オフコースの初期(デュオ時代)はフォークロックの湿り気を帯びている。けれど情感が伝わってくるのも事実。5人組バンドとなってからは洗練された音志向となった。転機はThree and Twoからだけど、それがWe areで跳躍した感じで、洗練と感傷が同居している。ただし小田さんの声には自己陶酔的な少年ぽさと同居する冷徹さが聴き手を突き放す印象もあって、ぼくはすべてを受け容れられない。抽象的な歌詞に西海岸風の伴奏を付けて雰囲気に酔うところがあるが、その一小節に聴き手は自分の体験に照らして同化させ、楽曲のなかに入り込む。そんな印象のアルバムである。
それでもこのアルバムにはぼくの想いが深沈と封印されている。それが楽曲の世界観を合致していたし、その音楽を再現しているような場面でこの音楽を聴いていた時間があるから。
「雪が降っているね」
「… 」
ままごとをした幼なじみが、校区が変わって会えなくなって、少女からおとなへとの飛躍を知らないまま、見知らぬ女性となって目の前にいる。それもまわりの空気を涼やかに響かせるような、しっとりとしたあでやかさを全身に秘めていながら、あくまで清楚にたたずまう。
その年は南国徳島でもまれに見る大雪が降った。暖かい室内で彼女は目を落とす。ぼくは窓の外を見て何も言えない。感受性の豊かな女性だから気付いている。そこに流れてきた音楽―「逢うたびきみは素敵になって、その度ぼくは取り残されて♪」。― 内面の美しさがそのまま完璧な女性の容姿をまとっていたから。
生涯に1人か2人出会う最良の女性だったのかもしれない、と思わずにはいられない。感情が泉のように湧いてくるいまは2024年秋。夜のしじまに音楽が空気に溶け込むように心に波紋を拡げていく。あのときと同じように、ぼくは受けとめるしかない。このアルバムは疑いようもなくオフコースの絶頂期の記録。
We are…のあとに省略されている言葉、言葉にならない言葉が表現されている。次作の「Over」とあわせると、We are overと深読みする人もいる。最高のときを迎えて(それゆえにあとは下るしかない、もしくは終わりがはじまった、解散に向けての過程のごとく)すれ違いの風が吹いていると解釈する人もいる。
ぼくはWe areのあとに省略されている言葉は、We are(what we are)ではないかと思っている。「私たちは…(私たちがあるがままの)」。―わかりますか?問いかけのようで答えにもなっている禅の公案のようなもの。あるがまますべてを受け容れていく諦念にも似た壮絶な美学が火花を散らしそう。緊迫感のなかで閉じ込められようとしている宇宙空間に咲く花とでも。
→ オフコース-We are追記ステレオサウンドから、オフコースの音源がSACDで販売されていて、2024年11月時点で特価(4,950円→ 2,970円)となっていることに気付いた。ステレオサウンドのSACDはていねいなつくりで定評がある。https://www.stereosound-store.jp/c/music/artist_kana/kana_o/off-course/4571177053183(これはハイブリッドSA-CDなので、通常のCDプレーヤーで再生できる)
Webコンテンツの解説を読むと、ぼくがこのアルバムが、ドナルド・フェイゲンの「ナイトフライ」で感じた音の処理との同質性の理由として、同じエンジニアが手がけたとある。やはりそうか。(解説文)
■SACD/CDハイブリッド盤の製作についてアナログレコードに続いて発売されるSACD/CDハイブリッド盤の製作では、アナログレコード制作で使用したカッティング・マスターテープを元に、SACD層には、ハーフインチのマスターテープが持ち合わせる重厚なサウンドの質感を最大限に活かしつつ、dCS社のA/DコンバーターdCS905 ADCによってDSD2.8MHzへとダイレクトにA/D変換し、タスカムDA-3000にマスター音源を収録しました。悪いはずがないじゃない、と注文。
一方のCD層では、同じくハーフインチのマスターテープの音声信号をdCS905 ADCでPCM96kHz/24bitにA/D変換し、アビッド・テクノロジー社のPro Toolsハードディスクへ収録した上でCDフォーマットのDDPファイルを制作しました。SACD層とCD層それぞれの器に合わせ、松下エンジニアが丹精込めたマスタリングを施し仕上げています。
そしていよいよ到着。手持ちのCDと聴き比べ。意外にもCDの音質が抜け感で優る。高域の繊細な感じなどCDの心地よさに軍配を上げる人は多いに違いない。それに比べてSACDは聖母マリアの微笑みとでも形容したい、究極のおだやかさ。波ひとつない静かな湖面に音符が波紋を拡げていく。
絵に例えると、2.8MHzの精細な点描画(SACD)か、44.1KHzで荒削りな筆運びながら雰囲気を伝えるCDの違い。そしてどちらもよいと思えるところ。アナログレコード(LP盤)には、カートリッジが拾う信号のクロストークやアームの共振、RIAAカーブ特性を利用したカートリッジの周波数特性設計の相乗作用がある。これらの音楽に影響を与える要素をうまく相乗効果として活用したり相殺したりする現場の技術(ノウハウ)があったはず。
針の接触は無限小の1点ではなく縦に伸びていることから時間軸の重なりとなって、それがエコー感や逆相成分による音場をつくる。また、左右のクロストークは左右成分が交わることで生まれる疑似的な中央の定位感につながったのではないか。アナログの緻密さに追いついたSACDはアナログレコードさえ到達できなかったセパレーション、時間軸の歪みのなさ、絶対的なまでの低域の安定感や高域の可聴帯域外までの特性を従えて、歪みレス、クロストークレス、微少音からのダイナミックレンジで究極のなめらかさを備えたのだろう。
ただし、点描画がいつもいつも荒いタッチの絵に優るとは限らない。つるつるの麺(SACD)よりも適度にざらざらした麺(CD)が歯ごたえがあっておいしいと感じることがあるように。ソニー/フィリップスがコンパクトディスクの規格(収録時間、標本化など)を決める際に、ベートーヴェンの第九が1枚に入るために74分と設定した。そこから、44.1KHzの標本化周波数の決定や可聴帯域をわずかに越える高域限界などが設定されたCDというメディアが、偶然か必然かは別にして奇跡的に音楽のきめ細かさと迫力の両面をもたらす合理性を持つ規格になった。それゆえ40年続くメディアになったのだと。
SACDはほんとうに木綿のような有機的な肌触りで浸れるがCDの抜け感の良さは同等の魅力を持っている。We areのSACDとCDの聞き比べはそんなことに思いを馳せてしまう。(マニアックな話題ですみません)
追記
深夜の音楽は心に沁みる。この言葉だけで十分だ。いま聴いている装置を撮影してみよう。
音の出口はクリプトンKX-1。ビクターのSXシリーズの設計者によるもの。ドイツのクルトミュラーコーンに、ソフトドームツイーターを組み合わせたのがビクターオリジナルだが、21世紀では最新のリングドームツイーターを組み合わせたもの。箱は密閉なので低域の位相が乱れず音の濁りがない。それゆえ中域高域も明瞭なスピーカー。

