせる環境を躊躇なく保証すべき。
(もちろん自助は不可欠。そして地域の公助は助けになる)。
ベーシックインカムと消費税廃止はただちに実行するよう求めよう。
国破れても国民は存在し続ける。それでいい)

コロナ禍は読書や音楽三昧と食事をつくって食べる歓び、
その合間に山川海へと出かける暮らしをもたらしている。
posted by 平井 吉信 at 11:25| Comment(0) | 生きる

2020年04月21日

台湾の蔡英文さんのTwitter


ご存知のように蔡英文さんは台湾の総統である。
世界でもっとも成功したコロナ対策で国民の人気は急上昇。
Twitterで発信されているが、そのなかの動画を見ると
母国語ではないのに大臣とともに世界各国の若者と英語で意思疎通されている。
日本語でもときどきツイートしている。
志村けんさん追悼の投稿もあった。
そしてメッセージを世界に発信している。
tsai.jpg

(引用)蔡英文総統のTwitterから

マスクは国民に行き渡り、いまや支援物資として人道的な外交を繰り広げている。
プロ野球も開幕したようだ。

同じ時間軸でどうしてこうも違うのか?
ジョンソン首相やクオモ知事もそうだが
国民、州民に対する使命感と愛を感じるではないか。


タグ:マスク
posted by 平井 吉信 at 23:15| Comment(0) | 生きる

2020年04月17日

これまでの負の連鎖を断ち切るきっかけとなるばかりか豊かな未来を生み出せそうな気がする


は…。ためいきが出る政府の対応。
肉の商品券(中止になってよかったが)とか2枚の布マスクとか。
(マスクは止めてくれ)
複雑不公平自己申告(=不正の温床)の30万円給付がなくなってよかったが。
でもこれは額を減らしてでも毎月支給すべきもの。
(電子マネーで配れという経済同友会に所属する企業の商品は以後不買を覚悟。財務大臣よ、お金は大臣が国民に与えるものではない。国民がこんなときのために預けた金を活用するだけ。国民の痛みがわからない財務大臣は政治の舞台から去れ!)

まずは感染症危機を収束させる(第一義)。
これが収まらなければ永遠に未来はやって来ない。
複雑なしくみは要らない。まずは生命の安全の確保から。
給付する相手は個人(生活者)であって企業や事業所ではない。
だって感染症を押さえ込まない限り経済活動は成り立たない。

コロナ収束2年計画&価値創造3年計画の5か年計画
2020年 感染拡大防止(まずは一人ひとりを守る。経済対策は無駄打ちだからやらない)
2021年 部分的地域的緩和と飛翔の準備(傷みを緩和する経済対策)
2022年 コロナ収束と社会のしくみ再構築、地域主権の実験開始
2023年 統一した価値感の浸透、理念に基づく経済対策指導、地域主権の行政開始
2024年 地域主権の確立、内需基調の経済循環の拡大(強い産業はすべて国内、大切なものはほとんど自給)


参考 外出制限、22年まで必要 「1回限りだと、すぐに第2波」 米ハーバード大予測(毎日新聞記事)
https://mainichi.jp/articles/20200416/k00/00m/040/171000c


@国民が生きていけるよう(2020年前半〜)
・生命を守るための発動(緊急事態宣言による休業→ 事業所は人件費の支出を止める。個別の休業補償は事務処理上からも不可能なのでそれに変わる所得補償=ベーシックインカムで充当)
・社保、納税の猶予(国が関与する支出を止める)
・ベーシックインカム(所得に関係なく誰にでも定額を毎月給付。一時金ではなく国の財政が許す限り続ける)を発動させて生活を守る。
(自治体に事務処理負担をかけないで迅速に処理)
・正しい情報を報せる(パニック防止、どこに何がどれだけある、感染の状況、感染リスクの評価と対応策など)、情報操作、世論誘導などは言語道断。SNSやブログなどから生の情報や工夫を拾い上げて政策へのヒントとする。
→ 経済対策を実効性のあるものにするためには感染症の流行を押さえ込むこと。1日でも早くそれができればそれが最大の経済対策との認識。将来に伸びるほど経済の損失が膨らむという大局観から。

