2018年02月20日

台所のプリンス 1/2回転キッチンループで


空港でのできごと。
「サインしてください」
「一緒に写真を撮ってもいいですか?」
女性がぼくのところをめがけて押し寄せてきた。
「あの、ぼくはユヅルではないのですが…」
(ファンが怒りそうな悪い冗談を。でも、少し目の悪い方が後ろ姿をみて勘違いする人は100人に1人ぐらいはあるかもしれない。所作の真似はできるから→ ナイナイとの影の声)

目が覚めた。
なかなか心地よい夢だった。

実は台所ではぼくもプリンス(と言ってしまおう)。
前振りはこちらの記事から。

短時間で料理をつくるとき
台所を駆け抜けている。
(水場と冷蔵庫と電子レンジとガスコンロと乾物置き場が少し離れているため)。
火をかけたまま、追加の調味料を取りに行く。
そういえばシイタケが残っていた、このタイミングなら使える!
などとダッシュしてはターン。
その際にブレーキをかけながら右手で欲しいものを掴むと
その勢いで反転する
(1/2回転。前身のエネルギーをわずかなきっかけで、むしろその力を利用するように反転させる)。
(いや、ほんとうに日常です)

その姿は氷上の彼に似ていなくもない(と思い込んでいる)。

みなさんの一日もそう。
日常にはひそやかな愉しみが隠れている、と言いたかっただけ。
(突っ込み処満載だけど、納得しどころも少しはわかってもらえた?)


有言実行というのは実は大切なこと

言葉にすることでイメージを描くことはもちろんだが、
自分の本能に火を付ける。
高まった集中力をくまなく使い切るための準備を行うことができる。
それはドーピングすることなく
アドレナリンを分泌させるとともに
視界からすべてを消し去ること。

ライバルが予想以上に飛んだ、早かった、高得点を出した。
ならば、いつもより踏みきりを強めに…などど考えると失敗する。
人間は考えながら行うことはぎこちない。
(えーと、これができたから、次はと、これをして…)
これが失敗の要因。

ところが無意識でやるとどうなるだろう。
脳は集中してやるべきことを行うことができる。
それどころか、脳優位の身体の制御を
身体全体の制御に切り替える、もしくは連携の強化ができるのではないか。
当然、脳だけの制御よりもはるかに高速かつ正確で疲労が少ないのではないか。

そのとき脳内では神経細胞は新たな可能性を求めてつなぎ替えを模索する。
そこに人間の可能性がひらく。
だから、無心とか無欲というよりは、
無意識というのがメンタルの本質を表しているように思う。

数年をかけてスクワットやマシーンで鍛え上げたポパイのような筋肉が
本番でどのように動いてくれるのか。
緊張して我を忘れてしまえば、簡単に負けてしまうだろう。
制御できなければ鍛えたことがかえってブレーキになってしまう。
そのことをよくわかっているアスリートは筋トレは慎重に行うだろう。
骨、筋肉、神経が一体となって意のままに
いや、無意識に動いてくれると良い結果になる。
イチローはルーティンの効果(無意識の動き)と
正しい身体の使い方を実践しているよね。

メンタルを鍛えるというのは
考えずにやることで集中力を引き出すということ。
そこにはライバルはいない。
敵は己自身の心だけ。
そこには戦略はない(不要)。
(勝つために難度の高い技を封印して完成度の高い技の総合点で競うようにする、というのは戦略だけど、試合に臨む姿勢は戦略よりもっと根源的なものが大切)

ものごとを表面的に見ることなく
何のために、どのようなを見ていくと
本質が見えてくる。

→ 近道のようで近道じゃない(KPI達成重視)
→ 遠廻りのようで遠廻りでない(成功のためのプロセスを描く)

いまの時代、本質は既存の問題解決の外にあることが多いとしたら
その枠をはずす(意識しない)ことから始めるしかない。
日本が飛翔するために、一人ひとりが意識すべきこと。
posted by 平井 吉信 at 01:15| Comment(0) | 生きる

