2025年02月02日

邪馬台国は阿波にあった説を愉しむ


邪馬台国は阿波であるという説が昔からあった。うちの親父もその類の本を1冊、書棚に置いていたように記憶している。おそらくその本はぼくも読んだかもしれない。

ときにその類いの本は、熱意のあまり論理の飛躍があったり(説明不足や思い込み)、誤解に基づく記載が数カ所あると全体の信憑性がなくなってしまうなど、批判に耐えるのが難しいところもあると思う。

しかし時代を経るとともに、阿波説はさまざまな人が提唱するようになり、九州説と機内説に対抗する有力な仮説として提示しているように思う。地域活性化という立ち位置もあってそれはそれでよいと思う。しかし史実を読み込んで客観的に実地検証して事実を積み重ねるという姿勢も同時に窺える。キワモノ、郷土愛のロマンだけでは片づけられない問題提起を行っていると思う。

阿波説が九州説や機内説に比べて弱いとすれば、それだけの権勢を誇った土地にしては○○遺跡とか○○古墳のような痕跡が九州や大和と比べて少ないというところにある(卑弥呼の実在は古墳時代の前なので大規模な痕跡があるとは思えないのでそれは支障がないように思う)。

そこで古事記に書かれた記述をそのまま解釈していくとどうなるかという姿勢(検証)が必要だろう。検証の際に気をつけなければいけないのは、江戸時代や明治時代などの近世に提唱された誤った解釈、名称や由来が書き換えられたり当て字となっている事案を、古事記が書かれた当時に遡って改めていく作業が必要となる。現在の地名が当てはまるからといって、それが明治時代以後であれば、古事記の記述を裏付けることにはならないからである。

魏志倭人伝の記述にある邪馬台国までの旅程の解釈も論点である。記述があいまいで海を隔てた島国の国々の位置を正確には記していないのではないかとも考えられる。三国志の(孔明などが実在した)時代は日本では弥生時代から古墳時代への移行期で日本に書物がなかった時代である。当時の中国(晋)には優秀な官吏がいたはずで文書として正確に記載されているのではないかとも個人的には考えるが、魏志倭人伝の解読からは正解にたどり着かない気がする。

阿波説についてはこれから読み進めていこうと思うが、古事記の記載を無理なく説明できるという主張が特徴である(古事記に記載されている地名や神社に合致する事例が阿波説)。

卑弥呼から後の世では大和に王権があったのは事実であるから、卑弥呼が生まれ育った、もしくは 卑弥呼が移住してきて、それなりの時間を阿波で過ごした後、何らかの事情で機内へ移動した(あるいは移動しなかった?)と考えることもできる。邪馬台国は最初から同じ場所にあったのではないと考えるのである。

史跡や書物の解読とは別のアプローチから興味深い事実がある。日本人の起源は縄文人と渡来人が長い年月をかけて混血して形成されたことがわかっている。そこで血液検査のDNAから由来を2020年に行われた調査がある(ただしこのサンプルにはアイヌは含まれていないそう)。各地から発掘されて古人骨のDNAも同様の結果だったと記憶しているが、渡来人のDNAをもっとも色濃く残すのは四国と畿内であることが判明した。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC18CCA0Y1A610C2000000/

大陸からの入口にあたる九州北部や山陰ではなく、なぜ四国や畿内に多いのかは興味深いデータである。このことは渡来人が西から東へと移動しながら四国と畿内に定住した結果と読み取るのが自然だろう。

邪馬台国阿波説と関係があるかどうかはわからないが、剣山にはアーク伝説がある。鶴石亀石もあって鶴亀(つるぎ)と読めるとするもの。同様のかごめの解釈やヘブライ語の解釈も含まれるようだ。

空海が構築した巡礼のしくみ(四国八十八箇所)も大切なものを秘匿する結界という説もある。「四国」という字には「八」と「玉」が囲われている(神と王)という例えもよく耳にする。

何かを秘匿したいとすれば、その痕跡を残さないようにするが、秘匿しながらも同時に手がかりも残しておくもの。それは後世のために真実を歪曲せず伝えたいという願いでもあると思う。その痕跡をたどるには、地名の由来などをていねいにたどって後世に付いた手垢(脚色や秘匿の意図)を洗い流し、客観的に再構築する必要がある。もとの地名や神社は阿波にあったものが移転した、分祀したとの記載が移転先に残っているなど起源を明らかにしていくなかで阿波説が浮かび上がるとしている。隠されていることが事実であればそれ自体が雄弁に物語るとということ。

