2000年01月23日

第十の堰物語 みんな第十堰を渡っていく

二五〇年余りにわたって
吉野川に溶け込んだ構造物がある。
第十の堰である。

DSC_0072.jpg

当時の第十村にあったことからこう呼ばれる。
この堰は農業用水確保のため、
江戸時代中期に作られたものである。

石積みの景観は周囲に溶け込んでいて、
付近は魚介類や野鳥の宝庫である。
往時は、青石を積んだ堰の上を水が越えていき、
その流れに乗ってアユやウナギがたくさん上っていった。

gyodo.jpg

阿波十二景の一つ
「激流第十の堰」と記された昔の絵はがきには、
満々と水をたたえた川面に白帆を立てた川船と、
堰の南岸の浅瀬に仕掛けられたヤナが
澄んだ水底の石ころとともに映し出されている。

「ここに立ったら、気持ちがすうっとするわ…」
人々は土手の上から、広々とした風景を眺めていた。
堰は、子どもたちの恰好の水遊びの場所であり、
仕事が終わった大人たちは夕涼みがてら
四方山話を咲かせたという。

石積みの柔構造のため、
大水が来れば補修は必要だっただろうが、
地域の人々の手によって二五〇年にわたって維持されてきた。

しかしそのために、
上流と下流の水の循環、物質の循環、
生態系のつながりが妨げられることなく
自然に溶け込んだと考えられる。

維持管理に地域の人々がかかわることで、
川との密接な結びつきが生まれ、
川を知ることにつながった。
経済的にも地域に資する仕組みとして参考にならないだろうか。

堰の初渡りに灯されたろうそく
DSC_0044-1.jpg

近所の人が集まって堰の河原で暖を取る
DSC_0036_NX2.jpg

堰の上を子どもが自転車で渡っていく。夏は恰好の遊び場
Yoshinogawa048.jpg

堰の下流には中州があり、シジミの宝庫
DSC_0066.jpg

DSC_0069.jpg

アユをねらうシラサギ、アオサギ。付近には生態系の頂点に位置するミサゴも生息する。このことは堰付近の生態系の多様性を現す。
DSC_7739-1c.jpg

夏の第十堰には日傘が似合う。
DSC_7772ac2.jpg

江戸時代につくられた青石の石畳。通称「青の広場」と呼ばれる。土木史マニアには垂涎の場所
aonobutai.jpg

堰の本体を通過する水は「天然の浄水器」を通って透明度の高い水となる
kamizeki.jpg

可動堰(河口堰)はつくられることはなかった。この風景が現存するためには、姫野雅義さんをはじめ、市民の良識と行動があった。
Yoshinogawa051-1.jpg

第十堰北岸は特に生態系豊かな場所。堰直下流では水遊びをする人が絶えない
sekisimo1.jpg

おだやかな湧き水で釣り堀のような秋の風物詩。
子どもがねらっているのはハゼ。
かたわらを体長1メートル近い魚が泳いでいて子どもを驚かせる。ソウギョだった。
Yoshinogawa069-1.jpg

海から14km遡った第十の堰は子どもの楽園
summer4.jpg

sekisimo2.jpg

ふと野良犬と目があってしまった
DSC_0174.jpg

子どもも動物も心を預けられる場所
DSC_0168.jpg

徳島市民が作成した堰マップ
sekimap.jpg

「月の音楽会」と称してコンサートが催されたことも。川面を渡るアコースティックな響きが心地よい
Yoshinogawa062.jpg

夜通し語り合う
Yoshinogawa068.jpg

堰の周辺には秘密の散策路がある。いくつかの流れを追い求めていて芦原で見つけた
Yoshinogawa055.jpg

菜の花の咲く頃
Yoshinogawa037ac.jpg

若者が集まる。その根拠は「大事YOU」(だいじゆう→第十)だからとのこと。
Yoshinogawa050.jpg

250年の時を経ていまも暮らしに使われる文化資産(遺産ではない)DSC_0066.jpg
posted by 平井 吉信 at 00:00| Comment(0) | 山、川、海、山野草
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: