2019年04月14日

「天下御免」の平賀源内 平成から令和へ何をつぶやく

耳に離れない旋律があって
その音楽を聴くととても愉快な気分になれる。
貴重な音源がYouTubeに残されていた。
https://www.youtube.com/watch?v=LIWc-XL0EcM

ご存知の方はいらっしゃるだろうか。
大河が始まる前のNHKの時代劇「天下御免」。
平賀源内を主役に跳んでいる昭和のテレビ時代劇。
平賀源内は讃岐が生んだスーパースター。
龍馬も好きだけど、もしかしたらそれ以上にファンかもしれん(個人的に)。
ふたりとも目先のことなど考えていない。
それなのに民衆の気持ちに寄り添って行動する。
源内は、土曜の丑の日にウナギのプロモーションを行って
それが今日まで定着する(夏がウナギの旬というわけではないよ)。
「天下御免」の番組ではねずみ取り器を発明して「チュートレール」と名付けたり。
(エレキテルは誰でも知っているよね)
その後継者が小林製薬である(と言ってしまおう)。

幸いにも主演の山口崇さん自らが録画していたテープが世界に唯一現存するものらしい。
(NHKにも残されていないとは…)
その第1話をご覧いただける。
気分が落ち込んでいる人、心が晴れない人はご覧になられてみては?
https://www.youtube.com/watch?v=qNVGikGiA4w

ぼくは最終回が目に浮かぶ。
出血した親友の右京介の止血をした白い布を広げてみれば
白地に赤い日の丸。これを国旗にしよう、と言っていた記憶がある(劇中)。
(右とか左とかじゃない。番組には自由な風が吹いていて心地よかったよ、子ども心にも)

出演していた俳優の顔ぶれ、ユーモアと自由な風が横溢している。
(70年代最高のエンターテインメントではないだろうか)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%B8%8B%E5%BE%A1%E5%85%8D
(源内は山口崇さんがはまり役だね)


金毘羅船々追風に帆かけてシュラシュシュシュ
まわれば 四国は讃州那珂の郡
象頭山 金毘羅大権現 一度まわれば♪
https://www.youtube.com/watch?v=aOyk0iwF6Oo

数少ない家族の泊まり旅行が琴平であったことを思い出した。
旅館の2階から川が真下に見えた記憶がある。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/64208508.html


もし平賀源内がタイムスリップして現れたらどう言うだろう。
スマートフォンをかざして元号発表を待ち受ける場面に
「つまらん、実につまらん」とつぶやいているではないか。
彼にその理由を聞いてみると
(スマートフォンを見ても一瞬に何を行っているかわかるのは江戸時代の人ととは思えん)
将来に不安を抱えている人々が暴動を起こさないよう
上から諭して和を持って貴しとなせ、と言われているようなものだろう。
いまこの国に必要なのは尽きることのない豊かな発想力、行動力だ。
やればできる!
一人ひとりが覚悟を決めて人生を愉しめばいいよ。
それがこの国をいきいきとさせる、政治家や官僚に任せてはいけないよ。
未来をつくるのはあなたがたの意志だよと。

いつの時代でも
平均的なものが正常という考え方で均質化を求めるのは
多様性を排除する力学。
失敗者を容赦なく批判する時代が令和であるなら
実につまらない。
幸福とは、平均的な考え方や
他人との比較のなかには決してない。
自分が定義すればいい。

源内さんにそう言われたので伝えておきましたよ。

志度に記念館がある。行ってみたいな。
http://ew.sanuki.ne.jp/gennai/index.html


追記
平賀源内の著書でないけどKindleユーザーは無料で読めるよ
平賀源内捕物帳 萩寺の女

万葉集は好きだけど、「令和」という元号には
国民や地域が主人公という匂いがしない。
一人ひとりが生ききるしかないね。
posted by 平井 吉信 at 11:37| Comment(0) | 生きる

2019年04月06日

十年で循環する生き方 次の1クールを考えようと海が見える丘に(大神子)

新年度になって仕事を休むのは例年。
つい数日前までの年度末の激務から心身を休めているだけでなく
桜の季節だからというだけでなく
新元号だからというわけではなく
冨岡西高校が選抜で良い試合だったからではなく
つまるところ十年一区切りで見直しを行おうとしている。

10代後半の頃に気付いたことがある。
高校卒業→ 大学受験→ 就職→ 結婚→ 引退の一直線の生き方はできないと。
人生は一度しかないのに、これではやり直すことが難しい。
10年ぐらいで何かに取り組んで納得が行く生き方をしていくとなると
8クール程度の経験ができる。
新たな展開へはこれまでの経験(強み)は活かせるが
価値基準を変えて異なる見方ができるのではないかと。

風呂に入っているとき、
就寝前の音楽を聴いているとき、
車の運転をしているときなど
何か思い浮かんだらICレコーダーに記録できるようにしている。
(菩提樹の下で瞑想はしていないが)
おぼろげに次の10年の進み方が見えてきたところ。

異なるものの見方、実践とこれまでの経験や強みを合わせるところに
新たな価値提案ができるのではないかと。

そんな思考をめぐらすのなら家でいるより外へ出たほうがいい。
ところが外へ出ると外界の持つ情報量に敏感に身体が反応してしまう。
風のそよぎ、陽光と陰翳の万華鏡のような瞬間、路傍の山野草、野鳥の声…。
自然は饒舌すぎて耳をふさげなくなってしまう。
そしてついにそれに向かって行動を起こしてしまう。
それが写真を撮る行為であったりする。

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樹木のトンネルで足を止める
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海がなつかしい
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海を眺める椅子がある
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船を眺めるのも楽し
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これは砂船
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越ヶ浜を対岸から眺める
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この日の大神子、言葉ではなく写真。
何か感じられましたか?



posted by 平井 吉信 at 23:39| Comment(0) | 生きる

2019年04月04日

明日香から万葉の世界へ 万葉恋歌


万葉集が好きになったのは中学の頃の旅行がきっかけだった。
国語を担当する担任の先生が明日香村へと連れていっていただいた。
高松塚古墳の壁画がブームになっていた頃だったと記憶する。

甘樫丘、雷の丘と飛鳥川、岡寺、伝飛鳥浄御原の宮、石舞台古墳、天武持統陵、鬼の雪隠、亀石などを自転車でめぐる夢のような三日間だった。
明日香村の地形は以下の記述のように変化に富んで
そこに四季折々の風情、光の彩なす影、風のそよぐ緑、棚田の色彩に古京がたたずまい
自転車や徒歩がとても楽しい。
「明日香川上流は山また山として、檜隈は野、真弓は丘、そして山と丘に囲まれた飛鳥古京は箱庭のような原としてとらえることができる(「万葉の歌 明日香・橿原」(中西進企画、清原和義著)



これが古墳や考古学、古代文学に思いをはせるきっかけとなった。
その後、何度か明日香を訪れては感慨に浸っている。

馬子の墓とされる石舞台古墳
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いまも昔もそう変わっていない飛鳥川
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明日香川明日も渡らむ石橋の遠き心は思ほえぬかも


明日香河川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき恋にあらなくに


落ち着いたまちなみは地元が意識して守っているもの(橘寺周辺)
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橘の寺の長屋にわが率寝し童女放髪は髪上げつらむか


川原寺を望む
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かつての都が置かれていた場所(飛鳥宮跡・伝飛鳥板蓋宮跡/飛鳥浄御原宮跡)
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甘樫丘はいつ来ても明日香を濃厚に感じるところ。かつては盟神探湯が行われた
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丘からは大和三山や大原が見える
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田んぼにこんなものが古代からあるなんて(亀石)
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吉備姫王墓の猿石
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庭園のようでもあり儀式の場のようでもあり(亀形石槽)
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檜隈の中心地、中尾山古墳へ。自転車で徒歩でめぐる飛鳥路のなつかしい感じはどこから来るのだろう(高松塚古墳の近傍にて)
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さ桧の隈 桧隈川の 瀬を早み 君が手取らば 言寄せむかも

(↑絵のように美しい場面ですね)

高松塚古墳の北にある中尾山古墳。宮内庁の定める文武天皇陵とは別に中尾山古墳が文武陵ではないかとの説が有力。いずれにしても親族が集まって埋葬されている事実に変わりはない
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田園を逍遥すると印象的な丘がある。なぜかなつかしささえ感じる(高松塚古墳の南方にある文武天皇陵=檜隈安古岡上陵)
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天武・持統天皇陵(檜隈大内陵)
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春過ぎて夏来るらし白妙の衣乾したり天の香具山




万葉集がいいのは表現がまっすぐな歌、おおらかなうたが多いこと。
永井路子さんいわく
「そこかしこにも、みずみずしい愛の息吹きがあり、率直すぎるほど率直な欲望の告白があった」。
目のやり場にもこまる感じと記されている。
確かに「新肌触れし児ろしかなしも」などといわれるとそうだろう。
(この直截な言い方とその裏にある得意気な顔と逢えない時間がやりきれない切なさが入り交じった感情を現代の日本語で書き表すことは難しい。例え言葉で言い得てもその感情を追体験する場面がないから)

この時代は耐え忍ぶ恋が美徳だなんて思っていない。
縄文の時代にピカソのような表現があったように(わびさびとは程遠い)
ほんの少し前の日本には夜這いと若い衆組による仲裁などがあったという。
万葉集には日本人の愛のかたち、原形があるとも結論づけている。