2018年02月10日

子どもを大切にする国 特急のなかのほのぼのとしたできごと。南太平洋の子どもたちを思い出した


それは心なごむ光景だった。
特急うずしおの車内に
志度駅だったか
幼稚園(保育所?)の子どもたちが4人の先生の引率で
集団で乗り込んできた。

相席になる人に先生(保育士?)たちが
ひとこと断って子どもを座らせていった。
(どうぞ、どうぞ♪)
子どもたちもどうにか着席できたようだ。

そのなかのひとりの先生(20代半ばかな?)が
一人ひとりの子どもにほほえみを浮かべながら
やさしい所作と澄んだ声で呼びかけて
デジカメで写真を撮ってあげていた。
特急の車内が教会のような厳かな空気さえ感じた。
(スマートフォンでなくデジカメでしかもシャッター音を消して自然光で撮られていた)

その姿が天使のように見えて
仕事といえでも使命感を持って
(だからこそ)楽しんでやっている姿にほのぼのと。

心のなかで、その調子で♪
良い人生になりますようにと願った。

(川端康成の「バッタと鈴虫」に出てくる少女をもちらりと思い出した)

.。'.*.'☆、。・*:'★    .。.・'☆、。・*:'★
  .。'*・☆、。・*:'★     .。・*:'☆
 ☆、。 ・*'★ .。 ・':....*.:'☆        .。・:'*・':'・★

…ときは南太平洋ポリネシアにいた頃のこと。
滞在したボラボラ島(自炊していた)のオテマヌ集落の教会で
日曜の礼拝があり、10代半ばと思われる白いスカートの少女が
小さな子どもたちにマリアさまのようなおだやかな笑顔で接していた。
子どもを飽きさせないように留意しつつ読み書きを教えていたのだろう。
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この少女が天使のように見えた。
10代で諦念にも似たおだやかなほほえみをたたえて。
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(特急うずしおで出会った女性とも雰囲気が似ているので思い出した)

ヴァイタペ村にバスが着いた
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ターザンごっこ
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自転車買ってもらったんだね
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そんなにレンズに近づいても…。駆けっこ早くなったかな?
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愛くるしいムーシン・ダニエルちゃんももう大人になっているんだろうな
右は妹。よく面倒を見てあげていたね。
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乙女ですから
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鶴の折り方、覚えている?
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風がやんだ夕暮れ。ひとり旅っていいね
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観光地から離れた暮らしの匂いがいい
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無人島でのピクニックの記念に
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南太平洋高気圧 1020ミリバール?
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ラグーンのサメはおとなしい。泳いでいてよく囲まれた
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鳥の楽園への入口
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自転車で島を一周すると半日はかかった
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椰子の実を頭に当てると大変
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ボラボラ島の象徴、オテマヌ山
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環礁の外海はいきなり水深数百メートルに
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地球の休日を愉しんでいますか?
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マーロン・ブランドが所有するテティロア島にセスナをチャータして
そこから鳥の楽園に向かった
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ぼくがカメラを持っていると
洋の東西を問わず、日本の田舎を問わず
子どもが寄ってくる。
(警戒されない雰囲気を持っているのは強み? いや、子どもは瞬時に本質を見抜くのだろう)
そしたら一緒に遊ぶ。
折り紙はよく教えてあげたし
ペタンクに入れてもらったり、飛び込みをしたり。
同世代の人たちとはときに無人島に船でわたってピクニックにも行った。
岩に参加者全員の名前を書いているスナップがそのときのもの。
国は変わってもところは変わってもひとの心は同じなんだということを
身体で感じられたことがポリネシア滞在の収穫だった。
(年を取ってから何かをしよう、ではなくいまできるならいまやること。「若さの特権」は時間やお金で買えないよ)

どこも同じ。人は同じだよ。
そして夏は終わらない。永遠に終わらない。
楽園は、それを見ようとする心のなかにあるから。

(ミノルタX-700+MD28/2.8、35/1.8、50/1.4。いいなあ、この時代のカメラって。価格は安いのに完成された技術が凝縮している。このカメラは18年にわたって販売された。篠山紀信や三好和義も使っていたよね。ぼくが常用しているフジのデジカメではこの色は出ないのでなつかしくなる。こんなカメラ、いまの時代にある? ただしぼくが持っている2台のX-700は骨董ではなく完動の現役。ファインダーの優秀さは一眼レフ市場で最優秀。だからピントが合わせやすい。1/1000秒までに抑えたシャッターも安定感抜群で長年の使用に耐えるもの。ミノルタ最後のMF一眼レフとして産業遺産になってもおかしくないと思う。クラウドファンディングでミノルタブランドのデジカメってできないものかな?) 
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http://soratoumi.sblo.jp/article/61144747.html
http://soratoumi2.sblo.jp/article/182280055.html
http://soratoumi2.sblo.jp/article/181212781.html
posted by 平井 吉信 at 13:10| Comment(0) | 生きる

