2022年05月14日

目を閉じて小旅行 Bon Voyage


1983年の中森明菜の3枚目のアルバム「ファンタジー〈幻想曲〉」から
「目を閉じて小旅行」がふと聴きたくなった。

いまの時代を感じている心は押しつぶされそうになる。
自分を顧みてもやるべきことがあまりに多いけれど、
それ以上に政治や社会の動きが目を覆いたくなる。
生物の宿命ともいえる他者への攻撃はやむことを知らず、
それでもピントのずれた政治家の発言やら間違った経済の舵取りやら、誰も望まぬ金融政策を続ける中央銀行やら。
地球上では生態系の破壊と温暖化、感染症の蔓延など人間社会の崩壊が加速度的に破滅に近づいていることを感じている。
それでも何も変わらない。

そんなとき80年代の音楽はなんだかほっとする(一部は70年代、90年代を含む)。
音楽が濃密な個人の体験と同化して夢やら焦りやら哀しみを歌ってもそこに明日があるような。

山口百恵の楽曲で好きな曲を3つ挙げるなら「想い出のストロベリーフィールズ」「乙女座宮」「夢先案内人」。
中森明菜では「あなたのポートレート」「Bon Voyage」「目を閉じて小旅行」。
ヒット曲から立ちこめるハレめいた匂いが好きではないのだろうな、
そして短調の楽曲につきまとう不自然な感覚が好きではないのだろうな、と思う。
(コード進行に縛られた音符の動きが作為的に聞こえてしまう)
素のままの魅力を活かせる自然体の楽曲が提供されていたらと思わずにはいられない。
前述の3曲やデビュー曲「スローモーション」もいい。短調なのに不自然さが感じられない。

レコード、CDをずいぶん集めた。ベートーヴェンだけでも数百枚ある。
けれど1枚もないのはビートルズ。
(せめて、青盤、赤盤、サージェントぐらいは持っていてもいいのだろうけど)
学生の頃、ぼくの周囲も夢中になっていた。
「プリーズ・プリ−ズ・ミー」には新しい時代、まぶしさを感じて悪くないと思ったけれど
ABBAのダンシングクイーンのほうがより好きだった。

明菜で挙げた楽曲は抜けが良くて身体が勝手に動き出す感じ。
16歳の中森明菜が夢見ただろう風景はこんな抜けるような空と海かもしれないと思ったので。
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撮影したのは80年代ではないけれど、季節はちょうど今頃。
場所は、土佐佐賀から大方浮鞭あたりの渚。
(ニコンらしい空の色だね)


タグ:音楽
posted by 平井 吉信 at 01:20| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年05月09日

水は映す 水に萌える 山のさわらび 早苗月の日和佐川


日本の季語を並べたような日和佐川は、野田知佑さんの終の住処となった川。
晩年は小鮒釣りしかの川だった頃の九州の川に思慕を寄せられていたのかもしれないと思う。

日和佐川にはダムがない。流域の人口も少ない。
最下流を除いてほぼ里山を流れる。
小さな川だけどそこには数え切れない子どもが遊び巣立っていき、いつか戻ってくる川。

新緑を愉しむ日和佐川。
川が大きすぎないので身近に感じるし、周囲の山々が包み込んでくれる。
流域のわずかな平地の湿地や田んぼが生き物を育む。
人と自然が渾然一体となった生態系を里山という。
ここには四国の里の川の風情が凝縮されている。
新緑を映す川面に浸りたい。
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若葉色、青柳色、翠色へと沈んでいく階調
渋い松葉色、淡い若草色、初々しい若苗色も散りばめて
(しばらくは人の気配を消して画像だけで)
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神秘の木陰と里の匂い
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こんな薄暗い環境を好むスミレがいました
コミヤマスミレ。柳煤竹をまとった貴婦人のよう。
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葉の模様が幾何学的
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川は流れるいつものように木立の向こうを
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posted by 平井 吉信 at 20:57| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年05月08日

明るい雑木林の標高千メートルのスミレたち


県西部はスミレの種類の多い場所。
里山からブナの森への遷移が連続する生態系でそれぞれの環境に適合するスミレが自生する。
まずは林間の散策から。
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林床にはギンリョウソウが点在する
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シハイスミレは花期を終えて次の選手へ交代しているようだが、一部で残っている。
これはシハイスミレらしからぬ淡い色。日の当たる場所ではないので日に褪せているものではなくシロバナ仕様
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これは標準的なシハイスミレ
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かと思えば斑入り(フイリシハイスミレ)も
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陽光を感じるツツジ
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日当たりの良い道路沿いにはアカネスミレ
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明るい雑木林ではアケボノスミレ。淡く薄紅を浮かべた花弁は憧れの的。
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(閑話休題)
学名とは別に日本で独自の名称を付けている(和名)。
アケボノスミレはいい名前。サクラスミレもいい。
タチツボスミレで花弁が白で炬が紫に染まる状態を「オトメスミレ」というのも妙案だが、
強いて言えば「オトメタチツボスミレ」のほうがしっくり来るのでは?
でも植物の命名はもう少し工夫して欲しいと思うことが多い。
磯に生えず砂浜に生えるのに「イソスミレ」とは?
「スナスミレ」ではダメで「ナギサスミレ」に改称しませんか?
ノジスミレの毛の生えているものを「オトコノジスミレ」(なんだこれは)。
タチツボスミレに毛が生えているものは「ケタチツボスミレ」と統一感がない。


スミレ以外にもイチリンソウやチゴユリが咲いていた
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春の林床は明るい。

タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 23:26| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年05月03日

思いがけず遭遇する思いがけない出会い(感応)という贈り物


山中で思いがけず山野草との遭遇がある。
いつも不思議に思うのは期せずして出会うという感覚があること。
まるで草花が呼んでいるかのように誘われて知らない山域に足を踏み入れ偶然そこに居合わせた感じ。

