ドラマは万太郎が東京大学の植物学教室のドアをノックし、小学校中退を蔑まれながらも熱意で教室への出入りを認めてもらう場面にさしかかった(その決定を行う教授には実在のモデルがある)。
22歳の牧野の才能はすでに誰もが認めるものであったのだろう。富太郎は数年後に「日本植物志図篇」の発刊を開始する。この資料は言語の記述では伝わらない情報を生態を伝える画として著したものでその精緻な技巧と観察眼は素人でも声を上げるほど。新種ヤマトグサを発見して日本人として初めて学名を付けたこと、江戸川での世界的に稀少なムジナモの発見(特に花の開花は牧野が世界初の観察となった)、郷里に近い横倉山でのコオロギランの発見などめざましいものであった。
新牧野日本植物図鑑の出版元の北隆館からは牧野の画が公開されている
コオロギラン http://www.hokuryukan-ns.co.jp/makino/coma1.php?no1=3676
ヤマトグサ http://www.hokuryukan-ns.co.jp/makino/coma1.php?no1=1813
ムジナモ http://www.hokuryukan-ns.co.jp/makino/coma1.php?no1=1513
日本は世界でも希に見る多様な生態系を持つ地区で、もし地球から日本列島がなくなれば、地球の価値は大幅に減じるのではないかと思われるほど。温帯モンスーンを中心にマグマの活動が生んだ複雑な地形と最終氷期からの移行で日本の植物相は世界でも有数の豊かな場所となっている。明治の文明開化も牧野にとって追い風となったことだろう。
横倉山は安徳天皇陵墓参考地となっている神秘の山で花崗岩質の湿潤な森である。赤道近くの珊瑚礁の大陸が移動して形成された特異な成り立ちで1,300種類の植物が自生し、この山固有の植物も少なくない。そんな場所が牧野実家から14kmの場所にあったのだ。
→ 越知町の横倉山自然の森博物館を見て横倉山を歩く
当初は熱心な若手研究者として門戸を開いた東大教授は牧野の活躍を快く思わなくなったのだろう。牧野は学生でも助手でもなく、ただ研究室に出入りを認められた市井の研究者という立場であり、標本を見せてもらうのは特別な扱いであった。けれど、そこに名声への嫉妬や学歴を持たない牧野への複雑な感情や自身の保身の意図があったことは推察できる。最高学府黎明期の進取の気風とともに象牙の塔が芽を出し始めているのが興味深い。
東大の研究室を追われた牧野はロシアへ渡ることを決意する。ロシアにはマキシモヴィッチ博士がいた。マ博士は日本でも助手を雇って(外国人が港を離れて日本の領土奥深く立ち入れない)数年に渡って日本の植物を採取するなど、日本列島の植生に注目していた。学名を付けるには標本が必要で、新種と認めた植物の学名(ラテン語)を付ける際には日本の研究者はマ博士に頼らざるを得なかった。牧野もそれまで幾度か標本の鑑定を依頼していたので、マ博士に近づくのは双方にとって利点があったに違いない。
マ博士からの返信を心待ちにしていた牧野のもとに意外な報せが届く。マ博士はインフルエンザに感染して亡くなられたというのだ。
マ博士が健在であれば、日本の植物相への研究の深化もなかったかもしれない。牧野はロシアに永住するつもりはおそらくなく、佐川と東京を行き来したように、東京とロシアを行き来する生活を想定していたのではないか。しかしほどなく牧野の実家の酒蔵は経営が立ちゆかなくなり人手に渡ることになるので渡航費用の捻出も難しくなっていただろう。
ドラマで万太郎は熱弁を振るう。植物を好きという気持ちは誰にも負けないと。学問や研究の本質を説き、アカデミズムを批判する万太郎の演説に胸のすく思いをした人もいるだろう。10代後半に郷里で自由民権運動に心酔したことも重なっていたと思われる。
牧野のロシア行きが消滅したのはマ博士の死去とともに件の東大教授の学内での失脚があったという。牧野富太郎の才能が輝いているのは熱意(80代を過ぎて毎晩2時まで標本づくりをしているというのだから)もさることながら精緻な植物画だろう。
後年の図鑑においては専門の植物絵師に描かせたのだろうが、こと生態画については余人の追随を許さない。NHKがかつてその画力の深さを8K高精細画像で解析したことがあった。
→ 8Kスーパーハイビジョン映像が捉えた牧野富太郎のすごさ
この牧野の凄さを手軽に実感できるのが高知県立牧野植物園が発刊している「牧野富太郎植物画集」だ。彼の描いた精緻な植物画をクリーンナップして(一部は原画が当時の最高級絵の具で描いた水彩あり)掲載されている。ぼくも手元に置いて眺めている。牧野図鑑とはまた違った画そのものを愉しむ意図で発刊されている。
先にご紹介した高知新聞社の「MAKINO」も地元高知の牧野好きが結集してつくられた愉しい読み物で博士のイラストも多数掲載されている。「らんまん」の放映が決まる前の2014年に発刊されたものだが、マキノ愛に溢れている。しかしそれでいて冷静な視点を外しておらず、このあたりは新聞記者ならではの客観性が活かされている。特に郷里の妻 猶さんと東京での妻 寿衛さんの二人の女性がいなければ博士の研究はなしえなかった。牧野称賛だけではない書き方も好ましい。牧野植物園のスタッフも尽力しているが、牧野が好きで好きでたまらない地元の人たちが清濁併せ持つ牧野像を記した好著。現時点では入手が困難となっているが、いずれ増刷もあるのではないかと期待している。
2023年3月になって高知県立牧野植物園から植物画集の最新版が発刊されている。こちらはまだ購入していないが期待できるのではと。
「牧野富太郎の植物図鑑」(高知県立牧野植物園 監修)
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