2017年10月15日

雲が早く流れて明るい森に 雲早山


地図を見るのが好きな少年だった頃、
勝浦川の源流域のことが気になってしかたなかった。
小学生が家の自転車を漕いで握り飯をつくってもらって
行けるところといえば、せいぜい中流の横瀬辺りまで。
そこで父の車に同乗する必要がある。
当時は、勝浦町と上勝町の境にある坂本の集落にはバイパスはできておらず
支流の坂本川沿いの細い道を高度経済成長期のパブリカで揺られていく。
まずは支流の旭川の源流へ連れて行ってもらった。
アメゴ釣りのついでだった。
(ここで尺のアメゴを釣り上げた小学生だった)

いまの役場がある場所で本流と分かれた旭川は
田野々の集落を過ぎてだんだん川も小さくなっていく。
八重地を過ぎる頃、川がひとまたぎできそうになる。
これは衝撃的だった。
夏休みには毎日のように下流で泳いでいたあの勝浦川だと。
(遊泳禁止区域だが気にしない。ぼくの唯一の補導歴は川で泳いでいて婦警さんと遭遇したこと)。

地図を見ていると、本流の殿川内渓谷の源流部に雲早山という山がある。
くもそうやまってどんな山だろうと気になっていた。
源流については、地権者の了解をいただいて、
探検隊をつくって源流と思われる谷をいくつか遡行して源流点を同定したことがある。
(2万5千分の1の地形図を持っていても谷の同定はむずかしいのだ。GPSのない時代である)

雲早山を最初に訪れたのは20代の最初。
なにしろぼくの山デビューは剣山などではなく
高知大のワンゲル部の悪友に騙されて三嶺(さんれい)の
フスベヨリ谷やさおりが原、白髪山を経由して
西熊、天狗塚とめぐる四国のゴールデンルート。
当時の沢沿いのこのルートは
後に訪れた屋久島の森よりも深いと思えたほどであった。
(そのとき触発されて詩を書いた)

三嶺を経験すると県内の名峰を次々と行きたくなる。
高丸山の次は雲早山である。
スーパー林道をことこと揺れながら登山口へ着く。
そして沢沿いの庭園風景に浸りながらの登山はこれまた衝撃的だった。

縄文に触発されて三内丸山遺跡を見たさに
青森を訪れて足を伸ばした奥入瀬渓流を見たときでも
ああ、雲早山の登山道の平地版のようだなとしか思わなかった。
(好奇心の趣くままに旅をすることが生きる目的と思える)

それから数回通った後、見慣れてしまうとしばらく行かなくなった。
近年ではスーパー林道の上勝側が荒れてしまったこともあって
行きたくても行けなくなっていた。

ところがスーパー林道が開通したことを確認して
土須峠から行くことにした。


登山口周辺に車を停めて登山開始。
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ハガクレツリフネが迎えてくれる
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鳥居をくぐって山域に入っていく
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沢沿いにしばし立ち止まり谷を下る水を見送る
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休憩場所がある木陰の広場へと出る
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きょうは山野草は見えないと思っていた。
鹿の害に加えてもともと葉なの少ない季節。
ところが、トリカブトだけが群生。
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鹿も食べない、人が持ち帰らないトリカブトは最後まで残る。
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よく見ると、白いトリカブト、紫の濃いトリカブトなど
個性がさまざま
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林床を這う足の長いクモは森の人気者
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明るい森を見ながら高度を上げていく。
尾根に出るまでの登りで雲早山は足を鍛えてくれる。
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倒木の苔に光が射すとミクロコスモス
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朴葉焼きの葉(ホオノキ)かと思ったが、トチノキのようだ。
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森歩きは快適に高度を上げていくけれど…
なぜか違和感。この違和感は?
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ススタケがない!
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かつて来たときは谷を遡行しながら左手の尾根に取り付こうとして
背丈ほどのススタケをかき分けて行った記憶。
いまはどこを通っても尾根に行ける。
鹿害―。

地球の温暖化が原因だろうか。
冬を越せなかった個体がいまではやり過ごせるようになった。
加えて猟師も減っている。
かくして林床の草木は食べ尽くされ、明るい森が出現する。
人の目には美しい森に見えて生態系の崩れた姿。

