2022年09月06日

川はヒトの生き方や社会を映す 

川に来てみるといつもより水位が高い。上流で雨が多かったということ。
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このところ晴れていても瞬時に土砂降りや雷がやってくることが多い。
洗濯物を濡らしてしまうこともしばしば。

温暖化による異常降雨、その激化は予測できたこと。
数十年に1度の雨が年間に数回も降るようになってしまった。

山に降った雨を海まで安全に流すのが治水とすれば
川を直線化して一気に海まで流す流速の早さを追求してきたのが近代治水。

ところが伝統工法の治水(技術思想)は山へ降った雨をゆっくり流すようにする。
里山の森(雑木林)に水をとどめ、棚田や平地の田んぼでもとどめ、それでも溢れる水があれば社会生活への影響が最小限に済むように。竹林を整備して肥えた土の養分(山のミネラル)を田畑に残して洪水を治めるのもあり。遊水地を設定するのもあり。

ただし治水利水をめぐっては上流と下流、右岸と左岸での対立があって一筋縄でいかない。すべてが安全である治水、例えば越流への備えをすべての堤防で行うことは理想のようだが、現実に限られた予算ですべての河川をそのように変えてしまうことはできない。もしそれが実現できたら、実はかえって危険度が高まる。

誰もが洪水は起こらないことに慣れてしまうが、想定を超える災害はいつか起こる。その際に被害が極大化してしまう。いわばヒューズのない電気製品。壊れるときは製品本体が焼き切れて終わる。安全装置があれば過電流でもヒューズが飛ぶことで製品本体を守ることができる。

それが流域治水の考え方。20数年前から綴っているWebサイトでもそのことを書き続けてきた。
安全に溢れさせる場所(遊水地)を想定しておく。そのためには社会的な合意が必要で保険や補償のしくみを調えておくことが前提。

厄介者(洪水)をいち早く海へ流す合理的な治水は川の水位が急激に上昇し流速も上がってかえって堤防が決壊しやすくなる。それも人口密度の高い地区で起これば未曾有の災害となる。

製造業で必要なときに必要なものを必要最小限の在庫でつくる同期のしくみをジャストインタイムと呼ぶが、それは時間待ちのトラックが道路に停滞するという物流にしわ寄せを来した。さらに冗長性が皆無となってすぐに製造が止まってしまう。日本経済をサプライチェーンの途絶が直撃したのは見かけの生産性を高めるために犠牲にしていた要素(隠れ氷山)が浮上しただけだ。

大水が来ても「まあ、少し遊んでいけ」と時間で空間の両方で吸収することで流量を平準化し流速を落とさせることで洪水の被害を抑えるという流域治水の必要性を1990年代からあちこちで書いている。多様性やら全体の最適化などの考え方とは対極のモノカルチャー・同一化・横並び・冒険しない・価値観強要社会と部分的な最適化(それを生産性向上と呼んできた)で衰退した30年だったね。ヒトも社会も生き方もリニア(直線)で破綻まっしぐら。

そうではない循環する社会や生き方に変わっていこう。あるべき姿のモノサシを持っていないと歪んだ政治がつくりだす管理される社会の弊害に気付かない。いまだに反社会的集団が宗教の仮面を被って政治と癒着しつつはびこっているのだから。

目を閉じて川の流れを見つめてみなよ。
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〔追記〕
川の技術思想を学ぶなら新潟大学の大熊孝先生。徳島にも何度かお越しいただきました。つつがなくお過ごしでいらっしゃるでしょうか?


〔目次〕
第一編 自然・川・技術のあり方を問い直す
第1章 自然の豊かさと日本人の一万年
“国破れて山河あり、国栄えて山河なし"
縄文文化にみる日本の自然の豊かさ
“余剰"が文化にそそがれる社会、生産力
二十一世紀を「停滞期」の文化に近似させる

第2章 川から自然をみる意味
自然を考えることの意味
物質循環としての自然
日本人は川の役割を認識していた
自然循環を塞き止めるダム
洪水も無駄に流れていない

第3章 近代科学技術は自然と敵対するものだったのか?
「真理探究型」と「関係性探究型」
普遍性と地域性を共存させたヘンリー・ダイアー
ダイアーの教え子たちの変質

第4章 近世から近代への連続と断絶
技術の三段階分類とは
「手段的段階」が圧倒した近代
近代以降は中間的な担い手が後退
「維持管理ゼロ」の思想がもたらした陥穽

第5章 消費される時間と蓄積される時間
二つの学問と時間認識
同時性の異常
時間が蓄積されない風景
「消費する時間」と近代土木技術
「蓄積される時間」の回復をたくらむ

