2026年05月16日

山でスミレ三昧 置かれた場所で咲いている


徳島の平野部では2月下旬ぐらいからスミレが咲き始め、4月上旬に揃うようになる。標高数百メートルから1千メートル前後は4月の中旬ぐらいで咲きそろう。1200メートル〜1800メートルでは4月下旬から5月中旬ぐらいまでかな。

標高に応じて高い場所のスミレを見に行くことが春の風物詩となっている。スミレの名山といえば、その種類の多さで東京の高尾山が知られている。山麓まで電車で行くことができ、毎日登る強者もいるという(気候や地形だけでなく、登山者の多さがスミレの種類の多さにもつながっているのだろうね。登山者が登山靴などに付着した種を運ぶことがあるから)。

徳島のスミレの名山に出かけることにした。といってもヒトはほとんど見かけない。
散策路を登っていく。重力に抗う登山では、一歩ずつ確実に進める忍耐がある。どこかにたどり着いて視界が開けたとしても達成感はない。ただ、決まった動作の繰り返しを耐えているとき、自分の意思で時間を刻んでいるよう。

目線を足下左右に置いていく。これはスミレ探しのため。ときどきは、立ち止まって遠くの林間を凝視する(クマはいないけれど、動物より先にこちらが気づきたいので)。五感と肺活量と脚、背筋腹筋、体幹の運び。このあたりにあるのでは…と、ありそうなところでは先入観を持って見る(おそらく植物を探す人はみんなそうしている)。

すると、今年もそのあたりにあった。しばらくはこの日見つけたスミレの博物館ということで。

ナガバノタチツボスミレは、平野部から山岳まで居場所が広い。これは標準的な個体。
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桃色のスミレは、沿海州など大陸がルーツの北方系だけど、徳島県西部でも数カ所に自生している。アケボノスミレという。
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蕾のアケボノスミレ
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アケボノスミレには花弁の色が濃い個体があって、クロバナアケボノスミレと呼ばれる。花が咲いても葉がない個体もあるけれど、葉を巻いて(すぼんで)出てくる個体が多い
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おっと、これは悩ましい。こんな葉のスミレは単体ではないので、2種類の両親から生まれた交雑株。こんなときは周辺を探してみる。すると、両親と推察できる個体があった。シハイスミレとヒゴスミレ。つまり、シハイスミレ×ヒゴスミレ
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ヒゴスミレは、サラダにして食べたくなるような繊細な葉を持つ(スミレの葉でないような)
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近くにあったシハイスミレ。この個体も花弁の色むらがあって交雑個体の遺伝子を持っているのかも
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アケボノスミレはさらに続く
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葉に白っぽい筋が入っているものをフイリと呼ぶ。フイリシハイスミレ。左はシハイスミレの葉
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ヒナスミレは花の時季が早いので、しおれかけている。ここの個体は花弁が淡く白に近い
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これも交雑個体。ヒナスミレ×ヒゴスミレ
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近くにあったヒゴスミレ
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今度はオオタチツボスミレ。これも北国のスミレ。葉がやわらかく大きい
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オオタチツボスミレ×ナガバノタチツボスミレ
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葉にフイリのナガバノタチツボスミレ。マダラナガバノタチツボスミレとも言うらしいが、スミレの命名には規則性がなく疑問を感じる
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華麗なアカネスミレ。毛に覆われているので、可憐というよりも毛深い。毛のない個体(オカスミレ)もあったが、マクロで接近しないと区別できない。
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アカネスミレに似ているコスミレ。小さくないのになぜかコスミレ。花が密集して咲くとアレンジメントのように豪華だけど、花の盛期は過ぎている。あと半月早ければよかったけれど。同様に花期の早いアオイスミレも見当たらない。
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スミレ(Viola mandshurica)のシロバナ型、シロガネスミレ。これもあまり見かけない。ホソバシロスミレとは花期と生息場所が違う。葉の形態ですぐにわかったけど。
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名前がわかると親しみが湧くというか、名前と個体が結びつくことで理解するというのがヒトであるような。これらのスミレは、同じ山域で見ることができる。

一歩ずつの歩みはヒトの生き方として、出会うスミレたちも一期一会(来年はそこにいないかもしれない、もしかしたら見る人も)。草丈数センチの植物と生命の交歓をしているよう。
狂ってしまった世界で、悠久の世代交代を続けながら置かれた場所で存在し続けるスミレたち(生態系)が愛おしい。



タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 21:32| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2026年05月06日

平等寺からクスの大木が並ぶ轟神社へ(阿南市新野町)このまちなみはどのようにつくられたか?


徳島新聞に轟神社の紹介記事が掲載された。以前からまちなかにありながら森に囲まれた神社の外観が遠目に見えて気になっていた。けれど、まちなかの生活道を分け入っていくのが億劫で(おそらくクルマを停める場所もないだろうと考えて)行くことがなかった。

四国霊場札所の平等寺に参拝して、そこから徒歩で桑野川沿いに上っていく。すると、阿波銀行の看板が見えてくる。銀行の支店はそれなりのまちの中心地(経済活動の中核)に置かれるものである。このまちなみがどのようにつくられたのかをブラタモリ風に考察しながら、神社の風土を見ていく。

新野町
明治22年(1889)の町村制施行により、豊田村・荒田野村・廿枝村および下福井村の一部をもって新野村が発足。大正4年(1915)には新野村が町制を施行して新野町となり、昭和30年(1955)に橘町・福井村・椿町と合併して橘町に統合されたのちの昭和33年(1958)に阿南市が誕生し、現在の阿南市新野町となった(ウィキペディアより)。

平等寺(四国八十八箇所第22番札所)
平等寺は徳島県阿南市新野町にある高野山真言宗の寺院で、山号を白水山、院号を医王院と号し、本尊は薬師如来。四国八十八箇所第22番札所であり、阿南室戸歴史文化道にも指定されている。寺伝によれば、空海がこの地で厄除け祈願をすると五色の雲がわき金剛界大日如来の梵字が金色に現れ、さらに薬師如来像が浮かび上がったので、錫杖でその場に井戸を掘ると乳白色の水が湧いたとされる。その水で身を清め百日間の修行をし、薬師如来尊像を彫って御本尊とした(ウィキペディアより)。

