2023年05月28日

夕方は植物を妖しく魅せる(とくしま植物園)


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(フジX-T30+XF35mmF1.4 R)(標準レンズのみで撮影)
posted by 平井 吉信 at 17:49| Comment(0) | 山、川、海、山野草

緑萌える 拾い集めた


前項(「自然の音を部屋に流してみるなら…)」からの流れの続きの話題。
身近な場所や場面をそのまま写真に撮るとして、テーマは新緑としよう。
これみよがしの絶景を、深海のような濃い青空、蛍光緑の森や山、エメラルドグリーンの海や川、極彩色の果実などの添え物…。はあ、少々目が痛いというか疲れます。

だから萌える新緑を見飽きないように集めてみました。
といっても表現のための写真ではなく、心を動かされた場面そのものといった感じで。

日和佐川沿いの河畔にて
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曇り気味のやわらかな光の新緑として

出島野鳥園にて
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勝浦川上流と旭川(上勝町内) 月ケ谷温泉周辺
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六郎山周辺(佐那河内村)
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posted by 平井 吉信 at 17:22| Comment(0) | 山、川、海、山野草

徳島県最南端の竹ヶ島 巨岩が点在し竹林がその名の由来となった島を歩く


竹ヶ島については、語れるほど多くは訪問していないが見るべきものは多い島と思っている。港のすぐ傍らは環境省指定の海中公園となっていて海中観光船(ブルーマリン)で見たことがある。水深3メートルぐらいの浅い海域で陸からも近い海底を船底から見られる。そこには20種類の珊瑚、そこに生息するグレ、アイゴ、イサキに加えて熱帯魚が見られる。

島は遠洋漁業(マグロ)の基地でもある。そのため、島の飲食店で提供されるまぐろ丼を愉しみに来島される人もいる(水揚げがあったときのみ営業らしい)。島といっても橋でつながっているので徒歩でも車でも渡ることができる。

島と宍喰を結ぶ水道の北側ではサーフィンをする人もいる。シーカヤックやシュノーケリングなどマリンスポーツならなんでもという印象である。ウィキペディア(Wikipedia)に島の航空写真がある。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f1/Port_of_Kannoura_and_Takegashima_Island_Aerial_photograph.1975.jpg

Google地図で見たい人はこちら
https://www.google.com/maps/@33.5482336,134.3142405,3388m/data=!3m1!1e3?entry=ttu

これで見ても風光明媚なたたずまいがわかる。観光施設もあるのに観光地ずれしていないのが魅力である。

竹ヶ島の港から裏手に反対側の渚に出られる。かつてここにブランコがあったと記憶している。渚を見ながら波のゆりかごに揺られる心地がして気持ち良い時間の過ごし方である。
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ここから島の北半分を1周する遊歩道がある。時計回りに廻るとしてところどころに分岐があるが、どこを行っても迷うようなことはない。大きな島ではないし、97メートルの最高点を過ぎて南端にある灯台へと向かう踏み跡がある(時計の文字盤になぞらえると6時の方向)。

時計回りに進んで7時の方向で海(ビシャゴ磯)へと下りる小径がある。足下に気を付けていけば危ないことはない。渚から再び戻ると9時を過ぎて再び集落のある港へと戻ってくる。この港の最深部には竹ヶ島神社がある。

分岐するみちはショートカットするコースと思われる。また、外縁部の海沿いをたどる分岐が3時ぐらいにある。

竹ヶ島は地形的にもめずらしいようで、竹ヶ島を解説しているサイトがある。これを見ると、大岩や竹林の魅力について触れられている。地元ご出身の方がつくられたのかもしれないが、理念を持って非営利で運営されており、室戸阿南海岸の地勢について触れたコンテンツでもっとも価値あるもののひとつではないか。
竹ヶ島公式サイト https://www.takegashima.com/

集落の手前に車を停められそうな場所があるのでそこから漁港を見ながら歩く。
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まずは港の奥にある竹ヶ島神社へ
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階段も植生と相まって趣がある 
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神社からいったん下りて集落を抜けて裏の渚へと向かう。ここから時計回りに島をめぐる散策路(四国のみち)がある。
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道中で初めてムサシアブミを見る人はその異様さに驚くだろう
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シハイスミレが咲く頃はかれんな道草を
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四国のみちから分岐があるのでこちらの地図をご参考に
https://www.takegashima.com/から引用。竹ヶ島の散策図はこれが唯一の貴重な資料。関係者の熱意に頭が下がります)
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ほどなく97.6メートルの展望台へ。ここが竹ヶ島の最高点。休憩所が設けられており、宍喰本土からは見えない島の東側の海崖が望める
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足下のかれんなシハイスミレ。同じ目線で語り掛ける
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展望台を過ぎると、灯台方面へ向かう下る(のちに上り)南下ルートが見えてくる。右手には名前の由来となった島で唯一の竹林が見える
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このルートは途中から草木(シダ類)が繁茂しており、マダニの洗礼を受けることが確実である。灯台まで行くのならビニールやポリエステル系の滑る素材の上下とマダニの侵入を防ぐ工夫、ティート系の忌避剤は必須の装備(四国のみちだけなら不要。ただし腰を下ろしたときにマダニが近寄ってくる可能性はある)
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さらに遊歩道を進む。自然林と海からの風を感じる心地よい回廊
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島の東側の渚(ビシャゴ磯)へ下りる散策路がある。四国のみちと違って野性的。足下に注意しながら下る。
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竹林の向こうに竹ヶ島の西南の小島(二子島、葛島)が見える
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磯へ下りる小径は竹林の下部を横切る。ここに棚田状の階段地形がある。ここに段々畑/棚田をつくったとは考えにくいが、島に3つぐらいしかない沢筋(集水域)であるので何らかの利水治水目的があったのかもしれない
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竹林に近寄って撮影
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照葉樹林をくぐり抜けてビシャゴ磯にたどりつく
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渚の突端に人の顔のような岩がある。その先遠くに見えるのは甲浦大橋
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四国のみちに戻ってほどなく港に帰着。竹ヶ島神社に拝礼して島をあとにする
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追記
なぜ、離れ小島の竹ヶ島に竹が自生しているかについて、公式サイトでも問題提起を行っている。また、竹林の上部が裸地化している原因もわかった(竹林保護ために杉の植林を伐採)。