人里離れて登山道もない山域でなぜここに辿り着いたかは説明できないけれど、自然界のなかでも凛として艶やかにあればこそ知らせるともなく識らせる存在があるのかもしれない。
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posted by 平井 吉信 at 00:35| Comment(0) | 山、川、海、山野草

午後の遅い時間は近所の山で紅茶を飲みたい 芝山か日峰山か? 栄枯盛衰のまち


家から10分シリーズの典型ですぐに行けるのは阿波三峰のひとつ日峰山。
あなたとふたりで来た丘は港が見える丘♪とくちづさみたくなるよな。

ところが国土地理院の地図には市民が呼び慣れた日峰山の名称はなく「芝山」とある。
芝山とは日峰神社がある標高165メートル峰を指すのか?
そこから東へ鞍部を経て191.4メートル峰がある。
こちらを日峰山という解釈でいいのだろうか?
それとも日峰山一帯を芝山と呼ぶのだろうか?

かつて四万十川は渡川の名称だったが、地元住民は「わたりがわ」とは呼ばず「しまんとがわ」と呼んでいた。いつのまにか名称も四万十川になった。
日峰山も「ひのみね」もしくは「ひのみねさん」と呼ぶ人はあっても
「しばやま」と呼ぶ人は見たことがない。

日本で2番目に高い山を知っていますか?
小学生のぼくは「白根山」3,192メートルです、と答えていました。
山頂の名称では「北岳」。この呼び名が一般的でしょう。

芝山=日峰山なのか、芝山は徳島市と小松島市の境界一体を指す山であって、そのもっとも高い地点191メートルを日峰山と呼ぶのかはわからないけれど、家から10分シリーズということで進めていきましょう。

山頂までは麓から歩く人が多いが、車でも上がれる。今回は時間の関係で車で。

南を臨めば神田瀬川(勝浦川三角州の分流跡で清浄が池、菖蒲田池、神田瀬川と続く)河口部と市街地
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北に目を転ずれば大神子、大崎半島、勝浦川河口部と津田海岸
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山腹は新緑で覆われる
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一文字波止を沖に備える小松島港が通称「新港」とも呼ばれるのは、神田瀬川河口に拓いた京阪神への航路と発着駅があったから。こちらは旧港と呼ぶ。旧港周辺にはハイカラ館と呼ばれる建物と小松島市街地へ扇形に広がる道路の集まる小松島駅(通称「本駅」)があった。
7時7分発の快速に乗って通学したものだ。小さい頃は広大な駅の敷地(保線区)があり、線路上にはSLが、しばらくしてディーゼルが走り出した。かつては小松島発で松山、高松、高知行きの直通があった(と記憶している)。四国の東玄関と呼ばれた重要な港湾及び拠点の駅であったが、昭和の終わり頃に廃線、航路廃止となった。
ところで父が子どもの頃、丸太に掴まって沖の一文字波止まで渡ったという。当時は石積みの防波堤だったようで水も美しくサザエなどを採ったらしい。横須松原が白砂青松の遠浅で京阪神から海をわたって貴婦人たちが海水浴と避暑に来ていた時代である。
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もっとも重要な南北の道路を日の峰通りという。循環器では四国一円から患者がやって来るという徳島赤十字病院もこの通りにある。
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京阪神航路と小松島駅があった頃もっとも栄えた地域。フェリーが着く度に人や車がアリの行列のように吐き出されて目的地へと向かう光景があった。竹輪売りのおばさん、螢の光と紙テープが港を行き来した時代。
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春ののどかな夕刻、斜めの残照で緑が温もりを持って目に飛び込んでくる
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大阪方面は霞に包まれて栄枯盛衰が幻灯のように脳裏に浮かぶ
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タグ:小松島
posted by 平井 吉信 at 00:03| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年04月23日

北国へ帰りそびれたスミレ これからも四国でいられるよう 四国でいて欲しい


讃岐山脈(阿讃山脈)は標高数百メートルから1,000メートルの山々が県境を東西に連なり、そこを何本かの国道、県道が山脈を横切るように香川県と徳島県を南北に連絡している。これより北に高い山がないため、冬は北西の季節風が駆け抜ける。

讃岐平野のところどころには丘陵とため池、富士山のようなこんもりとした円錐形の山を絶妙に配する自然がつくりだした里山庭園の趣がある。この地勢のなかで盆栽文化が発展してきたことも頷ける。

里山から一部はブナ林までが分布するこの地域は山野草の種類の豊富さが特徴である。3月下旬から4月下旬にかけていくつか見てきたものがある。

まずはスミレの仲間から。
日本固有種のような学名が付いているコスミレだが東アジアにもあるという。ある種の華やかさを備えている(3月下旬)。
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丸い葉と可憐な白を基調とするのはアオイスミレ。葉が葵のようなことから名付けられた。シハイスミレと同様、早春のスミレ。
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見たことのない大きな葉を持つスミレがある。以前に県南部の平地で見かけて意外に思ったオオタチツボスミレの葉と判断。雪が降る寒冷な地域のスミレだから。
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つぼみを付けた花柄を見つけた。あと2週間ぐらいで開花するかもしれない
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ユキワリイチゲ、セリバオウレンも群生している
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ふもとに下りてくるとナガバノタチツボスミレが群生
(この場所の群落は特に花弁の色調と紋様が美しい)
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ときは流れて4月中旬、明るい広葉樹の森が連なる稜線を歩く。
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フイリシハイスミレが登山道の脇に点在する
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前回この山域で見た葉はやはりオオタチツボスミレであった。葉が丸く大きい。背が高い。花の雰囲気もタチツボスミレと少し違う印象がある。
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それにしても北海道や日本海など豪雪地帯のスミレがなぜ四国の一角に咲いているのか? かつて氷河期の終焉を迎えたころ北へ帰りそびれたのだろう。剣山で見られるツマトリソウなどもそうかもしれない。