轟神社
轟神社は814年(弘仁元年)に大和国の龍田神社の分霊を勧請して創建したと伝わる。祭神は龍田風神と呼ばれ、農家や航海業者の信仰が厚い神とのこと。境内には樹齢700余年といわれる大樟が群生し、徳島県の天然記念物にも指定されている。大クスの根元に白蛇2匹が棲み、時にふれ轟明神の使者として境内に現れ、これを見た者には幸福が訪れるという伝説がある。

桑野川を挟んで、仏教(平等寺)と神道(轟神社)が対峙するように配置されるまちの構造がある。轟神社は地区の産土神で、寺と神社を結ぶ動線が、地域のコミュニティ形成の核となっているようだ。

この地区を歩いて不思議に思ったことがある。商店街でも住宅街でもなく、企業や商店が点在する落ち着いたまちなみがどのように形成されたのかということ。それはおそらく、明治期から昭和期にかけて隆盛を極めた「タケノコ缶詰産業」の歴史にある。新野地区は、県内のタケノコ缶詰の発祥の地といってもよいと思う。

新野町民史によると、新野での缶詰製造は明治時代後半(1906年頃)から始まったとされる。もともと農村の副業として始まったため、住宅地や農地のなかに出荷組合や個人経営の工場が点在するかたちであった。1927年(昭和2年)には産業組合直属の工場が創設され、ミカン缶詰などの多角化も進んだ。

中世以来、遍路道が通る宿場として人と物資が集まる構造が定着し、もしかしたら桑野川の水運も活用されたのかもしれない。平等寺が存在することで、遍路宿・門前商業・善根宿を呼び込む経済基盤ができた。現代も遍路客が新野町を通過するルートは変わっておらず、地元の商店・宿・食堂の需要を下支えしているといえるのかもしれない。

そして、地場産業の資金需要に応えるため、1900年代前半から金融機関が拠点を構え、現在も阿波銀行新野支店、徳島大正銀行新野町出張所(ATM)、新野郵便局が維持されている点は、新野が周辺の村々を束ねる経済の拠点であった歴史によるものだろう。さらには新野小学校、新野東小学校、新野中学校、阿南光高等学校 新野キャンパス(旧・新野高校)がある。

新野高校といえば甲子園。1992年の第64回選抜高等学校野球大会では、初戦の横浜高校に7対3の逆転勝ち(6回までノーヒットで敗色濃厚だったと記憶)。1996年の第78回夏の甲子園では、日大山形に2-0で勝利し、2回戦では明徳義塾(高知)に4-3で競り勝つ(3回戦では松山商に敗れたが四国勢で潰し合うというくじ運の悪さ)など、「ミラクル新野」「タケノコ打線」などと呼ばれた。竹は成長著しいときは1日に1メートルぐらい伸びるといわれるが、打線の勢いを表したものだろう。

企業では、製造量日本一の栗甘露煮などをつくる食品工場のメグミフーズ(株)が轟神社の近傍にある。タケノコの水煮では、(有)北村食品や西地食品(有)など。西地食品さんは自家栽培の良質の香酸柑橘果汁があって、ぼくもときどきユコウ果汁を購入している。サツマイモなど菓子材料の一次加工や給食デザートで知られる浅井缶詰(株)は冷凍ゼリーの自社ブランド「とくれんプデナー」が関西方面の子どもたちに親しまれている。菌床シイタケのほだ木や椎茸を生産する新野木材(株)(「あらたの」ではなく「しんのもくざい」と読む)、食品以外では打ち上げ花火製造の(有)岸火工品製造所、土木建設や施工の分野では、森崎建設(株)、(有)司工業、(有)青江建設、阿水工業(株)などがある。

さて、今回は初訪問の轟神社を見よう。境内にそびえる樹齢約750年以上のクスノキ群は、鎌倉時代にこの地の有力者(近藤氏)が苗を寄進したことに始まると伝えられる。この神木を町民が総出で崇めてきた歴史があり、信仰が町づくりの時間軸の中心に据えられている。
ご祭神は「龍田風神」であり、農業や航海業者の信仰が厚い神。風を司る神を祀ることは、気候に左右される農業を営む在所の人々にとって大切なことだったに違いない。

桑野川を遡っていく。前投稿で掲載した写真の再掲(長生町を流れる桑野川)。この日は強風で、カメラを構える視野を静止できないありさまだった
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新野町の下流、山口町にある新井堰。桑野川をゴムチューブで膨らませて水位を調節する
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新野町にある堰。堰体が水流の一部をいなす構造で、ゴムチューブ製のように見える
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平等寺に参拝
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轟神社に到着すると風が止んだ。龍田風神という風の神を祀るだけあって御利益なのか
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大クスの根本に龍田風神からの使者として、タツナミソウが遣わされた? 強風に揺れる風情を眺める
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オオクスは10本ある。視線を下に向ければ太い根。仰ぎ見れば空を覆う枝葉
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神社の由来やクスノキの説明
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数多くの植物が着床している
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神社をあとにする
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新野の町並みは、クスノキを育んできた長い時間と信仰の上に、タケノコという山の幸を加工・流通させる産業が上書きされてできた。落ち着いた雰囲気の中に企業や商店、民宿などが点在するまちなみは、信仰によって守られた静謐な空間と、経済活動の営みが、桑野川沿いで均衡を保っている。


posted by 平井 吉信 at 17:24| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2026年05月04日

初夏の神山森林公園 この時期、こんなによいところはほかにある?

なんだ、神山森林公園か?と思う人は、散策が足りないかもしれない。駐車場から半時間ぐらいしか歩いていないのでは?