運営者が「竹ヶ島の七不思議」で触れられている七段のテラスの存在について、当ブログでも県南部の人里離れた渚に存在する事例(徳島市越ヶ浜、美波町木岐地区)を紹介した。いずれも沢が想定される地形から一見して利水もしくは治水施設のように見えるが、それにしてもその存在理由が説明が付かないため、集落から離れた段々畑ではないかと考えている。

posted by 平井 吉信 at 13:21| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年05月24日

変ホ長調を感じる海 内妻海岸


風景が特定の音域(キー)というか和声(コード)を持つように感じられる。

原始から代わらない光と水、ただ繰り返しながらときを刻んできた。
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それが変ホ長調のような気がする。
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令和5年、2023年のこの場所と、数億年前の地球のどこかに似たような風景があっただろうな。
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サーフィンしている人と波が繰り返すと地球の歴史をバームクーヘンのように見せてくれる気がする。
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(フジX-T30+XF35mmF1.4 R、ニコンD7200+AF-S 70-200mm f/4G ED VR)
posted by 平井 吉信 at 22:39| Comment(0) | 山、川、海、山野草

潮風に吹かれる 外ノ牟井浜にて


「潮風にちぎれて」という曲を聴いていると行ってみたくなる渚。
こんなに澄んだ海の色、車を停めてすぐに見られる。

ほんのときおり、風に吹かれている人がいたとしても
ほとんどは人影がない。

風に吹かれている人は特に何もしないで渚にたたずんでいる。
太陽、潮風、波間の切り口ごしに見える水晶の断面、炭酸水のような泡。

ここは外ノ牟井浜。
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posted by 平井 吉信 at 22:30| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年05月19日

らんまん もし牧野富太郎がロシアへ渡っていたら 精緻な植物画は8Kの世界でも揺るがず


ドラマは万太郎が東京大学の植物学教室のドアをノックし、小学校中退を蔑まれながらも熱意で教室への出入りを認めてもらう場面にさしかかった(その決定を行う教授には実在のモデルがある)。
22歳の牧野の才能はすでに誰もが認めるものであったのだろう。富太郎は数年後に「日本植物志図篇」の発刊を開始する。この資料は言語の記述では伝わらない情報を生態を伝える画として著したものでその精緻な技巧と観察眼は素人でも声を上げるほど。新種ヤマトグサを発見して日本人として初めて学名を付けたこと、江戸川での世界的に稀少なムジナモの発見(特に花の開花は牧野が世界初の観察となった)、郷里に近い横倉山でのコオロギランの発見などめざましいものであった。

新牧野日本植物図鑑の出版元の北隆館からは牧野の画が公開されている
コオロギラン http://www.hokuryukan-ns.co.jp/makino/coma1.php?no1=3676
ヤマトグサ http://www.hokuryukan-ns.co.jp/makino/coma1.php?no1=1813
ムジナモ http://www.hokuryukan-ns.co.jp/makino/coma1.php?no1=1513

日本は世界でも希に見る多様な生態系を持つ地区で、もし地球から日本列島がなくなれば、地球の価値は大幅に減じるのではないかと思われるほど。温帯モンスーンを中心にマグマの活動が生んだ複雑な地形と最終氷期からの移行で日本の植物相は世界でも有数の豊かな場所となっている。明治の文明開化も牧野にとって追い風となったことだろう。

横倉山は安徳天皇陵墓参考地となっている神秘の山で花崗岩質の湿潤な森である。赤道近くの珊瑚礁の大陸が移動して形成された特異な成り立ちで1,300種類の植物が自生し、この山固有の植物も少なくない。そんな場所が牧野実家から14kmの場所にあったのだ。
→ 越知町の横倉山自然の森博物館を見て横倉山を歩く

当初は熱心な若手研究者として門戸を開いた東大教授は牧野の活躍を快く思わなくなったのだろう。牧野は学生でも助手でもなく、ただ研究室に出入りを認められた市井の研究者という立場であり、標本を見せてもらうのは特別な扱いであった。けれど、そこに名声への嫉妬や学歴を持たない牧野への複雑な感情や自身の保身の意図があったことは推察できる。最高学府黎明期の進取の気風とともに象牙の塔が芽を出し始めているのが興味深い。

東大の研究室を追われた牧野はロシアへ渡ることを決意する。ロシアにはマキシモヴィッチ博士がいた。マ博士は日本でも助手を雇って(外国人が港を離れて日本の領土奥深く立ち入れない)数年に渡って日本の植物を採取するなど、日本列島の植生に注目していた。学名を付けるには標本が必要で、新種と認めた植物の学名(ラテン語)を付ける際には日本の研究者はマ博士に頼らざるを得なかった。牧野もそれまで幾度か標本の鑑定を依頼していたので、マ博士に近づくのは双方にとって利点があったに違いない。

マ博士からの返信を心待ちにしていた牧野のもとに意外な報せが届く。マ博士はインフルエンザに感染して亡くなられたというのだ。

マ博士が健在であれば、日本の植物相への研究の深化もなかったかもしれない。牧野はロシアに永住するつもりはおそらくなく、佐川と東京を行き来したように、東京とロシアを行き来する生活を想定していたのではないか。しかしほどなく牧野の実家の酒蔵は経営が立ちゆかなくなり人手に渡ることになるので渡航費用の捻出も難しくなっていただろう。

ドラマで万太郎は熱弁を振るう。植物を好きという気持ちは誰にも負けないと。学問や研究の本質を説き、アカデミズムを批判する万太郎の演説に胸のすく思いをした人もいるだろう。10代後半に郷里で自由民権運動に心酔したことも重なっていたと思われる。

牧野のロシア行きが消滅したのはマ博士の死去とともに件の東大教授の学内での失脚があったという。牧野富太郎の才能が輝いているのは熱意(80代を過ぎて毎晩2時まで標本づくりをしているというのだから)もさることながら精緻な植物画だろう。

