2023年07月17日

街が壊れ社会が壊れ 現在から未来が消える日本


きょうもスーパーで買い物の帰りに生まれた街を遠目に見る。子どもの頃の街は、こうだった。
自宅から徒歩3分圏内に八百屋と市場が5軒あり、良く買う店はあるが、どの店でも分散して買うようにしていた。

徒歩5分で映画館が2軒あった。同じく5分ぐらいで本屋が2軒、ひとつは5階建て、もう一つは広めのフロアの2階建て。駅から歩いて帰るまでに天文学の専門書を立ち読みすることもできた(子どもの頃は天文学者になりたかったので)。

子どもが遊べる土の広場が徒歩3分で2ヶ所にあり、ひとつは樫の大木と神社を従えていた。もうひとつは時計台と森とブランコがあった。草野球、ろくむし、温泉、缶蹴り(すべて子どもの野外の遊び)をするのなら前者、かくれんぼや虫取りをするのは後者、そしてこの2つを組み合わせれば陣取りもできた。陣取りは遊びの総決算、ロングバージョンともいえるもので、知恵と冒険と協力、組織としての戦略などを折り込んでなおかつ体力を要求する究極の遊び。

この2つの公園の間を線路が横たわる。遮断機を下ろすのは人の手で丸いハンドルを回して上げ下げする。そして長く連ねた客車がいつ果てるともなく踏切を過ぎるのを待たなければならなかった(10両程度はあっただろう)。

2つの公園の間には駅が2つあった。駅と駅の間隔は60メートルぐらいだが、それぞれ別の駅名とプラットホームと利用者層まで違っていた。日本でもっとも短い国鉄の路線でなかったか。

前者の駅は四国に航路でやってくる人たちが乗降する駅、後者の駅は市内から放射状に集まる道の交点にある生活者の駅。中学生になってこの駅から7時7分発の快速列車で私立中学へ通っていた(当時は13分の乗車時間であった。いまは20分以上かかるだろう。時代とともに速度が遅くなったのか?)。この線路は昭和の終わり頃に廃線となった。

いつもこの時代が今より良いとは思わない。川や海には公害があり、タバコは飲食店でも職場でも、職員室や病院でも吸っていた時代。ぼくはこの臭さが嫌いで人生を通じて1本も吸ったことがない。興味のないことをやらないことで、やりたいことに全力を注げるという生き方は子どもの頃から。

昭和の終わり頃として、平均的な給与はいまと同じか高かった。消費税はなかったか、あったとしても3%だった。田舎の工業高校やら普通科の高校を出て就職した若者が、アルマーニのスーツやツインカムエンジンの車、高級オーディオ(ヤマハのNS1000Mなど)を買っていたよ。

物価は明らかに安かった。円は安かったが、やがてその価値が上がり、ぼくが記憶しているガソリンは80円台(いまの半額ではないか)ぐらいで入れられた。円が高いので大学生がバイトで小銭を貯めては外国旅行へ普通に出かけていた。

郵便局に10年預けたらほとんど倍近くになって戻ってきたよ、1年間100万円を預けたら7万円の利息がもらえたよ、などというとウソのようだが、ほんとうの話。金の延べ棒だって1グラム1000円少々で買えたから(いまは1万円近いのでは?)。

小さな八百屋や電気屋、氷屋、薬局を営む世帯の子どもも大学へ通えた(うちの近所の薬局の息子はNHKの記者になってテレビで何度も見かけた)。自転車がパンクしたら、直してもらえる自転車店は子どもが押して持参できる距離に何店もあった。刃物が切れなくなった、ミシンの調子が悪く油切れかも、というときにすぐに小さくても専門の店があった。餃子を食べたい、中華そばやラーメンが食べたい、すしが食べたい、うどんが食べたい、お好み焼きが食べたいと思ったら電話ですぐに持ってきてもらえた(Uber Eatsがなくてもどこの飲食店も近所の出前はやっていた)。

いまはどうだろう。金持ちはうんと金持ちになったが、中流以下の大多数の世帯は貧乏になった。消費税は10%になり、しかも数年以内に20%程度まで上げようと目論む勢力がいる。小規模事業者にも課税するインボイスは実は大企業にとっても厄介な制度。デザイナーや著述業、フリーカメラマン、アニメーター、声優などクールジャパンなどともてはやされた人たちの廃業の危機があと数ヶ月に迫っている。

今や国民の所得に対しての税負担率は50%を超えて60%に達しようとしている。これだけの税金を納めたら北欧のようにゆりかごから墓場まで暮らしを保障してもらえるのかというと、そうでない。

ことあるごとに自助努力が大切と称して弱者を切り捨てていく。国に寄りかかる人たちは甘えているという考え方。しかし大半の人は努力を重ねても報われない。なぜそんな国になってしまったのか?

納めている税金は一体何のために使われているのか? どこにお金が行っているのかを国民が知ろうとしない限り、今の政治家たちは喜んで政治家を続けるだけ。

理想の国を作るには税負担をどのように設計し、どのように再分配を行うか、増税一辺倒の政策なき欲望に国民は声を上げなければ、未来はおろか現在も壊れてしまう。

誰も喜ばない制度として、マイナカードの紐付け(個人情報は芋づる式に紐付けしてしまうとたった1枚のカードからの漏洩でその人の人生が終わりかねないリスクがある)はやってはいけない。ただ残念なのはマイナカードを返納してもしくみはなくならないので自分の知らないところで自分の個人情報が漏れている怖れがある。この制度はいったい誰のため? 

サラリーマンの通勤手当などにも課税されるという。しかし国会議員はタダで公共交通機関に乗れるという。身を切る改革とのたまうどこかの知事のように1日の出勤で100万円をらえるかもしれない。

経済政策も間違えている。株価を上げる政策(カンフルを打たなければ上がらない)ではなく、株価が上がる政策をやらなければならない。それは国民一人ひとりが幸福を感じられる社会をつくること。それが内需の拡大、未来への夢を実現する行動を呼びおこし、科学技術や学問の世界で羽ばたくことができる。まずは格差をなくすこと、貧乏を根絶すること、生まれながらの不利なスタート地点を全員同じ場所に立たせること。

心理学では常識だけど、人は幸福感がなければ成功することはできない。成功するから幸福になるのではなく、幸福は成功の出発点ということ。だからまずは国民を幸福にすること。幸福とはなにかを定義して、その実現の処方箋を明らかにして、全力を傾けること。それが政治だろう、

その最初の過程で株価は下がるかもしれないが、それはこの国の実態経済なんだから仕方ない。しかし時間とともに株価は自然体で上がっていく。アベノミクスと黒田バズーカでの低金利政策・円安誘導は経済の衰退を加速してしまった。

つまらない政治の世界であるが、選んだのは有権者。無関心や知ろうとしないことで自分も周りの人間も社会も未来もダメにしてしまう。勉強すればいまの政治がやってはいけないことばかりをやっているのはすぐにわかる。偏った情報を鵜呑みにせず曇りのない目で世の中を見て欲しい。

このまま政治家に勝手なことをさせていると、幸せな国民が住む国には戻せなくなる。しかし処方箋はある。大企業も農家も子育て世帯もおひとりさまも高齢者も身障者も等しく幸せになれる。そんな方策はある。

結局、政治に期待するorしない(それは傍観者、評論家のコメント)ではなく、自分たちがつくっていく社会を、ありたい未来を描いて、それに近づける誰かに託すことからやっていくしかないではないか。
(マグマが溜まったら毒を吐かなければやってられないのでご勘弁を)
posted by 平井 吉信 at 23:43| Comment(0) | 生きる
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