2022年09月25日

3時のおやつの代わりに近所の山へ行く


休日といってもやりたいことがたくさんあって、なかなか順番が回ってこない。
ようやく本日のタスク20番目ぐらいにやってきた山へ行く時間。
時計は15時にさしかかろうとしているが、いつものこと。

コロナのいまは登山者が下山してからが山を愉しむ時刻と思っている。
近所の山でもあり、勝手知ったる場所で遭難などほど遠い。
(それでも携帯電話や液体絆創膏、食糧と水、ビバーグ用のシート、ヘッドランプなどを持っている。すべて合わせても数百グラムだろう)

中津峰山は徳島市最南端かつ最高峰(773メートル)。ただし標高は小松島市の郵便番号と同じなのがおもしろい。登山口はふもとから、如意輪寺から、途中の林道から数カ所、さらに勝浦町側の星の岩屋ルートなどいくつもあるが、もっとも頂上に近い広い駐車場に置いてここから向かう。

歩く距離はしれているが、午後の遅い時間であっても
日の光が樹木や植物をいきいきと照らすのはこのルートのみ。
こんな天気ですからね
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登山口の沢に降りてみる
水の表情に沈黙する
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水たまりにはオイカワなのかカワムツなのか
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登山口から登り切った台地が牧野ヶ原(と勝手に呼んでいる)
平坦な森に針葉樹(植生ではない)と広葉樹、その樹間の植物の豊かさを見れば
牧野博士なら気に入っただろうと思ったのでそう名付けた。
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いいでしょ、牧野ヶ原
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牧野ヶ原を抜けると登りになる
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今度は針葉樹の森が右手に現れる。これは人工林だが枝打ちができている
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次は里山らしい雑木のトンネルが続く。なごみの散策
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小さな赤い花が点々と咲いている ママコナ
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中腹の展望台 双眼鏡 飛行機雲の3点セット
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まだオータムグリーンとはいえない濃き緑
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けれど空は秋まっさかり
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いいねえ
(結局山腹で森を見ていたら退屈な山頂へ行く気がなくなった。それもよいではないか)
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タグ:中津峰山
posted by 平井 吉信 at 23:26| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年09月24日

晩夏の湿原 歩くほどに立ち止まる

黒沢湿原に通い出して何年になるだろう。
池田町内の人に勧められて行ってみたらますます行きたくなる場所になってしまった。
季節を変えては訪れ、時代は移り変わりながらそこにある風景は変わらない。
これは2022年の八月の終わり頃の記録。

サギソウという植物は鳥が羽ばたく姿の擬態のよう。
地に足が着いた植物は自由に空を飛ぶ鳥に憧れたのではと思っても
そのような意志が植物にあるはずはなく。
もしかしてなんらかの意志(情報伝達経路や感覚器官からの情報を処理する能力)、
もしくは人間の意志を感応することがはあるのかもしれない。
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植物にこちらが意志を持って接しているとそうかなと思える瞬間がときどきあるので。
稀少な植物が「ここにいるよ」といわんばかりに誘導されるような経験とか、
愛でる気持ちが伝わって共鳴しているような感覚とか。

かつてここに自生していたサギソウは全滅したといわれるが
地元の子どもたちが栽培して定着させたもの

エゾミソハギ
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この昆虫にはお手上げ まるで手がかりが掴めない
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さあ歩き出そう
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この木が心に残ってしばらく見ていた 湿原にあるので近寄れないけれど 湿原に影を落とす木陰の涼しさ 
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名前の由来がわからないけれど タチカモメヅルという
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さらに歩みを進める
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湿地には白いスイレン
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この植物の形態も複雑だが美しさがある ミズトンボ
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宇宙人のようなリアルさでいまにも動き出しそうな気がした ツクツクボウシの抜け殻か
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映画のロケに使われた小屋
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湿原の光と水が立ち止まらせる
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高さが3メートル近いコオニユリは見たことはない 二個体が競うように並んでいる
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途中でさまざまな植物に遭遇するけれど一期一会 これからもそのままで
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道はなおも続く ぼくは歩き続ける
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湿原をあとにする
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We will meet again (Queen Elizabeth II)
連邦の人々に寄り添った長き人生の終焉に限りない祝福を。

タグ:黒沢湿原
posted by 平井 吉信 at 20:03| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年09月18日

ある漁港の昼下がり 明るいけれどのどかでもあり

仕事で立ち寄った県南部のまち。
そこにあるのは日本の漁港とは思えない風景。

ラテン的(地中海)なのか、アドリア海なのか、リアス海岸的(フィヨルド)なのか。
でもよく見ると山の上に城(天守閣風)があるので。
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日和佐港の昼上がり。
posted by 平井 吉信 at 13:03| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年09月16日

