2025年05月18日

高原のスミレ(Viola mandshurica)は抜けるように深い


このところの投稿と同じように(調子に乗って)風わたる5月の草原は…と書きたいところだが、下界と違って風が強く寒く感じたり、陽差しが強く熱く感じたりと、標高がある分、そう単純に「さわやか化」できるわけではない。

そうだとしても、「♪風の中ひとりゆけばはるかな私の好きな草原」(「草原の輝き」)だったり、「♪草原を染めあげる妖精の姿をいつか見かけたら」とか「♪太陽のガス燈を星の靴はく少年が磨き出す」(「妖精の詩」)、「♪高原のテラスで手紙風のインクでしたためています」(「風立ちぬ」)といったように、草原のさわやかさをつくるのは例によって歌謡曲の世界かも。
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草原のスミレも負けていない。四国カルストには四国カルストの魅力があり、塩塚高原には塩塚高原の魅力がある。ここはスミレ(Viola mandshurica)の宝庫。ひとたび目が合うと、立ち止まり息を止めて見つめてしまう(あぶない!)。

ツンデレ系
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コケット系
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深窓の令嬢系
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ちとやりすぎか。やめとこ。
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タチツボスミレが大和撫子とすれば、大陸系の楊貴妃のような。おそらくは渡来系の弥生人(稲作技術)とともに倭国にやってきたのだろう。
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ここのスミレ(Viola mandshurica)は色が濃いだけでなく、誇らしげに葉がすっと立つ。中心部まで花弁の色が濃い個体もある。抜けるように白い、のではなく、抜けるように深い。
posted by 平井 吉信 at 00:44| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2025年05月17日

四万十川から仁淀川水系へ 萌える茶畑、混み合う仁淀ブルー


四万十町窪川から須崎市内へ、国道56号から北上して牧野富太郎の実家のあった佐川町を経由して越知町の仁淀川水系へと抜ける(牧野博士が横倉山で発見のヒメミヤマスミレを見るのも捨てがたかったが)。川沿いを走る国道33号線をしばらく上がって池川方面へと右折する。

土居川沿いに茶畑がひろがる。池川茶の銘柄で売られており、これまでに何度も買い求めている。土居川水系の中心部の池川集落は郡上八幡のようである
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高知県の田舎って何もなくても観光が成立する。心のおりものを洗い流してくれる。池川のまちなみと土居川、その上流部の安居渓谷も。

土居川から離れて国道439号線を東へと進み、道の駅633美の里で休憩しようと思ったら車が停められないほどの盛況。この道の駅の立地の良さは人々が休憩と食事を欲しがる時間距離で、しかも南北(国道194号)も東西(国道493号)も拾えるという意味で四国一かもしれない。

そこから近くにあるという、にこ淵へと立ち寄った。ここは、写真家の高橋宣之さん、NHK高知放送局の「仁淀ブルー」の仕掛けで一気に訪問者が増えた。そのため観光客過多になってしまい、地元では近年になって駐車場とトイレを設置するだけでなく、その混み具合を入口に電光掲示板に表示、さらに観光客が多いときは誘導員を数人置いている。
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青い箱に協力金を納めるようになっている。地元と行政の支援へのお礼としてお忘れなく。また、にこ淵は神聖な場所であるのでご留意を。

「にこ淵は水神の化身とされる大蛇が棲む所といわれ、神聖な場所とされています。従ってマナーを守り、静かに景観をお楽しみください。入水、飲食などは禁止されています」(仁淀ブルー観光協議会)


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また、足場が悪かった散策ルートは安全に整備された。これらの初期費用と維持費用、運用費用を賄うために1人100円の協力金を納めるようになっている。
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この日もあまりの人の多さに閉口して近くまで行ったものの途中で引き返してきた。また、ゆっくりと来てみようと思う。

仁淀川本流なら鎌井田地区と淺尾(あそお)沈下橋の佇まい、さらに下流の光景も。支流なら土居川と安居渓谷。5月の四国カルストを経由しての四万十川と仁淀川、たまるか。桃源郷の川はえい。ほいたらね。

→ 仁淀川のタグ(仁淀川の想像を超えるのどかな風景など35本の投稿があります。見たら行きたくなるので忙しいときは見ないほうが吉かも)
タグ:仁淀川
posted by 平井 吉信 at 20:12| Comment(0) | 山、川、海、山野草

五月の四万十川 おだやかで晴れやかで 水流るるも鳥の声高く


初夏の四国カルストを南下して四万十川源流から県道19号線で中土佐町大野見(旧大野見村)を経由してから四万十川上流部を辿る。川沿いの道は最初は広いが、そのうちお決まりの隘路となる。2トントラックが来たらどうしよう(田舎道ではよくすれ違うことが多い)と思いつつ、離合できるところを見極めながら進んでいくと難なく交わせる。

四万十川で長い距離を広い道が続くのは窪川から江川崎までの国道381号が走る中流部で、川に沿って予讃線が走り、トロッコ列車などのイベント企画もある。旧東津野村と旧大野見村がある奧四万十は大河というよりは里の川という鄙びた趣がある。

ポスターで見かける桃源郷の四万十川の印象なら、穿入蛇行とゆったりと山間部を流れる中下流となる。四万十川は下流の四万十市中村から山間部に突入する。日本の大河でこれは珍しい。四万十川は全長196km、吉野川は194kmとほぼ同じであるが、吉野川が池田町から下流に向けて三角形の沖積平野が展開するのと対照的である。

「日本最後の清流」という触れ込みは、1983年9月のNHK特集「土佐・四万十川〜清流と魚と人と〜」で打ち出されたもの。
→ NHK特集「土佐・四万十川〜清流と魚と人と〜」はNHKオンデマンドで有料ながら見ることができる
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2011034570SA000/index.html?capid=TV60

高速道路ができる前のことで、当時は徳島からは10時間の道のりであった。仲間と分乗して中流の広瀬の河原でテント泊、夜は焚き火に照らされて語らい、ほてったら夜の川で泳いだりテナガエビを採ったり(漁業権は設定されていない)。足下の浅瀬を透明な水が流れ、エビ玉を手にヘッドランプで照らすとオレンジの目が光る。翌朝食べるだけの節度を持って生き物と向かい合う。日中火照った身体が足先から冷えていく感覚と焚き火の温もり、カジカの声と流れ星、しずしずと夜は更けていく。帰りは須崎市の手前からの渋滞(こんなところから?)で疲れが一気に出たものだった。