この場所(数メートルしか離れていない)にはタチツボスミレの群落もある。なかにはタチツボスミレのなかに1輪だけオオタチツボスミレがある場面も。
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それなのに両者の交雑(ムラカミタチツボスミレという)は観察されない(どちらも固有の形態を明確に保っている。もし交雑があるとすれば、背の高いオオタチツボスミレよりもさらに背が高くなるはず)。
根拠のない推論だが、交雑種のムラカミタチツボスミレが現れるためには相方のタチツボスミレが北国特有の特徴(山陰型、日本海型など)を備えている必要があるのではないか。

オオタチツボスミレ、見ていると気持ちが和む。
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おおらかで伸びやかだけど、葉の曲面やら背が高くてしなやかな造形が佳い。オオタチツボスミレは北国へ帰りそびれたけれど、ブナの森と同様にあと数百年はこの地で種をつないでほしい。温暖化を食い止めなければ生態系は壊れていく。ヒトの役割と責任は重大だ。
タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 23:33| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年04月21日

スミレの交わるところヒトあり 遍路道のスミレたち


県南部の遍路道で見かけた。
いや、スミレに目が止まったのではなく桜が咲く里山の風情に惹かれたのでクルマを停めた。
すると足元にスミレが咲いていた。その一角だけ密度高くスミレが集まっている。

アカネスミレのような色彩を感じつつコスミレと同定。コスミレといっても小さいわけではない。
コスミレの学名はViola japonicaで、japonicaとあるが日本固有種ではなく東アジアで見られるという。
変移が多くときに同定が困難となることもある。これはコスミレで間違いないだろう。
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その近くで見つけた個体がこれ。花弁は白を基調に紫がかる。
花弁も中心部もぼってりとしている。まるで記憶にはないし図鑑でも見たことがない。
全体に厚ぼったい。まるでわからないが、コスミレの変移の範囲ではないかと推察
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さらに近くにはシロバナナガバノタチツボスミレ。これも初めて見た。美しい
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タチツボスミレが密集している。葉は小さめで花は大きめ。よく見かけるタチツボスミレではなく、コタチツボスミレに近い感じ。もしくは山陰型とか日本海型といわれる氷河期の生き残りのタチツボスミレに近いのかもしれない。
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色の淡い個体があった。炬は白いが花弁は薄紅を帯びた白。シロバナタチツボスミレに近いタチツボスミレ。
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これらのスミレたちはほんの数メートルの距離にある。交雑が起きても不思議ではない。
ここが遍路道にあたることから全国から集まるお遍路さんが種子を運んでくるのかもしれない。
スミレの生息域を拡げるのに、アリやヒトも役に立っている。
タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 23:42| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年04月15日

海を見下ろす丘にスミレの群落 桜の夕刻と翌日の朝に


温帯モンスーンから亜寒帯にさしかかる日本には世界でも有数のスミレが自生する。
それは世界でも稀な多様な気候、地形、それらの複合作用の生態系、そして人間が関わる里山の暮らしがあるからである。
川とスミレについてのテーマが多いな、と思われる方、そのとおりです。
だってそれが日本が日本たる本質と思うので。
(ここまでは前投稿と同じ。そこから脱線して語ってしまった)
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スミレに戻そ、スミレに。スミレそのものというよりスミレが生息する風土こそ日本の強みだから。

3年前までは県外からの投稿が半分近くあった。実際に仕事でまわったついでに撮影したものが多い。でもコロナ下ではそうも行かなくなった。

すると家から10分シリーズ、もすこし長く30分シリーズ、1時間ちょっと、ぐらいでブログが廻っている。
今回のスミレは家から10分シリーズ。いやこれまで知らなかった、こんなスミレの楽園があったなんて。コメントはいいから早く見せろって。はいはい。語っているうちにどんどん脱線していくので。今回は奮発していくからね。

まずは斜面のシハイスミレ、フイリシハイスミレ
濃いピンクと濃い緑の葉に白いストライプでぐっと迫る。
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おっと、スミレに見とれているうちに日が暮れてしまった。それでもフラッシュで撮る。勝手知った山道だから暗闇でも平気。
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この山に多いナガバノタチツボスミレが群落を形成する。
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ああ、時間が惜しい。太陽アゲインということで翌朝、仕事の合間を縫って再び。
やっぱり天国だね、ここは。ナガバノタチツボスミレとフイリシハイスミレの混生の賑やかさ。
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立派な葉だこと
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ナガバノタチツボスミレ
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太陽に祝福されたフデリンドウ
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陽光を照り返すヤマザクラ。
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ともに万華鏡のようだね。
タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 21:18| Comment(0) | 山、川、海、山野草

由岐のまちなみと海を見下ろすときのゆりかご(貝谷峠のブランコ)


遍路道は峠を越えていく。阿南市福井町貝谷と由岐町田井とを結ぶひとのみち。
途中にある峠からさらに海を見下ろす台地にブランコが地元有志のみなさんが設置された。

海を見下ろすブランコといえば同じ海部郡で牟岐町の出羽島を思い出す。
→ 出羽島 アートが島の非日常が人々を結びつける

由岐I.C近くから案内板に従って峠をめざす
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竹林に覆われた遍路道、途中から雑木が混じるようになる
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ほどなく松坂峠にさしかかる。展望はない。仏像と石碑がある。
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ここから貝谷峠まで700メートルとある。
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雑木林を抜けていくと三叉路に出る。開けたほうへ行くと海を見下ろす台地に出られる。
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ブランコは2本の木と金属ポールの補強を土台にしている
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海に向かって飛び出していけば、近くに由岐の漁師町と田井ノ浜のある集落に近づいていく。
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posted by 平井 吉信 at 20:20| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年04月13日