じんわりと濡れた森に立ちこめる水踊る音 多重録音のように耳に残り川沿いを歩く


夏休みが終わってから、夏休みを回想する。
それはもっとも近い夏とは限らない。

あれやこれやと考えるうちに、海山川へ入り浸ってときどきまちの図書館に立ち寄りつつ
あっという間に夏休みが終わった少年時代まで遡ることがあるかもしれない。

具体的な場面は出てこないのに、思い出色という目に見えない色彩を帯びた「夏休み」のこと。
それなのにあのときこの場所じゃなければ、あの人でなければ…と
特定の場面や人のことが毎日何かの瞬間に思い浮かべて切なくなるような。

それまでの二ヶ月、晴れと雨を繰り返しながらも同じ「夏」であったのに
夏休みが終わって半月しか経たないのに急に涼しさを感じる朝こそ、
夏の終わりの景色が秋の始まりと多層的に重なりつつ遷移していることに気付く。

季節が移り人も去って逝く。
去りがたいのは夏の心象風景に生きている人々。

人恋しくなるのは人のいない場所に出かけたとき。
季節の変わり目で森に包まれた川に出かけてしまう。
この場所も新緑の萌え色から深みが増して緑のコクを感じる。

長い前文にいつも辟易しながら読んでいただける方々のために
森に包まれた川の湿度感を届けたい。
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河畔林がつくる小さな木陰の清涼感
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湿潤な森に包まれて目に飛び込んでくる一つひとつの存在に呼び止められる
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初々しいハスノハカズラの実。宝物を見つけた気分
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沢が流れ込む合流点はさらに湿度が高いのに冷気を帯びて涼しい
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流れを上流へとたどるのは思い出を遡るようだ
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おもいがけないひろいもののようなオオナンバンギセル
ということは付近に生えているのはススキということになる
渓流沿いで見たのははじめて。たいがいは高原、草原で見かけるものだから
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適当なところで折り返すと時間軸が過去から現在に戻る感じ
そうか水の流れは心のタイムマシンだったのかと
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なぜか柴咲コウの歌が耳に響いている。この湿度感、じわりと寄り添う密度感、彼女の歌はいつも風が吹いているようだ。
posted by 平井 吉信 at 23:33| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年09月13日

なつかしい道


虫取り網と竹細工の虫かごと水筒を持って
麦わら帽子の半ズボンの少年が誇らしげに歩む
杉や松の林を縫うようにうねる道

あそこを曲がればどんな景色が待っているのだろう
何があるのかな あの空の向こうに

ときめき どきどき わくわく 少しの不安
少年の日はなつかしく
短い夏を駆け抜けた
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posted by 平井 吉信 at 00:44| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年09月11日

九月の海 The September Wind


南四国では9月から10月ぐらいが泳ぐのに最適の季節。ほとんど毎月のように同じ海で実際に水に入って確かめてみた。確かに2月は寒かったが。
夏休みでは泳ぐのは8月上旬まで。クラゲが増えてくるから。
さらに盆は土左衛門に足を引っ張られるので水に入らないというのもある。

ところが9月になると状況が変わってくる。
水温は暖かいのに水の透明度は格段に上がる。海水温が上がった今はどうかわからないが、クラゲはその頃には離岸していたように思う。
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夏が終わっても、まだ終わらない夏を引きずる心が波のようだ。
音楽は松岡直也の「The September Wind (You're Romantic) 九月の風」でどうぞ。


(フジX-T2+XF23mmF1.4 R、クラシッククローム)

追記
土左衛門と盆に関しては日和佐町史にも記述があるようだ。
https://library.bunmori.tokushima.jp/digital/webkiyou/43/4330.html
タグ:大砂海岸
posted by 平井 吉信 at 01:08| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年09月06日

雲ときどき飛行機雲


夕方 植物園に行って空を眺めた

休日であっても仕事や家事をして一段落したら夕方。
だったら近くの植物園を歩いてみようとやってきた。

見たかったのは雲。
夕焼け小焼けでなくても雲はサイダーのようでもありレントゲン写真のようでもあり。
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丘の上まで行って降りてくるともはや影はなくなっていた。
光が柔らかくまわって花はいっそうあでやかに見える。
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おや 飛行機雲が月のそばを伸びていく。
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雲は蒼の水墨画を浮かべたよう。雲は動いていくがぼくは立ち止まって動けない。
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posted by 平井 吉信 at 00:47| Comment(0) | 山、川、海、山野草

