2021年09月01日

雨上がりの赤松川河畔 里山も雨に息づき夕暮れを迎える


雨が降り続く7月中旬のこと。
那賀川支流の赤松川に足が向くのは谷間の小さな川と里山の風情を感じたいから。
降り続く雨を車内で握り飯を食べてやり過ごしている。
少し昼寝でもしようかと赤松川河畔の木陰で雨音を聴きながらうとうとしている。

すかした窓から空気が変わった気配がする。
雨は霧雨になり、河畔林が翳んで見える。
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外へ出て対岸の森から靄が薄れていく
雨に打たれたような感覚(実際に打たれているのではなく、動きが止まってしまう)。
しばらく霧雨に濡れていたが、クルマに戻って標準レンズの付いたカメラをさっと向ける。
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この撮影でもっとも好きな1枚となった。
(フジX-T30+XF35mmF1.4 R、PROVIA。緑のなかに無限の階調があるけれどこれを描き分けるのはフジだけかもと思う)

ヒメヒオウギズイセン 滴を宿している
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しっとりと空気をまとった棚田の湿度感こそ日本の夏
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里山を歩けば足が止まる
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(同じようなカットだけれど、フジとニコンの描写の違い。フジは相変わらず水彩画のようだ)

赤松川に下りていくと湿った崖に自生するウナヅキギボウシ
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(同様にフジとニコン。焦点距離が異なるが描写の特徴はわかる)

一瞬晴れ間が射して河畔の合歓が輝きをぼうと放つ
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コオニユリにちょこんと乗っかったアマガエル
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鴨の仲間
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影絵となったトンボ
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黒のなかに緑や青の差し色を持つトンボ
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赤とんぼが田んぼを群れる。電線と重なって音符のように見えなくもない
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(里山の生き物はニコンD7200+AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR)

雨が止んだ頃のみずみずしさも良いけれど
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夕暮れが迫る山間の畦で夕陽がこだまする
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タグ:昆虫 赤松川
posted by 平井 吉信 at 00:47| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年08月25日

吉野川に架かる虹


川幅1kmを優に超えるサバンナのような河原を背景に虹が架かった。
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タグ:
posted by 平井 吉信 at 00:40| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年08月19日

夕暮れ迫る鶴林寺 苔の庭と三重塔 地蔵尊の柔和なたたずまい


少し前にも夕暮れ迫る寺社で苔の庭に魅入られた。
意図していないが、夕暮れ迫る無人の境内は同じような場面となった。

自分で撮った写真に自分で見入ってしまうことがときおりあるけれど
今回はこの場面。
子どもに慕われた地蔵菩薩の座位が背景の森に融和している。地蔵尊のお顔はおだやかで柔和。
すでに暗くなっているが、地蔵様の額にもみじの葉が1枚貼り付いていることに気付いた。
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(フジX-T30+XF60mmF2.4 R Macro、F3.2 1/75 ▲2/3EV ISO3200)

世阿弥の風姿花伝で「幽玄」という言葉が出てくるが、幽玄が画から抜け出して漂う気がする。
撮影した写真は縮小したのみ。
今度は仏頭を部分拡大したものを掲載。
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この絵は他社のデジカメからは出てこないし、このレンズでのみ再現できる気がする。
60マクロはフジノンでもっとも解像度が高いと言われているが、むしろ輪郭の柔らかさと階調の良さを感じる。色の濁りを間引きつつ階調を調えてフジが描く色調に落とし込むフジの画像処理。

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三重塔は県の有形文化財
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名刹を観じつつ誰もいない境内をひたひたと戻っていく。
ヒグラシの大合唱に包まれると厭世観。
posted by 平井 吉信 at 01:41| Comment(0) | 山、川、海、山野草

モンキチョウとカタツムリ


大雨の日に河川敷の公園でモンキチョウを見た。
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それは別に不思議ではないけれど
1本の小さな木に咲く花を飛び回って1時間ばかり飽くことなく吸い続ける。
ぼくもレンズを向けてみるが、特に気にならないのか目の前すら横切って飛ぶ。
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レンズは標準レンズなのであまり接近できないが、これぐらいは写る。
羽根はやや傷んでいるようだけど個体の活性は高い。
雨上がりのひとときを貪欲に(きっとそれまで蜜にありつけなかったのだろう)。
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いつものようにアイコンタクトを確認。
昆虫が持つ好奇心が危険を避ける本能を上回る瞬間と呼んでいるが
カメラを持ったぼくを避けるそぶりはない。
けれども蜜を吸っている間、こちらを見ている。
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ぼくは人間の脳で虫認識、モンキチョウは昆虫の脳で人認識。
まだいたのか、と。
顔を見合わせてぼくは笑う。モンキチョウは管を休めることなく目はこちらを見る。


そこから2メートル離れた木にカタツムリ。
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後ろ姿をレンズが追っていく。
アリが胴体に上がろうとしていたのだが、違和感を覚えたのか去って行く。

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ニンゲンはデンデンムシよりも早く動けるから正面に回り込む。
すると2本のアンテナのような突起(目)を動かしてこちらを見る。
びっくりするじゃないか、と。
顔を見合わせてぼくは笑う。カタツムリは動きを止めることなくでこぼこの樹皮を這っていく。


タグ:昆虫
posted by 平井 吉信 at 00:01| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年08月10日

フランスのバルビゾン村を流れる小川と水車「風」


次の五輪がパリで開催されると聞いてちょっと行ってみた。
パリ郊外のバルビゾン。
ミレーの絵画を眺めながらしずしずと流れるフォーレの弦楽を聴きながらパンと葡萄酒の一日。
シューベルトの歌曲もいいかもしれない。あの「美しき水車小屋の娘」。
(テノールのボストリッジが歌って内田光子が伴奏を付けたCDで)
いやいや、騙されないで。フランスじゃないよ。

ここは家路の途中で立ち寄った近所の小川と風車。
もう秋の風を感じるね。
空が高くなってきたし風の匂いも違っている。
収穫が近くなった稲わらの気配が混ざっているんだろうね。
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夕暮れのひととき、小川は見る人の心を映してゆらゆらヤ行の音を立てる。
実りの秋を迎えたここは日本だった。

追記
ここらの田んぼで採れた特別栽培米を玄米のまま生産者からいただいて、自宅でその日の分だけ5分づきに精米して食べていた。
ところが生産者の方が80歳を超えて農作業が大変なようでいただくことを遠慮している。わざわざ1人の客のために次年度も作付をしなければならないとお考えにならないように。
いまはここからさらに上流の勝浦川の伏流水で自家用につくっている農家から直接分けていただいている。
米を生産者から直接帰るのは地方の良いところ。だって毎日それは恩恵があるのだから。
posted by 平井 吉信 at 23:30| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年08月09日

