現在も骨董品ではなく普段使いだが、テレビを見ることはほとんどなくなった。
番組がつまらないから。人々を幸福にするようなメッセージを伝えていきたいと願っているけれど、映像を見るにしてもインターネット経由でパソコンで見ている。
例えばNHKプラス(見逃し番組が期限付でインターネットで配信される無料サービス)で、Songsで福山雅治と柴咲コウが出演した番組が配信されていたので見てみたらこれがよかった。
ホスト役の大泉洋(ああ鎌倉殿!)が福山(龍馬伝)、柴咲(直虎)の両名を迎える構図から始まる。最初は大河の主役をこなした二人のやりとりから始まってそこへホスト役(大泉カットイン)がやりにくそうに入ってくる間合いのオープニング。
大河としては龍馬伝は歴代でも失敗作と思っている。主役の福山さんが肩に力が入っていて楽しめない。龍馬を演じるのではなく、龍馬が福山を演じるでよかったのにと思う。誰がやっても相手が大物だけに位負けするが、歴史人物の龍馬に会ったことはないが、彼には理想主義と現実の狹間を際どく渡っていく真剣勝負の遊びといった魂の解脱が感じられる。ある意味では福山さんの地の部分と似ているとも思うのだ。いまの彼なら龍馬伝を愉しんでやれるのではないか。
今回の短い番組で彼の話術のおもしろさに感嘆した。笑わせようとしゃかりきになるバラエティ出演者たちと違って、自分がクールでいるがゆえに(それゆえいっそう)次の瞬間のオチへみごとな虹をかけられるのだろうね。かつて日曜夕方のFM番組だったか運転中に聞くともなく聞いていたことを思い出した(ぼくは番組中の彼の語りのものまねができる)。
大河としては失敗作ともいわれる直虎だが、ぼくはおもしろいと思っている。もちろん柴咲さんの魅力が大きいし、俳優としての存在感を極めつけに打ち出した高橋一生が忘れられない。大河では直虎の勝ちといったところ。
直虎で印象に残っているのは、観音経を唱える場面で彼女が旋律をつくって謡いとしていたことだ。どのような場面だったか覚えていないが、里山の風景で画面が引きとなってこだましていく美しさに浸った。このブログでもぼくは祝詞や読経を日常的に行っていることを触れているけれど、実は観音経を謡のように読んでいる(観音経とは「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」で普段はその要約版「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」)。
観音経を奏上していくと何度も現れる「念彼観音力」というフレーズに、観音という他力(宇宙の真理)に溶けていく心地がする。「衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦」まで来ると、自分が消えて天上から響く声を他人の自分が聴くような不思議な心地がする。「種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅」の下りではいつも勝手に右手が天に向かって動き、「無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間」で祈りが極まる。
「滅除煩悩炎」で再び空間を切るように手が動いてピークアウトする。その後に続く「妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念」はフォルテのあとの静かな歌い出しのように張り詰めた静けさに包まれ、コーダに向けて静かに結ぶ。
読経しているとどこからか旋律(謡い・歌舞音曲)が舞い降りてくる。それが観音経の力かもしれない。柴咲さんも同じ体験をされたから自然に出てきたのではないか。
この楽曲は「直虎」のサントラにも収録されていうが「謡い経」として1曲のみの配信で買える。
この二人はご存知「ガリレオ」の主役で近々新作が上映されるという時期。
湯川教授は福山雅治以外はできないだろうと思えるはまり役。それまでの定番だったサスペンスや刑事物の押しつけられた正義感が窮屈かつ退屈と感じた(「相棒」ですら楽しめないのだ)。
湯川教授は数式(論理思考)を信じて淡々と行動するけれど、そこに彼なりのモノサシがある。それは道徳とか倫理観とも違う本能的な心の動きだが、そこを隠してクールを装うのが魅力的なのだ。
ガリレオからのスピンオフで柴咲コウとともにKOH+というユニットを結成しているが、Songsの番組中ではユニットの歌を披露。「KISSして」が愉しかった。その他の楽曲も魅力的で音声だけでもすばらしいが映像が加わるとさらに印象が深まる。いつまでも見ていたい。
CDのみ
CD+DVD
番組では桜坂を3人で3声(オクターブユニゾン+長3度)でさらりと歌うとくつろぎの時間が流れた。
桜坂は福山雅治の世界観が凝縮された楽曲で、桜坂が特定の場所を素材にしているとしても、桜の咲く頃に誰かと肩を並べて歩いたみち、という普遍的な状況に置き換えられる。その普遍性(普通の良さ)が魅力ともいえる。
桜坂は柴咲コウもカバーしている。Amazonプライムでどちらも聴けるが、人肌のぬくもりを飾らず誰にでも普遍のメッセージを届ける福山オリジナル桜坂は低回する節回しが聴き手を揺さぶる。楽曲を桜色に染めて黄昏の空気感を浸透させていく柴咲桜坂もすばらしい。
関係のなさそうな連想がつながった。実におもしろい。
大泉洋も含めて3人のやりとりがなごむのは自分をさらけだしつつ他人を不快にさせないことが自然体でできるからだろうね。
いまの時代の楽曲がつまらないのは音楽をやる人間の責任ではないかもしれない。自分が幸福を感じていないと誰かに幸福感を届けることなどできないでしょう。社会を変える一歩は自分ができることから始めることだけれど、あるべき姿をいつも思い描き続けること、そしてそのことを発信していくこと。この拙いブログに存在価値があるとしたらそこしかない。
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