今週は最終回となる。
きょうになって、
ようやく愛用のブラウン管テレビのスイッチを入れた。
(2015年になっても液晶テレビに買い替えない。まして4Kなんて)
「移ろいやすい音程」の鈴鹿ひろ美が
初めて聴衆の面前でマイクを握ろうとしている。
場所は、あまカフェ。
伴奏が鳴り出し、影武者の春子がうたいだした数小節の後、
朗朗と肉声で引き継いだのは鈴鹿ひろ美。
ここまで彼女に音痴を演じさせて
待ちに待った「その日」を演出した宮藤官九郎。
薬師丸ひろ子は声に倍音成分が多く
若い頃から光るものがあった。
その声に、さらに艶と滋味が加わって
この日、生で見た人たちを一段高い場所に連れていった。
これを音楽の夢つむぎ、歌の力という。
(こんな感情を持っていつもの職場にどんな顔をして行けばいいのか、戸惑った人も少なくなかっただろう)
寄せては返す波は、いつもの海。
津波であろうと、
ひねもすのたりのたりの海であろうと、
波はただ寄せ返すだけ。
つらい気持ちを封印しなくていい。
ただ、同じ景色を
「つらい」フィルターをかけて見るのは
あなたなのではないか。
春・夏・秋・冬と移ろう季節で
また春がめぐり来る。
だから、
灰色のフィルターを桜色に換えてみよう。
三代前からマーメイド 親ゆずりのマーメイド―。
これからもこの地で生きていく
そして、それに寄り添う人々の気持ちを
この一行で表せる。
「あまちゃん」は
出演者も脚本も、
そして時宜を得たことも良かったのだろうが、
途中から作品の後に光が射してきたように思う。
作品が脚本家や出演者の手から離れて自ら歩き出したような。
それは、
ドラマの後には東北の人々がいて
(そのなかに亡くなった人も含まれる)
その復興を応援する魂が共鳴しあって。
「その日」は復興を願う人々の願いであり、
空間に響く歌は人々の心にしみて祈りとなる。
人々があの日を乗り越えて
それ以上の未来を紡ごうと。
組織も個人もない。
利害も既得権も利権も捨てて
一人ひとりが最善を尽くすしかない。
この国と人々は
折れそうなまでに傷んでいるけれど
光を信じて前へ進む気持ちがあれば
それで十分、それが生きること。
絶叫することもなく、
おごることもなく、
その日にできることをやりつくして
静かに微笑んで
礼儀を尽くすだけ。
仕事で人を感動させようとしなくていい。
ただ、心に何かを残す一日でありたい。
タグ:音楽
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