2024年07月13日

夜の静寂にピアノの弾き語り 言葉のまわりで感情を伝える人(谷山浩子さん)


めっちゃナントカという言葉、いたるところで聞くけれど、どうなんだろう? 伝えたくないから使うの? 言葉で伝えられないのなら言葉にしなくてもいいし、言葉で伝えたいなら自分の気持ちの内面に気付いて(それを言葉にする作業は大切)。メッチャとか絶品とか使わずに感じたままを言葉にしてみたらいいと思うよ。それで伝わればいいし、伝わらなくても気にしない。

言葉による表現の限界と可能性を感じながら、言葉の可能性をぽんと置いて、こんな感じでどう?と微笑むのが谷山浩子さんなんだろうな。

知人がかつて谷山浩子さんを個人で徳島に招いて(確か「101人コンサート」と名付けていたような)、チケット購入を頼まれて行った記憶がある。

「カントリーガール」を知っているぐらいだったぼくがコンサートに出かけてよかったと思ったので、それからレコードを買った。「眠れない夜のために」と題したアルバムで、浩子さんがピアノの弾き語りをしている。深夜に小さな音でこのレコードをかけると、目を閉じて天空の旅に出るよう。ピアノは宇宙空間のひび割れのように空間にきしみとなり、そのまわりを声が追いかけてまわる。きらびやかなピアノの音色から電子ピアノかなとも思ったけれど、ヤマハのグランドピアノをオンマイク(ピアノの響板、ハンマーにマイクを近づけての録音)で録ったものかな。右手のタッチを強めにして。

レコード盤の「眠れない夜のために」は内袋に星座が描かれている
DSCF9278-1.jpg

声を聞いただけでわかるし、詩を耳にしただけでもわかりそうな人はそうはいない。楚々とした夢想する少女が表層で色は白とすると、愉悦的諧謔的な下層がある(黒とする)。しかも白と黒は汽水域の淡水と海水のように混じり合うことはないので灰色にはならない。「カントリーガール」は白の楽曲としても、こんな曲をつくって歌う人は田舎にはいない。作者のなかにカントリーガールをホログラム化する強い憧れがあるから、楽曲と歌に生命力があるのではないか。

言葉の選び方の感性が散文的かつ具体的それでいて抽象の世界を描くというか、短歌や俳句のように前置き(状況の説明)があって披露されるものと違って、谷山浩子の楽曲の世界に入ってしまう。
たとえば「青い海」、「白い雲」、「悲しい気持ち」などと紋切り型の形容詞を付けず、雲と発したら、それがどんな雲がどのように浮かんでいるか情景が見えてきそうで。そこにある行動や事象から感情の動きを共有できる世界観。そこから感情を共有するというか。

斉藤由貴さんに提供した「MAY」「土曜日のタマネギ」が好き。斉藤由貴の初々しさと10代の尖った繊細な表現力、舌足らずとためらい、その裏返しとして強い思いが明滅する。佳い歌い方、佳い楽曲だなとため息が出る。

それを作詞者本人が歌うと、霞が掛った白いヴェールに漂う少女のような世界観が漂う。斉藤由貴の実在感も、谷山浩子の耽美感もどちらも好きとしかいいようがない。それにしても詩の世界の行動(潜在的心象)が人の心を実像化させてしまう。こんな詩を体感してしまうと、ここ10年ぐらいのヒット曲の歌い手(=作り手)は、作詞で首をかしげる箇所が多すぎるので(誰と誰かはいわないけれど)。

2つのMAYに違いがあるとすれば、ワンフレーズごとに感情移入で異なる感情の波をぶつける女優の斉藤由貴さんと、音楽としての伸ばす音、伸ばさない音という楽曲の構造を大切にしながら歌としての構成を組み立てる谷山浩子さん。表現することで楽曲を語らせるやり方と、楽曲の素のままの良さを歌を通して可能性を広げるやり方の違いがあるとしても、どちらもすばらしいことに変わりはない。

表現の可能性と楽曲(の精神)を忠実に再現することを高度にやってのけた歌手を一人だけ挙げるとしたら、ちあきなおみさんだろうな。「矢切の渡し」がその典型。彼女の天才性はモノマネで代替できるものではないよ。

斉藤由貴さんに提供した「MAY」「土曜日のタマネギ」に「カントリーガール」のピアノ弾き語り版、初期の「猫の森には帰れない」(こんな歌の世界がほんとうにあるなら世の中はどんなに潤いのあるものになるだろうに)、「お早うございますの帽子屋さん」、「すずかけ通り三丁目」(ジョージ・ウィンストンの「December」の透徹した叙情のような)などが含まれている1987年発売のベスト「谷山浩子bestア・ラ・カルト」をまずは聴いてみてはいかがでしょうか?
DSCF9276-1.jpg
(もしかしたら入手が難しいかもしれない。その場合は代替できるベストがない気がする)

音づくりから耳に入る80年代の「シティポップス」と違って海外の人に入っていくには時間がかかるかもしれないけれど、日本人ならではのやわらかで繊細でそれでいて芯がぶれない世界観はいずれ理解されるような気がする。

でもね、売れる売れないって重要でしょうか? 世の中のヒット曲ってほとんどがつまらないと思っている。なくても生きていけるし、「なぜこんな楽曲が売れるの?」と思うことがほとんど。例を挙げると数百挙げられそうだから挙げないし、ぼくが佳いなと思った楽曲は売れていないことが多いけど。

このブログもここまで1814のコンテンツを自分なりに積み上げているけれど、アクセス数は伸びないし、それを目標とはしていない。だからSNSもやらない。売れれば正義、当選すれば正義、大勢が支持すれば正義、論破すれば正義、嘘を重ねてシラを切れば悪でなくなる…そんな世の中だから、谷山浩子さんを聴きたくなりませんか? ほんとうにやりたいことを、心のままにやり続けることはヒット曲以上に価値あること、精神の高みの愉しみそのものでしょう。

オリジナルアルバムを1枚も持っていないコアでないファンだけど、感謝の気持ちを伝えたくて。
谷山浩子さん、無理をなさらず、けれど、ご活躍をお祈りします。


posted by 平井 吉信 at 14:35| Comment(0) | 音楽
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。