第二編 近代治水思想と川の文化の相克
第6章 治水思想の変化と現実的な水防対策
氾濫受容型治水から河道主義治水へ
唯一解として語られる「基本高水」のおかしさ
治水安全度の選択は地域住民のもの
堤防を強化し「余裕高」を生かす

第7章【伝統の氾濫受容型治水策に学ぶ(1)】 氾濫水は緩やかに溢れさせる
『百姓伝記』にみる水防・治水思想
明治以降の水害防備林の衰退
水害防備林の効果の体系的認識
現代の水害防備林としての「樹林帯」

第8章【伝統の氾濫受容型治水策に学ぶ(2)】 氾濫した水は河道に戻す
明治時代中期になってあらわれる「霞堤」
用語としての定着は大正以降に
土木学会編『明治以前日本土木史』の誤用
「霞堤」の機能は氾濫水の河道還元
似て非なる緩流河川の不連続堤

第9章 堤防を切って氾濫水を戻す
「霞堤」締め切りによる氾濫水を戻す
新たな築堤による氾濫水の河道還元
その他の自主決壊事例
氾濫想定と自主決壊のシミュレーション

第10章 「氾濫受容型治水」のモデルを探る
甲突川五石橋の撤去の経緯
高度の氾濫受容型治水システム
洪水後の無謀な河川改修工事
現代治水思想の悪循環

第11章 人と自然の関係を豊かにする河川構造物とは
第十堰問題とは何か
洪水の力を巧みにかわす
近代改修における第十堰存続の経緯
きわどかった第十堰の存置
第十堰撤去による治水の費用対効果
自然と共存できる河川構造物

第12章 あるべき川の恵みの配分とは
川の恵みの“近世的配分"と“近代的独占"
水力発電による恵みの収奪
川文化と電力文化の折り合い点を探りながら

第13章 市民参加による川づくり
都市の水辺を残していた川
市民ボランティアのパートナーシップ
「通船川・栗ノ木川下流再生市民会議」の発足
「技術の自治」を確立する時代



〔目次〕
T 私は川と自然をどう見てきたのか
第1章 日本人の伝統的自然観・災害観とは
第2章 近代化のなかで失われた伝統的自然観
第3章 小出博の災害観と技術の三段階
 予備知識・川の専門用語
U 水害の現在と治水のあり方
第4章 近年の水害と現代治水の到達点
 1 2004年7月 新潟水害と福井水害
 2 2011年9月 台風12号による紀伊半島・相野谷川水害
 3 2015年9月 利根川水系鬼怒川の破堤
 4 2016年8月 岩手県小本川水害
 5 2018年7月 岡山県倉敷・小田川水害
 6 2019年10月 台風19号広域水害
 7 現代の治水計画における問題点
 8 ダムは水害を克服できたか?
 9 ダム計画の中止とダムの撤去工事について
第5章 究極の治水体系は400年前にある――堤防の越流のさせ方で被害は変わる
 1 信玄堤は本当に信玄が築いたのか?
 2 筑後川右支川・城原川の野越
 3 加藤清正の「轡塘」
 4 桂離宮の水害防御策
 5 信濃川左支川・渋海川(長岡市)の事例
 6 近世における利根川治水体系
第6章 今後の治水のあり方 ――越流しても破堤しにくい堤防に
 1 現代の治水問題
 2 治水問題の解決は越流しても破堤しにくい堤防にある
 3 堤防余裕高に食い込んで洪水を流す
 4 今後求められる堤防のあり方――スーパー堤防に関する補足を兼ねて
V 新潟から考える川と自然の未来
第7章 民衆の自然観の復活に向けて――自然への感性と知性をみがく
 1 ボランティア活動の限界――NPO法人新潟水辺の会の取組みから
 2 水辺との共生を次世代に継承するためには
第8章 自然と共生する都市の復活について――新潟市の「ラムサール条約湿地都市認証」への期待
 1 都市における「自然との共生」の試み
 2 越後平野の開発の変遷
 3 越後平野の自然復元の兆し
 4 越後平野全域をラムサール条約湿地都市≠ノ――「都市の自然観」の創造に向けて
 5 「社会的共通資本」としての川・自然環境と「都市の自然観」
  あとがき

posted by 平井 吉信 at 00:33| Comment(0) | 山、川、海、山野草
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