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四万十川中流部は穿入蛇行による雄大な曲線を描きつつ流れる。江川崎を過ぎれば西流していた四万十川が広見川と合流してくるりと向きを変えて南下する。四万十市中村までの区間が日本の桃源郷とも呼ばれるところで、下流といえども山が川に迫り、鶯の声が遠く近く。道路は隘路となって連休は渋滞で離合が難しいといった事態になる。そのことが四万十川の価値を高めているようにも思える(桃源郷へハイウェイで乗り付けて…とならない)。

四万十川の風景については「四万十川」のタグからどうぞ

さて、五月の四万十川。心のなかでは井上陽水の「5月の別れ」がこだまする。

♪風の言葉に諭されながら…5月を歩く♪ 


木々の若葉は強がりだから…と歌う五月の四万十川のなかで、一斗俵沈下橋と清水ヶ瀬沈下橋を見るなら、米の川城ハナ公園に車を停めて歩いたらいい。公園はとても良い場所。旅人のために整備していただいたことに感謝。
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車道の橋から上流を見ると、堰を落ちる段差と屈曲点の向こうに一斗俵(いっとひょう)沈下橋が見える
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下流を見れば、清水の沈下橋と鯉のぼり。両親や親族が心をひとつにして男の子の誕生を祝うこの行事は末永く続いてほしい。
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一斗俵沈下橋までは川沿いの小径を歩いて指呼の間にある。夏になれば、地元の子どもが橋の上から飛び込んでいることだろう(遊泳禁止としないのはさすが高知県。人を川から遠ざけることがかえって危なくしていると考えるので)
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沈下橋近くの地蔵尊に献花されたようなミヤコワスレの花。川の流れる音はあくまでおだやか。都会を忘れてしまうので来ない方が良いかも
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一斗俵沈下橋から公園に戻って少し下流の小学校の南にある路地を抜けると清水沈下橋。上流左岸から眺めると、足の長い(橋桁が高い)沈下橋。清水ヶ瀬沈下橋、清水沈下橋、清水大橋などと複数の呼び名がある。現在では車の通行はできないが、人は渡ることができる。ここも現在は高架橋があるので車両の通行はできないが、人は歩くことができる
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この辺りから四万十町窪川までは道が広がって快適となる。窪川ではジェラートや豚まんのおいしい道の駅あぐり窪川、おにぎりのおいしいゆういんぐ四万十、芋けんぴの水車亭などがあるが、以前に仕事でお世話になった四国八十八カ所霊場第三十七番の岩本寺に立ち寄った。ご住職の精力的な活動で窪川地域活性化の拠点となっている
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帰りは通い慣れたルート、国道56号で須崎市内へ、北上して佐川町へ、越知町を遡って仁淀川町(池川)から土居川を遡る。国道439号を抜けて道の駅633美の里で休憩後に、仁淀川支流のにこ淵を見て帰るというもの。勝手知ったルートで心地よい風に吹かれて帰る。

posted by 平井 吉信 at 18:43| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2025年05月16日

ほんとうに見たかったスミレにめぐりあう サクラスミレ(四国カルスト)


スミレの女王とも形容されるサクラスミレ(Viola hirtipes)は、北方系のスミレである。西日本では山焼きを行なう草原で見られることがあるため、塩塚高原に数年を掛けて通ったが、見つけられなかった。

2024年には四国カルストへ足を伸ばしてみた。徳島からは日帰りは無理で車中泊での強行軍となったが、自生地が不明なため、ほぼ一日をかけて一帯を探したものの、ようやく数輪見つけることができたのみ。しかし花の旬は過ぎており、見つけられた個体もスミレとの交雑種だった。

西日本に数少ない自生地のひとつである四国カルストにしても個体数は決して多くないし、生息地の環境を調える関係者のご尽力があってこそ。稀少なスミレなので取り上げに注意は必要である。サクラスミレに限らず、自然界に自生する植物とそれらが織りなす生態系を慈しむ気持ちを持って、細心の注意を払って観察と撮影を行なっている。

サクラスミレを忘れがたきぼくは、2025年に再度時間を捻出して四国カルストを再訪することにした。当初は奈良県の曽爾高原に出かけようと計画していたが、万博開催で関西は混み合うのでアクセスや宿泊ができないだろうと断念した。

サクラスミレの和名の由来は、サクラの花弁のかたちに似ていること、花弁が大きく見栄えがすることからサクラの印象をスミレに重ねた心の動きが名前に宿っている。

そして現地に到着。前年度に見つけた場所を注意深く足を踏みいれるが最初の数分は見つけられない。今年もダメかと思っていたら、数メートル先にかすかに紫色の花弁が揺れているのが視野に入ってきた。声が漏れた。数年ごしに見たかったので。ただ見とれた。動きが止まり呼吸が止まり思考が消える。

我に返って写真を撮る。大雨でなければ曇りや小雨はむしろ歓迎でスミレの花弁は美しく撮影できる。写真はともかく、肉眼で実物を見て心にしまっておくつもり。薄曇りの天気が理想なのだけれど快晴(しかも強風)。そのままでは陰影が付きすぎる。そこで日陰を使って撮影してみる。こうして自然光と半日陰の画像を適宜織り交ぜることにした。サクラスミレ特有の濃い紫色は太陽光下が映えるのだけれど、個体の観察には日陰が向いている。

ここ数年見たかったサクラスミレが眼前にある
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葉の拡大
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センサーの小さなカメラ(フジX20)でも撮影を行なったのは、ピントの合う範囲が広く、接近して撮影できることから小回りが利くのが特徴。
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風に吹かれていることも忘れて、生きていてよかったと思える時間が(早送りなのか遅送りなのかわからないが)通り過ぎる。美しいものは美しい。稀少なものは稀少。でもそれが本質ではなく、そこに存在することが尊い。それが植物であれ動物であれ木々であれ水であれ人であれ。
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posted by 平井 吉信 at 00:45| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2025年05月12日