ダムができる前の大歩危小歩危がどんな光景であったか 桃源郷のような源流域がそのままここにあったはず(吉野川源流〜大歩危小歩危)


野田さんは、「日本の川を旅する」(モンベル復刻増補版)で1963年頃に大歩危小歩危で潜ったとき、水の余りのきれいさに陶然となったという。20〜30メートル先にアユやアマゴが見えたこと、水温が高く一日中遊んで夜は近くの小学校の宿直室に止めてもらったことなどが最後のページに綴られている。

川が好きな人なら源流域はどこの川も同じぐらい水が澄んでいると思うだろう。それは違う。
ぼくが始めて吉野川の源流を見に行ったとき、やはり水の透明度、美しさに驚愕した。四国の川の源流を見慣れているぼくですらそうだった。それは、水晶の切り口のような断面、この世でもっとも美しい空色(水色)の絵の具でも描けないと思えるような。


例えば仁淀ブルーの極致といわれる安居渓谷もコバルトブルーではあるが、あの色とも異なる。
写真はまだデジカメがなかった頃に吉野川源流をポジで撮影してスキャンしたもので原版の良さは伝わらないかもしれない。レタッチもしていない。

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吉野川は源流からほかの川とは違う。ここから194kmの水の旅の始まる玲瓏な大河の趣を持っている。源流については徳島県在住の(故)荒井賢治さん、川ガキ写真家の村山嘉昭さんに良いカットを見せていただいたことがある。これだけでも独立して写真集として出版していただけないかと思っているぐらいである。

吉野川源流はなんと数キロ流れて最初のダムに水を貯められる。長沢ダム、大橋ダム、早明浦ダムと山間の峡谷を次々とダムがせき止める。早明浦ダムから流れ出した水が汗見川などの支流を集めて多少息を吹き返して四国山地の横谷(先行谷)となった地形が大歩危小歩危である。

ダムができる前の吉野川の上流部、いまの早明浦ダムのあたりと思われるが、水没してしまった場所に桃源郷のような流れがあったと高知県佐川出身の作家、森下雨村が記した四国の川の随筆「猿猴川に死す」で書かれていた(四国の川が好きな人は必読!)。


こちらでも触れています
https://www.soratoumi.com/river/enko.htm


かつて四国放送のローカル枠で17時45分から短い旅行商品の紹介番組が放映されていた。
「徳バスサンデーツアー」である。大歩危小歩危から鳴門までが映し出され、吉野川の渓谷の動画に目を見張らされる。早明浦ダムができる前の映像だろう。渓谷の水は緑がかることなくどこまでも空を映して澄んでいる。

背景に流れるのはコール・ポーター作品のYou Do Something To Meのムードオーケストラ調の楽曲。演奏者や動画の存在を知りたくて徳島バスに問い合わせてみたが、当時のことがわかる人は退職しているらしい。知りたいけれど手がかりがない。四国放送に残されていないかな? 

ダムができる前の大歩危小歩危はどんな光景だったか。源流の水は生まれたままの無垢な表情でが人があまり住んでいない嶺北の渓谷を東流し、本山町あたりでようやく里に出るも、再び渓谷となって今度は北流して大歩危小歩危となる。

あの源流の水がそのままスケールアップして大歩危小歩危を流れていたに違いない。野田さんが潜って感じたのはダムができる前と記されているので、このサンデーツアーの映像のような川、すなわち信じがたい空色をしていて別世界の穢れなき表情を持って(断じてコバルトブルーのように緑がかっていない)、白い岩肌を滔々と流れていただろう。

もしあの光景が残っていたなら一生に一度は見ておきたい場面として世界中から観光客を呼び寄せただろう。そして新緑や紅葉など四季の変化を感じていたいと思える光景だっただろう。
徳バスの動画については著作権も切れているはずで誰かがもし録画やデジタルアーカイブでお持ちであればYouTubeにでも投稿して報せて欲しいと思わずにはいられない。

ダムの老朽化(インフラのメンテナンスの問題は橋梁などですでに始まっている)、人口減少と経済活動の持続的な低迷で利水の意義は薄れつつある。22世紀や23世紀の子孫へ思いをはせれば洪水防止なら山林の生態系保全が最善の方法であることも疑いない。いまならダムの撤去も地域活性化の選択肢となり得るのであればとも思うが、自然の復元(ミチゲーション)は容易ではないし費用もかかる。それでもかつての大歩危小歩危を見たいと願わずにはいられない。もし復元することができたら、1年間は仕事を辞めて川のほとりに住んで高価な器材も導入して後世に記録として残したい思いがある。


参考
高知県の山間部には川がある 仁淀川の支流の物語 上八川川 安居渓谷
http://soratoumi2.sblo.jp/article/186086096.html

四国の川を綴った名著「猿猴川に死す」が復刻されました!
https://www.soratoumi.com/river/enko.htm

早明浦ダムに沈んだ村(1994年に現地を取材して書いた文章、「四国の川と生きる」から)
https://www.soratoumi.com/river/sameura.htm

未来の川のほとりにて―吉野川メッセージ(仲間とともにつくった単行本)
posted by 平井 吉信 at 11:19| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年04月09日

このみちはいつか来たみち 金磯弁財天(小松島市)


小松島港と京阪神が結ばれていた頃、ゆとりのある人たちは海を渡って小松島の横須松原(横須海水浴場)まで遊びに来ていた。おそらくハイカラな水着を着たモボ、モガなどといわれていた人たちだったという(モダンボーイ、モダンガール―戦前の話ですよ)。