多摩川にさらす手作りさらさらに 何そこの児のここだかなしき


音楽のような余韻を残す言葉の存在感も今日の日本語からは消えている。

会っている間が夫婦であり結婚であったという古代の結婚観も図々しくも新鮮。
魅力がなくなれば関係は消滅する。
だからこそ逢瀬にかける。

君が行く道の長路を繰り畳ね焼き亡ぼさむ天の火もがも

これは激しい。
旅に出る恋人が通る道を焼き尽くすという女の情念。

吾を待つと君が濡れけむ足引の山のしづくにならましものを


二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君が独り越ゆらむ

大津皇子をめぐる女たちのつややかな返歌や姉の弟を想う絶唱。


この著作が生まれたのは1972年。
高度経済成長、カップヌードル、インスタントな恋愛という風潮のなかで
万葉を通して愛の原形を見つめている。
その文体は口語体でラジオのDJのようでありながら
ふと立ち止まる瞬間に古の薫風が当時の香りをまとって
いまの時代に吹いてくる。
アカデミックとは無縁の万葉集の読み解きだが、
万葉集のなかでも恋の歌を集めて永井ワールドを全開に魅力を語っている。
いまの二十代の人が見ても共感できるのではないだろうか。

(目次)
プロローグ 日本人の愛の原型
1 片恋
2 ひと目見し人
3 ひめごと
4 悦びを謳う
5 待つ
6 別れてある時も
7 夫と妻
8 人妻ゆえに
9 悲しき恋の物語
10 万葉の恋愛美学

残念ながらこの名著も廃刊となっているかもしれないが、中古では手に入る。


https://amzn.to/2OFrbz2
(Kindleででも復刻してもらえないかな)

手持ちの1995年光文社名著愛蔵版の初版1刷と2004年同文庫本の初版1刷
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タグ:万葉集
posted by 平井 吉信 at 00:14| Comment(0) | 生きる

2019年02月11日

食べることで身体を癒していく 


このところ仕事が立て込んでいたうえ
風邪の人との面談が相次いだ。
疲労もあったのだろう、しばらくして風邪を引いた。

連休中は寝たり起きたり。
その合間に仕事をしている。
今朝は寒く感じて室温をみれば8〜9度。
エアコンがないので冬の室内は10度〜12度ぐらいだが
慣れてしまってキーボードを打つ手もなめらかに動く。
高気密高断熱の家屋で全体暖房が理想だろうが
うちはそうもいかない。エアコンを付けないのはきかないから。

鼻水が止まらなくて風邪+アレルギー性鼻炎のような症状。
日曜でもやっていて漢方薬を処方してくれる医院が近所にあったので行ってみた。
けれど忙しいのか流れ作業で診察は瞬時に終了(忙しいのはわかるけど…)。
体温すら計らず自己申告だった。家庭の体温計は信用できるのだろうか。

結果はアレルギーの対症療法の薬を処方された(ザイザル錠、モンテルカスト錠)。
(患者一人ひとりに適切な処方はあるというのに。かかりつけ医ならおそらく葛根湯加川キュウ辛夷を処方するだろうけど、ここは初診)
実際に主訴は解消したけれど(それはそれで仕事に出るので無意味とは言わないが)
体調(現在の体質)を改善しなければ意味がない。

熱っぽさがなく平熱だが芯から冷たい感じがする。
(平熱は36度台後半であるが、計ってみるとそれより低い)
この時点でインフルエンザは却下できる。

ということで自己診断は麻黄附子細辛湯の処方。
(似たような位置づけでは小青竜湯があるけれどこちらを選んだ)
なかなか薬局には売っていないが近所の店頭で探し出した。
https://shop.cosmospc.co.jp/products/detail.php?product_id=680
(インターネットでも少ない)

急性鼻炎のようなアレルギー症状が治まる今夜ぐらいから
葛根湯加川キュウ辛夷か辛夷清肺湯(手に入りやすい商品名ではチクナイン)に切り替えていく。
https://www.kobayashi.co.jp/brand/chikunain/prejudice.html

それ以上に食事が大切。
身体をあたためるスープは20分もあればつくれる。
ニンジン、赤タマネギ、生姜、エノキに酒、塩を入れて
食べるときに醤油、コショウを少し落とす(好みに応じて)。
冷凍餃子を解凍したものを入れていて
そこからも旨味が出てくる。
あっさりとしているので中華風スープとしていくらでも食べられる。
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五分搗き米に自作の梅干しは
噛めば噛むほど身体の内部にまで広がっていくようで。
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相変わらず葛湯またはゆこうの絞り果汁の湯割は続けている。
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(ゆこうには優れた抗酸化作用、腸内健康を整える働きがある。それは他の香酸柑橘よりも優れていることがわかっている。ありがたいことにまだ青果が手に入る。しかも無農薬)
風邪を引くと身体はケーキのような甘みを欲しがらない。
葛湯にメープルシロップ、ゆこうの果汁をかけたらちょうどいいおやつにもなる。

風邪薬だけに頼らないで免疫力を高めるには口からの摂取が助けになる。

追記
堺屋太一さんが亡くなられた。
大阪万博は少年の憧れであり
特に太陽の塔にはわけもなく惹かれた。
(芸術は理屈を越えているんだよね)
https://taiyounotou-expo70.jp/

晩年の岡本太郎さんにお会いし
サインをいただく機会があって
そのことをご本人にも告げた。
太郎さんは万博を調和だとはまったく考えておらず
それを告発するために屋根を突き破ってそびえ立っているのだと。
(枠内に収まる建築家とそれを打ち破る革命家)
かっこいいではないか。
posted by 平井 吉信 at 12:00| Comment(0) | 生きる

2019年01月05日

問題提起 スーパーやSCの車止めは危険

この正月に高齢の母が車止めにつまづいて頭からコンクリートの道路に転倒した。
歯を損傷、打撲、頭蓋骨骨折の疑いがあるので急いで正月の当番医を探して向かった。
徳島市歯科医師会休日救急等診療所である。
https://www.tda.or.jp/index.php/shittoko/holiday

対応いただいたドクターは徳島大学の方のようで
1時間近くにわたって
ていねいかつ真摯に処置をいただき事なきを得た。
技術といい患者への視線といいすばらしいご対応をいただいた。

ところでこの車止め、ぼくも何度かつまづいたことがある。
身近な人間に聞いてみると、あるという答えが少なくない。

これは誰のどんな場面で役に立っているのだろう。
バックで駐車する際に後ろの車に当てないため?
しかし車によってオーバハングは違うし停止位置も違う。
ミニバンなどでは大きなバックドアを開けるのに
予想以上に場所を取る。
車止めはあくまで目安に過ぎない。

高齢者がアクセルとブレーキを踏み間違うような場面では車止めは無力。
車止めに当てて停める習慣がある人は愛車のシャシやサスペンション、タイヤを傷めている。
近年の車はバックギアに入れるとソナーによる警告や
ナビを介して映像が見られることも多い。
車止めが誰のどんな場面で役に立っているのか不明だ。
(車をぶつけて駐車する人から施設が訴えられないような抗弁か。しかし歩行者からも同様に車止めによるケガを訴訟される怖れもあるというのに)

高齢化社会が進むなか、見かけだけのバリアフリーをうたっていても
実際に障がいを持つ人や高齢者などが危ないと感じるところは多いのではないか。
机上の設計ではなく実際に該当する方達に模擬をしていただいて検証しないと
魂の入った施設にはならない。

健常者であっても急いでいるとき、足元が見えにくい時刻や気象条件のとき
鳴り出した携帯を取り出そうと一瞬注意が殺がれたときなど
ごく日常で車止めが凶器となる場面は潜んでいる。
歩く人の不注意で済ませることはできないように思う。
なぜならそれは「設置しない」ことで防げる。
歩行者がつまづくという予見できる事故を放置して設置しているから。
(福島原発と同じ)

商業床は購買力に対して過剰でSC同士の過当競争が始まっている。
車止めのあるスーパーは「ヒトにやさしい」を放棄しているように見える。
事故が起こったのはマルナカ南小松島店である。
同店に限らず県内のスーパー、SCには設置しているところが多い。
家人は車止めのないスーパー以外はもう行かないと言っているし
ぼくも連れていかない。
(近所でいえばキョーエイ小松島店には車止めがない)

SCの巨大化とともに
駐車する車の動線と歩行者の動線の交錯が日常茶飯事となっている。
車社会を否定するものではなく、
車と人が広大な駐車場で共存できるしくみを考案できたら
実用新案などを取得することなく幅広く公開、広まって欲しい。
まだまだ社会には当たり前のように見えて改善を要する課題がたくさんある。

タグ:2019
posted by 平井 吉信 at 12:18| Comment(3) | 生きる

2019年01月03日

生きていますか


おだやかな2019年の正月ですが、
分刻みまで動いていてゆったりとはしていません。
神への斉祀り、仏への回向も滞りなく
正月の凛とした朝の空気に祝詞と読経が空気を震わせます。
働いている人も、ゆっくりと休まれている人にも
おごそかな元日の良き日を祈ります。
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おだやかな生き方は
自分でつくっていくものでしょう。
でも、嵐のような生き方や波瀾万丈も人生、
どれが良いかはわかりませんが
我慢をするのも耐えるのも
それは生きるという点で
胸を張って生きていけば良いのではと考えます。

東から昇った太陽を受けて
庭に咲いている野菊を見ていると
時間が過ぎていきます。
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良き人生、残したい社会をつくろうとする心の動きが
正月を寿ぐことではないかと思います。
(だから年賀状は出すことなく、いただいた方にも返信いたしません)
目に見えることも大切だし目に見えないことも大切。
まずは、正月の光を受ける野菊を心で観じて
ご多幸を祈る気持ちとともにお届けします。
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2019年1月
タグ:2019
posted by 平井 吉信 at 11:20| Comment(0) | 生きる

2018年10月27日

安田純平さん 帰国!


