2024年11月16日

A LONG VACATION 20th盤―30th盤―SACD盤を聴き比べる 


A LONG VACATIONは1981年3月に発売された大滝詠一のベストセラーアルバム。ぼくは初出(初回プレス)のアナログレコードを持っている。その後、CDの版違いが出る度に買いそろえて、40thは限定VOX(アナログやカセット、番外編とグッズを詰めた限定箱)で持っている。

今回は、20th、30th、SACDで聴き比べを行うこととした。SACD盤が発売されているのは知っていたが再生装置がなかった。このSACDはシングルレイヤー(SACD単独層)のみで、SACD再生機能がない通常のCDプレーヤーでは再生できない。ところが2024年にマランツのSACD再生ができる機種(SACD 30n)を購入してからは、毎日の深夜の音楽鑑賞(0時を超えてからの極小音量での再生)が日課となっている(ときどきはニッカのウイスキーも手元に置いておく)。

再生装置は、プリメインアンプがオンキヨーA-1VL、スピーカーがクリプトンKX-1で小音量再生、かつ省エネ再生に向いた構成。スピーカーと背面は1メートル以上空けていて音場が後方にも展開する(配線や端子の清掃などにも利点あり。それゆえオーディオ装置周辺にはホコリはない状態)。この装置では頭の位置が数センチ動くだけで音場と音像が変化する。
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頭の位置の固定は簡単だ。ヘリノックスのチェアワンという抜群に座り心地がよく、座ったときの耳の位置がツイーターのやや下で絶妙の高さになる。スピーカーにとってこのイスはソファのような吸音(阻害)要因にはならない。しかも座ると自ずと姿勢は固定される。アウトドア用のこのイスが生活空間でこそ快適なのはそこにある。身体を預けると軽量コンパクトな柔構造がしっとりと受け止める(うちにはソファがない、というか置かないようにしている。ソファは場所を取って清掃に手間がかかるうえに身体を保持する機能がない。ソファってヒトの活動性、創造性や動きの機能性を殺してしまうような気がする)。チェアワンには、柔軟性を保持しつつ束縛感のない安定感がある。お尻の位置はいつも同じで頭の位置もほとんど動かない。スピーカーとの距離は0.8メートル程度。このイスがなければ深夜の音楽再生は機能していない。純正オプションのゴムの球を脚に被せることでさらに安定感が増している。

アンプもCDプレーヤーも一晩通電している。再生前に部屋の清掃を行う。清掃後には音質が変わる(オカルトではないよ。やってみたらわかる)。CDは、再生前に静電気除去処理を行う。

比較する音源は1曲目の「君は天然色」。本番前の音合わせの間合いと合図があって始まる。これが空間の響きや静寂性の判断に使えるから。20th盤はバランスの取れた粒立ちの良い音、30th盤は声を中心に温もりのある音、SACD盤は浸れる音。20th盤は万能でヘッドフォンで再生するにも心地よさがあると思う。30th盤は声の厚みがあり、かつてのオーディオ装置でゆったり聴くのに適している。例えていうなら、20th盤はガラスの器で水が快活に揺れてきらめく音、30th盤は素焼きの陶器でやや粘りを持った水が躍動する音、SACD盤は器がなく水の塊が空間に躍動し水滴が飛散する感じ。

ところでこの楽曲についても感じたことを記しておきたい。「君は天然色」を初めて耳にしたときから、初めてでないような気がした。大滝さんのことだから、元曲(→The Pixies Three - cold cold winter)があるのだけれど、初めてに思えないのはそのせいというよりは、覚えやすいから。名曲だよね。でも、覚えやすいということは飽きやすさにもつながる要素がある。それがなぜなのか、自分でもわからなかったけど、数年前に腑に落ちたことがある。

それはサビの部分(想い出はモノクローム♪)が冒頭と同じ和声であること。サビの部分は「進んでほしい」と期待する聴き手の無意識な心理があるはず。ところがここで冒頭のコードに戻るので、なじみやすいけれど、どこか冒険をしないというか、安全運転に徹しているというか。