横須松原は高度経済成長で水質が悪化していたが、ぼくが子どもの頃はなんとか泳げた。
どこまで行っても背が立つ遠浅の海だった。身体が冷えると海の家で飴湯をすすった記憶がある。
しかし次第に急深となっていき、水質悪化もあってオイルショックの頃に海水浴場は閉鎖された。

横須海岸の西には競輪場、さらには神田瀬川河口(旧港)があり、海岸の東には金磯弁財天、赤石埠頭がある。弁天さんは景勝地として知られており、遠方からも観光に集まってきたという。

金磯地区は江戸時代に豪農多田家が拓いた金磯新田を中心に栄えた土地である。幕末には多田家は私財を投げ打って弁天山に砲台を築いて徳島藩に寄贈した。しかし昭和21年の南海大地震で金磯新田は地盤沈下が著しく海没したという。
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いまでも周辺を散策すれば立派な家屋が建ち並ぶ。なかでも多田家は石垣を備えた見事な敷地と建物である

国道から1本入るだけで海沿いの静かな住宅地となる。ぼくは道ばたのスミレ(スミレ、ノジスミレ)を見かけて驚喜する。それにしてもアスファルトの隙間をわざわざ選んで…といいたくなるが、種子を運ぶアリの仕業かもしれない。スミレにとっても日当たりを独占できて悪くないのかもしれない。誰も目を留める人がいないのでぼくがしゃがんで撮影していると道行く人が立ち止まって何を撮っているか覗き込むありさま。
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横須の松原といわれた景勝地にはいまも松が残っている。海沿いの散策路はクルマは入れないが自転車と人の憩いの道となっており休憩場所も設けられている。
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かつての白砂青松の面影はないが、春の時期は水の透明度があって打ち寄せる水は青い。
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松原の一角に石碑があり、1999年に松を植樹したとある。確かこの頃小松島高校の教頭をされていた泉先生がわが家へお尋ねになり植樹について意見交換を行った記憶がある。
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弁天山が近く見えてきた
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弁財天神社の境内に入る前に海へ下りる小径を辿れば岩窟の空洞を抜けて海へと出られる。
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周囲の岩はきめ細かな地層が褶曲しているように見える(タモリさん、これはなんですか?)
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弁天山の手前で休憩している男性がいた。古いわが家の修理をていねいにやっていただいている工務店の社長さんだ。創業の地がこの近くでここに来ると落ち着くんです、とおっしゃった。ていねいな工事、気配り、社員を育てる人間味ある社風は伸びていく企業と思う(家のリフォームなどをお考えの方、紹介しますよ)。

弁天さんの境内には桜の花吹雪が舞っていた
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弁財天の由来は艶っぽい。
空海が恩山寺で修行中に海上に龍の住処とされるゆらめく火を見た。
(当時は恩山寺の周辺まで海が入ってきており金磯は数キロ先の干潟の海に浮かぶ小島という趣と考えられる)
そこで船に乗って龍燈があやしく輝く島に上陸すると梅の香りが立ちこめ、人間に鳥の羽を付けた迦陵頻伽が飛び交うなかで海の守護を司る女神(弁財天)がいた。空海と語り合い夜明けとともに白龍となって消えた。空海はこの地で弁財天を祀った。やがて仏堂が建てられ紀伊水道の守護する神となった。

あこうの巨木が有名
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境内の片隅に生活感があふれているのがおもしろい
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モアイ像のような石像が点在する
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このみちはどこへ続いていくんだろう(今回は道・径・途がテーマ)
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散策路ぞいの野バラ、初夏にみごとな群落となるだろうツユクサ
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みちの果ては渚。目の前に松島のミニチュアの光景があった
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上の画像の真ん中のあたりを拡大するとポストのような構造物が見える
(35o相当の広角レンズからの拡大だがXF23mmF1.4 Rの解像力が高いのでフルサイズは要らないなと思う。Web用に縮小する前の画像からはポストが東に穴が空いていること、周囲の岩にウミウが9羽並んでいるのがわかる。波打ち際の貝も数えられる。数えたくはないが)
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島々を見ながら高度を上げる。弁天山の山頂に続いているようだ。
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山頂にはお堂がある。そこに祀られている石像は仏様のようには見えない。もしかして兵隊かも(太平洋戦争の戦勝祈願? 自分の目で確かめてみては?)
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幕末に多田家が築いた砲台があったのはここかもしれない
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このみちはどこに続いていくんだろう→ 境内に続いていた
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この道は家に帰るみち
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金磯弁財天は郷土の歴史に還るみち
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posted by 平井 吉信 at 18:01| Comment(0) | 山、川、海、山野草

人もスミレも安息の場所 里山の森のスミレ(徳島市)


ここは里山。徳島市内とは思えない場所で上水道はなく谷の水をろ過して飲んでいる。
集落の上には在所の人々の信仰を集める神社と神社を取り囲む昼なお暗い森がある。
スタジオジブリで見るような景色が2022年にも残る。好きな人にはたまらない光景である。
集落にはシカ、イノシシ、タヌキ、ウサギが出没する。猿はいない。