使命感を持って動く人がいなければ
誰も知らない、伝わらない。
だからそれを報せる活動は尊い。

消費税率の引き上げでどれだけ不要の費用が発生するか?
(緩和措置による予算発動で相殺されるうえに内需がさらに低迷して税収が大幅に落ち込む)
そのうえに軽減税率でどれだけ多くの人を困らせるか。
(しくみを複雑にするコストは誰が負担するか? 現場でのトラブルはどう対応するのか)
ごく簡単なひとこと(施策と呼べない)で
この国に生産性を損なうマジック。
21世紀を通じて後の教科書に刻まれるだろう愚策。

どの国もそうだろうが
一握りの有志が命を削って行動するなか
ありえないことを堂々と政治や行政がやってしまう。

安田さんの無事は
東京五輪の開催より価値があると思う。
よかった。
タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 09:59| Comment(0) | 生きる

2018年10月16日

冷え冷えとした宇宙空間に浮かぶ それは藍染めの贈り物


石井孝明さま ← 平井吉信

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こんばんは、出張から戻りました。
お届け物(お預かりもの)を拝見しました。

藍染めはその移ろいゆくはかなさとそれゆえの強さの両面があるよね。
そして前者の表現が藍を使っての花鳥風月の表現だよね。
ところが、これは花鳥風月を飛び越えて無機的な宇宙空間に出てしまった。
(それまでは月や星を描いてもそれは地上人の視点だった)
でも、宇宙に出てもやはり手仕事の温もりがこの無機質な空間に
エーテルのような物質感を与えているね。

ぼくは技法はわからないけど
片方から恒星系からの光を受けた連星もしくは惑星と衛星(月)が
冷え冷えとした空間に浮かんでいる。
この冴え冴えとした藍の色は花鳥風月を映していた存在とは思えない。
しかも宇宙空間には揺らぎがある。
銀河のような表現と藍のぞっとする冷たい深み、色の深沈とした沈み込み…。
南部陽一郎が言っていた「自発的対称性の破れ」の結果だね。

手元に置いておいて返したくないぐらい。
宇宙を題材にしながらも見つめているのは人のこころ。
サー・エイドリアン・ボールトの指揮する「惑星」の滋味(5回目のロンドン響との録音)。
言い換えれば、星も生き物も素粒子の組み合わせだけど共鳴するものがあるんだろう。
「いい作品」とひとことで片づけたくない深みがあるよ。

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それは帰宅した玄関に置かれていたもの。
一目で藍染め職人(作家)の石井孝明君からとわかった。
見たままの心の動きをさっそくメールで送ったところ。

見せてくれていると思っていたら、彼からの贈り物という。
生きていく力が湧いてくるよ。


追記

彼(石井孝明)に作品を依頼したい人は
ぼく(平井吉信)に相談してくれたらつないでみる。
(売り物じゃないから、って言われるかもしれないけど)
でも、最近は篠原ともえとも協働しているから。
https://lineblog.me/shinoharatomoe/archives/67146721.html
posted by 平井 吉信 at 22:17| Comment(0) | 生きる

2018年09月09日

西日本洪水 防災から減災―総合治水へ

川のフォーラムを開いたのは1994年のこと。
ジャーナリストの筑紫哲也さん、本田勝さん、
俳優の近藤正臣さんらをお招きして
800人ほどを集めたイベントだった。

そのときのパネリストの一人が新潟大学教授の大熊孝先生。
確かご先祖のお墓が香川におありになるとかで墓参りを兼ねてお越しいただいたと記憶している。
大熊先生は川の本質をたった数行で看破されている。
「川とは、地球における物質循環の重要な担い手であるとともに、人間にとって身近な自然で、恵みと災害という矛盾の中に、ゆっくりと時間をかけて、地域文化を育んできた存在である」。

この言葉のなかに武田信玄、黒田如水、野中兼山の時代から育まれてきた考え方があり、
22世紀を見据えて私たちがよりどころとする技術思想が含まれている。


.。'.*.'☆、。・*:'★    .。.・'☆、。・*:'★
  .。'*・☆、。・*:'★     .。・*:'☆
 ☆、。 ・*'★ .。 ・':....*.:'☆        .。・:'*・':'・★


今回の洪水を受けて地元新聞にもっと治水対策に予算をという趣旨の投書があった。
結論からいうと、お金をかければ解決する問題ではない。
(むしろ被害を増大させる怖れがある)
投書された方はムダな金を政府が使っているのに
ほんとうに必要なところにかけようとの憤慨からだろうと推察する。

肱川が氾濫した大洲ではダムを管理している事務所の説明で
「ダムを撤去せよ」の発言に拍手が起こったと聞いている。

ダムは矛盾だらけである。
・水を溜めなければ利水にならないが、貯めると洪水調整が難しくなる(多目的ダムの場合)。
・ダムがなければ上流から流れ込む水量がそのまま下流へ流れていくが、ダムの放流操作によって上流からの流入以上の水を下流へ流すことがある。つまりダムが洪水を引き起こす恐れ(今回の大洲がそうであったのでは? ただし現場の責任を問うのは別の問題)。
・仮に治水機能があったとしても堆砂によりダムは年々寿命に近づく。ダムが砂で埋まればもはやダムとしての機能は果たさず生態系の墓場が遺されるだけ。
・経済合理性からも一定期間のB/C(費用対効果)ではその設置が是とされる場合はほとんどない。

ダムができればちょっとした洪水(被害が出ない程度)を調節できるので
河原に水がかぶらなくなり草が生える。
このことは一見自然が豊かになったように見えるが実が逆で
河原という生態系が破壊されている。
また草や木は流れの阻害要因となって洪水時には水位を上げる要因となる。

近代の治水は、川を連続堤防で仕切って(あるいはかさ上げして)
川をまっすぐにして
上流に降った雨を一刻も早く海へ流そうとするもの。
温暖化に伴うゲリラ豪雨の危険が増大するなかで
水のピークを高める治水が仇となって
一気に水が出るので越流、破堤しやすくなり
その際のリスクを高めることにつながっている。
わかりやすくいえば、治水を行うほど生命の危険が増しているということ。

さらに物質の循環(山のミネラルや土砂)を遮断することで
生態系が元に戻すことのできない被害を受ける。
(漁獲高が減少するというのは目に見えるごく一部の事件に過ぎない)
腹立たしいのは誰も責任を取らないし
それを回復させる手段(選択肢)がほとんどないことだ。

山の治水力を高めることを基本に
(山の保水力は洪水に無関係との一部の学者の見解もあるが、各地の山林家はそうではないという)
あふれても被害が少なくて済むよう、
水を遊ばせる(意図的にあふれさせる)場所を設定するなどして
洪水が起きても致命的な被害が起こらないようにする総合治水の考え方が提唱されているが
現場までは浸透しているとは言いがたい。

さらに、郊外の宅地化で氾濫原だった場所を
従来のように遊水地として機能させることが難しくなった。
その一方で人口が減少しているので空き家が増えている。
治水は現在も複雑な要素(都市計画や市町村マスタープラン、私有財産や住む権利など)が絡み合う。
しかし総合治水により減災というソフトを高めていくしか方策はない。

追記

参考書として2018年に良書が刊行された。
「河川工学者三代は川をどのように見てきたのか」(篠原修著)

市民の目線に立つ科学者としての大熊孝先生の河川観が導かれるまでの
河川工学に取り組んだ学者(実践者)の人間像を探りつつ土木史の流れを抽出。
そして河川工学から川と人の関係性を見据える未来への問題提起で締めくくられている。
大熊先生とは親しい内山節さんの推薦文が帯に掲載されている。
「川のあり方からこれからの社会を考える絶好のテキスト」

大熊先生の人なつっこい笑顔で宴の場での愉しげな時間が思い出させる。
その一方で厳しい場面に自ら名乗りを挙げて
学問と実践から導いた根拠で一歩も引くことはない。
その根底にあるのは大熊河川観といいたい哲学的な思想。
川を治めるのは為政者ではなく住民の自治によるもの。
(大熊先生がいらっしゃらなければ、この国はどうなっていくだろうと思う一人)

もう一度、大熊孝さんの言葉で締めくくる。
「川とは、地球における物質循環の重要な担い手であるとともに、人にとって身近な自然で、恵みと災害という矛盾のなかに、ゆっくりと時間をかけて、地域文化を育んできた存在である」
計画による百年の計が重要である。
(建設省、国土交通省の関係者のなかにも勇気を持って総合治水、流域治水に言及、実践された方がいらっしゃる)

川が洪水であふれることを前提に
人々の生活設計(少なくとも生命は守る)、地域づくりを行うべき。
行政担当者の理解と熱意を前提に住民ももっと勉強して
線状降水帯多発時代の川の考え方(生き方)を考えてみよう。


タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 13:18| Comment(0) | 生きる

2018年09月02日

再訪 とりの巣カフェ 森のカフェは冨美さんと地域の夢を乗せて3年目


池田I.Cを降りて約半時間、カフェに辿り着いた。
見上げると、急傾斜の山あいを天に向かって連なる民家がある。
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向かいの山々は秋が来ると色づく広葉樹の森。
その山裾を縫うように川が流れ、その川がくるりと向きを変えて流れる。
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とりの巣カフェの対岸の森(動画)
https://youtu.be/zdxDWvP6k4g

野鳥の声は絶えることなく―。
そんな場所に木の香りが漂うカフェがある。

徳島・高松方面から池田町を通り吉野川を南下する国道32号線は
吉野川が四国山地の隆起を削るように流れる先行谷という地形。
ラフティングの世界選手権が開かれなかったとしても
ここは日本を代表する渓谷であることは間違いない。
土讃線の特急「南風」に乗車すると列車内のアナウンスがこう告げる。
「左手に見えます川は四国三郎の名で知られる吉野川です。長い年月をかけて水の浸食によってつくられた…(略)土讃線でもっとも景色が美しいところといわれています。小歩危峡を過ぎて鉄橋を渡りますと右手に大歩危峡が見えてきます。トンネルがございますがしばらくご覧ください」
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なかでも高台から見る小歩危峡が美しい。
ところが先の西日本豪雨で山城町(大歩危小歩危がある地区)も大きな影響を受けた。
数年前に訪問したとりの巣カフェでも
カフェに向かう主要道が数週間寸断されていたそうだ。
久しぶりに訪問してオーナーの大久保冨美さんにお話を伺うことにした。
(以下、冨美さん。地元の人は「冨美ちゃん」と呼ぶ)

冨美さんにはずっと温めてきた夢があった。
それは、四国のまんなかの場所に拠点をつくること。
自分が生まれたときから身体に刻み込まれていたもの。
「私にとって、すごい場所。それを来て感じてもらえたら」という。
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カフェに腰を据えると、
大きく空いた窓から伊予川の渓谷と対岸の山が見える。
カフェから自由に出入りできるテラスには野鳥がよくやってくる。
外へ出れば眼下にU字型に蛇行しつつ川が流れる屈曲点の上に立つ。
目を閉じれば森のそよぎがきこえるようで山気が迫ってくる。
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この地に溶け込んでいるのが
地元の木材をふんだんに使った建物。
テーブルには山から切りだした太い木が使われている。
年月を刻んだどっしりとしたたたずまい。
ここに置いたら機械は使えないので
10人以上で抱えて移動するしかないだろう。
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天井を見てもためいきが漏れる。
地元の木がカフェの建物となってこれから先もここに存在していく。
人々の営みを呼吸するように。
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夫の事業が建設業で実家が林業家であることもカフェ成立の要因となっている。
(私は林業はできないけれどと前置きして)
木に囲まれた空間は林業家として父が一代で築いた資産を活かしている。
自分なりに地元の木のすばらしさを伝えたかったから。

森と渓谷、風のそよぎや鳥のさえずり…、
ここの魅力が伝わるには拠点(目的)が必要。
食事ができてゆったりできる場所を描いて
たどりついたのがカフェ。

やりたいと思いながらいつかはやろう、と誰でも思う。
でも、いつかはない―。
冨美さんは50歳で市役所を辞めて挑戦を始めた。
父に材を揃えてもらいながら2年をかけて準備。
その過程で地元のたくさんの方々にも関わっていただいた。
こうして2016年5月31日に待望の「とりの巣カフェ」が誕生。
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オープン時の様子が分かる動画を公開されている
https://www.youtube.com/watch?time_continue=79&v=QR0VRo0FoMU

冨美さんには娘さんがいらっしゃる。
調理の学校を出て自然にここを手伝うようになった。
店のコンセプトを料理でどう再現するかは直前まで試行錯誤を重ねたという。
きっかけは近所のおじさんのひとこと。
「あやかちゃん、カフェができたらパスタが食べたい」って。
ふっと天からの啓示が降りてきたみたいに和風パスタが完成、
オープンの2週間前だったという。
当初考えていたのは田舎料理。
地元の素材を使うことは大切だが
そこにおしゃれ感覚がなければ人は来ないと気付いた。

そして迎えたオープンの日、
百人を越えるお客様が押し寄せて
7人の女性で編成された臨時の厨房チームはてんてこまい。
注文した料理がなかなかやって来ない…。
そうするうちに近所の人が赤飯を持ってきてくれて
ご来店のみなさまに振る舞われた。
(地元が一体となって盛り上げているんですね)

開業前には「こんなところまで来てくれるだろうか」
と不安に押しつぶされそうでした。
いまでは「自分が愉しみながら、ここでいることの目的を伝えていきたい。そんな3年目です」。
独自の工夫を凝らした「とりの巣和風パスタ」はその後人気メニューとなっている。
これからは厨房を担当するあやかさんの思いがこのカフェを成長させていくことになる。
「こんな場所にこんな店がある」。
来た人にそう思ってもらえたらいい。
冨美さんもあやかさんもそんな思いで未来を見つめている。
(メニューのいくつかはあとで紹介)

.。'.*.'☆、。・*:'★    .。.・'☆、。・*:'★
  .。'*・☆、。・*:'★     .。・*:'☆
 ☆、。 ・*'★ .。 ・':....*.:'☆        .。・:'*・':'・★

冨美さんは新たな構想を実行しようとされている。
「調和とやすらぎのユートピアという言葉が浮かびました。ここを学びの場と定義したのです。けれど、当の本人が”何を学ぶのだろう”と考え続けていました」。
と前置きして
「カフェの下に宿泊施設を整備中です(できれば露天風呂も)。四国の真ん中の場所に”訪れの”拠点をつくるイメージで」。
とりの巣カフェにどんな人が集まり、地域の未来をどのように描いていくかが楽しみです。

冨美さん、お時間をいただきましてありがとうございます。
人生を愉しみながら夢を実現させているとりの巣カフェで
時間を忘れて風に吹かれてみるのもいいとご紹介しました。


とりの巣カフェひとくちメモ

公式ウェブサイトから「とりの巣カフェとは」 
http://torinosucafe.com/introduction
(初恋の相手、隣の家の真ちゃんと結婚しました…。そして人生の3番目の夢にかける冨美さんの思いが綴られています)

冨美さんにお話しを伺ったメニュー紹介(一部)

そば米トマトリゾット
夏こそトマトを使ったリゾットはいかがですか?
酸味とコクが食欲をそそります。
ここでは郷土料理のそば米と合わせてみました。
(健康志向を意識していませんが、そばにはさまざまな機能性が報告されています)
そして、軽やかな食感のお麩を添えました。
(この麩は素材にこだわった手焼きで娘の嫁ぎ先の奈良県から送ってもらっています)
オリーブオイルと塩の風味でガーリックトースト風。
この食感、味わってみませんか。
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とりの巣和風パスタ
パスタも食べたいけど、うどんも食べたい方におすすめ。
かつおと昆布で出汁をていねいにとってありますので
スープのように飲んでいただけます。
地元の「星降る高原」で採れた肉厚のしいたけは
ステーキにしても美味しいもの。
ベーコンを炒めて仕上げに温泉卵をトッピングして鳥の巣をイメージ。
開店当初から一番人気のメニューです。

阿波シカドライカレー
タマネギ、ニンジン、ゴボウ、レンコン、シイタケ、生姜、ニンニク…。
根菜をオリーブオイルで炒めてトマトを煮込み、
地元で採れた新鮮な鹿肉と19種類のスパイスを調合して
この風味に仕上げました。
「日本のジビエを味わうグルメな旅と極上の店」(双葉社)で紹介されました。

アクセスメモ
ナビでガイドすると新宮I.Cからを案内される場合がありますが、
山道に不慣れな方は池田I.Cで降りることをおすすめします。
そこから半時間ぐらい。
国道32号線から分かれて10分ぐらいでカフェに到着します。
その道も狭くなく快適に通れます。
愛媛・高知方面からで山道に慣れた方は新宮I.Cでもいいでしょう。
降りてすぐの霧の森菓子工房で「霧の森大福」を買うこともできます。

冨美さんのひそかな愉しみ
この窓から向かいの山越しに満月が昇るそうです。
そこでテラスに出て、鳥の羽のかたちのスピーカーを外に持ち出して
「ムーンリバー」をかけてうっとりしています。
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「葉音」と名付けられたこのスピーカー、お店で販売先を紹介してもらえます。
振動を木でできた羽根から発音する無指向性のスピーカーです。
雰囲気が掴めるよう動画にしてみました。
https://youtu.be/7LfdFYpTa20

音楽家が集まる
とりの巣カフェに村上 “ポンタ” 秀一さんが来てくださったとか。
冨美さんは最初ポンタさんのことを知らなかったそうですが
日本を代表するプロのセッションドラマー、スタジオミュージシャンです。
音楽の企画する人が当店のWebサイトを見て連絡を取られました。
ふんだんに木を使っていてやさしく艶やかな響きがあって
屋根と床が並行でないのでフラッターエコーが発生せず
空気が澄んでいて6等星が見えて
川を見下ろす高台の上にあって…。
2018年10月13日にはポンタさんが再来されます。
ポンタさんは生の音楽を聴かせてあげたいと全国を回っているそうで
カフェでの再開が楽しみです。
これまでにハープのコンサートをはじめ音楽家の方々が口コミで
ミニコンサートを開きたいと来訪されているようです。