川はヒトの生き方や社会を映す 

川に来てみるといつもより水位が高い。上流で雨が多かったということ。
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このところ晴れていても瞬時に土砂降りや雷がやってくることが多い。
洗濯物を濡らしてしまうこともしばしば。

温暖化による異常降雨、その激化は予測できたこと。
数十年に1度の雨が年間に数回も降るようになってしまった。

山に降った雨を海まで安全に流すのが治水とすれば
川を直線化して一気に海まで流す流速の早さを追求してきたのが近代治水。

ところが伝統工法の治水(技術思想)は山へ降った雨をゆっくり流すようにする。
里山の森(雑木林)に水をとどめ、棚田や平地の田んぼでもとどめ、それでも溢れる水があれば社会生活への影響が最小限に済むように。竹林を整備して肥えた土の養分(山のミネラル)を田畑に残して洪水を治めるのもあり。遊水地を設定するのもあり。

ただし治水利水をめぐっては上流と下流、右岸と左岸での対立があって一筋縄でいかない。すべてが安全である治水、例えば越流への備えをすべての堤防で行うことは理想のようだが、現実に限られた予算ですべての河川をそのように変えてしまうことはできない。もしそれが実現できたら、実はかえって危険度が高まる。

誰もが洪水は起こらないことに慣れてしまうが、想定を超える災害はいつか起こる。その際に被害が極大化してしまう。いわばヒューズのない電気製品。壊れるときは製品本体が焼き切れて終わる。安全装置があれば過電流でもヒューズが飛ぶことで製品本体を守ることができる。

それが流域治水の考え方。20数年前から綴っているWebサイトでもそのことを書き続けてきた。
安全に溢れさせる場所(遊水地)を想定しておく。そのためには社会的な合意が必要で保険や補償のしくみを調えておくことが前提。

厄介者(洪水)をいち早く海へ流す合理的な治水は川の水位が急激に上昇し流速も上がってかえって堤防が決壊しやすくなる。それも人口密度の高い地区で起これば未曾有の災害となる。

製造業で必要なときに必要なものを必要最小限の在庫でつくる同期のしくみをジャストインタイムと呼ぶが、それは時間待ちのトラックが道路に停滞するという物流にしわ寄せを来した。さらに冗長性が皆無となってすぐに製造が止まってしまう。日本経済をサプライチェーンの途絶が直撃したのは見かけの生産性を高めるために犠牲にしていた要素(隠れ氷山)が浮上しただけだ。

大水が来ても「まあ、少し遊んでいけ」と時間で空間の両方で吸収することで流量を平準化し流速を落とさせることで洪水の被害を抑えるという流域治水の必要性を1990年代からあちこちで書いている。多様性やら全体の最適化などの考え方とは対極のモノカルチャー・同一化・横並び・冒険しない・価値観強要社会と部分的な最適化(それを生産性向上と呼んできた)で衰退した30年だったね。ヒトも社会も生き方もリニア(直線)で破綻まっしぐら。

そうではない循環する社会や生き方に変わっていこう。あるべき姿のモノサシを持っていないと歪んだ政治がつくりだす管理される社会の弊害に気付かない。いまだに反社会的集団が宗教の仮面を被って政治と癒着しつつはびこっているのだから。

目を閉じて川の流れを見つめてみなよ。
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〔追記〕
川の技術思想を学ぶなら新潟大学の大熊孝先生。徳島にも何度かお越しいただきました。つつがなくお過ごしでいらっしゃるでしょうか?


〔目次〕
第一編 自然・川・技術のあり方を問い直す
第1章 自然の豊かさと日本人の一万年
“国破れて山河あり、国栄えて山河なし"
縄文文化にみる日本の自然の豊かさ
“余剰"が文化にそそがれる社会、生産力
二十一世紀を「停滞期」の文化に近似させる

第2章 川から自然をみる意味
自然を考えることの意味
物質循環としての自然
日本人は川の役割を認識していた
自然循環を塞き止めるダム
洪水も無駄に流れていない

第3章 近代科学技術は自然と敵対するものだったのか?
「真理探究型」と「関係性探究型」
普遍性と地域性を共存させたヘンリー・ダイアー
ダイアーの教え子たちの変質

第4章 近世から近代への連続と断絶
技術の三段階分類とは
「手段的段階」が圧倒した近代
近代以降は中間的な担い手が後退
「維持管理ゼロ」の思想がもたらした陥穽

第5章 消費される時間と蓄積される時間
二つの学問と時間認識
同時性の異常
時間が蓄積されない風景
「消費する時間」と近代土木技術
「蓄積される時間」の回復をたくらむ