いまが逢魔時 苔の庭と不動尊 


蘚苔に包まれる温帯モンスーンの日本では寺社の庭が苔に彩られることがある。
「彩る」というよりは「苔むす」がしっくり来る。
動態ではなく静態、それも長い時間軸で育まれるもの。

この場所は山から落ちる沢筋が滝のように岩を伝っている場所にある。
樹齢の長い杉が太陽の光を程良く遮り程良く通す場所で
おそらくは地域住民の管理とも相まってこの状態を保っている。

過去から未来へと連綿と続く時間をうたっているように見える。
画面からヒグラシの声が聞こえるような。
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この門をくぐれば別の世界がある。誰も待っていない。ずっとそこにある。
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背の高い杉が狭小な場所にせせりたち、その隙間を通してあちらをちらりと見るという
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この隙間をすり抜けて不動尊に参るのだが、悪い心を持っていると隙間に挟まって通れなくなるという
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徐々に光を失っていく蘚苔の森で
繰り返される一日を重ねて千年、万年になるとしたら
過ぎゆく時間を惜しみつつ生まれる時間を待つ心地こそ
幸福の方程式かもしれないと教えてくれる。

(フジX-T30+XF14mmF2.8 R、XF35mmF1.4 R、フジX-T2+XF23mmF1.4 R、XF60mmF2.4 R Macro)

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posted by 平井 吉信 at 19:01| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年08月03日

印象派の画家が描く夕陽のような太陽


場所は那賀川、ときは夕刻。
太平洋高気圧が張り出して1週間程度は西の空に緊張感ある夕空が見られる。
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自宅から
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文化の森から
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那賀川町の国道55号線から
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フェニックスのような雲とその直前を飛ぶサギ
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意識して太陽が沈む前の西の空を見てみたら?

タグ:那賀川
posted by 平井 吉信 at 23:20| Comment(0) | 山、川、海、山野草

日和佐川 岩にしみいる水の音 


川に河畔林の影が覆う。そんな場所にいる。
太平洋高気圧の張り出しで雨が降らず水量が少ない。
川底の状態は良いほうではないにしても
川面を見ているだけで飽きない。
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同じ場所でも陽光が射すと陰るではこんなに違う。
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どちらも良いが、陰ったときの水の表情は風がないこともあって
明暗と淡々と深沈を混ぜたようなたたずまい。

ここで新たな調性が出てくる(音楽であれば)。
トンボが主役で水面が背景となるとき。
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深山幽谷にある不老長寿の泉を見つけたように
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これでおしまい。興味のある方は動画ででも。
動画で見てもつまらないけれど
静止画で伝えられない情報もあるので。
posted by 平井 吉信 at 23:11| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年07月24日

嵯峨天一神社から嵯峨峡へ(佐那河内村)


全国でもっとも遅い梅雨が明けた四国で涼を求める人もいらっしゃるだろう。
自宅から半時間程度の場所に嵯峨峡がある。
徳島市南部の八多町から峠を越えて園瀬川支流の嵯峨川が見えてくれば左折して川を上っていく。
春は河畔の桜が楽しめる。集落の中心部には薪ストーブの専門店などもある。

嵯峨地区の象徴は嵯峨天一神社。村の祭りや行事で中心的な役割を担う場所。
佐那河内村のWebサイトからの情報は以下のとおり。

天一神社の正門には、樹齢360年と思われる大杉があり、神社の荘厳さを呈しています。天一神社は、天照大神、月讀命(つきよみのみこと)・大白星神を祭神とし、平成時代の初期である弘仁3年(812)1月11日勧請の伝承があり、室町時代の終わり頃である永禄11年(1568)8月13日に再建したという棟札(むなふだ)を蔵しています。

https://www.vill.sanagochi.lg.jp/docs/2012120400149/

神社の鳥居に嵯峨天一神社とある。
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境内から外を見ると大木があり、その向こうにわずかな平地と里山の光景が広がっている
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神社の前を流れる嵯峨川。ここから少し上流は子どもの遊泳場所となっている
土門拳が室生寺に通った頃の室生川のような感じだろうか。
この日も複数の親子連れが水と戯れていた。上流に人家はほとんどないので気持ちがいいだろう。
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河畔にはカノコユリ(タキユリではなく自立型のカノコユリ)
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カナブンが花弁から出てきたところ
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神社を過ぎると道が細くなるので運転は慎重に
道が左へ大きく旋回して大川原高原をめざす場所でクルマを停めてさらに渓谷の歩道を歩く
どこにでもありそうな渓流だが、この場所の良さは来てみないとわからない
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木洩れ日が浅い川底に落ちて宮沢賢治の「やまなし」を思い出す
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葉のかたちが岩に映し出されていとおかし
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渓谷を吹く風はときにひんやりと。染みだした水で舗道が濡れている箇所もある。登山靴があれば好都合。
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奥入瀬のような景色をしばし愉しんでクルマに戻って椅子を出して昼寝をする。
(これらの用品も20年ぐらい使っている)
せみしぐれ、せせらぎ、木陰、渓谷を吹き下ろす風。
ときおり大川原高原をめざしてクルマが上がっていくが、嵯峨峡を散策する人はいない。
この日は利権にまみれた例の行事の開幕日だが、喧噪を離れて静かにまどろむ夏休みの一日。
posted by 平井 吉信 at 11:48| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年07月22日

棚田の魅力をさらに深く けれど棚田にはたくさんの「ありゃ」 

前頁からの続き)
それにしてもこの棚田とあぜ道の美しさ。
生活の営みとしての場であるけれど
人に見てもらうことを意識していないわけではないだろう。
(もちろん「人」には自分自身も含まれる)

海部郡内では、牟岐町古牟岐の南阿波サンラインからモラスコむぎへ降りる道中の谷沿いの棚田(くぼきの谷の棚田)
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日和佐寄りに太平洋と棚田が入る風景は三好和義的(実際にこの構図で撮られていた)。
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日和佐川流域ではこのブログにもしばし登場する山河内谷川との合流点付近(西山の棚田)
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赤松川流域は見事な棚田が広範囲に点在
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→ 詳しくは赤松川のタグから

ここの棚田はそれらと比べてもひけを取らないばかりか風情の点では優れている。


棚田との付き合いは長い。
1996年に全国的な学術会議(水郷水都全国会議・徳島大会)を企画した際に上勝町を訪れて棚田の百姓の谷崎勝祥さんから樫原の棚田について伺った。
(樫原の棚田は全国棚田百選のひとつ。ここが谷崎さんの活動拠点。百姓とは 棚田のマルチプレイヤーという肯定的な意味)