白桃を思わせるアケボノスミレ


阿讃国境から県西部の山が新緑に萌える頃、樹間や草原で見られるアケボノスミレは、見分けるのが容易なスミレのひとつ。というのも花弁の色が淡い桃色をしているからで、この色彩で区別が付く。
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花の咲き始めは葉が成長していないことが多く、ぽつんと咲いていることも。
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そして葉と花が揃う頃には虫に食われて花弁がいたんでいることが多い
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だから花弁と葉が揃った個体を見つけると、やったあ、という気持ち
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アケボノちゃんは四国にいるスミレじゃない。現在でも中国東北部、朝鮮半島、沿海州に自生しており、北方系(大陸生れ)である。氷河期で陸続きになった日本列島に渡ってきたものの、その後温暖化(縄文海進)で故郷に戻れなくなり、日本列島では北国と標高の高い場所に取り残されたもの。
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徳島県は実はスミレ天国で、海の魚がそうであるように、瀬戸内海〜河川の砂の供給が多い紀伊水道〜太平洋と3つの海域の魚種が揃うが、陸は陸で瀬戸内から日本有数の多雨(四国東南部)、大河の平野と急峻な山々、そして石灰岩やら蛇紋岩やら緑色片岩など鉱物的地質の多様性がつくりだす環境がスミレ天国を生み出している。それゆえ北の国に帰りそびれた山陰型タチツボスミレ、スミレサイシン、オオタチツボスミレ、アケボノスミレなどが細々と定着している。

(美人と形容するのが時代錯誤といわれそうだが)アケボノスミレを見ると、ロシア系の美女のように見えてしまう。それに比べてタチツボスミレは大和撫子、スミレ(Viola mandshurica)は楊貴妃のような大陸系かも)

アケボノスミレのなかでも花弁の色が濃いものはクロバナアケボノスミレという。これは日本的かも(大陸よりも日本に生息数が多いのではという意味)。
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花弁を食べているのはこの虫だろう。アケボノスミレが食害に遭うことが多いようだ
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アケボノスミレは白桃を思わせるおっとりとしながらも蠱惑的な存在。
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posted by 平井 吉信 at 22:14| Comment(0) | 山、川、海、山野草

地面にぼんぼりが灯ったようなエイザンスミレ(アカバナスミレ?)


県央部の標高千メートル前後のなだらかな場所に咲くスミレで、エイザンスミレの一種と思われるが、通称アカバナスミレとも呼ばれるスミレがある。

この山域では花弁のふちがほんのりと紅を差したような艶っぽさが特徴(余談だが、スミレの花弁を濡れたようにー透明感と艶が同居するような―描写できるのは富士フイルム製のデジカメのような気がする)。
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地面にぼんぼりが灯ったような。
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この山域の個体を見る限り、花弁が波打つ/打たないなどの違いがあってもエイザンスミレと区別する必要はないように思う。


タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 21:23| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2025年05月07日

芭蕉が詠んだのは、タチツボスミレ? シハイスミレ? 


3月中頃から4月末(標高の高いところではもう少し先まで)までのすみれの咲く頃を一年の始まりと思ってしまう。いにしえから歌に詠まれている印象のスミレであるが、意外にも数えるほどしかない。

春の野に菫摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける(山部赤人)

万葉集の歌の世界を繙けば、スミレのそばで一晩寝てしまったなどは季節を考えればありえない。風の当たらない陽だまりで太陽が高い時間帯なら昼寝ぐらいはできるだろうが、雲が出たり風が吹き始めると寒くなって目が覚めてしまう。まして夜であれば。

菫を摘むというのが愛しい女性のもとに通うという比喩であればうなづけるのだけれど。それはさておき、野に摘む菫とはどんなスミレだろうか?

菫を摘む、という連想からある程度の草丈があり、茎や葉が直立している姿が思い浮かぶ。となれば、弥生時代に稲作の伝来とともに種子が渡ってきたスミレ(Viola mandshurica)ではないだろうか。ラテン名を付けてあるのは、すみれという一般名詞ではなく、「スミレ」という和名のスミレだからである。

5月の草原に咲いていたスミレ(Viola mandshurica)
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次は、芭蕉の句。

山路きて何やらゆかしすみれ草

日本でもっともよく見かけるタチツボスミレは、道ばたから山まで点在し、ときに群落をつくることも多い。日本固有のスミレ(朝鮮半島や中国大陸にも存在するともいわれるが、分布の中心は日本列島)のひとつで、なにやら奥ゆかしい姿であること、さらには「山路」というのがキーワード。芭蕉の旅の記録から、発句が京都近辺であったということであれば、ゆかしいスミレとして、タチツボスミレか、シハイスミレが候補に上がる。

まちの近くの低山でいまを盛りと咲き誇っているタチツボスミレを見れば、そんな風情を感じませんか?
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芭蕉のいうゆかしいスミレのもうひとつの候補はシハイスミレ。牧野博士の命名による。
西日本に多い美しいスミレでどちらかというと丘陵、森、山岳で見かけることが多い。
この場所でのシハイスミレは葉に白い筋が入っている。フイリシハイスミレという。
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花弁の濃い色と深緑に白い斑入りであでやかである。ゆかし、というよりはもう少し明るい感じで雅び好みの人なら、タチツボスミレのほうが印象に近いかもしれない。いずれにしても美しいスミレということで。
タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 23:04| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2025年05月06日

桜の里 2025年番外編


これまでに掲載していない2025年の桜のある里山の風景として。

月ケ谷温泉周辺(上勝町)

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南部運動公園(阿南市桑野町)
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鮎喰川上流(神山町)
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posted by 平井 吉信 at 13:36| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2025年04月26日

スミレを見る愉しみ〜交雑種のスミレ〜


このブログでは「交雑」という言葉の頻度が多い気がする。人類進化を語るとき、ホモ・サピエンスとホモ・ネアンデルターレンシスの交雑とか、デニソワ人とネアンデルタール人の交雑などと使っている。現代の人間社会でいえば結婚、動物でいえば異なる種が交尾して子どもをなすこと、植物でいえば、虫などが媒介して異なる種で交配して親と異なる株が生れることである。

ただし、スミレの場合はスミレそのものを見分けるのが難しいうえ、それが交雑するとさらに難易度が上がる。特に近いもの同士の場合はなおさら。

野山で見かけた個体が記憶のなかのパターン認識で「おや」とアラートを発するとき、それは自然界の実験に立ち会っているようで、多少のときめきとわくわくを感じている。

いずれにしても、撮る(写真)だけであって、採る(持ち帰る)はなし。そこにいてこそのスミレちゃんで、その場にいることが幸せ。それは個体の問題だけでなく、その空間全体(生態系)にも影響がある。シカなどの食害が問題となるのは生態系を破壊しているからである。


見かけ上の交雑?
交雑例のなかには怪しいものがある。例えば、高鉾山で見かけた個体。
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スミレに詳しい人、これはおかしいでしょう。葉がナガバノスミレサイシン、花がタチツボスミレ系といった趣き。こんな交雑はある?