第二編 近代治水思想と川の文化の相克
第6章 治水思想の変化と現実的な水防対策
氾濫受容型治水から河道主義治水へ
唯一解として語られる「基本高水」のおかしさ
治水安全度の選択は地域住民のもの
堤防を強化し「余裕高」を生かす

第7章【伝統の氾濫受容型治水策に学ぶ(1)】 氾濫水は緩やかに溢れさせる
『百姓伝記』にみる水防・治水思想
明治以降の水害防備林の衰退
水害防備林の効果の体系的認識
現代の水害防備林としての「樹林帯」

第8章【伝統の氾濫受容型治水策に学ぶ(2)】 氾濫した水は河道に戻す
明治時代中期になってあらわれる「霞堤」
用語としての定着は大正以降に
土木学会編『明治以前日本土木史』の誤用
「霞堤」の機能は氾濫水の河道還元
似て非なる緩流河川の不連続堤

第9章 堤防を切って氾濫水を戻す
「霞堤」締め切りによる氾濫水を戻す
新たな築堤による氾濫水の河道還元
その他の自主決壊事例
氾濫想定と自主決壊のシミュレーション

第10章 「氾濫受容型治水」のモデルを探る
甲突川五石橋の撤去の経緯
高度の氾濫受容型治水システム
洪水後の無謀な河川改修工事
現代治水思想の悪循環

第11章 人と自然の関係を豊かにする河川構造物とは
第十堰問題とは何か
洪水の力を巧みにかわす
近代改修における第十堰存続の経緯
きわどかった第十堰の存置
第十堰撤去による治水の費用対効果
自然と共存できる河川構造物

第12章 あるべき川の恵みの配分とは
川の恵みの“近世的配分"と“近代的独占"
水力発電による恵みの収奪
川文化と電力文化の折り合い点を探りながら

第13章 市民参加による川づくり
都市の水辺を残していた川
市民ボランティアのパートナーシップ
「通船川・栗ノ木川下流再生市民会議」の発足
「技術の自治」を確立する時代



〔目次〕
T 私は川と自然をどう見てきたのか
第1章 日本人の伝統的自然観・災害観とは
第2章 近代化のなかで失われた伝統的自然観
第3章 小出博の災害観と技術の三段階
 予備知識・川の専門用語
U 水害の現在と治水のあり方
第4章 近年の水害と現代治水の到達点
 1 2004年7月 新潟水害と福井水害
 2 2011年9月 台風12号による紀伊半島・相野谷川水害
 3 2015年9月 利根川水系鬼怒川の破堤
 4 2016年8月 岩手県小本川水害
 5 2018年7月 岡山県倉敷・小田川水害
 6 2019年10月 台風19号広域水害
 7 現代の治水計画における問題点
 8 ダムは水害を克服できたか?
 9 ダム計画の中止とダムの撤去工事について
第5章 究極の治水体系は400年前にある――堤防の越流のさせ方で被害は変わる
 1 信玄堤は本当に信玄が築いたのか?
 2 筑後川右支川・城原川の野越
 3 加藤清正の「轡塘」
 4 桂離宮の水害防御策
 5 信濃川左支川・渋海川(長岡市)の事例
 6 近世における利根川治水体系
第6章 今後の治水のあり方 ――越流しても破堤しにくい堤防に
 1 現代の治水問題
 2 治水問題の解決は越流しても破堤しにくい堤防にある
 3 堤防余裕高に食い込んで洪水を流す
 4 今後求められる堤防のあり方――スーパー堤防に関する補足を兼ねて
V 新潟から考える川と自然の未来
第7章 民衆の自然観の復活に向けて――自然への感性と知性をみがく
 1 ボランティア活動の限界――NPO法人新潟水辺の会の取組みから
 2 水辺との共生を次世代に継承するためには
第8章 自然と共生する都市の復活について――新潟市の「ラムサール条約湿地都市認証」への期待
 1 都市における「自然との共生」の試み
 2 越後平野の開発の変遷
 3 越後平野の自然復元の兆し
 4 越後平野全域をラムサール条約湿地都市≠ノ――「都市の自然観」の創造に向けて
 5 「社会的共通資本」としての川・自然環境と「都市の自然観」
  あとがき

posted by 平井 吉信 at 00:33| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年09月01日

