2024年11月02日

80年代とAOR いつの時代でもそれを必要としていた

ラジオのパーソナリティで出演している六角精児さんがAOR特集を取り上げた。六角さんは、フォークロックやブルース、カントリーが好きな人だから、AORとは水と油のような存在である(六角さんの気取らない「ディーゼル」は好きだな)。

AOR(Adult-Oriented Rock)は、1980年代に日本のレコード会社が洋楽を売り込むために仕掛けたキーワード。メッセージ性よりは洗練された音づくりで心地よさを訴求。当時でいえば、ボズ・スキャッグスビル・ラバウンティポール・デイビスラリー・リークリストファー・クロスクリス・レアなどがたちどころに思い浮かぶ。オーストラリアのエア・サプライもそうかな?

AORは和製英語で、演奏している当人は異国でそんなカテゴライズされているとは思わなかっただろう。あくまでレコードを売る商業的な括り方である。

六角さんが当時のレコードの帯のコピーにある歯の浮きそうなフレーズをいかにも茶目っ気たっぷりに読み上げる(自ら愉しみながらも視聴者を楽しませようという六角さんの演出だと思う)。若い頃、演劇の下積みに明け暮れていたとき「クリスタルな」雰囲気をまとった同年代の若者が聴いている音楽(生き方)には嫌悪感があったのだろう(余談だが「なんとなくクリスタル」の原作者の田中康夫さんが徳島に来られたとき、何度か会話をしたことがある)。

ところがAORの有名曲がかかると続々と視聴者からなつかしい、こんな思い出がある、家事がはかどるなどのコメントが続々と寄せられた。これには六角さんも苦笑い。

ぼくは、70年代が終わって和みの10年となった80年代がそうさせるのだと思う(ベルリンの壁が崩壊したのは1989年である)。描きたい世界を描き、それを若者たちが共感して聴いている。レコードとCDの両方のメディアが発売された時代(カセットテープもあった)で、音楽業界もお金や時間をかけることができた。

そんな時代背景からA LONG VACATIONのような音楽が生まれたのだと思う。日本では、山下達郎、寺尾聡、角松敏生、杉山清貴(ソロ)とオメガトライブ、小田和正(後期オフコースも)などもそのカテゴリー(21世紀にはシティポップと呼ばれるようになった)。

六角さんのコメントもほどけてきた。同じ音楽をやるもの同士だし、佳い楽曲もたくさんあったから。例えば、J.D.サウザーの「You're Only Lonely」。この曲が流れてくると、ああ、これだなって蘇る。こんな感情だよね、10代の頃の恋愛って。

JDはイーグルスやリンダ・ロンシュタットにも楽曲をたくさん提供している。ジャクソン・ブラウンなどとともにこの時代の西海岸の交友関係を音楽に映し出している。JDの音源って持っていなかったなと思ったのでCDを注文した(千円未満で買える)。
→ J.D.サウザー「ユア・オンリ−・ロンリー」

笑い話だが、当時の国内版のジャケットは、(むさくるしそうな)本人の肖像が大写しのオリジナルデザインから、日本独自仕様に差し替えられることが多かった。クールな風景写真やリゾート風のイラストに、帯にはコピーライターが意味不明な?台詞を並べていた。それはそれで当時の世相だったのだろう。

80年代は音楽産業に勢いがあり、日本でも「LA録音」などと称して西海岸で録音したアルバムが多く発売されていた。おそらく彼の地ではレコーディング技術については一日の長があったのではないか。六角さんも指摘していたが、音の良いレコードとしてドナルド・フェイゲンの「ナイトフライ」を取り上げていた。トラックダウンやマスタリングのノウハウがあるのだろう(オフコースが西海岸で録音した「We Are」などもそうだ)。

感覚的に解説するなら、好きなレコードのシングル盤などを買って針を落としたとき、整然と調えられた箱庭のように感じることが多かった。それに引き換えライブは荒削りでも勢いがある。演奏者の歌い方も違うし。でもライブといっても崩して歌う(特にアリスなど)のはぼくは好きじゃない。レコードと比較してグレードの違いを感じるから。単に演奏者や歌い手の力量不足ではないかという気がする(薬師丸ひろ子さんもコンサートでは決して歌い崩さないという)。

良いスタジオ録音とは、この箱庭感を取り除いて広がりや空気感、躍動を感じる。一方で演奏者によってはライブが良い場合も当然ある。録音でこねくり回していないことと、本人の技術の高さ、繰り返し聞かれるスタジオ録音と違って一発勝負での生命感が記録されて、臨場感あふれる名盤も多い。

ドナルド・フェイゲンは、グループとしてのスティーリー・ダンでもそうだが、音の粒立ちがよく、存在感があるとともに、そこから色気が感じられる。音像のまわりの空気が動く感じとでもいうか。
→ ドナルド・フェイゲンーナイト・フライ

久しぶりに手持ちでかけてみたのは、バーティ・ヒギンズ。日本では郷ひろみが歌った「哀愁のカサブランカ」の原曲があるが、それよりもアルバムの1曲目、タイトル曲の「Just Another Day In Paradise」からから4曲目のKey Largoまでの南国の避暑地の気分が横溢する進行が好きだ。それ以外の楽曲は惹かれないのだが、この4曲を聴くだけで満たされる。特にKey Largoは何度でもなごり惜しく再生してしまう。目の前に朗々と開けた大西洋の潮騒と男女のため息が聴こえるようだ。
→ バーティ・ヒギンズーJust Another Day In Paradise

AIR SUPPLYのレコードの帯には(六角さんも冷やかした)ペパーミント・サウンドなどとうたわれているが、ツイン・ボーカルはひたむきでもっとベタに楽曲の世界を歌い上げている。感じるのは、格好良さよりもひたむきさ。純粋なまでの想いがリズムに旋律に詰め込まれているが、あくまでもさわやかに流れていく。
→ AIR SUPPLYーLost In Love

国内では、山下達郎もデビュー数作の伸びやかな声と熱い演奏はもちろん良いが、よく聴くのは「Ride On Time」のようなヒット曲を携えながらも内省的な世界観で描いたスルメのように味わいが飽きることがない。

寺尾聡の「リフレクションズ」に至っては、どのクルマのカーステレオからも流れていたよね、当時は。90年代ぐらいからはミュージックビデオの全盛期となって、ミュージックビデオでプロモーションを行っていた。

AORの楽曲と向き合っているうち、六角さんも、これもいいなという相づちに変わってきた。いまの六角さんは、人気も根強いファンも名声も得て、人生を振り返る時期にさしかかっている。60年代、70年代、80年代、90年代、そして2000年以降もそれぞれの時代のなかで音楽は音楽で、それは時代が背景にあって(ときどきはいまの演奏家がかつての時代のオマージュを混ぜながら)そこで生きている人たちが聴いて欲しい、必要としている、ということだから。

80年代は音楽家にとって過ごしやすい季節であったに違いない。音楽にもその空気感が漂っていた。日本もそうだったように。
posted by 平井 吉信 at 19:17| Comment(0) | 音楽
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