何がおかしいかって、例えば、野球で縦縞のユニフォームとグレー無地のユニフォームが交雑したとする(生物でないからしないけど)。グレー地にストライプが薄く入ったものになる、といえば交雑がイメージできる。ところが、左側がストライプで右側がグレー無地という現れ方はしない(キカイダー?)。この個体はそれに近いので変なのである。

おそらくは葉だけのナガバノスミレサイシンに、タチツボスミレ系が偶然に居合わせてしかも自分の葉は見えないところに小さくある、などの場面ではないかと。


タチツボスミレ×ナガバノタチツボスミレ
これは徳島県内で比較的見かけるパターン。最初に見て驚いたのは草丈。いつもは寝そべって撮影するか、地面すれすれにレンズを向けるのに、この個体はしゃがんだ目の高さに近い。頭が良い父と美しい母の間に、頭が良くて容姿端麗な子どもが生まれるというパターンか(その逆が出るとちと大変。大谷夫妻の子どもはどれだけ大きくなるのかならないのか)。特徴が強く表れて両親より優れた(この場合は草丈)性質となるのを交雑強勢という。とくしま植物園の斜面でもときどき見かける
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サクラスミレ×スミレ(Viola mandshurica)
昨年の四国カルストで見かけた個体。ここは四国で唯一サクラスミレが自生する場所なのだけど、これは交雑個体。葉に翼を持つスミレの特徴を持ちながら形状はサクラスミレ的。交雑種としてはわかりやすいほう。
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シハイスミレ×スミレ(Viola mandshurica)
今年見かけたスミレではこれが印象的だった。葉はシハイスミレ、花弁は濃い紫で、ピンク系統のシハイスミレではなく、スミレ(Viola mandshurica)の色彩の影響が濃い。周辺を隈なく探すと、シハイスミレ、スミレ(Viola mandshurica)の交雑しない株が多数あり、そのなかにいくつか交雑株があった。それにしても美しい個体で、ぼくは1時間以上この個体の近くで寝そべって見ていた(誰もいなくてよかった)。ホウフスミレという和名もあるようだ。
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花弁の拡大。側弁の根元には毛がある
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上から見ると葉はシハイスミレ的。翼はないがスミレ(Viola mandshurica)の味付けも感じる
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近くにあったスミレ(Viola mandshurica)。葉には翼があるが、形状が大きい(強勢化を感じる)。この個体は交雑個体(ホウフスミレ)とスミレ(Viola mandshurica)の交雑ではないか
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交雑を探しているのではなく偶然出会うから、いとおかし。それをスミレ道楽というなかれ。生きていること、生きていくことへの共感とでもしていただけると幸いです。

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余談だけど、清少納言と紫式部が合体して、「枕源氏草子」を書いたらどんな文章になるだろう。宮中のあれやこれをエッセイ風に入れながら相変わらずの惚れた腫れたの世界と入り交じっていくのだろう。AIなら創作しかねないな。

いずれのおんときにかにょうごこういあまたさぶらいけるなかに やうやうしろくなりゆくやまぎわ むらさきだちて むらさきのうえといひたる いとおかしくあはれなり(そんなことないわな) 


タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 11:10| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2025年04月18日

山の上にある朝立彦神社(徳島市飯谷町) なのに海洋民族との関係性?


朝立彦神社(あさだてひこじんじゃ)は徳島市でもっとも南にあり、もっとも高い標高(336メートル)にある神社である(ウィキペディア記載の当神社の標高700メートルは誤り。また、神社名を誤記するなど当神社の情報が正確でないWebサイトが多いことにご注意→ 地元住民に確認したが、「あさだてひこ」以外の呼び方はしないそう)。

県道11号線から勝浦川に架かる長柱(なごしろ)の潜水橋を渡るとやがて二股に差し掛かり、左の道を上がっていく。かなり上がると左右の分岐を左に進み、車道の終点に車を数台置ける(県道分岐から3.5km。道幅は広くないが危険なほどではない)。終点からは参道(山道)を歩くことになる

鬱蒼とした森を抜けて山道を登っていく。電灯がないため太陽が傾くと足下が暗くなるが、自然のなかに置き去りになった自分を感じることができる
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やがて最初の鳥居と石段が見えてくる
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次の鳥居から社を仰ぎ見る
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登り切ると古い神社が迎えてくれる
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ご神紋
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平石山方面の森へと足を踏み入れようとすると、徳島毎日新聞社による石碑がある。徳島を代表する神社選という趣旨で設置されたのだろう
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神社の右手に深い森が深々と横たわる。尾根道をたどると標高648メートルの平石山まで続く
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森の静寂、心が静まる瞬間
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さらに進むと山の神様(山神社)が鎮座する
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山神社から森を南へ横切ると開けた場所に出る。地元の子どもらが祭りなどで相撲を取った場所。神聖な森の氣に打たれながら子どもらの歓声が響いていた時代があった
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相撲場から神社へと戻る小径をたどれば南の視界が開けて、眼下に勝浦町、遠くに羽ノ浦町、阿南市、橘湾が眺望できる岩の上に出る
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那賀川とその沖積平野。右手のビル群は日亜化学(阿南市)
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見晴岩の上部にはお亀の池がある
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お亀の池は直径40センチ、深さ70センチ程度の水たまりとのことだが、海の近くでもないのに潮の干満で水位が動くという。干ばつの折には村人が雨乞を行なった
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お亀の池は岩の下にあり、隙間から見ることができる。お亀に小石などを投げ込むと暴風雨になると言い伝えられ、村人が汚されないよう守ってきた歴史がある。この岩は蓋の役割をしている