A医療機関の機能保全(2020年前半〜)
・感染者の早期発見に向けての検査体制の構築
・症状に応じた隔離と病院以外の収容場所の確保(稼働率が激減した宿泊施設を1棟借りあげる)
・足りない医療機器、消耗品の生産を加速、分配(IT活用)
・感染予防策、ワクチン研究開発等

B必要な物資を国内で賄うために必要なハード、ソフトの整備を支援(2020年前半〜)
・食糧、マスクなど
→ 2020年は感染症を爆発させないようにコントロールすることに注力
→ 2021年から感染状況を見ながら地域的部分的に緩和させていく
→ 内需創造、拡大のフェーズ開始

C消費税廃止(2020年後半〜)
・10%(8%)→ 0%(軽減税率廃止)
・所得税税率改定(所得の少ない層→ 減税、所得の多い層→ 増税)
→ 内需を拡大するためにこれまでの30年で中流が消えて二極化した所得格差を是正。教育に力を入れることで文化、科学、経済などすべてに好影響をもたらす原動力となる。

D経済対策本格化(2021年〜)
・自給できない食糧や食品を重点的に政策誘導で他産業から転職奨励
・大規模志向から小規模連携型、環境保全、生態系保全の一次産業育成方針
・効率重視から生産性重視への産業のしくみの転換
・特に疲弊の著しい産業は手厚い支援
・上記を後押しする創業、起業支援の充実

E外交方針の樹立
・東アジア、ロシアなど国境を接する国と関係改善の等距離外交(武力に依存しない安全確保)
・キリスト教圏とイスラム教圏との仲立ち外交(脱イデオロギーの啓発)
・日本の持つ佳き価値感を軸に展開する文化生活を啓発する外交(生産性の高い経済活動の布石)

F政治行政改革
・脱イデオロギー、脱政党で政党は解党して政治家一人ひとりが個々の政策を立案、評価するしくみにする。
・首相は政治家だが、大臣は民間の専門家が着任、政治家は行政府の長にはならず立法府に専念。三権分立を明確に司法はときに政治判断まで踏みこむ独立性を持つ。
・政治家は原則兼業で国会県議会市町村議会を廃止して1本化して増員。ただし費用弁償のみの支給とする。意思決定にはITを活用してムダな会議や委員会を排除。ただし、ほんとうに優れた能力の専門家が各方面から集まって議論を行う。政治家の評価を行う委員会を設置して活動が独善的であったり活動が行われない議員をリストアップして勧告。すべての議員活動はオンライン上の共通システムで閲覧可能とする。
・一定の地域単位で予算、三権を独立して保持。沖縄が台湾と、北海道がロシアと外交交渉を行うこともあり得る。中央政府の権限は主として外交などに限定して大幅に縮小。
・企業や産業の強化、効率化、合理化ではなく根源となる人材育成に力を入れる(※失われた30年の反省。世界は目に見えない資産で勝負している)。
・経済合理性から削られがちな大学や科学の基礎研究の回復
・文化や芸術などこれまでの政権が力を入れてこなかった活動に力を入れる。
・企業向けの補助金は原則廃止するが国策で強化する分野への奨励金は新設。
・政策の透明性を確保して政策評価が全国民参加で行えるしくみをITでつくる。安倍内閣で民意と乖離した無意味な政策が次々と行われるような権力の暴走を阻止するため国民全員参加の評価を行う。
・国民にも政治参画への啓発と教育を行う。それは知識を植え付けるのでも問題解決でもなく、どのような問題を解くべきかを考えてもらう作業から。ここから政治家としての活動への意識を醸成する。
・意味のある財政健全化の基準を設定して財政が膨張してハイパーインフレを起こさないよう監視を行う(デノミなへの警戒と預金封鎖などの怖れも皆無ではない)。とはいえ政府が大規模の財政出動を行うそぶりはないので杞憂かもしれない。政府の負債の反対側は国民の資産でもある。

※失われた30年の反省…風邪を引けば解熱剤を飲み(株価を上げるための金融政策)、身体が弱ってきたらドリンク剤を打う(補助金依存の産業政策)。けれど身体そのものが健康でないと。部分的に筋肉を鍛えて身体を壊すプロ野球選手は多いがそれは本質を見ないから(イチローは決して筋トレをしなかったが骨格や筋肉の動きの本質を見ていたように思う)。より安くより良いものをと海外へ出て行った効率重視、成果主義、KPI偏重の結果がこうなってしまった要因。現政権はさらにそれを進めようとしているので自ら断頭台へ進んでいる。まずは幸福ってなに? 地域と国のあり方は? 成果ってどんな状態?などから21世紀半ばへと向かう理念を導き出すべきでは?