トランプショックと高市リップサービスで円は下がりまくり(為替介入も焼け石に水で投入した金が瞬時に消えた)。ガソリン補助金は止めないと財政がもたなくなるよ。確かに運送業界や流通業が苦しいのは決算書を見て重々理解している。ぼくも助かっている。でも、マッチポンプを続けるよりもガソリン価格が下がる本質的な政策をやろう。補助金以外に何をすべきか、胸に手を当てて考えて、高市さん。ひとりよがりの思いつき施策ではなく、もっと分析してもっと戦略的、長期的な視点に立って、あるべき国の姿を描いて施策をやらないと。外交ではしゃいでいる姿などを見ると、こんな首相しかいないのかと日本人であることが恥ずかしくなる。

ガソリンと軽油が不足するかもしれないときに、何をすべきかを考えると、連休中の県外遠征は止めた。それがヒトとしての務めだと思ったから。

徳島市内から文化の森を経由して鮎喰川を遡ると、神山森林公園がある。サクラの名所としても知られるが、芝生の広場で家族やグループ、あるいはひとりでも思い思いにそれぞれが過ごしている様子が見られる。だって、徳島市内から半時間程度、広い、遊べる、気持ちいい、無料…こんな場所があるんだから。子ども連れが多いが、実は知られざる、おとなのための公園でもある。

クルマを置いて散策するとして、散策コースは無数にある。芝生広場から山中へ足を踏み入れると、眼下に鮎喰川を見下ろす眺望が開け、山中を縫うように縦に横へと散策路が広がる。

このみちはどこへ続くのだろう。こんなところへ出るのか…と、散策しながら推理ゲームのような時間が愉しめる。迷うのが不安な人は、等高線の入った地図アプリを入れておくとよい(GoogleマップやYahoo!マップは山では役に立たない)。谷の地形を読む、尾根との関係性を推察する、鞍部に出てそれがどことどこをつないでいるか、このトラバースはどの辺へ接続しているかなど。

ぼくは「スーパー地形」というアプリを購入した(Android版の年会費750円)。しかもこのアプリ、実にすばらしい。(なんと)自分で歩いた軌跡が残る。(さらに)、目印(ここにこんな植物があった、など)を記入しておくこともできる(もしかして、遭難しそうになったときに、救助隊に現在位置を知らせるという裏技ができるかもしれない。あるいは経度緯度や標高を直読するなど)。参照しているのは国土地理院の地形図なので信頼性が高い。それまでは紙の地図を印刷して、コンパスと地形を読んでいた(これは小学生のときからの習慣)。小遣いが入るたびに、国土地理院の地形図が増えていき、やがて段ボール箱いっぱいになった(なんとオタクな!)。地図を眺めては行ってみたいところを決めて自分の目と足で確かめる小学生だった。デジタル地図になっても、まずは周辺や進行方向の地形を読んで頭の中に地図を描いて現在地を確認する習慣となっている。デジタル地図があれば、山だけでなく、まち歩き(里山や里海)にも重宝する。知らなかった、こんなものが世の中にあったとは。しかも月額に換算して62.5円なんて。ただし紙の地図が優れているところがある。それは一覧性。通信途絶や電源の問題もあるので両方持っていくのが当然だろう。
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途中の道中にも魅力的な場所がいくつかある

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桜を見ながら歩き出そう
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誰ともすれ違わない。だから徳島はよい
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少し上がったところに小さな公園がある
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公園の東の丘から、対岸の西の丘を見る
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どんどん進もう。ここはまだ遊具などがある区域
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存在感のある樹木が迎えてくれる。これより山中のようだ
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横位置でも縦位置でも好きな雰囲気
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新緑といっても、この写真のなかにどれだけ豊かな緑が生きているか(40MPの原版で見ると、散開星団のごとく葉の一枚が描写され、色彩が積み重なったり分離したりして明滅してときの経つのを忘れる。解像度が豊かさを表す場面。この画像はクリックするとやや大きな画像としておくので。といっても1.6MBなので帯域を食うほどではないのでご安心を。元画像は約40MB。撮影はフジX-T5+XF16-50mmF2.8-4.8 R LM WR。このレンズのすばらしさがよくわかる。スミレや野山を撮影するならこのレンズ1本で十分。このブログもほとんどがこれ。ISO125、F7.1。1/170秒)
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アカフタチツボスミレ
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ナガバノタチツボスミレ
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ニオイタチツボスミレ
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ツツジの咲く展望台へと
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飛行機雲(巻雲)
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展望台からは鮎喰川とゴルフ場が見える
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崖に咲いたタツナミソウの見栄えする株
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ツツジを眺めつつ下ると池のある公園に出る
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4月上旬から中旬にかけて、園内にはまだ桜が咲いている
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posted by 平井 吉信 at 22:52| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2026年05月03日

県西部の山のシコクカッコソウ


最初に見たのは別の県西部の山だったが、道なき道を滑りそうになりながらのトラバースで偶然たどりついた。ここは別の場所で、花弁の色彩が淡いのが特徴。
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珍しい植物も、ありふれた植物も、見目麗しい花も、そうでない花も等しく守っていきたい。
posted by 平井 吉信 at 21:42| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2026年05月01日

赤いスミレと白いスミレも。明るい森の逍遙


平地から遅れて千メートル級の山々の広葉樹の森に春が訪れる。春の野山はまだ葉が少ない樹木のせいで明るい。
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こんな場所を逍遙していると、著名な観光地へ行ったときと比べて、心の贅沢だなと思う。
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目の前の場面はそこにいる人だけのものであり、背景から見ればそこを訪れるヒトと共有する時間であり、観光地のようなおもてなしする側、される側、計算して成果をつくった場、それを様式化して受け止めるといった儀式がない。そこが心が軽やか。
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春霞とヤマザクラ
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腐葉土の間からフデリンドウが顔を出す
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楚々とした白いスミレは、シロバナナガバノスミレサイシン
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タヌキ顔のスミレがあるとしたら、ニオイタチツボスミレ
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アカバナスミレについては次回投稿でも触れる予定
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エイザンスミレ。いったいどこが違うのか?と思える
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シロバナシハイスミレ。通常のシハイスミレは濃いめのピンクだったりするが
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シロバナとまではいえない。オトメタチツボスミレ
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シロバナタチツボスミレ。この山域では赤いものは白くなり、白いものが赤くなる?
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春の野山で本来の色彩を入れ替えたようなスミレに加えて、ヤマルリソウ、ネコノメソウ、コミヤマカタバミなど春の床を彩る植物たちも忘れないで、と言っている。

タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 22:55| Comment(0) | 山、川、海、山野草