見晴らし岩の割れ目をお亀の池と勘違いしているWebサイトもあるようだ
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お亀池から上に神殿の石垣が見える。見事な石積みで一見の価値がある
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境内にある小屋は数十年前まで地元の子どもたちが祭りで寸劇を行なっていた場所。演目は水戸黄門などがあったという
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朝立彦神社のご祭神は「和多津見豊玉彦命(わたつみとよたまひこのみこと)」(看板いわく阿波誌の由来から)。これは海の神である。山上なのになぜ海の神なのか。また、飯谷村(いいたにむら)護王大権現の別称もあるという。豊玉彦は山幸彦(火遠理命)が結婚した豊玉毘売の父にあたり、山幸彦は神武天皇の祖父にあたる。いずれにしても、この神社が海の神と深い関係を持つことについていつか考察してみたい。それには地学的な分析が不可欠と思う。

勝浦川を少し遡れば、事代主を祭神とする生夷神社(朝立彦神社から車道で5.7km、直線距離では南東へ1.6km)がある。えべっさんは釣り竿を持つ。やはり海から離れているのに海人の匂いがする
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神社の左手には細長く平らな尾根が横たわる。沿道には桜や椿が植えられている
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日当たりのよい斜面に咲いていたノジスミレ
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台地の果てには展望台があり、飯谷の勝浦川、周辺の集落を見下ろせる
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森を抜けたところに明るく開けた台地があるとは想像できないだろう。長く平坦なこの場所はやはり馬場(馬の練習)として使われていたのではないか
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朝立彦神社は旧飯谷村の鎮守の森であるとともに、海人との結びつきが連想される。そんな不思議な山上の神域をあとに森を下っていく
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朝立彦神社は延喜式神名帳に記載された由緒ある式内社である。旧飯谷村を護ってきた歴史を刻み、森にたたずんでいる。
posted by 平井 吉信 at 00:39| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2025年04月13日

川の水流に耐えて生きる ケイリュウタチツボスミレ


西日本の数カ所でケイリュウタチツボスミレの自生地が知られているが、徳島県内にもある。どこも川床に近いところに自生するのは共通だが、那賀川の基本高水のピーク流量11,200トンは、吉野川の24,000トン(全国1位)には及ばないものの大きい。なにせ降水量の多い地域として、屋久島、四国東南部の山中、紀伊半島の大台ヶ原などが知られるが、那賀川の源流域にも近い四国東南部の魚梁瀬地区は年間4,000oを超える雨量が観測される。かつて1日の降水量としては那賀郡木頭村(現那賀町)の1日1,114oがあった。那賀川は剣山南斜面と、高知県境の多雨地域の雨を集めて豊富な水量で急流となって下る。地図を見ると那賀川の河口部は口を尖らしたように突き出ているが、ダムができる前のすさまじい土砂の供給を物語る。

ひとたび大雨が来れば増水して水に浸かる場所に生えるスミレがあると知ったのが数年前。足で歩いて自生地を見つけて以来、見に行っている。そのスミレは、ケイリュウタチツボスミレという。

最初に見たとき、あっと声が出た。当時はスミレに詳しくなかったが新種のスミレと思ったほどたたずまいが違っていた。人混みに紛れてぬるっと存在する宇宙人のようであった。

2025年春はスミレの仲間たちにとって当たり年のように感じる。これまでに見られない群生が見られる場面に遭遇している。そこで今回も愉しみにしていたところ、やはり普段より多く見られた。

水面から離れた岩場に咲いていた個体。ただしここも大水のときは浸かる場所だが、生息環境はやや乾燥ぎみ
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葉の様子
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同じ環境でスミレ(Viola mandshurica)も顔を出す
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苔マットがあることからある程度湿気を帯びていることがわかる
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ツツジが川面に突き出て咲く
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水面まで3メートル、生息場所まで2メートルの崖の斜面に咲いている。近づくことはできないし、落ちたら急流に流される場所。生息場所が思い描けると思う
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足下を確保しながら水面に近い場所へと降りていくと斜面の苔マットに小群落があった。花弁はいずれも白に近い淡い薄紫色。
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水辺に近い岩場でシロバナの個体。シロバナは全体の5%ぐらい
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横から見ると花弁が流線型になっていて流される対策をしているのがわかる
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環境がわかる写真の例。背景にピントを合わせている
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垂直の崖に咲いている

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苔マットは居心地が良さそうで多数の個体が自生する。ただし株は密集せず点在する。生息環境から得られる養分が限られているためだろう
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主な場所は水面から上がった岩や土砂の斜面に苔が覆っている場所など。日向を好んでいるようには見えず、どちらかといえば半日陰かも。場所によってはちょっとした一雨で水没する水面近くの岩棚に咲いているのもあった。

葉にピントを合わせている
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じっくり観察すると、水面から高い場所では葉が厚め(海岸型のように)にも見えるが、苔マットや水際のものは葉がしなやかに見える。また、水辺に近いほど流線型に近づいているものもある。

研究される方のために、花弁だけでなく葉や環境までも撮影してある。小さな被写体と背景を説明するときは、小さなセンサーのカメラのほうが有利だ(フジX20)。植物の写真を撮っていて感じるのは、被写界深度を稼ぎたい場面が多く(よってフルサイズは選択肢から離れる。昆虫を撮影する人がマイクロフォーサーズを選択するのもわかる)なるべく絞りたい(f5.6以上、できればf8〜f11)。一方でISO感度を上げたくないし、風やカメラを構える人間のブレ(大概は悪条件が多く三脚を持ち込めないか立てられないか、機動性が落ちる)を防ぐためにシャッター速度を上げたいし回折現象も回避したい。これらの相反する要素を満足させるのは、スミレぐらいの草丈ではAPS-Cの標準から中望遠マクロ(換算40〜90o)と、接近できる広角系レンズ(換算24〜35o)、センサーは24〜26MPあれば十分。ただし最新の40MPは画像解像性とトリミング耐性が高く、画像エンジンの進化で暗部のSNも気にならない。撮影の現場は岩肌で足場が悪く、泳ぎの達人でも長靴を履いて服を着たまま急流(かつ深い)に流されると危ないので要注意。
posted by 平井 吉信 at 12:46| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2025年04月10日

