2023年08月13日

棚田の夏 赤松川流域の里山を歩く(夏休み特集その1)


8月11日の徳島新聞で赤松地区の特集があった。焼き物の栂瀬窯や「赤松のとうふ」の大西とうふ店などが紹介されていた。ローカル新聞の良さはこんなところにある。歴代の社長や論説委員、記者の方々を存じ上げているからというのもあるけれど。

さて、このところ阿南市南部の地区から由岐の田井ノ浜にかけて集中的に紹介している。由岐に隣接する日和佐(北河内や山河内も含めて日和佐川流域)で流域の異なる赤松(那賀川流域)は別格の地だ。農林水産省の「美しい日本のむら景観百選」にも選定されている。

ぼくも赤松には格別の思いがある。子どもの頃に親父にアユのドブ釣りに連れてこられたのは那賀川との合流点付近。その頃は阿南市新野町から鷲敷町へ抜ける国道195号は難所であった。川口ダム河畔には「めんやど」というおでんやうどんを食べさせる大衆食堂があり、名物ばあさんが切り盛りしていた。

中学になれば集落の中心にある円通寺で通っていた私立中学の二泊三日の勉強合宿(高卒のぼくが教養や判断力に事欠いていないのも英才教育あってのこと)を行った。朝は校長の講話や自習など、午後からは近くの赤松川で水泳をしていたと記憶している。その場所はこの日も家族連れが水遊びをしていた(ただし当時と比べて赤松川の水は減少し心なしか濁っているようにも見える)。

10年以上前には海部郡内の商工会女性部とともに郡内の観光施設を回る際の案内役を務めたが、日和佐うみがめ博物館を訪れた際の館長の岡本さんのていねいかつ誠実な応対に心打たれてブログに書いたことがある。岡本さんも赤松のご出身である。赤松には庄屋を務めた岡本家があるが、その縁の方だろうか?

調べてみると、岡本家は南北朝時代の守護職赤松円心の孫にルーツがあるとのこと。六百年以上昔に播磨国から赤松地区に入って開拓し、1450年頃に円通寺を建立。円心に通じるというので円通寺と名乗ったのかもしれない。江戸時代には14代当主が名字帯刀を許されて岡本姓を名乗ったという。

円通寺とともに集落の中心にあるのが赤松神社。円通寺から少し上がった丘の上にある。赤松神社では秋になると吹筒花火の奉納が行われる。神社の手前には明治6年に創設された赤松小学校があったが2010年3月に137年の歴史を終えた。小学校跡地は防災拠点として整備され、宿泊もできる赤松分館として生まれ変わった。

→ 祭りドキュメンタリー#14 徳島県・赤松神社奉納吹筒花火(外部リンク=動画)
→ 伝承と祈りのヒカリ  徳島・赤松神社奉納吹筒花火(外部リンク=動画)

神社の奥には赤松中学校があったが、ここも1974年3月に閉校して基幹集落センターとなっている。野田地区の赤松郵便局、大西とうふ店、赤松中央橋、阿地屋地区の円通寺、赤松神社にかけての1km圏内が赤松地区の中心地となっている。

ここから赤松川上流にかけて遠野、影野、新家、原尻の集落が連なり、さらに上流の川又地区で赤松川は天狗谷と杉山谷(本流筋)に分岐して八郎山の源流部をめざすことになる。

一方で阿地屋から下流は新発口(しんぼちぐち)、高瀬と続き、赤松トンネルの途中で那賀町(旧相生町)の向原となる。ややこしいのは那賀町内に向原が別の字であるので、地名では那賀町雄向原(なかちょうおんどりむこうばら)となる。この集落にとくし丸が立ち寄った際に集落の方々と立ち話をして「このあたりで珍しい植物を見かけたことはありませんか」と尋ねたことがある。そのとき、とても素敵な女性がいて教えていただいた。

蛍の名所、支流の舞ヶ谷を過ぎれば赤松川は渓谷状の地形となって向原から2〜3kmで那賀川本流と合流する。写真では訪問した順番で合流点から遡ることとする。

台風の影響で雨が降り、合流点の直上流にある川口ダムが放流している。本流は黄濁しているが、赤松川からの水は澄んでいる。
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この水を求めてアユが逃げ込んでくるのだ。小学生のぼくも毛鉤でアユをかけたものだ。

向原下のバス停から見える棚田は「美しい日本のむら景観百選」を想起させる。向原地区は赤松川の蛇行に沿って形成されたU字型の道の中心部にある集落。その中心部にある向原のバス停にとくし丸がやってくる。
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形容する言葉もない棚田の景観
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赤松川は増水しているが濁ってはいない。
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棚田ではないが、赤松川の蛇行がつくりだした河岸段丘上もしくは谷底平野に展開する田んぼ
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川へ向かって降りていく
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急角度で下りきった先に潜水橋がある 軽トラックでないと難しそうだ 
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しばらくこの潜水橋で涼んでいく
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この日の赤松川の流れは早い
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河畔の水辺にはトンボが多い。この日は望遠を持ってきていないので近寄れないけれど
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潜水橋から水面までは手が届く距離。カメラを水に落とさないように水面に近づける
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赤松中央橋で左岸に渡る(川は上流から見て左右を区別する)。北流していた赤松川はこのあたりで東流する。中央橋の上流は赤松川の水遊び銀座。この日もいくつかの家族連れが出入りしていた。初夏にはネムノキが咲く河畔
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左岸の栗作地区の棚田
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棚田の水路が木陰に涼やか
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棚田の切れ目に赤松川が流れる。棚田は河岸段丘上にある
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道路上にトンネル上となっている生け垣は集落の人の遊び心
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赤松川が河畔の緑を映す。青空と河畔林が水面に投影している。若草色、若苗色、翠色、山藍摺、深藍色…和名ではどんな色がよめるかな。
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地区中心部に戻って赤松神社へ上がる。防災拠点で宿泊施設としても活用される赤松分館。ここが赤松小学校の跡地。館内にも内風呂、外には五右衛門風呂があるようだ。
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最後の卒業生の手形が石に刻まれている
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代々の卒業生を見守る二宮像
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木陰の参道の向こうに赤松神社。その手前の広場で吹筒花火が奉納される。
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かつての中学校跡地の基幹集落センターを見ながら奥に延びる散策路
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丘から阿地屋の集落を見る。道路より田んぼが高いところがおもしろい。集落の中心を抜けるこの道はやがて新道へと接続する。その道路をとくし丸のトラックが走っていく。向原地区での夕方の停車時刻が近いのだろう。
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赤松の集落も稲穂が実ってきた。こうしてみると町内の他地区(北河内など)のような耕作放棄地が少ない(ほとんどない)ことに気付いた。集落の人々の力というか、代々この地に住んでいる誇りがそうさせているのではないかと。
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今年の収穫の時期も近い。豊年満作を祈願して帰路に着く。
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(X-T2+XF14mmF2.8 R、X-T30+XF35mmF1.4 R、X-T5+XF23mmF1.4 R、XF60mmF2.4 R Macro)
posted by 平井 吉信 at 21:16| Comment(0) | 山、川、海、山野草
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