樹木に上るって愉しいことだったな。近所に三条仲良し広場という遊び場があって、クスノキの巨木があった。いまでは撤去されてしまったが、フェンスと一体化されていたので、フェンスに上がってクスノキへとっかかる。幹は太くしっかりしているので子どもが乗ったぐらいではびくともしない。象が踏んでも壊れない筆箱などとJAROも驚く広告をやっていた昭和だった。
クスノキの前には小さな神社(社と鳥居)があり、その前にホームベースをおいて、ゴムボールで草野球をしていた。神社のコンクリート塀に大きなタイヤを立てかけて、そこに当たったら(かするのも含む)ストライクというルール(キャッチャーは要らない)。投球すると社の囲いにボールがとどまるので球拾いに便利(ときには社を直撃したことも。なんと罰当たりな)。でも神様は「よしよし」と見守っていたのではないかな。誰も大けがなどしなかったし。
普通はチーム(9人も必要なくその場にいる人数を按分する)で野球を行うが、ときおり1対1で行うのを「センバツ」(高校野球の春の大会とは関係ない)と名付けた。それは交互にピッチャー(守備)とバッティング(攻撃)を行う。ただし打っても走らず、飛んだコースなどで塁打を決めるもの。一定の枠内でゴロを捕ったりフライを捕球するとアウト。三振もアウト。当時はやっていた野球盤のようなルールだった。
例えば、距離が短い左翼側のフェンスを直撃すると、高さ(フェンスに横の線があって3層になっている)によって2塁打、3塁打、ホームランとしていた。ただしフェンスを越えると一気にチェンジとなる。理由は、草ぼうぼうの窪地にボールを探しに行くのをみんな嫌がったから。草をかき分けてボールを探すのが大変だしヤブ蚊が痒いし、蛇や毛虫、ムカデにナメクジと虫の巣のような場所だったから。
一楽君の球は速かった(高校では松西のエースになったと記憶している)し、身長が高い田中英司君は当たると飛ばすので、虫のいる窪地を越えて駅のホームに達することがあった。そうなると駅員さんに見つからないように線路内へ入ってボールを取ってくるのだが、見つかると大目玉を食らった。
「センバツ」で鍛えられるので誰もがピッチャーの経験があり、それぞれ持ち味の決め球があった。左腕井上君はコンパクトな腕の振りから制球力の良いカーブ、同じく左腕庄野君も変化球勝負。荒井君は横手からのスライダー(切れ味よし)、中川君はドロップ、松原君もカーブでなかったかな。ぼくもカーブ、スライダー、フォークを投げていた。
小さい子ども(それぞれの弟たち)も特別ルールで優遇して混ぜてみんなで愉しんだ。せみしぐれの炎天下でもクスノキがつくる大きな木陰で休みながら遊び、カンケリ、陣取り、ロクムシ、オンセンなども女の子も混ぜてやっていた。
地域には常緑樹の大木があって、周辺が子どもの遊び場となる例は各地にあったと思う。身心に多少の障がいを持つ子どもがいても、それらの子もルールを工夫しながら一緒に遊んでいたし、夕暮れまで遊んでいると誰かの親が迎えに来るか、ボールが見えなくなる。それを合図におひらきということになる。黒くなった手を洗ったら夕飯が待っていた昭和であった。
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(いつものことながら)前置きが長くなりました。
牟岐町では、出羽島アート展が開催された2015年のこと。牟岐川を遡った県道沿いで、笹見のムクノキと呼ばれる場所でアート展が開催された。その後はコロナ下で途切れることはあったものの継続的に開催されている。訪問した時期には人々が集まるイベントは終了していたが、いまも一部の展示物が残されていた。
大きな木の下に人々が集って何かをするのは、ホモ・サピエンスの遺伝子のなせる技ではないかと思う。この日に撮影した仕掛けがいつまで展示されているかは別として、人々を見まもってきた大樹とそこに思いを寄せる人々の時間を感じる。
国道から見える牟岐川と支流橘川の合流点。
ここから少し下流に潮止め堰があって、夏休みは家族連れで賑わう。
橘川は、鬼ヶ岩屋方面からの流れと胴切山に源を発する喜来川が合流した川で、合流点では牟岐川本流より水が多いのではと思わせる(向かって右から合流するのが橘川、左が牟岐川)。JR牟岐線の鉄橋がかかり、背景の田園を従えてのどかな風景。
牟岐川に沿う県道37号牟岐海南線を上っていく。牟岐川は河畔林に囲まれてテナガエビ、モクズガニ、ウナギが喜びそうな河川環境。
牟岐川右岸の里山の風情。初夏に歩いてみたら里の風情がきわまる
やがて県道の左側のこんもりとした丘に大木が枝を広げているのが見えてくる。
それが笹見のムクノキ。NHKの連ドラでも話題にならなかったのが残念だが、日和佐町を舞台にした「ウェルかめ」で主人公のロケに使われた場所とある。
かつても人が集まる場所だったが、アート展をきっかけに新たな活動が創造された。
近づくとおもてなしの仕掛けがある
階段が設置されてむくの木に上ることができる。子どもの頃、あのクスノキの上がったところに秘密基地がつくれないかと考えたことがあった
樹上にいるのは誰? きっと相手をしてほしいのだろうと話しかける
誰もいない木の上で風に吹かれている
かつて海部郡は、由岐、日和佐、牟岐、海南、海部、宍喰の6町があった。お隣の高知県東洋町を加えて海部7町(県をまたいでいるが経済圏からそう括れる)と呼ぶ場合もある。由岐、日和佐、牟岐を上灘、海南、海部、宍喰を下灘という。そうであれば、美波町に加わるという選択肢もあったが、海部郡6町のなかで牟岐は平成の大合併しなかった唯一の町。
そのかわり、若い人たちが入れ替わり立ち替わり動きが出ているように見える。その萌芽は、「NPO法人ひとつむぎ」にもあった。法人名には「ひとをつむぐ」「むぎでひとつになる」の意味が込められている。地元のおとなたちがつくった「特定非営利活動法人カイフネイチャーネットワーク」は、生態系への思いから活動されている。
牟岐大島の湾内には千年サンゴと呼ばれる巨大な長寿の珊瑚が存在する。その価値は計り知れず、有志が「千年サンゴと活きるまちづくり協議会」を設立している。
大竹組の柴田専務(当時)もビオトープに熱意を持って取り組んでおられたし、2000年には、地元漁協等が出資してスクーバダイビングの事業を行い、漁業者が関与して海洋レジャーと漁業の両立を図るという画期的なスキームで船出したが、2016年には活動を停止している。
牟岐町にはこのように意欲的な取り組みが多くある。経済効果には結びついていないかもしれないが、経済だけではかれない価値があるともいえ、活動を持続させるための立ち位置が難しいところである。
海部郡は、海山川が一体となった日本でも希有の場所で、その価値に気付いた人たちが移住して暮らす地域であり、潜在的な住みやすさは日本でも有数と思う(だからぼくも高校の頃から自転車での訪問も含めて数千回は海部郡に通っているのだ)
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