その昔、このまちには四国の東玄関と呼ばれた港があり、関西と四国を結ぶ汽船が行き来していた。船が着くと、そこから大勢の人と車が弾き出されるように出てきた。船の改札を抜けると、ちくわ売りのおばさんがいた。港には駅があり、四国の4県都へ向けて直通の準急列車が旅だった。この駅は汽船の乗降客が利用する。そこから道路ひとつ隔てたわずか数十メートル先で再び別の駅に停車する。こちらはまちに住む人の駅。二つの駅は線路を歩けば1分もかからないが(もちろん歩行禁止)、公園と保線区を迂回すれば10分かかるというまちの構造だった。
その路線にはかつてSLが走っていた。ディーゼルに変わってからも長く客車を引いた列車が、手動で上げ下げを行なう踏切をいつ果てるともなく通過していくのを見ていた。
やがて航路が廃止され、県都と港を結ぶ線路も廃線となった。保線区や線路があった場所は公園となり、かつて走っていたSLや駅のホームを従えて子どもたちの遊ぶ公園に生まれ変わった。
2025年盛夏、木陰で憩う数人のおとなはいたが、昼間の公園に遊ぶ子どもの姿はなかった。20世紀は外で遊べないほど暑くはなかった。夜も寝苦しくなく、クーラーがなくても扇風機で寝られたし、その扇風機も付けないことも多かった。きょうの気温は28度で涼しく感じる(扇風機を弱にしても寒いぐらい)。人間の身体も暑さに慣れたのだ。ぼくの仕事場の室温は30度を下回ることがない。それゆえパソコンには風を送り続けている。
アブラゼミが減ったな。かつてはアブラゼミとニイニイゼミがほとんどだったが、クマゼミ(羽が透明で緑の模様を散りばめているので高級感があった)が主流となった。まちなかに翔んできていたカブトムシやクワガタも減った気がする。あの頃の子どもは、麦わら帽子、ランニングシャツ、半ズボンで水筒を下げて虫鳥網を持てば、真昼であっても遊ぶことができた。海(横須松原)で泳げば、冷たい海水に身体が冷えて砂で身体を温めたり海の家であめ湯を飲んだりしたもの。やがて気温の40度越えが当たり前になるかもしれない。道路工事やら屋外のスポーツなどは昼間は禁止になる時代が来るだろう(今年から夏の甲子園がそうなったように)。
徳島地方気象台のデータによると、昭和40年代や昭和50年代の徳島市における真夏日(最高気温30度以上)の日数は、現在と比べて明らかに少なかった。例えば、1970年代の徳島の年間平均真夏日は約40日程度だが、2010年代以降)では60日を超え、近年は70日を越える。猛暑日(最高気温35度以上)に至っては、1970年代にはほとんどなかったものが、近年は10日を越える。
データ参照:徳島地方気象台による「徳島地方気象台における猛暑日(真夏日)の年間日数の経年変化(1892〜2022)」https://www.data.jma.go.jp/tokushima/ondanka%20hp/4-4-2/tokushima_kikou_d.html
昼間は人のいない公園の昼下がり。太陽は光をズキンと突き刺す
ここに写っているのは2025年の猛々しくも静かな夏の象徴。
温暖化はフェイクと叫ぶカルトを信じるのなら、昼間に1時間でいいから日光浴をしてみたら?
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