2008年07月24日

四万十川


昭和30年代に拡大造林政策で植林されたスギ・ヒノキは、
昭和40年代になって安価な輸入材の影響で競争力を失いつつあった。
天然林とは違って保水力に乏しい人工林は治山治水事業を必要とし、
高度経済成長がそれを押した。
林業が衰退して、ダムや堰堤、林道などの土木工事が基幹産業となった山村は少なくない。

それによって生活はある程度近代化されたが、
都市部との収入や生活水準の格差から人口は流出を続け、
故郷の景観は著しく姿を変えていった。
こうして何世紀も山とともにあった暮らしは崩壊した。

姿を変える以前の山村の暮らしはどうであったか。
おそらくは、森の手入れをしながら薪やきのこなどを採取し、
少しずつ周囲の田畑を耕し、
四季折々に釣りや狩猟を織りまぜながらの自給的な生活であった。

自然を利用しても、搾取したり破壊することはなく、
里山がもたらす森の幸を根絶やしにしないよう
何世代にもわたって営まれてきた暮らしであり、
山の頂や森は天からの霊力を受け、
神が森や水を守っていると感じていた森の文化であった。

映画「もののけ姫」のヒットは、
アジアモンスーンの照葉樹林に育まれた日本人の深層意識と共鳴したからではないか。

高度経済成長が終わる頃、
ほとんどの日本の川はコンクリートで固められ、清らかな水は失われ、
身近にいたトンボやメダカはいなくなり、
川で遊ぶ子どもの姿が消えた。

一方、四万十川は依然として山裾を洗いながら悠然と流れ、
満々と水を湛えた川面に映る潜水橋からは子どもが水しぶきをあげていた。
河川勾配がゆるやかなこの川はダムの適地も少なく、
開発から取り残された典型的な過疎地域で、 時間が止まっていた。

中流から下流にかけての専業の川漁師の存在、
点在する沈下橋、
森に包まれた人々の暮らし──日本の川の郷愁を心ゆくまで感じさせてくれる。     

こうして、345 本の支流と山からの湧き水を集めて
山間部を穿入蛇行しながらゆったりと流れる大河の風景が、

「日本最後の清流」として注目を集めるようになった。
shimantoという不思議な言葉の響きも日本人の郷愁を誘った。

人々は幼少時代の記憶を忘れることは決してない。
年月とともに思い出は美化され、
心の中に生きつづける。
なつかしい故郷の風景を求める人や、
ストレス社会に生きる現代人にとって静かな水辺は癒しの場となる。

四万十川流域には理想郷を求めて人々が都会から集まるようになり、定住する人も現れた。
新潟大学の大熊孝教授は、何百年も受け継がれてきた人と川の関係についてこう表現している。
「川とは、地球における水循環と物質循環の重要な担い手であるとともに、人間にとって身近な自然であり、ゆっくりと時間が重ねられた人間との交流の中に、地域の文化を育んできた存在である」

人口の減少が高知県内でもっとも少ない村は、
天然林(といっても人の手で管理された二次林や薪炭林)が多く残された
四万十川中流域の十和村であることを高知大学の大野晃教授(地域社会学)は指摘している。

広葉樹の山は治水利水に効果があるだけでなく、
山そのものの生産力のため、経済活動を循環させることが可能である。
そのため、雑木林型山村経済を持つ十和村(四万十町)は、人口の高齢化率も低い。
旧十和村をはじめ四万十川流域では、
流域の人たちによる物産品づくりが行われており、
そうした努力が大きな実を結ぶ日も遠くないと思われる。

流域面積の88%が森林に包まれた四万十川では、
森と人と川が密接につながっている。
自分たちの生活を取り戻そうとする試みが清流を保ち、
そのことが観光や産業振興に結びついている。

 何百年もそこにあったものに学べ
「自然を活かす」のではなく、「自然を殺さない」

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posted by 平井 吉信 at 00:00| Comment(0) | 山、川、海、山野草
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