オオタチツボスミレの群落から


スミレに関しては徳島県の分布は変わっている。県西部では数カ所でオオタチツボスミレが自生している。これは千島列島やサハリンにも多い北国のスミレでなぜか徳島県の一部にぽつんと存在する。これを隔離分布という。同じく北方系のスミレサイシンも県西部の一箇所で隔離分布している。

オオタチツボスミレはタチツボスミレの大型かと思いきや、雰囲気は違う。草丈はタチツボスミレより大きいが、醸し出す雰囲気の違いを脳がパターン認識できるようになると、細部を確認しなくてもわかるようになる。
そこで、2026年4月に撮影した個体を掲載する。
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大きくてしわの入った柔らかそうな葉は食べられるかも?と思えるほど。
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それに対してこれは? オオタチツボスミレではないようだが、タチツボスミレの葉の様子とも違う。おそらくオオタチツボスミレ×タチツボスミレの交雑株。この場所にはどちらも高い密度で生息しているため、交雑株を見かける。ムラカミタチツボスミレの和名もあるようだ。
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北国からやってきて北国へ帰りそびれたスミレに来年も会えたらと。
posted by 平井 吉信 at 21:45| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2026年04月29日

雨に打たれるスミレ(海部郡海陽町)


いつものように県南へ出かけたら、途中から雨になった。雨中でも傘を差してスミレの観察をすることにした。3月下旬のことである。

この場所には、ツヤスミレの群生地があった。ところがその土手に今年は一輪もない。もしかして除草剤がまかれたのか?と思ったが、真偽はわからない。写真はツヤスミレ(タチツボスミレの海岸型)が多く咲いていた数年前の光景。
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この日は、土手から離れた場所で変わったスミレを見つけた。草丈が高いタチツボスミレの仲間で、毎年観察を行っているが、この場所にある年とない年がある。伊豆七島が原産というシチトウスミレではないかと思うのだが。交雑種のようにも見えるが。
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スミレ(Viola mandshurica)。海部郡内では大型の見栄えがする個体が多い
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同じ町内でも少し離れた海岸沿いにはスミレの海岸型、アツバスミレが自生する。港の岸壁で咲くものもあれば、国道沿いの道で白と紫の二色を混ぜて咲くものもある
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平地のシハイスミレは珍しいように思う。どちらかというと、山や丘陵で見かけることが多いので
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ヒメスミレ。南方系のスミレらしい。
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木の下で雨に打たれるタチツボスミレで、ツヤスミレと分類してもよいのでは。海岸からは多少離れているが、それでも数百メートル以内。徳島県海陽町から室戸岬にかけての海岸沿いには色が淡くて葉が厚いタチツボスミレ(ツヤスミレ)が見られる。
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傘を差して写真を撮るのも風情がある、などとは思わないけれど、雨中のスミレもそこに確かに生きている。

追記
海陽町の町長選が4月26日にあり、三浦茂貴さんが三選を果たされました。堅実かつ効果的な町政運営は県内の自治体でも出色ではないでしょうか。おめでとうございます。

posted by 平井 吉信 at 14:34| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2026年04月11日

近所の山にスミレを探しに行きませんか?


桜の咲く時期は桜という人が多いけれど、ぼくはスミレ。この時期は仕事すらしたくないぐらい。それもありふれたどこにでも咲くスミレたちを見に行く。でも、去年多く咲いていた場所に今年はまったく見かけない、ということも少なくない。このことから、スミレはとても繊細な植物であることがわかる。
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(タチツボスミレが群生する低山の散策路でスミレを観察する女性をGeminiに描かせたもの。ヒトに比べてスミレがやや大きいが、よくできている。写真的に見ると、手前は広角レンズ、奥行きは中望遠レンズで撮影したかのような不思議さ)

スミレはどれも同じに見えるけれど、数多く見ていると、AIの画像認識のようにパターンを学習するのか、わずかな違いでも一目で(雰囲気で)わかるようになる。
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(Geminiに描かせたタチツボスミレ。色彩の階調まではうまくなくべた塗り感があるが、このイラストで種類が同定可能。背景を描いていて色彩を除去することで図鑑のように見せている。進化の速度が速いことを実感する。「春の山道にて」のような記述もAIが付加したもの。次の写真のタチツボスミレで比べてみて)
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スミレたちの楽園を少し覗いてみましょうか。この山域では、タチツボスミレ、ナガバノタチツボスミレ、アカフタチツボスミレ、タチツボスミレ×ナガバノタチツボスミレ、シハイスミレ、フイリシハイスミレ、ヒメスミレなどが見られた(ありふれていてもスミレは持って帰らないようにね。とても繊細で環境が変わると生きていけません)
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前年度には、おそらくはヒメスミレ×シハイスミレの交雑と思われるとても珍しくも美しいスミレを見た。花弁はヒメスミレ、葉はシハイスミレといった風情。しかし草丈はいずれのスミレよりも高い(交雑体の特徴のひとつ)。けれど、今年その場所に気配すらなかった。おそらくは子孫を残すことが遺伝的に難しかったのだろう(不稔性)。
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これを見て。タチツボスミレとシハイスミレが接近して咲いている。
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植物には何らかの意思疎通が行われているのではと思わせる場面がある。異なる種類(考え方)のスミレ(ヒト)が協力し合うことは難しいのだろうか?




タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 00:17| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2026年04月09日

近自然工法と多自然型川づくり


前々回に投稿した「中鳥川 春の小川と桜の風景(美馬町)」は護岸工事をしていない。それを見て思いだしたのだ。

スイスでは自然を活かした近自然工法という河川工事技術が開発され、その技術思想を日本に導入されたのが、高知県の福留脩文さん((株)西日本科学技術研究所=当時の代表取締役)であった。

1990年代にスイスの技師、クリスチャン・ゲルディさんが近自然工法という、生態系の保全と治水の両立を図る河川工法を提唱。1970年代後半のヨーロッパで、行き過ぎた河道改修への反省から生態系を主役にする近自然工法が生まれた。その哲学として 「川は自ら形を作る能力を持っている」と考えて、生物工学(植生や木材、石材の活用)を駆使して川の自己修復能力を助けるというもので、コンクリートで固める代わりに、生物が棲める環境を残した治水を行うもの。