晩夏の大川原高原


大川原高原は徳島市内から1時間以内でたどりつける紺碧の避暑地。
到着した途端、雨になった。夕立である
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ところが数分後には太陽が顔を出す
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空がどんよりすれば水にも遷る(映る)
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晩夏の象徴 湖畔のコオニユリ
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水色(すいしょく)の深みから浅みへの遷移と岸辺の草木の緑 青から碧
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絵のような岸辺の休憩
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流れ込む沢
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フナのように見える表層の魚群
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陸と水の境界線を水彩画で描く画家 といってもそこに人はいない
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光の差し込む浅瀬こそおかし
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こないだは夜にオオミズアオを見た。この世ならぬ光の造形がパタパタと俗世間の音を立てるおもしろさ この蛾はなんだろう
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雨がやんだ直後の稜線から湧き出す生命感と近景の樹木が指し示す対照とでも
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天文台の建物の奥ゆかしさこそこの高原の象徴 風力羽根はあまりうれしくないけれど
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初夏を引きずってここまで来た
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Instagramに載せるような景色は飽きるけれど雲と稜線を見ていて飽きない でももしこの写真をSNSに載せても共感されない
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雲や山の姿を借りているだけだけど
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組写真なら、なぜこの主題を持ってきた?と言われそうだけど、この景色を見る足下にあった
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(ここまでX-T30+XF35mmF1.4 R、XF60mmF2.4 R Macro)

カメラが異なるのでまた同じ主題を繰り返しているようだけど
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(X-T2+XF23mmF1.4 R)

身近なレンズだけで写真は事足りる
でも最後は望遠で 
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(ニコンD7200+AF-S 70-200mm f/4G ED VR)

カメラの話がしたいわけではなかったけれど、フォルダーがカメラ別に分類しているのでそのまま撮影順にアップロードしただけ。1週間に数時間でもこんな時間があるから生きていける。

追記
自然とある暮らしは心地よいけれど、ときどきは岡本太郎の言葉を思い出す。


若い頃は何かあると繙いて参照していた基準本(心のモノサシという意味)
尖った言葉のつづれ織りと捉えたことはない。人間ってこれが自然体だなと思っている。
いまの時代こそ太郎さんの精神で生きていくときだと。

追記その2
ミハイル・ゴルバチョフさんが亡くなった。
共産主義に民主化を採り入れたところ、ソ連邦の解体から混沌を招いた張本人などと今日のロシアでは評されることもあるらしいが、その人たちこそペレストロイカの残照を受けて育ったのでは?

生まれて初めて買った政治家が書いた本。日本語訳を通して虚構ではない理想を投げかけようとする姿に共感を覚えた。この百年でもっとも優れた政治家ではないか。


乾いた砂に水がしみこむように人々が求めていた社会の窓を開こうとしたら、長く待ちわびた人たちが殺到して開かれた地平線。欧州の家という考え方からは東も西もイデオロギーの対立も消えている。

ぼくが無党派でいるのもそう。政党ありきの前提そのものがあるべき姿を見えなくし、課題を設定する際にバイアスをかけてしまう。今日の政治の失敗とは問題の解決能力がないというより課題を設定できていないことにあるよね。○○をする○○党という前提をはずしてゼロベースで思考するためには政党は邪魔だと思っている。もちろん○○をするというのが政党の価値でもあるのだけれど、VUCAの時代にそれが課題を見えにくくしているように思えてならない。

時代を動かすことができたのは彼ひとりのみ。世界が音を立てて動いたきっかけをつくりだした。そのこととソ連崩壊/東欧開放とは別の要素とぼくは考える。腐敗と停滞の社会はいずれ音を立てて崩れたはずで、それを待ち望む人たちの意志が臨界点に達していた。それが重なっただけだ。

ウクライナ侵略について、ゴルバチョフさんは人のいのちより尊いものはないと即時停戦を求めた。彼がロシアの大統領なら異なる地球が見えていたはず。プーチン、習近平、トランプ、日本の近年の首相などとはまるで別の惑星のリーダーのようだ。


タグ:大川原高原
posted by 平井 吉信 at 00:25| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年08月24日

もう動かないクロスジギンヤンマ 車でくつろぐトノサマバッタ


県道沿いを走っていて広い場所に何か落ちていると気付いて車を停めた。
ギンヤンマかと思ったが少し違うようだ(クロスジギンヤンマと判明)。
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見つけたときは仰向けでアリを払いのけようと脚を動かすこともあったが
見ているうちに動かなくなった。
この個体には外傷はなく寿命をまっとうしたように見える。
そしてアリを通じて土に還ろうとしている。
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出かけようとしてリアウインドにバッタがいるのが見えた。
トノサマバッタである。
脚の屈伸運動を行っている。これはおもしろい。
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人間のほうを見ているが飛び立つそぶりはない。
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バッタは鏡面のようなガラスに映る自らの姿を愉しんでいるのだろうか。
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タグ:昆虫
posted by 平井 吉信 at 12:36| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年08月20日