多様な価値観がそれぞれ個性を放つけれど決してバラバラではなく、
またワンチームでなくていいが(ひとつにまとまらないほうが健全な社会)、
国はどうあるべきかの理念は共有している。

国民はやりたいこと、好きなことをのびのびとやることで
ときに思いがけないビジネスへと発展することもある
(国全体が小さな実験を繰り返してそこに共感やら自律による新たな協働が起こるシリコンバレーのよう)。

その結果として豊かな精神性を持って高い生産性を誇る日本となり、
その考え方を世界に啓発することで国際貢献となす。
幸福な国民が作り出す多様な文化(価値)、
豊かだけど個性的で持続的な経済圏が出現する―。

.。'.*.'☆、。・*:'★    .。.・'☆、。・*:'★
  .。'*・☆、。・*:'★     .。・*:'☆
 ☆、。 ・*'★ .。 ・':....*.:'☆        .。・:'*・':'・★

考えがまとまっていないけれど、コロナ禍はマイナスだけでない、
優れた社会を生み出す転換点になるようにしたい。
コロナをきっかけに社会が生まれ変わっていく姿が見える気がする。
生きていれば未来の実験に参加できるよ。

経営面からの参考情報を書いています
→ コロナ禍の経営危機を乗り切る
 https://www.odayaka-keiei.com/vs-corona
  → コロナ禍での生き残りとコロナ収束後を見据えて
  https://www.odayaka-keiei.com/henkaku

posted by 平井 吉信 at 00:33| Comment(0) | 生きる

2020年04月12日

節約家庭料理 ラーメンを基本に野菜と卵を加える


5袋入りのラ王とかまるちゃん正麺が300円前半で売られているときに買っておく。
それに40円前後で買えるモヤシを入れてみる。
(もやしは根切りをしなくてもいい。ぼくは気にならない)
モヤシは電子レンジ用の密閉容器で薄味をつけて2分程度あたためておく。
(1人前1袋)
そこに胡麻をすり入れて卵を落とせば昼食の完成。
余りもののキノコがあればモヤシを温める際に入れておく。
もやしは栄養価が高く繊維質も豊富な優れた食材。

五分づきのご飯とともに食べれば十分かな?
人ごとで的外れのコロナ対策しかできない政府は不要。
(そのうち暴動かクーデターが起こるかもしれない)
だから自衛策を考えよう。
お金をかけずに手軽でおいしい食事の作り方のひとつとして。
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いまなら余りもののキャベツでお好み焼きをつくるのもあり。
(キャベツの蒸し焼きに粉が付いているような感じ)

旬のジャガイモを洗って塩をまぶして電子レンジ用容器に入れて600w5分程度でおいしいじゃがいものできあがり。そのまま食べられる。

政府の愚策に負けないように自衛しよう。


posted by 平井 吉信 at 14:49| Comment(0) | 生きる

2020年04月07日

国破れて山河あり


新型コロナウイルスの蔓延は国民にとって不幸であった。
経済政策の失敗など格差社会の増長、
国民の分断促進などを生み出した失政が隠れてしまい
(国家を私物化したスキャンダルも葬られようとしている)
非常時を隠れ蓑に別の方向へ突き進もうとしているように見える。
ウイルスそのものよりももっと悪質なもの。
曇りのない目で見れば誰にでもわかるはず。

政治家はその道のプロでなければならない、と思う。
有事の際に思いつきを連発して混乱させてしまう。
マスク2枚の配布とは何のため?
数ヶ月掛けてその程度のこと?
400億円かけて届けるという。
要らないよ―。
全国民が受取を拒否するといえば取り組みをやめるか。