2018年02月04日

朝のお好み焼きから「生産性」を考える 料理も仕事も生きることも同じ

徳島といえば、大塚食品(ボンカレー)、徳島製粉(きんちゃんラーメン)がある。
ボンカレーはレトルトカレーの元祖だが、子どものぼくはおいしいとは思わなかった。
ルーのカレーでは、当時の家庭の定番はバーモントカレーという家が多かったと思うが
ぼくは満足しなかったので、あらゆるルーをためしてみた。

すると、ゴールデンカレー(中辛)がもっとも好みにあった。
ところがこのカレーにすると幼い妹が辛いといって食べない。
ぼくはバーモントカレーの甘口だけは食べたくない。
そこでカレーの日はルーを2種類用意して
ゴールデンカレーの分は自分でつくるようになった。
(いまでも使うけれど、レシピの7割程度のルーに抑えている)

今度は隠し味をためしてみた。
リンゴをすりおろしたり、はちみつをいれたり
コーヒーの粉、ケチャップなど、
理屈はわからないが、気が済むまで自分でやってみる好奇心旺盛な小学生だった。
餃子やホットケーキを焼くのも当時から家族のなかではもっとも上手だった。

見た目の盛り付けはどうでもいいと思ってしまう。
(どうせ胃袋に入ってしまうので)
料理をすることは好きで、むしろ楽しいといっても差し支えないけれど
時間はかけられない(やりたいことが多いので)。
冷蔵庫や野菜室を見てあまっている食材で
20分で3品程度をつくるというのが日課。

その際に出汁の素とか、○○の素は使わない。
旨味の足し算は味が濁ると気付いてからは
むしろ引き算に徹するようになっている。

そのことに気付いたのは
佐那河内で虎屋 壺中庵という料亭をされている岩本さんの手料理に接してから。
吉野川の河原で芋煮をするのだが
そのさい配を岩本さんがふるわれたことがあった。
メニューは地元佐野塚で採れたジイモを塩だけで味付けをした汁。
それが言葉を失うほど衝撃的だった。
素材の切り方、温度、入れる頃合いなど変数はそう多くない。
それなのにこれまで食べたことがない次元のおいしさだったのだ。

炊飯器で米を炊く、肉を焼く、野菜を茹でる、
といった誰がやっても同じ結果になりそうなことが
実は天と地ほどの差となる。
(できる人はこの言葉を決しておおげさとは思われないと思う)

炊飯器で米を炊くことさえ
ぼくが炊いたのとほかの家人が炊いたのでは質が違う(違いすぎる)。

うちは近所で特別栽培米をつくっている人から玄米を買って
毎日自家精米をして食べているけれど
おいしいご飯はやはりぼくが炊かなければ食べられない。
研ぎ方で、その際の水の使い方、浸し方(時間や温度)で変わってくる。

さらにいうと体調によって材料や調理も変えている。
身体が欲している食べ物を腸に届けるという感じ。

食は人の考え方、性格、体調、免疫力、つまり人生まで変えてしまう。
このブログから楽天的な生き方やユニークな洞察力、
自然への感受性を感じる人がいらっしゃるとすれば
その原点はまちがいなく日常の食にある。
(毎日どこかで外食していることを誇らしげにSNSに投稿する人は食の本質を身体が感じていないのだろう)

だから高校のときから体重や体型はほとんど変わっていないし
体力もさほど落ちていない。見かけも年齢よりは若く見える。
結局、アンチエイジングを突き詰めていけば、やはり食になるのだ。