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そして県内で棚田の調査を精力的に行われていた第一人者の米田潤二さん。
(上勝棚田ウォークラリーで参加者を前に説明を行う米田さん)
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このお二人が棚田の師匠。
それに上勝町役場でごみゼロの普及啓発にまっしぐらに取り組まれた東ひとみさん。
その後、県庁で環境政策行政を担当されていた谷口右也さんらと勝浦川流域ネットワークというNGOを立ち上げて事務局として1999年からは棚田の学校の企画を行い、上勝町市宇地区の方々と運営を行った。

(ビオトープについて学ぶためにドイツ副総領事にお越しいただいたシンポジウムの打ち上げにて。左端は谷崎さん、右の中学生はパネリストの一人を勤め上げた東輝実さん(ひとみさんの娘さん)。未来を見据えた目線の確かさはお母さん譲り。
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この取り組みは地元の人でも用がなければ行かないどんづまりの集落を舞台に
棚田での暮らしの営みを都市部からの来訪者と地元の人が交流して体感する企画(体験ではないのは準備から後片付けまですべて参加者で行うため。地元の人にとっては再発見、再創造の場となる)。

道具のなかに江戸時代のものがあり、現役で使われていることに驚き。骨董品でも文化財でもなく日用品。
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当初は都市部からの子どもや親たちを前に地元の方々は「コカコーラを用意しよう」「キャラメルを買っておこう」などと気を遣われていたが、地元の普段の暮らしを見ていただくために、飲み物は上勝晩茶、おやつも地元の素材で参加者でつくることで定着。
そして農作業だけでなく、わらじ編みや山菜料理、カヤの葉のバッタづくりなど日常の営みが題材になる。なにより勝浦川最大の支流旭川の谷底が見えない高度感は雲や星が近い感じがある。

(機械が入らない小さな棚田は定規で手植え。3世代が泥田に入る光景に胸が熱くなる)
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参加者は一度来ると参加者同士が連絡先を交換し合う仲になる。そして不定期で開かれるイベントを心待ちにしていただくようになる。
そんなわけで当初は身内3人から始まったものが数ヶ月後には50人が当たり前となった。
当時としては事後に写真や説明をていねいに発信することが珍しかったので
(言ってみればこのブログの原型。当時はHTML主体だった)
県外はもとより外国からの参加もちらほら混ざるようになった。

(海外から参加された方。上勝晩茶の茶摘みから茶すりまでできたことは一生の想い出かも)
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イベント終了後に参加者とくつろぐ植松光江さん(右)
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子どもに田植えのてほどきをする植松時寛さん
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そして2007年にはNHKの特番「地球エコ2007」で20時のゴールデンタイムを独占する快挙となった。地元の世話役であった植松夫妻(当時70代)が出演されたのだが、ディレクターからの「エコについてどんなことをやられていますか?」という質問で、妻の光江さんが「エコってなんで?」と真顔で質問。
(ありゃ)
するとディレクターが「植松さんたちがやってらっしゃる暮らしがエコなんですよ」と説明すると、
「これがエコで」と光枝さんが感心する一幕がオンエアされた(光江さん、番組の趣旨を理解されていなかった?)。
さらに夫の時寛さん、いつもの月桂冠(2級酒)を気分良く煽りながらテレビカメラの前でこくりこっくりと。
(ありゃ)
飾らぬ二人の姿も視聴者の共感を呼んだ。

番組終了後に「あの場所へ行きたい」「植松さんに会いたい」とNHKに問い合わせが殺到。
しかしこんな場所に来てもらっても公共交通はないので日帰りは無理。
泊まる場所が必要ということで植松夫妻は70代にして自宅を改装されて農家民宿「里がえり」を起業することになる( 県内最高齢の起業だろう。現在も予約によって営業中と伺っている)。
(ありゃ)
以後、数ヶ月に渡って人の出入りが絶えず、さすがに植松ご夫妻もこれはたまらんと一時的に受付を中止されたとか。
(ありゃ)

ぼくは市宇地区を「天上の楽園」と名付けた。
地元の方々も「それがいい」と旭川沿いの県道に立て札を立てた。
「天井の楽園へようこそ」。
(ありゃ)

こんなふうに市宇地区での棚田の交流活動は20年を超えて続けられているのである。
当時、イベントの告知や開催中の様子を知らせるWebを作成したのが以下。
勝浦川と棚田の学校
https://www.soratoumi.com/river/ryuiki/

上記のWebサイトで下方の地形の俯瞰は「カシミール3D」というソフトで作成したもの。
この開発者の方(日比光則さん)から2005年に突然にご連絡があった。
その後ご縁があって海部郡に移住されるようになる。
(ありゃ)

WordPressやSNS全盛のいまと比べたらHTML主体の古典的なつくりで隔世の感があるが、手作り感のある発信に共感が集まったのだと思う。
決してオンラインのつながりを否定するものではないけれど、対面の瞬間に走る電流がある。年頃の異性だとそれは恋、同性だと友人、仕事だと取引となる。リアルかオンラインかの区別というより動機が大切という気がする。

なお、このWebサイトを含む「空と海」のWebサイトについて
カナダ人で日本の棚田に興味を持ったアン・マクドナルドさんが
棚田関連の大会の基調講演でこのWebサイトを話題として採り上げていただいたようだ。少し長いけれど原文のまま引用。

(前略)一番おもしろかったのは徳島県、徳島県の方でNPOとしてあるオフィスがやってるんですけど、そのオフィスの名前もまたおもしろいんです。空と海オフィス、空と海オフィス、何か夢をロマンを感じさせるようなオフィスの名前ですけど、そのホームページもまたしゃれてます。とっても素敵、一流のデザイナーがつくったんじゃないかなと思って、そのデザイナーの紹介のところがあるんです。それを押してみたら、若い26歳の女性の顔が出てくるんです。彼女、自己紹介して、高校卒業して一たん東京に出て行ったんですけど、やっぱり、田舎が好きで、田舎愛してるし、田舎に帰りたくて、実家の徳島に帰ってきたんです。彼女は、自分の人生は農村のすばらしさをコンピューターのデザイナーとして全国の皆さんに紹介したいということでその仕事に取り組んだんです。

