ラジオでは六角精児さんとNHKの高山アナウンサーがBCLについて夢中に喋っているではないか。お二方とも海外放送をラジオで受信してベリカードを集めていたという。それが実に楽しそうで、ああ、それもあったね、そうだったよな、で話が尽きない。そのうちリスナーから、専門的すぎて何の話かわからん、一般人にわかる話をしてくれと投稿が来た。まあ、そんなつまらんことおっしゃらずに。
小さなラジオに届いたのは、地球を半周回ってきた電波。耳慣れない言語や異国の音楽が聞こえてくるその不思議さ。 電波は途切れ途切れになったり、震えるように強弱を付けたり、雑音にかき消されそうになったり、いつの間にか周波数がずれていったり、強い放送局の電波にかき消されそうになったりと聞き続けるのは大変。それなのに夢中になって聴いていた、胸が震えた。
ぼくには憧れのラジオがあった。それはナショナルのクーガ115という白いラジオ。口径16cmのスピーカーを備えて音質も良かったが、デザインの美しさは日本の歴代のラジオでこれ以上のものを知らない。パナソニックから再発売の企画は考えられないかな。テクニクスは再開したのだからパナソニックのラジオもやってみたらきっと売れるよ。デザインが同じならポリバリコンでなくDSP方式でもいい。開発費(金型)がかかるならクラウドファンディングでも。AM放送の停波が2028年と3年後で短波放送にも力を入れる国は少なくなったという逆風はあるけれど、そうじゃない。ラジオを操作して放送局を探して聴きたいのだ。
AM停波後はFMのみとなるが、電波の届く範囲が限られるFM放送では、徳島県内で受信できている毎日放送や朝日放送は受信できなくなる(ラジオの性能と場所によっては受信可能)。インターネットやラジオアプリで聞き逃し配信で国内外の放送が聴けるとあってはラジオの存在意義が薄れつつある。
そうはいっても、ラジオの良さは作業(運転)しながら聴けることにある。また、出演者にとっては、ライトやマイクがずらりと並び、スタッフが控えるテレビ出演とは違って、小さな部屋で少人数の出演形態は普段着のままで話がしやすいという。テレビと違ってラジオの番組では話し手の本音が現れやすい。ラジオ(音声)とは紙媒体やインターネットにはない優れたメディアである。
子どもの頃の話を少し。学校の帰りに近所の電気屋の店頭でため息を漏らしながら白のクーガを眺めるのが日課だった(ことは想像に難くないよね)。そしてついにラジオを買ってくれるという親父の言葉を信じて待っていた。 ところが、親父が買ってきたのはパナソニックではなく、ビクターだった。
ビクターを音がいいとからこれにしろというのが親父の意見。でも聴きたいのは海外放送なので、それに対応した受信機能がある機種が欲しい。いや、極論をいえば、音が鳴っていなくても眺めるだけでも美しい、欲しいと思っていた。だから手に入らなかったクーガ115への憧れはいまもある。
そうはいっても買ってもらったビクターのラジオ、型番はF-240という。受信周波数は、FMが 76〜90MHz、中波が525khzから1605khz、短波は3.9MHz〜12MHzの合計3バンド。短波受信もできるが短波も聴けますよというおまけのような感じ。
具体的には、短波帯を選局しやすくするバンドスプレッドはなし、120メーターのトロピカルバンドや25メーターバンドから上の主に高緯度地域の放送も受信できない、微妙なダイアル操作ができるファインチューニング機構もなし、イメージの除去と選択度を高めるためのデュアルコンバージョン(ダブルスーパーヘテロダイン)もなければ外部アンテナ端子もなし。素子でいうと、1IC+ 1FET+13TR(当時は受信報告としてラジオの型番と使用素子を書くことが求められていた)で海外放送を聞きこむのに向いているとはいえない装備だった。
だったらラジオを使いこなして受信能力を高めていくしかない。このビクター、今のラジオからは想像できないことであるが、12cmの中低域ユニットー+5センチツイーター(拡声ホーン付)を備え、モノーラルであっても音はすこぶる良かった。さらに、高域低域の音質調整にジョイスティックのように可変する独特の機構やFMトランシーバー機能とマイクミキシング機能もあった。中波用のバーアンテナも18センチと長いため、中波の受信性能は悪くなかった。黒が多いラジオにあって、ウォームシルバーの外観と黒地に緑色の巻き取りフィルムによる周波数表示と凝ったつくり。当時の価格で17,900円なので、いまこれと同じ物ができたら5万円は下らないと思われる。
