2013年04月27日

光の向こうの静寂 徳島LEDアートフェスティバル2013


4月になってせっかく就職したのに
辞める人がいるのではないか。

自分に合っていないから。
自分のやりたい仕事に就きたいから。

そうかな?

仕事は決して自分探しの旅ではないよ。
適正かどうかも問題ではない。
(何が自分に合っているかなど、誰もわからない)

大切なのは、
その仕事を通じて社会に何ができるかということ。

もし、あなたが会社や地域から必要とされているのであれば
それで充分。

与えられた条件のなかで(むしろ制約があるからこそ)、
受け身になることなく、主体的に取り組めればいいじゃないか。

ひとつの真実。
あなたを必要とする人(社会)があるという喜び。
それで充分。

誰かの役に立つからそこに存在する価値がある。
誰かの役に立つから、生きていける。
それで充分。

ひとの一生は長いようで短い。
短いようで長い。
充実して生きることができれば
たった一日でも長い。

不幸とは、不満を抱えて生きること。
そして、そのことに気付かないこと。

運命に逆らわず流れに身を任せてみる。
流されているようで
自らの意思で泳いでみる。

選ぼうとしても得られなかったこと。
それは、選ばれることから実現するかもしれない。

「こだわり」を捨てて
あるがままを受け止めれば楽。
けれど、「意思」の強さを感じさせる。

学生の頃になりたいと思った自分より
もっと理想に近づいた自分がいる。
困難を一つひとつ乗り越え、
こうありたいと思ったことがジツゲンしていく。
(だから、どうした!)

大人になってわかったことがある。
人は夢を見ている限り、年齢を取らないこと。
学生の頃と少しも変わらない体型や髪型もそうだけど、
変わらないのは、夢見ること。

夢は現実に足を付けてこそ叶う。
実現できる夢だから、現実が楽しい。
夢は現実は相反するものではなく互いに補うもの(相補性)。

でも、夢が実現できなくても
嘆くことはない。
実現しない夢であっても
夢を実現すると信じて行動したのだから。
いつか叶うと信じるなら
夢はまだ挫折していない。

LEDも誰かの夢の副産物。
それを使ったアートが徳島市内で開かれている。
(写真はごく一部のアート。新町橋界隈は時間が足りなくて行けなかった)

暗闇に目をならそう
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浮游する光は一つひとつの魂
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蛍の乱舞する水辺
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和の素材を通すとLEDが異なる質感になる。光の揺らぎをどうつくりだすか。
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人が歩くと予想もしない走り方をする 何十コマ撮影して満足のゆくカットはわずか。おもしろい。
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ほのかに光る木の根もと。そこから現れるのは小人か妖精か。
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子どもが光で遊ぶ。夕闇はすてき空間。それなら月明かりも楽しめるよ。
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ぽつんと置かれた空間に樹木。消灯が迫った22時前、童話の世界が出現。
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無数の三色のLEDから多彩な色彩をつくりだしているけれど、緑一色に染まった風景はこの瞬間だけ。この色のときだけ空間に引き寄せられる。待っている時間内には二度と現れなかった。
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色彩の浮かぶ空間を感覚的に捉えるのも良し
自然と人工の調和や対立を見るも良し
光の向こうにある夜の静寂に思いを馳せるのも良し
酔いと覚醒を織り交ぜて流れゆくのが祭りだから。

→ 徳島LEDアートフェスティバル2013

写真はほとんどX20で手持ち(蛍の水辺はD7000)。


posted by 平井 吉信 at 14:55| Comment(0) | 徳島
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