 彼女は、優れた仕事をしたと思います。なぜならば、棚田だけでやったではなくて、総合的にやってるんです。ちょっとわかりにくいかもしれないんですけど、ここで言いたいのは、棚田保全を聞くときに、棚田でとまってしまうんですよね。「棚田だけ」みたいな感じですね。でも、棚田は農村の一部にすぎないんで、農村をどうするのかの中で棚田も入ってくると思うんですけど。個別に扱うんじゃなくて、総合的に見る必要もあると思うんです。ときには、個別に見る必要もあるんですけど、ときには総合的に、農村の中で、農村の未来、農村保全と棚田をどう考えるのか。彼女はそうふうにつくってるんです。彼女がいろんなリンク、ほかのページとリンクしたりしてて、ある意味では、もうクモの巣みたいなつくりしてるんです。そうすると、棚田についてちょっと押して、写真展の方に行くし、あと棚田学校の方に行くし、そこからまた、彼女は非常に農村に住んでる女性たちのいろんな課題についていろいろ興味を持っているデザイナーですから、農業女性経営者についてのページもまたあるし、農村で女性たちの活動をどうやってもうちょっと活気のある活動をさせていけばいいのかとか、いろいろ20代の彼女が考えてるのと、また、彼女が探し出してリンクしてるところもあるんです。だから、非常に26歳なのに、もうワクワクと農村全体を総合的にデザイナーの1人の人間として考えている姿がそこでワッと画面から伝わってくるのが、日本の農村はやっぱりそういう若者がいるとすごくうれしいんですよね。
(引用ここまで)

このなかでアンさんの勘違いからか、ぼくは26歳の女性Webデザイナーとなっている。
(ありゃ)
しかし「空と海」のWebサイトの様子を的確にお伝えいただけたと思う。

さて、もう一度、数日前に訪れた辺川の棚田(阿南市福井町)を見てください。
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クルマ一台がようやく通れる路に沿って沢を遡行するように棚田が奥へと伸びている。
(川筋でいうと奥が上流側)
右側は鎮守の森に囲われた八幡神社。
(この神社が霊力あふれる非日常の世界と太陽と水に祝福された日常が交錯する空間になっているんだね)。
この道が一瞬右に蛇行して鎮守の森に吸い込まれるが、森を抜けると再び棚田と伴走する。
里山の暮らしの営みがこの視野に凝縮されているような、空気が凛と張り詰めているような、それでいておだやかな感情のほとぼりが漂うような。

棚田と棚田の人々との関係性はまだまだあるし、これからも続いていくけれど紙面が尽きてきた。
自宅から1時間以内に点在する場所のなかだけでも生きていけそうな気がする。
それが徳島の良さなのだけれど…はて?
(どこを検索してもこのブログで紹介されているような場所はインターネット上では見かけないぞ。マニアックというよりは自然体と思っているけれど)
(ありゃ)
SNSは目に見える2割の世界に投稿の9割が集中する偏った電磁空間なのかもしれない。
サンテグジュペリの星の王子様が21世紀に来られたらきっとこういうよ。
ほんとうに大切なものは目には見えない、と。
(ありゃ)

タグ:昆虫 棚田
posted by 平井 吉信 at 21:21| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年07月20日

人知れず確かに存在する小野八幡神社 夏の湿った大気にたたずむ辺川の棚田(阿南市福井町)


由岐I.Cから帰ろうと思ったが、
風に吹かれたくなって県道25号日和佐小野線を通ってみることにした。
日和佐〜小野間も自動車道よりも旧国道を通ることがこのところ多くなっている。
蝉時雨を聞きながら窓を開けて走れる。
夏を感じたくてわざわざクルマが通らなくなった旧道を通っている。
かつての国道もいまは静かだが、棚田にも耕作放棄地が増えている。

由岐のまちから山を越えて阿南市福井町へと降りていく。
現在では国道55号日和佐道路を経由して由岐I.Cで降りるのが一般的だが、
かつてはこのルートが田井ノ浜へ行く唯一の道路だった。

その日和佐道路から見えた景色を思い出した。
左手の盆地に小さな棚田が連なる夏の風物詩のような風景。
あれはどこから行けばいいんだろう。
内妻海岸の鳥居ではないが、気になるけれどどこから行くのかわからない場所)

県道から脇道へ入って日和佐道路の高架をくぐると見えてきた。
この場所に違いない。

調べてみるとここは海部郡ではなく阿南市との境界付近で阿南市福井町辺川の棚田だとわかった。
(福井町からトンネル3つ越えて下ってきたところが福井町とは思えない錯覚。ここは美波町由岐と思っていた。けれど国土地理院1/2.5万を見ると福井川支流の流域で椿泊とも結ぶ道路があることに気付いた)

歩き始めると里山の風情が湿度高くしっとりと横たわっている。
湿潤な温帯モンスーンを描かせたらフジフイルムに敵うカメラはない。
道路が苔むしているので勾配があるところでは滑らないように。
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棚田の小径から木々に囲まれた暗い場所へとさしかかる。振り返ると棚田が宝石のよう。
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暗い場所は広場になっていて鳥居があった。
この鳥居は森に囲まれてどこから見ても見えない場所にある。
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神社銘を見ると八幡神社とある。地名から小野八幡神社(阿南市福井町貝谷26)である。
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ここでお神楽をするのか、農村舞台のような建物がある。
由緒ある神社とお見受けした。
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神社から鳥居へと下る坂道は苔むして滑りやすい
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左手に棚田と沢を見ながら小径に沿って歩く。
右手の起伏は古墳ではないかと見えてしまう。
魂を鎮める場所に神社が置かれているのではないかと。
この神社の由来はわからなかったが、
寄進された方々のお名前からこの地区の産土神社であることは間違いない。
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次の文献があるのを見つけた。
「海藻の霊力--阿南市福井町貝谷・八幡神社祭礼」(高橋 晋一)
(高橋教授は徳島大学大学院で文化人類学、民俗学を担当されている方で郷土の祭礼や民俗芸能の論文を著されている)
こちらに高橋先生の関連記事がある。
http://vinoshin.blog21.fc2.com/blog-entry-284.html
http://vinoshin.blog21.fc2.com/blog-entry-285.html

手入れのされた畦と水路、そして木が配置されて地権者の美意識を感じる
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この場所は空撮すると階段状の棚田と左手の沢、そして右手の神社のある森が一望できて美しいのではと思った。
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山間部の地形からは想像も付かないけれど、
「貝谷」という地名から想像するとかつて入江だったのかもしれない。
隠れ里のようにも見えるが交通の要衝地ゆえそれはないだろう。
気まぐれから出発した数時間だけど
県内ですらまだ知らない土地があるのだと感慨に浸る。

posted by 平井 吉信 at 00:05| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年07月19日

田井川のハマボウ(美波町)


土日は溜まっている用事がある。
朝から家事をしながら昼過ぎからは泥まみれのクルマの洗車。
車体を乾かすために走ってみようと気分良く田井ノ浜まで来てしまった。

予想どおりだけれど海水浴場は閉鎖されていて駐車場も鎖が貼られていた。
駐車場の閉鎖は意味がない。
見てみない振りをして危険な状況をつくりだしている。

ところが現実はグループがやって来て路上駐車。
露出の高い服装でマスクなしで大声ではしゃいでいる。
これもいただけない。
自己責任で泳ぐのは当然としてもこれでは地元は嫌がる。
(鎖を貼りたくなるのもわかる)