それは技術思想(理念)であるとともに、工学的な経験知の蓄積でもあったと思う。福留さんはこの技術を建設省や自治体などに啓発し、近自然工法の考え方を受けて、1990年に建設省は「多自然型川づくり」を河川局長通達として発令するに至った(平成18年には「多自然川づくり」に改称)。

ただし、スイスでは急勾配の川もあるものの、流量の変動が日本ほど極端ではなく、植物が根付くまでの時間的猶予(安定期)が確保しやすい環境があった。建設省の「多自然型川づくり」は、「コンクリート三面張」への批判に対する行政の回答ではあったが、当初は「多自然型」という名称が示すように、コンクリート護岸の表面に石を貼るような「化粧」に近い事例も多く見られた。

20世紀の終わり頃、徳島県庁にも近自然工法を研究している技術者がいて、自費でドイツとスイスに渡航されたと聞いた。その技術者とは、藤枝主市さんである。藤枝さんが県管理河川の宮川内谷川の改修を多自然型で行ったと聞いて、ぼくも現地へ見に行ったことがある。当時の県の労働組合には「県職労エコシステム研究会」というグループがあり、その会員だった藤枝さんから河川工学や河川工法について教えていただいた。

その藤枝さんが本日(2026.4.9)の徳島新聞に東みよし町の町長選に新人として挑戦されるということで記事が掲載されている。吉野川ハイウェイオアシスの横を流れる谷川を黒川原谷川というが、「黒川原谷川で環境を学ぶ会」の代表もされており、数年でゲンジボタルが蘇ったことが新聞記事として掲載されている(2022.7.17徳島新聞記事)。

ぼくの知人で国会議員選、県知事選、市町村長選や県議選などに立候補された人は少なくない。そのなかには選挙に散った方もいれば、いまも活躍されている人もいる。いずれも地盤、看板、カバンを持たないが「なんとかしなければ」の動機からである。そうでなければ政治の世界など誰が好き好んで飛び込むものか!(しかしまだ書けない多くのドラマもある)。

環境保全とは技術のみでなく、そこに住民参画が基本として存在する。藤枝さんが特に大切にされていることではないかと推察する。このブログにも政治に対する投稿は少なくないが、どの政党がよいか、右か左か、保守か革新か、賛成か反対かなどではなく、人々の幸福を願って、どうすればそのような政治が行われるかをいつも考えている。ご了解いただきたい。

ただし、このまま高市首相が居座れば大変なことになる(その理由はこれまでも書いたとおり)。困難なときこそ、与党も野党もなく多くの知見を集めて議論しなければならない。独裁をリーダーシップとは呼ばない。どうかデマやショート動画ではなく自分の感性で判断して! このままだと国民から憲法改正を要求して暴走する首相を辞めさせるしくみをつくらないといけないから。

さらに同じ頃、新潟大学の大熊孝教授とも交流を深めた。大熊先生の言葉で宙で覚えているのは川の定義である。
「川とは、地球における物質循環の重要な担い手であるとともに、人間にとって身近な自然で、恵みと災害という矛盾の中に、ゆっくりと時間をかけて、地域文化を育んできた存在である。」


高知県には、野中兼山の残した山田堰があり、物部川まで見に行った。
→ 物部いざなぎ流 神々に寄り添う村
http://soratoumi2.sblo.jp/article/62203171.html

徳島県には、日本一の規模を誇る水害防備林がある。池田町から岩津まで全長50km、面積270ヘクタールにも及ぶ。この竹林についてはこちらに書いてある。
→ 吉野川中流〜日本最大の竹林
https://soratoumi.com/river/tikurin.htm

なお、不思議なご縁であるが、上記の記事に掲載している地形の俯瞰図を描画する「カシミール3D」(パソコン用ソフトウェア)を開発された方が、後に徳島県南部に移住されて、いまも交流していただいている。

1996年8月開催の水郷水都全国会議・徳島大会の事務局として関わった際、多くの有識者や著名人らと意見交換を行う機会に恵まれた(この大会には、河川技術者のみならず、さまざまな分野で一流の方々に集まっていただいた)。当時の徳島新聞は数ページを割いての特集記事が組まれたほどであったが、記者の方々はざっくばらんに出入りしており、ときにキャンプに行くこともあった。

スイスの技術をそのまま導入できなかった最大の理由は、勾配が急で、梅雨や台風時の「ピーク流量」が凄まじい日本の河川の特性にあった。スイスで成功した杭と粗朶(そだ)による護岸は、日本の洪水では一瞬で流出してしまう。福留脩文さんは、クリスチャン・ゲルディさんから学んだ技術思想を、伝統工法の枠組みで日本的に再解釈したもの。河床が動く日本の河川において、「壊れないが、硬すぎない」柔構造を作るかがカギとなった。

近自然工法が日本に受け入れられた土壌には、明治以前の伝統工法との親和性があった。武田信玄の「聖牛(せいぎゅう)」や、石を籠に詰めた「蛇籠(じゃかご)」などは、水のエネルギーを完全に遮断するのではなく、透過させたり減勢させたりする思想に基づいている。また、近自然工法が提唱する、生物の隠れ家としての石積みは、日本の伝統的な「牛枠」や「出し」が作り出す水制の機能と類似のものであった。近代土木が力(コンクリートの質量)でねじ伏せる思想だったのに対し、近自然工法と日本の伝統工法はともに、流体としての水の性質を利用する方向性は一致していた。

1990年代から現在に至るまでの日本の河川工学の変遷は、まさに「コンクリートによる封じ込め」から「自然との共生」への転換と言える。スイスの近自然工法や、日本の多自然型川づくりは、単なる施工技術の移転ではなく、日本の風土や伝統工法との衝突・融合を経て、現在の「流域治水」へと結実していった。

そこでは、環境か安全かといった二択ではなく、住民参画も川づくりの要素となったことや、あふれることを前提に、ハードのみならずソフトを用いたしなやかな治水思想が採り入れられていった。ただし「再自然化」に至っては未だ道なかばの感がある。これについては住民意識が影響しているのだろう。いまだに、草が生えたような手抜き工事(のように見える)施工よりも、コンクリートぴかぴかの豪華な設備でないと許してくれない向きもあるのだろう。現在の国民の多くが高市政権を支持していることからも民主主義の道はまだまだ遠いことがうかがえる(しかし諦めないこと!)。川は行政が管理する排水路ではなく、地域住民が愛着を持つ公共空間なのだ。

