2013年10月04日

「何のために」がない生き方っていいと思う


このブログでいくつか紹介しているお店には共通点がある。
目に見えない地道な作業の積み重ねが大切という信念で
人が喜ぶ顔を見たいので
手を抜かずにやってきている小さな店を経営する方々である。

おだやかな雰囲気をまといながらも
大切にしていることがあり、
軸がしっかりとしてぶれない人たちだろうと思う。

そして、その人たちのまわりには
その細やかな心配りや
目に見えない技を洞察して
共感する人たちが集まってくる。
類は友を呼ぶというが、
経営では、客層が良い、と表現する。

だから、店主の試行錯誤をあたたかく見守っているし、
店と客が双方向の感動を交歓しているよう。

ブログで宣伝して欲しいと頼まれもしないけど
そのような人たちに光を当てずにはいられない。
(もしかしたら、書くことでご迷惑をかけているかもしれない)

ぼくの仕事もそうかもしれない。
手を抜かないのは当たり前。
知識と経験から判断を行うけれど、
そこには、紋切り型のメソッドなどない。

だから、開業以来、一度も宣伝や営業を行ったことはない。
看板すらかかっていない。
でも、1〜2か月でも順番を待っていただける。

Twitterはやっていない。
140文字では伝えられないと思うから。
Facebookもやっていない。
「いいね」を押しつけたくない、押しつけられたくないから。

でも、情報の拡散には優れた特性があるのは事実。
その半面、「共感」は壊れやすいもの。
そこには「利他」「無私」の動機であったり
誰のためにさえない「無目的」であったりするほど
その行動は光を放つ。
踏切に飛び込んで救おうとした女性に
多くの人が花を手向けずにはいられなかったはず。

表面的な意思疎通を楽しむ時間が増えるほど、
本質的な生き方を求める時間が減少することも事実。

多くの人に出会いたい気持ちはわかるけど、
例えひとりでも
互いに深く知りたいと思える相手と出会えたなら
その関係を深めていければいい。
いつしか、自分のまわりには
共感の輪が幾重にも取り囲んでいることに気付くのでは。

同じ「思い」「使命」「地域を愛する気持ち」などで
結われたつながりは、
いまの自分の生きる原動力となり、
誰かを支えつつ
未来の自分の支えになってくれるだろうから。


太龍寺の登山道に咲くアケボノソウ。
一つひとつの花が開くのを仲間が見守っている。
D7K_3468_NX2.jpg.
(2013.9.29撮影)
posted by 平井 吉信 at 11:06| Comment(3) | 生きる
この記事へのコメント
しばらくぶりに、いいブログに出会え感動です(^ー^)。
Posted by jazz m at 2013年10月06日 20:29
検索から偶然たどり着きました。
暫くぶりにいいブログに出会い感動。(^ー^)
Posted by jazz m at 2013年10月06日 20:34
ご感想をいただき、ありがとうございます。これからも地道に書き綴っていきたいと思います。まずはお礼まで。
Posted by 平井吉信 at 2013年10月07日 10:57
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