蒼い川からひまわりへ ひまわり畑でつかまえて 地元の人の愛を感じる(勝浦町沼江)


蒼い川から2.5km上流の河原で今年(2022年)からひまわりが育てられている。まちおこしグループ「かつうらを美しくする会」のみなさんがつくられたもの。特徴は勝浦川右岸の雑草が茂る河川敷を整地して種をまいたもの。ただそれだけではなく、通路(迷路仕様)が設けられ、両側にひまわり畑が割れて大海原を歩く大魔神の心境になれる。

場所は勝浦町沼江の柳原バス停が目印。森を抜けて直線道路が続くあたり。車も数台停められる。
夕方に仕事を終えてその足で向かった。今回が初めてである。

到着は17時過ぎ、ここのひまわりは東を向いているので西日が逆光となって太陽を縁取るコロナのような輝き(写真を撮るならスマートフォンでは逆光となるので手持ちのデジカメを持っていったほうがいいと思うよ)。でもぼくはこの時間が良かった。
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農薬を使われていないのだろう。昆虫が多いのがうれしい。主に見かけるのは蝶や蛾、そしてトンボ、ミツバチなど蜂の仲間。ただし夕方出かけたにも関わらず蚊は皆無であった。
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ミツバチは足に花粉だんごを付けている
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特に羽が黒くてひらひら舞うように翔ぶハグロトンボがもっとも多い。ひまわり畑を舞う姿は優美で幽玄を感じる。まずこれが見物。
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沈みゆく太陽とともにひまわりと太陽のつくる光の園と呼びたい光彩が次々と万華鏡のように現れる。
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太陽が雲に隠れると写真では違う色彩が現れる(カメラの色温度は太陽光に設定しているのでこうなる)。
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今年見たひまわりのなかでもっとも心を動かされた。その理由は企画実行された人たちの思いが感じられたから。東から西へ向かう(川は西から東へ流れるので下流から上流へということになる)ひまわり畑で散策路が分岐し、それがときどき行き止まりになる。そこで立ち止まる、振り返る。

すると別の光線やら別の角度からひまわりを見ることになる。さっきは気付かなかった植物の存在、虫の営み、そして光の園と呼びたい太陽とひまわりの繰り広げる光彩。ここからは川は見えず空は見えるが、ひまわりに囲まれて人とひまわりの一体感を覚える。おとながそう感じるぐらいなので特に背が高くない子どもだったらどうだろう(もっともぼくも背の高い子どもだけれど)。
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それは来る人への物言わぬおもてなしであり、遠くウクライーナへの思慕すら感じられる。万感を込めたひまわり畑の光の園(というコンセプトを描かれたのだろう)をご準備された方、ありがとうございます。

(追記1 写真撮影のヒント)
青空を背景に夏の思い出を撮りたい人は10時20分〜11時40分ぐらいの間で。今回のように光の光彩を愉しみたいのなら16時50分〜17時35分が潮時。

(追記2 フジのレンズについて)
今回は主としてXF23mmF1.4 RとXF60mmF2.4 R Macroの2本で。23ミリは逆光をものともせず先鋭な画像、それでいて人の心のふるさとを朴訥と描くような画像をもたらしてくれる。
一方の60ミリは逆光ではフードを付けてもコントラストが著しく低下するけれど、その写り具合を見ながらわずかに画角を変えると光の園が目に映し出され、心が動いてシャッターを押す感じ。このレンズはどんな画家でも描けないアウトフォーカスをやわらかくにじませながらも輪郭を失うことなく立体感を持って描く。こんなレンズはフジのなかにも他社のなかにもそうないよね。
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posted by 平井 吉信 at 12:35| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年08月16日

蒼い川


このところ夕立を伴う天気のときは斜めから薄雲を見るせいか、夕暮れが千変万化を見せる。
この日もいけるかなと近所の川まで来たが、そのまま空が暗くなっていく。
こんな日もある。
川は深沈と蒼く瀬音を立てる。
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帰ろう。
シバテン(河童)が川で遊ぶ時間だから邪魔をしてはいけないのである。
posted by 平井 吉信 at 00:33| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年08月06日

梅雨明けの夕空に浮かぶ陰翳ある雲


梅雨明けの夕空はかなり陰影感のある雲が部分的に現れて地球の大気のどよめきを感じる。

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(随時追加していく)
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posted by 平井 吉信 at 18:11| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年08月03日