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この里山はスミレの宝庫である。
集落の手前の岩場は水が滴る湿潤な場所。タチツボスミレが群生している。
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自生地は水苔のような崖である
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この形態はタチツボスミレだけれど、どこかケイリュウタチツボスミレに接近していなくもない。
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鎮守の森に入る手前に沢があり、その一帯の斜面にはタチツボスミレが群生している。ただし側弁には毛があるタイプである。ナガバノタチツボスミレと見まごうような花弁の色が濃い個体があるのは日陰だからだろう。
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西日本の森の女王、シハイスミレ。やや日当たりの良い斜面に自生している
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南向けの開けた斜面に一輪だけ。アリアケスミレと思われる。花柄や萼が茶色と土壌や環境の影響か。1個体のみで周囲に自生がなかったことからも人間が意図せず持ちこんだのだろう。
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山頂から集落を指呼の間に見ることができる。馬場のような地形となっている。実際にかつては馬を走らせていたのではないだろうか(四国の尾根で少し距離の取れる平坦な場所は実際に馬場として使われた)。
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集落で採れる野菜はおいしいのは傾斜地で水はけが良いこと、霧や雨に恵まれること、日照時間が確保されることなどである。かつてはみかんで生計を立てていた家々が多く、どの家にも貯蔵庫(納屋)がある。しかしこの集落も高齢者が亡くなると家主不在の家が増えつつある。

氏神さまの社も老朽化が著しいが地区に建て替える財力はもはやないのかもしれない。
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屋根裏に棲み着いているケモノがいるという
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里山とは人々の暮らしと一体となった自然(生態系)のこと。ヒトの営みを介して文化や経済が土や森や川と同義語であることを表す。そんな場所はスミレたちの安息の場でもある。
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集落の上部の尾根に広がる森は地域の生態系を残している。ただし鹿害のため森の下草は激減している。
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人がいなくなればスミレは増えるだろうか? いや、生きていけなくなるはずである。

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タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 11:11| Comment(0) | 山、川、海、山野草

生名谷川の桜(勝浦町)


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posted by 平井 吉信 at 21:58| Comment(0) | 山、川、海、山野草

十二柱神社の境内で桜を見ている女性(阿波市吉野町)


ふと通りがかった気になる空間に神社があり桜が咲いていた。神社の名前は十二柱神社。じゅうにはしらじんじゃとでも読むのか。右の桜の下で地元の女性がいらっしゃって写真に収めていた。
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文献を調べると、十二柱は12の神様を祀ることに由来するとか。国常立神(くにとこたちのかみ)などの神世七代(かみのよななよ)と呼ばれる以下の七神。

・国之常立神(くにのとこたちのかみ、別天津神の5代目)
・豊雲野神(とよぐもぬのかみ)
・宇比地邇神(うひぢにのかみ)・須比智邇神(すひぢにのかみ)
・角杙神(つぬぐいのかみ)・活杙神(いくぐいのかみ)
・意富斗能地神(おおとのぢのかみ)・大斗乃弁神(おおとのべのかみ)
・淤母陀琉神(おもだるのかみ)・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
・伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)

それに地神五代(ちじんごだい)として以下の神々
・天照大神
・天忍穂耳尊
・瓊瓊杵尊
・火折尊
・鸕鶿草葺不合尊

それがなぜここにあるのか、どんな事情で分祀されているのか(おそらく)。
それにしても桜と境内は心象風景だな。ここに子どもがかくれんぼをしていたらいいな。
(子どもの頃、大きな樫の木が茂る神社のある広場で毎日遊んでいたのだ)
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posted by 平井 吉信 at 11:56| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年04月02日

竜宮の遣い フイリシハイスミレ


県南部の海岸段丘に沿ってこのスミレは点在している。
そろそろ咲くかなと思っていたらみごとに咲いていた。
午前中は家事をして15時前に出かけたら曇り。
スミレを撮るならこれぐらいの柔らかな光がちょうどいい。
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濃い常緑の色を浴びた葉にやや緑を帯びた白の筋が入る。
花弁の色は濃いめの桃色とファッション感覚の良いスミレである。
(ぼくはひそかに「竜宮の遣い」という別名を付けた)
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可憐なスミレ、さぞみごとと思われるだろうけど
実寸はこのとおり。指と比べると小さいでしょ。道行く人は気付かず踏みつけてしまうのではと危惧。
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それだけに愛おしく眺めている。
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曇り空を映すあでやかだけれど妙なる色彩、そして華奢ですらりとした造形は竜宮の遣いのよう。
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(フジX-T30+XF60mmF2.4 R Macro)
タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 21:19| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年04月01日

川ガキだった これからも川ガキ 野田知佑さん ありがとう


川ガキとは川で遊ぶ子どものこと。瀬を流されたり淵を潜ったり、エビを捕ったりヤスで魚を付いたり。気が向いたらふらりとやってきて年がら年中川に出没する。河童やニホンカワウソとともにこの国の絶滅危惧種である。

ぼくの川の原体験は那賀川と勝浦川の下流。まずは那賀川から。

●那賀川の思い出
どんがん淵や馬場の桜並木、妙見山を含む里山がぼくを育んでくれた。春は一面のれんげ畑のなかで妹と遊ぶ。当時の写真はモノクロだ(親父が写真を趣味にしていたので6×6のネオパンSSか)。
春は妙見山に遊山箱を持って花見に出かける。遊山箱とはピクニックに出かける際の弁当箱で3段になっていて前に上へ押し上げる扉がある。兄妹がそれぞれ自分の分を持っている。ぼくのは空色に男の子の絵が淡い水彩で描かれたデザイン。これに卵焼きやら巻きずし、寒天などを詰めて出かける。

5月の田に北岸用水の水が入るとおたまじゃくしに見まちがうカブトエビが泳ぐ。ミズカマキリやゲンゴロウ、タイコウチもいた。

初夏は那賀川でトバシ(毛針を付けてウキで流すと小鮎がかかる)。川には匂いがある。海苔が乾くときのような香りを感じる季節。さらに盛夏、親戚のじいさんが竹ひごで作ってくれた虫籠にカブトムシやらクワガタやらセミを入れる。

柿の実を見ながら庭の池でたたずむ秋、そして冬、やがて春…。季節はめぐってまたひとつ大きくなっていく。(これだけで小説が書けそうだ)