30万円給付とは貧困世帯がさらなる困窮に陥った際の救済策のようである。
だから大多数の世帯は関係ない。
年収400万円の人が100万円になっても対象にはならない可能性。
仮に一時金30万円をもらったところで4人の家族は生きていけない。
このやり方だと困窮している人たちは救えない反面、
悪知恵を働かせて不正に受け取ろうとする人も現れるだろう。
しかも窓口の行政機関にはこれをチェックする術はない、人員もいない。
郵送やオンラインで申請といっても窓口で訊かなければわからない、書けない。

台湾の蔡英文総統は真の意味で大臣にプロフェッショナルを任命しているので
1月最初に入国検査を行い、2月には全国民にマスクを配布でき、
いまでは世界有数のマスク輸出国となっている。
時間の経過は日本も同じだが、布製マスク2枚を400億をかけて配るそうだ。

イギリスでは患者に率先して面会していたジョンソン首相が感染して
全国民に手紙を託しICUに入院という。
国民は首相のリーダーシップに感銘して快癒を願っているという。

ドイツのメルケル首相もメッセージを知的なメッセージを寄せている。
財政健全化を主張する首相も思いきった経済対策を打つという。
https://www.mikako-deutschservice.com/post/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E5%AF%BE%E7%AD%96%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%AB%E7%8B%AC%E9%A6%96%E7%9B%B8%E3%81%AE%E6%BC%94%E8%AA%AC%E5%85%A8%E6%96%87

ニューヨーク州のクオモ知事は現実を直視して毎日のように州民に話しかける。
その姿にニューヨーク在住者は勇気づけられるという。
次期大統領にと望む声も出始めている。

ところ変わってとある国の政府。
これまでも支持者や特権階級には目に見えないところで大盤振る舞いを行ってきたらしい。
(巨額の補助金が大臣の親族の企業やら元大臣が着任した民間企業にばらまかれているとの噂)
仲間内で利益を共有してはかばい合い、批判するものは官僚であろうと民間であろうと失脚させてきた。
こんな政府から別の政府に乗り換えたらいい。

このような非常事態のときだからもっと冷静に、もっと大胆に、そして複雑なしくみは設計しない。
私たちは想像力を働かせて自分たちや家族を自分たちで守っていく。
(自粛するのは義務でもあるが、国に依存せず自衛していく覚悟でもある)
年収100億円の大富豪も路上生活者も同額の現金を給付すればいい。
そこに例外はなく手続きも不要。ただし所得税の累進性を引き上げればいい。

行政の事務処理、国民の「不要不急」の申請が要らない施策でなければならないだろう。
インターネットで書類をダウンロードして印刷することさえ難しい世帯は少なくない。
既存の施策にふくらし粉を付けてわかりにくいことこの上ない経済対策のオンパレード。
支援施策のメニューは多いが、どの施策がその人や企業に最適なのか答えられる人は一人もいない。

10人を雇用する温泉旅館では給与と社保込みで月に300万円必要と仮定する。
3か月休めば人件費だけで会社の預貯金から1000万円近くが減少する。
もしこの会社に300万円しかないのであれば、
役員が会社に貸し付けるか金融機関からお金を借りるしかないが、
借りたところで返すあてがないお金。
経営では人件費はとても大きい項目だ。

そこで無給で休んでもらえるよう給与所得者も自営業者も関係なく国がすべての国民に同額を給付。
(0歳児であろうと100歳であろうと、年収100億円の大富豪も無職の人にも毎月同額を給付)。

いわばコロナ対応期間限定ベーシックインカムだ。
1か月1人5万円とすると4人家族では毎月20万円を給付。
職場待機(無給)となっても切り詰めれば生活はできる。
給与を払わなくて済むのなら、元本返済を一次停止できるなら企業も持ちこたえられるかもしれない。
意外に家族が揃って時間を共有するひとときに何か良いところを感じられるかもしれない。

