2023年08月11日

入道雲遙か さよなら夏の日


「さよなら夏の日」は山下達郎の名曲。
10代の頃、ガールフレンドととしまえんのプールに行って雨に降られたことがモチーフとなっていると聞いたことがある。けれど都民の思い出のとしまえんも2020年8月31日で閉園した。

青に浮かぶ入道雲は空と海の境目を消して軽々と青を浮かべては深沈と青に沈む。
焦燥感と大胆な行動が隣り合わせで、できないことだらけなのに、できないことなどないと思える日々の象徴。広げては広げてさらに広げたくなる。それは無茶かもしれないが、広げなければ生きていてもつまらない。どんなに青くてももっと青くても(だれかが言っていたね、「愛してるの言葉だけで強くなれる気がした」って)。
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時代とともに色が薄れていくけれど、みかけの青の後にあるどっしりとした階調が見え始める。
分別というよりは本質、できないことができていく代わりに、できないことは増えていく不思議。
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さらに色は淡くなって忘却の彼方に沈んでいくけれど、できることが少なくなる。でも絞り込んでいくと、見つめる視点は深く、それなのに視野はさらに広がる。
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この海の深さは比類のないもの。動けなくなるほど。
遙かな入道雲は生きてきたみちを地平線に投影して見るようだ。

(美波町志和岐にて。フジX-T5+XF60mmF2.4)

写真を撮るって愉しいよね。心が感じたときにシャッターを押しているという感じ。そのときにカメラを無意識でダイヤルを回して絞りやシャッター速度、ISO、フィルムシミュレーション(画質設定)に触れている。一連の儀式のような操作がまた愉しい。スマートフォンでは永遠に追いつけないヒトの官能性に訴求するところ。「映える」画は見ていて疲れるだけ。AIでつくりこんでいない画は心にすうっと入ってくる。
 
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posted by 平井 吉信 at 22:14| Comment(0) | 生きる
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