●勝浦川の想い出
小学校の頃、殿川内の本流と旭川が合流する付近で尺近いアメゴを釣ったことがある。当時は勝浦町坂本のバイパスはなく旧道をたどるので父の車で1.5時間はかかった。

横瀬立川は勝浦川中流から上流へ差し掛かる地名で勝浦川の屈曲点から上流である。正木ダムができる前は5分と浸かっておられない冷たい水であったが、目を開けると対岸まで見える極限の透明度を誇っていた。正木ダムができてはや数十年、いまの横瀬立川はぼくの目には死んだ流れに見える。蛇の多いあぜ道を川辺へ下りて足を浸したあのひんやりとした感触を忘れない。

中学校では毎日勝浦川の江田の潜水橋に通った(なにせ学校へ行く途中に渡る橋だから。潜水橋とは雨が降れば水没する欄干のない橋のこと)。堰があってその堰を流れていくのがおもしろい。水深は2〜3メートルでストッパー(縦の巻き波)が発生していてストッパーに掴まると息をこらえて底まで行って底を蹴って流れから抜け出して浮上する。要するに危険な川遊びである。案の定、女性警察官に補導されてしまった(後にも先にもこれだけ)。堰から下流には4つの巨大なコンクリートが沈められていてその周辺の深みもおもしろかった。

●海部川の想い出
国道193号がまだ舗装していなかった頃から海部川へ通った。クルマの免許を取ると仲間と連れだってキャンプに出かけた。焚き火をしながら夜も川に入ってテナガエビやらモクズガニを取り、酒で語り合う。カジカが鳴いて流れ星が流れて焚き火の炎を見ながら得も言われぬ幸福感を覚えた。しかし海部川もその後の道路拡幅で竹林に遮られたオアシスのようなこの場所は消えた。水は相変わらず美しい。

●四万十川の想い出
徳島から10時間の道のりを苦にせず独身の男女が数台の車で遠征に出かけた。特に広瀬のキャンプ場が定番。対岸の岩場まで泳いで渡る。近くには温泉もあって熱々の湯で夏場はつらかった。江川崎からもよく下った。眠い目をこすりながら帰路に就いたもの。あの頃ともに出かけていた友人知人の消息もわからなくなった。

●吉野川の想い出
イベントをよくやった。カヌーイベント、音楽会、自然観察会、講演会を兼ねたキャンプ。文字に書き尽くせない思い出が詰まっている。よく来ていただいたのが野田知佑さん。モンベルの辰野社長や夢枕獏さん、リンさんをはじめあやしい探検隊の方々、漫画家で「川歌」の作者、青柳裕介さんもいたっけ。抱きしめたくなる数々の場面が走馬灯のように駈けていく。

これはおそらく野田知佑さんをお招きして初の野外イベントの企画。上が破れているけどそのときのポスターが見つかった。1994年ではないかな。垢抜けないデザインの手作り感あるもの。以後は一流のグラフィックデザイナーの方々のサポートもいただいたが、これはこれでとても良い。吉野川中流域の貞光町でのカヌーイベントで10km程度下ってここの河原でキャンプを行い、夜は焚き火を囲んで野田さんのお話を聞くというもの。当時好きだった女の子もこのイベントのスタッフとして参加していた。野田さんとは恒例のようにイベントを行い、野田さんのハーモニカを聞きながら一晩中語り明かすこともあった。
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姫野雅義さんが海部川に逝き(このときの喪失感は言葉に尽くせない=2010年10月)、お別れの会で答辞を述べた野田知佑さんも逝った(2022年3月)。川を自分の身体の一部のように呼吸し川のために生きていた二人だった。

鹿児島の錦江湾沿いに住んでいた野田さんが四国への移住を考えているとの噂が伝わった。候補地は四万十川と徳島県南部。四万十川は確か野村のおんちゃんがいた口屋内の集落ではなかったか。どういうわけか野田さんを徳島県南部の川へ案内することとなった。移住のためである。そこで日和佐川と海部川を見ていただいた。最後に決め手になったのは空港までのアクセスの良さだったかもしれない。ともかく野田さんは日和佐町へ移住された(移住コーディネータの小林陽子さんが尽力された)。

それから川の学校、別名川ガキ養成講座と題して子どもを親から話して川で好きなことをやらせる。たかだか数日キャンプに参加するなかで見知らぬ子どもと友だちになりながらたくましくなって親元へ帰っていった。ぼくは川の学校はスタッフとして関わっていないが、その卒業生がいまや大人になって、ひょんなことから出会うことも度々だった。

野田さんはアラスカをカヌーで下ったり歯に衣着せぬ発言でアウトローのイメージがあるかもしれないが、その実は繊細で感受性豊かなインテリである。文学や音楽に造詣が深く、自身もハーモニカを情感を込めてしかし芯のある音色を荒野に響かせていた。

1997年11月、この日はイベントではなく仕事である。山と渓谷社の月刊「アウトドア」のロケハンで藤田編集長と事前に協議を行い吉野川本川ではなく穴吹川で撮影することとなり、プロカメラマンの渡辺正和さんらを穴吹川に案内した。この日の穴吹川は確かに美しかった。9月の大型台風が茶色の苔を洗い流してしまったからか、深い淵でも水底に手が届くような気がした。

撮影後、渡辺さんの大切な一枚を見せていただいた。それは、野田さんたちと奄美大島を訪れたときのこと。早朝誰もいない渚をガクとふたりで散歩する野田さんが砂浜に残した足跡の写真である。画面からえも言われぬ魂の遊びが伝わってきた。素顔の野田さんがちらりと見えたような気がした。と同時にその瞬間に心を預けることができた渡辺さんの幸福感がうらやましかった。渡辺さんは二日後に東京で個展「シュプール」を開かれる。スキーは渡辺さんの生涯をかけたテーマである。ほどなく同名の写真集が発売されたが、長野オリンピックの公式写真班にも選ばれた渡辺さんであった。

