雨の降らない夏の終わりに
台風崩れの低気圧が大雨をもたらした。
貯水率が3割を切っていた四国の水瓶も
ほぼ100%に回復。
その日、映画館にやって来た。
あの映画を見たかったので。
1990年代の終わり頃だったか、
ある人に講演をお願いしようとしたことがあった。
当時、大きな大会やイベントの事務局として
専門分野では著名な人、文化人、俳優…。
さまざまな人たちに声がけを行っていた。
サラリーマンの仕事が終わると、
自分のやりたいこと(=ボランティア)が始まる
数日かかりそうなことを、
数分でやらないと処理しきれない。
企画、交渉、広報、会計、進捗管理と
あまりに多忙であったため、
数ヶ月後には仕事を円満退社することになる。
(仕事を辞めなければ、人生は一度しかない)
しばらくして、自らやりたかったことを始めた。
徳島でそんなもので飯が食えるかといわれたけれど、
気にしない。
やりたいことは無報酬であったが、
いつのまにか有償での依頼が増えていく。
開業のあいさつもしていないし、営業も行っていない。
事務所には看板すらかけていない。
日経新聞すら読まないし、FacebookやTwitterもやらない。
自分に何ができるか、社会にどのように貢献するか、
それに満足できたか。
地道に日々を積み重ねるだけ。
口コミでの仕事の依頼は途切れることはない。
だから、充実感はいまも変わらない。
その日できることを精一杯やるだけ。
結果は受け止める。後悔はしない。
生きねば―。(というオチか)。
講演をお願いした「ある人」とは宮崎駿さん。
当時の宮崎さんは、
創作の充実期であったのだろう、
(おそらく趣旨や考え方に共感はいただいたと思うが)
丁重にお断りをされた、と記憶している。
「となりのトトロ」は日本アニメの金字塔だと思うし、
宮崎監督の描く日本の風景には共感を覚える。
今作は、宮崎さんの最後のアニメとなりそうな予感があった。
(後日、そのことが明らかになったのだけれど)
映画館には滅多に足を運ばない。
宮崎作品でも、もののけ姫を見に行ったぐらい。
(映画館に行った回数はこれまで片手を越えるぐらい)
そもそも映画(DVD)を見ることが希。
大雨で仕事の予定が狂った数時間を見計らって
「決断して」映画館に行くという行動を起こした。
これまで宮崎作品を見て思うのは、
観客が喜ぶツボを心得て、
起承転結を明確に描くサービス満点の見応えあるもの。
それは娯楽作品として当然のこと。
でも、幸か不幸か、
現代にはビデオやDVDといった再生装置がある。
テレビで再放送も繰り返される。
何度か見るうちにドラマティックな展開が
かえって鼻についてしまう。
トトロではメイが迷子にならなくてもいいのに、
と思ってしまう。
(知らぬうちに観客は物語を追いかけてパターン化している)
作り手の思いを大切にするのなら、
もしかして、何度も接しないほうがいい。
そんな気持ちが起こってくる。
そして、映画館の椅子に座って2時間後…。
「風立ちぬ」は物語性をそぎ落とし、
ディティールに目が行く。
特に、戦前の日本の農村風景はためいきが出るほど。
半世紀前までこの国にあった風景なのに。
ぼくの生まれたまちには
港に隣接する木造の駅舎と広場があり、
その前にはハイカラ館という洋館があった。
そこから幾重にも放射状にまちが拡がっていて
海が見える丘の上からは、
鉄道とともに市街地の構造が美しく浮かび上がっていた。
(このまちの構造を残していれば映画を誘致できただろう)