この歴史的変遷で、大きな役割を果たしたのが第十堰をめぐる住民の取り組みだ。日本一の暴れ川(基本高水が日本一)にあって、吉野川の下流に江戸時代中期から三百年近いときを経て現存する第十堰。最大の特徴である斜めに置かれた構造は、流体力学的・土木的合理性に叶うものとなっている。川を横断する直線的な堰ではなく、斜めに長く配置することで「越流長(水が乗り越える幅)」を稼いでいる。これにより同じ流量でも越流深(堰を越える高さ)が抑えられ、構造物にかかる水圧と、堰を越えた後のエネルギーを最小化している。増水時、水は堰に対して直角に流れようとする性質があるが、斜めの堰はその流れを微妙に誘導し、一箇所にエネルギーが集中するのを防ぐ。これが、日本一の暴れ川に300年耐え抜いた「しなやかさ」の一部である。日本一の暴れ川でこの第十堰が存在している事実は重い。日本の治水史、河川工学において究極の教科書ともいえ、第十堰は300年近く前に、日本の温帯湿潤気候の風土との対話の中で導き出された成っていく構造のひとつである。

さらに、堰は魚類の遡上を阻む壁になるが、第十堰はそうはなっていないことを観察している。第十堰は完全に水を遮断する壁ではなく、潮の満ち引きや流量の変化に応じて、水が隙間をくぐり抜けてしみ出す。この多孔質的な性格が、シラスウナギやアユといった多様な生物の移動を可能にしている(実際に第十堰左岸の直下流の水は劇的に澄んでいる)。石組みを中心とした伝統工法は上堰に残されている。その表面の凹凸や石の隙間が、小さな生き物たちの足場や隠れ家となり、多様な生態系をもたらしている。
→ 第十の堰物語 https://soratoumi.com/river/daiju.htm

第十堰を巡っては、可動堰化計画をめぐる論争があった。そこでの議論は、「古いか新しいか」でもなければ、「環境か安全か」でもなく、「持続可能かどうか」(安全と環境を両立させながら将来的に管理していく)にあったと思う。その意味では治水と文化の分水嶺でもあったのだ。

コンクリート構造物は百年もたない。第十堰は部分的に補修されているとはいえ、三百年近い時間が経過している。壊れたら自分たちの手で(そこらにある建設重機と地元の材料で)修復が可能である。人口減少、国家財政の危機のなかで、高度経済成長期に整備された、橋、道路、ダムなどが老朽化して決壊のおそれが出てきたとき、予算がないから何もできない、のは大きなリスクである。第十堰にはそのような心配が少ない。

近代土木(コンクリート治水)が普及する過程で、川は管理される対象となり、一般市民の手から離れていった。しかし、近自然工法や伝統工法が持つ「等身大」という性質は、技術を再び人々の手に取り戻す力を持っている。下関大学の坂本絋二先生からは、ヒトと川の相互作用についてのご示唆をいただいて「成っていくしくみ」を紹介した。
→ 「モタセと中技術」https://soratoumi.com/river/motase.htm

これは、「維持管理しながら使い続ける」「洪水をしなやかに受け止めながら命を守る」という日本古来の川との付き合い方が、「いつかは破綻する」「安全に見えてその実、被災したときの途方もないリスクに直面する」思想よりも、強靭(レジリエント)であることを証明している。

近代土木は「絶対に壊れない」ことを目指すが、東日本大震災のように自然はそれをいつかは凌駕する。一方、等身大の技術は、壊れることを前提に、すぐに直せる設計。住民や地元の技術者が自ら石を積むことで、「この川はどこが危ないか」「どう流れるか」という身体知、経験知が地域に蓄積され、いざという時の避難行動や減災意識にも直結する。かつての日本には「水番(みずばん)」や「土手見」といった役割があり、住民が日常的に川の状態を観察していた。第十堰の周辺の古老からも似たような話を聞いている。

川を専門家(土木技術者)だけに任せず、自分たちが関わりながら、等身大の技術で修復したり、そこで遊ぶなどして関係性を築いてきた歴史は文化的な遺産としての価値もあるが、第十堰が今も生きた「資産」として機能しているのは、それが致命的に壊れなかったからだけではなく、「人と川の関わり、成っていく構造体」として機能し続けてきたから。「等身大の技術」とは、人間が川の動態を自分ごと(地域の事象)として引き受けられるサイズの技術のことをいう。

「災いがあるからこそ、敬い、慈しむ」。この日本古来の自然観(大熊先生の川の定義)にもあるように、吉野川を通じて「しなやかな関係性」を次世代へ引き継ぐために、便利なインフラの享受者から、川の守り手、川づくりの担い手として関わっていくことが求められている(姫野雅義さんや関わった多くの人たちに想いを寄せながら)。
posted by 平井 吉信 at 22:56| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2026年04月07日

中鳥川 春の小川と桜の風景(美馬町)


桜といえば、子どもの頃に遊んだ桜の並木みちがあり、その辺りを流れていた春の小川への郷愁がある。その景色はいまでは変わってしまった。

春の小川といえば、子どもが一またぎできるぐらいの川幅で、水深が深くても膝ぐらいまで。護岸がなくて斜面には春の草花が咲いている、という絵のような風景。

ところが現実にそんな風景が中鳥川にはある。桜の並木と春の小川、河畔林にスミレが咲く。
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残念ながら今年の桜は春の嵐で散ったあとであったけれど。近くには全国でほかにないイザナミを祀ったとされる伊射奈美神社がある。
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そういえば、童謡の「春の小川」は渋谷区代々木にあった河骨川という小川だったといわれる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c6e999ca437b72a5090cab7ed5fe288a899ceb40?page=2

さて、中鳥川を含む一帯がどんな場所なのか航空地図で見る。言うまでもなく、かつて吉野川が縦横無尽に流れていたのを人為的に堤防で閉めきって小さな流れとなったもの。かつては洪水の度に水に浸水していた低湿地でもあったはず(黄色の矢印が中鳥川、空色がかつて流れていただろう河跡)。
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posted by 平井 吉信 at 23:13| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2026年04月04日