遅い午後、のどけき陽気(とくしま植物園)


この時期は日に日に昼間が長くなっていく。夏至まで2か月を切っているのである。桜が見かけるたびに姿を変えていく時期でもあり、春爛漫といったところ。

寒くもなく暑くもなく、昼間の陽気の名残が後を引く時間帯とでもいうか、日没までまだあるけれど、西に傾いた斜めの陽差しがのどかに支配する時間。
こんなときは、とくしま植物園。一日の身心張り詰めた凝りをほぐすように来てみたくなる。
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特にこれといって見るものがないからこそ、何度でもここに来る、ということがある。この場所はそんなところ。
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そして、スミレ。公園の土手に群落があった。スミレ(Viola mandshurica)、ノジスミレ、アリアケスミレが紫と白の対照。仲良く並んでいるのもある。
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アリアケスミレが群生していた
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ノジスミレとアリアケスミレ。異種が会話しているようだ
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ノジスミレ
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スミレ(Viola mandshurica)
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美形のアリアケスミレ
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これだけの密度で咲いていることはなかった。ユキワリイチゲもそうだったが、今年はスミレの当たり年かもしれない。それにしても、植物も人も、いまいる場所で咲いている。


追記
ここも徳島の良さを実感できる場所。邪馬壹国阿波説を考察していて思うことは徳島は食材の宝庫という点。阿波の国は古事記にも大宜都比売(食材の女神)になぞらえているように、吉野川、勝浦川、那賀川といった大河が紀伊水道に流れ込み、陸ではミネラルを供給して肥沃な土地を、海底には同じく肥沃な砂地を形成する。蒲生田岬から南は黒潮洗う太平洋があることから、瀬戸内海(鳴門)を含めて3つの海域の魚種が手に入る。川がつくりだした沖積平野は肥沃な田畑を形成、急傾斜地の地形ではそれにふさわしい雑穀を産する。香酸柑橘も豊富(質量とも)。つまり食材に困らない国だったことがわかる。

邪馬壹国はどこにあったって構わないけれど、全国にこれだけの多様な生態系からの豊富な種類を食材を提供できる土地は大昔からいまに至るまでそう多くない。生態系の多様性と食材の宝庫は不確実な時代を生きぬく源になるのではと考える。「徳島にはなにもない」と思う人、何もないのに生きていけるとしたら、それが幸福の前提となるのではと提案するけど、響かない?

posted by 平井 吉信 at 00:02| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2025年04月07日

穴吹川に照るサクラとコスミレ 還らぬ人たちの鎮魂歌


四国一の清流(ということは全国一といっても誇大ではなさそう)穴吹川は、剣山の北東斜面に源を発し、木屋平村を抜けて穴吹町を経由して吉野川中流域に合流する

その中流域は隘路が多く、運転には気を付ける必要がある。川へ降りられる場所も下流部を除いては限られているが、目の保養になる。

かつて月刊アウトドアの表紙の撮影のため、カヌーエッセイストの野田知佑さん、カメラマンの渡辺正和さん、編集長の藤田順三さんらとロケハンで穴吹川をめぐったことがあった。あのときの穴吹川は状況が特によく、野田さんの言葉を借りれば「川は少し水深があるところでコバルトブルーに沈んだ」。
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夜にキャンプしたときも川に入ったが、ヘッドランプの光に照らされた「存在感のない水」が印象的だった。穴吹川の口山潜水橋は絵になるので第1候補と考えていた。車が通れるかどうかの細い橋だが、上流を望めば竹林が水衝部にあり、なかなかいい。

カメラマンの渡辺さんは、スキー写真の第一人者である。心配された曇り空も午後から陽射しがこぼれるようになり、それとともに撮影中の渡辺さんの顔からも笑みがこぼれた。本人にしかわからない感興の時が訪れているようだった。一緒にシャッターを切っていたぼくにもその気持ちは伝わってきた。被写体と無心に向かい合い、突然のシャッター音ではっと我に帰る…そんな時の写真はいい。撮影後、渡辺さんの大切な一枚を見せていただいた。それは、野田さんたちと奄美大島を訪れたときのこと。早朝誰もいない渚をガクとふたりで散歩する野田さんが砂浜に残した足跡の写真である。画面からえも言われぬ魂の遊びが伝わってきた。

渡辺さんは2011年に長良川で取材中に川へ入って撮影中に流されて亡くなられたとその後に聞いた。ぼくの手元には長野五輪の公式写真班を務めた渡辺さんの「シュプール」という山スキーの秀麗な写真集がある。前年の姫野雅義さんといい、なんともやりきれない事故が続いた。

2025年の春、穴吹川の中流域と河畔の桜を目的地への道中で見た。ここは口山潜水橋
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渓谷となった穴吹川中流部
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タチツボスミレって思う人もいるかもしれないが、コスミレ。最初はどのスミレも同じように見える。そのうち図鑑を片手に比べながら見るけど、微妙な違いがまだ判別できない。ところが数百数千と見てくると、ぱっと見て感覚的に違うとわかるようになる(機会学習/Pattern recognitionを重ねる画像認識AIに似ている)。この出で立ちは大陸系でしょう(そう見えませんか?)
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幾年月の思いがめぐる。春の花と水辺を、還らぬ人たちに捧げたい。
posted by 平井 吉信 at 23:42| Comment(0) | 山、川、海、山野草

神山森林公園から西龍王山経由の周回コース サクラとスミレが愉しめる


いまは命名権で「イルローザの森」と呼ばれる神山森林公園は、桜の季節には大勢の人で賑わう。桜の密度は低めなのだけれど、開放的な雰囲気で身体を動かせる愉しさがあって、サクラ以外でもというのがほかの花見にはないところ。

桜だけなら道中の公園周辺がよいと思うけれど、開放感があるのはやはり上のほう。神山森林公園は徳島市近郊にあって、標高300メートル半ばの丘陵地帯を整備してつくられている。それゆえ山上とは思えない運動公園となっている。駐車場から北をめざして上がっていけば丘の上に出る。ここから眼下に徳島市一宮町周辺の鮎喰川やゴルフ場、さらに気延山から西へ延びる尾根を超えて吉野川平野が見渡せる。ルートを尾根沿いに東へ採ると西龍王山(495m)、さらに尾根を東南へ歩みを進めるといったんは車道に出て東龍王山(408m)へと到着する。西龍王山を経由して時計回りに駐車場へと戻る周回コースは風光明媚で春の散策にひたれる。あとは写真で。