いつになったら静かに海を愉しめる日が来るのだろうか。
(コロナだけが原因ではない)

海を見下ろす場所でコオニユリを見ていると
小雨から曇り、やがて薄日が射してくる。
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四国のこの季節、野山は橙色が点在する。
ノカンゾウ、ヒメヒオウギズイセン、そしてコオニユリ、オニユリ。

田井ノ浜から田井川沿いに広がるマングローブにやってきた。
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ここはハマボウの自生地。
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途中に石仏がある
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感潮河川の田井川の両岸にハマボウの花が咲いている。
炎天下とは違って雨の滴を宿したハマボウの花弁は透けるようなはかなさがある。
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河畔の小径は草が生い茂って趣がある
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田井ノ浜を後にして早めに戻ることにした。
posted by 平井 吉信 at 23:53| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年07月17日

なぜマリーゴールドは揺れたのか 潜水橋とオニユリの小径(勝浦町)


じっくりと耳を傾けると幸福な気持ちになる。
聴けば聴くほどスルメのような余韻が響く。
あいみょん「マリーゴールド)」)


ひたひたと迫る「好きでたまらない」感情。
夏の風を受けて、さらにさらに好きになる。
21世紀の万葉集、それも東国の素朴な恋を綴った東歌の相聞歌だね。
(元歌)(多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだかなしき)
(替歌)(かぜをつよみゆれる夏花ゆらゆらと何そかなしき麦わらの君)

その歌詞のなかで「揺れたマリーゴールド」に引っかかっていた。
感じている幸福は現在進行形であって過去ではない。現在進行中の幸福感を描くのに過去の場面を回想、比喩するのはわかるけれど、なぜ過去形なのか?
揺れるというのは継続する動作、状態でそれを過去形とするのなら、深い意味があるはずである。
そこでいくつかの仮説を立ててみた。

「揺れていた」マリーゴールドに似ている。
隠しても隠しきれない10代後半特有の時分の花。
存在するだけで空気感が明るくなるような純でかれんな。
歌詞が音符に足りないので「揺れていた」が「揺れた」になった。

「揺れる」マリーゴールドでもよかった。
揺れるという動作は継続している状態だから。
でも彼女は揺れ続けているわけではない。
だから現在形は書けなかった。

刹那こそすべてと信じたい気持ち。
誰だってこんな気持ちはある(あった)よね。

もしかして「傾いた」マリーゴールドに似ていたのかもしれない。
小首をかしげて微笑む愛らしさを重ねてみた。
「傾いた」=「揺れた」と置き換えてみた。

「揺れるマリーゴールド」と「揺れたマリーゴールド」を空間に音として出してみると
後者がしっくり来た。音符が短いところで同じ母音だとつながりやすいから。

どの仮説が正しいのか、あるいは正解はないのか、
深い意味はないのか、それは本人しかわからない。

でも歌の世界に正解は求めなくていい。
歌は抽象と具象を行き交いつつつくられている。
そのさじ加減で聴き手は自分の体験や思いに重ねる。
(このフレーズは私の思いを代弁している。幸福なヒロインになってみるなど)
aikoのカブトムシとは違ってコードを下げながら元に戻ってくるわかりやすさが世界観に合っている。
どこかで聴いたような気がするのはそのためだけれど、それが親しみやすさ、なつかしさを呼び起こす。
良い楽曲だね。

そこでマリーゴールド。揺れていないけれど。
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人間の背丈よりはるかに高いオニユリは夏の空に向かってまっすぐに伸びる。
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潜水橋をクルマ、人が通る
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水辺へと続く
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群生している場所から土手の木陰をのぞむ
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オニユリが乱れ咲くこみちを駈けていくのはきっとランニングと半パンに虫取り網を持った麦わら帽子の男の子。ここはそんな物語が描ける小径。
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センチメンタルシティ・ロマンスのLP「夏の日の思い出」(ポリドール/28MX 1247)
現在ではCDもダウンロード音源もなく。
日本の夏の叙情を西海岸の音で描く。
アルバム冒頭の「想い出のリフレイン」で陽炎のように夏の詩情が立ちこめる。
CDで復刻されないかな。
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オニユリが笑った夏(などというとどこかで見たコピーのような気がする)の一日でした。


追記

勝浦町のJA直売所「よってネ市」で買ってきた野菜はこちら。
フルーツトマトは夏の路地ものだから期待できないと思っていたら思いのほかアミノ酸が凝縮されて舌を転がり夏の刹那に消えていく(化調の旨味と違って後味が良いのは消えていくから)。
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シシトウ大量100円、ナス8本で139円、インゲン93円、つやつやピーマン93円、フルーツトマト10個204円、とうもろこし2本185円、ニンニク2個130円、木村式自然栽培ブルーベリー370円、おやつに前松堂のほたようかん。

いずれも切り口がまだ緑や白で今朝もしくは前の日の午後に採ったことを表す。
スーパーでは不可能な鮮度こそ直売所の生命線。

あまりもののうどんとともに夏野菜(ゴーヤ、ピーマン、シシトウ)と黒豚の小間切れでうどん焼きをつくった。ちょうどご飯の切れ目であったので米は夕方炊くことにして昼はこれで。箸はチタン製で衛生面に配慮。
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posted by 平井 吉信 at 18:18| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年07月15日

ママコノシリヌグイと木陰 


仕事で半日、日和佐に滞在する昼、いつもの場所に来て弁当を食べようとする。
クルマを停めてエンジンが止まると音が聞こえる。
どこまでも続く浅瀬と蝉時雨、
そして河畔の小径を歩く足音は自分。
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緑は緑色ひといろでない。これだけみどりが集まって集合体となるけど個々のみどりは違う
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昼食前の散策をしているつもりが、やはり立ち止まってしまった。
桃色の媚態を投げかけるその花の名は「ママコノシリヌグイ」。
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は? 意味がわからないけど、そうやって理不尽な名前を覚えさせられた。
今頃咲いているあの可憐な花だって、ヘクソカズラ。ぷうっ

そこへハナアブが飛んできた。
周囲を飛んで花弁に止まる。
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そして飛び立つ。
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ただそれだけのことをブログに書くなといわれそうですが、
平日の午後の情景ということで単なる記録ということで。

でもここで昼寝するって良い感じ。
(クルマを停めた場所も木陰だよ)
文字にすると「河畔の木陰」などと文学になってしまうけど。
せせらぎが窓から忍び寄るほかは誰も来ない場所だから。
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追記
ヘクソカズラは、英語でもSkank vine(スカンクの蔓)、Stink vine(臭うカズラ)などとひどい言われ方。
それでは中国語ではと見てみたら、鶏屎藤(ニワトリの糞尿の藤?)。
ところが地方によっては田植えする娘がかぶる笠に見立てて「早乙女花」、「早乙女蔓」、などと呼ばれることがあるらしい。これからはサオトメカズラと呼ぶことにしよう。
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乾燥させれば薬草にもなる優れものだとか。
タグ:昆虫
posted by 平井 吉信 at 23:17| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年07月10日