これは洋の東西を問わず同じだろう。推理小説ではアルセーヌ・リュパンの最高傑作「奇巌城」で高校生探偵が「Aiguille creuse」(空洞の針)の謎解きをして、その地名とそこにある城にたどり着いて謎解きができたと得意顔になっているところに、秘密を知られたくないリュパンがわざわざ研究家の名前で投稿して、暗号の書物が描かれた時代と地名がついた時代を比べてみよ、と挑発する。宿敵に材料を提供するリュパンならではの騎士道的な態度と好奇心が混ざった行動だろう。しかし、最後は高校生探偵が謎解きを完了して、リュパンの財宝と隠れ家であった奇巌城の秘密が暴かれてしまう。

それではなぜ秘匿されなければならなかったか? なぜ移動する必要があったかの2点の動機を明らかにしていく必要があるだろう。

また、 天皇即位の大嘗祭に献上される麁服(あらたえ)と呼ばれる布は大麻でできており、許可を得て厳格な管理で栽培されたものを用いている。それを調進しているのが忌部氏直系で美馬市木屋平地区に在る三木家である。麁服がなければ即位したことにならないのだが、それがなぜこの地からなのか。

このところ話題になる似非政治家や権力者は真実を隠蔽して、ディープステートや陰謀説という偽のナラティブをSNSで拡散して社会を悪意に動かそうとしている。そこにある情報が真実と思い込まないように。「見せよう」「信じ込ませよう)とする意図、力学、動機を見抜いて情報を洞察するように。邪馬台国の謎解きはそれらと違って健全で愉しいものである。

どの説にも根拠があることから、九州に上陸した渡来人の一派がその技術や知見を伝えながら土地の豪族と小競り合いをしたり融合したりしながら分派して西へ進み、大和へ帰着したその過程が、吉野ヶ里遺跡やタタラ/出雲、阿波、畿内に残されているのではないか。大和王朝としてはその正当性を主張する際に融合の歴史の消去が必要となったのではないか、などと素人なりに考えている。

amazonで入手できる本がいくつかある
邪馬壹(やまと)国は阿波から始まる

2025年1月になって地形、気象、鉱物資源の観点から科学的に読み解く本が出版された。著者の越智正昭さんは邪馬壹国を神山と比定している。文献を読み解くだけでなく、0次情報にあたる著者の姿勢もすっきり感がある。
サイエンスで読み解く古代史ミステリー 最終結論 邪馬台国は阿波だった!

YouTube上で越智正昭さんの出帆記念のトークショーはこれまでのアプローチと異なるDXのプロセスをなぞっており説得力がある。
https://www.youtube.com/watch?v=T9s3O1C-i6c

そして1月には阿南市の若杉山辰砂(しんしゃ)採掘遺跡で世紀の発見があった。それによると、火を使った鉱物の採取が行われた国内最古の可能性があるとのこと。鉱物資源の観点(道具の開発と交易)からも読み解く必要がある。以下は徳島新聞の記事だが、この発見がいかに画期的かが理解できる。火を使った鉱物採掘は江戸時代からとされてきたが、それが弥生時代後期にまで遡ることになる。卑弥呼を統合の象徴として有力な豪族が阿波の地にあったことの裏付けになるのではないか。
https://www.topics.or.jp/articles/-/1184327

四国は全国でも渡来人のDNAが色濃く残る地域だが、その先進の技術が存在したことが明らかとなった。邪馬壹国が阿波にあったという説がさまざまな角度から合流して太い幹を形成しつつある

youtubeで見たい方は 次の動画など。なにごとも「○○でなければ」の原理主義に陥らずに愉しんでください

ごく最近、山口智子さんや 月刊ムーの編集長が徳島に来られていたよう。ここでは天石門別八倉比売神社神社編
https://www.youtube.com/watch?v=VW20WkHcdjs

現地の検証
https://www.youtube.com/watch?v=bGxc3uhj1t8

三木家のご当主との対談
https://www.youtube.com/watch?v=6VS7Vnw6o9M

緻密で客観的な考察に徹しており、八倉比売神社、白人神社、さらには剣山とユダヤまで深掘りされている
「忌部氏の謎、アマテラスのお墓、剣山には何が眠る?【阿波・淡路古代史編E】」
https://www.youtube.com/watch?v=6VYHw_in9Zk

徳島人でありながら、阿波説には距離を置いていたぼくなので、本ブログでも阿波説流布の意図はないものの、上一宮大粟神社天石門別八倉比売神社立岩神社などを紹介している。でもなぜかこれらの神社へは行きたくなる

posted by 平井 吉信 at 12:39| Comment(0) | 邪馬壹国阿波説
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