売れないとの理由でこのようなラジオをつくらなくなった日本の家電メーカーが凋落していったのはご承知のとおり。事業ポートフォリオ戦略などに惑わされて長期的な視点が欠落していたのだろう。
徳島市内には秋葉原のように無線の材料を置いている 店があって(ミヤコ電気だったか)、そこでビニールで被覆された銅線を買ってきて、屋上に張り巡らせて室内に引き込む外部アンテナをつくった。受信できる短波帯(3.9MHz〜12MHz)のうち、放送局の多い31メーターバンドに合せて、アンテナ長をその1/4波長で設置する。ビニール線はその直角方向の前後に利得があるので、遠距離をねらってヨーロッパとオセアニア方面へ向けた。こうしておくと、ラジオオーストラリアや韓国など南北方向も多少の利得があると考えた。ビクターには外部アンテナ端子がないので、ロッドアンテナに巻きつける簡易な方式である。インピータンスのマッチングなどは取れていないので利得は上がるが、同時に混信も増えるがやむを得ない。
そうは言っても、外部アンテナの威力は抜群であった。海外の放送局と言っても捉えやすい放送局からなかなか捕まらない放送局がある。しかも終日番組を放送しているのではない。例えば、日本時間の20時〜20時30分といった具合。その場合は20時ちょうどに放送が始まっても冒頭を聞き逃すので、放送が始まる数分前からインターバルシグナルと呼ばれる音声を流す。
ラジオオーストラリアでは、ワルチングマチルダのオルゴールでの旋律が流れた後、ワライカワセミの声が入り、英語のアナウンスが流れて日本語放送の開始を告げる。地球の裏側、エクアドルのキトから放送される「アンデスの声」HCJBでは「さくらさくら」がマリンバに乗って流れてくる。ドイチェヴェレでは、ベートベンの序曲フィデリアだったかな。これらは、フェージングという電波が揺れる現象を伴いながら、放送開始を待つ受信者の夢をかき立てた。
当時中学生だったぼくは、日本語放送だけでは飽きたらず英語の放送を聞くことに挑戦していた。 中学生と言っても地方に住む帰国子女でもない(中学に入って初めてアルファベットに接した)人間にはハードルが高いように思われるだろうが、幸いなことに入学した私立中学にはLL教室があり、一人ひとりが自分の机でヘッドフォンをして毎日ネイティブの会話をテープで繰り返し聴く授業があった。そのため、英語放送がおぼろげながら理解できた(日本人の先生がカタカナ英語で話している授業だけなら英語放送を聞くことは無理だっただろうと思われる)。番組の内容を聞き取ってその感想を英文で書いて受信報告を添えて現地の放送局に郵送する(宛先は放送のなかで確認する)。最初に送ったのはRADIO NEDERLANDで、いまもQSLカードが手元にある(11.745MHZ、GMT14時〜15時)。
受信報告書が添えられた手紙が放送局に届くと、書かれている内容を確認して、受信を証明するカード(ベリカード)が放送局から送られてくる。それを集める趣味をBCLと呼んだ。いま考えると、これは自国に対する良い印象を残す外交や観光戦略の一貫でもあったと思う。
受信報告の返信は放送局によって同梱物が異なっていた。ベリカードのほかに絵葉書やペナント、観光案内なども含まれていた。航空便で封書が届くと開封がわくわくしたのを覚えている。相手の放送局の負担軽減のため、IRC=国際返信切手券を同封するのがマナーである。
「アンデスの声」のベリカードやペナントも手元にある。近隣の強い電波の放送局といえば、北京放送とモスクワ放送。また、国内の中波の放送局も受信していた。中波短波とも昼間は遠方は聞こえず夜が中心となる。
個別の番組では印象に残っているのはラジオ韓国の「玄界灘に立つ虹」というリスナーのお便りでつくる番組である。当時の東アジアは、北京放送などもそうであるが、友好関係が濃厚に聞き取れる内容であったと思う。今の中国からは想像できないが、当時は日中の国交が回復して間もない頃だったので、そういう歓迎ムードが短波放送にも現れていた。