森のキノコは愛らしい
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高丸山への分岐を経て尾根筋に出た。
かつてこの縦走路は難コースだったらしい。
いまでも尾根をトラバースする箇所がある。
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高丸山方面が見えているが、早い雲が次々とはるかな頂を覆う
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ススタケに覆われた山頂への尾根道もいまでは…。

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久しぶりの雲早山、雲の早さのごとく変わってしまった。
ただ、トリカブトの群生が残された。


posted by 平井 吉信 at 21:14| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2017年10月06日

小島の浜とモラスコ牟岐と砂美の浜(牟岐町)


この人は仕事をしているの?と思う人もいるだろうけど
仕事の時間は日本のワースト企業「電通」にも負けていない。
(となると労働基準監督署が査察に来るか?)

でも、大きな違いが。
それは仕事を楽しんでやっていること。
一見、困難な問題が現れると内心しめしめとゲーム感覚で
脳の神経細胞ネットワークが動き出す。
考え抜かなければ、新しいつながり(ニューロン)は生まれない。
感動や感性に蓋はしないで、むしろ最大限に広げるけれど
それと同時に精神の安定や達観とともにプロジェクトのマネジメントも行う。
(これが仕事を楽しくやるコツ。あちこち行って写真撮っているのは仕事ではないけれど)

さてと、合併せずに単独での自治を選んだ牟岐町には
生態系の豊かな場所がある。
(といっても一般的には関心を呼ばないので)
風光明媚な場所をいくつか。

小島の浜はすぐ沖に小島がある。
(だからそういうのかな?)
干潮時には渡れそう。小豆島にあるエンジェルロードのよう。
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浜にはモラスコ牟岐という貝の博物館がある(近くには少年自然の家がある)。
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数年前までは海中の豊かな生態系のツーリズム、
つまりスクーバダイビングのサービスを地元漁協が関わって行われていた。
牟岐の海は世界的なダイビングスポットと比べると透明度はやや落ちるけれど
生物種の多様性や悪天候時の稼働率(ダイビングの可否)は高いそうだ。

10月初旬の小島の浜はリゾートのようにも見えてくる
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トロピカルな雰囲気。
三好和義がミノルタ最後のMDマウンドの一眼レフX700で
楽園を撮っていたことを思い出す。
生活感のないセイシェルやモルディブの写真は
日常の生活に刺激と潤いを与えてくれた。
篠山紀信がシルクロードやアイドルを撮ったのもこのカメラ。
ぼくの手元ではいまも現役、完動。MD50/1.4を付けて。
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(ミノルタX700に35oF1.8、フィルムはベルビア、偏光フィルターではさらに明るい緑、さらに深い青が現れるといった構図。このカメラを持って南太平洋の島々を渡り歩きながら1か月を過ごした。360度深紅に暮れていくランギロア島の夕焼けは忘れられない → あまりの衝撃に写真を撮ることができなかった。フィルムへの郷愁を感じる人が増えているのは効率一辺倒でない生き方への憧れがあるから。あえていまの時代に使おうとは思わないけれど、その感情のうねりはよく理解できる。カセットテープをウォークマンプロ=うちでは現役で走らせてみたら感じられるものがあるよね。ブラウン管テレビはそろそろ寿命なのだけれど、ソニーの15インチと19インチはそれぞれ現役)



南阿波サンラインの外ノ牟井浜や明丸海岸からも遠くない。
ここは知られざる場所。
全長20キロの海岸線と渚に
休日でも1桁か2桁の最初程度の訪問者がいるだけなのだから。
牟岐の渚の良さは何もしないでいるとわかる(わかったような気になる)。

→ 南阿波サンラインの記事一覧

月の浜辺でウクレレを鳴らしてみると
加山雄三になれるかも。
(ここは砂美の浜)
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posted by 平井 吉信 at 22:50| Comment(0) | 山、川、海、山野草

