このブログでいくつか紹介しているお店には共通点がある。
目に見えない地道な作業の積み重ねが大切という信念で
人が喜ぶ顔を見たいので
手を抜かずにやってきている小さな店を経営する方々である。
おだやかな雰囲気をまといながらも
大切にしていることがあり、
軸がしっかりとしてぶれない人たちだろうと思う。
そして、その人たちのまわりには
その細やかな心配りや
目に見えない技を洞察して
共感する人たちが集まってくる。
類は友を呼ぶというが、
経営では、客層が良い、と表現する。
だから、店主の試行錯誤をあたたかく見守っているし、
店と客が双方向の感動を交歓しているよう。
ブログで宣伝して欲しいと頼まれもしないけど
そのような人たちに光を当てずにはいられない。
(もしかしたら、書くことでご迷惑をかけているかもしれない)
ぼくの仕事もそうかもしれない。
手を抜かないのは当たり前。
知識と経験から判断を行うけれど、
そこには、紋切り型のメソッドなどない。
だから、開業以来、一度も宣伝や営業を行ったことはない。
看板すらかかっていない。
でも、1〜2か月でも順番を待っていただける。
Twitterはやっていない。
140文字では伝えられないと思うから。
Facebookもやっていない。
「いいね」を押しつけたくない、押しつけられたくないから。
でも、情報の拡散には優れた特性があるのは事実。
その半面、「共感」は壊れやすいもの。
そこには「利他」「無私」の動機であったり
誰のためにさえない「無目的」であったりするほど
その行動は光を放つ。
踏切に飛び込んで救おうとした女性に
多くの人が花を手向けずにはいられなかったはず。
表面的な意思疎通を楽しむ時間が増えるほど、
本質的な生き方を求める時間が減少することも事実。
多くの人に出会いたい気持ちはわかるけど、
例えひとりでも
互いに深く知りたいと思える相手と出会えたなら
その関係を深めていければいい。
いつしか、自分のまわりには
共感の輪が幾重にも取り囲んでいることに気付くのでは。
同じ「思い」「使命」「地域を愛する気持ち」などで
結われたつながりは、
いまの自分の生きる原動力となり、
誰かを支えつつ
未来の自分の支えになってくれるだろうから。
太龍寺の登山道に咲くアケボノソウ。
一つひとつの花が開くのを仲間が見守っている。

(2013.9.29撮影)
タグ:アケボノソウ
【生きるの最新記事】
- ルンルンは「花の子ルンルン」から ゆめと..
- 新年だから愉しい話題を サモア島の歌を知..
- 地元のゆこうとレモン 山間部で起きている..
- 毒を吐くことで徳を積めないけれど
- 台風情報チェックリスト(再掲)
- 祖霊供養と人混み回避、読書と歴史を直視す..
- そんなことではなく
- 選挙に行こう 行く前に少し考えよう
- 梅酒と梅干しの季節
- 沖縄 復帰50周年 もっと違う道があるは..
- 電子書籍からユーコン川へ 人間の幸せや冒..
- 何が正しいかを考えるのではなく
- シナリオとなるか
- ロシアがウクライナの原発を攻撃!?
- ウクライナの大統領の声を聴こう
- 2022年2月2日 いつのまにか24
- 神棚と仏壇を浄める(大晦日)
- 土の匂いのする道を樫の広場まで歩く子ども..
- 車内のポンタがしょげている
- ゆでガエル このままでは日本はなくなる ..
暫くぶりにいいブログに出会い感動。(^ー^)