ぼくにとって、この国でもっとも尊敬する方が天皇皇后両陛下である。徳仁天皇と雅子皇后がこの国で果たされている役割はあまりに大きい。国民には見えない祈りの力をいただいているように感じる。
いまこの国は国難といえる危機に直面している。それは劣悪な政治による国民の貧困化。この国難をもし逃れることがあるとしたら、両陛下の御心のなせる技ではないだろうか。
抽象的な話はさておき、謙虚で飾らず真摯にものごとに取り組みながら誰にでも変わらない接し方をされている。それが日本人らしさとして海外にも好感されている(大谷翔平もそうだよね)。
その徳仁天皇が皇太子徳仁親王の頃、1991年に阿南市長生町の八桙(やほこ)神社に行啓されたことがあった。それから2年後、皇太子さまは雅子さまとご成婚されることになる。
八桙神社には国指定重要文化財と刻まれた石柱があり、菊の紋が入っている。どのようないわれがあるのか知らないが、この時期の徳仁さまは将来の即位とお妃選びを控えて心に思うことがおありになったのではないかと推察する。そんな大切な時期にご決心を顕すかのように訪問されているように見える。
そのような由緒ある神社でありながらこれまで一度も訪れたこともなく、存在すら知らなかった。四国内を隈なくまわっているつもりだったが、徳島(それも卒業した高校のあった阿南市)でまだまだ未踏の場所があるのだから(徳島には何もないという人、何もないのは徳島ではなく、それを見ようとしない心のありよう)。
阿波国の一宮は大麻比古神社である。そこをご訪問されるのならまだしも、八桙神社とはどんなところなのだろう。全国にこの名称の神社はひとつだけだとか。主祭神は大己貴命(大国主命)。徳島といえば、徳仁天皇のご即位の歳の大嘗祭に調えられた麁服(あらたえ)は木屋平の三木家(忌部氏直系)から調進された。これはとても重要な意味を持っている。
邪馬台国阿波説については、これまで熱心に語る人の話を聴いてみたが、納得することはなかった。熱意の裏返しなのか論証が荒っぽく、それで断定できる? 地名や神社名があるからといってそれが有力な証拠になる? そう思って眉唾説とみなしてきた。ぼくは徳島人だけれど、このことに限らず身びいきは一切しない。よいものはだれ(どんな)であってもよい、わるいものはわるいという態度はこれまでも貫いている。
それでも文献の解釈、当時の地形や気象、地勢学、鉱物資源、後漢書(魏志倭人伝)をはじめ、周辺の史書とそこに描かれる倭国や朝鮮半島の国々の風習などの記述、縄文海進と人々の暮らし、縄文から弥生、そして古墳時代への社会の遷移(鬼海カルデラの噴火、南海トラフ地震などの災害と社会のあり方など)、そして近年の遺伝子分析などを総合的かつ系統的に分析して、もっとも説明のできる物語をつくりあげると、邪馬壹国は阿波というのはもっとも有力な仮説に変わった(地域おこしのロマンではなく学究的な態度で。確信といっても言いすぎていないように思う)。これに対し九州説も機内説も矛盾があまりに大きい。
ただ、最後まで納得していないことがあった。それは、重要な史跡や神社が一直線に並ぶ。例えば、○○神社と▲▲神社が夏至の太陽の方向に並ぶとか、中国のある地点から東に邪馬壹国が位置するとの記述があっても、当時の人がどのように方角を把握したのかという点。三国志や古墳時代にそんなことができたのか?
ぼくは天文学が好きだったので、古代ギリシャでエラトステネスが予め距離が判明している二地点の夏至の太陽の南中高度の差から地球の直径を求めた(それは正確な値だった)ことを知っている。しかし稲作をしていた弥生後期から古墳時代の人々がどのようにそんなことを把握できたのか?
ところが見えてきた当時の社会はすでに交易が盛んに行なわれていた。日本各地で同じものが出土する、海外にあるものと同じものがある、言葉の音(発音)が似ている、などはおおいにあり得た。先月(2025年1月)には阿南市で日本最古の火を使った水銀の採掘が行なわれた痕跡が発見されたが、これなどは従来は江戸時代と考えられていたもの。それが一気に千年以上も遡る。
稲作についても大陸からの伝来を待たず、縄文晩期には自然由来の稲が定着して稲作が行なわれていたのではないかとか、縄文時代には国家の概念がない(ある意味では勢力やら階級、争いがない平和な)時代であり、国を作って統治するという発想や行動は縄文人にはなかったのではないか(だから渡来人が王になる)。ゆえに縄文人は混血しないで後の時代まで残ることもあったのではないか。歴史は大いに塗り替えられようとしている。
邪馬壹国が国を統一する際には技術、つまりは渡来人の智恵があったと考える。天孫降臨と称する事案は渡来人の上陸が不可欠であったのではないか(そのなかに大陸系やユダヤ系があったのではないか)。それと在来の平和を愛する縄文人とが混血して日本人が形成されたのではないかと考えると腑に落ちた。
歴代の天皇は秘められた祭事の秘密や口伝もしくは門外不出の文献などを三種の神器とともに継承されているのではないか。世界の平和を願う御心は、日本のなりたちをすべてを知っておられるからではないか、などと想像が膨らむ。
イデオロギーや宗教をめぐる世界の対立、例えば、中東でいまも起こっていることなどを良い方向へ持って行けるとしたら、ユダヤ系にもアラブ系にも敵対しない(特に日本の皇室は尊敬されている)日本の役割なのではないか。核の廃絶を本気で働きかけて説得力を持つのは日本だけではないか。といっても国民すら幸福にできずにいる日本の政治家には無理な相談かもしれないが。
多様な意見や説があっていい(むしろあるべき)。それでも邪馬壹国が阿波であったというのはもっとも有力な説のひとつと確信する。近い将来、教科書にはこう書かれるかもしれない。「女王卑弥呼(日巫女)を中心に、九州北部から畿内までを勢力に置いていた邪馬壹国は(渡来人が上陸した)阿波にあった。後に奈良へ移動して大和王朝へとつながる過程を神話になぞらえて記したのが古事記である」などと記載されるのではないか。史書や古文書は一概につくりもの、誤りと片づけずに、一定の方向から偏光フィルター(歴史がかけた意図を逆バイアスで光を通す)をかけると真実の方向が浮かび上がる。邪馬壹国に関する限り、それは光が当てられるところに来ていると確信している(身びいきでもオカルトでもなく)。
前置きが長くなったが、八桙神社は大国主命を祀った延喜式内社であるが、どこにでも数え切れないほど点在する神社と何も変わったところがないように見える。もし天皇家にとって大切な存在であるなら、その出自が関わらない限り、この神社の重要性は説明できない。このことを持って、邪馬台国阿波説の証明にはならないけれど、さりとてそれ以外の説明ができるとは思えない。