2013年08月31日

地元に捧げる魂の踊り 


徳島に住んでいる人は誰でも踊れる。
小学生の頃から授業として取り組むから。

阿波踊りは、終了した翌日から次年度に向けての練習が始まる。
晴れた日も雨の日も、一年が踊りを中心に回る。
そして、その成果を盆の四日間に披露する。
それを見に人々が集まる。
徳島の盆が始まる。

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天水たちが、この日のために
魂を燃焼させる。
だから、徳島では盆に仕事をする人はいない。
→ 天水とは

ここから先は好みの話で優劣ではない。
農民の名残をとどめた郡上踊りと
(現地で踊り方はすぐに覚えられた)
唯一無二のおわら風の盆が好きだ。
(郷土の踊りと比べても)
一度でいいから、諏訪町の深夜の流しに居合わせたらと。
(うたの深みではおわらが比べることのできない世界をつくる)

だから、ここしばらく阿波踊りを見ていなかった。
ところが、2012年の盆は、久しぶりに踊りのまちへ出た。
特に目的もなく歩いていると、
元町交差点で踊っている連があった。
見ているうちにどんどん引き込まれた。

その連はこれまでに見たどの連の踊りよりも
訴えるものがあった。
特別なパフォーマンスや
一糸乱れぬフォーメーションがあるわけでもない。
それなのに、見ていてなつかしいと思った。
わからない。わからなけど、揺さぶられた。

連の名前を目で追うと、
桜花連(おうかれん)―。
神山町の連のようだ。

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踊りが好きで好きでたまらない。
集落の広場にいつのまにか集まった人たち、
子どもからおとなまでが
揃えようとするのではなしに
揃ってしまったという風情で。

親戚の法事に連れて行かれた男の子が、
見たこともない、お下げ髪の可愛い女の子に出会って
もじもじしながら二人で遊んだ記憶。
二度と訪れなかったあの夏の映像のようで。

地域の御霊、地域の人々、地域の山と川を
なぐさめる使命感を持って
それでいて、いまをいきる自分たちが楽しんでいる。
肩の力を抜きながらも、
生命の躍動を分けてあげたいとの願い。
その手、その足、足腰の躍動、
土の匂いが感じられて
心が震えた。

その後、テレビで有名連の踊りを見たけれど、
競技の匂いや手練手管が見えて心は動かされなかった。

好き好きと言ってしまえばそれまでだが、
鉦、太鼓の大音響は、
踊り手を一種のトランス状態に誘うのかもしれないが、
騒音という現世に連れ戻される。
(観客のいない自己満足)

「競うこと」「揃える」ことが目的になってしまうと
踊り手の魂の喜びは後退しているようにも見える。
心のひだ、心のさざなみ、心の動きは
一瞬の即興の連続であり、
その波打つ怒濤の律動が一人ひとり違っていい。
いや、違うのが自然ではないかと。
それぞれが悲しみをたたえながらも
明るく躍動する。
そこに感動がある。

阿波踊りは見る人のためにあるのではなく
踊る自分のためにある。
そして、自らの魂を鼓舞する。
それによって、
「もんてこい」と呼びかけた魂も心を動かされる。
― 踊りとは魂の共感、あちらの岸とこちらの岸と。

こうして目には見えない盂蘭盆会の通信が行われる。

神山の桜花連の踊り、
また見たい、と思いつつ
その後、再会できていない。
来年の夏は、神山まで見に行ってみよう。

YouTubeでは見つけたけれど。
http://www.youtube.com/watch?v=P3ghclKLeo4

追記

神山町といえば―。
ノートパソコンを抱えた若者(ITベンチャー企業の社員)が
涼しげな谷川の岩に腰掛けて、
流れに足を浸して仕事をしている、というテレビの絵を何度も見た。
恵まれた環境で
IT企業の創造的かつ地道で職人的な作業が行われている。

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郡上八幡の踊りは踊る人と見る人の境がない。いくつかの踊りは素朴な農民の踊りだからすぐに覚えられる(2004年8月)
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郡上八幡の魅力は、長良川支流の吉田川。まちなかを流れるこの川に
地元の子どもが橋から飛び込んで遊ぶ。この文化は大切にしたい。
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郡上から白川郷はさほど遠くない。
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昼間の越中八尾、せみしぐれが降り注ぐ諏訪町の静けさ(2006年8月)
夜になれば、胡弓の音色とともに、あの踊りがまちを流していく。
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風の盆の舞台は、丘の上のまちという不思議さ
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阿波踊りを求めてまちを歩く(2012年8月)
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踊りの輪は演舞場以外でも
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水都徳島の象徴、新町川。この風土から阿波踊りは生まれたのだから。
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川に浮かぶ特設ステージ
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初めて阿波踊りを見るのなら
無理をしてでも桟敷と呼ばれる有料の場所で。
(前売り券はなくなっていても、人の入れ替えの関係で当日入れることも少なくない)
有料桟敷では、画一的ではない、有名連の個性が味わえる。
天水たちはどこでも踊りたいが、
天水たちが多く見られるのは有料桟敷席かも。
(そうでなければ、阿波踊りはこの程度か、とがっかりして帰ることになる)
自分なりに好きな連を見つけて、毎年追いかけてみるといい。

踊りの最後は観客もなだれこむ。
踊れなくても音楽に合わせて身体を自己流で動かしてみる。
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Dancing is actually cerebrating of your spirit.
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そろそろおわら風の盆の季節だ。
毎夜、浸っているのはこのCD。
若林美智子の胡弓の音色の静けさ、
うねる歌い手の声(地元の男性女性歌手のみごとさ)。
万感を込めて、淡々と流れる。

電気を消して寝床で聴くうち、
まもなく眠りに落ちる。



posted by 平井 吉信 at 08:39| Comment(0) | 生きる
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