盆と台風が過ぎれば秋の風が吹く。もう扇風機は必要ないだろうと思う。音楽にじっくり向き合いたい季節がやってきた。
そんな昨今、知人が興奮した様子で「ベートーヴェンの良さがわかった」と連絡があった。コンサートに行ったらしく、何を聴いたかと尋ねると「交響曲第7番」という。ベートーヴェンの交響曲では身体がもっとも動く作品だろう。20世紀のロックのごとく。「ベートーヴェンはもっと暗いと思っていた」とも。
そうでしょうか? あれほど愉悦を発散する音楽はないと思いますが。魂を鼓舞するリズム。屈折とか鬱積とかではなく、世界の中心に自分がいて心が晴れていくヒロイックな旋律(愛を叫ぶ必要はありませにゅ)、それでいて静かに自らをみつめるような緩徐楽章の深み、一転してスケルツォでは高笑いをしてみせる無邪気さ。音楽に人間の輝きや寂しさを構築できた芸術家ではないでしょうか。
ぼくがベートーヴェンに私淑したのは(いまもだけど)10代の頃。当時はレコードだけれど、ベートーヴェンの作品に浸り研究し共感して、彼の作品を自分以上に理解している人間はいないのではと思えるほど。著名な演奏家や団体のベートーヴェンを聴いて「これは違う」「ダメだ、わかっていない」などと叫んでいた。まるでベートーヴェンが乗り移ったかのよう。
コロナ下で仕事がなくなったとき、野山に出てスミレを見に行った。野山を歩いて路傍の小さき花を見つけるたび、生きている喜びを感じた(だから不安はまったくなかった)。
夜は体系的にベートーヴェンに集中してみようと、ピアノソナタ全集(4セットある)であれば、全32曲を第1番から順に数日をかけて聴いて、次に別のピアニストでまた1番から始めるといった具合。これだけで1か月は浸ることができる。
ピアノソナタ作品101では、憧れと憂鬱が混じり合った法悦とため息を織り交ぜた詩情がくすぐる。ショパンだってこんな詩情は描けていない。でもご心配なく。いつものベートーヴェンで締めくくるから。日本人の女性ピアニストはこの作品によく合っているように思う(誰でもいいので動画サイトで検索して聴いてみて)。
その次は弦楽四重奏曲(中期以降ぐらいから)をリピート。
交響曲はいくつかの全集と単売を。愉しい田園などは10数枚あるので、ワルター=ウィーンの戦前のSP復刻から、ベーム/ウイーンのNHKライブやBPOとのスタジオ版、いぶし銀のブロムシュウテットやスイトナーの演奏、シューリヒトの一筆書き、アバドの美音、古楽器ではノリントンやジンマー、深く沈み込むフルトヴェングラーははずせない。
ベートーヴェンに浸る月日が定期的に訪れては洗われていく。心の友、終生変わらずつきあっていく音楽と思っていたので、知人のその言葉に「まだ入口だよ」と返答した。優越感ではないのだ。
(第7はわかりやすいから。おそらく1楽章の序奏から主部でヒロイックに打ちのめされたんだろう、2楽章の中間部で深い安らぎを覚えたね、3楽章のユーモアに身体が動き出しそうになったんだね、全曲聴き終わったら高揚と恍惚を覚えたのだろうね。ベートーヴェンの音楽は人類史上もっとも習慣性と癒やす効果の高い麻薬かな。人体に無害なのはもちろんのこと。
第7番で世評の高いカルロス・クライバー/ウィーンを聴いてもピンと来ないところがある。彼はこの楽曲に呑み込まれてオーケストラを制動できていないように感じるから。でも実演ならクライバーは聴いてみたかったな、好きな指揮者だから。でも、ぼく自身は9つの交響曲で第7はもっとも聴く機会が少ないけど)。
これからこの深く魂が喜ぶ音楽の森を逍遙する歓びを味わえることがどんなに幸せなことかという励ましを込めたつもり。真夏のベートーヴェン、おすすめです。
タグ:ベートーヴェン
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