中腹のソメイヨシノ、タチツボスミレ
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公園の広場はボールを投げたり蹴ったり地面に座ったり思い思いに過ごす人たち。マダニ予防のため、シートを使うことと虫除けスプレーを衣服にしておく。公園にはしだれ桜や樹木の迷路もある

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北の丘の上から見下ろす鮎喰川の屈曲点が印象的
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よく整備された尾根の散策路を東南へと歩けば展望台
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ツツジも目の保養
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足下にはシロバナシハイスミレが群生
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さらに進むと西龍王山へと直登する分岐がある
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山頂には八大龍王の鳥居
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散策路は分岐が至るところにあるが、どこを降りても公園にたどり着く設計になっていると思われる。やがて公園へと降りてくる
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再びサクラを見る
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スミレは色の濃い鮮やかさ。図鑑で見るような典型的な(絵で描いたような)ニオイタチツボスミレ
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徳島市南部の文化の森からも近い。徳島市南部は、丈六寺や古墳のある渋野地区、植物園や動物園、さらには五滝や中津峰などがあって、半日の休みを過ごすには良いところ。
タグ: スミレ
posted by 平井 吉信 at 23:13| Comment(0) | 山、川、海、山野草

オキナグサとスミレ(Viola mandshurica)


河川環境にこんな植物が自生しているとは…。
最初見つけたときは驚きだった。写真では鮮明に写っているが、ぼんやりと見ている人には見つけられないおぼろげな存在であることも確か。オキナグサはそんな二面性を持っている。園芸種のクリスマスローズに似ている。
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同じ場所で岩の隙間とか砂地に咲いているのがスミレ(Viola mandshurica)。日本固有の種のように見えて、実は渡来系。なんだか弥生人のようだ(縄文人と弥生人が別の種とも思えないが)。
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タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 22:25| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2025年04月05日

近所のサクラとスミレ2025年4月


立江の夫婦桜(小松島市)

市山煙火商会さんのご好意で見せていただいている。楽しい動物たちも置かれている
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岩脇さくらづつみ公園と桜の馬場(羽ノ浦町)

昔からの桜の名所である桜の馬場とその近くに整備された親水公園の桜。桜も良いがスミレも気になる
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墓地の近くの路傍に咲くスミレ(Viola mandshurica)
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側弁や葉には毛がなく葉が厚い。海からかなり離れた内陸部の民家の脇だけど、アツバスミレだね
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上大野の土手のサクラ(阿南市)

那賀川の午後はのどかだ
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熊谷のしだれ桜(阿南市)
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(フジX-T5+XF16-50mmF2.8-4.8 R LM WR)
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posted by 平井 吉信 at 13:22| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2025年03月31日

ユキワリイチゲも戸惑う三寒四温 阿讃国境の谷から一期一会の春


ユキワリイチゲは春の訪れを告げる山野草でスプリング・エフェメラル(春の妖精)と呼ばれる。県内では山間部の2月下旬から3月頃に見かける。今年の冬は寒い日が多かったのだが、3月中旬にもなれば咲いているだろうと、阿讃国境の谷を遡ることとした。

ところが到着してみると、谷は雪に覆われている。文字通り雪を割って咲いている(絵になる)と喜んだのだが、イチゲちゃんはあちこちにいるけれど蕾のまま。隈なく探したところ日向に咲きかけているのが数輪あった。寒い中でコバイモの仲間は幾つも開花していた。
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それから3日後、日本列島は陽気に見舞われ、一部の地域では夏日となった。開花を見たくて再訪してみたところ、辺り一面、谷沿いの斜面のあちこちで咲いているではないか。

三寒四温が極端で、イチゲちゃんも「もう咲かなきゃ」と焦って一斉に開花したのだろう。谷の上から下までこれまで見たことがない開花の様子。見たことがないよ、こんな咲きっぷり。谷の水音が軽く感じられる
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年末よりも年度末に一年の区切りを感じる人は多いだろう。
早春から春へと遷移する時間、(今年は見られなかったが、佐川のバイカオウレン、そして飯野山のケスハマソウやシュンラン、阿讃国境のユキワリイチゲ、那賀川のオキナグサなどを経て、一足はやくシハイスミレ、海沿いのアツバスミレ、里山のタチツボスミレ、標高の高いところのアケボノスミレやスミレサイシン、高原のスミレ(Viola mandshurica)や四国カルストのキスミレ、サクラスミレ、さらにヤマザクラへと時間は流れていく。

気候の変動があるので毎年状況が異なるし、見るヒトも年齢を重ねていく。春はアルペジオのように季節を連打していくけれど、その余韻をかみしめながら一歩一歩重ねる32,000日の一期一会。

posted by 平井 吉信 at 00:04| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2025年03月22日

海岸型のスミレたち 県南部の渚の小径で見かけたアツバスミレとツヤスミレ


秋から冬にかけてもぽつぽつと狂い咲きを見かけるが、あちこちでスミレを見かけるようになるとスミレの季節、つまり春がいそいそと訪れたことを知る。

毎年眺めている。毎年見に行く。でも同じスミレではない、スミレも代を重ね、ぼくも歳を重ねて一期一会。

あなたの一生が31,390日として、朝起きて夜眠ることを31,390回行ないながら何を感じ何を行い何を残していますか? ヒトの一生は長いようで短い。たった3万回の一日の繰り返ししかないのなら、やりたいことをやりつくすことはもちろん、時間や空間が音もなく過ぎていく刹那に心の目で感じながら生きていきたい。

