前投稿でご質問をいただいた。「課題解決は重要ではないのか」と。
重要か重要でないかの回答ではないので補足します。
ここ数ヶ月、そのカテゴリーで日本一という中小企業の変革をサポートしている。経営は優良で社員も超優秀で全方位で抜けがなく、これまで見てきた中小企業のなかでも課題解決力はトップクラスである。しかし優良企業だからこそ課題は深いともいえる。
課題を解決する前に吟味すべきことがある。その課題はほんとうにいま解決すべきことなのか? もしそうとしても優先順位はどうか? いまはその時期か?
こうした吟味がないまま課題に取り組むと、場合によっては組織が疲弊してしまう。ありがちなのは、狭い範囲で部分最適化が図られることになるが、それが全体と融合しない。
例えていうなら、ABCという3つの組織(機能)があったとして、それぞれ点数を付けると3点、2点、4点であったとする(総和は9)。そこで2点を3点に改善するとよかろうと誰しも考える。そして3+3+4=8ということもありえる(組織全体の成果は変わらないがヘタをするとマイナスになる)になってしまう。これが部分的な最適化が全体の最適化とは限らないという意味である。
適切な課題が設定できれば、これが3+3+4=12、もしくは3×3+4=13のように相乗効果が現れる。従っていま私たちが取り組む課題は何かを抽出する力こそが大切である。景気が悪いからといって商品券やポイントをばらまいたとしても一過性に過ぎず、単なる選挙の票取りで終始する。いまやるべきは減税であると看破できなければいくら補助金や給付金を連発しても人々の心に安心はもたらさない。
このような時代のリーダーシップに、トップの思いつきでマスクをばらまいたり、必要性の薄い事業を急きょ始めたりしても、それが地域全体としてはマイナスのエネルギーを生み出す結果になるだろう。やってはいけないことを見極め、やらなければならないことを的確にやっていくこと。そのためにあらゆる知恵やデータを集めて地域が納得できる意志決定を行えるしくみをつくることがリーダーの役割である。地域の力を活かすことができない「ワンマン」「思いつき」「対話の拒否」「トップセールス」は論外としても「政策のばらまき」は資源のムダづかい。誰が知事になってもこの地域をどうするかという理念に基づいて、どのような取り組みが必要かを見極める課題設定力こそがカギであるということ。
追記
徳島では、魅力度、知名度、宿泊者数、交通網の整備などのランキングで全国ワースト級であることが示されている。とりわけ観光分野がそうであるが、県民や識者のコメントを見ると「アピールが足りない」などの意見が出てくる。
それではアピールとは何か? 誰に向かってどのような価値を訴求するのか。そこを掘り下げないと意味がない。よそがやっているからとインフルエンサーマーケティングや動画投稿などを行っても露出度が増えるだけで(それも疑問だが)実際には足を運んではくれない。
そもそもアピールが必要かという論点が出てくる。さらにいえば「県民は徳島の魅力をどのように捉えているか」にまで遡る。「徳島は何もないので…」というコメントが目に付くが、この論点だけ取っても、県民が徳島の魅力を見えていないことが明らかである。自分の住んでいるところが魅力的でない、何が良いかわからない県に、いくら電通にお金を注ぎ込んだとしても人は来ますか?「人を集める」のではなく「人が集まる」行動が必要と思いませんか?
このブログには本投稿前までに1598のコンテンツがあり、そのすべてがそうではないにせよ、ぼくが感じた魅力や良いところをお伝えしている。これまでにこれらのコンテンツを見て移住を決めて実際にいまも住んでおられる方々が少なくない。連絡をいただくことなく移住したり、訪れたりされたかたは把握する術がないが相当いらっしゃると思っている。
徳島の魅力は、ハレ(非日常)とケ(日常)でいうなら「ケ」の良さであると思う。確かに鳴門の渦潮や祖谷のかずら橋や大歩危小歩危はすばらしいが、それが四国4県のなかで際立っているかといえばそうでもない。
その代わり、徳島には全国有数の川がある。その川は人々の暮らしを育み、明治初期には全国有数の富める都であった徳島市。それも吉野川の洪水がもたらした藍に起因する。全国一のスジアオノリも同様である。世界中の川を見てきたカヌーエッセイストの野田知佑さんがなぜ終の棲家を日和佐にしたのか。それはほんとうに良い川は南四国(徳島と高知)にしかなく、交通の便の良い日和佐に決められたのだと推測する(野田さんについては雑誌の取材などのロケハンで県内の川を案内したことがある)。
県南部にはウルグアイラウンドの補助金で宿泊施設等の整備が行われてはいるが、収容人数はあまり多くない。しかしその海山川が持つ潜在的な可能性が大きいため、2007年に県(徳島県南部総合県民局。このときの職員は自らがサーファーであったり県南部の山野を誰よりも知る職員が集まったことで実現できた。当時の局長とも深夜まで議論したものだった)とともに「南阿波アウトドア道場」というコンセプトを作成し、体験型観光の先にある野性的なコンテンツを提案。癒しを求めて…のような生ぬるい考えではなく、県南部の自分の限界まで挑戦したときに見えてくる風土、そして自分に出会うことでほんとうの癒やしとなることを訴求したものである。
陸に目を転じれば、関西の食の供給源としての野菜や果物、柑橘類に恵まれている。直売所やスーパーの直売コーナーで朝採れが安く手に入るのも徳島ならではである。
内湾性の瀬戸内海と鳴門海峡の複雑な潮流による撹拌、川がもたらす砂やミネラルが育むハモやアシアカエビ、そして黒潮流れる県南部ではイセエビや磯魚、海藻類、回遊魚が採れる(近年は磯焼けが深刻である)。
このような徳島の真の魅力は川がもたらす風土(川と人々の暮らしの営み)であり、川のミネラルがもたらす恵みと癒やしである。このことは国立国会図書館にも蔵書されている「南阿波海部の新しい波〜エコツーリズムによる地域づくり」(1999年)で提案している。
行政は全方位の問題に対応しなければならないことは理解できるが、それは組織のかたちからも明らかである(○○課の仕事をつくるための事業)。しかし県全体で考えれば、困っている人や事業所の救済と、強みを伸ばすことだろう。そのように予算を立体的に編成する必要がある。もちろんその前提には県をこうしたいという揺るがない理念がある。
その理念に沿って政策を行う前提では継続性を重視という発想からも離れてときに議会などと対峙しても続けていく信念と覚悟が必要である(それが思いつきや暴走にならないための課題設定力である)。
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