かといって、オーガニック食材や特殊なサプリメントは買わないし買おうとも思わない。
ていねいにつくられた地元の食材や顔が見える食材であれば十分だ。

限られた時間を有効に活用しようとすれば
食をつくる生産性を上げることが人生の大切な要素と気付く。
(仕事の生産性も大切。特に製造業ではなくホワイトカラー。ぼくからみるとムダな作業をやっているホワイトカラーの生産性を上げれば=ここが経済のボトルネックと思いませんか?=日本の経済はもっと飛翔する)

早い話が戦略的な手抜きを行うこと。
成果に結びつかない作業はやらなくていい、
というよりやめるべき。
人生はプラスαしていくのではなく、
減らすことに意識を傾ける。
空いたところに成果につながる資源(時間、資金、意識)をつぎ込んでいくこと。

大きな組織では社長とか理事長とかの鶴の一声で現場が混乱する。
(経営資源を理不尽に動かすことがどれだけ生産性を下げるかわかるよね)
その反面、現場では不毛な合議(忖度)と冒険をしないありきたりの結論ありきで
絞りこんだ戦略を打ち出せていない。
それが今日の日本を招いている。
行政や大企業だけでなく政治もその片棒を担いでいる。
ゼロベースでリセットしてあるべき姿を描かないと未来はないよ。

おいしい料理をつくるために今度は○○を導入しよう、
こだわりの素材を使おう、
○○式の調理をしよう、
など手段だけに焦点を当てると
ここ十数年の日本と同じになるよ。

食べるとは何か(何が究極の目的=成果か)
その成果に至るには何が必要か(やらなくていいことは何か)
その成果に至る過程でどのような変数が存在するか
その変数における最適解はなにか

こう考えるべきなのに(以下はたとえですよ)
目標:「○○方式による○○の素材を3割以上採用した朝食を6割以上提供すること」

一見定量的に把握できるけれど、
成果に至る必要なこと、そうでないことの見極めが抜けているよね。
(料理もホワイトカラーの生産性を上げることも同義語とわかりましたか?)
仕事を依頼するなら言葉の定義ができる人、実行している人に依頼しなくてはダメですよ。
(適切な設問をつくることができる能力と言い換えてもいい)

日曜朝の料理の前振りでこれだけ語る人も希有、奇特な人でしょうけど
きょうはお好み焼き。
徳島市内の標高の高い場所で雪に耐えてつくられたキャベツをたっぷり食べたいから。

材料:キャベツ、小麦粉、レンコンパウダー(現在あるところで試作中のもの)、卵

広島焼きのように薄く広げた生地に
富士山のごとくキャベツを盛り上げる。
ひっくり返す前に生地をかけて
キャベツを蒸し焼きにする。
これで十分な栄養が採れるものが調理し始めて15分後には食べられる。

フライパンはリバーライトの26センチの鉄。

これだけで十分。
弱火から強火までリニアに温度が調整できる。
焦げ付くことはないがメイラード反応(焦げ目)を付けやすい。
テフロンでは時間かかって短時間調理ができない。
とはいえ、このお好み焼きも工程の9割は最弱火(生地が薄い点にご留意)。
最後はパリッとさせるために火力を上げる。
これが鉄でないとおいしくできない理由。
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見た目は悪いけれどキャベツたっぷりの後味良しのお好み焼きのできあがり。
(青海苔は日和佐産の青のりを使っている。品質管理がしっかりしていて安心して使える。道の駅日和佐やキョーエイで入手できると思う)
http://www.pref.tokushima.jp/takarajima/docs/2014012200349/
http://www.pref.tokushima.jp/takarajima/docs/2014012200394/

365日のほんのひとこまだけど食べることが大切なら
手間と時間をかけずにあるものを使って自分で作ること。
(食べ終わる頃にはほとんど洗い物も終わっている時短調理)

ゆうべは、窪川の生姜と鳴門わかめのスープをつくった。
(身体を温めるのがねらい)
具材はほかに余り物のシイタケが少々。
出汁と食感を楽しむために
トマトを半分に切って入れてある。
基本は薄めの塩味だけだが、
味付けは自分の器のなかで醤油を好みに応じて垂らす。
これも5分の時短料理。
(写真は撮っていない)

成果に結びつく生産性を上げること。やらないことはやらない。
(しかも「脱こだわり」&かっこつけない、あるもので自然体でやっていく)
そのほうが楽で愉しい。
posted by 平井 吉信 at 11:31| Comment(0) | 生きる