ぼくにとってそのひとつがスミレ。今年もまたスミレの春がやってきた。三寒四温の繰り返しのなかに確かにやってきた。

ここは海部郡のとある海沿いのまち。観光地でなく賑わってもいないけれど大好きな場所。ここに来て陽光に誘われて渚のこみちを歩けば、1/31390がすばらしく充実した感覚―おそらくそれを自由という―を覚える。
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波打ち際が木々の隙間から陽光を拾い集めて反射する
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あ こんなところ(いつもと同じように)にシハイスミレがいました。山中で見かける個体と違ってここのは葉が厚い。海岸性のシハイスミレに別名を付ける必要はないけれど、シオサイシハイスミレなどはどうかな。ぬくもりを感じているね
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海はひねもすのたりのたり
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砂浜から渚に舞台が変わってもなお小径はつづく
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潮風をまともに浴びる場所に咲いていました。アツバスミレは、スミレ(Viola mandshurica)の海岸適応型。県南部では少々海から離れた場所(もっとも多いのは渚の近くだけど、離れても海岸線から2〜3kmまで)に見かけることがある。この個体のように紫と白が混じるのは珍しくない
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ハマエンドウの小群落にまぎれて
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あたたかい場所が大好き
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葉を見ればスミレ(Viola mandshurica)と比べて厚く光沢があるのがわかる
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岩ややせた地面やコンクリートの隙間を好むのはほかの植物が進出してこないから
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ハマエンドウと陽差しを分け合っている
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アツバスミレだけでは終わらない。タチツボスミレの海岸型のツヤスミレ(シチトウスミレとは産地も特徴も異なるように見えるので独立させるのが適切では?)。これも徳島県の南部から室戸岬にかけて見かける。タチツボスミレと比べると、花弁が白く白雪姫のよう。炬も白い
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自生している環境からすれば、ツヤスミレというよりは、シオサイタチツボスミレという感じ。葉は厚みと光沢があるのはアツバスミレと同じ。タチツボスミレの仲間であることは間違いないけれど、花弁や葉の形態が異なれど雰囲気にケイリュウタチツボスミレを感じる
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炬はうっすらと紫調を帯びた白
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スミレたちの春は始まったばかりだけど、駆け足であっという間にいなくなる。ヒトが生きている時間は有限だし身体はひとつしかない、時間は誰にでも平等に与えられているように見えて実はそうではない。時間はあくまで主観的とアインシュタインに教わったんだったっけ。

渚はおだやか 小径を戻る
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タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 22:59| Comment(0) | 山、川、海、山野草

満開の河津桜を見て和菓子を買う(前松堂/勝浦町)


勝浦町のまちなみの入口に前松堂(ぜんしょうどう)という老舗の和菓子屋さんがある。敷地内に植えられた河津桜を見てもらえるようこの時季に時期に開放されている。

このところ国の内外や政治では相変わらず暗いつまらない話題ばかり。社会と自分を切り放すことはできないので気分は上がらない、されど自ら愉しむことを放棄はしない。

だって今年も花のときを迎えてヒトを愉しませてくれるというのに、知らぬ顔はできない。サクラを愛でる気持ちは誰も同じ、まずは写真を見て(浸って)歩いているみたいに
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花見のあとは和菓子処へのお立ち寄りを
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赤飯などとともに大歩危の曲風園の緑茶でいただくことに
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素材感があっておいしい。でも前松堂さん、着色料は要らないかも。健康云々というより色があざやかでないほうが菓子に心を寄せられる感じがするから
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posted by 平井 吉信 at 21:44| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2025年03月01日

(速報)光のどけき春の日、明谷梅林は三分咲き(阿南市)


寒気が日本列島を覆った2月が終わって3月1日、開花が遅れていた阿南市の明谷(あかだに)の梅林もほころんでいるのではと訪れてみた。

少し前に訪れた八桙(やほこ)神社も近い。あの記事を書いて後、なぜ皇太子さまがこの神社を訪れたのか考えてみた。(その2年後に雅子さまとご成婚されたので)まっさきに縁結びのご祈願ではと思ったが、(真偽のほどは不明だが)1991年のご訪問はヘリコプターで秘密裏に行啓されたとのこと(県内のとある由緒ある神社の宮司さまから、この方面に立ち寄られた際に車で訪問されたという情報をいただいたため、ヘリコプターは修正。この間違った噂を拡げないためにも)。八桙神社には長大な参道の名残があることから、いまのたたずまいからは想像できない盛大な神社であったことがうかがえる。皇室のみが知る約束ごとがあるのかもしれず、立太子の儀とは関係なくても何らかの決意を秘めた行啓であられたのではないか。

さて、八桙神社から明谷梅林は目と鼻の先。桑野川沿いの県道から離れて支流の堂谷川を遡っていく。この春の里山の道中こそが明谷梅林の白眉といえる。だから梅林前の駐車場に停めずに、その手前に車を停めて(年によって場所は変わるが臨時駐車場が設定される)歩くのが心はずむ。
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梅は蕾のままの木が多く全体として三分咲き。最盛期は3月第1週の週末と予想。
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堂谷川に生える白梅
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光踊り水ぬるむ春を連想させる
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この一角は白い梅の精が宿るよう。春霞の空のようにおぼろながら光を宿す
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こんな枝振りに誘われて進んでいくとマヨヒガ(訪れた者に富をもたらすという遠野の伝承)に行き当たるのではないか
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梅が映える背景に白梅が重なるように浮かぶ
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終点まではもうすぐ。民家の軒先で野外カフェも開かれている
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風は凪 陽射しはほがらか 歩みも軽く紅梅見上げる
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上ばかり見ていないでと、足下のタチツボスミレのたたずまいも愛おしく
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終点の売店では着物を着た海外からの方のよう
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売店の前に駐車場がある
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さらに奧にも続くが このあたりで折り返す
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この案内絵図のような満開には至らなかったが、のどかなひとときを過ごした。
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開催に当たっては地元の方々の梅林の手入れや苗の植樹、当日のご準備など並々ならぬお力添えをいただいている。高度経済成長期には22戸が梅を生産していたというが、現在では4戸に減少。近年は獣害も深刻である。梅の木も少なくなり勢いの衰えも散見されることから往時と比べると来訪者も1/5に激減している。

そこで地元住民を中心に明谷の梅林をこれからも人々が愛でるようクラウドファンディングにも挑戦。集まったお金で植樹と獣害対策を行なっているとのことであった(この日も獣害からか崩れた石垣の補修を数人でされていた)。梅の手入れには人手が必要となる。現地を訪れて関係の方々にお話を伺って、できることから行動するのも方策。
posted by 平井 吉信 at 21:19| Comment(0) | 山、川、海、山野草