2025年07月26日

懲りない人たちはおいといて 石破さんは続けるべき


自民党は選挙の総括で大敗の原因を党首総裁に背負わせようとしているが、ほかの人ならもっと大敗した可能性に気付いていない。21世紀になって自民党から出た総理はことごとく国会でのやりとりで聞く耳を持たず、未来を担う子どもたちにこれが国会だと見せたくない光景ばかりだった。

党内では石破おろしが加速している。自公の政策についてはこれまでも書いているとおりで、経済政策を見ても彼が理想の首相とは思えない。けれどもこんな時代だからこそ、政党間の調整をしながら国家(国民から負託されたという意味)は最善(次善)の選択肢を重ねていく必要がある。

国会のやりとりにあったが、野党の質問(指摘)であっても納得できたことには対応しているところである。能登半島の現場に深く入っているれいわ新撰組から、復興について現場が困窮している現状を数字を交えて伝えたとき、石破首相が予算措置を約束したのはその一例。

この難局は石破さんでないと乗り切れないだろう。野党だけでなく党内基盤や政治勢力からの牽制に対応しながらという弱みはあるにしても。

自公政権のなかにも(一部のカルト政党を除くすべての政党に)良識派はいると思う。この際、自民党も分裂して、政党を問わず良識ある人々が結集して再編するのもあり得ると思う。

ランディングページの作成などのセミナーで説明していることとして、見る人の心の弱みにつけ込むナラティブ(物語)の事例を説明して、それらは効果はあっても悪用してはいけない、なぜなら大切なお客様とは生涯つきあっていく責任があるし、そのことが自らの成長と安定につながるからと説明している。SNSだけの情報発信は自殺行為とも説明している。ぼくのようにアカウントを持っていない者は見ることすらできない場合があるし、大切な情報や定番コンテンツもタイムラインの彼方に消えてしまう。Twitterがエックスになったように、いつルール変更がサービス提供者から行なわれるかもわからない。情報発信が大切であるがゆえ、自ら発信する手段を持つべきなのだ(定額制の業者のサービスはトラブルのほうが多い。そもそもそのこと事態がベンダーロックイン。IT業界は情報の非対称性のため、ぼったくりが常態化しているのが偽りのない現状。わからないから発注するのではなく、発注側も勉強しなければ)。

悪いナラティブとは、例えば、コロナワクチンが陰謀である(ぼくはワクチンのすべてに賛同しないが、統計的には有効だったと思う。ただし人によっては災いとなるのは先天的な遺伝子や後天的な疾病との関係性があるため)。このほかにも、DS(影の政府)、国際通貨で一儲けしよう、トランプは救世主、外国人が日本人を圧迫しているという語りを聴いたことがある人もいるのでは。自分の目でしっかりと社会を洞察しなければ、悪意を込めた偽りの物語や煽り動画にだまされるよ。

とはいえ、陰謀(隠れた意図や洗脳)は社会に溢れている。客観性を装ったSNSなどを用いてマーケティング会社が加担して人心をコントロールしようとしているのは遺憾だ。

ナラティブについては、毎日新聞の記者、大治朋子さんの著書「人を動かすナラティブ なぜ、あの「語り」に惑わされるのか」が良書なので一読を奨める。

選挙に行くのは良いことだが、まずは世の中を洞察すること、どのような意図や背景があるのかに思いを巡らすことなく鵜呑みにしていると、社会が悪化していく片棒を担ぐことになる。でも、そのためには、この宇宙や地球の成り立ちにまで遡ることになるかもしれない。自然の摂理が見えてくると、多様性とか存在の本質が観えてきて悪意のあるナラティブには惑わされなくなると思う。


追記 一票の格差は問題か?

一票の格差は違憲と裁判を起している法律家なども懲りない人々だ。杓子定規に条文を崇めている感じがあるが、そもそも法律は何のためにある?ということに答えられないだろう。
屁理屈には屁理屈で返すとするなら。自分たちの県の代議士を出せない有権者は一票の格差以上の格差じゃないの? 候補者がカバーする(移動する)距離(面積)の格差はどうするの?(選挙区に浸透することが物理的に困難。例えば、徳島県美波町から高知県大月町まで車で止まらず走って6時間かかる)。一票の格差をなくすことが正義なら、この倍率までは合憲という概念はなく、ぴたりと合わせないと平等とはいえない。ゆえに、同じ市町村でも選挙区が違うことが起こりえる。その労力や手間のコストは納税者が納得するか? 仮に違憲として選挙のやり直しが必要とすれば、その費用は誰が出すのか? 自分の懐に数千万円取り込んだ政治家は合法なのか?(子どもが考えてもわかる善悪を。なぜ形式的法治原理主義者は追求しないのか)

法律家の知人は何人かいるが、みな理屈っぽい。彼らの主張が正しいなら、大多数の善良な国民が形式的法治主義に苦しむ場面を多く見てきた。違憲かどうかより前に、法律は何のためにあるのかを問いただしたい。


追記2

SNSをなぜ使わないかは、例えばこの投稿のような内容(長文をSNSに掲載できるかどうかの視点は置いといて)を掲載すれば、なるべく多くの人の目に触れないような意図的な目に見えない操作を受けることがわかっている(それらを陰謀という)。

posted by 平井 吉信 at 12:27| Comment(0) | 生きる
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