サーフィンが好きな人たちの生見海岸 四国の引力は四国の人も四国外から来た人も惹きつける


1997年と98年には関係者の努力によってプロサーフィン世界選手権大会が海部郡と接する高知県東洋町の生見海岸で開かれ、国内外から多数の参加者と観客がこの地域を訪れた。生見海岸は四国東南部の白眉とも言えるサーフィンの聖地で、雄大な太平洋に広々と展開するスポット、あめ色のやわらかな砂浜が訪れる人を和ませる。そしておだやかな雰囲気の海沿いの民宿が点在し、ビジターを歓迎する駐車場などが完備されている。

1999年には、この地域の海(波)とミネラル豊富な川(山)の魅力を活かした地域づくりを提案して「南阿波海部の新しい波〜エコツーリズムによる地域づくり」を表した(国立国会図書館、県立図書館蔵書)。

2007年には、この地域の魅力を括るコンセプトとして「南阿波アウトドア道場」と定義してコンセプトづくりとコース設定を行った。

このとき制作に携わったのは、自身がサーファーで県観光施策や地域活性化のスペシャリスト(現在は県の幹部)の新居徹也さん、海部郡在住で海部を隅々まで知り尽くしている大下尚さんらがチームとなった。
それを徳島県南部総合県民局の美馬局長(当時の県事務方トップ)が熱意を持って見守っていただいているという奇跡の構図から生み出された。南阿波アウトドア道場は第4版に進化して以下のWebサイトからPDFを閲覧できる。
https://www.awanavi.jp/uploaded/attachment/20118.pdf

(こちらはぼくが監修を行った初版から)
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 現代人は目的を持って生活することを強要されています。社会に出れば、目標(成果指標)設定を行い、その達成度に応じて評価されます。失敗しないためにhow to 本を読み、安全なレールを選んで歩こうとする、そのことがまた新たなストレスを生み出します。
 こうした生活から離れた生活場面を求める人たちは癒しを求めています。ところが求めていたはずの癒しも本質的な解決にはつながらないかもしれません。「もしかして、現実逃避かも…」。ただ心地よいだけでは魂のやすらぎは得られないことに気付き始めています。
 無目的に、無条件に我を忘れて打ち込む瞬間。岡本太郎はそれを「爆発」と看破し、瀬戸内寂聴は「切に生きる」と表現しました。マラソンでも登山でもサーフィンでも水泳でもそうですが、夢中になって挑んでいるうち恍惚の至福感を感じることがあります。
 波に乗るときもシーカヤックに乗るときも、健康のため、金儲けのため、生活のためなどではない、いわば無目的。
 ぽっかりと地球にひとり。あるのはただ自然と己だけ。やがて自我さえも消えて生命が輝く感覚。真の癒しは、力の限り挑戦し、苦悩に立ち向かった人にだけ訪れます。
 ただ好きだからやっている、特に理由はないけどやっている。だからかっこいい。だから楽しい?。そんな野外生活の提案をしてみたかったのです。


もうやめようと何度も思いました。
身体の限界を感じながら、
あと一歩、あと少しと歯を食いしばり、
ぼろぼろになりながらもやり遂げたこと。
海、山、川から勇気をもらい、
「また明日から生きていける!」


世界的な波とも評される海部ポイントや生見海岸では、一年を通して波と戯れるサーファーの姿が絶えることはない。
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この日は通称「大ちゃん」が高松に赴任して数年目の春に異動を目前にサーフィンする姿を卒業写真を撮りに来たもの。大ちゃんは四国に来て始めたサーフィンに夢中になり、小松島のサーフショップに入り浸りながら毎週末、四国東南部の生見海岸か四国西南部の大方浮鞭、あるいは四万十川南方の海に出没していた。典型的なホワイトカラーの職場でただひとり日に焼けた「黒い人」。大ちゃんあっぱれ!

高校の頃、ぼくは自転車(通学用)で生見に来て民宿に泊まった。夏の夜の浜辺のできごと、夜明け前の海を自転車で滑走する気分、真夏の坂道で自分の汗(塩分)で溶かされそうな体験などを文章に綴った「空と海」はブログのタイトルになっている)。

 さっきからペダルを踏みつづけているのに、一向に距離がかせげない。上からの直射は無言のまま肌を突き抜け、下からの照り返しは足元にぞっとするような熱を滞らせる。地球の扇風機は止まったまま…。
(今日吹く風はもう昨日吹いてしまって品切れだよ。また明日おいで)
 でも、近づくと黒い水たまりは消えた。逃げ水はよく嘘をつく。
 車のストップランプが赤に点灯すると、黒いススに混じってディーゼルの排気音が空気をラチェットで刻んで震える。口を閉じて肺を守ってやらなければならない。太陽は相変わらず黙ったまま、七月の午後はフライパンの上で呼吸をしていた。
 自分の汗に含まれる塩分で身体が溶けだしてしまいそうだ。暑いといったところで何も変わらない。だから声には出さない。ナメクジの体だってこんなにぬるぬるはしていない。水が欲しい。塩もなめたい。
 早く抜け出そう、風になろう。ただ前進する動力機関にすぎないのだ。疾走する風はさまざまな夢想を追い越していく。室戸岬まであとどれくらいだろう。
 風景が灰色から緑に変わる。太陽に向かって仲直りをする。草いきれの匂いがした。そして山道へ入った。
 風が出てきた。雲の流れが早いとき、空の色がもっとも青くなる。

 小麦色の娘が躍動する時、決まって美しく見えるのは、見る人の視線が低い位置にある時だ。
 そうして彼女たちを見上げるようにして、ポートレートの背景を空に抜いてしまう。真紅のサルスベリの花、黄色いマツヨイグサのつぼみ、オニユリのみかん色、トロピカル・ドリンクのライトブルー…。青空を背景に浮かびあがるとき、夏の空という主人公にみつめられて色彩はその時、物体からこぼれ落ちたようにみえる。
 汗が出る。
(暑い)
 空を仰ぐだろう。上向きの視線は、人間が夏と交わした契約である。

(「空と海」から)

それでは大ちゃんの卒業写真の生見海岸を見てみよう。
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この日の波高はいまひとつだが、海の状況は最良
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子どもの頃から乗っていれば波乗りは日常
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我らが大ちゃん。波は小さくても波と戯れていたよ
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砕ける波の炭酸水のような泡に包まれる幸福感 。サイダーを身体で味わっているよう
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大ちゃんの板は藍の色 海に溶け込む珍しい配色
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(大ちゃんは素直だからものごとをニュートラルに眺められる。だからこそ積極果敢に挑戦する。サーフィンもそうだった。キャラは大谷翔平に似ている。東京でどうしているかな)