初秋の中津峰 ラッキーナンバーは773


小松島市の郵便番号と同じ標高を持つ山が
小松島市のどの平野部からも望むことができる。
中津峰、中津峰山ともいう。

登山口に着いたのは15時を回っている。
この山にはちょうど良い時間。
これからが静かな山歩きが愉しめる。
実際に誰とも会わなかった。

如意輪寺の裏から登り始めたのだが
尾根の影に入ってすでに日は当たらない。
五滝の登山口からだと日は射してくると思う。

ふわりとした綿毛が道ばたのオブジェとなっても誰も気に留めない
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しばらくは杉林の尾根を登っていく
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やがて広葉樹の一角を抜ける。ここがいい。
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1時間ほどで山頂の神社へ。石垣をくぐろうとすると西日が入射する。
(出来過ぎた構図だが、ほんの一瞬のできごとであった)
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すぐに三角点。ラッキーナンバーは773
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山頂直下の休憩小屋
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南西方向は、那賀川下流の平野、日亜化学、橘湾が展開する
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神社の脇にきょう初めて見かけた山野草
フジではXF14mmF2.8 Rが想像を絶する写り。
評判の良いXF35mmF1.4 Rも甘く感じられる。
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杉林を抜けるとき、うたが聞こえてきた。
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雨がしとしと降る晩に 豆だが徳利持って酒買いに♪

那賀川の土手が草ぼうぼうであった頃、
タヌキが棲んでいると言われていた。
その頃、母の近所の酒屋(さえぐさのひでやんく)には
タヌキが酒を買いに来ると聞かされていた。

歌は誰かが歌っているのではない。
心の中で響いた。
狸に化かされないうちにと足を速めた。

苔むした岩は狸が化けるときに使う化け台ではないかと思って。
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狸に化かされるとすれば、まだまだ修行が足りない。
化かされる幻影を描いてしまうのは
心に隙があるから。
あるがままを受け容れていく度量があれば
かえって隙はなくなる。
真空がエネルギーで満たされているのと同じように。
(世の中、本質を見ていないすぐにだまされてしまう)。

posted by 平井 吉信 at 22:26| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2017年09月30日

吉野川貞光の河原に夕陽が落ちていく


夜の仕事で大歩危方面へと向かっている途中、
吉野川が暮れてゆくのを貞光あたりで遭遇。

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カンドリ舟の人、この夕暮れに何を想って舟を出したのだろう
いや、舟を着けに行くところだろう
まさに落日のとき 逢魔が時
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ご存知でしたか? 
吉野川は、川から太陽が昇り川に沈む全国でも唯一の大河であることを。


余談(追記)

スマートフォンではこういうのは撮れないから。
画像処理で取り繕えるほど自然は割り切れるものではないから。
フジX-T2+XF35mmF1.4 R フジX-E2+XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS


iPhoneの新型、テレビで報道されていた。
顔認識? 夜中に緊急の連絡が入ったとして
(例えばエリアメールや避難指示など)
ロック解除を真っ暗な部屋でどうやって?
部屋の灯りを付けなければならず不便。
顔認識? そもそも実物大の写真で可能なのでは?

ホームボタンがない?
ジェスチャーで呼び出す?
使用頻度を考えてみれば
第1関節か第2関節の負荷が増す。
頻繁に使うだけに指を痛めてしまう。

スマートフォンはブルーライト以外にも腱鞘炎の引き金となるうえ、
情報過多で判断機能が働かなくなるなどデメリットばかりのように思える。
うつろな表情で汽車のなかで操作しているのを見ていると
何のために生きているの?と問いかけたくなる。
スマートフォン依存は長寿の大敵、判断力や洞察力の低下を招く。
限られた時間、お金、ノウハウのなかで
情報を絞っていくことが生きる本質と思う。

カメラが良くなってもやはり2万円程度のデジカメには叶わない。
(レンズもセンサーも画像処理も無理があるからどこかで破たんする)。
机の上や頭のなかだけではブレイクスルーには程遠いことを
まだスマートフォンを使ったことがない人間でも見えてしまった新型iPhone。
ぼくにとっての最大の謎は、なぜハードウェアキーボードや
カメラ機能を重視するのにタイムラグの低減にも役立つ
物理シャッターボタンを付けようとしないのだろう。
(いまの時代にプロダクト・インの発想が受け容れられることが不思議)
デザイン優先でインターフェイスが犠牲になっているが
その状態にユーザーを飼い慣らすということか。
(何度も言うけれど長時間操作していたら指の機能が壊れてしまうよ)
CPUや画面解像度などでしか性能を語れないというのは
(ほとんどの人にとっては過剰品質。それは何のため?)
かつての革新的な提案がなくなって
もはやライフサイクルの成熟期に突入。
差別化のためのデザインをしなければならない段階に入った
コモディティ商品になったということだろう。
(好きで使っている人には関係ない話だけれど)