その反面、緊張状態が続いていた朝鮮半島では、ラジオ韓国KBSは北朝鮮を北韓と呼び、北朝鮮は、韓国を南朝鮮と呼んで双方がニュースの取り上げ方で非難するといった調子。いまもそれほど変わらないのがつらいところ。
宿題や勉強を済まして、夜のゴールデンタイムにラジオの前に座って指先を少しずつ動かして、目当ての放送局を探していく。そして、放送の内容にも親しんだことが今考えると楽しかったな。短波放送はどの国も縮小傾向にあり、ラジオで遠方の放送局を聞く楽しみがなくなっている。ラジオオーストラリアやBBCの日本語放送もかなり以前に日本語放送を終えている。
そもそもインターネットで海外情勢が動画、静止画、文章でわかるのに、 わざわざラジオの前で待ち受けて電波を解読することは、フィルムカメラで写真を撮るとか、レコードプレーヤーにレコードを載せて楽しむのにも似ている。
AM放送は2028年を目処に停波してFMワイドに移行するといわれている。さらに追い打ちをかけるように、世界を席巻した日本の家電メーカー(SONYのスカイセンサー、ナショナルのクーガなど)からBCLラジオは発売されていないのだ(トランジスタラジオの実用化で世界をリードしたあのソニーでさえも)。当時は、ほとんどの家電メーカー(東芝、サンヨー、日立、三菱、ビクターなど)でBCLラジオを作っていた。
現在入手できるBCLラジオは、ほとんどが中国製か台湾性で、高機能であるが、信頼性は高くない。かつての日本製BCLラジオは今もオークションで高値で取引されているが、クーガ115とかスカイセンサー5800といったラジオは今見ても美しい。
クーガでは118という黒に青い文字のフィルムダイヤルのラジオも好きだった。BCL界隈では値段が高い割には機能がBCL向きでないということで人気はなかったが、このラジオは真に贅沢な作りになっていた。後に機能を付加した改良型が出たが、先代の方が内部の作りは贅沢になっているはず。改良のなかにはコストダウンも含まれるから。
松下お得意のジャイロアンテナを装備して中波を聞く時に本体を回す必要はなく、当時の松下のBCLラジオのデザインは秀逸であった。ソニーもスカイセンサーのクリスタルマーカーを内蔵、さらには周波数直読も備えた。クーガも2200でほぼ完成系のラジオを出してきた。ともに周波数直読方式であるが、皮肉なことに今日の中国の中国製のBCLラジオも数千円でその機能がある。また、内部もPLLシンセサイザー、いまでは信号をデジタル処理するDSP方式といった受信方式を採用している。
ただし、通常のFM放送やAM放送を聞く際に、70年代、80年代のラジオと今の2025年のラジオどちらが優れているかについては、一概に言えないのではないか? むしろ当時のラジオの方が良質の部品を使い、操作系(例えばチューニングダイヤルにフライホイールを採用する、バックラッシュを抑えるなど)もはるかに優れていた。FMのフロンドエンドがコンポのFMチューナーのような構成の機種もあった。そして良い材質のスピーカーで聴けるので豊かさと明瞭度、聞きやすさはいまのラジオの比ではなかった。
夕食が終わって、31メーターバンドにダイヤルを上下させる。ワライカワセミやビッグベンが聞こえてくる。食後のひととき、自分の部屋で雑音の向こうに海外を感じる。あの頃に戻って、またラジオを操作しながら海外の放送局を聞いてみたいなと思いつつも、なかなかそんな時間が取れない。
手元にあるBCLラジオは、ソニーのBCLラジオの完成系とも言える ICF-2001Dである。BCL全盛期を過ぎてから買ったもので大切に使っている。ACアダプターが断線しているが、どなたかお持ちでないだろうか?(型番AC-D3M)

ICF-2001Dは、1985年に発売されたSONYの短波ラジオの金字塔というべき商品。デュアルコンバージョン+PLLシンセサイザーによる安定かつ正確な選局に加えて混変調に強い同期検波回路を備え、周波数直読で数値入力とアナログダイヤルによる選局が可能だった。エアバンドも受信可能で2025年の現在でもこれを越えるBCLラジオは見当たらないといわれるほどの完成形。おそらく各国の大使館などでも情報収集に使われていたのではないか。BCL全盛期に海外放送に強いラジオが買えなかったぼくが社会人になって入手したもの。当時から高価(69800円)なラジオだった。
(つづく)