後年の図鑑においては専門の植物絵師に描かせたのだろうが、こと生態画については余人の追随を許さない。NHKがかつてその画力の深さを8K高精細画像で解析したことがあった。
→ 8Kスーパーハイビジョン映像が捉えた牧野富太郎のすごさ

この牧野の凄さを手軽に実感できるのが高知県立牧野植物園が発刊している「牧野富太郎植物画集」だ。彼の描いた精緻な植物画をクリーンナップして(一部は原画が当時の最高級絵の具で描いた水彩あり)掲載されている。ぼくも手元に置いて眺めている。牧野図鑑とはまた違った画そのものを愉しむ意図で発刊されている。


先にご紹介した高知新聞社の「MAKINO」も地元高知の牧野好きが結集してつくられた愉しい読み物で博士のイラストも多数掲載されている。「らんまん」の放映が決まる前の2014年に発刊されたものだが、マキノ愛に溢れている。しかしそれでいて冷静な視点を外しておらず、このあたりは新聞記者ならではの客観性が活かされている。特に郷里の妻 猶さんと東京での妻 寿衛さんの二人の女性がいなければ博士の研究はなしえなかった。牧野称賛だけではない書き方も好ましい。牧野植物園のスタッフも尽力しているが、牧野が好きで好きでたまらない地元の人たちが清濁併せ持つ牧野像を記した好著。現時点では入手が困難となっているが、いずれ増刷もあるのではないかと期待している。


2023年3月になって高知県立牧野植物園から植物画集の最新版が発刊されている。こちらはまだ購入していないが期待できるのではと。
牧野富太郎の植物図鑑」(高知県立牧野植物園 監修)




posted by 平井 吉信 at 12:11| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年04月28日

らんまん いまの時代にこそ 自由と志の箴言として


朝ドラはほとんど見ないのに、らんまんだけは別格だ。第1週の子役の凜とした演技が忘れられず、第2週の第二子役に引き継がれて仁淀川へと誘われた。いまは高知で政治結社の仲間に連れられてジョン万次郎に引き合わされる。

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輝かしくも波乱に満ちた青年時代から激動の時代を駆け抜けて老後を見つめるジョン・マンは自らに言い聞かせるようにこういう。
「人の一生は短い。後悔はせんように」
(捕鯨の仲間たちともう一度大海原へ出たいということだろう)

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万太郎には学問の歓びがあふれている。未知のこと、知りたいこと、森羅万象の原理原則を見極めたいとの思いがあふれる。そうですよ、学問ぐらい愉しいものはない、とぼくも思っている。いまもそう。

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牧野富太郎は小学校中退でありながら博士号を持つに至ったが、本人はそんなことにおそらく頓着しない。だから70代後半に至るまで東大ではあるが、安月給の講師のままであった。東大への誇りがあったわけでもないだろう。この感覚は理解できる。

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ぼくは高校を卒業しているけれど、卒業時の成績は400人中380番(まだ下に20人はいるではないか)。
学歴など頓着しないので学歴詐称などとんでもない。その代わり大学のえらい順がわからない(偏差値の高い順番というのが正しいか)。日本大学と東京大学では日本大学が格が上と随分長いこと信じていたぐらいだったから。早稲田の卒業です、といわれても、それが徳島大学と比べてどちらがどうなのかいまでもまったくわからない。

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それでも中学時代に数学なら微分積分まで、英検は2年のときに準一級を取っていた。学校には個人個人にLL教室(リスニング)を備えていたし、地学の学習には20センチ屈折赤道儀を持つ天文台を使えたので。いま思うと学習環境はとても大切だな。

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らんまんでは、商人でありながら藩校で学んでいた牧野少年が尋常小学校へと時代が変わって、いろはから学習させられたとき、授業を放棄してしまった。問い詰める教師に、英語で「授業が退屈だ、どうすればいいですか?」と質問して教師がたじたじの場面があった。

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ぼくも退屈な授業では専門書を読んでいた。古典であれば万葉集を、地学であれば天体物理学の初歩的な本を、といった具合。ほんとうに勉強が大好きだったのだけれど、教科書の学習やら受験勉強やらとなると、やる気が起こらない。良い大学に入って、良い企業に入って、人並みに良い人生を送る動機がなかった。むしろ大学へ行けば学問の墓場になるような気がした。ほんとうに好きな学問を思う存分に勉強しようと思ったら、大学はむしろ退屈で苦痛な場になると見切った。そりゃ、380番では行ける大学もないよ、といわれそうだが、いくつかの教科では全校で1位を取ったこともあるのだけれど…。

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ただ勉強が好きなのだ。だから高校を卒業してからはありとあらゆる学問を独学で勉強した。合格率3%の国家資格に高卒で受験機関に行かず独学ストレートで合格したのも日本でぼくだけだろう(その年の四国の合格者は3人でそのなかの一人だった)。それで起業していまもそれで飯を食っている。ときどきは旅をしたり好きなことの合間に仕事をしている感覚。いや、仕事そのものが愉しいのだけれど。

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そんなぼくだから、牧野少年が学問にぴたりと寄り添って好きなことをやりたいだけ究めようとする姿勢に共感する。ほんとうにそうだよ、勉強って究極の愉しみだから。

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幸福感を生きる糧とするならサラリーマンでは実現できないだろうと思う。起業したい人がいたら、県内の方であれば相談に乗るのでご遠慮なくどうぞ。

らんまんは視聴率を意識したあざといつくりにはなっていない。人の心の機微をていねいに描いている。物語を知るために早送りをすることなく、地道に積み上げていって、ここぞというときに、劇中の人物の決め言葉が入る。若手俳優ものびのびと演技しているし、中堅の存在感、ベテランの風格と演技者も申し分ない。扱っているのは植物分類学を究めようとする牧野富太郎をモデルにした万太郎の物語だが、いまの時代だからこそのメッセージを作り手が投げかけているのを受け止めている。だから葛藤があったとしてもそれが浄化される場面があって高揚感とともに物語を追体験している感じ。良い脚本だね。