ところが、数年前に入手した30th盤に収録されていた「君は天然色」のオリジナルトラックを耳にして、あっと気付いた。大滝さんもサビで音を上げている(D→Eへの全音上げ)。これだとイントロ(E)と合うし、サビの独立感、浮遊感も出てくる。ではなぜDに下げたのか。高すぎて声に余裕がなかったと述懐されていたと思う。

すでにオリジナルトラックの録音は完了している。この楽曲にはピアノ数台をはじめ、多くの楽器が使われているので再録となるとメンバーを集めなければならないが、それは費用面でも日程面でも困難だったのだろう。大滝さんはハーモナイザーというピッチコントロールで、サビの部分を全音下げた(E→D)とのこと。

そこで導入とサビが同じ和音(Dのトニック)になった。この話はこれで終わらない。最後のコーラスのサビ前で、ハーモナイザーを早めに下げてしまった。「いまも忘れない♪」でA7からDに受け渡してそのままサビのはずが、「空を染めてくれ♪」でA7からCへと全音落として受け渡してしまった。ぼくの耳にはこれによって、大団円の終結感が出たことで、再度繰り返す最後のサビ(D)浮かび上がる効果となっていると思う。「君は天然色」だけをとっても奧が深いのだ。

再生音の話題に戻す。A LONG VACATIONのCDとSACDでは比べられない差がある、というのが結論。SACD(DSD1bit/2.8MHz)は声がピンポイントで定位する安定感と、効果音や伴奏の広がり(高さ、広さ、奥行きとも広く、眼前がぱあっとひらける)。アナログの広がり(音場感)とデジタルの音像感を合わせ持つので、デジタル信号でありながらCD(リニアPCM16bit/44.1KHz)とは似て非なる、しかもアナログではなしえない安定感は特に声(恋するカレン)の再生で感じた。チェアワンに座ると空間がヘッドフォンになった感じ。

ぼくは普段からBGMをかけない(特に仕事では)。講演やセミナー、重要なプレゼンテーションの前など集中したいときには音楽ではないせせらぎや野鳥の声、雨の音などの自然音を聴きながら呼吸を深く吐いて集中する。いつもいつも音楽が鳴っている状態は集中できないばかりか気が休まらない。それゆえ、音楽を聴くときは向かい合いたい。オーディオマニアとの違いがあるとしたら、ぼくは音楽のなかに溶け込んでいく感じ。音楽のほうも、この聴き手は何を聴いていると飛び込んでくる。するとだんだん音楽との同期が深まる(エヴァ的な)。それが音楽を聴く愉しみというか体験ではないかと思う。

SACD盤のA LONG VACATIONは、声はなめらか、楽器は艶やかで途中から比較試聴していることを忘れてしまった。大きく異なるのは声と伴奏の分離感、立体感。器の限界がなくなって音楽がのびのびと鳴っている。この音楽に哀しい思い出などないのに胸が熱くなる。亡き人、良き時間などが記憶の奥底で一瞬燦めくが、それが何かを確かめられず量子のように消えていく。CD初出時にこのフォーマットがあったら…と思わずにはいられない。

2024年夏には「EACH TIME」もSACDがリリースされたらしい。こちらはA LONG VACATIONよりもセブンスコードをより多用しているように思われ、DSD方式での音の広がり感がさらに効果的に響くのではないかと予想している。

A LONG VACATIONはいつまでもと結びたいが、かたちあるものはいつかは。それゆえなつかしく、愛おしく、切なく。
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→ A LONG VACATION 20th Anniversary Edition
→ A LONG VACATION 30th Anniversary Edition
→ A LONG VACATION 40th Anniversary Edition (SACDシングルレイヤー)

注)A LONG VACATIONのSACD盤は、シングルレイヤーなのでSACD再生対応の装置がないと再生できない。ハイブリッドSACDなら、CD層とSACD層のマルチ層になっていてCDプレーヤーでは前者の信号を読みとり、SACDプレーヤーでは後者の信号を自動判別して読み込むのですべての再生装置でかかるが、本製品はそうでないのでご注意を。
タグ:大滝詠一
posted by 平井 吉信 at 12:00| Comment(0) | 音楽
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