外国からの流通が止まるとスーパーの店頭から○○が消えたとする。
やはり自国でつくらないといけないことがようやく腹に落ちて実感してもらえる。
米、小麦、野菜、肉などをつくってくれる生産者はありがたい、
保護しなければ…と思えるようになる。
経営の大規模化や多角化はひとつの考え方で否定はしないが
環境保全型農業の価値はもっと多様でその点を評価すべきだ。
この際に食料やマスク、食品などの自給率を上げることを考えたい。

行政や民間が簡単に実行できてその成果が全国民に波及する政策こそがいまやるべきこと。
簡単なことだ。
・消費税の撤廃(既存のプログラムの税率を0%と設定するか、税抜価格=販売価格で対応できるので現場で混乱は起こらない。税率5%では煩雑になる)。
・一人月額いくらの現金支給(全国民対象例外なし、手続き不要)

これでもこぼれる人たちや特定の産業を支援する経済合理性のある施策があれば
必要最小限で追加していけばいい。

生きていればなんとかなる―。
それはそのとおりだけど、
生きていくためにはお金が必要。
この場合のお金(給付)とは生存リスクを低減するもの。
申請しないと給付しないのなら申請できない人、自発的に申請しない人、需給資格はないが不正を行う人も出てくるだろう。
コロナ禍は経済対策ではなく基本的な人権(憲法)を守ることと認識すべき。

このままだと国民はコロナではなく政府によって滅びる。
国民がいなくなって政府が生き残る国で住み続けたいですか?
政府がつぶれたけど国民が元気であれば新たな国をつくるシナリオもありますよ。
どっちを選びますか?

国破れて山河あり。
政府に民を救う意志がないのなら、
政府消えて国民あり、でいい。
生きていかないと。

posted by 平井 吉信 at 23:39| Comment(0) | 生きる

2020年03月24日

不安は不安のまま外から眺めてみる


いいしれぬ不安を抱えている人が多くいらっしゃるだろう。
それは漠然とはしていても絶えず脳裏を離れず
少し油断すると憂鬱にさいなまれるような。

そんなときは不安から逃げないほうがかえっていいように思う。
解決しようとしない態度とでもいうか。

人は矛盾を抱えて生きていくもの、という前提を決めてしまえばいい。
だって人生の縮図のような腸内細菌にも善玉菌も入れば悪玉菌もいる。
しかし悪玉菌とて善玉菌を活性化させる役割を担っているかもしれないのだ。
矛盾は矛盾として存在しながらも
それを気にしないで(あるいは不活性化して)つきあっていく―。
それが人の生き方。

ぼくは座ることを奨める。
そうすると雑念が波のごとく押し寄せてくるだろう。
それはそれでいい。
生きているのだから当然。
生命の矛盾を感じているのだから。

湧き出る雑念を追い払うことなく
自分の身体の外から他人事のように眺めてみる。
ああ、いつもの不安症がやってきたな。
きょうはどれぐらい滞在するかな?

そうして客観的に悩んでいる自分をもう一人の自分が見ているような感じで
自分の心の動きを見守る。いや、自分そのものを見守る。
みじめ、すばらしい、悲しい、嬉しいなどの価値判断を交えずに。
感情と思っていた存在は実は価値判断かもしれない。
だから思い浮かぶことを次々と流れていくのを見守る。

少し変化を感じたなら音楽を聴いてみる。
するといままで気付かなかった何かを感じるかもしれない。
身体の深いところで起こる変化が感じられたら
不安はないことに気付く。
実は不安は消えたわけでもなくなったわけでもない。
不安を感じようとする自分がいるだけ。


そうはいっても国の運営で国民の不安をもっとやわらげられるはず。
ぼくならただちにベーシックインカム(すべての国民に毎月5万円を期限を切らずに給付する)と
消費税の撤廃を行う。
その代わり複雑なしくみをすべて撤廃する。
(手元のお金で生きていってください、というわけ。それでも一定の救済措置は設ける)
すべての国民に現金を給付するとともに所得税の累進を高める。
この国の経済活力にはすべての国民がお金を使える状況が必要だから。
経済が活性化すると裕福な人はさらに裕福になり
そうでない人も豊かに暮らせるようになる。

