2023年07月18日

バスが走り去り土埃が舞う小径をいつ果てるともなく歩く子ども時代のように


舗装していない小径はいまでも探せばある。ぼくが子どもの頃は国道だって舗装していない区間があった。国道55号線、国道193号線(海部川から神山まで)なども。

それでも田舎に出かけて里山を逍遙していると、舗装していない小径は割と見つかる。そんなとき、道に誘われるようにたどってみる。悲しいかな、そんな道がずうーと伸びているということは少なく、やがて行き止まりになったり、山道に溶け込んだり。大きくない川沿いの土手とか、里山の神社に続く道とか、ループとなってまた戻ってくるとか、だいたいそんな場面が多いように思う。

土のみちに惹かれるのは、幼い頃の記憶が郷愁を奏でているのかもしれない。例えば、母に連れられて里帰りは実家近くのバス停で下りる。バスは土埃を巻き上げて走り去る。子どもにとっては退屈するほど長い距離を歩いてようやく里に着く。あのときのせみしぐれ、桜並木、用水路、彼岸花、路傍の地蔵、製材所の木の香りなどが渾然となって蘇るからではないのか。

前置きが長くなるいつもの悪い癖。さて、とある小さな川のほとりからこんな小径に入り込む。
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道の途中で出会う草花や生き物を見つけながら、ジャッジャッジャッと歩みを進めていく。
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里山は遠きにありて思うもの、ではなく、そこにある小宇宙を見つける愉しさに満ちた場面。
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タグ:里山
posted by 平井 吉信 at 00:15| Comment(0) | 山、川、海、山野草
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