タグ:吉野川
posted by 平井 吉信 at 23:11| Comment(0) | 山、川、海、山野草

秋の牧野公園 ゲンノショウコの絵巻に溶け込む


高知県西部での仕事を終えて
充実感を持って帰路に就いている。
須崎西で降りて佐川町へ抜けると牧野公園。
秋の山野草に会いに来た。

真冬を除いて一年でもっとも花が少ない時期かもしれない。
入園者とすれ違うこともほとんどない。
でも、もしかして牧野博士が命名した
ジョウロウホトトギスが咲いているのではとの淡い期待もあって。

手抜き編集でカメラごとに写真を並べてみる。
まずはニコンD7200+AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VRで。

彼岸花には紅白がある
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初めて見たスズムシバナ
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佐川駅に向けて走る普通列車
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白く透けるようなキノコ
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三原村の立派な群生には及ばないけれど
牧野博士ゆかりのヒメノボタン。
(今回は三原へ行かなかったので)
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白のゲンノショウコ
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ツユクサの青を引き立てる
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博士が妻の名を付けたスエコザサ
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指数関数の公式のよう
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神山町の特産の山野草、ヒオウギ
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ゲンノショウコ(赤)の群生と溶け合う色のやわらかさ
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タニジャコウソウ
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ここからフジX-T2+XF35mmF1.4 R
花の存在をやわらかく空間に置いてみたいとこのレンズだけ
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山野草を見て癒される、というのは
愛らしい外観を愛でているだけではなく
生命体の細胞レベルが響き合うような気がする。
シャッターを押したのはぼくではなく…。
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牧野公園は多くの市民ボランティアで支えられている。
「どちらからおいでましたか?」
「徳島からです」
おじいさんに山野草のお話しを伺いながら、見どころの説明を受ける。
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牧野公園の話題ではないが
この日は仁淀川本流は濁っていた。
帰り道に193号を通過したが
支流の上八川川がこのありさま。
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それに対して吉野川大歩危は澄んでいた。
10月3日からは世界ラフティング大会が開催される。
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ここからはX-E2+XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS
ジョウロウホトトギスに期待したのだが、開花はまだ。
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牧野公園でもっとも高い場所は物見岩と呼ばれる場所。
佐川城の見張りが置かれた場所だったのだろうか。
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政治、政治家、官僚は要らない。
政党政治は終わっているのに、まだやるのか―。

けれどこの国が好きなのでほかに行くところがない。
どこにもぶつけようがない感情にさいなまれる。
未来への危機感。

中央集権から脱却して自治する地域の連合国家となれなければ
半世紀後にこの国はないように思う。

政治を私物化しているのはどこをみても同じだ。
少しお金を借りたかもらったかで辞めさせられた知事と
今日の日中関係の低迷をつくった張本人の知事とどちらが罪が重いか。
個人の主義主張を公に持ちこんで私物化した結果、
日中双方とも物心両面で計り知れない損失を被った。
それなのに彼をさばく方法すらないとは。

党の名前は異なっていても、戦前の軍国主義を仰ぐ連中ばかり。
根っこがつながっているので
新党であれ従来政党であれ、どの政党を選んでも意味がない。

科学技術立国として源流(研究開発)に投資を行うことが長期的な国家戦略だろう。
内需を拡大させる経済戦略が求められるが、
現政権の経済政策はその真逆を行っている。
さりとて野党も明確な論点を設定できていない。
自分が思うようにならないから苛立つのではなく
未来の世代の幸福がかかっているのだから。
もっと政治のことに関心を持たなければこの国の未来は闇となる。

そんな時代だから
無名の人々の献身的な世話で咲かせた山野草は
冷静沈着でいなさい、愛を持ってできることをやりなさい、と諭す。


posted by 平井 吉信 at 22:39| Comment(0) | 山、川、海、山野草