日本はこの30年間、所得は増えていない唯一の先進国でありながら
物価は上がっているため可処分所得が減少している。
これでノーベル賞が出ているのは国民がすばらしいとしかいいようがないが
それはいつまでも期待できるものではない。
文化や学問や芸術は一見ムダに見えてもそれがとても大切である。
社会のなかに一定の冗長性を持つことが必要だが、
現実は働き盛りの世代は働きづめでお金も生活も心にもゆとりを持てない。
(こんな時代には寅さんも生きていけないよ)。
生産性の高い社会になって冗長性を持ちたい。

そのためにはこの30年の間違った政策を総括して真の改革を行わなければならない。
政党は解体して志と良識のある国民が誰でも参加できる政治にする。
格差を拡大していくと貧困層が増えてくる。
そのことは内需を衰退させて富裕層も影響を受けるが
富裕層は持てる資産が金を生む連鎖があるため苦労しない。

金持ちが道楽ではじめた事業が成功するのは経営能力だけでなく
うまく行けばいいや、の余裕が意思決定を間違わないからとも言える。
その反対に背水の陣で経営を行っている事業所が失敗できないプレッシャーから失敗してしまう。
必要なのは経営能力でも資金でもなく、幸福感を持っていること。
そこが成功の出発点になる。
そんなメッセージを込めて別のWebサイトを立ち上げている。
おだやかな経営 https://www.odayaka-keiei.com/
(やるべきことが多すぎてコンテンツの充実に手が回っていないけどね)

この30年間にやってうまくいかなかったことをもう一度振り返る。
・格差を増大させる競争戦略→ 国民の貧困化(データでも実感でも明らか)
・円安誘導→ 国民の資産が減少
・低金利政策→ お金のありがたみがなく消費が低迷
・複雑なしくみによる肥大化した官僚組織→ 単純なしくみによる間接費のムダを減らす
(民主党政権の事業仕分けの失敗は実効性のある事業そのものに手を付けてしまったこと)

リーマンショックのときは庶民の生活には影響がなかった。
それでも日経平均株価は7千円まで下がった。
今回は限られた企業の倒産ではなく国民全体、世界全体に広がっている。
いくらになるかはわからないが、経済循環が崩壊すれば株式の存在意義がなくなる。
つまりは買い手が付かない相場になる。
けれどぼくはそれでいいと思う。
株価を上げるための政策から距離を置かないと社会は変わらない。
社会を変えたいのであれば。
(いまや株価は人々の暮らしとリンクしているとは思えない。それよりも食糧や健康、安心して暮らせる社会がずっと望まれているのではないか。社会が何に軸足を置くかが明確になること。それが人々の幸福を第一に考えるということになれば、株価は考慮すべき要素でなくなるはず。それよりも理想の姿を描きそこに人々の行動を積み重ねていける社会をつくるべきではないか。要は株価の上昇は目標ではなく結果として株価が上がる政策を打つ必要があるということ)

いまやるべきことはいくつかある。
・消費税率を0%に変更(これは税抜=税込とすれば良いので現場の混乱は起こらない)
・ベーシックインカムの実施(一時金でなくすべての国民に毎月現金を給付)
・所得税率の累進性を引き上げる(だから所得の多寡に関わらず同額を支給)
・高速道路の暫定無料化もしくは一律千円(これはかつての民主党政権の収穫)
・複雑なしくみを撤廃する(補助金、軽減税率、特例など)

高速道路が地方創生に役立つことはデータで実証できる。
(その代わり地方創生の補助金を廃止したらいい)
徳島県南部のある地区で調査を行ったときに
高速道路千円が終了すると入り込み客数が顕著に減少しているこが判明。
入り込み客数の減少は町内でお金を落とす機会が減ることにつながる。
近隣の施設の売上高を並べてみたらやはり入込客数に比例(高い相関関係)していることが判明。
高速道路千円の終了で売上が低迷していることがよくわかる。