ところで大ちゃんの後任の宮さん。男気と気配りと責任感にあふれたナイスガイ。
四国で数年を過ごして東京へ戻らなければならない2021年3月末、
職を辞して四国の人となった(驚いた。組織にとっては血の通った良質の人材を失う痛手だけど)。
宮さんらしいすばらしい決断、応援している。

サーフィンを通じて四国を語ってしまった(それがブログのテーマでもあるので)。
ところでおまえは波乗りやらないのかって?
生身で水と戯れるのが好きだから名刺の裏にこう書いとうよ。
「地球の水辺をゴーグルひとつで遊ぶ」
(気取っとんな。どんな職業なん)
ほれ以上、やりたいことが増えたら人生二百年あっても足りんけん。
(もっとやりたいことをやって三百年生きたらええんでないん?)


posted by 平井 吉信 at 01:21| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年07月08日

波寄せる内妻海岸 里山と海をつなぐ内妻川 翡翠色の河口に鳥居が見えた


南阿波サンラインを別として国道55号線を南へ走らせると海が見えるのは牟岐の街なかを過ぎてから。
まず目に飛び込んでくるのが内妻海岸。

ここは国道55号線がサーフショップ前から海沿いを豪快に曲がりながらトンネルに突入するまでの束の間、左手に波が見えて気になる場面(アイサイトがなければ、よそ見をしないように)。
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子どもの頃、海部川か那佐湾で釣りをしようと親父に連れられて通った道。
内妻海岸に差し掛かる右カーブの入口にドライブインがあった。
(「ドライブインやさか」といったか?)
国道55号線が直線化されていなかった頃の話である。

この店では上品な初老の紳士が白いシャツに蝶ネクタイで給仕をされていた。にこやかな接客で子ども心にいいなと思っていた。トンカツ定食を注文するのが楽しみでこれはごちそうだった。
自分で免許を取ってからは、宍喰町の国民宿舎みとこ荘でトンカツ定食かさしみ定食をわざわざ食べに行ったもの。
海(水床湾)を270度見下ろせる半島の丘の上にあって亜熱帯の雰囲気が漂う別世界。
(コロナ収束後にみとこ荘、復活しないかな。ホテルリビエラししくいと連携してやれないかな)
どちらのお店もいまはないけれど、トンカツ定食は昭和の風物詩だった。
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内妻海岸が濁り気味なのは浅瀬で波が砂を巻き上げるから。
この日も風が強い。うねりが多いが波高は物足りず好条件ではなかった。
ここはローカルサーファーの御用達。限られた駐車場のため、ビジターや磯遊びの訪問者はルールを守る必要がある。ローカルの方々は地元の良好な関係を構築するのに時間と手間をかけていると思われるから。

内妻海岸で以前から気になる風景がある。
それは内妻川が海に注ぐあたりで浅瀬が翡翠色にきらめくのだが、
満ち潮のときは深沈と沈み込み、引き潮のときは若草色に照り返す。
その河畔の畔に森に包まれた鳥居がちらりと見える。
南国的なのどかな風景と、見えない世界の入口の象徴である鳥居。

鳥居があるということは神社があるはず。内妻川河口の煌めく極彩色に描かれる神社とはどんな由来があるのだろう。あそこへはどこから行くのだろう。

ある日夢でここへ出かけた自分がいた。ということは行ってみろということ。
好きな人は鯖大師を見てさばせ大福を買って、あじさいロードや松坂隧道をたどりつつ大砂海岸で和むという組み合わせの妙(クルマで5分程度の距離にある)。
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内妻地区はクルマが置けないので、クルマがほとんど通らない旧国道の適当な場所にクルマを停めて徒歩で回る。曲がりくねった旧国道のあじさいを眺めながら渚をめざすと田んぼが目に飛び込んでくる。
(ここには揺れるマリーゴールドはあっても揺れたマリーゴールドはない、などというとあいみょんに怒られるな)
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土手はJR牟岐線の線路。その向こうに内妻海岸と内妻川がある。

巨大な葉を持つ木が群生
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コオニユリの蕾に夏の到来を感じる。予感という日本語はこんなときに実感する言葉。
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海沿いの田んぼの風に吹かれながら小径をたどりつつ線路の土手の下をくぐる。軽トラでも通れない徒歩のみのトンネル。
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牟岐線の下をくぐると内妻川の河口と内妻海岸が目に飛び込んでくる。そしてあの鳥居が見えた!
地図を何度眺めても行き方がわからなかった場所。
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振り返ると内妻川と国道55号線の高架。いつもあそこから内妻海岸や鳥居を横目で見ていた。
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引き潮の河口は水着なら歩いて渡れそう(対岸に人がいるところが内妻海岸の南端)。
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河畔沿いの小径は鳥居をくぐると水辺から離れて上がっていく。その途中に弘法大師の像(目あき大師)が置かれている。由来は知らない
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湿った坂は滑りやすいので慎重に。アカテガニがさささと崖のくぼみに隠れる
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この個体は赤い蟹の前にわざわざ立ちはだかって守っているように見える
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神社の名前は春日神社だが、本家の春日大社との結びつき(分祀など)は不明
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内妻川の河口を巻くように上がっていけば海を海を見下ろす境内と社
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階段の途中に大木がある
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逆光でゴーストが出ている(オーブではない。光学現象を怪奇現象と見誤る例はかなり多そう)
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神社のある高台から渚へ少し下ると内妻海岸の北半分が見える
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沖合から内妻海岸を見るアングル
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内妻川は清流で河口付近には30センチぐらいの魚が群れている。
背が立つほどの浅瀬にチヌやらセイゴ、コノシロらしき魚影が見える。
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再び土手の下をくぐって戻る。
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国道を下から見上げる。内妻川を横切るように橋脚が並んでいる。
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今度は国道に出て渚へ下る。
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内妻川は浜の南へ流れ込む。浜の南部は岩礁が多く波乗りには適さず、中央が良いポイント
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女性サーファーのかっこよさが際立つ
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もう一度内妻川を見る。里山を縫って全長数キロの小さな川でそのまま海へ流れ込む。
JR牟岐線の鉄橋が横切る場所。
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ここではカワセミが飛び交う。河畔の樹木が住処のようだ。内妻川はひそかにファンがいるが、観光地図に紹介されたことはないようだ。
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水遊びをしたい人は内妻ではなく大砂海岸が最適。駐車場もトイレもあり、渚の開放感がある。
同じ日の大砂海岸は打って変わって水清くのどか。
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大砂海水浴場はコロナ下で海開きは見送られているので人は少なく泳ぐには良い条件(海や川で遊ぶのは自分の責任でというのは子どもの頃から当たり前と思っている。遊泳禁止区域で泳いで補導されたことが何度かある)。