往年の名機 ビクターSX−3
ドイツの針葉樹をすき込んだクルトミュラー社の25センチウーファーと
シルクのソフトドームトゥイーターの白木の2ウェイスピーカーは
ビクターが1970年代に売り出したベストセラーのスピーカー。
とりの巣カフェの毎日の音楽はこのスピーカーが奏でている。
(↓個人的な追想)
初めてのデートで入った喫茶店で
SX-3が艶やかな音が流れていたのを憧れを持って聴いていた。
オトナになってその系譜のSX-V1を購入。
(マホガニー無垢のキャビネットに13センチのクルトミュラーのウーファとソフトドームをアレンジしたもの)
その後、いま使っているクリプトンのKX-1も17センチ口径のクルトミュラーコーンを使用。
人生の最初でつながったものはその後も縁があるもの。
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posted by 平井 吉信 at 18:17| Comment(0) | 生きる

2018年08月17日

再訪 ビルトンフラワーデザイン 夢を現実へと生きている 


久しぶりに訪れたナガヤ。
ここは徳島市沖浜の表通りから入った住宅地の一角。
小さなお店などが集まっている。
http://nagayaproject.com/

久しぶりにBiltonFlowerDesignのビルトン育代さんを尋ねてみた。
店内兼作業場はところ狭しと
誰かの部屋、どこかの場所で人々の目に触れられるのを待っている花たち。
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小さな店をひらいてそこから世界を見ている。
自分で見つけた生き方を自分なりに生ききってみる。
彼女のビジネスは2018年から動き出した。

https://www.biltonflowerdesign.com/
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posted by 平井 吉信 at 23:38| Comment(0) | 生きる

効率主義の社会でこぼれる夢を拾っていきたい―。よろず修理屋、夫婦ではじめました


「音の鳴らなくなったCDラジオプレーヤーを持って来られたお客様がありました」。
その人は、ぼくに静かに語り掛けます。

ことの顛末はこうです。
ここは開業したばかりのよろず修理を行う作業所です。
まだ世間に知られていないし
経営者が器用な人ではなさそうで、それほど繁盛しているように見えません。

ある日、店の電話が鳴りました。
「すみません、古いCDラジオがあるのですが、そちらで修理していただけますか?」
声の主は40歳前後の女性でしょうか。
当店のことを口コミで知った方かもしれません。
「どこへ行っても修理してもらえないんです」と
消え入るような声の調子。
一度見せていただけたら直る可能性があるかどうかがわかります、と店主。
声の主はさらに続けます。
「この子をもう一度鳴らしたいのです」。

(ここからは店主を主語に一人称で)
しばらくしてお店にいらっしゃった女性が持ってきたのは
ソニーが通販専用ブランドでつくっていた商品のようです。
私はさっそく見てみました。

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調べてみるとピックアップ(CD信号の読み取りを行うレンズとその駆動装置)が寿命のよう。
古い機種なので交換部品もすでにありません。
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しかしこの時点で諦めることはありません。
メーカーに部品はなくなっていても
どこかで細々と同じ仕様のものが作られていたり
秋葉原の部品店で在庫があったりするものです。
そこでインターネット検索をするうち
ピックアップの製造元と品番らしきものが判明。

消耗部品のコンデンサーもチェックをしましたが、
(たいがいはコンデンサーの液漏れなど寿命を迎えていることが多いのです)
意外なことに電気的な劣化は見られません。

部品を取り寄せてさっそく組み込んで見ます。
すんなりと音が出ました。
しかし修理完了ではありません。
長い間通電していなかった機械は動作が不安定で
しばらく鳴らしながら様子を見る必要があります。

数日鳴らしているうち、
修理直後は不安定だった読みこみが落ち着いてきて
音飛びしていた箇所で飛ばなくなりました。
もともとのこの機種の特性でしょうか、
ピックアップの感度が高すぎるのも原因かもしれません。
動作を見ていて私は気付きました。
CDを押さえながら回転させるストッパーの滑りにくさも一因ではないかと。
そこで潤滑剤のシリコンを回転部に施してみました。

こうして一週間ほど鳴らすうち再生音が安定しました。
私は修理完了の電話を入れ、
「できればご自身が聞きこんだCDを持ってきてください」とお伝えしました。

しばらくしてご夫婦で引き取りに見えられました。
沈黙していたCDラジオからなめらかに音楽が流れたときの
おふたりの表情は忘れられないものでした。
「まさかこれが直るとは!」
同行のご主人も驚いていました。
奥様はその様子を見て満足そうでした。
ご夫婦は礼を言って帰られました。

それから一週間して電話を入れてみました。
当店では修理後に動作を確認するため
一度だけお電話を入れています。
電話に出られた奥様のお声は弾んでいました。
私たち夫婦もその様子を聞いてうれしくなりました。
(一人称はここまで。ここからは平井が代わります)

ぼくの想像ですが
あのCDプレーヤーはご夫婦にとって大切なものだったのでしょう。
若い頃、ふたりで耳を傾けた音楽を奏でていたのかもしれません。
社会の片隅で大切にしている時間と物語があり、
それを紡ぐ人がいるのです。
なんでも修理する仕事、よろず修理屋。
でもご主人は照れながらぽつりと言いました。
「これでは飯は食えない」(笑)。

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照れ屋のご主人とそれを支える奥様が
今年の春に創業したよろず修理屋のお店を紹介しました。
(サングラスをして強面風ですが、実はやさしく誠実なご主人です)
(修理中の写真は福島ご夫妻の提供)

よろずや修理屋 ADLiB:https://www.facebook.com/yorozuyaadlib/
電送専門サービス ADLiB:https://adlibz.jimdo.com/
ADLiB Hiroko :https://www.facebook.com/adlib.hiroko/?ref=py_c
所在地:徳島市南沖洲1-1-15
福島照男・宏子 
posted by 平井 吉信 at 23:23| Comment(4) | 生きる

2018年08月09日

沖縄のこころ

自分たちのことは自分たちで決めたい。
それが「住む」ことの原点だろう。
それに寄り添うのが政治や行政。

2000年に住民投票に辿り着いた徳島はそのことを率先して実践してきた土地である。
自分で決めることとは自分に都合の良いルールを一方的に押し出す(地域エゴ)ことにはならないと信じている。人間に生来備わっている利他の精神が働くはずだから。

沖縄は国防上重要な拠点であり琉球王朝の頃から東アジアの交流拠点。
翁長知事のご逝去によって基地問題への関心が高まっている。
どのような外交理念があるかその実現のための外交方針、戦略への落とし込みがあり
沖縄の米軍基地をどうするかはその後の論点と思う。
基地が経済活動(利権)と結びつくのであれば
それに変わる持続的な経済活動に取り組めば良い。
不可逆的な生態系改変と事故の絶えない安全面での不安、
基地依存の経済ゆえの脆弱性、依存性を考えれば
基地は地元にとってリスク要因ではないのだろうか。

東アジアの近隣諸国との良好な関係と環太平洋の友好関係のあるべき姿を考えれば
国防戦略の方針を見つめることが先ではないか。
地元の人が決めたことを、国はその意思決定を尊重して支えていく。
それが地域の連なりからなる地域主権の連携体、日本という姿でありたい。

きょうは長崎原爆の日でもある。
核廃絶に背を向ける政府は戦争による唯一の被爆国という皮肉。
なぜ、世界をリードしていこうとしないのか?
今年も田上市長の長崎平和宣言がうたわれた。http://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3020000/3020300/p031606_d/fil/japanese.pdf

権力を持つ者を選ぶのは国民である。
まず国民が意識を持ってどんな未来にしたいかを描きできることから行動することだろう。
翁長知事をはじめ、歴代の知事が温めてきた「沖縄のこころ」に未来の日本の進む道があるように思う。https://ryukyushimpo.jp/news/entry-744820.htmlDSFT6274.jpg

8.11追記
沖縄の将来像として日本から独立して独自の三権(ゆいまーる憲法とでも名付けてみては?)を持つことができればすばらしい。
東アジア、東南アジアのハブ機能として
イスラム圏を含めてどの国とも友好関係を持ちアジアにおけるスイスのような役割を果たす。
そこには世界的にも希有な海、風土、食を求めて人々が集まる。
このような永世中立の姿勢には米軍基地は似つかわしくない。
本土に移転するか廃止するかである。
日本も外交政策の転換を求められるだろう。
独立後の沖縄は日本と連邦国家として日常的にはこれまでとなんら変わることはない。
日本にとっても沖縄を介して非公式な打診を行ったり実験的な試みが可能となるなど利点は大きい。
基地の広大な跡地が活性化の種地となる。
一部は自然に復元しつつそのプロジェクトそのものが見学(ツーリズム)の対象にもなる。
世界でもっとも進んだ自治を日本と連携して進めていく沖縄の姿をぜひ見たい。
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posted by 平井 吉信 at 23:49| Comment(0) | 生きる

2018年07月10日

シャボン玉飛んだ

平成30年7月豪雨で被災された方々、お見舞い申し上げます。
数週間前に仕事で訪問した宇和島、伊予吉田、大洲など南予でも甚大な被害。
よく使っている高知道の立川SA近隣では高速道路が崩落。