社会が自ずと良くなる環境を調えていくのが政治や行政の役割だが
いまの政治は困っている状況に陥らせて補助金をちらつかせている。
(不偏不党の立場で言っているが、経済に関しては現政権の数字よりも民主党政権時が良いというのはデータを分析すればわかるのではないか。もっとも数字が改ざんされていればわからないが)
根っこは中央集権の弊害にある。
そして人々の智慧を結集しようとしない独裁的な政権運営にある。
(無尽蔵の叡智をどのように集約するか、そのためのしくみを考えることが先決。右とか左とかどうでもいい。政党政治は終わりにしたい。リーダーシップとは国家資源を動かすことではなく、国家資源が動くように計るこことではないか)

地方創生ではなく地域主権の法体系、行政のしくみをつくれば自ずと解決できることって多いのではないか。
言い換えれば自助、公助が機能する社会のあり方を考えること。
それがSDGsの理念の実現にも近づくと思うのだけど。
(乱暴な記事の書き方だけど切迫して書いているのでご容赦を)
posted by 平井 吉信 at 21:23| Comment(0) | 生きる

2020年03月13日

ラジオっていいな AM放送はこれからも続けてほしい


午後からの仕事に備えて事務所で内向きの仕事をしていた。
手元のラジオから流れているのはNHK第一の午前の番組「すっぴん」。
本日2020年3月13日は2012年から始まった番組の最終回。
この番組は週替わりの個性豊かなパーソナリティと
藤井彩子アナウンサー(番組内ではアンカーという)が繰り広げるトークが人気だが
リスナー参加型の番組。
ときの流れが放送側と視聴者を結わえ、いつしか番組の個性がつくられていった。

NHKとはいえ、自由な空気が流れる。
(番組Webサイトでパーソナリティの顔ぶれを見てください)
脱線しがちなパーソナリティーを藤井アナがさらりと引き戻す姉御キャラ。
ところが彼女自身もアルコールが欠かせないので逆にリスナーにいじられる。
車で移動する際にときどき聴いていた。

約一ヶ月前、この番組が3月中旬で終わると高橋源一郎さんが告げた。
そして迎えた最終回は金曜担当の高橋さん。
徳島だから945kHzにダイヤルを合わす(ICF-801)。

津田大介さんも10時台のゲストとして
あいちトリエンナーレを振り返った。
11時のニュースのあと、
人気コーナー「源ちゃんのゲンダイ国語」が始まった。
高橋さんがこの日のために前日に徹夜して書いたものをご本人が朗読するという。

それはラジオをめぐって事故に遭遇した少年と若い看護師の物語。
少年は意識が戻らないが、看護師は少年に呼びかけて毎日ラジオを聴かせている。
それはまだラジオがあった時代のこと。
少年はラジオの音楽に耳を傾けているようにも見えたがやがて他界。
ときは流れて今度は年老いた看護師がおばあちゃんとなって
孫に見舞われる。
孫に問われておばあちゃんは孫にラジオについて話している。
ラジオ放送はもはや行われておらず、孫はラジオの存在を知らない。
そこはロボットの医師と看護師だけがいる近未来の病院。
切ない対話のあとロボット医師が来て「最後のときがきました」と孫に告げる。

人肌の温もりと寂しさをファンタジーに包み込み
社会の風刺も込めて自在に朗読された。
滋味あふれる朗読だった。
朗読が終わると流れてきた曲は?
(当ててみて)

聞き逃した人はNHKの「らじるらじる」で聴くことができる。
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=2295_17

この番組は人気番組だった。
なぜ番組がなくなるのか、どのような力学が働いたのかはわからない。
でも、この番組には自由な風が吹いていた。

ラジオでなければ伝わらないこと、ラジオでなければできないことがある。
いまの時代だからこそ、ラジオ放送は大切にされるべき。
音だけの世界からあふれる世界のなんと饒舌なことでしょう(どこかで聴いた台詞)。

法律の改正でAM放送は近い将来廃止されるという。
ぼくは2020年のいまもブラウン管テレビ(購入後20数年)や
PHS(スマートフォンは使わない)を使っている。
古くても優位性を感じるから。

もしいまのAM放送のコンテンツがFMワイドで流されても
なにかなじめない気がする。
音が良くなることを喜べないのは単なるノスタルジーと言われるかもしれないが
アナログチューニング(バリコン同調)のラジオで流れる音声は
FMやCDよりも声の現実感とやわらかさが感じられる。
おそらく周波数変調や量子化されていない音の素性が素直なのだろう。