海部川支流 王餘魚谷(かれいだに)の轟九十九滝


皆ノ瀬地区で海部川は国道から離れてくるりと向きが変わって西から流れるようになる。しばらく上流をめざすと王餘魚谷があり、轟の滝がある。

轟の滝からさらに上にも滝が連なり、轟九十九滝と称する。連日の猛暑で涼やかなページを、の声なきご要望に応えたい。

湿った崖にはイワタバコ
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轟の滝 見に行くときは防水の上着があればいい。途中の道は極めて滑りやすいのでご注意を。主砲たる轟の滝は天岩戸から覗く神秘を虹で見せてくれることがある
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そこからさらに上の滝を拾っていく。
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滝の最上流部に現れる社
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滝がもはや現れない源流部に来ている。ほとんどの人はここまで来ないが、ぼくはここが見たくてやってきた。王餘魚谷源流の廊下と呼んでいる。
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水の流れからみれば、これより先から滝が連続して始まるのだが、ふもとからたどる人間の視点からは滝絶えて(滝を尽くして)ミネラルの回廊が始まる。すなわち滝絶えの廊下と呼んでいる。
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その静けさ、何も語らないたたずまいの美しさは写真では伝わらない。ミネラルの回廊ゆえに。
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posted by 平井 吉信 at 23:40| Comment(0) | 山、川、海、山野草

海部川の夏 2022年 ミネラルヒーリングとタキユリの媚態


海部川沿いの国道193号線を舗装していない頃から通っている。釣りではなく見るため。時期によっては水に入り、テナガエビを取ったり、カジカの声を聴きながらキャンプしたり。

あの頃は道路も狭く、道から離れて川があったので河畔林に包まれていた。星がひとつふたつと輝き始める頃、ヒグラシを聴きながら暮れゆく水辺を感じながら焚き火を起こしていた。

良い川には良い人生がある。鹿児島に住んでいた野田知佑さんが四国に移住をお考えになっているとのことで海部川を見ていただいたことがある。結局は日和佐川の支流にお住まいになるのだが。

川でキャンプするのが初めてという仲間たちを連れて行ったときもみんな感激していた。目を閉じて聞こえるせせらぎ、カジカの声、山から聞こえるフクロウや鹿の鳴き声、夜空を彩る天の川、ときおり流れる流れ星、大きな流れ星は音(残響)がする。

焚き火を見つめながら寡黙になったり饒舌になったり。ビールやウイスキーを自分のペースで飲みながら仲間を静かに過ごす川辺で夜が更けていく。

ときどきヘッドランプを付けて川へ入ると、寝ているアユ、川底を移動していくモクズガニ、オレンジ色の目が光るテナガエビが陽炎(水流)が静まった瞬間にその姿が浮かび上がる。網を伏せて捕まえる。
冷えた身体を焚き火で温めながら何かを飲みながらうなずく。そんなときを、川の時間という。ぼくがもっとも好きな時間のひとつ。

このブログのいけないところは前置きが長すぎてみんな飽きてしまって閉じられるところ。まあ、そう言わずにもう少し見て。今度は言葉でなく写真で。

海部川下流の里山。ひまわりも咲いている。
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ひまわりはウクライナの象徴でもあるけれど、少年時代にもっとも好きな植物だった。ランニング、半ズボン、虫取り編みにひまわり。これ以上、何か必要?
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ほら、2022年の海部川も水のいのちが流れる。海部川ミネラルヒーリングと名付けて著作にも記した。
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タキユリの話、覚えていますか?
南四国の山間部の夏を彩るこのユリはカノコユリの仲間だけれど地面から自立せず、崖からぶら下げるのが特徴。



タキユリの媚態は自然界で並ぶものがない。白と桃色とオレンジをアクセントカラーにその身を投げ出す植物なんてほかにある? 
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タキユリではこの写真が好きだ。幽玄な媚態、しっとりとした浴衣のなまめかしさというか。
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(ミネラル回廊の旅は続く)



posted by 平井 吉信 at 23:10| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年08月01日

林間ノ怖イ夜道 遠キ夏ノ一里塚


夏休みに親戚の家へ連れて行ってもらった。大人たちは鮎釣りから戻ったあと、酒盛りを始めた。
いつも遊ぶ従兄弟は学校で行事があるとかでいなかったため、ひとりで虫捕りに出かけた。

小さな小川のほとりのクヌギの木でコクワガタ1匹、カブトムシ1匹(♂)を捕まえた。
さらに目を凝らすと甲虫の気配が感じられた。
蚊に食われたところを無意識に掻いていると血だらけになっていた。
気が付くと夕闇が迫り来る。
河童が遊ぶ刻(逢魔が時)、ランニングシャツに血が付かぬよう気を付けながら家路に付く。