四国はこれまで台風銀座で大雨には慣れているはずだった。
しかし同じ場所に長時間の雨が続くこのパターンでは
これまでの常識が通用しなかった。

これも温暖化による異常気象ではないかと考えている。
地震活動の活発化とともに日本列島は災害頻発期に突入した。
生きていく一日が貴重。
日々できることをやりきるしかない。

ぼくの胸にシャボン玉の歌がこだまする。

シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた

シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた

風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ

(グレッグ・アーウィン&雨宮知子の歌唱で聴いてみて)

無邪気に飛び跳ねる楽想、
モーツァルトにも匹敵する底抜けの旋律。
その背後に横たわる深淵。
まだ哀しみは過去になろうとしない。
いまは明るくふるまうしかない。
そして涙をたたえて微笑む。
それでも未来はやってくる。
どんな色にするか、決めるときではないにしても。
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posted by 平井 吉信 at 23:17| Comment(0) | 生きる

2018年06月08日

一瞬に過ぎていく だからいまかいまかと待つ ときを止められる魔法はないけれど


それが一瞬のうちに過ぎていく景色だけれど
心待ちにする場所がある。
名勝地でなく、風景が暮らしに溶け込んでいる一場面。

高徳線にもあれば、予讃線にもある。
土讃線にもあれば、予土線、土佐くろしお鉄道、
徳島線にもあれば、牟岐線、牟岐線阿佐海岸鉄道にもある。

これはどこかわかりますか?
(わかる人はわかるでしょう)
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とここまで書いて、
しまった、高速バスの車内からだったと思い出した。
(質問撤回)

トンネルを抜けて降りてくると見える。
いつもわくわくしながらその瞬間を待つ。
(ぼくの場合、そこに水の表情を追いかけていると気付いた)
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音楽も料理もそう。
駆け抜けていくあの一瞬を逃すまいと
もう来るかいま来るかを神経を研ぎ澄ませて
時空顕微鏡で拡大(スロー再生)しようとしても
一瞬で過ぎていく。
追いかけても、もうそこにはない。
人が生きる本質的な歓びや切なさ、哀しみがあるような気がする。

生きる達人がいるとすれば
そのことを感じているから。
人を喜ばせることがうれしい、
ほんの些細なことにも喜べる自分がいるから。



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posted by 平井 吉信 at 23:09| Comment(0) | 生きる

2018年05月27日

憲法を考える


ダム建設で意見が平行線をたどるとき
「人のいのちか、鳥のいのちか?」のスローガンが掲げられることがあった。
人命を守るための施設をつくろうとしているのに
自然保護団体が反対している。それは反社会的な行為だとでもいわんばかり。

長い間、地域で息づいてきた風土や人間の関係性に着目すると
人のいのちも鳥のいのちも守る方策があって
持続的な未来への道筋を確保することができる。
だから、先の議論は論点ずらしに過ぎない。

ダムが破壊するのは生態系だけでなく地域共同体そのものであるから、
人が生きていく拠り所を失ってしまう。
すると地域は崩壊するしかない。
(補償金で家を建ててもそこには幼なじみはいない。むしろ都市に出て行くきっかけとなるだけ)
ダムができてかえって危険になったと川を知る那賀川流域の古老は語る。
(ダムの上流側は土砂の堆積による河床の上昇による洪水の怖れ、下流は多目的ダムの運用から起こりがちな流量操作が引き起こす人為的な洪水)
それも定量的なデータという根拠を添えて。
地域社会、生態系のみならず
費用対効果と維持管理費用の経済合理性からも
ダム建設は分が悪い。

徳島には良い見本がある。というか生きた文化資産だ。
吉野川の第十堰はそのときどきに人が関わりながら
3百年近くに渡って存在した石積みの堰で
分水の役割を果たしつつ生態系に溶け込んでいる。

洪水を防ぐ効果があると訴求しても
広告の宣伝効果と同じで因果関係の説明が難しい。
その効果を発現させる他の方法、すなわち代替案の検討が行われるが、
環境影響評価や影響緩和策を含めて評価してもダム建設はあり得ない。
人口減少時代に社会インフラの維持管理が大きな問題となるし、
ダムの寿命が来たときにどうするかに答えが見出せない。

(ダムの問題ではないが、徳島では天神丸など剣山系の名峰に大規模な風力発電が企画されているという。これに対し知事は是としない知見。再生可能エネルギーとて大規模集約で行う限り費用対効果や経済合理性、買電に係る国民費用負担の増大などの問題がある。視点を変えて分散型、すなわち各家庭など電気を使うところで発電、蓄電して賄うのが理に叶っているように思われる。知事の判断は慧眼である)

何を解決したいのか、
そのための最適解は何かを説明できなければ論点ではないのだ。


政権はときにメディアを恫喝し
都合の悪い人物に圧力をかけて沈黙させ左遷させ見せしめて
政権に都合の良いように動けといわんばかり。
忖度させる状況を作り出せば為政者は楽だ。
関係者の会社が次々と国の仕事を受託したり補助金を受けたり
その一方で戦略のない思いつきのような法律を次々と成立させてきた。
(恥ずべき為政の先には国民大多数の弱体化でしかない)
そのような独善的な政権が存続しているのは
国民の無関心(無理解)も一因だけれど
政権の暴走を止める手段(憲法や法律)が機能していないからではないか。

近隣諸国をみれば日本の潜在的危機は高まっている。
専守防衛の国に向けて(上空を通過とはいえ)ミサイルを飛ばされる。
これでは先制攻撃を仕掛けられても防ぐ手立てはない。
(迎撃ミサイルで打ち落とせるなどと防衛省も本気で考えていないだろう)
何らかの異常を察知した段階で
行動の選択肢が可能でなければこの国は護れない。

日本国憲法は9条があるために
周辺国との摩擦を軽減しつつ
戦後の経済発展に注力することができた。
その功績は大きい。
戦争をしないというのは崇高な理念であり
受け継ぐべき目には見えない大切な資産である。
しかし現憲法はほころびが目立つようになっている。
例えば、生態系の保全について。

その問題を考える前に、無関係に見える人類の進化を辿ってみる。
とにかくホモ・サピエンス(現生人類)は特異な存在である。
赤道から両極の近くまで、島嶼から数千メートルの高地まで分布して
人口は70億人を越えている。
生態系を人為的に変えたり対応できる唯一の存在。
意図するかどうかにかかわらず、ホモ・サピエンスがいるところ、
他の生物が劣勢に立たされ、絶滅してしまう。

日本でここ数十年を振り返ってもニホンカワウソやトキがそうであった。
一度絶滅した種は二度と現れることはない。
植物や菌とて同じ。熱帯雨林の破壊でどれだけ貴重な遺伝子資源を失ったか。
(それらは難病の治療薬の原料となった可能性があるのだ)

生態系の破壊が他の生物のみならず
人類自身の生存を脅かす事態となっている。
急激に人口を増加させ、進化の道筋を乗り越える適応能力を持った人類は
地球の生態系の門番とならなければならない。
(すべての権利の最上概念が生態系の保全ではないかとさえ思うのだ)

ところが現憲法では、生態系の保全はまったくうたわれていない。
未来に承継すべき遺伝子資源という概念もない。
だから生態系の位置づけを憲法で明確にうたう必要がある。


改憲論者のなかには現状が憲法と合わないから
現状に合わせて憲法を改正するという考えもある。
しかしそれは違うだろう。
めざす国の方向性がまずあるべきで
そこから憲法改正の議論が始まるのではないか。
(何度も言うが、憲法改正ありき、反対ありきではなく、イデオロギーや政党を離れて中立に議論をする必要がある)

では、めざすべき方向とは?
ぼくは、アジアのスイスとなるべきだと思う。
独自の文化を持ち、歴史と文化を大切にし
洗練された国民とその風土に憧れる国々は少なくない。
内需を満たしつつ、何か特別な思いや世界観が伝わって
ブランディングにつながる。
そのことが生産性の高い国家の経済ではないだろうか。
賃金を上げる企業に補助金を打つやり方ではなく
賃金が上がるメカニズムを考えて国が誘導していくのが政策だろう。
(瞬間風速で達成するKPIを訴求しても自立的持続的なメカニズムは根付かない)

外交によってEU、中東、アフリカ、オセアニア、東アジアとも
等距離外交、いわゆる中立国としてやっていければいい。
とりわけ中国との関係性の構築にはそれが前提となるような気がある。
近隣諸国とは文化や経済で域内の一体感を醸成することで
平和を担保し海外展開を有利に進めていくことができる。

自衛隊の担うさまざまな機能のなかで、
災害対応は大きな役割となると思われる。
しかしそれでも防衛のための軍隊は必要ではないか。
害を及ぼす国へは先制攻撃も可能とする軍隊の存在が抑止力ともなり得る。
(ここ数ヶ月の近隣諸国の動きを見ていると危機感を持って生きていかなければと思える)

その場合は第9条の改正や追記などではなく(整合性が破たんするだろう)
理想国家へと向かう道筋を照らしてくれる新憲法が必要である
(現憲法をリセットして無から描く必要があるのではないか)。

中立国として必要最小限の軍備を明記するからには
政権や軍部の暴走を食い止める記述が不可欠。
(近隣諸国との関係改善のためにも)
すなわち、国家とはいったい誰のために存在するのか。
言い換えれば、国民の幸福とは何か。
国民の幸福に資する理念を深く掘り下げていく。
その一点からのみ憲法を考えることができれば
意義のある成果にたどり着けるのではないか。

タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 23:15| Comment(0) | 生きる

2018年05月14日

おいしさの向こうに見えたホモ・サピエンスの辿り着いたそれぞれの記憶 決して一人ではないことを幸福として噛みしめる 

料理人なら誰でも知っている。
徳島は日本有数の食材の宝庫であることを。

清流度では高知県と並んで日本1,2を争う。
そこから流れる川が山のミネラルを流域の土地に、
海に伝える。

海はというと、
鳴門海峡で狭められた水域と瀬戸内海、
吉野川、那賀川などの大河が吐き出す土砂やミネラルを貯えた紀伊水道、
そして海洋深層水の接近する室戸岬に近い県南部の黒潮洗う海。
肥沃な土、さらさらとした海岸性の砂地、水はけの良い山岳地帯、中山間地域の棚田…。

京阪神に近い立地と相まって多種多様な農産物や魚介が採れる。
京都にも近いから、京都から料理人が流れてくる。
産地に近いから手頃な価格で手に入る。
だから、食材をそのまま食べる愉しみがある。

例えば、トマトやイチゴ。
せっかくおいしい食材を食べずに
わざわざスイーツを取り寄せることもあるだろうけど、
おいしいときは、そのまま食べるのがおいしい。

ミニトマト(羽ノ浦町産、250円)
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イチゴ(勝浦町産、350円)
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トマト(徳島市国府町産、322円)
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同じ日に別々の場所で購入したものだけど、
口に入れてみたときの驚き。
脳の細胞が沸き立って消えていく。
その通り過ぎていく至福を言葉で表すことはできない。
それは人類数十万年の旅を噛みしめているのだ。

700万年前、チンパンジーの祖先と分かれ
直立二足歩行と夫婦単位で暮らし(アルディピテクス・ラミドゥス)、
集団で自らを守り栄え(アウストラロピテクス)
火や道具を使いながら末永く繁栄して極東まで歩みを進め(ホモ・エレクトゥス)、
中東で出会った芸術家のような同胞(ホモ・ネアンデルターレンシス)の遺伝子を受けつぎ
今日に至る遺伝子を受けつぐ一人(ホモ・サピエンス)の脳内に届けられた
数え切れない時間と思いの果てにあるもの。

食べることは生きる本能に基づく行為でありながら
(一日のかなりの時間をかけて草や根を歯ですりつぶして食べていたアルディピテクスやアウストラロピテクスにとってはそういうことだろう。それよりもっと後に火が使えて肉を家族や集団で分け合って食べた世代はどんな意味を見出していたのだろう)
食べることにそれ以上の価値を見出すのは人類ならでは。
それが味わいであったり、食を通じて関係性を確認したり、
その関係性が増していくことに歓びを感じたり、
食を通じて背後にある思想やかたちないものに思いをはせたり…。

それを奇跡と呼ぶのか感謝と呼ぶのか、
説明ができないから幸福感としておこう。
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2018年04月10日

ネアンデルタール人への思いはいまも


強い者が生き残ると考えている人は多いだろう。
ところが進化については必ずしもそうとは言えない。
むしろ強すぎると生き残るのに不利になるような気がする。
(以下は生物学的な考察ではなく感覚的な感想に過ぎないのだけれど)

我が世の春を謳歌した恐竜は
6,500万年前の隕石衝突がきっかけとなって
一瞬のうちに絶滅したとされる。
(地球がその時々に全生命体に与える究極の試練、全球凍結や灼熱地獄などを経験した生命はその度に劇的な進化を遂げた。試練は機会となることを胸に刻んでおくとつらいことがあってもむしろ励みになるはず)

そんななかで生き残ったのは
強者の陰に隠れて細々と生きていた哺乳類の祖先だった。

強すぎるとどんな弊害があるのか?
環境に適応して勢力を伸ばす(増やす)ことになる。
これは間違いないだろう。

ところが環境の変化が起こり
生態系の変化が起こる。
生態系は連鎖しているので
頂点に立つ種への影響は計り知れない。

企業経営にも当てはまる。
あまりに我が世の春を謳歌している企業は
ビジネスの革新は自分の首を絞めることになりかねない。
(つまり収益の要となっている自社の主力事業を自社の新規事業が浸食していく)

ビジネスモデルの革新は
潜在的な需要を喚起するとともに
それまでの支配(競争)のルールを書き換えてしまう。
強みの源泉となっていたことが変化への障壁となって
ビジネスが成立する世界観が崩れてしまう。
強者の企業が強みを磨きつつも
多角化や複合化に走るのは革新への怖れからだ。

人類の場合、ぼくにとって謎であったことは
ネアンデルタールと現代人(ホモ・サピエンス)との関係である。

古い教科書には、ネアンデルタール人は現代人につながる旧人と記されていたが
いまでは紛れもない現代人として「ホモ」の冠称を付けて
「ホモ・ネアンデルターレンシス」ともいう。

ネアンデルタール人は、体格に優れ、脳の容積も
当時のクロマニョン人と比べても大きかった。
色白で褐色の髪をしていたとされ
スーツを着ていまの東京を歩いていても
誰も振り返ることはないだろう。

それなのに絶滅してしまった。
もっとも近い種族として
同じ地球上で試練や豊かさを分かち合った親しい仲間として
ネアンデルタール人への哀愁と感謝を込めて
ぼくは生きている(おおげさではなくそう思っている)。

おさらいだが
ネアンデルタール人は異なる人類である。
白人と黒人は随分見かけが違うので別の種類の人類のように見えるが
同じホモ・サピエンスである。
(70億人がほとんど同じDNAを持つということは、ホモ・サピエンスが小さな集団から再出発したことを意味している)
ところが、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは
遺伝子の配列が異なる。
もしかして見た目の違いは
同じホモ・サピエンスの白人と黒人の差が
異なるヒト属である現世ヨーロッパ人(ホモ・サピエンス)と
ネアンデルタール人のそれよりも大きいかもしれない。

ネアンデルタール人はホモ・サピエンスとの生存競争に敗れたともいえる。
それはなぜか?
数年前のぼくは、言語能力の差があったこと。
世代交代につれて生存を左右する知恵の蓄積と
それを共有する能力の優劣につながったという説を信じていた。
(わずかな骨格の差から発音の明瞭さが異なるのではないかとの推測による)

もしネアンデルタール人がいまも生きていたなら
大相撲の横綱はすべてモンゴル人ではなく
ネアンデルタール人になっていたかもしれず
脳の容積は知性に比例するのであれば
ノーベル賞の受賞率はホモ・サピエンスより高かったのではないか。

当然、異なる人類同士なので争いは起こったはず。
(同じ人類同士でも争いはあったはずなので)
その際に1対1での戦闘は体力で勝る彼らが上だっただろう。

しかしここでも強者は生存につながらなかった。
約3万年前(諸説あるが)に絶滅してしまった。
ぼくにはネアンデルタール人が文化や芸術の素養を持ち
むしろ争いを避けたのではないかと思えて仕方がない。

ネアンデルタール人は魅力的であったのではないか。
それは科学的な検証を得て復元されたネアンデルタール人の顔から想像する。
ぼくがクロマニョン人だったなら
ネアンデルタール人の女性に惹かれていたような気がする。
ネアンデルタール人のなかにも
ホモ・サピエンスの異性に惹かれる場面があったのではないか。

そう思っていたら
数年前に衝撃的な本が出版された。
ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は混血していた、
現代人のなかにネアンデルタール人のDNAが生きているというのだ。

混血で獲得したDNAは特定の病気に罹りやすいデメリットをもたらしたが
それ以上に利点ももたらした。
異なる種族で受けつがれた遺伝子がもたらす多様性が
種の保存に有利に働いたのではないか。

ぼくが言いたいのは
現代に生きるホモ・サピエンスの画一的な生き方に危うさを感じるということ。
(みんなが同じものを良いと思って同一性を極限まで推し進めていく生き方)
言い換えれば、絶滅に向けて束の間の繁栄を謳歌しているようにも見える。

諸行無常、万物流転などの仏教の考え方や
生物多様性の価値や意義という生態系の視点に立てば
一人ひとりどのように生きていくかを自分で考えて
忖度とかSNSへの依存などではなく
自分のモノサシで生きていくことが何より必要なのではないか。

感情の動きをかたちにした非言語的な表現(芸術)をネアンデルタール人は持っていた。
一方で言語を道具に知識や知恵を体系化して承継していったホモ・サピエンス。
ホモ・サピエンスの社会で生きていくという現実を見据えながらも
ネアンデルタール人のような生き方や思いに共感しながら生きていきたい。

NHKで全3回シリーズで始まったNHKスペシャル「人類誕生」。
http://www.nhk.or.jp/special/jinrui/
今回はCGでの動きに最新かつ細心の技術や感性を取り入れている。
アルディピテクス・ラミダス猿人の動きは出色であった。
次回(5/13)は「そしてヒトが生き残った」。
(いよいよネアンデルタール人が登場する。ホモ・サピエンスとの関係はどのように描かれるか楽しみ)

およそ20万年前に生まれたホモ・サピエンスは、アフリカを旅立ち中東へと足を踏み入れた。そこで待っていたのは、別種の人類ネアンデルタール人との出会い。彼らとの混血で獲得した遺伝子が、私たちの進化に大きく貢献したことが分かってきた。
しかし、出会いからわずか1万年ほどでネアンデルタール人は絶滅。なぜ私たちの祖先だけが生き残ったのか? カギを握っていたのは、ホモ・サピエンスの「弱さ」とそれを補うために進化させた「協力」だった。(番組紹介文から)