那賀川のケイリュウタチツボスミレ(2026年)


冬の小雨や低温が続いた四国では、この春のスミレはやや遅れている、もしくは発生が少ないように感じる。那賀川でも渇水に見舞われたため、2026年のケイリュウタチツボスミレは不作となるのではないかと予想していた。しかし現地へ足を運んで見なければと思って数回通った。その結果、例年なみ(もしくはそれ以上)にケイリュウタチツボスミレを確認することができた。

場所によっては足場が悪く、運悪く落下すれば急流と深いトロ場が待ち受ける場所もある。概して半日陰で、完全な日向には発生しないように見受けられる。渓流帯ならではの環境圧を受けた形態をしているが、タチツボスミレに近い株もあれば、コタチツボスミレに近い株もある。シロバナ株も全体の1割弱ぐらいか。

この株は渓流帯(洪水時に水を被る岩場の苔)に自生しているが、形態はタチツボスミレのよう(中間型)である
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ほとんど同じ場所にありながら、こちらはケイリュウタチツボスミレの典型のよう。苔マットのように水が潤沢に得られないからか、葉の造形も小さく簡素。栄養分が形態を左右しているようだ
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さまざまな形態のケイリュウタチツボスミレを見ていこう
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那賀川のケイリュウタチツボスミレについては以前にAIとの対話で考察を行った。
→ 標高1000メートル以上のブナ林(那賀町)の4種のスミレたちをGeminiと考察する〜ケイリュウタチツボスミレのルーツは源流にあった?〜


元来は渓流帯の植物ではないが、この場所の岩場で見かける植物
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posted by 平井 吉信 at 22:08| Comment(0) | 山、川、海、山野草

那賀川の河原に咲くスミレ(Viola mandshurica)とアツバスミレ(Viola mandshurica var. triangularis)


スミレ(Viola mandshurica)は、旧満州にちなんで命名されたので学名の後半がマンジュリカとなっている。もちろん日本にも多く自生する。よく見かけるのはまちなみのコンクリートの隙間に連なるように咲く姿。広々と日当たりの良い土手などがあるのに、わざわざこんな場所に…と思うけれど、スミレは他の植物との競合に弱い。だから他の植物が進出しない場所で独占する生存戦略を選んだともいえる。

そんなスミレ(Viola mandshurica)を、次に多く見かけるのが草原だろう。特に山焼きをするような場所では見事な群落を見ることがある。

アスファルトでの生存も苦にしないスミレ(Viola mandshurica)にしてみれば、他の植物の進出しない環境を選ぶのだろう。海岸の砂の上に自生することもある。観音寺市の有明浜などがそうである。
→ 寝そべって眺める アツバスミレの芽吹く砂浜(有明浜/観音寺市)

有明浜にアツバスミレの咲く頃は、近くの紫雲出山の桜も見事で、さらに父母ヶ浜や周辺の渚の夕凪を見るのも愉しみな季節。

県内では、海部郡の一部の渚、海沿いの集落や道ばたで多くのアツバスミレを見かける。スミレの海岸型変種で太平洋側に生息して葉が厚いのが特徴。阿南市、海部郡に多いが、一部の地域では、白と紫のまだらを見かけることがある。

さらに、那賀川中流域も生息地のようだ。海岸ではないが、河原の砂の上など、渚の砂浜と大差ない。よく観察してみると、スミレ(Viola mandshurica)に近い個体と、アツバスミレ(Viola mandshurica var. triangularis)と紹介しても支えない個体が混在しているようだ。

この場所では、渓流帯ほど水辺に近くはないが、洪水で浸水しそうな場所にも自生する。ケイリュウタチツボスミレとの生息場所の違いはある。乾いた砂地に多いのがアツバスミレ、半日陰の湿った場所に多く、さらに水辺に近いのがケイリュウタチツボスミレである。

この場所のスミレ(Viola mandshurica)は、典型的な紫色の花弁と葉の大きな草原型のスミレ(Viola mandshurica)と、葉が厚く小さくやや波打つことが多いアツバスミレと呼んで差し支えない個体が混在する。紫色と白色が混じる花弁もあるが、海部郡で見られるような純白と紫というあざやかな対比ほどではない。

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大きな毛虫(ツマグロヒョウモンの幼虫)が河原を這う。これからスミレを食べるのか?
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これは巨大なスミレ(Viola mandshurica)。砂地ではなく腐葉土などがあるためか、草原型のようだ。花弁の大きさは3pに達し、葉柄の翼は発達している。葉身と葉柄はそれぞれ7〜8pあるので葉の根元からは15pに達する。花弁に栄養を取られたのか、距は丸く小さくしかも濃い紫。およそスミレ(Viola mandshurica)らしからぬ。サクラスミレの要素も少し感じるけれど、この場所で交雑要素(スミレ×サクラスミレ)も考えにくい。
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→ ほんとうに見たかったスミレにめぐりあう サクラスミレ(四国カルスト)

スミレたちを見ていると、ときが経つのを忘れる。さまざまな表情の個体が、それぞれ種子がたどりついた場所で咲く。風に揺れる風情は、少なくとも現下の世界情勢や劣悪な現政権のことは忘れさせる。スミレを見ることは、小さないのちの存在を通じて、大きな社会との成り立ちを考えること。社会と自分を切り放すことなく自分ごとで捉える必要がある。
→ アツバスミレのタグ http://soratoumi2.sblo.jp/tag/%83A%83c%83o%83X%83~%83%8C
posted by 平井 吉信 at 21:12| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2026年03月31日

季節先取り 森の花売り娘(とある山野草)


音楽を聴くのは愉しい。それを誰かと分かち合う(語る)ことも愉しい。前投稿のあとに清涼剤がほしくなったので、自分のために投稿している。

4月中旬から5月上旬にかけて、徳島県内の数カ所の山岳で見かける植物について。その姿が森のなかの花売り娘のよう。
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posted by 平井 吉信 at 00:14| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2026年03月28日

大宮八幡神社の里山歩き(勝浦町)