そのときぼくも個人的に撮影して額に入れていたお気に入りの野田さんの写真(1997.11.19)。色あせながらも仕事場にある。
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ロケの帰りに長時間の運転をしている野田さんの助手をおもんぱかって近所でジェラートの店へ案内した。「こんなうまいのは始めてだよ」と、野田さんの一言。ぼくが拙く編集した「川と日本」にしても、良い本だと言っていただいてうれしかった。エッセイや講演の野田さんはまた別のイメージがあるが、素顔の野田知佑は、繊細な感性、さり気ない気配り、そして鷹揚に構えたゆとりが接する者に安心感を与える。それでいて自らの存在にこだわらないことが、人と比べることでしか自分を位置づけられない人から見れば、ある種の絶対感を持った存在に見える。

広辞苑によれば、常識とは「普通、一般人が持っているべき標準知力」とある。それに対して良識とは「社会人としての健全な判断力」とある。良識を持った普通の人が英雄になってしまうこの国はおかしい。野田さんは当然至極に感じたことを直截に言っているだけだ。川は誰のものなんだ。自分たちのことは自分たちで決めよう…。野田さんの心の中にある熱い思い。その炎は一人ひとりの胸にあるはず。

体調は決して万全ではないはずだが、吉野川へは何かあっても駆けつけてくださる。無頓着な輩や権力に対しては厳しいが、そうでない人には限りない優しさで接してきた。でも語らない。ただ黙って川にいるだけで周囲を感化できた人。

日本の若者は冒険をしなくなった。大人になっても親と仲良く暮らす人が増えてきた。けれどそれでよいのかどうか。いまのまま生きていくことに疑問を感じたぼくも片道切符で南太平洋へ旅だった。国内外の行く先々で誰かと出会う。屋久島では淀河小屋から縦走してきた野田さんの甥っ子と高塚小屋を出たところで再開した。日本は狭い。

川のことを語っているが最後は民主主義に行きつく(いまのロシアや日本政府、徳島市はどうだ?と一人ひとりの意識と自立に呼びかけている)

野田さんがハーモニカを河原で吹くのはかつての日本の川を心で回想している。
それが巨大な開発であれ、地元の小さな改変であれ、良い川の良い場所が数年で失われていくのを見てきた。ときに公共事業に抗う市民の側に立ち、川を愛する子どもを育てる地道な取り組みを続け、それでも何一つ変わっていないのではないかとの無力感もあったのではないか(野田さんに限らず何かを成し遂げた人は共通の思いだろう)。

一人がなし得ることはどんなに小さくても多くの人々の心に残した光は大きい。
これからも川で遊ぶ、ずっと遊ぶ。野田さん、ありがとう。

(参考情報)
川ガキを養成する川の学校について
http://www.kawanogakko.jp/index.html

川の学校の報告書が送料とも1,000円で頒布中
http://www.kawanogakko.jp/hanbai.html

川ガキをライフワークにされている村山嘉昭さん
http://kawagaki.net/home.html

川ガキの定義
http://kawagaki.net/prologue.html

川ガキの写真集はAmazonでも入手できる。


四国の川について知りたい人はこのコンテンツで(川と生きるってひとつの生き方というか深い哲学だよ)。「四国の川と生きる」https://www.soratoumi.com/river/


川ガキが生きている、川と人が暮らしているのは南四国だよ。徳島の人は何もないっていうけど、これだけ豊かなものがあるよ。


posted by 平井 吉信 at 15:04| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年03月31日

桜開花 徳島県南部 2022年

今年のソメイヨシノの開花の頂点は3月30日頃であったようだ。
通りすがりに県南部を見て開花を記録したもの。

●とくしま植物園の桜(この写真だけは3月中旬)
ここは桜というよりも植物全体を見に行くところ。自生しているノジスミレやナガバノタチツボスミレも愉しみ
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●立江の夫婦桜
知人が所有する敷地内に咲く樹齢百年の日本の桜を県道から眺めたもの。棚田を控えた丘陵に存在感を持っている。午前中の光の対照(地面に落とす影との対比)が美しい。桜の木の風格は県内でも有数だ。
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●岩脇公園(桜づつみ公園)と桜馬場
幼い頃からなじんだ場所。公園の池はその昔、葦が繁るどんがん淵と呼ばれていた場所で近づくなと言われていた。確かアユの養殖施設もあり北岸用水からの引水で土手の下をくぐって那賀川へ放流されていた。この場所が船を浮かべた池に装いを変えた。もともと水深は浅いが今年は特に水量が少なくボートは中止となっている。
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これは水量が多いとき(2018年)
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桜馬場は子どもの頃、アブラゼミをよく穫った場所。那賀川の土手から親戚宅まで駈けていく途中で遊んだ。当時は自転車に乗ったおじいさんがチリンチリンと鈴を鳴らして「うまいキャンデー」と売りに来ていたな。ニッキとハッカの味があった。
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●阿南西部公園(阿南市)
子どもの遊具を備えた丘陵に植えられている桜。駐車場も数カ所あり、子ども連れの花見に適している。
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●熊谷のしだれ桜(阿南市)
個人のご好意で開放されている場所。時期になると周辺に臨時の駐車場も設けられる。
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でもぼくが好きなのはヤマザクラ。葉が陽光にきらめいて花とともに風に揺れる風情が好き。明るい話題はないけれど、桜は人の心とは無関係に花を咲かせる。
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posted by 平井 吉信 at 18:49| Comment(0) | 山、川、海、山野草