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これに比べると、過去の人気ドラマ(あまちゃんなど)はストーリー展開で飽きさせないよう(チャンネルを変えさせないよう)ドタバタやコミカル要素を仕込むか、少し前のちむどんどんのように落ち着きのない展開で視聴者が離れるようなこともない。

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自由がないがしろにされ、無能な政府の無策にあきれ、国家に従属させられようとしているいまの政治にあって、自分の進むべき道を迷うことなく進んでいく主人公(その周辺の人たちも)に思いを重ねているのだろう。

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このところ首相襲撃事件が相次いで起こっている。そのことはいかなる理由をもってしても正当化されるものではない。
しかし、やるべきことをやらず、やってはいけないことをやる与党、虚偽を列べて煙に巻いて開き直る劇場型の空虚な野党もあれば、理念を忘れて与党の格好の引き立て役を演じる無能な野党もある(この政党も発足時は代表が宇宙人、イラ菅などと呼ばれようとも理想と理念があった)。どのような抵抗もいまの政治の暴力の前には無力感を思い知らされる人々の潜在意識が顕在化した現象に思える。

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人々の幸福とはなにか? 幸せになれる社会とはどのようなもので、それをどのように実現するかを一人ひとりが自分の人生を通じて考え抜けと言っているようだ。

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posted by 平井 吉信 at 12:55| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年04月26日

南国に取り残されたオオタチツボスミレ


オオタチツボスミレ(Viola kusanoana)の分布は北国や豪雪地帯が中心で北はサハリンや千島列島まで産するという。最終氷河期が終わる1万年前より古い時代には日本列島各地で見られたのかもしれないが、日本周辺で気温が上昇した縄文海進の時代にはオオタチツボスミレは高地や北国に逃れたのだろう。この時代には地殻変動も多くスミレも多様化したのではないか。

氷河期の生き残りのようなこのスミレの背丈は大型で20センチ以上は普通に見かける。それ以外にも葉のやわらかく丸みを帯びたたたずまい、紫色の花なのに炬(花弁の後方にとんがった場所)は白いなどが特徴。四国は生息地でなさそうだが、阿讃県境の一部の山域で比較的個体数が多く自生している場所がある。
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この場所では近傍にタチツボスミレの群落もあって、ともに群落を形成しているが、両者の交雑は見られなかった。遺伝子的にはそれほど近しい関係ではないのかもしれない。
(近くにあったタチツボスミレの群落)
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南国徳島では平地では見かけないだろうと思っていたら、意外にも県南部の温暖な平地で見かけたことがある。特に四国遍路のコース(巡礼者がよそのスミレの種を運ぶ)ではなく、多様な環境が残されている一角ではあるが、こんな場所にも自生しているのだなと感心したことがある。


このように生息地を外れていても偶然見つかることがある。先入観を持たずに観察していくと気付きがあるかもしれない。
タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 21:36| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年04月25日

渚のツヤスミレ(シチトウスミレ)とアツバスミレ 飛沫を浴びてもここで生きていく


ツヤスミレ(シチトウスミレ)はタチツボスミレの海岸型(それも太平洋側)とされる。
花や葉の形で見分けは付きにくいとされるが、一目見て母種と雰囲気が明確に違うことがわかる。

個人的な感覚で(遺伝的科学的な根拠はないけれど)、標準的なタチツボスミレよりも山陰型と呼ばれるタチツボスミレを原形に葉が厚く光沢を増した感じ。通常のタチツボスミレを数世代ここに移植しても定着しないだろうし変異も起こらない気がする(直感)。

ツヤスミレとシチトウスミレは見分けが付かないが、便宜上学名のあるシチトウスミレに代表させるとしても、伊豆七島が由来であるとするなら果たして四国の海辺の海岸型タチツボスミレにどのような呼び名を与えたらよいのか?

この個体は波打ち際まで数メートルという岩が点在する砂浜に自生していたもの。波浪の高い日は飛沫を浴びる場所。

いずれにしても写真で味わってください。この艶々した葉の存在感と厚みを。
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同じ場所にスミレ(Viola mandshurica)の海岸型、アツバスミレも自生している。互いの距離は数メートル、波打ち際までも数メートルの過酷な場所。徳島のアツバスミレは紫もあるけれど、花弁に白が混ざる個体が多いようだ。

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おだやかな渚で世代を積み重ねる海岸型のスミレもいる。
タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 23:09| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年04月24日

ナガバノタチツボスミレとニオイタチツボスミレ


ナガバノタチツボスミレ(Viola ovato-oblonga)はタチツボスミレのようで葉の一部(茎葉)の先端が尖る。県内では都市近郊の低山に多い。
ニオイタチツボスミレも同様だが、県内ではやや標高が高い場所に多いような気がする。ナガバノ〜と同じ場所に自生することも少なくない。花が終わって葉だけになれば両者の見分けは付かないかもしれない。
まずはナガバノ〜から。

大坂峠にて
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日峰山にて
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ときおり背が高い(20センチ以上)個体を見かける。それらは通常のナガバノタチツボスミレよりもさらに葉先が尖っている。
阿南市深瀬町にて
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とくしま植物園の散策路にて
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もしかしたらナガバノタチツボスミレとタチツボスミレの交雑なのかもしれない。交雑の場合はそれぞれの親の特徴がより顕著に出ることや大型化することがある。上2個体は膝ぐらいまでの高さがあり、交雑の典型ではないか。

続いてニオイタチツボスミレ。色がくっきりと濃いめで花弁の中央が白く抜ける。
佐那河内村にて
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こちらはタチツボスミレとの中間型(マルバタチツボスミレという)
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タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 22:23| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年04月22日

スミレ(Viola mandshurica)が日本列島へ上陸したのは縄文から弥生への歴史をたどることかも


さて、スミレ(Viola mandshurica)です。
○○スミレの○○が付かないスミレ、民謡だと「正調」、菓子屋だと「本舗」「本家」と名乗りそう。実際に目にすると、ああ、スミレって感じ。