成熟した人と自然の関係に「管理」はそぐわない(その代わり行政の責任にしないこと)。
小さい頃から海や川を身体で知っておかないと。離岸流がどこに発生してどれほどの幅があってどれほどの力があるか(海が荒れたときは腰の高さでも浜に戻りがたい引き込みがある)、カツオノエボシやゴンズイなど危険な生物への備え、表層と底層での水温の違い、泳いでいて足がつったときの対応、力を温存して遠泳する身体の使い方など。それらは生きていくうえで糧となる。安全とは危険を冷静に熟知することがその第一歩だから。

波寄せる内妻海岸 里山と海とつなぐ内妻川 翡翠色の河口に鳥居が見えた
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posted by 平井 吉信 at 22:56| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年06月16日

三つのみどり(緑 碧 翠)の深沈としたきらめき 


山奥にレストランが開業したと聞いてやってきたのだけれど
ここで合っているのだろうかと自問自答しながら辿り着いた(ナビなどない時代)。
その場所で見た湖は心に刻まれた。
そしてその景色はいまも変わらず。

水に映る陸と水色(すいしょく)の遷移が
緑から碧、翠へと存在する。
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多分このみどりはキヤノンやソニーでは出ない。
世界でこの色が再現できるのは日本の富士フイルムのみ。
そう、フジの画像処理は緑色に特徴があるね。

それは温帯モンスーンの日本の「みどり」(蘚苔と田んぼ)を心に描くごとく再現できる。
(フィルム時代のPKRやエクタクロームでは出なかった色。おそらくフイルムでは富士フイルムのPROVIAならではの色)
デジタルになっても「フィルムシミュレーション」をPROVIAに設定して
そのまま出力したのがこの画像(縮小のみ)。
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こんな場所があるということもさることながら
現実と写真が一体となって蘇る感じ。
乗っている車も碧もしくは翠系統の色で気に入っているけれど
緑とは、若草色と萌黄色と翠と碧を統合したような色。
こんな色に包まれているとおだやかな心地がする。
忘れてはならないのは太陽の光がこれらの色を見せてくれている(魅せて)ということ。

(1枚目:フジX-T2+XF23mmF1.4 R、2枚目:フジX-T30+XF35mmF1.4 R)
posted by 平井 吉信 at 22:24| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年06月07日

田を吹き抜ける風 あじさいの連なる里山が揺れるけれどぼくは上の空 


梅雨の晴れ間は田んぼとカエルを思う。
できれば流れる雲が水に映り
あぜ道を子どもが駈けていく。
バス亭には置き自転車、そこに誰が掛けたか傘の忘れ物。
そんな斜めの光を背に前を見れば虹。
スキップの足跡がかき鳴らすアルペジオのよう。

誰でも里山には幻想というか印象を持っている。
梅雨の晴れ間には胸の奥の里山が疼くとでも。

小松島市南部は立江川の源流域で菌床シイタケの一大産地となっている。
県内でヤマモモの発祥の地もここ(実はうちの親戚である)。
親戚宅の前には沢があって木陰をつくっている。
半ズボンをめくって入っていくと思いのほか水が冷たい。
小川がこれほど澄んでいるとは子ども心にも思わなかった。
おそらくウナギ(腹の黄色い)やモクズガニがたくさんいるだろう。

ぼくがときどき立ち寄る友人宅もこの地区にある。
かつては山懐の一軒家で五右衛門風呂があり
丘から立江盆地を見下ろしながら
音楽を聴いたものだ。

→ 朋あり近所より来る 令和の宴2019年夏
→ 友あり 近所より来たる。山、食事、音楽の休日 
→ 元日のパーティーは田園交響詩、女もすなる…男もしてみんとて

でもきょうはあじさいのあぜ道を見に行くのだ。
櫛渕あじさいロードと名付けられた里山めぐり。

起点は櫛渕町の櫛渕八幡神社。
巨大な2本の木が鎮座している(フウとクス)。
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銅像を見て思いだした。ここは喜田貞吉博士の故郷でもあったのだ。
ぼくは明日香村が好きで中学の頃から通っている。
古代と現代が入り交じる里山を自転車で走り抜ける時間は人生の収穫期のようだ。
その明日香の地で石舞台古墳を蘇我馬子の陵墓と比定したのが博士でなかったか。

そういえば明日香村と少し雰囲気が似ている気がする。
立江川源流部の開けた入江状の地形に展開するのが小松島市櫛淵町である。
ここはマムシが多い。夕方散歩するときなどはご注意を。
私の知人は室内にマムシが入ってきて3日目にようやく見つかったことがあった。
小さな子どもがいるなかで落ち着いて寝られなかったことだろう。

参拝を兼ねてクルマを櫛渕八幡神社に置かせてもらって歩き出そうとすると
案内看板がある。
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ひとまたぎできそうな立江川の源流を渡って新たに整備されたバイパス沿いにあじさいが並ぶのだがいったん道を渡って山裾をめざす。
田んぼにはオタマジャクシが元気に泳ぐ。
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田の畦で風に揺れるのはランの仲間のネジバナ。
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南を見やると羽ノ浦町との境界をなす低山があり、
その北面に広がる水田
そして山から流れる沢、
そんな農道に沿ってあじさいが咲く里山。
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日の光と田を吹き抜ける風に吹かれていると
ぼくは21世紀(2021年コロナ下)を忘れてしまいそうだ。


タグ:神社仏閣
posted by 平井 吉信 at 01:46| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年05月31日

オンツツジに覆われて春から初夏へ遷ろう黒沢湿原


ときは4月下旬から5月上旬。
徳島県は池田町の山間部にある黒沢湿原を訪れてみたと想像して
(空想のなかで)逍遥してみませんか?
お好きな飲み物(緑茶でも紅茶でも)を片手にいながらにして。
(説明抜きでどうぞ)
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(フジX-T30+XF35mmF1.4 R、XF60mmF2.4 R Macro)
(フジX-T2+XF23mmF1.4 R)

posted by 平井 吉信 at 22:40| Comment(0) | 山、川、海、山野草

たおやかな美女 


県内のある場所で咲いているジンリョウユリ。
ササユリの仲間のようだが
このユリを人格化して形容するなら
手弱女(たおやめ)という日本語がある。
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細い肢体
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艶やかな立ち姿
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あでやかでたおやかで。やまとことばを使いたくなる数少ないユリ。
posted by 平井 吉信 at 22:26| Comment(0) | 山、川、海、山野草