2018年01月16日

今がいい


徳島でも一面雪景色になったのが数日前、
聞くところによれば、通勤に数時間かかるなどの大渋滞が市内で起こったそうだ。
ぼくはJRで県外出張だったが、東予では雪はなかった(途中の香川県でも)。
(今週だけで四国4県すべてに出張)

ところが今夜はあたたかい。
久しぶりに近所を歩いて戻ってきたところ。
数日前の寒波と大違い。
そしてこの変化を楽しむことができる。
それがすばらしい。
季節の変化、日々の変化、そのなかに妙がある。
それを感じられて満足している。

歩きながら思ったこと。
それは、去年と比べても今年がいいと思う。
たぶん今が一番いいと思う。
人生は地道に積み重ねていくと
知らぬ間に長い距離を歩んでいることに驚く。
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今が一番いいけれど
未来のほうがさらにいいだろう。

積み重ねるだけでなく
やらなくてもいいことをしないようにする。
捨てることが充実した生き方につながる。

充実しているかどうかは自分が決めること。
自分が良ければそれは最良。
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もう一度時間を戻してやり直しても
ここまで来られるかわからないから。
(やり直すとはそういうこと)
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(写真は妙見山の岩脇公園=羽ノ浦町)

自信を持って生きているけれど
(自信なんて必要かな?とも思う。人と比べることもないし)
どちらかといえば淡々と歩みたい。
今が一番いい。

(思ったとおりの人生にならなくても気にしないこと)


posted by 平井 吉信 at 22:56| Comment(0) | 生きる

2018年01月03日

縄文の家に戻ってきて


久しぶりに竪穴式のわが家へ戻ってきた。
土間にしゃがんで
イノシシの塩蔵肉を焼きながら迎える正月もいいもんだ。
五人の妻もそれぞれ里へ戻ったりうちへ戻ってきたり。
下の息子が初の獲物と自慢しながらウサギを捕ってきた。
捌き方を姉に教わろうとしている。
娘は栗の木林の隣で椎の実を集めている。
あれを煎って客人をもてなそう。
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…などと、縄文時代の家長になった夢を見たか見なかったかは不明であるが
縄文時代に来てしまった。
それもホンモノの縄文時代のようだ。
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不審者はたちまち見とがめられて囲まれた。
(しかし敵意は感じない)
現代の日本語で話しかけてみるが、言葉は通じない。
それでは単語ではどうかと知っている昔風の言葉を並べてみる。
中国から伝来した音読み派生語はすべて通じないと思える。
そこでやまとことば、らしき音を並べて反応を見た。

ヒト オノコ オミナ ワラワ ワゾ イネ… 

そのなかでいくつかの単語に反応した。
意味が同じかどうかはわからないが、数千年を経て通じる言葉があるようだ。
しかし言葉が通じなくてもわかりあえるきっかけとなるあることがある。
ぼくはその方法を知っている。
(よし、やってみよう)

うまくいった。
たちまち、竪穴式住居に向かって歩き出す彼らのあとを
付いてこいとの身振りのようである。

さて、ここで問題です。
縄文時代の大家族の領域に突然侵入してしまったぼくが
何かを手渡したり話しかけたりしないで
(彼らの意思疎通の円の隅っこにひっかかったのか)
招き入れられたやりかたとは?

答えは文末で。

竪穴式住居は意外に内容積は広い。
それゆえ調理の煙はそれほど篭もらない。
むしろこの煙が家屋に良い影響を与えているのではと思える。
相変わらず会話は成立しないが
身振り手振りと単語から少しずつ縄文の言語の断片が見えてきた。

例えば、鳥はワゾというようだ。
女の子がキジバトを指さしてそう言ったからわかったことだ。

遠くでオオカミが冬ごもりの雑木で餌を探す鹿を追いかけている。
西暦でも元号でもたどれない8千年ほど前の日本列島の
薪炭林と海が接する土地に住んでいる一族の物語である。


ここに住み始めて三日になる。
居候はしたくないので何かできることは?と尋ねる。
アガ (狩りのショサ) スル エイカ(私は狩りをしてもよいか?)