スミレ(マンジュリカ)は、濃い紫と凜としたたたずまいから日本らしいスミレのように思われる。しかしルーツに思いを馳せてみると、稲作の伝来などヒトやモノの流れが大陸から列島へ流れたようにスミレは人の暮らしと密接にある植物。つまりスミレが分布を広げた過程には人の移動が関わっている。

種小名のマンジュリカは旧満州(中国東北部)に由来するように大陸型のスミレである。学名もヴィオラ・マンジュリカでヴィオラ・ジャポニカではないのだが、もっとも倭(やまと)らしいこのスミレの由来を考えるのは興味深い。

ときは2023年春、那賀川流域でみごとなマンジュリカの群生が見られた。
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小さな個体 レンズキャップを置いてみた
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こちらはマンジュリカらしい美しい個体
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マンジュリカの群落に混じってオキナグサも群落を形成。
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とくしま植物園の散策路にて
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大宮八幡神社(勝浦町)の裏山で見つけた雰囲気ある個体
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同じ場所で翌年見かけた個体
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これは葉より下で咲いているめずらしい型
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勝浦町横瀬の川沿いにて。華麗なる姿態だが、何か交雑しているような
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道路と水路の間のコンクリートの隙間から。もっともよく見かける光景だろう(小松島市内)
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四万十川の春を告げる(四万十市)
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スミレ(Viola mandshurica)が大陸から日本列島へ上陸する経緯をたどろうとするなら、稲作を通じて縄文から弥生への橋渡しの過程であったかもしれない。
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タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 21:52| Comment(0) | 山、川、海、山野草

変幻自在のコスミレ 小さいスミレというわけではない


コスミレの学名はViola japonica、ジャポニカが付く唯一のスミレであるが、日本固有種というわけではなさそうである。このスミレは地域によって(もしくは個体によって)ばらつきがあることが知られている。

ということは種として安定していない、母種から分化、進化して時間が経過していないのではないか。関連するスミレとしては、ノジスミレ、アカネスミレあたりと思われる。

勝浦町坂本地区のコスミレ
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側弁の基部は有毛でヒゲコスミレと呼んでもよいかもしれない。いずれにせよコスミレの見かけ上の変化の振れ幅が大きいのはその成り立ちが交雑種由来にあるからかもしれない。

かつて県南部の国道55号線沿いで見かけた種類のわからなかったスミレについてもコスミレと同定。全国各地からのお遍路さんが歩く歩道沿いにスミレの品評会(それも珍品揃い)のような一角がある。その場所で見つけたもの。これなんだけど。

コスミレの変化の範疇、もしくはシロバナツクシコスミレだね
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至近距離にコスミレもあるが明確に違う
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参考までにこの一角で見かけた他のスミレはこんなもの。

タチツボスミレもあるが、これも葉の厚みや照りなどがあって海岸型のツヤスミレに近い感じ
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さらにこんなスミレまである
シロバナタチツボスミレのようだが葉のかたちが長い。シロバナナガバノタチツボスミレではないか(珍品)。
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すみれの花咲く頃…♪の宝塚歌劇のあの曲は、コスミレの印象ではないかと思っている。
タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 20:50| Comment(0) | 山、川、海、山野草

なにやらゆかし タチツボスミレ


日本でもっとも多く見かけるタチツボスミレ(Viola grypoceras)。そのなかでたたずまいに感銘を受けたものを。

楚々とした姿 朝立彦神社(徳島市)
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標準的なタチツボスミレの葉 その美しさを愛でる(徳島市南部)
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星形のような神秘。大宮八幡神社(勝浦町)
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この個体などは図鑑に載っている標準的なイメージに近い
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アヤメやカキツバタを連想させる妖艶さ 脇町の山中にて
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山中のタチツボスミレ(神山町)
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ニオイタチツボスミレ もしくはそれとの交雑(佐那河内村)
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参考までに同じ場所でのニオイタチツボスミレ(たぬき顔の美女といえば失礼か?)
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同じ場所でナガバノタチツボスミレ。実際はこの三者で交雑しているかもしれない
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横顔の美しさ 稼勢山(勝浦町)
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渓流沿いの凜としたたたずまい。葉は肉厚で光沢があり、先端が細長い。ケイリュウタチツボスミレではないが、渓流に適応しようとしている中間形か?(海陽町)
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濡れたような艶っぽさを感じた(ツキノワグマの自生地、砥石権現)
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これも気品ある姿(佐那河内村)
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標高千メートルを超えて寒冷な場所に咲く(高丸山)
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高千穂峡の崖に咲く個体も四国のタチツボスミレと変わりはないよう
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最後はちょっとおめかししてディズニー調で(佐那河内村)
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ところで、万葉集にうたわれた「すみれ」(一般的な名称)がいくつかある。
春の野に すみれ摘みにと来しわれそ 野を懐かしみ一夜寝にける(山部赤人)

山吹の咲きたる野辺のつぼすみれこの春の雨に盛りなりけり(高田女王)

芭蕉にもある。
山路来て何やらゆかしすみれ草


これがどのスミレを指すのか手がかりはないけれど、想像を膨らませればある程度見えてくる。
山部赤人は早春の野に出て一晩寝てしまったという野宿をうたったものではなく、すみれを愛する女性になぞらえたものだろう。だから特定のスミレを指していないと解釈する。

高田女王は「つぼすみれ」とあるけれど、これがいまの「ツホスミレ」を指すとは限らない。ツボスミレは白く小さな花のスミレなので春の雨に生えるすみれとして紫色のタチツボスミレを想定したい。

芭蕉はどうだろう。芭蕉は推敲して作品に仕上げるが初稿はいまの名古屋の熱田地区のようである。候補としては、(1)タチツボスミレの小さな群落、もうひとつはシハイスミレ。ただし愛知県は場所によっては変種のマキノスミレも混ざるはず。句の風情からこの三者のいずれかだろう。個人的には、山路きて何やらゆかしすみれ草 とうたわれた風情からタチツボスミレかな。

山路には「スミレ」(マンジュリカ)は見かけない(人里の田んぼや路傍のスミレなので)。タチツボスミレはほぼ全国で見られる日本でもっとも普遍的なスミレで日本を代表するスミレといえばタチツボスミレだから。

