2023年01月14日

忘れられた里海の記憶 小神子〜越ヶ浜〜大神子への小みち〜その1 序章〜


県都の徳島市から小松島市にかけては大神子小神子(おおみここみこ)の名で知られる海岸がある。北から南へ徳島市の勝浦川河口から半島となった大崎地区を回り込むと大神子海岸、いくつかの渚を経て小神子海岸、小神子からは根井鼻をまわると元根井漁港と小松島港がある。
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(国土地理院「電子国土」から引用した地図を加工)

大神子も小神子も行政区域では徳島市大原町である。大神子は徳島市からのみ、小神子は小松島市からのみアクセスできる。大神子も小神子も山を超えてたどり着く行き止まりの地区で、大神子と小神子の間には車道はなく無人の渚があるのみ。

小神子と大神子の間は徒歩でたどる人も希な場所である。ぼくはかつて小神子から山伝いに奧へと延びるトラバース道を見つけてこの方面を「奧小神子」と呼んでいる。
奧小神子は奥飛騨、奥道後と同様に地域を表すもので地名ではない。本ブログでも「越ヶ浜」が正しいとの指摘をいただいており、その名称が適切と思われる。越ヶ浜の地名は国土地理院の地図に記載はなく、大原町の住所一覧にもないが、町名の記載がないのはよくあること(ぼくの生まれた町の名も地図にも郵便住所にも載っていない)。

子どもの頃から小神子はよく遊びに行った。元根井漁港から山ひとつ超えて降りていく(自転車では行きも帰りも汗をかく。特に下りは注意)と小神子の渚に出る。この地区には別荘があり、昔からの住人のほか、閑静な住処を求める人たちが移り住んでいる。
小神子を見下ろす丘は小松島湾と港が見える丘でもあり、かつてここにはレストラン(喫茶店)が営まれていた。祖父の友人だそうで、ぼくも何度か連れて行ってもらえた。ここでいただいた紅茶がとびきりおいしかったことを鮮明に覚えている。

いつの頃からかレストランは閉鎖され、この土地を買い取った富士ゼロックス社が社員向けの福利厚生施設(社員専用の保養所)に改装して活用していた。一般公開はされていないが、勝浦川についての勉強会を社員向けにやって欲しいとのご要望をいただいて講師として訪問したことがある。居心地の良い施設だったとの記憶がある。その富士ゼロックス社も近年になって資産売却の候補となって手放された。いまは誰が所有しているのかわからないが、娯楽施設があるようである。

施設の直下には岩礁が複雑に入り込む根井鼻(ねいのはな)があり、親父からは行ってはならないと釘をさされていた。父はこの場所を「通り魔」と呼んでいた。これが一般的な名称なのかどうかは不明。子どもが行くのは危ない場所ということでは確かに頷ける。岩伝いにたどっていく途中で滑落は大いにあり得るが、子どもの冒険心をかきたてる場所でもあり、ぼくもこっそりと通り魔の岩場を訪れたことがある。小神子の沖合には松が生えた岩があり、一本松と呼んでいた。レストランのオーナーの方に誘われた祖父とともに小舟で一本松まで来たことがある。風呂屋のタイル絵になりそうな風景である。国土地理院の地図では一本松は雉子岩と記されている。

峠を越えて小神子に降りる途中から北へ向かう山道を見つけて歩いた。山の中腹をトラバースするその小径は集落を俯瞰しながら北へと続いており、それをたどっていくと廃屋があった記憶がある。その辺りで日峰山からの沢に遭遇し、沢を下っていくと湿地(荒れ地)に出たと記憶している。国土地理院の1/25000でも荒れ地の標記のある場所の先には海があるが、荒れ地には背丈より高い藪が生い茂り、潮騒は聞こえども波間を見ることはできなかった。この体験は二十年ぐらい前のことであり、その渚が越ヶ浜とわかったのは近年のことである。

その後、日峰山の192メートルの山頂から東へ向かって尾根沿いに延びる散策路から北斜面を降りる遊歩道が整備された。尾根から降りていくものの渚へは行かず、菱形のように折り返す。その四辺形には阿波、讃岐、伊予、土佐にちなんだ名前が付けられている。

〔参考〕日峯大神子広域公園(公益財団法人徳島県建設技術センター)
http://www.toku-eta.or.jp/park/h_sogo/
→ この地区の散策路は平成15年)2003年)以降に順次整備されたと記載があるので、ぼくが最初に小神子からのトラバース道をたどった時点(おそらく2000年前後)では散策路(遊歩道ミニ四国八十八ヶ所箇所と記されている)はなかったことが確認された。
http://www.toku-eta.or.jp/park/h_map/
→ この地図には小神子方面からの散策路が記されている。ここに記されている道は行政が整備したものだが、今回ぼくがたどる道は古くから(もしくは近年になって)この道を整備された民間(おそらくは地権者)によるものである。小神子の北に位置する海岸は「越ヶ浜」と記されている。
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越ヶ浜に人は住んでいない。この荒れ地は沢の水が集まる湿地になっており、もしかしてかつて田んぼがあったのではないかとも想像する。小神子から延びるトラバース道から沢へ降りるあたりで廃屋を見た記憶があるが、いまは廃屋も見当たらない。いずれにしても日峰山を南西にひかえて紀伊水道を臨むこの地区(越ヶ浜)へは小神子から入るのだ。

日峰山についても記しておこう。国土地理院では日峰山ではなく芝山と記されている。しかし小松島市民でも芝山と呼ぶ人はほとんどいない。かつて四万十川を国(建設省)は渡川と名付けていたが地元では誰もそう呼んでいなかった。官製の地名にはこのようなことはよくある。

日峰神社がある場所が日峰山の山頂と思っている人も少なくない。ここの標高は165mである。そこから東にはさらに高いピーク(191.4m)があり、ここが日峰山の山頂である。
この山頂の直下にも駐車場があり、車と徒歩で容易に山頂にたどりつける。この山頂近くに紀伊水道を見下ろす展望所が近年になって整備され(紀伊水道展望所と名付けられているが民間の有志が開かれたものと推察)、ここを拠点に越ヶ浜や大神子へ歩き始めることとする。

この一帯を整備された方は地権者もしくは地権者の了解を得た有志かもしれない。いずれにしてもこの場所に愛着を持って大切にしておられることが伝わってくる。そのお気持ちを尊重して生態系を毀損したりゴミを捨てることなく歩きたい。

この正月はコロナの猛威を受けて外出は控えた。その代わり、この山域の踏み跡をたどって地形図に落とし込んでみるのを課題に設定した。次項からはそれを具体的に記してみよう。

posted by 平井 吉信 at 15:04| Comment(0) | 里海
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