アシと家長は答えた。
これは肯定を意味する言葉ではないか。
次になにかの文脈で使って反応を見てみよう。

翌日、娘がほほを染めて戻ってきた。
毛皮の物入れを開いたら
見慣れないもの、およそこのあたりでは見かけないものを手に入れたようだ。

娘が取り出したのは
おっと、スマートフォンである。
これを操作していたところ、意識を失って海沿いの森に来ていた。
それが数日前だった。
使う宛がないので落としたことをすっかり忘れていた。
娘はそれがぼくのものと察して持ってきてくれたのだろう。

使い始めて三日目だった。
ぼくは文字を入力できなくて忍耐を強いられていた。
検索しようとブラウザを立ち上げて文字を入力する準備をして
検索が終わるまで10分ほどかかったからだ。
音声入力もあるはずだが、音声入力を公共の場で行うのはそぐわない。
そこでパソコンのキーボードをつなげて入力してみたのだ。
幸いUSBを変換して接続すると認識した。
(キーボードドライバをどこで手に入れたか、誰が開発したかの突っ込みはなしで)

そうしていると、突然身体が宙を舞って気絶した。
そして目が覚めたら縄文の家に来ていたというわけ。

そして客人と思って振る舞っていたら
言葉がわかるようになり
実はここの家人がぼくであることが判明。
(モシカシテ、ボクタチ、イレカワッテイル?)

なんと、ぼくは縄文人(これがルーツ)で
ある日どこかへいなくなったが戻ってきたことが判明。
すっかり未来に大脳が呑み込まれてしまいそうであったが
数日のうちに記憶を取り戻し縄文の家人に戻ったのだ。
もうスマートフォンを見てもそれが何だったか思い出せなくなっている。
しかし薄れつつある記憶と闘いながら
最後の送信ボタンを押した。
(ボクノナハ?)
それがこのブログに掲載されている。

世界初の縄文時代の人間が書いたブログとして大切に見ていただきたい。

(続編に期待する人がいれば続きは書きますが…。即興で書いているのでこの程度だと10分ぐらいで書いてしまいます。正月スペシャルということで)

(5分経過、続編に期待する人いなかったので、ノーマネーでフィニッシュです=意味不明)

ここは徳島市国府町の阿波史跡公園。
鳴門の渦潮や祖谷のかずら橋と並んで徳島を代表する観光地である。
(ミシュランでは6つ星となっているらしい)

ご覧のように縄文時代がここに現れているうえに
公にはされていないことですが
日本の国を初めて治めた女王卑弥呼の墓があると伝えられる
天石門別八倉比売神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)が
気延山(きのべさん)の麓に存在している。
なにやらいわくありげな地名が泉のごとく並んでいる土地。
(卑弥呼はおそらく日本中に存在したのだろうね。徳島にいるのなら香川にも高知にも愛媛にも九州にも出雲にも大和にもいたはず。邪馬台国が移動しながら統治していく可能性もあるし)

天石門別八倉比売神社、気延山へはさまざな踏み跡がある。
その途中で翡翠のような実を見つけた。
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桜の一種が冬空に咲いている。
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陽光を透かしてみるツバキ(サザンカではないよね)
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きょうは社務所が開いている
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境内に入るが参詣者は1組だけ
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神社では個人的な願い事はしない(数十年していない)
ただ、この国と斉祀る神々の弥栄だけ。

伝卑弥呼の墓とは、神社の裏手にある五角形の台座のことだろうか?
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お供え物、なんだろう。
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気延山の登りは愉しい。
途中で日当たりの良い尾根筋に出る。
すると午後の光が差し込めて気持ちいい。
そんな気持ちを受け止めるベンチがある。
座るしかない、座りたい。
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雑木林の気持ち良い登りを抜けると山頂
標高は212メートル。
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日だまりの登山道がいい。

212メートルの山頂
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降りてくると鮎喰川で夕暮れに遭遇
沈下橋を吹き抜ける風が河原で加速する
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月が大きいと感じたので(スーパームーンだった)
海へ行ってみる。
月明かり、船の面影、新年を迎えた港に月のみち、波間にひらいた。
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posted by 平井 吉信 at 15:14| Comment(0) | 生きる