追記
スミレを撮るのにどんなカメラが良いですか?って訊く人はいないと思うけど、答えは富士フイルムで。
ことスミレに関しては、他社のカメラで撮った花弁と比べてもトーンの深みが違う、SONYやキヤノンではたたずまいのつや感、楚々とした透き通る感じが出ない。解像度とかダイナミックレンジとかの要素ではなく、フジの画像処理でしょう、と答えたくなる。

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定評ある緑の再現性の深みは独自のカラーフィルターの配列から。その補色である紫系統の表現(ハイライトをやや抑えた設定が良い)、そして他社ではのっぺりとする花弁の濃淡が浮かび上がるのは、写真ならではの階調性を知っているメーカーだから。ハイライトとシャドーが粘るけれど、その代償としてそこに続くトーンカーブが立っていてそれが描写のメリハリを与えているのでは?
(新品もしくは中古で手に入るならX-T30かそのマーク2が良いですよと耳打ちする)

タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 16:30| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年04月21日

海辺のまちのどこにでもありそうでなさそうなスミレ(アツバスミレ)

そのスミレは、県南部の海辺のまちの道沿いや港で見かけた。

おまん、だれじゃ?
スミレににいちょるのう
見たことないがやけん、牧野先生、教えてくれんろうか

(先生いわく、それは…)

アツバスミレ(Viola mandshurica var. triangularis)いうんですか?(ヴィオラ=スミレ属のマンジュリカ=種小名。これが和名=日本での呼び名の「スミレ」)を表す。この和名でタチツボスミレとかキスミレなどと表すのだが、スミレの種類全般の呼称である属名のスミレと和名のスミレが同一で混乱を招きやすい。そういえば「モミジ」という樹木はないことはご存知ですか?)

スミレ(Viola mandshurica)の変種で太平洋岸の海岸型ですね。
どこで見つけましたか?

いずれも海部郡内の南のほう(下灘)です。
特に漁港の近くで見かけた個体は花弁が大きく見応えがありました。すぐ近くを車や人が歩いているというのに、こんな場所が好きなんですね。
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そうなんです。おそらく他の植物は環境圧(自生する条件が悪い)で生えにくい場所。でもそれが競争が少なく日照時間を独占できるということでしょう。色が白っぽい花弁の二色もありますね。

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すぐ近くには紫一色もあり、町内の他の場所にも自生地があり、植生の状況から園芸種とは考えにくいのでアツバスミレの範疇でしょう。

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続いて那賀川町でも見かけました。海岸から5kmぐらいは入っていますが、これもアツバスミレでしょう。
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たくましい。でもかわいいスミレですね。

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追記
アツバスミレはスミレの変種だが、仲間を表す近さでは「品種」がもっとも近く、次に「変種」、そして「亜種」となる。ラテン語の「var.」はヴァリエーションから連想しやすい。
タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 18:45| Comment(0) | 山、川、海、山野草

おひな様の奥座敷と坂本おひな街道2023年


勝浦町坂本地区は、上勝町との境に位置する町内でもっとも奧にあり、廃校となった小学校の活用(ふれあいの里さかもと)をはじめ、地区の活性化への取り組みが活発である。得てして高齢者中心の取り組みとなりがちだが、若者も参加している点が坂本地区の良さである。ぼくも宿泊してコンニャクづくり、豆腐づくりなどを体験しつつ地元の方々と酒を飲みながらお話を伺ったことがある。

勝浦町では、ビッグひな祭りというイベントが有名だが、同じ頃、町内の奥座敷にあたる坂本地区でも「おひな様の奥座敷と坂本おひな街道」という行事を行っている。部隊の中心は地区の氏神さまである坂本八幡神社である。秋には「あかりの里さかもと」という妖しさあふれる灯りの行事もある。

女の子が成長して役目を終えた人形たちが勝浦町へ集まってきて、かつて憧れのまなざしを受けた頃のように人の目に触れる。

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かつて両親や祖父母に祝ってもらった人たちがしばし目を細めて眺めているよう。そして次の世代へと。
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posted by 平井 吉信 at 18:11| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年04月15日

四万十川から仁淀川、NHK高知放送局の仕掛け

NHK特集「土佐・四万十川〜清流と魚と人と〜(1983年9月12日)

日本最後の清流という有名なコピーはこのときから。この番組は初回放映時に見ている。それからは寝ても覚めても四万十川となってしまい通うようになったもの。
当時は高速はできておらず、広瀬や口屋内までなら10時間かかっていた。特に帰路の眠いこと。須崎の手前でお決まりの渋滞が始まるとうんざりしたもの。

これを見ててわかるよね。人を集めるのではなく、人が集まる発信をすること。その前提として地元の人が地元の良さに気付いていて日常(ケ)の光景を自ら楽しむ。そこによそものは惹かれる。

そうだとしたら、徳島の観光の魅力度ランキングが低いのは、「地元の人が地元の良さに気付いていないから」という本質に突き当たる。
映画やアニメなどのロケ地やゆかりの場所を訪れる動機もそう。地元の人から話を聴いたり地元の人が行き交う飲食店で思いがけないことがあったりして結果として観光コンテンツになっていく。

高知県は観光では不利な立地にある。飛行機を除いて陸路はいずれも四国山地を越えなければならない。その飛行機にしても高知空港から室戸岬や四万十川、大月町をめざすとなれば100km以上離れている。そんな不便な場所に光を当てた(龍馬やカツオがあるといってもそればかりでは飽きられてしまうのだ)。
つまりは全国基準の観光のモノサシ(うまい食べ物+温泉+まちなみor絶景+娯楽ソフト)をひっくり返して提示した。すると(不便、遠い、ゆったり、地元にとっての当たり前)が心にしみてきてトップになるのだ。

四万十川では、江川崎(えかわさき)から中村までの間、岩間とか口屋内あたりは悠然と流れる大河が山裾を洗いながら川漁師など人と川の営みとともに日本の桃源郷のようなたたずまい。そして人を拒むかのような離合が困難な細い道。そもそも大河の下流なのに平野がない。ぼくも何度か江川崎からカヌー(ファルトボート)で降ったことがあるが、魂の洗濯であった。

