徳島市南部から国府、石井町方面へ抜ける環状線沿いにこんもりとした森と佳き佇まいの神社があることは道路から見えていたので知っており、いつかは寄りたいと思っていたので立ち寄った。
宅宮神社(えのみやじんじゃ)は元の名を意富門麻比売神社(おおとまひめじんじゃ)といって延喜式神名帳に掲載された由緒ある神社であるが、戦国時代に焼失していまの場所に移転して名称も現在の名前になったという。
この神社は、住宅の神様とされる。ご祭神は式内社で唯一の大苫邊尊(おおとまべのみこと)で、伊邪那岐・伊邪那美の両神(ふたがみ)より古い神とのこと。拝観していたところ、草刈りをしていた地元のお世話役にお茶を振る舞われていた方に「どちらから来られましたか?」とお声がけをいただいた。なんと宮司さまであった。
宮司の河野通宣さんは戦国時代以降に代々この神社を管理されるようになって14代目、その以前の宮司の家系から数えると71代目になるとこと。河野水軍の末裔ともおっしゃる。ご祭神は全国でもっとも古いともいう。
さらに宅宮神社に伝わる神代文字(じんだいもじ)という古代文字を書いたものがあるとのこと。ただし神社の宝ともいえる貴重なお品を人目にさらすわけにはいかないので、江戸時代に門外不出の文字を伝えるために版木を作成した。その刷り物を社務所でお見せいただいた。漢字やひらがなよりも古い文字との位置づけである。
また、宅宮神社には古くから歌い継がれて県の無形民俗文化財に指定されている神踊りがある。いずも踊りについては前回に書いたが、「伊豆毛の国の伯母御の宗女 御年十三ならせます こくちは壱字とおたしなむ」のくだりが、魏志倭人伝の卑弥呼(伊豆毛の国の伯母御)と宗女壱与の記述と符合するなど興味深い。邪馬壹国阿波説、イヅモは阿波の説を補強しているともいえる。
さらにもうひとつ、神社の入口に岩がある。この大岩が令和元年の秋に真っ二つに割れたという。大祓の際に流行病の災いがあるというお告げがあって、コロナ流行が始まった。そんな伝説があったものだから、宮司さんも驚いたという。平安時代や江戸時代にも疫病の流行があって神社では御札を配ったとの記録があるとのことで、COVID-19が神社の歴史で3回目という。
周辺には古墳が数百あって、銅鐸が7つ出土しているという。古代阿波の中心地であった国府地区にも近く、天石門別八倉比売神社神社まで直線距離で4km少々しかない。
このような由緒と歴史ある神社について(ぼくが知らなかっただけなのかもしれないが)お伝えしたいと紹介している。境内には湧き水があって汲みに来る人、日々お参りに来る人が絶えないとのことで、宮司様の飾らないお人柄と、地域に根付いて歴史を刻んでいくありさまに感銘を受けた。