2013年01月05日

神仏に祈る

ここ数年、年賀状を書いていない。
(申し訳ないと思いつつ、いただいた方にもご返信していない)

きょうを生ききること。
365日はその繰り返し、一生もまた同じ。
年始とて変わらないという思い。

東日本大震災、福島原発事故、少子高齢化、
魂のこもっていない製品を連発する日本企業…。
国内ばかりではなく外交も不調。
― まさに国難。

何をめでるのかわからない。
筆無精ではない。ほんとうに一文字も年賀が書けない。

その昔、しゃれこうべをかかげて正月のまちを徘徊した人がいた。

門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

一休宗純が感じていたようなことをぼくも感じているのだと思う。
一休さんはこうも綴る。

有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け

いただいた年賀状を見て思うのは、
私と同じような気持ちの人が少なくないということ。

「あけまして…」「新年のおよろこびを…」
「謹賀新年」などの文字の代わりに
自分でお考えになった言葉を並べたり
近況報告を年賀の代わりに置く人などを見かける。

ぼくのように年賀状を出さないのも失礼なので
世間と自分をうまく折り合いを付けられている。
年の区切りに「生きている」ことの感謝の気持ちを
綴られているように思われる。

そこで、
毎年、縁を持った方々への思いも含めて
感謝の気持ちで神仏に向かいあうことにしている。

みなさまのご多幸を心からお祈りいたします。


(2013年1月1日)


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産土神社への参拝から元日が始まる。
  産土(うぶすな)さんとは、
  生まれて縁を持った神社のこと。
  たいていは生家の近所にあるはず。
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「願」はかけない。ただ、手を合わすだけ。
正月の風に吹かれて竹がカラカラと鳴ると
なつかしさを覚えるのだ。

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自宅の神棚は屋久杉でできている。
まんなかに天照大神(天照皇大神)を祀り
向かって右に産土神のお札を収め、
向かって左には信仰している神社のお札を敬う。
天津祝詞を奏上すると、身体がふわっと軽くなる感じがする。

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大麻比古神社は、現代の徳島の一宮。正月三が日は善男善女でにぎわう。
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実は境内裏手の森の散策が楽しい。ドイツゆかりの眼鏡橋。
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このあと、さらに鳴門市ドイツ館に足を運んだ(続く)。

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父親が亡くなって三回忌に至るまで毎日仏壇で読経を行った。
「開経偈」「般若心経」「観音経(偈)」「十三仏真言」「光明真言」
「御宝号(南無大師遍照金剛)」を
部屋に響き渡るぐらいの声で読経するのだが、
自分の声が別のところから聞こえてきて、
その音を聴く自分がいるという感覚がある。
最後に鈴(りん)を鳴らすと空間が澄み渡る感じがする。
内輪の法事などでは自分で読経するようになった。

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ここで、徳島の仏壇について紹介する。

唐木仏壇とは、南洋材(黒檀、紫檀など)を用いた仏壇で、
全国でも良い品は徳島産に指を屈す。
仏壇を仕上げるためには、
木地仕上げ、彫り、塗り、組み立てなどの工程が必要だが、
分業化されたこれらの工程が
ひとつの土地に集約されていなければならない。
豊田市近辺が自動車の城下町とすれば、
徳島市周辺は唐木仏壇の城下町といえる。

うちの仏壇は紫檀(パーロッサ)の
前練り仕様(軸に唐木を貼り付けたもの)。

製法の違いは社団法人徳島市地場産業振興協会の解説サイト

私は森正(株)で購入した。
いまの時代に「祈り」とは何かを考えている会社である。
もちろん自社一環製造を行っている。
http://www.morisho.jp/

白檀の数珠は京都の職人の手によるもの。
読経にはこの香りが欠かせない。
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鈴は好みの音色を選ぶ。
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線香は淡路島産か京都産を使うことが多い。
何種類かの香りを楽しむようにしている。

仏教はとらわれない心を説いている。
仏壇とて「かたち」であるが、
とらわれない心で
「かたち」に向かいあうことが
「生きる」ことだと思うのである。
タグ:神社 神仏
posted by 平井 吉信 at 12:55| Comment(0) | 生きる
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