朝立彦神社(あさだてひこじんじゃ)は徳島市でもっとも南にあり、もっとも高い標高(336メートル)にある神社である(ウィキペディア記載の当神社の標高700メートルは誤り。また、神社名を誤記するなど当神社の情報が正確でないWebサイトが多いことにご注意→ 地元住民に確認したが、「あさだてひこ」以外の呼び方はしないそう)。
県道11号線から勝浦川に架かる長柱(なごしろ)の潜水橋を渡るとやがて二股に差し掛かり、左の道を上がっていく。かなり上がると左右の分岐を左に進み、車道の終点に車を数台置ける(県道分岐から3.5km。道幅は広くないが危険なほどではない)。終点からは参道(山道)を歩くことになる
鬱蒼とした森を抜けて山道を登っていく。電灯がないため太陽が傾くと足下が暗くなるが、自然のなかに置き去りになった自分を感じることができる
やがて最初の鳥居と石段が見えてくる
次の鳥居から社を仰ぎ見る
登り切ると古い神社が迎えてくれる
ご神紋
平石山方面の森へと足を踏み入れようとすると、徳島毎日新聞社による石碑がある。徳島を代表する神社選という趣旨で設置されたのだろう
神社の右手に深い森が深々と横たわる。尾根道をたどると標高648メートルの平石山まで続く
森の静寂、心が静まる瞬間
さらに進むと山の神様(山神社)が鎮座する
山神社から森を南へ横切ると開けた場所に出る。地元の子どもらが祭りなどで相撲を取った場所。神聖な森の氣に打たれながら子どもらの歓声が響いていた時代があった
相撲場から神社へと戻る小径をたどれば南の視界が開けて、眼下に勝浦町、遠くに羽ノ浦町、阿南市、橘湾が眺望できる岩の上に出る
那賀川とその沖積平野。右手のビル群は日亜化学(阿南市)
見晴岩の上部にはお亀の池がある
お亀の池は直径40センチ、深さ70センチ程度の水たまりとのことだが、海の近くでもないのに潮の干満で水位が動くという。干ばつの折には村人が雨乞を行なった
お亀の池は岩の下にあり、隙間から見ることができる。お亀に小石などを投げ込むと暴風雨になると言い伝えられ、村人が汚されないよう守ってきた歴史がある。この岩は蓋の役割をしている
見晴らし岩の割れ目をお亀の池と勘違いしているWebサイトもあるようだ
お亀池から上に神殿の石垣が見える。見事な石積みで一見の価値がある
境内にある小屋は数十年前まで地元の子どもたちが祭りで寸劇を行なっていた場所。演目は水戸黄門などがあったという
朝立彦神社のご祭神は「和多津見豊玉彦命(わたつみとよたまひこのみこと)」(看板いわく阿波誌の由来から)。これは海の神である。山上なのになぜ海の神なのか。また、飯谷村(いいたにむら)護王大権現の別称もあるという。豊玉彦は山幸彦(火遠理命)が結婚した豊玉毘売の父にあたり、山幸彦は神武天皇の祖父にあたる。いずれにしても、この神社が海の神と深い関係を持つことについていつか考察してみたい。それには地学的な分析が不可欠と思う。
勝浦川を少し遡れば、事代主を祭神とする生夷神社(朝立彦神社から車道で5.7km、直線距離では南東へ1.6km)がある。えべっさんは釣り竿を持つ。やはり海から離れているのに海人の匂いがする
神社の左手には細長く平らな尾根が横たわる。沿道には桜や椿が植えられている
日当たりのよい斜面に咲いていたノジスミレ
台地の果てには展望台があり、飯谷の勝浦川、周辺の集落を見下ろせる
森を抜けたところに明るく開けた台地があるとは想像できないだろう。長く平坦なこの場所はやはり馬場(馬の練習)として使われていたのではないか
朝立彦神社は旧飯谷村の鎮守の森であるとともに、海人との結びつきが連想される。そんな不思議な山上の神域をあとに森を下っていく
朝立彦神社は延喜式神名帳に記載された由緒ある式内社である。旧飯谷村を護ってきた歴史を刻み、森にたたずんでいる。
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