ドイツの針葉樹の森から生まれた伝統のコーンはいまどき珍しい紙の素材。ウーファー素材の主流は、ポリプロピレン、カーボン系、ハイブリッド系に加えて金属素材なども見かけるようになった反面、紙はほとんど見かけなくなった。でも密閉型には紙のウーファーの素材の自然な響きが落ち着く。バビロンの時代からヒトが生理的に受け付けてきた木材や紙の醸し出す適度に豊潤で軽く抜けてくるところが生理的な心地よさにつながっている。

それを受けるリングダイヤフラムは高域の限界を伸ばすというよりは、可聴帯域内の輪郭をつくりつつ、密閉のウーファと中域を円滑につなげて声や弦を自然に再生させるねらいがあると思う。

プリメインは四半世紀使っているオンキヨーのD級アンプ。


この装置はどんな音がしますか?と尋ねられたら、「何時間でも浸れる音ですよ、でも細部を聞きに行けばいくらでも細かいところが見えてくる。森の奥の中に分け入ると、小さな 草や苔が見えてくるみたいに」。「それでいて音楽はよく弾んで有機的です。幸福感のある音ですよ」。
【音楽の最新記事】
- 5月になると思い浮かぶ楽曲 なつかしく何..
- 天性のギタリスト 朴葵姫さん、ヴィラ=ロ..
- SACDで聴くEACH TIME(大瀧詠..
- 小暮はな「ホタルの庭で」 しずしずと、..
- 昼も夜もPolaroid Loveres..
- サッちゃんとシャボン玉
- 倍賞千恵子 叙情歌全集 日本語の美しさを..
- アリスの音楽を素材を活かして(SACDハ..
- A LONG VACATION 20th..
- 80年代とAOR いつの時代でもそれを必..
- 18世紀の芸術家は21世紀に自由な精神を..
- フランスの高原の素朴な歌曲集 オーヴェル..
- 薬師丸ひろ子「古今集」〜ひといろに描かれ..
- 夜の静寂にピアノの弾き語り 言葉のまわり..
- 真夜中のSACDプレーヤー 静寂を満たす..
- 真夜中のCD再生
- 音楽を聴くホモ・サピエンス、言葉より前か..
- 松田聖子「レモネードの夏」を5種類の音源..
- 松田聖子「ユートピア」の音源を聞き比べる..
- 8センチのシングルCD、おぼえていますか..