2023年01月23日

アグネス・チャン「ぼくの海」 帰る場所がなくなっても……


アグネス・チャンが「ひなげしの花」でデビューしたときは衝撃だった。
歌い出しの躍動するスタッカートのリズム(ものまねのネタにされた)とサビのレガートの対比。透明感あるメゾソプラノの声で♪の間をスラーでつなぐと天使が降りてきたみたい。鈴虫の声のようにキュンと通り過ぎて、首をかしげる所作、腕を上げて掌をひらく動作と相まって歌とか立ち居振る舞いがそのままの芸術となる。17歳の女の子にしか歌えない時分の花。

初期の歌でぼくが好きなのはシングル2枚目の「妖精の詩」。冒頭のリズムの刻みは春を感じて土から虫が出てくる(啓蟄)、そよ風がノックする電子ピアノに誘われて彼女の声が降りてくる。「春がめぐりきた印です」の暗示。繰り返しながら降りていく音型、「太陽のガス灯を星の靴履く少年が磨き出す」なんて詩的な表現。スラーで結ぶアグネス節は魅力的。ぼくがスミレを好きなのは春がめぐりきた象徴を感じるからとしても、この楽曲は恋の芽生えとともに春の訪れを待つ心にも届く。その次の「草原の輝き」が春の甲子園の入場行進曲となった年は部員11人の山間部の公立校が準優勝したことを忘れない。

あと好きな曲を何曲か挙げると、「白いくつ下は似合わない」。デビューから3年後の11枚目のシングルで荒井由実作詞作曲。歌唱は格段に進歩して日本語の心の綾を描いていく。ひたすら歌唱の海に心を委ねる。デビュー当初の物珍しさでなくヴォーカリストとして聴いている。

松本隆、吉田拓郎による18枚目のシングル「アゲイン」もいい。目をつぶっていてもわかるマイナーにむせぶ拓郎節の旋律は諦念さえ漂いつつ物語を紡いでいく。
「点になる蒸気機関車 霧晴れてあなたが見えた」

松本隆の作詞も映画のよう。短調から転調しながら降りてきて空気が変わる。なんて良い曲なんだろう。ためらいと決意が胸を打つ。

CDでは次のベストがおすすめ。


入手が難しければこちらでも。


実はこのままでは終われない。アグネス・チャンの曲でとても好きな作品があって、それがいずれのベストにも収録されていないのだ。それは1980年の23枚目のシングル「ぼくの海」(B面は同曲の英語版で「Children of the Sea」でアグネス・チャンの作曲(英語版は作詞も)。この楽曲は戦争(内戦)で故国を船で脱出するボードピープルの旅立ちをうたう。父親が戦死し母親とともに新天地を夢見る母の祈り、子どもの願いであり、海の向こうにはきっとしあわせがあると信じている。

もういくつ寝たら 海がなくなり
走りまわれる 浜辺に着くかな
今夜は100まで 星を数えるよ
明日昇る太陽 今日より大きいさ

1980年の日本は(香港も)政変とはほど遠い平和を謳歌していたが、彼女の視点は別の世界に思いを馳せていた。親しみやすい旋律でありながらその楽曲にも似ていない感じ。切なさがこみ上げてくる。

切なさだけでない、ひとすじの希望が込められている。希望もしくは未来を信じようとする決意とでも。ぼくもともに祈りたい。

We are the children of the ocean
We are the children of the sea
海の向こうに きっとあるね
しあわせが しあわせが


追記

もう一度この楽曲を聴きたいと思っていたら
(ぼくが調べた限りでは配信音源もない)
なんとCDシングルがタワーレコードで復刻されている。
(もし現在の彼女が歌ったとしてもこの世界観を体現できるだろうか。時分の花はそのときだけ咲いているというのも哀しい現実かも)
2曲目はかつてのシングルの裏面と同様、英語版である。
オンデマンドのCD-R受注生産であるが取り寄せは可能である。もちろん正規音源。
https://tower.jp/item/5672969/%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%81%AE%E6%B5%B7

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posted by 平井 吉信 at 20:16| Comment(0) | 音楽
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