2022年11月26日

地元のゆこうとレモン 山間部で起きていることから国のあり方に思いが至ってしまった


南四国は香酸柑橘の宝庫である。
なかでもすだち、ゆず、ゆこうの三姉妹。すだちの亜種であるさなみどり、すだちの交配種である阿波すず香も加えて5姉妹と称されることもある。

丸亀製麺ですだちを使った製品が人気と聞く。果汁として用いる場合もゆず、ゆこうは調味料メーカーから強い引き合いがあるという。しかしそれはあと何年続くのだろうか。

これらはすべて山間部でしか採れないもので担い手がいない。ぼくも生産者の収穫を何度か手伝ったが、すべて棘がある樹種なので、厚手の木綿服などを着て収穫を行うのだが、枝をかき分けて実にたどり着く。枝から突き出た棘は斜めに向いているので、慎重に収穫しても身体のどこか(たいがいは手の甲か前腕)に傷を付けてしまう。収穫の際はゴーグルか度数のないめがねをかけておいたほうがいい。

この棘の奧に実がなっている
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ゆず
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すだち
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このカゴをさらにコンテナに統合するのでコンテナはかなりの重量となる
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それを篭に入れてコンテナまで運び、急傾斜地の崖を慎重にコンテナを軽自動車を停めた車道まで運ぶ。これをいくらで出荷するのかというと、1s100円という。ありえない安さである。

儲からないのに需要は年々増加している。そして担い手は年々高齢化しており一刻の猶予もない。子や孫が後を継がないので「来年はできるだろうか」と思いながらの作業である。

さらに追い打ちをかけているのが地球の温暖化による気温の上昇である。露地栽培のすだちでは近年農家ごとに収量が著しい差が出てきたという。

収量に明暗が分かれるようになった原因は不明であるが、考えられるのは栽培技術(手間)である。土壌や気温などの条件が異なってもそれらは変数として説得力を持たないだろう(機会学習、深層学習にかけても答えが出ないとデータサイエンティストは直感するだろう)。

気温の上昇が何に影響をもたらすかに論点を置いてみる。すると樹木の生育が著しく早く(旺盛に)なるのではないか。もしそうなら果実に行く栄養が取られる。となればこまめに剪定を行う必要がある。それができるのは体力がある農家(もしくはこまめに手入れを行う性格)に限られるのではないのだろうか。これが仮説である。AIは使わずとも近似の条件の樹木何本かでA/Bテストの検証で事足りる。

今年もありがたくゆこうの果汁をいただいている。ゆこうは日本の香酸柑橘でもっとも可能性があると思っている果実でこのブログでも何度が触れている。→ ゆこうの記事
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特に腔内環境や腸内細菌の分布に好影響をもたらすことが徳島大学の研究で判明してからは、ただおいしい果汁ではなくなってきた。現在でも調味料(ポン酢)の原材料として使われる量がもっとも多いのだろうが、最高の活用法はそのまま果汁を飲むことである。

具体的には手動の絞り器で果汁を搾り、はちみつを入れて湯割りにする。ゆこうの青果がある時期は毎朝飲んでいる。おいしいけれど飲んだあとにほかほかすることや胃や腸のすっきり感がまるで違う。飲む前に歯磨きをしておいて口腔内に残すのもコツ。歯周病菌と腸内細菌は密接に関係しており、それらを良好な生態系(細菌同士が相互作用する状況を表現している)を保つのに効果があるとすれば、長寿やQOLの改善、成人病の予防にも役立つものだろう。

続いて近所の山で採れたレモンを酒にしてみた。このレモンは自家用のため農薬は使っていない。山間部で小規模の栽培で出荷もしないため使う必要がないもの。約1kgを皮と綿を除いてつけ込むが、そのうち1個は皮の付いたまま輪切りにして皮の苦みも風味に活かす。輪切りは3日ぐらいで取り出してタッパーで蜂蜜漬けにも転用する。それ以外は1か月ぐらいで抽出を終えてレモンを取り出す。材料はレモン以外にホワイトリカー1.8リットル、氷砂糖300グラム、蜂蜜少々(好みに応じて)、3リットルもしくは4リットル用の果実酒瓶があればできる。
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山間部の農業の実態は深刻である。担い手がいなくなれば単に収穫できなくなるだけでなく、人が消えた里山では獣害が増える。また棚田が荒廃することでダムに匹敵する保水力が失われて下流の洪水が頻発する。かつての薪炭林のように山の手入れができなくなることも輪を掛けている。CO2排出削減量も減少する。まちにとってもむらにとっても良いことはひとつもない。

農業を通じた食料の自給確保や生態系保全、国土強靱化(災害対策)は国の最重要課題のひとつである。少なくともコロナ下での経済対策よりも重要である。政治と行政がこれほど荒廃しきってしまった以上、小さな政府のほうがまだましと思うようになった。すべての補助金やら支援策は打ち切り、人気取りのばらまき支援も止める。特に公明党の主導した軽減税率は流通の混乱と悪法インボイスの口実となった。商品券のばらまきは費用がかかって何の経済対策にもなりはしない。子育て世帯へのばらまきも(もらえたほうがうれしいのは確かだが)それが何につながっているのだろう。その反面、ほんとうに困った人たちには民間有志が手を差し伸べてなんとか対応しているが、困っている人たちへのアクセス(支援が届かず苦しい暮らしを送られている方がいる)も容易ではない。

社会のあるべき姿を明確に描いて、そこに到達するまでの最小限の過程を統合的に政策として立案できない限り、政治や行政は存在意義がない。その意味で「政治屋」の活動が中心となる政党政治は終焉を迎えている。多くの良識ある人が多数直接参加できる政治と行政のしくみが不可欠である。その実験は地域単位に主権を持つことから始めるべきだろう。道州制よりももっと細かい単位(もしかして都道府県よりも)を想定している。そんなことまで考えさせられるこの冬の香酸柑橘である。
タグ:ゆこう
posted by 平井 吉信 at 12:32| Comment(0) | 生きる
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