赤鉄橋上手右岸にある入田のヤナギ林の菜の花の小径
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2023年3月の菜の花まつりのポスター。青い橋脚は最下流の佐田沈下橋
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初夏を迎えた四万十川の空高く
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若い恋人たちのデートは沈下橋で。彼女が頭から飛び込むのを下流で待っている男の子
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土手がなく河岸段丘が続く中流域の里山は四万十川らしさに満ちている
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窪川から江川崎まではJR予土線が四万十川に沿うように走る。これは特別列車のしまんトロッコ
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JR鉄橋と並ぶ第一三島沈下橋。中流域は穿入蛇行(Googleマップ)が楽しい
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収穫の秋を迎えた窪川のたんぼ
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静かな里山の秋は河岸にも
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深沈とした淀みに小舟 陰影ある晩秋
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最下流にある佐田沈下橋は欄干がなく全長291メートルと長い
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佐田沈下橋から下流。ここは四万十市(旧中村市)
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岩間沈下橋に春の気配
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四万十川を連想させる音楽はジャズピアニストの河野康弘さんの作品組曲「四万十川」が素敵だ。
忘れられないのは1996年8月3日(土)、ぼくが事務局の一翼を担った水郷水都全国会議・徳島大会のオープニングで吉野川をイメージするピアノ商品を即興で弾いていただいたこと。この楽曲は残念ながらCDにはなっていないが、水が滴りこぼれ落ちる滴のような音階はいまも耳に残っている。

ブログ内では「四万十川のタグ」からどうぞ。


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NHKスペシャル「仁淀川〜青の神秘〜(2012年3月25日)

そして仁淀川。どちらも風景の美しさだけでない川漁師や流域の人々との関わりが濃厚に描かれていた。
実はそれまで仁淀川は印象に残っていなかった。源流部の面河渓谷は四国でももっとも歴史あるリゾート渓谷として大好きな場所だが、上流部では連続するダム群で川の墓場状態(吉野川上流部もそう。ダムのない四万十川はえへんと言っている)。中流域はダムのもたらす細かい砂が堆積して川底は必ずしも良好ではなかったから。

穿入蛇行においても四万十川中流域の豪快で絵に描いたような規模とは違う。どちらの川も共通点があるとしたら、本流の中流から下流にかけてのゆったりと流れる様子、本流とは異なる支流の清冽な水の表情である。もし比べるのなら総合力では仁淀川の魅力が優る。どちらも大好き。

仁淀川では土居川(その支流の安居渓谷)、上八川川(その支流の枝川川のにこ淵)、中津渓谷などある。そして源流部は面河渓があり、祖父母にもらった絵葉書が宝物だった(いまも手元にある)。

2012年の「仁淀川〜青の神秘〜」では「仁淀ブルー」という色彩が印象づけられた。単に清流というだけでない独特の明るい水晶のように深沈とした色なのである。しかも仁淀ブルーはいつでも見られるわけではない。水量(水が淀むと珪藻類が目立つ)、増水後の一定の期間を経た川底の良好な状態で太陽の光を受けて緑色片岩が光を反映するなど、さまざまな状況が合致してのみ見られる。ということでぼくも仁淀ブルーは数回しか見ることができていない。

それでもこんな具合です。
→ 仁淀川のタグ

この番組では音楽も秀逸であった。高木正勝さんというアーティストの作品が使われた。オープニングで使われた映像の冒頭では、今回のらんまんロケと同じ場所ではないかと思った(ただし当時といまでは川の澪筋が変わっているようである)。

高木さんの音楽は、自然界に存在する音や人の息づかいなどが時代や国籍を超えた音楽の詩として結晶していて唯一無二となっている。仁淀川を構成する「niyodo」は当初配信のみであったので入手したが、その後「niyodo」が収録されたアルバム「おむすひ」が発売されたのでそちらも購入。

コード進行とかアレンジとかではなくもっとプリミティブなもっと原始的な物を置くところで共鳴する感じ。社会を忘れさせる音楽というか、音楽の枠から飛び出した魂の逍遙のひととき。

四万十川と仁淀川があるだけで生きられそう。高知の人はえいのう。
posted by 平井 吉信 at 13:04| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年04月13日

150年前から変わらない仁淀川 令和の朝ドラでもロケ地に


4月13日の「らんまん」では仁淀川が映し出された。演じる俳優たちも初めて見る景色に本心で感嘆しているようだった。

ドラマ上の設定では、恩師が万太郎を連れ出して1泊2日の歩きの旅に出るというもので、現在の地名では佐川から北西に進んで越知のまちで対岸に渡る。そこからしばらく仁淀川を下ると横畠、鎌井田、浅尾の地区がある。仁淀川が幹線道から外れて蛇行するこの地区こそ、仁淀川の白眉と思う。

21世紀のいまも車がようやく通れるぐらいの川沿いの崖をたどる。初めて訪れたときの感激は忘れない。

牧野富太郎と同じ佐川の出身に森下雨村がいる。故郷に戻って執筆した「猿猴 川に死す」は川釣りをする者の憧れのような釣りエッセイである。いまはダムや開発で失われた桃源郷のような四国の山間部の川が幻灯機で浮かび上がるよう。そのあまりの情景に激しい憧れと喪失感を覚える。特に鎌井田地区での鮎釣りと吉野川上流に存在した桃源郷のような場所を特別な感慨で綴っているように見える。

仁淀川の水質と風土をNHK高知放送局が「仁淀ブルー」と名付けて売り出したのが10年以上前だったが、そのときの経験が生きたのだろう。「らんまん」のロケで現在の構築物が見えない隔絶感のある場所としたらここしかない。仁淀川でもっとも静かな場所―おそらくは明治初期もそう変わっていない(上流にダムができたのと人工林の面積が増えたことで水量は減っているはずである)―を選んだ。