小川は瀬の煌めきを残して深沈と闇に沈みつつあった。
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遠くに親戚の家らしき方向に灯火がちらほら。
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林の脇をすり抜けるところで、あの草むらから手が出てくるのではないか。
青白いキツネ火が待ち構えているのではないか。
意を決してこぶしを握りしめて足音を立てて通り抜ける。
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それから幾年月、夏の宵を深く沈めた林の小径は高速道路に変わった。
posted by 平井 吉信 at 23:18| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年07月26日

夏の盛りの福井川(阿南市)


春の小川で取り上げた福井川は夏を迎えて里山にたたずむ。
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まるで、河畔の草と水が境目がなくなるかのように。
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夏草の土手、草いきれにしがみつかれた空気
せみしぐれが川と里山をひとつに溶け込ませるように。
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JRの線路沿いにも夏草が生い茂る。
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タグ:福井川
posted by 平井 吉信 at 22:15| Comment(0) | 山、川、海、山野草

コオニユリ


初夏を彩るオレンジ色の乱舞はコオニユリである。
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どこへ行っても、どちらを行ってもコオニユリ。蝶も羽を休める。
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posted by 平井 吉信 at 22:00| Comment(0) | 山、川、海、山野草

モネの庭(未発表写真その3 ブルービー(青い蜂)


幸せを呼ぶとの言い伝えで人気があるのがブルービーことルリモンハナバチ(ミツバチ科)。モネの庭では夏から秋にかけてオミナエシにやってくる。
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スマートフォンをかざしているヒトがいるが、動きがすばやいため撮影は困難(不可能)。自宅にデジカメが眠っていたらそれを持ってこなくては映すことはできない。
それも置きピンを使う。大半のデジカメでも蜂の移動に追いつかない。小さな蜂なので接近する必要がある。そのためわずかな動きも拡大されてしまうため高感度、高速AF、タイムラグの少ないシャッターといったカメラの性能に加えて動体視力や固定ピントによる待ち伏せが必要なのだ。
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2022年夏、モネの庭ではブルービーの写真を撮影して受付で見せれば特製コースターがもらえるそう。
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青い鳥も青い蜂も実は身近なところにいるのだけれど、目には見えないだけなのだ。

タグ:モネの庭
posted by 平井 吉信 at 00:00| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年07月23日

モネの庭(未発表写真編その2)


花や庭園が好きであろうとなかろうと、自然であろうと人工であろうと
そのたたずまいに惹かれるのは北川村「モネの庭」マルモッタン。
道後温泉と並ぶ四国のコンテンツの双璧と思っている。

ここは季節によってもそうだが、天候によっても見える光景が違ってくる。
光が織りなす印影と空を映す水と季節の遷移が植物と造形を通して体感できる。

ここに来るまでの風景も非日常感がある。特に徳島県境から室戸岬までの区間の山が迫る海岸線。

いつだったか、写真を撮っていると声を掛けられたことがあり、
ほかの人が見向きもしない場所に良い光を見つけられましたね、と。
岡山から来られたそうな。

岡山から遠かったでしょう―。
いえ、3時間で来ました。
そうか、瀬戸大橋から縦に下って高知の南国I.Cで降りるということか。
(徳島市内から国道55号線で来るのと同じぐらい。ということは徳島市からでも高速が時間距離が早いということか)

というわけで、場内を説明する写真はあるものの、今回はモネの庭の典型ではなく、庭師や作り手が見たときにうれしくなるような場面(目に見えない共感という)を主題とした未発表集の第2弾を。
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生きていると実感する瞬間はこんなもの
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風の丘という散策路から太平洋が見える
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展示物でなくてもそこにある生命感の輝き 生命観というべきか
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サボテンはひとつの主題
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南仏というか、アンダルシアというか
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青いスイレンはモネの憧れでもあった
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おもしろい造形をひろってみようか
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ウコンの花
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おそらく農薬は施していないので蝶やトンボの楽園となっている。理念が明確だよね。
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わかるかな、姿隠して片目でこちらを見ている
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顔を持ち上げれば丸見えとは気の毒だが生まれたてのカマキリ
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若き日の岡本太郎「痛ましき腕」を感じた
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盛夏は去りゆく夏(晩夏)へのしばしの過程
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(余談だけどフジの初期のレンズはなぜこうも佳いのだろうね=XF60mmF2.4 R Macro)



タグ:モネの庭
posted by 平井 吉信 at 17:22| Comment(0) | 山、川、海、山野草