淡々と感情を込めずに話す堀越二郎の役作り。
刹那の感情ではなく論理の構造で会話を組み立てていく。
それを「演じよう」とすれば
存在感が雲散霧消する。
当時の日本人の日常はシンプルであったはず。
技術よりも、
どのように生きてきたかという視点での抜擢は賛成。
ヒロイン菜穗子役の瀧本美織はいい。
「妻は、くノ一」では、
可憐な市井の女性と、運命を背負う悲劇の女性の両面を演じた。
対照があるから演じやすいこともあるが、
彼女の魅力なくして、このドラマは成立しえなかったと思う。
菜穗子は「生きたい」と願いつつ、
美しい姿のまま一生を終える。
次の高みを目前にしながら行けなかった―。
菜穗子のそんな思いは、言葉の間合いと抑揚でしか表現しえない。
(感情はこのように込める、といった声優としての無意識の演技からの脱却)
天真爛漫の性格に潜ませた職人芸は
監督の求める菜穗子像を十分に体現したのではないか。
ミスマッチはエンディングテーマのような気がする。
初めてこの曲を聴く人はいいが、
聴き手によっては、手垢(思い出)が付いている。
和食の最後に出された蕎麦のようにわかりやすいけれど、
作品の世界観と似て非なるような。
同じ材料を違う精神で眺めている違和感。
ただし、感傷は上質のエンターテイメントなので、
メロドラマ仕立ても悪くない。
それなら「ゴンドラの歌」もあり得る。
「ひこうき雲」が作品に合っていたかどうかは
疑問が残るけれど、それは趣味の範疇だろう。
作品を観る人の数だけ、評論家はいるのだから。
零戦に至る飛行機のメカニック&マニアックな描写がたまらない。
この映画では、戦闘機の設計=戦争賛歌と誤解されないよう
神経を使っている。
しかし、メカのエピソードはもっと見たい。
※ワーゲンゴルフに始まり、零戦のことは意識したことはないが、中島飛行機の末裔のスバルを乗り継いでいる。十年以上乗るので飽きないクルマがいい。
ファンタジーを封印した、といわれるけれど、
現実のなかに、夢を散りばめたので
作品そのものがファンタジーといえる。
(ハリウッド映画やハリー・ポッターにはファンタジーを感じないけれど)
戦争や震災を含めて
時代背景を最小限に昇華した。
困難な時代を生きた人たちがいて
そこから放たれた光を現在(未来)に向けられないかと
試行錯誤した作品ではなかったか。
「好きこそ」の精神(アマチュア)で
職人(プロフェッショナル)が作り込んだ作品だったと。
(それが宮崎アニメの魅力だと思う)
宮崎駿が描く堀越二郎(実在ではなく)は、
自らを信じて夢を追いかける。
無意識に美しい構造、美しい論理を求め、
組織にいながら軽やかに超越して
自由に羽ばたく。
挫折もあるが、淡々と生きている。
困難な時代に美学(やせ我慢)を持ち続けること。
(二郎は、ぼくに似ていると言った人がいる)。
ぼくは宮崎作品をすべて観たわけでもなければ
映画やアニメに詳しくもない。
勘違いをしているかもしれない。
でも、それが良いかどうかは自らの生き方に照らして
判断するしかないのだから。
さて、この映画のメッセージは何?
あなたにとって、かけがえのない
誰かがいるということが感じられたら、
それで十分。
(それが生きる原動力となる)
感動した人は、自分に照らしてそう思えたのだ。
いまの時代、感動ってむずかしい。
似非コミュニティのなかで
ボタンを押し合い、
送信したメールの返信をすぐに求める。
感動したふりをして「いいね」と言う。
(気持ちが通じ合っていれば、返信など求めないはず)
言葉を交わさなくても
互いに思いやりをもって接することが
日常となっていれば、
これほどわかりやすいメッセージはない。
あの頃と比べて、いまは間違いなくいい時代。
でも、さまざまな断片をつなぎ合わせて
目に見えない氷山を探ると
途方もない暗雲が隠れている時代。
だから、オリンピックという人もいる。
ぼくは、いまの時代だからこそ
「夢」を描き、それを実現させることに
お金をかけるべきだと思う。
(みんなが1万円を受け取ったところで何も未来は変わらない)
国家や組織の夢とは、
合理性を求めないことを了承されて
結果として成果をもたらすことを求められること。
(見返りが必要になるのはやむをえない)
でも、「夢」は商業主義とは無縁のはず。
もっと無目的で、遠い憧れのようでもあり
それでいて、道のりを一歩一歩進めていく。
こんな時代だから、
日本人一人ひとりが主役となって生きていく。
それぞれの分野で、それぞれの役割を地道に果たす。
その歓びを感じながら生きていく。
それが、ほんとうのオリンピックではないかと。
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これを書き終える直前、
日本のプレゼンテーションが行われていた。
格調高い演説や感情のこもった身の丈の説明は良かった。
けれど、どこかの広告代理店がつくったのだろう、
東京の観光案内を中心に
物量(インフラ)をアピールする内容が主だっだような。
コンパクトな開催が持続可能なオリンピックへの転換を促すことや
震災にあって助け合う日本人の精神性、
平和の祭典であるオリンピックが盛況となるよう
国際平和の実現に尽力するなどの意思表示は見られなかった。
原発への懸念に言及する質問にも首相自ら答えたが、
果たして世界が納得したかどうか。
追記
翌日、東京に決まったとのこと。
前回五輪が行われた1964年以降の飛躍は
経済の成長条件が整っていたから。
あの頃、勇気を与えられた人は少なくないはず。
やると決めた以上、
国を挙げて、徹底的に
「おもてなし」(思いやり)を磨き上げる。
(その心は、すべての人や生き物にも向けられるべき)
このまま日本が歩んでいけば、
国民と国家が分裂しかねない。
経済効果で喜ぶ人たちはさておいて、
目に見えない精神的な資産こそ
世界に範を示せる日本の資産であるはず。
人々の祈りを集めながら
22世紀というはるかな時代に向けて
日本が世界に果たすべき役割がある。
そして、
一人ひとりが人生の五輪に向けての挑戦を行う。
誰の意思でもないあなたが始めること。
そのことが変化をもたらすかもしれない。
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自宅近くを飛ぶ自衛隊のブルーインパルス



夏草と入道雲は少年が空に飛翔することをけしかける(那賀川岩脇地区)

樹幹から開かれた窓は、宙への憧れ(北の脇)

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