ライバルと比べて圧倒的に不利な状況や乏しい経営資源だったからこそ
大きな飛翔ができた。
それを企業経営やプロジェクトで描いたのが
プロジェクトXであった。
弱いからこそ、道を模索する。
そこに人類の繁栄につながる大切な行動があったとしたら
現代の人類の生き方はその方向から逸れている。
ネアンデルタール人がかつての友朋に警鐘を鳴らしているように思えてならない。

人類の起源と進化については
年々新たな事実が書き加え(書き換え)られているのだ。
https://amzn.to/2HpiPYC

タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 20:18| Comment(0) | 生きる

2018年02月20日

台所のプリンス 1/2回転キッチンループで


空港でのできごと。
「サインしてください」
「一緒に写真を撮ってもいいですか?」
女性がぼくのところをめがけて押し寄せてきた。
「あの、ぼくはユヅルではないのですが…」
(ファンが怒りそうな悪い冗談を。でも、少し目の悪い方が後ろ姿をみて勘違いする人は100人に1人ぐらいはあるかもしれない。所作の真似はできるから→ ナイナイとの影の声)

目が覚めた。
なかなか心地よい夢だった。

実は台所ではぼくもプリンス(と言ってしまおう)。
前振りはこちらの記事から。

短時間で料理をつくるとき
台所を駆け抜けている。
(水場と冷蔵庫と電子レンジとガスコンロと乾物置き場が少し離れているため)。
火をかけたまま、追加の調味料を取りに行く。
そういえばシイタケが残っていた、このタイミングなら使える!
などとダッシュしてはターン。
その際にブレーキをかけながら右手で欲しいものを掴むと
その勢いで反転する
(1/2回転。前身のエネルギーをわずかなきっかけで、むしろその力を利用するように反転させる)。
(いや、ほんとうに日常です)

その姿は氷上の彼に似ていなくもない(と思い込んでいる)。

みなさんの一日もそう。
日常にはひそやかな愉しみが隠れている、と言いたかっただけ。
(突っ込み処満載だけど、納得しどころも少しはわかってもらえた?)


有言実行というのは実は大切なこと

言葉にすることでイメージを描くことはもちろんだが、
自分の本能に火を付ける。
高まった集中力をくまなく使い切るための準備を行うことができる。
それはドーピングすることなく
アドレナリンを分泌させるとともに
視界からすべてを消し去ること。

ライバルが予想以上に飛んだ、早かった、高得点を出した。
ならば、いつもより踏みきりを強めに…などど考えると失敗する。
人間は考えながら行うことはぎこちない。
(えーと、これができたから、次はと、これをして…)
これが失敗の要因。

ところが無意識でやるとどうなるだろう。
脳は集中してやるべきことを行うことができる。
それどころか、脳優位の身体の制御を
身体全体の制御に切り替える、もしくは連携の強化ができるのではないか。
当然、脳だけの制御よりもはるかに高速かつ正確で疲労が少ないのではないか。

そのとき脳内では神経細胞は新たな可能性を求めてつなぎ替えを模索する。
そこに人間の可能性がひらく。
だから、無心とか無欲というよりは、
無意識というのがメンタルの本質を表しているように思う。

数年をかけてスクワットやマシーンで鍛え上げたポパイのような筋肉が
本番でどのように動いてくれるのか。
緊張して我を忘れてしまえば、簡単に負けてしまうだろう。
制御できなければ鍛えたことがかえってブレーキになってしまう。
そのことをよくわかっているアスリートは筋トレは慎重に行うだろう。
骨、筋肉、神経が一体となって意のままに
いや、無意識に動いてくれると良い結果になる。
イチローはルーティンの効果(無意識の動き)と
正しい身体の使い方を実践しているよね。

メンタルを鍛えるというのは
考えずにやることで集中力を引き出すということ。
そこにはライバルはいない。
敵は己自身の心だけ。
そこには戦略はない(不要)。
(勝つために難度の高い技を封印して完成度の高い技の総合点で競うようにする、というのは戦略だけど、試合に臨む姿勢は戦略よりもっと根源的なものが大切)

ものごとを表面的に見ることなく
何のために、どのようなを見ていくと
本質が見えてくる。

→ 近道のようで近道じゃない(KPI達成重視)
→ 遠廻りのようで遠廻りでない(成功のためのプロセスを描く)

いまの時代、本質は既存の問題解決の外にあることが多いとしたら
その枠をはずす(意識しない)ことから始めるしかない。
日本が飛翔するために、一人ひとりが意識すべきこと。
タグ:2018
posted by 平井 吉信 at 01:15| Comment(0) | 生きる

2018年02月10日

子どもを大切にする国 特急のなかのほのぼのとしたできごと。南太平洋の子どもたちを思い出した


それは心なごむ光景だった。
特急うずしおの車内に
志度駅だったか
幼稚園(保育所?)の子どもたちが4人の先生の引率で
集団で乗り込んできた。

相席になる人に先生(保育士?)たちが
ひとこと断って子どもを座らせていった。
(どうぞ、どうぞ♪)
子どもたちもどうにか着席できたようだ。

そのなかのひとりの先生(20代半ばかな?)が
一人ひとりの子どもにほほえみを浮かべながら
やさしい所作と澄んだ声で呼びかけて
デジカメで写真を撮ってあげていた。
特急の車内が教会のような厳かな空気さえ感じた。
(スマートフォンでなくデジカメでしかもシャッター音を消して自然光で撮られていた)

その姿が天使のように見えて
仕事といえでも使命感を持って
(だからこそ)楽しんでやっている姿にほのぼのと。

心のなかで、その調子で♪
良い人生になりますようにと願った。

(川端康成の「バッタと鈴虫」に出てくる少女をもちらりと思い出した)

.。'.*.'☆、。・*:'★    .。.・'☆、。・*:'★
  .。'*・☆、。・*:'★     .。・*:'☆
 ☆、。 ・*'★ .。 ・':....*.:'☆        .。・:'*・':'・★

…ときは南太平洋ポリネシアにいた頃のこと。
滞在したボラボラ島(自炊していた)のオテマヌ集落の教会で
日曜の礼拝があり、10代半ばと思われる白いスカートの少女が
小さな子どもたちにマリアさまのようなおだやかな笑顔で接していた。
子どもを飽きさせないように留意しつつ読み書きを教えていたのだろう。
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この少女が天使のように見えた。
10代で諦念にも似たおだやかなほほえみをたたえて。
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(特急うずしおで出会った女性とも雰囲気が似ているので思い出した)

ヴァイタペ村にバスが着いた
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ターザンごっこ
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自転車買ってもらったんだね
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そんなにレンズに近づいても…。駆けっこ早くなったかな?
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愛くるしいムーシン・ダニエルちゃんももう大人になっているんだろうな
右は妹。よく面倒を見てあげていたね。
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乙女ですから
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鶴の折り方、覚えている?
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風がやんだ夕暮れ。ひとり旅っていいね
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観光地から離れた暮らしの匂いがいい
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無人島でのピクニックの記念に
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南太平洋高気圧 1020ミリバール?
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ラグーンのサメはおとなしい。泳いでいてよく囲まれた
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鳥の楽園への入口
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自転車で島を一周すると半日はかかった
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椰子の実を頭に当てると大変
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ボラボラ島の象徴、オテマヌ山
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環礁の外海はいきなり水深数百メートルに
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地球の休日を愉しんでいますか?
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マーロン・ブランドが所有するテティロア島にセスナをチャータして
そこから鳥の楽園に向かった
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ぼくがカメラを持っていると
洋の東西を問わず、日本の田舎を問わず
子どもが寄ってくる。
(警戒されない雰囲気を持っているのは強み? いや、子どもは瞬時に本質を見抜くのだろう)
そしたら一緒に遊ぶ。
折り紙はよく教えてあげたし
ペタンクに入れてもらったり、飛び込みをしたり。
同世代の人たちとはときに無人島に船でわたってピクニックにも行った。
岩に参加者全員の名前を書いているスナップがそのときのもの。
国は変わってもところは変わってもひとの心は同じなんだということを
身体で感じられたことがポリネシア滞在の収穫だった。
(年を取ってから何かをしよう、ではなくいまできるならいまやること。「若さの特権」は時間やお金で買えないよ)

どこも同じ。人は同じだよ。
そして夏は終わらない。永遠に終わらない。
楽園は、それを見ようとする心のなかにあるから。

(ミノルタX-700+MD28/2.8、35/1.8、50/1.4。いいなあ、この時代のカメラって。価格は安いのに完成された技術が凝縮している。このカメラは18年にわたって販売された。篠山紀信や三好和義も使っていたよね。ぼくが常用しているフジのデジカメではこの色は出ないのでなつかしくなる。こんなカメラ、いまの時代にある? ただしぼくが持っている2台のX-700は骨董ではなく完動の現役。ファインダーの優秀さは一眼レフ市場で最優秀。だからピントが合わせやすい。1/1000秒までに抑えたシャッターも安定感抜群で長年の使用に耐えるもの。ミノルタ最後のMF一眼レフとして産業遺産になってもおかしくないと思う。クラウドファンディングでミノルタブランドのデジカメってできないものかな?) 
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posted by 平井 吉信 at 13:10| Comment(0) | 生きる