AM放送、なくなってほしくない。



posted by 平井 吉信 at 21:19| Comment(0) | 生きる

2020年03月10日

信頼


誰かを信じられるということは
その人の言動の根っこに愛があるからだろう。
上皇上皇后両陛下、天皇皇后両陛下の存在はこの国に限りなく大きい。

ところがいまや日本政府は海外からも信頼されない。
いま考えるべきはどの政治家が良いか、どの政党を支持するかではなく
どんな国をつくっていくか、そのためにはどんなしくみがいいかだろう。
(すべての記事は不偏不党の立場であるべき姿を描いて書いている)

一人が思いつきで方針を決める、法律の解釈を決める、
するとそれに続く人たちが辻褄合わせに翻弄されるという構図が数年続いている。
総理大臣とは法律をつくる人ではなく
法律に縛られる人である。

1億人の人がいる。そのなかに智慧者も少なくない。
乏しい想像力で思いつきの意志決定を行うのではなく
智慧者の意見を十分に聞いて決めごとをしていくべきだ。
その智慧者とは現場で創意工夫しながら日夜携わる人たちである。
(自民党政権でも小渕首相などはそのようにしていたのではないか)

3月といえば、学校(子ども、教師、保護者)にとって思い出となるかけがえのない時期。
年度末というのは子どもも大変だが大人も事務処理に追われる時期でもある。
学校を休みにすべきかどうかは当の子どもたちに聞いてみたらいい。

そして休むべき、との声で一致すれば休めばいい。
意志決定のためには専門家が同席して科学的な知見や客観的な情報は与えるが
意志決定には関与しなくていい。
ただ子どもに考えてもらう。
そして休まない、と決まったら
こちらが何も言わなくても子どもたちは自主的なルールを決めていくだろう。

・マスクをしましょう。そのマスクは1日2回、給食の前後で取り替えましょう。
・隣の席の人と互いに確認しあいましょう。
・マスクがない子どもは学校が支給しましょう。
・手洗いのルールを決めましょう。
・決めた方法どうりかどうかをペアになって確認することにしましょう。
・体調が少しでも悪ければ保健室に行って相談しましょう。
・誰かが風邪を引いたり体調が悪くなっても気持ち悪がったりせず回復するよう見守りましょう。
・こんなときだからみんな笑顔でいましょう。
・普段以上に友だちの様子に気を配りましょう。

…などと子どもたちは自主的なルールを自分たちで話し合ってどんどん決めていくはずである。

こんな場面でこんな意志決定をしたらどうなるか?
その際に想像力が働かせられるかどうか。
相手の立場に立って目に見えない暮らしに思いを馳せて考えていくこと。
そんなことができない人たちが国の方針を決めているのなら政治は要らない。
お金を自治単位に支給して自分たちがルールや運用を決めることになれば
案外この騒動も収束が早いような気がする。

オリンピックの開催については2月中に方針を決めるべきと書いたけれども
未だに方針が定まっていない。
何度も言うけれど膨大な運営資源、利害関係が絡むことを
年度を明けて意志決定できるはずがないではないか。
第一、選手だって存分に練習できず自粛せざるを得ないので
本番に向けての調整ができないのではないか。

ぼくなら秋に開催することとする。
問題となっている猛暑対策も解決する。
各方面と調整を行い3月前半に意志決定を行わないと
本番は突然の中止となりかねない。
いまは非常時である。
オリンピック開催が重要であれば平時で乗れない相談であっても
各国、各方面が調整する力学が可能にはならないだろうか。
(ぼく自身はオリンピックは中止でもいいと思うが、多くの人がその場にかけているので現実的に対応していくことがいいと思う)
秋に開催することで都合が悪いことがあったとしても
半年以上前なら調整は可能ではないだろうか。

でも、それ以前に小規模の事業所を中心に経営破たんや失業が続出することが心配だ。
ベーシックインカムや減税を行うとしたら大義名分も実効性も見えているいまではないか。
タグ:マスク
posted by 平井 吉信 at 23:38| Comment(0) | 生きる