なお、この地がロケ地がどうかはわからない。でも公式Webサイトの写真から同定しうる。
ロケ地はこの写真の奧だろう。
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この写真の画面の中央の河原では?
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もう少し下流の片岡あたりから、浅尾、鎌井田と遡ってみよう。
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浅尾の沈下橋
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ロケ地はこの場所のすぐ下流の大きな淀みに面した河原ではないか。
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なぜ川がこんな色をしているのか
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「四国の片すみに忘れ去られた桃源郷」と形容したことがある。19世紀も20世紀も21世紀も格別の場所である。
posted by 平井 吉信 at 21:05| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年04月08日

前松堂さんのカワヅザクラ(2023年3月)


桜は近づいてみるよりも離れたところから風景に溶け込むようにふわふわと綿菓子感を愉しむのが良いようにも思う。

さてと、例年見せていただいている前松堂さんのカワヅザクラ。規模は大きくないけれど、椿や梅などもあって舗装されていない庭と小径が雰囲気をつくっている。
お帰りにはお菓子のお買い求めをお忘れなく。
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諸事情で外出が叶わぬ人もいらっしゃるだろう。Webでの花見をしていただけたらと。
タグ: 前松堂
posted by 平井 吉信 at 20:32| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年04月03日

「らんまん」4月3日放映開始 牧野公園と金峰神社に咲いていたバイカオウレン


何かに夢中になれること、それがなんであっても良し。
4月3日、牧野富太郎を題材にしたNHKの連続テレビ小説「らんまん」が始まった。主題歌がかかる映像で博士ゆかりのジョウロウホトトギスが出てきたけど、横倉山か牧野公園で撮影したものかな?

オープニング映像では崖に囲まれた渓谷が出てきて雰囲気満点の演出(あいみょんの主題歌もいいよね。歌はこうでなくては)。これは北川村「モネの庭」マルモッタンからも近い場所にある場所。映像からは想像できない開けた場所の近くにある。
→ モネの庭のタグ

ということは去年の秋から撮影は開始していたということだね。次は三原村もしくは牧野植物園のヒメノボタン? 続いて足摺岬のアシズリノギク? そして牧野公園もしくは佐川町の自生地ののバイカオウレンかな。ナウマンカルストあたりのキツネノカミソリも入っていたかな? 後半は四国カルストでの実写。春の天狗高原へ行ってサクラスミレを見たいな。

第1週のタイトルは「バイカオウレン」。初日は酒蔵の跡取りで身体の弱い牧野少年が描かれた。佐川(さかわ)は歴史と教育に力を入れてきた地区であるが、番組での方言は幡多地域のアクセントではなく高知弁であった(実際には窪川あたりから分かれるのではないかと思うが、高知県の方いかがですか?)
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コロナ前はよく牧野公園に通って2月から3月のバイカオウレンを見に行ったもの。わずか数センチしかない小さな白い花を地面すれすれに構えたカメラで写真を撮る。

その昔、牧野少年が駆け上がった金峰神社の階段を上がりきると、足下に小さな花が咲いている。
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教育に力を入れた歴史ある佐川のまちなみ いまも酒蔵が連なる
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旧浜口邸
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細心の注意で足下に気を配りながら少年時代の牧野博士が夢中になったバイカオウレンが150年を経ていまもそこにあることに感動する。いつしかぼくも牧野少年になっていく…。
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牧野公園でバイカオウレンと同時期に見られる植生はスプリングエフェメラルたち
これはセツブンソウ
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シハイスミレ。博士の名前が付いたマキノスミレはシハイスミレの変種だが、四国には自生せず、東日本で多く見られる
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ユキワリイチゲ
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オオミスミソウ
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フクジュソウ
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子どもの頃から植物が好きで植物図鑑は愛読書だった。種を買ってきては毎日水遣りして成長を見るのが大好き。小学校の通信簿には「休み時間も誰と遊ぶことなく、ただぼうっと外を見ているだけで覇気がなく…」などと書かれていたおとなしい少年だった。

ぼくは四国四県のなかでも高知が好きで、言葉さえも(少し怪しいけれど)高知弁と幡多弁を使い分ける。宿毛へ行けば「イッチキチモンチキチ」といい、中村では「きょうはひやい」「ざまにえいけん」と話す。幡多と高知ではアクセントが逆になる言葉も多いし語尾も変わる。徳島から近い東の室戸はホームグラウンドのようで高校の頃から自転車で通っていた(丸二日かかる)。
室戸岬はコンテンツの宝庫 → 室戸岬のタグ

牧野富太郎について知りたい人は、高知新聞社から出版されている以下のガイド本が良いだろう。


さらに牧野富太郎による植物図鑑を求める。
→ カフェで眺めて愉しい 牧野富太郎の植物図鑑(牧野図鑑) その特徴と選び方
http://soratoumi2.sblo.jp/article/176742609.html

そして佐川の牧野公園や高知市の牧野植物園、横倉山などを訪れてみるのがよいだろう。
江戸時代から昭和まで生きた牧野富太郎のような人こそ、いまの時代に必要だろう。
在野に身を置いて空気を読まず自分のやりたいことをまっしぐらに突き進んでいく。そこには家族の献身的な支えがあってこそだろうけど(家族は大変だっただろうね)。空気を読み、自制しつつ場になじもうとする生き方からは決して生まれない飛躍がある(こんな人、高知でないとでてこんろう)。
「らんまん」、どのような展開になるか愉しみである。

→ 佐川町のタグ
→ 牧野富太郎のタグ
→ バイカオウレンのタグ
posted by 平井 吉信 at 16:49| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年03月26日

阿川梅の里(神山町)


(梅の開花状況は3月上旬)
車を停めて歩き始める。梅は満開
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家屋の屋根の色が印象的 みちのくのマヨヒガとはこんな感じではないかと
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さらに上がる
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切り立った崖道を抜けると明るい車道へ戻る
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集落が山の蔭となって梅園に西日が惜しみなく降り注ぐ
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祖霊も梅の香になぐさめられる
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日陰の花は白く幽玄
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日向の花は饒舌
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梅の老木はずっと集落を見守り続けている
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いつかヒトは住まなくなる
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そのときまで梅は咲いているだろうか
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タグ: 神山町
posted by 平井 吉信 at 18:44| Comment(0) | 山、川、海、山野草