
(海に面した岩場に自生するアゼトウナ)
日だまり(陽だまり)と書こうとして思いだした。
近年生まれた女子に「陽葵」(ひまり)という名前が増えているという。新聞記事で見たと思うが、ぼくはこの字が読めなかった。男子では「陽翔」(はると)が多いそう。画数が多いこれらの漢字を備品やノートに書くのだろうか。
(名前をけなしているのでなく、個性的であろうとして画一的になっていくInstagramの世界のような窮屈さを感じる)。
いずれにしても「陽」を求める人々の心がいまの冷たい世の中を表しているようだ。
コロナは収束することなく、ほかの熱帯の風土病なども侵入しつつ感染症は変異が進んでさらに脅威が増していく。地球温暖化は立ち止まることなく進行して激甚災害の日常化をもたらす。食糧や水の欠乏は絶望的な未来の姿。国の財政は枯渇寸前というのにいまだにばらまきを行う。庶民の生活はますます苦しくなるのに行うべき対策は行われない。その反面、既得権を持つ(発言力のある)者や組織は秩序や負担の公平性をふりかざすが、その実自らの権益をなりふり構わず守ろうとする。
人々の幸福とは何か? それをどうつくるべきか? それが土台になって国が栄えていくとしたら、やるべきことは見えてくる。いまのような複雑で無意味な制度や施策の羅列、そして誰かの救済に名を借りた利権(救済者の皮を被った略奪者)が跋扈することは許さない。政党政治や肥大化した行政機関は廃止して一人ひとりが社会の一員として自覚できる単位で動かしてみる実験をやってみたらどうだろう。
自分のことではなくても切っても切り離せない歪んだ社会が重くのしかかってくるとき、ふと行きたくなる場所が室戸岬。道路が良くなっているので2時間少々で行けることもある。逃避行かもしれない。でもこの重さを自覚できるうちはそうではないと信じたい。
(四国の森、川、海はそんな場所だね)
今頃の室戸岬へ行っても何か特別なものはないけれど、岩場にはアゼトウナが咲き乱れ、海沿いの散策路に沿ってシオギク(日本では四国の東南部のみ)がびっしりと埋め尽くされ、ハマナデシコが冬の殺風景な渚に思いがけず花火のような存在感を放つ。よく見るとそこにはこの世のものとは思われない原色のオオキンカメムシが越冬の居場所としているかもしれない。

室戸阿南海岸の冬の岩場で見ることができるシオギク やはり本場は室戸岬だ




室戸岬は断崖ではなく岩場の海岸線とところどころの小さな渚からなる。その遊歩道は樹木のトンネルをつくる。SNSの好きな人が自撮りする場所だろう。

ジオパークらしい地球の活動の痕跡を見ることができる


クワズイモの大きな葉に驚くだろう


大気はどんよりとしているが、海は雲の切れ間を映して蒼く明るくきらめく場面と碧灰色に沈む日常を繰り返す。一年中変わらないように見えるサボテンの花やアコウの枝振り、自然がつくる樹木のトンネルを抜けて潮風を浴びればそれが冬の室戸岬。
タグ:室戸岬
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