春は勝浦町に多くやって来るように感じるのは、ビッグひな祭りが開かれるだけではないだろう。先日投稿した坂本八幡神社のひな祭りもあるし、生名のソメイヨシノの開花もある。観光地でないけれど、春を感じさせる里山がこのコース。

今山運動公園の駐車場に車を停めて付近を散策しつつ、山裾の大宮八幡神社の階段を上がり、神社に参拝したあと、左手から裏の里山をぐるりと一周して戻ってくる。そこに春の断片が散りばめられていて、あっという間の散策だけど、時間がないときに行きたくなる場所。

この冬の勝浦川も水が少ない。潜水橋から下流を見る
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河原周辺の風物
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大宮八幡神社の鳥居と階段
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上がりきると桜が咲いていた
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春の小径を記憶に刻む
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神社の境内。画面奥から散策路が山中に続く
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石仏をめぐりながら、やがて休憩所のある山頂に着く
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山頂から東の斜面にはキランソウが群生する。4月になれば、タチツボスミレ、ツボスミレ、スミレ(Viola mandshurica)も見られるはず。
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すぐに運動公園まで戻れるけれど、道の駅のよってネ市、坂本地区、横瀬立川地区、鶴林寺、慈眼寺などに足を伸ばしてみては?

posted by 平井 吉信 at 11:51| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2026年03月21日

終日のたりのたりの海 その3 大浜海岸 外ノ牟井浜(美波町)


もう写真だけで説明抜きね。見れば(行けば)わかるから。
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続いて恵比須洞(えびす洞)。上りと下りが気持ちよくて、いつのまにか島を一周できる。
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対岸から大浜海岸を眺める
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最後は、外ノ牟井浜(とのむいのはま)。雨の日は滝が出現して渚へと水が落ちることもある。
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海部郡の渚を少しばかり紹介したけれど、名前のない自分だけのプライベートビーチを見つける愉しさもあるから。

posted by 平井 吉信 at 00:32| Comment(0) | 山、川、海、山野草

終日のたりのたりの海 その2 田井ノ浜と周辺の渚(美波町)


渚の小径を歩くことぐらいおだやかな心地はない。
右手には凪の海、そして陽光を散乱させる表情がある。
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樹間からのぞく木漏れ日ならぬ木漏れ渚。木々の枠が加わることでキャンパスに描いた海のよう
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田井ノ浜がタイのプーケットのようにも見える(行ったことないけど)
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(湘南に住んでいる人なら驚くはず。こんな海で車を停められて無料のシャワーやトイレまであって、夏の間は海水浴のための臨時駅まで設置される場所なのに、誰もいない。トワ・エ・モワも驚く「誰もいない海」。徳島ならではのよいところ)。


タグ:田井ノ浜
posted by 平井 吉信 at 00:19| Comment(0) | 山、川、海、山野草

終日のたりのたりの海 その1 八坂八浜 大砂海岸 大里松原(海陽町)


悩みはありますか?
「ない」という人、つまらない生き方をしていますね。

10代のぼくがベートーヴェンに私淑していたのも(いまもだが)、苦難を克服して歓喜に至るというナラティブ(というより精神)に共感したから(それも胸のすく思いで)。

悩みがあるのは生きているから。悩みがなくなれば、生きていないのと同じ。悩みは生きること。生きることは苦しいこと、それを裏返してみれば「愉しい」。
だから悩みがあるのは愉しいこと。

それは言葉遊びでなく実感だけど、おだやかな時間を過ごすのも悪くない。
ということで早春のおだやかな海の表情を追ってみた(というより「感じてみた」)。
しばらくはシリーズとなるので。

まずは八坂八浜から。
人生の愉しさが凝縮されている道といえば、国道55号線。かつては八坂八浜の海岸線(崖)をたどっていた。その名残が三日月湖のように取り残された旧道へと入る。おそらく1日待っても1台も通らないかもしれない。それならそれで車内から海を眺めてみれば?
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次に大砂海岸。
もう説明の必要がないぐらい取り上げているのだけれど、成り立ちや特徴について地理的気候的に解説した投稿もあるので。通りがかりの写真を置いておこう。
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この日の主役は大里松原で。海部川河口の北岸に横たわる白砂青松の海岸。説明なしに写真のみで(それも単調な写真ばかり)。そこから何かを感じられたら、今度は自分の肌で感じてみるのも。
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posted by 平井 吉信 at 00:06| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2026年03月20日

文化の森のタチツボスミレ(徳島市)


図書館へ本を借りに行った際に見つけたタチツボスミレ。撮影は2月下旬
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葉の様子を見ていると、腐葉土で越えているからでは?
posted by 平井 吉信 at 13:31| Comment(0) | 山、川、海、山野草

浜辺のアツバスミレ(美波町)


今年はスミレたちは遅いようだ。雨が少なかったので発芽率が悪いのかも。渚のスミレを見に来たけど、去年(2025年)のようには株が見られない。

でも、気持ちいい。おだやかな波間に踊る陽光を見ながら渚の歩道を歩くと、とある渚にたどり着く。
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あった、あった。スミレ(Viola mandshurica)の海岸型、アツバスミレ。
徳島県南では至るところで見られるが、この場所は波打ち際にもっとも近い個体が自生する場所。
(撮影は2月中旬)
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葉を見て。海岸の気候に適応している
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波打ち際にはハマエンドウも。波が荒いと被る場所なのに、日照を独占できるから、それとも塩っ気を嫌わないヒト?
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いいなあ、海を見ながらぼんやりと過ごす。いまこのときが人生の黄金の時間なのかも。
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でも、地球のあちこちで(この国も含めて)つまらないできごとが多くて。
posted by 平井 吉信 at 13:27| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2026年03月14日

菜の花とローカル線


春という言葉を使わないで春を感じる風景があるとしたら、菜の花はそう。
田園を走るひなびたローカル線の踏切に立つ。
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列車の通過は幸いにも10数分後なので待ってみる(下手をすれば2時間待ち)。この日の気温は低く風も強い。寒さで鼻水が止まらないぐらいだけど、菜の花の水路が目に入った
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菜の花畑を通過する一両編成のディーゼル車両
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菜の花の海、よく見ると手を振っているようだ。

タグ:JR四国
posted by 平井 吉信 at 12:44| Comment(0) | 山、川、海、山野草